放置された「二人目不妊」
●「二人目不妊」という病名の問題点
一人目の赤ちゃんはできたのに、二人目の赤ちゃんがなかなかできない病気を「二人目不妊」という。「続発性不妊」ともいう。
でも、この「二人目不妊」を不妊症の範疇に入れていいのか?
というのは、今まで不妊症では、女性の子宮が受精卵の着床を拒否するという「着床障害」に悩まされており、不育症では胚児の「染色体異常」が起こり、子宮が流産を決定してしまうという異常事態が、女性の体内で起きていたのである。
二人目不妊の女性たちは、最初の赤ちゃんでは、着床障害が起こることもなく、胚児の染色体異常も起こらなかったのである。
とすれば、二人目不妊の女性たちは、所謂、「不妊症」でも「不育症」の女性でもないのである。
本来は妊娠も出産もできるはずなのに、二人目以降の妊娠がなんらかの理由で困難になっているにすぎないのだ。
それゆえ、「二人目不妊」なのではなく、「二人目妊娠困難症」という病気であるのだ。
「そんなの言葉の綾じゃない?」と言われても、この病気の違いに気付かなければ、後の治療が大変なことになるのだ。
不妊症の女性から「受精卵の着床障害」を取り除くのに、どれだけ苦労させられると思っているのか?
不育症の女性から「胚児の染色体異常」を取り除くのに、どれだけ苦労させられると思っているのか?
「二人目不妊」の女性たちは、こういう不妊症の女性でも、不育症の女性でもなく、もう既に1人の赤ちゃんを産んで、明らかに母親として成長しているのである。
不妊症の女性と、不育症の女性と、二人目不妊の女性を見比べれば、その違いは歴然として解るはずだ。
こういうことは、医学の問題ではないのである。人間としての物事を直視できるかの問題なのである。
「二人目不妊」というのは、実は「二人目以降妊娠困難症」だというのは、人間として見る目を持った医者たちなら解っているのだ。
●良医と悪医
何事にも向き不向きといものがある。
医者にだって、それに向いた人間と、不向きの人間がいるのだ。
病院で「二人目不妊」を取り扱った場合、医者の適性がはっきりと解るのだ。
その医者が医者として適性であるならば、二人目不妊の女性に対して、「タイミング指導」を行うはずである。
しかし、その医者が医者として不適格であるならば、二人目不妊の女性に対して、正規の「不妊治療」を行うはずである。
なんでこんな違いが生じてくるのか?
二人目不妊の女性は、出産とともに、夫婦の性行為の回数が激減してしまい、それが理由で不妊になっているのだ。
だから、タイミング指導を行って、妊娠させてあげればいいのだ。
ということは、二人目不妊は、不妊症なのではなく、俺が指摘するように「二人目以降妊娠困難症」だということだ。
こういうことは、医学の知識量の問題ではなく、人間として見れば解ることなのである。
ところが、人間としてできていないと、馬鹿の1つ覚えのごとく、本格的な不妊治療を開始してしまうのである。
俺は「医者は必ずしも名医である必要はない」と思っている。名医は医者の中でも万に1人しか出てこない。しかし、ほとんどの患者たちは、その名医の治療を受けるわけではなく、普通の医者たちの治療を受けるのである。
だから、万に1人しか出てこない名医を求めるよりも、最低限の適正な治療を行える医者たちを揃えていくことが最優先の任務なのだ。
最低限の適正な治療を行える医者、それは医者に向いている医者なのである。即ち「良医」である。
しかし、最低限の適正な治療を行えない医者、それは医者に不向きな医者なのである。即ち「悪医」である。
「悪医」というのは、その医者が犯罪行為をしてくるというのではない。こういう人が医者になってしまうと、最低限の適正な治療すら行えないのだから、医者として存在していること自体が「悪」なのである。
「良医」というのは、その医者の医療テクニックが良いというのではなく、こういう人が医者になると、どういう状況でも最低限の適正な治療を行ってくるので、医者として存在していること自体が「良い」のである。
人々は名医を求めてくるし、テレビや雑誌でも名医を紹介し人気を博しているが、我々日本国民が本当に求めなければならないのは、名医ではなく良医なのである。その一方で、悪医を排除していかなければならないのだ。
●母性ホルモンによる変化
二人目不妊の女性たちが、「良医」と「悪医」の違いを知っておかないと、簡単に治るはずの「二人目不妊」も治らなくなってしまうのだ。
二人目不妊の女性たちが、悪医との間でトラブルを抱えてしまうからだ。
①「子供が1人いるから、いいじゃない」
その医者が悪医だったら、不妊治療を受けている時、ついつい「子供が1人いるから、いいじゃない」という類の言葉を発してしまうはずだ。
