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2009年2月

出産祝福パーティー ~夫は妻の苦労をねぎらい、出産の記憶を「最高の快感」にしてしまおう!~

●助産院の最後の夜の出産祝福パーティー

 無事に赤ちゃんを出産して、助産院での宿泊が最後となった夜に、是非ともやってほしいのが、「出産祝福パーティー」だ。母子ともに健康で出産を終えることをできたことを、神に感謝し、その最大の功労者である新米ママを賞賛してあげるのだ。無事に出産できるのを当たり前だと思ってはならない。出産は死の危険性が伴う行為なのだ。その出産を無事に出産できたのなら、祝福してあげるのが当然なのだ。

 出産祝福パーティーはささやかなものでいいのだ。なぜなら、出席者は無事に出産を終えた夫婦と、助産婦と、夫婦の親族ぐらいだからだ。無理に豪華に行うのではなく、無事に出産できたこと、心から祝ってあげられることのできる人々を集め、新米ママを祝福してあげればいいのだ。大事なのは、「気持ち」なのだ。

 但し、ケーキは、白砂糖のケーキではなく、黒砂糖か蜂蜜でケーキを作ることだ。白砂糖のケーキを食べると、立ち所に母乳の出が悪くなってしまうからだ。お酒は可能な限り控えた方がいい、もしも飲むなら「シャンパン」がいい。母乳のことを考えるとグラス1杯どまりにしておいた方がいい。

 助産院も、こういうパーティーを事前にオプションとして組み込んでおいてほしいものだ。そうすれば出産は楽しくなるし、その夫婦は確実にリピーターになるし、その噂を聞きつけて助産院で出産したいという夫婦たちが増えて来ることだろう。ただ、出産だけすればいいという考えでは、先細りになってしまうだけだろう。出産は楽しいからこそ行うものなのである。

 もしも、助産院が狭くて、パーティーを助産院でできなかったら、自宅で行うべきだろう。夫はとにもかくにも妻の働きをねぎらってあげることは絶対に重要である。出産に立ち会えば、妻がどんなに苦労して出産したかが解ることであろう。だったらそれを当たり前の物として受け止めず、その苦労をねぎらい、妻を褒めてあげることだ。

●出産の記憶を「最高の快感」にしてしまう

 人間には自分の限界を超えた働きをした場合、褒美を貰えなくても、その働きの苦労を解ってほしいという願望があるのだ。この願望を満たしてあげないと、人間は凄まじい不満を抱いてしまうのだ。それゆえ、出産した妻に対して、その出産の苦労をねぎらってあげると、妻の不満が一瞬にして解消され、出産の記憶が「最高の快感」になってしまうのだ。

 妻の脳の中で、出産は大変だったけど、出産は「最高の快感だった」と、脳が思い込んでしまえば、その後、妻の口から出産の苦労話を延々と聞かされることはなくなるのだ。妻の出産の苦労話は夫にだけ言っているのではなく、子供たちにも延々と言っているのだ。妻は自分の苦労を他人に理解してもらえなかったばっかりに、凄まじい不満を抱き続けてしまうのだ。

 だから出産祝福パーティーを行って、妻の出産の記憶を最高の快感にしてしまうと、育児も最高の快感の連続になってしまうのだ。妻の脳の中では、「出産は大変だったけど、出産して夫も喜んでくれたし、出産は最高の快感だった。だから、育児も大変だけど、夫に喜んで貰える可能性があるので、再び出産をしても今回と同じく最高の快感になるだろう」と、思うようになってしまうのだ。

 出産してから、夫婦の関係に亀裂が入ったり、どうも夫婦関係がギクシャクしてしまうとうのであるならば、それは夫が妻の苦労をねぎらっていないからなのだ。出産したら、高価なプレゼントをするよりも、ただ自分の苦労をねぎらってほしいのだ。それをしてくれないと、妻の脳の中では出産は大変なものという記憶だけが残り、妻は心の中で凄まじい不満を抱いてしまい、その不満が育児にだけでなく、夫婦関係にまで悪影響を及ぼしてくるのだ。

 特に初産の場合、出産が初めてということで、夫婦双方が妊娠や出産のことで色々なことを知っておかなければならないために、頭の中がパンパンになっていて、ついつい人間の感情面を蔑ろにしてしまいがちなのだ。人間の脳の中に知識を過剰に詰め込むと、「それができて当然だろ」という冷酷な対応の仕方を取ってしまうものなのだ。偏差値の高い大学を卒業した男性は、ついついこの対応の仕方を取ってしまうから要注意なのだ。その対応の仕方で、その後の夫婦関係が決定的に最悪な形で決まってしまうからだ。

●出産祝福パーティーを準備するのは、夫の仕事

 原則として、出産祝福パーティーを準備するのは、夫の仕事だ。出産に立ち会えば解ると思うだろうが、夫は出産では大した働きをなしていないのだ。夫にとって大した働きは、妻を妊娠させることと、働いて出産費用を稼いでくることなのだ。だが、妻の方が出産で頭の中が一杯になっており、その子種は夫のものであり、出産費用は夫が負担したということをほとんど忘れているのだ。特に出産費用に関しては完全に忘れているのだ。

 下手をすると、出産時に何もしなかったということで、妻の八当たりに合うことだってあるのだ。だから、妻の前で働く姿を見せ、出産祝福パーティーを準備し、妻の脳の中に出産時でも夫は妻のために働いたということを記憶づけてしまおう。肩肘を張らなくても、初めての出産の喜びを、自分なりに表現していけばいいのだ。

 出産祝福パーティーで、妻の出産の苦労に報いてあげよう。大事なことは、その気持ちを伝えることであって、その気持ちが伝わってくるだけで妻は嬉しい楽しくなるし、感動になるのだ。できれば、夫は自分の思いを綴った手紙を書き上げ、それを妻の前で読み上げることだ。こういうことをされて嫌になる女性はいないだろう。恐らく妻は感動の涙を流してくることだろう。

 いくら出産で手柄をあげたからといって、お金を渡したり、宝石などのプレゼントを渡すべきではない。この出産の祝福はそういう類のものではなく、精神的なものなのだ。欲望を満たすのではなく、充足感を満たしてあげるべきものなのだ。自分がいつも欲望だけで生きているような男性は、こういう精神的な充足感の大切さが解っていないので、自分も精神的に成長して、この喜びを共有できるような男性になることだ。

 出産祝福パーティーは、妻のために行われるのであるが、この場を借りて、助産婦さんにもその働きをねぎらっておこう。母子ともに無事に出産できたことを当たり前だと思ってはならない。病院で出産すれば、遥かに悲惨な出産の仕方を強いられるし、自分が産んだ赤ちゃんが保育器送りになってしまうことだってあるのだ。今ここに母子ともに健康でいられることに感謝し、母子ともに健康で出産させてくれた助産婦さんに感謝を述べておくのは、人間として当然の倫理的行為である。

●初めての帰宅

 助産院で最後の夜を過ごせば、やっと自宅に帰宅することができる。助産院から帰宅する時は、正装で帰宅した方がいい。赤ちゃんには初めての帰宅になるので、最初の時にビシッとしないと、後はダラダラとした子育てになってしまうからだ。できれば、夫婦揃って正装して、自宅の前で写真を撮って記念を残しておこう。

 赤ちゃんにとっては、「お帰りなさい、そして初めまして」なのだ。赤ちゃんはこの家で育児を受け、親離れするまで両親と一緒に暮らすことになるのだ。妻は赤ちゃんを抱いて家の各部屋を回って、赤ちゃんに家の臭いを嗅がしておこう。こうすると、赤ちゃんの免疫力は鍛えられ、アレルギー反応が起こりにくなるのだ。特に家の中でもっとも臭い便所に連れていき、その便所の臭いを嗅がしておくことだ。そうすると、赤ちゃんは健康に育つ可能性が高くなるのだ。

 助産院から帰宅して、自宅の中が掃除されていないことに気づいても、決して怒らないことだ。男というのは、そういうものなのだ。仕事場を掃除することはできても、自宅を掃除することが不得手なのだ。助産院から帰宅しても、すぐに休んでしまうのではなく、家事をテキパキとこなしてしまうことだ。

 ひと段落ついたら、将来のために、赤ちゃんに「メッセージビデオ」を作っておこう。初めて我が子を連れて帰宅した時、お父さんとお母さんはどのような気持であったかを、言葉に出して残しておくのだ。子供も反抗期が始まると、自分は一人で生まれてきたものだと勘違い仕出すので、親に反抗してきたら、このメッセージビデオを見せてやり、その勘違いを徹底的に破壊することだ。

 人間は幸せな記憶よりも、不幸の記憶を多く残してしまうものなのだ。だから両親に愛情を以て育てられても、些細な不幸を自分の脳内で大きくしてしまい、自分を不幸だと思い込んでしまうのだ。だから、幸せな記憶をより多く残しておき、不幸の記憶を払拭していくべきなのだ。そうやって、子供たちの脳の中で幸せな記憶を多くしていくと、将来、その子たちは「自分も両親のように幸せな結婚をして、子供を産み育てていきたい!」と思うようになるのだ。こうして、幸せは両親から子供たちへと受け継がれ、幸せは更なる幸せを呼んで、益々幸せになっていくのだ。

 タマティーからのお知らせ 

 今までこのブログのデータが多くて、ブログのページを開けるのに時間がかかっていたのですが、ここ1週間、悪戦苦闘して、なんとか修理を施しまして、ブログのページを開けるのが短時間で済むようになりました。

 今までブログの見るのに時間を取っていましたが、便利になったので、今後も気にいったら見てくださいね。

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良いお産は良い育児に繋がり、悪いお産は悪い育児に繋がる

●母親にとっての赤ちゃんの第一印象が大事

 今まで『幸せ色の出産ラブストーリー』では、赤ちゃんを安産で産めるように拘ってきたが、「なぜ、そこまで安産に拘るのか?」という疑問を持つ女性も多いことだろう。安産というのは、出産時の出産の状態を指すだけではなく、その後の育児にまで圧倒的な影響を及ぼしてくるからだ。

 何事をするにしても、女性にとって「第一印象」は非常に重要になる。というのは、女性は第一印象で得た印象を、その後どんなことがあっても変えることはないからだ。女性が男性と恋愛する時、第一印象の良し悪しで「この男性と付き合うべきか」「この男性と付き合わないべきか」という思考が無意識のうちに行われてしまい、第一印象の段階で早々に結論が出されてしまうのだ。そして、その結論はその後、男性が一体何をしようとしたとしても覆されることがないのだ。

 育児もまったくこれと同じで、赤ちゃんに対する第一印象が良ければ、母親は育児をきちんと励もうという意欲が湧いてくるのであって、その後、その赤ちゃんがどんな病気をしようが、どんな事件に巻き込まれても、最初の出会いさえよければ、深い愛情を注ぎ続けるのだ。

 これは男性脳と女性脳の明確な違いでもあり、男性だったら第一印象が悪くても、その後、努力して改善していけばいいではないかと思ってしまいがちだが、女性にとってはそうはいかないのだ。女性は筋肉量は男性よりも少ないし、運動神経も劣っているのだ。そこで相手を瞬時に敵か味方かに識別して、自分の安全を確保しなければならないのだ。

 女性がこういう女性脳を持っている以上、その産婦が出産直後の赤ちゃんの第一印象を良くするようにすべきであって、出産は全力を尽くして安産に持ち込むべきであって、しかも出産後に長らく産婦と赤ちゃんの一緒にいさせて、その第一印象を決定的なものにさせてあげなければならないのだ。

 病院で出産すると、ただ単に赤ちゃんを産めばいいだろうと思って、強制的な出産の仕方を取ってくるし、出産後はすぐさま母子分離をさせてしまうので、産婦が第一印象を悪くしてしまい、その後の育児でトラブルが発生しつづけてしまうのだ。「病院で出産すると赤ちゃんは病気がちになる」と母親たちはいうのだが、それは赤ちゃんを強制的な出産で出産させたことと、母親の赤ちゃんに対する第一印象が余りにも悪すぎるために、育児に真剣に取り組めないからなのだ。そうなれば、どうしたって赤ちゃんは病気がちになってしまうのだ。

●良いお産だからこそ、母子ともに健康になれる

 出産の最低条件は、「母子ともに健康であること」にあるのだ。出産して母親が健康でありさえすれば、その後の育児にきちんと取り組めるのだ。赤ちゃんも出生直後に健康だと、その後もその健康は維持されるのだ。これは多くの母親たちが出産と育児を経験していって獲得した「偉大な経験則」であるのだ。誰がどうやろうとも、出産と育児を経験するなら、この結論に辿り着いてしまうのだ。

 妊娠中は「快食」「快眠」「快便」に心がけ、運動をして筋肉量を増やし血行を良くしておいて、出産に臨めばいいのである。妊婦なら妊娠中にすべきことをしておけば、誰だって安産で出産することができるようになるのだ。良いお産だからこそ、母子とも健康になれ、その後の育児が順調に行くのである。

 出産後に産婦というのは体調を回復させるのに時間がかかるというのは、昔から知られていることなのである。だからこそ、体調が万全である妊娠中に体を鍛えておいて、出産後の体力低下を最小限に食い止めておけばいいのだ。そうすれば、産褥熱などの産後の特有の病気に侵されることがなくなるのだ。

 嘗ての日本で産褥熱が産婦の命取りになってしまったのは、仏教の影響を受けて肉食を禁止したために、必要最低限の動物性蛋白質が不足し、女性の筋肉量が少なかったからなのだ。明治維新で廃仏毀釈を行い、肉食の禁止を解いたら、産婦が産褥熱で死亡するということは激減していったのである。

 人間は歴史の制約を受けてしまう動物である。だから、一体どうすれば良いお産をすることができるのか、自分で探り出していけばいいのだ。助産婦や医者にすべてを任してしまうのではなく、自分で調べられることは自分で調べ、自分で考え、自分で行動し、自分で試行錯誤しながら、自分にベストだと思えるお産の仕方を探り当てていけばいいのだ。何も肩肘を張ることはない。これはゲームだと思って、楽しく取り組んでいけばいいのだ。

●悪いお産は母子ともに病気を患ってしまう

 悪いお産の怖さは、母子ともに病気になり、母子ともに共倒れになってしまうことなのだ。悪いお産をしたために、母親の体調が一向にすぐれず、育児に向けるパワーがなかなか出てこなくなってしまうのだ。しかも、悪いお産だと赤ちゃんも病気がちになってしまうので、いつも不安だらけになってしまうのだ。

 妊娠期間を無駄に過ごしてしまうと、それは出産の失敗と現われ、その失敗をなかなかカバーすることができなくなるのだ。妊娠中に体を鍛えておき、妊婦として勉強すべきことを勉強していたら、多少の失敗なら、それへの対応策を知っているものだ。しかし、妊娠期間を無駄に過ごしていたら、失敗が発生しても、一体何をすべきか解らなくなってしまうのだ。

 いくら情報過多の時代になっても、情報を集める気のない人にとっては、必要な情報を得ることができないのである。これはこの世がどんなに便利になっても必ず起こっている現象なのだ。妊婦が知らなければならない知識を知らなければ、いかなる悲劇を経験した所で、それはその妊婦が悪いからこそ招いてしまった事態なのである。

 何も理想の出産などしなくてもいいのだ。自分にとって最低限の出産の仕方を定めておき、それを下回らない努力をすればいいのだ。出産の最低条件とは、「母子ともに健康であること」なのだ。ということは、「母子ともに病気をしないということ」なのだ。この最低条件を引いておけば、そう悪い出産にはならない筈だ。

 たとえ最初の出産が巧く行かなくても、次にチャレンジしていけばいいのだ。最初から巧く行く方がおかしいのだ。何度も妊娠と出産にチャレンジしていけば、自分が納得いく妊娠や出産ができるようになり、それで次のステージに上がっていくことができるのだ。赤ちゃんを1人や2人しか生まなかったら、自分が納得できる妊娠や出産などできる筈がないのだ。

●出産の記憶は、生涯言い続けることになる

 出産の記憶の恐ろしさは、その母親が生涯にわたって言い続けることにあるのだ。良いお産であるなら、第一印象が良かったので、その赤ちゃんが多少の病気をした所で、母親はその対処を快く行ってしまい、健康に育てていくことができるのだ。そして、その子が大きくなったら、事あるごとに「お前を産んだ時は、安産でお産は楽だったよ」と笑顔で話してくるのだ。

 悪いお産をしようものなら、こうはいかないのだ。悪いお産は、その母親が生きている限り、「お前を産んだ時は、非常に苦しんだ」ということを、自分の子供たちに言い続けてしまうのだ。悪いお産なら、赤ちゃんへの第一印象が悪いために、その赤ちゃんが多少の病気をしても、深刻に捕えてしまい、その対処法が的確でないものを選んで施してしまうのだ。第一印象が悪かったたために、母親の心の中で健康に育てていく自信がなくなってしまい、より多くの病気を呼び込んでしまうのだ。

 悪いお産の話を常に聞かされる息子や娘たちにとって、母親の話は心地いいものではない筈だ。妊娠や出産や育児にネガティブなイメージを持ち続けてしまうし、母親に対する愛情も薄れてしまうし、結婚をしないで独身を貫いてしまうという結果にだってなることだろう。悪いお産をしてしまうと、その悪影響が子供たちの人生にまで及んでくるのである。

 まさに「女性の執念深さ」、そのくせ、妊娠や出産に拘ろうとしないのだ。妊娠や出産を失敗してから、その失敗に執念深くなっても何も解決しないのだ。失敗を解決したいなら、どうして妊娠や出産で失敗してしまったのだろうと考えて、その原因を探っていき、その原因が解ったら、再びチャレンジしていけばいいのだ。執念深くなって、悪いお産だったと言い続けても何も解決しないのだ。寧ろ事態は悪化していくだけなのだ。

 女性には女性脳があり、その女性脳は第一印象を大事にするのだから、自分の出産を可能な限り良いお産に持っていけばいいのだ。良いお産は自分のお産を安産にするだけでなく、良いお産は出産の経験が良かったために、その後の育児も巧くいき、その子供たちの人生も巧く行き始めるのだ。そしてその子供たちが大きくなった時、「自分たちもお母さんのように、良いお産をして、赤ちゃんを育てたい!」という意欲が湧いてくるのだ。自分の幸せは決して自分一人に納まるものではないのだ。幸せは更なる幸せを呼ぶのだ。

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神の見えざる力を見た瞬間

●どうして、女性は出産すると、人格が変わるのか?

 女性は出産すると、人格が変わり始める。これは女性の体内から「母性ホルモン」が分泌され始めてからであって、しかも出産時に大量の母性ホルモンが照射されたので、出産直後から女性の人格が変わり始めるのである。勿論、この人格の変化はいい方向での変化である。この変化がなければ、その女性はちゃんとした母親に成長してくれないからだ。

 この母性ホルモンの分泌による人格の変化こそは非常に重要で、自分が赤ちゃんの姿形を見て、赤ちゃんの声を聞き、赤ちゃんの世話をすればするほど、母性ホルモンが分泌され続けるので、育児に充てる時間が長ければ長いほど、猛スピードで母親らしい母親になっていくのだ。

 これに加えて出産それ自体が女性にとっての通過儀礼であるということなのである。女性は出産を経験することで、やっと一人前の女性になることができるのである。嘗て、文化人類学者たちは世界中の民族の生活を調べ上げた結果、どの民族にも男性には通過儀礼があるのに、女性には通過儀礼がないことを発見した。これは男性には死を覚悟させるような体験をさせないと一人前の男になれないが、女性は出産すれば一人前の女になれるということでは、どの民族も普遍的な構造になっていたのだ。

 女性にとっては、出産は死の危険が伴う経験なので、この出産を経験することによって、初めて一人前の女性になることができ、母親たちの仲間入りをすることができるのである。そして、女性は母親たちの仲間入りをすることで、それまでの幼稚な考え方を捨て、精神レベルの高い考え方を身につけ、精神的にも母親になっていくのである。

 近代国家の女性たちは、平等イデオロギーに洗脳されてしまっているので、女性であったとしても不平等になっているという事実を否定してしまいがちだ。未婚女性と既婚女性では全然違うし、既婚女性であったとしても、出産を経験していない既婚女性と、出産を経験した既婚女性とでは全然違うのだ。女性は結婚や出産を経験することによって、肉体的にも精神的にも不平等になり、それらを経験した女性たちだけが、この世の高い地点に到達することができるのである。

●生命の神秘

 出産を経験した母親たちがよく口にするのは、「生命の神秘」を経験したということだ。自分が新たな生命を産み出すことで、生命の内部にある偉大なる力に触れてしまったのである。「生命の神秘」とは、出産することで自分自身の体を「神の見えざる力」が働いたということなのである。

 出産はただ単に、女性が妊娠して、赤ちゃんを産みましたということだけではないのである。妊娠した女性自身が、もはや今までの自分の枠に納まりきらなくなり、今までの自分を捨て去ることで、新たな自分を生み出していったということなのである。いわば出産は女性が「自己超越」をしたということなのである。

 今までの自分の枠内に納まりきるのであるならば、女性は決して妊娠しようとしないし、出産をしないのである。自分が様々な経験をし、自分の肉体や精神のレベルが向上してしまい、それが臨界点に到達してしまうと、もはや今までの自分の枠内に納まりきらなくなり、今までの自分自身を捨て去ることによって、新たな精神ステージに突入していくのである。

 しかも、この自己超越がただ単に自分でけの個人的な経験ではなく、新たな生命を生み出していくという「普遍的な生命の営み」を通じて行われるのだ。出産という自己超越を経験することによって、自分が自分の生命とは違う、何か巨大な生命に触れてしまったのである。

 それこそが「神の見えざる力」なのであって、この偉大なる力に触れてしまったからこそ、「生命の神秘がなんたらかんたら」と騒ぎ出すのである。神秘とは、「人知では理解できない不思議なこと」という意味である。それゆえ、生命の神秘は、理性の目では理解できず、出産という経験をしなければ解らないのである。

●生命の飛躍

 我々は平然と生きていれば、「因果律の呪縛」に縛られる生き方しかできなくなってしまうのである。自分がこういう原因を作り出したから、こういう結果が出て来てしまったのだという考えに呪縛されてしまうのである。しかも、日本では仏教の影響力が強いために、仏教の「縁起観」や「因果応報」という考えが正しいものだと思い込んでしまっている。

 しかし、人間にはこの世の因果関係をすべて見通せるだけの知力を持ち合わしていないのである。この世のすべての現象は無数の因果関係が錯綜しており、とてもではないがその因果関係をすべて解明していくだけの作業などできるわけがないのだ。人間にはそんな能力など備わっていないのだ。多くの人々は、人間が把握すらできない因果律がこの世を動かしていると思い込んでいるにすぎないのだ。

 人間が抱えるすべての問題は、今より高い精神ステージに突入していかなければ、根本的には解決できないのである。例えば、高校生や大学生の頃に人生についていくら悩んでいても、卒業して社会で働き出せば、それらの悩みはすべて吹き飛んでしまうのである。独身時代に恋愛や仕事にいくら悩みを抱え込んでいても、結婚してしまえば、それらの悩みはすべて吹き飛んでしまうのである。なぜなら、自分が今までよりも高い精神ステージに突入できたからこそ、今までの自分が抱えていた問題を解決できるのである。

 人間の人生は、因果律で進んでいくのではないのだ。因果律を破壊して、飛び越えるからこそ、今までよりも高い精神ステージに突入することができ、それによって自分が抱えるすべての問題を解決させてしまっているのである。自分が因果律の呪縛を受けながら進んでいくのではなく、その因果律の呪縛を断ち切り、自己超越するからこそ、自分の人生を進ませることが可能になっていくのである。

 人間の持つ生命力の偉大さは、今の貧しい環境に適応して生き延びていくことにあるのではないのである。森羅万象を統御する神からの召命に反応して、現在の環境を飛び越えていくダイナミズムにこそあるのである。この「生命の飛躍」こそ、人間の生命の生命たる所以であって、これがあるからこそ自分の人生に変革が起こっていき、人生を生き切ることができるのである。

●生命を継承させていく聖なる義務

 人間に知恵を与えずに知識だけを詰め込ませていくと、「生命の神秘」や「生命の飛躍」を否定して、因果律の呪縛に嵌った生き方をする人々が大量に出て来てしまうのだ。だからこそ、「生命を受け継いでいく聖なる義務」を果たそうとしなくなってしまうのだ。女性であるならば、「結婚以外に幸せになれる方法があるのではないか?」と模索し始めるのである。

 結論から言ってしまえば、結婚の幸せを超えるような幸せは、この世には存在しないのだ。この世でいくら自分が幸せだと思える幸せを探し出しても、それは所詮、自己満足の幸せだからだ。古い自分を脱ぎ捨てなければ、古くなった幸せしか掴めないものなのだ。古い自分を脱ぎ棄て、新しい自分にならなければ、新しい幸せを手にすることはできないのである。

 人間は脳を発達させて進化してきたために、理性の力に頼りすぎてしまい、すべての物事を理屈で割り切ろうとしてしまいがちだ。しかし、いくら理屈を捏ねても、解らないものだってあるのだ。いや、その解らないものの方が多いのだ。なぜなら、この世の中で大事なものほど経験しなければ解らないようになっているからだ。

 昔の人々は、今よりも学問は発達していなかったが、結婚する時は、「運命の赤い糸」で結ばれていたからこそ結婚できたと思い、赤ちゃんが生まれれば、これは「神様からの授かり物」だと思って受け取って育てていったのである。勿論、理性の目から見れば、結婚において「運命の赤い糸」なんて存在しないし、赤ちゃんだって「神様の授かり物」である筈がないのだ。

 しかし、そういうふうに捉えたのではなく、結婚も出産も自分の力だけでやったのではなく、「神の見えざる力」が働いたと考えたのである。人間の力で一杯一杯にならなかったからこそ、「神の見えざる力」が働き、「自己超越」が可能になったのである。今までの古い自分では、結婚も出産も育児も巧く行くことがないということが解っていたからこそ、謙虚になって「神の見えざる力」に任したのである。

 人間が確実に不幸になる生き方があるとするなら、それは自己中心的に生きる生き方なのである。自己超越を起こさず、古い自分の枠の中に閉じ籠っていれば、自分が抱える問題を解決できないし、新しい幸せにだって出会えないのだ。同じような生活パターンを延々と繰り返すだけの日々になるしかないのである。

 自己中心の生き方から、神中心の生き方に変更すると、幸運はいくらでもやってくるのだ。自分が自分の力で生きていると傲慢に考えるのではなく、自分は神様に生かされていると謙虚に考えていけば、自己超越はいくらでも起こり、幸せは雪崩のごとくにやってくるのである。育児の開始というのは、その雪崩のごとくにやってくる幸せの始まりなのである。

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いくら赤ちゃんがカワイイからといって、寝ている赤ちゃんの頬っぺたを触らない

●赤ちゃんは睡眠を取ることで、体の修復を行っている

 10ヵ月間、待ちに待って出会えた赤ちゃんなのに、赤ちゃんはほとんど寝て過ごしている。赤ちゃんは起きているものと思うよりも、眠っているものと思う方が、赤ちゃんを巧く育てていくことができるのだ。赤ちゃんにとって、有効な睡眠を取り続けることが、健康に最大の貢献をしてくれるからだ。でも、なぜ、赤ちゃんは1日の大半を寝て過ごしているのか?

①体の修復を行い、疲労物質を取り除き、成長を促している

 赤ちゃんにとっては、この世界は非常に重たい世界なのだ。赤ちゃんはそれまで母親の胎内にいたので、羊水によって地球の重力が軽減された場所で過ごしていたのだ。それが出生することで地球の重力をまとも受けてしまい、生きていくのに疲労してしまい、睡眠中にその疲労物質を取り除くのだ。外界に適応するのは、それほど大変なのである。

 それと共に、睡眠中に成長ホルモンを分泌させて、体の各器官に成長を促し、赤ちゃんは自分の体を成長させていくのだ。成長ホルモンは寝なければ分泌されないので、赤ちゃんは睡眠時間を多くしないと、充分に成長できなくなってしまうのだ。「寝る子は良く育つ」とはよく言ったものだが、成長していく赤ちゃんにとっては寝ることこそが大事なのである。

②地球の重力に耐えうる血液を作っている

 赤ちゃんにとっては、胎児の時と出生後では血液が違うのだ。胎児の時は、供給される酸素が少ないので、赤血球を多くしており、そのため出生直後の赤ちゃんはまさに赤くなっているのだ。しかし、出生後は白血球を多くして、外界の細菌に耐えうる血液を全身に供給しないと、この世には生存できなくなってしまうのだ。赤ちゃんの肌が徐々に白くなっていくのはこのためなのである。

 この作業が生後6ヵ月間は続くのだ。その間、赤かった赤ちゃんは、段々と白くなって、免疫力を高め、外界に耐えられる赤ちゃんになっていくのだ。昔から赤ちゃんが死亡し易かった時期は、出生から生後6ヵ月の間で、それほどこの「血液の変換」を行うのは厳しい作業なのである。

③寝ている間に、記憶を整理し、脳内物質を整え、起きたら脳を活発に活動できる状態にさせる

 赤ちゃんはまだ喋れなくても、脳は活発に作動し、脳の機能を急激に上昇させていっているのだ。睡眠中に記憶を整理して、重要な短期記憶を長期記憶に変えていく。そして脳内に脳内物質を整え、起きたら脳をすぐさま使えるようにするのだ。この繰り返しを行うからこそ、脳は発達していき、脳内に無数のシナプスが張り巡らされ、脳の機能が上昇していくのだ。

 それゆえ、赤ちゃんは睡眠時間を多くしていかないと、記憶が整理できず、脳を活発に活動させることもできないのだ。自分の赤ちゃんを頭のいい赤ちゃんにしたいのなら、睡眠時間をたっぷりと取らすことなのである。睡眠時間が多ければ多いほど、赤ちゃんは脳の機能を上昇させていくことができるのだ。

●寝ている赤ちゃんの頬っぺたを触らない

 赤ちゃんが寝ている時、母親は赤ちゃんのカワイさ余りに、赤ちゃんの頬っぺたを触ってしまいがちだ。赤ちゃんの頬っぺたはカワイすぎるために、ついついそのようなことをやってしまうが、だがこれは、赤ちゃんにとっては「母親による睡眠妨害」以外の何物でもないのだ。

 寝ている赤ちゃんの頬っぺたを触ると、大抵の赤ちゃんは眉間に皺を寄せて、不快な表情をするのだが、いかに赤ちゃんが不快がっているかが解る。こういうことを繰り返されると、赤ちゃんは深い眠りに就くことができなくなってしまうので、赤ちゃんの健康を甚だ害してしまうのだ。

 母親が寝ている赤ちゃんの頬っぺたを触っているということは、夫も触っているだろうし、自分の両親や、夫の両親も触っているものなのだ。これだけの大人たちに頬っぺたを触れれば、赤ちゃんがどのような状態になるかは解る筈だ。ますは母親がこの睡眠妨害をやめて、他の大人たちが睡眠妨害を働かないように仕向ければいいのだ。

 赤ちゃんの頬っぺたを触りたいなら、赤ちゃんが起きている時に行うべきであって、赤ちゃんの数少ない時間を大切にしていけばいいのだ。赤ちゃんが起きている時は赤ちゃんと遊んで、赤ちゃんが眠れば赤ちゃんの睡眠の邪魔をしない、というメリハリをつけて育児をしていけばいいのだ。

 四六時中、赤ちゃんの世話をするという考え方をするのではなく、赤ちゃんが起きている時間は少ないものという前提に立って育児をしていけば、育児は非常に楽なものになるのだ。初めての育児の場合、いつも全力投球で育児をしてしまいがちだが、自分が冷静になって赤ちゃんは1日の大半は眠っているという事実をちゃんと受けいれて、自分のエネルギーを有効に使っていこう!

