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第六章 身重になったら、生活だって変わります

出産するなら病院ではなく、助産院で!

●助産婦だからこそ解ること

 「自然的マタニティーライフ」では、戦後首尾一貫して行われてきた病院での出産に反対して「健康だからこそ妊娠できる。それゆえに、医者の手を借りずに健康的に出産しよう!」というテーマを貫いている。だからこそ、論理的必然性を以て、病院での出産を拒否し、助産院での出産を勧めていくことになる。

 病院で出産するのも、助産院で出産するのも、同じではないかと思う女性たちがいるならば、病院での出産と、助産院での出産の決定的違いに気づいてほしい。医者たちは妊娠や出産が病気だからこそ、妊婦たちを病院に通院させ、病院で出産させるのである。それゆえに、病院での出産は、医者が健康な筈の妊婦を病人に仕立て上げ、通常なら安産な筈の出産が非常にリスクの高い危険な難産になってしまうのだ。

 言っておくが、妊娠や出産は、その女性が健康だからこそできることなのである。その女性の体が健康でなければ妊娠などできず、不妊症で苦しむことになるし、その女性の体が健康でなければ出産などできず、流産してしまうことになることだろう。その女性が妊娠し、臨月まで無事に過ごせたということは、その女性の体が健康だったからこそなのである。だから、妊婦は病院に行って、治療のプロである医者に妊娠や出産を任せるべきではなく、妊娠や出産のプロである助産婦に妊娠や出産を任せるべきなのである。

 現在、産婦人科医では殺人医療が繰り返されて多くの妊産婦が死亡してしまい、多くの病院では産婦人科医の不足に悩まされているが、医者が妊娠や出産に手を出すべきではないのに、そこに手を出すからこそ、殺人医療を繰り返し、産婦人科医が不足してしまうのである。医者は病気を治療することに専念すべきであって、病気の治療でもない分野に手を出せば、醜態を晒け出し、人材が不足するのは当然なのだ。

 この決定的な違いの他にも、産婦人科医の多くは男性で、助産婦は女性であるという決定的な違いがある。妊娠も出産も女性の体に起こる特有なことである。人類は有史以来、多くの出来事を積み重ねてきたが、未だに男性が妊娠したという事件は発生していないし、増してや男性が出産したという事件にも遭遇していない。

 助産婦が女性だからこそ、妊娠や出産の経験を共有することができるのである。男性がいくら妊娠や出産のことに携わったとしても、その男性がいくら研究熱心でも、知恵や知識を持つことでしか迫れないのだ、勿論、その研究成果は、女性の妊娠や出産を安全に行うために貢献することはできるであろう。しかし、女性であるなら、頭が良かろうが悪かろうが、経験してしまえば簡単に解ることなのである。そして、同じ経験を共有したからこそ、解り合えるのだ。だからこそ、助産婦が女性だからこそ、男性の医者とでは話せない話もできるのだ。

 俺は今まで通常の使用法とは異なって、「助産婦」という用語を用いてきた。助産婦の呼び名は、現在では「助産師」に変えられている。俺はこの助産師という呼び名には反対している。この助産師では男女の区別がつかず、将来的に男性の助産師も認めようとする魂胆が明確に現われているからだ。助産婦は女性に限定すべきである。将来、助産師になれる条件に男女の性別を問わないようになり、男性の助産師が誕生してきたら、現在の産婦人科医がやっているように殺人医療を展開し始める筈だ。

 大体、「師」という漢字がつく言葉には碌なものがない。「ペテン師」「詐欺師」「イカサマ師」といった具合で、善良なる人々を騙すという共通項がある。それもその筈で、「師」という漢字の語源を探ってみると、「敵を処罰する目的で祭肉を生じて出発する軍隊」を意味なのである。言わば、戦争を行うことであるから、その際、いかなる陰謀や謀略も許されるのだ。だからこそ、日本で「師」という漢字が使われている単語を調べてみると、どれも碌でもないのだ。「軍師」はまさに戦争で陰謀と謀略を担当するし、「師匠」と言われる人々は、大抵、自分の地位を守るために盛んに陰謀や謀略を繰り返している。それゆえ、助産婦を「助産師」という用語にしてしまえば、将来「医師」と同じく陰謀と謀略を繰り返す邪悪な職業になってしまうことだろう。