その医者にとってみれば、その女性に既に1人子供がいるわけだから、どうしても治療に熱が入らないのである。
だが、女性にとってはそうではないのである。自分が1人赤ちゃんを産んで、人生で最高の素晴らしい行為を経験し、しかも、赤ちゃんの命の尊さが解ったからこそ、もう1度、赤ちゃんを産みたいのである。
しかも、1人ではなく、2人、3人と、できれば数多く産みたいのである。
この女性の精神の変化こそ、「母性ホルモン」の分泌によるものなのである。
二人目不妊の女性には、出産と育児によって、母性ホルモンが分泌されてしまったがために、もう自分が昔の自分とは明らかに異なってしまったのである。
自分の心の中から「母性愛」が溢れ出してきてしまったのである。
だから、自分の母性愛を否定してくるような言動を許せなくなってしまうのである。
②「未婚の女医」と「子供のいない女医」
「子供が1人いるから、いいじゃない」という言動を働く医者は、大概が男性の医者なのだが、かといって、女性の医者だって、母性愛を否定してくる言動を働くのだ。
二人目不妊の女性が気をつけなければならないのは、「未婚の女医」と「子供のいない女医」である。
二人目不妊の女性は、出産によって母性ホルモンが分泌されてしまったがために、母親になってしまったのである。
そのために、母親になっていない女性との会話が困難になってくるのだ。
女性といえども、結婚していなかったり、出産をしていない女性とでは、言葉の節々に違和感を感じてしまうのだ。「未婚の女医」なら男性に真剣に愛された経験がないし、「子供のいない女医」なら子供に母性愛を注ぐ経験をしたことがないのだ。女医の言葉に、男性不信の影がちらついていたり、子供嫌いという正体が見えてきてしまうのだ。
女性にとって、結婚や妊娠や出産は、自分の人生観を変えてしまうほどの重大な人生上の通過儀礼である。この通過儀礼を経て、母親になってしまったら、「未婚の女性」や「未出産の女性」との会話が困難になってくるのだ。
それは「二人目不妊」の女性が、「母親」になったからなのである。
母親になったからこそ、母親になっていない女性との会話が困難になってくるのだ。
もしも、その医者が良医であるなら、「子供が1人いるから、いいじゃない」とは決して言わないだろう。もしも、良医である女医なら、「男性不信」や「子供嫌い」にはならないだろう。
二人目不妊の女性は、母性愛が出てきてしまうために、このての悪医を許すことができず、トラブルを抱えてしまうのだ。
●狭き門に入りたがる医者たち
不妊治療を行う良医たちが見破っているように、「二人目不妊」とは、実は「二人目妊娠困難症」である。
本当は妊娠もできるし、出産もできるが、なんらかの理由でそれが困難になっている程度の問題である。
それゆえ、そのなんらかの理由を除去してあげれば、軽々と妊娠でき、出産できてしまうのだ。
ところがである。
不妊治療を行う医者たちの大半が、この「二人目不妊」の治療に真剣にならず、それどころか放置同然の措置を取ってしまうのである。
この異常な状態の理由には、医者たちの出生の秘密の中に答えが隠されている。
医者といえども、我々と同じ人間である。その同じ人間がどうして医者になったかというと、大学の医学部に入学して、医学の勉強をして、国家医師試験に合格して、やっと医者になるのである。
このため医者たちは、大学入試では偏差値の高い医学部の試験を受けなければならないし、現役の医師では受からないくらい難しい国家医師試験を受けなければならないのである。
それゆえ、「困難なものに取り掛かる」という習慣が知らず知らずのうちに身についてしまっているのだ。
不妊治療でなら、二人目不妊の女性よりも、一人も出産したことのない女性の方を優先的に取り組んでしまうのだ。人工授精よりも、職人技を必要とする体外受精に真剣になってしまうのだ。
その反面、「安易なものは放置」してしまうのだ。安易なものに取り組んでも、情熱が湧いてこないのだ。
二人目不妊など、これは「二人目妊娠困難症」だと解りさえすれば、後は簡単に治療できてしまうのである。
しかし、医者たちは広き門に入らずに、狭き門に入りたがるのである。
このために二人目不妊は、放置されたも同然になってしまうのだ。
●広き門に入らない限り、狭き門には入れない
俺がなぜ不妊治療を行っている医者たちの動きをすべて見切れるかといえば、俺は医学部出身ではなく、法学部出身だからだ。医者たちから見れば余所者であるがゆえに、医者の動きをすべて見切れるのだ。
そして、もう一つ、俺が医者のような悪しき習慣に染まらなかったのは、俺が小学6年生の時に通った学習塾での貴重な体験があるからだ。
俺が通った学習塾では、国語の授業の際、授業が始まる前に5分間かけて漢字の書き取りテストを行っていたのだ。
