●言論弾圧事件
俺が不育症のカテゴリーで記事を公開していたら、俺の意見が余りにも不育症の女性たちの意見とは異なっていたために、不育症の女性たちから「差別」されてしまい、「イジメ」を受けるようになってしまった。
そこに不妊症でも不育症でもない「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性が参戦してきて、俺に対して誹謗中傷を行い、「脅迫」を受け、散々に「妨害工作」を行い、そして俺は不育症のカテゴリーから「追放」されてしまった。
俺はブログ人生初まって以来の「言論弾圧」を受けたのである。
「不育症の女性たち」や「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性たちの言論弾圧で、俺自身が非常に傷ついたし、大損害を被ったし、しかも、この言論弾圧事件は、俺のブログの存亡を左右しかねない重大な事件と考えるので、今回は不妊症のことはひとまず置いといて、この言論弾圧事件について特集する。
●言論弾圧を受けた理由
俺が不育症の女性が不育症を克服できるよう、せっせとブログの記事を書いていたのに、なぜ言論弾圧を受けなければならなかったのか?
1,タマティーが男性だから
不妊症や不育症のカテゴリーにエントリーすれば解るとおり、これらのカテゴリーはほとんど女性たちで占められている。
そこに男である俺が、肩身の狭い思いをして、ブログを出しているのである。
カテゴリ-でトップになるのは、すべて女性であり、人気のあるブログもほとんど女性が主宰しているものである。、
しかも、女性たちは、病院での治療や、日常生活での出来事、夫との愛の語らいなどを面白く話題豊富にブログを書いているけど、俺のブログはそんな派手やかなものはなく、論文調で不妊症や不育症のことを研究しているものにすぎないのだ。
俺が言論弾圧を受けたのも、俺が男性だったからで、俺が性的な差別を受けたのである。
2,不妊症や不育症の女性たちとは違う意見だから
俺のブログを読めば解ると思うけど、俺の意見は、不妊症や不育症の女性たちの意見とは、根本的に違っている。
それは、「医者や病院に頼るのではなく、自分が自力で自分の生活を改善することによって、病気を治していこう」という考えに基づくものだからだ。
この意見は、当然、医者に頼り、病院に頼っている女性たちにとってみれば、正反対の意見なのだ。
俺は不育症の女性たちとは違う意見を述べたがために、言論弾圧を受けてしまったのである。
3,タマティーの意見が強硬な意見だから
俺は不妊症や不育症の治療で、お金や時間や労力を浪費すべきではないと思っている。
そのため、一刻も早く不妊症や不育症を克服してもらおうと、強い口調で述べることがたびたびあった。
しかも、俺の「生活改善型不妊症治療法」は、病気の根本的原因を、その病人が間違った考え方や生活を送っているからこそ、病気になるんだという見方をするので、どうしても病気を発症している人に対して、強硬にならざるをえないのである。
俺も長らく「不妊症バトルロワイヤル」をやってくると、不妊症というのは、肉体的原因だけで起こるのではなく、精神的原因があるからこそ起こるのだというのが明確に解ってきたのだ。
不妊症や不育症の女性たちの心が歪み、病んでいるからこそ、不妊症や不育症を発症してしまうのである。
肉体が病んでいるからこそ、心も病んでしまい、心が病んでいるからこそ、肉体もより病んでしまうのである。
だから、生活を改善するだけでなく、不妊症や不育症の女性たちの心の歪みを治していけば、不妊症や不育症が簡単に治ってしまうということが解ってきたのである。
それゆえ、俺の意見が、不妊症や不育症の女性たちの耳に痛いのは当然であり、でも、俺の意見によって、自分の心の歪みを治してしまえば、不妊症や不育症はあっという間に消え去ってしまうのだ。
●俺が言論弾圧事件に激怒した理由
俺が今回の言論弾圧事件に激怒した理由は主に3つある。
1,公平ではないから
俺が男性という理由で不当な取り扱いを受けたからこそ、俺は激怒しているのである。
俺は人間が平等だなんて思っていないし、男女が平等にできているなんて思っていない。人間が平等にできていないのも、男女が平等にできていないのも、議論するまでもなく、見れば解るというほどの自明の理である。
しかし、人間は格差があり不平等にできていても、人間をなるべく「公平」に取り扱っていくことはできる。
大事なのは、「平等ではなく公平」なのである。
平等を主張していけば、男女の性差が解消されるどころか、男性という理由で、女性という理由で、排除されざるを得なくなるのである。
