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2009年5月

赤ちゃんの予防接種と伝染病

●取り返しのつかない伝染病もある

 昔から赤ちゃんの死亡率は高かった。赤ちゃんは死んで当たり前というくらいにバタバタと死んでいたのだ。神道では生後1ヵ月辺りに赤ちゃんを連れて初参りをさせるのだが、ということは昔から生後1ヵ月以内に死ぬ確率が高かったのだ。生後1ヵ月以内に死んでも、「別に苦しむことではないですよ」という配慮からなのだ。赤ちゃんは死んで当たり前なのだ。生き残った赤ちゃんは運がいいということであるのだ。

 現在、日本での乳幼児環境が大きく変わったのは、乳幼児の死亡率が激減したことである。その最大の要因が、日本民族が赤ちゃんを食わせられるだけの経済力を手にすることができたということなのである。民族は経済力の範囲内でしか人口を養えないのだ。日本が自給自足経済を捨てて、自由市場経済にし、外国と盛んに貿易をしたことが、経済力を飛躍的に高める結果になったのだ。だからこそ、人口を多く増やすことができたのである。

 それ以外の要因としては、食生活の大いなる向上だ。昔の日本の食事では果物や野菜を食べる量が余りにも少なすぎたのだ。果物や野菜には葉酸が含まれておりで、この葉酸が妊娠中でも産後でも大活躍するからだ。栄養豊富な母乳を母親が出せなければ、当然に赤ちゃんは生命の危険に晒されるのである。

 もう一つ忘れてはならないのが、住宅環境の向上だ。昔の日本の家屋はとにかく寒いし、汚かった。こんな所で赤ちゃんが居たら、免疫力を大いに下げてしまい、伝染病に感染して死んでいったのだ。建設技術の発達で住宅を温かくできたし、学校で掃除を徹底的に教えることで、清潔の習慣を普及させていったことが、乳幼児の死亡率の激減に繋がったのである。

 赤ちゃんはとにかく病気に罹りやすい。赤ちゃんは自分で抗体を作り出すことができず、母親の母乳から抗体を貰って、生後6ヵ月で全身に抗体を張り巡らせ、自分で抗体を作り出すことができる生後2年まで、何度も病気に罹りながら、自分の免疫力を上げていくという作業をするからだ。

 通常の病気であるならば赤ちゃんも死にはしないが、赤ちゃんが伝染病に罹ろうものなら、死の危険性を伴うことになるのだ。赤ちゃんにとって伝染病は、本来想定していない危険な病気であって、人類が文明化することによって蔓延していった病気であるために、それに対応することが未だにできずにいるのだ。

 この伝染病に対して対抗できたのが、西洋医学なのである。西洋医学の最大の強みである対症療法が、こういう場所で如何なく発揮されたのである。漢方医学は人間の病気を根本から治していくという考え方を持つので、伝染病のように緊急性を要する病気に関しては手遅れになってしまうのだ。どこかの医学がダントツに優れていると思い込むのではなく、その医学の長所を巧く採用していけばいいのだ。

●定期接種

 乳幼児の伝染病対策には、日本政府は「定期摂取」と「任意接種」の2種類を定めている。定期摂取は必ず受けなければならない予防接種であり、任意接種は母親の任意で予防接種を受けてもいいし受けなくてもいいものだ。予防接種の費用は無料なので、経済的なことを心配する必要性はない。

①BCG

 BCGは結核予防のための予防接種である。結核は日本では最大に苦しめられたといっていい伝染病で、勿論、定期摂取であり、しかも、定期摂取の筆頭に挙げられている。結核は人類が牧畜を開始したから発生した病気で、結核菌は本来、牛が持っていた細菌なのだ。このためどの民族でもこの結核に対しては非常に弱いのだ。日本史の中でも何度も大流行し、大量の死者を出し続けた恐るべき伝染病なのだ。

 BCGは生後3ヵ月から1歳のうちに受けなければらない。予防接種を受けたとしても、赤ちゃんの周りに空咳をしている人が居るなら要注意である。空咳を盛んにする人は、結核菌を所有している可能性が高いからだ。その本人は結核を発症しなくても、その空咳で赤ちゃんに結核が伝染する可能性があるのだ。

②ポリオ 

 ポリオは小児麻痺のための予防接種である。生後3ヵ月から1歳半のうちに受けなければならない。ポリオはゴキブリが菌の運び屋なので、自宅をきちんと掃除し続けないと、赤ちゃんにポリオが伝染する危険性があるのだ。「ゴキブリホイホイ」はゴキブリを減少させただけでなく、小児麻痺の患者をも激減させた、優れたヒット商品なのだ。

 肉食の多い夫婦は自分たちの赤ちゃんがポリオに罹る危険性があるので、食生活には注意した方がいい。肉食が多いと、どうしてもビタミンやミネラルが不足してしまうので、そのために質の悪い母乳しか出せなくなり、赤ちゃんはその母乳のために免疫力を上げることができず、ポリオに罹る危険性を高めてしまうのだ。

③DPT

 DPTとは、「ジフテリア」「百日咳」「破傷風」に対する三種混合ワクチンのことである。DPTは、生後3ヵ月から1歳のうちに受けなければならない。これらの病気は死亡率が格段に低くなるので、赤ちゃんの免疫力の関係上。生後6ヵ月以降にした方がいい。赤ちゃんの体に抗体を張り巡らせる方を優先した方がいいのだ。

④ハシカ 

 ハシカの予防接種は、1歳から2歳の間に受けなければならない。赤ちゃんにとってハシカは非常に罹りやすい伝染病なのだ。ハシカに1度罹っておくと、生涯に亘ってハシカに対して免疫を持つことができる。ハシカへの予防接種は絶対に受けさせるべきである、ハシカへの予防接種をしないのであるならば、幼稚園にも学校にも通わせることを禁止させる措置を取るべきである。

⑤風疹

 風疹の予防接種は、1歳から3歳の間に受けなければならない。風疹もハシカよりも伝染力が強く、赤ちゃんには罹り易い伝染病である。風疹もハシカと同様に、1度罹っておくと、生涯に亘って免疫を持つことができる。風疹も予防接種を受けていないのであるならば、幼稚園や学校に通yことができないという措置を取るべきである。

⑥日本脳炎

 日本脳炎の予防接種は、3歳から5歳の間に受けなければならない。しかし、日本脳炎の予防接種は医療事故を多発したので、現在では勧奨中止となっている。日本脳炎は確かに危険だが、予防接種の方がもっと危険なのだ。日本脳炎は定期接種から外した方がいい予防接種である。

●任意接種

 任意接種は基本的に受けるべきではない予防接種だ。というのは、赤ちゃんを育てていけば、当然に罹る病気なので、敢えて予防接種を受けさせるよりも、赤ちゃんに伝染させ、それによって免疫を持ってしまった方が有効的だからだ。赤ちゃんがどうしても罹らない場合、その時に予防接種を受ければいいのだ。

①水疱瘡

 任意接種で筆頭に挙げられているのが、水疱瘡だ。赤ちゃんには罹って当たり前の病気なので、敢えて受ける必要性などない。水疱瘡は赤ちゃんに免疫を持たすだけでなく、その両親にも皮膚病などの病気を発生させない効果をもたらすのだ。赤ちゃんが水疱瘡に罹ったら、夫婦揃って看病して、自分たちの免疫を高めてしまうことだ。

②お多福風邪

 お多福風邪も水疱瘡と同じく罹り易い伝染病だ。男の子の赤ちゃんの場合、赤ちゃんの時にお多福風邪に罹っていないと、大人になってからのお多福風邪では生殖にダメージを与えてしまう危険性があるので、赤ちゃんの時にきちんと罹っておくことだ。お多福風邪を治す薬などないのであって、寝ていれば治るものなのだ。

③インフルエンザ

 インフルエンザも赤ちゃんは何度か罹る病気だ。赤ちゃんの場合、突如、高熱を出してしまうので、母親が真っ青になって病院に駆け込んでくるのだ。これは赤ちゃん特有の発熱の仕方であって、別に驚くことではないのだ。赤ちゃんがインフルエンザに罹ると、鼻水が出たり、咳き込むことをするだけでなく、ゲロを吐いたり、下痢になったりするので、慌てずに看病をすることだ。

④B型肝炎

 出産時に輸血で血液製剤によってB型肝炎になった場合、任意接種を受けられることになる。B型肝炎に関しては、とにかく病院での出産を行わないようにし、助産院で出産することだ。陣痛促進剤を使って無理な時間帯に出産するからこそ、妊婦は大量出血してしまい、輸血が必要となるのである。妊娠した時は、後々のことまで考えてから、出産場所を選ぶことである。

●感染しておきたい伝染病

 結核や小児麻痺は罹ったら困る病気ではあるが、伝染病のすべてが困った病気ではないのだ。赤ちゃんにとっては罹っておかなければならない伝染病もあるのだ。特に、「ハシカ」「風疹」「水疱瘡」「お多福風邪」「インフルエンザ」に罹っておけば、生涯に亘ってその免疫を持つことになり、健康に生きていくことができるようになるのだ。

 日頃からママ友と交流を深めておき、どこかのママ友の赤ちゃんにこれらの伝染病を発症したら、その家に訪れて、病気を伝染させて貰うことだ。赤ちゃんの場合、これで呆気なく伝染してしまい、病気を発症してくれるのだ。人間は群生動物なので、母親がママ友を作らず孤立してしまうと、このチャンスを失ってしまい、免疫力の弱い赤ちゃんに育て上げてしまうのである。

 伝染病を感染させて貰ったら、必ず謝礼をしておくことだ。ママ友の場合、この手の礼儀が全くなっていないので、赤ちゃんが居るのだから当然だろうと思っているのだ。せめて、お菓子の詰め合わせや食料品や調味料をプレゼントしておくことだ。但し、現金や商品券はやめておいた方がいい。余りにも生々しくなってしまうからだ。通常、どこの母親も伝染病を伝染させて貰って謝礼などしていないので、こういう所できちんと礼儀を守っておくと、後々の人間関係で非常に有益になるのだ。

 赤ちゃんが罹る伝染病は赤ちゃんにとってだけのものではないのだ。赤ちゃんが伝染病に罹ってくれることで、その両親の免疫力を上げることになり、病気に罹りにくくなるのだ。自分と同じ年齢の独身の男女や、結婚していても子供のいない夫婦が、病気に罹り易く、最悪の場合、病死しているのに、赤ちゃんが居る夫婦は病気に罹りにくくなり、寿命も延びるのである。

 人間は健康でいたいということを願うものだが、病気を一切しないのは、それはそれでまた困りものなのだ。病気をするからこそ、より健康になれるということもあるのである。赤ちゃんが伝染病に罹った場合、母親としてはショックだろうが、これも赤ちゃんがスクスク育っていくためには必要なことなのである。

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赤ちゃんの病気の前兆を見逃すな

●赤ちゃん特有の病気の前兆

 何事にも前兆がある。人体に危険が差し迫ると、何かしらの不自然な現象が起こるものだ。赤ちゃんが病気する際も、特有の病気の前兆がある。その病気の前兆が起こってから、病気を発症してくるのである。新米ママとしては、是非とも赤ちゃんの病気の前兆を見て、素早く察知して、病気が深刻なものにならないように気をつけておくべきだろう。

①余りにもグズる

 赤ちゃんが余りにもグズる時は、病気の前兆と見ていい。病原菌に侵されて、体が不調となってくると、赤ちゃんといえども余り動きたくないのだ。通常の行動範囲を縮めて、その余分なエネルギーを病原菌の撃退に使いたいのだ。それゆえ、余りにもグズリ出すので、そのような時に赤ちゃんを連れて外出しようとすることは避けた方がいい。ここで赤ちゃんのグズりを無視してしまうと、後で厄介な病気になっていくのだ。