●赤ちゃんの睡眠時間は母親の自由時間である

 母親にとっては、赤ちゃんの寝ている時間は、実は「母親の自由時間」なのだ。この自由時間の間をテキパキと行動して、時間を無駄にしないことだ。赤ちゃんへの育児以外にやらなけれなならないことは、たくさんあるのだ。それをこの自由時間を使って処理してしまうことだ。

 助産院にいる時は、余り自分のためにすることはないのだが、それでも身の回りを整理したり、散歩にでも出かけてみたり、夫婦で会話して今後のことを話し合ったりと、やるべきことはたくさんあるのだ。決して、この自由時間を寝ている赤ちゃんをジッと見つめて過ごしてしまわないことだ。

 自宅に帰ったら、赤ちゃんが寝ている時間を有効に利用して、テキパキと家事をこなしてしまうことだ。家事をダラダラとやっていたら、いくらでも時間を奪われてしまうので、このテキパキと動くのが非常に重要になってくる。「育児って大変!」とか、「育児は疲れる!」とか言い出す母親たちは、この家事をテキパキとこなす習慣が身についていないのだ。何事もダラダラと行えば疲れるものなのだ。育児だけが大変なわけではないのだ。物事を巧く行う習慣を身につけていないだけなのだ。

 出産直後から育児に慣れるまでの間は、とにかくテレビを見ないことだ。テレビを見てしまうと、凄まじいほどまでに時間を奪われてしまうので、母親にとって自由に使える時間が激減してしまうのだ。テレビさえ見なければ、母親の自由時間がいくらでも有り余ることになるのだ。

 初めての育児なら、育児は解らないことばかりなのだ。育児をどのようにやっていいか助産婦や母親に聞かねば解らないし、育児に投入しなければならない時間と、自分の自由時間のバランスも、未だ取れていない状態なのだ。育児に慣れるまでは、時間を最大に食い潰してしまうテレビを見ないことだ。テレビさえ見なければ、育児に慣れるのが早くなるのだ。

●赤ちゃんが起きたら、体を動かしてあげる

 赤ちゃんは1日の大半を眠っているのだから、それだけ眠れば、当然に血行が悪くなる。そこで、赤ちゃんが起きたら、赤ちゃんを抱っこして、赤ちゃんの体を動かしてあげることだ。こうすることで、赤ちゃんの血行を良くして、疲労を取り除いてあげるのだ。この母親の抱っこというのが、今後非常に重要になってくるので、赤ちゃんが起きたら抱っこをするということを繰り返して、巧い抱っこの仕方を早々に覚えることだ。

 赤ちゃんを抱っこをする際は、ただ抱っこするだけではなく、赤ちゃんに話しかけることだ。赤ちゃんは未だ喋れなくても、母親の声を聞き取ることはできるので、母親が赤ちゃんに話しかければ話しかけるほど、脳が発達していくのだ。赤ちゃんの脳の中で、母親に抱っこされるが快感になり、母親に話しかけられるのが快感となってしまえば、母親にきちんと意思表示をしていくことができるようになるのだ。

 初めての育児の場合、早くから赤ちゃんの微妙な意思表示を掴み取ることはできないけど、この「抱っこ」と「話しかけ」を丹念に繰り返していると、赤ちゃんの微妙な意思表示が解ってくるのだ。これだけはいくら論じても解ってもらえないので、とにかく実践で掴み取っていくことだ。遣り続ければマスターできてしまうものなのだ。

 最初の頃は、他の母親たちが、未だに喋れない赤ちゃんと会話しているのを不思議がるかもしれないが、赤ちゃんの微妙な表情こそが、喋れない赤ちゃんにとっての会話の仕方なのだ。この赤ちゃんの微妙な表情が一体何を意味をしているのかが解れば、育児は非常に楽になって、育児が非常に楽しくなってくるのだ。

 赤ちゃんの扱いに困り抜いている母親たちや、育児で疲労困憊している母親たちは大勢いるものだが、こういう母親たちは育児の要領を得ていないために、育児が大変になり、疲労困憊しているだけなのだ。育児でトラブっている母親たちに共通するのは、この「抱っこ」と「話しかけ」が非常に少ないのだ。

 いくら自分が赤ちゃんを産んだからといって、母親として赤ちゃんを抱っこして、話しかけなければ、赤ちゃんの微妙な意思表示など解るわけがないのだ。赤ちゃんと意思疎通が図れるまで、何度も何度も抱っこをし、話しかけ続けていけばいいのだ。やっているうちに段々と解ってくるものなのだ。

●赤ちゃんにとっての必要睡眠時間

 ちなみに、赤ちゃんの必要睡眠時間を述べておくが、産まれてから当分の間は、「18時間」は眠っているし、時たま「19時間30分」は眠っている。この半端な数字は、睡眠が90分サイクルで行われているためだ。時たま睡眠時間が延びるのは、人間の体内時計と地球の時間経過が違っているためで、人間は時たま睡眠調整を行うことで、この時間のズレを調整しているのだ。

 赤ちゃんの睡眠時間は一定ではないので、この通常の睡眠時間と、睡眠調整を行っている睡眠時間があるということをきちんと知っておいた方がいい。赤ちゃんにとっては、大人たちのように定時に起きて定時に寝るということはできないので、赤ちゃんの気儘な睡眠の仕方に当分の間は付き合わなければならないのだ。

 これが成長と共に短くなっていって、小学生で必要睡眠時間が「9時間」で、時たま「10時間30分」は眠って睡眠調整を行う。中高生の必要睡眠時間が「7時間30分」で、時たま「9時間」の睡眠調整を行うのだ。人間は19歳までが体が成長していく時期なので、19歳までは充分な睡眠時間を取って、成長していくようにしなければならないのだ。

 赤ちゃんや子供たちだけでなく、母親にも通常の睡眠時間と睡眠調整の睡眠時間があるので、時たま睡眠時間が延びる時があるのだ。そういう時は、ついつい朝寝坊してしまいがちだが、朝寝坊するのではなく、体が疲れているのなら、早いうちに就寝してしまい、巧い具合に睡眠調整を行えばいいのだ。

 母親本人に睡眠調整の睡眠があるということは、夫も睡眠調整の睡眠があるので、夫が時たま見せる長い睡眠時間の妨害をしないことだ。夫は休日に朝寝坊して、いつまでもベッドから出て来ない場合、「いつまで寝てんの!」と怒鳴るのではなく、「これは睡眠調整を行っているのだな」と思うことだ。夫が疲れているなら、早寝を促して、巧い具合で睡眠調整を行わしてあげればいいのだ。この睡眠調整を妨害してしまうと、要らぬ夫婦喧嘩を招くことになるので、気をつけておいた方がいい。

 赤ちゃんは1日の大半を睡眠に充てているのだから、育児というのは絶対に大変ではないのだ。母親が巧い形で力を発揮していく仕方を習得していけば、育児は非常に楽になり、楽しくなっていくのだ。母親が育児を楽しんでいれば、その楽しさが赤ちゃんにも伝わり、赤ちゃんもこの世に生まれていたことを楽しむことができるのだ。育児の楽しさはそうやって循環を繰り返して、より多くの楽しさを作り出すことができるのである。

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後陣痛の防止法

●二人目以降の出産で起こる恐怖の後陣痛

 初産の産婦には少ないのだが、2人目以降の産婦になると、「後陣痛」というものを経験する可能性が出て来てしまう。初産の場合、陣痛開始から出産まで長い時間がかかるために、出産後の子宮の収縮も長い時間をかけて行われるので、後陣痛が起こりにくいが、2人目以降の出産だと、既に子宮が出産に慣れているために、陣痛開始から出産までの時間が短くなり、そのため、出産のための子宮の収縮が早いので、出産後も、子宮の収縮が早くなってしまい、それによって痛みが生じてしまうのだ。

 女性の器官の中でもっとも動きの悪い子宮が動き易くなったから、後陣痛を経験してしまうというなんとも皮肉な現象が起こってしまうのだ。後陣痛の痛みはそれほど痛いわけではない。決して出産前の陣痛のような痛みではないのだ。それなのに、この後陣痛を系産婦たちは非常に嫌がり、必要以上に痛みを感じてしまうのだ。

 なぜなら、この後陣痛は必要のない痛みだからだ。人間は必要ある痛みなら耐えられるけど、必要のない痛みには耐えられないものなのだ。出産のための陣痛なら、赤ちゃんを産むために必要だからすべての産婦たちは耐えられるが、後陣痛は別に赤ちゃんを産むわけではないので必要がないのだ。だからこそ、人間が持っている忍耐力が巧く作動してくれなくなってしまうのだ。

 この後陣痛は、心理的な悪影響を後々まで残してしまうのだ。2人目を出産した母親たちは、「出産は痛いものであり、もう出産は嫌だ」という悪い記憶を持ってしまい、それで妊娠が打ち止めになってしまうのだ。通常なら2人目を産んだら、「もう1人は欲しいな」と思うのが母性本能のある母親が考える姿だと思うのだが、後陣痛のためにもうこれ以上の妊娠を拒否してしまうのだ。

 だからこそ、子供が2人しかいない家族が矢鱈に多いのである。但し、2人しか子供のいない母親と、3人以上の子供のいる母親とでは、母親の成熟度が全然違うのだ。育児で問題を起こす母親たちというのは、大抵、3人以上子供がいない母親たちなのである。後陣痛を乗り越え、母親として成熟していないために、育児が巧く行えないのだ。

●出産後、24時間耐久断食

 それゆえ、後陣痛を防止することが大事になる。それほど痛い痛みでもないのに、心理的な悪影響を残してしまうために、この後陣痛を防いで、妊娠や出産は楽しいものだと脳に思わせるのだ。後陣痛を防ぐことなど非常に簡単である。出産後、24時間にわたって断食をすればいいのだ。

 出産は産婦にとって非常に激しい疲労を残すものである。それゆえ、出産直後に栄養補給を行うのではなくて、その疲労を取り除くことを最優先してあげるのだ。そのためには断食をすればいいのだ。食事をしないことで、体の修復にすべてのエネルギーを回すことができ、それによってすべての疲労物質を除去していくのだ。

 大体、出産直後に空腹感を感じる産婦はほとんどいない筈だ。人間は本当に疲れきってしまうと、空腹感が出て来ないのだ。通常、適度な運動をすれば血糖値が下がっているので、空腹感が出て来て、食事を摂取しようとする。しかし、激しい運動をしてしまうと、血糖値は下がっているが、それ以上に大量の疲労物質が発生してしまい、体はその疲労物質の除去を最優先するために、本人に空腹感を感じさせず、食事を取らせないようにし、体の内部の疲労物質を除去していくのだ。

 だからこそ、激しい運動をした翌日の朝の排便は、非常に臭いウンコが出て来る。疲労物質が大量に含まれているからだ。出産した翌日の朝のウンコもやはり非常に臭いのだ。それだけ産婦の体は疲れきっているのだ。それゆえ、その体内の疲労物質の除去を最優先させるために、食事を摂取しないで、断食を行えばいいのだ。

 断食といっても、出産が終わってから、24時間断食するだけだ。断食の最中は一切の飲食物を摂取しない。それをするだけで、体は食事の消化吸収にエネルギーを回すことがなくなるので、体内の疲労物質の除去を最優先させることができ、子宮の収縮も大した痛みを発生させることなく、元の位置に戻ってくれるのだ。

 断食中は排便排尿を頻繁に行うことだ。食べ物を食べない分、体は排泄に充分なエネルギーを回せるので、頻繁に排便や排尿が出るのだ。便意や尿意を感じたらすぐに便所に行って用を足すことだ。排便排尿によって内臓を軽くしてやり、その浮いたエネルギーを子宮の収縮に回してあげるのだ。こうすれば、後陣痛の痛みを抑えることができるのだ。

●後陣痛を緩和させる食事

 出産後24時間耐久断食を終えたら、後陣痛を緩和させる食事を取ればいい。主食は必ず「押麦入り玄米食」にすることだ。この「押麦入り玄米食」にすると、体が理想的な弱アルカリ性になって、子宮の収縮がしやすくなれるのだ。「白米」や「白パン」は絶対にやめることだ。白米や白パンだと体が酸化してしまうので、子宮の収縮の際に激しい痛みを生じさせてしまうのだ。

 味噌汁は、「ワカメの味噌汁」にすることだ。ワカメも体をアルカリ性にしてくれるので、子宮収縮の際に痛みを生じさせなくしてくれるのだ。ワカメ以上に体をアルカリ性にしてくれる食材は存在しないので、産後には必ずワカメを食べて、体力の回復を早めてあげることだ。ワカメの味噌汁を作る際は、鉄製の鍋を使って作り、鉄分を補給させてあげることだ。鉄分は疲労物質の除去を行うミネラルなので、出産直後の産婦に鉄分を補給させると、後陣痛が緩和されるのだ。

 それから、「黒酢の酢の物」も後陣痛の防止には効果がある。黒酢は凄まじいスピードで疲労物質を除去してくれるので、出産直後の産婦は必ず摂取することだ。疲労の除去のスピードが全然違うのだ。但し、透明の酢だと体を酸化させてしまうので、出産直後の産婦には逆効果のお酢になってしまうのだ。

 子宮収縮を痛みを生じさせることなく行いたいなら、「ビタミンC」「コラーゲン」「天日塩」の三点セットの存在を決して忘れないことだ。これらの物質は、出産によって大いに消費されており、体内で不足しているからだ。ビタミンCは子宮の収縮に最大の効果を発揮するので、是非とも食事の際にはビタミンCを摂取しておこう。天日塩は神経と筋肉が正常に作動するためには必要不可欠なので、これが少なくなってしまうと、後陣痛の痛みが発生してしまうのである。

 食事の際には、肉類はコラーゲンのみにすることだ。動物性蛋白質を取りたいなら「魚」で摂取することだ。肉類だと肉を消化吸収するためにビタミンやミネラルが奪われてしまうので、出産直後の産婦には非常に不適格な食べ物なのだ。魚だとスムーズに消化吸収されるので、出産直後の産婦には最適な動物性蛋白質なのだ。

●後陣痛が治まるまで赤ちゃんに授乳しない

 出産直後に後陣痛が発生しているようであるならば、後陣痛が治まるまで赤ちゃんに授乳しないことだ。後陣痛を治めることに最優先することだ。後陣痛が発生しても出産の翌日には治まるものである。後陣痛が治まれば、安全な初乳が出て来るのだ。まずは、後陣痛を治めることに集中すべきなのである。

 初乳は赤ちゃんに与えても、産後48時間が経過しないと充分な量の母乳が出て来ないので、後陣痛が発生して体の下腹部が痛いのに、無理して授乳することなどないのだ。後陣痛が治まってから、母親本人に痛みがない状態で授乳してやれば、気分爽快で授乳することができるのだ。

 母親と赤ちゃんとの最初の授乳は非常に重要で、最初の授乳が楽しいものであるならば、出産や育児を楽しいものだと脳が記憶してしまい、その後の育児が非常に楽しいものになるからだ。後陣痛を発生させながら授乳してしまうと、出産や育児は痛いものだと脳が記憶してしまい、その後の育児が苦しいものになってしまうのだ。

 2人目以降の出産であるならば、出産直後にもう初乳が出るので、出産直後の赤ちゃんにすぐさま授乳させてしまうという方法も有効な方法である。そして後陣痛が始まったら、授乳をするのをやめて、赤ちゃんに断食をさせて胎便排出を行わせればいいのだ。その際に母親本人も断食して、後陣痛の防止を最優先させればいいのだ。こうすれば、育児は楽しいものだとい記憶が脳に残り、その後の育児が非常に楽しいものになるのだ。

 後陣痛は決して物凄く痛い痛みではない。問題なのは、自分の心理面に与えてくる悪影響なのだ。二人目以降の出産では、後陣痛が発生してくる可能性があるという出産の知識を事前に持っておくことだ。そして、その後陣痛を可能な限り防止して、3人目の赤ちゃんを産んで、出産や育児は楽しいものだということを自分の脳に記憶させてしまうのだ。それをすることが、その後の自分の人生を非常に幸福にしてくれるのだ。

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産後の母乳の出が悪ければ、出産後に「ビタミンC」を大量に摂取しよう

●母乳というのは、最初の頃は出が悪いもの

 初産で出産した場合、母乳の出というものは、それほどいいわけではない。特に生まれてから1週間から2週間程度は、「本当に母乳が出ているかな?」と疑いたくなるような出の悪さなのだ。しかも、追い打ちをかけるのが、赤ちゃんが胎便を排出することによって体重が激減してしまうことであり、自分の母乳の出の悪さこそが、赤ちゃんの体重減少を招いてしまったのではないかと勘違いしてしまうからだ。

 赤ちゃんは胎便を排出する以上、体重の減少は予定されているものなのだ。怖いのは赤ちゃんの体重が減少していくことではなく、赤ちゃんが胎便を排出してくれないことなのだ。赤ちゃんが妊娠中の老廃物と毒素の塊である胎便を排出しなかったら、癌でも白血病でも、死に直結してくる病気をいくらでも発症してきてしまうのだ。

 赤ちゃんは胎便を排出したら、7日から10日で自分の体重を、出生直後の体重に回復してくるものなのだ。これはどの赤ちゃんも辿る過程なので、赤ちゃんの体重減少を自分の母乳の出の悪さに結びつけないことだ。本当に母乳の出が悪ければ、赤ちゃんは衰弱していくのであって、健康に育っている以上、自分では少ないと思っている母乳でも充分に足りているということなのだ。

 初産の母親の母乳の出が悪いのは当然で、初めての出産なので、乳房が充分に発達していないためだからだ。女性は赤ちゃんを産むと、有り得ないほど乳房が膨らんでくれるのだが、出産を何度も経験していくと、乳房が発達してきて、母乳の出やすい乳房に変わっていくのだ。1人目では乳房は膨らんでも、乳房の内部がそれほど発達しきれていないのだ。だから、母乳の出の悪さに直結してくるのである。

 それに、出産によって大量の「ビタミンC」を消費してしまい、母乳を作るために必要なビタミンCが不足してしまっているのだ。自分の体内でビタミンCが不足しているからこそ、出産直後は顔がゲッソリとしてしまっているのである。子宮や膣が今までの人生の中で最大の働きをしたし、お腹も出産によって急速に収縮していくのだ。その作業のために、ビタミンCが大量に消費され、母乳を作り出すのにビタミンCが不足するほどに、母親の体内では深刻なビタミンC不足になっているのだ。

●ビタミンCが大量に含まれている飲食物

 母乳の出の悪さを嘆いているなら、せっせとビタミンCを補給していけばいいのだ。人間は本来「果実食動物」なので、ビタミンCを体内で合成することもできないし、ビタミンCを体内で貯蔵すらできない。ビタミンCを常に摂取していかなければならないのだ。それゆえ、朝食時と夕食時には必ずビタミンCを摂取していかなければならないのだ。

①ローズヒップティー

 出産直後の産婦にお勧めなのが、やはり「ローズヒップティー」である。ローズヒップティーはビタミンCが大量に含まれているだけでなく、ビタミンCの吸収を助ける酵素とフラノボイド類がたくさん含まれているので、ビタミンCの吸収が物凄く早くなり、産後の体調回復に役立ち、母乳の出を良くしてくれるのだ。

②野菜ジュース

 朝食時と夕食時には、「野菜ジュース」を作って、野菜を大量に摂取してしまうことだ。野菜はサラダにして食べても、それほど食べられるものではないため、サラダで食べていたらビタミンCの摂取量が不足してしまうのだ。そこで野菜ジュースにしてしまい、野菜を大量に摂取していくのだ。野菜ジュースに使う野菜では「小松菜」がお勧めで、小松菜を野菜ジュースにして飲むと、産後の体調の回復も早くなり、母乳の出も良くなるのだ。

③フルーツ

 フルーツにも大量のビタミンCが含まれているので、産後にはフルーツを食べることだ。お勧めなのは、「キウイフルーツ」「いちご」「みかん」「はっさく」「ポンカン」「ネープル」「アボガド」「アンズ」などである。フルーツを選ぶ際の注意点は、糖度の高いフルーツを食べると、逆に母乳の出は悪くなってしまうということだ。糖度が高いフルーツは、人為的に糖分を高くしたために、栄養バランスを崩しているので、それを産後の母親が食べると、どうしてもその栄養バランスの悪さが体に出て来てしまうのだ。だから、フルーツは糖度の低いフルーツを食べるようにすればいい。

 それと、フルーツは朝食時にのみフルーツを食べることだ。ほとんどフルーツは体を冷やす効果があるので、夕食時には決して食べないようにすることだ。朝という体温が上昇していく時に食べるからこそ、フルーツの弊害を防止することができるので、夜という体温が下がりつつある時期にはフルーツを決して食べないことだ。

 母乳を出し続けなければならない母親にとって、ビタミンCは通常の女性の50%増しで必要になる。そのためビタミンCを日々大量に摂取していくと共に、ビタミンCの天敵であるタバコの煙を徹底して避けることだ。赤ちゃんにとっても、成長のためにビタミンCが大量に必要になっている時期なので、母親にも、赤ちゃんにも、喫煙者を近づけないことだ。出産して体が敏感になっている母親にとってタバコの煙はすぐに風邪を引かしてくる危険な物質であり、赤ちゃんにとってタバコの煙は細菌感染させてしまう超危険な物質なのだ。

●乳房をマッサージしてもらう

 赤ちゃんを出産して、乳房が膨らみ始めたら、助産婦にお願いをして乳房をマッサージしてもらい、母乳が出やすくしてもらうようにすればいい。初産の母親では、乳房が未だに硬いので、巧く母乳が出て来てくれないのだ。それゆえ、助産婦に乳房をマッサージしてもらい、母乳の出を良くしてもらうのだ。

 出産して乳房が大きくなるということは、脳下垂体から母性ホルモンが分泌されているということなのだ。その母性ホルモンによって乳房が膨らんでいくのだ。そこで母性ホルモンが良く分泌されるように、足の親指の裏をマッサージすることだ。ここに脳下垂体の反射区があるので、ここをマッサージすると脳下垂体の動きが非常に良くなり、大量の母性ホルモンが分泌されるのである。

 都会で育ってた女性には、ペチャパイの女性が多いのだが、これは歩く際に、足の指に力を入れずに歩く習慣を持ってしまっているからだ。舗装された道路を歩き、しかも、ヒールのある靴を履き続けていると、どうしても足の指に力が入らず、そのため脳下垂体の反射区が刺激されず、乳房が膨らんでくれないということになってしまうのだ。

 それゆえ、ペチャパイの女性は、ヒールのある靴を履かないようにし、歩く際は意図的に足の指に力を入れて歩く習慣を身に付けることだ。歩くたびに足の指が刺激され続ければ、脳下垂体の活動が非常に良くなり、大量の母性ホルモンを分泌してくれるようになり、乳房も膨らみ、母乳の出が良くなるのだ。

 産後には必ずウォーキングをして、体の血流を良くしてしまうことだ。ビタミンCをいくら大量に摂取しても、乳房や足の親指をマサージしても、血流が悪ければ、乳房に充分な血液が行かないので、母乳の出が悪くなってしまうのだ。産後は夫婦でゆっくりと散歩にでも出かけ、夫婦で語らいながら、全身の血流を良くしていけばいいのだ。

●初産後の母乳の出の悪さを悩まないこと

 医者たちは母乳の成分を比較することが非常に大好きである。母親が出す母乳は、初産の産婦と、2人目以降の経産婦では違うし、体重の重い女性や筋肉量の多い女性や巨乳の女性は母乳の量が多いし、痩せている女性や筋肉量の少ない女性や微乳の女性は母乳の量が少ないのだ。母乳はそれほど個人差の激しい液体なのだ。

 たとえ、母乳の出が悪くても、赤ちゃんは死にはしない。赤ちゃんは生後6ヵ月までは免疫力を整えることに全力を注いでいるのだ。決して体を大きくすることにエネルギーを注いでいるわけではないのだ。だからこそ、赤ちゃんの成長は物凄く遅いのだ。赤ちゃんは体を大きくしなくても、免疫力さえあれば生きていけるのだ。

 赤ちゃんが体格を大きくし出すのは、卒乳してからである。即ち、食事を取るようになってからである。人間の体格の成長は、小学生や中学生の頃の食事と運動と睡眠によって決定してくるのであって、生まれて間もない赤ちゃんの体格の成長を気にすることはないのだ。赤ちゃんはこの世界に適応できるように、自分の体質を整えているのであって、自分の体格を大きくすることに力を注いでいるわけではないのである。

 医者たちは母乳を外国人と比較して、日本人の母乳は外国の母乳と比較して栄養が劣っているので、ミルクで補強しましょうと言い出すのだが、こういうことはまったく無意味である。母親が出す母乳は、その国の食習慣でほぼ決まってきてしまうからだ。その国の食習慣を無視して、母乳だけを比較しても無意味なのである。

 肉を大量に食べ、野菜の摂取量が少ないアメリカ人女性たちは、カロリー過多で乳房がパンパンに張っているのだ。こういう女性が出す母乳は、それは栄養価は高いかもしれないが、非常に危険な母乳で、赤ちゃんが癌や心臓疾患になりやすい母乳なのだ。アメリカの赤ちゃんたちは、世界でも有り得ないくらいに体がパンパンに膨れ上がっており、そのため成長も早いが、その反面、癌や白血病に侵される赤ちゃんたちも大勢いるのだ。

 よく、アメリカと西ヨーロッパをひと括りにして「欧米」としてしまう人たちがいるのだが、西ヨーロッパの女性たちで、アメリカ人女性たちにように乳房がパンパンに張っている女性たちなどいないのだ。なぜなら、西ヨーロッパの食事では肉は少ないし、野菜を大量に摂取しているからだ。だから、そういう食事をしている母親たちは、通常の膨らみを持った乳房をしているし、赤ちゃんたちも体がパンパンになることがないのだ。

 日本人女性でも肉を大量に食べ、野菜を少なく食べ続ければ、乳房はパンパンに張り、栄養価の高い母乳を出すことはできるだろう。しかし、そのような母乳は赤ちゃんにとって非常に危険な母乳なのである。やはり、日本の母親たちが自分の赤ちゃんを健康に育てたいなら、基本的には和食を食べ、日本の風土に合った母乳をコンスタントに出していけばいいのだ。

 初産であるならば、母乳の出が悪くて当然なのだ。絶対に母乳の出の悪さを悩まないことだ。これから赤ちゃんが母乳を飲み続けてくれることで、徐々に乳房の機能が発達していって、徐々に母乳の出が良くなっていくのだ。何事も最初から完璧に行くものなどないのだ。何度も何度も繰り返していって、母乳の出が良くなっていくのだ。

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赤ちゃんに母乳を与える意味

●赤ちゃんが泣くから母乳が出る

 母親が育児をするということは、母乳を赤ちゃんに与え続けるということである。母乳育児こそが、育児の基本中の基本である。母親が母乳を赤ちゃんに与えることよりも重要なことなんて、育児には存在しないのだ。母親が赤ちゃんに母乳を与えれば、育児は軌道に乗り始め、母親が赤ちゃんに母乳を与えるのを拒否すれば、育児は基本を外して、様々なトラブルが生じ始めるのだ。

 赤ちゃんにミルクを与えようとしたら、赤ちゃんがミルクを飲むたびに料金がかかってくるが、母乳は赤ちゃんがいくら飲んでも無料である。しかも、いくらでも出て来るのだ。母乳は赤ちゃんが泣くと、母親の脳内から母性ホルモンが分泌され始め、それが乳房を刺激して、母乳が出るようになっているのだ。乳房の大きな女性であるならば、赤ちゃんが泣き声を聞いただけで、母乳が乳首から水平発射されるほどに、勢いよく大量に出て来てしまうのだ。

 それゆえ、新米ママにとっては赤ちゃんの泣き声は非常に重要で、赤ちゃんが泣いてくれれば泣いてくれるほど、自分の脳内を刺激してくれて、母性ホルモンがより多く分泌されるようになるのだ。赤ちゃんの泣き声は決して無駄な泣き声ではないのだ。母親にとって自分をちゃんとした母親にしてくれる大事な声なのだ。

 それゆえ、授乳は「定時授乳」ではなく、赤ちゃんが泣くたびに授乳していけばいいのだ。赤ちゃんが泣けば自分の脳内から母性ホルモンが分泌され、それによって母乳が出て来るのだから、赤ちゃんにとっても充分な母乳を得ることができるようになるのだ。赤ちゃんは大人のように定時にになって食事をする習慣などないのだから、授乳は不定時に成らざるをえないのだ。

 生まれてからは当面の間、赤ちゃんが泣くたびに授乳をしていくという形になるが、授乳に慣れていけば、赤ちゃんの顔や仕草を見るだけで、赤ちゃんが母乳を欲しているかが解り、それ以降は赤ちゃんのサインを基準に母乳を与えていけばいいのだ。母性ホルモンの分泌が順調に成り始めると、そういうサインすら母親として見分けられるようになるのだ。

●赤ちゃんにとって母乳がどうしても必要な理由

①免疫学的理由

 赤ちゃんにとっては母乳はどうしても必要である。その中でも最大の理由が、「免疫力をつける」ことである。赤ちゃんがこの世界で生きていくためには、母乳から母親の抗体を貰って、免疫力をつけていくことでしか、免疫力を得ることができないのだ。これだけは母乳以外に変えられないのだ。

②栄養学的理由

 次には赤ちゃんにとって母乳は栄養学的に優れた飲み物であって、赤ちゃんは母乳によってのみ、健康的な成長が可能になってくるのである。母乳は最初から濃い物が供給されるのではなく、薄い物から、段々濃くなっていって、濃い物が提供され、その間に赤ちゃんは内臓を母乳に対応できるよう変えていくことができるのだ。

 しかも、母乳には赤ちゃんにとって必要な栄養素がすべて含まれていて、赤ちゃんは母乳であるなら、なんの栄養素も不足することなく育つことができるのである。ミルクがどんなに栄養価の高い飲み物であっても、ミルクは所詮、母乳に近づけようとして作ったものなのである。それゆえ、生後6ヵ月を過ぎてしまうと不足する栄養素が出始め、だからこそ、生後6ヵ月から離乳食が必要となってきてしまうのである。赤ちゃんにはまだ1本の歯も生えていないというのに、無理矢理に離乳食を飲みこませようとするようになってしまうのである。

③心理学的理由

 赤ちゃんにとって母乳を貰い続けるということは、母親が母親として成長していってくれるので、赤ちゃんは母親に守って貰えるという「赤ちゃんなりの安心感」を獲得でき、ストレスを最大限低下させることができるのだ。赤ちゃんは1人の女性しか母親として選ばない。いくら祖母であっても叔母であっても駄目で、他の母親では代わりが効かないのだ。

 人間の赤ちゃんはどんなに健康な姿で生まれようとも、すべて未熟児状態で生まれてくるのである。なぜなら、進化の過程で脳を巨大化させてしまったから、生後すぐに歩行できる体をしていないのだ。それゆえ赤ちゃんが歩けるようになるまで、ズーッと母親の庇護のもとにいなければならないのであって、赤ちゃんにとって母親に守られるということは、ストレスを軽減させて、自律神経を正常に作動させていく大事なことなのである。

●母性ホルモンの活躍

①自分の体型が出産前の体型に戻る

 母親にとっても、母乳を授乳し続けることは非常に重要な意味を持ってくる。まずは赤ちゃんに授乳させることで母性ホルモンが分泌され、それによって妊娠と出産で膨らみに膨らんだ体型が、出産前の体型に戻るのだ。これは非常に重要な作業で、これが起こらないと、子宮や腰の具合が悪くなってしまい、その後の生活で重大な支障を来たし始めるのである。赤ちゃんが母乳を飲んでくれるからこそ、自分は体型を元に戻すことができるようになるのである。

②母親らしい体型になっていくことができる

 それととも、徐々にではあるが、自分の体型を「母親体型」に変えていくことができるようになるのだ。女性は出産することで、育児をしやすい体型に体を変えていき、母親体型になることで育児を最善の形で行おうとするようになるのだ。出産した女性が、いつまでも未婚のような女性の体型でいるのは褒めたものではなく、そういう女性は育児を手抜きして、育児をちゃんと行っていない母親なのだ。

 但し、母親体型になって気を付けるべきことは、正坐をなるべくしないこと、それに歩く習慣を常に持っておくことである。なぜなら、母親体型になることで、少し体重を増やし、体の重点を下げてくるので、それによって育児をしやすい体型になれるのであるが、その反面、膝に体重がかかってしまい、膝の故障で悩む可能性が出て来るのだ。

 出産した女性に限って膝の痛みで悩むのは、自分の体型が変わったのに、それに対応する生活習慣を整えなかったからなのである。出産した女性が膝を故障してしまうと、歩けなくなってしまい、肥満が加速していくので、まだ若いうちから正坐をするのを避け、日頃からウォーキングをして、体を鍛えておくことだ。

③乳癌や子宮癌の防止

 女性ホルモンは女性の体を女らしくして美しくしていく反面、体を冷やしてしまうという副作用があるので、女性は出産しないと乳癌や子宮癌になってしまう危険性が高くなってしまうのだ。赤ちゃんを出産した女性には、母性ホルモンが分泌され始めるので、その母性ホルモンの作用によって体が温まり、女性ホルモンの副作用を緩和してくれ、乳癌や子宮癌の発症を防いでくれるのだ。

 乳房も授乳することで使用されるので、癌細胞が発生する余地がなくなってしまい、子宮も妊娠と出産を経験することで、癌細胞が発生する余地がなくなってしまうのだ。人間のどの器官も使用すれば細胞が活性していくので、癌細胞が発生してくる余地がなくなるのである。だからこそ、乳癌や子宮癌を防ぐことができるのだ。

④更年期障害や骨粗鬆症の防止

 女性は女性ホルモンの分泌が低下し始めると、体調が急激に悪化し、その過程で更年期障害を発症したり、骨粗鬆症を発症してしまうのだ。更年期障害を発症してしまうと、女性は自分の精神になんら問題を抱えていないのに、鬱状態になってしまい、自分のすべての人間関係を破壊していってしまうのだ。そのため、40代や50代といった人生の爛熟期に様々なトラブルを自分から発生させ、自分の人生を窮地に陥れてしまうようになってしまうのだ。母性ホルモンの分泌は、その急激な女性ホルモンの低下を緩和して、更年期障害を阻止してくれるのだ。

