母親こそが赤ちゃんの心を育てることができる
●母乳育児だけが赤ちゃんの心をきちんと育てることができる
新米ママが「魔の3ヵ月」を過ぎると、赤ちゃんの心というのが段々と解ってくる。今まで赤ちゃんは母乳を飲めば睡眠をし、起きれば母乳を飲み、また寝るを繰り返していた日々だけだったのに、赤ちゃんはそれ以外の行動をも取り始めるからだ。赤ちゃんの顔の表情や何気ない仕草を注意深く観察していれば、母親は戸惑いや勘違いを何度も繰り返しながらも、赤ちゃんの気持ちというものが、徐々に解り始めるのだ。
母親が赤ちゃんといつも一緒に居て、母乳育児をして育てているからこそ、赤ちゃんの心が解り始めるのである。赤ちゃんをミルクで育ててしまうと、こうはいかないのだ。母親はいつまで経っても赤ちゃんの心が解らず仕舞いで居続けることになってしまうのだ。なぜなら、ミルクでは赤ちゃんの心がまともに育ってこないのだ。母乳育児だけが、赤ちゃんの心をきちんと育てることができるのである。
人間の心というのは、頭部の脳味噌の中にできるのではなく、心臓の中にできるのである。心の基本的要素には、「感受性」「情緒性」「性格」の三つがある。赤ちゃんの感受性は、赤ちゃんが母親の心臓の鼓動を聞くことによって作られていくのだ。赤ちゃんの感受性が正常に成長するためには、母親が妊娠中に母親自身こそが感受性を発揮して、自然の変化や対人関係の変化を微妙に感じ取っていくことをして、出産後は赤ちゃんの変化を微妙に感じ取りながら、赤ちゃんに自分の心臓の鼓動を聞かせないければならないのだ。
赤ちゃんの情緒性は、赤ちゃんが母親と皮膚接触することによって作られていく。赤ちゃんの情緒性が正常に成長するためには、母親が妊娠中に情緒不安定にならないようにし、自分の気持ちを落ち着かせ、出産後には赤ちゃんへの育児を情緒を安定させながら行い、そして赤ちゃんと巧く皮膚接触をしていかなければならないのだ。
赤ちゃんの性格は、赤ちゃんが母親と一緒に行動することによって作られていく。赤ちゃんの性格が正常に成長するためには、母親が妊娠中に適度な運動を行い、汗を流すようにし、出産後も赤ちゃんへの育児に取り組み体を動かしながら、赤ちゃんと一緒に行動していかなければならないのだ。
これら三つの条件を満たすものは、母乳育児しかないのだ。母親が母乳育児で赤ちゃんに自分の鼓動を聞かせ、授乳する際に皮膚接触をし、授乳という行為を通じて、赤ちゃんと一緒に行動する。実は、母乳育児というのは、赤ちゃんの心が正常に育つようにできているのだ。
●赤ちゃんの人間関係作りの仕方は母親との対応で決まってしまう
ミルクで育てられた赤ちゃんは「感受性が鈍い」「情緒不安定」「性格が狂暴」だと良く言われる。ミルクで育ってしまうと、赤ちゃんは母親の鼓動を聞こえなくなるから、感受性が鈍くなり、母親の意見を巧く受け止めることができなくなってしまうのだ。情緒不安定も赤ちゃんが母親と皮膚接触をする機会が少なかったからこそ、赤ちゃんが情緒不安定になってしまうのだ。性格が狂暴になるのも、母親が自分の母乳を与えず、赤ちゃんにミルクだけを飲ましてしまうからこそ、自己主張するだけの赤ちゃんになってしまい、自分の意見が受け入れられない時は狂暴になって自分の意見を押し通そうとしてくる「最悪の赤ちゃん」になってくるのである。
母乳育児なら、母親は授乳する際に、赤ちゃんに自分の鼓動を聞かせて、赤ちゃんの感受性を高め、皮膚接触を行うことで赤ちゃんの情緒を安定させ、自分が母乳を出し、赤ちゃんがその母乳を飲むことで、母親と赤ちゃんが一緒の行動を取るからこそ、赤ちゃんの性格が巧く出来上がっていき、そうやって赤ちゃんの心が正常に成長していくことができるのだ。だからこそ、母乳育児で育った赤ちゃんは、赤ちゃんらしい赤ちゃんになっていくのである。
