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2009年3月

赤ちゃんは基本的に太っているもの ~赤ちゃんにダイエットは無用です!~

●赤ちゃんは母乳を良く飲めば太るもの

 新米ママが赤ちゃんに母乳をきちんと与え続けていけば、赤ちゃんはまん丸に太っていく。健康な赤ちゃんは基本的に太っているものである。赤ちゃんの肥満は健康な証拠である。赤ちゃんは満2歳まで自分で抗体を作り出せないので、太るということで、自分の免疫力を上げるという選択肢を自然と取らざるをえないのだ。それゆえ、昔からどの絵を見ても、赤ちゃんは太っている姿で描かれているのだ。

 ところが、医者の手にかかると、この赤ちゃんの健康は物の見事に破壊されてしまうのだ。新米ママが母乳をたくさん与えて、赤ちゃんを太らそうものなら、ダイエット指導をしてくるのだ。もしも、新米ママが健康に関して無知である場合、医者の医学的指導をう鵜呑みにして、自分の赤ちゃんへの母乳の量を減らして、痩せさせようとしてしまうことだろう。しかし、そんなことをすれば赤ちゃんは病気のオンパレードになり、病院通いをせざるを得なくなってしまうのだ。

 医者にとっては、赤ちゃんが健康で居られても、儲からないのだ。赤ちゃんが病気になってくればこそ、医者は儲かるのである。そのため、赤ちゃんが健康に育つことを妨害して、なんとか病気を発症させ、病院に来て貰うように仕向けているだけなのだ。そうでなければ、医者があれほど儲かるわけがないのだ。国民健康保険が破綻し、それに釣られて国家財政まで破綻しているのは、医者たちが自分たち病気を作り出し、その費用を国民健康保険や政府に捻出させているからなのである。

 赤ちゃんを産んだら、医者を信じないことなのである。赤ちゃんは満2歳まで自分で抗体を作り出せないので、母親の母乳からの抗体に頼らざるを得ないということを知っていれば、赤ちゃんの健康に全責任を持つのは、母親であって、医者の意見といえども、赤ちゃんの健康を害するのであるならば、無視すべきなのである。

 性善説に立脚するのではなく、性悪説に立脚するのである。人間は放っておけば、正しいことなど何一つせず、悪さばかりしてくると見てしまうのである。そうすれば、悪どい意見を言っている医者を退けることができるのだ。すべての医者たちを信用しさえしなければ、逆に信用に値する良心的な医者が見えてきて、万が一、赤ちゃんが病気になったら、その医者の手助けを借りればいいのだ。

●赤ちゃんの肥満を気にするな

 新米ママが何よりもすべきことは、「自分の赤ちゃんを病院通いにさせない」ということなのである。赤ちゃんは「お多福風邪」や「水疱瘡」になったりするし、大きくなれば「ハシカ」に罹ったりするのだ。そういう時は病院に行くべきだけど、それ以外の時は可能な限り、病院に行かず、赤ちゃんが風邪をひいたぐらいなら、自分で治してしまうぐらいの「家庭の医学」を持っておくべきなのだ。

 赤ちゃんを病気にさせたくないのであるならば、せっせと母乳を与えていって、赤ちゃんを太らしていけばいいのだ。赤ちゃんは太ることで免疫力を高めていくので、母乳を大量に飲ましていくということは、赤ちゃんの健康を守るためにも、非常に重要なことなのだ。「赤ちゃんを母乳で太らせれば、病気に罹りにくくなる」というのは、赤ちゃんを育ててみれば、必ずどの母親でも解ることなのである。

 医者たちは赤ちゃんを太らせると赤ちゃんが糖尿病になると脅すが、赤ちゃんが糖尿病になるのではなく、母親が糖尿病になっているだけなのである。母乳を与えている母親が、白砂糖や白砂糖の入ったお菓子を食べていれば、確実に糖尿が出て来る。育児は体力を使っているように見えて、実は運動量が少ないからだ。新米ママが糖尿病を防ぎたいのであるならば、白砂糖や白砂糖の入ったお菓子を食べないようにし、育児中といえども運動量を増やして、体内の糖分が燃焼するようにしていけばいいのだ。

 赤ちゃんの肥満など絶対に気にしなくていいのだ。赤ちゃんは太っているものなのだ。赤ちゃんが痩せてしまえば、病気の餌食になるだけなのである。赤ちゃんの健康の指標と、大人の健康の指標は違うのである。いくら医者から赤ちゃんの肥満を指摘されても、馬耳東風で遣り過ごし、絶対に意見を聞かないことだ。

 赤ちゃんを育てていく時、自分の赤ちゃんだけを見てしまうのではなく、他人の赤ちゃんを見てみたり、昔のアルバムを引っ張り出して、昔の赤ちゃんはどのようなものであったかを確かめていけばいいのだ。そうすれば、「自分の赤ちゃんだけが特別だ」なんて思い違いを抱かなくて済むようになるのだ。

●赤ちゃんは太ることで免疫力を高めていく

 赤ちゃんはなぜ太っているのか? それは全身に母乳から貰った母親の抗体を張り巡らせているからなのである。赤ちゃんは自分が満2歳になるまで自分で抗体を作り出せないために、すべての抗体を母親の母乳に頼らざるをえないのである。だから、余計に抗体が必要なのである。余分に抗体があれば、病原菌が侵入してきて、それを撃退するために使用しても、まだ充分に抗体の余裕があり、体力の消耗を抑えることができるのである。赤ちゃんは免疫力が低いゆえに、太ることで、病気を防いでいるのだ。

 だからこそ、ミルクで育ってしまうと、赤ちゃんは病気に罹り易いのである。母親から抗体を貰えないばっかりに、自分が胎児の時に供給されたごく僅かな抗体を遣り繰りしなければならなくなるのだ。それゆえに、医者たちは新米ママたちにミルクでの育児を進め、赤ちゃんを病気にさせることで、金儲けをしようとしているのだ。

 新米ママが赤ちゃんを病気に罹らせたくないのであるならば、まずは母乳で赤ちゃんを育てなければならないし、そのためには、母親自身が栄養バランスの取れた食事を取り、体を適度に動かして、睡眠をしっかりと取り、日々排便排尿をきちんと行っていくことだ。母乳の質や量が落ちれば、それは途端に赤ちゃんを直撃して、赤ちゃんの免疫力を下げてしまうことになるのだ。

 赤ちゃんも自分の健康を守るために、母親に何度も母乳をせがむことになる。最初は赤ちゃんは泣くことで母乳の不足を知らせ、大きくなってくれば、母乳を欲しがる仕草をして母親に授乳の時間を知らせ、喋れるようになれば、赤ちゃん語で授乳の時間を知らせてくることになるであろう。

 どの赤ちゃんも母親に母乳の必要性を伝えてくるのだ。それを母親が意図的に無視してしまえば、赤ちゃんは病気に罹って、その異常な育児の仕方を母親に知らせてくるのだ。医者の意見を鵜呑みにするより、まずは我が子の行動をきちんと見ていくことである。新米ママであったとしても、赤ちゃんは母親にとって必要なことをすべて教えてくれているのだ。

●太っている赤ちゃんも一人で歩くことができるようになれば、痩せていくものである

 赤ちゃんの成長を、大人の基準で計ってはならないのだ。赤ちゃんには赤ちゃんの基準で成長を見ていかなければならないのだ。満2歳までは自分で抗体を作り出せないために、赤ちゃんは太ることで免疫力を高めているだけなのだ。大人であったら肥満は病気を引き起こす原因と成りうる。しかし、赤ちゃんはそうではないのだ。

 太っている赤ちゃんも二足歩行ができるようになれば、徐々に体重を減らしていき、満2歳を過ぎれば自分で抗体を作り出せるために、赤ちゃんの時のように太っている必要性がなくなり、自然と痩せていくのだ。下手に人為的に赤ちゃんの体重をいじくるのではなく、自然に任しておけばいいのだ。自然に任しておくことが、最善の結果を作り出してくれるのだ。

 赤ちゃんの時に充分に太っていれば、骨格も丈夫に育ってくるので、一人立ちもしやすくなるし、脳に充分な栄養が行き届いて、知能を高くすることができるようになるのだ。赤ちゃんにとって太るということは、いいこと尽くめなのである。自分にとっていい結果を出してくれるからこそ、太っていくのである。

 現代の我々は痩せていることこそ、美しいという美的感覚を持ってしまっている。しかし、それは世の中が豊かになり、食料が満ち溢れ、通常の食生活を送っていたら、肥満になってしまうから、その反動で痩せた体を美しいと思っているに過ぎないのだ。痩せた体を美しいと思うことこそ、実は我々の方が異常になっているのである。

 女性にとってはより深刻で、店で売られている服は痩せている女性が似合うように作られているし、ファッション雑誌も痩せている女性がモデルになっているのだ。そのため、自分が太ることに対して異常な強迫観念を持っているし、それをそのまま我が子にもぶつけてしまう危険性を持っているのだ。

 人間の体は19歳までは成長期なので、それ以前であるならば、別に太っていても構わないのだ。男の子であるならば、太っている男の子の方が、将来、骨格が丈夫になり身長も伸びていきやすくなるのだ。女の子であるならば、太っている女の子の方が、将来、美人に成り易いといわれているのだ。特に女の子なら16歳から女性ホルモンの効果が強烈に作動してくるので、太っていても、自然と痩せてくるのだ。しかも、見違えるように美しくなっていくのだ。

 赤ちゃんが太っているというのは、実はその母親が充分に母乳を与えて、赤ちゃんを健康にしたということなのである。そして赤ちゃんは太っていれば、病気に罹りにくくなり、スクスクと育っていくことができるようになるのだ。この当たり前の赤ちゃんの成長の仕方を、新米ママは必ず覚えておくことだ。この正常の成長の仕方を人為的に破壊してしまえば、自分の赤ちゃんが病気になるだけなのである。自分の赤ちゃんを健康に育てたいのであるならば、せっせと母乳を与えて、赤ちゃんを太らしていくことなのだ。

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「オッパイ」と「抱っこ」が赤ちゃんの脳を発達させる

●母親の「オッパイ」と「抱っこ」の役割

 人間が他の動物たちから抜きん出て、万物の霊長に成りえたのは、体を発達させていったからではなく、脳を発達させていったからである。今までの動物たちの進化は体を大きくしていくことにあったのに、人間は体ではなく脳を大きくしていったからこそ、この自然界の支配者に君臨することができたのである。

 人間の脳を大きくさせた要因は2つある。1つは、「食料の変化」である。人間は本来「果実食動物」なのに、「フルーツ」だけを食べていたのではなく、「魚」や「根菜類」「骨髄」「肉」「穀物」を食べていったからこそ、その高いエネルギーのために脳を大きくできたのである。

 もう1つは、「長期間の子育てである。他の哺乳動物たちは、哺乳の時期が終わればすぐさま自分で食べ物を取って食べなくてはならなくなる。しかし人間は「母親による育児」の期間が長いし、哺乳の時期が終わっても、両親のもとで子育てを受け続け、更には学校や大学に行って、捕食のために労働をすることなく、自分の脳を鍛えていく時間があるたったために、自分の脳を大きくすることができたのである。

 この中でも「母親による育児」こそが、赤ちゃんの脳を大きくしていくのである。赤ちゃんにとって授乳とは、母親の鼓動を聞けるまたとないチャンスだからだ。それに母親に抱っこされるというのは、その抱っこが「子宮の形」をしており、赤ちゃんに最大限の安心感を与えるのだ。赤ちゃんは授乳されるたびに、自分が胎児であった頃を思い出し、それによって「成長の後退」というものがなくなるのだ。生命体の成長は逆説に満ちていて、成長しようとすればするほど、実は成長せず、それどこか後退してしまうのだ。成長させたければ、思いっきり後退させてしまうと、逆に凄まじい勢いで成長していくことができるのである。

 赤ちゃんは母乳を吸うたびに頭部の筋肉を鍛え、脳の容積量を大きくしていっているのだ。だから、母乳で育った赤ちゃんは脳の容積量が多いのだ。ミルクだと母乳を吸う力が30分の1で済むために、頭部の筋肉が鍛えられず、脳の容積量が小さくなってしまうのだ。それゆえ、ミルクで育った赤ちゃんたちは、皆どれも頭が小さく、知能指数が低いのだ。

●サイレントベイビー

 いくら母乳育児が素晴らしいからといって、いつでも無理矢理に母乳を与えていけばいいのではない。「子泣き授乳」こそが、授乳の原則である。赤ちゃんは泣くことで、母親に抱かれようとし、抱かれることによって母親の鼓動が聞け、そうやって母乳を一生懸命に飲もうとするからだ。新米ママにとって赤ちゃんの泣き声というのは、非常に堪えがたいものであるが、この赤ちゃんの泣き声こそが赤ちゃんの脳を刺激して、成長させていっているのである。

 この赤ちゃんが泣くことが、脳の成長を促すという考えからすると、「子泣き授乳」だけでなく、「布オムツ」も必要になってくる。布オムツだと赤ちゃんはオシッコやウンチをした際に泣きやすいからだ。紙オムツだと赤ちゃんが泣きにくいために、赤ちゃんの脳が刺激されず、脳が成長していかないのだ。布オムツは確かに母親の立場に立ってみれば面倒臭い。しかし、その面倒臭いことをするからこそ、我が子の脳を成長させることができるのである。

 母親が子泣き授乳をせず、ミルクで育て、布オムツではなく、紙オムツで育ててしまうと、赤ちゃんは泣かなくなってしまい、「サイレントベイビー」が誕生してしまうのだ。この「泣かない赤ちゃん」は脳の発達が非常に遅く、乳幼児の際にちゃんと泣いていなかったために、就学するようになってから、学力が物凄く低くなってしまい、現在問題になっている「学力低下」の最大の原因にもなっているのだ。

 泣くというのは、赤ちゃんの脳を発達させるために、非常に重要な行動なのである。大人になれば泣くということは、「悲しい」ことがあったから泣くということにしかならないが、赤ちゃんにとっては別に悲しくなくても、母親に自分がお腹がすいたことを知らせるために泣くという、単に「連絡手段」として泣いているのだ。それ以外で泣く時は、ただ単に母親が側にいないという不安で泣いていたり、病気であることを知らせるために泣いているのだ。

 それゆえ、まずは赤ちゃんの泣き声に慣れることだ。赤ちゃんにとって泣くというのは、脳を刺激し、発達させるために重要な行為なのだと割り切ってしまい、赤ちゃんの泣き声に動じない心を持てばいいのだ。「赤ちゃんの泣き声にはビクともしないよ~」と母親が腹を決めてしまえば、赤ちゃんは思いっきり泣くことができ、泣けば泣くほど脳を刺激して、成長させていくことができるようになるのである。

●赤ちゃんを発育させたければ、赤ちゃんと遊ぼう

 赤ちゃんにとっては母親との接触こそが、赤ちゃんの脳を発達させていく最大の契機になっているのである。赤ちゃんが起きている時に、母親が赤ちゃんを構えば構うほど、赤ちゃんは大いに刺激を受け、自分の脳内でシナプスを盛んに作ることができ、脳の成長を早めていくことができるようになるのだ。

 授乳期間が終わる生後2年までは可能な限り、母親は赤ちゃんに構い続けた方が赤ちゃんの脳の成長にとっては、最大のプラス要因となるのだ。授乳が必要な期間であるということは、その期間は母親が赤ちゃんを構わなければならないということであり、その授乳期間に充分に母親が赤ちゃんを構っていると、赤ちゃんも充分に自分の脳を成長させていくことができるようになるのだ。

 それゆえ、母親が自分の子供が2歳をすぎてから保育園に預けることは良くても、生後2年を過ぎていないのに、自分の子供を保育園に預けることは褒めたものではないのだ。母親が働くために、赤ちゃんの脳の成長を犠牲にしているといっていいのだ。早いうちから保育園に預けてしまうと、赤ちゃんの脳の成長が遅くなってしまうのだ。勿論、経済的に貧困でどうしても働かなければならないなら致し方ないけど、経済的に余裕があるなら、生後2年までは仕事よりも育児を優先させた方が、母親として賢い判断であるのだ。

 いくら生後2年まで母親が赤ちゃんと一緒に居ても、母親が赤ちゃんを構わなかったら意味がないのである。母親が赤ちゃんを構うからこそ、赤ちゃんは脳を発達させることができるのである。育児をする場合は、育児だけを専念してできるものではなく、家事をこなさなければならないし、家業があるなら、その家業を手伝わざるをえないのだ。

 そこで、1日30分間、集中して赤ちゃんと遊ぶ時間を設ければいいのだ。こうすると母親と赤ちゃんは濃度の濃い遊びをすることができるのだ。赤ちゃんとダラダラと遊んでいても、母親にとって面白い時間ではなくないが、時間制限が設けられれば、母親は高い集中力を発揮して楽しく遊ぶことができるのだ。母親といえども、それほど長い集中力を発揮できるものではないのだ。母親の集中力にも限界というものがあるのだ。

 もしも、仕事のために保育園に我が子を預けなければならなくなっている母親は、1日30分間と制限時間を設けて、赤ちゃんと遊べばいいのだ。この時間内では仕事も家事も一切しないことだ。こうすると濃度の高い時間を過ごせるので、母親にとっても、赤ちゃんにとっても、満足いく時間を過ごすことができるのだ。

●赤ちゃんに構わない母親は「文明化された人間たち」だけである。

 哺乳類の母親たちはどの母親たちも赤ちゃんをいじくりわしている。母親が赤ちゃんをいじくりまわすことで、赤ちゃんの成長を促しているのだ。そのため赤ちゃんは病気に罹らないし、スクスクと成長していくことができるのだ。ところが、人間は脳を発達させたために、動物としての本能を忘れ、赤ちゃんを産んだのに、赤ちゃんを構わない母親たちが出現してきてしまうのだ。人間は文明以前であるならば、こうしたことはしなかっただろうが、文明化されてしまうと、自分が赤ちゃんを産んだのに自分の赤ちゃんを構わないで、仕事に精を出す母親たちが出てきてしまうのだ。

 「人間は自然を失えば、異常になる」のだ。歴史を鑑みても、豊かになれば豊かになるほど、育児が異常になっていっていることが解るのだ。古代では王族の女性たちが自分で育児をせずに乳母に任せるようになり、中世になると貴族の女性たちが自分で育児をせずに乳母に任せるようになり、現代になると庶民の女性たちが自分で育児をせずに保育園に任せるようになっていくのだ。王族から貴族へ、貴族から庶民へと、母親が赤ちゃんを産んでも、赤ちゃんに構わず、他人に任せてしまうという、育児の堕落の歴史がはっきりと読み取れるのだ。

 勿論、嘗て王族の女性たちも、貴族の女性たちも、自分が赤ちゃんを産んだのに、育児をしないことで、他の仕事ができるようになったという利点はあった。例えば平安時代には平安文化が花開いたし、それはそれでプラスの面もあったことだろう。しかし、母親が育児をしなかったために、乳幼児の死亡率は高かったし、無事に育っても、優秀な人材を育てることができなかったのだ。そして地方から武士たちが勃興してくると、簡単に政治権力を喪失してしまい、2度と平安朝の政治システムも文化も社会も経済も、復活することはなかったのだ。

 現代の母親たちは、我が子を自分で育てようとせず、保育園に預けてしまい、自分は働きに出たいというのであるが、これは何もその女性たちの個人的な意見ではなく、そういう意見を述べてしまう文明の流れがあるのだ。僅かばかりのお金のために、赤ちゃんの脳の成長を犠牲にすることは、王族の女性たちも、貴族の女性たちも、何度も繰り返してきたのだ。それゆえ、庶民の女性たちも「堕落の育児」を繰り返してくるのは必然の流れであるのだ。しかし、王族も貴族も、その結果、政治権力を失い、政治体制を崩壊させてしまったのである。

 どの民族を見ても、文明が発達していなければ、母親たちは育児を最優先して赤ちゃんを育てている。しかも、育児だけに専念しているわけではなく、家事もこなすし、仕事もこなしているのだ。ところが文明が発達してくると、分業化が進み、仕事に専念してしまった方が、合理的と思ってしまう経済システムを作り上げていってしまうのだ。それゆえ、母親といえども、育児を放り投げて、仕事に重点を置いてしまう母親たちが続出してきてしまうのである。

 これこそが「唯物論の恐ろしさ」なのである。経済システムが自分に圧倒的な影響を及ぼし、自分が本当はそう思っていないのに、自分の考えを変えていってしまうのである。勿論、母親といえども、労働することはできる。だから、母親だって仕事をするというのは、至極もっともだという意見に見えてしまうのだ。しかし、そのために一体誰が犠牲になっているのか? それはその母親の赤ちゃんなのである。文明が発達していない地域の母親たちだって仕事はしているのだ。だが、育児よりも仕事を優先するような労働はしていないのである。

 唯物論を否定して、自分の考えをしっかりと持つべきなのである。経済システムがどうであろうが、自分は赤ちゃんを産んだ以上、育児を優先させるという精神的態度を持っていれば、自分が赤ちゃんを構わなければならない時期は、育児を最優先させることができるだろう。愚か者たちはいつの時代も環境のせいにしたり、お金や物に囚われてしまうのである。そして自滅していくのである。そういう生き方を否定して、自分の意志を貫いてしまった方が、当初は困難に見えるだろうが、結果的には人生を成功させていくことができるのである。

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母乳で育てるからこそ、半分眠りながらの夜間授乳が必要となる

●夜間授乳こそ新米ママの最大の苦痛の種なのである

 母乳育児で最もつらいことは、「夜間授乳」なのである。この夜間授乳をしなければならないとなると、母乳育児を決意して実践している殆どすべての新米ママたちが疲労困憊してしまう。しかも、隣で寝ている夫からは、何の支援も得ることができなく、その上、「うるさい!」と怒鳴られてしまうというのが、どの夫婦でも見られる光景なのだ。

 この夜間授乳が嫌だからこそ、ミルクでの授乳に変えてしまう新米ママたちが多く、予めミルクを作っておいて、赤ちゃんが夜泣きをしたら、すぐさま哺乳瓶でミルクを飲ませるということをしてしまうのだ。この遣り方は勿論、楽ではあるが、しかし、離乳食病に罹ってしまい、後で病気のオンパレードを展開してくるのだ。

 赤ちゃんは大人たちと睡眠時間が違うために、睡眠を纏めて取るということができないのだ。睡眠を細切れに取りながら、成長を促しているのである。このために、夜間でも平気で起きてくるのである。家の中に一人でも睡眠パターンの違った人が居ると、これは大迷惑なのである。しかも、母乳を要求してくるのである。新米ママにとっては、これこそが最大の苦痛の種なのである。これをやられてしまうと、疲労困憊になって、凄まじい「育児疲れ」を溜め込んでしまうのだ。

 この夜間授乳で育児疲れを発生させないためには、ともかく早寝をしてしまうことだ。午前零時以前に就寝すると、その睡眠時間の濃度は2倍になると言われている。例えば、午後9時に就寝してしまうと、午後9時から午前零時の3時間だけの睡眠なのに、効果としては睡眠時間が6時間になってしまうのだ。

 赤ちゃんが夜泣き仕出すのは、午前零時を回ってからなので、その夜間授乳のために起こされても、既に6時間の睡眠を取った効果を得られるのだ。こうすれば、夜間授乳を行っても、睡眠不足が理由で疲労困憊にならないし、しかも、夜間授乳が終われば、再び就寝すればいいので、更に多くの睡眠時間を確保できるようになるのだ。

●ベビーベッドより添い寝

 新米ママの中には、赤ちゃんを産む前からベビーベッドを用意してしまった母親たちもいるし、出産後に慌ててベビーベッドを購入した母親たちもいることだろう。しかし、このベビーベッドは母乳育児をするなら、全く不用品であるのだ。ベビーベッドよりも、同じ布団で寝てしまえば、赤ちゃんに対して夜間授乳をし易くなるなのだ。いわば、「ベビーベッドよりも添い寝」こそが、母乳育児の鉄則であるのだ。

 新米ママが赤ちゃんと一緒に寝ることの最大の利点は、母親が赤ちゃんの芳しい体の香りを嗅ぐことによって、いい気持になってしまい、母性ホルモンが刺激され、夜間授乳も苦痛ではなくなる作用が働くということなのである。しかも、赤ちゃんが横に寝ているということで、新米ママに適度な緊張感を持つことができ、赤ちゃんが夜泣きをしても、すぐさま起きて対応できるようになるのだ。

 但し、赤ちゃんの添い寝をする際に、最も注意すべきことは、寝返りを打って、赤ちゃんを押し潰してはならないということである。当たり前すぎる注意かもしれないが、寝像の悪い新米ママの中には、何度がやってしまっている母親たちがいる筈なのだ。寝像が悪くならないためにも、日中、家事や育児や仕事に精を出して、或る程度は体を疲れさせておくことである。疲れていると、寝像はそうは悪くならないものなのだ。

 夫がどうしても夜間授乳によって睡眠が妨害されると苦情を訴えてくるなら、夫には別室で寝て貰うしかないのだ。特に夫に大量の仕事を抱えてしまい、帰宅すらも遅くなっている時は、親子3人で寝るのは、得策だとは言えない。こういう時は、夫には別室で寝て貰い、疲労の回復を最優先させてあげるべきなのだ。

 激しい夜泣きを食らわないためにも、赤ちゃんが日中起きている時には赤ちゃんの体を動かして、外気浴も可能な限り多く歩いて、赤ちゃんを疲れさせることだ。こうすると、激しい夜泣きを食らうことがなくなり、母乳を与えても泣きやまないということもなくなるのだ。日中に体を使っていないのであるならば、その有り余った体力を、真夜中に発散しているだけなのだ。

●半分眠りながら夜間授乳を行うテクニックをマスターする

 夜間授乳を行う際のコツは、半分眠りながら授乳を行うことなのである。夜間に授乳するからといって、新米ママが完全に起きていなくてもいいのだ。半分起きていても、半分寝ていてもいいのだ。寝ぼけ眼で夜間授乳を行うテクニックをマスターすると、夜泣きで睡眠を妨害されたとしても、夜間授乳が終われば、すぐさま睡眠を続行できるようになるのだ。

 夜泣きで目が覚めたなら、半分眠りながら、赤ちゃんを抱いて授乳を行い、母乳を飲み終わったら、赤ちゃんの背中を叩いてゲップさせ、赤ちゃんを寝かしつけて、自分も寝てしまう。もしも、赤ちゃんの夜泣きがウンチにあるのなら、オムツを交換して、すぐさま寝てしまうことだ。赤ちゃんが夜泣きして、母乳を与えても泣きやまない時は、ウンチが原因であることが多いのだ。

 夜泣きのことを考えると、夜中のオムツは絶対に紙オムツの方がいい。ウンチで泣かれるのはまだ解るが、オシッコ程度で泣かれては、母親も大変になってしまうからだ。紙オムツなら、夜間に取り換えても、折り畳んでゴミ箱に捨てればお終いだからだ。布オムツだと、わざわざ夜中に洗ったり、タライの中に入れに行くというのは、明らかに面倒になってしまうのだ。

 半分眠りながら夜間授乳を行うのは、慣れてしまえば、誰でもできるので、とにかく何度も繰り返しながらやっていけばいいのだ。何度も繰り返してやっていれば、できてしまうものなのだ。「夜泣きされて困った! 困った!」と嘆いているのではなく、その解決策を早い段階で作り出してしまうことだ。そうすれば育児ストレスは大幅に激減していくのだ。なぜなら、夜間授乳こそ新米ママの育児ストレスの最たるものだからだ。

 赤ちゃんは動けるようになると、勝手に乳房を探り当て、自分で母乳を飲むようになるのだ。これも半分寝ながら授乳させてしまえばいいのだ。ただ、気を付けるべきことは、赤ちゃんは飲み終わったら、元に戻さないので、乳房が剥き出しになってしまい、それで風邪をひくことがあるのだ。それゆえ、赤ちゃんが母乳を飲み終わったら、自分で乳房を服の中に戻して、掛け布団をかけることだ。

●赤ちゃんと一緒に昼寝をする

 夜間授乳をするために寝不足だという新米ママは、赤ちゃんと一緒に昼寝をしてしまう習慣を持つことだ。昼寝で1時間寝た場合、午前零時以降に寝る睡眠の4倍もの濃度を持つ睡眠を行うことができるのだ。それゆえ、夜間授乳で睡眠不足になっても、昼寝さえきっちりとしておけば、睡眠不足にはならなくなるのだ。

 「昼寝で1時間以上寝るのは無理」という新米ママでも、昼間に「ストンッ!」と居眠りをするだけでもいいだのだ。居眠りは10分でも夜間の40分間の睡眠に相当し、居眠りが30分ならそれは夜間の2時間分の睡眠に相当するのだ。居眠りをするだけでも、かなりの睡眠不足の解消になるのだ。

 赤ちゃんと一緒に昼寝をするなら、あ午前中に家事の大半を終わらしておくことだ。テキパキと行動していけば、家事の大半を手早く終えることができてしまうのだ。自分がやるべきことを日々適当に行っていくのではなく、前日に明日の予定を書き上げておけば、睡眠中に脳がやるべきことを整理してくれて、起きた瞬間からテキパキと行動できるようになることができるようになるのだ。多くの新米ママたちは「育児が大変だ」と嘆いているのだが、翌日の予定を組まないからこそ、家事も育児もダラダラと行ってしまい、そのために育児が大変になっているだけなのである。予定を組んでしまえば、育児といえども簡単になっていくのである。

 午前中に家事の大半を終えているなら、心置きなく赤ちゃんと一緒に昼寝をすることができるのだ。昼寝をする時は何もかも忘れて、昼寝をしてしまうことだ。午前中に体を動かしたのなら、適度な疲労があるので、すぐさま昼寝ができてしまうものだ。昼寝をして疲労を回復させたら、再びテキパキと行動して、残りの予定をこなしてしまえばいいのだ。

 赤ちゃんの夜泣きや夜間授乳は新米ママなら、これを最大の問題にしてしまうのは当然なのである。しかも、赤ちゃんの夜泣きは3歳くらいまで続くものなのである。だから、これが「大変だ~」とは思わずに慣れてしまうことなのである。慣れてしまえば、結構、楽に行えてしまうものなのだ。慣れてしまえば、赤ちゃんの夜泣きにも動じない、太っ腹の母親になっていくことができるようになるのだ。新米ママに求められているのは、育児の問題を指摘することではなく、育児の問題を解決していくことなのである。

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自然な形の授乳の仕方

●子泣き授乳こそ、授乳の仕方の基本

 自然な形の授乳とは、「子泣き授乳」である。授乳は原則として、赤ちゃんが泣いたら与える。この「子泣き授乳」を出産後当分の間、長らく繰り返していくと、赤ちゃんの仕草が解るようになり、大きくなってくれば、赤ちゃんが泣かずとも、母乳をねだる仕草をすれば、母乳を与えていけばいい。

 子泣き授乳は新米ママにとって有難い授乳の仕方なのだ。新米ママの脳は、赤ちゃんの泣き声を聞くと、脳から母性ホルモンが分泌され、乳房に母乳を出すように命令するのだ。従って、子泣き授乳を何度も繰り返していけば、新米ママは母性ホルモンをより多く得られることができるし、乳房も機能が向上し、母乳の出も良くなってくるのだ。

 新米ママが行う授乳の仕方で最も不自然なのが、「定時刻授乳」である。「定時刻授乳」とは決まった時間になったら赤ちゃんに授乳するという授乳の仕方だ。病院の医者たちが盛んに指導しているが、この定時刻授乳を行うと、新米ママは母性ホルモンを多く得ることができず、乳房も発達せず、母乳の出も悪くなってしまうのだ。出生後は2時間置きに赤ちゃんは泣いて母乳を欲しがるので、この赤ちゃんの要求を無視してしまうと、母親は赤ちゃんの気持ちが解らず、赤ちゃんも大きくなれば、凄まじい反抗を繰り返してくるのだ。赤ちゃんにとって自分が泣いても母乳をくれない母親は、「産みの母親」であったとしても、「育ての母親」ではないのだ。

 出産後、育児で深刻な悩みを抱えたくないのであるならば、まずは子泣き授乳の原則をきちんと守って授乳していくことだ。新米ママが子泣き授乳の原則さえ守れば、授乳でのトラブルは大半が自然消滅してしまうのだ。子泣き授乳をやらないからこそ、授乳で様々なトラブルが発生してくるのである。、

 核家族で育ってしまうと、どうしても赤ちゃんの泣き声には参ってしまうのだ。赤ちゃんの泣き声を聞きたくないから、定時刻授乳を行ってしまい、赤ちゃんが泣く前に母乳を与えてしまうのだ。そうすると、新米ママは授乳で様々なトラブルを抱えこむようになってしまうのだ。赤ちゃんの泣き声は、実は新米ママにとって非常に大事な声なのである。

●縦抱き授乳は、授乳の仕方を楽にさせる

 赤ちゃんは生まれた当初、首が据わっていないので、新米ママが赤ちゃんを横に抱いて授乳するしかない。この「横抱き授乳」の仕方を生後三ヵ月までにきちんと習得しておくことだ。なぜなら、この横抱き授乳こそ、授乳の仕方の基本スタイルで、これがきちんとできていれば、いくらでも応用技を使えるようになるからだ。

 横抱き授乳で気をつけるべき点は、新米ママが下を向いて赤ちゃんの顔を見ながら授乳してしまうために、鼻呼吸ではなく、口呼吸になってしまうことだ。口呼吸になってしまうと、空気中の細菌がダイレクトに入ってきてしまうようになるので、危険な母乳を作り出してしまうのだ。

 もうひとつは、新米ママが猫背で授乳してしまうことだ。猫背で授乳すると、母乳の出は悪くなるし、乳房の機能も発達してこなくなってしまうのだ。猫背の女性に限って、ペチャパイの女性が多いのはそのためだ。授乳をする際は、胸を張って、赤ちゃんを少し高い位置で授乳することだ。猫背の女性は日頃から意識的に胸を張るようにして、猫背を強制していくと、乳房も大きくなってくるし、スタイルも良くなってくるのだ。

 生後3ヵ月を過ぎて、赤ちゃんの首が据わってくれば、赤ちゃんの体を立たせて、「縦抱き授乳」が可能になってくる。縦抱き授乳をさせると、授乳する際の腕の負担が大いに軽減するし、赤ちゃんの飲みっぷりを良く見れることができるようになるので、授乳に充実感が出て来るのだ。

 「赤ちゃんが可愛くて可愛くて堪らない」という時期は、縦抱き授乳ができるようになった時期からであろう。縦抱き授乳ができれば、授乳でのトラブルは殆どなくなるし、赤ちゃんの顔も体も赤ちゃんらしい顔や体になってくるからだ。いくら赤ちゃんといえども、出生後暫くの間は、半漁人や宇宙人のような顔つきをしているし、体も大層貧弱だからだ。それが自分の授乳によって赤ちゃんらしい赤ちゃんになっていけば、どれだけ新米ママに喜びを与えるかは計り知れないのだ。

●赤ちゃんに母乳が適正量だと

①母乳を勢いよく飲む

 新米ママが定時刻授乳などせず、子泣き授乳を行っていれば、赤ちゃんにとって母乳は適正量になる。赤ちゃんにとって母乳が適正量だと、授乳の際に、母乳を勢いよく飲んでくれるようになるのだ。赤ちゃんもお腹がすいていない時には飲みたくないので、赤ちゃんが母乳を欲していない時に授乳させてしまえば、赤ちゃんへの母乳は過剰になってしまい、逆に健康を害してしまい、病気をしやすい赤ちゃんになってしまうのだ。

②熟睡する

 生後間もなくの赤ちゃんは起きているのは、母乳を飲む時だけである。そのため母乳が足りてさえいれば、すぐに眠ってしまい、熟睡してくれるのだ。赤ちゃんが熟睡したかどうかは、寝ている時に笑顔になってくれるかで解る、寝ている最中に突如「ニコッ」と笑い出すので、新米ママはきちんとチェックしておこう、赤ちゃんの笑顔は母親としては至福の瞬間でもあるのだ。

③排便排尿がきちんと行われる

 赤ちゃんに母乳が足りていれば、排便排尿がきちんと行われるのだ。排便排尿を甘く見ないことだ。排便排尿をきちんとしないからこそ、赤ちゃんは病気になってしまうのである。母乳を飲んでいれば、赤ちゃんのウンチもオシッコもそうは臭くないので、せっせとオムツを交換したり、オムツを洗ったりしていくことだ。

 保健所の定期検診や、病院での診察などで、赤ちゃんの太り過ぎが指摘されて、改善を求められるが、これは気にしないことだ。赤ちゃんはまだ動けいない以上、太って当然だからだ。赤ちゃんは太ることで成長していくし、体を病気にならないようにしているのだ。太っている赤ちゃんもハイハイを始めれば、自然とスマートになってきて、一人立ちできるようになる頃には、スリムになっているものなのだ。

 それよりも、赤ちゃんを連れて外に出かけ、外気浴を盛んに行っていくことだ。ずっと家の中に居ては汚い空気を吸い続けるために、病気になってしまうものなのだ。外出して外の新鮮な空気を吸っていれば、病気に罹りにくくなるのだ。自宅の近所にある緑の多い所を探して、そこで外気浴でもして楽しんでいればいいのだ。

●他の母親たちの授乳の仕方を観察せよ

 新米ママだと、どうしても授乳の仕方には不安になってしまうものなのである。初めての作業であり、授乳に慣れていないので、いまいち授乳の仕方が解らないのだ。そういう時は、他の母親たちと仲良くなって、他の母親たちの授乳の仕方を観察することだ。他の母親の授乳シーンを見ていると、授乳の仕方が巧くなるだけでなく、母乳の出も良くなってくるのだ。

 人間は群生動物なので、一人っきりで育児をしてしまうと、通常なら簡単に解るものでも解らなくなってしまうのだ。自分がどんなに深刻な悩みを抱いていても、他の母親たちの育児を仕方を見れば、簡単に解ってしまうものなのだ。育児をする際は、絶対に孤独にならないことだ。赤ちゃんを産んでいるからといって、自分だけが特別な育児ができるわけがないのだ。他の母親たちも似たり寄ったりの試行錯誤を重ねながら、育児に取り組んでいるのだ。

 但し、他の母親たちと仲良くなってくると、競争が始まってきてしまうので、これだけは注意することだ。赤ちゃんの成長には個人差があるので、たとえ自分の赤ちゃんの成長が遅くても、絶対に深刻な悩みを抱かないことだ。育児書に出て来るような平均的な赤ちゃんはこの世には存在しないのだ。どの赤ちゃんも赤ちゃんだけど、赤ちゃんはみんな同じではなく、みんなに違いがあるということを、素直に認めることだ。

 育児が成功するかどうかは比較的早い段階で出て来てしまうものなのだ。授乳の仕方はその最たるものなのである。赤ちゃんが生まれてから、子泣き授乳を一つ一つ丁寧に行っていけば、その後に授乳でトラブルを起こすことは格段に激減していくのである。丁寧に授乳を行わず乱雑に行っているからこそ、後に授乳でトラブルが発生し始めるのである。

 赤ちゃんの授乳などそんなに時間のかかるものではないのだ。だったら、それに真剣に向き合って丁寧に授乳をすればすぐに終わってしまうものなのだ。それなのに授乳で手抜きをしよう仕出し、僅かの時間や労力を得て喜び、その後にそれを何百倍も上回るトラブルを抱え込んでしまうのである。

 「正直」という倫理は、育児において非常に大事なのである。正直というのは、解ってもいないのに、解ったふりをするなということなのである。最初は誰だって授乳の仕方が解らないのだから、一つ一つ丁寧に行っていかざるをえないのである。それなのに、乱雑にやったり、手抜きをしたり、誤魔化したり、ズルをしたりすれば、育児は上達しなくなるのである。育児において虚偽を働こうする精神で育児に取り組むと、いかに巧く取り繕っても、母親としての成長はピタリと停止してしまうのである。たとえ赤ちゃんを産んだしても、その母親に正直という倫理がなければ、「母親失格」になってしまうのは当然なのである。母親失格の母親が育児をすれば、育児で無数のトラブルが発生するのは必然なのである。育児において、何も完璧な母親など必要なのではないのだ。育児において、きちんと正直という倫理を持って育児に取り組んでいけば、まともな母親になっていけるものなのである。

