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第二節 妊婦には3種類しかいない

●妊婦は3種類に整然と分けれられる

 現在の世の中は、個性の時代だとか、多様性の時代だとか言われて、人々が千差万別だと思われている。そのため、自分が好き勝手なことをしてもいいと思う人たちが急増している。妊婦たちも、妊娠しても、勝手気儘に行動して、それが自由だと思い込んでいる。

 妊婦たちの悲劇は、自由に騙されることから始まる。妊娠は我々の先祖たちが百万年以上繰り返してきたのであって、妊娠における遣り方を先祖たちは蓄積してくれているのだ。その先祖の知恵を「自由」の名のもとに否定してしまっては、自分の妊娠や出産や育児が不幸になっていくのは、火を見るよりも明らかだ。

 確かに、女性であるなら、誰でも妊娠できるので、高卒であろうが、短大卒であろうが、大卒であろうが、誰だって妊娠できる。妊娠することに、貧乏人であろうが、金持ちであろうが関係ないであろう。庶民だろうが、貴族の末裔だろうが、皇族だろうが、身分を問うことなく妊娠できるのだ。

 だが、だからといって、妊婦は皆同じではないのだ。妊婦は平等では決してないのだ。妊婦は3種類に整然と分けられるのだ。妊婦には、「結果に囚われる妊婦」「方法に拘る妊婦」「理念を持つ妊婦」の3つのパターンしかいないのだ。いかなる妊婦といえども、この3パターンのどれかに入ってしまうのだ。

 物事というのは、「理念」→「方法」→「結果」という順序で進んでいく。妊娠も理念があり、方法があり、結果があるという順序で進んでいくのだ。この順序の中で、妊婦はどの地点に重点を置いてしまうかで、その後の妊婦生活の幸不幸が分かれててしまうのだ。

 結論から言ってしまえば、結論に囚われた妊婦は、妊婦生活を不幸なものにしてしまい、出産後、更なる不幸が訪れてくるのだ。方法に拘る妊婦は、妊婦生活を幸福と不幸が半々なものにしてしまい、理念を持った妊婦は妊婦生活を幸福なものにしてしまうのだ。

 どうして、こんなふうに分かれてしまうのか?

●妊娠という現象に囚われれば、妊娠は堕胎と同じ結果になる

 多くの妊婦たちは、妊娠という結果に囚われてしまう。結婚すれば、妊娠するであろうということは解っている筈だ。最近は「未婚の母」が増えたとはいえ、未婚の母など、数はたかが知れているものだ。妊娠すると解っているのに、多くの妊婦は何も対策を講じていなかったのだ。妊婦たちは、結婚してから妊娠発覚のその日まで、その日暮しをしてきたにすぎないのだ。

 妊娠という結果に囚われてしまう妊婦たちは、お目出度が発覚したのに、妊娠というすべてのものが不安になってしまう。それは当然だろう。なんら心の準備が何もできていないからだ。そのため、妊娠という現象に心がついていけず、すべてが後手後手になってしまうのだ。妊娠前はその日暮しの生活をしてきた女性は、妊娠後はその場しのぎの生活を送り始めるのだ。

 妊娠という結果に囚われた妊婦たちは、妊娠中はなにかと「大変だ」「大変だ」と言い続け、出産しようとすれば、「出産って結構お金がかかるな」と言い出し、いざ出産時には産みの苦しみで七転八倒し、育児が始まれば、「育児は大変だ」「育児は苦しい」「なんで女性ばかりがこんな目に遭わなければならないの」と言い出す始末なのである。

 妊娠という現象に囚われる妊婦たちは、楽しいはずの妊娠も、神秘的な体験といってもいい出産も、喜びに満ち溢れた育児も、一切合財「苦しみ」に満ちたものにしてしまうのである。妊娠という現象に囚われれば、赤ちゃんなど産むべきではなかったということになってしまうのだ。妊娠という現象に囚われれば、妊娠は堕胎と同じ結果になってしまうのだ。

 女子高校生が妊娠したらカンパでお金を掻き集めて堕胎しようとする。なぜなら、セックスをする心の準備はできていても、妊娠する心の準備ができていないから、妊娠という現象に囚われてしまい、苦しみに満ちたものになったからなのである。結果に囚われる妊婦たちは、女子高校生よりも高い学歴を持ち、社会人といして就職の経験もあり、結婚もしたのに、精神レベル的には、女子高校生となんら変わらないのだ。

 結婚しているにも拘わらず、女子高校生と同じ精神レベルだからこそ、妊娠という現象に苦しんでしまうのである。

●妊娠したらテクニックに走るな

 妊婦の中には、方法に拘る妊婦たちがいる。妊娠すれば早々に妊娠のマニュアル本や、育児のマニュアル本を買いこんでしまう女性たちだ。こういうマニュアル本は恐ろしいことに、妊娠や出産や育児に関する余計なことまで書かれており、しかも聖書と同じサイズで、非常に重たいのだ。

