育児において、「自分ができる!」と口癖にすれば、すべての苦難を克服できる
●育児放棄のための言い訳を作るな
物事を始めるのに最大の障害となるのは、自分が行動を起こしていないのに、「出来ない理由を探し出してしまうこと」なのである。子供のいない女性たちに訊いてみればいい。なぜ、子供を作らないかといえば、「お金がないから」「働けなくなるから」「公的機関による育児支援が整備されていないから」と、わけの解らない理由をあげてくる。多くの夫婦は子供を産んだことを境に年収を激増させているのである。今では育児をしながらでも働いている既婚女性の方が多いのだ。自分たち夫婦が赤ちゃんを育てていくのに、一体なぜ公的機関の育児支援が必要となるのか?
赤ちゃんを産んだ既婚女性でも、精神的な自立が終わっていなければ、「お金がないから育児が大変だ」「自分が母親として成熟していないから育児が大変だ」「夫が育児に協力してくないから育児が大変だ」と騒ぎ出すのである。自分が育児をするために行動を起こすことを一生懸命になっているのではなく、育児を放棄するための理由を探し出すことに一生懸命になっているのだ。
貧困というのは、育児放棄をする理由になることはないのだ。赤ちゃんが生まれたら、男子たるもの発奮して働き出すものなのだ。今までは自分のためという理由で働いていたからこそ大した働きができなかったが、自分のためではなく妻子のためという考えに立てることができれば、勇猛果敢に働くことができるのだ。もしも夫が働かなかったり、稼ぎが低いとすれば、その妻が夫を励ましていないからなのである。お金が欲しければ、夫を応援することである。そして家計簿をしっかりとつけて、無駄な出費を抑えればいいのである。
どの母親も育児を開始した当初は、未熟者である。しかし、育児を遣り続けることで育児が上達していき、巧くなっていくのである。育児を巧くしたいのであるならば、地道に取り組んでいくしかないのである。地道にやっていれば、解ってしまうものなのだ。育児に難しい所なんて何もないのだ。やらないからこそ、解らないだけなのである。
夫が育児に協力してくれないことで嘆く母親たちは、自分が主体性を持って育児に取り組んでいないからである。自分が主体性を持って取り組めば、育児の面白みが解ってくるし、その面白みは周囲に伝わっていくものなのだ。赤ちゃんに無関心な男性でも、隣で妻が楽しく育児をしていたら、「俺にもやらせろ」と言い出すものなのである。それなのに自分で育児を楽しまず、夫が育児を手伝ってくれないと嘆くからこそ、夫は余計に育児を手伝わなくなってしまうのである。
●育児の苦難は母親が克服するために存在する
世の中が行き詰まり、人々の精神が腐敗してくると、「赤ちゃんの育て方が解らないから、赤ちゃんを作らない」と言い出す「救いようのないまでの愚かな夫婦たち」が現われてくるのだ。新婚当時に赤ちゃんの育て方を知っている新婦などいないのだ。しかし、自分は妊娠して出産してしまえば、赤ちゃんを育てて行かねばならず、育児をやっていれば自然と育児の仕方が解ってくるのである。
できないからこそ、「自分はできる!」と言うべきなのである。できなくても、「自分ができる!」と言い張っていれば、いつの間にかできてしまうようになるのだ。できない理由を探し出して逃げていれば、いつまで経ってもできないのは当り前のことなのだ。いくら逃げたって、自分は何も成長することができず、同じようなことを繰り返す日々にしかならないのだ。
育児をやっていれば苦難が発生してくる。しかし、育児の苦難というものは、母親が克服するために存在するのだ。育児の苦難を一つずつ克服していくことで、母親として成長していくことができるのだ。苦難を目の前にして逃げていたら、いつまでも未熟な母親のままだし、それ以上に赤ちゃんの生命が危機に晒されていることだろう。
苦難を目の前にして、それを克服していく。たとえ赤ちゃんが小児性癌や小児性白血病になっても、看病し続けてしまうのが、「母親の在るべき姿」なのである。それなのにいつも自分が中途半端な気持ちでいるからこそ、自分の赤ちゃんが健康なのに育児を放棄することを考えたり、育児を放棄してしまうのである。
育児というものは、育児のコツを覚えてしまえば、少ない労力でできるようになるが、そのレベルに到達するまでには、エネルギーを必要以上に投入してしまうものだし、身も心もクタクタになってしまい、疲労でグッタリしてしまうことだろう。しかし、そういう全力投球の育児をしたからこそ、途端に育児の面白さが解り、育児の仕方が上達してくるのである。
●他人の目よりも、自分の本当の心に素直になれ