なぜなら、平等はみんなに同じ意見や同じ行動を求めてくるからである。
みんなが同じ意見になることなど永遠にありえないし、どんなに強大な権力を振ってもできるわけがないのだ。みんなが同じ行動を取る必要性もないのだ。
平等に取りつかれれば、ちょっとした差でも気になり、その差を消滅させようと躍起になるのだ。
だから、みんなと違う意見を述べていた俺は迫害を受けたのである。
2,他人とは違う意見を認めないから
俺は他人とは違う意見を認めないからこそ、俺は激怒しているのである。
不妊症の女性や、不育症の女性たちの、自分の病気に対する知識の大半は、自分が治療を受けている医者からの情報に基づいている。
俺は不妊治療を行っている医者とは正反対の立場に立って、批判を行っている。
ところが、不育症の女性たちや、「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性は、俺が他人とは違う意見を言っていたからこそ、言論弾圧を行ってきたのである。、
俺に言わせれば、「他人とは違う意見だから認めろ!」なのである。
医者の意見を鵜呑みにしていたら、医者のなすがままである。
医者が不妊治療や不育症治療の中で、どんな出鱈目をやっていようとも、誰もチェックできなくなるのだ。
反対の意見に耳を傾けるからこそ、医者のやっていることが明確に解ってくるのである。
3,言論の自由を抹殺したから
そして、俺が何よりも激怒しているのは、「やれやれ・・・」という女性が「言論の自由」を抹殺したからこそ激怒しているのである。
「やれやれ・・・」という女性は、自分の意見は正しく、俺の意見を一方的に出鱈目と決めつけ、俺の意見を抹殺したのである。
俺は自分の意見が否定されたことに対して怒ってはいる。しかし、それ以上に「言論の自由」を抹殺したからこそ、激怒しているのである。
不妊症や不育症のことで、みんながそれぞれ意見を出し合い、長い時間をかけて検討しあうからこそ、不妊症や不育症の原因や治療法が解ってくるのである。
病気の原因や治療法が解るというのは、そのれほど多大な労力と莫大な時間を必要とするものなのである。
それなのに、「やれやれ・・・」という女性がいうように、誰かが書いた医学書を鵜呑みにし、不妊症や不育症の原因や治療法を一方的に決めつけて、これに反する意見を抹殺していけば、医学の発展などなくなってしまうのである。
「言論の自由」こそ、医学の発展には必要不可欠なのである。
それどころか、「言論の自由」がなければ、医学そのものが消滅してしまうほど、絶対的に必要なものなのである。
「やれやれ・・・」という女性がやった行為は、医学に対して根本的に敵対する行為なのである。このような女性が医学を論じてはならないし、医学の世界に入ってくるべきではないのである。
●無償の慈善行為を踏みにじる卑劣な人々
俺はこのブログを慈善という崇高な義務を履行するためにやっている。
ところが、世の中には捻くれた女性たちがいて、「やれやれ・・・」という女性は、「無料なんだから、ありがたく頂戴しろ」と捉え、「のんたん」という女性は、「有料化し、会員制にし、書籍化すればいいじゃない」とほざくのである。
こういう女性たちは、無償の慈善行為をやったことがない女性たちであり、すべての物事をお金で解決できると思っている女性たちなのである。
俺はこのブログを書くために、朝4時頃に起きて、1時間30分かけて記事を書き、更に1時間30分ほどかけてコメントを読んだり、回答を書いたりしているのだ。
俺は1日3時間もの時間を不妊症の女性のために捧げているのだ。
俺はこの作業を8ヶ月間続けてきたし、今後も続けていくことだろう。
しかも、俺はこの無償の慈善行為をやった所で、俺には一切お金が入ってこないのである。
それにも拘わらず、「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性は、俺のブログをよく読みもせず、イチャモンをつけてきたのである。
俺はそういう行為をやめろと言っているのだ!
不妊症や不育症の女性たちが出しているブログは、自分のことを知ってほしいという、いわば「利己心」から出ている。しかし、俺は不妊症の女性や不育症の女性が一刻も早く治ってほしいという「利他心」から行っているのだ。その違いは、ブログを見れば一目瞭然だろう。
俺が無償の慈善行為をやっているのに、なぜ俺のブログにイチャモンをつけ、誹謗中傷お浴びせ、脅迫され、妨害行為を受け、追放されなければならないのか?