 女性が50歳を過ぎると骨折しやすくなるのは、女性ホルモンが分泌されなくなったために、骨を維持するホルモンがなくなってしまったからなのである。だから、女性はちゃんと赤ちゃんを産んで、母性ホルモンが分泌されるようにし、骨粗鬆症が発症しないようにするべきなのだ。

 但し、赤ちゃんを産んでも骨粗鬆症になる女性は、日頃から「白米」を食べ、甘いお菓子が大好きな女性たちなのだ。白米を食べ続けると、体が酸化してしまい、それによって骨からカルシウムが流出しやすくなり、甘いお菓子を食べ続けていると、歯からエナメル質が溶けてしまうので、出産したら白米をやめ玄米に変え、甘いお菓子を控え、どうしても甘いお菓子を食べたいのであるならば、白砂糖ではなく黒砂糖や蜂蜜でお菓子を作って食べればいいのだ。

●母性愛を育んでいく

⑤母性愛を育み、自然と育児の仕方が解るようになる

 そして、母親が赤ちゃんに母乳を授乳させる最大の効果は、母性愛を育み、自然と育児の仕方が解るようになることである。赤ちゃんを産んだ母親にとって、赤ちゃんが母乳を飲んでくれるたびに、自分の脳内から母性ホルモンが分泌され続けるので、自然と自分が母親らしい母親に成長していくことが可能になるのだ。

 母性愛は母親らしい母親になれたからこそ、自分の心の中から湧き出してくるものであって、その母性愛が出て来るからこそ、自然と赤ちゃんへの対応の仕方が解り、赤ちゃんにとって最適な育児の仕方が解ってくるのだ。育児の仕方なんて、育児マニュアル本を読んだ所で、巧くできるものではないのだ。母親が赤ちゃんに母乳を与え続ければ、自然と育児の仕方が解ってくるのだ。

 母性愛は育児の中でもっとも大事なものである。母性愛は「絶対肯定の愛」である。赤ちゃんに何か価値があるから愛そうとするのではなく、赤ちゃんがこの世に生きていてくれるだけで嬉しくなってしまい、赤ちゃんに無条件で注いでいってしまう愛なのだ。この母性愛があるからこそ、赤ちゃんをいかなることがあっても守ることができ、赤ちゃんの不具合や病気をすぐさま察知して対処することができる母親になることができるのである。

 母親は赤ちゃんを産めば、その赤ちゃんが五体満足で健康な赤ちゃんだろうが、難病を抱えて生まれてきた赤ちゃんだろうが、五体不満足で身体障害者の赤ちゃんだろうが、いかなる赤ちゃんだったとしても母性愛を注ごうとするのだ。なぜなら、母性愛は絶対肯定の愛だから、赤ちゃんが生きていてくれるだけで嬉しいのだ。

 ほとんど人々は恵まれた状態を当たり前と思いこんでいるのだ。難病のある赤ちゃんがいる母親を「大変だ!」と思ったり、身体障害者の赤ちゃんがいる母親を「可哀想に!」と思ってしまったりして、自分を高い場所に置いて、高慢になっているのだ。母親であるならば、その赤ちゃんがどんな赤ちゃんであったとしても、愛を注ぐのは当然なのだ。なぜなら、母性愛は無条件で愛を注ごうとするからだ。

 難病の赤ちゃんがいる母親や、身体障害者の赤ちゃんがいる母親を蔑んででしまうのは、もはやその人の心の中に母性愛の蓄積がなくなっているということなのである。人間の心の中から母性愛がなくなってしまえば、自分を絶対に肯定することができず、自分を絶対的に否定するようになり、他人をも絶対的に否定するような生き方しかできなくなってしまうのである。

 いくら恋愛至上主義に徹して恋愛を賛美するのは構わない。イケメンに「キャーキャー!」言うのも構わない。しかし、そういった愛は価値ある者にしか注げない愛であって、母性愛よりも遥かに劣るものなのである。人間が持てる愛で、母性愛よりも価値ある愛など、この世には存在しないのである。

 女性が結婚して、妊娠して、出産して、やっと自分の心の中から母性愛が出て来るのである。自分が産んだ赤ちゃんがどのような赤ちゃんであったとしても、母性愛が出て来ている母親は、母性愛を注いでしまうのである。このような本当に素晴らしい愛を出すことができるからこそ、自分の精神が成長していき、今まで見えなかったものが見えるようになり、今まで解らなかったものまでもが解るようになっていくのである。母性愛を出せるようになるということは、自分の精神に偉大なる変革が起こっているということなのである。

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初乳は必ず「黄金の母乳」を

●初めてのお乳は、必ず人間の母乳にすること

 生まれて初めて赤ちゃんに母乳をあげる時、新米ママの授乳の仕方は物凄くぎこちない。でも、それでいいのだ。初めから、慣れた手つきで行う方が異常なのだ。最初は誰でも巧くないのが当たり前なのだ。授乳の仕方など何度も何度も遣り続けるからこそ、巧くなっていくものなのだ。

 赤ちゃんにとって生まれて初めての母乳は、自分がこの世に生存していくにあたって、非常に重要なものなのである。なぜなら、免疫力を決定的にするからだ。母親が与える母乳でなければ、赤ちゃんの免疫力はつかないからだ。特に初乳は非常に免疫力が高くなるようにできており、赤ちゃんがこれを飲まないと、免疫力の基礎ができなくなってしまうのだ。

 病院で出産すると、産まれたての赤ちゃんに「ミルク」を与えてしまうのだが、このミルクを飲んでsまうと、栄養にはなっても、免疫力をつけることはできないのだ。それどころか、ミルクの抗体がそのまま赤ちゃんの体に入ってしまい、離乳食病に罹り、抗原抗体反応を示し始め、アレルギーやアトピー性皮膚炎など、様々な免疫異常の病気を発生させてしまうのだ。

 初めて出産した母親の母乳は、薄くて黄色く母乳らしい母乳ではないのだが、これこそが赤ちゃんにとっては「黄金の母乳」なのだ。この黄金の母乳なしには、赤ちゃんは免疫力をつけていくことができないのだ。赤ちゃんにとっては、絶対に代わりが効かない母乳なのだ。

 昔はこの母乳は母乳ではないとして捨てていたのだが、そのために乳幼児の死亡率が非常に高くなってしまったのだ。また、貴族階級は我が子に母親が授乳させず、乳母を探し出してきて、その乳母に母乳を与えさせていたのだが、乳母からは通常の母乳を貰うことはできても、「黄金の母乳」を貰うことができなかったので、貴族階級の乳幼児はバタバタと死んでいったのである。

 人間は習慣性を持つ動物である。しかし、その習慣が必ずしも正しいとは限らないのだ。庶民の母親たちは初乳を捨てる習慣を持ち、貴族階級は母親が赤ちゃんを育てない習慣を持ち、現在の母親たちは病気でもないのに病院で出産しようとするのである。だからこそ、妊娠や出産や育児でトラブルが絶えないのだ。その習慣が本当に正しいものか、冷静になって確かめてみることが必要なのである。

●初乳は薄くて、余り出ないもの

 初乳は薄くて余り出ないものなのだ。だから、出生後48時間耐久断食をさせて、母親の乳房が膨らみ、初乳が貯まった状態で授乳させるのが、最善の選択肢なのだ。これ以外の方法で授乳させると、乳房も膨らまないし、初乳も貯まっていないので、赤ちゃんが本当に飲んでいるのかすら、解らなくなってしまうのだ。

 しかも、初乳では余り授乳の仕方が巧くないので、赤ちゃんが飲みやすいような態勢で授乳させることができず、赤ちゃんに不必要な緊張を強いてしまい、どうしても赤ちゃんの飲みっぷりが悪くなってしまうのだ。どうすれば赤ちゃんが巧く母乳を飲んでくれるようになるかは、助産婦や母親に教えを乞うなり、自分でゆっくりと時間をかけて授乳の仕方を工夫していけばいいのだ。

 初乳が巧く授乳できないからといって、ミルクを使用するのは、絶対に禁止である。赤ちゃんは余り出ない初乳を一生懸命に乳首にしゃぶりついて出そうとしているのだ。それなのに、哺乳瓶でミルクを与えてしまったら、赤ちゃんは無理に吸いつかなくてもミルクを飲めてしまうために、今後、母乳を飲まなくなってしまうのだ。赤ちゃんがミルクを飲むために必要な力は、母乳を飲む時の30分の1以下の僅かな力で飲めてしまうのだ。だから、一度でもミルクを飲んでしまうと、赤ちゃんは母乳を嫌がるようになってしまうのだ。

 初乳は大量に飲ませるものではないのだ。赤ちゃんの免疫力を決定的にするために飲ましているのである。よく、産婦人科医たちは、ミルクと母乳の栄養分の違いを示して、ミルクの方が栄養的には優れているという意見をいうのだが、赤ちゃんに必要なのは、たくさんの栄養素ではなく、免疫力なのである。

 今まで母親の胎内にいた赤ちゃんにとっては、この外界は細菌で一杯の危険な世界なのである。赤ちゃんは免疫力がないために、そのままで細菌に侵されて死んでしまうのだ。だから、一刻も早く免疫力をつけなければならず、それゆえ、生まれてきた赤ちゃんは母親の母乳を飲むことで免疫力をつけていくのだ。

 赤ちゃんにとっては、母乳を飲み続け生後6ヵ月でやっと母親の抗体で自分の体を守ることができ、更に母乳を飲み続けて、生後2年でやっと自分で自分の抗体を作り出すことができるようになるのだ。それだけ免疫力をつけるのには、時間がかかるものなのである。これは哺乳動物である人類の宿命的な作業なのである。

●「初乳」「移行乳」「成熟乳」

 それゆえ、母親が出す母乳も常に一定ではないのだ。初乳は産後3日までの母乳で、薄いし、黄色味がかっていて、量も少ない。しかし、この初乳こそ、黄金の母乳で、赤ちゃんの免疫力の基礎を作り上げるのだ。赤ちゃんにとって生まれて初めて飲む母乳なので、余り濃くても困るのだ。それを消化吸収できる機能が内臓にはまだできていないのだ。最初に飲む母乳は、黄金の母乳で充分なのだ。

 移行乳は産後4日から15日までの母乳をいう。初乳よりも徐々に濃くなり、白濁色の母乳である。これは赤ちゃんに徐々に母乳にならすためで、赤ちゃんにとっては初乳に続いて移行乳を貰えるからこそ、自分の内臓を母乳をきちんと処理できる内臓に変えていくことができるようになるのだ。赤ちゃんにとっては生後15日までの間に母乳以外の栄養素を与えられてしまうと、それを充分に処理できない体になってしまうのだ。ミルクを飲んで育った赤ちゃんが下痢をしやすくなり、すぐに病気になってしまうのは、このためなのだ。

 成熟乳は、産後16日以降の母乳をいう。成熟乳は我々が通常「母乳」と思っている母乳である。母乳らしい母乳は、産後16日以降から出て来る以上、母親の授乳の仕方はこの頃までに巧くなっていればいいということなのだ。新米ママだと、「赤ちゃんは本当にお乳を飲んでいるのかな?」とか、「赤ちゃんの抱き方が巧く解らない」とかいう疑問を持つことは当然なのだ。授乳の仕方や赤ちゃんの抱き方を習得するのに、出産直後から産後15日まで余裕があるということなのだ。それゆえ、この期間中に習得していけばいいのだ。

 母乳は「初乳」「移行乳」「成熟乳」を経て、段々と濃くなっていくのだ。赤ちゃんにとっては母乳がこのような段階を経てくれるからこそ、自分の内臓を母乳をきちんと処理できるように変え、母乳を飲んでも下痢をしないような体に変えることができるのである。出生前は、臍の緒から栄養素を取り入れていた赤ちゃんにとっては、口から栄養素を入れるということは、自分の内臓に非常に大きな変換を強いることになるのである。

 それらを無視して、ミルクの方がより多くの栄養素が含まれているからといって、ミルクを与えていては、赤ちゃんは内臓を変換していくことができないのだ。いきなり完成された栄養素が入っているミルクを飲まされたら、赤ちゃんだって内臓を変換することができず、下痢をしてミルクを体外に流し出すしか方法はなくなってしまうのだ。

●赤ちゃんは生後6ヵ月間で母親の抗体を貰って、免疫力を整えていく

 赤ちゃんにとっては、外界に存在する細菌たちとの戦いは延々と続いていくのである。生後6ヵ月以内ではまだ体の中で抗体がきちんと整備されていないために、いつだって死ぬ可能性があるのだ。赤ちゃんは生後6ヵ月間で母乳を通じて母親の抗体を貰って、自分の免疫力を整えていくのだ。

 それゆえ、生後6ヵ月以内は、絶対に母親の母乳以外のものを与えてはならないのだ。ミルクをいくら与えても免疫力をつけることはできないのだ。それどころかミルクの抗体が赤ちゃんの体に入ってしまい、これが抗原抗体反応を示して、無数の病気を連発させていくのだ。赤ちゃんの免疫力は、母親の母乳を通じてしか作り出せないのだ。

 赤ちゃんは生後2年を過ぎない限り、自分で抗体を作り出すことができないので、それまでは母親の母乳のみで生きていくしかないのだ。生後2年以内の赤ちゃんに離乳食なんていならないのだ。離乳食をいくら食べても、免疫力を作り出せないからだ。赤ちゃんの免疫力を作り出すのは、母親の母乳でしかないということを、育児の最中は絶対に忘れるべきではないのだ。

 ミルクは本来「牛の赤ちゃん」を育てる用のものなので、母乳よりもカルシウムなどが多く含まれている。だから、ミルクと母乳を比較すれば、ミルクの方が栄養的には高くなってしまうのだ。だからといって、母乳が赤ちゃんにとって体にいいものではないのだ。赤ちゃんは生後2年以内は、立派な「体格」を作るのではなく、外界に適応できるよう「体質」を作っているのである。この体質作りのためには、母乳以外の飲み物を考え出すことはできないのである。

 離乳食もまったく同じで、赤ちゃんに早いうちから離乳食を食べさせれば、それだけ体は早くに成長してくれる。しかし、それは赤ちゃんの免疫力を犠牲にした上での成長なのである。だからこそ、早いうちから離乳食をたべさせた赤ちゃんは、赤ちゃんの時に病気するだけでなく、その後の成長過程でも病気をしまくるようになってしまうのだ。体は大きくとも、免疫力がついていないために、細菌に物凄く弱い体になってしまったのだ。

 育児の最中は決して医者たちの意見に騙されないことだ。自分の乳房から母乳が出て来ているのに、わざわざミルクを与える必要性はないのだ。赤ちゃんの歯が生え揃っていないのに、離乳食を与える必要性はないのだ。赤ちゃんが生まれてから、2年間は赤ちゃんに免疫力を与え続れば、それでいいのである。それこそが、赤ちゃんに対する最高のプレゼントになるのだ。

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特別自然科学論文:「人類の進化の謎」と「赤ちゃんの胎便」

●赤ちゃんの胎便排出こそが、人間を進化させた

 赤ちゃんの胎便排出は、実は人間の進化と深い関係を持っている。赤ちゃんがちゃんと胎便を排出さえしてくれれば、大腸は奇麗になり、機能を活発化させて、安全な水分を腎臓に送ることができる。腎臓はそれを濾過して、奇麗な水分を全身に供給することができ、特に心臓がその奇麗な水分を使って、心臓を二足歩行に耐えられるだけの血液を送る心臓への成長していくことが可能になるのだ。

 赤ちゃんの心臓を産まれてから1年以上かけて強くしていき、二足歩行が可能になれば、それだけ強い血圧で赤ちゃんの頭部に血液が流れることになるので、脳は成長をしていくことができるのだ。人間の体は男女ともに19歳で成長期は終わるが、脳は年齢に関係なく使用し続ければ続けるほど成長していくことができるので、大腸と心臓が健康に育ってさえくれれば、脳を成長させ、それが人間の進化に繋がったのである。

 だからこそ、昔の母親たちは、胎便の排出に拘ったのである。これさえ出れば、赤ちゃんは病気をせず、無事に育つということに、経験則に気づいていたのであろう。ところが、医者が出産に手を出すようになってから、この胎便排出の絶対的な重要性を忘れてしまい、そのために、赤ちゃんは病気のオンパレードになり、心臓も脳も無事に成長させることができなくなってしまい、脳も充分に成長せず、知能を高くすることができなくなってしまったのだ。

 大学で教育を受けてしまった女性たちは、どうしても頭でっかちになりがちだ。「大腸の安全化」こそが、育児の要なのである。胎便をきちんと排出させていないのに、無理矢理に二足歩行させたり、幼児から教育を施し頭を良くしようとしても、それは無理なのである。そういう育て方をしてしまえば、どうしても健全に知能が発達しないし、人格的にも歪んだ人間になってしまうのだ。

 胎便排出によって強化された大腸は、奇麗な水分を救急することによって心臓を強化し、強化された心臓は高い血圧によって血液を多く送って脳を強化していくのだ。この三つの繋がりがなければ、人間は知能を高くすることができないのだ。勉強によって頭だけを鍛えても、人間としてきちんと土台ができていないから、健全な成長をしてくれなくなってしまうのだ。

 そもそも、頭だけに脳があると思い込んでいるのが根本的な過ちで、大腸と心臓と頭が繋がっている以上、脳はそれぞれの器官の中にも存在しているのだ。大腸には「腸脳」があり、「霊魂」が宿る場所なのだ。心臓は「心脳」があり、「心」が宿る場所なのだ。頭には「頭脳」があり、「感性」「理性」「意志」が宿る場所なのだ。

 多くの誤れる母親たちは、教育によって自分の子供の理性だけを鍛えてしまい、霊魂もj心も感性も意志などをまったく鍛えさせないのだ。だからこそ、高い偏差値を記録し、一流の大学を卒業した人間たちが、霊魂の存在を否定したり、神の存在を否定し出すようになったり、心を鍛えていないために、人格的に卑劣で、いつも人間関係でトラブルを生じさせてしまうったり、感性が成長していないために物事の感受性が物凄く弱く、そして意志が鍛えられていないために、他人への批判をするが、自分で自分が本当にしたいことを実行することができないでいるのだ。

 現在の教育制度では、筆記試験ができた者だけを優秀と看做すシステムになっているので、このシステムこそが誤りなのである。教育は「知育」「体育」「徳育」の三つが揃ってこそ、まともな教育になるので、筆記試験だけでなく、体育の試験をも導入すべきだし、学級会や生徒会の役員をやったとか、ボランティア活動をやったとかを考慮して、そういう人物を優先的に優遇していくシステムに変えていかなければ、大学生なのに麻薬事件や強姦事件や殺人事件を起こしたり、大学を卒業したというのに、歪んだ考えや邪悪なイデオロギーに取りつかれてしまう人たちが跡を絶たないことだろう。

●人間は進化の完成体ではなく、進化の途上にある生命体

 人間は「腸脳」「心脳」「頭脳」の三つの脳を持ったからこそ、人間は進化を遂げることが可能になったのだ。人間の進化の歴史の始まりは、果実食動物であった人類の子孫が、フルーツが実るジャングルから、湖の中に生活拠点を移したことに始まる。霊長類はすべて果実食動物であるが、果実だけでなく、草や水草も食べる。その中でも我々人類の祖先は「水草」を多く食べることを好み、食物繊維の豊富な水草を大量に食べることによって、大腸を成長させ長くしていったのだ。

 しかも、水の浮力で二足歩行が可能になり、それによって体に内臓を広げるスペースが充分にでき、内臓の機能を上げることによって、「魚」という動物性の食べ物を食べることが可能になったのだ。この魚の動物性蛋白質こそが筋肉を強化させたし、この魚の動物性脂肪こそが頭脳を強化させたのである。この湖での生活がいかに人類の進化にインパクトがあったかは、未だに人類は二足歩行をしているし、指と指の間には水掻きの跡が残っていることも解る。

 そして、二足歩行を開始した人類は、湖から草原に出た。しかし、たくさんの猛獣がいる草原では人間は圧倒的に不利で、獲物を獲ることができないので、他の動物が見向きもしなかった「根菜類」を見つけ出して食べることになった。この根菜類を食べることによって、豊富な炭水化物を得ることによって、筋肉の量を大いに増やし、草原で生きていけるだけの体力を得ただろうし、またその豊富な食物繊維のお蔭で、人間の大腸の機能を向上させ、長くすることによって、人間の頭脳をより強化させたのである。

 更に知能を高めた人類は、猛獣が食べ残した動物の骨を取ってきて、骨の中にある骨髄を食べるようになった。この骨の骨髄こそは、高カロリーの食品であって、これを食べることによって、知能を飛躍的に高めることができたのである。この進化がいかに強烈であったかは、未だに人間の手の形が、動物の骨を握るのに適した形になっていることでも解る。

 その後、人類はその高い知能を使って、草食動物を捕らえることができるようになり、肉食を開始することによって、更に筋肉量を増やし、脳の容積量を増加させ、知能を高めていったのだろう。そしてアフリカだけでは人口を賄えなくなり、アフリカ大陸を出て、獲物を求めて全世界に広がっていったのだ。

 ところが、今から1万2千年前に地球大変動が起こって、草花が豊かに咲いていたシベリアが一夜にして凍りつくという気候変動を経験した。その際にシベリアに展開していたモンゴロイドたちは、体を進化させ、凹凸のない顔にして凍傷を防ぎ、胴長にして脂肪を多く蓄えることで、寒さを凌いだのだ。

 この豊富な体脂肪こそが更に人間の知能を高くさせ、その後に農耕や牧畜を開始し、モンゴロイドのシュメール人たちが、アムダリア川とシルダリア川の間から南下して、メソポタミアの地にいって、人類で初めてメソポタミア文明を築き上げることができるようになったのだ。シュメール人たちは楔形文字を開発したので、この文字の使用こそが、更に人間の知能を発達させ、人間が使用する語彙を爆発的に増加させて、人間の生活を飛躍的に豊かなものに変えていったのだ。

 ユダヤ=キリスト教では、人間は神の姿に似せて創られたと考えてくるので、人間は完成体だと思い込んでしまう。人間は既に完成体なのだから、自分が悔い改めることによって、正しい位置に復帰して、律法を守るなり、信仰をするなりして、自分を義人にならければならないという考えた方を持ってしまう。しかし、人間は決して進化の完成体ではなく、進化の途上にある生命体なのだ。律法を守った所で、信仰をした所で、人間は義人なんかにはなれないのだ。我々は自分を完成体だと思って進化を止めてしまうのではなく、自分を未完成だと思って進化をし続けることでしか、自然界の義人にはなれないのだ。、

●行動様式の変化こそ進化の原動力である

 こうやって人類の進化の歴史を見てくると、進化の原動力は行動様式の変化こそにあると結論づけていいのだ。行動様式が変わり、地球の重力と骨の力学的特性に従って、骨の形が変わり、それによって内臓が変わり、心臓を強くして、脳を進化させたのである。動物の遺伝子はその行動様式の変化に追随したにすぎないのだ。

 突然変異や生存競争や環境適応によっれ進化が起こったわけではなく、人類が食べた物がそれまでと違ったからこそ、進化できたのである。霊長類の中で突然変異が起こったわけではなく、霊長類のくせにジャングルよりも湖に行き、水草を大量に食べるトンマな霊長類がいたからこそ、進化が始まったのである。決して霊長類の中で突然変異が起こったからではないのである。

 人類の進化の歴史を見る限りにおいて、チャールズ・ダーウィンの進化論は間違っており、ジャン・バティスト・ラマルクが発見した法則こそが正しいのだ。進化論と聞くと、ダーウィンを思い出してしまうのだが、ダーウィンは博物学的な収集の仕方で進化の仮説を挙げただけであって、決して科学的に進化の法則を発見したわけではないのだ。進化論の論争で根本的な誤りは、ダーウィンの仮説を進化の法則と置き換えていることなのである。ラマルクが発見した法則は、「用不用の法則」と「獲得形質遺伝の法則」からなる。

①用不用の法則

 動物の器官は、生育の範囲を超えない限り、使えば発達し、使わなければ委縮することもある。

②獲得形質遺伝の法則

 この行動様式が雌雄共通の場合は、生殖を介して、この変化は子孫に伝わる。

 人類の進化の歴史を見る限り、まさにこの法則のもとに、人類は進化してきたのである。四足歩行だった人類の祖先は、湖の浮力を使って二足歩行が可能になり、この二足歩行をするために心臓を発達させて、その心臓から送り出される高い血圧の血液が頭部に行き、人類は徐々に知能を高めていったのだ。一方、二足歩行を開始したために、霊長類にある筈の尻尾が退化してしまったのだ。

 この二足歩行を始めとする行動様式の変化は、生殖を何世代も繰り返すことによって、その変化が子孫に遺伝していったのである。決して人類は突然変異で遺伝子を変えていったのではなく、行動様式が今までとは違ったからこそ、その範囲内で遺伝子が変わっていったのである。

●マクロの変化こそがミクロの変化を引き起こす

 ラマルクの学説に対して、ダーウィンの学説がというと「個体変異説」と「自然選択説」の二つからなる。

①個体変異説 

 すべての生物は変異を持ち、変異のうち一部は子孫へと伝達していき、その変異の中に生存と繁栄に有利な物がある場合、その子孫は繁栄していく

②自然選択説

 限られた資源を生物個体同士が争い、生存し続けるために、生存競争をし、それによって自然選択がなされ、環境に適応できない生物は自然淘汰され、環境に適応できた生物は適者生存の状態になり、繁栄していく

 個体変異説がおかしいのは、その個体の変異は一体なぜに発生したかの説明がつかないことなのである。こういう考え方では突然変異の考えを取り入れてしまうことになってしまう。生物は生殖の過程で、日々変異しているし、突然変異だって産まれている。しかし、それらの個体は進化にはなんの影響をももたらさないのである。

 進化をもたらすのは、その生物の行動様式が変化したからであって、その行動様式の変化が子々孫々に継続されればこそ、遺伝子は変異し、その変異した遺伝子がその後、退化する変異に向かわないで、その変異を維持し続けるのである。順序が逆なのである。

 自然選択説にしても、人類は他の猛獣たちとの生存競争を避けながら進化を続けてきたのであって、しかも、人類は地球環境に適応したことなど一度もないのだ。寧ろ、ほとんどの場合、生存競争などせず、棲み分けを行って、他の猛獣たちが食べない物をせっせと食べてきたのだ。人類は現在、自然界の頂点には立っているが、その地位の獲得のために、地球環境に適応したのではなく、地球環境を破壊し、創り変えることによって獲得してきたのだ。

 ダーウィンの学説の根本的な過ちは、ミクロの変化がマクロの変化を引き起こすと考えていることである。そうなのではなく、マクロの変化こそが、ミクロの変化を引き起こすのだ。人間のみならず、すべての動物たちの進化は、行動様式の変化こそが最大の原因であって、突然変異や生存競争や環境適応が原因ではないのだ。植物と動物とでは進化の仕組みが異なるのであって、それをごっちゃにしてはならないのだ。

 もしも、個体が変異するなら、シーラカンスという生きた化石が存在するわけがない。シーラカンスは行動様式を変えなかったからこそ、進化を停止することができたのである。個体間で起こる変異や突然変異も、行動様式の変化によって引き起こされない限り、無意味なのである。

 だからこそ、人間のような進化の過程にいる生命体もいれば、シーラカンスのように進化を停止させた生命体も存在するのである。もしも、環境適応できない生物が自然淘汰されているなら、人間は自然淘汰だれた筈である。人間はいつでも地球の環境に適応したわけではないからだ。シーラカンスにしても必ずしも環境に適応しているとは言い難いのだ。シーラカンスの猟の仕方よりも、他の魚の方が捕食の仕方は巧いからだ。

●人類進化の三大法則

 人類の進化は、個体変異説や自然選択説では説明がつかないのである。確かに人類の進化の過程で個体は変異したし、生存競争をしたかもしれない。しかし、それらは進化の過程の中で現われてくる「現象」であって、法則ではないのだ。現象を以て法則に変えることはできないのだ。

①行動様式変動の法則

 人類の進化の最大の原動力は、捕食における行動様式の変化である。人類は果実食動物なのに、湖で水草を大量に食べ、二足歩行を可能にさせたからこそ、人類の進化が始まったのである。その行動様式の変化が、一人の行動様式の変化ではなく、種として変化が行われ、それが生殖による変化の継続を行われ、その行動様式に合うように遺伝子が変異を起こして追随していったのである。

 この行動様式の変動においてもっとも重要なのは、「重力」であって、重力を無視するような行動様式を取ることができないのだ。あくまでのその重力の範囲内で行動様式の変化が行われ、人間が有する「骨の特性」によって骨格が変化し、それによって内臓が変化し、そして頭脳が変化していったのだ。

 その行動様式の変化が、生殖による遺伝子の変化によって、行動様式の変化に追随していくのである。従って、進化は1人の人間には起こらないのであって、あくまでも生殖によって遺伝子がその行動様式の変化に合うように変異してくれなければ変化しないのだ。人間の生殖は男女の違う遺伝子を融合させるので、常に進化のスタンバイができているのだ。このように、生物は行動様式の変動によって進化することが内臓されているのだ。それゆえ、行動様式を変化させなければ進化は起こらないし、行動様式を変化させれば進化が起こるのだ。

②自然界内地位変動の法則

 進化は決して個体だけは発生しない。進化の単位は「種」である。そして、その種は「草食動物」と「肉食動物」によって大きく違い、草食動物は草や果実させあれば無制限に繁殖できるが、肉食動物は草食動物を餌とするために食料が少ない。そのため、内部で殺し合いをすることによって、生存数を調整し、外部においては、「棲み分け」と「生存競争」をすることによって、生存数を調整する。

 人間にとっては、国内の殺人事件や死刑制度、国外での戦争によって、生存数を調整させるのだ。いくら殺人事件を防止しようとも、いくら死刑制度に反対しようとも、いくら戦争に反対しようとも、人間はこれらのことを起こしてしまうのである。そうしなければ、生存数を調整できず、人類そのものが共倒れになってしまい、絶滅してしまうかrだ。

 人類は本来は草食動物だった。しかし、進化を開始することによって、肉食動物の機能も果たし始めたので、どうしても肉食動物が持つ残酷な宿命を果たしていけなければならなくなったのだ。自然界内では地位が高くなればなるほど、残酷なことしなければ、その地位を保つことができないからだ。

 行動様式の変化によって、この自然界内の地位を変動させたことで、種の内部で殺し合いをすることによって、更に進化しなければならなくなったのである。人類の進化の過程で、なぜ猿人や原人や新人が絶滅していったのかは、人類が自ら獲得した自然界の地位を守るためにやったということでしか説明がつかないのだ。そのくせ、人類は猛獣には物凄く弱くて、進化の過程のほとんどの間、これらの猛獣との生存競争を避け、棲み分けることによって進化してきたのである。

③地球環境変動の法則

 そして最後に、人類の進化に決定的な影響を与えたものは、地球環境の変動である。人類が文明を誕生させる切っ掛けになったのが、今から1万2千年前に起こった地球大変動だからだ。なぜ地球環境が変動するのかといえば、地球に降り注ぐ太陽の太陽光が変動するし、地球と太陽が直角に交わっていないことによる気候変動が発生するし、また、隕石の衝突だって起こり得るからだ。

 地球環境が変動した場合、新たな行動様式を構築した種が、突然変異を繰り返しながら、最適の行動様式を取れる遺伝子に辿り着くと、それによってその種自体が一斉に変革し、生存できる場を拡大しながら、爆発的な進化を遂げてきたのである。地球環境に変動が起こると、種は一斉に短期間で変化するのである。

 通常の遺伝子の変異や突然変異は、進化には関係ない。地球環境が激変した後の一斉変革こそが大きな進化に繋がるのである。この一斉変革が起こった時に、その進化を阻む生物に対して絶滅が発生するのである。進化した人類の生息領域の拡大によってマンモスを始めとして、多くの生物が絶滅に追いやられるのである。

●進化の偶然性

 人類の進化は決して「必然の産物」ではないのだ。「偶然の産物」なのである。たまたま果実食動物なのに、湖で生活し出して、水草を大量に食べた、トンマな霊長類がいたからこそ、人類の進化が始まったのである。そして自然界内で地位を上昇させていき、より多くの食料を確保できることによって、更なる進化を遂げてきたのである。トドメが、地球環境の変動で、シベリアが一夜にして凍ってくれなければ、人類は未だに文明を形成できず、狩猟採集経済を営んでいたことだろう。

 生物は少しずつ進化していく。決して一足飛びに進化することなどできない。増してや、個体自体が進化することはない。あくまでも生殖によって変化が継続されない限り、進化など起きないのだ。その際、もっとも大事なことは、自然界の中で、「進化できる隠れた道」を見つ出し、子孫繁栄を遂げていくことなのである。その隠された道を見つけ出した生命体が偶然に進化をしまくり始めるのである。