赤ちゃんはハイハイをする以前は、赤ちゃんは全く動けない。しかし、その生後から動けいない間に、既に赤ちゃんの心は母親の育児の仕方で徐々に形成されていくのである。その赤ちゃんの心が一体どのようなものなのかは、赤ちゃんが動けるようになって、徐々に現れ始めるのだ。魔の3ヵ月を過ぎる頃には、赤ちゃんも自分の心の形を少しずつ現し始めてくるのだ。
赤ちゃんの人間関係は、その大半が母親との人間関係であるといっていいのだ。母親以外の人たちが関与しても、母親ほどに赤ちゃんに関与し続けるわけではないのだ。それゆえに、赤ちゃんの人間関係作りの仕方は、母親との対応で決まってしまうのだ。しかも、その母親の対応を大きく分けるのが、母乳育児を行っているか、ミルクで育児を行っているかなのだ。
母乳育児を行っている母親も育児をしていれば、悩みを抱えることがあることだろう。しかし、ミルクで赤ちゃんを育てている母親に比べれば、非常に少ないものなのだ。ミルクで育てている母親たちは、口々に言う。「私の赤ちゃんは私と巧く遣り取りができない」「私の赤ちゃんは情緒が不安定」「赤ちゃんの気持ちが解らない」と。ハイハイをできない時期にこの有様がたから、赤ちゃんが3歳になる頃には凄まじい反抗期を経験することになってしまうのだ。
●「人間関係の相互循環」
人間は決して1人で生きていくことはできない。無数の人間関係を構築しながら生きていかざるをえない。人間が群生動物である以上、これが人間の宿命なのである。その人間関係の中でも、最も濃密な人間関係を構築していかざるをえないのが、家族内の人間関係である。その人がどのような家族で育って来て、結婚後、どのような家族を作り上げているかは、その人の人格や人間関係を押し図る上で、最重要な判断基準となる。特にその母親がどのような育児を行っているかで、その母親の人格や人間関係の作り方が解るのだ
人間の人格で最も大事なものは、「正心誠意」である。常に自分の心を正しい位置に置き、自分自身に対しても他人に対しても誠実さを発揮していく。その母親が育児で悪戦苦闘に試行錯誤をしながらも、自分の心を正しい位置に置くように心掛け、育児を行うことに誠実さを発揮していれば、育児でトラブルがあったとしても、育児は巧く行くことになるであろう。
次に大事なものは、「可能性」である。常に自分の可能性を認めて、自分ができることにチャレンジを繰り返していき、自分の力でできる領域を広げると共に、相手に対しても可能性を認め、新しいことに挑戦していく多くのチャンスを与えていく。その母親が育児で赤ちゃんの行動を否定するのではなく、赤ちゃんの可能性を認め、赤ちゃんが新しいことに挑戦していくことを、心の奥底から喜ぶことができれば、育児は巧く行き出すことだろう。
最後に大事なものは、「奉仕」である。常に自分の私利私欲を優先するのではなく、自分にとって大事な人に奉仕し、その人の人生が成功するように導いていく。その母親が育児で自己中心的に振る舞うのではなく、赤ちゃんに奉仕し、赤ちゃんが正常に成長していくように導いていけば、育児は成功し出すことだろう。
母親が育児を通して、「正心誠意」「可能性」「奉仕」を行っていけば、それは赤ちゃんにもちゃんと伝わっていき、「正心誠意」「可能性」「奉仕」をしていく赤ちゃんに育っていくのだ。もしも、母親が育児を通じて、「不誠実」「可能性の否定」「私利私欲」に走れば、赤ちゃんにもちゃんと伝わり、「不誠実」「可能性の否定」「私利私欲」を行う赤ちゃんに育っていくのだ。
どの宗教も「人間としての行動規範」を教える。人間がこのような行動規範を取れば、幸せな人生を送ることができるだろうと教えるのだ。しかし、そうやって行動規範を守っていれば、その宗教に所属しているすべての人たちが幸せになっていく筈である。だが、実際においては、いかに敬虔に宗教を信仰した所で、自分の人生が幸せになるわけではないのだ。かといって、宗教抜きで、本当の意味で幸せの人生を送ることもできないのだ。神という存在を否定してしまえば、人間が我利我利亡者になっていくだけだからだ。
