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新米ママを襲う「魔の3ヵ月」

●生後3ヵ月までは育児で悩むもの

 人間の生活とは「ひとコマ」「ひとコマ」切り離されて存在しているのではない。人間の生活は流れの中で存在しているのだ。既婚女性にとって、結婚から妊娠、出産、そして育児の開始という、いわば「マタニティーフィーバー」が続いてきたのである。結婚した女性にとっては、結婚式は人生最大のイベントになるだろうし、妊娠も「ツワリ」を除けば、、「妊娠フィーバー」を繰り返してきたのだ。初めて妊娠を確認できた時の喜び、妊娠中に妊婦モードになり、未来の赤ちゃんを想像する喜び、お腹が大きくなって胎動を感じる喜び、どれも喜びの連続となるのだ。出産時には陣痛や出産での痛みはあっても、逆にその痛みがあるからこそ、赤ちゃんが生まれた時の喜びは非常に大きく、「出産フィーバー」は頂点に達するのである。育児が始まれば、初めての赤ちゃんを育てる喜びに満ち溢れ、夫婦揃って「「育児フィーバー」の中で取り組むのである。

 世間では「マタニティーブルー」を問題視しがちだが、殆どの既婚女性たちは「マタニティーフィーバー」を経験して、その喜びと感動を最高レベルに持っていくのである。結婚によって「プラスのスパイラル」が強烈に作動して、喜びが更なる喜びを産み、感動が更なる感動を産むのである。これこそが人類が結婚制度を維持してきた最大の利点であって、独身では絶対に作り出せない喜びや感動を結婚によってのみ作り出せるのである

 が、恐ろしいのはその後なのである。「プラスのスパイラル」が一転して「マイナスのスパイラル」に変わってしまうのである。「マタニティーフィーバー」から「育児ノイローゼ」へと突入してしまうのである。育児ノイローゼになると、悲しみが更なる悲しみを呼び、苦痛が更なる苦痛を生み出すのである。それが丁度、育児を始めてから3ヵ月後に起こってくるのである。

 一体どうして、こんなことが起こるのか? それは「妻」のままでは、育児ができないからなのである。既婚女性は結婚して妻という身分を獲得し、その後、出産によって母親に成っていくのだが、育児を開始しても、きちんと母親に成りきれていないと、当然に育児に悩み始め、育児ノイローゼに成ってしまうのだ。

 そもそも人間の長期的な集中力は3ヵ月が限度である。人間の長期的な集中力はその程度しか持たないのだ。新米ママがいくら意気込んで育児を一生懸命にやろうとしても、3ヵ月辺りに成り出すと、育児をしようという意欲は下がり、育児疲れが出始め、育児に対する自信をなくして、育児ノイローゼになっていくのである。しかも、「マイナスのスパイラル」が作動しているから、その悲しみや苦痛をいくらでも増加させていってしまうのである。これが新米ママを襲う「魔の3ヵ月」といわれるものなのだ。

●夫は妻の異常を察知して、妻と赤ちゃんを引き離すこと

 妻が育児ノイローゼに罹った場合、夫はとにかく妻の異常をいち早く察して、妻と赤ちゃんを引き離してあげることだ。夫は育児に協力しなくてもいいから、こういう時だけは働いておくと、日頃、「育児を手伝って!」とは言われなくなるのだ。夫は赤ちゃんを連れて散歩でもしてくればいいのだ。育児で疲れきった妻を一人にさせてあげることだ。

 赤ちゃんと離れることで、妻を冷静にさせるのだ。人間はどんなに人のいい人であっても、いつも同じ人と一緒に居ては、息が詰まってしまうのだ。赤ちゃんとはいえ、一時的に離れることで、そのストレスが激減し、自分を取り戻すことができ、再び育児に取り組もうという意欲が湧いてくるのだ。

 それと共に、夫は妻から育児に関する悩みを聞くことだ。その育児の悩みに対して、いきなり解決策を出さなくてもいいいのだ。まずは妻の話を聞いてあげることだ。但し、気をつけておくべきことは、夫も仕事で疲れきっているので、妻から育児の悩みを聞く時は、すぐさま帰宅しないで、仕事帰りに寄り道して、少し休んでから帰宅することだ。喫茶店に入ってお茶を飲むとか、スポーツジムで汗を流すとか、仕事の疲労を吹き飛ばしてから帰宅することだ。育児の悩みを聞くというのは、聞いている方も非常に疲れるものなのだ。夫が仕事で疲れているのに、更に妻から育児の悩みを聞こうとすれば、いくら冷静に聞こうとしても夫婦喧嘩に陥るのが落ちなのだ。もしも妻から育児の悩みを聞くことで自分の仕事に支障が出てしまうようであれば、休日に妻の話を聞くことだ。

 育児の悩みを聞く時は、絶対に午前中には聞かないことだ。人間の脳は午前中に悩み事を持ちかけられても、適切な回答ができないからだ。午後になってから悩み事を聞くことだ。悩み事を聞く時は、その悩み事がいかに些細なものであっても、途中で話をへし折らないことだ。妻の方は悩み事を聞いてくれるだけで、それだけで半分以上は悩み事を解決したと同じ効果が発生してくるのだ。

 悩み事に対して即答できるものは即答すべきだが、即答できないものに関しては、夫が育児書を買って調べるなり、図書館で調べてみるなり、他人の夫婦から話を聞くなりして、解決策を探っていけばいいのだ。その解決策が正解でなくてもいいのだ。夫が悩み事を聞き解決策を模索してくれたことで、悩み事の8割以上は実は解決してしまっているのである。育児ノイローゼはすべてのことを妻一人が抱え込んでしまうからこそ、問題を最悪な形までに悪化させてしまうのである。

