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第五節 継続は力なり

●遣り続けなければ、遣るべきことが解らない

 確固たる将来のビジョンを持ち、物事に取り組む姿勢が明確になったら、今度は「継続し続けることの大切さ」を備えなくてはならない。何事も、継続するからこそ、やるべきことが解ってくるのだ。遣り続けなければ、遣るべきことが解らないものだ。例えば、妊娠にとって栄養のあるものを食べ続けなければ、お腹の中の赤ちゃんに栄養がいかないのだ。

 家事というのは、どれを取っても継続性のあるものばかりだ。今日は調子が悪いからと言って食事を作らないわけにはいかないのだ。今日は雨が降っているからといって掃除をやめるわけにはいかないのだ。それと同様に妊娠しているからといって、家事を放棄するわけにはいかないのだ。妊娠したとしても、家事の重要性にはなんら変動がないのだ。

 一家の主婦が、家事をきちんとこなせば、夫婦は円満になり、家庭に平安が訪れてくるのは、自明の理である。妻が家事を怠れば、夫婦の関係は崩壊するし、母親が家事を放棄すれば、子供たちは不良少年や不良少女となって母親に復讐してくることであろう。家事は結婚をうまく進めていく上で、それほど重要なものなのに、家事はフェミニストたちから徹底的に罵倒され、それに同調した既婚女性たちが、まともに家事をやろうとしなくなっているのだ。愛情を込めて家事をこなそうとするのではなく、どうすれば手抜きができるか、どうすれば家事をやらなくて済むかだけを考えているのだ。

 「桃栗3年、柿8年、技術10年、学問30年」と言われる。桃や栗が実をつけるまでに3年かかるし、柿が実をつけるまえには8年もの歳月がかかるのだ。それと同じく人間が一つの技術を習得しようとすれば10年の歳月がかかるし、人間がひとつの道を究めようと思ったら30年の歳月がかかるものなのだ。技術が習得できまで、それだけ歳月が必要なのだ。人間が一つの道を究めようとすれば、それだけの歳月が必要になるのだ。

 家事だって技術の塊なのだから、それを習得するまでに、10年の歳月が必要なのだ。それなのに既婚女性が家事で手抜きばかりしていたら、いつまで経っても家事を習得できないことだろう。10年間、真面目に家事をこなしていれば、いかなる家事でも簡単にこなせるようになるのだ。家事だって継続して遣り続けなければ、身につかないのだ。

 妻のなんたるか、母親のなんたるかが解るのは、30年の歳月が必要になるのである。それなのに、妻としての役割や、母親としての役割を果たさないで済むようなことばかりやっていたら、いつまで経っても妻として悪妻であり、母親としては失格のままであろう。女性といえども、30年間結婚し続けていれば、妻のなんたるか、母親のなんたるかが解ってくるのだ。

 女性は結婚してしまうと、幸せな妻たちと、不幸な妻たちの二つに分かれてしまう。幸せな妻たちは、幸せな妻たち同士で集まり、不幸な妻たちは、不幸な妻たち同士で集まるものだ。なぜ、幸せな妻たちは、不幸な妻たちを排除しようとするのか? それは、家事を遣り続けないから、大事なことが解っていないのである。大事なことが解っていない人と、一緒にはいられないものなのだ。

●自信は継続から生まれる

 ありとあらゆるものは、継続し続けると、自信が生まれてくるのだ。物事は継続するからこそ、自信が生まれてくるのだ。「自分に自信を持て!」と言われても、なかなか自分には自信がつかないものである。しかし、人間はどんな者であったとしても、継続すれば自身がつき、日々繰り返すことで大きな自信を得るのだ。

 女性は結婚してから3年以内に90%以上の女性が妊娠するのだが、それまでに継続して真面目に家事をこなしていないと、自信がついていないので、妊娠という出来事に慌てふためいてしまうのだ。妊娠という目出度い出来事なのに、自信がないばっかりに、妊娠をきっかけに夫婦関係が悪化していくのだ。

 まさに「継続は力なり」なのだ。結婚してから妊娠するまで、きちんと家事を行ってきた既婚女性は、妊娠したとしても、自信をもって妊婦生活を過ごすことができることであろう。そして、自信をもって出産を行うことができるし、自信をもって育児を行うことができるのだ。