●人工分娩と自然出産の決定的な違い

 さて、助産院では帝王切開手術を行うことが法律で禁止されているので、助産院では自然出産しかできない。それに対し病院では、医者の個人的判断で人工分娩に持ち込んでしまうことが可能だ。必要もないのに帝王切開手術を行うし、必要もないのに陣痛促進剤を使って、出産する時間を早めてしまう。この自然出産と人工分娩は、その妊産婦にとっては、その後の人生に決定的な違いをもたらしてしまうのだ。

 出産を自然出産ですると、お腹の赤ちゃんが産道を通る際に、脳内から大量の母性ホルモンが分泌され始め、母性ホルモンのシャワーがその女性の全身に浴びせられてしまうのだ。この母性ホルモンのシャワーを浴びるからこそ、その産婦がいかにも母親らしい体つきになり、心の中から母性愛が湧き出してくるようになるのだ。

 帝王切開手術で産んでしまった場合はこうはならず、脳内から母性ホルモンが分泌されることなく、出産してしまうのだ。そのため、無事に出産できたとしても、その女性がまとまな母親になってくれず、赤ちゃんに愛情を持てなくなってしまうのだ。こういう母親に育てられてしまうと、赤ちゃんは感情をなくしてしまい、無表情の子供に育ってしまうのだ。

 陣痛促進剤を使用して出産した場合は、その陣痛促進剤の副作用で著しく母性ホルモンの分泌が抑えられてしまい、そのため、無事に赤ちゃんを出産したとしても、母性愛が非常に弱く、育児に全然自信を持てない母親になってしまうのだ。先進国では児童虐待が問題になっているが、その多くの母親たちは出産時に陣痛促進剤を使用して我が子を産んでしまったのだ。だからこそ、我が子に愛情を注ぐのではなく、虐待を働いてしまうのである。

 妊娠や出産は可能な限り自然に任せるべきなのだ。自然出産をすれば、母性ホルモンが大量に獲得できるので、その後の育児で「子育て=最高の快感」となるように脳内が変質してしまい、育児が最高に楽しいものになってしまい、育児が非常にスムーズにいくようになるのだ。母性ホルモンが充分に分泌されれば、自然に育児が巧く行くのだ。これこそが人類が今までやってきたことなのである。それなのに医者が妊娠や出産に手を出すようになってから、母親たちは育児で自信を失ってしまい、出産経験があるのに母親になろうとしなくなってしまったのだ。子供たちの幸福も悲劇も、その多くが出産時に決定されてしまうのである。

●産みの苦しみがあるからこそ、その後の育児に自信が持てる

 西洋医学は古代ギリシャに発して、その後、キリスト教の影響を直撃してきたために、キリスト教の教義にある「妊娠=罪悪」という図式を隠し持っているのだ。キリスト教の経典によると、ユダヤ民族の始祖とされたアダムとイブがエデンの園で原罪を犯したので、その罰として男性は労働を課せられ、女性は産みの苦しみを課せられたというのである。

 そのため、西洋医学の医者たちは、自分の労働の負担を最大限軽減させようと、産婦の自然な出産の時期を待つのではなく、帝王切開手術を行ったり、陣痛促進剤を使用して、労働を軽減させようとしてくるのだ。また、これらの行為は産婦に対しても産みの苦しみをなくさせることになるので、原罪からの解放ということでは、寧ろ正当な行為なのだ。中には産婦に麻酔を注射して、産婦に痛みを感じることなく、出産させてしまう医者たちもいるのだ。

