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第七章 いざ、出産!

出産の主人公は妊婦本人である

●出産は妊婦を主人公にするからこそ巧く行く

 臨月に入り、陣痛が始まって、妊娠から出産へと移行していく時、妊娠中は必ずしも妊婦が主人公になって生活を送っているわけではないが、出産中は産婦が主人公にならなければ、絶対に巧く行かないのだ。出産は産婦を主人公にするからこそ、巧く行くのである。出産はでは妊娠中と異なり、産婦が全身全霊で出産しようとしない限り、出産できるものではないからだ。それほど妊娠と出産ではまったく違うのだ。

 助産院で出産した場合、巧く行った出産というは、すべて産婦を出産の主人公にしておkなった出産なのである。一流の助産婦というのは、産婦をその気にさせ、出産の主人公に持っていくのが巧い助産婦なのだ。助産婦としての技術がいくら優れていても、この「よいしょ」の仕方が巧くない助産婦は、所詮、ニ流の助産婦なのである。

 現在の日本の出産の状況は、病院での出産が主流であって、助産院での出産はそれに圧倒され続けている状況である。その状況下でなぜ妊婦たちが助産院で出産しようとするかといえば、助産院でなら後悔のない出産ができるからなのである。病院での出産では後悔の念があったからこそ、わざわざ助産院に来ているのである。人間は自主性を持って取り組めば、それがどんな結果になろうとも後悔しないし、自分が主人公として振る舞えば基本的に巧く行くものなのだ。

 我々は余りにも民主主義に毒されているのだ。民主主義はすべての場合で巧く行っているものではないのだ。特に女性にとって出産というのは、自分が独裁的になって行ってしまった方が、圧倒的に巧く行ってしまうものなのだ。産婦本人に全権力を集中させ、産婦が望むような出産を行うからこそ、出産はなんの疑念を挟むことなく行えるのである。

 出産という女性が全身全霊を投入しなければならない行為において、他人に依存していたら、出産は失敗しやすくなるだけでなく、後になってから後悔の念が募ってしまうものなのだ。医者がどういう権限を振るおうとも、出産で赤ちゃんを産むのは、産婦本人なのである。その産婦はまさに命懸けで赤ちゃんを産むのである。だったら、その産婦本人を出産の主人公に据えてしまった方が、出産は巧く行くのだ。

●病院での出産がなぜ駄目なのか?

 病院での出産がなぜ駄目なのかといえば、医者が出産の主人公になっているからなのである。妊婦の状況を一切無視して、医者の予定通りに出産を進めて行ってしまうのである。しかも、病院での出産はまるで流れ作業のようで、機械的に進めていってしまうのだ。これでは産婦はただ赤ちゃんを産むだけであって、そのになんら人間的な「暖か味」や「温もり」がまったくないのだ。

 医者は男性が多く、治療の仕方も、病院の運営の仕方も、男性の流儀で作られてきた。男性脳は問題解決能力に優れているので、病気を治療していくために、何がその病気の原因であるかを探り当て、その治療法を生み出すことに関しては優れている。これは女性が医者になったとしても、自分の女性脳を優先させることなく、男性脳の遣り方の従わない限り、医者としての仕事ができなくなってしまうのだ。

 しかし、そのようにして行えば、病気の治療には効果があっても、妊娠や出産という病気でもないものを行っていく時には、圧倒的に不利になっていくのである。だからこそ、日本では昔は、妊娠や出産を担当するのは「産婆」に任していたのである。妊娠や出産に関しては、男性脳を優位させることなく、女性脳を優位させる方が、圧倒的に巧く行くのである。

 女性脳を優位させれば、出産という問題をいきなり解決していくのではなく、妊娠から出産へ、出産から育児へと、物語を作りながら行わしていくことになるのだ。そして、出産は妊娠という長い期間を経てのクライマックスなのだ。妊娠中には耐えて耐えて、出産で一転してエネルギーを爆発させるからこそ、女性脳は満足するのである。

 こういうストーリー展開の仕方は、男性脳にとってはまどろっこしいのである。出産という問題を抱えているなら、その問題を力づくで解決してしまった方がいいと思ってしまうのが、男性脳なのだ。だから、陣痛促進剤を使用したり、帝王切開手術を考え出して行ってしまうのだ。しかし、それではたとえ赤ちゃんが無事に生まれたとしても、産婦の女性脳が満足してくれないのだ。

●女性にとって大事な「お姫様願望」

 男女は決して平等にできているのではないのだ。男女は不平等に作られているのだ。男女の決定的な不平等の場所は、実は「脳」そのものなのだ。男性には「男性脳」、女性には「女性脳」があって、男女では脳を使う部分も、考えていることも、違っているのだ。我々はこの決定的な性差である「脳差」を無視して男女平等を推し進めていくのではなく、男女の脳差を巧く利用して、男女それぞれが能力を発揮し易い社会を築いていけばいいだけなのだ。

