幸せな結婚のための「イメージの力」 ~幸せな「結婚」も「妊娠」も「出産」も育児」も伝染する~
【自由社会の特徴】
この世界の中には、大きく分けて、「自由社会」を有する国家と、「平等社会」を有する国家がある。
現在、自由社会を有する国家は、アメリカ合衆国筆頭に、西ヨーロッパ諸国や日本があり、それらの国々はいずれの国々も発展している。
自由社会は、簡単に言ってしまえば、憲法で国民の権利が保障されていて、国民のすべてが百人百様の夢を持てる社会である。
だから、自由社会の国民が、何かを達成したいのなら、夢を持ち続け、努力することである。そういう行動を取り続ければ、自分の描いた夢は実現していくのだ。
【自由社会で大切なものは「自由」より「夢」】
自由社会に生きていると、やたらと自由を叫ぶ人たちがいるけど、自由社会で大切なものは「自由」より「夢」なのである。
自由社会では、各人が勝手気儘に生きていい訳ではないのである。自由社会では、各人が「自由社会の黄金の法則」に従って生きざるをえないのである。
「自由社会の黄金の法則」、それは、
「人生はその人が思い描いた夢のとおりのものになる」
という法則である。
だから、不妊症の夫婦の場合、このまま二人っきりでいいと思うのではなく、子供がたくさんいる家庭を自分たちの「夢」として思い描くことが必要なのである。
そういう夢を持ち続ければ、いつの日か自分たち夫婦の夢は実現して、不妊症は克服され、赤ちゃんができてしまうのである。
不妊症で悩んでいるのなら、不妊治療を受けるよりも、自分たち夫婦の未来図を思い描く方が遥かに大事なことなのである。、
【平等社会の特徴】
不妊症の夫婦がこの大事な作業を怠ってしまうのは、不妊治療を受けると、他の夫婦も不妊症で子供がいないのだから、みんなと同じで安心してしまうのである。
不妊治療を受け、赤ちゃんが欲しいと思っているのに、自分の心の中で悪魔の叫び声が、末来の赤ちゃんの命を奪ってしまうのである。
悪魔の叫び声、それは「平等」である。
平等は自由を殲滅してしまい、自分たちの夢を打ち砕いてくるからだ。
平等が実現された社会には、自由も各人の夢もない社会なのである。平等社会は独裁者の理想だけがある社会である。
独裁者の理想を実現するために国民全員が同じ方向に進むので、各人の自由や各人の夢など一切が認められないのだ。
自分の理想に邁進する独裁者自身はいいが、それ以外の人々は絶望して、やる気を失ってしまうのだ。
【平等社会で大切なものは平等よりも独裁者】
平等社会は平等が実現された社会ではないのだ。「平等社会の恐怖の法則」で運営される社会なのだ。
「平等社会の恐怖の法則」、それは、
「独裁者が推進する理想によって、すべての人々の人生が滅茶苦茶にされる」
という法則である。
平等を目指した社会主義国家で、なぜ粛清が頻発し、政治警察が横行し、強制収容所ができるのかは、この「平等社会の恐怖の法則」を知らずして、理解することはできない。
不妊治療の現場でも、小規模ながら、この「平等社会の恐怖の法則」が作動してくるのだ。なぜなら、医者たちは裕福なくせに、結構、共産主義者や社会主義者やフェミニストが多いのだ。
不妊症の夫婦は、まじめに不妊治療を受けても、医者たちが行う不妊治療で、自分たち夫婦の人生が滅茶苦茶にされてしまうのだ。
理由は簡単である。不妊症の夫婦が、みんなと平等と思い込んでいるから、自分たち夫婦の夢がないからなのである。
夢のない人間は、必ず独裁者の餌食になるのである。
【自由社会は唯心論、平等社会は唯物論】
みんなと平等だと思い込むことは非常に危険なのである。人間は遺伝子レベルで平等でないのだから、平等になりようがないのである。それにも拘らず平等と思い込めば、待ち受けるのは言語を絶した悲劇のみである。
自由は必ず格差を生み出すのだから、自由は平等を破壊していくのである。
平等は格差を解消しようとするのだから、各人が持っている自由を消滅せざるをえないのである。
自由の敵は平等だし、平等の敵は自由なのである。自由と平等は共に存続し得ない概念なのである。