 そして、その一方で、進化は地球環境の変動によって一斉変革が起こることが予定されており、その地球環境の変動を乗り切って、一斉変革を引き起こして、爆発的に繁栄を展開していくことなのである。これは地球で生息する以上、当然、制約を受けるべきものなのである。だから、環境に適応して、適者生存などということは起こらないのだ。環境に適応するのではなく、環境の変動を利用して行動様式を変化させ、一斉変革を開始することなのである。

 文明は人間たちが作った以上、「目的論」的ではある。なぜなら、文明はどんなに繁栄しようとも、所詮は人間の作りしものだからだ。だがしかし、生命体の進化は「機械論」的であって、すべては偶然の産物である。自然界を文明の尺度で見てはならないのだ。そんなことをすれば、まったく真実と違う学説を作り出してしまうだけになってしまうことだろう。

 ダーウィンの学説が受け入れられてしまうのは、進化の過程で、個体の変異だって起こっているし、自然選択のようなものも起こっているからなのである。しかし、それらは進化の過程で見られる現象で、決して現象の背後に潜む進化の法則ではないのだ。進化の法則を言い当てているのは、ラマルクであって、ダーウィンではないのだ。

●進化の玉突き現象

 進化の真実が見えてこない最大の原因は、生命体は種で生活を営んでおり、その種が地球環境の変動によって一斉変革をすることを、人為的に再現し、それを検証することができないからであろう。研究室で、遺伝子の変異や突然変異を作り出すことができても、一斉変革だけは作り出せないからだ。まさに「種は変化する時に、変化する」のである。人類はその変化すべき時に出会えないだけなのである。

 進化は決して個体で起こっているのではなく、種を単位として起こっており、その種の進化が「進化の玉突き現象」を起こし、自然界に様々な現象を引き起こしてしまうのだ。人類の進化でも、今から1万2千年前に地球大変動が起こり、たまたまシベリアの地にいたモンゴロイドたちが、体を進化させて、脂肪を蓄えてくれたことによって、脳に今まで以上に脂肪が行き渡り、脳細胞の数が増加して知能が上昇して、文明を作り出すだけの知能を獲得できたのだ。

 そのモンゴロイドに属するシュメール人たちが作り上げたメソポタミア文明を模倣するような形で、エジプト文明もインダス文明も黄河文明も出来上がったのだ。どの文明も大河を中心に文明を築き上げたが、人類が文明を持つ前は、大河は氾濫を繰り返すので、大河の流域にはそれほど多くの人口が住めなかったのに、文明が発生してしまうと、大河の流域を開墾して、多くの人口をかかえることができるようになったのである。

 そして多くの民族が文明化されると、農耕と牧畜をせざるをえなかったが、それなのに、モンゴル平原では農耕もせず牧畜もせず、未だに原始的な遊牧生活を送っていたモンゴル人たちが南下し始め、ユーラシア大陸のほとんどを征服してしまったのである。これもまた違う行動様式を持っていたらからこそ可能だったのである。

 モンゴル人によってユーラシア大陸の内陸部が繁栄してしまうと、西ヨーロッパの人々は貧乏になり、それで農耕や牧畜を中心とした経済をやめ、貿易によって富を稼ぎ出す方向に転換して、大航海時代が始まり、ポルトガル、スペイン、オランダ、そしてイギリスに覇権が移り、イギリスは七つの海を支配して、世界各地に植民地を持って、繁栄することができたのである。

 そのイギリスに対して、アメリカ合衆国は帝国主義の廃止を訴えて、イギリスを始めとして西ヨーロッパ諸国や日本の植民地を手放させることで、覇権を獲得して、パックス・アメリカーナを築き上げたのである。これもまた既存の行動様式と違う行動様式を取ったからこそ、繁栄を遂げることができたのである。

●進化の秘訣

 「進化の秘訣」があるとするなら、既存の行動様式とは違う新たな行動様式を取ることなのである。人間はすべての行動様式を捨て去ることはできない。生存を可能にさせる最低限の行動様式は維持しなくてはならない。だから、行動様式を保守すると共に、新たな行動様式にもチャレンジしていくのだ。

 現在の状況で言うなら、アメリカ合衆国がいくら覇権国家として繁栄していうとも、アメリカ人の生活を真似るのではなく、アメリカ人とは違う行動様式を取ってしまうことなのである。そうすれば、アメリカ合衆国の衰退が始まったら、それを絶好のチャンスとして、一気に進化を遂げ、地球上に繁栄させることが可能になるのである。

 そのためには、小さな政府を実現し、税金を安くし、公務員を少なくして、国民の自由の領域を広げてしまえばいいのだ。社会保障制度など廃止して、国民健康保険も介護保険も民営化してしまい、国民の自由にやらせればいいのだ。そうすれば、国民は自由に動くことができ、それによって新たな行動様式を構築していくことが可能になるのだ。

 なぜ、社会主義やフェミニズムが進化をもたらさないのかといえば、一つのイデオロギーによって、すべての国民に同一の行動様式を取らしてしまうからなのである。そうなってしまうと、進化の原動力である行動様式の変動が起こらず、しかも、地球環境が変動した場合に、その変動に対応できなくなってしまい、全滅してしまうからなのだ。

 更に、社会主義者やフェミニストが危険なのは、物事を必然的に捕え、偶然性を認めないことなのだ。進化は偶然で発生してくるものなのだ。それゆえ偶然を否定してしまうと、進化が起こらなくなってしまうのだ。イデオロギーで頭をパンパンにさせないで、物事を必然的に考えず、思考の余白を残しておくべきなのだ。のんいりと構えて、「偶然の力」を持つべきなのだ。

 そして、進化が始まったら、世界の中で主導権を握って、繁栄できる隠された道を探り当て、そして一気に繁栄していけばいいのだ。進化は起こる時には起こり、急激に進化が展開されるのだ。問題意識を持って、社会の矛盾をいくら指摘しても、進化が始まってしまえば、そんなことほとんど問題にならないのだ。どんなに社会改革を行い、この社会を素晴らしくしても、矛盾のない社会など作り出すことができないのだ。社会に矛盾があるということ自体、その社会は生きているということなのである。

 社会の矛盾を解消させてしまえば、社会は死滅するしかないのだ。「貧富の格差」「男女の性差」「派遣切り」などは、その社会が生きているかこそ、起こりうる問題であって、その社会問題を人為的に解消させてしまえば、現在我々は享受している繁栄さえ根こそぎ奪い取られ、社会には一切の自由がなくなり、凄まじい極貧を味合わなくてはならなくなるのだ。

●人類の進化を守っていくために

 人類は万物の霊長として、自然界の頂点に君臨しているが、その地位が無条件で維持できるものではないのだ。人類の進化を守っていくためには、要は、大腸を健康にさせ、心臓を鍛え、脳を大きくしていくしかないのだ。人類は脳を巨大化させてしまったために、文明を作り出すことができたが、その反面、淫祀邪教や邪悪なイデオロギーをも生み出してしまう、愚かな部分も持ち合わせているのだ。

 だから、赤ちゃんの時に胎便をきちんと排出して、大腸を鍛え、心臓を鍛え、脳を鍛えていくしかないのだ。この作業を死ぬまで続けていくしかないのだ。そして自分の人生で淫祀邪教や邪悪なイデオロギーに洗脳されないように、常に正しい宗教や正しい学問を学び研究していくしかないのだ。この地道な作業を繰り返していかないと、淫祀邪教や邪悪なイデオロギーに洗脳され、自らの繁栄を根こそぎ奪われてしまうことになってしまうのだ。

 自分の脳を発達させたいなら、我が子の脳を発達させたいなら、人類の進化の軌跡をたどっていけばいいのだ。人類はそもそも果実食動物だったのだから、日々の食生活で「フル-ツ」を食べることを忘れないことだ。そして「水草」を食べ、「魚」を食べ、「根菜類」を食べ、「骨髄」を食べることだ。我々日本民族は現在では水草は食べなくなってしまったが、海藻類を食べることで代用している。和食では魚や根菜類は食べるけど、和食では骨髄を食べない。それゆえ、骨髄をきちんと料理で使い、摂取していけばいいのだ。

 それから「動物の肉」を食べる。動物の肉と言っても、筋肉や脂肪だけでなく、内臓や乳製品まですべてを食べてしまうことだ。最後に、「穀物」を食べる。穀物は精白穀物をたべるのではなく、無精白穀物にして食べることだ。日本人だからと言ってお米ばかりを食べるのではなく、五穀を食べ、ソバを食べ、他の穀物にもチャレンジしていけばいいのだ。

 その上で、体を鍛え、筋肉をつけ、それによって脳を鍛えていく。脳は脂肪でできているので、成長期には「植物性脂肪」や「動物性脂肪」を大量に食べて脳細胞を増やし、脳のエネルギーとなる「炭水化物」と「ビタミンB1」を日々の食事できちんと摂取していくことだ。勿論、日々勤勉勤労に励み、勉強や仕事で頭を使って、脳細胞を増やしていく努力を決して怠らないことだ。

 トドメは、定期的に断食をして、内臓を休ませ、できれば宿便排出断食を行い、宿便を排出してしまことだ。宿便を排出させてしまえば、大腸はクリーンになるので、大腸の機能が活性化し、それによって心臓や脳の機能も向上していくことになるのだ。こうした観点から見れば、出生直後の赤ちゃんの胎便排出は、知能を向上させていく人生の始まりであるのだ。

 ほとんどの母親たちは、赤ちゃんの胎便排出が、その後の赤ちゃんの人生で知能の高低を左右するなどと決して思っていないことだろう。それは人類の進化の過程を知らないからだ。自分の子供に無理矢理に勉強させ、一流大学に進学させたとしても、その子の内臓に宿便が詰まっていれば、碌なことを考え出さないものなのである。大腸が汚れていれば、汚い水分が頭部に送り届けられて、その汚い水分で思考しなければならないのである。当然に邪悪な考えしか思いつかなくなるのだ。

 現在の日本では世界各国から食料を輸入して、食料が不足することは有り得ない。だからこそ、日本で進化が始まるとするなら、断食をすることでしか始まらないのだ。赤ちゃんに断食をさせ胎便を排出させ、大人たちは宿便排出断食を行って宿便を排出していく。それをやった者たちだけが、高い知能を獲得して、新たな進化を遂げていくことになるのであろう。

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赤ちゃんの最初のもっとも大事な仕事は胎便を排出すること

●母親がびっくりするほどの胎便

 出生直後の赤ちゃんは決して閑人ではない。出生直後に、まずは自分の母親を確認しなければならないし、新生児黄疸を防止して脾臓を成熟させ心臓を変化させなければならない。そして出生直後の最大の仕事が胎便を排出することなのである。この「胎便の排出」こそが、赤ちゃんにとって最初の山場になるのである。

 赤ちゃんは10ヵ月間もの間、母親の胎内にいたわけではあるが、その間に溜まった老廃物や毒素を出生直後に大放出しなければならないのである。胎便は赤ちゃんにとって宿便であって、これを排出しないと、胎児としての自分が終わらず、外界に適応できなくなってしまうのだ。

 なぜなら、赤ちゃんの大腸に胎便を溜め込んでいると、大腸が外界に適応できるように巧く機能してくれず、大腸から汚い水分が腎臓に供給されて、その汚い水分が腎臓から全身へと駆け巡ってしまうからだ。こうなってしまうと、赤ちゃんは外界に適応できるように自分の体を変えていくことができなくなってしまうのだ。

 昔から、この赤ちゃんの胎便を排出させることに、母親たちは全力を尽くしてきたのだ。胎便は「カニババ」とか「カニクソ」などといわれて、この胎便が通常に排便とは異なっていることに気づいていたのだ。胎便を排出してしまえば、赤ちゃんはほとんど病気をしなくなるのだ。これは日本の母親たちが長い長い歴史の中でたくさんの経験を積み重ねていって獲得した貴重な経験則であるのだ。

 病院で出産してしまうと、この胎便の排出の絶対重要性を無視してくるために、病院で生まれた赤ちゃんはどうしても病気がちになってしまうのだ。出生直後に胎便を排出できなかったために、大腸が外界に適応できるように変形してくれず、そのために、どうしても内臓が巧く機能してくれず、それによって体の至る所で病気を発症させてしまうのだ。

●出生直後の48時間耐久断食

 胎便の排出は、母親の授乳の仕方と深い関係がある。母親が赤ちゃんに授乳してしまえば、赤ちゃんの内臓はその母乳を消化吸収することに追われてしまうので、胎便の排出にエネルギーを回せなくなってしまうのだ。だから、まずは赤ちゃんの胎便の排出が完全に終わってから、授乳するという方法が考え出されるのだ。

 赤ちゃんを出産したら、生後48時間にわたって、赤ちゃんに断食をさせるのである。生後48時間で胎便はすべて出し切ってしまうのだ。出産後48時間にわたって赤ちゃんに授乳させないというのは、驚かれるかと思うが、赤ちゃんは3日分の水と食料を体内に持っているので、決して水分不足にも栄養不足にもならないのだ。寧ろ、その間を利用して、赤ちゃんに胎便を排出させるのである。

 たださすがに赤ちゃんは母乳を欲しさに烈火のごとく泣き出すので、その際は、赤ちゃんが泣いたら、「薄い天日塩湯」を哺乳瓶に入れて飲ませるのだ。お湯は絶対に40℃以下にすることだ。天日塩を使うのは、天日塩の力を利用して、排便をしやすくするためだ。これを行うと、赤ちゃんは胎便を排出しやすくなるのだ。

 しかも、出産直後に母乳を与えず、出産後48時間経ってから授乳させようとすると、乳房がちゃんと膨らみ、初乳がきちんと出てくるのだ。多くの母親たちが初乳の少なさに嘆いているのと大違いなのだ。初乳というものは、実は出産後48時間耐久断食をするように作られているのだ。

 初乳は赤ちゃんの栄養補給を行うだけではなく、赤ちゃんの免疫力を決定的にさせるものなので、きちんと初乳を与えることだ。但し、初乳を与えるのは、出産の翌々日の午前7時を過ぎてからにすることだ。午前7時前では赤ちゃんは排便をする時間帯なので、午前7時を過ぎてから、初乳を与えることだ。

●出生直後の24時間耐久断食

 出生直後の48時間耐久断食は、胎便排出に凄まじい効果がありながらも、出産した翌日に赤ちゃんが大泣きしてくるので、母親の心情が害されてしまうという最大の難点があるのだ。そこで出生直後48時間耐久断食をさせるのではなく、その半分の出生直後24時間耐久断食を行うという方法もある。

 胎便は5回以上排出すると、胎便の大半を出したことになるのだ。胎便の大半を出し終わるのは、大体、出生してから24時間後であるのだ。だから、出産してから赤ちゃんには何も与えず、赤ちゃんに胎便排出を優先させ、胎便の大半を排出し終わったら、赤ちゃんに初乳を与えればいいのだ。

 出産後24時間だと、初乳は多くは出ないが、出ることは出る。但し、初乳を与えてしまうと、翌日の赤ちゃんの排便がなくなってしまうので、その後の赤ちゃんの排便には気をつけて排便をさせることだ。胎便をすべて出し切ったわけではないので、その後の排便で赤ちゃんは残りの胎便を出していくからだ。

 赤ちゃんが排便をしたなら、きちんと褒めて、赤ちゃんにとって排便をすることが快感になるように仕向けるのだ。排便の回数の多い健康な赤ちゃんだと、1日10回以上はしてくるので、苦労がらずに排便の処理をしていくことだ。絶対に赤ちゃんが排便したのに、面倒臭いといってオムツを換えないようなことはしないことだ。

 赤ちゃんをずっと寝かしておくのではなく、赤ちゃんが起きている時は、母親は赤ちゃんを抱いてあげるなりして、赤ちゃんの血行を良くしてあげることだ。赤ちゃんは寝っぱなしでいると血行が悪くなって排便の回数が減少してしまうので、赤ちゃんを動かしてあげることで血行を良くして排便の回数を多くするように仕向けてあげるのだ。

●胎便排出後からの24時間耐久断食

 母性本能の強い女性であるならば、出産直後の赤ちゃんに母乳を与えたいというのは、母親として当然に沸き起こってくる感情なのである。こういう母親に授乳を禁止させることは、彼女たちの心情を深く害することになるので、こういう時は仕方がないが、出産後すぐに初乳を与えても構わない。

 但し、初産の場合は、初乳はほとんど出て来ない。二人目以降の出産なら、初乳は出てくるが、量はそれほど多くはない。だから、決して初乳の量の少なさに対しては、不安がらないことだ。初乳は出産後48時間経たない限り、大量に出て来ることはないのだ。初乳の量よりも、その少ない初乳にも拘わらず、赤ちゃんがちゃんと初乳を飲んでくれることに感動を覚えるべきだろう。

 出生直後の赤ちゃんに母乳を与えてしまうと、赤ちゃんは翌日には胎便が出なくなってしまう。赤ちゃんは母乳の消化吸収を優先させてしまうからだ。しかも、出生後2日目に母乳を与えても、赤ちゃんは余り飲まなくなってしまう。お腹の中に胎便があるために、それほどお腹がすかないのだ。

 胎便は翌翌日から出て来る。赤ちゃんが胎便を排出し始めたら、母乳を与えるのを禁止し、それから24時間断食させることだ。胎便を排出させることに最優先させるのだ。赤ちゃんが母乳を欲しがったら、「「薄い天日塩湯」を哺乳瓶で与えて、胎便の排出を促してあげることだ。

 必ずしも24時間の断食と限定するのではなく、胎便が派出され終わるまで、断食を続けさせることだ。ウンコの色が、黄色くなってくれば、胎便の排出は終わりである。それまでは黒色や茶色のウンコをしまくるので、これらのウンコをきちんと出させてあげないと、胎便を出し切ったことにはならないのだ。

●一体、どの方法がいいのか?

 一体、どの遣り方がいいかといえば、やはり「出生直後48時間耐久断食」だろう。これを行えば、胎便はすべて排出することができるし、しかも、母親の乳房が膨らみ、充分な初乳が出て来るからだ。では、一体なぜ、赤ちゃんは胎便を排出し終わる前に、母乳を欲しがるような仕草をするのであろう?

 これはやはり人間の赤ちゃんは未熟児状態で生まれてきてしまうことに深い関係があるのだと思う。人間は脳を巨大化させてしまったために、人間の赤ちゃんは出生後すぐさま立って歩くことができない。普通の哺乳類の赤ちゃんであるならば、立ちあがることによって、自分の体に地球の重力をかけ、その重力の力によって胎便が出やすいように仕向ける。しかし、人間の赤ちゃんは出生直後に立つことができないために、どうしても断食という形でしか、胎便を排出させることができないのだ。そのくせ脳は巨大化しているので、母親に母乳を欲しがる仕草ができるだけの知能を持ち合わしているのだ。

 この赤ちゃんの脳に重点を置くなら、出産直後に初乳を与えてしまうのも、決して悪くはないのだ。ただ、その場合は胎便の排出が困難になtってくるから、胎便を排出し始めたら、24時間耐久断食させて、胎便をすべて排出させてしまわなければならないのだ。胎便がこういうことをしなければきちんと出てくれないというのは、やはり人間は他の哺乳動物は違うレベルの進化を遂げてしまったからなのである。

 出生直後24時間耐久断食は、出生直後48時間耐久断食と出生直後に母乳を与えてしまう遣り方の丁度中間に当たる遣り方になる。これをやれば、赤ちゃんの胎便を排出させることもできるし、母親が初乳を与えたいという感情をもきちんと満たしてあげることができるのだ。

 人間の赤ちゃんに胎便をきちんと出させるには、この三つの遣り方しかないので、赤ちゃんを産んだ母親は、自分で考えて、自分の意志で選択していくことだ。この胎便さえ排出できれば、赤ちゃんは健康になり、病気を発症しなくてすむようになるのだ。この胎便を排出させないような育児を行っているからこそ、健康な筈の赤ちゃんは病気をしまくるようになるのである。

 初産の母親にとっては、胎便の量の凄さにはビックリすることだろう。胎便排出の重要性を自分の子供たちに教えておくためにも、赤ちゃんが胎便を排出するたびに写真を撮っておき、いかに胎便の量が多く、いかに胎便の回数が多いかを、写真にして残しておくことだ。この写真ほど、将来、自分が生んだ子供たちが大人になって結婚する時に、役に立つものはないのだ。

 赤ちゃんは胎便を排出すると、体重が激減する。しかし、その体重も、生後7日から10日で赤ちゃんは体重は、出生直後の体重に回復してくる。だから、赤ちゃんの体重の減少には心を悩ませないことだ。胎便を排出する赤ちゃんなら、誰もが通る経過なのだ。特に初産の母親はこのことを知らないために、赤ちゃんの体重減少に驚いてしまうので、赤ちゃんは胎便排出によって体重が減少し、その後に体重を回復してくるということを、予め育児の知識として持っておくことだ。

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胎盤を食べると、産後の体調の回復が早くなる

●臍の緒jは本来「食用」だった

 今でこそ、助産院を退院する際に、桐の箱に入った「臍の緒」を出産の記念品として持ち帰っているが、昔の母親たちは「臍の緒」を食べていたのである。これは漢方医学の影響で、漢方医学では産婦が「臍の緒」を食べると、産後の体調の回復が早くなるということが解っており、産婦たちに漢方薬として「臍の緒」を食べさしていたのである。だからこそ、臍の緒がまるで漢方薬の薬箱のような箱に入っているのである。昔の母親たちは、あれをパクリと食べていたのだろう。

 この産婦に臍の緒を食べさせるというのは、非常に素晴らしい方法だったのである。すべての哺乳動物たちは出産すると、胎盤を食べているのである。勿論、外敵に胎盤の臭いを嗅ぎつけられて、赤ちゃんが襲われないようにするためでもある。だが、そういうこと以上に、赤ちゃんを産んだ母親が胎盤を食べることで、産後の体調の回復を早めるという効果を狙ってのものなのだろう。

 人間が哺乳動物である以上、やはり胎盤は食べるべきなのである。出産で疲労しきった産婦に胎盤を食べさせて産後の体調を早めさせてあげるべきなのである。そうすれば、産婦が産後の肥立ちがどうも悪くて本調子にならないとか、産褥熱を患ったり、マタニティーブルーで憂鬱になったりすることを防げることだろう。

 だが、しかし、ここで大いに問題になるのが、この胎盤を食べるということに反対している西洋医学の存在なのである。日本から臍の緒を食べるという習慣を駆逐していったのが、西洋医学だからだ。だからこそ、病院で出産すれば、胎盤などバケツの中に捨てられてしまい、廃棄処分されてしまうのである。いかに西洋医学が妊娠や出産のことについて、何も解っていない医学であることの証左であろう。

 俺は出産してから、母親が臍の緒を貰うのは世界共通のことかと思っていたら、そうではなかったのだ。日本人男性と結婚した白人女性たちは、出産した後に臍の緒を貰うと、「ゲッ!」とするらしい。ヨーロッパでもロシアでもアメリカでも、臍の緒を貰うという習慣はまったくないのだ。白人たちは、臍の緒や胎盤の重要性にまったく気づいていないのだ。

●助産婦には事前に言っておく

 産婦が臍の緒や胎盤を食べると、女性ホルモンや母性ホルモンの分泌が非常に良くなり、それらのホルモンの力で、妊娠と出産で拡大してしまった子宮を元の姿に回復させ、乳房を膨張させ母乳が出やすいようにさせるのだ。こういうことを引き起こすことは、人間が人工的に作り出した薬で行うのは無理で、やはり臍の緒や胎盤を食べることでしか、このような効果を引き出せないのだ。

 初産の場合、初めての妊娠と出産だったので、この子宮が元の姿に回復するのが非常に遅くなってしまい、そのためにそれが産後の肥立ちの悪さになって現われてきてしまうのだ。また、初産の産婦に限って母乳の出が悪いのも、初めての育児になるので、まだ乳房が勢いよく母乳が出るようには成長してくれていないのだ。

 二人目以降の出産になると、出産そのものは怖くないけど、後陣痛が恐ろしいと言われている。これは初産の母親たちと違って、子宮が良く動くようになったためであり、出産後に子宮が元の姿に戻っていく際に、激しい痛みを生じさせるのだ。これは初産と二人目以降の出産で、臍の緒や胎盤を食べなかったら、その激しい痛みを軽減させる母性ホルモンが不足してしまい、そのために後陣痛の激しい痛みを引き起こしてしまうのだ。

 産婦が産後の体調回復のことを考えるなら、やはり臍の緒や胎盤を食べるべきだが、日本では臍の緒を記念品として貰う習慣はあっても、臍の緒や胎盤を食べる習慣はなくなってしまったので、事前に助産婦には臍の緒や胎盤を食べることに重要性を説明しておき、その上で出産した際には、臍の緒と胎盤を取っておいて貰うことだ。

 胎盤は食用となるので、出産後に無理矢理に胎内から出してしまわないことだ。出産しても臍の緒をそのままにしておき、1時間30分以上、裸のままの赤ちゃんを床の上に置いておき、その後にゆっくいりと後産で胎盤を出していけばいい。胎盤は自分のホルモンを調整するものなので、胎盤を無理矢理に取り出してしまうと、その胎盤にストレスがかかり、安全ではないホルモンになってしまうのだ。ホルモンという非常に大事な物を扱う以上、慎重になって取り出すことだ。

●基本的には「ナマ」で食べる

 日本では臍の緒や胎盤を食べる習慣がなくなってしまったために、臍の緒や胎盤の食べ方は解らないと思うが、基本的には「ナマ」で食べることだ。ナマじゃないと、細胞が死んでしまうからだ。決して加熱処理してしまわないことだ。あくまでも「ナマ」で食べることだ。出産する前までは自分のお腹の中に入っていたので、絶対に安全である。

 産後の体調回復を目指すものだから、産後に食べてしまうことだ。勇気を持って、「パクリ!」と食べてしまおう。ただ、初産の産婦には、非常に大きな勇気が必要であることは、特筆しておく。二人目以降の出産をした母親になると、自分の体内に既に母性ホルモンが出ているので、産後に「臍の緒や胎盤を食べてしまいたい!」という食欲が湧いてくるので、その食欲には忠実になって食べてしまおう。

 もしも、食べきれない時は、胎盤を「ひと口サイズ」に切って、冷凍保存しておくことだ。それをその後、母乳の出が悪くなった時に、ひと口サイズの物をパクリと食べると、母乳の出が非常に良くなるのだ。胎盤を冷凍保存した場合は、凍ったままの胎盤を食べないことだ。凍った胎盤を食べると、内臓が冷えてしまい、有効な効果が得られないのだ。あくまでも自然解凍させて、冷たくない胎盤を食べることだ。

 臍の緒はすべて食べてしまわないで、記念品として持ち帰るものは残しておこう。やはり、こういうのがあると非常に有難い記念になるからだ。赤ちゃんが成長して大きくなった時、「お前の臍の緒はこれだよ」と教えておけば、母親の権力は絶大化するからだ。母親にとって臍の緒は、まさに伝家の宝刀なのだ。

 産婦が臍の緒や胎盤を食べると、産後の肥立ちが良くなり、母乳の出が良くなるだけでなく、老化を防止することができるのだ。女性は33歳を過ぎると老化が始まっていくのだが、産後に臍の緒や胎盤を食べると、この老化のスピードが物凄く遅くなり、いつまでも若差を保つことができるようになるのだ。

 特に40代後半で女性ホルモンの分泌が急激に減少して行く際に、多くの女性たちは更年期障害に侵されてしまうのだが、産後に臍の緒や胎盤を食べておくと、この更年期障害の発症を食い止めることができるのだ。出産する時期が10代や20代であったとしても、産後に臍の緒や胎盤を食べなければ、自分が40代公判や50代になって更年期障害を発症してしまうことになるので、自分の未来を見越して、きちんと食べておこう。

●産後に羊の胎盤を食べよ

 人間の臍の緒や胎盤が、女性にとって健康にいいということは、他の動物の臍の緒や胎盤も人間にとって健康にいいということである。産後にどうも腰痛だなと思ったり、どうも母乳は出るんだけど量が少ないと思うなら、「羊の胎盤」を食べればいい。羊の胎盤を食べれば、産後に起こる不調を回復させることができるのだ。さすがに羊の胎盤はお店では売っていないので、羊を飼っている牧場にいって、牧場主に事情を説明して、羊の胎盤を売ってもらえばいい。但し、牛や豚の胎盤は病原菌の問題で危険なので、絶対に羊の胎盤に限定しておくことだ。牛で代用させるなら、牛の子宮でも食べればいいだろう。

 初産の場合、最初の出産ということもあって、産後に母性ホルモンの分泌がイマイチになっているので、病気ではないのだけど、なんか体調がどうも芳しくないという、得体の知れない不調に襲われることがあるのだ。これは自分の体内で母性ホルモンが分泌され始めたことによる不調なので、病気ではないのだ。それゆえ、この不調で絶対に病院には行かないことだ。下手をすれば、精神病院送りにされてしまし、そうでなくても、薬漬けにされてしまい、より体調を悪化させてしまうことになるのだ。

 そんなことよりも、とっとと二人目を妊娠して出産してしまうことだ。三人目の赤ちゃんを産めば、母性ホルモンの分泌が活発になり、自分の体もそれに対応して、体の不調は消え去ってしまうのだ。それまでは、羊の胎盤を食べたりして、産後の得体の知れない不調を防いで行けばいいのだ。

 生まれて初めて赤ちゃんを産んだとしても、母親としては初心者ということなのである。最初から行き成り完璧な母親になれるわけがないのだ。産後に母性ホルモンが分泌され始め、自分が健康であったとしても、自分の体すらまだ母性ホルモンに慣れているわけではないのだ。それに慣れるまで、病気ではないんだけれど、体調がどうもおかしいというのは、当然の現象なのである。

 自分の体調を万全しようとしたり、自分を完璧な母親と思うのではなく、最初の赤ちゃんの育児をせっせと励み、早いうちに二人目、三人目の赤ちゃんを産んでいくことである。そうすれば自分の体も母性ホルモンに慣れ、体の不調は吹き飛んでしまうのである。自分が一人前の母親になるには、それだけ多くの時間が必要なのである。

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産湯と産水 ~赤ちゃんの自律神経の鍛え方~

●早すぎる産湯の危険性

 どこの病院でも、赤ちゃんが生まれたら、すぐに産湯で赤ちゃんを洗ってしまうが、それこそが、赤ちゃんの脾臓を未成熟にさせ、心臓に障害を負わす危険な行為なのである。赤ちゃんは生まれたら、1時間30分以上、裸のままで床の上に放置しておき、脾臓を成熟させ、心臓の卵円孔が塞がれて、やっと外界に適応でき、まさに健康な赤ちゃんとして、この世で生存することができるのである。

 だからこそ、産婆が助産行為を行っていた時代は、産湯は赤ちゃんが産まれてから沸かすものだったのである。産湯を赤ちゃんが産まれる前から用意しておくということはなかったのである。産婆は医学的な理由は解らなかったにせよ、産婆たちの経験則の中で、生まれたての赤ちゃんをすぐに産湯で洗ってはいけないということを知っていたのだ。それゆえに、日本人に血液の病気や心臓の病気が、非常に少なかったのである。日本人の間で血液の病気や心臓の病気が激増していくのは、病院で赤ちゃんを出産するようになってからなのである。

 今まで胎内の中にいた赤ちゃんにとって、我々が住む世界は、そのままでは生存できない世界なのである。生まれる前は地球の重力など気にせずほど軽かったのに、生まれてからは地球の重力をダイレクトに受け、胎内では低酸素で暮らしていたのに、外界では肺呼吸をしなければならず、そのために自分の脾臓や心臓を変化させて、そうやって自分の体を変えていかない限り、この世では生きていけないのである。それを無視して、医者たちの都合で、勝手気儘に赤ちゃんを処理してはいけないのである。

 大事なことは、大人たちの都合ではなく、赤ちゃんの都合を最優先してあげることなのである。子宮という羊水に満たされて重力が軽減されている世界で育ってきた赤ちゃんが、出生することによって、いきなり地球の重力に晒されるのである。胎内では母親から酸素を貰っていた赤ちゃんが、出生することによって、いきなり肺呼吸を始めるのである。その環境の変化に対応し、自分の体がきちんと変化できるまで、時間がかかるのは当然なのだ。

 赤ちゃんが生まれたら、すぐに産湯で洗わなければならないと思い込んでいる女性たちにとっては、産後1時間30分以上、赤ちゃんを裸のままで床の上に放置しておくというのは、びっくりすることだろう。しかも、この間は臍の緒をつけたままで、母親は赤ちゃんのすぐ側にいなければならないのである。出産していた時間が余りにも濃密であったために、この時間は余りにもゆっくりと流れていると感じてしまうだろうが、生まれたての我が子を見守りながら、この緩やかな時間を赤ちゃんと共に過ごせばいいのだ。