 帝王切開手術も、陣痛促進剤も、麻酔の使用も、キリスト教なくして決して生み出されることはなかったのである。事実、キリスト教が伝来していない国々ではこんな危険極まりない出産を行うことなどないのである。キリスト教の信者たちがこの危険な出産方法を取ることは別に構わないが、キリスト教の信者でない者たちには、これらの危険な出産を行うことは法律で禁止されるべきである。

 産みの苦しみというものは、非常に大事なのである。産みの苦しみがあるからこそ、母親はその後の育児に自信を持てるのだ。自分がお腹を痛めて産んだ子供だからこそ、大切に育てていこうと思うのは当然なことなのだ。育児本を読ませて、「このように育児をせよ」と教えるよりも、出産時に産みの苦しみを味わえば、我が子を大事に育てようという感情が自然に湧き出してくるのだ。

 人間は苦しみを経ないと、その成果を大切にしないものなのだ。学校の勉強は苦しいといえば苦しいものである。しかし、苦しい経験を経て獲得した知識だからこそ、その知識を大切にしようとするものなのだ。スポーツ選手が試合に勝つために練習するのは苦しいものである。しかし、その苦しい練習をしなければ、試合に勝つだけの体力を作ることは決してできないのだ。

 人生経験の浅い人々は、いつも苦しみから逃れようとしてしまう。、その苦しみの先に、大きな楽しみがあっても、目の前の苦しみが回避してしまうのだ。人間の人生は、仏教が言うように「一切皆苦」ではないのだ。苦しみがあるから楽しみがあり、楽しみがあるこそ苦しみがあるのだ。しかし、その苦しみを消してしまうと、楽しみも消えてしまうのだ。我々は苦しみから解脱しようという幼稚な考えをするのではなく、人間として経験しなければならない苦しみはちゃんと経験しておこうという覚悟を決めるべきなのだ。

●苦しみを消すことよりも、前進して自分を変えていくこと!

 どんなに大雨が降り続いても、雨はいつまでも降り続くものではないのだ。どんなに雨が降っれも、必ず雨はやみ、その後に快晴が天空を覆うようになるのだ。いくら大雪が降り続いても、雪はいつまでも降り続けるものではないのだ。どんなに雪が降っても、春になれば雪は溶け、草花が大地を覆うようになるのだ。

 人間の人生もそれと同じで、苦しみを経験するからこそ、更なる楽しみを手にすることができるのだ。苦しみを回避して、現在の小さな楽しみの中にいたら、いつまでも成長できないのだ。敢えて苦しみを経験しようとする勇気こそが、大きな楽しみを獲得することができるようになり、自分を飛躍的に成長させてくれる原動力になるのだ。

 人間の人生は、苦しみや楽しみを繰り返しながら、成長していく人生なのだ。精神レベルの低い人間たちは、目の前に訪れてくる苦しみを消してしまおうと考えがちだ。苦しみを消してしまえば、苦しみが消えるだけでなく、その代償として自分が成長できなくなってしまうのだ。大事なことは、苦しみを消すことよりも、前進していくことなのだ。現時点でとどまっていれば不満を抱えていたとしても、前進してしまえば、自分が変わってしまい、抱えていた不満など吹き飛んでしまうものなのだ。自分が変わると、今まで不満として描いていた世界も、まったく別のものに変わってしまうのだ!

 自然出産をした女性たちは、出産という産みの苦しみを味わったからこそ、自分が変わってしまい、単なる女性から、その子供にとって唯一の母親に変わっていったのである。今まで経験したことのない世界が、自分の目の前に広がってきたのである。自然出産をしなければ獲得できない楽しみや幸せを手にすることができたのである。