もしも、ここに1枚のピザがあったとしよう。1枚のピザをみんなで分けると、数が足らなくなった場合、「1枚のピザに問題があるなら、もう1枚焼けばいい」という考えを持つ人は自由社会の住人になる資格があるし、「1枚のピザに問題があるなら、誰かを殺して奪い取ってやろう」という考えを持つ人は平等社会の住人になる資格があることだろう。
自由社会の住人たちはもう1枚ピザを焼かざるを得ないのだから、自分の頭の中で新たなるピザをイメージして作らざるを得ないのだ。
それゆえ、自由社会の住人たちは「唯心論」を哲学の原動力にせざるをえない。だから、自由社会では、「成功哲学」「積極的思考」「自己啓発」といったものが盛んになってくるのだ。これは日本でも、アメリカでも、イギリスでも、変わることはないのだ。
これに対して、平等社会の住人たちは、今ある1枚のピザを分割せざるを得ないのだから、自分の頭の中で、新たなるイメージなど必要なく、誰かを叩き潰して、現在の現実に満足しようとするのである。
それゆえ、平等社会の住人たちは「唯物論」を哲学の原動力にせざるをえない。だから、平等を唱えてくる人たちは、「貧富の格差」を解消すれば幸せになれる、「男女の性差」を解消すれば幸せになれると、思い込んでくるのである。
不妊症の夫婦も、自分たちで夢を思い描かなければ、「精子がどうした」とか「卵子がどうした」とか、まるで精子が卵子に受精してくれたら、妊娠できると思い込んでしまうのである。
そこには自分たち夫婦がどう未来を形づくっていくかという夢がないのである。
そのためか、そういう夢のない不妊症の夫婦は、不妊治療を受けているのに、赤ちゃんがいない現在の生活に結構満足しているのである。
それゆえ、いくら不妊治療を受けても、なかなか赤ちゃんができないのである。
現実に満足してしまうのは、非常に危険なのである。
【人間は本質的に不平等である】
人間は絶対に平等などになりはしないのである。
「貧富の格差」を解消した所で、みんなが豊かになれる訳がないのである。貧富の格差の解消を目指した社会主義国がみな一様に貧乏になっていったのは、このことを証明している。
「男女の性差」を解消した所で、みんなが幸福になれる訳がないのである。男女の性差の解消を目指しているフェミニストたちに、幸せに暮らしている女性たちがいないのも、このことを証明しているのだ。
男性と女性は体からして違っているのである。筋肉質の肉体を持っているのは男性だし、美しい肉体を持っているのは女性である。肉体からして違ってしまえば、男女が不平等なのは、自明の理なのである。
男性ファッション雑誌と女性ファッション雑誌のどちらが売れるかといえば、圧倒的に女性ファッション雑誌である。
グラビアアイドルはすべて女性である。俺は男性がグラビアアイドルをやっているところを見たことがない。
野球やサッカーやボクシングは若い男性たちがやっているからこそ盛り上がるんであって、女性のスポーツで盛り上がるのは、フィギュアスケートやテニスやゴルフといった、筋肉量の少ない女性でもできるスポーツなのである。
現在、日本政府はフェミニストたちの意見を採用して、「男女共同参画社会」を実現させようとしているが、なぜかこの男女共同参画社会で女性たちが疲労しきってしまっているのである。
理由は簡単である。男女共同参画社会は平等社会を目指すから、女性たちに自分の夢がないのである。自分に夢がないのに、フェミニズムというイデオロギーのいいなりになるから、疲れきってしまうのである。フェミニズムによって、自分の存在がこの世から消えてしまっているのである。
不妊症の夫婦も、「よその夫婦には赤ちゃんがいるのに、どうして自分たちには赤ちゃんがいないのだろう」と考えてしまったり、「よその不妊症の夫婦に赤ちゃんがいないのだから、気楽に行こう」と思ったりしてしまえば、余計に赤ちゃんは生まれてこないのである。
【自由社会の敵】
自由社会では自由が保障されているのだから、必要以上に自由を求めてはならないのである。
必要以上の自由、それは、
「平等になる自由」
である。
平等は自由そのものを破壊するから、平等を唱えてくる人たちは自由社会の敵なのである。
いくら自由を保障したとしても、自由社会を破壊する自由を与えてはならないのだ。
