対不妊症ストレスの解消の方法
●対不妊症ストレス
不妊症を引き起こす三大ストレスのうち「心の悩み」は、圧倒的に女性が抱えてしまう問題である。女性にとって結婚相手の赤ちゃんを産めないというのは、物凄いストレスがかかってしまうのだ。
不妊症患者たちは副交感神経優位の状態で育ってしまったがゆえに、こういう「心の悩み」を抱えてしまうと、交感神経に思いっきりシフトしてしまい、交感神経が引き起こす「体温低下」「内臓の機能低下」「血流障害」といったものが、子宮を直撃して、不妊症を発症させてしまうのだ。
この「対不妊症ストレス」を、当の不妊症患者たちや不妊治療を行っている医者たちは、まったくといっていいほど看過しているのだ。これがために不妊症の妻たちがいくら不妊治療を受けようとも、治療に失敗し続けるという悲惨な結果を引き起こしているのだ。
そこで今回は不妊症の女性に限定して、「対不妊症ストレス」について述べることにする。
●対不妊症ストレスに気付く
不妊症の女性が、不妊治療を受けに病院に行くと、診察を受けたり、排卵誘発剤を処方されたり、人工授精や体外受精を受けたりと、機械的に不妊治療が進められるのだが、実は不妊症を治療をするにあたって、もっとも大事なことが抜けているのである。
それは「自分の対不妊症ストレスに気付く」ということなのである。
不妊症患者は救急車で運ばれてくるわけではあるまいし、不妊症の女性はかなり前から不妊症であることを自覚して病院を訪れてくるのである。もうこの時点で不妊症に対して大きなストレスを抱え込んでいるのである。
そのため、この「対不妊症ストレス」で交感神経が優位になり、体温は通常よりかなり低下しているのだ。日本人女性の平均体温が「36.5℃」なのに、不妊症の女性たちには、この平均体温がないのである。良くて「36℃の前半」、悪ければ「35℃」台である。
こういう状況下にある女性に対して、いきなり不妊治療を開始するのは、酷である。体温が低下しているんだから、不妊治療が高い確率で失敗するのは当然なのである。
だから、不妊治療を始める前に、「不妊症の場合、対不妊症ストレスが発生することに気付いてくださいね」と一言かけてあげるのは、医者としての当然の倫理的な義務というものだろう。
不妊症の治療が成功するか否かは、不妊症の女性自身が、この「対不妊症ストレス」に気付くか否かにかかっているといっても過言ではないだろう。
不妊症になったら、対不妊症ストレスがあると解ってから治療を開始するのと、対不妊症ストレスを知らずに治療を開始するのとでは、対不妊症ストレスのかかる重圧がまるで違うものになってしまうのだ。
だから、まずは、不妊症の女性に、「不妊症になったら、対不妊症ストレスが発生するから、このストレスに気付いてくださいね」の一言をかけて治療を開始すれば、不妊症の治療の成功率も飛躍的あがっていくのだ。
●不妊症で困っていないと割り切る
不妊症の女性に「対不妊症ストレス」に気付いてくれれば、今度は対不妊症ストレスを解消する方法を教えてあげればいいんだ。
その秘訣とは
「不妊症で困っていない」
と思って、声に出して言うことなのである。
「えっ、不妊症で困ってんだから、不妊症の治療を受けにきたんじゃないの!?」と怒鳴りつけられてしまうことなんだけれども、実は不妊症の女性が心の中で、「不妊症で困ったな」と思っていると、不妊症は一向に治らないんだ。
考えてもみな。不妊症は他の病気と違って、当の本人にはなんら異常な症状が出てこない病気なんだ。アトピー性皮膚炎なら皮膚がアトピーになってしまうし、肺炎になったら咳が止まらないし、癌になったら全身に激痛が走る。しかし、不妊症にはこんな症状が起きないんだ。見た目は健康そのものなんだよ。
「それでも不妊症で困っているの?」
だが、不妊症の女性は、
「赤ちゃんができないことを困ってんじゃないの!」
と怒鳴りつけてくるのである。
人間、生きていれば、人生の中で「困りごと」が発生して来る。しかし、それに対して「困った!」「困った!」といっていると、その「困りごと」は一向に解決されないんだ。
それどころか、より多くの「困りごと」がその人に襲い掛かってくるようになるんだ。
そのため、不妊症を発症して、「不妊症を困った」と思ってしまうと、その後の不妊症の治療で、多くの困りごとが訪れてくるのようになるんだ。
「不妊症を発症して困ったな」とか、「どうして私だけが不妊症で苦しまなければならないの」とか、「不妊治療って大変だ」と思っていると、そう思ったとおりになってしまんだ。
だから、不妊症を発症した場合、俺は不妊症の女性に対して「ひとまず冷静になって、自問自答してみな」っていうんだ。
「あなたは不妊症で困っているの?」
「私は不妊症を発症したけど、不妊症で困っていない」
そう思ってしまうと、対不妊症ストレスは一瞬のうちに消えていくんだ。「困っていない」「苦しんでない」「大変ではない」と思えば、「困りごと」「苦しみ」「大変さ」は消えて行くんだ。
●心があるのに心を無視する人間たち
人間は他の動物たちと違って、「心」がある。しかも、この「心」は或る程度まで自分の力で制御することは可能なのである。
ところが、ほとんどの人間たちが、この自分の「心」を無視するのだ。
社会主者たちは貧富の格差を困りごとにし、フェミニストたちは男女の性差があることを苦しみにし、教育関係者たちは現在の日本の教育を問題にしている。
でも、それでその「困りごと」や「苦しみ」や「問題」は消滅したの?