 人工分娩で産んでしまうと、この大事なことがなくなってしまうのだ。産みの苦しみを回避してしまえば、その後の先にある大きな楽しみや幸せを得ることができなくなってしまうのだ。出産はただ単に赤ちゃんを産めばいいのではないのだ。人間は野獣ではないのだ。人間は機械ではないのだ。出産を通して、その女性の心身に劇的な変化が訪れてくるのである。自然分娩はその劇的な変化を引き起こしてくれる大事なものなのだ。助産院で出産するか、病院で出産するかは、その妊婦の選択に任されている。しかし、どこで産めばいいかの答えは、もはや一つしかないのだ。

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コメント

タマティーさん

現在臨月で、来週、予定帝王切開にて出産をすることになっているレッサーと申します。
妊娠初期からタマティーさんのブログを何度も拝見させて頂いてました(*^^*)

元々はわたしも自然分娩を希望していて
(というか、最初から帝王切開を希望する妊婦は居ないと思います。)
タマティーさんのブログを参考に
ツワリの時期は天日塩を摂取したり
旬のフルーツや野菜を積極的に食べてきました。おかげ様でツワリもあっという間に終わり、症状が日に日に軽くなりました。
一番効いたなと自分で実感しましたのは
梅干しの黒焼きと、黒炒り玄米茶を飲んで
体内をアルカリ性に傾ける努力ができた事かもしれません。
本当にタマティーさんのブログには
妊娠中助けて貰いました。ありがとうございます。

ところで、帝王切開についてなのですが
私の場合、子宮筋腫合併妊娠で
元々は出産に影響がない大きさや場所で
自然分娩が可能であると医師から告げられてました。そもそも子宮筋腫がなければ、できれば助産院で出産希望していたくらい
医者が大嫌いな人間なんです。
ところが、週数が進むにつれ、子宮筋腫も大きくなってしまい、はじめは3センチだったものが、移動して今は胎児の頭の真下に直径10センチ以上もあります。゚(゚´Д`゚)゚。
先週は帝王切開が本決まりになる最後の検診だったのですが、内診してもらった所
完全に子宮口を蓋するように塞いでしまってると言われました。

そこで質問なのですが、私の場合
帝王切開は99%必要ではない手術と
以前の記事で仰ってましてが
残りの1%にあたると、諦めるしかありませんか?

それと、もし可能であれば
帝王切開でもベストになるようなお産に
状態を持って行くための何かアドバイスなどあれば教えて貰いたいと思っています。

本当に自然分娩したかったです(泣)

投稿: レッサー385 | 2016年9月13日 (火) 00時32分

レッサー385さん、何か自分が恐れている事があると、本当にその恐れていた事が起ってしまうもんですよ。
今回のその典型例ですな。

「私は自然分娩で行く!」
と真剣に成れば、自然分娩。
「私は帝王切開で行くかもしれない」
と弱気に成れば、帝王切開。

そんなもんです。

まずはお腹の中の赤ちゃんに、
「自然分娩で生まれて来てね!」
と毎日お願いしましょう。
そして「歩く!」「家事をする!」「安産スッポン運動!」を毎日行う。
出来れば「山登り」をする。(とはいっても、最近は秋の長雨なのですが)

こういう事をやっていれば、赤ちゃんは子宮口に何があろうとも出て来ます。

母親が頭でっかちだと、赤ちゃんの頭の前に邪魔な物が出来てしまうもんですよ。

投稿: タマティー | 2016年9月13日 (火) 05時27分

ナルホド。確かに仰る通り、妊娠中を通して自分の行動を振り返ってみると
アタマデッカチだったほかもしれません。

ヒプノセラピーの一環で、ヒプノバージングという自然分娩の出産方法を学ぶ研修を旦那と受講したり、自分の中ではイメージ療法もトライしてしたのですが、逆にその裏側に「恐れ」が拭いきれてなかったのかもしれません…。

ただ、あと1週間なので
やれることはやってみますが
帝王切開になっても
母としてやり切った!と思えるように
出産の時を受け入れたいと思います。

お忙しい中ご丁寧にご返信ありがとうございました。

投稿: レッサー385 | 2016年9月13日 (火) 09時31分

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