妊娠中のボランティアの勧め
●妊婦がボランティア?
自然的マタニティーライフでは、妊婦にボランティアをすることを勧めている。ボランティアこそ、妊婦が幸せになれる行為だからだ。妊婦にボランティアを勧めるのは、いかなる妊娠マニュアル本にも、母子手帳にも載っていない。それどころか、妊婦にボランティアを勧めるということを聞けば、反対する女性たちだって出てくることだろう。「妊婦には妊婦生活に集中させるべきであって、ボランティア活動などすべきではない」と。
確かに、妊婦にとっては、妊娠のことで精一杯であろう。しかし、妊娠期間が10月10日もあるのだ。その期間の1日を慈善のために分けても決して無理な注文ではない筈だ。妊娠して幸せだからこそ、他人に幸せを分けてあげるのだ。自分が幸せな人は、進んで人助けをするものなのだ。自分が不幸な状態にある人は、慈善などしないものなのだ。
なぜ妊婦に慈善が必要かといえば、妊娠や出産や育児では「偶然」というものが重要になってくるからだ。妊娠や出産や育児をしていると、思わぬ所から偶然にいいことが起こってくるのだ。反対に、妊娠や出産や育児をしていると、思わぬ所から偶然に悪いことが起こってくるからだ。この偶然というものが、曲者なのである。自分が妊婦としていくら正しいことをしたとしても、偶然にいいことも悪いことも起こってきてしまうのだ。実際に妊婦生活を送れば解ることなのに、多くの女性たちがこの偶然を無視してしまうのだ。
妊婦の中には、妊娠中に正しいことをやった筈なのに、妊娠の悲劇に見舞われてしまう女性たちがいるのだ。流産や早産や異常出産や、果ては自分の赤ちゃんを身体障害者にしてしまったり、折角できた我が子を不治の病に罹らせて夭折してしまう母親たちが大勢いるのだ。正しいことをやりすぎると、物事は失敗してしまうものなのだ。妊娠中にいくら正しいことをやっても、どこかに偶然を残しておかないと、妊婦生活を失敗させてしまうことになるのだ。
人間は正義に対しては物凄く弱い。「これが正義だ!」と言われれば、それにすぐに飛びついてしまう精神的脆弱さが人間にはあるのだ。その正義が本当に正しいものかを確かめずに、その正義を鵜呑みしてしまうのだ。仏教で八正道を教えれれば、仏教徒たちは飛びついてしまうし、社会主義で貧富の格差を解消する社会正義を唱えると、社会主義者たちは飛びついてしまし、フェミニズムで男女の性差を解消する社会正義を唱えると、フェミニストたちは飛びついてしまうのだ。しかし、そのような正義をいくら実践しても、その正義は自分を不幸にし、社会に害悪を垂れ流すだけなのである。
なぜなら、自分は或る程度までは正しいことをやりつつも、人知人力の及ばぬ偶然を残しておくという努力をしないからなのだ。正義を追求して偶然を消してしまうと、突如として不幸が襲いかかってくるのだ。人間というものは、自分が正しいということをやっていては駄目なのだ。自分が正しいことをやりつつも、どこかに偶然が存在できる余白を残しておかなければならないのだ。
そのために慈善が必要となってくるのだ。見返りを求めず、他人に与えれば与えるほど、益々多くの見返りが、見知らぬ所から得られるのだ。まさに「情けは人の為ならず」なのだ。成功は奉仕と密接に繋がっているのだ。成功者ほど慈善を盛んに行い、自分のためではなく、他人の利益になることをしているのだ。成功者は多くの報酬を得ているが、報酬は貢献度に比例するから、他人に貢献すればするほど、多くの報酬を得ることができるのだ。
●遠くの難民より、近くの貧民
自分の成功と他人への奉仕は密接な関係にあるのだということを、多くの女性たちは忘れてしまっているのだ。マスコミ業界には社会主義者やフェミニストが大量に入り込んでいるので、この世の真実が歪みに歪められまくっているのだ。例えば、社会主義者たちは、資本家は労働者を搾取しているというが、資本家と呼ばれる人たちほど、慈善活動を盛んに行っているのだ。フェミニストたちは、日本は男社会で女性は男性に差別されているというが、事業で成功した男性経営者たちの多くが、慈善活動を行う財団法人を設立しているのだ。
世の中の真実というのは、マスコミに流れているものとはまったく逆で、社会主義者たちに限って慈善活動をしないし、フェミニストたちに限って慈善をしないのだ。自分たちが慈善活動をしないから、資本家も男性たちも慈善活動をしないのだと思い込んでいるにすぎないのだ。
俺が街頭で募金活動をしてつくづく解ったのは、募金をしてくれるのは、家族連れや、お爺ちゃんお婆ちゃんたちであって、若い男女は余りしてくれないということなのだ。社会主義者やフェミニストたちは、必ずといっていいほど、募金をしてくれないのだ。精神的な自立を終えてない人たちは、慈善をしないものなのだ。
慈善が大事だよと教えると、慈善活動をやったことがない人たちは、ユニセフや日本赤十字社に寄付しようとするのだ。慈善活動はただ単にお金を出せばいいというものではないのだ。他人に無償で奉仕しようという気持ちが大切なのだ。いくらユニセフに大金を寄付したとしても、ユニセフへの寄付金の70%は、実は人件費に使われてしまうのだ。なんてことはない。自分の寄付金がユニセフの理事や職員たちの生活費になっているだけなのだ。