全然、消滅しないよね。それどころか、その「困りごと」や「苦しみ」や「問題」はより悪化していっているよね。
それだけでなく、ラッシュアワーで電車が混雑しているのに、飛び込み自殺をする人間たちまでいる。
いくら自分で悩み事を抱えていても、自分の命を自分で奪うまで悩まなければならないのって、自問自答していたら、自殺することなんかしないはずだよね。
不妊症の女性も、不妊症の前において、自分の「心」を無視しちゃっているんだ。
「対不妊症ストレス」をおもいっきり抱え込んでいるのに、不妊治療を一生懸命に受けたって、治らないって。
我武者羅に不妊症を解消することに頑張らない。
まずは、自分の「心」を見つめることだ。
不妊症の女性の中には、不妊症であることを自分の両親にすら言っていない女性もいるんだ。自分の両親に、自分が不妊症であるってことを言えないのは、自分が心の中で「不妊症になって困ったな」と思っているからなんだよ。
不妊症になったから死ぬわけでも、殺されるわけでもないんだよ。
不妊症になっても殺されるわけではないと思えば、「対不妊症ストレス」はパッと消えていくよね。
●心の法則
人間には心がある以上、この心は「心の法則」で規則正しく動いているんだ。
心の中では「思念」が渦巻いていて、それが口から「言葉」として発せられて、自分の「行動」になっていくんだ。
「心の法則」は、自分の心の中で考えたとおりに、自分の人生がそうなってしまうという法則だ。
この「心の法則」が恐ろしいのは、善人も悪人の差別もなく、善悪正邪の区別もなく、作動してくることなんだ。
だから、不妊症患者の場合、不妊症を発症する前の不妊症患者の思念や言葉や行動が、不妊症を作り出してしまい、その不妊症に対して、「困った」「苦しい」「大変だ」と思い言っていると、不妊症はより悪化していくんだ。
それゆえ、不妊症を発症した場合、、不妊症に「困っていない」「苦しんでいない」「大変ではない」と思って、それまでの間違った生き方を変えて自分の精神レベルを向上していかないと、不妊症は解決できないんだ。
●治療可能なのに死んだ癌患者
これは何も不妊症患者だけにとは限らない。すべての人たちに言えることなんだ。
例えば、或る癌患者の例。
その癌患者は癌検診で癌が見つかったのだが、その癌患者は「自分が癌になってしまった、困った、困った」というようになったんだ。その癌は初期の癌で、この程度なら、医者でも治療可能だったので、病院に入院することになったんだ。
しかし、その癌患者は入院中、癌の痛みがないのに、「癌が苦しい」と言い出したのだ。そして癌の手術を受けたら、なんと担当医が治療ミス。2度も手術を受ける羽目になってしまったんだ。
そして退院後、 その癌患者は体調を崩してしまい、常々「俺、死ぬんじゃないかな」と愚痴をこぼすようになったら、なんとその通りに死んでしまったんだ。
治療可能なのに、自分の心を制御できなかったばっかりに、死んでしまったんだ。
●タマティーの例
こういうのは、病気に限らずとも、自分の心の乱れが、当の本人に不幸をもたらしてしまうということは、良くあることなんだ。
例えば、俺はこの「不妊症バトルロワイヤル」で不妊症患者たちの心の問題、即ち「自律神経」のことを取り扱いたくなかったんだ。できれば、ここを素通りして、次の場所に行きたいと思っていたんだ。
でも、不妊症を解消していくにあたって自律神経のことは避けられないから、嫌々ながらブログに書き始めたんだ。
そしたら、歯が痛くなってしまい、しかも歯が1本というのではなく、全部の歯が痛くなってしまったんだ。虫歯になったことのない俺にとっては、歯が痛いだけでも苦痛なのに、それが1日中続いて、ご飯を食べるのもやっとだったんだ。そういう状態だから、この3日間、ブログも文章が重かったし、今から考えると不要な文章を書いてしまったし、まったく気分が高揚してこなかったんだ。
そしたら昨日、俺のブログを読んで、「不快だ」の、「根拠がない」だの、「もう見る気はない」だの、コメントをぶつけてきた女性が現れてきたんだ。
俺は激怒したね。この無礼なコメントは俺の逆鱗に触れたよ。
だって、現在の日本には、1500万ものブログがあるんだよ。自分が気に入らないブログがあるなら、すぐに素通りして、他のブログに行けばいいじゃん。ブログは無数にあるんだよ。それなのに、そのブログの主宰者が不快に思い、怒るようなコメントをなぜ残していくんだよ! そんなことする必要性はないだろ。他人のブログを見る際には最低限のマナーを守れよ! 俺が今までやったこともないような無礼な行為を、しかも男性ではなく、よりによって女性がやってきたんだよ!