●赤ちゃんへの温冷水浴

 産湯に赤ちゃんを浸すのは、産後1時間30分以上経ってからなのである。産湯は39℃以下にしなければならない。赤ちゃんにとっての産湯は、大人にとってみれば「ぬるま湯」でしかない。肌が発達していない赤ちゃんにとって、大人たちが入るようなお風呂は必要ないのだ。大人たちが入っているお風呂は、赤ちゃんにとっては熱すぎるのだ。

 産湯で赤ちゃんを洗う時は、お湯で洗うだけで充分なのだ。絶対に石鹸など使用してはならない。赤ちゃんは汚れていないし、汚くもないのだ。赤ちゃんの肌は、発達途上にあるので、ここで石鹸などでも使われてしまったら、肌が破壊されてしまうのだ。人間にとって石鹸が必要になるのは、ずーっと後のことなのである。

 産湯で赤ちゃんを洗ったら、今度は「産水」に浸けることだ。産水は20℃以下にすることだ。この産水は日本の風習からは消えてしまったが、産湯よりも産水の方が、昔は主流だったのだ。なぜ、産水が消えたかといえば、江戸時代の気温が現在の気温よりも寒かったからだ。特に冬場に赤ちゃんを産む場合、日本の家屋では非常に寒くなってしまい、産水を使用してしまうと、赤ちゃんにとっては冷たすぎたのだろう。しかし、現在の日本の気温は温かくなっているので、産水を復活させた方がいいのだ。

 産湯と産水を交互に使って、赤ちゃんを洗っていくと、赤ちゃんの自律神経が正常に作動して体の各器官を活性化し、しかも、この温冷水浴によって赤ちゃんの肌は非常に鍛えられるのだ。産湯だけでは、この効果が得られず、どうしても病気がちの赤ちゃんになってしまうのだ。

 産湯と産水を使う際は、必ず浄水を使用することだ。水道水をそのまま使用してしまうと、水道水に含まれている塩素が、そのまま赤ちゃんの肌から侵入してしまうのだ。それゆえ、産湯や産水は必ず浄化し、赤ちゃんにとって安全な水を使うことだ。できれば、この産湯や産水に天日塩を加えると尚いい。赤ちゃんは今まで羊水に浸っていたので、それなのにいきなりお湯やお水では結構負担になるのだ。羊水はほぼ海水と同じ成分である以上、産湯や産水に少しは天日塩でも加えて、赤ちゃんの肌に優しいお湯やお水を提供してあげればいいのだ。

●副腎が鍛えられると、副腎皮質ホルモンが分泌される

 出生直後の赤ちゃんに温冷水浴をすると、副腎が鍛えられ、その後の育児で皮膚のトラブルが激減するのである。赤ちゃんは胎内にいた時は、羊水に守られていたために、皮膚を発達させる必要がなかった。しかし、出生することによって、細菌が一杯いる外界に適応しなければならないのだ。そのためには副腎を鍛えて、副腎から副腎皮質ホルモンを分泌させなければならないのだ。

 だが、赤ちゃんの副腎は、脾臓や心臓と同様に、未成熟の状態にあるのだ。それゆえ、そのままにしてしまうと、副腎が成熟せず、副腎皮質ホルモンが正常に分泌されないので、赤ちゃんは育児の過程でたびたび皮膚のトラブルを起こしてきてしまうのである。これは赤ちゃんに産湯だけを使用してしまうからなのである。

 そこで、産湯だけでなく、産水をも使って、温冷水浴を行わせると、赤ちゃんの副腎は鍛えられ、赤ちゃんの副腎から副腎皮質ホルモンが分泌され、赤ちゃんの肌を活性化し、赤ちゃんの皮膚のトラブルがなくなるのだ。この赤ちゃんの皮膚のトラブルがなくなることが、どんなに有難いことかは、赤ちゃんの皮膚のトラブルを抱え、それを完治できずに困っている母親たちの哀れな姿を見ればいいのだ。育児の中で、赤ちゃんの皮膚のトラブルだけは非常に厄介なのである。

 皮膚はただ単に皮膚として存在しているわけではなく、皮膚呼吸を行うし、皮膚から水分を補給するし、皮膚から発汗して、体内の水分調整を行っているのだ。それなのに、皮膚にトラブルが生じてしまえば、その機能が正常に作動しないということなので、体の至る所で病気を発生させてしまうのだ。病人に限って、お肌に張りと艶がなくなってしまうのは、そのためなのだ。

 赤ちゃんの肌は、まさに「玉のような肌」なのだが、それを当たり前と思ってはならない。その玉のような肌は、母親が赤ちゃんに適切な育児をしている場合だけなのである。母親が赤ちゃんに間違った処置をし続ければ、赤ちゃんの肌は健康を失い、その病的なことを皮膚にトラブルを起こすことで、母親に知らせるのである。

●温冷水浴は今後も続く

 温冷水浴は人間の入浴の仕方の基本なのだ。大人ですら、お湯ばかりに浸かっていると肌が弱ってしまうと同様に、赤ちゃんもお湯ばかりに浸かっていると、赤ちゃんの肌は弱ってしまうのだ。お湯よりも、寧ろ、冷たい水の方が、肌を鍛えてくれるのだ。ただ、冷たい水では体を冷やしてしまうので、お湯とお水を交互にやっていった方がいいのだ。

 温冷水浴は出産後だけでなく、今後の育児でも延々と続けなければならないのである。温冷水浴をやっていれば、赤ちゃんの自律神経は正常に作動し、副腎は鍛えられ、皮膚は健康になっていくのだ。温冷水浴を行うからこそ、病気知らずの赤ちゃんに育てていくことができるのである。

 温冷水浴は何も赤ちゃんだけが行うものではなく、母親も行うべきなのである。母親も赤ちゃんと同様に温冷水浴を行い、自律神経を正常に作動させておけば、産後にマテニティーブルーに陥ることなどなくなるのである。しかも、皮膚が鍛えられることで、お肌に張りと艶が出て来て、美しくなっていくのだ。お肌が奇麗だということは、皮膚呼吸が盛んに行われているということであり、そうなれば母乳の出も良くなるし、子育てに活力が出て来て、赤ちゃんを育てることに非常に大きな喜びを感じられるようになるのだ。

 人間はお湯だけに入っていると、どうしても自律神経が正常に作動してこなくなるので、どうしても病気になってしまうし、人間関係でもトラブルが生じてきてしまうのだ。自分が一生懸命に育児をしているのに、赤ちゃんが病気になってしまったり、夫婦関係が揉めてしまうようであるならば、日々の入浴の仕方を改めてみた方がいいのだ。赤ちゃんがどうのこうのではなく、夫がどうのこうのではなく、自分の入浴の仕方が間違っているのである。

 赤ちゃんに温冷水浴を施して、赤ちゃんをバスタオルで拭いたら、産着を着せればいいのだ。脾臓を成熟させ、肺呼吸に耐えれるように心臓を変化させ、副腎皮質ホルモンが分泌できるように副腎を鍛えさせてから、産着を着せると、赤ちゃんは今後、健康に成長していくことができるようになるのだ。母親として、赤ちゃんにやるべきことをやったら、やっと赤ちゃんはこの世で初めての睡眠に入っていけばいいのだ。母親も赤ちゃんのすぐ側でひと寝入りして、出産の疲れを取ればいいのだ。

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新生児黄疸の防止の方法

●新生児黄疸は脾臓の未成熟が原因

 赤ちゃんが無事に生まれたのに、赤ちゃんが早々に起こしてくる病気が、「新生児黄疸」である。日本人の赤ちゃんのなんと90%以上が発症してくる、もっともポピュラーな病気なのである。新生児黄疸は、皮膚や粘膜や白目に黄色い色素が浮かんでしまい。貧血や抗体減少症候群を引き起こしてくる病気である。

 なぜ、産まれたばかりの赤ちゃんが出生後早々に新生児黄疸という病気を引き起こしてくるかといえば、赤ちゃんが出生したことによって、赤ちゃんにとっての環境が激変したからである。赤ちゃんは母親の胎内にいる時、臍の緒から供給される少ない酸素で生活していたため、その少ない酸素を有効に活用して生きられるように、赤血球を大量に生産して、自分の体内に酸素を供給していた。しかし、出生することで、低酸素の胎内から、高酸素の外界に出て来たために、その赤血球が不要になってしまい、この赤血球が崩壊して溶血してしまい、黄色い色素をバラ撒いてしまうのだ。

①脾臓の未成熟

 勿論、この余分な赤血球を脾臓が処理しなければならないのだが、産まれたての赤ちゃんはこの脾臓が未成熟で、余分な赤血球を処理しきれないのだ。しかも、脾臓は出生直後にこの余分な赤血球の処理を行わなければならないので、脾臓が余分な赤血球の処理という機能の他に、「循環系統をコントロールする」とか、「血圧の変調」という機能が正常に作動せず、そのために黄色い色素を皮膚や粘膜や白目に浮かび上がらせてしまうのだ。

②心臓の変化の妨害

 それともうひとつ、赤ちゃんの心臓の激変が原因として挙げられる。赤ちゃんは胎内にいる時には肺呼吸をしないので、赤ちゃんの心臓は「卵円孔」が開いていて、右心房と左心房が繋がっているのだ。これが出生後に肺呼吸を開始するために「卵円孔」が閉じ始めるのだが、そのために赤ちゃんを重力から解放して心臓が変化しやすいようにしてあげなければならないのに、多くの産婦も助産婦も産婦人科医も、赤ちゃんを産湯に浸けたり、体を起こしてしまったりして、この赤ちゃんの心臓の変化を妨害してしまうのだ。そのために、赤ちゃんの心臓の卵円孔が閉じるのが遅くなってしまい、動脈血と静脈血が混ざりあってしまい、赤血球が異常を起こして、溶血してしまうのだ。

③体内の酸素不足

 出生直後の赤ちゃんは、この脾臓の成熟と心臓の変化を行うために、大量の酸素を必ようとするのだが、そのために肺呼吸と皮膚呼吸によって大量の酸素を取り入れなければならないのだ。だからこそ、生まれたての赤ちゃんは大声で泣き、大量の酸素を取り入れるのだ。だが、肺呼吸だけでは大量の酸素を取り入れることができないので、皮膚呼吸をすることが非常に重要になってくる。それなのに、出産すると、出生直後に赤ちゃんを産湯に浸からせて、すぐに産着を着せてしまうので、赤ちゃんは皮膚呼吸ができず、赤ちゃんの体内が酸素不足に陥ってしまい、それがために脾臓も心臓も外界に適応することが遅れ、新生児黄疸を発症してしまうのだ。

●生まれたら1時間30分以上、裸にしておくこと

①臍の緒をすぐには切らない

 新生児黄疸を防止したいのなら、出生直後にすぐさま臍の緒を切らないことだ。赤ちゃんに臍の緒からも酸素を供給してあげ、産まれたての赤ちゃんが酸素不足に陥らないようにしてあげればいいのだ。臍の緒を切るのは、赤ちゃんの脾臓の成熟や心臓の変化が終わった後でいいのだ。

②出生直後に産湯で洗わない

 産まれたての赤ちゃんにとって、羊水はいわばこれから外界に適応していくために、皮膚を活性化してくれる天然の保湿クリームなのだ。それなのに出生直後に産湯で洗い落とされてしまうために、保湿クリームがないので、皮膚が活性化せず、皮膚呼吸の開始が非常に遅れてしまうのだ。

 赤ちゃんは羊水で肌を活性化し、皮膚呼吸で取り入れる酸素量を増やすという作業を行っているので、所っ症直後、すぐには赤ちゃんを産湯で洗わないことだ。赤ちゃんを放っておけば、羊水は自然に乾いて、赤ちゃんの肌に沁み込み、赤ちゃんの皮膚が活性化し、皮膚呼吸が盛んに行われるようになるのだ。

③床の上に寝かせ、重力から解放してあげる

 赤ちゃんは生まれる前は、羊水がたっぷりとある胎内にいたために、いきなり外界の重力に対応できないのだ。この重力との戦いは、赤ちゃんにとっては最大級の戦いで、赤ちゃんが立って歩ける1年後まで延々と戦い続けなければならないものなのだ。そのため、大人たちが生まれたての赤ちゃんの体を起こしてしまうと、赤ちゃんはその重力に対抗するために大量の血液を消費してしまい、脾臓の成熟や心臓の変化を行うことに回す血液が圧倒的に不足してしまうのだ。

 だから、出生直後の赤ちゃんを床の上に寝かせ、重力から解放してあげるのだ。こうすれば赤ちゃんは重力に対抗するために必要以上の血液を消費することなく、脾臓の成熟や心臓の変化のために血液を回すことができるのだ。もしも、母親が赤ちゃんを抱く時は、赤ちゃんを必ず水平にして抱くことだ。出生直後の赤ちゃんの抱き方は、通常の赤ちゃんを抱く仕方と違うので要注意である。

 赤ちゃんが生まれたら、最低でも1時間30分以上、臍の緒を切らず、産湯で洗わず、床の上で寝かしておけばいいのだ。こうすると。肺と皮膚が鍛えられ、充分な肺呼吸と皮膚呼吸が行われて大量の酸素が供給され、脾臓の成熟や心臓の変化がきちんと行え、新生児黄疸を防止することができるのだ。

●新生児黄疸が悪化すると

 新生児黄疸は、いわば赤ちゃんをすぐさま産湯で洗ったり、産着を着せてしまう、出産の仕方にこそ原因があったのだ。これは日本だけでなく、すべての先進国も同じだし、文明諸国もほとんど同じであろう。諸民族は文明化されてしまったために、逆に赤ちゃんにとってもっとも自然な形での出産の仕方を忘れてしまったのだ。ほとんどの哺乳動物は、赤ちゃんを産み落とすと、地面の上に放ったらかしにしている。その姿は野蛮に思えるかもしれないが、実はその遣り方こそが、赤ちゃんの環境適応のためには絶対に必要なことなのである。

 新生児黄疸は黄疸が出て来るに留まらず、悪化すると「貧血」を起こしたり、「抗体減少症候群」を起こして免疫力が激減してしまうのだ。新生児黄疸を発症したということは、脾臓が未成熟だし、心臓も充分に変化できていないのだ。病院では、「光療法」をやったり、「交換輸血」をしたりして、この危険な新生児黄疸を危険な遣り方で治療している。ただ、新生児黄疸はそもそも病院で出産した際に、赤ちゃんを産湯で洗ったり、産着を着せたり、赤ちゃんの体を起こして、より強い重力に晒したからこそ発症しているのであって、これらを産婦人科医がしてくれなければ、新生児黄疸を発症することはなかったのである。

 新生児黄疸を発症したことは、脾臓が未成熟で、心臓も変化しきれていないということなのだ。脾臓を成熟させなかったからこそ、その後の成長過程でアレルギー反応が出て来てしまうようになってしまうのだ。「アトピー性皮膚炎」や「小児喘息」は赤ちゃんの頃の新生児黄疸がその遠因なのである。大人になってから発症する「花粉症」も、赤ちゃんの頃の新生児黄疸にその遠因があるのだ。

 新生児黄疸を発症した赤ちゃんは、心臓が弱いために、体内に充分な血液を送ることができなくなってしまうのだ。この血液不足が悪化してくると、「小児性白血病」や「小児癌」といった死に直結する恐ろしい病気を発症してしまうのだ。、「小児性白血病」も「小児癌」も、新生児黄疸だけが原因ではないが、出生直後に新生児黄疸を発症してしまったからこそ、心臓が物凄く弱くなってしまい、それ以降、何かしらの発癌性物質が体内に入ってきてしまうと、通常の子供たちより、その発癌性物質を防ぐ能力が低下してしまい、そのために発症してしまうのだ。

 赤ちゃんは出生直後から、地球の重力と戦っているということを知らずに、母親が嬉しいからと言って、生まれたての赤ちゃんの体を起こしてしまっていると、赤ちゃんは心臓の「卵円孔」をきちんと閉じることができなくなってしまい、そのために重い心臓疾患を抱えてしまうのだ。この心臓疾患を発症すると、赤ちゃんに人工呼吸器をつけたり、心臓手術をしなくてはならなくなるのだ。こういう場合、医者は先天的な病気と診断してくるのだが、産まれたての赤ちゃんはどの赤ちゃんも「卵円孔」が開いているのである。すべての赤ちゃんには心臓の形が正常ではないのである。それなのに、その「卵円孔」を出生直後に人為的に閉じさせなかったからこそ、赤ちゃんは心臓疾患で苦しまなければならなくなってしまうのである。

●新生児黄疸を防止すると育児が楽になる

 新生児黄疸を防止するのは、実は簡単なことだったのである。今までの我々の出産の仕方に問題があっただけで、出産の仕方を自然に戻してあげれば、新生児黄疸をちゃんと防止でき、赤ちゃんは脾臓の成熟や心臓の変化を充分に行え、健康に育っていくことができるようになるのである。

 新生児黄疸を防止してしまうと、育児が物凄く楽になるのである。脾臓が成熟し、心臓の変化もきちんと行われれば、赤ちゃんの免疫力は飛躍的に上昇していくのである。特に、赤ちゃん特有の「ひきつけ」や「夜泣き」や「癇の虫」がほぼなくなるのである。「ひきつけ」も「夜泣き」も「癇の虫」も、それぞれが別個の症状を示しているが、元を糺せば、正常な血液が供給されていないということなのだ。

 赤ちゃんは血液がたっぷりとあるからこそ、まんまるく太っているのである。筋肉や骨が重たい大人の体とは違うのである。だからこそ、赤ちゃんの対応の仕方は、大人への対応と違い、正常な血液を供給してあげることに全力を注いであげなければならないのだ。それなのに、出生直後から赤ちゃんが正常の血液を供給するのを妨害してしまったら、赤ちゃんだって新生児黄疸を発症することで、大人たちにその危険性を知らせているのである。

 赤ちゃんは言葉を発することができない。それゆえ、赤ちゃんは体で以て、その異常事態を大人たちに教えてくれているのだ。ということは、新生児黄疸をここまで放置し続けてきたということに、我々は非常に深く反省しなければならないのだ。ほとんどの赤ちゃんたちは、大人たちに出産の仕方の異常性を体で以て知らせ続けてきたからだ。新生児黄疸は光療法をやったり、交換輸血で治るものではないのだ。そういう赤ちゃんの黄疸が問題なのではなく、脾臓が成熟せず、心臓が変化していないということの方が、実は本当の問題なのである。

 赤ちゃんは生まれたての小さな命かもしれない。しかし、地球の重力と戦う立派な戦士なのだ。この戦士がきちんと戦場で戦えるように、我々は見守ってあげなければならないのだ。そのためには、赤ちゃんが生まれたら、1時間30分以上、裸のままで床の上に置いておいてあげればいいのだ。産まれたての赤ちゃんにとっては、それが地球の重力との最初の戦いなのである。この戦いに勝てば、赤ちゃんは「健康」を手にすることができるのである。

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出産直後の赤ちゃんの母親確認

●出生直後の赤ちゃんが行う大事な作業

 命がけで赤ちゃんを産んで、産みの喜びに包まれている時、実は母子ともにとって、もっとも大事な仕事が待ち受けているのだ。それは「出生直後の赤ちゃんの母親確認」であり、「出産直後の母親の赤ちゃん確認」である。どの哺乳動物も、産まれた直後にはもう動けるようになるのだが、人間の赤ちゃんは、生まれた直後にはまったく動けない。人間は脳を進化させ、肥大化させてしまったために、体の大きさに対して、頭部に重点が行ってしまい、いわば未熟児の状態で生まれきてしまうからだ。たとえどんなに健康で五体満足で生まれてきたとしても、生後1年以上は未熟児の状態で過ごさなければならないのだ。

 そのため、赤ちゃんは自分が未熟児でいる状態を、自分の母親から面倒を見てもらい、自分の生命の安全保障をしてもらわなければならないのだ。そのために、出生直後の赤ちゃんは自分の母親が誰であるかを確認して、その母親の顔や体や匂いを記憶して、その母親だけに育ててもらおうと決断するのだ。赤ちゃんは1人の母親を自分の母親として選んでいるのであって、自分の赤ちゃんを他の母親に抱かすと、赤ちゃんは大泣きして、その異常事態を周囲の人たちに知らせるのだ。

 赤ちゃんは産道を通った瞬間に、母性ホルモンが照射され、妊娠中の記憶を一切忘れてしまう。脳内の記憶が消去されると同時に、出生後に大量の記憶をするように仕組まれているのだ。しかも、この母性ホルモンによって、出生直後の赤ちゃんは脳が覚醒した状態にあり、出生直後の2時間から3時間は眠れる状態ではなく、なんでも記憶できる状態になっているのだ。

 赤ちゃんは、この時間内に自分の母親を確認し、その母親に育ててもらおうと決断するのだ。赤ちゃんは妊娠中において、母親の声を聞いたことがあるが、母親の顔も体も見たことがないし、母親の匂いも嗅いだことがないのだ。だから、出生直後の数時間の間に自分の母親を記憶してしまうのだ。

 一方、母親の方も、出産後1年以上は赤ちゃんと付きっ切りになってしまうので、自分の赤ちゃんを確認するのだ。母親は赤ちゃんの顔や体を見ることによって、そして鳴き声を聞くことによって、脳内から大量の母性ホルモンが照射され続け、これが我が子であると確認し、母性本能が覚醒してしまうのだ。これによって1年以上は赤ちゃんと付きっ切りの生活をしても、なんの苦にもならず、寧ろ、最高の喜びを以て育児に励むようになるのだ。

●まずは母親が抱き、次に父親

 まず、出産を完了したら、羊水まみれの赤ちゃんをすぐさまちゃんと抱くことだ。通常の出産では、出産するとすぐさま赤ちゃんを産湯で洗ってしまうのだが、赤ちゃんは今まで子宮という小さな世界に住んでいたので、いきなり外界に出て来たことが最大の不安なのだ。それを母親が赤ちゃんを抱いてあけることによって、その最大の不安を打ち消してあげるのだ。

 赤ちゃんを抱く形は、実は子宮の形とまるで同じであり、これをされると赤ちゃんは安心して、泣きやんでしまうのだ。赤ちゃんを抱く時は、母親は裸になって、裸と裸で触れ合うようにすることだ。人間の肌に直接に触れることこそが、赤ちゃんを安心させてあげることができるのだ。

 赤ちゃんの頭が自分の心臓の近くに来てあげるようにして、その心音を赤ちゃんに聞かして、母親の心音のパターンを記憶させてあげるのだ。赤ちゃんは妊娠中に母親の心音を聞いていたのだが、出生することによってこの心音を聞けなくなって、非常に不安になっているのだ。だから、すぐさま母親の心音を聞かすことによって赤ちゃんの不安を取り除いてあげるのだ。

 赤ちゃんは泣きやめば、母親の顔をジッと見るので、その際はその赤ちゃんの目をジッと見つめることだ。これをすると、赤ちゃんはこれが自分の母親と確認できるし、母親の方もこれが自分の赤ちゃんと確認でき、その記憶が脳に刻まれ、今後、健全な母子関係が構築されていくのだ。

 日本では人と会話する時、人の目を見て話すのは無礼とされているのだが、これは貴族階級の既婚女性たちが我が子を自分で育てずに、乳母に育ててしまったからなのである。そのため、そういう環境で育ってきた人たちは、人の目を見て話すことができなくなり、そのくせ人の目を非常に気にする臆病な人間になってしまうのだ。

●赤ちゃんの気持ちが解るようになる

 「出生直後の赤ちゃんの母親確認」と「出産直後の母親の赤ちゃん確認」がきちんとできれば、赤ちゃんは表情豊かになって自分の健康や病気をダイレクトに伝えることができるようになるし、母親も赤ちゃんの気持ちが解るようになるのだ。赤ちゃんは生まれてから当分の間、言葉を話せないので、母親が赤ちゃんの変化を感じ取ることでしか、赤ちゃんの変化に気づいてあげることができないのだ。

 言葉では解らないものでも、一緒に居れば解ることだってある。育児においてはこのことこそが非常に大事で、いかに母親が赤ちゃんの変化に気づいてあげるかが、赤ちゃんの健康と病気を決定づけてしまうのだ。だからこそ、出生直後の僅か2時間か3時間の間のうちに、母親が自分の赤ちゃんをこれが我が子だと確認しておく儀式が必要なのである。この儀式をすっ飛ばしてしまうと、その後、もうどうやっても赤ちゃんの気持ちが解らなくなってしまうのだ。

 まだ赤ちゃんを産んだことのない女性にとってみれば、母親が会話のできない赤ちゃんと会話している姿を見て不思議に思うころだろう。どうして会話のできない赤ちゃんと会話しているのかということに! しかし、出産直後に母親が赤ちゃん確認をきちんとしておけば、言葉を発せない赤ちゃんの気持ちがはっきりと解るようになるのだ!

 『母子健康手帳:』や『育児マニュアル本』が危険なのは、まさにここなのだ。出産や育児には自分がやってみなければ解らないことがたくさんあり、しかも、赤ちゃんの産んだことのない女性では、その女性がどんなに頭が良く、どんなに努力したとしても、絶対に解らないことがたくさんあるのだ。しかし、実際に出産して育児を開始すれば、誰でも解ってしまうのだ。出産や育児で本当に大切なものは決して理性では解らないのである。自分が実際に経験しないと解らないのである。

 我々は赤ちゃんを産んだ母親が、育児を経験していくことによって育児が巧くなっていくと思ってしまいがちだ。確かに育児の技術的なことは、経験値を上げることによって巧くなりはすることだろう。しかし、育児の基本的なものは、実は出産直後の僅か2時間か3時間で決まってしまうのである。女性は恋愛において第一印象が大事だという。育児においてもまったく同じなのである。育児も赤ちゃんの第一印象さえ良ければ、母親は育児をきちんとやろうと決意し、育児の基本が出来上がってしまうのである。その後は何が起こっても、乗り切れることができててしまうのである。

●出生の秘密がその人の人生に復讐をしかけてくる

 それゆえ、出産直後の赤ちゃんをここで切り離されてしまうと、母親は赤ちゃんの気持ちが解らなくなってしまうのだ。病院で出産すると、すぐさま母子分離が行われるので、当然に母親は出産直後の赤ちゃん確認ができないので、赤ちゃんの気持ちがまったく解らなくなってしまうのだ。

 これは赤ちゃんの方も同じで、出生直後に赤ちゃんの母親確認ができなければ、赤ちゃんは無表情になってしまい、他人に自分の健康や不健康を表情豊かに教えてくれなくなってしまうのだ。このため、病院で生まれた赤ちゃんは、みな無表情になってしまい、その赤ちゃんを育てるのに非常に難儀をしてしまうのである。

 だからこそ、その赤ちゃんが大きくなると、悲惨な親子喧嘩をしてしまったり、「誰も自分のことを解ってくれない」とか言い出したり、自分探しの旅に出かけたりするのである。自分が育てた息子や娘が結婚拒否や妊娠拒否をするようであれば、出産直後に母子分離をされてしまったことに原因を求めた方がいい。母親は息子や娘の気持ちが解らないし、息子や娘も母親の気持ちを解ることができないのだ。

 社会主義者やフェミニストたちの自伝を読んでみると、やっぱりと思ってしまうぐらい、子供の頃から母親と巧く理解しえないで育ってきているし、母親から母性愛を注がれることもなければ、両親を尊敬し、親孝行をするということもないのだ。だから、他人をまともに愛するということがまったくできなくなってしまっているのだ。ただ心の中で凄まじい憎悪の炎を燃えあがらせて、誰かに憎しみをぶつけようと躍起になっているのだ。出生直後の母子分離が、その人の人生に決定的な影響を及ぼしてしまうのだ。結局、出生の秘密がその人の人生に復讐をしかてくるのだ。

 最近では無差別殺人事件が頻発しているし、家庭内でも殺し合いが行われしまっている。正当な理由がないも拘わらず、親が子を殺し、子が親を殺すという悲劇が起こっている、これはやはり病院で出産して、出生直後に母子分離が行われしまったがゆえに、母親は赤ちゃんの気持ちが解らず、赤ちゃんも母親の母性愛が入ってこず、母性愛のない状態で育ってしったから、大きくなって意味不明の凶悪犯罪を引き起こしてしまったのだろう。

 何事も最初の一瞬で決まってしまうのだ。育児も出産して2時間か3時間でもう大半のことが決まってしまうのだ。人間はそれだけ凄い能力を持っているのである。出産をして、母親が疲れきっているということは解っている。しかし、出産後24時間の間は、母子を切り離さないことだ。その後、その母親がどのような育児ができるかは、出産後24時間以内で決まってしまうのだから。

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出産の痛みを激減させる方法 ~出産の痛みを抑える方法はいくらだってあるのだ!~

●出産力強化食

 出産でなんであれほど産みの痛みが発生するかといえば、子宮口が巧く開いてくれないからなのである。更に子宮口を通り抜けた赤ちゃんが、膣という狭い空間を押し広げて通過してくるからなのである。子宮口が赤ちゃんを通すまでに開くことは、出産以外では有り得ないので、初めての出産の場合は特に痛いのである。膣も赤ちゃんほど大きな物が通過するのが初めてなので、当然に痛みを発生させるのである。

 何事も初めて体験は痛いものなのである。人間は痛みを経験することによって本能が活性化し、より強い生命力を持つという過程を経るのである。女性が処女を喪失した時は、処女膜が破れることが物凄く痛いものである。しかし、その痛みを経験するから、性体験を味わえるわけだし、未熟な少女から大人の女性になっていくのである。出産もそれとまったく同じで、出産の痛みを経験して赤ちゃんを産むからこそ、単なる女性から、母親へと成長していくのである。

 とはいっても、やはり痛いものは痛い。そこで出産の痛みを軽減するものはないかといえば、この世にはきちんと存在するのだ。それが「出産力強化食」だ。子宮口や産道の動きを良くするためには、「ビタミンC」と「コラーゲン」と「天日塩」が必要になるのだ。これを臨月辺りから集中して摂取していけば、出産の痛みは非常に減少していくのである。

①ビタミンC

 人間は本来「果実食動物」なので、進化の過程で大量のフルーツを摂取してきた。そのためほとんどの動物は自分の体内でビタミンCを作り出せるのに、人間は体内でビタミンCを作り出せなくなってしまったのだ。フルーツの中にはたくさんのビタミンCが含まれているので、敢えて自分の体内でビタミンCを作り出す必要性がなく、そのためにその機能が退化してしまったのだ。

 ところが、このビタミンCは体が動く時には必要不可欠なビタミンで、これが豊富にあれば、子宮口も産道も広がり易くなるのだ。それゆえ、フルーツや野菜を大量に摂取しておけば、出産が非常に楽になるのだ。出産直前に、「リンゴ人参ジュース」や「野菜ジュース」や「ローズヒップティー」を飲んでおくと、ビタミンCが欠乏することなく、出産を乗り切ることができるのだ。

②コラーゲン

 コラーゲンは体の組織細胞の成長と修復を行う重要な物質である。妊婦の体内でコラーゲンが不足してしまうと、子宮口も産道も滑らかに動いてくれないのだ。妊娠中はコラーゲンの入った食材を意図的に摂取していくことだ。コラーゲンが含まれている食材は、「鶏の手羽先」「鶏の足の爪」「鶏皮」「軟骨」「牛筋」「豚足」「豚の耳」「フカヒレ」である。

 日本では仏教の肉食禁止の影響を受けて、これらの食材を摂取できなかったので、妊婦たちは凄まじい痛みを伴うお産をしなければならなかったのである。ちなみに、日本では沖縄県がもっとも仏教の影響が少なかったために、コラーゲンを日常の食生活で摂取することができたので、お産が非常に楽になり、それゆえに沖縄県民の繁殖力も高くなっているのだ。

③天日塩

 天日塩は神経や筋肉が正常に作動する機能を持つ。そのため体内で天日塩が不足してしまうと、子宮口も産道も巧く動いてくれなくなってしまうのだ。医者の減塩指導を真面目に従っていると、出産時に凄まじい痛みを経験してしまうのだ。病院でのお産が大変になるのは、単に減塩指導を行っているからなのである。

 出産時には発汗するので、この汗と共に体内の塩分が流れ出てしまうのだ。だから、出産直前には少し多目に天日塩を摂取しておくことなのである。例えば、ご飯にゴマ塩を多目に振りかけたり、天日塩を入れた味噌汁を多目に飲むとか、肉料理に天日塩と胡椒を多目に振りかけるとかして、天日塩を多目に摂取しておくことだ。

●室内シューズと長めの靴下を使って、下半身を温める

 出産時に体温が下がっていれば、体の動きが悪くなり、それによって出産の痛みが増すし、逆に出産時に体温が上がっていれば、体の動きが良くなり、それによって出産の痛みが軽減するのだ。それゆえ、出産直前に運動をして体を温めた上で、分娩に臨めばいいのだ。そうすれば、子宮口も産道も動きが良くなって、出産の痛みが軽減するのだ。

 そして、その際に「室内シューズ」と「長めの靴下」を使って下半身を温めることだ。心臓から足元に行った血液が冷えてしまうと、その冷たい血液がそのまま下腹部を通過してくるので、子宮や産道が冷えてしまうのだ。そのため、子宮口も産道も非常に動きが悪くなってしまい、それによって出産の痛みを激増させてしまうのだ。

