オルガズムの威力 ~夫婦でラブロマンスをt楽しめれば、夫婦の関係も変わっていく~
●「好き」から「惚れる」へ
不妊症の女性にとって、夫婦fでちゃんとラブロマンスをして、メイクラブをし、オルガズムにイキまくると、女性の性格が変わってくる。
オルガズムは女性を変えてしまうのだ。
今まで妊娠するためにセックスをしてきた不妊症の女性たちは、夫のことを「好き」という感情しかなかった。それがオルガズムにイキまくることによって、夫に「惚れる」に変わっていくのだ。
好きとは、夫の好きな部分だけ愛するだけのことで、夫の嫌いな部分は嫌いなのだ。
だが、惚れるとは、夫の好きな部分も愛せるし、夫の嫌いな部分も愛せることなのだ。
今までいくら夫婦仲が良くても、妻は夫の半分しか愛していなかったので、愛のパワーが弱く、子宝に恵まれないという事態になってしまったのだ。
ところが、不妊症の女性にオルガズムのイキまくりを経験させると、夫の好きな部分だけでなく、夫の嫌いな部分も愛せるようになって、愛のパワーが非常に強まり、不妊症を克服していく原動力になるのだ。
●主語の変化
不妊症の女性に限らず、既婚女性で満足いくオルガズムにイッテない女性は、常に結婚生活で「相手を変えようとする」ことに躍起になっているのだ。
こういう女性たちの主語は、常に「あなたは」なのである。
「あなたはどうして解ってくれないの?」「あなたはどうしてそういうことを言うの?」「あなたはどうしてそんなことをするの?」
と、すべて主語が「あなた」なのである。
ところが、オルガズムのイキまくりを経験すると、主語が変化するのである。
主語が「私は」に変わるのである。
「私は楽しいの!」「私はあなたにそう言ってもらえるのが凄く嬉しい!」「私はあなたのそういう所が好きなの!」
結婚生活において、初めて自分の気持ちちゃんとを言うことができるようになったのだ。
今まで「あなたは」は言っていたからこそ、夫婦の会話が盛り上がらなかったのである。それが主語を変えて、「私は」と言い始めると、夫婦の会話が思いっきり楽しいように変化してしまうのである。
●意思疎通
このことは、夫婦の性生活の満足度は、夫婦の会話の満足度に比例しているということなのだ。
不妊症の夫婦が、いかに日頃の会話を盛り上げていくことを怠っているかの証左なのだ。
不妊症の夫婦は、夫婦仲がいいのだが、いくら夫婦仲が良くても、夫婦の会話が盛り上がっているわけではないのだ。
夫婦の意思疎通がイマイチなのだ。
不妊症を克服する上で、まずやっておくべきことが、夫は妻の話を聞くことなのである。そして妻は夫の命令を聞くことなのである。
妻は女性なので、相手と話すことで関係を深めていこうとするのだ。それなのに、夫が仕事や疲労を理由に妻の話を聞いてないと、自分が否定されたと思ってしまい、いくらセックスしても妊娠しようとしなくなってしまうのだ。
一方、夫は男性なので、妻に命令を下すことで関係を深めていこうとするのだ。それなのに、妻が「何を威張って!」と反抗してしまうと、夫は自分が否定されたと思ってしまい、妻とのセックスの時だけ精子の量が減少して、妊娠させなくなってしまうのだ。
夫はいつも家に居るわけではないのである。しかも夫がする命令なんて、たかが知れているのだ。だから、妻は夫からの命令にはちゃんと従った方がいいのだ。
●自己中心とは、精神的に自立していないこと
夫婦の意思疎通がちゃんと図れるためには、精神的に独立していないとできないのである。
結婚は独立した男女がするものなのであるが、不妊症の夫婦たちの中には、形式的に独立していても、精神的に独立していない、それどころか精神的に自立していない夫婦が結構いるのだ。
三十路を過ぎても結婚できない女性たちと比較してみれば解ることだ。
彼女たちは結婚できない理由を「理想の男性がいない」ということを筆頭にあげているのだ。
結婚した女性たちなら、この発言の嘘が一発で解ることだろう。
結婚に至るような恋愛は劇的に始まるが、なぜその男性と結婚したかといえば、「たまたま自分が幸せにしたい人が、そこにいたから」というだけなのである。
結婚した女性にとって結婚相手の男性は、自分にとって理想の男性なのではなく、自然にうまく流れていける唯一の男性だったからこそ、結婚したのである。
自分の思い描いていた理想が、恋愛によって破壊されたからこそ、「真実の愛」が見えてきたのである。
結婚できない女性たちは、結婚しないではなく、結婚できないのだ。
なぜなら、「自己中心的」だからなのである。自分自身の殻に閉じこもっているから、真実の愛が見えてこないのだ。