育児において「正直」という倫理は、絶対的重要性を持ってくる。正直は、単に嘘を言わないというものではなく、自分自身に対して正直であるということである。育児の遣り方が解らないのであるなら、正直にそれを認めてしまうことである。育児が面白くないのであるならば、正直に面白くないと認めてしまうことである。育児の遣り方が解らないのに、それを誤間化したり、育児が面白くないのに、それを誤間化さないことだ。誤間化せば、育児の上達はピタリと止まってしまうのである。
たとえ、赤ちゃんを産んでも、1人目なら、まだ母性ホルモンが大量に分泌されていないので、母親らしくはなってはいのだ。勿論、自分自身が自分の母親から充分に母性愛を注がれて育ったなら、自分の心の中に母性愛の蓄積があるから、足りない母性愛をそれで補うことができる。しかし、自分が自分の母親から充分に愛されていなかったら、自分が赤ちゃんを産んでも、それを喜べないし、愛せないし、育児の遣り方だって覚えようとはしないものだ。
だが、そんな心の内は誰も解らないのだ。自分で正直に言わない限り、自分が赤ちゃんを愛せないのなら、正直に言うべきなのだ。自分が赤ちゃんを育てることに喜びを見い出せないなら、正直に言うべきなのだ。自分の育児の仕方が上達しないのなら、正直に言うべきなのだ。自分が正直に言えば、何かしらの解決策は見つかるものなのだ。自分が心の中で悶々としていたら、問題は悪化していくだけなのだ。
他人の目からどう思われても構わないのだ。他人の眼よりも自分の心に正直になればいいのだ。いついかなる時も大事なのは、自分自身であって、決して他人ではない。育児をしていてつまらないと思うなら、正直にそれを認めればいいのだ。育児をして面白いと思うなら、正直にそれを認めればいいのだ。他人のいかにも偽善的な言動に惑わされないことだ。自分がいくら育児を楽しんでいても、育児をつまらなくさせる他人の意見というものはいくらでもあるのだ。
自分の本当の心に忠実になる。その態度を貫いていると、自分にとって本当の幸せを見つけられることができるのである。育児の本当の楽しさは、はっきりといってしまえば、当初はそれほどでもないのだ。しかし、自分が正直になっていると、何かしらのトラブルに出くわし、それを契機に育児の本当の面白さが解ってくるのだ。
多くの母親たちは、この正直という美徳を忘れてしまっているのだ。だから、自分が育児をしても、育児の本当の面白さを見つけられないし、折角、育児をして育てあげた息子や娘が結婚拒否するような人生を送ってしまうのだ。子供たちは母親から育てられたかもしれないが、母親の歪な心の反動で、いつまで経っても結婚できない大人たちになってしまったのだ。
●大事なものは忍耐力
赤ちゃんを産んだ母親が、育児の本当の面白さを獲得するためには、自分が正直になって、地道に努力し続けていくしかないのである。いかなる物事でも大事なのは、忍耐力であって、成功は倦まず弛まずの努力によって得られるのだ。地道に努力し続けていると、或る日偶然に育児の本当の面白みが解ってくるのだ。
育児の巧い母親たちは、育児だけが巧いのではないのだ。育児の仕方が巧いということは、自分に対して正直だし、地道な努力をする習慣が身についていることだから、家事をやらしても巧いし、仕事をやらしても巧いのだ。育児というのは、育児の世界だけに留まることはないのだ。育児が上手なら、家事だって仕事だって巧くなるのだ。
だからこそ、昔から結婚して子供がいることを以て、一人前の男女と看做したのである。この審査基準は現在でも充分に通用する審査基準である。どんな考えを持とうとも、どんなことを言った所で、どんな功績を立てた所で、結婚もせず、子供がいなければ、いつまで経っても半人前なのだ。
だからといって、結婚すれば必ずしも幸福になれるわけではない。結婚しても、離婚してしまう男女だって出て来るのだ。では、一体何が違ったのか? 離婚してしまった女性たちは、結婚をバラ色で始めたのに、自分たちの結婚を改善向上させていこうとする気がなかったから、結婚を破滅させてしまったのである。結婚して幸せになった女性たちは、結婚をバラ色で始めたが、自分たちの結婚を改善向上させていったからこそ、桜の花が満開になるような結婚にできたのである。
結婚して不幸になるのと、結婚して幸せになるのは、たったこれだけの差なのである。地道に改善向上させ続けるだけで、より多くの幸せを掴んでいくことができるのである。自分が正直にならず、忍耐力が欠けてしまえば、幸せになれる筈の結婚ですら、自らの手で破壊してしまうものなのだ。いかなることがあっても、自分に正直になり、忍耐力を発揮して、倦まず弛まずの努力を行っていけば、人間は誰だって幸せになっていくものなのだ。