●新米ママの最大の難関

 「魔の3ヵ月」こそ、新米ママの最大の難関なのである。一体、妻の心の中で何が起こっているのか? それは心の中で「母親」という人格を新たに形成しているということなのである。新米ママは赤ちゃんを産めば、物理的には母親になることができる。しかし、精神的に母親になれるかといえば決してそうではないのだ。自分の心の中で何かが変わってくれないと、精神的に母親になることはできないのである。たとえ赤ちゃんを産んでも、精神的に母親になろうとしない女性など、いくらでも居るものなのだ。

 実は、こここそが、育児の分かれ道なのである。ここでの悩みがないと、育児ノイローゼは延々と続くのである。魔の3ヵ月が、4ヵ月、5ヵ月、6ヵ月、1年と、延々と続いてしまうのである。自分が意欲的に育児に取り組んでいるのではなく、「育児をさせられている」「育児の仕方が解らない」「どうして私だけが育児をしなければならないの?」という、「被害者意識」や、「育児に関する無知」、そして「育児に対する根源的な不平不満」が出て来てしまうのだ。

 マスコミは、この出来損ないの新米ママたちの育児に対する不平不満を取り上げるものなのだが、この手の新米ママたちは育児がどうのこうのなのではないのである。増してや夫が育児を手伝わないということも問題ではないのである。精神的に母親に成っていないのである。精神的に母親に成れないからこそ、育児に対する不平不満が止めどもなく出て来てしまうのである。

 要は、「女性という立場」では、「妻という立場」では、育児はできないということなのである。新米ママは精神的に母親に成らなければ、育児に関してはいくらでもトラブルが発生してきてしまうのである。結婚を成功させるということは、自分が妻に成るだけではなくて、自分が母親に成るということなのである。自分が精神的に母親に成ってしまえば、育児を始めとする結婚上の問題は殆ど解決できてしまうのである。

 「魔の3ヵ月」というのは、赤ちゃんを産んだ新米ママなら誰でも通る場所なのだ。誰だって育児ノイローゼで凹んでしまうのだ。しかし、自分が精神的に母親に成って、ここを過ぎれば、育児の仕方が飛躍的に上達していくのだ。今までぎこちなく育児をやっていたのが、或る日突然にスムーズに行えるようになるのである。不思議としかいいようのない現象が、新米ママの身に起こるのである。

●「義務感の脅迫」からの解放

 新米ママを苦しめていたのは、自分が精神的に母親に成っていないにも拘わらず育児をしていたために、「いい母親でいなければならない」という義務感の脅迫に取りつかれていたからなのである。育児をきちんと行うためには、いくつもの義務を履行していかなければならない。しかし、それを精神的に母親に成りきれていない者がやったとしても、たくさんの義務で一杯一杯になってしまい、そのうち「義務感の脅迫」で自分が雁字搦めにされてしまうのである。

 「魔の3ヵ月」を経験して、自分が精神的に母親に成って行くと、この「義務感の脅迫」が剥がれ落ちるのである。育児において「~しなければならない」から、育児は自分が義務を履行しつつも「なるようにしかならない」というように、自分の心持ちが変わっていくのだ。母親である自分に課せられた義務を自由自在に使いこなすことができるようになったのである。

 この「心の変化」によって初めて、「新米ママ」から「母親」になっていくのだ。精神的にもちゃんと母親に成れたからこそ、きちんとした母性愛も出せるようになるのだ。自分が育児ノイローゼになるようでは、いくら自分が赤ちゃんを愛していたとしても、それはまともな母性愛ではなく、赤ちゃんに執着してしまう「渇愛」なのだ。赤ちゃんを育てているのではなく、母親が赤ちゃんにしがみついているだけなのである。だからこそ赤ちゃんは泣き叫んで、泣きやまないのである。自分の母親がまともな母性愛を出していないからだ。

 新しい段階に入れば、新しい問題が発生するが、いつまでも古い段階を引き摺っていると、解決できる問題も解決できなくなってしまうのだ。自分が赤ちゃんを産んだのに母親に成らないで、女性という立場や妻という立場で育児をしていたら、他の母親たちが簡単に解決できる問題でも解決できなくなってしまうのだ。育児でいかなる問題が発生しても、自分が母親に成ってしまえば、簡単に解決できてしまうものなのだ。

 「義務感の脅迫」から解放されて、自分が精神的に母親に成っていくと、きちんと育児をしなければならないから、「育児を面白がる」「育児をしながら赤ちゃんと一緒に楽しむ」ということができるようになるのだ。自分が変わったからこそ、今まで経験できなかった喜びと感動を味わうことができるのである。

 育児でギャーギャーと文句を言っている新米ママたちは、自分を変えていないからこそ、より多くの問題を発生させ、しかもそれだけ騒いだのに解決できないでいるのである。こういう不満を垂れている新米ママに限って、良妻賢母を否定してくる。彼女たちが成ろうとしても成れないからだ。良妻賢母は成ろうとして成れるものではなく、育児をしていると自然に良妻賢母に成ってしまうものなのである。良妻賢母とは、何もすべてにおいて良いことをする妻でも、すべてにおいて賢い母であるのではないのだ。自分の悪い部分も知っている、自分の愚かな部分も知っている。だが、そうであっても、結婚を夫婦で楽しみ、育児を面白がって、赤ちゃんと一緒に楽しむことができる既婚女性のことなのだ。結婚や育児は苦しみばかりではないのである。結婚でも育児でも楽しみはいくらでもあるのである。ただ、それが見えるようになるためには、自分が変わらなければならないということなのである。自分が変わってしまえば、夫も赤ちゃんもいくらでも楽しみを与えてくれるものなのだ。

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