 男性が子供の頃、自分は強くなりたいと一心になって、「英雄願望」に取りつかれている頃、女の子たちは、自分は美しくなりたいと思って、「お姫様願望」に取りつかれているのだ。男の子なら、余程の馬鹿な男の子でもない限り、「王子様願望」は持たないのだ。もう、子供という段階で、男の子も、女の子も、脳の違いによって違う道を歩み始めているのだ。

 この「お姫様願望」というのは、女性にとって非常に大事なもので、女の子が自分をお姫様だと思い込むのは、両親にきちんと愛されている証拠なのだ。子供の頃は両親への従属の時代なので、女の子は両親に従属して、両親からきちんと愛される時期なのである。この時期に両親からきちんと愛されて、自分の心の中に愛が溜まっていけば、女の子は自然と「お姫様願望」を抱くようになるのだ。

 我が日本国は、立憲君主制を採用しているので、日本国にお姫様が今も存在し続けているというのは、我々日本国民にとって最大の強みなのである。共和制の国家では、絵本の中でしか存在しないお姫様が、君主制の国ではきちんと存在し続けているのである。日本国に現在もお姫様が存在し続けているからこそ、多くの日本の女の子たちは、お姫様願望を抱くのが、無理なく行うことができるのだ。

 女の子が子供の頃にきちんと「お姫様願望」を抱くことができれば、反抗期を迎えて、自立の時代が始まると、自立できるようになり、恋愛をし、結婚をし、独立していくことができるようになるのだ。フェミニストのように、大人になってから、「女性の自立」を唱えてくる女性たちは、自立の時代を迎えているのに、自立できなかったのであり、それは子供の頃に両親にきちんと愛されず、きちんと「お姫様願望」を持つことができなかったために、大人になって自立できない女性になってしまったのだ。

 女性は「従属の時代」「自立の時代」「独立の時代」を経たからこそ、一人前の女性になれるのであって、独立してしまえば、独立して行動し出すのは当然で、妊娠中は助産婦のアドバイスを必要とし、出産においては、自分が主人公になって産んでしまった方が良いとの判断ができるようになるのだ。独立していればこそ、誰かに頼るのではなく、他人の力を巧く利用しながら、自分の利益を最大にしていけるようになるのだ。

●助産院の欠点

 女性が結婚して精神的に独立しているなら、出産を病院で行うのはおかしいと思う筈だ。妊娠や出産は病気ではないので、妊婦や産婦が何かしら病気をしているなら、病院に行くのは構わないが、そうでないなら病院ではなく、助産院で産むべきだと思うのは、当然のことなのである。

 だからこそ、独立した女性は助産院に行くのである。この「自然的マタニティーライフ」でも、助産院での出産を進めているのである。だが、俺は今まで助産院を称賛し続けてきたのだが、しかし、この助産院には欠点というものもきちんと存在しているのだ。それは助産婦が「女性同士ゆえに馴れ馴れしい」のだ。特に、未だ子供を産んで育てていない助産婦は、この弊害が非常に目立つのだ。

 助産婦は妊婦や産婦に親身になるからこそ、信頼を勝ち得るのだが、親身になることと、馴れ馴れしくすることは違うのだ。助産婦の仕事の基本は、あくまでも妊婦や産婦に奉仕することであって、友達になることではないのだ。助産婦の仕事は、妊婦や産婦に奉仕できるからこそ面白く、そして続けていくことができる仕事なのだ。

 その助産婦の基本がきちんと解っているなら、出産の際は、産婦を主人公に据えて、出産させようとするのだ。出産では産婦を主人公にし、助産婦はサポート役に徹した方が、出産は非常にスムーズに行き、巧く行くのだ。助産婦がいくら出産のことを知っていたからといって、実際に赤ちゃんを産むのは、産婦なのだ。

 助産婦も自分で3人以上の赤ちゃんを産み育てない限り、出産は妊婦を主人公にさせることの重要性を理解できないらしい。一人目の赤ちゃんを産んでも、所詮は最初だから、産み終わってから、後悔とまで行かなくても、「ああすれば良かったので?」という疑問を抱いてしまうし、二人目の赤ちゃんを産んでも、なんとなく遣り方が解ったくらいで、三人目を産んで、やっと「こうすれば良かったんだ!」というのが解るものなのだ。助産婦だって、いくら学校で助産学を学んでも、実際に自分が3回以上出産しないと、出産の本当の所は解らないのだ。