 多くの妊娠や出産や育児に関する書物が、根本的に間違っているのは、妊婦は妊娠のことだけを考えていればいい、産婦は出産のことだけを考えていればいい、母親は育児のことだけを考えていればいいと説いていることなのである。妊婦も産婦も母親も、結婚しているから、妊娠も出産も育児も楽に行えることができるのである。結婚しているのに、家事を放棄していては、妊娠も出産も育児もうまくいくわけがないのだ。

 男は仕事で鍛えられ、女は家事で鍛えられるのだ。男は仕事を継続して働くからこそ、男として鍛えられるのである。女は家事を継続して働くからこそ、女として鍛えられるのである。自分の心を強くするのは、毎日の生活習慣にこそあるのだ。人間は自分の心を鍛えるために、何も奥深い山に入って修行することもなし、滝に打たれることもないし、坐禅を組むことなんてないのだ。自分を鍛えたければ、今の自分に与えられた仕事を真面目にこなしていけばいいのだ。これを≪事上磨練≫というのだ

 たまに料理を作れば、それは単なる料理を作るという行為にしかならない。しかし、毎日、料理を作っていれば、それを自分の心を磨き上げる行為になっていくのだ。たまに掃除をすれば、それは単なる掃除をした行為にしかならない。しかし、毎日、掃除をしていれば、それは自分の心を清めていく行為になっていくのだ。

 特に自分の心を鍛えるなら、便所掃除は非常に有効性のあるものである。汚い所や臭い所は神様が嫌うのだ。そこを自分が率先して毎日行うなら、便所は奇麗になるし、自分の心も鍛え上げられていくのだ。昔の人々は、妊娠と便所に、目に見えざる深い繋がりを感じ、「妊婦が便所掃除をすると、美人が生まれる」と言い伝えてきたが、妊婦が日々便所掃除をすれば、妊婦の心が鍛え上げられ、そういう母親のもとには、将来、美人にある赤ちゃんが生まれてくるのだ。

●「型」を見つけ出せ

 妊娠や出産や育児をうまく行う秘訣は、実は家事をきちんとこなすことなのだ。家事をきちんとできる既婚女性なら、妊娠や出産や育児をうまくやっていけるのだ。なぜなら、妊娠や出産や育児は、家事がきちんとできてしまえば、非常に簡単なものだからだ。家事をすっ飛ばして、妊娠や出産や育児をうまくやろうとするから、難儀するのである。

 妊娠や出産や育児にトラブルを抱える母親たちは、常々、「家事は面倒臭い」と言い出すのだ。それは家事を漠然と行うからである。家事にはうまく行うコツというものがあり、それを早く自分で見つけ出せばいいのだ。だが、こういうグータラ妻に限って、家事をうまく行うコツを他人から聞き出そうとしているのだ。

 コツは他人から教えられるものではないのだ。コツは自分で探して見つけだすものなのだ。他人が「これがコツ」と言っているものが、自分に合うとは限らないのだ。コツというのは、あくまでも自分が家事を繰り返して行っていく、自然と自分で見つけられるものなのだ。そしてコツが解れば、自分のやっていることが、非常に楽になり、家事が楽しくなっていくのだ。

 このコツを集めていくと、今度は「型」が解ってくるのだ。「型」とは、家事がもっとも効率よく行える状態で、もっとも美しくなるバランスだと言っていい。家事の「型」が解ると、すべてのことが解ってくるようになるのだ。ベテランの主婦に限って、無駄な動きが一つもないのは、型が解っているからなのである。

 どんなジャンルでも、その道を究めるということは、そこに秘められた型を掴むことになるのだ。その型を掴んでしまうと、自由自在に行えるようになるのである。多くの人々が何をやらしても一流になれないのは、自分勝手に物事を進めていき、それを自由だと思い込んでいるからなのである。自由というのは、物事を極めた人だけが使いこなせるものなのだ。