②気温の急激な変化

 赤ちゃんも大人と同様に、気温の急激な変化には弱い。今まで寒かったのに、急に温かくなれば、その温度差に体を合わせていけなければならないし、今まで温かったたのに、急に寒くなれば、その温度差に体を合わせていかなければならないからだ。特に季節の変わり目には注意が必要だ。ここいら辺りが一番病気になりやすい時期だからだ。それと夏風邪にも注意が必要だ。これは猛暑で疲労しているのに、夜中に腹を出して寝てしまうことが原因なので、早く寝かしつけるとか、腹巻をさせるとかの対策をきちんとしておこう。

③母親の変な胸騒ぎ

 新米ママがいつも赤ちゃんと一緒に居るなら、赤ちゃんの異常に関しては、なんとなく解るものだ。母親の変な胸騒ぎは、決して侮ることはできないのだ。大方、現実に起こることだからだ。変な胸騒ぎが起きたら、行動範囲を狭めて、いつでも病気が発症してきていいようにしておくことだ。そうすれば、病気になっても、すぐに対処できるのだ。

 母親が赤ちゃんの病気を事前に察知するということは、「科学」的な事柄ではない。科学的には証明できないけど、でも実際に育児をしていれば、病気の前兆には気づけるようになるものだ。学歴の高い女性は、科学の力を過信し過ぎないことだ。こういう「母親たちの経験則」は育児においていくらでも使われ、そして強力な力を発揮してくるのだからだ。

●生命力の活発な赤ちゃんほど病気の前触れをきちんと表示してくる

 赤ちゃんには大きく分けて、生命力の活発な赤ちゃんと、生命力の弱い赤ちゃんが居る。気温の高い季節に生まれたり、母親が巨乳で大量に母乳を出せたり、赤ちゃんそのものが最初から大きいのなら、その赤ちゃんの生命力は活発となる。その一方、気温の低い季節に生まれ、母親が貧乳で母乳が少なかったり、赤ちゃんの体が小さく難産で生まれてきてしまうと、その赤ちゃんの生命力は弱くなってしまう。この二種類の赤ちゃんは、病気の前兆の出し方が異なるのだ。

 まず、生命力の活発な赤ちゃんは、病気の前触れをきちんと表示してくれるのだ。生命力が活発なら、赤ちゃんは病気にならないのではなく、生命力が活発だからこそ、赤ちゃんが罹るべき病気には罹り、自分の免疫力を高めていくのである。ただ、その際にきちんと病気の前触れを表示してくれて、母親に充分すぎるほど病気に対処できる時間を与えてくれるのだ。

 生命力が活発であれば、病気に罹っても、それほど重症にならず、病気になっている期間も短い。免疫力が高いから、病気に対して正常な反応を示して、病原菌を撃退すれば、後を引くことなく、健康な状態に戻ってしまうのだ。このような赤ちゃんに病気だからといって、すぐに医者に行くのは考えもので、投薬に頼っていると、逆に病気の期間が長引いてしまうのだ。免疫力が高いので、投薬されてしまうと、逆に免疫力を下げてしまうことになるのだ。

 人間は肉体的に健康だけでなく、精神的にも健康的でなければならない。生命力が活発な赤ちゃんは、大抵、その両親は夫婦喧嘩をしないものだ。夫婦が和合しているからこそ、赤ちゃんは精神的に悩むことがなく、すくすくと健康に成長していくことができるのである。

 それから、人知人力では及ばざる霊性に関しても健康的でなければならない。赤ちゃんを連れて墓参りに行くとか、御霊舎を自宅に置いて先祖を祀るとかしていれば、赤ちゃんは霊的に守られて、健康に育っていくものだ。理性の力を過信して、「霊なんかは信じない!」とか言っていると、赤ちゃんの命を奪うような事態が発生するので、そういう思い上がりは絶対にしないことだ。これは妻の方はしないものだが、夫の方がしてくることがあるので、夫にそういう考えを持たないように、執拗なまでに説得を続けることだ。

●生命力の弱い赤ちゃんは前兆なしで病気を発症してくる

 これに対して、生命力の弱い赤ちゃんは突発的に病気を発症してくる。免疫力が低いために、病原菌の侵入を容易く許してしまい、病原菌の侵入から、病気の発症までの時間が、異常に短いのだ。このため、母親の方が病気に対して準備が何もできていないので、母親の方が慌てふためいてしまうのだ。

 しかも、生命力の弱い赤ちゃんは、病気に罹ると重症になりやすく、病気に罹る期間も長いのだ。免疫力が低いために、病気に対する反応が遅く、そして弱いのだ。病気が治っても、体の不調が長引いてしまい、やっとのことで健康の状態へと回復していく。病院が必要なのは、こちらの赤ちゃんであり、免疫力が低いために、投薬に頼らないと、思わぬ事態まで引き起こしてしまうことになるのだ。

 赤ちゃんの生命力が弱いと、母親の方がその赤ちゃんを異常に気にし過ぎてしまい、些細なことで夫婦喧嘩に発展してしまうものだ。そうなると赤ちゃんは精神的なものまで病んでしまい、夫婦喧嘩が起こるたびに、赤ちゃんが病気になるということを繰り返してくるのだ。赤ちゃんの生命力は弱いのであるなら尚更のこと、夫婦が仲良くして、育児をしていくことだ。

 赤ちゃんの生命力が弱くても、先祖の御守護があればなんとか生きながらえるものだ。しかし、赤ちゃんを病気のオンパレードにしてしまう夫婦ほど、墓参りになど行ったことがないし、自宅に御霊舎すらない。赤ちゃんが余りにも病気をするようであるなら、「これは先祖が怒って、祟っているのだな」と思うようにし、赤ちゃんを連れて夫婦で墓参りにきちんと行くことだ。正式な仕方で墓参りをきちんと行えば、その日以降、赤ちゃんが病気に罹る回数は減っていくものなのだ。

 赤ちゃんが前兆なしで病気を発症してくる場合、危険な伝染病に関しては手遅れになる危険性があるので、赤ちゃんが罹る伝染病を事前に調べ、それらがどのような症状をしてくるか知っておくことだ。できれば、頻繁に保健師と遣り取りを行っておき、病気になったらすぐさま対処して貰うようにすることだ。

●病気を起こさせないより、病気の対処法を学んでしまう

 人間には未来を正確に予知することはできない。だからこそ、未来を指し示してくれる「占い」や「予言」に異常なまでの関心を持つのである。ところが、占いや予言というものは、すべて当たるわけではないのだ。大方はハズレるものなのだ。当たっていない部分が多数あるのに、僅かに当たった箇所をクローズアップさせるからこそ、占いや予言が当たったと思い込んでいるにすぎないのだ。

 人間ができることは、未来が現実に起こった時に、それをきちんと対処できる方法を身につけておくことなのである。どのような未来が起ころうとも、きちんと対処できれば、悲惨なことにはならないからだ。丁度、地震予知に大金を注ぎ込むよりも、免震設計の建物を建てたり、緊急管理をしっかりとしておけば、たとえ大地震が発生しようとも、その被害を最小限度に食い止めることができるように。

 無病息災は人間の理想であったとしても、或る程度の病気は赤ちゃんにとっては必要なのである。だから、赤ちゃんはその成長過程で何度か病気に罹るものであり、その病気に罹ることで免疫力を上げていくものなのだ。それゆえ、病気を起こさせないのではなく、病気の対処法をきちんと学び、病気の被害を最小限度に食い止めていくことだ。

 保健所の保健師から話を聞くのは勿論のこと、先輩ママたちに話を聞けばいいのだ。先輩ママたちは実際に赤ちゃんの病気を経験してきているので、その対処法は実践的であるのだ。いくら自分の赤ちゃんが可愛いからといって、母子2人だけの閉じられた環境を作ってしまわないことだ。母親なら当然に知っておくべきことを知らなければ、赤ちゃんが病気になった時、なんの対処法すらも施せなくなってしまうのだ。

 新米ママにとっては初めての赤ちゃんであっても、我が日本国では何千年もの間、無数の赤ちゃんたちを産み育ててきたのだ。その経験の蓄積を無視してしまわないことだ。人間関係を切断しない限り、聞けば教えてくれるものなのだ。自分の赤ちゃんが余りにも特別な赤ちゃんではないし、それと同時に自分の赤ちゃんだけが特別な病気に罹るわけでもないのだ。

 いつも赤ちゃんと一緒にして、真面目に育児をしていれば、病気の前兆を知ることができるし、病気の対処法も解ってくるのだ。母親として学ぶべきものは学び、持つべき能力はきちんと持っておくことだ。そうすれば自分の赤ちゃんの病気を事前に察知できるし、病気になっても正確に対処することができるのである。

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赤ちゃんの病気と新米ママにできること

●赤ちゃんが病気なったら、果物と野菜を大量に食べまくれ

 赤ちゃんが病気になったら、赤ちゃんを看病してあげる。これ以外に新米ママが取る方法はないのだ。医者から下手な治療を施されるより、母親がしっかりと看病してくれた方が、赤ちゃんが罹る病気には最も効果があるのだ。母親の看病で手が負えない物に関して、初めて医者の手助けが必要なのであって、母親が治せる程度の病気は、母親が看病して治せばいいのだ。

 まず、赤ちゃんが病気になったら、新米ママ自身が果物と野菜を大量に食べまくることだ。赤ちゃんにビタミンCの豊富な母乳を与えることで、病原菌を撃退させればいいのだ。但し、果物は朝食と昼食に食べるべきであって、夕食に食べる野菜はなるべき炒めたり煮たりして、温かい料理にしてしまうことだ。果物も野菜も殆どが体を冷やすので、果物や野菜を食べた時は、必ずお味噌汁を飲んで、体を温めることだ。

 赤ちゃんが何度も病気を引き起こしてくるなら、新米ママの方にビタミンやミネラルが不足していると見た方がいい。赤ちゃんの免疫力を高めるだけの質のいい母乳を与えることができていないのだ。果物や野菜を多く摂取していくと同時に、ビタミンやミネラルを消費してしまう肉類を食べる量を減らすことだ。動物性蛋白質は「魚」で摂取するようにシフトしていくべきだろう。

 果物や野菜はジュースにして飲んでしまうと、大量の果物や野菜を摂取することができる。「リンゴ人参ジュース」や「小松菜ジュース」は絶対に欠かせないジュースなのだ。糠漬けを大量に作り、三度の食事に必ず出すようにすることだ。糠漬けにしてしまえば、ビタミンやミネラルを高めた野菜を摂取することができるからだ。それ以外にも、自宅でキムチの素を作り、それを野菜にまぶして食べれば、唐辛子の刺激で食事が進むというものなのだ。

 赤ちゃんが病気をしている時は、とにかく新米ママ自身が体を冷やさないことだ。母親の体が冷えてしまうと、冷たい母乳を出してしまうことになり、それによってより免疫力を下げてしまうことになるからだ。白米や白パンや白砂糖といったものを避け、玄米や黒パンや蕎麦といった体を温める主食にし、甘い物が欲しければ、黒砂糖にすればいいのだ。冷蔵庫で冷やした牛乳や清涼飲料水を飲むなど以ての他なのだ。

 赤ちゃんが病気であったとしても、新米ママ自身がウォーキングをしたり、風呂に入ったりして、体を温めていくことだ。母親の体温が高ければ、温度の高い母乳を出すことになり、それを赤ちゃんが飲めば免疫力を高くすることができ、病原菌を撃退しやすくなるのである。

●家族内で赤ちゃん以外の病人を出さないこと

 新米ママが母乳以外に注意すべきことは、家族内での二次感染の防止である。赤ちゃん一人の看病だけでも大変なので、家族内で赤ちゃん以外の病人を出さないことだ。特に要注意なのが、夫の「釣られ病気」だ。夫が病気でもないのに、赤ちゃんが病気になってしまったことで、精神的なショックを受けてしまい、釣られて病気をし出すのだ。