人間が幸せな人生を送るためには、自分が正しい行動規範を守るだけでなく、「人間関係の相互循環」を巧く作動させていかなければならないのである。単発的な「善因善果悪因悪果」ではなく、人間関係が成立すれば、相互循環の加速度原理を伴って、自分が成した善行が循環していき、自分が犯した悪行が循環していくのである。それは「人間関係の凄さ」であり、「人間関係の恐ろしさ」でもあるのだ。
家族内ではこの人間関係の相互循環が凄まじい勢いで回転していくのである。母親が自分のことしか考えなければ、夫も赤ちゃんも自分のことしか考えなくなるのである。母親が自分のことよりも、夫や赤ちゃんのことを考えていけば、夫も赤ちゃんも母親のことを考えるようになるのである。「自分が成した善行には必ず相手が善行で報いてくれる」「自分が犯した悪行は必ず相手が悪行で報いてくる」、これらが加速度原理を伴いながら循環してくるのである。
●自分の子供に「心の闇」を作らせないために
育児が大変な作業だということは、いつの世でも変わらないのだ。何もこの時代だけが特別ではないし、自分だけが特別ではないのだ。母親は育児を通して、自分の、「正心誠意」が本物であるかどうか、自分の「可能性」が本物であるかどうか、自分の「奉仕」が本物であるかどうか、試されているのだ。
育児で手抜きをしようとすれば、いくらでも手抜きはできるものである。「母乳を与えるのは面倒臭いから、ミルクにしよう」「布オムツは面倒臭いから、紙オムツにしよう」「赤ちゃんに沐浴させるのは面倒臭いから、夫に押しつけよう」。こうやって手抜きの育児をしていけば、赤ちゃんも母親に対して不誠実になり、母親の可能性を否定し出すようになり、母親に奉仕をしなくなることだろう。母親が手抜きをして得た利益よりも、何十倍もの損害を与えてくることであろう。
母親が育児に手抜きをすれば、その赤ちゃんに確実に「心の闇」が育ってくるのである。人間の「心の闇」は、乳幼児における母親との接触不足が最大の原因であろう。凶悪な少年犯罪が起こるたびに、その犯罪者の心の闇がどうのこうの言われる。しかし、その心の闇を作り出してしまったのが、ミルクで育児をされてしまったということなのだ。少年犯罪者たちは自分の力で、その心の闇を破壊することができなかったゆえに、自分の心が心の闇に覆われ、凶悪犯罪に走ってしまったのである。
凶悪犯罪を犯すのは、何も不良少年だけではない。今や大学生ですら、強姦を働き、麻薬に手を出す始末なのだ。大学生になっても「自己統御」ができず、心の闇に覆われ尽くされてしまったのだ。ミルクで育てられれば、体は大きくなっても、心は全く成長できなくなってしまうのだ。
精神病患者たちには、「感受性の鈍さ」「情緒不安定」「性格が狂暴」という共通項がある。どうして精神病を発症してしまったかといえば、やはりその精神病患者たちが赤ちゃんの頃にミルクで育てられたからなのである。赤ちゃんをミルクで育てれば、「感受性の鈍さ」「情緒不安定」「性格が狂暴」という全く同じ症状を示すのである。
母親が育児において何をやったかというのは、赤ちゃんの時だけに結果が出て来るものではないのだ。何十年後に心の病となって現われてくるのである。赤ちゃんの心を作っていくのは母親だけができる仕事であって、代理人が務まる人はこの世には誰もいないのだ。今、自分が育てている赤ちゃんが、将来、心の闇を持った不気味な人間に成長させないためにも、母乳で赤ちゃんを育てていくことだ。赤ちゃんの心は、母乳育児なくして正常に育てることはできないのだ。
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