試験時間は5分間しかないのだから、みんな大急ぎで答えを書いていくしかない。
しかも、テストの採点を生徒たち自身にやらせ、その点数を自己申告していくのだ。
だから、生徒の中での成績の順位が、生徒全員の前で明確になってしまうのだ。
しかし、この漢字の書き取りテストに対して、生徒たちは不満を持つようになり、苦情がたびたび出るようになり、授業態度が明らかに悪くなり始めた。
そこで、塾の講師は、或る時、漢字の書き取りテストが終わった後で、生徒たちにこのテストの目的を話すことになった。
「この漢字の書き取りテストは、お前たちを苦しめるものでも、痛めつけるものでもないのだ。これはお前らに点数をあげるためのものなのだ。というのは、国語の試験というのは、まず始めに漢字の書き取りの問題が出てくる。この漢字の書き取りの問題を解けない生徒は、その後の難しい問題も解けないのだ。しかし、この漢字の書き取りの問題を解ける生徒は、その後の難しい問題も解けるのだ」
この話を聞かされた時、教室の中はシーンと静まりかえってしまった。
(そうか、そういうことだったのか!)
誰もが、この漢字の書き取りテストの目的を理解したのである。
この1件以降、俺は家で暇がある時は「漢和辞典」を読むようになり、トイレで用をたす時も「漢和辞典」を読みながら用をたした。仕舞いには、その「漢和辞典」を読み潰すまでになってしまった。
その後、俺の漢字の書き取りテストは常に満点を取り続け、しかも、国語のテストも高得点を出し続けたのだ。
小学校でも、中学校でも、高校でも、国語の勉強など家でしたことがないにも拘わらず、漢字の書き取りがきちんとできたために、常に高得点を出し続けたのだ。
今から思うと、本当にあの学習塾の講師には感謝している。
俺は難しい問題に取り組む前に、易しい問題に取り組むことの重要性を教えてもらったのだ。易しい問題ができれば、難しい問題も楽々と解けるのだ。
俺は医者たちとは違い、広き門を通ったからこそ、狭き門をくぐったからこそ、難しい問題も簡単に解けるようになったのである。
医者たちのように、広き門を入らずに、狭き門だけに入ってしまうと、簡単に解ける問題すら解けなくなるのだ。
●「病気の本来の原因」よりも「医者とのトラブルが原因」
俺は不妊症や不育症といった難しい研究を行っているが、かといって、これだけをやっているわけではないのだ。
俺自身の仕事もあるし、『ViVi」のトップモデル「長谷川潤」にもっと人気が出るように画策しているし、将来的には不妊症患者や癌患者を治してしまう「温泉付きのサナトリウム」を計画中だし、有機無農薬の穀物や野菜を作るために「混合農業」をやってみたいと思っているのだ。
そして何より、毎週『クイズ!ヘキサゴンⅡ』を見て、スザンヌやら木下優樹菜のおバカぶりに大笑いしているのだ。
「タマティーよ、不妊症治療とスザンヌのどっちが楽しいか?」と訊かれれば、
「スザンヌ!」と答えてしまう俺がいるのだ。
「タマティーよ、不育症治療と木下優樹菜のどっちが楽しいか?」と訊かれれば、
「木下優樹菜!」と答えてしまう俺がいるのだ。
だからといって、俺は不妊症や不育症を蔑ろにしているのではないのだ。
スザンヌや木下優樹菜の面白さは、広き門を通る時の楽しさなのである。
不妊症や不育症を研究したり、その患者たちを治してしまうのは、狭き門を通る時の楽しさなのである。
「広き門の楽しさ」と「狭き門の楽しさ」の二つがあるからこそ、俺の精神はバランスがとれているのである。
医者だからといって、不妊症や不育症のことばかり考えていたら、自分の精神のバランスが崩れてしまい、簡単に治せる病気を治せなくなってしまうのだ。
医者たちは、狭き門を通り続けてきたがために、難しい病気に取り組むくせに、簡単に治せる病気を治せなくなってしまうのだ。
一方、妊娠や出産はそもそも女性であるならば、誰でもできるものである。妊娠や出産をするためには、偏差値などいらないのだ。
しかも、二人目不妊の女性たちは、1度は妊娠も出産も果たしているのだから、偏差値や頭の良し悪しなどには、騙されないのだ。
勉強ができようが、できまいが、頭が良かろうが、悪かろうが、妊娠や出産にはそんなものは関係ないのだ。
この両者が病院で診察室で出会えば、どういう結果になるか、もう解るだろう。
こうして、二人目不妊の女性たちは、「病気の本来の原因」よりも、「医者と患者の意思疎通のトラブル」を抱えてしまうことになるのだ。
次回予告:
次回はいよいよ「二人目妊娠困難症」の原因が、タマティーによって解き明かされる! 原因は実はあそこにあったのだ。不育症のカテゴリーで受けた屈辱に、タマティーは「二人目以降不妊」のカテゴリーで雪辱を誓う!