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母親こそが赤ちゃんの心を育てることができる

●母乳育児だけが赤ちゃんの心をきちんと育てることができる

 新米ママが「魔の3ヵ月」を過ぎると、赤ちゃんの心というのが段々と解ってくる。今まで赤ちゃんは母乳を飲めば睡眠をし、起きれば母乳を飲み、また寝るを繰り返していた日々だけだったのに、赤ちゃんはそれ以外の行動をも取り始めるからだ。赤ちゃんの顔の表情や何気ない仕草を注意深く観察していれば、母親は戸惑いや勘違いを何度も繰り返しながらも、赤ちゃんの気持ちというものが、徐々に解り始めるのだ。

 母親が赤ちゃんといつも一緒に居て、母乳育児をして育てているからこそ、赤ちゃんの心が解り始めるのである。赤ちゃんをミルクで育ててしまうと、こうはいかないのだ。母親はいつまで経っても赤ちゃんの心が解らず仕舞いで居続けることになってしまうのだ。なぜなら、ミルクでは赤ちゃんの心がまともに育ってこないのだ。母乳育児だけが、赤ちゃんの心をきちんと育てることができるのである。

 人間の心というのは、頭部の脳味噌の中にできるのではなく、心臓の中にできるのである。心の基本的要素には、「感受性」「情緒性」「性格」の三つがある。赤ちゃんの感受性は、赤ちゃんが母親の心臓の鼓動を聞くことによって作られていくのだ。赤ちゃんの感受性が正常に成長するためには、母親が妊娠中に母親自身こそが感受性を発揮して、自然の変化や対人関係の変化を微妙に感じ取っていくことをして、出産後は赤ちゃんの変化を微妙に感じ取りながら、赤ちゃんに自分の心臓の鼓動を聞かせないければならないのだ。

 赤ちゃんの情緒性は、赤ちゃんが母親と皮膚接触することによって作られていく。赤ちゃんの情緒性が正常に成長するためには、母親が妊娠中に情緒不安定にならないようにし、自分の気持ちを落ち着かせ、出産後には赤ちゃんへの育児を情緒を安定させながら行い、そして赤ちゃんと巧く皮膚接触をしていかなければならないのだ。

 赤ちゃんの性格は、赤ちゃんが母親と一緒に行動することによって作られていく。赤ちゃんの性格が正常に成長するためには、母親が妊娠中に適度な運動を行い、汗を流すようにし、出産後も赤ちゃんへの育児に取り組み体を動かしながら、赤ちゃんと一緒に行動していかなければならないのだ。

 これら三つの条件を満たすものは、母乳育児しかないのだ。母親が母乳育児で赤ちゃんに自分の鼓動を聞かせ、授乳する際に皮膚接触をし、授乳という行為を通じて、赤ちゃんと一緒に行動する。実は、母乳育児というのは、赤ちゃんの心が正常に育つようにできているのだ。

●赤ちゃんの人間関係作りの仕方は母親との対応で決まってしまう

 ミルクで育てられた赤ちゃんは「感受性が鈍い」「情緒不安定」「性格が狂暴」だと良く言われる。ミルクで育ってしまうと、赤ちゃんは母親の鼓動を聞こえなくなるから、感受性が鈍くなり、母親の意見を巧く受け止めることができなくなってしまうのだ。情緒不安定も赤ちゃんが母親と皮膚接触をする機会が少なかったからこそ、赤ちゃんが情緒不安定になってしまうのだ。性格が狂暴になるのも、母親が自分の母乳を与えず、赤ちゃんにミルクだけを飲ましてしまうからこそ、自己主張するだけの赤ちゃんになってしまい、自分の意見が受け入れられない時は狂暴になって自分の意見を押し通そうとしてくる「最悪の赤ちゃん」になってくるのである。

 母乳育児なら、母親は授乳する際に、赤ちゃんに自分の鼓動を聞かせて、赤ちゃんの感受性を高め、皮膚接触を行うことで赤ちゃんの情緒を安定させ、自分が母乳を出し、赤ちゃんがその母乳を飲むことで、母親と赤ちゃんが一緒の行動を取るからこそ、赤ちゃんの性格が巧く出来上がっていき、そうやって赤ちゃんの心が正常に成長していくことができるのだ。だからこそ、母乳育児で育った赤ちゃんは、赤ちゃんらしい赤ちゃんになっていくのである。

 赤ちゃんはハイハイをする以前は、赤ちゃんは全く動けない。しかし、その生後から動けいない間に、既に赤ちゃんの心は母親の育児の仕方で徐々に形成されていくのである。その赤ちゃんの心が一体どのようなものなのかは、赤ちゃんが動けるようになって、徐々に現れ始めるのだ。魔の3ヵ月を過ぎる頃には、赤ちゃんも自分の心の形を少しずつ現し始めてくるのだ。

 赤ちゃんの人間関係は、その大半が母親との人間関係であるといっていいのだ。母親以外の人たちが関与しても、母親ほどに赤ちゃんに関与し続けるわけではないのだ。それゆえに、赤ちゃんの人間関係作りの仕方は、母親との対応で決まってしまうのだ。しかも、その母親の対応を大きく分けるのが、母乳育児を行っているか、ミルクで育児を行っているかなのだ。

 母乳育児を行っている母親も育児をしていれば、悩みを抱えることがあることだろう。しかし、ミルクで赤ちゃんを育てている母親に比べれば、非常に少ないものなのだ。ミルクで育てている母親たちは、口々に言う。「私の赤ちゃんは私と巧く遣り取りができない」「私の赤ちゃんは情緒が不安定」「赤ちゃんの気持ちが解らない」と。ハイハイをできない時期にこの有様がたから、赤ちゃんが3歳になる頃には凄まじい反抗期を経験することになってしまうのだ。

●「人間関係の相互循環」 

 人間は決して1人で生きていくことはできない。無数の人間関係を構築しながら生きていかざるをえない。人間が群生動物である以上、これが人間の宿命なのである。その人間関係の中でも、最も濃密な人間関係を構築していかざるをえないのが、家族内の人間関係である。その人がどのような家族で育って来て、結婚後、どのような家族を作り上げているかは、その人の人格や人間関係を押し図る上で、最重要な判断基準となる。特にその母親がどのような育児を行っているかで、その母親の人格や人間関係の作り方が解るのだ

 人間の人格で最も大事なものは、「正心誠意」である。常に自分の心を正しい位置に置き、自分自身に対しても他人に対しても誠実さを発揮していく。その母親が育児で悪戦苦闘に試行錯誤をしながらも、自分の心を正しい位置に置くように心掛け、育児を行うことに誠実さを発揮していれば、育児でトラブルがあったとしても、育児は巧く行くことになるであろう。

 次に大事なものは、「可能性」である。常に自分の可能性を認めて、自分ができることにチャレンジを繰り返していき、自分の力でできる領域を広げると共に、相手に対しても可能性を認め、新しいことに挑戦していく多くのチャンスを与えていく。その母親が育児で赤ちゃんの行動を否定するのではなく、赤ちゃんの可能性を認め、赤ちゃんが新しいことに挑戦していくことを、心の奥底から喜ぶことができれば、育児は巧く行き出すことだろう。

 最後に大事なものは、「奉仕」である。常に自分の私利私欲を優先するのではなく、自分にとって大事な人に奉仕し、その人の人生が成功するように導いていく。その母親が育児で自己中心的に振る舞うのではなく、赤ちゃんに奉仕し、赤ちゃんが正常に成長していくように導いていけば、育児は成功し出すことだろう。

 母親が育児を通して、「正心誠意」「可能性」「奉仕」を行っていけば、それは赤ちゃんにもちゃんと伝わっていき、「正心誠意」「可能性」「奉仕」をしていく赤ちゃんに育っていくのだ。もしも、母親が育児を通じて、「不誠実」「可能性の否定」「私利私欲」に走れば、赤ちゃんにもちゃんと伝わり、「不誠実」「可能性の否定」「私利私欲」を行う赤ちゃんに育っていくのだ。

 どの宗教も「人間としての行動規範」を教える。人間がこのような行動規範を取れば、幸せな人生を送ることができるだろうと教えるのだ。しかし、そうやって行動規範を守っていれば、その宗教に所属しているすべての人たちが幸せになっていく筈である。だが、実際においては、いかに敬虔に宗教を信仰した所で、自分の人生が幸せになるわけではないのだ。かといって、宗教抜きで、本当の意味で幸せの人生を送ることもできないのだ。神という存在を否定してしまえば、人間が我利我利亡者になっていくだけだからだ。

 人間が幸せな人生を送るためには、自分が正しい行動規範を守るだけでなく、「人間関係の相互循環」を巧く作動させていかなければならないのである。単発的な「善因善果悪因悪果」ではなく、人間関係が成立すれば、相互循環の加速度原理を伴って、自分が成した善行が循環していき、自分が犯した悪行が循環していくのである。それは「人間関係の凄さ」であり、「人間関係の恐ろしさ」でもあるのだ。

 家族内ではこの人間関係の相互循環が凄まじい勢いで回転していくのである。母親が自分のことしか考えなければ、夫も赤ちゃんも自分のことしか考えなくなるのである。母親が自分のことよりも、夫や赤ちゃんのことを考えていけば、夫も赤ちゃんも母親のことを考えるようになるのである。「自分が成した善行には必ず相手が善行で報いてくれる」「自分が犯した悪行は必ず相手が悪行で報いてくる」、これらが加速度原理を伴いながら循環してくるのである。

●自分の子供に「心の闇」を作らせないために

 育児が大変な作業だということは、いつの世でも変わらないのだ。何もこの時代だけが特別ではないし、自分だけが特別ではないのだ。母親は育児を通して、自分の、「正心誠意」が本物であるかどうか、自分の「可能性」が本物であるかどうか、自分の「奉仕」が本物であるかどうか、試されているのだ。

 育児で手抜きをしようとすれば、いくらでも手抜きはできるものである。「母乳を与えるのは面倒臭いから、ミルクにしよう」「布オムツは面倒臭いから、紙オムツにしよう」「赤ちゃんに沐浴させるのは面倒臭いから、夫に押しつけよう」。こうやって手抜きの育児をしていけば、赤ちゃんも母親に対して不誠実になり、母親の可能性を否定し出すようになり、母親に奉仕をしなくなることだろう。母親が手抜きをして得た利益よりも、何十倍もの損害を与えてくることであろう。

 母親が育児に手抜きをすれば、その赤ちゃんに確実に「心の闇」が育ってくるのである。人間の「心の闇」は、乳幼児における母親との接触不足が最大の原因であろう。凶悪な少年犯罪が起こるたびに、その犯罪者の心の闇がどうのこうの言われる。しかし、その心の闇を作り出してしまったのが、ミルクで育児をされてしまったということなのだ。少年犯罪者たちは自分の力で、その心の闇を破壊することができなかったゆえに、自分の心が心の闇に覆われ、凶悪犯罪に走ってしまったのである。

 凶悪犯罪を犯すのは、何も不良少年だけではない。今や大学生ですら、強姦を働き、麻薬に手を出す始末なのだ。大学生になっても「自己統御」ができず、心の闇に覆われ尽くされてしまったのだ。ミルクで育てられれば、体は大きくなっても、心は全く成長できなくなってしまうのだ。 

 精神病患者たちには、「感受性の鈍さ」「情緒不安定」「性格が狂暴」という共通項がある。どうして精神病を発症してしまったかといえば、やはりその精神病患者たちが赤ちゃんの頃にミルクで育てられたからなのである。赤ちゃんをミルクで育てれば、「感受性の鈍さ」「情緒不安定」「性格が狂暴」という全く同じ症状を示すのである。

 母親が育児において何をやったかというのは、赤ちゃんの時だけに結果が出て来るものではないのだ。何十年後に心の病となって現われてくるのである。赤ちゃんの心を作っていくのは母親だけができる仕事であって、代理人が務まる人はこの世には誰もいないのだ。今、自分が育てている赤ちゃんが、将来、心の闇を持った不気味な人間に成長させないためにも、母乳で赤ちゃんを育てていくことだ。赤ちゃんの心は、母乳育児なくして正常に育てることはできないのだ。

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特別社会科学論文:近代国家における「子育て」と「教育」

●人間が成長していくために必要な「子育て」と「教育」

 赤ちゃんを産んだからといって、すべての新米ママたちがまともな母親になるのではない。赤ちゃんを産んでも育児に真剣に取り組ます「母親失格」となってしまう女性たちはいくらでもいるのだ。出産直後に「自分はこの子に対していい母親になるんだ!」と覚悟をきめ、魔の3ヵ月で育児ノイローゼに罹って、自分の心に大いなる心境の変化が生じた者のみが、育児をきちんと行えるまともな母親になっていくのだ。これは新米ママにとっての試練であり、この試練を経てのみ、精神的独立がきちんと果たされるのである。新米ママが母親としてまともな母親になってくれないと、その新米ママは自分で主体的に育児を行わず、常に誰かに頼ろうとする育児を展開してしまい、育児が本当の育児になっていないのだ。

 人間は進化の過程で脳を巨大化させてしまったために、産まれても一人では立つこともできないし、動くこともできないという未熟児として産まれてきてしまう。しかも、その成長期が終わるのが19歳と非常に遅く、そのため、その赤ちゃんが人間として成長していくためには、常に他人の介在を必要とし、「子育て」と「教育」をきちんと受けない限り、まともな人間として成長していくことすらできなくなってしまうのだ。

 「子育て」とは、家庭内に行われるもので、その責任者にして実行者は、その赤ちゃんの両親である。両親が赤ちゃんに子育てを行うからこそ、赤ちゃんはすくすくと育っていけるのである。両親は赤ちゃんに対して子育てをするからこそ、「人間としての基本」が形成され、「家族愛の大切さ」や、「将来に結婚して子孫を繁栄させていくことの使命」を付与していくのである。こういうことは両親が精神的に独立しているからこそできるのであって、両親が精神的に独立していなければ、まともな子育てなどできなくなってしまうし、両親は常に誰かを頼ってしまい、政府の介入を招いてしまうのだ。赤ちゃんを育てるためには、両親は常に外敵から赤ちゃんを守り、両親以外に赤ちゃんの命を守る者はいないのだということを赤ちゃんに示さない限り、その子育てを責任持って行えることができないのだ。

 これに対して「教育」とは、政府が行うものである。政府が未成年者を学校において知育体育徳育をすることによって、基礎的な能力を身につけさせ、国民を形成して愛国心を付与していくのである。人間は国家を形成して群生しているので、いかなる者も両親による子育てだけでは、国家内部における社会的生活を運営していくことはできない。、政府が未成年者たち教育を施すことによって、国家内部において、きちんとした社会的生活を営めるようにするのである。

 「子育て」と「教育」とでは、一体何が根本的に違うのか? それは「責任者が違う」のである。子育ては両親であって、教育は政府である。現在の日本の政治システムでは、国民の政治参加が認められているので、両親による教育への介入は許されるている。しかし、その逆の政府による子育てへの介入は許されないのだ。子育てとは両親にとって誰からも侵されることのない聖なる権限なのである。両親がいくら子育てで問題を発生させたとしても、政府が介入して解決すべきものではないからだ。また、政府が介入しても解決できる問題ではないのだ。

●「母親による子育て」と「父親による子育て」

 子育てとは、その子供の段階に応じて、大きく「乳幼児育成」と「児童育成」に分けられる。この乳幼児育成こそが「育児」である。育児とは、乳幼児を育てることである。この育児を行う責任者は主に母親なのである。母親が赤ちゃんに母性愛を注ぎ、赤ちゃんの甘えを許すことによって心を満たし、躾によって生活の仕方を教えるていくのである。

 育児には「保護」と「委任」と「賞罰」という三つの権限がある。保護とは、赤ちゃんを外敵から保護して、赤ちゃんの命を守ると共に、赤ちゃんの考えや行動に干渉して、赤ちゃんが家族内部で生活できるようにさせるのである。そのため、父親が常に外敵から赤ちゃんを守るのだという姿勢を示しておかないと、赤ちゃんは不安だらけになってしまうし、母親が赤ちゃんに干渉して、赤ちゃんの考えや行動を家庭生活ができるように改めさせないと、赤ちゃんは我儘放題をするだけの不埒な赤ちゃんになってしまうのだ。

 赤ちゃんはいくら両親から保護を受けようが、赤ちゃんにだって自由に考え行動したいと欲求もある。そこで両親は赤ちゃんに任せられる所は委任して、赤ちゃんに自由に考え行動させていくのである。最初は、家の中で母親に見守られながら、独り遊びをし、大きくなれば公園で友達と遊ぶというように、自由に考え行動できる領域を徐々に増やしていくのである。

 赤ちゃんは独りで生まれて独りで生きていけるものではない。赤ちゃんはいかなる時も両親が養育する中で生きているのであって、赤ちゃんが思いあがって、勝手気儘な行動を取るなら、両親は赤ちゃんを罰して、自分たちが偉いのだぞということを示さなければならない。逆に赤ちゃんが両親の命令にきちんと従い、両親の意にかなうなら、赤ちゃんに褒め言葉を与え、褒美を与えなくてはならない。この賞罰の権限を手放したら、両親はもはや赤ちゃんを制することができず、逆に赤ちゃんの支配下に立ってしまうのだ。

 この育児に関しては、母親の役割が非常に大きいのだ。母親が日々、赤ちゃんに接して、保護と委任と賞罰の権限を行使しながら、赤ちゃんを育てていくのである。そのため、母親が魔の3ヵ月を通り越して、母親として精神的に独立していないと、どうにもならない駄目な育児しかできなくなってしまうのだ。母親が精神的に独立しているということは、非常に大事なのである。

 これに対して、児童育成とは、両親が子供たちに我が家の歴史伝統習慣を伝承させ、家事に参加させながら家族生活に貢献させ、その子供の才能に気づき、開花させることなのである。児童育成では母親の重要度は依然と変わりないが、父親の重要度が飛躍手に増してくるのである。父親が自分の能力を発揮して、子供たちの精神レベルを上げさせ、「お前は余所の子とは違い、我が家にとって特別な存在なのだ!」ということを教え込むのである。この精神的薫陶を受けると、子供は一変してしまい、自分に自信が持てるようになり、その後の人生を自分の力で切り開いていこうとする勇気を持つことができるようになるのである。

 子育てとは、乳幼児育成における「母親の子育て」と、児童育成における「父親の子育て」の大きな場面があるのである。勿論、乳幼児育成において、父親がまったく関与しないということはないし、児童育成において、母親がまったく関与しないということはない。だが、乳幼児育成では母親を中心に展開されるので、母親が自分の夫よりも先に母親として精神的に独立しておかないと、どうにも子育てが巧く行かなくなってしまうのだ。母親が母親として精神的に独立していれば、そのうち父親も父親として精神的に独立し出すようになるのだ。

●「政府による教育」

 教育というのは、近代国家においては、「国民を作ること」なのである。国民を作り上げ、愛国心を付与して、それを発揮させるようにすることなのである。国民はみんな平等だと思う勿れ。日本国の場合は、日本民族が中心になっているけど、韓国人や朝鮮人や中国人やアメリカ人やロシア人や西ヨーロッパ人のような異民族の者だっているのだ。しかも、日本は歴史が深いために地方の文化の格差は激しいのだ。宗教や身分や家柄だって違うし、金持ちや貧乏人だっている、男と女がいるし、若者と老人だっている。それらの格差のある者たちを、一つの国民に統合して、日本国民を作り上げていくのである。民族は自然発生的なものであるが、国民は明らかに人為的なものなのである。

 小学校教育でなすべきことは、国民を作り上げ、国民としての連帯感を持たせ、相互交流が行えるようにし、将来において、世のため、人のため、お国のために、自分の能力を発揮させるようにすることなのである。子供たちにだって、民族の壁や宗教の壁だってある。所得の格差や男女の性差だってある。しかし、それらを乗り越えて、「あなたたちは日本国民であり、常に連帯感を持っているのである!」ということを教え込むのである。学校教育では、小学校教育こそ基盤である。ここが狂ってしまえば、いかに中学校や高等学校や大学を設けても、どうにもならなくなってしまうのだ。

 現在、日本では義務教育が中学校までになっているが、人間の成長が19歳までということを考えるのなら、義務教育は高校までにするというのが、正しい選択である。しかも、教育は政府が国民を作り上げるという目的がある以上、高校までの教育費は原則無料とすべきなのである。国民を作るという仕事は、個人や家族でできる仕事ではないからだ。

 国民教育の基本を作るのは政府の仕事だが、実際に教育を行うのは都道府県や市町村の役割である。現在、日本政府は国立の小学校や中学校や高等学校を所有しているのだが、これは異常なことだといっていい。政府の主たる仕事が一体なんなのか解っていない証拠だといっていいのだ。

 政府が今やらなければならないことは、「師範学校」の復活である。政府が国民を作る教育を行う以上、ただ単に大学を出て、教員採用試験に合格したような教職員を使うのではなく、政府が責任を持って師範学校での教職員育成カリキュラムを作って、それに基づいて国民教育を行える能力を持った教職員を育成していくべきなのである。当然に師範学校の学費は無料であって、国民教育を行う教職員を政府が資金を出して養成していくのである。そうすれば、日教組のように反日教育を繰り返したり、君が代や日の丸に反対したり、ジェンダーフリー教育を行うフェミニストたちの存在を排除できることだろう。日教組のように反日教育を行い、君が代や日の丸に反対するなら、教職員として認められないのではなく、日本国民としても認めるべきではないのである。精神的に日本国民になっていないからである。

●近代的な日本国民を作り出した皇国史観

 学校教育の教育で、主要な教科は、歴史教育である。歴史教育を通じて、「日本国は神の栄光が降り注ぐ素晴らしい国であって、日本国民は誰もが幸せになれる国なのだ」と教え込むのである。勿論、日本史には失敗や汚点や悲劇だっていくらでもある。しかし、そんなことは差し置いて、日本の歴史は栄光の連続の歴史だと教え込むのである。それはなぜか? 日本国民としての「国民精神」を付与するためにである。国民精神とは、誰か一人の思想家によって作られたものではなく、日本の歴史の中で形成されてきたものであって、日本国民ならこれを継承していかなければならないとさせるのである。

 では、この歴史教育のために必要な歴史観は何かといえば、それは「皇国史観」である。「皇国史観」と聞けば、さぞかしビックリすることであろう。「皇国史観」とは戦後首尾一貫して否定されてきた歴史観だからだ。「皇国史観は批判し尽くされているのに、では一体なぜ戦前において「皇国史観」が採用されていたかを知らないのだ。「皇国史観」は国民形成のために必要な歴史観だったからこそ、採用されていたのである。学校における歴史教育と、大学における歴史研究は違うのである。一体何が違うのか? 目的が違うのである。歴史教育は国民を形成するためであり、歴史研究は歴史を学術的に研究することである。だから、歴史教育では歴史的事実をそのまま教えるのではなく、日本国は神の栄光が降り注ぐ素晴らしい国だと教えていくのである。歴史教育においては、皇国史観以外の歴史観を採用することはできないのだ。皇国史観こそ、国民に歴史教育を行うために生み出された歴史観だからだ。

 「皇国史観」とは、日本国は神によって創造された国家であり、日本国民にはいついかなる時も神の栄光が降り注ぎ、日本国民は神の栄光が拡大していくように精進し続けなければならないという歴史観なのである。戦前の尋常小学校の歴史の教科書を見れば、これが素晴らしい形で成功させていたのである。だからこそ、近代日本は発展に次ぐ発展を重ねたのである。

 この歴史教育の危険性を察知したのは、何よりもアメリカ合衆国であって、日本人は大学卒業者たちの能力はアメリカの大卒者たちよりも劣るけど、小学校の卒業生たちはアメリカの小学卒とは比べ物にならないくらいに、凄まじい能力を発揮してくると、これこそがアメリカ政府が国内の諸大学に委託した研究の結果に得た結論であった。それゆえ、アメリカは大東亜戦争によって日本を屈辱的な敗戦を味あわせた後、国際法をまったく無視して、日本の教育を徹底的に破壊しつくしたのである。それ以降、教育で常に問題が発生し続けているのである。現在、学校教師による犯罪が日常的に繰り返されているが、学校の教師たちの刑事犯罪は今日に始まったことではないのである。戦後首尾一貫して行われ続けているのである。

 日本は何もまったく突然に世界史に登場してきたのではない。日本には近代以前に近代国家特有の国民教育を行えるだけの思想的基盤があったのである。江戸時代の体制イデオロギーは朱子学であった。この朱子学が引き金となって、山崎闇斎の「埼門学」や、水戸藩の「水戸学」が生まれ、朱子学に反対する思想として本居宣長が「復古神道」を唱えることになっていった。これらの思想が複雑に影響しあって「尊皇攘夷思想」となって結びつき、頼山陽が『日本外史』を著わすことになって、これが江戸時代後期において最大のベストセラーになる。

 頼山陽は『日本外史』で一体何を言ったのか? 当時は、「皇族」「貴族」「庶民」といった身分制度があり、貴族には公家貴族と武家貴族がいて、政治体制は朝廷と幕府に分かれて、朝幕併存体制であった。しかし、そうであったとしても、日本民族は天皇のもとに一つなのだということを教えたのである。身分制度かあり、朝廷や幕府や諸藩に分かれていたのに、実は日本は一つなのだと教えたのである。

 駄目押しの一手が、勝海舟であり、勝海舟は咸臨丸でアメリカ合衆国を訪れると、アメリカの経済的文物には目もくれずに、その国の本質を見抜いてしまった。近代国家には「国民」が存在しているということを勝海舟は見抜いたのである。勝海舟はこれを坂本龍馬に伝え、西郷隆盛に伝えたのである。その後、坂本龍馬は日本初の株式会社である「海援隊」を作って、武器弾薬の貿易を行い、薩長同盟の斡旋に尽力し、西郷隆盛は薩長同盟を締結させ、討幕へと歴史を回転させていくのである。勝海舟の達観があったからこそ、幕藩体制は崩壊していったのである。

 日本政府は明治維新後、身分の解放を行い、廃藩置県を行い、日本の一つに統合して、国民を作り上げていったのである。琉球王国を併合し、北海道を開拓して、領土を広げていったのである。国民を作り上げれば、国内から無限のエネルギーが湧き出してきて、国家は発展に次ぐ発展を重ねていくことができるようになるのである。

●「法の下の秩序」と「法の下の自由」

 政治の歴史というのは、端的に矛盾する「秩序」と「自由」をいかに作り出し整合ていくかという歴史なのである。秩序を強調しすぎると、自由は極端に制限されてしまい、政治の安定を得られるが、国民から活力が湧いてこなくなってしまうのだ。自由を強調しすぎると、秩序は極点に制限されてしまい、国民は自由に活動できるかもしれないが、政治は不安定になり、逆に国民が損害を被ってしまうのだ。

 近代国家はこの矛盾を国民教育で国民を作り出していくことによって解決していったのである。いかなる者であっても、同じ国民であって、いついかなる時も国民として連帯感を持たなければならない。近代国家とは「国民国家」のことであり、国民国家の中で、「法の下の秩序」と「法の下の自由」を作り出していき、それを巧く整合していったのである。「法の下の秩序」によって、政治的安定が得られ、国家の独立や国内の治安が維持されると共に、「法の下の自由」によって、国民が自由を享受し、自由に活動していくことができるようになったのである

 これに対して、誤れる近代国家は、「法の下の平等」を作り出して、国民を国内で対立させ、憎しみ合わせようとするのである。そこには秩序も自由もなくなってしまうのである。平等を唱えれば唱えるほど、政治的安定は失われ、国民の自由は消滅していくのである。平等と秩序は両立しえないし、平等と自由も両立しえないのだ。秩序とは不平等を是認することだし、自由とは不平等を認めるということなのである。 この誤れる近代国家群は、「フランス革命」によって世界各国に広がり、「ドイツ」にも、「イタリア」にも、「ロシア」にも飛び火していった。

 「法の下の平等」を否定すると、近代国家の条件を満たすことができるのである。イギリスの憲法には、「法の下の平等」などどこにもないのである。アメリカは独立宣言において平等を唱えたが、アメリカ合衆国憲法になると、その平等を否定し、憲法の条文のどこを探しても、「法の下の平等」はないのである。嘘だと思うなら、アメリカ合衆国憲法を読んでみればいいのだ。「法の下の平等」はどこにもないのだ。

 なぜ、社会主義やフェミニズムが危険なのか? それは国民同士を憎しみ合わせ、国民の一体感を崩壊させ、国内で殺し合いを行わせようとするからである。金持ちと貧乏人を憎しみ合わせ、男と女を憎しみ合わせるからこそ、危険なのである。国内にいかに「所得の格差」や「男女の性差」があったとしても、それは「法の下の自由」を認めている以上、どうすることもできないことなのである。国民が自由に活動できる副産物として、格差が生じてくるのだから、それは国民が認めていかざるをえないのである。もしも、「所得の格差」や「男女の性差」が怪しからんとして、それらを是正していけば、国民から「すべての自由」が失われるだけなのである。

 社会主義者やフェミニストたちは、近代国家の国民としての条件を満たしていないのだ。彼らは言う。「我々の貧困は社会が悪いのだからだ!」と。彼女らは言う。「私たちの不幸は社会が悪いのだからだ!」と。しかし、現実はそうではないのである。社会主義者やフェミニストたちに、「夢がない」からなのである。夢がないからこそ、貧困であり、不幸なのである。

 国民国家というものは、その国民がいかなる境遇に生まれようとも、夢を持ち、それに見合うだけの努力を行うなら、夢は必ず実現していく世の中なのである。自分が不幸なのは、「貧富の格差」や「男女の性差」が悪いからなのではない。自分が夢を持たず、それに見合うだけの努力をしてこないからなのである。平等を唱えれば、夢は消えてしまうものなのである。平等を唱えれば、努力を馬鹿に仕出すものなのである。だから、貧困になり、不幸になっていくのである。国民としての自覚がなく愛国心がなければ、働いても働いても豊かになれないし、幸せにもなれないのだ。

●近代国家の国富の源泉

 近代国家においては、国民が国富を創り出していくのである。近代国家の富の源泉は、領土でも農作物でも鉱物資源でもないのだ。国民こそが国富の源泉なのである。人材こそが、国の宝なのである。国民が祖国を愛し、国民を愛せば、いくらでも富を創り出すことができるのである。

 国民教育によって国民を作り上げていくことこそ、国家の発展に繋がるのである。だからこそ、どの近代国家も教育にこそ、重点を置いている。中央政府の財政を見ても解らないが、地方自治体の財政を見ると、いかに教育関連への支出が多いことに驚かされる。国会の方も毎年、教育に関しては議論を繰り返し、いかにしてより優れた教育システムを作り上げるかに躍起になっているのだ。

 教育市場が活発でない所は、公立の学校を設けることは仕方ないが、人口が多く教育市場が活発な所では、公立の学校を設けるのではなく、私立の学校を設けて、競争さてしまった方が、よりよい教育サービスを提供できるのである。教職員を公務員にしてしまうと、官僚主義が蔓延り、勤労意欲が消え失せ、生徒たちに教育サービスを行うということよりも、組合活動を必死に行うようになってしまうからだ。

 学校で使用される教科書に関しても、政府が検定したものしか使用しないとすると、教科書から面白みが失われて、生徒たちの勉強への意欲も衰退してしまうことだろう。教科書検定は廃止してしまい、出版社の自由競争によって、よりよい教科書を作っていけばいいのだ。現在、日本で使用されている教科書は、先進国の中で最も薄っぺらい教科書であるのだ。これこそが現在、日本の教育レベル低下の最大の原因なのである。

 政府や地方自治体が学校を整備していく時代はもはや終わりを告げ、教育市場を認めて、優れた教育サービスを提供している学校は繁栄するようにし、粗悪な教育サービスを行っている学校は潰れるようにしていくべきなのである。学校は公立なのだから、潰れっこないと思っていると、学校内部で巨悪が蔓延り、自分たちの思いとは裏腹に学校が潰れていってしまうのである。

●政府が行う対家族政策

 政府や地方自治体の仕事は教育に限定されるべきであって、政府も地方自治体も子育てには介入してはならない。子育てはその両親の聖なる義務であって、政府も地方自治体もこれを犯してはならないのだ。政府や地方自治体が子育てに介入すれば、絶対に正反対の結果が出て来てしまうようになるのだ。

 現在、政治家や市民団体の活動家たちによって、「育児支援」という言葉が盛んに使われているが、育児支援をすればするほど、子供を持つ夫婦は自己責任を喪失してしまい、まともな子育てをしなくなってしまうのである。 政府や地方自治体ができることは、育児支援ではなく、すべての夫婦が子育てをきちんとできる環境を整えていくことなのである。

①減税

 まずは「減税」である。所得税は10%以下にすることである。政府や地方自治体が子供いる夫婦にかける所得への課税は、税率が10%を超えてはならないようにすべきなのである。夫婦が子育てをしている以上、独身の男女や子供のいない夫婦よりも優遇してしかるべきなのである。そして子供がいる以上、相続税を免除する。子供のいる夫婦が遺産を相続しても、その遺産は浪費されず、寧ろ子育てのために使用される以上、政府は相続税を課すべきではないのである。

②住宅環境の整備

 夫婦に子供がいるなら、子育てを行うために、それなりの広さを持った住宅を必要とする。子供のいる夫婦には、自宅用の土地及び建物の取得に関する税金を安くし、広い住宅で子育てができるように推進していくべきなのである。子育てをしている以上、独身者や子供のいない夫婦に対して、優遇されるのは当然なのである。できれば、100坪以下の土地に居住用の建物を建てることを禁止し、その広い住宅に子供のいる夫婦たちに優先的に住まわしていけば、家庭内でのいざこざの大半を防ぐことができるようになるのである。

③医療費の無料化

 子供というのは、成長するまでに何度か病気に罹るものである。しかも、その病気は伝染病となって多くの死者を出す危険性も秘めているので、地方自治体は、子供を育てて罹るであろう病気の治療費に関しては、原則として無料として、未然に病気が拡大することを防ぐべきなのである。地方自治体が病院を運営したり、病院に補助金を与えるのではなく、子育てをしている夫婦に直接に医療費を与えるのである。

④教育費の無料化

 教育に関しては、高校までは無料とすべきなのである。政府や地方自治体が国民教育を行っている以上、これらの費用は政府や地方自治体が持つべきなのである。私立学校に行った場合は、公立学校に行った場合にかかる教育費分を援助されてしかるべきである。それ以上の学費は夫婦が負担すればいいのだ。

⑤再就職での優遇措置

 もうひとつ忘れてはならないのが、子育て終了後における労働条件の優遇措置である。母親が子育てをし終えたなら、その母親に対して労働条件が、独身女性や子供のいない既婚女性よりも優遇されて然るべきである。なぜなら、その母親たちは国民として聖なる義務を果たしたからだ。例えば、夕方のニュース番組は主婦向けなのに、現在ではどのテレビ局も、独身女性や既婚女性であっても子供のいないニュースキャスターを採用している。こういう不公平な採用の仕方には、当然に改善勧告が行われるべきなのである。もしも、改善勧告に従わないなら、制裁を科していくべきなのである。

●子育ての主人公は母親

 近代国家は母親たちを必要としている。母親たちがきちんと子育てをしてくれなければ、まともな教育をすることができないからだ。母親たちがきちんとした子育てをしてくれるからこそ、政府も地方自治体もまともな教育をすることができ、優れた国民を作り出すことができるのである。

 現在、政府が推進している男女共同参画社会の根本的誤りは、子育てを消滅させていることなのである。すべての女性が労働すれば豊かになるわけがないのだ。すべての人たちを労働させて、経済活動に従事させても、一時的に豊かになったとしても、時間が経てば経つほど貧困になっていくものなのだ。国民が豊かになるためには、全国各地における母親たちの子育てこそが必要なのである。男女共同参画社会とは耳触りが良くても、実際にはフェミニズムを信奉している独身女性たちだけを活躍させて、既婚女性たちを活躍させないし、子育てをしている母親たちを活躍させていないのだ。

 政府がこのような愚劣な政策を推進させないためにも、政治家には結婚と子供がいることを条件にすべきなのだ。結婚して子育てをしていれば、独身女性だけを優遇するような愚劣な政策を決定することも推進することもなくなるからだ。政治に対して何かしらの意見があるなら、まずは国民として聖なる義務を果たしてから言うべきなのである。

 子育ては自然と育てていくものであり、教育は人為的に教えていくものである。この両者が巧く噛み合わないと、どうしても歪んだ人間たちが育ってきてしまうのだ。子育ての最大の難関は、赤ちゃんの成長過程にあるのではないのだ。赤ちゃんの母親が母親になっていないということにこそあるのだ。

 新米ママたちは、魔の3ヵ月の試練を経て、新米ママから母親になっていくのだ。赤ちゃんの世話をしているという受け身の姿勢から、子育ての主人公としての自覚を持つようになっていくのだ。新米ママの心が大いに変わったからこそ、育児に対して真剣になって取り組み、育児の面白さを堪能することができるのである。

 人間は悩むべき時に悩んでおかなければならないのだ。悩むべき時期に悩んでおかないと、成長できなくなってしまうのだ。人間は生きている限り悩むものだ。人間にできることは、その悩みを一つずつ解決しながら、前進していくことなのである。決して自分の悩みをすべて解決してくれるユートピアを夢見ることではないのである。早く走ろうとすれば早く走っているように見えるかもしれない。しかし、人生という長丁場で早く走れば、早くにばてるだけなのである。ゆっくりと歩けば、遅いと思われるかもしれない。だが、ゆっくりと歩いていると、結果的に自分の目的地にきちんと辿り着けてしまうのである。子育て大事なことは決して焦らないことなのである。ゆっくりと自分の目の前にある問題を一つずつ片づけていくことなのである。そのような地味な作業を繰り返していると、いつの間にかに自分は立派な母親に成長してしまっているのである。

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新米ママを襲う「魔の3ヵ月」

●生後3ヵ月までは育児で悩むもの

 人間の生活とは「ひとコマ」「ひとコマ」切り離されて存在しているのではない。人間の生活は流れの中で存在しているのだ。既婚女性にとって、結婚から妊娠、出産、そして育児の開始という、いわば「マタニティーフィーバー」が続いてきたのである。結婚した女性にとっては、結婚式は人生最大のイベントになるだろうし、妊娠も「ツワリ」を除けば、、「妊娠フィーバー」を繰り返してきたのだ。初めて妊娠を確認できた時の喜び、妊娠中に妊婦モードになり、未来の赤ちゃんを想像する喜び、お腹が大きくなって胎動を感じる喜び、どれも喜びの連続となるのだ。出産時には陣痛や出産での痛みはあっても、逆にその痛みがあるからこそ、赤ちゃんが生まれた時の喜びは非常に大きく、「出産フィーバー」は頂点に達するのである。育児が始まれば、初めての赤ちゃんを育てる喜びに満ち溢れ、夫婦揃って「「育児フィーバー」の中で取り組むのである。

 世間では「マタニティーブルー」を問題視しがちだが、殆どの既婚女性たちは「マタニティーフィーバー」を経験して、その喜びと感動を最高レベルに持っていくのである。結婚によって「プラスのスパイラル」が強烈に作動して、喜びが更なる喜びを産み、感動が更なる感動を産むのである。これこそが人類が結婚制度を維持してきた最大の利点であって、独身では絶対に作り出せない喜びや感動を結婚によってのみ作り出せるのである

 が、恐ろしいのはその後なのである。「プラスのスパイラル」が一転して「マイナスのスパイラル」に変わってしまうのである。「マタニティーフィーバー」から「育児ノイローゼ」へと突入してしまうのである。育児ノイローゼになると、悲しみが更なる悲しみを呼び、苦痛が更なる苦痛を生み出すのである。それが丁度、育児を始めてから3ヵ月後に起こってくるのである。