 夫の方は妻とは違い、赤ちゃんに接する時間が少ないので、赤ちゃんが元気にしている姿しか見ていないのだ。そのため、赤ちゃんが病気になろうものなら、それに衝撃をモロに受けてしまい、自分自身も病気になってしまうのだ。勿論、この病気に対する治療法など何もない。これは肉体上の病気ではなく、精神上の病気だからだ。

 妻の方が「優しい男性が好き」といって、実際にそのような男性と付き合って結婚してしまうと、いざという時になんの役にも立たず、寧ろ、妻の負担を増やすということを平然とやってくるのだ。これは妻の方が自業自得であって、男を見る目のなさが、赤ちゃんが病気になった時に、モロに出て来てしまうことになるのだ。

 とにかく赤ちゃんの看病だけでも大変なのだから、夫には病気にもならず、仕事でもトラブルを発生させないようにしておくことだ。赤ちゃんが病気だからといって、赤ちゃんの方ばかり見ていると、夫が何をしてくるのか解らないものなのだ。赤ちゃんが病気だからこそ、夫にも注意を払っておくことだ。

 夫婦共々病気にならぬように、日頃から風邪に効果のあるお茶を飲むことだ。風邪には「柿の葉茶」が効果がある。美人の女性は女性ホルモンが出すぎているので、冷え性になりがちであり、そういう時は「ヨモギ茶」を飲むことだ。ヨモギ茶には女性ホルモンの副作用を抑える働きがあるので、冷え性には効果があるのだ。また、定期的に「ドクダミ茶」を飲んで毒消しを行っていた方がいい。ドクダミ茶を飲んでおくと、免疫力の高い母乳を出すことが可能になり、赤ちゃんが病気に罹りにくくなるし、たとえ病気になったとしても、治りが速くなるのだ。

●心配してもいいが、心配しすぎない

 初めての赤ちゃんであるならば、赤ちゃんの病気を目の当たりにするのは初めてなので、どうしても心配すぎてしまう。だが、新米ママが心配しすぎても、病気が悪化するだけなのだ。赤ちゃんにとっては、母親が側に居て安心させてくれるからこそ、心置きなく病気に戦えるのであって、母親が心配しすぎては、安心して病気に戦うことができなくなってしまうのだ。

 赤ちゃんにとっては、病気になるということは、自分が住んでいる環境に適応していくために、何度が罹らざるをえないのである。病気をすることで免疫力を上げるという作業を繰り返していかねばならぬのだ。病気に罹れば、白血球が大量に生産され、病原菌を撃退することで、高い免疫力を作り出すことが可能になるのだ。

 特に生後6ヵ月から生後2年の間に、何度か病気に罹るものなのだ。この間に病気に罹ることで免疫力を上げると作業を繰り返してくるものなのだ。さすがに赤ちゃんの命を奪ったり、赤ちゃんの体に障害をもたらす病気には警戒すべきだが、それ以外の病気に関しては、赤ちゃんは自分の免疫力を高めているのだと気楽に構えることだ。

 勿論、心配するべきことは心配しておいた方がいい。これは赤ちゃんにとって危険な病気か否かを見分けることができなければ、母親としては失格だからだ。しかし、軽い病気なのに心配しすぎれば逆効果になってしまうのだ。だから、赤ちゃんが病気になった時は、「心配してもいいが、心配しすぎない」という態度を貫いてしまうことだ。

 赤ちゃんが病気になって自分の免疫力を上げていくと同時に、新米ママの方も赤ちゃんに対する看病の仕方を学んでいくものなのだ。赤ちゃんの看病の仕方は、理屈よりも経験値が物を言うので、赤ちゃんが何度か病気に罹る中で、地道に看病の仕方を学んでいくことだ。経験値が或るレベルにまで達すれば、「心配してもいいが、心配しすぎない」という格言の意味が明確に解ってくる筈だ。

●病気への執着から離れる

 赤ちゃんは免疫力の関係上、全く病気に罹ることなく、育っていくということはできない。何度か病気に罹ることで、正常に成長していくことができるのである。ところが、赤ちゃんを余りにも可愛がり過ぎ、赤ちゃんに執着し過ぎてしまうと、逆に赤ちゃんは難病奇病に罹ってしまうものなのだ。

 新米ママの執着の激しさが、赤ちゃんを健康に育てるのではなく、逆に難病奇病を呼び込むという結果になってしまったのだ。物事に執着することは決して悪いことではないのだが、執着し過ぎればそれはそれで問題が発生してくるものなのだ。こういう場合、赤ちゃんの難病奇病自体に問題があるよりも、新米ママの執着のし過ぎに問題があるのだ。それを除去しない限り、病気が治ることは決してないのだ。

 こういう時は、執着のし過ぎから離れることだ。母親の病気への執着こそが、赤ちゃんに難病奇病をもたらしてしまっているからだ。昔から執着のし過ぎから離れるために行われたのは、祝詞をあげたり、お経を音読することで、母親自身が執着のし過ぎから離れたのである。こういうことは決して馬鹿にできないのだ。母親の執着のし過ぎから離れるためには、何かの文章を音読させるというのが、最も手っ取り早いからだ。

 また、祝詞にもお経にもそれを声に出せば「音霊」が出て来るので、その音霊が赤ちゃんの体全身に伝わり、その振動によって免疫力が活性化し、病気を撃退することが可能になるのだ。書かれている文章が、良い内容の文章であるなら、その良い内容が赤ちゃんにまで伝わっていくのである。

 西洋医学を万能に思うこと勿れ。投薬や手術ですべての病気が治せるわけではないのだ。医者が最もガックリと来るのは、この手の「宗教的治療法」なのである。医者が匙を投げるような病気でも、宗教的治療法を施すと、いとも簡単に治ってしまうのだ。難病奇病を治せたのは、何もキリスト教の教祖のイエスだけではないのだ。新興宗教団体なら難病奇病を治すことで伸し上がってくるものなのだ。

 医学がどんなに進歩しても、人間の方は何も進歩していないのだ。何かをやれば執着し過ぎてしまうのは、相変わらずなのだ。育児を行っている母親たちも、執着し過ぎて、逆に赤ちゃんに病気をもたらしてしまうのは、相変わらずなのだ。そのことに関しては、今も昔も変わっていないのだ。だからこそ、宗教は絶対に必要なのである。ところが、理性の力が強まりすぎると、必ず宗教を馬鹿にしたり、無宗教を名乗ってくる輩が出て来るものなのだ。だが、そういう者たちは執着のし過ぎで、自分の人生に悲劇を招き、破滅させてしまうものなのだ。

 赤ちゃんが可愛いのは今も昔も変わらないのだ。それに対して新米ママが執着し過ぎてしまうのも、今も昔も変わらないのだ。人類が数百万年繰り返した行いが、そう簡単に変えることなどできるわけがないのだ。自分が妊娠し出産し育児をしてみれば、やはり自分だって同じようなことをしてしまうものなのだ。それが当り前なのである。大事なことは、人類の大きな生命の流れに歩調を合わしてしまうことなのである。巨大な生命の流れの前に、個人が持っている個性など全く無力なのである。

 自分が赤ちゃんに執着し過ぎて赤ちゃんに難病奇病を引き起こしても、昔の母親たちもやはり赤ちゃんに執着し過ぎて、逆に赤ちゃんに難病奇病をもたらしてしまったのだ。だからこそ、その執着のし過ぎから逃れる方法を使って逃れてきたのだ。だったら、自分もそれを使って逃れていけばいいのだ。救いの道はいくらでもあるのだ。しかし、その救いの道は、執着し過ぎている人には見えてこないだけなのだ。執着のし過ぎを解き放てば、はっきりと見えてくるものなのだ。

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赤ちゃんは突然に高熱を出すもの

●赤ちゃんの発病パターンは大人のとは違う

 初めての赤ちゃんを産んだ場合、新米ママが心底ビックリする事態が発生する。それは赤ちゃんが急に高熱を出すということだ。この赤ちゃんの高熱に接してしまうと、新米ママが赤ちゃんを連れて慌てて病院に駆け込むというのが、日本全国どこでも見られる珍現象なのだ。

 赤ちゃんというのは、突然に高熱を出してくるものなのである。それが当たり前なのである。なぜなら、免疫システムが赤ちゃんと大人とでは違うからなのである。赤ちゃんは母親からの母乳を通じて抗体を貰って全身に張り巡らせるために、病気になっても自分自身では新たに抗体を作り出せないので、どうしても高熱を出すことで病原菌を撃退する方法しか手がないのだ。

 それに対して、大人は自分で抗体を作り出せるために、病気になっても新たに抗体を作り出していけばいいので、わざわざ高熱を出さなくても、咳き込んだり、鼻水を流す程度の症状でも撃退することが可能になるのだ。そのため、大人が病気になって高熱を出すというのは、余程、深刻な病気にならなければ、そうはならないのである。

 それゆえに、大人は病気で高熱を出すというのは、深刻な病気だと思い込んでいるので、赤ちゃんが高熱を出した場合、深刻な病気になったと思い込んでしまうのだ。勿論、これは新米ママの大いなる勘違いであって、この時に病院に連れていって治療してしまうと、赤ちゃんにとっては高熱を出して病原菌を撃退するという機会を失ってしまうことなり、たとえその病気が治ったとしても、免疫力を下げてしまい、また新たに病気に罹ってしまうようになるのだ。

 新米ママとべテランママの最大の違いが、赤ちゃんの病気に対する対処法だろう。「第二子」「第三子」と育てていけば、赤ちゃんが大した病気でもないのに高熱を出してくるというのが解るので、別に病院に駆け込むことなく、自宅で様子見ということが最善の選択肢なのだというのが解るようになるのだ。

●すぐさま病院に行かない

 赤ちゃんが高熱を出してもすぐさま病院に行かないことだ。最低でも一晩様子を見ることだ。赤ちゃんにとっては高熱を出すことで自分の免疫力を上げていかざるをえないので、高熱を下げられる治療をされてしまっては仕様がないのだ。高熱を出すということは、病気になった赤ちゃんの正常な反応だということを決して忘れないことだ。

 赤ちゃんにとって異常な病気は、一晩、様子見をした後、「これは異常だ」というのが新米ママでも解るので、その時になってから病院に行けばいいのだ。赤ちゃんが自分で治せる病気まで病院で治療していたら、赤ちゃんの免疫力は下がってしまい、続々と病気になっていってしまうのだ。

 赤ちゃんの病気のもう一つの特徴は、病気が治るのが非常に遅いということだ。これも免疫力が低いことに起因しているだが、免疫力が低いために、病気が山場を越えても、ズルズルと後を引くような形で治っていくのだ。この赤ちゃんの姿も、新米ママにとってはヤキモキされる事態にしか映らないのだ。

 病気になって高熱を出し、病気が治るまで時間がかかるものなら、大人であれば深刻な病気だと思ってしまうのだ。しかし、それは赤ちゃんの免疫システムが大人とは違うからこせ見せる現象であって、それは深刻な病気ではないのだ。そういう遣り方でしか、赤ちゃんは病気を治せないのだ。

 赤ちゃんが病気をしたら、まずは赤ちゃんの免疫力で治せるように仕向けてあげることだ。病気のたびに病院に行っていたら、その治療費のために家計を圧迫してしまうものなのだ。ただでさえ育児ではお金が入り用になっているというのに、無駄な出費をすべきではないのだ。

●病院で処方される薬は毒物である

 赤ちゃんを育てているなら、これだけは絶対に知っておいた方がいいのは、「病院で処方される薬は毒物である」ということである。我々日本民族の医学は、近代以前は漢方医学が主流だったために、「病気は漢方薬を使って治すもの」という刷り込みがなされている。しかし、漢方薬というのは基本的には薬草なのであって、そのままの観念で西洋医学の薬を使用しては、根本的に誤ってしまうのだ。

