« 第七節 常に成長していくということ | トップページ | 第九節 妊婦にとっての「人間関係の密度」 ~妊娠はもっとも濃厚な人間関係である~ »

第八節 人間関係作りの基本 ~妊娠中に人間関係をうまくいかせるには、どうすればいいのか?~

●人間は我欲の塊である

 女性は妊娠すると、「夫が妊娠のことを手伝ってくれない!」と、嘆く妊婦たちは多い。これが出産になれば、出産だというのに、夫は仕事を優先したり、育児になれば、妻が育児で子供に付きっ切りだというのに、夫は育児に無関心になってしまうのだ。なぜ、こんなことが起きるのだろうか? 妊娠や出産や育児は、妻だけでなく、夫にとっても重大事項である筈であるのに。

 まず、夫が妊娠や出産や育児に無関心になってしまうような妻は、人生哲学をしっかりと持っていないのだ。人生哲学を持っていないがゆえに、夫は妊娠や出産や育児だけでなく、妻そのものに対して無関心になってしまうのだ。だからこそ、妊娠するにあたって、人生哲学を必要になってくるのである。

 だが、妻に人生哲学があればいいというのではない。人間は自己完結するようにはできていないのだ。人間は人間関係があってこそ、この世に生存し続けられるのである。妊娠中は、人間関係を良好にして、妊娠を手伝ってもらわないと、身重になっている身としてはつらいし、妊娠中に手伝ってくれなければ、その後の出産や育児でも手伝ってくれることはないのだ。

 そのためには、まずは人生哲学をしっかりと持つことである。その上で、人間とは「我欲」の塊であるということを知ることだ。いかなる人間も心の中に、我欲というものを持っているのだ。誰もが自分のことが大事であり、そのためには他人を押し退けてでも、自分だけが幸せになろうとするのだ。

 我欲は決して美しいものではない。寧ろ、醜いものだ。しかし、いかなる人間も持っているのだ。聖人君子になろうと、預言者になろうと、救世主になろうと、仏陀になろうが、我欲を捨てきれるものではないのだ。我欲は今まで多くの人間たちから嫌われてきたし、多くの宗教家たちの批判の対象になったし、多くのイデオローグたちの批判の的になってきた。しかし、今まで我欲を捨てた人間など一人もいないのだ。我欲を否定する宗教やイデオロギーこそが、根本的に間違っているのだ。

 如何なる人間だって、我欲を持っているのだから、夫だって我欲を持っているのだ。夫だけでなく、あなたも我欲を持っているのだ。しかし、夫婦が我欲を剥き出しにしていけば、夫婦喧嘩どころか、ドメステイックバイオレンスが発生してくるし、離婚へと突き進んでいくことだろう。妊婦にとっては、夫に妊娠を手伝ってほしいと思っても、夫も自分の仕事で頭の中がいっぱいなのだ。

 だから、妊娠を手伝ってほしいなら、まずは夫の我欲を認めることだ。夫の我欲を受容してあげるのだ。我欲を受容すれば、夫の我欲は気にならないのだ。夫の我欲を否定しようとするからこそ、夫婦喧嘩が絶えなくなるのだ。夫に我欲があるなら、自分にだって我欲があるのだ。自分のことを棚に上げといて、夫の我欲を否定していいわけがないのだ。

 我欲を受容できたら、仁愛を施せばいい。仁愛とは、真心からの思いやりであり、相手を慈しんであげることである。要は、人に優しく接すれば良いのだ。暖かい気持ちを抱いて、人に近づけばいいのだ。この仁愛というのを、結婚してしてしまうと、この愛が見えなくなってしまうのだ。夫婦だからといって距離をあけることなく、べったりとしてしまうと、愛は狂気に変わっていくのだ。