 一体どうして、こんなことが起こるのか? それは「妻」のままでは、育児ができないからなのである。既婚女性は結婚して妻という身分を獲得し、その後、出産によって母親に成っていくのだが、育児を開始しても、きちんと母親に成りきれていないと、当然に育児に悩み始め、育児ノイローゼに成ってしまうのだ。

 そもそも人間の長期的な集中力は3ヵ月が限度である。人間の長期的な集中力はその程度しか持たないのだ。新米ママがいくら意気込んで育児を一生懸命にやろうとしても、3ヵ月辺りに成り出すと、育児をしようという意欲は下がり、育児疲れが出始め、育児に対する自信をなくして、育児ノイローゼになっていくのである。しかも、「マイナスのスパイラル」が作動しているから、その悲しみや苦痛をいくらでも増加させていってしまうのである。これが新米ママを襲う「魔の3ヵ月」といわれるものなのだ。

●夫は妻の異常を察知して、妻と赤ちゃんを引き離すこと

 妻が育児ノイローゼに罹った場合、夫はとにかく妻の異常をいち早く察して、妻と赤ちゃんを引き離してあげることだ。夫は育児に協力しなくてもいいから、こういう時だけは働いておくと、日頃、「育児を手伝って!」とは言われなくなるのだ。夫は赤ちゃんを連れて散歩でもしてくればいいのだ。育児で疲れきった妻を一人にさせてあげることだ。

 赤ちゃんと離れることで、妻を冷静にさせるのだ。人間はどんなに人のいい人であっても、いつも同じ人と一緒に居ては、息が詰まってしまうのだ。赤ちゃんとはいえ、一時的に離れることで、そのストレスが激減し、自分を取り戻すことができ、再び育児に取り組もうという意欲が湧いてくるのだ。

 それと共に、夫は妻から育児に関する悩みを聞くことだ。その育児の悩みに対して、いきなり解決策を出さなくてもいいいのだ。まずは妻の話を聞いてあげることだ。但し、気をつけておくべきことは、夫も仕事で疲れきっているので、妻から育児の悩みを聞く時は、すぐさま帰宅しないで、仕事帰りに寄り道して、少し休んでから帰宅することだ。喫茶店に入ってお茶を飲むとか、スポーツジムで汗を流すとか、仕事の疲労を吹き飛ばしてから帰宅することだ。育児の悩みを聞くというのは、聞いている方も非常に疲れるものなのだ。夫が仕事で疲れているのに、更に妻から育児の悩みを聞こうとすれば、いくら冷静に聞こうとしても夫婦喧嘩に陥るのが落ちなのだ。もしも妻から育児の悩みを聞くことで自分の仕事に支障が出てしまうようであれば、休日に妻の話を聞くことだ。

 育児の悩みを聞く時は、絶対に午前中には聞かないことだ。人間の脳は午前中に悩み事を持ちかけられても、適切な回答ができないからだ。午後になってから悩み事を聞くことだ。悩み事を聞く時は、その悩み事がいかに些細なものであっても、途中で話をへし折らないことだ。妻の方は悩み事を聞いてくれるだけで、それだけで半分以上は悩み事を解決したと同じ効果が発生してくるのだ。

 悩み事に対して即答できるものは即答すべきだが、即答できないものに関しては、夫が育児書を買って調べるなり、図書館で調べてみるなり、他人の夫婦から話を聞くなりして、解決策を探っていけばいいのだ。その解決策が正解でなくてもいいのだ。夫が悩み事を聞き解決策を模索してくれたことで、悩み事の8割以上は実は解決してしまっているのである。育児ノイローゼはすべてのことを妻一人が抱え込んでしまうからこそ、問題を最悪な形までに悪化させてしまうのである。

●新米ママの最大の難関

 「魔の3ヵ月」こそ、新米ママの最大の難関なのである。一体、妻の心の中で何が起こっているのか? それは心の中で「母親」という人格を新たに形成しているということなのである。新米ママは赤ちゃんを産めば、物理的には母親になることができる。しかし、精神的に母親になれるかといえば決してそうではないのだ。自分の心の中で何かが変わってくれないと、精神的に母親になることはできないのである。たとえ赤ちゃんを産んでも、精神的に母親になろうとしない女性など、いくらでも居るものなのだ。

 実は、こここそが、育児の分かれ道なのである。ここでの悩みがないと、育児ノイローゼは延々と続くのである。魔の3ヵ月が、4ヵ月、5ヵ月、6ヵ月、1年と、延々と続いてしまうのである。自分が意欲的に育児に取り組んでいるのではなく、「育児をさせられている」「育児の仕方が解らない」「どうして私だけが育児をしなければならないの?」という、「被害者意識」や、「育児に関する無知」、そして「育児に対する根源的な不平不満」が出て来てしまうのだ。

 マスコミは、この出来損ないの新米ママたちの育児に対する不平不満を取り上げるものなのだが、この手の新米ママたちは育児がどうのこうのなのではないのである。増してや夫が育児を手伝わないということも問題ではないのである。精神的に母親に成っていないのである。精神的に母親に成れないからこそ、育児に対する不平不満が止めどもなく出て来てしまうのである。

 要は、「女性という立場」では、「妻という立場」では、育児はできないということなのである。新米ママは精神的に母親に成らなければ、育児に関してはいくらでもトラブルが発生してきてしまうのである。結婚を成功させるということは、自分が妻に成るだけではなくて、自分が母親に成るということなのである。自分が精神的に母親に成ってしまえば、育児を始めとする結婚上の問題は殆ど解決できてしまうのである。

 「魔の3ヵ月」というのは、赤ちゃんを産んだ新米ママなら誰でも通る場所なのだ。誰だって育児ノイローゼで凹んでしまうのだ。しかし、自分が精神的に母親に成って、ここを過ぎれば、育児の仕方が飛躍的に上達していくのだ。今までぎこちなく育児をやっていたのが、或る日突然にスムーズに行えるようになるのである。不思議としかいいようのない現象が、新米ママの身に起こるのである。

●「義務感の脅迫」からの解放

 新米ママを苦しめていたのは、自分が精神的に母親に成っていないにも拘わらず育児をしていたために、「いい母親でいなければならない」という義務感の脅迫に取りつかれていたからなのである。育児をきちんと行うためには、いくつもの義務を履行していかなければならない。しかし、それを精神的に母親に成りきれていない者がやったとしても、たくさんの義務で一杯一杯になってしまい、そのうち「義務感の脅迫」で自分が雁字搦めにされてしまうのである。

 「魔の3ヵ月」を経験して、自分が精神的に母親に成って行くと、この「義務感の脅迫」が剥がれ落ちるのである。育児において「~しなければならない」から、育児は自分が義務を履行しつつも「なるようにしかならない」というように、自分の心持ちが変わっていくのだ。母親である自分に課せられた義務を自由自在に使いこなすことができるようになったのである。

 この「心の変化」によって初めて、「新米ママ」から「母親」になっていくのだ。精神的にもちゃんと母親に成れたからこそ、きちんとした母性愛も出せるようになるのだ。自分が育児ノイローゼになるようでは、いくら自分が赤ちゃんを愛していたとしても、それはまともな母性愛ではなく、赤ちゃんに執着してしまう「渇愛」なのだ。赤ちゃんを育てているのではなく、母親が赤ちゃんにしがみついているだけなのである。だからこそ赤ちゃんは泣き叫んで、泣きやまないのである。自分の母親がまともな母性愛を出していないからだ。

 新しい段階に入れば、新しい問題が発生するが、いつまでも古い段階を引き摺っていると、解決できる問題も解決できなくなってしまうのだ。自分が赤ちゃんを産んだのに母親に成らないで、女性という立場や妻という立場で育児をしていたら、他の母親たちが簡単に解決できる問題でも解決できなくなってしまうのだ。育児でいかなる問題が発生しても、自分が母親に成ってしまえば、簡単に解決できてしまうものなのだ。

 「義務感の脅迫」から解放されて、自分が精神的に母親に成っていくと、きちんと育児をしなければならないから、「育児を面白がる」「育児をしながら赤ちゃんと一緒に楽しむ」ということができるようになるのだ。自分が変わったからこそ、今まで経験できなかった喜びと感動を味わうことができるのである。

 育児でギャーギャーと文句を言っている新米ママたちは、自分を変えていないからこそ、より多くの問題を発生させ、しかもそれだけ騒いだのに解決できないでいるのである。こういう不満を垂れている新米ママに限って、良妻賢母を否定してくる。彼女たちが成ろうとしても成れないからだ。良妻賢母は成ろうとして成れるものではなく、育児をしていると自然に良妻賢母に成ってしまうものなのである。良妻賢母とは、何もすべてにおいて良いことをする妻でも、すべてにおいて賢い母であるのではないのだ。自分の悪い部分も知っている、自分の愚かな部分も知っている。だが、そうであっても、結婚を夫婦で楽しみ、育児を面白がって、赤ちゃんと一緒に楽しむことができる既婚女性のことなのだ。結婚や育児は苦しみばかりではないのである。結婚でも育児でも楽しみはいくらでもあるのである。ただ、それが見えるようになるためには、自分が変わらなければならないということなのである。自分が変わってしまえば、夫も赤ちゃんもいくらでも楽しみを与えてくれるものなのだ。

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母乳の乳毒

●母乳育児をしているのに、なぜ赤ちゃんにアレルギー反応が出て来るの?

 母乳育児を選択した新米ママたちは、自分の赤ちゃんを自然な形で育てたいという積極的な願望と共に、自分の赤ちゃんをアレルギーやアトピーの犠牲者にしたくないという消極的な願望を持っていることだろう。ミルクで育児をしてしまえば、赤ちゃんがアレルギー反応を示したり、アトピー性皮膚炎に侵される確率は急激に上昇してしまうからだ。

 がしかし、母乳育児を選択して、自分の赤ちゃんを母乳で育てているのに、赤ちゃんにアレルギー反応が出てしまったり、アトピー性皮膚炎になったりすることがある。決して高い確率で起こるものではないが、ごく稀に母乳育児をしても、赤ちゃんがアレルギーやアトピーの犠牲者になることもあるのだ。百年以上の間、医者たちが母乳育児を破壊して、ミルクでの育児を推進し続けていたために、母乳育児をする際に、母乳には「母乳の乳毒」というのがあるという最低限の知識すら忘れてしまったのだ。

①肉食のし過ぎ

 人間は本来「果実食動物」であるために、過剰な肉食をしてしまうと、体が異常になってしまい、そのため母乳に乳毒が含まれることになってしまうのだ。肉食が多すぎる女性は、カロリー過剰なために乳房がパンパンに張ってしまい、その状態の乳房から出される母乳は、赤ちゃんにとってもカロリーが過剰で、弱アルカリ性ではなく酸性化しており、免疫力を非常に下げやすい母乳になっているのだ。

②精白穀物の常食

 白米や白パンといった精白穀物ばかり食べていると、体は母乳を作るために栄養不足に陥り、しかも、体が酸性化してしまい、乳毒が出て来るのだ。玄米にしろ、全粒小麦にしろ、丸ごと食べてしまうと、成長を促進させる物質が含まれているし、体を弱アルカリ性にしてくれて安全な母乳を出すことができるのだが、精白穀物にしてしまうと、成長を促進させる物質が不足し、体を酸性にしてしまうので、どうしても乳房が授乳に適応できるように発達してくれず、母乳が出にくくなったり、乳毒を含んだ母乳を出してしまうようになってしまうのだ。

③食品添加物

 食品添加物は、これを食べてしまうと、母乳を作るために必要な体内のビタミンやミネラルを奪ってしまうという働きをするだけでなく、脳に侵入してホルモンバランスを崩し、授乳の邪魔をする働きもする。食品添加物の中でももっとも危険なのが「化学調味料」で、これは脳に侵入してホルモンを狂わせるだけでなく、母乳を通じて赤ちゃんの体内に侵入して、赤ちゃんの脳をも破壊してしまうからだ。当然、赤ちゃんはこの母乳を飲むと、アレルギーやアトピーになって、母親にその異常を知らせるのだ。

④離乳食病

 母親自身が離乳食病に罹っている場合、その母乳を赤ちゃんが飲んでしまうと、赤ちゃんはアレルギーやアトピーになってしまう。離乳食病とは、その母親が赤ちゃんの頃に、満2歳以前に食べてしまったものが、そのまま自分の体内に入って抗体を作ってしまい、その後、離乳食で食べたものを食べてしまうと、異常な抗原抗体反応を示して、体を病気に追い込んでいくのだ。母親が離乳食病に罹っていれば、どんなに栄養バランスの食事を取っても、乳毒を含んだ母乳を出してしまいやすいのだ。

 赤ちゃんにとって3大アレルギーは、「牛乳」「玉子」「小麦」になるのだが、これは危険な製造過程を経て製造されているということにも問題があるが、離乳食病の母親から母乳を通じてこれらの抗体が直接入ってしまい、そのために赤ちゃんが抗原抗体反応を示してしまい、アレルギー反応を示してしまうのだ。

●乳毒の症状

①「嘔吐」「下痢」

 乳毒を含んだ母乳を飲んでいると、すぐさまアレルギーやアトピーが出て来るのではない。赤ちゃんはそれらの病気を発症する前に、嘔吐や下痢をして、この母乳が危険であるということを母親に知らせているのだ。生後6ヵ月までは赤ちゃんの免疫力自体が低いので、嘔吐や下痢をしやすいのだが、嘔吐や下痢が何度も続くようであるならば、赤ちゃんの病気を疑うのではなく、自分の母乳を疑った方がいい。

②「赤痢のような症状」

 乳毒を含んだ母乳を赤ちゃんが飲んでいると、赤痢のような症状が赤ちゃんに出て来る。風邪でもひいたのかと思っていると、いきなり高熱を出し、激しい下痢をしてしまうのだ。ミルクで育ててしまうと、この症状を頻繁に起こす赤ちゃんになってしまうのだが、母乳で育てても、その母乳に乳毒が含まれていると、この症状を起こしてくるのだ。

③「アレルギー反応」「アトピー性皮膚炎」

 アレルギー反応やアトピー性皮膚炎は、その後に起こってくる。ミルクを使わずに母乳で育てた場合、赤ちゃんがアレルギー反応やアトピー性皮膚を発症した場合、その母親の母乳に問題があるので、赤ちゃんに治療してもまったく無意味である。母親が安全な母乳を出してさえくれれば、赤ちゃんのアレルギー反応やアトピー性皮膚は完治していく。

④赤ちゃんに元気がなくなってしまう

 乳毒を含んでいる母乳を飲んでいると、赤ちゃんに元気がなくなり、発育の遅れというものが目立ってくる。母乳が栄養バランスを欠いているし、酸性化しているので、どうしても発育に適した母乳になっていないので、元気がなくなり、発育が遅れてしまうのだ。赤ちゃんには様々な赤ちゃんがいるので、みんな平等に同じスピードで成長していくわけではないが、自分の赤ちゃんが余りにも静かすぎたり、発育が遅いというのであるならば、自分の母乳を疑った方がいい。

●乳毒を防ぎたければ食事を変えろ

 乳毒入りの母乳は人為的に作られた以上、その要因となっているものを取り除いてあげれば、母乳の乳毒というのを消していくことができる。赤ちゃんを育てていくと、赤ちゃんが病気した場合、赤ちゃん自体に問題があると思ってしまいがちだが、実は母親の方に問題があるのだ。その問題を解決してしまえば、赤ちゃんは病気をしなくなるのだ。

 まず、乳毒を防ぎたければ、食事を変えることだ。日々の食生活が異常だからこそ、母乳も異常になってしまっているのだ。主食は「押麦入り玄米食」や「黒パン」にすることだ。主食も毎回お米を食べていたら、内臓に負担がかかってしまい、内臓が疲労してくるので、主食で食べる穀物は頻繁に変えていくことだ。「お米」「パン」「そば」「うどん」「ピザ」というように穀物を変えていくと、内臓の負担が軽減されるのだ。

 肉を食べる時は、必ず野菜を食べることだ。肉食が悪いのではないのだ。肉食をしているにも拘わらず、それに見合うだけの野菜を食べていないことが悪いのだ。毎日、肉食をするのではなく、魚も可能な限り食べるようにし、内臓の負担を軽減してあげることだ。それと共に、植物性蛋白質である「豆類」や「木の実」などもきちんと食べることだ。

 食品添加物入りの食品は可能な限り購入しないことだ。多少はお金がかかっても、赤ちゃんのために安全な食品を選ぶことだ。だが、いくらそうやっても、多少の食品添加物が入った食品を買うこともあるし、外食した場合は食品添加物のチェックができず、どうしても体内に入ってしまう。そのために、発酵食品を大量に食べて、毒消しをすることだ。「糠漬け」「納豆」「「味噌」「キムチ」などたくさん食べて、腸内で食品添加物を破壊してしまうことだ。

 母親が離乳食病を引き起こしている場合は、離乳食病を発症させている疑いのある食品を摂取しないことだ。犯人は「牛乳」や「玉子」や「小麦」となってくるので、まずはこれらを取り除いてみることだ。主要な犯人は牛乳なので、牛乳を避けることは勿論、乳製品が使われているものも除去していくことだ。玉子や小麦といった通常の食生活で使用せざるえないものは、安売りの玉子から、値段は少し高くなるが高品質の玉子にするとか、輸入物の小麦から国産小麦に変えるだけでも、離乳食病を防ぐことができる。玉子や小麦の場合は、農薬の使用濃度が問題になっているのだ。

●体を動かし、体を温め、快便に努める

 母乳の乳毒を防ぎたいのであるならば、体を動かして、体温を上昇させ、血行を良くすることだ。母親が育児にかかりっきりになってしまい、体を動かさず、体温が低下し、血行が悪くなっているからこそ、乳房に乳毒を溜め込んでしまうのだ。母親が育児をしていても、そうは体を動かしてはいないのだ。

 そこで、赤ちゃんと外気浴に行く場合は、少し多目に歩いて、自分の体を動かしてしまうことだ。その他、赤ちゃんが寝ている間を狙って、自分がスポーツして汗を流してしまえばいいのだ。家事をダラダラと行うのではなく、家事をテキパキと行うと、かなりいい運動になるのだ。

 また、お風呂やサウナで体を温めることだ。月に1度はサウナで大量の汗をかいてみることだ。体内に余分な水分が大量にあるために、どうしても乳毒を作り易い環境になっているのだ。それゆえ、サウナで大量に汗をかいてしまうことで、体内の余分な水分を排出してしまい、自分の体を乳毒が出来にくくなる環境に変えてしまえばいいのだ。

 そして便秘をしないことだ。便秘にならなければ、日々の排便で老廃物や毒素をきちんと排出することができるのだ。乳毒を含んだ母乳を出す母親たちは、便秘気味だということでは共通点があるのだ。肉食が多くても、食品添加物を食べても、日々の排便できちんと大便をしていれば、体から老廃物や毒素は出て行くものなのだ。便秘だからこそ、体内に老廃物や毒素を溜め込んでしまい、それが乳毒を作り出して行ってしまうのだ。

 乳毒のない安全な母乳は、食事の栄養バランスを整え、体を動かし、お風呂やサウナで体を温め、日々の排便をきちんと行っていけば、必ず出せるものなのだ。赤ちゃんにとって安全な母乳を出せないということは、母親が異常な生活を送っているからなのだ。たとえ赤ちゃんが病気をしても、すべてを赤ちゃんのせいにしてしまわないことだ。自分自身が危険な母乳を出していて、そのために赤ちゃんが病気になっているということだって、確実に有り得るのだ。自分の赤ちゃんをいとおしく思うなら、まずは自分の母乳を安全なものにしていくことだ。

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母乳は24時間以内なら保存可能

●どうしても赤ちゃんと離れなければならない時

 母親は赤ちゃんを産んだのであるならば、授乳期間中は赤ちゃんとは離れるべきではないのだが、母親の都合でどうしても赤ちゃんを置いてどこかに出かけなければならない場合がある。母親の方も育児を最優先させたとしても、社会関係から隔絶して暮らしていくことなどできないのだ。

 意外と困らせるのが、「結婚式」への出席である。母親が育児をしている頃は、母親の友人たちも結婚ラッシュに見舞われており、どうしても母親も結婚式に出席をせざるをえなくなるからだ。こういう場合、母親は赤ちゃんと一緒に結婚式に出席すべきではないのだ。赤ちゃんがいると、どうしても参加者たちの視線が赤ちゃんに集中してしまい、新郎新婦から主人公の座を奪ってしまうからだ。しかも、結婚式の途中に赤ちゃんが泣き出そうものなら、結婚式は台無しになってしまうのだ。

 もう一つ困らせるのが、「お通夜」や「葬式」だ。身内で死者が出るなら、母親は赤ちゃんを出席するべきだが、身内でない場合、やはり赤ちゃんを連れての出席は、逆に迷惑になってしまうのだ。特に日本の場合、お通夜や葬式の後にお酒を飲む習慣があるので、これがまた異常に長い時間を取らせるし、授乳している母親にとって飲酒というのは、やはり良くないものであろう。母親がどうしてもお通夜や葬式に出席せざるをえない場合は、赤ちゃんを置いて単独で出席して、相手に失礼のない程度の短い時間だけ出席して、そそくさと帰ればいいのだ。

 日常生活では、「買い物」をする際に、いつも赤ちゃんと一緒では困るという場合がある。食料品を買う場合は、「ベビーカー」や「おんぶ紐」で赤ちゃんを運んでも構わないが、自分の洋服を買う場合だとか、お中元やお歳暮を選ぶ場合だとか、緊急を要する物を購入する時など、赤ちゃんが一緒に居ては足手纏いになってしまう場合があるのだ。こういう場合は、一時的に赤ちゃんを預けて、手早く買い物を終えてしまった方が、効率的に短時間で買い物を終えることができるのだ。

 そして、母親として絶対に考えておいた方がいいのは、人間はどんなに親しい者とであっても、いつも一緒に居ると、多大なストレスを感じてしまうということだ。いかに母性愛の豊かな母親であったとしても、いつも赤ちゃんと一緒に居れば、育児ノイローゼになってしまうし、赤ちゃんに対して怒ってばかりいる事態になってしまうのだ。自分が育児で疲労しきったのなら、数時間でもいいから赤ちゃんと離れて、自分一人の時間を持つと、ストレスは一気に解消されていくのだ。

●恐怖の乳輪ピコピコタイマー

 赤ちゃんとどうしても離れなければならない理由が生じたとしても、長時間にわたって離れることができるわけではないのだ。余りにも長い時間にわたって赤ちゃんと離れていると、「恐怖の乳輪ピコピコタイマー」が作動してくるのだ。乳房に凄まじい激痛が走るのだ。赤ちゃんを持つ母親たちに言わせると、この乳輪ピコピコタイマーこそがもっとも痛い痛みであるという。その痛みは出産以上の激痛らしい。

 母親の体は、赤ちゃんを産んだのに赤ちゃんから離れていると、乳輪ピコピコタオマーの激痛が作動して、母親にその異常事態を知らせるようにできているのだ。人にもよるが、赤ちゃんと離れていられる時間は、「約3時間程度」だと思う。この時間は初期の赤ちゃんの授乳の周期が「2時間」なので、やはり赤ちゃんの生存を最優先させるために、激痛を以て母親に知らせているのだ。

 乳輪ピコピコタイマーは赤ちゃんから離れてから3時間後に作動してくるのだから、何か特別な用事があるなら、3時間以内で用事を済ましてしまうことだ。テキパキと行動して、早目に用事を済ましてしまうことだ。意味のない会話や意味のない行動をなるべく避け、失礼にならないように迅速に行動して用事を済ましてしまうことだ。

 若い頃はどうしてあんなにダラダラと過ごしてしまい、時間を無駄にしていたのだろう。結婚して、そして「妊娠」「出産」「育児」の過程を経ると、時間の大切が痛いほど解るようになるものだ。用事を処理する場合は、時間無制限で行うのではなく、時間制限があった方が、逆に巧く処理できるものなのである。

 このことは通常の生活でも大いに適用できるのだ。家事や育児でも時間無制限に行うのではなくて、時間制限を設けて行えば、迅速に行えるのだ。例えば、平日の夕食を作る際には、料理時間は30分以内と定めて、テキパキと料理を作ってしまうことだ。そうすれば濃縮した時間を過ごせることができ、旨い料理を作ることができてしまうのだ。育児でも夜間授乳が大変だと思うなら、時間制限を設けて行い、赤ちゃんへの授乳を巧く行ってしまうのだ。赤ちゃんが母乳を飲む時間は大体解っているのだから、その時間内で行えばいいと解っているなら、半分眠りながらでも夜間授乳できるようになるのだ。エンドレスで物事を行うからこそ、家事も育児も大変になってしまうのである。

●母乳の保存の仕方

 母乳は24時間以内なら保存が可能である。搾乳器で母乳を取り出して、専用の容器に入れて、冷蔵庫で保管すればいい。母乳を入れる容器は、細菌感染を防ぐために専用の容器を使った方がいい。専用の容器は、有害物質の溶け出す可能性のあるプラスティック製ではなく、ガラス製かステレンス製の方がいい。専用の容器を使ったら必ず煮沸消毒をしておくことだ。

 母乳はガスレンジで40度以下まで温めることだ。冷えた母乳をそのまま赤ちゃんに飲ましてはならない。赤ちゃんの体が冷え切ってしまうからだ。逆に絶対に沸騰させてはならない。母乳を沸騰させると、母乳の中に含まれている栄養素が破壊され、善玉菌がすべて死滅してしまうので、まったく無意味で有害な母乳になってしまうのだ。赤ちゃんを預ける時には、必ずこれらのことを伝えておくことだ。母親がきちんと教えないと、預けられた相手は何をやっていいか解らないからだ。

 哺乳瓶を使って母乳を飲ます場合、意外と赤ちゃんの抱き方と哺乳瓶の角度が解らないのだ。そういう時は、母親が実践して手本を見せておくことだ。手本を見せられれば、相手も遣り方が解るのだ。使用した哺乳瓶は放置しておくのではなく、すぐさま洗ってしまい、乾かしておくことだ。こういうことも教えなければ、絶対に相手は解らないものなのだ。

 赤ちゃんを他人に預ける場合は、母乳の与え方の手順をマニュアル化して、文章に書いておくことだ。できれば絵を描いて解り易いように説明しておくと、預けられる方は手順をきちんと理解できるようになるのだ。性善説に立って、預けた相手は正しい行動を取ってくれるだろうと勝手に期待するのではなく、性悪説に立って、預けた相手は教えられない限り、まともな行動を取ってこないと割り切ることだ。

 母親が短時間で用事を済ませられると解っているなら、母乳を保存しなくてもいい。1時間や2時間程度なら、赤ちゃんといえども我慢できる時間だからだ。母親がいない間、赤ちゃんが大泣きしても、お腹がすいているから大泣きしているのではなく、ただ母親がいないことを寂しがっているだけという場合の方が圧倒的に多いのだ。

●生後6ヵ月までは赤ちゃんと離れないようにする

 母乳は無制限に与えるることができるものではなく、重要なのは、生後6ヵ月までなのである。この期間の間に赤ちゃんは母親から母乳を通じて抗体を貰って自分の全身に張り巡らして免疫力を高めていくからだ。生後6ヵ月までは赤ちゃんにとって非常に大事な時期なので、可能な限り赤ちゃんから離れないようにすることだ。

 「育児中なので、代理人を立てます」と言って済ませられるなら、それで済ましてしまうことだ。こういう場合、代理人に立たされるのは「夫」だろうが、こういう時こそ活躍してもらわなければならないのだ。結婚した場合、夫婦が巧く相互支援を行いながら活動できるようになるので、独身時代よりも巧い人間関係の作り方ができるようになるのである。この結婚の機能を早くにマスターして巧く使いこなすことだ。

 それとは逆に、自分が育児でストレスが一杯になってしまったら、そのままストレスを抱えた状況で育児を続けるのではなく、一時的に赤ちゃんと離れるという勇気を持つことだ。どんなに育児でストレスを抱えていても、僅か3時間の間、赤ちゃんと離れて、自分一人の時間を持てばストレスは吹き飛び、また新たに育児に取り込んでいこうという意欲が湧いてくるものなのだ。

 赤ちゃんを夫に預けて、買い物をするなり、喫茶店でお茶を飲むなり、スポーツで汗を流すなり、健康ランドにいって湯船に浸かるなりして気分転換を図れば、リフレッシュして、今まで抱えていたストレスは消え去ってしまい、再びきちんとした母性愛を赤ちゃんに注げるようになるのだ。

 だが、いくら育児ストレスを抱えているからといって、赤ちゃんを自動車の中に置き去りにしてパチンコに興じたり、自宅でテレビを見まくったり、飲み屋に繰り出して飲酒をしたり喫煙したりすべきではないのだ。もっと巧いストレス解消の仕方を考えることだ。自分の志を高くすれば、もっと巧いストレスの解消の仕方などいくらでも思いつくものなのだ。

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オッパイを飲んでくれたら、赤ちゃんを褒めてあげよう!

●赤ちゃんにとって、オッパイを飲むことは「ビッグイベント」

 赤ちゃんにとって大きな仕事とは、実は母親の母乳を飲むことなのである。というか、赤ちゃんが起きている時にすることといえば、オッパイを飲むことだけなのである。オッパイを飲んだら寝て、起きたらオッパイを飲む。これを何度も繰り返して成長していく。授乳の間隔も、最初は2時間置きだったのが、段々とその間隔が延長して、回数を少なくして、1度に飲む量を増やしていく。

 赤ちゃんにとって、オッパイを飲むことは、「ビッグイベント」なのだといっていいのだ。生きるために必死になって母乳を飲んでいるのだ。それゆえ、新米ママは赤ちゃんが母乳を飲んでくれるたびに、赤ちゃんを褒めてしまおう。赤ちゃんも授乳のたびに、その飲みっぷりを褒められれば嬉しくなってしまい、次の授乳も巧く行き出すのだ。赤ちゃんを褒めることで、赤ちゃんの脳を「快感」にさせてしまうのだ。

 赤ちゃんへの授乳でトラブルを起こす新米ママたちは、無言で授乳しているからなのだ。赤ちゃんがオッパイを飲むたびに、「凄いですね~」「たくさん飲みましたね~」「お腹一杯になりましたね~」とか言って、赤ちゃんは自分が褒められているのだという気持ちにしてしまえばいいのだ。母乳を飲んでも、母親が無言であったら、赤ちゃんの方もこれでいいのか戸惑い、その後、大泣きして手がつけられなくなってしまうのだ。

 赤ちゃんは未だ喋られなくても、赤ちゃんの脳は猛スピードで成長を遂げているのだ。赤ちゃんが起きている時に、新米ママが語りかければ語りかけるほど、脳内のシナプスは増えていき、それを睡眠中に整理をして、記憶回路を定着させていくのだ。自宅で新米ママと赤ちゃんが2人きりで話している光景は物凄く変ではあるが、赤ちゃんが起きている間は可能な限り語りかけていけばいいのだ。母親が喋れば喋るほど、赤ちゃんの脳は刺激を受け続けるのだ。

 赤ちゃんが起きている時に、赤ちゃんの姿をきちんと見ていないと、赤ちゃんの仕草が解らなくなってきてしまう。初期の頃は大泣きすれば、母乳を欲しがっているという単純なものだったが、徐々に成長してくると、大泣きしても、ただ単に赤ちゃんが不安がっているだけで泣いているということも出て来るからだ。とにかく、育児の初期は、赤ちゃんが母乳を飲んでくれたら褒め、起きている時には語りかけ、赤ちゃんの仕草が何を意味しているのかチェックしていくことだ。

●赤ちゃんは母乳を飲んだら、ゲップをする

 赤ちゃんは母乳を飲んだ後はゲップをする。母乳育児の場合、母乳を飲み終わったら、必ずしもゲップをするとは限らない。授乳を正しい位置で行うと、赤ちゃんの口に空気が入らず、赤ちゃんはゲップをしなくなるのだ。だが、この正しい位置を探り当てるのが新米ママにとっては大変で、当面の間は、赤ちゃんは授乳の後、ゲップをするものだと思っておいた方がいい。

 授乳の角度が赤ちゃんの口と巧く噛み合っていないと赤ちゃんの口に空気が入ってしまうし、母親の不注意で赤ちゃんの口と乳首が離れてしまうと赤ちゃんの口に空気が入ってしまい、そのためにゲップをするのだ。大人が食後にゲップをすれば無礼極まりないものになるが、赤ちゃんにとっては必要不可欠な行為なのだ。

 ゲップをしないで寝かせると、口から母乳が出てしまうことがあるのだ。下手をすれば、咳き込んだ時に肺に母乳が入ってしまうこともあるので、非常に危険なのだ。授乳を終えたら、赤ちゃんの背中を撫でるなり、叩くなりして、ゲップを促すのだ。赤ちゃんは必ずしもゲップをするのではないので、ゲップが出ないのであるならば、そのまま寝かしつけても構わない。しかし、赤ちゃんが寝付くまで見守っておくべきで、母乳が口から逆流してこないかをきちんと確かめておくことだ。

 母乳育児では、母親がどうしても下を向いて授乳しなければならなくなるので、呼吸を口呼吸でしてしまう母親たちがどうしても出て来るのだ。母親が口呼吸をしていると、空気中の細菌がそのまま体内に入ってきてしまい、そのために非常に危険な母乳を出してしまうようになるのだ。赤ちゃんが母乳を吐き出したり、下痢をしたり、母乳を飲むことを嫌がるようであるならば、まずは母親の口呼吸に原因を求めた方がいい。危険な母乳を飲んで吐き出した場合は、食後にゲップをしなかったからではなく、母親の母乳が危険だからなので、絶対に間違えないようにしておくことだ。口呼吸をやめ、鼻呼吸に切り替えれば、母乳は安全になり、赤ちゃんも嘔吐しなくなる。

 新米ママも授乳に慣れてくると、赤ちゃんを正しい位置で授乳できるようになるので、赤ちゃんの方はゲップをしなくなる。しかし、そうだからといって、すぐさま寝かしつけるのではなく、やはり念のために背中を擦ったり、叩くなりして、ゲップを促す素振りだけは示しておこう。赤ちゃんが歩けるようになれば、この作業は不要となり、赤ちゃんがゲップをする時は自分でゲップをしてくれるのだが、それまではゲップを促す作業は必要となる。

●赤ちゃんのゲップは免疫力の向上にも繋がる

 赤ちゃんは免疫力が弱いので、空気を口から吸い込むということは、赤ちゃんにとって物凄く危険な行為となってしまうのだ。動物は人間以外「口呼吸」というものをしない。動物はすべて「鼻呼吸」であって、鼻のフィルターを通して空気を浄化して、肺の中に入れていくのだ。人間は進化の過程で「喋る」という行動を取ることができてしまったために、口から空気を吸い込むという口呼吸をすることができるようになってしまったのだ。だが、しかし、この口呼吸をしてしまうと、空気中の細菌がダイレクトに肺の中に入ってしまい、そのために人間は病気をしてしまうようになったのだ。

 赤ちゃんはまだ喋れないので、口呼吸というものを絶対にしない。それなのに、授乳の際に空気が口から入り込んでしまうと、その空気がたとえ僅かであったとしても、空気中の細菌を肺や胃の中に入れてしまう結果になり、そのために赤ちゃんの免疫力が急激に低下し、病気を仕出すのである。赤ちゃんは嘔吐や下痢、急な発熱を仕出すものだが、赤ちゃんの大半の病気は、実は授乳の際に口から空気を吸い込んでしまうことが原因なのである。

 ミルクで赤ちゃんを育てると、赤ちゃんは病気をしやすくなると、母親たちは言う。これはミルク自体に母親の抗体が入っていないために、赤ちゃんが免疫力を上げられないということもあるが、哺乳瓶で授乳する際に、確実に口から空気が入ってしまうからなのである。ミルクで育ててしまうと、いくら食後にゲップさせても、胃の中の空気は充分に出しきっておらず、どうしても空気中の細菌を防ぎきれなくなってしまうのだ。

 母乳育児の重要性はいくらでも強調されても構わないのだが、だがそれは「正しい位置で授乳しなければ」という条件つきなのである。母親が授乳に不慣れだと、どうしても赤ちゃんが空気を吸い込まなくていい位置を探り当てられないからである。また、最初の頃は新米ママは授乳する際に緊張しているので、どうしてもその緊張が赤ちゃんに伝わってしまい、赤ちゃんも強張ってしまうのである。そのため母乳で授乳しても、口から空気を吸い込んでしまうのだ。

 赤ちゃんを病気のオンパレードにさせ、日々病院通いをしているのなら、まずは授乳の仕方を改善した方がいい。赤ちゃんが病気を発症した場合、その治療は最優先となるために、その治療費は高くつき、確実に家計を圧迫してくるからだ。いくら赤ちゃんが病気をしまくっても、授乳の角度を治し、きちんと食後のゲップを促し、母親の口呼吸を治すだけで、大半の病気は治ってしまうものなのだ。  

●赤ちゃんと母親の心は繋がっている

 母親の乳房は胸にあるため、赤ちゃんは母乳と共に、母親の気持ちまで飲んでいるのだ。決して母乳だけを飲んでいるとは思ってはならない。人間の心は心臓にあり、心臓には心脳があり、その心脳から自分の気持ちが出て来るのだ。赤ちゃんは授乳のたびに、母親の心脳の近くに来る以上、授乳されれば母親の気持ちまで飲んでしまうのだ。

 そのため、母親の心が頑なだと、赤ちゃんはその異常を察知して、自ら病気になることで、その異常さを母親に知らせようとするのだ。どの母親も第一子は緊張して育ててしまうので、それゆえどうしても赤ちゃんが病気をしやすくなってしまうのである。ところが、第二子、第三子と産み育てていくと、なぜか段々と赤ちゃんは病気をしなくなるのである。それは母親の心から緊張が取れ、心がほぐれたからなのである。

 母親が自分の母乳を赤ちゃんに与えていくということは、ただ母乳を与えるということではなく、実は母親と赤ちゃんの心の繋がりを確認しているということでもあるのだ。母親の気持ちは赤ちゃんを通じて現われてきてしまうのである。自分の赤ちゃんを病気にさせたくないのであるならば、自分の心を開放して、精神レベルを上げていくしかないのだ。

 赤ちゃんは前世や胎児の記憶を持っているのだ。ただ、今は喋れないために、喋らないだけなのだ。3歳児辺りまでは、ちゃんと記憶を持っているので、赤ちゃんが喋られるようになったら、前世や胎児の頃のことを話しかけてみれば、きちんと答えられる筈だ。しかし、その記憶は4歳になる頃にはもう失われてしまうのだ。昔の人たちは、このことを「三つ子の魂、百まで」と喝破した。確かに3歳児までは「神の子」としての振る舞いをきちんとしているのである。母親はこの時期だからこそ、赤ちゃんと心で繋がっていられるのである。

 赤ちゃんも大きくなっていけば、母親と心で通じ合うのではなく、言葉で人間関係を構築していくようになる。そのため、赤ちゃんの頃に持っていた記憶を忘れてしまうのだ。そのため「3歳児神話」を破壊してくる輩が出て来てしまうのだ。しかし、実際に赤ちゃんを育ててみれば、赤ちゃんは明らかに違うのである。恐らく3歳児神話を破壊している人たちは、赤ちゃんの時に自分の母親と心が通じ合えなかったのであろう。赤ちゃんの時に自分が母親と心が通じ合って育っていけば、成人しても、3歳児神話を守り、母乳育児の大切を説き、人を愛することの素晴らしさを教えていける大人になることであろう。人間は動物であったとしても、人間は動物の中で唯一「霊的進化」を遂げてしまった動物なのである。それゆえ、母乳さえ与えられれば、健全に育つわけではないのだ。授乳する際に母親の気持ちまで飲みこんで、精神的に成長を果たしていくのである。

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健康な母乳の出し方

●新米ママなら母乳の出は悪いもの

 初めての出産で、初めて母乳が出る喜びを味わっても、いきなり母乳が巧く出せるものではない。最初の赤ちゃんであるなら、新米ママの母乳の出は悪いものなのだ。母親の方の乳房がまだ充分に発達しきれていないのだ。母親にとってみれば、どのように真面目にやろうろも、最初の赤ちゃんは実験台にしかならないのだ。