●「幸せにしてもらう」から、「幸せを与えていく」へ
不幸な女性たちが、なぜ不幸になっていくかといえば、「幸せは与えられるもの」という考えでいるからなのである。
子供の頃は、両親の庇護のもとで、両親から「幸せにしてもらう」のは当然なことだ。
しかし、人間は中学生ぐらいから反抗期が始まり、自立の道を歩み始めるのである。他人から幸せを与えられるから、自分で幸せを作り出し始めるのだ。
10代の少年や少女たちが、自分のためにオシャレをしたり、小説や詩を書いたり、ロックバンドを結成して歌を歌ったり、スポーツに打ち込んだりするのは、それは自分が幸せになれるからなのだ。
そして学校や大学を卒業して社会で働き始めると、最初は給料目当てに自分のために働き、或る程度まで成功を収めるのだが、いつの日にか人生最大の壁にぶつかってしまうのである。
自分の幸せのために働いていると、仕事がうまくいかないし、たとえ仕事がうまくいっても虚しくなるだけなのである。
しかし、或る日突然に人生最大の不思議な出来事が起こって、自分が変わっていくのである。「幸せを与えられる」や「幸せを作り出す」から、他人に「幸せを与えていく」という心的態度に突然変異してしまうのである。
この時期が、まさに結婚の時期と重なっているのである。
結婚は自分の殻を捨て去って、相手を幸せにしようとするから、うまくいくのである。
●「苦しみの悪循環」と「幸せの好循環」
では、結婚したから、相手を幸せにすることがうまくいくかといえば、そうではないのである。
結婚当初は、どの夫婦もヨチヨチ歩きなのである。
だからこそ、結婚してからも、ちゃんと夫婦でデートをして、ラブロマンスを楽しみ、メイクラブでオルガズムにイカせてあげなければならないのだ。
そうやって、夫や妻の心の中に愛が蓄積されていくと、愛が臨界点を突破して、愛が溢れ出してくるのだ。
夫が妻を幸せにしてあげられるのは、妻が夫を幸せにしてあげられるのは、その時期からななのである。
だから、配偶者を幸せにするためには、ちゃんとオルガズムにイカしてあげなければならないのである。
ただ、これはフロイトの学説のように性欲だけを埋めてあげれば、いいのではないのだ。人間は禽獣ではないのだ。
夫婦のラブロマンスの中でのメイクラと、そしてオルガズムでしか、愛は蓄積されていかないのだ。
釈迦は慈悲を説き、イエスは愛は説いた。
しかし、他人に慈悲を施せば本当に幸せになれるのか? 他人に愛を施せば人間は本当に幸せになれるのか?
人間は自分の心の中に、愛の蓄積がなければ、他人をちゃんと愛せないし、幸せにできない動物なのだ。
自分の心の中で、愛が不足している状態、それが仏教でいう「煩悩」なのだ。
釈迦は煩悩の状態から、自分の存在を消滅させることで、煩悩からの解脱を図ろうとしたが、それでは心の中は愛が不足しているままなのである。
イエスはマグダラのマリアという売春婦を連れて、愛を説いたが、結局、十字架に磔にされて殺されてしまった。イエスは死ぬ間際、「我が神、我が神、なぜ私を見捨てたのですか?」(エリ、エリ、ラマ、サバクタニ)と大声で叫んだという。
当たり前である! 人間はいくら愛そうとしても、自分の心の中に蓄積された愛でしか、他人を愛せないのだ。それなのに、その限界量を超えて愛そうとすれば、自分が壊れてしまうのは当然な出来事なのだ。
仏典にだって、聖書にだって、人間が他人を愛するためには、夫婦でデートをし、ラブロマンスを楽しみ、メイクラブでオルガズムがイキまくらなければならないなどとは、絶対に書いていないのだ。
人間は自分の心の中に愛の蓄積がないからこそ、「苦しみの悪循環」が続くのである。
「自分はちゃんと信仰しています」「自分はちゃんと修行しています」「自分はちゃんと献金しています」と言った所で、その「苦しみの悪循環」から抜け出せないのである。
人間は両親に養育されるとか、恋愛や結婚という地道な遣り方でしか、愛を蓄積することはできないのだ。
そして、夫婦がちゃんと愛し合って、愛の蓄積が限界を超えた時、「愛の臨界点突破」が起こり、愛が溢れ出していくのである。
他人を幸せにしようとするからこそ、「幸せの好循環」が起こり、ますます幸せになっていくのである。まさに、幸せな者は、更に幸せになっていくのである。
不妊症の女性たちが、不妊症を克服できるようになるのは、夫に「感謝」し、「夫を幸せにしたい!」と思い始めた時からなのである。その「幸せにしたい!」という思いが、「子宝」という更なる幸せを呼ぶのである。
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