 「愛こそすべて」とか、「愛=正義」になってしまうと、仁愛は消えていき、人に優しく接することができなくなるのだ。人間は愛さえあれば生きていけるのではないのだ。愛は確かに必要だが、愛は万能なのではないのだ。どんなに愛し合っていても、愛以外にやらなければならないことはたくさんあるのだ。愛の中でもっとも効果的で且つ永続的な愛は、仁愛である。夫婦の場合、濃厚な愛よりも、夫婦が仁愛を施しあう方がうまくいくのだ。

●愛には尊敬がないと憎しみ変わる

 多くの妊婦が、妊婦だけでななく、ほとんどの妻たちもであるが、夫婦関係を悪化させてしまうのは、我欲→受容→仁愛という過程を経ないからなのである。夫婦だからだといって、愛さえあれば充分だというのは、世間知らずの子供のようなごとき言動なのだ。愛だけでは人間は決して動いてくれないのだ。

 人間には必ず我欲がある。我欲とは、救いがたき自己愛のことである。仏教の教祖である「ゴータマ・シダルータ」は、人間が我欲を持っているのは怪しからんとして、仏教を開教した。しかし、いくらゴータマ・シッダルータが我欲の否定を唱えても、ゴータマ・シッダルータ自体が生涯働かないで、他人の布施によって生活し続けた執着まみれの人物なのだ。そんな教祖だからこそ、仏教を信仰している者たちは、我欲に取りつかれ、僧侶たちは我欲を剥き出しにして、金銭欲や性欲に取りつかれているのだ。

 我欲を否定する宗教やイデロギーは絶対に破綻するのだ。なぜなら、その考え方は。人間の本性に反した考え方だからだ。どんなに否定しようとも、人間は必ず持っているものなのだ。仏教徒たちがいくら我欲の否定を唱えても、仏教徒たち自身が我欲に取りつかれているのだ。社会主義者たちは、貧富の格差の是正を唱えながら、お金に執着しているのだ。フェミニスrトたちは性差の解消をとなえながら、性別に執着しているのだ。

 我欲は決して悪いものではないのだ。大事なことは、すべての人間たち我欲を持っていることを容認してあげることなのだ。他人に我欲があることを容認してしまえば、その我欲が気になることなどなくなるのだ。夫婦がいくら結婚しているとはいえ、妻が夫の我欲を否定してしまえば、夫婦喧嘩が絶えなくなるのだ。妊婦生活を幸せなものにしたければ、夫の我欲を容認してあげればいいのだ。そうすればすべてのことがうまく行き出すのだ。

 夫婦は愛し合うのが当然だと思うことは非常に危険な考え方なのである。愛は制御しながら出していけば、ちゃんと人を愛することができるが、愛を制御できなくなると、愛は一瞬にして憎しみに変わっていくのだ。キリスト教の教祖である「ナザレのイエス」が愛を唱えて以来、夫婦で憎しみ合うことが多くなったし、夫婦喧嘩やドメステックバイオレンスが絶えることなく、離婚率だって上昇の一途である。

 夫婦愛が廃れるからこそ、キリストの愛が叫ばれるのである。母親が自分の子供を愛さなくなるからこそ、難民への慈善が活発になるのである。夫婦が結婚の原理原則を忘れるからこそ、キリスト教への信仰にすがるのである。そして、心の中に愛がない人ほど、愛を叫ぶのだ。心の中に愛が満ち溢れている人であるならば、愛を叫ぶことなどないのだ。

 人間は子供の頃は両親に従属し、思春期になれば自立を開始し、結婚すれば独立していくのだ。人間は従属状態では「渇愛」を出さざるをえないし、自立状態であるならば「出愛」を出さるをえないし、独立状態では「創愛」を出さざるをえないのだ。渇愛とは、愛を貰い、愛されることに執着していく愛だ。出愛は、自分が子供の頃に愛された愛を吐き出していく愛だ。創愛とは、自分の心の中で愛を創り出し、それを他人に施していく愛だ。