 勿論、最初の育児だというのに、母乳の出がかなりいい母親たちがいる。母乳の出のいい女性は、運動をしていて筋肉がついている母親たち、日頃から食事をたくさん食べると同時に運動もたくさんしている母親たち、巨乳の母親たちなどである。逆に母乳の出が少ないという母親たちは、運動不足で筋肉の少ない母親たち、生活の不摂生が長く続いた母親たち、胸が小さすぎる母親たちだ。育児という大事な現場で、日頃の生活の結果が出て来てしまうのだ。

 母乳の出ないならまだしも、母乳が少ない量であったとしても出ているのであるならば、悩まないことだ。乳房は使えば使うほど発達していくものなので、育児で遣い続けていけば、乳房は発達して徐々に大きくなり、母乳の量も増えていくものなのだ。母乳の量が少ないからといってミルクで補完しようとすると、逆に乳房の発達を妨げてしまうものなのだ。

 最初の育児なら、赤ちゃんに授乳して、赤ちゃんがちゃんと母乳を飲んでいるかも解らないものだ。しかし、そうではあっても赤ちゃんはちゃんと母乳を飲んでいるのだ。赤ちゃんの口で乳首を刺激されることこそが、乳房を大いに刺激し、母乳の量を多くしていくことができるのだ。

 意外なことかもしれないが、母親の乳房は産後6ヵ月を経て、その機能を充実させていくのだ。このため、最初の赤ちゃんの時はどうしても巧く母乳を出していくことができないのだが、そういう悪戦苦闘を経ないと、乳房の方も発達をしてくないという、矛盾を孕んでいるのだ。最初の赤ちゃんの授乳を巧くクリアすれば、第二子、第三子と続く赤ちゃんに対しては、非常に母乳の出が良くなっていくものなのだ。

●葉酸を摂取すると、元気な母乳が出る

 母乳の出を良くしたいのであるならば、「葉酸」を摂取しよう。葉酸こそ母乳の出を良くするビタミンだからだ。授乳をしなければならない母親にとって葉酸は、通常の女性よりも1.5倍以上の量もの葉酸を必要とする。そのため食事で意図的に摂取していかないと、授乳のために葉酸不足になってしまうのだ。

 葉酸の入っている植物性食品は、「アンズ」「アボガド」「カボチャ」「豆類」「人参」「アスパラ」「オクラ」「ブロッコリー」「枝豆」「あさつき」「ホウレンソウ」「小松菜」などである。葉酸の入っている動物性食品は、「鰻の肝」「ウニ」「牛のレバー」「鶏のレバー」「玉子」などである。

 母乳の出を良くしたいのなら、朝食事に「リンゴ人参ジュース」と「野菜ジュース」を飲んでしまうことだ。この2つで1日に必要な葉酸は充分に摂取できるからだ。野菜ジュースに関しては小松菜を使用するのがベストだ。小松菜を食べると母乳の出が良くなるし、しかも、小松菜は年柄年中、手に入るので、不足することがないのだ。

 ちょっと最近、母乳の出が悪いのではないかと思ったなら、「アンズ」や「アボガド」を摂取すると効果的だ。女性はカボチャ料理が作るもの食べるのも大好きだが、これはやはり無意識のうちに母乳の出を良く食品を好んでしまうのだろう。豆類にも葉酸はたっぷりと   入っているので、味噌汁や納豆や豆腐という形で大量に摂取していくことだ。

 育児をしている際は、自宅での食事が中心になってしまうが、たまに夫婦と赤ちゃんの3人で出かけて、鰻屋で鰻料理を食べるというのもいい。鰻を食べれば、母乳の出も良くなるのだ。自宅で料理する際は、定期的にレバーを使った料理を作り、母乳の出を良くしていこう。

●根菜類と海藻類と発酵食品

 母乳を作る際には、奇麗な水分を必要とするので、絶対に便秘をしないことだ。便秘をすれば、大腸に老廃物と毒素が溜まり、その汚い水分を使って母乳を作っていかざるをえなくなってしまい、そのため母乳の出が悪くなるし、たとえ出たとしても質の悪い母乳が出来てしまうのだ。

 便秘をしないためにも、根菜類を多く摂取していくことだ。根菜類はその食物繊維の多さから、大腸を大いに活性化させることができるのだ。「サツマイモ」「ジャガイモ」「サトイモ」「ヤマイモ」と、とにかく芋類を食べまくることだ。夕食には必ずオカズとして登場させるようにした方がいい。どのくらいの量を食べれば、便秘が解消されていくのか、試行錯誤を繰り返しながら、適正量を見つけ出していくことだ。

 もうひとつは海藻類だ。海藻類も食物繊維が豊富で、しかも母乳をつくるためのビタミンやミネラルが豊富に含まれているために、母乳の量が増え、質も良くなっていくのだ。「ワカメ」「昆布」「寒天」「海苔」「ヒジキ」などは食べまくることだ。味噌汁には可能な限りワカメを入れるべきだし、昆布もじゃんじゃん料理に使っていけばいいのだ。ワカメや昆布はスーパーよりも市場や専門店の方が値段が安い。生産地での組合や業者を調べて、ネットで注文したりすると、非常に安く購入することができる。

 トドメが発酵食品だ。大腸は発酵食品があると、腸内細菌が活発に活動することができ、排便の量を多くすることができるようになるのだ。「糠漬け」や「納豆」や「塩辛」や「キムチ」といったものは、必ず食事の際に出そう。特に母親が糠床をいつも掻き回していると、自分の免疫力が向上し、それに釣られて赤ちゃんの免疫力も向上し、病気をしにくくなるのだ。納豆は朝食時よりも、夕食時に食べた方が、排便の量が多くなる。塩辛やキムチは加工品を買ってくるのではなく、自宅で作ってしまおう。その方が安全な発酵食品を作ることができる。

 最初の育児は大騒ぎの中で行わざるをえないので、自分が便秘をしていることすら忘れがちだ。しかし、便秘を患っていると、確実に母乳の出が悪くなり、母乳の質も低下していってしまうのだ。1日3度の食事をきちんと取り、朝の時間帯に便意が生じたら、すぐに便所に行ってウンコをすることだ。そして、ウンコをしない限り、朝食を摂取しないことだ。この最低限の心がけがあれば、便秘にはならない筈だ。

●母乳の敵

 母乳にも天敵がある。その筆頭は「炭酸飲料」である。どうも炭酸が母乳の出を物凄く悪くするらしい。しかも、炭酸飲料に含まれている果糖ブドウ糖液が母乳の質を急激に下げるらしい。育児をしている際は、炭酸飲料を控えることだ。ミネラルウォーターの微炭酸泉水でも、長期間にわたって飲用していると、どうも母乳の出が悪くなるらしい。

 次に「冷たい牛乳」だ。牛乳は人間が飲む飲み物の中で、もっとも体を冷やす飲み物なのに、それを冷蔵庫で冷やしてしまうので、もっとも体を冷やしてしまう飲み物になってしまうのだ。牛乳を飲みたいのであるならば、牛乳を発酵させてヨーグルトにして、それを常温で食べることだ。

 フルーツは母乳の出を良くするものなのに、「甘すぎるフルーツ」は逆に母乳の出を悪くしてしまうのだ。人間が余りにも手を加えすぎたために、栄養バランスが完全に崩れてしまっているのだ。フルーツを食べる時は、なるべく糖度の低いフルーツを食べることだ。こういうフルーツは値段も安いので、母乳の出は良くなるのに、お財布からのお金の出は悪くなってくれて、有難いのだ。 

 母親といえども、肉料理を食べることは必要だが、「多すぎる肉料理」は逆に不要で、母乳の出を悪くしてしまうのだ。肉を食べた時は必ず野菜を食べるようにし、肉料理を多くしすぎないことだ。肉料理の多さは、母乳の出に敏感に反応してくるので、自分の母乳の出の具合を見ながら、料理を作る習慣を持つべきだろう。

 新米ママなら母乳の出が最初からいいわけではないのだ。赤ちゃんも成長しているが、新米ママも成長し続けているのだ。自分の成長を止めてしまえば、立ち所に母乳の出の悪さとなって現われてくるものなのだ。赤ちゃんをスクスクと育てると同時に、自分も母親としてスクスクと育つことの大切さを忘れないことだ。

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母乳は産み月から段々濃くなっていく

●母乳の仕方は試行錯誤の連続

 新米ママを襲うものとして、赤ちゃんが「オッパイを飲んでくれない」「ウンチをしてくれない」「眠ってくれない」という3大苦悩がある。いくら新米ママが苦悩を抱えても、赤ちゃんは母乳を飲むし、ウンチもするし、眠ってもいるのだ。ただ、それらの行為を規則正しく行っているわけではなく、ランダムに行っているのだ。このランダムさに対して、新米ママは凄まじい苦悩を抱いてしまうのだ。

 赤ちゃんは出生後、脳を成長させてはいるのだが、大人たちほどにはまだ脳が成長しきれていないのだ。人間が規則正しい生活を送るというのは、実は高度な脳がない限りできないことなのである。大人たちは1日3度の食事を食べ、夜になって眠たくなったら就寝し、朝になって便意が来て排便するということが当たり前のごとくにできるが、赤ちゃんは脳が成長していないために、この当たり前のことができないだけなのだ。

 こういう場合、視点を母親の側に置いてしまうのではなく、赤ちゃんの側に置いてしまうと、簡単に苦悩は解決していくのだ。「オッパイを飲んでくれない」のではなく、「お腹一杯」、「ウンチをしてくれない」のではなく、「まだ便意が来ない」、「眠ってくれない」のではなく、「まだ寝たくない」、こういうふうに言葉を置き換えてみると、実に簡単になってしまうのだ。要は、新米ママの方が、赤ちゃんの行動パターンを無視して、大人たちの生活リズムを押しつけていただけなのである。

 とはいうものの、この3大苦悩のうち、ウンチをしてくれなくても、眠ってくれなくても構わないが、さすがにオッパイを飲んでくれないことに対しては、非常に堪えれてしまうのだ。赤ちゃんがオッパイを拒否するということは、母性本能を大いに傷つけられてしまうからだ。新米ママなら赤ちゃんがオッパイを拒否するたびに、自分が嫌悪感に陥ってしまい、益々苦悩を深めていくのである。

 授乳の仕方というのは、新米ママにとって試行錯誤の連続なのである。授乳の仕方に悩むのではなく、新米ママなら悩んで当たり前なのである。「赤ちゃんの抱き方」「赤ちゃんへの乳房の角度」「赤ちゃんの母乳を飲みたいタイミング」、これらのことがどうしても巧く解っていないのである。しかも、赤ちゃんの方も首が座るまでは、吸いつき力が弱いので、飲みっぷりがイマイチなのである。

●母乳は赤ちゃんの胃腸の成長に合わせている

 実を言ってしまえば、赤ちゃんは出生後、暫くの間、それほど大量の母乳を必要としているわけではないのである。生後6ヵ月までは、赤ちゃんは主に免疫力を高めるために母乳を飲んでいるのである。それほど赤ちゃんにとって、この世界は細菌が漂っている危険な世界なのである。だからこそ、赤ちゃんの成長というのは遅いのである。

 赤ちゃんにとってもっとも重要な母乳は、自分の母親が出してくれる初乳で、この初乳を飲むことによって、体全身に免疫のバリアを張り巡らし、細菌との戦いに備えるのである。この初乳を赤ちゃんが飲まなければ、その赤ちゃんは病気のオンパレードになってしまうし、死亡する危険性ですら高まってくるのだ。

 江戸時代で将軍や大名の赤ちゃんたちが続々と死んでいった理由は、赤ちゃんに初乳を与えなかったからなのである。母親が自分で赤ちゃんを育てずに、育児を乳母に任したので、赤ちゃんは初乳を貰えなかったのである。そのために赤ちゃんは免疫力を高めることができず、乳幼児の段階で死んでしまったのである。

 赤ちゃんは出生前は母親の胎内にいて、臍の緒から栄養を貰っていたために、赤ちゃんの胃腸は充分に発達していないのだ。赤ちゃんは出生後、徐々に胃腸を成長させていくのだが、そのためいきなり大量の母乳を飲むことはできないのだ。赤ちゃんの胃腸はそれほど丈夫にできていないのだ。

 母乳の方も、赤ちゃんの成長に合わせて母乳を濃くしていき、最初は初乳、次に移行乳、次に成乳と、段々と成分を強めていくのだ。成乳も最初から成分が一定なのではなく、徐々に成分を濃くしていくのだ。だから、赤ちゃんの方も、母親がたくさん母乳を飲んでくれないと思っても、自分の成長以上の母乳は不要で、そのため或る程度、母乳を飲めばもうそれ以上、要らなくなるのだ。この赤ちゃんの対応を、母親の方が勝手に、赤ちゃんが母乳を拒否したと思い込んでいるにすぎないのだ。

●生後6ヵ月まではミルクも貰い乳も禁止

 新米ママなら、赤ちゃんが大量に母乳を飲んでくれることが、健康の証だと思ってしまうことだろう。しかし、赤ちゃんといえども、母乳を大量に飲めば、胃腸が追い付いていけずに下痢をしてしまうし、母乳も過剰になれば逆に赤ちゃんの免疫力を下げてしまうのだ。このことは暴飲暴食を繰り返す大人たちの胃腸が荒れたり、食事過剰の大人に限って風邪をひきやすいのとまったく同じなのだ。

 赤ちゃんが母乳を飲んでくれないからといって、ミルクを与えたりしては絶対に駄目だ。ミルクには母親の抗体が含まれていないために、赤ちゃんの免疫力を高めることができないのだ。赤ちゃんは母乳を通じて、母親の抗体を貰って免疫力をつけていくのである。だから、ミルクを飲んで育った赤ちゃんたちは病気をしやすいのである。病院の医者たちは母乳ではなく、ミルクを勧める。これはそうしてくれた方が赤ちゃんが病気になって、病院が儲かるからであって、母親や赤ちゃんの立場に立った意見ではないのだ。

 哺乳瓶でミルクを飲んでしまうと、赤ちゃんは母乳を飲むより30分の1の力で飲めてしまうために、一度でもミルクを飲んでしまうと、母乳を拒否するようになってしまうのだ。人間はそれが危険なものであっても、楽な方向に走るのは、赤ちゃんも大人もまったく同じなのだ。母乳の出が悪くても、せっせとその少ない母乳を与えていくことだ。その少ない母乳でも赤ちゃんは充分に育ってくれるのだ。

 生後6ヵ月辺りで、赤ちゃんは母親の抗体を自分の体に張り巡らして、免疫力を完成させる。そのため、生後6ヵ月までは貰い乳は禁止した方がいい。他の母親の抗体が混じってしまうことは、その赤ちゃんの体に一体何が起こるか解らないからだ。生後6ヵ月までは、とにかく母親は赤ちゃんに密着して暮らし、その後は貰い乳をするなどしても構わない。

 もしも赤ちゃんを産んでも母親に母乳が出ない時は、その場合だけミルクや貰い乳が許されて然るべきなのである。勿論、そういう育て方をされた赤ちゃんは、病気に対して物凄く弱くなってしまう。そのリスクは当然にその母親が背負うべきなのである。長年の不摂生がこういう大事な時に出て来てしまうのである。暴飲暴食、喫煙飲酒、睡眠不足に運動不足の生活を続けていたら、出産しても母乳が出なくなるのは当然なのだ。

●赤ちゃんと接触回数が多いと授乳のタイミングが解る

 新米ママなら授乳の仕方が解らないのは当然なのだ。だから、常に赤ちゃんと接触し続ければいいのだ。いつも赤ちゃんと一緒にいれば、赤ちゃんが母乳を欲しがっているタイミングが解るようになるのだ。赤ちゃんが母乳を欲しがるタイミングはいつも一緒にいなければ解らないものなのだ。

 もしもどうしても解らないのであるならば、ベテランの母親たちに教えて貰えばいいのだ。赤ちゃんが母乳を欲しがるタイミングはどのようなものか教えて貰えば、どんなに頭の悪い母親であったとしても解ることだろう。授乳のタイミングが解らないからといって、自分一人で悩み続けないことだ。誰かに教え貰えば解ることなのだ。

 赤ちゃんの首が据わらないうちは、赤ちゃんを「横抱き」して授乳するしかないか、赤ちゃんの首が据わったら、「縦抱き」で母乳を与えることができるようになる。縦抱きだと、肩や腕の負担を楽になり、しかも、赤ちゃんの母乳の飲みっぷりも良くなっていくので、授乳する喜びが倍増していくのだ。縦抱きで授乳することができれば、新米ママも充分に授乳の仕方を覚えたことになるのだ。

 赤ちゃんは小さいのだから、それほど多くの母乳は必要ないのだ。それなのに、母乳を多く飲んでくれれば、より成長できるとは思ってはならない。いくら栄養豊富な母乳といえども、大量に飲まされれば赤ちゃんの健康を害してしまうのだ。赤ちゃんがオッパイを飲んでくれないのではなく、赤ちゃんが飲みたくないだけなのだ。赤ちゃんは、「もう充分に母乳は足りてるよ」といっているだけなのだ。

 授乳の仕方が解らないことは、新米ママなら誰でも通り苦悩なのだが、それだけ殆ど母親たちが授乳の仕方を丁寧に行っていないのだ。授乳といえども、一つ一つ丁寧に行っていけば、赤ちゃんの小さな仕草がなんとなく解ってくるのだ。その小さな仕草を無視してしまうために、大きな苦悩を発生さているだけなのだ。赤ちゃんの仕草を覚えよう! なぜなら、母乳を飲むのは、赤ちゃんなのだから。

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「育児書」よりも「母親の心の奥底からの愛情」

●最初の育児は知らないことばかり

 最初の育児って、知らないことばかりである。知らないからこそ、取り組んでみる。知らないからこそ、チャレンジしてみる。知らないからこそ、面白い。母親の精神が正常なら、こう思えることだろう。人間の人生は学びの連続だから、妊娠や出産や育児を通じて、様々なことを学べるということは、これほど嬉しいものはないからだ。

 ところが、母親の精神が歪んでしまえば、赤ちゃんが生まれて、それを育てなければならないという新しい事態に慌てふためいてしまう。自分の置かれた環境が余りにも変わりすぎたから、自分が付いていけなくなってしまったのだ。環境の変化は「人生の転機」となって新しい世界を広げることもあるが、逆に「自分へのストレス」になって自分自身を苦しめることになるからだ。

 その大きな差をもたらすのは、ほんの僅かな自分の心持ちの差なのである。育児というのは、母親がやれば殆ど同じ行為が多い。しかし、「知らないからこそ面白い!」と思うか、「知らないからこそツライ!」と思うのは、自分の心がポジティブになっているか、ネガティブになっているかだけなのである。育児をするのがツライといっても、ちょこっと考え方を変えてあげるだけで、「育児って面白い!」と言い出すものなのである。

 我々は学校教育を受けてしまったために、物を知っている人は素晴らしく、物を知らない人は愚かだというレッテルを貼られてしまうし、また、自分自身でも貼ってしまう。しかし、知った所で自分が行動を起こしてみなければ、本当に知ったことにはならないのだ。学校では行動を伴わぬ知識を教えてしまうために、学校で成績が良かった女性たちほど、育児という行動を起こさァなければ育児の面白みが解ってこないものに対して躊躇してしまうのである。

 失敗しても構わない。とにかくやってみる。それは傍から見れば、育児が巧く行っていない駄目な母親に見えるかもしれないが、そうやって失敗を繰り返しながら、育児の仕方を学んでしまうと、その失敗で得た教訓が非常に生きてきて、結局、失敗を恐れていた母親たちよりも、育児の仕方が巧くなってしまうのである。逆説的な結果が生じてきてしまうのである。

●育児の仕方を自分の母親に教えてもらう

 大家族で育った女性なら育児の仕方は知っているものだが、核家族で育った女性なら育児の仕方など知らなくて当然なのである。育児の仕方を知らなければ、「こういう時、どうすればいいのか?」と、誰かに訊けばいいのである。訊く時は恥かもしれないが、知らないで失敗を続けるよりは、増しなのである。

 育児の仕方が解らないなら、まずは自分の母親に訊けばいいのである。恥ずかしいことでも、気兼ねなく聞けるのは、自分の母親くらいだからだ。育児の仕方というものは、母親から娘へと継承していくものなのだ。育児の仕方が解らないで悩んでいるのではなく、自分の母親に電話をして聞くなり、自宅に来て貰って教えを乞えばいいのだ。

 次は姑である。多くの新米ママたちは姑に教えを乞うのは気が引けるかもしれないが、夫の家系で伝承してきた独特の育児の仕方もあるので、それはそれで教えて貰わねばならないのだ。姑に手出しをされるのが、余りにもストレスになるのであるならば、巧く距離を保って引き下がればいいのだ。

 自分の友達に既に経産婦がいるなら、その女性に育児の仕方を教えて貰えばいいのである。新米ママの場合、出産後に新たな友達を作っても、すぐには仲良くならないので、込み入った話はできないものだ。しかし、昔からの付き合いのある友達なら、教えを乞えば、結構、教えてくれるものだ。、

 育児の仕方が解らないからといって、赤ちゃんの病気を治療するついでに、医者に育児を相談している新米ママたちがいるが、これは大いに間違っているのである。医者は病気を治すのが仕事であって、育児の仕方を教えることが仕事ではないのである。もしも、赤ちゃんが病気でもないのに、妻が何度も病院に行っているようであるならば、夫は自分の妻の行動を止めさせ、妻の悩みを聞くなりして、何かしらの対応策を講じた方がいい。

●育児書を信用するな 

 初めての育児をする場合、張り切りすぎて、育児書を買ってしまう母親たちは大勢いるものだが、それが聖書サイズの育児書であるならば、とっとと捨てた方がいい。その育児書は多くの新米ママたちを育児ノイローゼに追いこんできた危険な書物だからだ。この手の育児書が一体どうして危険なのかといえば、新米ママたちは最初、何度も育児で失敗を繰り返すという、当たり前すぎる前提が抜けているからだ。

 聖書サイズの育児書は、育児を研究した学者が、自分の研究の成果を述べたにすぎないのであって、決して新米ママ向けには作られていないからだ。育児の初心者が、育児のベテラン中のベテランから教えを乞うても、いくらその教えられた内容が正しくとも、逆に新米ママの劣等感を大いに刺激して、育児ノイローゼにしてしまうからだ。正確に言えば、育児ノイローゼではなく、「育児書ノイローゼ」になってしまうのだ。

 大体、聖書サイズの育児書は、大きすぎて使い勝手が非常に悪いのだ。せめて分冊化してくれれば、まだ読みやすい物なのだが、著者の意向もあって、読者が読みにくい聖書サイズで出版してくるのだろう。育児をしながら、分厚い育児書を読むことが、新米ママたちにいかに負担になるのかが解っていないのだ。

 育児書を買うくらいなら、母親の体験談を綴った本の方が遥かに有益だ。育児というのは、それぞれ違うように見えても、母親の立場に立ってみれば、かなり同じ行動を取らざるをえないからだ。例えば、「授乳の仕方」や、「オムツの交換の仕方」や、「母親同士での友達作りの難しさ」というふうに、赤ちゃんを持った母親なら誰もが経験するのである。大事なのは、「知識」ではなく、「共感」なのである。他の母親たちに共感できれば、どんなに育児でストレスを抱え込んでいても、リラックスできてしまうものなのである。

 育児書を買う際には、聖書サイズの育児書は敬遠すべきだが、その代り、『家庭の医学』といったような聖書サイズの本は買っておいた方がいい。その内容にもよるが、これが家庭に1冊あると、結構、便利だからだ。赤ちゃんが病気をしたからといって、すぐさま病院に行くのではなく、母親の手で治せるものであるならば、自分で治してしてまった方がいいのだ。その方が病気は早く治るし、お金がかからないし、赤ちゃんの免疫力も高くなり、病気をしにくくなるのだ。

●母親の心の奥底からの愛情

 赤ちゃんはみんな同じではない。どの赤ちゃんも違うし、赤ちゃんの成長も人それぞれである。決して平均的な赤ちゃんなどいないのだ。そして何より、新米ママにとっては自分の赤ちゃんこそが、かけがえのない赤ちゃんであるのだ。その大事な赤ちゃんを育てていくのに、頭でっかちになることはないのだ。育児の知識をいくら溜め込んでも、巧い育児をすることなどできないのだ。

 「育児書の知識」よりも、「母親の心の奥底からの愛情」なのである。母性愛こそが赤ちゃんを巧く育てていくことができる最大の原動力なのである。新米ママなら、育児で失敗があるのは当たり前なのあ。自分が知らない育児テクニックがあるのは、当たり前なのだ。しかし、母性愛がきちんと出ていれば、失敗から学んでいくことができるし、必要な育児テクニックはついてくるものなのだ。

 育児の知識は確かに大事ではある。だが、すべての段階で育児の知識に頼っていたら、逆に母親としての能力が委縮していってしまうのだ。赤ちゃんに何かあったら、まずは「母親の勘」を働かせることだ。赤ちゃんと四六時中一緒にいるなら、赤ちゃんの異変は察知できるものだ。こういう母親の勘は、赤ちゃんと離れなければ、決して母親から失われることがないのだ。

 育児というのは、母親から母性愛が失われたり、母親の勘が衰えたりしてしまえば、立ち所に巧く行かなくなってしまうものなのである。いくら育児が巧く行かないからといって、その新米ママに育児の知識や育児テクニックを教えても巧く行かないのだ。こここそが育児が科学とは違う所なのである。科学なら知識やテクニックを教えれば巧く行くのである。でも、育児ではそうはいかないのである。科学に必要なのは「理性の目」であるが、育児に必要なのは「母親の温かい眼差し」であるからだ。

 育児も最初の頃は、巧く行かないもの。失敗して当たり前なのだ。育児にツライことがあるのは当たり前なのだ。でも、それを何度も繰り返していくと段々と育児が巧くなり始めるのだ。育児の仕方が解らないなら誰かに訊けばいい。育児テクニックを知りたければ本を読めばいいいのだ。しかし、頭でっかちにならないことだ。育児で大きくなっていいのは、「母性愛」と「自分のオッパイ」と「赤ちゃん」だけである。決して自分の頭を大きくしてはならないののだ。

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「出産後の母親の対応」と「赤ちゃんの人格形成」

●3歳児伝説は永遠に不滅です

 昔の人たちは、「三つ子の魂、百まで」といった。無数の赤ちゃんを産み育て、それを何度も経験したお蔭で、「人間の人格というものは、3歳児になるまでで決まってしまい、その後その人物がどのような行動を取ろうが、人格の変動というものは殆どない」と見抜いたのであろう。昔の年齢の数え方は現在とでは違うので、昔の三つ子は、現在でいうと大体「満2歳」ということになる。

 赤ちゃんは決して白紙の状態で生まれてくるのではない。出生直後から赤ちゃんの人格は存在するのだ。最初の赤ちゃんでは解りにくいものだが、何人か赤ちゃんを産んでみると、赤ちゃんというのは最初の段階から、何かしらの人格を持っており、どの赤ちゃんも微妙に違うのである。勿論、この微妙な違いは、赤ちゃんと長らく接し続けなければ解らないから、その赤ちゃんの母親や父親といった人たち以外では見抜けにくいのである。

 赤ちゃんの人格形成に重要な役割を果たすのは、なんといっても母親である。赤ちゃんへの母親の対応次第で、赤ちゃんの人格は大いに変動を受けてしまうからだ。初めての赤ちゃんなら、母親は育児のことを殆ど知らないので、全力投球して育児に励むことだろう。しかしそのくせ、育児の仕方が余り巧くないので、何度も何度も失敗を繰り返しながら、子育てをしていく。だから、どこの家族でも第一子の長男や長女はパワーが強い。母親のエネルギーを直撃してしまうのだ。しかし、その反面、母親がしくじり続けたから、人間関係で不器用さを如何なく発揮している人間になっていく。

 育児が第二子や第三子になっていけば、母親は育児の仕方をもはや知っているわけだから、育児に全力投球をしてこない。そのくせ赤ちゃんの仕草を巧く感じ取れるから、赤ちゃんとのコミュニケーションが巧くので、赤ちゃんは人間関係が細やかに展開できる人間になっていく。すべてそうだとは言い切れないが、細やかな人間関係を必要とするビジネスでは、第二子以降の人たちが圧倒的な強さを発揮することだろう。

 「平等」を唱えてしまえば、どの赤ちゃんも同じになってしまう。しかし、実際に育児をしてみれば、どの赤ちゃんも違うのだ。その違いを「個性」と言ってのけるのではなく、やはり「人格」というべきだろう。個性というのは、反抗期が始まる中学生辺りで出て来るものだからだ。人格というものは、「個性」とかいう狭い範囲のものではなく、その赤ちゃんの人柄であり、品性とかいう赤ちゃんのすべてを覆うものだ。

 そして、その赤ちゃんの人格は、赤ちゃんだけが自分ひとりで人格を形成していけるのではなく、母親が非常に重要な役割を果たしているのである。しかも、それには時間制限があり、3歳までなのである。「3歳児神話は永遠に不滅です」、そう思って育児をした方が、その赤ちゃんがちゃんとした人間になってくるれる筈である。赤ちゃんはまだ喋れないからといって、育児の手抜きばかりをしていると、将来、手のつけられない人間になってしまうのだ。

●3歳児神話を破壊する女性の学者たち

 ところが、この3歳児神話は、女性の学者たちから盛んに批判され、現在、破壊されつつある。この3歳児神話への批判は、まず社会主義思想の影響を受けたアメリカの学者たちから起こってきた。そのため、その学説に基づいて母親たちが赤ちゃんに密着して育児をすることをやめさせ、保育園に預けて育てる育児を推奨し、母親が外に出て働くことを勧めていったのだ。だが、そういう育児の仕方で育った赤ちゃんは、大きくなって人格障害者になってしまい、「麻薬」「窃盗」「強盗」「傷害」「殺人」を繰り返すだけの駄目人間になってしまったのだ。このため、現在のアメリカでは3歳児神話の再評価がなされ、赤ちゃんの人格形成に対する母親の重要性が再認識されたのだ。

 だが、アメリカでやって大失敗してしまったものが、現在、日本の女性の学者たちによって盛んに唱えれられれいるのだ。というのは、現在、育児学の学会で指導的立場にある人たちは、丁度、アメリカで3歳児神話を破壊していた時に留学した人々であり、彼女たちは留学終了後に日本に帰国してしまったので、その後、アメリカでどういう悲惨な出来事が起こったか知らないのだ。

 これに追い打ちをかけたのが、フェミニストたちである。フェミニストたちは自分で結婚もせず、赤ちゃんも産まないのに、母親たちが育児に専念していることを、女性差別だと言って罵り、母親たちに育児の放棄を迫る論説を展開していったのである。学校では男女平等を教えられて育った女性であるならば、母親が育児に専念しなければならないのは、不公平であると言われれば、「その通りだ!」と思ってしまうのである。そのために、3歳児神話の破壊でアメリカがどうなったかも知らずに、この3歳児神話の破壊に加担にしてしまうのだ。

 女性が学者になった場合、育児をやりながら、学問の研究をするというのは、物凄い負担なのである。だからこそ、多少はまともと思える女性学者でも、フェミニズムの影響を受けてしまい、3歳児神話の破壊に加担してしまうのである。仕事をしながら育児をするのが大変であるならば、こういう場合、育児の期間は休職するとか、もしも働き続けるのであるならば、実母や義母の手を借りるということすらもしないのである。精神的に自立していないから、生活の知恵を巧く使うことができないのである。

 女性の学者だからといって、その意見が正しいわけではないし、女性の立場に立った意見でもないのだ。フェミニズムが蔓延している社会では要注意なのである。女性の学者たちの意見を鵜呑みにするのではなく、その女性の学者たちが本当にちゃんと育児をしているのか、そしてその子供はまともに成長しているのかを、きちんと確かめた上で聞くべきなのである。人間は口からであるならば、いくらでも出任せをいるのだ。美辞麗句を並べながら、3歳児神話を破壊して、女性の解放を唱えていても、実際は自分が育児放棄しているだけということも有り得あるのだ。いや、これこそが本当の姿であろう。

●3歳までに人格は形成される

 初めての育児であるならば、赤ちゃんが母親に伝えてくる仕草が解らないものである。赤ちゃんは自分の人格を自分一人で形成していくのではなく、自分と母親との人間関係の遣り取りの中で自分の人格を形成していくのである。だから、母親が赤ちゃんと接触している時間を多目に取っておかないと、赤ちゃんの仕草が解らないし、赤ちゃんの人格もまともな形で形成されないのだ。

 「育児をするのが大変」だと言っている新米ママたちは、自分の赤ちゃんを冷静になって見よ。赤ちゃんは1日の大半を眠って過ごしているのだ。起きている時間はごく僅かなのだ。それゆえ、赤ちゃんが起きている時は、赤ちゃんと面と向かって、赤ちゃんの顔の表情や、体の動きを、丁寧に見ていけばいいのだ。そういうことを繰り返していくと、段々と赤ちゃんが一体何を言いたいのかが解ってくるのだ。

 テレビを見ながら育児をしていたら、その赤ちゃんの大事なサインが解らなくなってしまうのだ。朝っぱらから新聞を熟読していたら、その赤ちゃんの大事な表情が解らなくなってしまうのだ。最初の頃はこれが全然解らないのだ。だからこそ、育児が大変になってしまうのである。理屈で育児を行おうとするからこそ、育児が破綻してしまうのである。「理屈」ではなく「感覚」なのだ。その感覚は赤ちゃんと接する回数を多くし、赤ちゃんが起きている時は、赤ちゃんときちんと向かい合うからこそ、自然に解ってくるのだ。

 人間が喋って他人とコミュニケーションを取るというのは、実は高度な能力を必要とするのだ。しかし、赤ちゃんはまだその高度な能力を持ち合わせていないのだ。赤ちゃんは自分の体を使って、赤ちゃん独特の仕草で母親とコミュニケーションを取ろうとしているのだ。これができなければ、母親との遣り取りができず、どうしても、赤ちゃんの人格が歪んで行ってしまい、3歳児になる前に凄まじい反抗をしまくるのである。

 いかなる新米ママといえども、最初から赤ちゃんとのコミュニケーションをきちんと取れるわけではないのである。最初の頃は失敗の連続である。しかし、その失敗から学んでいくのだ。母親も赤ちゃんも失敗しながら学んで行くのだ。失敗しなければ、双方が成長していくことができないのだ。何度も失敗を繰り返し、試行錯誤を繰り返しながら、赤ちゃんは徐々に母親との関係を構築していき、自分の人格を形成していくのである。

●最初の赤ちゃんは母親の性格に似る

 どの新米ママも最初の育児は真剣そのものである。そのくせ育児は全然巧くいかないのだ。赤ちゃんの仕草が何を言っているのか解らないし、オッパイをちゃんと与えているのにちゃんと飲んでいないし、寝かしつけても寝ないし、寝たと思ったら目をパチクリと開けて起きているし、そのくせ母親が寝ている真夜中に夜泣きをしてくるし。母親は疲労困憊でヘトヘトである。最初の育児なら、みんなそういうものなのである。

 そうやって悪戦苦闘しながら育児をするからこそ、赤ちゃんの仕草が解ってくるし、赤ちゃんへの育児の仕方をマスターしていくことができるのである。何も子育てはいいこと尽くめではないのである。育児がきちんとできるまでは、凄まじい苦労させられるのである。でも、その苦労をするからこそ、子育てしていく喜びが、いかなるものにも代えがたい喜びになるのである。

 だから、赤ちゃんは1人だけじゃ駄目なのだ。2人、3人と育ててみて、やっと育児のなんたるかが解ってくるのである。複数の赤ちゃんを育ててみると、赤ちゃんの育ち方の違いが良く解るのだ。一人目の赤ちゃんでは気づけなかったものでも、2人目や3人目を育てていくと、「そうか! こういう時はこうすれば良かったんだ!」というものをいくらでも発見できるのである。子供が1人しかいなければ、その発見をできずに、「育児が大変だった」という思い出だけしか残らなくなってしまうのである。

 最初の赤ちゃんへの育児は母親も真剣だから、その赤ちゃんはもっとも母親の性格に似てくる。その赤ちゃんが女の子であるならば、その母親の分身ではないかと思うくらいに、母親の性格に似てくるのだ。これが第二子や第三子となってくると、その赤ちゃんたちは母親との関係だけではなく、兄弟姉妹の関係の中で、自分の人格を形成していくので、母親とは違う性格の子供に育っていく。そうやって多彩な人格を用意して、家族の人間関係を豊かにしていって、多彩な生存を展開していくのである。

 人間は目先の利益に目を奪われやすい動物なのだ。母親の育児がまさかその赤ちゃんの人格を決めてしまい、その子が死ぬまで、その人格で有り続けるとは、思いもしないのだ。そんなことよりも、育児の大変さを重要視してしまうし、誰かに赤ちゃんを預けて働きに出たいと考えてしまうものなのだ。しかし、そうやって育てられた赤ちゃんは、大きくなってから母親に復讐をしかけてくるのだ。育児を大変だと思って以上に、その後に大変な思いをさせられるし、育児をそっちのけで得た給料よりも、遥かに多くの金額を支払わされる羽目になるのだ。

 3歳児神話は何も母親たちを育児に縛り付けるものではないのである。昔の人たちが伝え続けてきた「三つ子の魂、百まで」という格言にしても、それだけ育児の手抜きをして育ててしまい、折角の赤ちゃんを駄目人間に育ててしまった母親たちが、いつの時代にもたくさん居たということなのである。3歳児神話は、先祖たちが失敗の中から得た偉大なる教訓なのである。現在に生きる我々がいくら豊かだからだと言って、思い上がって3歳児神話を破壊してはならないのだ。その代償は育児をしている時には出て来ない。しかし、そのあ赤ちゃんが大きくなった時に、きちんと凄まじい代償となって出て来るのだ。だからこそ、我々は先祖を得た偉大な胸襟である「3歳児神話」をきちんと継承していかねkればらないのだ。

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赤ちゃんの運命が決まってしまう命名式

●赤ちゃんは生まれながらにして名前を持っている

 赤ちゃんは生まれながらにして、自分の名前を持っている。こういうことをいうと不思議がられるかも知れないが、この赤ちゃんの名前を出生前に霊感で感じ取った夫婦は結構いるのだ。赤ちゃんは生まれる前に、その両親に自分の名前を知らせるのだ。赤ちゃんは自分の両親にしか自分の本当の名前を教えることはない。

 例えば、妊娠中に妊婦が或る日ふと何気なく誰かの名前を言ってしまうのだ。その妊婦が人為的にそういうことをしなければ、恐らく霊感で感じ取った名前だと見ていい。自分が妊娠していない夫でも、妻が出産中にふと何気なく誰かの名前を言ってしまい、それこそが赤ちゃんの本当の名前であるのだ。こういうのは霊感で感じ取るために、本当に或る日突然に赤ちゃんの本当の名前が降りて来るのだ。

 赤ちゃんの名前を霊感で解ったら、男女の別を問うことなく、命名することだ。その名前こそが赤ちゃんの運勢を最大化させてくれるのだ。霊感で名前が解っているのに、敢えて違う名前をつけてしまうと、その赤ちゃんに不幸が訪れてしまい、その両親のもとから消え去ってしまうことだってあるのだ。

 霊感で命名する際、霊感で名前のすべてが解れば、それをそのままつけてしまえばいいが、音だけが解っているのだが、どういう文字を書くか解らない場合は、「平仮名」や「片仮名」や「漢字」を充てがっていくと、「これだ!」という文字に辿りつくので、せっせと行っていけばいい。

 霊感で名前を命名した場合、その赤ちゃんは先祖の霊的な守護の強い赤ちゃんなので、産後1ヵ月後にはきちんと墓参りをして、赤ちゃんを先祖に合わしておくことだ。霊感があるということは、霊能力があるということであり、それはすべての分野で吉と出るわけではないのだ。霊的エネルギーを巧く使える反面、悪霊に取りつかれる危険性もあるのだ。その危険を防ぐためにも、墓参りをするということは、非常に大事なのだ。