 だから、出産する際は、「室内シューズ」と「長めの靴下」を使って、下半身を温め、足元からやってくる血液を温めてしまい、子宮口や産道の動きを良くしてあげるのだ。出産時には羊水がかかって、「室内シューズ」も「長めの靴下」も濡れてしまうが、その程度の代償でお産の痛みが軽減するなら、非常に有難いのだ。

 特に冬場ではこれらがあると、体が非常に温まり、体の動きが断然違ってくるのだ。冬に出産する場合、暖房で部屋を温めておくのは当然だが、いくら温めてもやはり寒いのである。それは血流が悪くなっているからであって、それゆえ、出産時に室内シューズと長めの靴下を装備しておくと、血流が良くなり、寒さが消えてしまうのだ。

 冷え性の女性が出産するなら、これらに付け加えて、首にマフラーを巻いて出産に臨むことだ。首の付け根には体温調整のツボがあり、これが外気によって冷やされてしまうと、体も冷えてしまうからだ。首のマフラーをすると、自然と体が温まり、体の動きも良くなって、出産の痛みを軽減することができるのだ。

●手に硬い物を握る

 人間は素手の状態では余り力が入らない。手に何を持った時に強い力を発揮できるのだ。そのため、出産時には素手では臨まないことだ。手に何か硬い物を握って、出産に臨めばいいのだ。木の棒を握って出産に臨むと、体に力が良く入り、強い力を発揮することができるのだ。

 通常の出産では、妊婦は手に何も持たないで出産するのだが、そうすると妊婦本人がいくら力んでも、余り力を発揮することができなくなってしまうのだ。昔のお産では、妊婦に天井から吊るされた綱を持って出産したのだが、こうすると妊婦の体に力が入り、出産の痛みを激減させることができたのである。

 更に出産に効果のあるもには、手に握れる磁石である。磁石を握って出産を行うのである。人間の体には微量ながら電気が流れているので、その電気を磁石を使うことで増幅させてあげるのだ。こうすると、体の動きが非常に良くなり、子宮口も産道も巧く動いて、出産が楽になるのだ。

 分娩中に「ここぞ!」という時は、「夫の手」を握ることだ。夫の手は木の棒や磁石ほど硬くないが、夫の手がもたらすものは「愛」であり、「応援」であり、「安心感」である。これだけが木の棒や磁石では作り出せないのだ。出産中に夫の手を握るだけで、妊婦の不安感は吹き飛んでしまい、出産が非常に楽なるのだ。

 夫の手を常時握っている必要性はないが、夫が出産中の妻の体に手を触れておいた方がいい。そうすると、妻の高まり過ぎた気が夫の体に流れ、巧い具合に気力を集中することができるのだ。これをやってくれないと、妻は気を高め過ぎて、頭部に力が集まってしまい、力を入れているのに、全然、力が入っていない状態になってしまうのだ。

●子宮口が充分に開くまで待つ

 出産の痛みを軽減する最高の策は、実は子宮口が充分に開くまで待つという策である。子宮口は無理矢理に開かそうとしても、簡単に開いてくれるものではないのだ。だから、陣痛が始まってから、充分に時間を取って、子宮口が充分に開いてから分娩を開始すればいいのである。

 初めての出産の場合、どうしても早く産みたいという気持ちがはやってしまうので、そういう時に、妻が出産に対して真剣に成り過ぎたら、夫が冗談を言って笑わせておくことだ。妻が出産前に体がガチガチにならぬよう、ユーモアで体をリラックスさせながら、出産まで待機させればいいのだ。

 妻がユーモアを受け入れることができるということは、余裕があるということなのだ。妻が出産に真面目に成り過ぎれば、体が硬くなってしまい、いざ出産時に子宮口も産道も硬くなってしまい、出産時間が延び延びに延びてしまうのだ。大事なことは、出産前に余裕をなくしてしまわないことなのだ。余裕があれば、体がきちんと動いてくれるのだ。

 初産なら陣痛が始まって12時間から16時間後に出産できるものだから、妻の陣痛が始まったら、その時間から計算して、大体の出産完了時間を予測しておくことだ。妻のはやる気持ちを抑えて、子宮口が充分に開くまでを待たせ、それから分娩を開始させればいいのだ。

 子宮口が充分に開いていれば、後は僅かな作業で分娩してくれるのである。最初の出産では、妻はこのタイミングがなかなか掴めないのである。だから、夫は陣痛が始まったら、妻に散々冗談を言って笑わしておけばいいのだ。そうやって巧く気を散らしながら、出産に持っていくのである。そうすれば、出産の痛みは激減していくのである。

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出産における力の出し方

●ウンコをするように力を出しても、赤ちゃんを産めません

 よく出産時に、「ウンコをするように力を出してください」と産婦人科医たちが妊婦に言う。しかし、ウンコを出すように力を出しても、赤ちゃんを産むことなどできない。そのような力の入れ方で、たとえ産んだとしても、体力が凄まじいまでに消耗してしまうことだろう。丁度、「ウンコをするように力を出しながら小便をしてください」と言われても、それを実際にやったとしても、結果的には小便は出るが、非常に小便の出が悪し、後味だって非常に悪いもになってしまうことだろう。なぜなら、ウンコをする際に使う筋肉と、小便をする時に使う筋肉が異なるからだ。出産に関してもまったく同じで、いくら肛門と膣が近くにあっても、排便と出産では使う筋肉がまったく違うのだ。

 「出産の際は、ウンコをするように力を出せ」と産婦人科医たちが言うようになったのは、やはり出所はアメリカの産婦人科医たちであるらしい。出産に立ち会えば、排便と出産は異なることぐらいのことはすぐに解るものだが、医者は自分の指導教官の意見を鵜呑みにする傾向があるので、指導教官にそう教えられれば、なんの疑問も持たずに、妊婦たちに言ってしまうのだろう。

 なぜ、妊婦が出産時にあれほど力まねばならぬのかといえば、子宮口がなかなか開いてくれないからなのである。特に初産の場合、子宮口は産まれて初めて最大限に開くために、子宮口が動いていく動きが非常に遅いのである。それなのに、ウンコをするように力んでも、子宮口の開くスピードが速くなるわけではないのだ。結果は、寧ろ産みの痛みを拡大させるだけなのだ。

 しかも、病院で出産する場合は、仰向けの体形で出産するので、仰向けになった状態で、ウンコをする時のように巧く力むことなどできないのだ。仰向けの体形で排便せよと言われても困難になってしまうように、人間にとって不自然な体形では、巧く力が出せなくなってしまうのだ。

 出産する時は、妊婦の筋力をだけを使うのではなく、まずは「地球の重力」を使って、自然に子宮口が開いていけるようにしてあげることが肝要なのである。妊婦が仰向けにならずに、ちゃんと体を起こせば、自然と地球の重力がかかり、その重さで徐々に子宮口が開いていってくれるのである。妊婦が筋力を使うのは、それからなのである。

●股間に力を入れるのではなく、赤ちゃんを押し出していく

 子宮は女性の体の中に、壺をひっくり返した状態で治まっているので、子宮口を無理矢理にコジ開けようとするのではなく、子宮の奥から力をかけて、子宮を押し潰すようにしていけば、自然と子宮口は開き、胎児は産道に出ていくことが可能になり、産道を通って外界に出て来るのである。

 だからこそ、出産時に妊婦がやらなければならないのは、自分の腹筋を巧く使って、子宮に圧力をかけて、波打つように下に押し出していくことなのである。それゆえに、腹筋がきちんとついている妊婦は出産に有利だし、たとえ腹筋が余りついていなくても、妊娠中に筋肉トレーニングで腹筋を鍛えていけば、お産が非常に楽になるのである。

 腹筋が出す力をより強めるためには、足腰の筋肉がついていないと駄目なので、妊娠中に安静指導を拒否して、毎日ウォーキングをし、安産スッポン運動を行い、足腰の筋力を鍛えていく必要性があるのだ。仰向けの体形では足腰に力が入らない体形のために、当然に医者たちが足腰を鍛えていくことの重要性を導き出せないのだ。

 昔から、子沢山の既婚女性たちは、しっかりとした筋肉がついているのだ。通常の既婚女性なら40歳を過ぎれば、お腹が出て来てしまうのだが、子供をたくさん産んだ既婚女性たちは、お腹が出ていないのだ。それほど腹筋がきちんとついているということなのだ。その腹筋があったからこそ、今まで多くの赤ちゃんを産むことができたのである。

 出産する際は、一気に腹筋に力を入れるのではなく、腹筋を徐々に使って、上から下に押し出すようにして力を入れていけばいいのだ。というのは、子宮口の開くスピードが遅いので、一気に力を出しても、子宮口が開いてくれないのだ。ゆっくりと力を出していくからこそ、子宮口の動きに調和して、子宮口が開いていってくれるのだ。

●人間の瞬発的な集中力は3分間が限界である

 人間の瞬発的な集中力は3分間が限界であるといわれている。勿論、激しい訓練を積めば多少は伸ばせるだろうが、軍隊に入隊した経験のある女性でもない限り、瞬発的に出せる集中力は3分以内と看做していい。それゆえ、いくら出産で力まなくてはならないからといって、分娩開始から出産完了まで、力を出しっぱなしにしないことだ。

 子宮収縮が起こっている時にだけ力み、それ以外の時間では力を抜いて休ませることだ。休んでは体力を蓄え、体力が溜まったら、体力を集中的に使用するのだ。出産中はこの繰り返しを繰り返していくのだ。子宮収縮の時でなければ、子宮口は開いてくれないので、力むのはその時だけでいいのだ。

 子宮収縮で力む時も、常に力を出し続けるのではなく、リズミカルに力を出していけばいいのだ。ラマーズ法が優れていたのは、まさにこの点なのである。ラマーズ法は陣痛の痛みを軽減させるという消極的な目的しか持たないので、この利点に気付いていないのだが、実はラマーズ法の遣り方で出産していけば、巧い具合に子宮口が開いてくれるのだ。 

 子宮収縮の際に、力を出しては力を抜きということを繰り返していると、子宮口が開くスピードが速くなってくれるのだ。しかも、力を出すたびに休むことができるので、疲労することが少なくなり、無駄な体力を浪費することがなくなるのだ。これがどんなに凄いことかといえば、ラマーズ法なしで出産した妊婦は、出産後に疲労困憊してしまうのに対して、ラマーズ法を使用して出産した妊婦は、出産後でも赤ちゃんと楽しく戯れるだけの体力を残しているのだ。

 それゆえ、分娩が始まっても、子宮収縮の時以外はリラックスするものだし、子宮収縮が始まっても、その子宮収縮の時間の半分しか力を出さなくていいのである。出産時間の20%から25%程度しか力を出す時はないのだ。要は効果的に力を出していくということなのである。効果的に力を出していけば、最小限の労力で出産することが可能になってくるのだ。

●筋力だけでなく、気力も使う

 出産の際に自分の体力を最大限に発揮したいなら、筋力を使うだけでなく、気力をも使うことだ。気力を巧く使えば、体力以上のパワーを出すことができるからだ。子宮収縮が治まった後に、体をリラックスさせながら、頭の上に気を集中され、それを子宮収縮再開後に体の中へと落としていくのだ。頭の上に「気の塊」を作り、それを一直線に産道まで落としていくのだ。

 この「気の塊」が体の中に入っていくと、子宮が押し出されるように力が出てしまい、お腹の赤ちゃんをスムーズに押し出していくことが可能になるのだ。筋力だけ使って出産しようとしても長時間かかってしまうのに、この「気の塊」を使うと出産時間が大幅に短縮されるのだ。

 これは「軟酥の法」と呼ばれる瞑想の仕方で、瞑想法の中でも究極の瞑想法なのだ。頭上に「気の塊」を作ると、脳が覚醒し、鼻に類い稀なる妙香を感じられ、この妙香が体の中を気持ち良く流れ、通常では出せないようなパワーが体から出て来てしまうようになるのだ。出産をし終わってから、「お産をしている時に、なんかいい香りがしなかった」と言っている産婦たちは、偶然にこの「軟酥の法」を経験してしまったのだろう。

 初産の場合、出産に長い時間がかかるので、出産の間は体力を出しっぱなしにしないことだ。気力を巧く使って、体力を効果的に使っていけばいいのだ。出産の時は雑念を追い払って、出産のことだけに集中していけば、気力が途切れてしまうことは絶対にない。自分がつらくなったら、夫の手を握り、励ましてもらえばいいのだ。

 人間の集中力は長くは続かないものだ。かといって、集中力を巧く発揮すれば、自分の心身から凄まじいパワーを引き出すことができるようになるのだ。それゆえ、日頃からダラダラしていないで、家事や仕事を集中して取り組むようにしておくことだ。集中力の限界と使い方が解っていれば、それを出産時にも使えるし、育児にも使えるのだ。

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出産時に最大のパワーを引き出す呼吸法

●まぜ、出産前において呼吸法をマスターできないのか?

 出産前にラマーズ法の講習を受けたのに、実際の出産では、ラマーズ法を巧く使えなかった妊婦たちは多いことだろう。自分が実際に出産する時になって、「もっと練習しておけば良かった」という後悔の念に取りつかれてしまうのだ。だだ、ラマーズ法をマスターできないのは当然なのだ。なぜなら、ラマーズ法は、陣痛における痛みを和らげることがメインになっており、そういう消極的な姿勢ではどうしても巧く習得できないのだ。

 人間の呼吸法は、「男性は腹式呼吸」「女性は胸式呼吸」というのが基本になっている。なぜ、男性が腹式呼吸を基本とするかは、太古の昔、男性は狩猟を行って獲物を捕えることを主要な仕事としていたために、腹式呼吸を行うことによって大量の酸素を吸い込み、より多くのパワーを引き出さなければならなかったからだ。

 これに対し女性は、女性同士で木の実を採集したり、家事を行ったりしなければならなかったので、女性同士でか会話することが多く、そのため会話に適した呼吸法である胸式呼吸を好んだのだ。女性はスポーツをしなければ、自然と胸式呼吸になってしまい、自然と浅い呼吸しかしなくなってしまうのだ。

 古今東西、人類は様々な呼吸法を考え出してきたが、それらの呼吸法を考え出してきたのは、すべて男性たちで、すべて腹式呼吸を基本とするものなのだ。男性たちはいかに体からパワーを引き出そうと考えているかが解る。一方、女性の方は、会話することが女性脳を満足させることになってしまうので、わざわざ胸式呼吸を捨てて、会話をしにくい呼吸法である腹式呼吸に変えることなどはしないのだ。

 ラマーズ法は確かに素晴らしい呼吸法ではある。しかし、女性から胸式呼吸をさせなくしてしまえば、女性はどうやった所でやりにくい呼吸法なのだ。それに呼吸法は本来、いかに体からパワーを引き出そうかということで考え出されるのに、陣痛の痛みを和らげるという消極的な目的で開発されたから、どうしても出産時に出産のために高いレベルのパワーを出せないのだ。

●炎の呼吸法 ~胸式呼吸で入り、腹式呼吸で産む~

 妊婦に呼吸法を教える時は、必ず胸式呼吸を否定してはならないということである。胸式呼吸こそ、女性が遣り易い呼吸法だからだ。それゆえ、胸式呼吸と腹式呼吸をミックスさせた呼吸法を教えていけばいいのだ。基本は、子宮収縮が始まる前は胸式呼吸で息を整え、子宮収縮が始まったら腹式呼吸に切り替え、より多くのパワーが出せるようにしてあげればいいのだ。

 この呼吸法を行うと、体の中で炎が走り、凄まじいパワーが満ちてくるのだ。この呼吸法は「炎の呼吸法」と呼ばれるものだ。実はこれ、グレイシー柔術で使用される呼吸法なのだ。グレイシー柔術が世界最高の格闘技であると同様に、炎の呼吸法は世界最高の呼吸法なのだ。腹式呼吸か、胸式呼吸かと、二者択一を行うからかこそ、人間にとって最高の呼吸法が解らなかったのである。胸式呼吸と腹式呼吸をミックスさせれば、凄まじいパワーが出て来るのだ。

 要は、出産時における「呼吸の仕方」と「力の入れ方」は密接な関係にあるということなのである。子宮が収縮している時は、腹式呼吸でより多くのパワーを引き出し、子宮収縮が収まれば、胸式呼吸に変えて、リラックスしていればいいのだ。これを出産時に交互に繰り返していけば、出産のために最大のパワーを使えることになるのだ。

 子宮収縮が起こっている時は、腹式呼吸によってより多くのパワーが出る以上、常にパワーを出し続けるのではなく、リズミカルに「力を入れる」「力を抜く」を繰り返していけばいいのだ。これはラマーズ法のリズムの取り方をそのまま採用していいわけで、但し、陣痛の痛みを和らげるという消極的な目的にするのではなく、積極的に力を出していくという積極的な目的に変えればいいのだ。

 子宮収縮が収まれば、胸式呼吸に変え、体をりラックスさせればいい。その際は万歳して胸式呼吸をすると、胸式呼吸でありながら多くの酸素が肺に入ることになるので、子宮収縮の際に生じた疲労を除去できるようになるのだ。しかも、両手を上げることで、体から緊張が取れ、よりリラックスでき、次の子宮収縮がしやすくなるのだ。

●絶対にやってはならない呼吸法は「口呼吸」

 妊婦が絶対にやってはいけない呼吸法は、「口呼吸」である。口呼吸をやってしまうと、大気中の細菌がダイレクトに肺の中に侵入してしまうので、妊婦の免疫力が格段に落ちてしまい、母子ともに危険に晒されてしまうことになるのだ。出産時にトラブルを起こす妊婦のほとんどすべてが、この「口呼吸」を行っているのだ。妊婦の方は出産時に大量出血してしまったり、産後に産褥熱で苦しんだり、赤ちゃんの方は出産に物凄く時間がかかったり、出生後もなんとなく病弱で元気のない赤ちゃんになってしまうのだ。

 それもその筈で、哺乳類の中で「口呼吸」をするのは、人間だけだからだ。人類は進化の過程で会話する能力を持ったのだが、その副作用として動物が決して行ってはならない「口呼吸」を行うようになってしまったからだ。「口呼吸」を行うと大気の細菌を除去できず、そのまま体内に取り込んでしまうようになってしまうので、その細菌によって様々な病気が引き起こされるのだ。

 それゆえ、出産時には、息苦しくなっても絶対に「口呼吸」をしないことだ。出産時は子宮口が開いているので、大気中の細菌に侵されやすいのだ。そのため、「口呼吸」をして自分の免疫力を下げてしまうと、自分から危険な病気を呼び込んでいるようなものになってしまうのだ。

 出産時にはどんなに激しくなろうとも、口を閉じて「口呼吸」を禁止し、「鼻呼吸」をし続けることだ。鼻呼吸をすると、大気中の細菌は除去され、しかも、空気が温まって、肺を活性化させ、より多くの体力を出せることになるのだ。「口呼吸」では、空気が温まっていないので、肺が冷えてしまい、体力が出なくなってしまうのだ。

 「口呼吸」の禁止は、出産時だけでなく、妊娠中も、出産後も、首尾一貫して行われるべきである。出産後に「口呼吸」をしていると、母乳に細菌が紛れ込んでしまい、その汚染された母乳を赤ちゃんが飲むことによって、赤ちゃんが病気になってしまうのだ。母親が鼻呼吸をするだけで、赤ちゃんが起こす病気は激減してしまうことになるのだ。

 今まで口呼吸をやってきた女性は、いきなり「口呼吸」を禁止しても、どうしても巧くいかないので、そういう時は、ガムを噛んで、口で呼吸できなくさせてしまうことだ。そして、1日3回は鼻呼吸で深呼吸すると、鼻呼吸が段々と癖になって、鼻呼吸が自然とできるようになる。朝起きたら、鼻呼吸で深呼吸、昼食前に鼻呼吸で深呼吸、夕食前に鼻呼吸で深呼吸をすると、1日中、鼻呼吸で生活できるようになる。

●声を出すと筋肉は力まず、リラックスして産むことができる

 出産時に是非ともやってほしいのが、息を吐く時には、声を出して息を吐くことである。子宮収縮が起こっている最中は腹式呼吸で行い、その腹式呼吸で息を吐き出していく時に、声を出すのだ。こうすると、筋肉が力まずにリラックスして出産することができるようになるのだ。

 声を出すことによってリラックスするので、息を吸った時はパワーをフルで出せるようになるのだ。マリア・シャラポアがテニスの試合で大声を出しているのは、スポーツ科学の観点から見ても、非常に優れた遣り方なのだ。出産時に声を出さずに力んでばかりいても、体が緊張しきっているので、どうしても思うように力が出ないのだ。出産時には恥ずかしがらずに、苦しくなったら大声を出してもいいのだ。

 出産時に大声を出そうとすれば、「アー」とか「ウー」とか「オー」とかになってしまうので、もしもそういう大声の出し方が嫌であるのであるならば、歌を歌えばいいのだ。自分の好きな歌を覚えて、出産時に子宮収縮が始まるたびに歌えばいいのだ。曲はアップテンポの曲ではなく、ゆっくりとしたテンポの曲の方がいい。

 CDデッキを持ち込んで、部屋中に曲を流せばいいのだ。全曲を流してもいいし、編曲してサビの部分だけを流してもいい。音楽を流している方が、脳が活性化するので、より脳が動いてくれて、出産を楽にさせてくれるのだ。できれば曲は最低でも2曲以上は持っていき、子宮収縮の間隔が長い時に1曲、子宮収縮の間隔が短くなった時に1曲、とすれば、出産のクライマックスが解り、より多くのパワーを引き出すことができるようになるのだ。

 妊婦にとって出産という大舞台を、陣痛の痛みを軽減させるという消極的な姿勢で攻めるのではなく、「炎の呼吸法」「鼻呼吸」「声を出す」という三点を使って、自分の体の内部からより多くのパワーを出していき、そのパワーをフルに使って出産を行っていけば、出産はそのパワーの前に圧倒されてしまうのだ。守ってばかりといると、心身とも委縮してしまい、ジリ貧になっていってしまうのだ。それよりも、出産は勢いをつけて、攻めの姿勢に徹すれば、その勢いで万難を吹き飛ばして、成功してしまうのだ。

 陣痛の痛みがどんなものであっても、赤ちゃんを産んでしまえば、終わってしまうものなのだ。だったら、出産時間を短くして、赤ちゃんを早くに産んでしまった方が、陣痛の痛みを経験する時間は短くなるのだ。そのためには、防御に徹するのではなく、攻めの姿勢に徹していけばいいのだ。

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出産の経過 ~分娩の過程が解っていれば、助産院に行って何をすればいいかが解る~

●出産は分娩が始まるまで時間がかかる

 子宮というのは、通常は閉じている。子宮は女性にとってもっとも大事な器官なので、ここを細菌によって浸食されてたら、子宮内部が破壊されてしまい、生きている価値がなくなってしまうからだ。そのために女性の体は最大限の努力をして、子宮を細菌から防衛して、子宮の機能が必要となるその時まで、安全に守っているのだ。

 それゆえ、陣痛が始まっても、子宮の動きは非常に遅く、なかなか子宮内にある赤ちゃんを出そうとはしない。通常の生活で、子宮が開くことがほとんどないために、「いざ、出産!」となっても、素早くは動けないのだ。子宮は鍛えようがない器官であるために、出産になっても、子宮の鈍い動きに合わせて、待つしかないのだ。

 陣痛の間隔が速まり、助産院に行っても、すぐさま出産が始まるわけではない。初めての妊娠の場合、陣痛が来て、しかも速まってきているし、妊婦本人が助産院に到着しているのだから、すぐに出産を始めてもいいのではないかと思ってしまいがちだが、子宮口が開いていないにも拘わらず、無理矢理に出産させようとしても、赤ちゃんが出て来るものではないのだ。

 だから、助産院に行っても、分娩を開始するまでの時間はたっぷりとあり、その時間を何もしないで過ごしてしまうのではなく、分娩のための準備運動をしておけばいいのだ。ウォーキングや筋肉トレーニングをやって、体を温めておけば、いざ出産となっても、体が充分に動き、出産時間を短縮させることができるのだ。

 助産院に行って何もすることがないからといって、何もしないでいると、体は冷えてしまうし、何の準備運動もしていないと、体は硬いままであり、その状態でいざ出産に臨んでも、体が動くわけがないのだ。そのため出産時間が長引いてしまい、妊婦の体力を消耗させ、産後の肥立ちを悪くしてしまうのだ。ひどければ産褥熱を発したりもするようになるのだ。

●分娩の過程

 それゆえ、初めて出産する時は、分娩の経過がどのような経緯を経てくるのか、きちんと知っておいた方がいい。分娩の経過を知っていれば、分娩開始以前に何をすればいいかが解るし、分娩中にどういうことをすればいいかが解るからだ。助産院に行ってから、出産するまでの時間を無駄にすることなく、出産することができるようになるのだ。

①準備期

 準備期は、収縮周期が10分間程度で 収縮時間は20秒から30秒。この準備期になると助産院に来るよう助産婦から指示されると思うので、自宅から助産院にゆっくりと行けばいい。いくら陣痛が来ても、この準備期では出産しないので、焦らずに助産院に向かうことだ。

 準備期だと、助産院に行っても、助産婦は何もすることがないので、この時間帯は体を動かして、出産のための準備運動をしておけばいい。準備期は子宮が出産のために徐々に準備を整えている時間帯でもあるので、妊婦本人も出産の準備運動をして、バックアップしてあげればいいのだ。

②進行期

 進行期は、収縮周期が3分から5分で、収縮時間は40秒。子宮口が徐々に広がりつつあり、この時期のスピードの良さが、分娩の経過の良さを決めてしまう。そのため、この時期に絶対にお腹を冷やさないことだ。特に夏場の出産は涼しい格好をしないことだし、部屋の冷房をつけたりしないことだ。冬場なら、温かい格好をし、暖房で室内を温めておくことだ。できれば、カイロや湯タンポでお腹を温めてしまうことだ。そうすると、子宮の開き方が早くなるのだ。

③極期

 極期は、収縮周期が1分から2分で、収縮時間60秒。子宮口が10㎝になったら、助産婦は分娩を開始することになる。初産だと、分娩にかかる時間が、経産婦の2倍以上の時間がかかる。それだけ子宮の動きが遅いので、極期に入る前までに、準備運動をするなり、体を温めておくなりしておくべきなのである。

④娩出期

 娩出期は、子宮から赤ちゃんの頭が出てから、赤ちゃんが産道を通り抜けて、外界に出て来るまでの時期である。分娩というものは、赤ちゃんの頭が出ると物凄く早い。この時期は力むのではなく、力を抜いて、赤ちゃんが自然に出て来るようにさせてあげればいいのだ。自然に出てく来るように出来ているのだ。

●力を入れるのは、子宮収縮期だけ

 こうして分娩の経過を見て来ると、妊婦が力を全力で出さなければならないのは、極期だけなのである。出産というと、妊婦が常に全力を出しているのではないかと思ってしまいがちだが、実際の所は、助産院に行っても、全力を出す機会はほとんどなく、妊婦が全力を出せねばならぬ時間がごく僅かなのだ。

 しかも、極期で力を出すのは、子宮が収縮している時だけなのである。それ以外の時は休んでいるのである。極期ですら、常に全力を出しているのではなく、子宮収縮の時だけ全力を出し、子宮収縮が収まれば、リラックスして、力を抜く。これを何度も繰り返しながら、徐々に赤ちゃんを押し出していき、出産するのである。

 この出産の事実はきちんと知っておいた方がいい。というのは、真面目な女性ほど、妊娠や出産に真面目になっているがゆえに、すべての場面で全力を投球してくるからだ。メリハリとか、手加減というものをまったく知らないのだ。そのために、赤ちゃんが生まれてくる遥か前に体力を使いきってしまい、赤ちゃんが出て来る時はもはや疲労困憊しきった状態になってしまうのだ。

 こういう女性に限って「出産は大変だった」「お産は物凄く苦しかった」というのだが、事実はそうではなく、自分の力の出し方が解らなかっただけなのだ。この手の女性は、何をやらしても「大変だ」「l苦しい」と言い出すので、絶対に耳を貸さないことだ。出産というのは、全力投球しなければならない時間帯はごく僅かということが解っていれば、力を巧く出していって、安全な形で出産することができるのだ。

 子供を1人とか2人とか産まないからこそ、出産の経験値が高くなっていないのであって、子沢山の母親たちは出産の経験値が高いゆえに、出産がそれほど大変なものにも、苦しいものにもさせていないのだ。出産時に力の出し方が解っていれば、比較的楽な形で出産できるものなのだ。

●一流の助産婦の秘訣

 一流の助産婦たちの成功の秘訣は、「子宮口の開き具合が良く解っている」ということなのだ。子宮口の開き方は、女性によって千差万別なので、出産が始まる前に、それを見極めるというのが、実は出産自体よりも大事な作業になるのだ。筋肉量の多い妊婦や、お尻の大きな妊婦や、柔軟性のある妊婦は、子宮口が開くスピードが速いし、逆に、筋肉量の少ない妊婦や、お尻の小さい妊婦や、体の硬い妊婦は、子宮口が開くのが物凄く遅いのだ。

 一流の助産婦たちにお産を手伝ってもらうと、「お産が非常に楽になる」と言われているのは、そうやって妊婦を見極めた上で、恐らく、子宮口が10㎝以上開くまで、絶対に分娩を開始しようとしないことにあるのだ。子宮口が充分に開いていないのに、分娩を開始しても、時間の無駄だからだ。

 そして、分娩が開始したなら、妊婦を巧く誘導して、分娩における力の出させ方が巧いのだ。極期では常に力を出せばいいというものではないので、子宮収縮が起こっている時にだけ効果的に力を出させ、お腹の赤ちゃんを押し出していくのだ。そうすれば、妊婦は無駄な力を使うことなく出産できてしまうのだ。初産の妊婦なら、助産婦の巧い指示なしには、妊婦は巧く力を発揮できないものなのだ。

 更に付け加えていうなら、一流の助産婦であればるほど、妊婦に対して褒め上手だということだ。人間は楽しい時間であればあるほど、時間の速度が速くなってしまう。逆に苦しい時間であればあるほど、時間の速度が遅くなってしまうのだ。それゆえ、出産が始まる前から妊婦を褒めてその気にさせ、極期に入れば、より妊婦を褒めて時間を経つのを忘れさせてしまうのだ。こういうことは、助産婦が学校でいくら助産学を学んでも、学校では絶対に教えてくれないことなのだ。助産婦が助産婦の仕事をしながら、世間の中で学んでいくしかないのだ。

 テレビとかで出産シーンを見て、出産が大変だと思っているなら、テレビは出産のクラマックのシーンしか放送していないという事実を知っておこう。実際の出産では、妊婦が助産院に行っても、暇な時間がたっぷりとあるし、しかも、極期になっても全力投球する時間は半分でしかないのだ。こういう分娩の経過の実態を知っていれば、無駄な力を浪費することなく、効果的な力を発揮でき、余裕綽々な形で出産できるようになるのだ。

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人間にとって自然な形の出産体形

●仰向けの体形こそ、もっとも出産に不向きな体形

 出産というのは、「大変なものだ」「苦しいものだ」と思い込んでいるなら、その最大の原因は病院での仰向けになった出産体形にこそあることを知っておこう。この仰向けの体形こそ、もっとも出産に不向きな体形だからだ。これでは妊婦が無事に赤ちゃんを産むためというよりは、妊婦に最大級の苦しみを味あわせようということになってしまうのだ。

 それもその筈で、この出産にもっとも不自然な体形を生み出したのは、キリスト教徒たちだからだ。キリスト教は、平等イデオロギーの上に成り立っているのだが、平等というのはその内部に、「凄まじい憎悪」を含んでいる。特にキリスト教は「原罪」という概念があって、この原罪を作ったのは、女性であるイブであるとしたので、それゆえ女性に対しては究極的なまでに残酷な態度を取り続けた宗教なのである。

 キリスト教は信仰義認説を取っているからといって、信仰しさえすればいいという宗教ではない。キリスト教の呪いはベッドの中にまで及んでいるのだ。キリスト教は、男女の性行為は正常位以外で行うことを禁止したのだ。今でもヨーロッパで正常位が宣教師スタイルと呼ばれるのはそのためだ。正常位しか使えないのだから、キリスト教徒たちの性愛術は非常に低下し、人口も長らく増大しなかったのだ。

 女性がキリスト教に服従する証としての正常位があったからこそ、出産でも「仰向けの体形」が導き出されたのだ。ヨーロッパではキリスト教は伝来する前までは、他の出産体形があったと思うのだが、キリスト教の聖職者たちによって一切駆逐され、女性がもっとも苦しまなければならない仰向けの出産体形に画一化されてしまったのだ。

 日本でも産婦人科医たちが出産に手を出し始めると、この仰向けの出産体形を強力に推し進めていった。日本の昔ながらの出産体形は駆逐され、仰向けの出産体形こそが全国共通の出産体形になってしまったのだ。だからこそ、日本のすべての妊婦たちは、出産は大変で苦しいものだと思い込むようになってしまったのである。