 家事だって、ちゃんと型があるのだ。でも、それは家事を継続して行っているからこそ解るものなのだ。家事をやっているといっても、家事をチャランポランに行っていては、永遠に解らず、家事が苦労に満ちたものになってしまうのだ。結婚したら、家事をやるのは、当たり前なのだ。だったら、真剣になって、遣り続ければいいのだ。継続して遣り続ければ、必ず解るものなのだ。

●体全体から出てくるオーラ

 自分がどんなに大変だと思うものでも、1ヵ月間同じことを遣り続ければ、苦しみではなくなるのだ。そして、3ヵ月間同じことを遣り続ければ、必ず習慣化できるのだ。そして、習慣化できれば、オーラが体全体から滲み出てくるのだ。妻が家事を真剣にやっていれば、必ずオーラが出てくるのだ。そのオーラに夫が気づいて、「最近、変わったね」と言ってくれることだろう。

 そういうオーラが体から滲み出ているなら、妊娠や出産や育児をちゃんと行えるのだ。自分が何をすべきかは、自然と解ってくるものなのだ。妊娠したからといって、妊娠のことばかり考えていたら、妊娠は苦労に満ちたものになってしまうのだ。出産するからといって、出産のことばかり考えていたら、出産は悲劇的なものになってしまうのだ。育児をするからといって、育児のことばかり考えていたら、育児は破滅的なものになってしまうのだ。

 なぜなら、それらは結婚生活の上で部分的な事柄であって、全体的なものではないからだ。部分に最大限のエネルギーを投入して、部分を最適なものにしてしまうと、その部分が全体のバランスを崩してしまい、結局、その部分も、全体もうまくいかなくなってしまうのだ。妊娠に取り組みすぎる妊婦や、出産に取り組みすぎる産婦や、育児に取り組みすぎる母親が、結果的に妊娠や出産や育児を不幸なものにさせてしまい、それどころか結婚生活まで不幸にさせてしまうのは、これが原因なのだ。

 世の中には、結婚しているなら、夫婦の愛さえあればいいと思っている人たちが大勢いるのだが、そういう考え方は、根本的に間違っているのだ。愛さえあればうまくいくなど、やってみればうまくいかないのは、解り切ったことだ。もしも、夫が「お前を愛しているよ」と言って、仕事もせずに、家でブラブラしていたら、どんなに愛された所で、妻にとっては迷惑の極みだし、夫婦喧嘩は絶えなくなるだろうし、恐らく異常に高い確率で離婚へと突き進んでいくだろう。

 なぜ、愛し合っていた夫婦が離婚してしまったのだろうか? それは夫が働かないからである。どんなに愛された所で、夫が働かなければ、邪魔なだけなのだ。このことは、妻にとっても同様で、どんなに妻が夫を愛していようが、家事を放棄して何もしなければ、夫にとっては、邪魔なだけなのだ。

 結婚にとって確かに愛は大事である。しかし、愛は万能ではないのだ。結婚すれば、夫して、妻として、遣るべきことはたくさんあるのだ。夫婦はそれらのことを一つずつ遣り遂げていかなければ、幸せも豊かさもやってこないのだ。夫だったら、まずは仕事であり、妻だったら、まずは家事なのだ。この結婚において基盤となるものを崩してしまうからこそ、幸せも豊かさもやってこないのだ。「株価が変動した」「原油が高騰した」「食料品が値上げした」ぐらいで、すぐさま悲鳴を上げ、政府に頼るというのは、異常な行動である。結婚の基盤を構築していないからこそ、外部の影響を直撃してしまうのである。

 人間はオーラを発しながら生きている動物である。オーラとは、波長だといっていいし、その人が持っているリズムであるといっていいだろう。その人が他人を幸せにするオーラを発してくるなら、周囲の人々はみな幸せになっていくことだろう。その人が他人を豊かにするオーラを発してくるなら、周囲の人々はみな豊かになっていくことだろう。

 夫は仕事で自分を鍛えて、このオーラを発してくるようになるし、妻は家事で自分を鍛えて、このオーラを発してくるようになるのだ。他人を幸せにし、他人を豊かにできるオーラを発することができる既婚女性であるなら、妊娠も出産も育児も、幸せで、豊かなものにしていくことができるのだ。