●人為的に命名するなら、原則として男性が命名する

 霊感で名前が解らず、人為的に命名する場合は、原則として命名権者は男性である。命名は精神的作用が働くから、精神的作用を持つ男性が行うのである。古来より日本でも中国でもインドでも、男性が命名権者になっているのだ。命名するというのは、かなり霊的な仕事なので、この原則を絶対に侵さないことだ。

 夫婦でもっとも危険なのが、妻が出産前から、「赤ちゃんにはこういう名前をつけたい」といっている場合だ。妻が赤ちゃんを生む前から、こういう名前をつけたいと思っている名前は、逆に赤ちゃんに不幸をもたらすことが多いのだ。こういうことを言い出す女性は、兄弟姉妹の数が少なく、そのために生まれることのできなかった子供が妻に悪さをして、不幸をもたらそうとするのだ。妻が変に名前に拘りすぎると、不妊症の原因にもなりかねないのだ。

 夫婦で次に危険なのは、夫の母親が命名しようと仕出すことだ。日本は父系家族であったとしても、母系家族の影響をかなり強く受けた家族形態になっているので、父親が家長になっていても、母親の権限は物凄く大きいのだ。そのため、息子が結婚したというのに、母親が息子の夫婦に介入してくるのだ。これが「嫁姑の争い」の本当の原因なのである。それゆえ、息子夫婦が赤ちゃんを産んだ場合、夫の母親が命名しようと仕出す場合があるので、これは絶対に拒否することだ。赤ちゃんの幸不幸がどうのこうの以上に、息子夫婦への姑による支配が決定的になってしまうからだ。

 人為的に命名する場合は、やはり夫が命名すべきなのである。自分で名前を考えるのもいいし、姓名判断で字画を調べながらするのもいいだろう。ただ、命名するにも、命名の作法があるので、きちんとこれに従って行うことだ。そうすれば、赤ちゃんの運勢をより強くすることができるのだ。

 まず、夫が赤ちゃん向けに用意した名前を10個あげる。なぜ10個かといえば、10という数字が「無」に繋がるからである。何も無いからこそ、すべてのものを生み出せるという状況に置くのだ。妻がその10個の名前のうちから、妻が不適当だろ思う名前を2個落とす。次に夫が残りの8個の名前のうち、不適当だと思う名前を3個落とす。残りの5個の名前のうち、妻が不適当だと思う名前を2個落とす。その残りの3個の名前の中から夫が選び、そして妻が同意すればいい。

 こうすると、運命的にかなりレベルの高い名前を導き出すことができるのだ。なぜ、夫が3個を落とし、残った3個から選ぶというのは、奇数は男性に作用をもたらす数字であり、なぜ、妻が2個落としていくかというと、偶数は女性に作用をもたらす数字だからだ。この作法で名前を選び出したのに、妻がどうしても嫌だと思うなら、もう一度行えばいい。そうすれば妻も気に入った名前を導き出せることができるだろう。

 他人に命名して貰う場合は、男性で夫より年長であること、できれば裕福であることを条件にした方がいい。今では運命鑑定者に有料で頼む夫婦も多いが、運命鑑定者の中には女性もいるので、必ず性別を確かめることだ。男が命名する原則を破る占い師は結構多いのだ。例えば、細木数子はテレビ番組で売れない芸能人を改名させていたが、彼女が改名させた芸能人で誰一人としてブレイクした芸能人はいなかったのだ。その占い師がどんなに高名であろうとも、命名の原則は絶対に破ってはならないのだ。 

 もしも、母親を始めとして、女性の手によって命名してしまったら、自分の赤ちゃんに何かしらの不幸が訪れてくることを覚悟しておくことだ。子供のうちに不幸が出てくれれば、大人になってから大きな不幸に見舞われることはなくなるからだ。そして、母親はその後も赤ちゃんを産み、その赤ちゃんには夫に命名してもらうことだ。こうすると、その家族内での不幸が治まるのだ。

●名前の持つ意味

 名前はその赤ちゃんの人生を決定づけてしまうものだ。人間は名前通りの人間に成長していくのだ。その赤ちゃんは今後、自分につけられた名前で呼び続けられるのだから、その名前こそがその赤ちゃんの脳の中で毎回響き渡り続け、その名前に従ったシナプスが出来上がっていくのだ。

①表音

 名前でもっとも重要なのは、字画ではなく、表音である。名前の音こそがその子に重要な意味を持ってくるのだ。特に影響が強いのが、名前の最初の音である。名前の先頭が「あいうえお」のように母音である場合、母音のパワーをもろに受け、パワーが強いが、子音がないために、複雑ではなく、単純な思考や行動を取ってくるのだ。複雑ではなくとも、パワーがあるので、一つの分野で成功しようとするなら、断然に強さを発揮してくる。例えば、野球選手の「イチロー」のように、身長も体格もそれほど大きくないのに、他のプロ野球選手たちから抜きん出ている強さを発揮してくるのだ。

 子音が加わると、その子音の影響を受けて複雑な性格を持ち始める。

 名前が「カ行」から始まるのであるならば、その子は冷静で合理的に行動してくる子供になる。科学の方面において圧倒的な強さを誇る。

 名前が「サ行」から始まるのであるならば、その子は爽やかでスマートでオシャレな子供になる。スター度がもっとも強く、人気者になる可能性が高い。

 名前が「タ行」から始まるのであるならば、その子は現実的で行動力の強い子供になる。指導力が溢れており、組織のトップになる確率が非常に高い。

 名前が「ナ行」から始まるのであるならば、キュートで誰からも可愛がられる子供になる。意外とのんびり屋さんでもあり、マイペースを重んじる。

 名前が「ハ行」から始まるのであるならば、機知に富み感受性の強い子供になる。頭の回転がいいので、若いうちから頭角を現しやすくなる。

 名前が「マ行」から始まるのであるならば、温和で母性愛に溢れ幸福度の高い子供になる。将来、結婚したら幸せな家庭を築くことになる運命を持っている。

 名前が「ヤ行」から始まるのであるならば、色気に富み優雅な子供になる。美男美女になる確率がもっとも高くなる。

 名前が「ラ行」から始まるのであるならば、雄弁で華麗に振る舞い、人付き合いが巧い子供になる。サービス業に就くと、凄まじい能力を発揮することになる。

 名前が「ワ行」から始まるのであるならば、純朴で誠実すぎ夢見がちな子供になる。いつまでも茶目っ気が強く、人を楽しませるのが好きである。

②表意

 表意は漢字の持つ意味が作用してくる。これは命名する際には、きちんと漢和辞典で調べてほしい。辞書を引けば簡単に解ることだからだ。注意が必要なのは、世間で出回っている漢字の解釈が嘘の場合が多々あるということである。例えば、「武」という漢字は、「戈」を「止める」という意味で、日本は戦争を止めることをしらなかったから、先の大戦に負けたのだという得体の知れない解釈を仕出す人々がいるのだ。「武」という字は、「戈を持って戦いに行く」という意味で、「止」は足の象形で、行くという意味なのである。こんなことは漢和辞典を調べればすぐに解ることなので、世間の嘘には決して騙されないことだ。

③字画

 命名する際には姓名判断を考えてしまうのだが、これは表音と表意に次いで価値がある程度のものなのである。字画での運命の基本は、幼数と老数と変化数である。幼数とは、「1」「2」「3」「4」であって、名前の画数の端数がこれに属すると、若々しいパワーを持つということである。老数とは、「6」「7」「8」「9」であって、名前の画数の端数がこれに属すると、老熟としており、知能が高くなる。変化数とは。「5」「0」であって、名前の画数の端数がこれに属すると、変化することによってエネルギーを生み出そうとする。

●命名における禁忌

 命名する際には、禁忌というものがある。こういう名前の付け方をすると不幸になるというタブーである。その夫婦の運勢が強いとこの禁忌を犯さないのだが、夫婦の運勢が弱いとどうしても敢えて禁忌を犯してくるので、とにかく冷静になって、自分たち夫婦の状況を見つめることだ。

①両親の名に使われている漢字を使わない

 自分たち夫婦が使っている漢字を子供に使わせないことだ。この禁忌を犯してしまうと、親が子供の運勢を食ってしまったり、子供が親の運勢を食ってしまい、親が運が良ければ子供は不運になり、子供の運が良ければ親が不運になってしまうからだ。子供同士でも可能な限り同じ漢字を使わないことだ。

②読みにくい名にしないこと 

 名前は家族内だけで使用されるものではなく、社会でも使用されるので、読みやすい名前にすることだ。読みにくい名前にしてしまうと、社会での活動に支障を来すのだ。例えば、「海」と書いて、「マリン」と読ませるといったような場合だ。こういうのは親がオシャレだと思っても、実生活では甚だ不便なので、子供の運気を損ねてしまうのだ。

③可能な限り、一文字名にしない

 名前は可能な限り一文字名にしないことだ。一文字名だと、或る程度までは成功できても、後一歩の所で挫折してしてしまい、人生が急転直下してしまうので、可能な限り一文字名にしないことだ。赤ちゃんの名前は、二文字名、三文字名にするのが親として賢明な態度である。

 命名はその赤ちゃんの人生を決定づけるものなので、くれぐれも冗談でつけないことである。赤ちゃんの名前を冗談半分でつけてしまえば、その赤ちゃんが不幸になるだけでなく、両親も不幸になってしまうからだ。赤ちゃんに命名する際は、神聖にして厳かになって、命名式に臨むべきである。

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出産後は暫くの間、スッピンで過ごした方がいい

●「赤ちゃんの匂い」と「母性ホルモンへの刺激」

 産後1ヵ月間は体調が回復するために必要な時間で、産後3ヵ月間は母親の体が母性ホルモンに慣れていくのに必要な時間なのである。この今後の育児の成否を決定づけてしまうほどの大事な役割を果たしていくのが、実は「赤ちゃんの匂い」なのである。新米ママはこの赤ちゃんの匂いを嗅ぐことで、母性ホルモンを刺激して、より多くの母性ホルモンを分泌させ、母親らしい母親になっていくのである。

 赤ちゃんの体臭って、物凄くいい香りがするものなのだが、これは赤ちゃんにとって自分が生存できるために最大の働きをしているのである。人間の赤ちゃんはどんなに健康な赤ちゃんであっても、進化のために未熟児状態で生まれてしまう。そのため、その未熟児でいる期間を母親にとって育児をして貰わないと、この世に生存できないのである。だからこそ、赤ちゃんは母親が快感と感じるような赤ちゃんの匂いを発して、母親を魅了して、母親に育児をさせるのである。

 この赤ちゃんの匂いに敏感に感じ取り、その匂いが好きで堪らないという母親は、それほど苦労しなくても、母性ホルモンが活性化された影響で、自然と育児の仕方が物凄く上達してしまうのだ。母性ホルモンが充分すぎるほどに分泌されているために、母親らしい行動が自然と取れてしまうのだ。赤ちゃんの匂いが好きなのか、そうではないのか、というのは、その後の育児をどのようにしてしまうのかを決定づけてしまうのだ。

 実際に育児をしていると母親たちは自分で把握できないのだが、この赤ちゃんの匂いに釣られて、結構、母親自身の体臭も変化しているのだ。母性ホルモンが活発に分泌されているので、母親としても母親らしい匂いを放っているのだ。自分の子供が2歳になる頃まではもっとも母親に匂いが強くなっているし、それが小学生の頃までは続き、子供が中学生になると母親の匂いもなくなり始めるのだ。

 ということは、人間の子供は子供が12歳を過ぎるまでは、母親からの育児を必要とする動物であるということなのである。それだけ人間の子供が成長するには時間がかかるものなのである。昔の人たちはこの時期を男の子の元服の時期としたし、女の子はこの時期から結婚相手を探す時期としたのだ。これは非常に理にかなった習慣だったのだ。

●産後3ヵ月間は化粧をしない方がいい

 産後3ヵ月間は化粧は絶対にしない方がいい。化粧の臭気のために、母親が赤ちゃんの匂いを巧く吸い取れなくなってしまうからである。化粧のために自分の母性ホルモンが巧く刺激されず、母性ホルモンの分泌量が減少してしまうのだ。そのため、どうしても母親として成長できず、母親としての的確な行動が減少してしまうのだ。赤ちゃんも自分の匂いで母親が母親らしい行動を取ってくれないと、自分の生存に異常を察知して、自分の母親を育児を行ってくれる母親としては受付なくなってしまうのだ。もうこうなると、母親と赤ちゃんの壮絶なバトルを展開してしまうkとになってしまうのだ。

 母親が出産後に暫くの間、化粧をしない方がいいというのは、これ以外に「皮膚呼吸を行わせるため」という重要な働きをしてもらうためである。母親が母乳を出すためには、大量の酸素が必要になってくる。その酸素は肺呼吸だけでは足らず、皮膚呼吸をきちんとしないと酸素が不足してしまうのだ。母親が育児をしながら欠伸をしまっくっているようであれば、明らかに酸素不足なのである。

 特に北国で冬になると、どうしても服を着こまざるをえなくなってしまうので、皮膚を露出させる量が少なくなってしまうのだ。顔の皮膚は体の中でも非常に重要な皮膚で、ここを化粧せずに露出させているだけで、かなりの皮膚呼吸を行ってくれて、酸素を吸収してくれるのだ。母親の皮膚呼吸が多ければ、母乳の出が全然違うようになってしまうのだ。

 母性ホルモンが分泌されることによって、体つきや肌までが変化してくるので、肌が物凄く敏感になっているのだ。この大事な時期に化粧をしてしまうと、「シミ」「シワ」の原因になってしまうのだ。産後3ヵ月間は化粧をせず、スッピンで過ごし、母性ホルモンを体に馴染ませてあげることを優先させてあげればいいのだ。そうすれば母性ホルモンは自然と体に慣れ、自分の顔に「シミ」や「シワ」を作らずに済むようになるのだ。

 化粧をしないということは、外出した際に紫外線をもろに受けてしまうことになってしまうのだ。だから、帽子を被る習慣をみにつけておいた方がいい。帽子で紫外線をよけるのだ。赤ちゃんに外気浴をさせる場合、母親も一緒に外出することになるので、そういう時は常に帽子を被っておけば、紫外線によって皮膚が破壊されることはなくなるであろう。

●出産後の化粧の乗りは出産以前とは違う

 赤ちゃんを出産したなら、是非とも知っておいた方がいいのは、出産前と出産後では化粧の乗りは全然違うということだ。出産前は女性ホルモンが主に効いているので、異性から見染められ、愛されようとなって、化粧をそれこそ盛るような形で塗っても、それほど肌は傷まなかったのだが、出産後にそのような化粧の仕方をしてしまうと、肌が物凄く痛むのでやめた方がいい。

 出産後からは薄化粧で充分なのだ。結婚前はより美しくなろうと化粧をするべきだが、出産後は醜くならないように化粧をすればいいのだ。それで充分なのだ。より美しくではなく、醜くならないように化粧をするだけで、充分に美しくなれるのだ。子供が1人しかいないと、出産によって化粧の仕方が変わったということが気付かず、どうしても以前の化粧の仕方をそのまましてしまうのである。そうすると異常に不気味な化粧になってしまうので、化粧をすることでより醜くなってしまうということになってしまうのだ。これをそのまま放置しておくと、夫婦関係も悪化してしまうので、注意が必要である。誰だって醜いものはみたくないのだ。

 育児をしている最中は、化粧をする機会が激減するのだが、そうはいっても、例えば高級住宅街だとゴミを出しに行くにも化粧をする地域があるので、そういう地域に住んでいる人は帽子を深く被るなどして巧く誤魔化すことだ。化粧をする場合は、どうしても化粧をしなければならない時だけに限定していくことだ。育児を真剣にやっていれば、出産によって化粧の仕方が変わっても、その変化した技術を習得できる時間がないのだ。

 出産したら、化粧品そのものも変わっていく。石油系の物質を使った化粧品を使わなくなるのだ。たとえ使っても肌に合わなくなり、それどころかシミやシワやホクロができてしまうことになってしまうのだ。化粧品というのは、高額であれば高品質とは限らない。高額であったとしても、それはテレビCMの料金のために高いということも有り得あるのだ。高品質の化粧品とは、石油系の物質を使っていない化粧品のことなのである。そういう化粧品は、余りにも高額になることはないが、かといって安売りしていることもない。自分の肌に合った化粧品を自分で探して探り当ててほしい。

 化粧の仕方というものは、素人では中々習得できないものなのだ。化粧によって自分を美しく見せるというのは、高度な技術を要するものなのだ。それゆえ、育児がひと段落ついたら、お金を払って母親向けの化粧の仕方を教えてくれる所で習った方がいい。この方が早くに化粧の仕方を習得できるのだ。決して損にはならない筈だ。

●ファッション雑誌が変わる時

 最初の育児の時は、或る時期までファッション誌の購入はしなくなるものだ。育児に没頭してしまい、自分のファッションなんかそっちのけになってしまうものなのだ。それほど殆どの母親たちは育児に真剣になって取り組むのである。こういう時期はオシャレな女性にとっては、非常につらい時期であり、「私だけ育児だけに取り組んでいていいのかな?」という疑問を抱いてしまう時期でもある。

 しかし、自分のファッションそっちのけで育児を行うことは、育児が巧くなるために絶対に通らねばならない時期なのだ。育児をしているのに、ファッション雑誌を見ているようでは、真剣になって育児に取り組んでいないということなのだ。自分の心が赤ちゃんに向いていないのだ。まずは自分の心を赤ちゃんに向けることである。

 ファッション雑誌を読んでいないと、どうしてもファッションレベルが下がってしまうかというと、実はそうではないのだ。流行に左右されず、自分なりのファッションを構築していくことができる有難い時期でもあるのだ。自分が着る回数の多い服をチェックしていき、自分の好みの服を明確にさせると、オシャレ度は飛躍的にアップしていくのだ。

 ただ、注意しなければならないのは、育児にかかりっきりになってしまうので、服がだらしなくなってしまうということなのだ。家の中で、だらしない格好をしていても、恐らく夫は文句は言わないが、確実に妻への愛は冷めて行ってしまうものなのだ。仕事で疲れて帰ってきたというのに、自分の妻がだらしない格好で出迎えるというのは、これほどがっくりさせることもないのだ。

 だから、いくら育児をしていたとしても、夫が帰宅する前に、ちゃんとした服に着替えて、夫をきちんと出迎えるということをするだけでも、随分と夫婦関係は変わっていく筈だ。「夫がが育児を手伝ってくれない」とか、「夫婦が倦怠期に突入してしまって、一緒にいても口を聞かない」とか言っているのなら、まずは自分のだらしない格好を改めて、夫が帰宅する際にはきちんとした格好で出迎えるということを習慣にするだけで、夫婦関係は改善され、夫婦は再びラブラブになっていく筈である。

 育児をしていると、赤ちゃんに合わせて、時間をルーズに進めてしまいがちだ。そのため、夫婦に用事があって夫婦で出かけなければならない時に、妻の方が化粧や洋服選びに遅れてしまうということが、どこの夫婦でも発生する。こういうことを繰り返されると、夫は凄まじい不満を抱えてしまい不毛な夫婦喧嘩の原因に成りかねないので、夫婦で外出する際には、前の日に着ていく服を決めておくことだ。この習慣を持てば、予定の時間に遅刻することはなくなり、夫婦の信用度も高まり、夫婦も円満になっていくものなのだ。

 ファッション雑誌を読まなくなっても、育児がひと段落つけば、或る日、突然にファッション雑誌を読みたくなるものなのだ。以前は未婚女性向けのファッション雑誌を読んでいたのが、ミセス向けのファッション雑誌に変わるのだ。今まで読んでいたファッション雑誌が幼稚に見えた時、自分のファッションレベルは着実に向上していたのである。それが「成長の証」なのだ。

 女性にとって、「化粧をしなくなる」「オシャレをしなくなる」という時期は、実は非常に大切な時期なのだ。一度、流行から離れて、スッピンで暮らし、持ち合わせの服を融通して生活することをしない限り、自分が未婚女性から既婚女性に変わっていけないし、母親としても巧く成長していけなくなってしまうのだ。出産と育児を経験すれば、「化粧をしなくなるから美しくなる」「オシャレをしなくなるからオシャレになる」という摩訶不思議な現象が我が身に起こってくるのである。

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新米ママのマタニティーブルー

●マタニティーブルーの原因

 産婦は出産すると、自分の体調が回復するまで1ヵ月間近くかかるものであるということは、昔から知られていた。出産はそれほど多くの体力を消費してしまうものなのだ。しかし、産後の母親たちにその配慮をせず、通常通りの扱いをしてしまうと、どうしても出産で弱っている体が適応できず、どこかに異常が生じてきてしまうのだ。昨今、急激に増加している「マタニティーブルー」もその一つである。

 マタニティーブルーが出産した母親全員に発症すると思ってはならない。今でも助産院で出産すると、殆どの母親たちは発症してこないのだ。発症したとしても軽症で済んでいるのだ。赤ちゃんを産んだ母親にとっては、育児が忙しく、自分の精神を病気にさせている暇はない筈である。赤ちゃんを見るだけで、笑顔が綻んでしまう筈である。

 マタニティーブルーは病院で出産すると、非常に高い確率で発症してきてしまう。今や病院で出産する母親たちのなんと「50%」がマタニティーブルーを発症しているのである。なぜ、マタニティーブルーを発症してしまうかといえば、原因は2つある。一つ目は「栄養不足」であり、もう一つは「母性ホルモンの異常」である。

 母親は出産で様々な栄養素を消費してしまうが、中でも産後に不足が顕著になるのは、「カルシウム」と「マグネシウム」と「ビタミンD」の三つである。カルシウムは骨や歯を作ることが主要な働きだと思っているのだが、実はカルシウムはその他にも、神経を正常に作動させたり、心臓の鼓動を規則正しく動かす、という非常に重要な働きがあるのだ。当然、カルシウムは出産時に大量に消費されてしまうので、それでカルシウム不足に陥り、精神的にイライラしてしまうのだ。

 マグネシウムは神経と筋肉を正常に作動させ、精神を安定させ、早産を防止する。特に出産時には脂肪を燃やしてエネルギーに変える重要な役割を果たすのだ。出産をすればマグネシウムは大量に消費されるので、ストレスを感じやすくなり、ひどければ鬱状態になってしまうのだ。

 ビタミンDはカルシウムの働きをバックアップし、血液の濃度を一定に保つ重要な働きをする。出産時ではカルシウムが大量に消費されていくので、このビタミンDも一緒に大量に消費されてしまい、一時的なビタミンD不足になってしまうのだ。ビタミンDが不足すると、人間はストレスを感じやすい体になってしまうのだ。ビタミンDは太陽光に当たれば、人間は体内で作り出せるので、通常、我々の生活でビタミンDが不足するということはない。しかし、病院で出産すると、出産の遥か前から入院させ、しかも、出産後も暫くの間、太陽光に当たらない生活をしていると、深刻なビタミンD不足になってしまうのだ。

 日本人はカルシウムもマグネシウムも不足傾向にある。しかも、病院に入院して長らく太陽に当たらないと、ビタミンD不足になってしまうのだ。それでマタニティーブルーを発症してしまうのだ。カルシウムが不足しているなら牛乳で、と短絡に考えてはならない。人間は12歳を過ぎれば、牛乳をちゃんと消化吸収することができなくなるのだ。無理して牛乳を飲んでも、牛乳は人間が飲む飲み物の中でもっとも体を冷やすので、妊婦にも産後の母親にも良くないのだ。カルシウムを補給したいのなら、小魚やゴマであり、どうしても牛乳を飲みたいのなら、発酵させてヨーグルトして食べればいいのだ。マグネシウムを補給したければ、「玄米」や「黒パン」、「イチジク」や「バナナ」といったものを食べることだ。ビタミンD不足には、なんといっても太陽光に当たることであり、「キクラゲ」「シラス」「干し椎茸」「舞茸」といったものを食べることだ。

 本当のマタニティーブルーの患者は非常に少ないのだ。病院で出産した場合、出産で長期入院してしまうと、マグネシウムもマグネシウムもビタミンDも不足してしまう食事しか与えられないし、太陽光にも当たっていないので、どうしてもこれらの栄養素が不足してしまうのだ。だから、病院で出産すると、どうしてもマタニティーブルーを発症しやすいし、それに釣られてマタニティーブルーを発症してもいない母親たちが、自分も発症したと思い込んいるだけなのだ。自分が些細なことで不機嫌になっているだけなのに、マタニティーブルーだ言い出す輩は必ず存在するのである。

●母性ホルモンを整える「ヨモギ茶」

 母性ホルモンは自然出産さえしてくれれば、出産中から大量に分泌され始め、母親らしくなっていくのだ。母性ホルモンの変動に慣れるまで、1ヵ月間近くはかかるので、この期間は激しい運動などすべきではないのだ。ちゃんとした母性ホルモンを分泌させたければ、自然出産に拘って、赤ちゃんが産道を通って出産するように仕向けることである。

 だから、出産時に陣痛促進剤を使ったり、帝王切開手術などしてしまうと、きちんと母性ホルモンが分泌してくれず、それどころか陣痛促進剤の薬害や、帝王切開手術での回復の遅れなどが相まって、出産後の母親のホルモンバランスを崩してしまい、マタニティーブルーを発症してしまうのだ。この薬害によるマタニティーブルーは、出産後の早い段階から鬱状態になるのが特徴的である。

 ホルモンを人為的にいじくってはならないのだ。ホルモンをいじくれば、人間はホルモンバランスを崩してしまうだけなのだ。帝王切開手術だと、赤ちゃんが産道を通らないために、母親が母性ホルモンのシャワーを浴びずに出産を終えてしまうので、どうしてもその後の人生で母性ホルモンの分泌が悪くなってしまうのだ。これらがマタニティーブルーを発症させている原因なのだ。

 マタニティーブルーを発症したという母親たちは、是非とも今後、カフェインの摂取をやめておくことだ。カフェインは脳に高揚感をもたらすという利点がありながらも、摂取しすぎれば精神を不安定にさせ、神経過敏にさせたり、鬱状態にさせてしまうからだ。マタニティーブルーを発症している母親がカフェインを飲んでしまうと、症状を悪化させ、精神病を発症しかねかいからだ。出産を機に、勇気を以てカフェインをやめることだ。

 今まで「珈琲」「紅茶」「緑茶」を飲んでいたのなら、それらに変えて「ヨモギ茶」をお勧めする。ヨモギ茶は婦人病全般に効果があり、母性ホルモンの変動を調整して安定させる効果があるのだ。マタニティーブルーなど簡単に治っていくことだろう。ヨモギ茶は、生理不順にも効果があるし、流産防止にも効果があるし、肥満解消にも効果があるのだ。

●夫婦の会話不足

 マタニティーブルーを発症している母親たちに共通することは、夫婦の会話が圧倒的に不足しているということだ。出産して赤ちゃんができたというのに、夫婦で余り会話しないのだ。下手をすると、赤ちゃんを目の前にして無言ということも有り得るのだ。こういう夫婦の状態だと、母親は悩み事は自分一人で抱え込んでしまい、マタニティーブルーを更に悪化させかねないのだ。

 夫婦の会話というのは、習慣性の産物なので、朝と夜にきちんと会話し続けておかないと、一旦、会話しなくなってしまうと、その後、まったく会話をしなくなってしまうようになってしまうのだ。だから、朝起きたら、「おはよう」の挨拶に始り、朝食時では今日の予定を話し合って、1日の夫婦の会話を良好にしておくことだ。決して夫の前で携帯電話をいじくってたり、夕食後の大事な時間を、夫婦二人で無言でテレビを見て過ごすような日々にしてしまわないことだ。夫婦の会話は日頃から気をつけておくしかないのだ。

 夫の方も妻がマタニティーブルーを発症したなと解ったら、妻の不安を巧く解消させてあげることだ。マタニティーブルーになると、妻の視点がすべてネガティブになるので、妻の発言を巧く切り返して、「大丈夫だよ」と言い続けて、妻が育児において不安感を増大させないようすればいい。とにかく妻の話を聞いてあげることだ。

 それと、妻を散歩に連れ出し、妻を赤ちゃんから離れさせることだ。出産した母親がストレスを抱え込みすぎだ場合、赤ちゃんと離れさせることが、一番の効果になるのだ。母親の頭の中から赤ちゃんを忘れさせ、自分自身の時間を持たせ、その後、再び赤ちゃんのもとに帰ってくると、有り得ないまでにリフレッシュできるのだ。しかも、散歩させれば太陽光に当たるので、ビタミンDが体内で合成され始め、それによってビタミンDの不足が解消されていくのだ。

 そして、妻がマタニティーブルーを発症したなら、今後、病院での出産はやめることだ。次回からは助産院で出産を行うようにし、妻がマタニティーブルーを発症しないように配慮してあげることだ。夫は陣痛促進剤を使用されないために、この薬の恐ろしさを充分に理解していないのだ。出産は自然な形で行うことが、非常に重要なことなのである。

●完璧主義に走る勿れ

 マタニティーブルーの問題が厄介なのは、マタニティーブルーと育児ノイローゼをごっちゃにしてくる母親たちが出現してくることである。マタニティーブルーを発症した場合、栄養素の不足が原因によるものであるならば、どんな食生活を送っても1ヵ月以内には、不足している栄養素を波及できるし、母性ホルモンの変動の場合でも、それほど長期化しない筈だ。

 いつまでもマタニティーブルーだと言い張ってくる母親たちは、もはやマタニティーブルーなどではなく、歴然とした育児ノイローゼなのである。こういう母親たちは、完璧主義的傾向に走っているのだ。育児を自分が思い描いていたように行ってしまい、その育児の仕方が既に精神的に破綻してしまっているのだ。それで育児ノイローゼになっているだけなのである。

 断言して言っておくが、育児は絶対に完璧にならない。初めての育児なら、自分がしたいと思ったことを「20%」できれば大成功なのだ。育児の初心者が初めての育児を行えば、至る所で失敗が続出することは当然だし、育児に関して解らないことだらけなのは当然なのだ。「20%」の出来で良しとすべきなのである。そして次にまた妊娠して、自分が「あの時はああすれば良かったな」「あの時はこうすれば良かったな」ということを、第二子に対してチャレンジしていけばいいのだ。

 育児というのは、育児のことを50%理解できれば、それでもう「一人前の母親」なのだ。ここまで辿り着くためには、やはり3人以上産まねば到達できないのだ。育児に関することを80%解れば、もう育児は終了である。育児のことを殆ど理解しても、やっぱり解らないことがたくさんあるのだ。

 それゆえ、100%の育児というものは、絶対に存在しない。完璧主義の母親たちは、この絶対に存在しない育児を実現しようと躍起になっているだけなのだ。だからこそ、自分の育児が絶対に破綻してしまうのである。「いい母親になるという決意」と、「完璧な母親になるという決意」はまったく別物である。赤ちゃんにとっていい母親は存在しても、完璧な母親は絶対に存在しないからだ。いや、存在させてはならないのだ。

 育児ノイローゼになる母親たちは、「自分の赤ちゃんを愛せない」と言う。しかし、完璧主義に走る母親たちは赤ちゃんを愛していないのではなくて。自分自身を愛していないのだ。育児の初心者なのだから、出来なくて当たり前という当たり前すぎる事実を受け入れようとしないのだ。どの母親たちも失敗を繰り返しながら、母親として成長していくのである。失敗をまったくしないという母親はこの世には存在しないのだ。

 自分自身を愛するということは、「ありのままの自分」をきちんと受け入れるということなのだ。自分が人為的にいじくっている自分ではなく、「そのままの自分」を愛してあげることだ。そのままの自分を愛してあげると、もう後退はなくなるのだ。駄目な自分を愛せないからこそ、より駄目になっていってしまうのだ。

 自分をきちんと愛せない人は、他人をきちんと愛せないのだ。母親が何よりも自分自身を愛しているからこそ、母親の心の中が愛で満たされ、その満たされた愛が赤ちゃんに向かって溢れ出していくのだ。母親の心の中に愛が空っぽなら、母親がどのようなことをしたって、愛は出て来ないのだ。

 育児をすれば変化の連続である。だから、変わることを恐れるな。人間は変わっていくことで、成長していくのだ。人間は変わらなければ、いつまでも立ち止まったままなのだ。いつまでも同じ場所にいたら、いかなる幸せといえども、消え去ってしまうのだ。なぜなら、何も変わっていかないからだ。結婚すれば幸せになれるのではない。赤ちゃんを産めば幸せになれるのではないのだ。人生における幸福というものは、人生という旅そのものを楽しむことなのである。それゆえ、結婚も、出産も、育児も、それらをし続け、楽しむことこそが、実は幸福なのである。変わっていくからこそ、自分の幸せは増え続けていくのである。

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産褥体操 ~母親になっても美しいプロポーションでいるために~

●産後の体型を整える産褥体操

 助産院で出産すると、産褥体操を教えられるが、これをきちんと真面目に教わっておいた方がいい。これは画期的な体操法だからだ。出産というのは、10ヵ月間も続いた体の長い変化であったので、それを出産によって元の体型にすぐさま戻ってくれるわけではないのだ。最低でも1ヵ月間近くはかかるものなのだ。それだけ長い時間を必要とするのである。

 だからといって、この産褥期に安静にしていると、逆に体の戻りが悪くなってしまうのだ。昔から出産を終えた母親にすぐさま家事や仕事をさせたのは、体の戻りを早くするためでもあったのだ。勿論、腰に負担がかかるような作業は絶対にさせなかったが、それ以外の作業であるならば、進んでやった方が体の戻りは早くなるのだ。

 これに対して産褥体操は、出産後の母親たちの体型を整えるために生み出された体操法である。これをやるとやらないでは、その後の人生で大きな違いで出て来てしまうのだ。出産した母親は、出産後、暫くは体型になんの変化も起きないのだが、30代後半から40代前半にかけてお腹の辺りがブクブクと太り出すのだ。お腹にガスタンクがついたような体型になってしまうのだ。こういう体型の持ち主は日本全国至る所で見られるのだが、これは出産によって筋肉が弛んでしまったからであって、この状況を放置していくと、見るも無残な体型になってしまうのだ。

 産褥体操は、産後の体調を回復させるために作り出されたものだが、産褥体操は実は母親の体型を保つためにも絶大なる効果を発揮する体操法なのだ。出産後という大事な時期に産褥体操を行うと、産後の体調が回復するだけでなく、その後の体型をきちんと維持できるようになるのだ。

 出産して母親体型に変化していくからといって、ブヨブヨの体型にまでなるべきではないのだ。母親体型になったとしても、体が引き締まっていれば、美しく魅力的であり、夫からも子供たちからも愛されることだろう。しかし、ブヨブヨの体型になっていたら、夫からも子供たちからも愛されることなく、ただひたすら家事と仕事に追われるだけの人生になってしまうのだ。家庭内を愛で満たすためにも、産褥体操は絶対にやった方がいい。

●ストレッチ

 まずは「ストレッチ」である。筋肉を伸ばすことで、体を元に戻すのだ。重点的に行うべき所は、「脹脛」「太股」「腹筋」「背筋」である。ストレッチをやる際は、体の下の方から上の方へと行っていくことだ。下半身が硬さをほぐすと、自然に上半身の硬さもほぐれていくからだ。

 意外なことかも知れないが、妊娠と出産を通して下半身はかなり硬くなっているのだ。それだけ胎児の体重が下半身にかかっていたのだ。それをストレッチで巧くほぐしてあげ、体を柔らかくしてあげるのだ。脹脛を伸ばす方法は、立って足を前後に開いて、アキレス腱を伸ばす要領で伸ばしていけばいい。太股を伸ばす方法は、寝っ転がって、足を折り畳んで伸ばしていけばいい。最初はかなり体が硬くなっているので、始めの内は痛くなったらやめればいい。何度も繰り返しながら伸ばしていけばいいのだ。

 腹筋と背筋は妊娠と出産で直接に使った筋肉なので、丁寧にストレッチを行っていくことだ。腹筋を伸ばす方法は、うつ伏せになって寝て、両手を地面について、上半身を起こしていけばいい。思いっきり腹筋を伸ばしきることだ。そして体を左右に振って、より腹筋が伸びるようにすることだ。

 背筋を伸ばす方法は、立った状態で上半身を折り曲げて、手を地面につけて、背筋を伸ばしていく。上半身を左右に振って、より背筋を伸ばしていくのだ。背筋を丁寧に伸ばしていくと、肩コリがなくなるので、赤ちゃんに授乳する際に非常に楽になるのだ。育児をしていると背筋に負担がかかってくるので、どうしてもコリが生じてしまう箇所なので、妊娠と出産で生じたコリを解きほぐしておくことだ。

 ストレッチはできる限り毎日やった方がいい。人間は睡眠をした後は、体が硬くなっているので、朝のうちにストレッチをしてしまうことだ。寝起きの際に、ちょこっとストレッチをしてしまえばいいのだ。NHKの教育テレビでは毎朝6時30分から「ラジオ体操」をやっているので、ラジオ体操のついでにストレッチをしてしまえば、1日中、体が軽くなり、スムーズに動けるようになるのだ。

●腹筋を鍛えて、ウェストを締める

 出産を終えた母親にとって、腹筋はもっとも注意が必要な場所である。育児で気を取られている間に、腹筋は徐々にだらしくなくなっていき、気がついたらブヨブヨの体になってしまうからだ。腹筋こそ、妊娠と出産で使いまくった筋肉であって、ここをきちんと鍛えておかけば、母親体型になっても美しいプロポ-ションを得ることができるのだ。

 腹筋の鍛え方は、非常に簡単で、筋肉トレーニングで徹底的に腹筋を鍛えていくことだ。最初は自分ができる回数でいい。しかし、慣れてきたら、100回以上は必ず行うことだ。腹筋を鍛える日を「月曜日」「水曜日」「金曜日」と定めてしまい、何があっても必ずそれらの日に行うことだ。筋肉トレーニングは習慣性を以て行うと、絶大なる効果を発揮してくるのだ。

 腹筋を鍛える目的は、腹筋の筋肉をつけるだけでなく、腹筋を鍛えて、平らなお腹にすることなのだ。赤ちゃんのいる母親は、腹筋を鍛えない限り、平らなお腹にはならないのだ。これがどんなに悲惨なことになるかは、平らなお腹でないと、洋服が全然似合わなくなってくるのだ。洋服はお腹が平らだと、自然と奇麗に着こなせるようにできているので、化粧やエステにお金と時間をかけるくらいなら、せっせと腹筋を鍛えていった方が、より美しくなれるのだ。

 美しさの要は、腹筋にこそあり! だから、鍛えまくってウェストを締める。ウェストの締め方は、寝っ転がって、上半身を斜め上に上げ、両膝をつけて膝を起こし、その両膝を左右に振り落としていく。こうすると、腹筋と側筋が鍛えられ、ウェストが引き締まっていくのだ。

 腹筋を鍛え、ウェストが引き締まっていると、母親であったとしても、見事なプロポーションを作り出せることができるのだ。子育てをしていると、自分の交友関係が他の母親たちに限られてきてしまうので、その母親たちの中に埋もれていると、自分の体型のことなんか忘れてしまいがちだ。しかし、気づいた頃には見るも無残な体型になってしまっているのだ。だから、定期的にせっせと体を鍛えていくことだ。体は鍛えれば鍛えるほど、美しくなっていくのだ。

●骨盤を閉じさせる

 出産をした母親たちが太り出すのは、出産によって骨盤が開いてしまったからなのである。骨盤が開いていれば、何をどうしようとも太ってしまうのだ。骨盤が開くということは、全身に肥満を指令してしまうということなのだ。だから、出産によって生じた骨盤の開きを閉じさせるのだ。

 遣り方は非常に簡単である。まず寝っ転がって、両足を上げる。その両足の親指をくっつけたまま地面に落としていき、地面に落ちる前で寸止めする。そして両足をそのままの状態にして、すべての息を吐ききって、息を止める。その後をストンと両足を落として、そのままの体勢で思いっきり息を吸い込んでいく。これを3回ほど繰り返すのだ。