 なぜ、仰向けの出産体形がもっとも大変で苦しくなってしまうのかといえば、「地球の重力」を使っていないし、「妊婦が踏ん張れる体形」になっていないからだ。地球には重力があるので、生まれて来る赤ちゃんに対して、地球の重力を使って上から下に落としていけば、妊婦が自分の体力を消耗せずに産むことができるのだ。更に、もしも、妊婦が体力を出していく時は、妊婦の両足の指がすべて地面についているようにし、踏ん張りが効く体形にしてあげればいいのだ。仰向けの出産体形は、この両方を否定して、妊婦が地球の重力を使えず、体の踏ん張りも効かない体形で出産を強いるから、もっとも大変で苦しい出産になってしまうのだ。

●跪いて出産

 もしも、地球の重力を巧く生かし、体の踏ん張りを効かせる体形にしたいのであるならば、「跪いて出産」するしかないのだ。この出産体系こそ、日本民族伝統の出産スタイルなのだ。妊婦が跪いて座り、天井から吊るされた綱にしがみついて出産するのだ。現代であるなら、綱の代わりに夫を使い、妊婦が夫にしがみついて、より楽になる体形で出産すればいいのだ。

 まず、この跪いて出産する体形の最大の素晴らしさは、体の角度を調整しながら巧く地球の重力を使えることであり、跪いているので体の踏ん張りがいつでも効き、体がバテることなく、出産の最後の瞬間まで体力を出し続けることができることである。仰向けの出産体形では体の踏ん張りが効かないので途中でバテしまい、たとえ出産できても、産後の体力の消耗が激しすぎるのだ。だからこそ、病院で出産すると、産後に妊婦に休息を取らせることに最大限の配慮がなされるのだ。

 跪いて出産する体形が仰向けの出産体形と決定的に異なることは、会陰裂傷がまったく起きないことである。臀部が自由に動かせるので、会陰がいかに広がろうとも、裂傷することなく、無事に赤ちゃんを産むことができるのだ。会陰裂傷は仰向けの出産体形だからこそ起こるものであって、仰向けの出産体形を取らなければ、会陰裂傷など起きないのだ。

 跪いて出産する体形を選択した場合、とにかく体を自由に動かせるという利点を最大限活かしていくことだ。例えば、背中の角度を変えて地球の重力を巧く引き込んで、自分がパワー出さずとも赤ちゃんが出ていくように仕向けるべきだし、体を動かしながら、自分がもっともパワーを出せるポジションを探していけばいいのだ。

 もしも、疲れたのなら、膝をあげて、ウンチングスタイルになって休めばいいのだ。こうすれば出産中にひと休みしながら、地球の重力を使って、赤ちゃんを下に下げていくことができ、疲労が回復したなら、再び跪いて出産する体形に戻して、赤ちゃんを押し出していけばいいのだ。

●立って出産

 跪いて出産する体形よりも、より地球の重力を使って出産したいのなら、立って出産すればいいのだ。立つといっても、「気をつけ」をするのではなく、四股を踏んだ状態にするのだ。この出産体形のポイントは、お尻を突き出すということだ。お尻を突き出して、巧く産道の方向を調節していくと、もっとも地球の重力がかかってくる場所に出くわすので、その地点を重点的に使えば、楽に出産できるようになるのだ。

 妊婦が上半身をピストン運動させると、地球の重力に更に瞬発的な加速度がつくので、体を力まずとも赤ちゃんを押し出していくことができるのだ。上半身をピストン運動させると、血行が非常に良くなるので、出産時に生じた疲労物質を除去することができ、出産時において疲労しにくくなるのだ。

 立って出産する場合は、妊婦が体を最大限に動かせるので、夫には不動の姿勢を要求して、妊婦の動きに対して、夫は軸になってくれればいいのだ。夫が不動の姿勢を取ってくれれば、妊婦はより自由に体を動かすことができ、地球の重力を最大限に利用して、楽に出産することができるのだ。

 立って出産する際にもっとも気をつけなければならないのが、妊婦と助産婦の呼吸が合わないと、赤ちゃんが勢いよく飛び出して落ちてしまうので、赤ちゃんの頭が出て来たら、体を激しく動かさず、自然に出て来るようにしてあげればいい。立っている以上、地球の重力が自然に作動するので、自然に赤ちゃんは出て来るのだ。

 この出産体形は、陣痛が始まって子宮口が充分に開くまで時間を取ってから出産に臨むと、無痛分娩になる確率が非常に高くなる。それだけ地球の重力は人間が考える以上に大きな力なのだ。出産が長引いてしまったり、出産が苦しくなってしまうのは、子宮口が充分に開いていないにも拘わらず、無理矢理に出産させようとするからなのだ。子宮口が充分に開くまで時間をたっぷりと取れば、出産時の苦しみは非常に軽減されるものなのだ。

●四つん這いで出産

 体の踏ん張りをより巧く使いたいのなら、四つん這いになって出産することだ。人間が哺乳動物である以上、四つん這いで出産することはなんらおかしいものではないのだ。跪いて出産する体形を取り、その体形で両手を地面につければいいのだ。こうすると最大限に体の踏ん張りが効き、赤ちゃんを押し出していくことができるのだ。

 腰を落としたり上げたりして、巧く地球の重力を利用して、リズミカルに産道を通っていく赤ちゃんをバックアップすれば、自然な形で赤ちゃんが生まれ落ちてくる。人間が二足歩行する前は、この体形で出産したに違いないのだから、非常に無理なく出産できてしまうものなのだ。

 四つん這いで出産する場合は、常に四つん這いでいるのではなく、疲労してきたら、両手を上げて、体を起こせばいいのだ。その際は、夫に来てもらい、夫の両肩に手を乗せて、休ませてもらえばいいのだ。四つん這いで出産する場合は、これ以外では夫は使い物にならないので、絶対に出産の邪魔をしないことだ。

 ただ、気をつけるべきことは、この四つん這いで出産すると、赤ちゃんを水平発射する要領で力を入れてしまうために、赤ちゃんが勢い良く飛び出してきてしまうのである。そのため助産婦はきちんとキャッチすることだ。どの哺乳動物も、赤ちゃんを出産する際は、赤ちゃんが勢い良く飛び出してくるものなのだ。仰向けの出産体形のように人間にとって不自然な体形で出産すると、赤ちゃんはダラリと出て来てしまうので、それに見慣れていると、それとはまったく違う出方をしてくるので注意が必要である。

 お尻の大きな妊婦は、この四つん這いの出産体形を選択すると、自分の臀部にある筋肉を最大限に利用でき、もっとも楽な形で出産することができる。昔からお尻の大きな女性は安産向きの体型といわれてきたが、仰向けの出産体形を選択してしまうと一転して、お尻の筋肉が使えなくなってしまうし、しかも、会陰裂傷が起きてしまうのだ。

●室内を暖めて、自分がベスト思える体形を探る

 妊婦の体は人それぞれだし、妊婦の体型によって、もっとも産みやすい出産体形があるのだ。筋肉が充分についている妊婦なら跪いて出産する体形がベストだし、身長の高い妊婦なら立って出産する体形がベストだし、お尻の大きな妊婦なら四つん這いで出産する体形がベストである。

 それゆえ、出産中に様々な出産体形を試してみて、自分にベストと思える出産体形を選択していけばいいのだ。その際は暖房を焚いて、室内の温度を上げていくことだ。室内の温度が高ければ、体が温まって体が自由に動き、自然とベストな体形を探り当てることができるのだ。

 人間は同じ姿勢を取り続けていると、体が疲労してしまうので、1つの出産体形で出産しようとしない方がいい。自分がベストだと思う出産体形が解った上で、いくらでも色々な体形を試してみて、自分の体が疲労しないようにしていけばいいのだ。だが、ここぞという時に自分がベストと思える出産体形を取り、その出産体形で出産していけばいいのだ。

 出産する体形を考えていく上で、もっとも大事なのは、「地球の重力」と「体の踏ん張りが効く体形」であるということなのである。この二つを無視してしまえば、出産は大変で苦しいものになってしまうのだ。この大事な二点を絶対に無視してしまわないことである。この二点をきちんと押さえれば、出産は非常に楽になっていくのだ。

 人間にとって自然な出産体形というのは、医者が勝手に考え出すことができるものではないのだ。人間にとってもっとも相応しい出産体形は、自然界の中にこそあるのである。いくら文明の中で生きているからといって、自然を無視してしまえば、大いなるシッペ返しを食らうだけなのである。人間だって自然な出産体形を選択すれば、自然と巧い具合で出産できるものなのである。

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独りで出産するのではなく、チームワークを使って出産する

●出産におけるチームワーク

 妊娠は一人でできるものではないが、出産も一人でできるものではない。妊娠する時は、他人との協力、即ち夫の手助けの有難みを解っているのに、出産になると綺麗さっぱりと、この他人との協力の大切さを忘れてしまうのだ。出産において、産みの苦しみに直面してしまうために、自己中心的に動いてしまうのだ。

 何事も一人では難儀であっても、他人の力を使えば、その難儀さが軽減され、巧く行えるようにできている。出産もまったく同じで、独りで出産しようものなら大変だらけのものであっても、他人の力を使えば、その大変さが軽減され、巧く行えることができるのだ。出産において使えることのできる他人の力は、「助産婦の力」と「夫の力」である。

 出産では、妊婦本人と助産婦と夫の三人でチームが結成され、この三者が巧く協力して、いいチームワークを作り出すからこそ、自分の出産が巧くいくのである。だから、分娩を開始する時は、機械作業のように無言で出産を開始していくのではなく、妊婦本人と助産婦と夫の三人で円陣を組んで、これから出産を開始するという決意を固める結団式を行った方がいいのだ。こういうことでもしない限り、三人が巧いチームワークを発揮することはないからだ。

 人間は出産において体だけを使って出産するのではなく、頭をも使って出産しているのだ。それゆえ、自分の脳に、「これから出産が始まるけど、自分一人で行うのではなく、他人の協力もちゃんと得られるから大丈夫!」と思わせないと、脳は巧く作動してくれず、体が難儀に難儀を重ねて出産せざるを得なくなってしまうのだ。

 勿論、出産でもっとも体力を使うのは妊婦本人であるが、それを一人でやるのと、他人の協力を得ながらするのとでは、出産における疲労度の度合いが全然違うことになるのである。出産を孤独な作業として行えば、疲労困憊してしまうが、出産をチームワークを使って行えば、疲労困憊などせず、寧ろ楽しい気持ちと心地いい疲労だけが残るのである。

●自分に完璧を求めるな、他人に完璧を求めるな

 出産する場合、やはり夫には立ち会ってもらった方がいい。夫が出産に立ち会っても、助産婦が行うような手助けはできないが、妊婦本人の脳を活性化させることでは、最大の働きをしてくれるのだ。女性は好きな男性が側にいてくれるだけで、自分の脳が「快感モード」になってしまい、産みの苦しみを軽減できるのではなく、通常では出せないようなパワーまで出すことができるようになるのだ。女性が男性に対して恋愛をすると、仕事でも大いに頑張れてしまうのだが、それとまったく同じことが、出産でも起こるのである。但し、妊婦が出してくるパワーは恋愛よりも遥かに巨大なのだが。

 出産する際は、夫には手を握ってもらおう。女性は手を握られることで安心感を覚え、困難の前において自分の脳が「ネガティブモード」にならず、もはや後退することなく前進していこうとするのだ。夫はただ手を貸すだけで、妻の脳に変化を起こし、「ポジティブモード」に切り換えさせ、脳からいくらでも肯定的な指令が全身に届いていくのである。

 更に付け加えていうと、夫が一方の手で妻の手を握り、もう一方の手で妻の体を触っていると、妻の体の電気が夫の体にも流れ、その電気が夫と妻の体を循環することによって、体の動きが格段に良くなり、出産力を高めていくことができるのだ。ただ、夫が両手を使うだけで、こんな不思議な現象が起きるのだ。

 人間はついつい完璧を求めがちだ。しかし、この世に完璧な人間など、どこにもいないのだ。自分だって完璧ではないし、他人だって完璧ではないのだ。人間は完璧ではないからこそ、他人と協力し合うのだ。そうすることで、自分の不完全さを補って、物事を処理して前進していこうとするのだ。

 だから、自分の出産を順調に行かせたいのなら、「梃子の原理」を使うことなのである。自分だって完璧ではないし、夫だって完璧ではない。助産婦だって完璧ではない。しかし、「梃子の原理」を使って、その完璧ではない人間たちを使っていけば、いかに困難に思えてしまう出産も、自分一人で行うよりは、遥かに楽で簡単に行えてしまうものなのである。

●ポジティブな人を大事にし、ネガティブな人を避ける

 人間の脳は「ポジティブモード」になることもあるが、「ネガティブモード」になることもある。だが、出産という大事な時期に、「ネガティブモード」になっている人間は必要ない筈だ。出産においては、ネガティブに考える人より、ポジティブに考える人が必要なのである。自分に対してネガティブに批判してくる人より、ポジティブに支援してくれる人が必要なのである。

 少なくとも、妊婦本人にとって、その夫は「ポジティブモード」になっていることだろうし、自分自身を「ポジティブモード」にしてくれる最高の男性である。だから、こういう男性こそ大事にすべきなのである。出産において、夫は何か凄まじい働きをするのではない。しかし、自分をポジティブにしてくれる非常に大事な男性なのである。

 往々にして、人は自分の脳の使い方をマスターしていない。そのため、自分が愛する者に対して、些細な欠点を見つけ出して、憎しみをぶつけ、自分の脳も相手の脳をも「ネガティブモード」にさせてしまうのだ。愛というのは素晴らしいものであっても、無制限に素晴らしいものではないのだ。愛は愛すれば愛するほど、憎しみに変わってしまう危険な代物なのだ。

 愛が有効なのは、自分の脳が「ポジティブモード」な時だけなのである。結局、愛といえども、自分の脳の中から出て来るものなのである。自分の脳が「ネガティブモード」になっていたら、いくら愛を出しても、その愛は瞬時に憎しみに変わってしまうものなのだ。憎しみは一旦出てしまうと、更なる憎しみを呼んで、その憎しみの力は自然に増大していってしまうのである。

 出産という大事な時期には、「ポジティブな人」を大事にし、「ネガティブな人」を避けるというのは非常に大切な決断である。これは出産の時だけではなく、今後の人生においても、大切な決断である。自分の人生において、ネガティブモードの人は全然役に立たないし、それどころか自分に損害を与えてくることになるであろう。人間は脳の使い方をマスターすれば、いくらでも「ポジティブモード」になれるのに、自分の脳の使い方を知らないばっかりに、自分の脳を「ネガティブモード」にさせ、失敗続きの人生にしてしまうのである。

●感謝の大切さ

 無事に出産し終えた時、ほとんどの産婦たちが「夫に感謝する」ようになるのだ。自分が命がけの出産をしたことで、心の奥底から「感謝の言葉」が湧き出てくるのだ。この感謝こそが、自分の脳を完全に「超ポジティブモード」に切り替えさてしまうのである。人間の脳は感謝することこそが、「最高の快感」になるように作られており、感謝すればするほど、脳が最高の快感を連発して、脳の中から有り得ないようなパワーが噴き出してきて、自分の人生を幸福に満ちたものに変えてくれるのである。

 ただ、多くの既婚女性たちが、自分の出産で経験した「感謝」を、時と共に忘れてしまい、自分の脳を「ネガティブモード」に切り替えてしまい、夫の些細な欠点を見つけ出して、自分の結婚相手に憎しみをぶつけてしまうようになってしまうのである。なぜなら、人間には感謝を否定してくる「自己愛」というものがあるからだ。

 宗教家や哲学者や思想家がいくら自己愛を否定しようとも、人間には誰しも自己愛が備わっているのだ。この自己愛を否定したり無視したりする宗教教義や哲学やイデオロギーは、いついかなる時も人間にとって有用なものではなく、寧ろ甚大な損害をもたらす危険な考え方なのである。人間は誰だって自分が大好きなのだ。人間はいくらでも利己的に振る舞うのだ。自己愛をどんなに否定しても、自己愛を否定しきれるものではないのだ。

 だがしかし、人間は自分の精神レベルを向上させていくと、他人愛に目覚め、自分よりも他人を優先させ、利己よりも利他を働こうとするのだ。自分を捨てて、他人のために自分の力を振り絞って幸せにしようとすると、そこに突如として新しい世界が広がり、今までの人生では味わったことのない新しい歓喜と感動と幸福を得てしまうのだ。

 出産がなぜ女性にとって、今までの人生の中で最高の感動になるのかといえば、自分を捨てて、新たな命を生み出したからなのである。自分の殻に閉じ籠り、自分だけを大切にしていると、この他人愛の極致である出産における最高の感動を得ることはできないのだ。自分を捨てて、全身全霊を以て他人に尽くしたからこそ、新しい世界が広がり、新しい歓喜と感動と幸福を得られるのだ。

 だが、この他人愛は永遠に続くものではないのである。人間は放置しておくと、自己愛の塊になってしまい、いくらでも他人を踏みにじり、他人を不幸にすることができるのである。いくら他人愛が素晴らしいからといって、自己愛を否定できるものではないのだ。ただ、その自己愛の暴走の危険性を防ぐためにも、自分の精神レベルを常に上げていき、他人愛を行い、感謝の大切さに忘れないことだ。

 結局、あなたの未来の幸福は、現在のあなたの前向きな考え方と前向きな行動によって創り出されるし、あなたの未来の不幸は、現在のあなたの否定的な考え方と否定的な行動によって創り出されるものなのだ。他人への感謝は、いつでも自分に前向きな考えを持たしてくれて、前向きな行動を取らすようにしてくれるのだ。

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陣痛が来たら「安産スッポン運動」をせよ

●陣痛から出産までの時間を無駄にするな

 陣痛が来たからといって、すぐに出産が始まるのではない。陣痛は子宮が赤ちゃんを押し出していくために子宮の収縮が起こり、そのために痛みが生じるのだが、初産なら子宮の動きが物凄く遅いのだ。今まで出産をしたことがないために、子宮の動きがすべてにおいて硬いのだ。そのため、陣痛が始まっても、出産に至る時間が、長期化するのだ。

 陣痛も高まってくると、破水が起こる。破水というのは、お腹の赤ちゃんを包んでいる卵膜が破れて、胎内の羊水が体外に出て来てしまうものだ。体が健康で、子宮の動きがいい妊婦なら、破水はそれこそ「パンッ!」と音を立てて卵膜が破け、勢いよく大量に羊水が流れ出てくる。しかし、体が余り健康ではなく、子宮の動きが鈍いと、卵膜が破ける音もせず、チンケなお漏らしをした感じで、タラリと流れ落ちてくる。

 人によっては破水が陣痛が起こる前にもあるので、この場合は、破水の後に陣痛が開始される。この破水を「前期破水」というが、決して何か問題のある破水ではないので、安心することだ。妊婦の中でも25%程度の妊婦たちは、前期破水からお産が開始されている。だから、陣痛が来て、その次に破水が来るとは、覚えておかないことだ。違うパターンもきちんと存在しているのだ。

 破水が起こったとしても、すぐに出産が始まるわけではないのだ。それゆえ、落ち着いて、流れ落ちた羊水を雑巾で拭いて、妊娠用の特大ナプキンでもつければいい。破水以降は入浴は禁止だ。破水が起こったということは、子宮口が開き出したということなので、そこから細菌が入ってしまう可能性があるからだ。

 破水が起きても、すぐには助産院に行かないことだ。行ってもやることなど何もないからだ。破水以降、陣痛の収縮周期が速まっていくので、陣痛の収縮周期が10分間隔になったら助産院に行くことだ。初産の場合、陣痛開始から出産完了まで、12時間から16時間程度はかかるので、ゆっくりと構えると同時に、その時間を決して無駄にしないことだ。

●安産スッポン運動

 陣痛が開始されたら、運動をしまくろう。運動をすることによって、体を軟くし、体を温め、子宮の動きが早くなるようにしてあげるのだ。陣痛開始から助産院に行くまで時間を無為無策で過ごす勿れ。この間に体を動かしておけなければ、準備運動をしないで、出産に臨むようなものになってしまうのだ。体を動かさなければ、当然に体が硬く、温まってもないので、子宮の動きも鈍くなり、出産に時間がかかってしまうのだ。

 運動の中でも、「安産スッポン運動」は最適の運動である。安産スッポン運動は、その体の動きからも解るように、足腰腹筋を鍛え、子宮の動きを援護することになるのだ。しかも、安産スッポン運動を行うと、気の流れが非常に良くなるので、体の痛みが軽減され、出産時に気力をフルで出せるようになるのだ。

 陣痛が来たら、せっせと安産スッポン運動を行うことだ。安産スッポン運動をやればやるほど、自分の出産が安産に近づいていくのだ。安産スッポン運動をやって疲れを感じたら、「足首スクワット」に代えればいい。足首スクワットをやると、足首の筋肉がつくだけでなく、子宮近辺の筋肉を柔らかくするので、子宮の動きから硬さが取れ、子宮がスムーズに動いてくれるようになるのだ。

 安産スッポン運動と足首スクワットを交互にやっていけば、妊婦本人が飽きることなく行えることだろう。助産院に行っても、すぐに出産が開始されるのではないので、その空き時間を使って、安産スッポン運動と足首スクワットを交互に繰り返して、体を温めていくことだ。出産直前に、これらの運動をするからこそ、子宮はスムーズに動くことができるのだ。

 初産だと出産のために何をしていいか解らず、助産院に行っても何もせず、ただ「ボーッ」としているのだが、絶対にこの愚かな妊婦たちの仲間入りをしないことだ。せっせと体を動かして、出産のための準備運動をきちんとしていけば、出産が安産になるのは確実なのだ。お産は何か厳かな儀式と思うより、お産はスポーツと思ってしまった方が、楽しくお産をすることができるのだ。

●骨盤ストレッチ

 安産スッポン運動や足首スクワット以外にも、骨盤ストレッチをしておくことだ。骨盤ストレッチをしておけば、出産中には体を動きやすくなり、子宮の動きも、産道の広がりも、スピード良く行えることができるのだ。体が硬いのに出産中に無闇に力を出してしまうと、会陰裂傷が起こってしまうので、出産前にきちんと骨盤ストレッチを行っておくことだ。

 骨盤ストレッチで、「太腿」「腹筋」「背筋」をきちんと伸ばしておくことだ。これらの筋肉が出産前にストレッチを行ってさえいれば、子宮や産道は無理なく動けるようになるのだ。子宮や産道だけに着目するのではなく、その周りにある筋肉に注目することなのだ。周りにある筋肉が柔らかくなってくれれば、子宮も産道も動き易くなるのだ。

 出産前に四股を踏むということは非常に大事である。四股を踏むと、腰に力が入り易くなるので、出産時に無理なく力を出せるようになるのだ。四股を踏むと、股やお尻の筋肉が伸ばされるために、当然に出産時に産道の広がり具合が断然に違ってくるのだ。ここらが硬いと、最後の踏ん張りの際に、疲労困憊になってしまうのだ。

 出産前には必ず脹脛やアキレス腱を伸ばしておくことだ。これらを伸ばしておかないと、出産中に足が攣ることがあるのだ。出産中に攣ることがないためにも、脹脛とアキレス腱を伸ばしておこう。出産は足腰腹筋を使って行うものなので、脹脛やアキレス腱といった部分にも配慮をしておけば、出産が巧くいくのだ。

 自宅でストレッチを行っておくことは当然だが、助産院でもストレッチを行っておこう。助産院に行っても、出産開始まで充分に時間があるので、その時間を無駄にせず、せっせとストレッチを行って、体を柔らかくしておこう。体が柔らかくなればなるほど、お産の痛みが軽減され、その分、非常に産みやすい出産になるのだ。

●カイロで子宮を温めよ

 冬に出産する際は、寒さで体が硬くなっているので、そういう時は、カイロを使って体を温めることだ。カイロを貼る場所は、「足首」と「お腹」と「腰」である。カイロでお腹と足首と腰を温めると、子宮口が開きやすくなるし、産道の広がり具合も非常に良くなるのだ。冬に出産すると、出産時間が長引いてしまうのだが、それは寒さで体が硬くなっているからなのだ。だから、カイロで体を温めてしまえば、体は柔らかくなって、体が動きやすくなり、出産時間も短縮できるのだ。

 冬場の場合、陣痛後に助産院に行く際は、通常よりも防寒度を高めた、より温かい格好で行くことだ。自宅から助産院に行くまでの間に体が冷えてしまったら、体は硬くなってしまうからだ。マフラーや手袋をするのは当然のこと、毛糸の帽子を被って、頭部もきちんと温めておこう。

 助産院で出産を待機する部屋は、必ず温度を高くしてもらうjことだ。部屋の温度が高ければ、体の動きが格段に良くなるので、出産が非常に楽になるのだ。その助産院が木造建築の場合、考えている以上に寒いので、暖房を強めて、部屋の温度を高くしておくことだ。

 出産する部屋の温度も高めにしておくことだ。夜間に出産することが多いので、冬の寒さに夜の寒さが加わるので、非常に寒くなるのだ。冬は寒さに慣れてしまっているがゆえに、部屋の温度を下げてしまいがちだが、出産する際は汗ばむ程度の温度でいいのだ。それくらい高い温度でないと、体が硬くなってしまい、体の動きが鈍くなってしまうのだ。

 初産なら子宮も産道も初めてなので、動きが硬く鈍いのだ。だから、出産前に安産スッポン運動や足首スクワットや骨盤ストレッチをするなどして、体を温めて、柔らかくしておいてあげることなのだ。出産直前にきちんと体を動かしておけば、体は柔らかくなり、スムーズに動けるようになるのだ。それこそが、自分の出産を安産に決定づける最後の詰めの一手になるのである。

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自然出産は昼過ぎに陣痛が始まり、夜更けに出産が始まり、夜明け前に出産するもの

●自然出産の出産のタイミング

 出産日当日になって、出産というものが、人間の都合で起こってくれるものではない。出産は「月の引力」を中心に展開してくるのだ。自然出産の場合、まず着目すべきことは、「満月」と「大潮」と「満ち潮」である。満月の夜と、大潮や満ち潮が起こる時間帯は、妊婦が出産してくる時間帯なのだ。それゆえ、月の満ち欠けや潮の干満を知っておくことだ。臨月に入って出産の兆候が現われてきたなら、そこから類推して、満月や大潮の日があるなら、その辺りで出産することになるからだ。

 それだからこそ、妊婦がきちんと天日塩を摂取して、自分の体内の塩分濃度を高めていくことが大事なのだ。妊婦の体内の塩分濃度さえ高ければ、月の引力の影響を充分に受けて、出産がスムーズに行われてくれるからだ。病院の医者の減塩指導を真に受けて、塩分を控えていたら、この月の引力の影響力が弱くなり、そのために、出鱈目な時間帯に出産することになり、出産を困難にさせてしまうのだ。

 妊婦の体にきちんとした塩分があれば、破水が始まり、陣痛が来て、出産を開始して、お腹の赤ちゃんを出すことで、出産が完了してくれる。破水から出産完了まで、24時間を超えることは絶対にない。破水から出産完了まで24時間を超えてしまうようだったら、その妊婦には充分な塩分濃度がないために、月の引力を巧く利用することができなかっただけのことなのだ。

 出産の時間というのは、要は子宮口と産道の拡大のスピードで決まってしまう。破水というのは、子宮口が開き始めた証拠であり、陣痛というのは、徐々に子宮口が広がっているということなのだ。塩分は神経と筋肉が正常に作動させる役割を果たしているので、この子宮が出産のために動くことにも深く関わっているのだ。産道の広がりに関しても、塩分が不足してしまえば、産道の広がりが非常に遅くなってしまうのだ。

 出産時にどうして妊婦があれほどまでに苦しまなければならないかというと、子宮も産道も鍛えようのない器官だからだ。そのため、事前に何も鍛えていないのに、出産時には大いに動かざるをえないので、どうしても凄まじい痛みを発生させてしまうのだ。女性が生理をいくら経験しようとも、生理では子宮はほとんど動いていないのだ。子宮が出産以外で激しく動くのは、女性が性行為でオルガズムに行った時だけである。女性がオルガズムに達すると、子宮が激しく動いて、子宮口を開いて、精子を吸い込もうとするのだ。子宮はオルガズムによって鍛えられるので、夫婦の性行為できちんとオルガズムに達している妊婦は、出産時に子宮がきちんと動いてくれて、他の妊婦たちよりも痛みが少ないのだ。

 膣というのは、女性の体の中でもっとも鈍感な器官で、人為的に鍛えようない部分なのだ。そのため、産道の広がりを早くしたければ、膣自体を鍛えるのではなく、足腰腹筋を鍛えておくべきなのである。膣周辺の筋肉が鍛えられておれば、出産時にそれらの筋肉を使って、産道の広がりを早くできるからだ。それゆえ、昔からお尻の大きな女性は出産において圧倒的に有利と言われ続けてきたのだ。

 後もうひとつ付け加えておくなら、便秘をしないことだ。子宮口の広がりにおいても、産道の広がりにおいても、妊婦が便秘をしていたら、非常に邪魔になってしまうのだ。大腸にウンコがなければ、子宮口も産道もスムーズに広がってくれるのだ。だからこそ、出産はウンコをした上で臨むことだ。体内にウンコがなければ、出産の時間は短くなるのだ。

●午前4時から午前7時の間

 出産の時間帯で、月の引力以外にもうひとつ着目すべきものが、妊婦の内臓の活動時間帯と出産との関係である。人間の体は,、内臓が常に満遍なく動いているのではなく、各器官がもっとも活発に活動する時間というのがあるのだ。その時間帯こそが、妊婦の出産の時間帯を決めてくるのだ。

 大腸は午前4時から午前7時の間に活発に動くので、その大腸の動きに釣られて、子宮も産道も動いてしまい、それによって出産できるのだ。通常の出産では、昼過ぎに破水と陣痛が始まり、夜更けに出産を開始して、夜明けに出産を完了させるとうパターンがもっとも多い。このパターンでは、午前4時から午前7時の間で、出産を完了させている。

 このパターンだと、出産が夜通しの作業なるので、だからこそ、多くの助産婦たちが夜間勤務になるのである。女性の中には、夜に強い女性が多いので、それゆえに、助産婦は女性に限定されるべきなのである。男性は女性に比べると、日中に激しく活動するゆえに、夜には弱いので、どうしても、この夜通しの作業が苦手なのである。そのため、男性の産婦人科医たちは、妊婦の体の動きを無視して、陣痛促進剤や帝王切開手術を使って、自分たちが活動し易い日中に出産を行わせようとするのである。日本では昔から助産行為には産婆を宛がい、お産に関しては女性に任していたのだが、それにはきちんとした理由があるのだ。

 この通常の出産パターンで出産する場合、夜更けになってから出産を開始して、いくら妊婦を力ませたり、ラマーズ呼吸法をやらしても、明け方にならないと出産できないので、自分の出産が夜更けになっても出産できないと解ったら、最初から全力投球をしないことだ。最初から飛ばしていけば、体力的にバテてしまうのだ。

 この場合の出産では、午前2時以前には出産することはないので、いきなり産むということは考えずに、徐々に子宮口を開いていけばいいのだ。そして午前4時を過ぎたら、全力を投入して、出産していけばいいのだ。多くの妊婦たちがこのペース配分をしらないからこそ、出産時に疲労困憊してしまうのだ。

●午後7時から午後10時の間

 次に多いのが、午後7時から午後10時の間における出産だ。この時間帯は、心臓が強くに作動する時間帯なので、出産力を最大にすることができるのだ。妊婦の年齢が若く、体の筋肉がしっかりとついていて、妊娠中にきちんと体重を増加させた妊婦は、この時間帯に出産しやすいのだ。

 この出産パターンは、先の出産パターンに比べて、破水から出産までの時間が3分の2くらいに短縮されるのだ。それだけ子宮口や産道の動きが良く、早い時間で出産できるのだ。出産の時間が短い分、体力の消耗が少なく、産後の肥立ちも早くなるのだ。そして何より、出産が深夜に及ばないので、出産が終わって後処理が終われば、すぐに寝れるので、非常にてラッキーな出産なのだ。

 自分の年齢が若く、体がごっつければ、この時間帯に出産しやすいので、妊娠中は動物の心臓をきちんと食べておこう。自分の心臓を強くしたければ、動物の心臓を食べてしまえばいいのだ。日本では仏教の肉食禁止の戒律の影響を長らく受けてしまったために、動物の心臓を食べるのを不浄と看做したために、どうしても心臓の機能を強くできなかったのだ。だから、焼肉屋や焼鳥屋に行って「ハツ」を食べるとか、自宅でも動物の心臓を使った料理をして、食べてしまうことだ。

