「母親の呪い」を解くもの
●「いい子」は育つと「自立できない大人」になる
二人目不妊の女性で、結構多いのが、母親と子供の関係がべったりとした関係を築いてしまい、それがために家族から夫は排除されてしまい、夫婦の性行為の回数が激減してしまうのだ。下手をすればセックスレスになってしまうのだ。
こういう母子がべったりの関係を築く女性は、自分が子供の頃も自分の母親とべったりだったのである。
それゆえ、そういう親子関係が異常と指摘しても、なかなか理解してもらえないのだ。
こういう女性は、子供の頃に「いい子」になるよう育てられたため、大人になっても「いい女性」や「いい妻」を演じようとするのだが、実はこういう女性は精神的にまったく自立していないのだ。
夫にしてみれば、1人目の赤ちゃんが生まれたと思ったら、体の大きな子供も一緒についてきてしまったのである。
それゆえ、妻と子供が兄弟姉妹のようになってしまい、妻を妻としても、女としても見れなくなってしまうのだ。
「いい子」は成長すると、精神的自立できなくなるのだ。
●いい子に欠けていたもの
明治維新以前の日本では、女性は12歳~15歳のうちに結婚した。
それゆえ、自立という不安定な時期が少なく、一気に結婚という独立へと向かった。そのため、どの女性も「女性の自立」など叫ばなかった。結婚することで無理矢理に独立させられたので、親離れが早く済み、独立した人格を持つことができたのである。
しかし、明治維新以降、女子教育を国策として本格化し、女性に小学校、中学校、高校、大学、大学院と女性教育を盛んに施した。その結果、日本人女性の知的水準は向上したが、これだけ長い教育を受けてしまったがために、自立できない女性たちが出現し始めたのだ、
なぜ、先進国で大学や大学院を卒業した女性たちにフェミニズムが蔓延るかといえば、これだけ長い期間、社会で働かないで教育ばかり受けていれば、自立することが困難になってしまうのだ。
そのため高等教育を受けた女性たちは、自立していないがゆえに、結婚しても育児の仕方が解らず、自分の子供を「いい子」に育ててしまうのである。
いい子というのは、自立できない母親の意思に逆らわないように育ってねということである。
子供なんて産んで育ててみれば解るが、はっきり言って馬鹿である。産まれても当分の間、喋ることができないし、喋ったと思ったら、オネショの連発である。そして、歩けたと思ったら、悪さばかりをするのである。
子供なんて「いい子」であろうはずがないのだ。母親の意思に逆らう「悪ガキ」なのである。
しかし、そういう子供に対しても、母親は自分の子供であるがゆえに愛情を注ぐのである。
これが「母性愛」なのである。
母性愛というのは、自分の子供が「いい子」であろうが、「悪い子」であろうが、それを肯定してあげるという絶対的な愛情なのである。
ところが、精神的に自立していない女性が母親になってしまうと、この母性愛が出てこないから、自分の思い通りに育ててしまうのである。
これが「いい子」という言葉として出て来るのである。
そして、「いい子」として育った女性は、母親から「母性愛」を貰うことなく成長してしまうのである。
それゆえ、思春期になっても、親離れできず、社会人になっても、親離れできず、結婚しても、親離れできなくなってしまうのだ。
精神的な自立が不可能になるのである。
子供は子供の時に母親から母性愛をちゃんと貰っておけば、思春期になれば勝手に自立していくのである。反抗期という時期では親と喧嘩したりするけど、それは自立のためには必要不可欠なのである。
●女性は恋愛と結婚で呪いを解いて貰う
子供は自分の母親といえども、完全な形で母性愛を貰うことはできない。
どの子供だって母親からの母性愛が不足して、そして母親の存在によって自己が歪むのだ。
それゆえ、女の子は、女の子同士で友情を温めて、男性と恋愛をしたがるのである。
なぜ、女の子にとって友情が大切なのか?
それは自分自身の存在を肯定してもらうためなのである。自分が母親から完全に肯定してもらえなかったがゆえに、友達同士で肯定しあうのである。
なぜ、女性は恋を求めるのか?