 朝起きた時とか、夜に寝る前にやれるものである。これを毎日繰り返すだけで、骨盤がきちんと自然な形で閉まるのだ。女性にとって嬉しいのは、骨盤を閉じるということは、絶大なるダイエット効果があるということだ。骨盤が閉じていれば、多少大食いしたとしても肥満にはならなくなるのだ。

 この骨盤が開いているか閉じているかで、女性の肥満は決まってしまう。だから、女性は出産したら骨盤を閉じる運動を行って骨盤を閉じることだ。それから、日頃から正しい姿勢を保つことだ。椅子に座った際に足を組んだり、床に座った時に胡坐をかいていると、骨盤が開いてしまい、肥満になっていってしまうのだ。骨盤が開いていれば、いかなるダイエット法をやっても、一時的に体重を落とせるだけで、すぐにリバウンドしてしまうのだ。

 自分の周りにブヨブヨの体型をした母親たちが多ければ、「出産したら、自分もああいうふうになるのかな?」と思ってしまいがちだ。しかし、出産して肥満になってしまった母親たちは、きちんと産褥体操をしていなかったから、自分の体型を物の見事に崩してしまったのである。産褥期にきちんと産褥体操をしておけば、母親体型になっても、新たな美しさを手に入れることができるのだ。

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出産後の体型変化

●母親体型は育児をしやすい体型

 母親は出産をすると、体型が徐々に変化していく。今までスマートだった体型が重点を下に落としていく体型に変化していくのだ。赤ちゃんを持ちやすい体型になり、育児をしやすい体型になっていくのだ。母性ホルモンの分泌によって、母親の体型が育児に適するように変化していくのだ。

 出産したからといって、決して肥満になったわけではないのだ。赤ちゃんを育てるべく、育児をしやすいように変化していくのだ。これには民族の差は余りないのだ。どこの国の母親たちも、どっしりとした体型をしている。母性ホルモンの影響を受ければ、当然にこのように体型が変化していくものなのだ。

 既婚女性が赤ちゃんを産んだにも拘わらず、スマートであり続けるというのは、褒めたものではないのだ。それはきちんと母性ホルモンが分泌されていないという証拠のようなものであり、育児においてトラブルが発生している筈だし、夫婦関係も巧く行っていない筈だ。母性ホルモンを正常な形で分泌していないために、母性愛が不足していまうのだ。

 出産して母親体型になっていくことは、何よりも自分自身の健康を守るためには必要なのだ。女性ホルモンは33歳でピークに達し、その後、高濃度で分泌され続けるのだが、この副作用のために体が冷え切ってしまうのだ。この副作用を防止するのは、母性ホルモンであって、母性ホルモンの体を温める効果を使って、女性ホルモンの副作用を相殺させるのだ。

 もしも、女性が出産せず、母性ホルモンを分泌させなければ、体が冷え切ってしまい、「乳癌」や「子宮癌」、「胃癌」「腎臓癌」「肝臓癌」「肺癌」「白血病」「脳溢血」「脳卒中」「心筋梗塞」などを発症してしまい、命を落としてしまうのだ。それだけ体が冷え切ってしまっているのだ。

●乳房とお尻がでかくなる

 赤ちゃんを産むと、乳房がでかくなり、巨乳になっていく。微乳の女性であったならば、生まれて初めて巨乳を味わえるのだ。乳房がでかくなるのは、赤ちゃんに母乳を与えるためで、この間に充分に母乳を与えておかないと、後には自分が乳癌で苦しんでしまうことになるのだ。乳癌は乳管内部が癌細胞化して発症してくるので、赤ちゃんに充分に授乳をしておけば、乳癌など罹らなくなるのだ。母乳ではなくミルクで育ててしまうからこそ、自分が乳癌を発症してしまうことになるのである。

 出産後は当分の間、ノーブラでいるだろうが、何かしらの外出をする際には、ブラジャーが必要になってくる。その際は昔に自分がつけていたブラジャーを使うのではなく、新たにブラジャーを購入して、ブラジャーを適正なサイズに変えることだ。ブラジャーの適正サイズはなかなか素人では判定できないので、必ずお店の店員の人に聞くことだ。サイズの違うブラジャーをつけていると、肩コリの原因になるのだ。この肩コリは、生活ができなくなるくらいの痛みを発してくる肩コリなので、発症してしまうとまともな生活ができなくなってしまうのだ。

 出産して大きく変わる部分が、お尻である。出産して骨盤が広がったということもあるが、お尻がでかくなることで、赤ちゃんを持ちやすい体型になるのだ。お尻の大きさは、ちゃんと育児をしているかのは、判定基準になるのだ。お尻の大きな母親は、それだけ真剣に育児に取り組んでおり、母性愛がたっぷりと出て来ているのだ。

 注意すべきは、お尻が大きくなったにも拘わらず、昔、穿いていた小さなパンティーを穿いてくることだ。こういうことをしていると、小さなパンティーが内臓を圧迫して、便秘の原因になってしまうのだ。母親たちのウンコが非常に臭いのも、小さなパンティーを穿き続けていることが原因なのだ。勇気を出して、自分の大きくなったお尻にフィットしたパンティーを購入しよう。

 お尻が大きくなってしまうと、肥満によって自分自身のお腹も出て来てしまったことに気づかない傾向にある。大きくなったお尻に腹筋や背筋が未だ適応できていないので、ズルズルとした形でお腹が出て来てしまうのだ。だから、お尻がでかくなったとしても、お腹が出て来ることは許さないようにし、筋肉トレーニングで腹筋や背筋を鍛えておくことだ。

●少しは脂肪をつけた方がいい

 出産すると、多少は太る。ついてしまった脂肪は、女性ホルモンや母性ホルモンの分泌を適正化するために重要な役割を果たしているので、脂肪を目の仇にして、脂肪を落としてしまうようなことはしないことだ。脂肪を減少させてしまうと、ホルモンバランスが崩れてしまい、精神に異常を来たすし、体の様々な部分で病気を発症してしまうようになるのだ。

 増えていく脂肪で危険なのは、そのまま肥満になってしまうことである。多少の脂肪はついても構わないが、肥満は厳禁である。肥満はこれもまた過度のダイエットと同じく、様々な病気を発症してしまうからだ。脂肪が増えても、美しくいたいと思うなら、定期的にサウナに入って汗を流すことだ。多くの肥満は脂肪太りではなく、水太りだからだ。体内の余分な水分を排出するだけで、体は引き締まり、増えた脂肪は醜くならないのだ。それよりも増えた脂肪のために、魅力が増してくるのだ。

 母親にとって必要な脂肪は、体についたとしても、健康に寄与し、自分を更に美しくしてくれるものなのだ。だから、日頃から鏡の前で全裸になって自分のプロポーションを確かめておくべきだし、夫の前で裸になったり、水着を着て海水浴をするなどすることだ。自分の目で確かめ、他人の目線を気にしていれば、そう簡単に肥満にはならない筈だ。

 女性の場合、ブヨブヨの脂肪がついてしまうのは、間食と運動不足にその原因があるのだ。母親が三度の食事を大量に食べても、間食さえ食べなければ、決して太らないのだ。食事と食事の合間に間食をパクリと食べるからこそ太るのである。お菓子を食べたいのであるならば、食後のデザートとして食べればいいのだ。そうすればお菓子を食べても太らないのだ。

 育児をしていると、「体力を使っているな」と殆どの母親たちは思うだろうが、しかし実は育児は体力を余り使っていないのだ。育児を終えた母親たちの体力測定を行うと、どの母親たちも体力を大幅に落としているのだ。母親たちが使っていたのは体力ではなく、実は気力なのだ。赤ちゃんは四六時中、目が離せないので、どうしても気力を使いすぎてしまい、疲労してしまっただけなのだ。

 このため、育児をしている母親たちは、運動不足の状態にあるので、赤ちゃんが育って3歳くらいを過ぎたあたりからブクブクと太り出してしまうし、早い人は出産後から太り出してしまうのだ。だから、育児をしていても、自分が運動をすることを忘れないようにし、赤ちゃんを連れて散歩に出かけるとか、赤ちゃんが眠っている間に筋肉トレーニングをして体を鍛えていくことだ。

●出産直後に骨盤矯正を行うな

 女性も若いうちに出産してしてしまうと、どうしても自分の体型が母親体型になっていくことを受け入れられない精神状況にある。未だに精神的に独立できていないために、自分が母親になることを拒否してしまうのだ。そのため出産直後に骨盤矯正を行い、無理矢理に骨盤を締めてしまうことで、自分が母親体型にならないようにしてしまうのだ。

 この骨盤矯正は、骨盤は締まっても、後になって悪性の「腰痛」や「膝痛」になるので、絶対にやめておくことだ。確かに母親体型にならず、未婚女性のような体型を維持することはできるけれども、その代償は物凄く高くつくのだ。骨盤で血液が作られている以上、一体どのような後遺症が出て来るか解らないのだ。やはり出産で開いた骨盤は、自然に閉じるように仕向けた方がいいのだ。

 出産で開いた骨盤は、産後1ヵ月間かけてゆっくりと元の状態に戻っていくのである。その間に母親がすべきことは、睡眠時間を多く取っておくということだ。睡眠時間を多くすれば、骨盤に充分な時間を与えることができ、安全な形で戻ってくれるのだ。それゆえ、産後1ヵ月間はどんなことがあっても、睡眠時間を7時間30分間は取っておくことだ。そうすれば骨盤は元に戻り、母親は健康を手にすることができるであろう。

 新米ママにとって、自分の体型が変化していくということはなかなか受け入れられないものだ。しかし、その体型の変化は育児をする上で必要だからこそ、変化していくのである。マスコミでは出産しても未婚女性のようなスマートなプロポーションを持った女性を称賛しがちだが、そういう女性たちはまともな育児をしていないのである。育児をしていれば、それに適した体型に変わっていくことは当然なことだからだ。

 出産したら、未婚の女性の体型でいるのではなく、母親らしい体型になり、その体型に自信を持つことだ。変化を拒むのではなく、変化を受け入れ、その変化の中で新たな自分の美しさを模索していけばいいのだ。若い女性たちだけが美しいわけではないのだ。母親には母親なりの美しさがあるのだ。ただ、その美しさに気づいていないだけなのだ。その美しさに気づいてしまえば、その美しさがどんなに素晴らしい美しさということがきっと解る筈だ。

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産褥期における体力の回復

●産褥期に起こる症状

 日本民族は、古来より産後の体調回復には1ヶ月はかかるものと見てきた。昔から恐れられてきたのは、「産褥熱」であって、この産褥熱のために多くの産婦たちが命を落としてきたのだ。どの神社に行っても安産祈願を扱っているので、いかに産褥熱が出産直後の母親たちを苦しめたが解る。

 産褥熱は産後2週間以内に発熱と悪露が出たら、産褥熱と推定される。産褥熱は出産中に細菌感染してしまい、それが引き金になって発症してしまう。日本は仏教の影響を受けて肉食を禁止してきたために、極端に動物性蛋白質の少ない食事をし続けてきたために、栄養バランスが非常に悪く、それが免疫力の低さになって現われてきてしまったのだ。明治維新によって廃仏毀釈がなされたので、それによって肉食の禁止が解かれ、そのために産褥熱で死ぬ女性たちが激減していった。現在でも菜食主義者の女性や、肉を食べても野菜を食べない女性や、頻繁に風邪をひいている女性は、出産時に産褥熱に罹りやすいので、要注意である。

①腰痛

 産褥熱に罹りさえしなければ、出産直後の母親が恐れるもの何もない。とにかく無理な作業をせず、体調の回復に努めることだ。昔から「産後20日は床上げするな」と言われてきた。床上げすることすら、この時期の母親はしなくていいとしてきたのだ。この時期に無理に体を動かすと、腰痛になってしまうのだ。出産して開いてしまった骨盤が元に戻るまで2週間から3週間かかるので、この時期に無理な力がかかると腰痛になってしまうのだ。

②悪露

 それから悪露が出て来る。悪露は、産道の分泌物や、子宮や膣から血液や細胞が排出されるものであって、産後5日までは血液が混じったものが出る。悪露は産後1ヶ月近く出て来る。悪露の排出を見ても、母親の体調回復に1ヵ月はかかるというのが良く理解できる

③尿漏れ 残尿感 頻尿

 尿漏れや残尿感や頻尿も、1ヵ月近く続くことになる。出産後は長らく尿意を感じたら、すぐに便所に行くことだ。体が修復のためにエネルギーを使っているので、不要な水分が排出されるのだ。小便の回数が少ないと、膀胱炎になったり、それが悪化して、腎盂炎になったりすることがある。

④痔

 出産後の母親は、月経が来ないために、痔に成り易い。月経によって排出される汚い血液が排出されないために、どうしてもその汚い血が肛門に集結してしまいやすいのだ。月経が来るまでは、痔にならないように、肛門だけは排便をするたびにきちんと洗うことだ。そして、栄養バランスの取れた食事を取り、運動をきちんとし、睡眠をきちんと取ることだ。

●簡単に気力を回復させる「気力集中呼吸法」

 出産した直後は、いかなる母親といえども、げっそりとしてしまうのだが、それだけ出産で体力を消耗したということである。それと出産で「気力」が出き切ってしまっているのだ。この気力が出て行ってしまったために、体力の回復が遅れてしまうのである。だから、気力を回復させてあげれば、体力の回復も早くなるのだ。

 簡単に気力を回復させる方法として、「気力集中呼吸法」というのがある。胸式呼吸ではなく、腹式呼吸にして、息を吐くのに「20秒」、息を吸うのに「20秒」、息を止めるのに「20秒」、これを3回繰り返すのだ。3分で出来てしまう。これを朝と晩、必ず行うのだ。これをやると気力が回復してくるのだ。

 息を吐いた時は、すべての空気を吐ききるようにすることだ。そうすれば自然と大量の空気を吸い込むことができるのだ。その吸った空気を臍の辺りに溜め込むようにして落としていくことだ。そして息を止めて、気力が充実するようにすると、気力が充実して、気力が全身を駆け巡ることになるのだ。

 赤ちゃんに授乳する際、どうしても下を向いてしまい、口呼吸になり、しかも、呼吸が浅くなってしまうのだ。更に猫背の女性であるならば、呼吸は非常に浅いものになってしまい、体調回復のための酸素が足りなくなってしまうのだ。授乳する際は胸を張るようにして授乳し、母親本人は鼻呼吸を心掛けることだ。

 産後に病気を発症する母親たちのほとんどは、口呼吸をしているのだ。口呼吸だと外界の細菌がそのまま体の中に入ってきてしまうために、出産で弱り切っている母親たちの体を直撃してくるのだ。だから、呼吸をする時は、必ず鼻呼吸にし、できれば朝と晩に深呼吸をして肺活量を大きくしていくことだ。

●産後1週間はあっさりした和食を食べること

 出産して体力が消耗しているからといって、油っこい肉料理を食べるのは、寧ろ逆効果になってしまうのだ。産後1週間はあっさりとして和食を食べた方がいいのだ。これは経産婦たちの経験則なのだ。あっさりした和食の方が体力の回復が早くなるのだ。経産婦たちが色々試してみて、獲得した結論なのだ。

 和食を食べる際は、白米にしないで、「押麦入り玄米食」にし、「ワカメの味噌汁」を多目に飲むことだ。糠漬けを出して、糠漬けを大量に食べることだ。こうすると体力の回復が早くなるのだ。押麦入り玄米食だと、体を弱アルカリ性にしてくれるので、体の修復が早くなるのだ。ワカメの味噌汁には葉酸がたっぷりと入っているので、母乳の出が良くなるのだ。糠漬けは大腸の腸内環境を良くするので、修復に必要な奇麗な水分を充分に供給できるようになるのだ。

 出産すると、「カルシウム」と「マグネシウム」が多いに失われてしまうので、これらのミネラルの補給に努めるべきだ。カルシウムを補給したければ小魚を食べ、ゴマを食べ、ヨーグルトを食べればいいのだ。マグネシウムは、「いちじく」「アーモンド」「ナッツ」「バナナ」などでこれらをきちんと摂取していくことだ。

 子供を産んだ女性が、虫歯になってしまったり、骨折をしてしまったり、骨粗鬆症になってしまうのは、出産してカルシウムとマグネシウムをきちんと摂取しないからである。日本の土壌は火山灰質なので、どうしても土の中にカルシウムが不足しており、そのため、通常の食事をしていたら、カルシウム不足になってしまうのだ。マグネシウムに至ってはカルシウム以上に深刻で、日本で「いちじく」や「バナナ」がなぜ食べられるようになったかといえば、マグネシウム不足だからだ。

 更に追い打ちをかけたのが、白米を食べる習慣を持ってしまったことだ。白米を食べると体が酸化してしまうので、カルシウムとマグネシウムが流れ出してしまうのだ。そのために、虫歯や骨折や骨粗鬆症になってしまうのだ。白米をやめて、押麦入り玄米食にすると、これらの症状をピタリと止まってしまうのだ。

●産後の鯉は百人力

 昔から、「産後の鯉は百人力」といわれてきた。赤ちゃんが生まれたら、母親に鯉料理を食べさせて、体力の回復を図ったのであろう。この産後の母親に鯉料理を食べさせるのは、現在では医者たちによって科学的根拠はないと断定されて否定されてしまっている。

 しかし、仏教の肉食禁止の影響があった頃には、鯉料理を食べることは、貴重な動物性蛋白質の補給になっただろうし、鯉に含まれている泥臭いミネラル分が、産後の母親に物凄く良い効果をもたらしたことは間違いないのだ。鯉を食べること自体も、恐らく「登龍門」の故事に基づいたものであり、鯉が滝登りをして龍になったように、母親がその鯉を食べることで、赤ちゃんの立身出世を願ったのであろう。

 産後の母親に鯉料理を食べさせる習慣は、科学的根拠がないからといって否定しまわないことだ。昔の人々が、産後の母親に鯉料理を食べさせることで、母親の体力の回復を願った、その思いをきちんと継承していくべきだろう。実際、産後の母親に鯉料理を食べさせてあげれば、いかなる母親だって嬉しくなる筈である。

 男性と女性とでは気の巡り方が違う。男性は気を放出させようとし、女性は気を溜め込もうとするのだ。女性にとって出産は、気を放出したことがないのに、赤ちゃんを産むために気を放出してしまうのだ。だから、気の回復には、1ヶ月近くかかってしまうのだ。それゆえ、昔の人々は産後の母親に床上げをさせなかったり、鯉料理を食べさせたりして、元気に回復することを願ったのである。

 母親の体調が回復すると、育児は巧く行き出す。出産してしまうと、赤ちゃんのことばかり気になってしまうものだが、母親自身も1ヵ月近くは体調が万全にはならないのだから、自分自身の体調の回復には充分に気を使うことだ。母親の体調が回復してしまえば、育児をするのが非常に楽になっていくのだ。

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育児において、「自分ができる!」と口癖にすれば、すべての苦難を克服できる

●育児放棄のための言い訳を作るな

 物事を始めるのに最大の障害となるのは、自分が行動を起こしていないのに、「出来ない理由を探し出してしまうこと」なのである。子供のいない女性たちに訊いてみればいい。なぜ、子供を作らないかといえば、「お金がないから」「働けなくなるから」「公的機関による育児支援が整備されていないから」と、わけの解らない理由をあげてくる。多くの夫婦は子供を産んだことを境に年収を激増させているのである。今では育児をしながらでも働いている既婚女性の方が多いのだ。自分たち夫婦が赤ちゃんを育てていくのに、一体なぜ公的機関の育児支援が必要となるのか?

 赤ちゃんを産んだ既婚女性でも、精神的な自立が終わっていなければ、「お金がないから育児が大変だ」「自分が母親として成熟していないから育児が大変だ」「夫が育児に協力してくないから育児が大変だ」と騒ぎ出すのである。自分が育児をするために行動を起こすことを一生懸命になっているのではなく、育児を放棄するための理由を探し出すことに一生懸命になっているのだ。

 貧困というのは、育児放棄をする理由になることはないのだ。赤ちゃんが生まれたら、男子たるもの発奮して働き出すものなのだ。今までは自分のためという理由で働いていたからこそ大した働きができなかったが、自分のためではなく妻子のためという考えに立てることができれば、勇猛果敢に働くことができるのだ。もしも夫が働かなかったり、稼ぎが低いとすれば、その妻が夫を励ましていないからなのである。お金が欲しければ、夫を応援することである。そして家計簿をしっかりとつけて、無駄な出費を抑えればいいのである。

 どの母親も育児を開始した当初は、未熟者である。しかし、育児を遣り続けることで育児が上達していき、巧くなっていくのである。育児を巧くしたいのであるならば、地道に取り組んでいくしかないのである。地道にやっていれば、解ってしまうものなのだ。育児に難しい所なんて何もないのだ。やらないからこそ、解らないだけなのである。

 夫が育児に協力してくれないことで嘆く母親たちは、自分が主体性を持って育児に取り組んでいないからである。自分が主体性を持って取り組めば、育児の面白みが解ってくるし、その面白みは周囲に伝わっていくものなのだ。赤ちゃんに無関心な男性でも、隣で妻が楽しく育児をしていたら、「俺にもやらせろ」と言い出すものなのである。それなのに自分で育児を楽しまず、夫が育児を手伝ってくれないと嘆くからこそ、夫は余計に育児を手伝わなくなってしまうのである。

●育児の苦難は母親が克服するために存在する

 世の中が行き詰まり、人々の精神が腐敗してくると、「赤ちゃんの育て方が解らないから、赤ちゃんを作らない」と言い出す「救いようのないまでの愚かな夫婦たち」が現われてくるのだ。新婚当時に赤ちゃんの育て方を知っている新婦などいないのだ。しかし、自分は妊娠して出産してしまえば、赤ちゃんを育てて行かねばならず、育児をやっていれば自然と育児の仕方が解ってくるのである。

 できないからこそ、「自分はできる!」と言うべきなのである。できなくても、「自分ができる!」と言い張っていれば、いつの間にかできてしまうようになるのだ。できない理由を探し出して逃げていれば、いつまで経ってもできないのは当り前のことなのだ。いくら逃げたって、自分は何も成長することができず、同じようなことを繰り返す日々にしかならないのだ。

 育児をやっていれば苦難が発生してくる。しかし、育児の苦難というものは、母親が克服するために存在するのだ。育児の苦難を一つずつ克服していくことで、母親として成長していくことができるのだ。苦難を目の前にして逃げていたら、いつまでも未熟な母親のままだし、それ以上に赤ちゃんの生命が危機に晒されていることだろう。

 苦難を目の前にして、それを克服していく。たとえ赤ちゃんが小児性癌や小児性白血病になっても、看病し続けてしまうのが、「母親の在るべき姿」なのである。それなのにいつも自分が中途半端な気持ちでいるからこそ、自分の赤ちゃんが健康なのに育児を放棄することを考えたり、育児を放棄してしまうのである。

 育児というものは、育児のコツを覚えてしまえば、少ない労力でできるようになるが、そのレベルに到達するまでには、エネルギーを必要以上に投入してしまうものだし、身も心もクタクタになってしまい、疲労でグッタリしてしまうことだろう。しかし、そういう全力投球の育児をしたからこそ、途端に育児の面白さが解り、育児の仕方が上達してくるのである。

●他人の目よりも、自分の本当の心に素直になれ

 育児において「正直」という倫理は、絶対的重要性を持ってくる。正直は、単に嘘を言わないというものではなく、自分自身に対して正直であるということである。育児の遣り方が解らないのであるなら、正直にそれを認めてしまうことである。育児が面白くないのであるならば、正直に面白くないと認めてしまうことである。育児の遣り方が解らないのに、それを誤間化したり、育児が面白くないのに、それを誤間化さないことだ。誤間化せば、育児の上達はピタリと止まってしまうのである。

 たとえ、赤ちゃんを産んでも、1人目なら、まだ母性ホルモンが大量に分泌されていないので、母親らしくはなってはいのだ。勿論、自分自身が自分の母親から充分に母性愛を注がれて育ったなら、自分の心の中に母性愛の蓄積があるから、足りない母性愛をそれで補うことができる。しかし、自分が自分の母親から充分に愛されていなかったら、自分が赤ちゃんを産んでも、それを喜べないし、愛せないし、育児の遣り方だって覚えようとはしないものだ。

 だが、そんな心の内は誰も解らないのだ。自分で正直に言わない限り、自分が赤ちゃんを愛せないのなら、正直に言うべきなのだ。自分が赤ちゃんを育てることに喜びを見い出せないなら、正直に言うべきなのだ。自分の育児の仕方が上達しないのなら、正直に言うべきなのだ。自分が正直に言えば、何かしらの解決策は見つかるものなのだ。自分が心の中で悶々としていたら、問題は悪化していくだけなのだ。

 他人の目からどう思われても構わないのだ。他人の眼よりも自分の心に正直になればいいのだ。いついかなる時も大事なのは、自分自身であって、決して他人ではない。育児をしていてつまらないと思うなら、正直にそれを認めればいいのだ。育児をして面白いと思うなら、正直にそれを認めればいいのだ。他人のいかにも偽善的な言動に惑わされないことだ。自分がいくら育児を楽しんでいても、育児をつまらなくさせる他人の意見というものはいくらでもあるのだ。

 自分の本当の心に忠実になる。その態度を貫いていると、自分にとって本当の幸せを見つけられることができるのである。育児の本当の楽しさは、はっきりといってしまえば、当初はそれほどでもないのだ。しかし、自分が正直になっていると、何かしらのトラブルに出くわし、それを契機に育児の本当の面白さが解ってくるのだ。

 多くの母親たちは、この正直という美徳を忘れてしまっているのだ。だから、自分が育児をしても、育児の本当の面白さを見つけられないし、折角、育児をして育てあげた息子や娘が結婚拒否するような人生を送ってしまうのだ。子供たちは母親から育てられたかもしれないが、母親の歪な心の反動で、いつまで経っても結婚できない大人たちになってしまったのだ。

●大事なものは忍耐力

 赤ちゃんを産んだ母親が、育児の本当の面白さを獲得するためには、自分が正直になって、地道に努力し続けていくしかないのである。いかなる物事でも大事なのは、忍耐力であって、成功は倦まず弛まずの努力によって得られるのだ。地道に努力し続けていると、或る日偶然に育児の本当の面白みが解ってくるのだ。

 育児の巧い母親たちは、育児だけが巧いのではないのだ。育児の仕方が巧いということは、自分に対して正直だし、地道な努力をする習慣が身についていることだから、家事をやらしても巧いし、仕事をやらしても巧いのだ。育児というのは、育児の世界だけに留まることはないのだ。育児が上手なら、家事だって仕事だって巧くなるのだ。

 だからこそ、昔から結婚して子供がいることを以て、一人前の男女と看做したのである。この審査基準は現在でも充分に通用する審査基準である。どんな考えを持とうとも、どんなことを言った所で、どんな功績を立てた所で、結婚もせず、子供がいなければ、いつまで経っても半人前なのだ。

 だからといって、結婚すれば必ずしも幸福になれるわけではない。結婚しても、離婚してしまう男女だって出て来るのだ。では、一体何が違ったのか? 離婚してしまった女性たちは、結婚をバラ色で始めたのに、自分たちの結婚を改善向上させていこうとする気がなかったから、結婚を破滅させてしまったのである。結婚して幸せになった女性たちは、結婚をバラ色で始めたが、自分たちの結婚を改善向上させていったからこそ、桜の花が満開になるような結婚にできたのである。

 結婚して不幸になるのと、結婚して幸せになるのは、たったこれだけの差なのである。地道に改善向上させ続けるだけで、より多くの幸せを掴んでいくことができるのである。自分が正直にならず、忍耐力が欠けてしまえば、幸せになれる筈の結婚ですら、自らの手で破壊してしまうものなのだ。いかなることがあっても、自分に正直になり、忍耐力を発揮して、倦まず弛まずの努力を行っていけば、人間は誰だって幸せになっていくものなのだ。

●他人に尽くす喜び

 育児を開始すれば、戦場のような日々になるのは、当たり前なのだ。赤ちゃんに授乳させるのも、赤ちゃんのオムツを交換させるのも、赤ちゃんを沐浴させるのも大変なことだろう。静まり返った夜中に夜泣きされてしまえば、睡眠妨害になるのは当然なのだ。しかし、どんなことがあっても、赤ちゃんをすくすく育てることを最優先する。そして、それを家族の幸せの土台にする。そうすると、その家族の中で幸福が満ちるようになり、幸福が溢れ出していくのである。

 本当の幸せは、実はその当時は幸せとは感じられないのである。育児をやっていれば、一つ一つの作業に幸せを感じることはないだろう。しかし、その幸せと感じられない幸せこそが、本当の幸せなのである。自分が晩年になって、自分の人生を振り返った時、子供を育てていた時期が、一番幸福な時期だったと思い返すことだろう。育児をしている時は悪戦苦闘していても、時が過ぎ去った時、あの日々こそが楽しかった鮮やかな記憶として蘇ってくるのである。

 だからこそ、育児を逃げ腰で行うのではなく、真正面から向き合って真剣になって育児に取り組めばいいのである。未熟者であっても、「私はできる!}と言い張って取り組んでいけばいいのだ。我武者羅になって突っ込んでいけば、いつの間にか育児のプロになっているものなのだ。そして、一つのことに秀でれば、大方の望みを実現できるようになるのだ。何か一つ自分が秀でてくる分野がないからこそ、いつも逃げ腰になってしまい、出来ない理由を探し出すだけの人生を送っていたただけなのである。自分が育児のプロになってしまえば、そういう逃げ腰の人生とはオサラバできるのである。

 自分自身の殻の中に閉じ籠っていたら、いつまで経っても成長はないのだ。自分が幸福になりたければ、自分のために生きるのではなく、他人に尽くす喜びに目覚めることだ。他人に尽くす喜びに目覚めれば、自分が古い自分の殻を突き破って、成長していき、いくらでも幸福を掴んでいけるものなのだ。

 自分のことしか考えていないと、何もできなくなってしまうのだ。他人のために尽くすからこそ、様々なことができるのである。今まで利己的に生きてきた者が、他人のために尽くす生き方をすれば、苦難が出て来るのは当然なのだ。いかなる苦難が訪れてきても、自分が正直になって、自分の忍耐力を発揮して、地道に努力し続けていくことだ。そうすれば、いかなる苦難であったとしても、その苦難を克服できるようになり、自分を成長させていくことができるのである。

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育児を幸せなものにするための「母親の精神的態度」

●育児の幸せは「母親の精神的態度」で決まる

 育児の幸せというものは、母親の精神的態度で大方決まってしまうものなのだ。母親が「自分は幸せになる!」「赤ちゃんを幸せにする!」「夫を幸せにする!」と覚悟を決めてしまえば、どんなことが訪れてきても、自然と幸せになっていくのである。たとえ、不幸が訪れててきたとしても、それは母親自身の活躍にやtって克服され、幸せを彩るものでしかなくなってしまうのだ。

 人間は精神的に自立していなければ、自分の不幸の原因をすべて他人や環境に求めてしまうものだ。当然、「自己責任」で生きるのではなく、「責任転嫁」で生きようとし、「唯心論」で生きるのではなく、「唯物論」で生きようとしてしまうのだ。曰く、「赤ちゃんが泣きやまない」「夫が育児を手伝ってくれない」「姑が憎たらしい」「育児をするのにお金がない」。挙句の果てには、「日本は男社会だから育児ができない」と意味不明な理由まで持ち出してくるのだ。

 精神的に自立できていなければ、不幸はいつまでも続くものなのである。自分が自立していないからこそ不幸なんであって、自立できていない女性たちの意見を聞いて、他人の態度を変え、環境を変えても、決して幸せにはなれないのである。なぜなら、従属状態にある女性たちは、求める側に回っているからである。人間は求める側に回ったら、不平不満しか出て来ないものなのだ。「赤ちゃんが思い通りに育ってくれない」「夫が何もしてくれない」「姑が育児の邪魔をする」と、自分が一生懸命になって育児をするのではなく、一生懸命になって他人の言動を批判することに熱中しているだけになってしまうからなのである。

 男女が結婚するというのは、そういう他人のせいにしたり、環境のせいにしたりする人生にオサラバし、自分たちで幸せを創っていこうとする決意を固めたからこそ、幸せな結婚ができるのである。結婚できたことが幸せなのではなく、夫婦が手を取り合い、力を携えて、自分たちの幸せを創っていくからこそ、いくらでも幸せを獲得できるのである。

 夫婦が自立を終えて、精神的に独立できたからこそ、そういう心境に立つことができるのである。人間は従属状態から自立へ、自立から独立へとは、決してスムーズにいくものではないのである。孔子ですら、「三十にして立つ」と言ったくらいである。ということは、孔子といえども、30歳以前は完全に自立できていなかったということなのである。10代や20代は色々と悩み事を抱えてしまうものだが、そうやってフラフラの人生を歩んでいくと、或る日突然、パッと視界が開け、悩みが吹き飛んでしまうのである。その時が、完全に自立できた瞬間なのである。

 女性は自立できなければ、絶対に結婚しようとしないものだ。なぜなら、未だ幸せを求める側にいるからだ。自分の力で幸せを創り出していこうという意欲が、自分の心の中から湧いてこないからだ。結婚も、妊娠も、出産も、育児の幸せも、母親の精神的態度次第で決まってしまうのだ。結婚や結婚生活で起こる現象が、幸せをもたらしてくれるのではないのだ。自分が幸せを創り出し、それを他人に与えようとするから、自分が更に幸せになっていくことができるのである。

●怠け者を治す薬はなし

 人間は怠けようとすれば、いくらでも怠けられるものなのだ。しかも、結婚して、夫以外に注意してくれる人がいなくなれば、夫の外出中はいくらでも自宅の中でグータラと過ごすことができるのだ。結婚して他人を幸せにしていくのではなく、結婚の幸せをすべて自分に向けてしまえば、これほど幸せなこともないであろう。

 しかし、その怠けてしまった行動の代償が、夫婦関係の悪化であり、嫁姑の問題の悪化であり、子供が問題児化することであり、自分が病気をしてしまうことなのである。妻が育児や家事をテキパキとこなしているのに、夫婦喧嘩など発生しようがないのだ。嫁が姑の言いつけを聞いて、軽やかにその命令に従って行動を起こしていれば、どんなにヘンチクリンな姑でも決して嫁をイジメることはないであろう。

 女性が病気になった場合、そのほとんどの病気が、怠け切った生活を送ってきたからこそ起こってくる病気なのである。いくら肉豪華な理を多く食べても、既婚女性が育児や家事を精を出していれば、乳癌や子宮癌などに罹るわけがないのだ。精神病にしても、既婚女性が育児や家事で手抜きをするからこそ、その代償として発症してきてしまうのである。

 怠け者を治す薬など、この世のには存在しないのだ。怠け者を治療するのは、医者の仕事ではないのだ。結婚して怠け切っている女性たちに、労働をさせ、家事をさせ、育児をすれば、既婚女性たちが抱える病気など、すべて吹き飛んでしまうのである。怠けて自分がやるべきことをやらないからこそ、病気という症状が出てきて、その堕落した生活を改善するよう、体が訴えているだけなのだ。

 育児に真剣に取り組まない母親は育児で無数の問題を抱え込むものである。自分が赤ちゃんを産んだのに、育児を真剣に行おうとせず、育児を手を抜くことばかりを考えているから、その手抜きが育児の問題となって現われてくるのである。育児を真剣にやっていれば、赤ちゃんの異常を事前に察知できるものなのに、育児を真剣に取り組んでいなければ、その赤ちゃんの異常を事前に察知できず、問題が発生し、最悪になった時に、事の重大さに気づいてしまうのである。

●生活における堕落を避けること

 育児をする時、絶対に避けるべきものが、「生活における堕落」を避けるべきことなのだ。生活における堕落を放置しておくと、最初は育児を真剣になって取り組んでいるのに、いつの間にか自分の生活がだらけていき、怠け癖がついてしまい、育児を真剣に取り組めなくなってしまうからだ。

①テレビと新聞

 生活を堕落させてくれるものは、無制限に見てしまう「テレビ」であり、朝の大事な時間に真剣に読む「新聞」でありる。テレビを見ることが悪いことなのではない。無制限にテレビを見ることが悪いのである。新聞には番組表があるのだから、自分の見たい番組だけ見ればいいのに、1日中テレビを見まくってしまうのである。朝は忙しい時間帯である。それなのに悠長に新聞を読み、しかも、新聞の隅々まで読んでいたら、朝にやるべきことができなくなってしまうのだ。朝にやるべきことをやらなかったら、その日1日中、自分がやるべきことができなくなってしまうのである。

②先延ばし

 幸せな結婚生活を堕落させてしまうものに、既婚女性たちの「先延ばし」の癖がある。育児も家事も頼まれ事も常に先延ばしにしてしまうのだ。今すぐにやってしまえば、簡単に終わってしまうものなのに、「後でやる」と言い訳をいうからこそ、実際にやる時になっれ何倍ものエネルギーを浪費してしまい、心身ともに疲れていってしまうのである。育児も家事も先延ばせば悪化するものなのである。

③行動を停止させる

 人間は行動し続けていると疲労しないものだが、行動を停止させてしまうと、それから動き出すのには莫大なエネルギーを消費してしまうのだ。育児や家事は遣り続けることを止めてはならないのである。育児や家事を一旦停止させてしまうと、再びそれらのことをしようとすると、莫大なエネルギーが必要となり、それを繰り返していると、段々育児や家事をすることが億劫になって、自発的に行おうとはしなくなり、疲労感だけが残ってしまうのである。

④夫婦喧嘩

 夫婦だからといって、一度も喧嘩をしないということはないだろう。その夫婦にとって必要な夫婦喧嘩はすべきなのである。しかし、常に夫婦喧嘩を起こしているようであるならば、それは問題である。そういう夫婦喧嘩の原因は、ほとんどが些細な問題で発生してくるからだ。夫婦喧嘩をしていれば、育児だって家事だってやっている時間がなくなってしまうのだ。夫婦で喧嘩するよりも、夫婦が事前に話し合う習慣を持っておけば、夫婦喧嘩が発生しなくなるのだ。 

⑤平等イデオロギー

 人間は大人になっても精神的に自立できなければ、平等イデオロギーに洗脳されてしまうものなのだ。愚か者たちは「平等」の中に平安を見出してくるのだ。「社会主義」や「フェミニズム」といった平等イデオロギーには断固として拒否すべきなのである。男女ともに、結婚すればお金持ちになっていく可能性が非常に高くなっていくのである。特に赤ちゃんは子宝といって、赤ちゃんが生まれると、夫の仕事運が非常に良くなって、収入が激増していくのである。自分たちが豊かな生活を送っているのに、所得格差の是正をやられては、自分たち夫婦に重税が伸しかかってくるということなのである。政治家や学者やジャーナリストたちが、所得格差の是正を主張しているなら、そういう連中の意見は絶対に拒否することである。

 女性が結婚できたということは、未婚の女性たちと不平等状態にあるということである。既婚女性は自立できたからこそ、結婚しているのである。フェミニズムは、大人になっても未だに自立できない女性たちには必要なイデオロギーであっても、既婚女性たちには一切必要のないイデオロギーなのである。フェミニズムが繰り出してくる様々な主張は、すべて幸せな結婚生活を破壊するものであって、決して自分たちの結婚生活を幸せにするものではないのだ。だからこそ、同じ女性が意見を言っていると寛容になって聞くのではなく、同じ女性だからこそ、未だに精神的に自立できない女性たちの戯言を断固として否定しなければならないのである。

●習慣の威力

 母親の生活習慣を見れば、育児の出来不出来が解るものだ。育児をちゃんと行っている母親たちは、これらの生活における堕落をきちんと避け、育児において真剣になって取り組む共に、「習慣の威力」を使って、無理なく育児を進めているのだ。育児というのは一時的に行えばいいというものではないのだ。その赤ちゃんが大きくなるまで行い続けなければならないのだ。だからこそ、育児において瞬発力を使って育児を行うのではなく、習慣の威力を使って育児を行っていくべきなのである。