 自分の出産が午後7時から午後10時の間になると解ったら、スクワットをして、足の血流を良くして、血液を心臓に早く返してしまうことだ。こうすると、心臓がより活発に動いてくれて、出産のために充分な血液を回すことができるようになるのだ。股間に力を入れても、一向に出産に結びつかないと解ったら、立ち上がってスクワットをし、足の血流を良くして、その上で再び出産に臨めばいい。こうする方が、巧く心臓の力を利用でき、より早く出産することができるのだ。

 それから、「二の腕」を揉むことだ。「二の腕」には心臓のツボがあるので、二の腕を揉むと、心臓が刺激され、活発に機能し始めるのだ。出産前だけでなく、出産中も、夫に「二の腕」を揉んでもらい、自分の心臓の機能を高めてもらうことだ。ちなみに、女性が歳を取って二の腕が弛んでくるのは、その女性の心臓が弱っているということであり、筋肉トレーニングをするなり、マッサージをするなりして、二の腕が弛まないようにしておくことだ。

●午後1時から午後4時の間

 午後1時から午後4時の間は、小腸が活発に作動してくるので、それによってお腹が温まり、子宮も産道も動きやくすなって、お腹の赤ちゃんが押し出されてくるのだ。人間の体温は午後2時にピークを迎えるので、この出産パターンは体温が高い状態で行えるので、そのために体の動きが物凄く早くなるのだ。

 この出産パターンは、破水から出産完了までもっとも短い時間で終えることができる。そのため、もっとも体力の消耗が少なく、産後の肥立ちも物凄く良くなるのだ。超健康体の妊婦はなぜかこの時間帯に出産するのだ。妊婦の中でも、酵素水分濃度が高く、塩分濃度も充分にあり、筋肉量の多い女性は、特にこの時間帯に出産してくる。

 この出産パターンでは、午前中に体を動かして体を温めておけば、出産はよりスムーズに行うことができるのだ。時間が時間なので、出産を行うというよりも、スポーツをするという感覚でやってしまった方が、巧く出産することができるのだ。午前中に体を動かしてないと、体が温まっていないので、この時間内では終わらずに、夕方にずれ込んでしまうのだ。

 妊婦の体が超健康体になると、出産がいつ来るか解るようになり、お腹の赤ちゃんが出たい時間帯に合わせて、力を入れていくことができるのだ。よく、この出産パターンで産んだ母親たちは、「出産する前に、お腹の赤ちゃんが生まれたいと言っているのが解った!」と不思議なことを言い出すのだが、これは脳の機能が低下していない日中に行うからこそ、こういう不思議な現象に出くわすのだ。科学に取りつかれた産婦人科医たちは、当然のごとくにこういう発言を無視してくるので、この出産パターンの妊婦が病院で出産すると、どうしてもタイミングがずれてしまい、出産が長引いてしまうのだ。

 この時間帯で出産してくる妊婦は、妊婦の中でも非常に健康な妊婦たちなので、通常の妊婦たちはやはり、午前4時から午前7時の間に出産してくるのだ。それなのに、陣痛促進剤を用いて、無理矢理にこの午後1時から午後4時の間に出産させようとすると、妊婦の体は出産すべき時間ではない時間帯に出産させられるので、どうしても出産でトラブルが生じてしまうのだ。

 出産には個人差があっても、決してランダムに行われるものではないのだ。出産は「月の引力」と「人間の内臓の最高活動時間」の関係で決まってくるのだ。出産が始まったからといって、出産開始当初から全力で飛ばしていくのではなく、自分が出産する時間を見越して、自分の出すパワーを配分していけばいいのだ。そうすれば、疲労困憊することばく、余力を残した状態で出産を終えることができるのだ。

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出産は空腹で臨まない

●出産日当日は三食を常に大量に食べておく

 「おしるし」が来たら、翌日が出産日当日になる可能性があり、その可能性が最大7日間続く。その間、三度の食事を常に大量に食べておくことだ。いつ破水が来て、陣痛が始まるか解らないので、腹ごしらえをきちんとしておくのだ。出産といっても、出産の時間が一定ではないので、どう長引いてしまうか解らないので、きちんと食事を取っていなければ、出産中にスタミナ切れを起こしてしまうのだ。

 朝食を少な目に食べる習慣のある妊婦は、こういう時は朝食から大量に食べていくことに切り換えることだ。朝食が少なければ、体は動いても、脳が動かなくなってしまい、大いにパワーダウンしてしまうからだ。破水にしても、陣痛にしても、子宮だけで起こっているのではなく、脳の指令で起こっているものなので、脳が巧く動いてくれなければ、出産の時間が長引いてしまうのだ。

 破水が来て、陣痛が来ても、陣痛の周期がまだ短くないのであるならば、自宅で夕食を済ましてから、助産院に行くということを考えておいた方がいい。やはり自宅で食べる食事が一番美味しいから、出産直前にきちんとした腹ごしらえができるのだ。初めての出産の場合、陣痛の周期に関しては、いくら助産婦から説明されても陣痛が起こる前は良く理解していないので、陣痛が来たら助産婦に電話をかけ、現在の陣痛の周期ではまだ出産には入らないと解ったなら、自宅で夕食を済ましてから、助産院に行けばいいのだ。

 勿論、陣痛の周期が早まり、自宅で夕食を食べられないと解ったら、助産院に行き、助産院で夕食をきちんと食べることだ。但し、夕食を大量に食べる習慣のある妊婦なら、助産院での食事が少なければ、自宅で作ってきて足すようにすることだ。ここで少ない夕食を取ってしまえば、夕食を多目に食べる習慣のある女性はパワーが出せなくなってしまうのだ。そのため、助産院での食事のメニューは予め訊いておいた方がいい。

 出産当日の食事の主食は、「白米」や「白パン」を絶対に避けることだ。これらの物では出産を耐えきれないし、体を酸化させてしまうので、非常に出産には不向きなのだ。出産する直前は、可能な限り「押麦入り玄米食」を食べるべきであって、これだと長時間にわたって血糖が不足することがなくなるので、出産においてパワーが切れてしまうことがなくなるのだ。しかも、体を弱アルカリ性にするので、子宮口や産道の動きが非常に良くなるのだ。

●空腹で臨んだ方がいいという仮説

 俺は出産に関しては、空腹で臨んだ方がいいのではないかという仮説を持っている。というのは、人間以外の動物は空腹状態で出産しているからだ、例えば、鮭はカナダ沖で回遊し、産卵の時期になるとカムチャツカ半島に行き、そこから絶食した状態で北海道までに行き産卵するのだ。茨城県や千葉県や東京都まで来る鮭もいるので、そういう鮭はその絶食期間が物凄く長い期間になるのだ。だが、鮭たちは絶食して産卵するが、産卵した後は絶命しているので、人間も空腹で出産に臨めばいいというわけにはいかないのだ。人間の場合、出産しても、育児をしなければならないし、再び妊娠して出産することを繰り返すからだ。

 人間は食事を食べさえしなければ、食事の消化吸収にエネルギーを回す必要性がなくなるので、大量のエネルギーを確保することができる。だから、断食した状態で出産すれば、その大量のエネルギーを出産に回せばいいのだから、食事を食べた妊婦よりも、出産が巧くいくのではないかという考えも成り立つ。しかし、この仮説を実際にやらしてみると、どうも巧く行かないのだ。

 というのは、人間は体だけで産んでいるのではなく、脳を使って産んでいるからだ。人間は脳を発達させた生き物なので、脳への栄養素が途切れてしまえば、体だけで産まざるをえなくなり、それでは出産を充分に行えないのだ。脳への栄養素は、主に炭水化物であるので、断食で炭水化物不足になってしまうと、脳の動きが急激に低下してしまうのだ。体のスタミナが切れる前に、脳への栄養分が切れてしまうと、妊婦が出せるパワーは大いに減少してしまうのだ。

 女性は男性よりもお喋りなのだが、その女性の中でもお喋りな女性は、特に甘い物が大好きである。これはその女性が喋ることで脳の機能を大いに使っており、そのために大量の炭水化物を消費してしまうからだ。甘い物が大好きな女性に甘い物を控えさせると、脳の機能が低下して喋る量が低下するし、そのれに釣られて体の動きも鈍くなってしまう。これを同じことが出産でも起こっているわけだ。

 若い女性には、早産も難産も異常出産も少ないのに、女性が高齢化すればするほど、早産や難産や異常出産の率が高まるのは、それらを防止する栄養素が不足しているということもあるが、歳を取ることによって膵臓が出すインスリンの量が減少し始めているので、そのために、充分なインスリンが出せなくなり、炭水化物を処理する速度が遅れてしまうからなのだ。だからこそ、30歳を過ぎたら定期的に断食をして、膵臓を始めとする内臓を休ませてやり、内臓が正常に作動するようにしてあげなければならないのだ。

 要は、出産は体だけを使って行っているのではなく、脳をもフル稼働させて、お腹の赤ちゃんを産もうとしているので、出産直前に、体に対してスタミナある食事を取るとともに、脳に対して炭水化物が豊富な食事を取ることによって、体と脳に対して栄養素が不足しない状態にしてあげることが必要なのだ。そうすれば、出産中に充分な体力を維持したまま、お腹の赤ちゃんを産むことができるのである。

●出産強化食

 体のスタミナをつけるためには、「鉄分+蛋白質」の食事を摂取すればいいのだ。鉄分と蛋白質を組み合わせると、スタミナ切れが起きなくなるのだ。出産直前には鉄製の鍋を使って料理をすることだ。鉄製の鍋を使って料理をすると、鉄分が補給でき、体にスタミナがつくのだ。

 鉄分を多く含んだ食材は、「ヒジキ」「のり」「ゴマ」「切り干し大根」「パセリ」「アズキ」「「レバー」「アサリ」「シジミ」「ハマグリ」などである。この中でも「ヒジキ」がもっとも多くの鉄分を含んでいるので、出産日当日に必ず食べておくことだ。ヒジキを作り置きしておいて、出産後に食べると、産後の体調回復が早くなる。

 蛋白質は、動物性蛋白質だけを取るのではなく、きちんと植物性蛋白質を摂取することだ。「大豆」を始めとする豆類や、「クルミ」や「アーモンド」や「ナッツ」などの木の実などを多く摂取しておくことだ。日本の妊婦たちは、豆類をきちんと食べるのだが、木の実をほとんど食べないために、どうしてもスタミナ切れを起こしてしまうのだ。

 動物性蛋白質は「肉」でも「魚」でも「玉子」でも構わない。肉に関しては鶏の肉が一番よく、魚も小魚の方がいい。小型の動物の方が多く産卵しているので、これらを食べれば自分の出産力も高まるのだ。これと同様に、出産直前に動物の卵を食べると、妊婦の出産力は高まるのだ。「鶏の玉子」も、「ウズラの卵」もそうだし、「タラコ」や「イクラ」などを食べると、妊婦の出産力は高まるのだ。

 動物性蛋白質を摂取した場合、ビタミンやミネラルがないと充分に消化吸収されないので、肉や魚を食べたら、野菜を大量に食べることだ。出産直前では酵素水分が必要となってくるので、「糠漬け」や「塩揉み」や「サラダ」といった形で、生の野菜を食べることで、酵素水分の浪費を少なくすることだ。但し、生野菜だとそれほど多く食べられないので、野菜ジュースを飲んで、不足した野菜を補っておくことだ。

●炭水化物の量を60%以上にする

 脳の栄養分は炭水化物であって、炭水化物の代謝のためには「ビタミンB1」が必要となる。即ち、「炭水化物とビタミンB1」のコンビこそが、脳に栄養素を送ることができるのである。炭水化物だけ摂取しても、ビタミンB1がなければ、脳に栄養素が行かず、脳がエネルギー切れを起こしてしまうのだ。

 出産日当日の食事は、どの食事であっても、炭水化物の量を60%以上にすることだ。これだけの量の炭水化物を摂取していると、脳は出産中にエネルギー不足にならないのだ。多くの妊婦たちが出産中に集中力を切らしてしまい、難産になってしまうのは、出産直前の炭水化物の量が少なすぎるからなのである。夜に出産を開始し、明け方にまで出産の時間が及ぶ場合、通常の食事の炭水化物の量では絶対に足りないのだ。出産日当日の食事は、それこそ「ドンブリ飯」の状態で、大量にご飯を食べておくことだ。大量に炭水化物を摂取していれば、出産中に炭水化物が不足することなどなくなるのだ。

 ビタミンB1を多く含んでいる食品は、「大豆」「玉子」「猪の肉」「うなぎ」「ピーナッツ」「ヨーグルト」である。出産直前には、「味噌汁」と「納豆」を大量に食べておくことだ。味噌汁は通常の倍は飲んでおくべきだし、納豆に関しては、納豆を3パック使い、そこに玉子を落として食べることだ。こうすれば、出産中にビタミンB1が不足することはなくなる。妊娠中にお腹がすいたら、ピーナッツを食べるというのも、ビタミンB1を巧く補給できる方法である。

 但し、ビタミンB1の敵は、「水」なので、出産日当日は水を飲まないことだ。ビタミンB1が水に溶けだし、流れ出てしまうのだ。出産直前に水を飲まないことは当然として、出産中に喉が渇いても、水を飲まないことだ。体を温めるお茶を飲むなり、蜂蜜レモンジュースを飲むなり、野菜ジュースを飲むなりしておくことだ。

 出産が深夜に及びそうだったら、蜂蜜を舐めるなり、黒砂糖を食べるなりして、血糖値を落とさないようにすることだ。午後10時になっても、出産する可能性がないのであるならば、恐らく翌朝まで出産時間がかかるので、血糖値が下がってしまうのだ。もしも、お腹が余りにもすいたなら、夜食を食べてしまうことだ。

 破水が起こり陣痛が来てしまうと、陣痛にだけ注目してしまい、食事の重要性を忘れてしまいがちだ。陣痛が来てもすぐには出産するわけではないので、長丁場の出産のために、食事をきちんと大量に摂取しておくことだ。出産直前に大量に食った妊婦が、安産を確実にさせるものなのだ。陣痛に目を奪われることなく、食事にきちんと配慮した妊婦が、最後には勝つのである。

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出産日当日の午前中には必ず体を動かしておくこと

●出産日当日の午前中の重要性

 「おしるし」が出たら翌日にでも出産する可能性があるので、いつでも出産できるように臨戦態勢に入ればいいのだ。破水が来ていなくても、「おしるし」の翌日から1週間以内はいつでも出産日になる可能性があるので、出産日当日の午前中を決して無駄にしてしまわないことだ。

 破水は午後に起こりやすいので、午前中は何もしないで過ごすのではなく、午前中から残った家事をしてしまうとか、スポーツをして体を温めておくとかして、出産日当日の午前中を有効に利用した方がいい。出産日当日の午前中こそ、妊婦が自由に動ける最後の時間なので、この大切な時間を無駄にしてしまうな。この大切な時間の中で、妊婦としてできることはすべてやっておいた方がいい。

 特にスポーツによって体を動かし、午前中の体温を上昇させると、子宮口が開き易くなり、破水から出産までの時間を最短の時間で行えるようになるのだ。妊婦がどうして難産になるかといえば、出産時に体が冷たく、そのために子宮口の開きが遅いので、妊婦が頑張っていくら力んでも子宮口が開いてくれず、そのために難産になってしまうのだ。だから、破水が起こる前にスポーツをして体を動かして体温を上昇させておけば、子宮口の開きが早くなり、自分の出産を安産に持ち込むことができるのだ。

①ウォーキング

 一番のお勧めは、なんといってもウォーキングで、出産日当日の午前中に1時間以上のウォーキングをしていれば、体が足元から温かくなり、血行が非常に良くなるので、出産の際に子宮口がスムーズに動いてくれるようになるのだ。出産日当日はいつでも破水が来る可能性があるので、妊婦一人でウォーキングに行くのではなく、夫婦揃って出かけよう。

 また、破水が始まり、陣痛が来た後に、助産院に行く際は、できるだけ歩いていくことだ。陣痛が来ても、すぐに出産が始まるわけではないので、助産院に行く時間を無駄にせず、ここでも歩くことによって体温を上昇させ、血行を良くしてしまうことだ。この些細な処置こそが、自分の出産を安産に導くことになるのだ。

②筋肉トレーニング

 出産日当日の午前中に筋肉トレーニングをして、筋肉を温めておくと、当然に子宮口の開きが早くなるのだ。それゆえ、午前中に軽く筋肉トレーニングをしておくことだ。「スクワット」「腹筋」をやって足腰腹筋を目覚めさせ、筋肉の温度を上昇させておこう。これをやっておくと、出産時に足腰の動きがまるで違ったものになり、自分の思い通りに体が動いてくれるようになるのだ。

③骨盤ストレッチ

 午前中の体はまだ硬いので、骨盤ストレッチをして、体を柔らかくしておくことだ。体が硬いということは、それだけ子宮口も産道も広がりにくくなるということであって、体を柔らかくしておけば、子宮口も産道も広がり易くなるのだ。陣痛が来てしまうと、骨盤ストレッチをやるのは非常に苦労することになるので、陣痛が起こる前までに骨盤ストレッチをして、体を柔らかくしておくことだ。

●夏場は特に汗を流しておくこと

 大量に汗を流してしまう夏場の出産では、午前中に厚着をして、ウォーキングをし、汗を流しておくことだ。出産日当日の午前中に汗を大量に流しておくと、出産時に余り発汗しなくなるのだ。夏場の出産では、出産時に流す汗が非常に邪魔になるので、出産する前に汗を流しておけば、出産時に汗のかきずぎで、体の動きが鈍ってしまうということがなくなるのだ。

 人間は発汗すると、余分な水分を排出できるので、それだけ体が軽くなり、酵素水分の濃度を高くできるのだ。酵素水分がたっぷりとあれば、出産時において子宮口も産道も広がる際に酵素水分を充分に回せるのだ。余分な水分が自分の体の中にあれば、この酵素水分の濃度が高くなってくれず、出産に必要な酵素水分を充分に回せなくなってしまうのだ。

 但し、大量に発汗した場合、気をつけなければならないのが、汗とともに、「塩分」「ビタミンC」「亜鉛」が失われてしまったということである。「塩分」は神経と筋肉が正常に機能するためには絶対に必要で、「ビタミンC」は子宮口や産道が広がっていく際に大量に使用され、「亜鉛」は生殖器官が正常に作動するためには絶対に必要である。

 そこで、大量に発汗した時は、その日の昼食や夕食で、これら「塩分」や「ビタミンC」や「亜鉛」を含んだ食材を使って料理をしておくことだ。これらの物を摂取しているだけで、出産時の体の動きは全然違ったものになるのだ。出産日当日の食事は、その日になって考えるのではなく、事前に献立を立てておいた方が、混乱なく料理を作ることができるのだ。

 夏場の出産では、絶対に冷房を使用するのはやめておこう。どんなに暑かろうが、自然にしておいた方が、汗もきちんと出せるし、体温も温かくなるので、出産時には充分に体が動くようになるのだ。自宅のみならず、助産院の冷房の使用も禁止してもらおう。その代わり、出産日当日の午前中にはスポーツをして、きちんと汗を流しておこう。そうすれば1日中を涼しく過ごせるようになるのだ。

●冬場はお風呂場で体を温めておくこと

 逆に冬場では冬は寒さで汗も出にくく、体が硬くなっているので、そのままでは出産には非常に不利になってしまうのだ。冬は運動しても汗を余り流せないので、こういう時は風呂で体を温め、汗を流しておくことだ。朝風呂に入って、汗を流し体を温めておけば、1日中、体は軽く、体を温かくしていられるのだ。

 冬場の朝風呂は、「43℃」か「44℃」といった高温でも構わない。短時間のうちに発汗でき、体を温かくすることができればそれでいいのだ。これだけ高い温度のお風呂に入ると、自律神経が完全に交感神経にシフトしてくれるので、体も脳もフル稼働できる状態になり、出産時に全力を出せる態勢を築くことができるのだ。

 お風呂から出た後は、体を拭いて、少しの間、全裸でいることだ。冬場はどうしても厚着をしてしまうので、皮膚が弱っており、充分な皮膚呼吸ができていないのだ。そのため出産に必要な酸素が不足した状態にあるのだ。それゆえ、少しの間、全裸でいることで、皮膚呼吸を盛んに行わしてやり、体内の酸素濃度を高めていけばいいのだ。勿論、冬場は寒いので、体が寒さを感じたら、すぐに服を着てしまうことだ。

 但し、お風呂の唯一の欠点といえば、入浴中に体の体液が流れ出てしまうので、出産直前の妊婦にとっては、この体液の流出が大いにマイナスになるのだ。それゆえ、できればお風呂ではなく、サウナで汗を流すことだ。自宅にサウナがあればいいが、自宅の近くにサウナがある健康ランドやスポーツジムがあるのなら、そこに行って汗を流し、体を温めてしまうことだ。岩盤浴であったとしても構わない。

 自宅以外でサウナを利用する際は、必ず夫を同伴していくことだ。いつでも破水が来る可能性があるので、そういう時は夫と共に出産の準備を開始しなければならないのだ。サウナに入っている際に破水しても、すぐさま出産が始まるわけではないので、冷静沈着になることだ。サウナから出て、水で汗を流して、バスタオルできちんと体を拭いておくことだ。冬の寒風で体調を崩さないようにすることだ。

●全身マッサージでリンパ液の流れを良くする

 出産日当日の午前中にスポーツをして汗を流したのなら、是非とも全身マッサージをしておいてほしい。全身にマッサージをすると、リンパ液の流れが良くなり、体の老廃物や毒素が押し出されて、体が引き締まった状態で、出産を迎えることができるのだ。体が引き締まっている以上、出産時には高い運動能力を発揮してくるのだ。

 全身マッサージは夫にしてもらうことだ。遣り方は手にオリーブオイルを塗って、優しくマッサージするだけ。体が冷えないように、マッサージをしていない場所にはバスタオルをかけておくことだ。リンパ腺は血管の近くにあるので、血管をなぞっていけば、リンパ腺をマッサージすることなり、リンパ液の流れが良くなって、体内の老廃物や毒素が押し流されていくのだ。

 全身マッサージをした後は必ず小便をしたくなるので、尿意を感じたら、すぐに便所に行き、小便をしておくことだ。この小便の中に老廃物や毒素がたくさん含まれているのだ。小便が勢いよく出るということは、破水も勢いよくなるということだ。妊婦の中には、破水しても、その破水を気づけないほどに小さな破水しかできない妊婦もいるが、これは体が硬く、体温も上昇していない証拠だ。それだけ子宮口の開きが遅く、難産が予想される破水の仕方だ。せめて、出産日当日の午前中に全身マッサージをして、体温を上昇させ、体を柔らかくしていたら、かなり違った破水の仕方をする筈だ。

 出産日当日になると、妊婦としてはもう何もすることがないので、この大切な時間を無為に過ごしてしまいがちだ。その点、昔の妊婦たちは、出産日当日も労働に従事し、出産の直前まで汗を流していたことによって、逆に妊婦の体温が上昇して、妊婦の体が出産しやすいような体にしてしまっていたのだ。当時は貧乏だったから、生活費を稼ぐために、どうしても労働をしなければならなかった事情があるが、現在のように豊かになって、出産日当日までも生活費のために労働しなくていいという恵まれた状況になってしまうと、今度は一転して妊婦の体自体が、出産に不向きな体になってしまい、無事に出産できる体なのに、起こさなくていい難産を引き起こしてしまうのだ。

 貧乏はお金がないことに関しては悲惨だが、しかし、貧乏人は貧乏人なりに、巧く遣り繰りして、大過なく生きていけるようにするものなのである。しかし、裕福になるとお金があるばっかりに、何でもお金の力で解決しようとしてしまい、巧く遣り繰りして、自分の人生を大過なく過ごすということを忘れてしまい、起こさなくていい悲劇を起こしてしまうのだ。

 テレビのドキュメンタリー番組などを見て、出産に長時間かかるのが当たり前だろうと思いこんでいる妊婦たちは、その番組に出演していた妊婦が、出産日当日の午前中になんら体を動かしていないことを見ていないのだ。妊婦が出産日当日の午前中に、体を動かさず、汗を流さず、体温も上昇していなければ、出産が長時間に及んでしまうのは当然なのだ。出産日当日まで労働しないのであるならば、それに代わる何かをしておかなければならないのだ。そういう知恵がまるでないのだ。

 何事も最後を決めるのは、勢いである。勢いがあれば、多少のミスがあっても、それをカバーしてしまい、勝利へと導けるのだ。出産もまったく同じで、出産日当日の午前中に体に勢いをつけておけば、出産においても勢いよく出産を行えることができるのだ。勢いをつけずに、出産に臨んだら、出産に梃子摺ってしまうのは当然なのだ。だから、出産日当日の午前中に勢いをつけよう! 勢いをつけて、出産に突入していまえばいいのだ。そうすれば、自分の出産を安産へと導けることができるのだ。

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出産日当日は必ず排便をしておく

●排便の有る無しが出産の命運を分ける

 妊娠後期になると、お腹が大きくなり、お腹の赤ちゃんがただでさえ内臓を圧迫して便秘になるのに、更に出産の兆候が出ると、お腹の赤ちゃんは下方へとポジションを移すので、より大腸を圧迫して排便の出が悪くなり、最後のトドメは「おしるし」が出た後で、お腹の赤ちゃんがもっとも下方に下がってくるので、大腸を圧迫して、排便を困難にさせるのだ。

 結論から言ってしまうと、「おしるし」が出た翌日の排便の有る無しが出産の命運を分けてしまうのだ。安産で産む妊婦のほとんどが出産日当日にきちんと排便をしているのだ。これに対して難産になる妊婦のほとんどが出産日当日にきちんと排便が出てしないのだ。「おしるし」が出た後は、いつ破水が起こってもおかしくないので、この妊娠の最後の時期に排便を必ずしておくというのは、妊婦に課せられた最後の仕事なのだ。

 というのは、ウンコが大腸に詰まっていると、赤ちゃんを押し出す力が非常に弱まってしまうのだ。大腸にウンコがあると、丁度、子宮口の広がりを邪魔して、子宮口の広がりを遅くさせてしまうのだ。しかも、お腹の赤ちゃんが産道を通って行く際にも、産道の広がりを邪魔してしまい、巧く産道が広がらないようにさせてしまうのだ。

 大腸にあるウンコはただ邪魔だけではないのだ。大腸にウンコがあるということだけで、そこにエネルギーを取られてしまうのだ。出産のために自分の持っている力をすべて出し切れることがなくなってしまうのだ。便秘の女性に限って体を重く感じられ、パワーが出ないのだが、それは大腸の中にウンコがあるというだけでエネルギーを吸い取られてしまっているからなのだ。

 出産時には体は奇麗な水分を使って、出産を行っていくのであるが、便秘になってしまうと、大腸が汚れているので、奇麗な水分を供給できなくなってしまうのだ。そのため腎臓が機能を低下させ、体の各器官は汚い水分のために充分に動くことができず、しかも、疲労物質が出ても巧く回収してくれないので、疲労しきった状態で、出産を行わなくてはならなくなってしまうのだ。

●臨月に入ったら、朝の排便をきちんと行っておく

 こういうことが出産直前に起こらないためにも、臨月に入ったら、朝の排便をきちんと行っておくことだ。排便には習慣性があるので、臨月になっても、いつもどおりに排便をすることが出来ていれば、出産直前になって、いくらお腹の赤ちゃんが大腸を圧迫したからといって、いきなり便秘になるということはなくなるのだ。

 毎朝ウンコをすることこそ、臨月に入った妊婦の最重要の仕事なのである。大腸にウンコがなければ、破水が来た後、子宮口の広がりも良くなるし、産道も順調に広がってくれて、お腹の赤ちゃんは最短時間でお腹の中から出て行くことが可能になるのだ。出産にかけた時間が短ければ短いほど、妊婦にとっても、赤ちゃんにとっても、体力の損失が少なく、体力が有り余った状態で出産を終えることができるのである。

 特に「出産の兆候」が現れると、お腹が張った状態になるので、排便のリズムに乱れが生じるが、こういう時でも朝の排便をきちんと行っておくことだ。通常よりもウンコの量が少なくてもいいから、必ず朝食前にウンコをしておくことである。朝食前にウンコが出てさえくれれば、朝食後にも再びウンコを出すことができるのだ。

 「おしるし」が出た翌日以降は必ず排便をしておくことだ。「おしるし」が出た後は、いつ破水が起こるか解らないからである。一番多いのは「おしるし」が出た翌日の午後に破水するので、だからこそ必ず排便をしておくことだ。「おしるし」が出たその日の夕食には、食物繊維の多い食材を多く食べるとか、玄米の量を増やすとかして、排便が確実に出るような配慮をしておくことだ。

 排便には習慣性があるので、臨月に入ってから、便秘になってしまうと、ズルズルと排便が長引いてしまうのだ。それゆえ、排便が困難になってきたら、すぐさま手を打って、排便をスムーズにさせる努力をすることである。臨月になったら、「出産の兆候」や「おしるし」が出て来るというのは解っているのだから、今まで自分の人生で培ってきた便秘解消テクニックを駆使して、排便ができるようにしてしまうことだ。

●出産直前の便秘解消の方法

①「天日塩入り根昆布湯」を飲む

 出産直前の便秘を解消する方法といっては、なんといっても「天日塩入り根昆布湯」を飲むことである。出産直前には根昆布湯を飲みながら、根昆布を食べてしまうことである。根昆布に含まれるミネラル成分によって、より排便しやすくさせるのだ。天日塩は内臓を引き締めてくれるので、天日塩によって大腸が刺激され、排便を促すのだ。

②食事を多目に摂取する

 「おしるし」が出た日の夕食は、必ず「押麦入り玄米食」にし、そのご飯を多目に食べることだ。ご飯を大量に食べると、それだけ大腸は活発に動かざるを得なくなるので、ウンコが押し出されてしまうのだ。しかも、押麦にも、玄米にも、食物繊維が豊富に含まれているので、大量に食べれば大腸の内部を掃除してくれて、ウンコを吐き出してくれるのだ。

③スポーツをする

 ウォーキングをするとか、筋肉トレーニングをするとか、ストレッチをするとかして、とにかく体を動かして、血行を良くして、排便がしやすいようにさせてあげることだ。妊娠も妊娠が最終段階に入って、体重は重いし、お腹も出ているだろうが、こういう時こそ億劫がらずに、きちんと体を動かして、排便しやすいようにさせてあげることだ。

④睡眠時間を長くする

 睡眠時間が短ければ、内臓は巧く作動することができない。それゆえ、睡眠時間を長くして、内臓を巧く作動させて、翌朝の排便を確実にすることである。妊娠も最後になれば、午後9時には就寝してしまうことである。この時間に床に入って眠れば、睡眠中に内臓はきちんと機能してくれて、翌朝には大量のウンコを出すことができるのだ。

⑤大腸を刺激する

 「おしるし」が出た翌日になっても、ウンコが出ない場合、大腸のある所を、指で押して、大腸を刺激することだ。大腸にウンコが入っていれば、そこがパンパンに膨らんでいるので、そこを左上から右下へと大腸をなぞるように、指で押していくことだ。これを何度も繰り返していると、便意がやってきて、ウンコが出るようになるのだ。

●浣腸の使用

 「おしるし」が出た翌日以降から、いつでも破水が起こる可能性があるので、もしも、どうしてもウンコが出ない場合、そのままの状態で出産に及んでしまうと、出産時に力んだ時に、ウンコが出てしまうのだ。勿論、こういうことが起こらないように、助産婦は事前に肛門に栓をしてくれるのだが、かといってやはり大腸にウンコを溜め込んで出産に臨むべきではないのだ。大腸にウンコがあれば、出産の邪魔だし、妊婦もエネルギーを全開にして出すことができないのだ。

 そこで提案なのだが、「おしるし」が出た翌日以降に排便が困難になった場合、浣腸の使用を考えてもいいのではないか? 妊婦に浣腸をして、ウンコを強制的に排出させれば、出産時は非常に楽な状態になり、子宮口も産道も順調に広がってくれて、妊婦のパワーを全開にできるのだ。

 そして何より、出産時に便意を催したり、排便をしてしまうことを避けることができるのだ。出産時に排便する妊婦もいるけど、できれば出産時にはウンコをしたくないものだ。出産時にウンコをしてしまうということは、それだけ出産に邪魔な物を大腸に溜め込んでいたということにすぎないのだ。

 10代や20代の妊婦なら排便が困難になるということはないが、妊婦が30代や40代になってしまえば、どうしても便秘になってくる妊婦が出て来るので、そういう妊婦たちにも肛門に栓をするという方法のままでいいのかということに関しては大いに疑問である。出産日当日に浣腸をしてしまい、強制的に排便させてしまった方が、出産中に便意に襲われることもなくなるし、出産を安産に持ち込むことができるのだ。

 勿論、出産直前の妊婦たちは、浣腸のお世話にならないように、日頃から排便をきちんと行えるようにしておくことだ。毎朝、きちんとウンコをしてさえいてくれれば、いつ破水が来ても、自分の出産力を最大にすることができ、自分の出産を安産にすることができるのだ。出産日当日の排便こそ、妊婦に残された最後の仕事なのである。

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