 西洋医学で使用される薬は、薬草ではなく、殆どが石油から作られた化学物質なのである。病気を治すために、純粋に化学物質を配合してあるために、即効性があるが副作用が非常に強いのだ。漢方薬には即効性がなく副作用もないのだが、長期間に亘って服用していると、凄まじいまでの効果が出て来るのだ。西洋医学で使用される薬を長期間使用しようものなら、体がボロボロになるまで傷めてしまうことになるのだ。

 漢方薬は病人の体内にビタミンやミネラルを補充していくものだが、西洋医学の薬は逆に病人の体内からビタミンとミネラルを奪っていくものなのだ。例えば赤ちゃんが風邪をひいた場合には、処方される薬は、「ビタミンA」「ビタミンC」「カルシウム」「カリウム」を奪っていくので、風邪を薬で治しても、更に新たに病気に罹ってしまうのだ。なぜなら、ビタミンAもビタミンCも免疫機能を働かせるために必要なビタミンで、これらが不足するからこそ病気になってしまうのである。

 病院で処方される薬は石油から作られているので、それを服用すれば病気が治ったとしても、肝臓を傷めてしまうことになるのだ。病院に長期間入院している患者が、元気をなくしてしまうのは、このためなのだ。赤ちゃんは成長過程にあるので、極力、肝臓を傷めるようなことはすべきではないのである。肝臓を成長させねばならぬ時期に、肝臓を傷めてしまえば、後に成って肝臓障害が発生してくることになるからだ。

 漢方薬がすべて良く、西洋医学の薬が全部駄目ということではないのだ。また、その逆でもないのだ。緊急性を要するものであるなら、副作用は強くとも、即効性のある西洋医学の薬で対処していくべきなのである。しかし、緊急性がないのなら、副作用がないが、時間をかけて凄まじい威力を発揮してくる漢方薬を使用すべきなのだ。決して薬はどれも同じだろうとは思わないことだ。病気を治療していく場合、無知は悲劇しか起こさないものなのだ。赤ちゃんがいかなる病気になろうとも、知性によって光を灯し、冷静沈着に対処していくべきなのだ。

●看病することの大切さ

 赤ちゃんが病気になった場合、赤ちゃんを連れて、すぐさま病院に駆け込むのではなく、まずは赤ちゃんの様子を一晩置いてみて、その間、新米ママが看病してあげることだ。これこそが最も大事なのである。新米ママが医者に頼っていたら、赤ちゃんはいくらでも病気になっていくものなのだ。「大丈夫だよ、お母さんがついているから」という思いで赤ちゃんを看病していれば、赤ちゃんは安心して自分で自分を治療していくことができるのだ。

 母親の念というものは、赤ちゃんに伝わるものなのだ。「病は気から」という諺があるように、赤ちゃんの気が病んでしまったからこそ、赤ちゃんは病気になってしまったのである。だから、まずはそれを解いてあげることだ。母親が赤ちゃんの側にいるから、赤ちゃんは安心して、病んだ気を修復していくことができるようになるのである。

 赤ちゃんの病気を連発させるような母親は、育児や家事が忙しいからといって、赤ちゃんとまともに向き合うことしていなかったのだ。だからこそ、赤ちゃんは病気に罹ることで、母親が自分に向き合ってくれることを求めているのである。確かに生活をしていく上で、育児も家事も大事ではある。しかし、それ以上に大事なのが、「赤ちゃんの命」なのである。育児や家事の忙しさの余りに、赤ちゃんの命を蔑ろにしてしまっては、赤ちゃんが病気をし出すのは当然のことなのだ。

 赤ちゃんが病気になった場合、実は赤ちゃんの病気以外の所に、赤ちゃんの病気の本当原因が潜んでいるものなのだ。赤ちゃんが病気になる場合、大抵の新米ママは家庭に何かしらの問題を抱えているものだ。結婚しいるのに、些細なことで夫を憎んだり、姑を憎んだりしていて、その憎しみというネガティブな思いが、赤ちゃんに伝わり、赤ちゃんが気を病んで病気になってしまうのだ。そのため、新米ママからその憎しみを捨てさせ、相手を許してあげると、不思議と赤ちゃんは病気を全快してくるようになるのだ。

 また、新米ママが珈琲などのカフェイン入りの飲料を飲んでいると、カフェインはイノシトールを奪ってしまうので、神経が過敏になってしまうのだ。そのためいつも神経を尖らせ、ピリピリしているので、それで赤ちゃんが母親との関係に疲れきってしまい、病気になってしまうのだ。育児をしているなら、当分の間はカフェインを控えることだ。カフェインをやめるだけで、赤ちゃんは病気になりにくくなるものなのである。

 赤ちゃんが病気になったら、赤ちゃんの病気に目を奪われてしまうのではなく、もしかしたら自分に何か問題があって、それを赤ちゃんが知らせてくれているのではないかと謙虚に思うことだ。自分が改めるべき所をいつまでも改めないと、赤ちゃんはいつまでも病気を発症してくるものなのだ。赤ちゃんが成長していくなら、母親も成長していかなければならないのだ。母親として成長していないのなら、赤ちゃんは病気を起こすことで、母親に成長してくれるよう促していくのである。

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赤ちゃんの靴

●最初は靴下で充分

 人間は「足の裏全体」を使って、バランスを取りながら二足歩行を可能にさせている。大人になってしまえば、二足歩行は当たり前なので、足の裏全体を使って二足歩行を可能にさせているという当たり前すぎる事実を忘れさってしまっているのだ。赤ちゃんは、寝返りを打つのにも、ハイハイをするのにも、一人歩きをするのにも、驚くほど足の裏を柔軟に使って体を動かしているのだ。

 赤ちゃんが一人歩きを充分にこなせるまでには、赤ちゃんに靴など不要である。靴下だけで充分なのである。できれば自宅では靴下を脱がし、赤ちゃんに足の裏を自由に使わしてしまった方がいいのだ。そうすれば赤ちゃんは足の裏を充分に使えて、バランスを取ることをきちんと覚えていくようになるのだ。

 赤ちゃんは裸足の方がいいからといって、外気浴の際も裸足でいいのかというと、そうではないのだ。裸足のままでは血行が悪くなってしまうのだ。やはり冷たい空気に当たってしまう場所では、靴下を穿いて体が冷えないようにしなければならないのだ。靴下程度の物でも、赤ちゃんにとっては充分に体を温めることができるのだ。

 外気浴に行った際は、赤ちゃんの靴下を脱がして、赤ちゃんを裸足にさせ、芝生の上で遊ばせればいい。赤ちゃんは足の裏を充分に使う機会を得ることができるからだ。芝生では地面が平らではないので、赤ちゃんにとって足の裏を鍛えるには絶好の場所なのだ。足の裏の筋肉を鍛えておくと、一人歩きができた以降で、転倒しにくくなるのだ。

 赤ちゃんに靴下を穿かしたのに、赤ちゃんが靴下を脱ぎたがるというのは、当然の反応なのだ。赤ちゃんにとっては靴下の締め付けが好ましいものではないからだ。昔は毛糸の靴下を穿かせ、それを紐で結んでいたので、足首に締め付けが起こらないように配慮したものだが、こういう配慮が実は必要なのである。

●赤ちゃんの成長に合わして靴を買う

 赤ちゃんが一人歩きを充分にこなせるようになったら、その時になった初めて靴が必要になってくるのである。赤ちゃんの足自体が成長し続けているので、靴を買う時は、充分すぎるほどに吟味して買うことだ。赤ちゃんの足に合わない靴を穿かしてしまうと、赤ちゃんは足の筋肉を鍛えられないことになり、すぐに転倒するようになってしまうのだ。

 赤ちゃんに折角、靴を買い与えてあげたのに、赤ちゃんは靴を履きたがらないものだ。本来なら赤ちゃんには靴など不要なものなのだ。しかし、文明の中で暮らしている以上、靴を穿いてすごさなければならないだけなのだ。そのため、外出の際にいちいち新米ママが赤ちゃんに靴を履かせるという光景が繰り返されることになるのだ。

 人間は足の指すべてを使ってバランスを取っているので、靴を履くことで足の指がきちんと動かせないと、赤ちゃんはすぐに転倒してしまうようになるのだ。外出時に赤ちゃんが余りにも転倒する回数が多いなら、靴がフィットしていないと思った方がいい。そういう時は思い切って靴を買い替えることだ。

 赤ちゃんの靴も大人の靴と同様に、毎日連続して履き続けることはできない。1日履いただけで靴の中は湿気だらけになってしまうからだ。それゆえ最低でも2日間は靴を乾燥させておき、3日目に靴を再び履けるようになるのだ。だから、赤ちゃんの靴は最低でも3足必要となるのである。できれば、常に3足以上の靴を持っておくことだ。

 赤ちゃんの靴は消耗品だと思った方がいい。赤ちゃんの成長は早いので、靴を買い替えていかねばならないからだ。赤ちゃん用の靴は安いので、絶対にケチらないことだ。赤ちゃんの足が大きくなっているというのに、小さな靴を履き続ければ、足が変形していくという弊害が出て来てしまうのである。その方がよっぽど高い出費を強いられることになるのである。

●靴だけは絶対にお下がりを使用しない

 ケチが染みついている人や、我が子が2人以上いる母親は、靴のお下がりを貰ってきて、赤ちゃんにお下がりの靴を履かしてしまうものだが、赤ちゃんの靴だけは絶対にお下がりを使用しないことだ。靴は使用すれば、その人の足の形によって微妙に靴が変形するので、その靴を他人が履いてしまうと、自分の足が歪んでしまうのだ。

 赤ちゃんの成長は早いために、まだそんなに汚れていない靴を捨てるのは勿体ないと思うかもしれないが、靴には人それぞれの個性が出てくるものであって、他人がその靴を履けるわけがないのだ。いくら貧しくてもパンツのお下がりを使用しないと同じように、靴もお下がりを使用すべきではないのだ。

 赤ちゃんが初めて履いた靴には、新米ママの方が思い入れがあって、その靴を捨て切れず、いつまでも取っておき、家のどこかに飾ってしまう新米ママもいるものだが、その気持ちは充分すぎるほどに解るが、やはり赤ちゃんのお古の靴はいつまでも取って置くべきではないだろう。実際の赤ちゃんはスクスクと成長しているため、新米ママの方が「あの時は可愛かったな~」と思い続けてしまうと、新米ママの方が成長していないことになるのだ。赤ちゃんの靴に余りにも思い入れがありすぎるなら、第二子にチャレンジしていけばいいのだ。そのようが余程健全である。

 赤ちゃんは結構、靴を汚すので、靴のお手入れは絶対に必要になる。靴のお手入れをしておけば、靴が長持ちするようになるのだ。赤ちゃんの靴は小さいので、お手入れの時間もそんなにかからない。靴のお手入れは赤ちゃんに教えようとしても絶対にやれないので、母親自身が必ずやることだ。靴にお手入れを施すというのは、実は知能が高くないとできないものなのだ。

 赤ちゃんの足が大きくなってきたなと思ったら、すぐさま靴を買い替えることだ。新品の靴を履くと、足の成長が速くなるのだ。足のサイズは大きい方が圧倒的に有利である。足のサイズが大きくなれば、体のバランスを取りやすくなり、運動神経が発達するからだ。赤ちゃんは靴のサイズが合わないことを言ってこないので、母親はこまめに靴を見ておくことである。

●小学生になったら、シューフィッターの居る店で靴を買おう

 赤ちゃんが大きくなって小学1年生になったら、シューフッターの居る靴屋さんで自分の靴の特注品を作って貰うことだ。シューフィッターには教わることが非常に多い。シューフィッターから靴に関する最低限の知識を教わっておけば、今後、靴のトラブルの発生を激減させることができるからだ。特に女の子は将来「外反母趾」になりやすいので、そうさせないためにも、最低限の靴の知識を教えて貰うことだ。

 断言してもいいが、靴を大事にする男性は能力が高いものだし、靴を大事にする女性は美人である。優秀な能力を持っているはずなのに、なぜか能力を発揮しきれない男性や、そこそこ美人ではあるのに、いつもトラブルばかり引き起こしてくる女性は、必ずといっていいほど靴が汚いのだ。日々の生活で自分の靴に手入れをしていないのだ。

 まず、脱いだ靴を揃えておく習慣をきちんと持つことだ。これだけでも人生が変わっていくものである。自宅でこの習慣をきちんと持っておかないと、余所で靴を脱いだ時に脱ぎっぱなしにしてしまうものなのだ。そして、靴のお手入れをしておくことだ。雑巾で靴の汚れを拭き取り、靴にクリームを塗って光沢が出るように仕上げておくのだ。

 靴は2日連続して同じ靴を履かない。最低でも2日間は空けることだ。できれば靴をより多く持っておき、靴が痛まない工夫をしておくべきだろう。そして、革靴に綻びが生じたら、すぐさま靴の修理屋さんに行って、靴の修理を頼むことだ。革靴は長持ちするものなので、修理をしながら、長く使い続けるべきなのだ

 こういうことは母親自ら実践で示すことだ。母親が自ら示さない限り、子供たちは絶対にやらないからだ。もしも、夫の靴が汚れていたら、ついでに磨いておけ。勿論、夫自身がやった方がいいのだが、夫がやっていない時は、妻がやってしまった方がいいのだ。その方が夫が出世してくれて、収入も増えていくものなのだ。自分が黙ってやってしまい、その後、夫婦の会話の中で靴と出世の関係をチラリと述べて、夫自ら靴のお手入れをするように仕向ければいいのだ。

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赤ちゃんの蒙古班

●なぜ、蒙古班はできるのか?