平等を唱えてくる人たちは、バカではないのである。寧ろ、知能指数に関しては高い方なのである。ただ、小中高そして大学と勉強し続けてきたがために、この世の真実を体感せずに成長してしまったのである。
事実、日本共産党でも、社民党でも、なぜか党首は東京大学卒なのである。
彼らや彼女たちは、「自分は頭がいいんだから、世の中で成功して当然」と思っているのである。
しかし、世の中で成功するのは、頭の良し悪しよりも、自分の夢を持ち、行動するということなのである。知能指数の高さや学歴よりも、「心の態度」の方が遥かに大切なのである。
【手本は凡人の家庭にする】
不妊症の夫婦が、自分たち夫婦の夢を思い描こうとしても、いきなりには思い描くことはできない。
それゆえ、自分たちが「この夫婦、素敵だな」と思える夫婦と知り合いになって、そういう家庭を手本にすることだ。
幸せな家庭というのは、大抵、夫がどっしりと構えていて、妻の顔が穏やかで、料理を作らせれば上手で、子供達が賑やかで元気でいるものだ。
こういう幸せな家庭を有する夫婦と仲良くなって、幸せな家庭がどういうものか教えてもらうことだ。
但し、幸せな家庭の手本は、天才の人ではなく、凡人の人のものにすることだ。
相対性理論を発見したアインシュタインは天才と言われているが、妻に暴力を振るうしょうもない男性だったのだ。天才と呼ばれる人たちは、どこか人格が破綻している場合が多いので、幸せな家庭の手本にはならないのだ。
それよりも、凡人で裕福な夫婦の家庭を手本にした方がいいのだ。
【記憶と想像力】
幸せな家庭を実際に見てみるというのは、非常に重要な行動なのだ。
最近は、教育現場で、個性や独創性をやたらと強調しているが、個性や独創性はそれだけでは使い物にならない場合がほとんどなのだ。
教育で大事なことは「記憶」である。
若い時は記憶力が強いのだから、徹底的に記憶に徹することなのである。
自分の頭の中に「幸せの記憶」がないと、自分を幸せにする「個性」を生み出すことなのどできないのだ。
記憶力は個性よりも大事なのである。
自分の頭の中に「幸せな記憶」があるからこそ、新たなる想像力を盛んにすることができ、独創性を発揮することができるのである。
想像力は独創性よりも大事だし、記憶力は想像力よりも大事なのである。
人間は他人から幸せの記憶を貰い、それから自分で幸せの記憶を作り出して、そして個性や想像力や独創性を発揮して、幸せになっていくのである。
【夫婦二人で描く夢】
こういうことから考えていくと、幸せな結婚も、幸せな妊娠も、幸せな出産も、幸せな育児も、伝染していくのである。
不妊症の夫婦が、赤ちゃんがいなくても、夫婦二人っきりで今の生活に満足してしまうのは危険なのである。
なぜなら、不妊症の記憶しか再生産されないから、新たなる幸せのイメージを作り出せないのだ。
幸せな結婚にするためには、確かに当該夫婦の「夫婦の愛」が大切ではあるけれども、それ以上に、幸せの結婚のための「イメージの力」が必要なのである。
そういう幸せなイメージを作り出すためには、先輩格の他の夫婦から幸せになるイメージを貰うことが必要なのである。
そして夫婦が二人で自分たちのために夢を思い描いて、幸せの家庭を作り上げていくのである。
こうやって幸せな家庭は、過去から現在へ、そして末来へと受け継がれていくのである。
夫婦がどんなに愛し合おうとも、夫婦二人っきりの生活に満足してしまうと、そこから1歩も動けなくなってしまうのである。気がつけば、10年20年はあっという間に経ってしまい、自分たちの髪の毛に白髪が混ざり、シワやシミが目立ち始めるようになって、子供が欲しいと思っても、もう遅いのである。
自分の人生を変えたいのなら、新たなる人と出会い、新たなる幸せのイメージを貰って、自分の人生を変えていくしかないのである。
不妊症を克服して、赤ちゃんを得られるという「新たなる幸せ」は、いくら探しても自宅の中にはないのである。不妊症を克服するパワーは、自宅の外からやってくるのである。
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