●他人に尽くす喜び
育児を開始すれば、戦場のような日々になるのは、当たり前なのだ。赤ちゃんに授乳させるのも、赤ちゃんのオムツを交換させるのも、赤ちゃんを沐浴させるのも大変なことだろう。静まり返った夜中に夜泣きされてしまえば、睡眠妨害になるのは当然なのだ。しかし、どんなことがあっても、赤ちゃんをすくすく育てることを最優先する。そして、それを家族の幸せの土台にする。そうすると、その家族の中で幸福が満ちるようになり、幸福が溢れ出していくのである。
本当の幸せは、実はその当時は幸せとは感じられないのである。育児をやっていれば、一つ一つの作業に幸せを感じることはないだろう。しかし、その幸せと感じられない幸せこそが、本当の幸せなのである。自分が晩年になって、自分の人生を振り返った時、子供を育てていた時期が、一番幸福な時期だったと思い返すことだろう。育児をしている時は悪戦苦闘していても、時が過ぎ去った時、あの日々こそが楽しかった鮮やかな記憶として蘇ってくるのである。
だからこそ、育児を逃げ腰で行うのではなく、真正面から向き合って真剣になって育児に取り組めばいいのである。未熟者であっても、「私はできる!}と言い張って取り組んでいけばいいのだ。我武者羅になって突っ込んでいけば、いつの間にか育児のプロになっているものなのだ。そして、一つのことに秀でれば、大方の望みを実現できるようになるのだ。何か一つ自分が秀でてくる分野がないからこそ、いつも逃げ腰になってしまい、出来ない理由を探し出すだけの人生を送っていたただけなのである。自分が育児のプロになってしまえば、そういう逃げ腰の人生とはオサラバできるのである。
自分自身の殻の中に閉じ籠っていたら、いつまで経っても成長はないのだ。自分が幸福になりたければ、自分のために生きるのではなく、他人に尽くす喜びに目覚めることだ。他人に尽くす喜びに目覚めれば、自分が古い自分の殻を突き破って、成長していき、いくらでも幸福を掴んでいけるものなのだ。
自分のことしか考えていないと、何もできなくなってしまうのだ。他人のために尽くすからこそ、様々なことができるのである。今まで利己的に生きてきた者が、他人のために尽くす生き方をすれば、苦難が出て来るのは当然なのだ。いかなる苦難が訪れてきても、自分が正直になって、自分の忍耐力を発揮して、地道に努力し続けていくことだ。そうすれば、いかなる苦難であったとしても、その苦難を克服できるようになり、自分を成長させていくことができるのである。
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コメント
おはようございます
私余程、タマティー様のファンになってしまったみたいです…
寝ても覚めてもという感じです…(ストーカーじゃないので安心してください)
ところで、この記事では思わず涙が出てきてしまいました。ほとんど、自分にあてはまる事ばかりだったのです。
確かに、今まで育児放棄してきました。何もしないというのではなく、あくまで心のうえで…。
要するに、子供達に心が向いてなかったんです。
自分中心、仕事優先で生きてきた為に、家族を犠牲にしてきてしまったと思います。そういう意味でも今回の妊娠は一度目を覚ます為にも良い機会だったと思います。こうしてタマティー様のブログに出会わせて頂いたのも、神様からの贈り物と思っています。
昨日教えて頂いた、5人家族の「吸引力」にはびっくりしました!赤ちゃんにそんな力があるなんて…。
主人の兄のところもずっと男の子を待望していて、1月に生まれた子がまた女の子で3姉妹になり、義姉も初めはショックを受けていましたが、2人とも「なんだか5人になってから不思議な幸せ感がある」と言っていました。
私のお腹の赤ちゃんも、きっとうちを幸せにする為に来てくれるのですね
前置胎盤を嘆かずに、頂けた事だけを感謝して、残りの2か月を過ごします。
いつも読ませて頂き有難うございます
主人も「なんだか、タマティーさんのブログ読むようになってから落ち着いてきたね。良かったね。」と、昨晩言ってくれました。
今まで、粗雑にしてきた交友関係も改めて真剣に見つめ直していこうと思います。私は女性でした
女性らしく生きていかなければ、どんなに頑張っても幸せにはなれいですよね!
多くの事に気づかせて頂いて本当に有難うございます。どうぞ、奥様にも宜しくお伝えくださいませ…
(きっと、素晴らしい方なんだろうなぁ…ポッ)
投稿: ゆきりん | 2011年5月14日 (土) 05時48分