 初めて赤ちゃんを産んだ時に、自分の赤ちゃんのお尻に蒙古班ができているのを見ることは驚きであろう。だが、第二子以降になると、あのお尻にできた蒙古班が愛おしくて堪らないと多くの母親たちは言う。蒙古班を見ると、自分がモンゴロイドだと感じるからであり、自分が産んだ子もモンゴロロイドだと解るからなのである。

 なぜ。お尻に蒙古班ができるかといえば、黄色人種の肌の色が、丁度、色素が出やすい色であるためなのだ。黒人の赤ちゃんでも蒙古班は出ているのだが、肌の黒さの方が目立ってしまい、黄色人種の蒙古班ほどには気にならないのである。白人の方は肌の色素がないために、蒙古班が出ないのである。

 蒙古班は3歳から5歳あたりまで存在するので、赤ちゃんを産み育てたことのある母親にとっては、我が子が自分にとって可愛かった時期にピタリと一致してしまうために、蒙古班を見ると、愛情が出て来てしまうのだ。蒙古班は黄色人種にとって自分の子供が乳幼児であることを示す重要な表示だと言っていいのだ。

 但し、黄色人種の中でも蒙古班が出て来ない赤ちゃんも居る。ごく僅かではあるが、肌の色が白いために、色素が見えなくなってしまうのである。特に日本民族の中には御餅のような白い肌をしている人々が居るので、母親がそのような肌の白さの持ち主だと、赤ちゃんに蒙古班ができない可能性が高くなる。

 蒙古班ができても、できなくても、健康になんら支障はない。蒙古班そのものが病気ではないからだ。蒙古班は3歳から5歳あたりで、自然に消滅していく。ただ、厄介なのは海外旅行や海外に移住しなければならなくなった時、白人国家では蒙古班の知識を持っていない人々が多いので、児童虐待の疑いをかけられるので、事前に説明しておくことだ。白人は赤ちゃんが悪さをした時に、赤ちゃんのお尻を思いっきり引っ叩く習慣があるので、蒙古班を見るとその母親は赤ちゃんにアザができるまで、引っ叩いたと思い込んでしまうからだ。

●蒙古班はいずれ消えていくもの

 蒙古班は成長とともに消える。人間の子供は4歳から5歳のあたりで大きく変わり、母親のもとから離れ、少し距離を置き、自分の世界を形成していくものなのだが、母親にとっては蒙古班の消滅こそ、その時期の到来を教えてくれることになる。最早、乳幼児ではないので、余りにも乳幼児扱いをしすぎてしまうと、要らぬ親子喧嘩に発展してしまうのだ。

 また、子供の方も、4歳から5歳あたりで、乳幼児の記憶を消滅させる効果が働き、赤ちゃんの頃の記憶を忘れてしまうことになる。乳幼児は生まれた頃のことも、母乳を飲んでいたことも、一人歩きできたことも覚えているのに、突如としてそれらの記憶を忘れてしまうのだ。

 昔、三島由紀夫が「自分は生まれた時の光景を覚えている」と小説に書いて、文芸評論から「そんなことは有り得ない!」と散々に批判されたものなのだが、人間の中には4歳から5歳で起こる記憶忘却が起こらず、赤ちゃんの頃を覚えている人も、僅かではあるが存在しているのだ。三島由紀夫もその一人であったのだろう。記憶忘却が起ころうが、起こるまいが、その人に悪影響を与えることはない。

 育児をしていると、乳幼児の方はきちんと成長しているのに、母親の方が精神的に成長していないことの方が多い。母親が成長できたのは育児の仕方だけであって、自分自身はなんら精神的に成長していないのだ。「育児は育自」とか「子育ては母親育て」などと言っている母親たちは、なんにも精神的成長を行っていないのだ。

 乳幼児を育てていく時は育児を専念すると同時に、自分の精神レベルを上げてくれる本を読むなり、自分の精神レベルを上げてくれる人と出会うとかして、自分の精神レベルを上げる努力をしておくことだ。我が子にべったりになってしまうと、我が子が親離れしたくてもできなくなってしまい、自分の世界を巧く形成できなくなってしまうからだ。

●異所性蒙古班

 殆どの赤ちゃんの蒙古班は消えていくものだが、中には成長しても残る蒙古班というのがある。それが「異所性蒙古班」である。体のどこかにアザのようなものとして残ってしまうのだ。よりによって顔にできることもあり、特に女の子の場合は、これのために性格を捻じ曲げてしまうこともあるので、要注意なのだ。

 まず、異所性蒙古班を作ってしまう人は、赤ちゃんの時に巧く重力を利用した育てられ方をされなかったのだ。赤ちゃんは生まれてから長い間、寝っぱなしなものであるが、その時にそのまま寝かしておいていいのではなく、母親が「対面抱っこ」をして赤ちゃんを持ち上げてしまい、体に巧く「2G」の重力をかけてあげることなのだ。

 これをやられると、赤ちゃんは重力の刺激を受け、睡眠中により多くの血液を作り出そうとし、そして血行が非常に良くなってしまうのだ。そうすると蒙古班が消える時期に、血流がいいために、奇麗に蒙古班が消えていくのである。要は、血流が悪いと、蒙古班は残る可能性が出て来るのである。

 また、沐浴の際に温冷水浴をやると、毛細血管に充分に血液が行くようになり、時期がくれば蒙古班を押し流してくれるようになるのだ。体内を順調に血液が循環していても、毛細血管への血流が弱い人は多く居るものなのである。その中で特に血流の悪い人だと、蒙古班を押し流すだけの血流がないために、蒙古班が残ってしまうのだ。異所性蒙古班を作ってしまう人に余り元気な人がいないのは、そのためなのだ。

 異所性蒙古班ができても、なんら健康には問題がないが、但し、顔に異所性蒙古班ができた場合、その人の性格を歪めてしまうので、病院に行って治療を受けることだ。病院に行けば、治療は可能だ。いつも鏡を見て気にしているよりは、勇気を出して治療を受けてしまった方が、無駄な時間を費やさなくて済むようになるのだ。

●皮膚の色が違うからこそ、多彩な生存が可能になる

 現在では、「人間は生まれながら平等である」という観念が出回ってしまっている。そのため些細な不平等に反対し、差別や偏見を廃止しようと躍起になっているのだ。しかし、人間を正確に研究していくと、人間は不平等にできており、人間がどのような社会を形成したとして、差別や偏見は存在するものなのである。

 我々は平等を実現することはできないが、不平等にある人々を可能な限り公平に扱っていくことはできるし、差別や偏見をすべて撤廃することはできないが、不当な差別や不当な偏見を廃止していくことはできるのである。そしてそれら以上に大事なのが、人間の不平等性をきちんと把握することなのである。

 人間は進化の過程で、「皮膚の色」を変えていった。黒人は人類発祥の地であるアフリカ大陸に留まったために、強烈な太陽光から守るために肌を黒くすることになった。白人はヨーロッパ大陸を北上していくのに数万年の歳月を費やしたために、肌から色素が抜け落ちるということになってしまった。黄色人種は比較的気候が温暖な地へ展開していったために、肌を白くもなく黒くもない肌にすることができた。この黄色い肌のために、蒙古班が出て来るのである。

 それぞれの人種はそれぞれの地で適応するために肌の色を変えていったのである。皮膚の色が違うからこそ、多彩な生存が可能になったのである。それゆえ、白人たちがヨーロッパ大陸以外の場所に進出してくれば、肌に色素がないために「皮膚癌」に悩まされてしまうのである。大体、白人なのに太陽光の強い南アフリカやオセアニアに移住してくるということ自体が問題なのである。

 黒人であるならば、アフリカ大陸以外の場所に連れてこらられれば、「クル病」に苦しむことになってしまうのだ。肌の色が黒いために、多くの太陽光を浴びないと、ビタミンDの合成ができないのだ。そもそも黒人なのに日差しの弱いヨーロッパ大陸に移住してくること自体が問題なのだ。

 ユーラシア大陸の歴史は、黄色人種と白色人種のシーソーを繰り返してきたといっていい。人類最初の文明を築き上げたのは、モンゴロイドであるシュメール人だし、彼らがインド大陸に移住してきてインダス文明を築き上げたし、漢民族はシルクロードを渡ってきて黄河周辺に住みついて、黄河文明を作り上げている。メソポタミア文明の影響を受けて、エジプト文明が花開いたし、その「文明の光」がギリシャに飛び火しギリシャ文明を築き上げ、そしてそれがイタリア半島に伝わり、ローマ文明を築き上げていったのだ。

 チンギスハーンに率いられたモンゴル民族がユーラシア大陸を支配したかと思えば、コロンブスのアメリカ大陸の発見とともに大航海時代が訪れ、白人たちが全世界に進出していった。アメリカ合衆国はその勢いを利用して西部を開拓していったが、その西進も日本との戦いで停止することになった。そして現在では日本を始めとする東アジア諸国が台頭してきて、世界の繁栄の中心が東アジアに移行しつつあるのだ。

 世界の歴史は、決して平等化された人間たちが作り上げていったものではなく、人種という大きな要素が存在し、その中でも最も優れた民族によって動かされた歴史なのだ。いくらその民族が優秀でも純血に走って異民族の血を入れなければ、弱体化してしまうものだし、自分たちが現在住んでいる領域にだけ留まっていれば、発展はないのだ。外に向かって打って出て来る民族は発展していくものだし、平和を愛し、現状維持に徹してしまうと、後退が始まり、いずれジリ貧になってしまうのだ。

 世界の歴史を鑑みれば、近代の中心がヨーロッパにあったものが、ヨーロッパ諸国の衰退とともにアメリカ合衆国に移り、そしてそれがアメリカ合衆国の衰退とともに東アジアに移行しつつあるのである。日本は第二次世界大戦には敗戦国になってしまったために、アメリカ合衆国に対しては自信を喪失してしまっているが、いずれ日本民族が世界に雄飛していく時代は必ずややってくるのである。

 人類は、人種や民族という要素を無視してはならないのである。それらを無視してしまえば、全く歴史が解らず、現実世界を把握できなくなってしまうのだ。肌の色が違えば、それなりの優越があるし、民族は歴史が深いからこそ、様々な軋轢を生んでしまうものだ。しかし、そうではあっても、自分の人種を肯定し、自分の民族に誇りを持てば、今ある幸福を守り通すことができ、更なる発展をしていくことが可能になるのである。