慈善活動というと、すぐにアフリカの難民を救済しようとしたりする人が出てくる。重症になると、現地に行って活動し、その悲惨な状況を日本で報告したりする。しかし、慈善活動というのは、遠くにいる難民よりも、近くにいる貧民にこそ向けられるべきなのだ。海で溺れている人がいたとしよう。あなたは遠くにいる溺れている人を助けるか? それとも近くで溺れている人を助けるか? あなたは恐らく近くで溺れている人を助ける筈だ。近くで溺れている人を見捨てて、遠くで溺れている人を助けようとしたりはしない筈だ。
●最高の慈善は相手を自立させてあげること
マスコミで称賛される慈善活動は、アフリカやアジアで難民を救済したりすることである。しかしはっきりといっておこう。慈善活動は目立つものであってはならないし、他人に賞賛されたりするものではないのだ。慈善を受ける人々にとっては、他人から無償でお金や物を貰うのは嬉しいことではないのだ。自分がどんなには働いても生活が破綻してしまっているから、已むに已まれず、仕方なく受け取っているにすぎないのだ。
だから、慈善活動でお金や物を渡す時は、誰にも気づかれないように、そっと渡してあげればいいのだ。いくら莫大な資金を使っても、目立ったり、マスコミの脚光を浴びる慈善活動であってはならないのだ。最悪の慈善というものは、相手を乞食にさせてしまうことなのだ。いくら大量の物資を与えようと、いくら大金を与えても、慈善を受ける人々を乞食にしてしまったら、それはもはや慈善活動ではないのだ。慈善活動と称する経済テロにすぎないのだ。
最高の慈善は相手を自立させてあげることなのだ。悲惨な状況にいる人たちに対して、経済的に自立させ、精神的に自立させてあげることなのだ。だから、慈善活動をするためにもっとも大事なことは、慈善活動をする本人が、経済的に精神的に自立していることなのである。できれば経済的に精神的に独立していた方がいい。経済的にも精神的も独立している人々は、慈善を受ける人々を手早く自立させることができるからだ。
こういった観点から考えると、慈善の中でもっとも素晴らしい慈善は、赤ちゃんや子供や学生に対する慈善なのだ。赤ちゃんを育てれば、出費が嵩むのだから、そういう夫婦に育児支援金を渡してあげる。、子供や学生は教育費にお金がかかるのだから、奨学金を渡してあげる。そうすれば、その子たちが大人になったら、簡単に自立していくことができることだろう。
戦争や自然災害で被害を受けた人々に対する慈善は、あくまでも非常時の慈善なのだ。しかもこの戦争や自然災害は、政府の力ぬきにしては、解決できないのだ。北朝鮮で飢饉がいくら発生しようとも、北朝鮮が社会主義体制を維持している限り、世界中の人々の慈善は、朝鮮労働党に悪用されるだけなのだ。だから、外国の人々に心痛めるよりは、まず国内で慈善活動を活発にし、日本国内を豊かにしていく慈善活動をしていくべきなのだ。
●妊婦だからこそ、妊婦に向けて慈善をすべし
慈善を勧めると、そういうことは政府がやるべきであって、政府が社会保障を充実すればいいと主張してくる人々が出てくるのだ。慈善活動というのは、慈善をする人が、相手を幸せにしてあげようという気持ちが大切なのだ。この気持があるからこそ、慈善を受けた人々は幸せになっていくのだ。
いくら政府が社会保障を充実させても、それを運営していくのは、政治家や官僚たちなのだ。こういう人たちは法律で定められているから慈善を行うのであって、いくら莫大な税金を使っても、慈善活動に大事な相手を幸せにする気持ちがないのだ。だから、政府の社会保障が大きくなればなるほど、その国民は貧しくなっていくのだ。社会保障の資金も税金だし、その税金を使って慈善を行っても、慈善を受けた人は決して豊かになっていかないのだ。
慈善活動というのは、国民が自発的に行ってこそ、意味があるのだ。慈善活動に使われる資金がいくら少なくても、相手を幸せにしたいという気持ちさえあれば、それはちゃんと相手に伝わり、相手は幸せになっていくのだ。国民1人1人の自発的な慈善が盛んになればなるほど、その国民は豊かになっていくのだ。
あなたが妊婦であるなら、妊婦に向けて慈善をしてあげればいいのだ。妊婦が必要な情報を無料であげる行為も、立派な慈善活動なのだ。自分が出産をしたら、若い妊婦に妊娠中はこうした方がいいよ教えてあげるのも、立派な慈善活動なのだ。母乳の出が弱い母親に、貰い乳をするだけでも、立派な慈善活動なのだ。
自分が実際に出産してみて、出産や育児にお金がかかるなと思ったなら、財団法人を作って母親たちを支援してあげればいいのだ。政府や地方自治体が育児支援金を渡すより、実際に出産や育児で経験をした母親たちが渡す方が、極め細やかな育児支援ができる筈だ。財団法人を作るのは、無理だなと思っていても、自分が夢を持っていれば、いつの日か実現できてしまうものなのだ。
俺は将来、1000億円の資金を使って、妊婦たちや子育てをする母親たちのために財団法人を作ろうと思っている。「1000億円なんて集めるの無理だろう~」と言われても、将来に確固たる目標があれば、最終的には実現してしまうのだ。大事なことは、小さな生活に齷齪するよりも、大きな慈善をしてしまうことなのだ。
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