①思いきって遣り始め、遣り続け、遣る終える

 育児においてもっとも重要なのが、とにかく思い切って育児を遣り始めることが非常に大事なのである。赤ちゃんが生まれたから、ただ漠然と育児をするのではなく、自分が全責任を持って思い切って育児に取り組むのである。育児において躓く母親たちは、この思い切りなくして育児をダラダラと始めてしまうからこそ、育児で問題を発生させ続けるのである。育児で一番難しいのは、出産した当初のこの思い切りなのである。自分が退路を断ち切って遣り始めてしまえば、育児は非常に容易になるのである。

 育児における感動は、育児をしなければ、絶対に発生してこないものなのだ。だから、育児を遣り続けなければ、育児の本当の面白さは決して解らないのだ。今、自分のやっている育児が面白くなくても、常に一定の時間を育児に捧げていれば、育児の面白さが段々と解っていき、育児の本当の面白さを見つけ出してしまうものなのである。

 育児というものは、育児を遣り終えてみて、初めて育児の感想を言えるのである。育児を途中で投げ出してしまった母親たちの意見や、育児で不平不満を垂れている母親たちの意見は、絶対に耳を貸さないことなのである。自分が赤ちゃんを産んでしまった以上、育児は最後まで遣り遂げるべきなのである。何事も最後までやってみないと、感想など言えるわけがないのだ。最後のゴールまで辿りつけない者がいっている意見はすべて、感想ではなく、愚痴なのである。

②小分けにして一つ一つの作業を丁寧に行う

 育児の作業は、漠然と行うのではなく、小分けにして、一つ一つの作業をすべて丁寧に行うべきなのである。赤ちゃんは1日の大半を寝て過ごしているのである。赤ちゃんが目を覚ましている時間などたかが知れているのである。だからこそ、「授乳」や「排泄」や「沐浴」といった作業をきちんと行い、自分の育児の作業のレベルを上げていくべきなのである。

 手を抜くのではなく、逆に手間をかけると、育児の作業の精度が上がり、ごく少ないエネルギーで育児を行えるようになってしまうのである。育児を手抜きばかりしていたら、授乳の仕方を一つとっても、いつまで経っても全然巧くならず、授乳するのに時間ばかりかけてしまうものなのだ。

 赤ちゃんはいつも健康でいるということはありえない。だから、病気をしたら、きちんと看病をし、その病気の対処法を覚えておくことだ。一度、病気の対処法を覚えてしまえば、次に同じ病気をしたらすぐさま対処できるようになるし、次に生まれてくる赤ちゃんが同じ病気をしても、きちんと処理することができるようになるのだ。

③疲れたら休んで疲労を回復する

 巧い育児をするためには、元気と意欲と感動がなくなったら、それ以上、育児をしないことである。「母親だって、いつもパワフルなのではなく、疲れることもある」と、素直に認めることだ。自分が育児で疲れたなら、夫や実母や義母に赤ちゃんを任せて、とにかく休むことなのだ。育児の疲労は、赤ちゃんから離れ、睡眠を取ることでしか、解消されないのだ。

 きちんとした休み方をしていれば、育児放棄してしまうことなどなくなるのだ。自分一人だけですべてをやってしまい、常に赤ちゃんといるからこそ、育児が嫌になり、赤ちゃんに虐待をしてしまうのだ。人間が持っている弱さを認めない人間は、他人に対してもっとも残酷な態度を取ってしまうものなのだ。

④不要な作業を委任する

 育児というのは、一つ一つの作業を丁寧にやっていくべきだが、すべての作業を母親がやる必要性はないのだ。任せられる作業があるなら、他人に任せばいいのだ。例えば、赤ちゃんを置いて買い物に行きたい時は、夫に任して自分一人で買い物をしてしまった方が、手早く買い物ができてしまうものだ。自分の育児の作業を冷静に分析して、無駄な作業を誰かに任して、自分のエネルギーを無駄に消費してしまわないことだ。梃子の原理を使って、巧く他人の力を使っていけばいいのだ。

⑤重要な作業に重点を置く

 育児の作業には、重要な作業がいくつかある。それらの重要な作業にこそ重点を置くのだ。「授乳」や「排泄」は育児の中でもっとも重要である。だから、これらの作業は原則として他人に任せないことだ。母親というものは、赤ちゃんの母乳の飲み具合で、その日の赤ちゃんの体調が解ってしまうものなのだ。オムツの取り換えは面倒でも、赤ちゃんが排せつした時に、赤ちゃんの排泄物をきちんと見て、赤ちゃんの健康状態を確認すべきなのである。育児はこの2つの作業に重点を置くべきであって、母親がこの2つの作業をきちんと行うからこそ、育児の成果が上がり出していくのである。

●育児の臨界点突破

 単なる思いつきや、気の向くままで育児をしていたら、育児は困難になってしまうだけなのだ。育児という大事な仕事を、自分の揺れ動く感情に任すべくきではないのだ。「習慣の威力」を使うべきなのだ。習慣の威力は凄まじいパワーを持っているのだ。「習慣の威力」を使えば、育児は断然に楽になるのだ。

 育児に「習慣の威力」を使ってしてしまえば、育児の遣り方が解り出し、その育児の遣り方を蓄積していくと、育児のコツが解り、そして大したエネルギーを使わなくてもできるようになるのだ。育児のコツさえ解っていれば、自分が思うような育児をすることができ、育児の成果が自動的に出始めるようになるのだ。

 育児で戸惑う母親たちに共通するのは、育児の遣り方を知らないだけでなく、育児のコツを習得できていないからこそ、育児で莫大なエネルギーを使いつつも、まともな成果を生みだすことができないでいるのだ。育児はテクニックに走れば、絶対に破綻してしまうのだ。育児のテクニックではなく、習慣の威力を使って、育児の遣り方を覚え、育児のコツを習得していくべきなのである。

 そうやって育児のコツが解り出して、育児が順調に成り出すと、或る日突然に「育児の臨界点」を突破して、「そうかそういうことだったのか!」と育児のなんたるかを悟ってしまい、育児の本当の楽しさが解ってくるのだ。もうこうなると、母親の頭の中で育児をすることが最高の快感になってしまい、いくらでも母性愛が溢れ出してくるのである。もう、育児をすることが楽しくて仕様がなくなってしまい、その感動と喜びが自分を包み、それが家族へと伝わり、周囲へと及んでいくのである。

 この育児の臨界点を突破してこなければ、その母親をどんなに恵まれた状況においても、育児に対して不平不満を述べてきてしまうのである。自分の心の中からちびちびと母性愛を出してこないから、どうしても育児が巧くいかないのだ。愛は小出しにすべきではないのだ。一気に大量に出してしまえば、圧倒的な威力を発揮するのだ。育児の臨界点を突破するまでは、母親は修行中なのである。いくら赤ちゃんを産んだとはいえ、母親としては未熟者なのである。赤ちゃんを産んだからこそ、母親は更に精神的に成長していかなければならないのだ。

●だからこそ、早寝早起きなのである

 育児でもっとも大事なのは、母親の精神的態度なのである。絶対に養育費でもなく、育児テクニックでもなく、夫の協力でもないのだ。それらがあった所で、母親がしっかりとした精神的態度を持っていなかったら、それらのものを統合していくことができなくなってしまうのだ。育児でもっとも大事なものは、実は母親の心の中にこそあるのである。

 その母親としての精神的態度を持ち、それを維持し続けるためには一体どうすればいいのか? それは早寝早起きをすることなのである。早寝早起きすれば、人間は積極的な精神的態度でいられるのだ。午前4時から午前6時の間に起きると、コーチゾールという物質が分泌されて、脳を活性化し、1日中ストレスに強い体に変えてくれるのである。だから、早起きをしている母親たちは、どの母親たちも明朗快活で元気に溢れているのである。

 夜更かしや朝寝坊の生活を送っていたら、どんなに品行方正の人間であったとしても、精神が腐敗し、ネガティブな精神しか持つことができなくなってしまうのだ。夜更けにいくら悩み事を抱えて悩んでいても、その悩み事は解決されず、寧ろ悩み事は悪化していく筈だ。朝起きるのが遅ければ、それだけ行動を起こすのが遅くなるのだから、1日中すべての物事が後手後手になってしまい、何をやらして手遅れになってしまうのである。

 朝早く起きて、物事を前倒しでやっていけば、物事は簡単に片付いていくものなのだ。日中、スピードよく動いていれば、日が暮れる頃には、母親として妻としてのやるべき作業のほとんどは終えている筈である。そうしたら、ゆっくりして心身をリラックスさせていけばいいのだ。夜は早目に就寝してしまえば、体の疲労が除去され、朝起きればエネルギッシュの体になることができるのである。

 朝の太陽はあなたの人生をも明るく照らし出しているのだ。夜明け前から起き出して、家事や仕事をしている母親たちは自分の人生を、そして家族の人生をも、明るく照らし出してしまうことだろう。夜明け前は、赤ちゃんは寝ているのだから、その時間を有効に使っていけば、育児に追われる生活にならなくて済むのだ。

●困ったことがあったら話し合う習慣を持つ

 育児をやっていれば、たまには困った事が発生するものである。母親一人が解決するのが困難な悩み事だって発生してくるのだ。そういう時は、独りで悩み事を抱え込んでいても、問題は解決されないのだ。寧ろ、悩めば悩むほど悪化していくのだ。こういう時こそ、自分の能力には限界があると悟るべきなのだ。

 困ったことがあれば、夫婦で話し合う習慣を持つことだ。悩み事の大半は、ただ夫婦で話し合うだけで解決されたも同然なのだ。母親にとってみれば、夫婦で話し合うことこそが育児を楽にしてくれるものなのだ。だから、いつも赤ちゃんとべったりといるのではなく、きちんと自分の夫にも気を配っておくべきなのだ。いつもは無視しているのに、悩み事を聞いて欲しい時だけ話しても、夫は親身になって相談には乗ってくれないことだろう。

 悩み事を話しかける時は、タイミングよくすることだ。夫が仕事で疲労困憊になって帰ってきて、いきなり深刻な顔をされて悩み事を話されても、夫の方は相談できる状態でないのだ。結婚しているといえども、悩み事を話しかけていい時間帯と、悩み事を話しかけていけない時間帯があるのだ。

 自分が抱えている悩み事で、的確な解決策を得たいのなら、夫婦は椅子に座って、抹茶を点て、和菓子を食べながら話すとか、紅茶を入れ、洋菓子を食べながら話せば、まともな解決策を得ることができることであろう。まともな解決策を得たいなら、それなりの演出が必要なのだ。そして、いつも夫の前では身なりをきちんとしておくことだ。日頃から、だらけた服装をしていたら、相談に乗って貰える相談でも、相談に応じて貰えなくなるのだ。

 夫に相談すべき問題は夫に相談すべきだが、夫に相談しなくてもいいような相談は持ちかけるべきではないのだ。違う人に相談して処理するべきなのだ。自分の友達に聞けば解決してしまう単純な問題を夫に持ちかけても、夫の方は笑顔をして対応していても、内心、「母親なんだからちゃんとしろよ」と思っているものなのだ。

 最初、育児を遣り始めれば、あれもこれも心配してしまい、一時的に育児ノイローゼになってしまうものなのである。だからこそ、すべての悩み事を自分一人で抱え込むべきではないのだ。どんな悩み事でも、話せば解決していくものなのだ。育児を初体験で行っているから、解らないことがあって当然なのだ。

 どの母親も一度は育児ノイローゼに罹るものなのだ。しかし、それを乗り越えると、強く逞しい母親になることができるのである。育児ノイローゼに罹り、それを克服したことで、未熟な母親である自分をふっきることができたのである。母親として必ず通過せねばならぬ暗い時期なのである。あなたの夫も、仕事で大成功しようとするなら、一時的に仕事でノイローゼに罹るものなのである。しかし、それを乗り越えたからこそ、強く逞しいビジネスマンになって、仕事が成功し始めるのである。苦労の本当の怖さは、苦労それ自体ではないのだ。苦労を知らぬ苦労なのである。自分がすべき苦労をしなければ、永遠に成長できなくなってしまうのである。

●母親よ、大志を抱け!

 幸福は人生が上り調子だからこそ、いつまでも幸福を感じ続けることができるのである。育児の仕方が、昨日よりも今日の方が巧くなっている。だからこそ、幸福を感じ続けられるのである。子供の数が、1人から2人へ、2人から3人へと増えるからこそ、幸せは増していくのである。夫婦の所得が、去年よりも今年の方が増えている。夫婦の資産が、去年よりも今年の方が増えている。だから、夫婦は家族の内部で幸福を増加させていくことができるのである。

 幸福になりたいのであるならば、人生を上り調子にしてしまうことだ。昨日よりも今日を良くする。今日よりも明日を良くすると思うからこそ、自分の人生は上り調子になり、更に幸せになっていくのである。人生を今のレベルよりも下がってしまえば、いくら年収が高くても、いくら赤ちゃんがいても、いくら豪邸に住んでいても、不幸を感じてしまうものなのだ。幸福と不幸を決定づけるものは、決してお金ではないのだ。自分の人生が上り調子なのか、それとも自分の人生のレベルを下げてしまっているのかなのである。

 だから幸福の尺度を外に置いてはならないのだ。自分と他の母親たちを比較したり、自分たち夫婦と他の夫婦を比較したり、自分の赤ちゃんと余所の赤ちゃんを比較したり、所得の格差や男女の性差など気にしてはならないのだ。幸福の尺度は自分の心の中に置くべきであって、自分の人生を上り調子にしていけば、自然と自分は幸福になっていくのである。

 そして、自分が幸福なら、自分だけが幸福を享受してしまうのではなく、他人にも分け与えていけばいいのだ。自分の赤ちゃんと自分の夫に幸福を分け与えて、家族揃って更に幸福になっていけばいいのだ。家族全員が幸福になってしまうと、幸福は相乗効果を起こして、爆発的なエネルギーを発し始めてしまい、通常では成功できないことでも、簡単に成功できてしまうようになるのである。

 母親は赤ちゃんを産んだのなら、利己主義とはオサラバすべきなのである。自分の利益だけを追求するのではなく、他人を幸福にしていくという慈愛の心を持つべきなのである。利己主義というのは、目先の小さな利益を獲得しながら、実は自分自身が想像もつかない莫大な利益を得るチャンスを失ってしまう危険な考え方なのである。

 人生を幸せにしたいのなら、自分自身を超えて、自分のためだけに生活せず、高い理想を持って行動を起こし、他人を幸福にしていくべきなのである。だから、俺は言うのだ。「母親よ、大志を抱け!」と。自分の志を大きく持っておけば、自分が思い描く理想は実現し、自分も周囲の人たちも幸福になっていくのである。

 育児も最初の頃は、ヘトヘトになるに決まっているのだ。すべてが慣れない作業だからだ。それゆえ、母親自身が大志を抱いて、積極的な精神的態度でいるべきなのである。そして真剣になって育児に取り組んでいけばいいのだ。育児を始め、すべての物事に成功の秘訣があるとするなら、それは「自分がな成すべきことに一つ一つ全力を尽くすしかない」のだ。

 今日1日、全力で生きているからこそ、自分の生命は充実していくのである。今日この日を全力で生きていない者は、死んでいるのと同じである。今日何もせずに生きてしまえば、死体の方がまだ増しである。なぜなら、死体は飯を食わないからだ。全力で育児に取り組んでいれば、育児でいくら汗をかいても、それは心地いい汗にしかならないし、育児でいくら疲れきっても、それは心地いい疲労にしかならないのだ。そうやって育児をしていけば、自分の人生は充実し、赤ちゃんはスクスクと育っていくのだ。今日一日を全力で働くからこそ、明日は更なるパワーを携えてやってくるのである。そしてそのパワーを使って更に育児にチャレンジしていけばいいのだ。

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育児脳を最大化する方法

●育児の命運を左右する育児脳

 赤ちゃんを出産して育てていけば解ると思うが、育児において不思議な現象が出て来る。それは初めての育児なのに、異様に育児が巧い母親たちがいるのだ。普通の新米ママなら育児に悪戦苦闘なのに、まるで育児の仕方を熟知しているかのような手捌きで育児を難なく遣り遂げてしまうのだ。

 だから、女性として赤ちゃんを産んだからといって、みんな女性同士であったしても、絶対に平等ではないのだ。同じ母親として対等に接し、親近感を持ち、連帯感によって、同じ母親だという仲間意識を持つのは構わないが、他の母親を平等だと思い込むと、えらくひどい気分の落ち込みを味わうことになってしまうのだ。では、なぜ、このような「育児の格差」が生じてきてしまうのか?

①前世で既に子沢山の母親

 それは前世において、既に子沢山の母親だったからだ。こういう女性は、肌が白く光り輝いており、体もしっかりとした体格で、もう20代の頃から母親らしい考え方や体型をしているのだ。前世で子供をたくさん産み育てたので、功徳を大量に積んでおり、現世において非常に運のいい女性として出発できるのである。結婚も良き伴侶に恵まれるし、子供もたくさん生まれ、所得も多く資産も豊かな人生を歩むことになるのだ。この女性は当然ながら、育児が非常に巧いのだ。まるですべてを知っているかのような仕方で育児を行えてしまうのだ。

②多産の家系の娘

 多産の家系の娘だと、子供の頃から赤ちゃんの世話をしたことがあるので、当然に育児の仕方を知っており、育児の仕方が巧いのだ。多産の家系は育児のノウハウを大量に持っており、そのため育児のトラブルの対処法も充分に蓄えているのだ。自分の実家が多産だということは、成長過程にある家系なので、結婚したらその夫婦は運気が非常に強くなるので、夫は仕事に精を出せば成功していくし、妻は子供をたくさん産めば、より多くの幸せを無理することなく獲得できてしまうのだ。

③育児脳を持っている女性

 結婚前は育児のことをほとんど知らない女性でも、出産後、昔のままでは駄目だと気づき、育児脳を持った母親は育児が圧倒的に巧くなるのだ。育児をするために、自分の脳を変えてしまうのだ。育児脳さえあれば、体が育児をもっとも適した行動を自動的に取ってくれるようになるのだ。

 前世において子供を産んでも自分の手で育てられなかった女性、前世において子供を産めずに死んでしまった女性や、前世で男性だった女性、現世で一人っ子の女性や、兄弟姉妹が1人しかいない女性は、そのままの考え方では、育児がトラブル続きになってしまうので、絶対に育児脳を持つことは必要である。育児脳こそ育児の命運を左右するのである。

●マンネリのドツボに嵌まるな

 育児というのは、最初は感動の連続である。赤ちゃんの姿形や行動のすべてに感動してしまう。どの新米ママたちも最初は意気揚々と育児に取り組むのだ。しかし、その気分の高揚感が長く続かず、段々育児が煩わしいものになってきてしまうのだ。「なんでそんなに多くの回数のウンチをするの?」「なんでそんなに母乳を飲むの?」「なんで寝てくれないの?」と、育児の当初は感動だらけだったのに、育児に慣れてきてしまうと、一転して育児の不平不満だらけになってしまうのだ。

 これこそが、「マンネリ」である。育児がマンネリだからこそ、育児がつまらなくなってしまうのである。だからこそ、多くの母親たちが我が子に対して怒りまくったり、赤ちゃんを誰かに預けて遊び呆けてしまったり、児童虐待を働いたり、母親がパチンコに熱中している間に赤ちゃんが自動車の中で熱中症で死んでしまうという事件が多発してくるのである。

 育児だけでなく、何事もマンネリのドツボに嵌まってはならないのだ。マンネリになってしまえば、脳の機能が低下して、一切の喜びや感動を感じなくなってしまうのだ。脳は普通の人間たちが考える以上に飽きっぽいのだ。だが、この脳の飽きっぽさを暴走させてしまうと、自分の人生が何をやってもつまらないということになってしまうのだ。当然、赤ちゃんがいても、育児が全然面白くないという事態に陥ってしまうのだ。

 だからこそ、自分の脳をそのままにしておくのではなく、「育児脳」に変えてしまうのだ。育児においてどんなことが発生しようとも、育児が面白くて仕様がないという状況にさせてしまうのだ。即ち、出産する前の自分でいてはならないということだ。出産後には自分を変えて、育児に適した自分に変えていかなければならないのだ。

 新米ママに育児脳さえあれば、楽しい育児が習慣化され、赤ちゃんを育てることが快感の連続になってしまうのだ。習慣とマンネリは紙一重だといっていい。どこが違うのかといえば、脳が違うのである。いくら母親たちに育児のテクニックを教えても、母親の脳が育児脳になっていなければ、いくらでも育児のつまらない点を挙げて、育児をしようとしなくなるのである。だからこそ、赤ちゃんを産んだら、育児脳を持ってしまうことが必要なのである。育児脳があれば自動的に巧い育児を行えるようになり、その巧い育児は習慣を形成することによって、育児の成功を決定づけるのである。

●やる前から成りきってしまう

 新米ママが育児脳を持つためにもっとも重要なことが、育児をやる前から成りきってしまうことなのだ。自分がこれから努力して良い母親になっていこうとするのではなく、育児をする前から自分は良い母親に成りきってしまうのだ。脳は理想さえ頭の中に描いてくれれば、その通りになっていくのである。

 多くの母親たちは、自分が努力をすることによって、良い母親になっていくことができると考えがちだ。だからこそ、「子育ては母親育て」なんてことを言い出すのだ。育児マニュアル本も、そこに掲載されてある育児テクニックを使用すれば、良い母親になれるという目的で本を執筆している。

 しかし、実際に育児をやってみると、決してそうならないのである。「子育ては母親育て」なんて言っている母親たちは、いつまで経っても未熟な母親たちだし、育児マニュアル本に頼る母親たちは、遅かれ早かれ育児ノイローゼに罹ってしまい、育児どころではなくなってしまうことだろう。

 なぜこのような自分たちが意図するのと正反対の結果が出てしまうかといえば、それは脳の機能を無視した形で育児を進めようとしてしまったからだ。脳は理想がなければ機能を低下せていってしまうのである。人間は群生動物である以上、誰かの行動を見て、それのマネをすることによって、難なく同じ行動が取れてしまうことを繰り返してきたのだ。だから、自分の脳の中で理想像を描かず、自分の力だけでやろうとすると、脳は自分が意図することと正反対の結果を出してきてしまうのだ。

 それゆえ、育児をする前から、自分の脳の中に理想の母親像を描き出し、成りきってしまうのだ。そのためには巧い育児をやっている他の母親たちを見て、自分もああいうふうな母親に成りたいと思いこんでしまうことだ。思い込めば、自分はその通りの母親になることができるのだ。自分がやるべき行動を予定してしまうと、その通りになるのだ。

●体を動かし続ける

 自分の頭の中に理想像が出来上がったら、とにかく体を動かし続けることだ。体を動かし続けると、脳が活性化してしまい、いかなる時も育児に対して「やる気」が湧いてきて、育児において最善の選択肢を取り続けることができるようになるのだ。体を動かし続けると、育児は非常に楽になるのだ。

 育児でトラブルが発生しても、母親が体を動かして行動しているなら、脳が自動的にその問題に対して最適な解決策を導き出せるように、自然と体を導いてしまうのだ。例えば、育児で問題が発生しても、雑誌を何気なく見ていたら、その解決策が出ていたとか、パソコンで調べたら、僅か数秒でその解決策が出ているウェブに出会ったとか、自分の友人にその解決策を知っている友人がいたとか、まるで偶然としか思えない現象が起こってくるのだ。

 だからこそ、体を動かし続けるのだ。体を動かし続けている限り、いかなる問題も解決することができるのだ。赤ちゃんがいたら、育児をしなければならないし、家事だってこなさなければならない、仕事があるなら仕事だってしなければならない。でも、そうやって体を動かしているからこそ、脳は活性化し、育児を巧くこなしていくことができるのだ。

 育児は長年経験すれば上達するものではないのだ。育児をしているのに、休み休み行ているようでは、育児はいつまで経っても上達しないのだ。赤ちゃんを育てることよりも、テレビや新聞や携帯電話に夢中になり、社会問題や政治問題に手を出していれば、いかに優秀な女性であったとしても、育児が巧くなるわけがないのだ。赤ちゃんは泣き叫び、暴れ出すに決まっているのだ。

 育児でも家事でも仕事でも、自分がやるべきことは身を軽くして動き続けることだ。なんでも素直にやればいいのだ。常に体を動かしている自分に、絶対に不幸は訪れないのだ。体を動かさないからこそ、脳の機能が低下してしまい、不幸を呼び込んでしまうのだ。いかなる時も、堕落こそ不幸の原因なのである。

●報酬を与えて脳を快感にさせてしまう

 育児を上手にやるコツは、減点法ではなく、加点法なのである。手柄を上げ次第、報酬を与えていくべきなのである。赤ちゃんが自分の母乳を飲んでくれたら、「ママのオッパイを良く飲んでくれました~」と赤ちゃんを褒める。赤ちゃんがウンチをしたら、「こんなにたくさんウンチをして凄いですね~」と赤ちゃんを褒める。赤ちゃんを褒めると、その赤ちゃんの母親である自分の嬉しくなってしまうのだ。

 もしも、赤ちゃんの母乳の飲みっぷりが悪いことを指摘して、「どうして、ちゃんとオッパイを飲まないよ!」と叱っても、その赤ちゃんが泣き出すだけでなく、その赤ちゃんの母親である自分もつらくなってしまうのだ。赤ちゃんはウンチをしまくるし、小便をしまくるので、オムツを1日に何度も交換しなくなるのだが、「なんでそんなにウンチをするのよ!」と赤ちゃんを叱ってしまえば、赤ちゃんは便秘になって病気になってしまうし、その赤ちゃんの母親である自分も病気を発症してしまうことだろう。

 人の悪い所ではなく、良い所を見て、そして褒めてあげるのだ。いくら他人の悪い所を指摘して、その悪い箇所を矯正できたとしても、更に悪い行動を取ってきてしまうのだ。それよりも相手の長所を褒めてしまい、その長所を伸展させていくと、いつの間にかに悪い箇所が消えてなくなってしまうのだ。これは赤ちゃんを育てていくだけでなく、人を育てていく上で、もっとも重要なコツなのである。

 赤ちゃんだけでなく、自分の夫をも褒める。夫は何より養育費と生活費を稼いできてくれるのだから、きちんと夫を褒めてあげることだ。給料は出たら、ご褒美をきちんと与えておくことだ。ご褒美を貰えれば、誰だって嬉しいし、更に意欲が湧いてきて、仕事を成功させていくことができるのである。

 育児や家事をやっていれば大変なことだろうとは思う。自分だって誰かに褒めて貰いたいという感情だって湧いてくることだろう。だからこそ、自分を褒めてもらいたければ、他人を褒めることなのだ。自分が他人を褒めずに否定してばかりいるから、誰からも褒められず否定されてしまうのである。他人の成果を褒めれば、自分の成果だって褒めて貰えるようになるのである。

●プロとアマの格差は決定的

 育児脳があるということは、育児のプロになるということなのである。育児のプロだからこそ、育児を巧く行うことができるのである。育児のアマチュアで居続けても、育児は決して巧くならないのだ。いくら大量の育児テクニックを揃えても、育児は巧くならないのだ。なぜなら、脳が違うからだ。

 プロとアマの差は、天と地の差ほどに明確である。いくらセミプロといっても、プロには呆気なく負けてしまうのである。テクニックに走っても、勝てるわけがないのだ。どんなに努力しても最終的には負けてしまうのだ。自分の脳が破滅をするように指令を出してきてしまうからだ。どんなに順調に進んでいても、いつの日か「もう駄目だ」という最終指令を出してしまうのである。

 それが育児では、母親たちの不平不満となって現われ、育児を拒否してしまい、児童虐待を働いてしまい、不倫に離婚にと、いくらでも異常な行動を取ってしまうのである。赤ちゃんを産んだのに、育児脳を持とうとしなかったばっかりに、育児が全然面白くなくなってしまったのである。

 どんなに優れた母親たちも、最初から優れていたわけではないのである。自分の頭の中に育児脳があったからこそ、育児のコツが見えてきたのである。プロやプロ並みになることが、「コツ」なのである。育児のコツを掴んでしまえば、誰だって育児のプロになってしまうのである。育児のコツが解ったからこそ、育児はこういうふうにやればいいのかということが解り、育児の本当の楽しさが解ってくるのだ。

 その育児のコツが解りたければ、身銭を切って、自分に投資していくのだ。自分の格好をみすぼらしい格好にするのではなく、きちんとした格好にして、育児のコツを知っている母親に教えを請えばいいのだ。育児のことに関して、雑誌を購入するなり、書籍を購入して自分で調べるべきなのだ。まともな育児の仕方を教えてくれる母親たちの集まりがあるなら、自分も参加すべきなのである。育児に投資したお金は、必ず有益な結果をもたらすのである。

●立派な母親になる覚悟

 自分が赤ちゃんを産んだ時には、「自分は立派な母親になる!」という覚悟があるからこそ、良妻賢母になっていくのである。ただ漠然と良妻賢母になろうとしても、成れるものではないのだ。自分が覚悟を決めるからこそ、自然と良妻賢母になっていくのである。その覚悟がなければ、自分が散々努力し続けた後に、良妻賢母を一生懸命に否定する母親になってしまうのである。

 どんな既婚女性であっとたとしても、出産直後は「悪妻愚母」なのである。妻としては全然駄目だし、母親としても未熟者なのである。だが、出産と同時に覚悟を決め、自分を変えていき、育児や家事や仕事に追われる日々の中で、いつの間にか良妻賢母になっていってしまっているのである。良妻賢母というものは、静止した状態で得られるものではないのだ。行動し続けている中にこそ出現してくるものなのである。

 学者たちは良妻賢母を封建的道徳の産物だと非難するし、マスコミでも定期的に良妻賢母を罵倒するキャンペーンが行われる。結婚して最大の成果を得ようとするなら、既婚女性は良妻賢母になるしかないのである。それができなかったということは、その結婚が不完全になっており、機能を極端に低下させてしまっているのである。良妻賢母は決して封建的なものではないのだ。否定されるべきものではないのだ。結婚で幸せになろうとするなら、どの女性であったとしてもならなければならないものなのである。

 平等イデオロギーに洗脳されてしまったら、赤ちゃんを産んでも、自分がちゃんとした母親になれないのである。既婚女性は出産前と出産後とでは明らかに違うようになってからこそ、ちゃんとした母親になることができるのである。自分が母親になっていくということは、「他の未出産の女性たちとは平等ではない」ということなのだ。

 育児脳があればこそ、自分は変わることができたのだ。いつまでも同じままでは。人間は腐っていくだけなのだ。人間は変わっていくものなのだ。人間は変わることによって成長していき、変わることで更なるエネルギーを獲得していくのである。育児脳が自分の頭の中にないから、いくら育児をやっても無駄なのである。なぜなら、自分を変えないからだ。いつまでも立ち止まったままだからだ。自分が自発的に動かないこそ、いくらでも不幸がやってくるのだ。

 だから、不幸になりたくなければ、動き出せばいいのだ。動けばいくらでも新しい発見にである筈さ。自分が動かなければ、目の前にある些細なものでも、腹が立ってくるものなのだ。幸せになりたければ、動き出せばいいのだ。走り出せばいいのだ。赤ちゃんを育てていれば、赤ちゃんはたくさんの幸せをくれるのだ。未だ立つことも、話すこともできない赤ちゃんですら、母親に幸せを与えてくれるのだから、母親である自分だって赤ちゃんにたくさんの幸せを与えていかなければならないのだ。その偉大なる変化を引き起こしてくれるのが、育児脳なのだ。さあ、育児脳を持って、育児に取り掛かればいいのだ!

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育児の第三法則「母親による独裁」 ~育児の全責任は母親にこそあり~

●育児こそ母親のもっとも重要な仕事である

 文明は自然を征服し、自然を制御できる力を持つからこそ、誕生してくる。人間たちが、自然の脅威に対して何もできず、自然と共生しているようであるならば、人類は文明状態に入らず、文明以前の未開な暮らしをし続けるしかないであろう。文明は自然ではないからこそ、文明でありえるのである。しかし、人間たちが文明の中だけで暮らしていれば、自然を忘れてしまい、人間自体が非自然的になっていく。即ち、自然界では有り得ないような、病的な姿を晒し始めるのである。

 その最たるものが、「平等」である。文明以前の人類にはなく、文明を創造していった当初にもなかったものが、文明が爛熟期に入ると突如として文明諸国に蔓延し始めて、文明の中で豊かな生活を送っている人々を、精神的に蝕んでいき、昔だったら簡単にできた生活ですら破壊していってしまうのである。

 現在、母親たちを苦しめているものに、「平等」がある。どこの民族でも、平等イデオロギーに侵されなければ、育児は母親が行うものである。なぜなら、人間の脳自体がそのようにできているからだ。「授乳させるのは、父親と母親のどちらが巧いだろうか?」「オムツを取り換えるのは、父親と母親のどちらが巧いだろうか?」「赤ちゃんを寝かしつけるのは、父親と母親のどちらが巧いだろうか?」。答えはすべて「母親」である。母親の脳の中から母性ホルモンが出て来るので、母親は母親らしい母親になっていき、育児を行うことがとても上手になるのである。

 それなのに、母親が平等イデオロギーに侵されてしまえば、この自分の得意なものを捨ててしまい、育児の主要な部分を放棄して、父親に育児の大半を押しつけようとし出すのである。「夫婦が平等に育児を行う」というのは、一見、それは素晴らしいものではないかと思ってしまいがちだ。しかし、実際に夫婦が平等に育児をやってみると、育児のすべての分野において破綻し出すのである。なぜなら、育児が得意な筈の母親が育児の大半をやらず、育児の不得意な父親が育児の大半をやる羽目になり、母親も父親もその持てる能力を充分に発揮しきれなくなってしまうからだ。

 夫婦が平等に行う育児は、夫婦揃って育児に無責任になっているだけなのである。赤ちゃんを育てていこうという気持よりも、男女を平等にしなければならないというイデオロギーの方を優先してしまって、赤ちゃんが本当にしてほしいことを無視して、育児を進めてしまっているのである。育児こそ母親のもっとも重要な仕事なのに、母親自らその仕事を放棄してしまうのである。

●独裁を行うからこそ、育児は巧く行く

 だからこそ、育児の第三法則が必要になってくるのだ。育児の第三の法則、それは「母親による独裁」である。育児は母親が独裁的に行うからこそ、巧く行くのである。育児において母親が独裁を行えば、育児の成果を最大化することができるのである。学校で散々民主主義教育を受け、社会に出ても民主主義が正しいと思われている社会で、民主主義より独裁を主張し、実際に独裁を実施するのは、抵抗感があると思う。しかし、民主主義で育児を行えば、育児は絶対に破綻してしまうのである。

 育児というものは、母親が育児の主導権を失った時に問題が発生するのである。母親が赤ちゃんを産んだにも拘わらず、自分が中心となって育児をせず、父親に頼りきってしまったり、他の他人に頼りきってしまうと、誰がどうやろうとも、育児は巧く行かなくなってしまい、トラブルが発生しまくるのである。母性ホルモンが出て、自分が母親らしくなっているのに、自分が母親になることを拒否してしまえば、育つ筈の赤ちゃんですら育たなくなってしまうのである。

 母親が育児の主導権を握り続けている限り、育児に問題が発生したとしても、きちんと処理することができるのである。育児を行う場合、すべての作業を母親一人でできるわけではない。父親を始め、義父や義母、実父や実母や、その他の人々の手助けを必要とする。しかし、いくら他の人々の手助けを必要とするからといって、母親が育児の主導権を手放すべきではないのである。自分の赤ちゃんの具合を一番よく知っているのは、母親以外にいないのである。自分が10月10日間も自分のお腹にいた我が子だからこそ、自分の赤ちゃんの健康状態が一番よく解ることのできる立場にいるのである。

 育児というのは、「99.99%」、母親の態度次第で決まってしまうのである。育児を民主主義で行えば、確実に潰れてしまう。なぜなら、民主主義は多数決原理を持っており、その多数決原理を行えば、衆愚になり、愚劣としかいいようのない意見しか出て来なくなってしまうからだ。民主主義がいかに愚劣な意見を出して来るかは、現在の国会や、民主主義を標榜している政党の姿を見れば解る筈だ。

 育児における優れた意見というものは、多数の人々の意見や、多数の人々の議論や、育児学会の学者たちの研究の中から生まれてくるものはないのだ。優れた母親の頭の中から生まれてくるのだ。母親が民主主義を拒否して、独裁に徹し、夫と共同で育児を行うのではなく、自分が中心になって育児を行うからこそ、赤ちゃんの気持ちが確実に理解でき、育児において最善の意見を持つことができ、最善の行動を取ることができるのである。

●母親に全責任があるからこそ、育児を真剣になって行うことができる

 「あなたの赤ちゃんが死んだら、一体誰が一番悲しむだろうか?」「あなたの赤ちゃんが死んだら、一体誰が一番涙を流すだろうか?」「あなたの赤ちゃんが死んだら、一体誰が一番永遠に忘れずにいるだろうか?」。これらの質問の答えはたった一つしかない。それは母親である「あなた」であろう。なぜなら、母親である「あなた」が、自分の赤ちゃんに一番深く愛情を持ち、その愛情を最大限に発しているからだ。ということは、あなたが育児の最高責任者なのだ。

 「育児の最高責任者は母親である」。これこそが育児の本当の姿なのだ。この本当の姿を忘れてしまい、母親が育児の最高責任者ではなくなってしまうからこそ、育児でトラブルが発生し続けてしまい、赤ちゃんが泣き叫び、罹らなくていい病気に罹ってしまうのだ。自分が産んだ赤ちゃんが、今後どのようになっても、母親である自分にこそ、すべての責任があるのである。

 「夫が育児を手伝ってくれない」「実母や義母が育児を手伝ってくれない」という考え方は、根本的に間違っているのである。母親が育児において全責任を所有し、独裁を行わない限り、自分の夫を始め、他人の協力を得ることはできないのだ。母親である「あなた」が育児において独裁を行っているからこそ、他人が協力し始め、あなたを手助けしてくれるようになるのである。

 責任と権限は正比例するのだ。育児の最高責任者であるからこそ、育児において最高の権限が与えられるのである。そしてその権限を集中させるからこそ、最高の育児ができるのである。母親に育児の全責任があるからこそ、すべての権限を集中でき、自分が育児を真剣になって行うことができるのである。 

 独裁が危険に見えるのは、独裁を行っている者が、傲慢になってしまい、先祖の知恵や他人の適切な意見を聞かなくなった時に、独断が開始されてしまうからなのである。独断が開始されれば、愚につかぬ馬鹿げたことだけが行われ始めてしまうのだ。だから、独裁を行う者は、神を恐れて傲慢にならず、先祖の知恵や、他人が発する適切な意見に耳を傾けなくてはならないのだ。独裁というものは、独断を防止さえすれば、絶対に民主主義に勝つのである。

●真面目にやれば必ず評価される

 「夫婦が共同して育児を行う」とか、「民主主義的な育児」とかいうものは、学者や医者たちが唱えてくれば、もっともらしく聞こえる。しかし、そのような育児の仕方を実際に赤ちゃんを持つ夫婦が行ってみると、確実に育児が破綻してしまい、それどころか夫婦関係に亀裂が入り、離婚してしまう危険性ですら出て来るのだ。ということは、これらの学説は机上の空論であって、赤ちゃんのいる夫婦にとって、百害あって一利なしの学説なのだ。

 平等イデオロギーは、常に文明諸国の中を徘徊する「悪魔の思想」なのである。男女平等や民主主義は、人間たちから責任意識や義務意識を消し去ってしまい、自由や権利だけを主張してくるように仕向けてしまうからだ。自由や権利というものは、責任や義務を果たしてこそ行使できるものであって、責任や義務を果たさない者に自由や権利を与えてはならないのである。

 平等イデオロギーが蔓延すればするほど、誰も真面目に物事に取り組まなくなってくるのである。結婚だって真面目に取り組んでいけば、いくらでも面白くすることはできるのである。妊娠も出産も育児も、既婚女性が真面目に取り組めば、いくらでも面白くすることができるのである。人間が真剣になれるのは、自分に責任と義務があると自覚し、それをきちんと果たしているからなのである。赤ちゃんを産んだのに、育児に真剣にならず、育児の不満点をいくら上げて行っても、育児を巧く行うことができず、それどころか赤ちゃんが泣き叫んで、母親が何もしないことを弾劾してくることだろう。