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赤ちゃんにはテレビを見させない ~赤ちゃんを近視にさせない方法~

●赤ちゃんは生まれながらの近視

 赤ちゃんは出生直後には良く目が見えてない。長らく胎内に居たために、目を使う必要性がなかったからだ。出生直後の赤ちゃんの視力は「0.02」しかないのだ。赤ちゃんは生まれながらの近視なのである。それが成長と共に視力を向上させていくのである。新米ママが赤ちゃんの視力は最初は近視で、それを成長過程の中で視力を「2.0」以上にしていくということを知らないと、育児における些細なことで赤ちゃんの視力の向上を奪ってしまうことになるのだ。

 赤ちゃんにとっては、外気浴で太陽光に当たるということは、視力を上げていく上で、非常に重要なことなのである。太陽光こそ目に最適な刺激を与え、赤ちゃんが視力を向上させていく最大の刺激になるからだ。それゆえ、新米ママが外気浴をきちんと行っているなら、赤ちゃんは視力を向上させていくことになるのだ。

 それに引き換え、自宅内で使用されている「蛍光灯」は、赤ちゃんにとって非常に有害なの物なのである。蛍光灯の光は、人間に緊張を強いるので、仕事場で使用されるのはいいが、自宅のようにリラックスする場所では最も不適切な照明なのだ。日本人の多くが近視に悩んでいるのだが、それは自宅内で蛍光灯を使用しているからなのだ。目が24時間ずっと緊張しっぱなしなので、目の筋肉が硬直してしまい、それによって近視になってしまうのだ。

 赤ちゃんも自宅内で蛍光灯に当たっていると、目の筋肉を硬直させてしまうので、当然に近視になってしまう。特に赤ちゃんがまだ歩けない時は、赤ちゃんは天井を見つめている時があるので、その際に蛍光灯があるとそれを見つめてしまい、目の筋肉を硬直させて、近視になることを決定的にさせてしまうのである。

 赤ちゃんにとってテレビは、蛍光灯以上に危険な存在である。赤ちゃんの目の筋肉も視覚神経もまだ成長の途中なので、テレビのように場面がすぐさま切り替わっていくものについていくことができないのだ。それゆえ赤ちゃんにテレビを見せてしまうと、茫然としてテレビを見てしまい、目の筋肉を発達させることなく、視覚神経を発達させることなく、近視になることを決定づけてしまうのだ。

 また、赤ちゃんが一人歩きできるようになると、赤ちゃんはテレビ画面のすぐ近くに行ってテレビを見ようとするのだが、これは赤ちゃんは近視のために、はっきりと見えないから、テレビ画面に近づいてテレビを見てしまうのである。近視である赤ちゃんにとっては正常な反応なのである。育児をしていると、赤ちゃんがテレビを見ている時は静かにしていてくれるので、赤ちゃんを放ってしまいがちだが、その代償は赤ちゃんの近視ということで支払うことになるのである。

●まともな会話のできない子供に育ってしまう

 大人であるならば、テレビを見ることはなん差し支えもない。しかし、急速な成長をしている赤ちゃんにとって、テレビは決して有益ではないのだ。非常に有害なのである。赤ちゃんは母親の言葉を何度も聞くからこそ、言葉を覚えることができ、会話ができるようになるのだ。この同一人物による繰り返しこそが最も大事なのである。脳が最も成長しやすい機会を与えてくれるからだ。

 大人でも古くからの付き合いがある馴染みの友人と会話すれば、相手の言っていることも良く理解できるし、突っ込んだ会話をすることができることだろう。しかし、初対面の相手では相手の言っていることが良く解らないし、内容の濃い会話もできないのだ。それと全く同じことが赤ちゃんの身にも起こるのである。

 テレビのように赤ちゃんにとって見ず知らずの人々が次々と出て来てしまうと、赤ちゃんはまともな言葉を覚えようとしないし、ちゃんとした会話をしようとしなくなってしまうのだ。精々、テレビに出てくるワンフレーズを覚えたり、会話をすることなく一方的に喋る子供へと育ってしまうのだ。赤ちゃんの時にテレビを見続けてしまったばっかりに、まともな会話ができない子供に育ってしまったのだ。

 最近、キレる子供が問題になっているが、これにはビタミンやミネラルが不足した食事を取っていることが主な原因であるのだが、それに加えて赤ちゃんの時からテレビを見続けてきたということも原因として考えられるのだ。その子供が成長していく中で、ちゃんとした言葉を覚えていないし、ちゃんとした会話をする機会が少なかったので、自分の言いたいことをきちんと相手に伝えられないし、相手の意見を汲み取って、人間関係をより深くしていくということができないのだ。だからこそ、些細なことで、キレるということで感情を爆発させてしまうのだ。

 この世には大人には良くても、子供には有害というのは多々あるのだ。ポルノはその代表例であるだろう。仕事で疲れ切った成人男性がポルノを見ることで性欲を刺激して、性生活を豊かにさせるというのは、必要不可欠な行為だから許されてもいいだろう。だからといって子供がポルノを見てしまえば、それは不健全な成長しかできなくなってしまうので、有害なのである。テレビでお笑い芸人が相方の頭を叩いて観客の笑いを取っても、それを大人たちが見る分には構わない。しかし、物の分別がついていない子供が見てしまえば、それは非常に有害なのである。相手を殴れば笑いが取れるという危険な記憶が脳の中に形成されてしまい、それを実行に移すということが起こり始めるのである。

 昭和憲法体制下では、学校でイジメが深刻な問題になっているのだが、これはテレビの影響が非常に大きいのである。良く言われることだが、TBSで放送されていた『8時だョ!、全員集合』を見ていた子供たちは、道徳が解っていたし、あの番組を見ることで他人に暴力を振るったりはしなかった。なぜなら、「いかりや長介」が叱り役に徹し、他のメンバーが悪さをしたら叱るということで笑いを取っていたからだ。

 しかし、その後、漫才ブームが起き、フジテレビで『オレたちひょうきん族』が放送されるようになると、学校でイジメが発生し始めるようになったのだ。なぜなら、そこではお笑い芸人たちが暴力を振るうことでお笑いを取っていたので、それを見た子供たちが真似をし始め、そしてイジメが社会問題化するまでになってしまったのだ。

●ビタミンAと植物油のコンビ 

 赤ちゃんの視力を向上させていくためには、母親自身が視力にいい栄養素を取っておくことだ。視力を上げるために必要なビタミンは「ビタミンA」である。但し、ビタミンAは脂油性なので、植物油と一緒でないと消化吸収できないのだ。日本人に近視が多いのは、和食は余り植物油を使わないからなのだ。

 ビタミンAを含んでいる食品は、「野菜」「果物」「魚の肝油」「レバー」「玉子」「ヨーグルト」などである。野菜にオリーブオイルをつけて食べれば、ビタミンAをきちんと消化吸収することができる。ビタミンAが不足すると風邪を引きやすくなるので、赤ちゃんが風邪を引いたなら、魚の肝油を舐めることだ。非常な効果を得ることができる。

 ヨーグルトは、小腸の中をゆっくりと通過していくために、小腸はビタミンAを吸収する機会が多くなるという現象が発生する。しかも、ヨーグルトには脂肪が含まれているので、ビタミンAはその脂肪と共に、きちんと消化吸収されてしまうのである。ヨーグルトは、低温殺菌牛乳を買ってきて自宅で作った方がいい。ビフィズス菌を活性化した状態でヨーグルトを食べることができるので、小腸や大腸を活性化させ、排便をスムーズにさせるのだ。

 疲労が続くと母親自身の視力にも影響が出て来るので、長時間に亘って同じ作業をすることは控えた方がいい。パソコンやテレビといった目を酷使する物に関しては、90分を限度にして、それ以上連続して遣り続けないことだ。この習慣を保つだけで、目の疲労は大半が消えてしまうのだ。

 育児をしていると、どうしても赤ちゃんばかり見てしまうことになるのだが、そのために遠くにある物を見る機会がなくなってしまうのだ。1日のうちに何度かは遠くにある物を見つめてみることだ。そうすれば目は緊張から解放され、近視にはならなくなるのだ。赤ちゃんばかり見ていると、赤ちゃんが大きく見えてしまうものだが、目の緊張を解いてあげると、実は赤ちゃんは小さい体をしているものなのだ。赤ちゃんの体が余りにも大きく見えるようであるならば、新米ママの目が緊張状態にあると思った方がいい。

●テレビよりも絵本

 育児をしている時は、テレビを見せないという決断は非常に有益な決断なのである。テレビさえ見なければ、時間が有り余ることになるので、その分、きちんとした育児をすることができるのである。育児においては、テレビは基本的に不要な物であって、テレビを消してしまえば、育児において多大なる利益を獲得することができるのだ。

 だが、どうしてもテレビを見たいという新米ママが居るなら、テレビを見る時間を制限することだ。赤ちゃんにとっては1日3時間でも多すぎるくらいなのだ。また、テレビ番組自体を制限するべきであって、赤ちゃん向けか、赤ちゃんが見ても悪しき影響がない番組を見ることだ。決して赤ちゃんにテレビを見せっぱなしにしないことだ。

 赤ちゃんにテレビを見せるよりは、絵本を見せた方がいいのだ。母親による絵本の読み聞かせこそ、赤ちゃんは目をキラキラさせて聞くものなのだ。赤ちゃんは母親が絵本を読み聞かせると、その言葉が脳内を駆け巡り、シナプスを増加させていくのである。赤ちゃんの時に、母親から絵本の読み聞かせの機会の多かった赤ちゃんほど、大人になってから高い知能を発揮してくるものなのである。

 絵本であるならば、目を傷めることはないであろう。絵本の絵を見れば、視覚神経を充分に発達させることができるのである。そうなれば、赤ちゃんは当然に視力を向上させ、いつの間にか視力が「2.0」に成っているものなのである。子供の視力は「2.0」が正常であって、それ以下であるならば、どこかで子育てを間違えただけなのである。

 小学校を卒業するまでは、人間の視力は向上していくので、視力検査で近視と判明したからといって、すぐに眼鏡をかけるようなことはしないことだ。それをやると、逆に視力低下を招いてしまい、しかも頭部の形が歪になってしまうのだ。最近は、小学生でなく、幼稚園児や保育園児でも眼鏡をかけている子供たちが居るので、眼科医の言いなりにはならないことだ。

 子供の筋肉は柔らかいので、視力回復トレーニングをすると、簡単に視力が治ってしまうのだ。大方、自宅内で蛍光灯を使用していたり、テレビの視聴時間が長かったりと、目に最悪の環境で育ってきているので、蛍光灯を白熱灯に変え、テレビの視聴時間を短くさせてあげると、短期間で視力を回復させることができるのだ。近視でなければ、子供は活発に活動でき、その能力を大いに伸ばしていくことができるようになるのだ。

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赤ちゃんを育てながらの料理の仕方

●新米ママが家庭料理で疲労困憊になるわけ

 結婚する前から「料理を作ることが好き」という女性であるならば、結婚してから家事が非常に楽になり、結婚生活の中でいくらでも面白さを発見することになるであろう。料理を作ることこそ、「結婚の要」であって、これを既婚女性がきちんと握り続ければ、結婚生活は基本的に巧く行くものだからだ。

 しかし、既婚女性が料理を嫌っていたり、料理を疎かにしてしまうと、立ち所に結婚生活の至る所で支障を来たし始めるのだ。なぜなら、その家の既婚女性が料理を軽んずれば、夫も子供たちもまともな栄養を貰えないということであり、そのために脳や体が正常に作動せず、それが夫や子供たちに異常な行動を取らせてしまい、悲惨な結果をもたらしてしまうことになるのだ。