男性の力強い愛で、「母親の呪い」を解いてもらうのである。女性にとって母親という存在は、母性愛をくれる人間であると同時に、自分の自我をもっとも歪めてしまう人間でもあるのだ。
それゆえ、女性は男性と恋愛をすることによって、その「母親の呪い」を解いてもらい、「母親からの解放」と「女性の自立」を完成させるのである。そして、女性の自立が完成すれば、結婚へと向かうのである。
そのため、女性が男性と恋愛せず、結婚しなければ、永遠に自立ができなくなるのだ。
フェミニストたちが年柄年中「女性の自立!」を叫んでも、女性として自立が出来なくなるのには、こういうメカニズムが存在しているからなのである。
俺が「結婚していない女性は大したことはない!」と言い切るのは、女性が結婚しなければ、女性として自立できず、母親の呪いに食い殺されてしまうからなのである。
だからこそ、女性は男性と真剣に恋愛をし、結婚するのである。
●母親の呪いに亀裂が入れば
ところが、母子べったりの関係を築く女性は、自分の母親から母性愛をちゃんと貰っていないがために、母親の呪いを解くほどの恋愛ができず、結婚もできないのだ。
結婚しても、自分の母親から親離れができないのである。
しかし、恋愛をし、結婚したということは、その「母親の呪い」になんらかの亀裂が入ったということなのである。
ところが、二人目不妊の女性の夫は、優しすぎるために、完全な形で「母親の呪い」を解いてあげないのである。
不妊症の女性たちの夫には、優しすぎる男性が多いのだが、ここでもやはり優しすぎる男性が多いのだ。
そのため、自分の妻が子供とべったりしているのに、「お前、そんなにべったりしていたら、子供が駄目になるだろう!」とは言わないのである。
それゆえ、赤ちゃんを産み育てているのに、妻は心の中がモヤモヤしてしまい、自分のこの行為を肯定できなくなってしまうのだ。
それだからこそ、二人目が欲しいと思っても、二人目ができないのである。
正確にいうと、自分が言葉で二人目が欲しいと言っていても、心の中では育児がまったく面白くないのである。
それだからこそ、自分の心の中が矛盾だらけになってしまうのである。
●母親になったからこそ、母親と決別できる
母性愛が不足している女性なら、子供を産んでから3年間ぐらいは、心の中は乱れっぱなしであろうと思う。
子供がいるのだから、母性愛をあげなくてはならないことぐらい、本能的には解る。
しかし、それができないのだ。
こういう時は、育児仲間の母親たちから母性愛を貰うことだ。
赤ちゃんを育てることに天才的な頭脳などいらないし、英雄的な活躍も必要ないのだ。
どんな母親であったとしても、「大丈夫だよ。そのままでいいよ」という赤ちゃんを絶対に肯定できる母性愛を出せれば、すべてがうまくいくのだ。
いかなる学者が「赤ちゃんを天才に育てる方法」を考え出しても、赤ちゃんの母親に母性愛がなければ、人格的に欠陥のある人間にしか育たないのだ。
だからこそ、母性愛をちゃんと出せなければ、母性愛をちゃんと出せる母親たちから貰えばいいのだ。
母性愛をちゃんと出せる母親たちは、こういう未熟な母親にもちゃんと母性愛を出していて、「育児で困っていても、大丈夫だよ。みんな同じようなもんだから」と存在を肯定してくれているのだ。
そうやって、母性愛を蓄積していくと、或る日突然に、自分の心境に大きな変化が現われるのだ。
それは自分の母親を否定し、許し、感謝することができるようになるのだ。
自分の母親から受けた「母親の呪い」が解け始めるのである。
自分が母親になったからこそ、やっと母親と決別できるのである。
●心の扉を開くのは自分自身
母性愛は「絶対肯定の愛」ゆえに、それは自分の存在を肯定してくれる素晴らしいものであっても、その母親のもとにいたら、いつまで経っても自立できなくなるのである。
だから、人はいつの日か母親のもとを去っていかなければならないのである。
絶対肯定は絶対否定を生むのだ。
これは人間の前半生に現われてくる「最大の葛藤」なのである。
多くの人々は中学生頃の「反抗期」と「結婚」でもっとも葛藤するようになるのである。
女性が結婚直前に不安になったり、披露宴で号泣したりするのは、母親のもとを去っていく時の痛みなのである。
こういうことを経なければ、女性の自立は完成しないのである。
そして、女性が自立できなければ、いずれ自分の心の扉を閉ざしてしまうようになるのである。
心の扉を閉じていると、「苦しみ」「悲しみ」「憎しみ」「恨み」「怒り」が嵐のごとく湧き起こってくる。
自立できずに、心の扉を閉ざしているからこそ、その女性は苦しまなければならなくなるのである。
最近の女性たちの間では、「癒し」がブームになっている。
なぜ、癒されたいと思うのか?
それは心の扉を開かないからなのである。
心の扉を開かなければ、何事をやらしても苦しくなるのである。
最近の女性たちの間では、「スピリチャル」がブームになっている。
なぜ、「スピリチャル」が必要なのか?
それは心の扉を開かないからなのである。
心の扉を開かなければ、何事をやらしても楽しくないのである。
「癒し」や「スピリチャル」では、心の扉は決して開かないのだ。
母親の呪いを解くもの、それは恋愛と結婚しかないのだ。女性が母親の呪いを解き、心の扉を開くためには、どうしても男性からの力強い愛が必要になるのだ。
そして母親の呪いが解け始めて、自分が力を振り絞って心の扉を開けてしまえば、心の中で蠢いていた「苦しみ」「悲しみ」「憎しみ」「恨み」「怒り」は一瞬に吹き飛び、心が光を放ち始めるのだ。
母親の呪いを解いた母親は、自分の心が光り輝いているから、自分の夫と子供に幸せと豊かさと悦びを与えるものになるのである。
そうなった時、育児は楽しくなるし、親子がべったりすることなどなくなるのだ。
自分の子供にちゃんと母性愛を出せれば、子供は母親があれこれ手を出さずとも、ちゃんと成長してくれるのである。
そうなれば、自分の心に余裕ができたから、「もう1人赤ちゃんを育てることができるな」と思えるようになり、そしてそれを実現することができるようになるのだ。
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