 結婚しているというのに、妻が渇愛や出愛を出されても、夫は困るだけなのだ。結婚しているなら、自分の心の中で愛を創り出し、その自分のオリジナルの愛を施していかなければならないのだ。夫が欲しいのは、本物の愛であって、妻の心の中から発せられる唯一の愛でなければならないのだ。

 そのためには、自分が精神的に独立して、相手を愛し、相手を尊敬していくことだ。相手を尊敬した上で、愛を施していくと、愛は憎しみには変わらないのだ。夫への尊敬なくして、愛そうとするからこそ、愛は憎しみに変わっていってしまうのだ。本物の愛を出したいなら、夫を尊敬していくことだ。夫を尊敬していれば、自然と本物の愛が出てくるのだ。

●他人に貢献しなければ、人間関係は続かない

 人間は愛さえればうまくいくのではないのだ。相手を愛したいなら、尊敬が必要なのだ。人間関係を発展させたいのであるならば、その上に他人に貢献していけばいいのだ。人間は自分に貢献してくれた者だけを大切にする生き物なのだ。夫に妊婦生活を手伝ってもらいたいと思うなら、まずは夫に貢献していけばいいのだ。

 夫の下着を整えたり、スーツをクリーニングに出したり、革靴を磨いてあげるとか、夫の頼まれごとには素直に応じてあげるとか、夫に貢献しまくればいいのだ。こういうことは、妊娠していてもできることだ。妊娠しているのに、それでも妻が夫に貢献してくると、夫は自然と妻に貢献しようとし始めるのだ。

 妊娠しているからといって、何もしていないでいて、それでいて夫に妊婦生活を手伝ってもらおうとしても、夫は手伝ってくれなくなるのだ。無理矢理に手伝わしても、夫は嫌々で行い、赤ちゃんを出産すれば、何も手伝わなくなってしまうのだ。なぜなら、妻が自分に貢献してくれないからだ。

 だからこそ、夫の我欲の存在を認め、それを容認し、その上で仁愛を施し、常に相手を尊敬し、そして夫に貢献していくことが大事なのだ。この「我欲」→「容認」→「仁愛」→「尊敬」→「貢献」の過程を経ないと、夫婦関係が決してうまくいなかないのだ。妻はいくら妊娠して身重になろうが、「私はあなたに貢献していますheart01」ということを行動で示していかなければならないのだ。そうしなければ、結婚しているのに、結局、一人で出産しなければならなくなるのだ。

 すべての人を愛したり、すべての人に貢献したりするのではなく、自分が我欲を存在を認められる人だけを大事にし、その相手を受容し、その相手に仁愛を施し、その相手に尊敬の念を持ち続け、その相手に貢献していくことができる人にだけ、もっとも多くのエネルギーを注ぐべきなのだ。そのような人物は、妊娠している妊婦にとっては、この世にたった一人しかいないのだ。それは自分の「夫」だ。自分の夫以外にもっとも多くのエネルギーを注ぐべきではないのだ。

●夫婦愛よりも尊い愛はない

 歌手がどんなにラブソングを歌いあげようとも、夫婦愛に勝る愛はないのだ。小説やドラマや映画でどんなに素晴らしい愛を描きあげようとも、自分にとって夫婦愛よりも素晴らしいわけがないのだ。結婚したんだから、いい加減に「フィクションの迷宮」から抜け出すべきであろう。

 仏教がどんなに我欲を否定してかかろうとも、誰だって我欲をもっているのだ。そして夫婦だからこそ、その我欲を容認しあうことができるのだ。赤の他人の我欲など、我慢できるわけがないのだ。他人の我欲は許しがたくても、結婚した相手の我欲を容認してあげなければ、夫婦関係は決してうまくいかないのだ。

 キリストの愛は夫婦の愛に勝ることはないのだ。寧ろ、キリストの愛は、夫婦の愛を破壊してしまうのだ。夫婦愛よりも優れた愛があると言い出すからこそ、人類の悲劇が始まるのである。夫婦の愛に勝る愛など、この世には存在しないのだ。「夫婦愛よりも尊い愛はない」と悟れば、偽りの愛に騙されることはなくなるであろう。