 『エポック博士の育児書』や、松田道雄の『育児の百科』などは、本当に妊婦や新米のママさんたちのためを思って書いたのかと、疑いたくなるほどの、ブ厚い書なのだ。妊娠の方法に拘る妊婦たちは、一生懸命にこういうマニュアル本を読んで、妊娠や出産や育児をうまく行おうとするのである。

 そのためにマニュアル本に書かれてあることを妊娠という現象に当てはめ、出産という現象に当てはめ、育児という現象に当てはめていこうとするのだ。こういう女性たちの妊娠や出産や育児の最大の特徴は、その女性たちに笑顔がないのだ。疲労しきっているのだ。そして、赤ちゃんは火がついたように泣き叫んでいるのだ。、

 方法に拘れば、一時的に成功できても、必ず失敗するのだ。テクニックに走るからこそ、疲労してしまい、挫折していくのである。妊娠や出産や育児は、そもそも女性の体の中に備わっているものである。それを誰かに教えてもらう必要性などないし、妊娠や出産や育児のマニュアル本どおりに行う必要性など、どこにもないのだ。

 人間が泳いだり、走ったりするのに、水泳のマニュアル本を読んでから水泳を始めることなどしないし、ランニングのマニュアル本を読んでからランニングを開始することないだろう。なぜなら、人間には生まれつき、泳いだり、走ったりする能力が備わっているからだ。マニュアル本が必要となるのは、船舶や飛行機といった人工的に作り出したものを操縦する時だけである。

 妊娠の仕方や、出産の仕方や、育児の仕方は、女性には本来的に解っているのである。自分が実際にやってみれば、できることなのだ。その自分の能力を否定して、マニュアル本に頼ろうとするからこそ、妊娠も出産も育児も苦しみ満ちたものになってしまうのである。

 マニュアル本を読んで妊娠や出産や育児を行った女性たちは、みな同様に「育児は苦しい」「育児は大変よ」「育児は疲れる」とボヤいている。それはテクニックに走るからである。テクニックに走れば、或る程度までならうまくいくのだ。しかし、或る一定のラインを越えたら、失敗していくのだ。なぜなら、その女性の心がついていけないからだ。

 今までの妊娠や出産や育児に関する書物はすべてテクニックを述べているものにすぎないのだ。だからこそ、母親たちが育児に苦しむという結果になってしまうのだ。こういうマニュアル本が売れている国ほど、母親たちが育児ノイローゼにかかり、児童虐待が多発し、若い女性たちが妊娠を拒否し、出生率が低下してしまっているのだ。

●人生哲学があると、妊娠生活がスムーズにいく

 では、妊娠したら、どうすればいいのか?

 それは妊娠に対して理念を持つことである。理念があるからこそ方法が生まれ、方法があるからこそ結果が出てくるのである。それなのに、理念をすっ飛ばして、方法に拘ったり、結果に囚われてしまっては、妊娠が不幸になっていくのは、当然なのだ。理念がないからこそ苦しむのである。

 理念というのは、それほど難しいものではない。理念とは、「自分がどうありたいのか?」ということである。妊娠や出産や育児という現象に囚われるのではなく、自分は妊娠中にどう在りたいのか、どういう出産をしたいのか、育児をどのように進めていきたいのかなのである。

 ここで問いているのは、妊娠や出産や育児のテクニックではなく、自分が望む「妊婦の在り方」「母親の在り方」なのだ。「妊婦としての在り方」「母親としての在り方」がしっかりとできているからこそ、妊娠や出産や育児をうまく行っていく方法が思いつき、自分が望む結果を手に入れることができるのである。

 すべての妊婦には、結婚してから妊娠発覚のその日まで、かなりの時間があった筈である。しかし、それだけ長く時間があったにも拘わらず、妊娠や出産や育児に対する理念が出来上がっていないのだ。なぜなら、確固たる人生哲学を持っていないからだ。自分が確固たる人生哲学を持ってない人は、理念の決定的な重要性などに気付かないのだ。

 女性は結婚することによって、自立の状態から、独立への状態へと引き上げられる。男女は結婚することによって、今まで他人から幸せを与えれる存在から、他人へ幸せを与えていく存在へと変わっていくのである。ところが、多くの新妻たちは、夫から幸せにしてもらおうとするからこそ、独立できず、不幸で、不満を抱え、確固たる人生哲学を持てずにいるのだ。

 確固たる人生哲学を持つのに難解な哲学書を読む必要性などないのだ。古代ギリシャの哲学をいくら勉強しようとも、イギリス経験論やドイツ観念論をいくら学んだ所で、哲学を知ることは出来ても、自分の哲学を持つことはできないのだ。確固たる人生哲学を持ちたければ、精神的に独立し、他人を幸せに、豊かにしていきたいと思えば、自然と確固たる人生哲学は出来上がっていくのだ。