 結婚し、妊娠し、出産したとしても、その新米ママが料理を作ることが好きということは、必ずしも有り得ないのだ。初めての育児なら、育児をすることだけで精一杯になってしまい、料理を作ることに充分なエネルギーを確保することができないのだ。だからこそ、出産する前までにきちんと料理の仕方を覚えておかなければならないのだ。それなのに、それをしなかった妻たちは出産後に改めて料理の仕方を学ぶということをしないものなのだ。

 なぜ、新米ママたちが料理を作ることが大変になってしまうかといえば、それは「既婚女性が作る料理はエンドレスになる」からなのである。新婚した当初は、夫に美味しい料理を食べさせてあげようという熱意があるものなのだが、それが出産によって赤ちゃんを育てることに強い熱意を出すようになってしまい、そうなると、夫婦で食べる料理を妻が終わることなく作り続けねばならぬ事実を受け入れざるを得なくなってしまうからだ。

 更に追い討ちをかけるのが、育児をすれば当然に育児をすることで疲労が生じてくるものだが、その育児疲労に料理疲労が重なると、相乗効果を引き起こしてくるのだ。これこそが新米ママが疲労困憊になる原因なのである。育児疲労で耐えることができても、料理疲労が加わると、疲れがどっと出て来るものなのである。

 夫は自分の妻ならなんでも料理を作ってくれるのだろうと思い込んでいる。しかし、殆どの妻たちは自分が作れる料理など少ないものなのである。ホテルのシェフでも30日分の料理しか作れないのだ。プロの料理人でもその程度なのだ。結婚しているからといって、無制限に料理を作れるわけがないのだ。

 結婚した場合、そして出産し育児をしている場合、料理を漠然と作っては駄目なのだ。家庭料理を巧く作る方法を習得していくことだ。これがなければ、どんなに才気煥発な女性であったとしても、力は続かないし、ネタが切れてしまうものなのだ。家庭料理を巧く作る方法は、普通の主婦たちを、より正確に言うと落ちこぼれの主婦ですらをも、家庭料理のプロに仕立て上げるものなのである。勝手気儘に料理を行うのではなく、一刻も早く家庭料理を巧く作る方法を学んで、家庭料理のプロになってしまうことだ。

●家庭料理の三原則

 まず、家庭料理には「家庭料理の三原則」があることを覚えよう。自分勝手に料理をしていくのではなく、原理原則に忠実になりながら、料理を作っていかなければ、美味しい料理を作り続けることはできないのである。1回や2回、旨い料理を作ることが求められているのではなく、結婚し続ける限り、いつまでも美味しい料理を作ることが求められているのだ。

①スピード

 家庭料理の第一原則が、「スピード」である。早さこそ家庭料理の命なのだ。家庭料理は、朝食や昼食なら30分以内、夕食でも1時間以内で作り終えてしまうことだ。できれば夕食も30分以内で作ってしまうことだ。長時間かかる料理は毎日出すべきではないのだ。結婚している以上、料理すること以外にもやるべきことはたくさんあるので、これ以上に時間を割いてしまうと、他の家事が疎かになってしまうのだ。

②メリハリ

 家庭料理の第二原則が、「メリハリ」である。毎日、一定の料理を作るのではなく、メリハリをつけて作っていくべきなのである。「平日」「休日」「祝い事」の三つに分けて、平日は質素な料理を、休日は豪華な料理を、祝い事は祝われる本人が好きな料理を出せばいいのだ。

 平日の料理は質素でいいのだ。まともに作るオカズは1品でいいのだ。それ以外は「作り置き」の物を出せばいいのだ。平日の昼間などは朝の残り物で充分なのだ。その分、休日に作る料理は腕を振るえばいいのだ。平日は質素で、休日は豪華になるからこそ、平日の料理に食べ残しが起こらなくなるし、休日の料理はその豪華さを堪能することができるのである。

③準備8割、調理2割

 家庭料理の第三原則が、「準備8割、調理2割」である。家庭料理のみならず、すべての料理は、準備こそがメインなのであって、火を使って調理をするのは、ごく僅かなのである。いかなる既婚女性であったとしても、自分が使う食材が駄目なら、料理も駄目になるものなのだ。夫のためにも、赤ちゃんのためも、栄養バランスを考えるなら、安全な食材を常に確保し続けなければならないのだ。

 それゆえ、台所に入って、「今日の料理は何にしようかな?」という疑問を抱いている妻たちは、論外なのである。料理は予め作る料理を決め、その食材を購入し、それから台所に入って調理を開始するのだ。毎日、場当たり的に料理を作っているからこそ、料理疲労を起こしてしまうのである。そうではなく、前もって計画的に料理を決めていたなら、日々料理を作ることに疲労しないものなのである。それどころか料理を作る喜びが格段に増していくものなのである。

●メニューを作れば、料理の負担は軽くなる

 家庭料理の最大の急所が、料理のネタが少ないということであり、家庭料理を作り続けていれば、その料理のネタすら切れてしまうのだ。特に育児で忙しくなっている時に、家庭料理を場当たり的に作っていたら、夫はその異常な家庭料理の作り方に気づくものなのだ。妻が作った料理を、決して褒めることはなくなり、苦情だけが出て来てしまうものなのだ。

 だからこそ、「月間メニュー表」を作ってしまうのだ。予めメニューが決まっていれば、既に料理のイメージが出来ているので、いざ台所に入っても、少ない労力で簡単に作れてしまうのだ。メニューがあれば、料理の負担は軽くなるものなのである。月間メニュー表があれば、買い物に行く時に買うべき物が解っているので、無駄な物を買わなくなるし、テキパキと買い物ができるので、買い物をする時間を短縮することができるようになるのだ。

 月間メニュー表など、暇な時にメニューを書き込んでいけばいいのだ。1ヵ月単位で料理を考えることができるなら、1ヵ月の間に同じ料理を出すことがなくなり、料理がバラエティーに富み、料理を作る側に料理を作る喜びが増してくるものなのだ。月間メニュー表がなければ料理は単調になってしまい、料理を作る意欲すら低下していくものなのだ。

 面倒臭がり屋の人であるなら、せめて週末のメニューだけでも考えればいいのだ。土日の料理が前もって決まっているだけで、休日になって何にしようかなと考えなくて済み、土日を充実して過ごせるようになるし、平日の料理ですらも簡単に行えるようになるのだ。前もってメニューを決めておくことの威力は、やってみるとその凄さに驚いてしまうものなのだ。

 月間メニューを表を作る時は、「定番料理を定める」という要点をきっちり押さえておくことだ。定番料理こそ、家庭料理を作り続ける者にとって有難い物はないのだ。定番料理は作る側がメニューを考えなくてもいいし、決まった通りの料理を出せば、家族の者たちは非常に喜んでくれるものだからだ。

 例えば、大晦日に「年越し蕎麦」、正月には「おせち料理」。大晦日に「年越し蕎麦」を出せば、一年が終わったと思うし、正月に「おせち料理」を出せば、「新年明けましておめでとうございます」と言いたくなるものなのだ。間違っても、大晦日に「うどん」や「ラーメン」を食ったり、正月に「カレーライス」を食うべきではないのだ。こういうことをやる奴等は救いようのない馬鹿たちなのである。いつも食べれる料理を、大晦日や正月に食べて、どうするんだ!?

 夫婦の結婚記念日なら、その夫婦にとって思い出のある料理を出すとか、夫婦双方が好きな料理を出すとかして、定番料理を決めてしまうことだ。そうすれば毎年、結婚記念日を味わうことができるようになるのだ。特に夫は男性脳の持ち主なので、結婚記念日を祝おうと気持ちが、女性脳の持ち主である妻よりも少ないので、この定番料理が出て来た日が結婚記念日なのだと思い込ましてしまうことだ。

 それ以外にも、夫は仕事で疲労する以上、疲れた時には定番の「スタミナ料理」を出したり、冷蔵庫の在庫一掃料理として「テンプラ」や「鍋物」を出したりすればいいのだ。季節物の食材を使って、その季節限定の料理を作って、季節の変化を感じるということもいい。

 月間メニュー表を作る際は、すべての料理を自宅で食べるのではなく、外食の日を必ず設けることだ。育児をしている場合、意図的に外食に行かない限り、外食に行く機会が激減してしまうのである。家庭料理を作っている者が、外食を食べにいけば、息抜きになるし、そこで家庭料理のネタが見つかることだってあるのだ。

●準備こそ料理の命運を決める

 料理は準備こそが大事なのである。準備こそ料理の命運を決めてしまうのだ。買い物に行く際は、安い値段につられて、安物ばかり買わないことだ。それが良い品物であるなら、安売りなどしないものなのだ。安売りは粗悪品だからこそ行えるものなのだ。異常に安い食品は、その食品を作る過程で異常なことをやっていると思った方がいいのだ。

 事前に作る料理を考えておけば、どの食品を買えばいいか解っているので、安売りにつられることなく、自分が買うべき食品を買うことができるのだ。買い物に行く際は、買うべきものを紙に書き出してから行けば、最も密度の濃い買い物ができるものなのである。だからこそ余力が余ることになり、その余力を使って、それ以外にも欲しい物を買ってしまえば、豊かな消費ができるのである。

 買い物に行く際は、「予備品」の概念を導入しておこう。予備品とは保存でき、今使っている物が切れた場合、予備品を出して使えばいいのだ。醤油やお酢といった物は、切れたから買いにいくのではなく、保存できる食品は安い時に買い込んでおくべきなのだ。こうすれば値段が高い時に買いに行かなくて済むようになるのだ。

 予備品とは違って、果物や野菜などは腐るものなので、果物や野菜は少しずつ買い、冷蔵庫の中で腐らせないようにすることだ。野菜が痛み出したら、とっとと料理で使ってしまい、そういう時の処分料理を決めておくことだ。冷蔵庫の中で果物や野菜を腐らすことこそ、これ以上のお金の無駄遣いはないのだ。

 大掛かりな買い出しに行く際は、必ず夫婦で一緒に行くことだ。こういう場合は、妻一人で行くよりも、夫婦が力を合わしてしまった方が早いのだ。この際、妻が司令塔で、夫は荷物持ちとなる。買い出しに行くと、妻も遂々予定外の物を買ってしまうが、夫の方も何かを欲しがるものなので、買い物を手伝ってくれる以上、文句をつけないで買ってあげればいいのだ。些細なことで夫婦喧嘩を引き起こすよりも、夫の意見を聞き入れた方が、夫婦仲が良くなるというものなのだ。

 買い物と並んで、調理用具の整備をちゃんとしておくことだ。包丁の切れ味が悪ければ、美味しい料理が作れないことは当然なのだ。包丁を定期的に磨いでおくことだ。鍋やフライパンにしても、使い勝手のいい物に拘ることだ。安物を買うより、やはりプロの料理人たちが使っている物を使った方が、美味しい料理を作れるものなのだ。使い勝手が悪いなら、その鍋やフライパンを捨てる勇気を持つことだ。

●台所は自分の使い勝手のいいように作り変える

 既婚女性にとって台所は、妻として、母親としての「聖域」なのである。既婚女性がこの場所を手放してしまえば、妻としての権利も、母親としての権利も、根こそぎ喪失することになる。夫は妻が料理を作るからこそ、一目を置くし、子供たちは母親が料理を作るからこそ、母親を尊敬するのである。

 それゆえ、台所は自分の使い勝手のいいように作り変えることだ。その家の妻であり、母親である女性が最も使い易いように台所を作りかえれば、最善の料理を作ることができるのである。冷蔵庫や調理器具や調味料の配置は、自分の一存で決めることである。それらの物が使い易ければ、料理の際に非常に便利だからだ。

 台所は自己満足してしまうのではなく、友達の家を訪れて台所を見たり、育児雑誌や婦人雑誌で掲載されている台所の特集を見たり、お店に行って台所を見たりして、研究した方がいい。機能性の高い台所を使えば、より美味しい料理ができるものなのだ。今はお金がなくて購入できなくても、この台所が欲しいなと思い続けていると、いずれ実現できてしまうものなのだ。「少欲知足」で生きるのではなく、欲望を制御し、「夢の力」を利用しながら生きていくことだ。