もしも、俺の無償の慈善行為が気に食わないのであるならば、俺のブログを見なければいいのである。何もイチャモンをつけ、俺を不快にさせることなどないのである。
もしも、俺の無償の慈善行為を気に入ってくれたのであるならば、俺のブログを見続ければいいし、できれば感謝の言葉を述べればいいのだ。
「こういった最低限の礼儀作法をきちんと守れ!」と俺は言っているんだ。
「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性たちがやったように、無償の慈善行為を行っている人に対して、イチャモンをつけ、誹謗中傷し、脅迫を行い、妨害工作を働かれたなら、一体誰が無償の慈善行為をするというのか?
地震や台風で被害を受けた時に、罹災者たちに、無償の慈善行為を受けずに、自分たちでやれというのか? そして、もしも何かしてほしいのであるならば、お金を払えとでもいうのか?
難病や重病で苦しんでいる時、病人たちは、無償の慈善行為を受けずに、自分で大金を出して治療を受けなさいとでもいうのか? 大金を払っても、医者が治せない場合、病人たちは無償の慈善行為を受けずに、そのまま苦しんで死ねとでもいうのか?
「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性たちがやったことは、「人間の尊厳」を剥奪する卑劣なる悪行なのである。他人の無償の慈善行為を踏みにじり、無償の慈善行為をやっている人々を迫害したのである。
しかも、「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性たちは、自分は不妊症でもなければ、不育症でもないのである。では、なぜ、お前たちは不妊症の女性や不育症の女性たちにとって利益になることを妨害するのか!? お前らのように不妊症や不育症に関係ない女性たちが、なぜ不妊症や不育症を克服させてあげようと、不断の努力をし続けている俺を迫害するのか!?
●反感を持ち反対する女性たちへ
もう二度と、「にほんブログ村」で「言論弾圧事件」など引き起こしてならない。
そのため、俺のブログを見る際に、俺からお願い事をしておく。
まずは、俺に反感を持ち反対する女性たちへ。
1,俺の意見が気に食わないのなら見るな。
不妊症や不育症のブログはいくらでもあるのである。もしも、俺のブログが気に食わないなら、俺のブログを見ないでほしい。自分が気に食わないものを、わざわざ見なくてもいいのである。
2,ちゃんと読まずにイチャモンをつけてくるな。
俺のブログは誤解のないように多目に書いてあるが、それは読者に誤解を生じさせないための措置なのである。そのため、俺のブログをちゃんと読まなければ、内容が把握できないのである。ちゃんと読みもせず、俺にイチャモンをつけられた所で、俺は何もすることができないのである。
問題があるのは、イチャモンをつけた女性の読解力なのである。
義務教育終了程度の読解力がない女性は、絶対に見ないでほしい。大学を出ようが、大学院を出ようが、読解力のない女性は読解力がないのである。
3,不妊症や不育症でない女性は見るな、コメントするな、妨害工作を働くな。
俺は不妊症や不育症の女性たちに記事を書いている。しかも、俺のブログは、「ニフィティー」のココログの不妊治療のカテゴリーと、「にほんブログ村」の「赤ちゃん待ち」「未妊」「二人目以降不妊」のカテゴリーに限定して公開している。
俺の記事の内容と、公開場所を考えれば、俺が不妊症や不育症の女性たちに向けて書いていることは一目瞭然である。
ところが、「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性たちのように不妊症でも不育症でのない女性たちが、俺の記事を盗み見て、誹謗中傷のコメントを浴びせ、妨害工作を働いてきたのである。
それゆえ、不妊症や不育症でない女性たちは、俺のブログを見るな、コメントするな、妨害工作を働くな!