俺はこの後、「自分が嫌々ながら、自律神経のことを書いていたから、こんな不幸なことが訪れてきたんだ。神様は俺にちゃんと自律神経のことを書けと言っているんだな」と思って寝たら、今日の朝、なんとあれほど苦しめた歯痛がピタリと治ってしまったんだ。
●仏教の一切皆苦
人生は、心の持ち方次第で、まったく別のものになってしまうんだ。
例えば、仏教。仏教では「一切皆苦」と教える。「一切皆苦」は、この世のすべてが苦しみであるということ。この苦しみの中でも、「生老病死」がもっとも過酷な苦しみなのだそうである。仏教徒にとっては、生きることも、老いることも、病気になることも、死ぬことも、すべてが苦しみなのである。
「アホか」って俺は言いたくなるね。
俺は生きていることが楽しい。俺は文章を書いているが、老熟の作家、例えば「渡部昇一」や「白川静」のような作家には、到底適わないと思っている。文章能力は歳を取ると共に向上していくから、俺にとって老いることは喜びなんだよ。俺は3年前に肺炎を起して、半月ほど寝込んでしまったんだけど、あの1件以来、健康の有難味が解ったから、本当に良かったよ。
俺と釈迦は一体何が違うのか?
それは釈迦は人生を否定して「一切皆苦」と捉えているが、俺は人生を肯定して「人生皆楽」と考えているのだ。
自分の人生を苦しいと考えるか、自分の人生を楽しいと考えるかで、自分の人生はまったく別の物になってしまうのだ。
俺は或るアメリカ人女性から苦情を言われたことがある。
そのアメリカ人女性は自宅に日本から留学してきた日本人女性をホームステイさせていたんだけど、或る時、その日本人女性を誘って、チャリティー活動をしたんだけど、その日本人女性はチャリティーの最中、「大変だ」「つらい」「苦しい」「疲れた」とか愚痴をこぼしまくったらしい。
そんで怒って、「どうして日本人は、チャリティーをやっている最中に、大変だの、苦しいだの、疲れたのって言うの。そんなこといわれれば、こっちだって苦しくなるし、疲れるじゃないの」って。
俺に言ってもしょうがないじゃん。でも言ってあげた。「その女性は日本人だけど仏教徒なんだよ。仏教徒は一切皆苦と考えるから、何をやらしても苦しみと考えてしまうんだよ」って。
●自分の現実の大肯定
ほんのちょっとの差なんだよ。
自分の人生を苦しみと考えるか、自分の人生を楽しみと考えるか。でもそれは人生の考え方の出発点に当たるものだから、その後の人生がまるで別の物になってしまうんだ。
人生を苦しみと考えてしまう人は、自分の人生に苦しみが続きまくり、しかも、苦しみを激増させる「平等」を唱えてしまうんだ。平等は自分の心の中に、「羨望」「嫉妬」「憎悪」の炎を燃え上がらせることになるんだ。
例えば、不妊症の女性の場合なら、「よその夫婦には赤ちゃんがいるのに、なぜ私達の夫婦には赤ちゃんができないの?」って、羨望と嫉妬で我が身を焦がしてしまうんだ。しかも、赤ちゃんができないことへの憎悪は、なぜか自分の夫にぶつけてくるんだ。そりゃ、夫の精子も減少するわけだ。
こうなると、苦しみは更なる苦しみを呼び、不妊症はますます悪化してしまうんだ。
●生き方の間違いに気付く
ところが、「人生皆楽」と考えていると、たとえ不妊症を発症しても、「私は不妊症で困っていない」「私は不妊症を苦しいと思っていない」「私は不妊症を大変だと思っていない」と考えるから、「対不妊症ストレス」が消滅してしまうんだ。
その上で、「神様は私に今までの生き方が間違っているから、私の生き方を変えなさいって言っているんだ」と謙虚に考えるんだ。そうすると、不妊症の解決の手段が見えて来るんだ。
自分の間違いに気づくこと、それが大事なんだよ。
自分の生き方の間違いに気付けば、自分にとって必要なものが見えて来るんだよ。
俺は100%確実に不妊症を治せる方法を、このブログで公開しているんだけど、俺はすべての不妊症患者たちに見せているわけではないんだ。今まで、ニフティーのココログの中で、しかも「不妊治療」というカテゴリーの中で細々と公開していたんだ。やっと3日前に「にっぽんブログ村」に登録したばっかりなんだよ。
だから、たとえ不妊症患者であったtとしても、「ココログ」か「にっぽんブログ村」の会員でなければ、俺のブログは見れないんだよ。
しかも、せっかく俺のブログを見ても、素通りしてしまう人もいれば、不快と思う人もいる。或る部分は有益な情報だと認めるけど、根拠のない情報もあると考えてしまう人もいる。勿論、俺のブログを絶賛してくれる人もいる。
この中で不妊症が治る不妊症患者は、俺のブログを絶賛してくれる人だけだよ。俺のブログを見たということは、みな同じなのに、俺の「不妊症治療法」がその人の心の中に入っていく人と、入っていかない人に分かれてしまうんだ。
なぜ、こんなに分かれてしまうのか?