 それなのに、妊娠だけをうまくやろう、出産だけをうまくやろう、育児だけをうまくやろうとすれば、自分の意図とは逆に、悲惨的な結果に終わってしまうのである。なぜなら、「幸せのオーラ」を発してこないからである。根本的な所で間違えている人を、幸せにするのは不可能なのだ。妊婦生活を送る際は、決して根本を間違えないことなのである。根本を間違えなければ、自然と成功していくのだ。

 有難いことに、家事を継続することによって、オーラを発するようになれるのは、無料でできることである。もしも、霊能者から指導を受けて、オーラを発するようになるまでは、莫大なお金と膨大な時間を要求されることであろう。それに比べれば、家事なんて簡単なものなのである。家事を一生懸命に継続して行い、オーラを発するようになれば、夫は喜んでくれるし、妊娠も出産も育児もうまくいくようになるし、子供たちも喜んでくれることだろう。幸せというものは、いつだって自分の心の中から発せられるのだ。

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コメント

 『タマティーの勝手に解説アワー』

 妊娠や出産や育児をうまく行いたければ、家事をきちんとこなしていくことが大事なのである。
 家事がきちんとできていれば、妊娠や出産や育児は楽に行えるのである。

 かつて、公家や武家の娘は家事をやらなかったかが、そのために結婚してから、流産や難産や、せっかく赤ちゃんを産んでも夭死してしまうという悲劇に見舞われたのである。
 家事をやらないと、妊婦生活は悲劇なものになってしまうのだ。

 家事は継続性のあるものなので、遣り続けていれば、実力がついてくるのだ。
 実力がついてくれば、自信が生まれてくるのだ。
 実力と自信があれば、妊娠も出産も育児も楽に行えるのだ。
 家事は妊娠と深く繋がっているのだ。

 最近は妻が家事を手抜きばかりしたり、妻が仕事をして、夫が家事をこなす主夫を望んだりしているが、それに比例して、妊娠や出産や育児の悲劇が急増しているのだ。

 妊婦生活を幸せにしたければ、決して家事を疎かにしてはならないのだ。

投稿: 愛のタマティー天使 | 2008年10月 8日 (水) 06時45分

家事を完璧にこなせる女性は、本当にどんな高学歴の女性よりも賢く、「女性としての気品」にあふれていますよね。

 幸いにも義母は正にそんな女性なんです。

 私はグータラとは言わないまでも完璧にはほど遠く、料理だけはとても得意なのですが、掃除・洗濯においては「不快感を感じない程度」の微妙なレベルにある主婦です。

 義母は女性の私から見ても「いい女」なんです。明るくて働き者。夫を立てるのもとても上手で、感心することばかりです。

 そんな義母に家庭円満の秘訣を尋ねてみました。

 義母の答えは、『家庭は妻の我慢で持つ』 でした。

 見習う事ばかりの義母ですが、心の中でいろいろな葛藤や我慢があったのだ・・・。と、益々尊敬の念を強くしました。

 私も身近なよいお手本を見習って、料理好きですから台所からピカピカにしてみたいと思います。

 今日も勉強になりました。感謝!

投稿: さんにん | 2008年10月 8日 (水) 14時17分

 「さんにん」さん、コメントありがとうございます!

 「さんにん」さんは、幸せですね。
 いい義母さんに恵まれて。
 
 我慢というのは、物事を継続するということです。
 何事も忍耐力がないと、習得することもできません。
 地道に物事を行う。そのためには、絶対に忍耐力が必要なんです。

 家事だって、地道にやっていればうまくなるもんなんですよ。
 それなのに、忍耐力がないから、手抜きを始めるんですね。
 マンションの工事で手抜きをすれば大問題になるのに、家事で手抜きをしていけば、家族内で問題が発生してくるのは当然なんです。

 家事をきちんとこなせると、妊娠も出産も育児もうまく行えるようになるんです。
 なぜなら、家事をやっていくと、物事の本質が解ってくるからです。
 これがあれば、何事もちゃんとできるようになるんです。
 妊娠や出産や育児をうまく行いたければ、家事をきちんとこなせ!
 これはやってみれば、本当に解ることなんですよ。

投稿: 愛のタマティー天使 | 2008年10月 9日 (木) 05時47分

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