 「仏教のインチキ」や「キリスト教のペテン」には決して騙されないことだ。我欲を否定する宗教は、すべて淫祠邪教である。なぜなら、人間性そのものを否定しているからだ。そのような宗教は、信仰によって得られる利益よりも、信仰によって発生する損害の方が比べ物にならないくらい、遥かに大きいのだ。

 自分たち夫婦が幸せな夫婦の関係を構築していくのに、仏典も聖書もいらないのだ。自分たち夫婦がどのような夫婦関係を築き上げていくかにあたって、2500年前の老人の意見や、2000年前のオッサンの意見など聞く必要性など、どこにもないのだ。いくら仏像を拝もうとも、いくら説教を聞いても、自分たち夫婦を幸せにするものは何もないのだ。

 答えは自分の「心」の中にこそあるのだ。誰かの言葉を信じるよりは、自分の心の中から聞こえてくる言葉を大切にしよう。結婚相手のありのままを認め、結婚相手を尊重し、貢献する人生が、いかに幸せで豊かで、実り多い人生になるかは、実際にやった人だけが解るのだ。妊娠や出産や育児で夫に手伝ってもらいたいなら、まずは自分が夫に貢献してあげることなのだ。幸せも豊かさも、まずは自分が動き出さなければ、決してやってこないのだ。

|

« 第七節 常に成長していくということ | トップページ | 第九節 妊婦にとっての「人間関係の密度」 ~妊娠はもっとも濃厚な人間関係である~ »

不妊治療」カテゴリの記事

出産」カテゴリの記事

妊娠」カテゴリの記事

コメント

 『タマティーの勝手に解説アワー』

 妊娠中に、その夫婦の関係がモロに露呈してくるのだ。
 妊娠するまでに夫婦関係を成熟させていないと、妊娠を境に夫婦の関係がおかしくなっていくのだ。
 
 今回述べた内容は、妊婦にだけではなく、他のすべての既婚女性にも、当て嵌まる内容である。

 人間関係は、「我欲」→「受容」→「仁愛」→「尊敬」→「貢献」の過程を経なければ、うまくいくようにはできていないのだ。
 夫婦の関係をよくしたければ、この過程を決して忘れないことだ。
 この過程を経ていれば、夫婦は幸せに満ちたものになっていくからだ。

 人間は自分から離れている人間に残酷を施すのではなく、自分を愛し、もっとも近くにいる者に対して、もっとも残酷なことをする動物であることを決し忘れるべきではないのだ。
 「愛」は確かに素晴らしいものである。
 しかし、その愛があるのに、なぜ夫婦がいがみあい、夫婦で喧嘩をしまくり、夫婦で殺しあわなければならなくなるかは、人間は愛だけで生きている動物ではないからなのだ。
 
 人を愛したいのなら、人から愛されたいのであるならば、愛以外の部分に注目をすべきなのである。
 そこに目が行けば、幸せになれる方法が、見えてくるのだ。

投稿: 愛のタマティー天使 | 2008年10月 9日 (木) 08時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/496414/24270549

この記事へのトラックバック一覧です: 第八節 人間関係作りの基本 ~妊娠中に人間関係をうまくいかせるには、どうすればいいのか?~:

» 私書箱 [激安!池袋の私書箱新規オープンです]
池袋の私書箱の紹介です [続きを読む]

受信: 2008年10月 9日 (木) 10時54分

» アダルトゲーム体験版 [アダルトゲーム体験版]
アダルトゲーム体験版 [続きを読む]

受信: 2008年10月30日 (木) 02時06分

« 第七節 常に成長していくということ | トップページ | 第九節 妊婦にとっての「人間関係の密度」 ~妊娠はもっとも濃厚な人間関係である~ »