 真面目に育児を行っていけば、必ずその育児で子供たちは健康に育ち、その育児の仕方は評価されることだろう。不真面目な態度や、手抜きや、不平不満というものは、いくら隠蔽しても、確実に発覚してしまうものなのだ。母親が真面目に育児に取り組んでいけば、その真面目さは確実に赤ちゃんに伝わり、母親からの愛をきちんと受け止めることができることだろう。

 真面目に育児を行っている母親たちは、「誠実」であり、「勤労」であり、「感謝」の感情に満ちているものである。自分が自分に正直で誠実だからこそ、自分に迷いがなくなるのである。自分が勤労に徹するからこそ、育児も家事も仕事もすべてが巧く行き出すのである。自分がどんなに苦労をしたとしても、感謝の感情に満ちているからこそ、周囲の人々が快く手助けをしてくれて、和気藹藹になるのである。

 先進国では文明が爛熟してしまうので、どうしても平等イデオロギーが蔓延してしまい、そのため出鱈目な育児が罷り通ってしまうのだ。だから、そういう愚劣な意見には決して耳を傾けないことだ。自分が育児をやった結果は、すぐさまに出て来ないのである。その赤ちゃんが大きくなってから出て来るのである。正統な育児の方法というのは、「育児の全責任は母親にこそある」という意見をきちんと言っている育児法だけである。これ以外の方法でいくら育児をやっても、どうやっても育児の楽しみが解らず、絶対に育児は破綻してしまうのだ。育児の楽しさを味わいたいなら、母親である自分に、育児の全責任があると覚悟を決めてしまうことだ。育児の最高責任者のもとに、育児の最高の楽しみがやってくるのである。

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育児の第二法則「育児におけるエネルギーの集中」 ~家庭と仕事の両立に悩むより、育児に専念しよう~

●家庭と仕事の両立は有り得ない

 子供を持った母親たちが悩む問題で最大なものが、「家庭と仕事の両立」であろう。家庭を持ち、家庭を幸せにしながら、仕事も頑張って、仕事で成果を出したいという、欲張りな欲望を持ってしまうのだ。だが、そういった悩みは、育児を始めてしまえば、すべて吹き飛んでしまうのだ。結論は、母親にとっては育児がもっとも大事なのである。

 何事もエネルギーを分散していては成功することが覚束ない。育児もエネルギーを集中させるからこそ成功し始めるのである。そこで育児の第二の法則、それは「育児におけるエネルギーの集中」である。育児の成功と失敗は、夫婦の総合力で決まるのではなく、実際に育児の現場における育児エネルギーの強弱によって決定するのである。要は、集中的に育児エネルギーを行使していくことなのである。

 育児はいくら父親が心優しい男性でも、いくら母親が母性愛豊かな女性でも、その夫婦に高額所得があっても、実際に育児の現場で、両親が育児エネルギーを集中して使っていかないと、育児を巧く行うことができないのだ。いくら父親が心優しき男性でも、育児に必要なお金を稼ぎ出してこなければ、育児がトラブル続きになってしまうし、いくら母親が母性愛豊かな女性でも、実際に育児を集中的に取り組まなければ、育児は失敗続きになってしまうことだろう。いくら高額所得の夫婦であったとしても、家計簿をつけて、育児にかかる費用を生活を破綻させることなく用意し、投入していかなければ、育児が経済的り理由から破滅していくことになるだろう。

 赤ちゃんを産んだのであるならば、まずは育児を最優先するべきなのである。育児が始まったばかいrだというのに、家庭と仕事の両立の問題に囚われているようであったら、いつまで経っても育児を巧く行うことができるようにならないだろう。まずは育児にエネルギーを集中させて、育児の遣り方を習得していくべきなのである。

 赤ちゃんが泣いて母親を呼んでいるというのに、それを放ったらかしてすべき仕事があるのだろうか? 育児が軌道に乗るまでは、育児を集中的に取り組んだ方が、育児は巧く行くのだ。家庭も仕事もという考えだと、家庭のことも、仕事もことも、一人前になることができないのだ。すべてのものが中途半端になってしまうのだ。

●育児に真剣に取り組めば、育児のコツが解ってくる

 何事も真剣にやらなければ、マスターできない。育児だって母親が真剣に取り組まなければマスターできないのだ。育児を真剣に取り組んでいるからこそ、育児の遣り方が解ってきて、育児のコツが解ってくるのだ。育児のコツが解りさえすれば、全力を投入しなくても、僅かなエネルギーで育児をこなしていくことができるようになるのだ。

 見てみるがいい。育児でトラブルを起こし続けている母親たちや、育児で失敗ばかりし続けている母親たちは、赤ちゃんを産んだのに、育児を最優先させず、育児以外の所にエネルギーを投入してしまったからこそ、育児でトラブルが発生し、失敗が起こってしまうのである。赤ちゃんを産んだのに、母親の心が赤ちゃんに向いていないのだ。「心ここに有らず」なのだ。

 母親はエネルギーを集中させて、育児を効果的に行えば、育児の成果を最大化できるのだ。いかに育児の初期の段階で育児に真剣に取り組んで、実際の育児の現場でエネルギーを投入していくかで、その後の育児の成否が決まってしまうのである。育児の成否は育児の初期で大体決まってしまうのである。

 父親の育児における最大の任務は、育児にかかる費用を稼ぎ出すことである。父親は育児にエネルギーを集中するのではなく、仕事に集中して仕事で成果を出すべきなのである。父親といえども、短期間に集中的に育児を行うなら、育児を巧く行うころができるのだ。しかし、それは父親が仕事をして、お金を稼ぎ出した上での話なのである。

 専業主婦と兼業主婦を比較すると、専業主婦の方が圧倒的に育児が巧くなる。専業主婦の方が育児にと投入しているエネルギー質量が圧倒的に多くなるからである。現在、専業主婦はフェミニストたちから徹底的に批判され罵倒され続けているけれども、育児に関しては圧倒的に優位に立っているのである。

 兼業主婦であるならば、仕事をしながら育児をしても、育児を中心に生活を進めていけばいいのだ。自分の心の中で育児を最優先しているという覚悟があれば、育児において効果的に育児エネルギーを投入していけばいいのだ。「お母さんはいつも赤ちゃんのことが一番大事だよ」という気持ちは、必ず赤ちゃんに伝わっていくものなのだ。

●「愛は多能であり、お金は万能である」

 この世には「所得の格差」や「男女の性差」が存在するのだから、「育児の格差」だって存在する。所得の格差は、自分が選んだ職業によって所得が決定され、男女の性差は、生まれた時の性別で決定されてしまうが、育児の格差は、その夫婦の家族運営の仕方で決まってしまうのだ。

 夫婦には、「仕事」「家事」「育児」があって、夫は仕事に集中し、妻は育児に集中してしまい、家事の大半を妻が行い、夫が家事を少し手伝うようにすると、家族の生産力は最大化するのである。夫は仕事に専念してくれた方が、家族の収入を増大することができるのである。夫はあくまでも、育児の補完をしてくれればいいのだ。育児に専念するのは、妻であった方が、育児エネルギー質量を最大化することができるのだ。

 政府が勧めている「夫婦が共同して育児を行う」というスローガンは、耳には心地よく聞こえても、実際にやってみると、すべての夫婦がその家族の生産力を激減させてしまうのだ。この愚かなスローガンの最大の落とし穴は、育児ばかりに目を奪われて、仕事や家事の重要性を見過ごしていることだ。

 夫婦にお金がなければ育児だってできないのだ。家事をしなければ育児だってできないのだ。育児の中でもっとも大事なのは、母親が出してくる母性愛だが、次に大事なのは父親が稼ぎ出すお金なのだ。母親が育児をそっちのけで働かねばならないというのは、父親の稼ぎでは足りないから働いているのである。もしも、父親の稼ぎで充分に費用が足りるなら、母親は育児に専念する筈である。政府がとやかく育児のことをいうなら、税金を安くすればいいのだ。所得税の税率を一律10%以下にしてくれたら、すべての夫婦は育児費用を充分に確保できるのだ。税金が高いからこそ、育児費用が足らなくなってしまってい、母親が働きに出て行かざるを得ない状況になっているのである。

 「愛は多能であり、お金は万能である」のだ。愛は多くのことを成し遂げることができても、お金の力には負けてしまうものなのだ。かといって、お金がすべてではないのだ。愛なくして人は生きていけないのだ。だからこそ、税金を安くして、育児をしている夫婦からお金を巻き上げることなどすべきではないのだ。

●育児をしながらでもできる仕事を探すこと

 生活費が足らないために、どうしても働かなければならない母親は、育児を放棄してまでしなければならない仕事を絶対に選ばないことだ。そういう仕事は赤ちゃんのいる母親がやるべき仕事ではないのだ。絶対に給料の高さに目が眩んではならない。今までの仕事の給料よりも安くていいから、育児をしながらできる仕事を探すべきなのだ。

 家庭と仕事の両立が問題にならないのは、夫婦で同じ仕事をしている場合だろう。農業や漁業や酪農や自営業や、夫婦で会社を経営していれば、夫婦で融通が効き合うので、家庭にも仕事にも充分にエネルギーを投入することができるのだ。家庭と仕事の両立をしたいのであるならば、誰かに雇われるような仕事をやめ、夫婦で起業すればいいのである。

 専業主婦であるなら、夫のバックアップをして、夫の稼ぎを最大化できるようにすることだ。それと共に、家計簿をきちんとつけて、資産運用を担当することだ。所得収入の20%を天引きして、それを貯金して運用していく。資産運用で得た収入は、絶対に生活費に回さない。すべて再投資していき、資産を雪達磨式に増加させていくのだ。家計というのは、資産が多ければ多いほど、家計の運営は非常に楽になるのだ。資産がないのに、所得だけを増やして行っても、家計は苦しいままなのだ。

 兼業主婦であっても、専業主婦であっても、家計簿をつけない限り、いくら収入があっても、生活費も育児費用も足りなくなってしまうのだ。育児費用が足りないと騒いでいる母親たちは、必ずといっていいほど、家計簿をつけていないのだ。母親は家計簿をつけていれば、家族内のお金の流れが解るので、必要な育児費用は必ず確保できるようになるのだ。

 特に兼業主婦の場合、いくら自分が働いてお金を稼ぎ出しても、家計簿をつけていないと、夫婦で充分な所得がある筈なのに、お金が足りなくなってしまうという状態になってしまうのだ。言わば、企業における黒字倒産が、夫婦の間でも起こってしまうのだ。仕事をし、家事をし、育児をした後で、家計簿をつけるのは大変だろうが、家計簿をつけて、自分たち夫婦のお金の流れをきちんと掴んでおこう。

●育児にかけなければならない歳月は、たかだが十数年である

 育児をエンドレスで考えるのではなく、終わりから逆算して考えることだ。人間が成長しきるのは19歳までなので、高校卒業までは責任を持って育てることだ。しかも、母親としてもっとも重要な期間は、その半分にも満たないのだ。赤ちゃんが本当に母親を必要とするのは、せいぜい3歳までで、小学生になれば、学校生活が重要になっていき、中学生になれば反抗期が始まって、親離れしていくのだ。高校生の時はもはや母親の存在をほとんど必要としなくなるのだ。

 育児をする期間というのは、長いようで、実は短いのだ。母親が育児にかけなければならない歳月は、たかだか十数年なのである。その僅かな歳月を、仕事に費やしてしまい、育児の楽しみを僅かな給料に変えてしまうべきではないのだ。育児をするなら、まずは育児を最優先にしていれば、お金はいくらでもついてくるものなのだ。お金を最優先にしてしまえば、育児の楽しみなどなくなってしまう筈だ。育児は誰がどうやろうが、お金がかかるものなのだから、そんなにお金が欲しければ、赤ちゃんを産まなければ良かったのだ。

 国民の精神が腐敗し、社会も行き詰まってくれば、人々は拝金主義的になってしまい、女性たちが結婚もせず、赤ちゃんを産まずに、「贅沢三昧」「淫乱三昧」をするようになるのだ。そのくせ政府に社会保障を要求して、税金を高くしていってしまうのだ。これでは国力は衰退し、国民は益々貧しくなっていき、少子化は国民を滅亡するまでの危険性を発してくるのだ。

 政府が少子化の問題を解決したいのであるならば、「法の支配を確立して、私有財産制度と家族制度を守る」「国民租税負担率を10%以下にして、国民を豊かにさせる」「政府を小さくし、公務員を少なくさせる」「社会主義者やフェミニストたちを教育関係の仕事に就職させない」「結婚し子供のいる夫婦を優遇して、給料が高くなる措置を取らせる」、この5つの政策を実行すれば、立ちどころに少子化の問題を解消させることができることだろう。

 赤ちゃんがいるのであるならば、子供がいるのであるなら、「社会福祉の充実」を訴えてくる政治家に「NO!]を突き付けるべきなのである。いくら社会保障を充実させても、その費用はすべて国民の税金から賄われるのである。しかも、社会保障を整備した所で、行政が行うサービスは物凄く悪いし、政治家も官僚も社会保障を利用して汚職を繰り返すだけなのである。国民が必要な保険や共済は民間に任してしまった方が、巧いサービスを国民に提供することができるのである。社会保障というのは、誰がどうやったとしても、実際に育児をしている夫婦たちから育児費用が不足してしまうほどの重税をかけることでしか維持できないものなのである。

 我が子が赤ちゃんの時にきちんと育児をしていないと、育児の喜びを味わうことなく過ぎ去っていってしまうし、子供は子供で反抗期になって凄まじい反抗を企ててくる、それこそ反抗期に犯行を仕出かすようになるのだ。育児というのは、若い時にしかできないのだ。育児ができる期間というのは、実は時間制限があるのだ。

 だからこそ、育児をしている時は、育児エネルギーを集中させて育児をしていくべきなのである。それと共に、「社会福祉の充実」を掲げて、実際に育児をしている夫婦の経済状況を悪化させようと企む政治家たちを選挙で落選させるべきなのだ。夫婦が妊娠することに政府が介入できないように、育児も政府が介入できるものではないのだ。もしも、政府がその禁制を破れば、実際に育児をしている夫婦たちの家計を破壊することにしかならないのだ。

 育児をしていれば、お金が必要となってくる。だからといって、育児をそっちのけで働いてしまったり、政府の介入などを呼び込むような「悪魔の誘惑」に乗らないことだ。そういう母親たちは、育児を真剣に行っていないだけなのだ。赤ちゃんを産んだのに、赤ちゃんの真正面から向き合うことをしていないのだ。育児エネルギーを集中させて、育児を行っていけば、育児の楽しさが解ってきて、その楽しさが更なる幸せと豊かさを呼び込むものなのである。だからこそ、昔の人々は、赤ちゃんを「子宝」といったのである。

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育児の第一法則「母性愛増大による圧倒的優位」

●育児の最重要ポイントは「母性愛の増大」にある

 育児には法則がある。育児を自分勝手に進めていては、自分のエネルギーを凄まじいまでに浪費して、疲労困憊になってしまう。育児を自分勝手に行うのではなく、その育児の背後にある法則を見つけだし、その法則に忠実になるからこそ、新米ママであったとしても、育児を巧く行え、育児を成功へと持って行くことができるようになるのだ。

 育児の第一法則、それは「母性愛増大による圧倒的優位」である。育児の最重要ポイントは、母性愛の増大にこそあるのだ。生まれたての赤ちゃんがもっとも欲しいのは、母親からの母性愛であって、母親がこの母性愛をちゃんと出せれば、基本的に育児は巧く行き出すのだ。

 育児とは、育児テクニックで行うものではないのだ。母親に母性愛がちゃんと出て来れば、必要な育児テクニックは揃ってくるものなのだ。赤ちゃんを産んだら、育児の要領の良さを求めて、育児テクニックに走るな。育児テクニックに走れば、絶対に母親が潰れてしまうのだ。育児は当面の間、要領よくいくわけがないのだ。最初は試行錯誤の連続なのだ。

 育児でもっとも危険なのは、母親が自分の母性愛少なさゆえに、他の母親たちと競争をしてしまうことだ。母親が赤ちゃんと競争したり、母親が他の母親たちと競争してしまい、赤ちゃんに母性愛を注ごうとしないのだ。育児で競争をしようとするな。競争を恐れよ。育児に競争など必要ないのだ。母親が母性愛を注がなければ、自分の子供たちに心の闇を作り出してしまうことになるのだ。母親から母性愛を貰っていないがゆえに、歪に成長してしまったからだ。

 育児に必要な愛はたくさんある。その中でも母性愛こそがもっとも重要であって、この母性愛を母親が増大させていけば、圧倒的優位に立つことができるのだ。母性愛の多い母親は、育児に必要なテクニックを揃えることができ、育児が巧く行き出すのだ。母性愛の多い母親は、他の母親たちの存在に惑わされることなく、自分の赤ちゃんの成長をマイペースで行っていくことができるのだ。

 母性愛の増大こそは、育児の要であって、この重要性が解らない人や否定してくる人は、育児をやったことのない人か、平等イデオロギーを以て平等化された人間を作り出そうとしている人か、2つに1つである。育児にまともに取り組んでいれば、母親が出す母性愛こそが育児でもっとも重要であるということは解る筈である。

●家庭内の愛の流れ方

 女性が赤ちゃんを産んだからといって、母性愛が出て来るわけではないのだ。母性愛は、まずは女性が母親になってくれない限り、母性愛など出て来ないのだ。母性愛をちゃんと出したければ、家庭内でその女性が母親としての地位を獲得し、自分もそれを受け入れなければ、母性愛を出し続けることはできないのだ。

 家庭内の愛の流れは、父親から母親へ、母親から子供たちへという流れになる。家族というのは、表面的には父親を家長にして、その下に母親、その下に子供たちという形を取る。その表面的な秩序が成立していれば、家庭内では母親を中心に母親は父親に夫婦愛を注ぎ、子供たちには母性愛を注ごうするのだ。

 それゆえ、まずは夫が父親に成長して、家族を外敵から守り、家族の間違ったことを糺すという「父性厳」を発揮して、家族の秩序を作り出していく。そして妻には夫婦愛を注ぎ、子供たちには父性愛を注ぐ。次に妻が母親に成長して、家族の内部を充実させていき、家庭内が愛と喜びに満たされるように、夫には夫婦愛を注いで、子供たちには母性愛を注ぐのだ。両親がこのような行動を取ってくれると、子供たちは両親から充分な愛情を貰え、善悪が解る人格を持った子供たちに成長していくことができるのだ。

 夫婦共々より多くの愛を出していこうするなら、「夫婦共通の夢」が絶対に必要である。自分たち夫婦の将来の夢が明確になっていれば、夫婦は手を取り合って協力するようになり、夢に向かって走り出すことで前進していき、その過程でより多くの愛を出せるようになるからだ。

 この「愛」「厳しさ」「夢」の三つが揃わないと、夫は父親にならないし、妻は母親になれないし、子供たちは愛の不足でまともに成長しなくなるのだ。この「愛」「厳しさ」「夢」を育児をしながら揃えていくのではなく、出産した段階で揃えておかなければならないのだ。出産前に夫婦がきちんと夫婦らしくなっていれば、スムーズに家族を形成しだすのだ。

●父親を立てると育児が巧く行き始める

 育児を巧く行いたいなら、夫を立てるべきなのである。夫を立て、夫が父親らしくなってくれれば、妻は楽な形で母親になることができ、自分の心の中から母性愛を出して行くことが可能になるのである。育児を巧く行いたい母親は、赤ちゃんばかりに注目してしまいがちだ。しかし、実際は赤ちゃんにではなく、夫に注目すべきなのである。夫こそが育児の成功の鍵を握っているのだ。

 夫婦に夫婦愛がきちんと成立していれば、自然と母性愛は出て来るのだ。妻は自分の夫から愛されていないと、我が子を愛情持って育てようとしなくなるのだ。妻は「自分は夫から愛されている」と思うからこそ、我が子を愛情持って育てようと仕出すのだ。妻は夫から愛されていないと解ると、心の中で怒りの炎が燃え上がって来てしまい、その怒りの炎が愛を消し去ってしまうのだ。愛と怒りは絶対に両立できないのだ。どちらかを立てれば、どちらかが倒れるしかないのだ。

 夫婦は四六時中一緒にいるわけではないのだ。同居していても、夫が仕事をしていれば、夫婦が一緒にいる時間は朝と夜しかないのだ。増してや、夫に出張が多かったり、単身赴任であったら、夫婦が一緒にいる時間が激減していく。しかし、夫婦愛は夫が妻を愛し、妻が夫を愛していれば、必ず伝わってくるものなのだ。時間ではないのだ。愛の量ではないのだ。夫婦双方がきちんと愛を出し、それをきちんと受け止めることこそが大事なのだ。

 そして、妻が夫を立てると、母性愛が巧く流れ出していくのだ。母性愛は家庭内で秩序が形成されていればこそ、コンスタントに出て来るものなので、平等を唱えると、母性愛が流れ出なくなってしまうのだ。男女平等を家庭内に入りこませてしまうと、夫婦は憎しみ合い、母親は子供たちに愛情を注げなくなってしまうのだ。赤ちゃんを産めば我が子を愛するのが当たり前なのに、平等イデオロギーに洗脳されてしまったばっかりに、我が子を愛せなくなってしまうのだ。

 だからこそ、夫婦は精神的に独立していることが絶対に大切なのである。自分たちの成長過程で、従属から自立していき、自立したら結婚することで独立していき、平等を拒否するべきなのである。人間は精神的に自立していなければ、いくらでも平等イデオロギーに洗脳されてしまい、この世の不平等や格差を憎み続けるだけの人間になってしまうのだ。

 母性愛は家族内で不平等が成立していなければ出せないものなのである。母性愛はどの女性も出せるものではなく、原則として結婚して子供のいる母親にしか、まともな形で出せない愛なのである。言わば、女性同士でも格差がある愛なのである。「不平等は怪しからん」「格差があることはいけないことだ」と主張しているようであるなら、その女性の心の中からまともな母性愛など出て来はしないのだ。この世は不平等であり、必ず格差が存在している事実を受け入れるからこそ、まともな母性愛が流れ出してくるのである。

●否定するのではなく、肯定してあげること

 母性愛は絶対肯定の愛だから、赤ちゃんが生きていることを肯定してあげればいいのだ。自分の赤ちゃんがこの世に存在してくれていることが嬉しいのだから、その喜びを表現していけばいいのだ。赤ちゃんは母親が肯定してくれれば、その通りに育つし、母親が否定してくれば、その通りに育ってしまうのだ。

 最初の頃は、母性愛を巧く出せないから、赤ちゃんの行動を否定的に取ってしまいがちだ。「どうしてオッパイを飲んでくれないの!?」「どうしてウンチをしまくるの!?」「どうして夜泣きをするの!?」と、とにかく赤ちゃんの行動を否定してしまうのだ。自分の赤ちゃんを絶対肯定できなければ、いくらでも赤ちゃんの行動を否定してしまうのだ。

 そういう時は、言葉遣いの基本を、「駄目だ」ではなく、「凄い!」に変えることだ。「オッパイを飲んでくえてる。凄い!」「ウンチをしてくれた。凄い!」「夜泣きをしてくれた。凄い!」と変えていくことだ。赤ちゃんは必要があるからやっているのであって、まずはそれを肯定してあげるのだ。肯定してしまえば、赤ちゃんの行動は苦痛にはならないのだ。

 これができれば、赤ちゃんがハイハイをできた時、「ハイハイができて凄い!」になるし、赤ちゃんが初めて言葉を発した時、「初めて喋れるようになって凄い!」になっていくのだ。赤ちゃんの行動を肯定できるからこそ、赤ちゃんはすくすくと成長していってくれて、母親にたくさんの喜びをプレゼントしてくれるのだ。赤ちゃんの行動を否定し続けていれば、その喜びを味わえなくなってしまうだけなのだ。

 だからこそ、我が子がこの世に存在していることこそが凄いことだと思うことが大切なのである。母性愛がないと、どうしても育児マニュアル本や育児雑誌に頼ってしまいがちだ。それらを参考して頼ってしまえば、育児が破綻していくのは、火を見るよりも明らかなのだ。我が子の凄さに気づけなくなってしまうからだ。

●自己中心から神中心に変えていくこと

 人間は自己中心的に生きようとすると、不幸の連続になっていってしまうのだ。なぜなら、自分は成長してので、昔の自分に拘っていると、自分がいつまで経っても成長できなくなってしまうのだ。いつまでの立ち止まっているのではなく、偽りの自分を捨て、本当の自分に目覚め、そして新たな1歩を踏み出していくことだ。

 自己中心を捨てて、神中心に変えていくことだ。いくら自分が赤ちゃんを産んだからといって、赤ちゃんを自分の所有物だと思わないことだ。この赤ちゃんは神様からの授かり物だと思うことだ。そして、神様から自分に与えられた仕事をこなしていくことだ。自分の存在よりも、この世の至高の存在者を中心に考えていくと、自分がやるべきことが、きちんと解ってくるのだ。

 育児を成功したければ、「素直に」「謙虚に」「奉仕させていただく気持ち」で行うことだ。育児の巧い母親たちは、どれもみな素直である。赤ちゃんが泣いたら、すぐに母乳を与える。赤ちゃんがウンチをしたら、すぐにオムツを交換する。誰かに仕家事や事を頼まれたら、すぐに取りかかって片づけてしまう。素直だから、育児も家事も仕事も、すべてが巧く行き出すのだ。

 育児の巧い母親たちに限って、謙虚である。母親として学ばねばならぬことが、たくさんあるので、身を低くして、教えを乞うのだ。自分が傲慢になってしまえば、この世でもっとも優れた人が教えを説いたとしても、自分の耳には入ってこないのだ。謙虚になれば、自分に必要な教えが、自然と耳に入ってくるのだ。

 自分が育児をしているのではなく、赤ちゃんに奉仕させていだく。自分が家事をやっているのではなく、家事を通して、家族に奉仕さていただく。自分が仕事をやっているのではなく、仕事を通して、世のため、人のため、お国のために奉仕している。こういう気持ちになれば、一流の育児や一流の家事や一流の仕事ができるようになるのだ。

 そして、これらのことができたなら、何事をやるにしても「スピードをあげる」ことだ。チンタラやっていたら、何事も失敗してしまうのだ。「後でやる」のではなく、「今すぐ行う」ことだ。育児も家事も仕事もスピードを上げて行うと、スムーズに行え、成果を最大にしていくことができるようになるのだ。

 育児が大変だと言っている母親たちは、すべての物事を自分一人で抱え込んでいるから、育児が苦痛になってしまうのだ。自己中心で生きるのではなく、神中心に生き方を変えることだ。神中心だと、自分が人生の重荷を背負うことがなくなり、自分のポジションが解ってきて、自分がやるべきことが解ってくるのだ。育児を開始した母親が今やらなければならないことは、自分の赤ちゃんに母性愛を注いでいなかなければならないということなのだ。この母性愛は増大させていこうすれば、いくらでも母性愛は出て来るものなのだ。出し惜しみなどせず、自分の心の中から母性愛を出していけばいいのだ。母性愛を出せば出すほど、赤ちゃんはすくすくと育っていけることになるのだ。

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第八章 育児

母親になるということは、娘の頃の気持ちを忘れてしまうということである

●結婚前の記憶を忘れてしまうからこそ、育児が巧く行き出す

 人間の記憶の仕方には、或る一定の重大な法則がある。それは、昔の記憶を捨て去れば、今の自分に必要な新しい情報がいくらでも入ってくるということである。育児においてもこの法則は作動してくるのであって、結婚前の記憶を忘れてしまうからこそ、育児は巧く行き出すのだ。母親になるということは、娘の頃の気持ちを忘れてしまうということなのである。

 育児で成功している母親たちは、長年の努力をし続けて母親になっていったのではないのである。早い段階から、中には最初の段階から、既に母親になっていたのである。勿論、出産しても、体がすぐには母親として活動できるのではない。しかし、既に自分の精神が「母親モード」になり。母親としての考え方ができてしまうのである。

 これに対して、育児でトラブルを起こし続け、不要な失敗を繰り返し、中には育児だけでなく、夫婦関係まで悪化させてしまう母親たちは、出産して母性ホルモンが出ているのに、自分の考え方が母親モードになっていないのだ。いつまでも自分を母親と規定するのではなく、単なる女性として規定してきてしまうのだ。はっきりと言わしてもらえば、未婚女性の精神状態では、育児をすることはできないのだ。

 母親の精神状態になっているからこそ、ちゃんと育児ができるのである。ところが、育児には非常に間違った意見が出回っているのだ。例えば、「子育ては母親育て」だというふうに。確かに母親の仕事をしていけば、育児は上達はする。しかし、その上達したものは、育児のテクニックがメインであって、母親の精神ではないのだ。母親が努力することによって徐々に母親になっていくのではないのだ。スタートの時点で既に母親になっているからこそ、育児の巧い母親になれるのである。

 この世には不妊症や不育症といった病気がある。不妊症でも不育症でも、体が健康でちゃんと赤ちゃんを妊娠し出産できる筈なのに、不妊症や不育症を発症してしまう女性たちがいるのだ。なぜ不妊症や不育症を患うかといえば、自分が母親になれる精神状態になっていないからこそ、不妊症や不育症を患ってしまうのだ。

●育児の巧い母親になるべきであって、物解りのいい母親になってはならない

 人間はすべてのものを詰め込んで、成長していくわけではない。それまでのものを捨て去っていくからこそ、成長していくことができるのである。小学生になったら、幼稚園児の頃の記憶は忘れていってしまうのである。中学生になったら、小学生の頃の思い出は忘れていってしまうのである。大学生になったら、高校生の頃の経験を忘れていってしまうのである。そうやって忘却していくからこそ、人間は成長できるのである。

 もしも、出産して赤ちゃんが生まれていたというのに、結婚前の記憶を大量に維持していたら、真正面から育児に取り組むことはできないことだろう。結婚以前の記憶を忘れてくれるからこそ、育児で学ばねばならない情報が頭の中に入ってきて、育児をきちんと行うことができるのである。

 女性にはいつまでも若く美しい姿でいたいという願望が備わっている。しかし、自分の肉体的な若さ美しさを維持するのは良いことかもしれないが、自分の精神がいつまでも未熟で成熟しないというのでは、その女性はどこかに重大な精神的な欠陥のある女性なのである。人間の精神は物事を経験していけば、いくらでも成長していくものなのである。その成長を止めてしまったら、不幸が連発してきてしまうのだ。

 例えば、「友達感覚の親子関係」といったりする母親たちは、母親としてなんら成長していない女性たちなのだ。そういう母親は母親になっていないし、精神的に自立してすらいないのだ。親子は決して友達同士ではない。子供は母親が産まぬ限り存在できない生命体である。親子とは基本的には上下関係なのである。母親は子供に対等に接するけど、親子というのは、基本的に上下関係なのである。

 自分の子供たちに対して物解りのいい母親になってはならないのだ。自分が母親になるということは、自分が子供の頃に何を考えていたかを奇麗さっぱりに忘れているということなのだ。そんな母親が子供たちの気持ちを解るわけがないのだ。母親は育児の巧い母親になるべきであって、子供たちの気持ちをすべて解るような不気味な母親になってはならないのだ。

●思い残しているものがあるからこそ、前に進めない

 赤ちゃんを産んだのに、精神的に母親になることができない女性たちは、当然に精神的に独立していないし、下手をすれば精神的に自立していないことすら有り得るのだ。この結婚したのに精神的に自立していない女性たちがいるからこそ、精神的に自立できず結婚を拒否せざるを得ない女性たちのためのイデオロギーであるフェミニズムを、既婚女性たちが熱心に支持してしまうという奇態な状況が出て来てしまうのだ。

 母親になったのに母親になれない既婚女性や、結婚したのに精神的に独立できていない既婚女性は、重大な何かを思い残しているからこそ、自分の人生が前に進めないのである。自分の精神の成長を止めてしまったり、自分の精神レベルを下げることによって、その自分の異常さを隠そうとしているのである。では、その彼女たちの異常さは一体なんのか?

①両親からの「父性愛」や「母性愛」の不足

 それは両親からの「父性愛」や「母性愛」の不足だ。母性愛は絶対肯定の愛だから、自分が子供の頃に母親からこの母性愛をきちんと貰っておかないと、成長していく自分を肯定できなくなってしまうのだ。父性愛は絶対価値の愛だから、自分が子供の頃に父親からこの父性愛をきちんと貰っておかないと、成長していく過程で、一体何が自分にとって本当に価値あるものなのかの判断ができなくなってしまうのだ。自分が赤ちゃんを産んだら、精神的に母親として成長しなければならないという価値判断ができなくなってしまうのだ。

②親友と友情を構築できなかった

 女性にとって親友は中学生か高校生の頃にできる。この親友ときちんと友情を構築できないと、それが心残りとなって、自分の精神が成長してくれないのだ。女性にとって親友という存在は、女性同士できちんとした友情を築き上げる能力が決定的になる契機になるのだ。10代で親友がいない女性や、親友ときちんとした友情が構築できないと、その後の人生で女性同士でまともな友情を築けないことになってしまうのだ。

③恋愛の不完全燃焼

 女性の身に生まれれば、一度は身を焦がすような恋愛をしてみたいものだ。しかし、この恋愛を結婚前に真剣に取り組まず、セックスに溺れてしまうと、恋愛は完全に不完全燃焼になってしまう。そのため、恋愛が完全燃焼していないのに結婚してしまうと、結婚しいぇいるのに恋愛に恋い焦がれるという奇妙な現象を起こしてしまうのだ。早すぎる性体験が、「永遠の恋愛ヴァージン」を産んでしまうのだ。

④結婚前に一人前の仕事ができなかった

 女性が大学に進学して大学を卒業したなら、結婚前にきちんと仕事を行い、取り敢えずは一人前の仕事ができるようになるまで結婚すべきではない。しかし、就職して、20代という大事な時期をクラブや合コンなどで遊びほうけてしまうと、30歳になっても一人前の仕事ができないので、どうしても心残りが生じてしまうのだ。結婚して仕事をしたいと悶々としている既婚女性は、仕事を一人前にこなす能力がないし、自分が納得いく仕事をしたことすらないのだ。

⑤祝福されない結婚をしてしまった

 女性にとって結婚は自分の運命を左右してしまう人生の最大の転換期である。この結婚をなんらかの問題で祝福されない結婚にしてしまうと、この結婚は前途多難になってしまう。夫婦どちらかの両親の承諾を得ないまま結婚してしまうと、妻の方はそれが心残りとなって、赤ちゃんを出産したのに、母親としての自信を持てなくなってしまうのだ。結婚は男女個人の意志でするものだと思い込んでいると、結婚で大失敗をしでかしてしまうのだ。結婚には家系と家系が結び付き合うということも含まれているのだ。

●自分流より理想の母親像を持つこと

 自分のままでは、ママにはなれないのだ。それまでの自分を捨て去るからこそ、まともな母親になっていくことができるのである。古い自分ままでは、まともな母親になることはできないし、まともな育児もできないのだ。出産すれば確かに母性本能が宿るし、母性愛だって出て来ることだろう。しかし、母性本能や母性愛だけでは育児は巧くいかないのだ。

 精神的に独立できていない既婚女性ほど、育児で自分流を貫いてしまいがちだ。しかし、育児で自分流を貫いてしまえば、育児は困難の連続になってしまうのだ。先人たちの知恵を何も用いないからだ。先輩ママたちが獲得していった育児テクニックを何も用いないからだ。

 育児でもっとも大事なことは、自分流を貫くより、「理想の母親像」を持つことだ。自分が将来、このような母親になりたいということが解っていれば、そのような母親になっていくし、育児も猛スピードで巧くなっていくのだ。自分が将来、どのような母親になりたいのか明確にしていないと、育児は失敗の連続になってしまうのだ。

 「自然的マタニティーライフ」では、妊娠や出産や育児について、まず最初に「将来の明確なビジョン」が重要であると説いてきた。自然的マタニティーライフでは具体的なテクニックよりも、この「将来の明確なビジョン」こそが最重要なものなのだ。それさえあれば、既婚女性たちはそのビジョンを遅かれ早かれ実現できてしまうからだ

 母親になる自分にとって、理想の母親像は、「自分の母親」なのである。まずは自分の母親を手本してしまうことだ。反抗期をいい加減に終えて、自分の母親を自分の理想として受け入れることだ。そして、他に幸せに暮らしている他人の奥さんを参考にして、自分の頭の中で「理想の母親像」を構築していけばいいのだ。

●母親になれば、娘の気持ちは解らなくても、母親の心は解るもの

 母親と子供たちはいくら対等の立場に立っても、解りあえないものである。なぜなら、母親の精神レベルが子供たちの精神レベルより高いからなのである。子供たちは自分の母親を自分と同じレベルにしようとするのではなく、自分たちも早く成長して、自分の母親の精神レベルに到達していけばいいのである。

 親子の間には絶対に解消されることのない矛盾が存在するのだ。その親子の矛盾は延々と繰り返されるからこそ、民族は生命を産み出し、次の命を育むことができるのである。これは生命体の宿命なのである。人間を始めとする有りと有らゆる生命体は、決して平等にはなってくれないのである。不平等だからこそ、すべての生命は生存を維持できるのである。

 母親になれば、娘の気持ちは解らなくても、母親の心は解るものなのだ。自分が手探りで赤ちゃんを育てていけば、自分の母親の苦楽も解ってくるし、「うちの母親は、こういう気持でこういうことを言っていたのか!」と気づく時が必ずやってくるのだ。そうやって新米ママたちは成長していくのである。

 自分の母親の母としての気持ちが解ったということは、自分が母親として最低ラインをクリアしたということなのである。自分の頭の中で、母親としての精神状態が出来上がったからこそ、自分の母親の気持ちが解り始めたのである。この偉大なる変化は、育児を始めて数十年後に起こるのではないのだ。育児を始めて早い段階に訪れてくるのである。

 赤ちゃんを産んだのに、自分の精神が母親になっていないと、育児でトラブルを連発させるだけでなく、我が子を他の赤ちゃんたちと競争させてしまうような母親になってしまうのだ。母乳を早い段階でやめさせ、オシャブリを早い段階でやめさせ、オムツを早い段階でやめさせ、我が子を早くに自立させようとしてしまうのである。赤ちゃんは母親に従属し、母性愛を貰おうとしているのに、自分が精神的に自立していないために、自分の赤ちゃんに母性愛をあげることなく、競争に晒してしまうようになってしまうのだ。

 育児は他人と競争するものではないのである。達成よりも充実なのである。母親が育児に充実していれば、赤ちゃんはスクスクと育っていくのである。他の赤ちゃんと競争する必要性などどこにもないのである。母親がちゃんと母親になってくれて、母性愛をきちんと出せれば、赤ちゃんは安心して順調に成長していくのである。大事なことは、自分が母親となって、母親としてやるべきことをきちんとやって、日々の生活を充実させることなのである。

heart01heart01heart01heart01 タマティーからのお知らせ heart01heart01heart01heart01

 今回より、「育児」のシリーズ」が始まりますので、ココログの「育児のカテゴリー」を追加投入します。育児のカテゴリーにエントリーしているブロガーの皆さん、宜しくお願いいたします!happy01

 このブログの内容は非常にヘビーなものになっていますので、取扱いには充分注意してください。自然的マタニティーライフ」の立場から、「本当の育児はこうやるんだよ」ということを紹介していきます。

 このブログは、今まで通り、「不妊治療のカテゴリー」でもエントリーし続けますが、不妊症の女性たちの皆さんは、育児となると今現在では関係ないことなのですが、「育児ってのはこうすればいいんだよ」ということが解っていれば、自分が出産して育児を始めた時に非常に楽になると思います。

 大事なのは、自分たち夫婦に赤ちゃんがいる「イメージ」であって、不妊治療に埋没してしまうことではないんです。自分の頭の中に幸せなイメージが出来てしまえば、そのイメージは必ず現実化します。幸せを創り出したいなら、不幸の原因を探し出すのではなく、未来における自分の幸せな姿を想像してしまうことです!

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