●共感し賛同してくる女性たちへ
一方、俺の意見に共感し、賛同してくれる女性たちにも、お願い事をしておく。
1,まずはちゃんと読んで理解してほしい。
俺の記事は、不妊症や不育症の女性たちの生活の改善を図り、精神の向上を促すことによって、病気を克服していくものである。
そのため、女性にとっては耳の痛いことが出てくるが、それに対して耳を塞ぐのではなく、まずは俺の言っていることを理解してほしい。
「タマティーはこういうこと言っているけど、違うんじゃないかな」と思ったとしても、俺は構わないのだ。
危険なのは、俺の記事を読んでいるのに、理解していないことなのである。
俺の意見を理解してくれない女性と、対話することなど不可能だからだ。話が噛み合わないのは、火を見るより明らかだからだ。
2,まともな質問や批判は受け付ける。
もしも、俺の記事をちゃんと読んで理解した上で、疑問が生じたなら、質問や批判ならいくらでも受け付ける。
できれば、まともな質問や批判であってほしい。
くだらない質問や批判であるならば、時間の無駄だからだ。
3,実践しなければ意味がない。
俺の「生活改善型不妊症治療法」は、不妊症や不育症の女性たちが、気楽に始められる治療法である。
ただ、実践してくれなければ意味がないのだ。
俺の意見に共感し賛同してくれても、実行に移さなければ、不妊症や不育症を治しようがないのだ。
生活改善型不妊症治療法のすべてを忠実に行わなくても、自分が気に入ったものを一つずつ実行していけばいいのだ。
何事も習慣化すれば、楽チンなのだ。
●「言論弾圧事件」に対する「にほんブログ村」の異常なる対応
今回の俺に対する「言論弾圧事件」で、異常だったのは、「にほんブログ村」の村長の対応である。
今回の事件で、「にほんブログ村」の村長は、なんと言論弾圧をする側に回ったのである。
「やれやれ・・・」という女性が密告して、「にほんブログ村」の村長は、俺の弁明を聞くことなく、一方的に俺を追放したのである。
暗黒裁判よりも、ひどい措置である。
これでは密告した方が絶対に勝ってしまうのではないか!?
しかも、村長の俺へのメールには、「あなたのブログの内容を検討させていただいて」と書かれてあったが、村長は俺のブログなど読んだことがないだろうが!?
俺のブログの記事を読めば、今回の言論弾圧事件はどのように引き起こされたかぐらい解るからだ。事件のすべては俺のブログ内で発生したのだ。
「にほんブログ村」は、「日本にブログ文化を!」というスローガンを掲げているが、「にほんブログ村」の村長は、致命的なミスを犯したのである。
それは「言論の自由」を破壊したことである。
●「言論の自由」と「文化」
文化というものは、「言論の自由」がない限り、絶対に成立しないのである。
「にほんブログ村」の村長は、自分の所には、人気のあるブログや、出来のいいブログがたくさん集まっているということを自慢していることだろう。
しかし、「言論の自由」が保障されて文化が成立してしまえば、そういった人気のあるブログや、出来のいいブログはいくらで出現してくるのである。
文化にとってもっとも大事なのは、「言論の自由」であって、個々の成果ではないのである。
言論の自由が保障されているからこそ、種々雑多な意見が飛び交うことになり、文化が飛躍的に発展していくことが可能になるのである。
自分の意見がいくら正しいからといって、自分の気に食わない意見を抹殺していたら、文化など発展のしようがないのだ。
文化というものは、自分とは違った意見を認めない限り、文化は消滅してしまうものなのだ。
それゆえ、言論の自由は、無条件に認められるものではなく、言論の自由を行使する人々が、絶対条件として「言論の自由」を守るという意見を持っていない限り、言論の自由は絶対に成立しないのだ。
言論の自由は誰もが行使できるものではなく。言論の自由を破壊する言論の自由は、絶対に禁止されなければならないのだ。
この最低限の条件が壊されれば、言論の自由は、遅かれ早かれ、破壊されるだけなのである。
俺が今回の言論弾圧事件で、「やれやれ・・・」という女性に激怒しているのは、俺に誹謗中傷を浴びせたり、脅迫をしたということだけではないのだ。
奴が「言論の自由」を破壊したからなのである。
俺の意見が消されるようでは、いずれ他の女性たちも、「やれやれ・・・」という女性に抹殺されてしまうからなのである。
だからこそ、「やれやれ・・・」という女性に激怒し、この女性に加担した「にほんブログ村」の村長に対して激怒しているのである。
●言論の自由はガラスのよりも脆い
言論の自由は、文化を誕生させ、飛躍的な発展を引き起こす原動力であるが、言論の自由そのものは、ガラスよりも脆いのである。
多くの人々がこのもっとも大事なことに気づいていないのである。
俺はフェミニズムや社会主義に反対している。
なぜなら、フェミニストたちは、自分の気に食わない意見があれば、「女性差別!」「女性蔑視!」とヒステリックな声をあげて、言論封じを行うからである。
なぜなら、社会主義者たちは、自分の気に食わない意見があれば、「右翼!」「反動!」「封建的!」というレッテルを貼り、言論封じを行うからである。
このようなフェミニストや社会主義者たちが、政権を握れば、日本国民の言論の自由が破壊されてしまうのは、火を見るよりも明らかなことだからである。
事実、ロシア帝国の時代には、トルストイやドストエフスキーなどの文豪がいたのに、社会主義革命が発生してソビエト連邦が成立してしまえば、トルストイやドストエフスキーに匹敵する文豪など1人も出てこなっかたのである。
なぜなら、社会主義政権が、言論の自由を破壊してしまったからである。
将来、フェミニストたちが政権を取れば、まったく同じ事を引き起こすことだろう。
違いは、社会主義政権では男性たちが言論の自由を破壊したのに対して、フェミニズム政権では女性たちが言論の自由を破壊するという違いだけである。
現在、日本政府や国会は、社会主義者たちの意見を取り入れて、社会の格差を是正しようと躍起になっているし、フェミニストたちの意見を取り入れて、男女の性差を解消しようと躍起になっている。
「社会の格差」や「男女の性差」を解消して、一体になんの利益があるというのか?
