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第十節 幸せを貰う側から、幸せを与える側への転換 ~妊娠によって起こる不思議な現象~

●結婚による人生上もっとも大きな変化

 結婚による人生上もっとも大きな変化とは、「幸せを貰う側」から、「幸せを与える側」へと立場を転換することであろう。結婚する前までは、他人から幸せを貰う立場にいても構わない。というか、他人から幸せを貰うことで、人は成長て行く。しかし、結婚したら、他人から幸せを貰う立場に変わっていくのだ。

 人間は従属状態であるならば、他人を幸せにするどころか、幸せを貰いっぱなしで、「Take & Take」の遣り方を貫いてしまう。子供の頃は、他人から幸せにしてもらうことで、成長していくからだ。次に、思春期に入って、自立し始めたら、「Give & Take」になっていく。人間は貰いっぱなしというにはならず、他人に与えることによって、他人から得られるようになるのだ。

 そして、結婚することによって独立できたら、「Give & Give」になっていき、他人に幸せを与え続ける存在になっていくのだ。与えに与えていたら、こっちが損をするだけではないかと思う人もいるけど、この「Give & Give」の立場こそが、もっとも得る物が大きくなるのだ。このことは理屈でいくら教えても、まったく理解できないことなので、これだけは自分の夫に対して実践してみればいいのだ。与えて与え尽くすことが、実はもっとも多くの物を得られるというのは、実際にやってみれば解ることなのだ。

 結婚というのは、実は女性にとって最大の通過儀礼で、この結婚を経ることによって、女性は根本から変わっていくのだ。通過儀礼は死と再生の儀式であり、「花嫁衣裳」が実は「死に装束」だというのには、ちゃんとした理由があるのだ。結婚式を挙げなかったり、夫婦別姓を唱える女性たちは、役所に婚姻届を出したかもしれないけど、結婚による通過儀礼を果たしてしないのだ。だからいつまでも精神的に独立できず、人間関係でトラブルを抱え続けることになるのだ。

 結婚するといことは、独身時代の自分を殺すということなのである。だから、結婚しても、独身時代の精神レベルでいてはならないのだ。独身女性と既婚女性の決定的違いは、独身女性は他人から幸せにして貰おうと考えているが、既婚女性は他人に幸せを与えていこう考えているのだ。この違いこそが決定的な違いなのである。婚姻届を出したか、出さなかかったか、苗字が変わるか、変わらないかというのは、些細な事柄にすぎないのだ。

●幸せにして貰おうとするからこそ不幸になる

 他人に幸せを与えていこうとするからこそ、結婚生活はうまくいくし、妊娠も出産も育児も幸せに行うことができるようになるのだ。この自分の精神の大きな変化が心の中で起こらなければ、結婚は最悪なものになっていくし、妊娠も出産も育児も悲劇的なものなっていくことだろう。

 多くの人々が、昭和憲法に騙されているのは、憲法には「幸福追求権」が保障されているので、幸福というものは、自分が追い求めていけば得られるだろうと思ってしまっていることである。幸せを追い求めて、すべての人々が幸せになるのなら、憲法が施行されて以来、半世紀以上も経つというのに、この昭和憲法体制下で、幸福な人々が少なく、不幸な人々が多く、病人たちは国民健康保険に縋り、老人たちは国民年金に縋って、国家財政を破綻させている事態をみれば、幸福追求権という考え方が、いかにおかしいかということに気づくことであろう。

 幸せというものは、幸せを追い求めると不幸になるようにできているのだ。他人に幸せにしてもらおうとするからこそ、自分は不幸になっていくのである。なぜなら、いつまで経っても精神的に独立してこないから、自分にとってレベルの高い幸福に出会えず、そのために、低レベルの幸福を追い求め、自分の心の中で不満足になり、段々その小さな幸せにすら喜ぶことができず、そして不幸ばかりが目についてしまうようになってしまうのだ。