二人目不妊で苦しむ女性たちに救済の手は差し伸べられるのか!?
お楽しみに!!
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コメント
初めまして、いつも楽しく読ませていただいています。本日取り上げておられた「二人目不妊」で悩んでおります。いろいろと参考になる情報がいっぱいで、さっそく卵酢を取り寄せて飲んでおります。アマドコロ茶も主人に飲ませてみようかと思っております。いろいろとひどい事を言われたそうで、さぞ傷ついた事と思います。タマティーさんのブログを毎回楽しみにしておりますので、くじけすに続けてください。応援しております。
投稿: リス | 2008年6月13日 (金) 09時14分
タマティーさん、こんにちは!さんにんです。
今日のブログは最初から最後まで「正にそのとおり!」という感じでした。
私のHNの「さんにん」は、沖縄に自生する植物の月桃(げっとう)
の方言名であり、夫婦+子1人の我ら家族「3人」であり、子供が3人ほしい「3人」の掛け言葉なんですよ。
娘が授かるまで、子供なんていらないもん♪なんて高くくって、今にして思えばホント可愛くないOLでした。
しかし、タマティーさんのおっしゃるとおり、出産・育児を通して、ほんの小さな赤ちゃんだった娘によって、それまで自分が持っていた仕事、人生、お金、時間・・・すべての価値観を根底から覆されました。
自分をこんなに変えてくれた子供の偉大さ、そして有難さ。娘を授けてくれた夫に感謝で一杯です。だからこそ、もっと子供が欲しいのです。
今まで色々あって、自分の心の持ちようが良くなかった時期もありましたが、最近なぜか急に色々な事が許せるようになって、負の感情を持たなくなりました。
ですから、何の根拠もないのですが、前回のコメントで「もうすぐいい報告ができるかも」と記したのです。本当に、そんな予感がするから・・・。
あせらずにタマティーさんの提唱する生活改善に取り組みます。
これからも、ずっとよろしくお願いします。
投稿: さんにん | 2008年6月13日 (金) 09時41分
「リス」さん、初めてのコメントありがとうございます!
タマティーは今回の件でひどく傷つき、落ち込みました。
自分が不育症の女性に良かれと思ったことが、すべて裏目に出てしまいました。
それにも拘わらず、「リス」さんは初対面なのに優しい言葉をかけてくれて、本当にありがとうございます!
それにしても、「リス」さんは目のつけどころが違いますね!
卵酢は不妊症治療には最強のアイテムなんですよ。
やはり、赤ちゃんを1人うむと、「母親としての直感」が働いて、何が大切か、何が大切でないか、はっきりと解るようになるんですね。
タマティーは、「リス」さんが妊娠できるように祈っています!
投稿: タマティー | 2008年6月13日 (金) 18時14分
「さんにん」さん、3連続のコメントありがとうございます!
今回の言論弾圧事件は、本当にショックでした。
俺は不育症の女性たちのために良かれと思ってやったことが、すべて裏目に出てしまいました。
今回の事件は、俺自身も大いに反省する箇所がありました。
それは「さんにん」さんのように、自分のことを最初に理解してくれた女性の不妊症を解消させずに、不育症の女性の病気を克服させようとしていたのですから。
俺,が1番最初に救わなければならなかったのが、「さんにん」さんだったんです。
俺は天罰を食らいました。
でも、なかなか「二人目不妊」の話を切り出すチャンスがなくて、こうして半年もすぎてしまいました。
今後は、気持ちを切り替えて、「さんにん」さんが二人目の赤ちゃんを産めるよう、全力を注ぎます!
「二人目不妊」の記事は、「さんにん」さんのためにたくさん書きますので、これからも宜しくお願いします!
投稿: タマティー | 2008年6月13日 (金) 18時32分