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不妊症の原因は、治療者の立場によって異なる

●医療におけるイデオロギー問題

不妊症を実際に治療してみれば、男性不妊症などほとんど看過してもよく、女性の不妊症の治療に全力を注がなければならなくなるのである。

病院での不妊治療でも現場はまさにこれだし、漢方医の治療では完全に女性だけを対象にして治療に当たるのである。

男性不妊症で問題になるのは、無精子症ぐらいで、これを発症する男性はごく僅かである。

寧ろ、不妊症の男性の精神的な態度の方が、男性の精子よりも、遙かに問題なのである。

男性不妊症に対しては、これらのことだけを治していけばいいのであって、後は不妊症の女性の治療に全力を注ぐべきなのである。

ところが、病人の病気を治せばいいのに、医療にはイデオロギーの問題が立ち塞がるのである。

●西洋医学 

西洋医学はキリスト教から出てきたために、どうしても男女平等にしなければ気が済まないのだ。そのため、現場の治療では、女性にほとんどのエネルギーを費やして不妊治療を行っているのに、医学書を書く時は、不妊症の責任は、男女半々であると、嘘を書くのである。

それにもう一つ男女半々にしなければならない理由が、「人工授精」と「体外受精」を行うためなのである。不妊症の男性がちゃんと精子を出しているにも拘わらず、その精子の量に問題があるといってのけて、人工授精や体外受精に持っていくのである。

不妊症の男性が、ちゃんと精子を出しているなら、後は、不妊症の女性に排卵誘発剤を飲ませて、タイミング療法をするしかないからだ。

これでは、まったく儲からなくなるのである。

不妊症の責任は、男女半々という嘘を捏造した方が遙かに儲かるのである。 

不妊症の責任を、「男性50%、女性50%」にしなければならないには、こういうわけがあるのだ。

●漢方医

漢方医たちは、不妊症の責任を、女性に100%責任があると見ている。

漢方医学は、西洋医学と違い、「水毒」の危険性を知っているので、しかも、女性の体は男性の体と違い、余分な水を溜め込みやすい体質であるので、どうしても水分過剰になり、不妊症を発症してしまうのだ。

だから、漢方医たちは、不妊症の女性に集中的に漢方薬を投与していくのである。

漢方医たちが、西洋医学の医者たちよりも、高い成功率を収めてくるのには、ちゃんとした理由があるのだ。

そして、何より漢方医たちは、漢方薬の投与でしかお金を設けられないので、どうしても漢方薬を投与して治せる方法だけを選択してしてしまうのだ。 

●生活改善型不妊症治療法 

俺の勧めている「生活改善型不妊症治療法」では、女性に責任が50%、男性に責任が25%、夫婦に責任が25%と見ている。

俺はこれを経験則から導き出している。

なぜ、女性に50%もの責任があるかといえば、不妊症の女性が、「水分過剰」「食事過剰」の生活を送ってきたために、まともな羊水が作れず、子宮に行かなくなったしまったからだ。 

なぜ、男性に25%もの責任があるかといえば、不妊症の男性が、「妻に優しすぎる」ので厳しさがなく、「性愛術」もいまいちで、「射精タイミング」も間違っているからだ。

なぜ、夫婦に25%もの責任があるかといえば、不妊症の夫婦の場合、夫婦の仲はよくても、夫婦の関係が成熟していず、「夫婦の愛の形」に問題があるからなのだ。

生活改善型不妊症治療法では、これらのことをイデオロギーに捉われず、経験則から導き出しているので、多分、これが不妊症の責任の適正配分だと思う。

●イデオロギーで病人を治せない

西洋医学は、キリスト教から出てきたために、「アガペー」の精神を掲げて、他人に奉仕してくるという素晴らしい面を持っている。

ところが、西洋医学ほど、薬害をばらまいた医学はないし、治療中における殺人も凄まじいほどまでに行ってきたのである。

キリスト教は、人間の平等を唱えるから、すべてに人間を平等だと看做してくるのだ。

だが、実際には、人間には、男女の性差があるし、男でも筋肉の多い男性と、筋肉が貧弱な男性がいるし、女でも女性ホルモンが出すぎて美しくなりすぎた女性がいるし、女性ホルモンが余り出ず不細工な女性だっているのだ。

しかも、すべての人間たちの個々の生活はまったく違うのだから、その大事な箇所を無視して、人間を平等だと思って治療をしていけば、「薬害」「医療過誤」「医療事故」「殺人医療」が続出するのは当然なことなのである。

西洋医学の本当の危険性は、「イデオロギーの恐ろしさ」なのである。

イデオロギーでは、病人を治せないのである。

医学はまずは技術論に徹するべきなのである。

病人を治せるからこそ、その医学の存在価値があるのであって、病人を治せなかったら、その医学は存在してはならないのだ。

そして何より、ほとんどの病気は病人の生活習慣に問題があるからこそ、病気を発生させたのであって、だから、医者が主体性を発揮して治療を開始するのでなく、病人に主体性を発揮させて、生活習慣を改めさせていけばいいのだ。

医者はあくまでも病人をサポートするだけでいいのだ。

こういうことをしていけば、病気は簡単に治るものなのである。

不妊治療が泥沼化するのも、不妊症の夫婦の生活をなんら改めさせないで、医者が排卵誘発剤を投与し、人工授精や体外受精を行うという主体性を発揮してくるからなのである。

いくらそんなことをやったって、不妊症の女性が清涼飲料水をガブ飲みして、食品添加物たぷりのコンビニの弁当を食べていたら、不妊症など治せるわけがないのだ。

医者が偉く、病人は医者の助けなくして生存できないと思いあがるのではなく、病人に主体性を発揮させて生活を改善させ、医者はそういう病人に対してサポートしますという態度でいるべきなのである。

この大事なことを忘れてしまえば、簡単に治る病気でさえ、難病になってしまうのだ。

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