●自主性を持てば、どんな出産でも後悔しなくなる

 女性にとって出産というのは、3回以上経験してみないと、ちゃんと理解できないのである。いくら出産の知識を頭に詰め込んだ所で、体が自由に動いてくれないのだ。自分が納得しうる出産に至るまでは、誰がどうやろうと3回の出産を経験しなければならないのである。

 男性の産婦人科医は、いくら産婦人科医を勤めたとしても、自分が妊娠することも、出産することもない。そのため、出産も早く産んでしまえばいいと思いがちだ。しかし、そうではないのである。どの産婦も試行錯誤しながら、自分にベストと思える出産を探っているのであり、それが解るまでには3回の出産を経なければならないのだ。女性の産婦人科医といえども、自分が結婚して、3回以上の出産を経験しなければ、自分にベストと思える出産を探り当てることができないのだ。

 このことは助産婦も決して変わらないのだ。自分が試行錯誤してベストと思えるものを探りあてたからこそ、妊婦や産婦に対しても奉仕していくことができるのである。人間はどんなジャンルでも一流のレベルに達すれば、自己中心的に振る舞うのが消滅し、他人に対して慈愛を持つようになり、他人に奉仕する喜びに目覚めるものなのだ。

 初めての妊娠なら、これから出産しようとする産婦は、不安で一杯なのだ。そういう産婦に対しても、「大丈夫だよ、きっと巧く行きますよ」と励まし、出産の主人公として表舞台に立たしてあげるのである。出産の知識もテクニックも知っている助産婦が、産婦のバックアップに回るからこそ、産婦は心置きなく、全身全霊を出して出産を行うことができるのである。

 出産というのは、産婦が主体性を持って行えば、どんな出産でも後悔しなくなるものなのだ。出産のみならず、人生における様々な出来事の中で起こる最大の悔恨は、自分が主体性を持って自分の人生を生きることができなかった時に生ずるのだ。自分の人生に後悔してしまう女性たちに共通することは、自分を自分の人生の主人公にしていないことなのだ。常に誰かに頼り、誰かの考えに従ってしまい、誰かの言いなりになってしまうのである。

 出産というのは、いかなる女性が出産した所で、赤ちゃんを産むのは、自分自身なのである。だったら、自分を出産の主人公になればいいのだ。出産の権限をすべて自分に集中させて、全身全霊で出産していけばいいのだ。人間は自分の決断でしたことに関しては、どのような結果が出ても後悔はしないものだ。後ろ向きの人生にオサラバしよう。自分の人生の主人公になろう。そして自分の出産の主人公になろう。自分自身のためにも。自分の夫のためにも。そして産まれてくる赤ちゃんのためにも。

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コメント

はじめまして、タマティー様

現在37週の第2子妊娠中の花と申します。

タマティー様に教えて頂いた事を実行し、第1子は大安産で
その後も元気にすくすく成長しています。

本当に深く感謝しています。
ありがとうございます。


まもなく第2子の出産となった今、一つ困ったことが起こり
ぜひタマティー様の考えを聞かせて頂ければと思っています。

GBS検査で陽性(1+)との結果になり
助産院での出産は自己責任に基づく判断と言われました。

病院では、陽性で助産院希望なんてそんな無謀なことをする?と言われ不安はMAXです・・・

GBS陽性での分娩で、点滴の有無がどれくらいリスクを下げるのか、また前回は急な陣痛で病院に着いて1時間弱の出産だったので
もし今回も短時間出産ならば点滴の効果が間に合わず
助産院で出産しても同じだった・・となりそうで
決断できずにいます。

そもそもGBS陽性がどれくらいリスクを伴う出産なのか
もよくわかりません。

もちろん最後は自分で決めなければいけませんが
不安ばかり先立ち冷静に判断できていません。

タマティー様の考えをお聞かせ願えればと思います。

よろしくお願いします!

投稿: 花 | 2014年9月28日 (日) 22時21分

花さん、誰にどう言われようが、妊娠中はとにかく歩きましょう!happy01

多分、体温が下がっているんだろうと思う。
妊娠中はとにかく長袖長ズボンを着て、肌を露出しないことです。

根菜類や肉や魚をしっかりと食べて、体を内部から温めるようにすることです。

それと妊娠の終盤に小便を頻繁にしたくなる時期があるのですが、この時期に水をガブ飲みすると、それだけで体内は冷えてしまい、それで危険な出産になる可能性が出てきます。
白湯なり、体を温める物を飲むようにすることです。


「自己責任」と言われたのなら、
「だったら私が責任を取りましょう」ぐらいの大きな気持ちでいることです。

投稿: タマティー | 2014年9月29日 (月) 06時45分

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