 結婚して、夫から幸せにして貰ってばかりいると、夫の優しさにまったく気づけなくなり、家族を守っている夫の苦労にも気づけなくなり、段々と夫の欠点ばかりに目がいってしまい、夫婦が一緒にいれば夫婦喧嘩になり、結婚式を挙げた頃とは、正反対の状態になってしまうのだ。妻が夫に幸せを与えていなければ、永遠の愛だって、永遠の憎しみに変わっていくのだ。

 妊娠というのは、自分だけが幸せになるというのではない。その幸せを夫や両親に与えていくものなのだ。そして、何より生まれてくる赤ちゃんに幸せを与えていくものなのだ。それなのに、妊娠して自分だけが幸せになっていこうとしたら、夫婦関係は揉めまくるし、両親との関係も悪化していくことだろう。

●「競争の原理」と「慈愛の原理」

 結婚してから夫婦喧嘩してしまう女性や、妊娠してから問題を発生させる女性や、出産してからトラブルが絶えない女性は、他人を幸せにしないからこそ、結婚生活が悲惨な生活になってしまうのである。こういう女性は、精神的に独立していないということだけでなく、若い頃に競争して、自分を鍛えていないという共通項があるのだ。

 若い時は、「競争の原理」に基づいて、他人と競争をしていけないいのだ。若い時は誰にも負けたくないという気持ちは誰もが持っているのだ。争い、戦い、競い合うことで、勝利を掴み取っていく。若い時は、物解りのいい人物になってはいけないのだ。他人に幸せを与えるよりも、奪い取っていく。そうやって、自分の幸せを積み重ねていくのだ。

 それゆえ、現在の平等教育のように、競争を否定し、平等化しようという教育のもとでは、誰もが競争することができず、自分を鍛え上げることができなくなるのだ。「脆弱な自分」「自立できない自分」「幼稚な自分」を抱え込んでしまい、自己修養することなく大人になって、自分に実力がないから他人を誹謗中傷して、他人さえ自分の思い通りに動いてさえしてくれれば、自分は幸せになれるという、妄想を抱き続けてしまうのだ。

 社会主義者たちは資本家たちに変わってほしいことを願い、フェミニストたちは男性たちに変わってほしいことを願う。しかし、資本家がいくら変わっても社会主義者たちは幸せにならないし、男性たちがいくら変わってもフェミニストたちは幸せになることはないだろう。他人に変わることをいくら願っても、自分が幸せになることはないのだ。

 幸せが欲しければ、自分が戦うことによって、自分で幸せを掴み取っていけばいいのだ。そして、幸せを積み重ねていくと、突如として、自分の心が臨界点を突破して、他人に幸せを与えていく人間に変わっていくのだ。その変わる時期が、丁度、結婚の時期にあたるのである。人間は結婚によって、「競争の原理」から、「慈愛の原理」へと変わっていくのである。

 幸せを掴み取っていく喜びよりも、他人に幸せを与えていく喜びに目覚めるのである。「自分が」「自分が」と言っていた人物が、ある日突然、謙虚になって、他人に奉仕し出すのである。「与えて与え尽くす。大きく与えていくと、大きく得られる」といのが解ってくるのだ。明らかに、結婚を境に根本的に変わっていったのだ。

●感謝こそが妊婦生活の最強のエネルギーになる

 妊娠したからといって、我が身が大事だとか、お腹の赤ちゃんが大事だと思っていると、妊婦生活はトラブル続きになってしまうのである。通常に暮らしていて、妊婦を殴ったり、蹴ったりするような事態に陥らないだろう。妊婦なら大事に扱われるし、産休だって取らしてもらえるのだ。

 しかし、だからといって、その状況に甘んじてしまい、他人に幸福を与えていかないと、妊婦生活で問題が噴出してくることだろう。他人に幸せを与えていかないと、出産後は悲劇に連続になることだろう。だから、妊娠したとしても、他人に幸せを与えていくということを決して忘れないことだ。