日本の社会が「自由社会」であるからこそ、不平等が生じ、格差が生まれるのである。
日本では、自衛隊や機動隊や消防隊のように過酷な任務に就くのは、ほとんどが男性である。日本では、ファッションモデルとして人気があるのは、ほとんどが女性である。日本では、プロ野球選手といえば、すべて男性である。日本では、グラビアアイドルといえば、すべて女性である。
こういう社会に一体何の問題があるというのか?
日本の社会が「自由社会」であるからこそ、不平等があり、格差があり、それゆえに、「最大多数の最大幸福」が実現されているのである。
●平等は自由の最大の敵
ほとんどの人々は、「平等」を絶対的に正しいものと思い込んでいる。
しかし、人類は人類史上一度たりとも、平等を実現したことはなかったし、今後も実現することはないであろう。
なぜなら、人間は不平等に生まれついているからだ。神様は人間を不平等に作ったのである。
人間には、貧富の格差があるし、男女の性差がある。運動神経が抜群の人間がいれば、運動音痴の人間だっている。勉強のできる人間もいれば、頭が悪すぎる人間だっている。五体満足の人間もいれば、身体障害者だっている。
人間社会には種々雑多な人々がいるからこそ、面白いのである。
いくらその不平等や格差が気に食わないからといって、平等を唱えて、平等を実現していこうとすると、社会の根幹である「自由」が一瞬のうちに破壊されてしまうのである。
自由が破壊されれば、あとは暴虐政治あるのみである。
まさに平等は自由の最大の敵なのである。
人間は平等を唱えると、必ず悪魔になるのである。
それゆえ、我々にできることは、増上慢になって、理性を喪失して、悪魔の雄叫びをあげるのではなく、神の前に跪き、人間の有限さを悟ることなのである。
人間は神様の前で無力さを感じるからこそ、神の見えざる力が働いて、偉大な業績を成し遂げることがのである。
神様の存在を忘れて、自分1人の力で生きようとするものは、どんなに高い地位に昇り詰めようとも、急転直下で転落して、破滅していくのである。
この世は逆説に満ち満ちているのだ。
この世には、結婚するとすぐに赤ちゃんが産まれる夫婦もいれば、結婚する前から赤ちゃんを産んでしまう夫婦もいるのだ。
その一方で、結婚しても赤ちゃんができず、不妊症や不育症で苦しむ夫婦だっているのだ。
だからといって、「どうして私だけ赤ちゃんができないの?」と嘆いても仕方がないのだ。
「どうして私だけ、こんなに苦しまなくてならないの?」といっても仕様がないのである。
人間はどんな行為をしようとも、不平等の結果が生じるのである。
でも、そういう状態でも、互いに歩み寄り、話し合い、理解しあい、助け合うことはできるのだ。
これこそが「公平」の始まりなのである。
「平等」を否定して、「公平」に目覚めるからこそ、違った世界の人間と、人間は対等に接することができるのである。
「平等」を唱えれば、「嫉妬」に荒れ狂い、「憎悪」に身を任せて、すべてを「破壊」することしかできなくなるのだ。
●自分の運命を変えるもの
いくら自分が不妊症だからといって、不妊症の世界に閉じ籠ってしまえば、不妊症は延々と続くのである。
いくら自分が不育症だからといって、不育症の世界に閉じ籠ってしまえば、不育症は延々と続くのである。
不妊症の女性であったとしても、不育症の女性であったとしても、自分が置かれている世界とは違う人間と出会うからこそ、そこに格差が生まれ、エネルギーが発生して、不妊症や不育症を撃破できるパワーになるのである。
人間を平等だと思い込んでしまえば、格差が生じてこないから、異なる世界の人々とは出会えないのである。そうなったら、いつまでも不妊症のままなのである。いつまでも不育症のままなのである。いつまでも苦しみ続けるのである。
人間の運命を変えていくものは、「人との出会い」である。
今まで異なった人と出会うからこそ、自分の「心の壁」が破壊され、その相手からエネルギーを貰い、しかも、自分の心の中から新たなるエネルギーが湧き出してくるのである。
不妊治療を受けても、なぜ不妊症が治らないのか?