 新妻だったら、一刻も早く精神的に独立し、自分の夫を幸せにしたい、自分の子供たちを幸せにしたいと思えば、自然と自分の人生哲学は出来上がっていくのだ。人生哲学があれば、妊婦生活も出産も育児生活も、すべてがスムーズにいくのだ。

●一切皆苦と人生常楽の分かれ目

 このように、結果や方法に囚われると、一切皆苦になってしまうのだ。なぜなら、「「妻としても在り方」も「妊婦としての在り方」がないからこそ、理念から導き出された方法がなく、他人が考えだした方法を使ってしまうから、自分が望む結果が得られないのだ。結果に囚われてしまえば、ただひたすらに結果に振り回されるだけである。

 だから、一切のことが苦しみになってしまうのだ。それゆえ、本来は目出度い筈の妊娠ですら苦しいことになってしまい、出産も苦しいことになってしまし、育児も苦しいことになってしまうのだ。母親が苦しみの人生を送っているのに、果たして、その子供は幸せになれることができるだろうか? できるはずがないのだ!

 人生を成功させようと思えば、自分が苦しみに満ちた人生を送るのではなく、自分自身が楽しくてしょうがない生き方をするべきなのだ。自分の人生を「一切皆苦」と捉えるか、それとも「人生常楽」と捉えるかによって、その後の人生はまるで別物のように変わっていくのだ。自分の人生を「一切皆苦」と捉えるか、「人生常楽」と捉えるかは、あくまでも自分の心が決めることなのだ。

 妊娠した時に、「妊娠って楽しい!」と思えるか、「妊娠って大変だ!」と思うかは、自分の心が決めることなのだ。妊娠という現象は、すべての妊婦にとって皆同じである。しかし、その妊婦の心次第で、妊娠が楽しみに満ちたものになるか、妊娠が苦しみに満ちたものに変わってしまうのだ。

 現象がどうのこうのではないのだ。結果がどうのこうのではないのだ。大切なのは自分の「心」なのだ。自分の「心の力」に気づくと、自分の人生は人生常楽になっていくのだ。自分が楽しいと思うからこそ、自分の人生は楽しくなっていくのである。確かに、今までは誰かに楽しくさせてもらってきたかもしれない。誰かに楽しくさせられるからこそ、自分の楽しめたかもしれない。

 しかし、結婚して独立してしまえば、もう他人の力によって楽しませてもらうことをやめ、自分が一人で楽しく生き、他人を楽しくさせていかねければならないのだ。いつまでも、他人から楽しくさせてもらおうとしているからこそ、自分の人生が楽しくなく、苦しみに満ちたものになってしまうのだ。

 一切皆苦と人生常楽の分かれ道は、実は「自分の心」にこそあったのだ。妊娠した時に、その妊婦が確固たる人生哲学を持ち、妊娠や出産や育児に対する理念をしっかりと思っていれば、それを遣り過ごす方法はきちんと見つかり、自分が望む結果を手に入れることができることだろう。妊娠も出産も育児も楽しくてしょうがないものとなり、幸せと豊かさをもたらしていくことだろう。

 だからし、この肝心な理念がなければ、いくら妊娠や出産や育児をうまく行う方法を採用しても、いずれ失敗していくのだ。確固たる人生哲学がなければ、妊娠も出産も育児も苦しみに満ちたものになり、不幸のどん底へと落ちていくのだ。

 妊娠を境に、幸福な人生を歩む既婚女性と、不幸な人生を送ってしまう既婚女性の真っ二つに分かれるのは、ここにこそ天王山があったのだ。妊娠という平凡の日常こそは、実は「運命の分岐点」であったのだ。運命の分かれ道にいることに気づいた妊婦だけが、幸福への片道切符を手にすることができるのである。

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コメント

 『タマティーの勝手に解説アワー』

 要は、妊娠や出産や育児で大事な事は、自分がどのようにあるべきかであって、それができてしまえば、方法などいくらでも浮かんでくるのだ。
 問われているのは、「在り方」であって、「テクニック」ではないのだ。

 先進国はどこの国も出生率の低下に悩まされているが、それは産婦人科医たちが、妊婦や母親たちをテクニックに走らせたからである。
 テクニック重視の育児本が出版されている国家に限って、女性たちが子供を産まなくなるのだ。
 妊婦にしろ、母親にしろ、「赤ちゃんを産むのは楽しい!」「子供を育てるのは楽しい!」と思うからこそ、妊娠も出産も育児もすべてがうまくいくのである。
 それなのに、まるで学校の試験を受けるがごとく、正しく妊娠して、正しく出産して、正しく育児をしようとするからこそ、すべてが大変になり、すべてが苦しくなり、そしてそういう母親のもとで育った子供たちが異常を極め、大人になっても結婚もせず、たとえ結婚したとしても子供を産もうとしないのである。

 赤ちゃんは教科書どおりには生まれてこないのである。子供をテクニックで育てることなどできないのである。
 いい加減、この大事なことに気づこうよ!

投稿: 愛のタマティー天使 | 2008年10月 3日 (金) 06時42分

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