 妊婦生活を幸せにしたいなら、まずは「夫」を幸せにしてあげよう。夫が家に帰ってきて、夫に笑顔があれば、自分は夫に幸せを与えているという証なのだ。夫がしかめっ面だったたり、夫が怒り出すようなことがあれば、自分が幸せを与えていないと思った方がいい。なぜなら、自宅に居る時間が圧倒的に多いのは、妻の方なのだから。

 妊娠や出産や育児は、決して妻一人が行う行為ではないのだ。誰かの手助けがあってこそ、始めて行える行為なのである。妊娠中の生活費も、出産の費用も、育児にかかる養育費も、恐らくそのほとんどを夫が出すことになるであろう。それなのに、夫に文句をいい、夫の悪口をいい、夫婦喧嘩をしていたら、夫は踏んだり蹴ったりであろう。

 人間はいくら自分一人で生きようとも、決して一人では生きていけないのだ。人間は誰かを幸せにするためなら、生きていける理由を見つけ出せるし、獅子奮迅の働きをすることができるのだ。赤ちゃんを産んだ母親たちが、真っ先に夫に感謝の意を述べるのは、出産という大事業でも、夫のためにだからこそ頑張れたのである。

 感謝こそが、妊婦生活の最強のエネルギーになるのだ。人間は感謝をすると、心の中から爆発的なエネルギーが出てくるようにできているのだ。感謝という最強のエネルギーがあれば、妊婦生活など楽々で過ごせるのだ。出産や育児も感謝があれば簡単にできるのだ。

 母子手帳や多くの育児本が根本的に間違っているのは、まさにここなのである。妊婦にマニュアル通りにやらしても、難産になり、育児で揉めるのは必定なのである。なぜなら、夫に感謝がないからだ。誰かを幸せにしていこうという気持ちがまったくないからだ。結婚しているからといって、夫に感謝しなくていいわけがないのだ。結婚したのに、誰かを幸せにしなければ、その結婚は問題ばかりが発生してくるのだ。

 人間は平等ではないのだ。人間はみんな同じではないのだ。精神的な独立は、あくまでも精神の問題だから、目では見えにくいものである。しかし、精神的に独立し、他人に幸せを与えている既婚女性の周囲には、笑顔と幸せと豊かさが満ち溢れているはずである。妊婦生活を幸せに過ごしたいのであるならば、決して感謝の気持ちを忘れないことだ。夫を幸せにするという気持ちを忘れないことだ。これらこそ、妊婦生活を幸せに満ちたものにしていくのだ。

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コメント

 『タマティーの勝手に解説アワー』

 結婚によって大きく変わるのが、幸せを貰う側から、幸せを与えていく側に変わるという現象なのである。
 遅くとも、出産時にまで、自分の心を変えていかないと、その後の結婚生活は悲惨なものになってしまう。

 初めて妊娠であるならば、この変化が自分の心の中で起こっている最中である。
 自分が夫から幸せを貰ってばかりいると、なんかどうしようもない違和感が出てくるのだ。
 素直に「夫を幸せにしたい!」という気持ちが出てくるまで、時間はかかるが、地道に夫を幸せにできることを行っていけばいいのだ。

 他人を幸せにし、豊かにしていく人生が、いかに実りのある人生になるかは、やってみれば解ることなのだ。
 だが、いくら理屈で説明しても、精神的に独立していない人には、決して解ってくれはしないのだ。
 人間はすべての人々を幸せにする必要性などないのだ。自分が本当に幸せにしたい人だけを幸せにしていけばいいのだ。

 精神的に独立してしまえば、物価が上がったとか、不況になったとか、株価が暴落したかということなんて関係なくなるのだ。
 この世がどのように変化しようとも、幸せを与えていく人々は、ますます幸せになっていくのだ。

投稿: 愛のタマティー天使 | 2008年10月10日 (金) 11時04分

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