不育症の治療を受けても、なぜ不育症が治らないのか?
それは不妊症の女性の「心の壁」が破壊されないからなのである。
それは不育症の女性の「心の壁」が破壊されないからなのである。
丁度、せっかく俺が不育症のカテゴリーでブログを公開していたのに、こともあろうに俺が追放されてしまったのと同じである。
だから、異なる世界の人々と出会えないのである。
だから、不育症から抜け出せないのである。
いつまでも不育症の女性たちと閉鎖的な世界に閉じ籠っていたら、いつまでも不育症のままである。流産は何度も繰り返すだけなのである。いくら涙を流そうとも、流産は繰り返されるのである。
自分の瞳から大粒の涙を、土砂降りの雨のごとくに流し続けることに、一体なんの意味があるというのだ!?
要は、「自分の心」なのである!
自分の心がそうやって歪んでいるからこそ、治せない病気を作り出してしまうのだ。
俺だって最初から、こんなことを解っていたわけではないんだ。
俺は最初は徹底的に唯物論的態度でいたのだ。しかし、人間の病気を突き詰めていくと、突如として、人間の心の絶対的な重要性を発見しただけなのである。唯物論を突き詰めていったら、逆に唯物論とは正反対の唯心論が燦然と光り輝き始めてしまったのである。
肉体が病めば、心も病み、心が病めば、肉体もよりいっそう病むのだ。
では、どうやったら、その「病魔のサイクル」から抜け出せるのか?
それは、決して、自分1人で生きようとしないことだ。
自分1人で生きようとすれば、その「病魔のサイクル」から永遠に抜け出せなくなるのである。
自分1人で生きていると、自分の「心の壁」が永遠に破れないのだ。
自分が1人で生きようとせず、他人の幸せを願っていれば、いずれどこからともなく救いの手は差し伸べられてくるのである。
人間は自分だけが幸せになろうとすると、逆に不幸になっていくのである。
それは丁度、不妊症や不育症の女性たちが、「赤ちゃんが欲しい!」と思えば思うほど、赤ちゃんが手に入らなくなるのと同じことだ。
なぜなら、誰かを幸せにするという思いが、まったく欠けているからである。
自分の運命を変えるほどの人との出会いは、決して偶然に起こるものではないのだ。誰かの力によって自分を幸せにしてもらおうという考えを捨て、自分が誰かを幸せにしたいと思い、行動を起こしているからこそ、自分の運命を変えるほどの人との出会いが起きるのである。
では、不妊症の女性や不育症の女性にとって、一番最初に幸せにしなければならない相手は一体誰か?
それは「自分の夫」なのである。
「自分の夫」を幸せにできるからこそ、「未来の赤ちゃん」を幸せにすることができるのである。
赤ちゃんだって、自分のお父さんを幸せにしていない母親からは絶対に産まれたくないでしょ。こういうお母さんなら、自分は不幸になるって解っているもん。
赤ちゃんだって、自分を幸せにしてくるお母さんなら、喜んで産まれてくるでしょ。こういうお母さんなら、自分を幸せにしてくれるって解っているもん。
こういった観点に立てば、俺が今回の「言論弾圧事件」で激怒した本当の理由も充分に解ってもらえたと思う。
「のんたん」や「やれやれ・・・」という女性たちには、誰かを幸せにしようという気持ちがまったくないのである。それどころか、他人を不幸にしようと気持だけは充分に持ち、実行に移していたのである。
だからこそ、俺は激怒したのである。
そして、もう2度とこういう言論弾圧事件を引き起こしてならない。
今回の言論弾圧事件は、俺も大いに反省することもあったし、貴重な教訓も得た。
俺は物凄く傷つき、叩きのめされたけど、でも、俺は絶対に屈しない!
俺は再び立ち上がって、歩き出し、そして走り出していく!!
今後も、タマティーは不屈の精神でもって、「不妊症バトルロワイヤル」を戦い続けるので、みなさんどうぞ宜しくお願いします!!
次回予告:
次回は「二人目以降不妊」を取り扱います。言論弾圧事件があったために、「二人目以降不妊」の女性たちには、長らく待たせてしまったので、次回からはサービスしちゃいます!
お楽しみに!!
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