それは自分の生き方の間違いに気付いたか、否かなんだ。
俺は不妊治療を行う医者たちと違って、不妊症の治療法を公開するにあたって、一銭のお金も取っていないし、アフィリエイトを貼り付けて金儲けすらしていないんだ。本来なら数百億円するような情報を無料で公開しているんだよ。
この不妊症治療法が無料だというのに、それを拒否する人と、それを受け取る人とに、不妊症患者たちが真っ二つに分かれてしまうんだ。
心の持ちようの、ほんのちょっとの差なんだ。
でも、そのほんのちょっとの差が、不妊症を克服できるか、不妊症で悩み続けるかに分かれてしまうんだ。
●覚醒する悦び
不妊症は、不妊症患者にとって深刻な問題である。その解決法が解るんだから、これ以上、嬉しいことはないはずだ。
でも、それは不妊症に対して、「私は不妊症で困っていない」と「対不妊症ストレス」を消し去り、「神様は私に今までの間違った生き方を変えなさいって言っているんだ」と思っている人たちだけに与えられるものなんだ。
そうすると、不妊症に関して、「そうか、そういうことだったんだ!」と覚醒する悦びを味わうことができるんだ。
でも、その領域に行くためには、理屈を捏ねていちゃいけないんだ。頭を切り替えるだけなんだよ。
「覚醒する悦び」を味わった不妊症の女性は人生を一変させることだろう。
例えば、他の既婚女性から「赤ちゃんはまだ?」と訊かれたら、覚醒していない不妊症の女性なら、
「なんて失礼なこと訊くのよ」って思って、「対不妊症ストレス」を溜め込んでしまうことだろう。
しかし、覚醒した不妊症の女性なら、そういう時、「7年間ぐらい私のお腹の中に入ってんだけど、なかなか出てこないんだよね」とユーモアを以て対応することができることだろう。
なぜなら、その女性にとってもはや大切なものが解っているから、「対不妊症ストレス」を溜め込むことなんてないのである。
この二つのタイプの不妊症の女性の場合、どちらが赤ちゃんを授かることができるかといえば、断然、覚醒した不妊症の女性の方であろう。
不妊症で困っていないし、自分で生き方を変えて、自分にとって大事なものが見えているからである。
自分が不幸な状態で、幸せな人生を歩むことはできないんだ。
幸せな人生を歩む者は、まずは自分から幸せになっていくのである。
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コメント
はじめまして。
検索エンジンでこちらのブログにたどりつきました。
わたしは、20代後半、、、
これからこどもを含め、家族を築いていけるという夢でいっぱいの新婚です。
まだまだ未熟なわたしは、妊娠のしくみをネットで勉強して数ヵ月、、不妊症という怖い言葉を目にするも、まだまだ他人事のような気がしたり、ふとしたときに自分に置き換え、涙がでたりもします。
すみません(というものか…)対象のかたと違う者ですが、通りすぎそうになったところ、
”こころのうづき”という言葉に、ついホロっときました。
久しぶりに、主人をデートに誘いました。
タマティー様、わたしのように、たった一言で愛しく清々しい気持ちになれるものもおります。
長い時間をかけられてると思います。健康にお気をつけて更新頑張ってくださいませ。長いコメント、失礼いたしました。
投稿: 子ねこ | 2008年2月29日 (金) 18時05分