 台所で気をつけておくべきことは、「台所の照明」である。料理で台所に長い時間滞在する以上、台所の照明が健康にいいものでないと、体が疲労し、精神が衰弱してしまうからだ。蛍光灯は絶対にやめることだ。白熱灯を使って、温かい照明にすると、体は疲れないし、精神も衰弱しないのだ。

 料理というものは、下ごしらえは丁寧にやるべきだが、火を使って調理をし出したら、手早くやることだ。このメリハリこそが、料理を作る者の心を快活にせしめ、だからこそ料理を作ることに喜びを見出し、それによって美味しい料理が出来上がってくるものなのである。下ごしらえで手抜きをしたり、火をつけてからモタモタするようであれば、碌でもない料理しか作れないのである。

●健康になれる料理の食べ方

 人間は料理を食べるにしても、ただ食べればいいというのではない。食事をする際にはマナーがある。そのマナーをしっかりと守って食べるからこそ、料理を美味しく食べることができ、いつまでも健康でいられるのだ。妻が愛情を込めて料理を作ったというのに、マナーを守らないで食べようとする者には料理を与えないことである。食事でのマナー遵守は、料理を作ってくれた人への感謝を体で現わすことであるからだ。

①お腹がすいたら食べる

 まず、お腹がすいたら食べるようにすることだ。そのためには、食事の前に運動して体を動かしておくべきだし、食事の前にお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりしてはならないのだ。空腹であればこそ、いかなる料理であったとしても美味しく食べることができるからだ。「空腹ならざる者、食うべからず」を筆頭の格言として覚えておくべきなのである。

 夫は男性なので便秘は余りしないものだが、妻の方は女性なので便秘をしやすいので、可能な限り便秘を避けることだ。便秘をしているということは、未だ前の食事の消化吸収が終わっていないということであるのだ。それなのに新たに食事を取ってしまっては、内臓に負担がかかるだけなのだ。日々、便秘をしないようにするとともに、便秘をしたら、それを解消する方法を常に持っておくことだ。

②バランス良く食べる

 人間は成長期が終われば、大量に食事を取る必要性がなくなる。後は栄養バランスを考えながら食べていけばいいのだ。まずは、偏食にならないようにすることだ。偏食になってしまうこと自体、最早、栄養バランスが崩れているということなのである。平日の食事の際はメインのオカズに、作り置きのオカズを出して、数多く料理を食べることによって、栄養バランスを保つようにすることだ。

③ゆっくりと食べる

 早糞は健康に良くても、早飯は健康に物凄く悪い。早く食べてしまうと、良く噛んで食べていないので、内臓が過重な負担を強いられてしまうのだ。1口30回は噛むと、食べ物が粉々になり、唾液と良く混ざり合って、内臓が消化吸収しやすい状態になるのだ。しかも、それだけ噛む回数を増やしていくと、脳細胞への血流が非常に良くなり、知能は高くなるし、脳疾患に罹ることもなくなり、健康を最高レベルにまで持って行くことができるようになるのである。

④少なく食べる

 食事は少なく食べることだ。少食こそ長寿の秘訣なのである。人間は本来「果実食動物」なので、果物や野菜を大量に食べることは別に構わない。しかし、人間の肉体上の進化を終えた後に食べだした「肉」や「穀物」といった物を大量に食べてしまうと、どうしても巧く消化吸収しきれず、内臓の負担が高まってしまうのだ。食事に時間をかければ、少ない量の食事でも充分に満足して食べることができるのである。

⑤礼儀正しく食べ、食べ終えたら感謝する

 食事をする際は、「戴きます」と言ってから食べ、姿勢を良くして食べることだ。無言での食事を避けるべきであり、食事中に面白い会話をしながら食べることだ。そして食べ終わったら、「御馳走様でした」と言って感謝の意を現わすことだ。家庭料理は外食ではないのだから、自分が使った食器類は台所へ各自が持っていくことだ。これをやってくれるだけで、後片付けの負担が非常に楽になるのだ。

●レシピを書き残せ

 料理はいつも美味しい料理を作れるものではないのだ。実際の所、失敗した料理を作ってしまうものだし、期待していたのに余り美味しくない料理を作ってしまうものなのだ。しかし、長年、料理を作っていけば、美味しい料理を作ることができるので、そういう時はレシピに書き残していくことだ。

 「言葉は飛んで消え、文章は書いて残る」と言われる。これを料理に当て嵌めると、「料理は食べれば消え、レシピは書きさえすれば残る」というものなのだ。人間の記憶力など当てにするな。家事や育児をやっていれば、次から次へと新たな情報が入ってくるために、美味しい料理の作り方さえ忘れてしまうものなのだ。レシピに書き残すからこそ、今度、そのレシピを見て、簡単に美味しい料理を作ることができるのである。

 レシピというのは、1枚や10枚程度ではなんの役にも立たない。、しかし、レシピが100枚以上溜まり出すと、凄まじい威力を発揮し出すのだ。ホテルのシェフでさえ30日分の料理しか作れないのに、その3倍以上の料理を作れるようになったら、既婚女性は最早、ホテルのシェフを圧倒できるだけの実力を持つことになるのだ。

 夫は仕事で外食の機会が増えていくと、妻が料理の腕を上げずにいると、どうしても家庭料理の不味さが気になってしまい、自宅で食べる回数が減ってしまい、外で飲み歩きをするようになってしまうのだ。仕事で外食するなら、その理由を理解できるが、妻が作った料理が不味いからという理由で外食されてしまっては、妻の立つ瀬がないし、家計をも大いにに圧迫してしまうのだ。

 自分の料理の腕を上げるためにも、せっせとレシピを書いていくことだ。最初はレシピを書くのは面倒臭いものだ。しかし、レシピが100枚以上溜まると、旨い料理を作るコツが解ってきて、自分の料理の腕が明らかに上達していくのである。しかも、この手のレシピ集は家庭の主婦たちにも歓迎されるので、将来、料理本として出版でき、料理の才能を生かして、ビッグビジネスを展開していくことも可能になるのだ。

●疲れたら「家庭料理の原理」に立ち返る

 新米ママは料理だけを作っているわけではない。料理以外にも家事をしなければならないし、育児だってせざるをえない。そのため、どんなに元気のいい新米ママでさえ、疲労してしまうことがあるのだ。「完璧な妻」や「完璧な母親」になろうとすることだけは、絶対にやめた方がいい。いかなる既婚女性であったとしても、ズボラで間抜けで失敗をするものなのである。しかし、そういう事実を受け止めるからこそ、妻として母親として成長していくことができるのである。

 家庭料理の原理は、母親が愛情のある料理を作って、それを家族の者たちが美味しく食べて貰うことなのである。愛情のない家庭料理は、家庭料理ではない。愛情を込めて料理を作っても、それが不味い料理であるなら、自分の愛情に対して技術が追いついていないのだ。そういう時は、家族への愛情を再確認し、技術や食材に拘りを持つようにすることだ。

 疲労している時は、外食で済ますことは有効な手段である。主婦にとっては、1食分でも料理を作らなくていいというのは、疲労を大いに軽減してくれるものなのである。他人の力を巧く使ってしまうことだ。それ以外にも、旅行に行ってしまい、家事そのものをしないというのも有効な手段なのだ。旅行に行って家事をしないと、逆に家事の大切さが解ってくるのだ。

 家庭料理は既婚女性の独壇場であるので、たまには親族同士の集まりや友人同士の集まりに参加して、みんなで料理を作り、ワイワイガヤガヤしながら食べることも大事なのだ。みんなで料理すると、大量に作らざるを得なくなるので、自宅で作るようにセセコマとした料理から解放されるのだ。これを経験するからこそ、自宅で家庭料理を作ることに新鮮さを取り戻すことになるのだ。

 既婚女性たちは料理を作るのが大変だと言う。しかし、それは「家庭料理の原理原則」に忠実にならず、台所の設備や技術や食材を軽視しているからなのである。場当たり的に料理を作っても巧く行かないものなのだ。更に収入が少ないからといって、ケチケチ根性が染みついてしまうと、家庭料理は悲惨な物になってしまうのだ。自分の我儘を捨て、家庭料理の原理原則に忠実になり、使うべき所にはお金を使い、技術や食材に拘ると、美味しい料理が出来上がってくるものなのだ。美味しい料理を食べていれば、夫も喜ぶし、自分にとっても健康にいいので、より多くの品質の高い母乳を出すことができ、それによって赤ちゃんがより健康になっていくのだ。

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通気と換気 ~空気の流れる家は病気知らずの家~

●家の中の空気が淀むと赤ちゃんは病気になる

 育児においてやるべきことをやっているのに、家事においてやるべきことをやっているのに、母親自身が健康に気をつけているのに、それでも赤ちゃんが病気になるようであるならば、家の中の空気の流れが悪すぎると思った方がいい。家の中の空気が流れず、空気が淀んでしまうと、赤ちゃんは病気になってしまうのだ。

 日本の伝統的な家屋は障子と襖で仕切られているので、空気の流れは非常に良く、空気が淀むということがなかった。しかし、その伝統的な日本家屋にガラス窓をつけただけで空気の流れが悪くなってしまい、乳幼児の死亡率を高め続けた原因となったのだ。結核が蔓延し、伝染病となってしまったのも、日本家屋に窓ガラスをつけたために、家の中の空気が流れなくなったからなのである。

 赤ちゃんが居るなら、とにかく家の中の通気と換気には気をつけておくべきだ。親子3人で暮らしていても、結構、家の中の空気は汚れるものなのだ。もしも、通気も換気もしなければ、赤ちゃんはその汚れた空気を吸い続けなければならなくなってしまうのだ。そのような悲惨な環境が、赤ちゃんの免疫力を下げてしまい、或る日突然に病気を発症してくるようになるのだ。

 通気と換気の重要性は、アパートに住もうが、マンションに住もうが、一戸建てに住もうが、全く変わらない。特に注意すべきは、結婚や出産を期に、新築のマンションや一戸建てに引っ越してきた場合だ。建設業者が通気と換気に充分な配慮をしていないと、家の中の空気が全く流れないことになってしまい、赤ちゃんだけでなく、夫婦も病気を発症してしまうようになるからだ。

 結婚したり、出産したりすると、それだけで通常の夫婦なら一杯一杯になってしまうので、その上、更に住宅環境のことまで充分な配慮が行き届かないものなのだ。新居選びをする時は、慎重になって調べに調べ尽くしてから、新居を決め、そして引っ越すことだ。新居というものは、新居選びに時間をかければかけるほど、いい新居が出来上がってくるものなのである。

●通気

 通気というのは、住宅の中を自然と空気が流れることをいう。伝統的な日本家屋は、障子や襖自体が通気の役割を果たしていたので、敢えて「通気口」を設けて、通気をしようということがなかったのだ。住宅に通気口を設けたのは、冬が非常に寒いヨーロッパ大陸で発生したもので、これこそがヨーロッパ人たちの病気を減少させることに、最大の貢献をしたといってもいいのだ。

 日本の家屋はこの通気口を導入することによって、劇的な変化を引き起こしたといっていい。通気口が普及していくと同時に、乳幼児の死亡率も低下していったからだ。マンションであるなら、玄関のドアの上に通気口がついており、換気扇を回すと、自動的に開くようになっており、そのために家の中の空気が自然に循環するようになっているのだ。

 マンション暮らしで非常に有難いのが、窓ガラスについてある通気口だ。この通気口をあけておくだけで、自然と通気をしてくれるので、家の中の空気がいつも新鮮でいられるのだ。中には、この窓ガラスの通気口の意味が解らず、閉めっぱなしにしてしまう人たちも居るが、それでは空気が流れなくなってしまうために、家の中で病気が発生してきてしまうのだ。

 夏に暑いからといって冷房をつけていると、空気は汚れるし、冷気が赤ちゃんの健康には非常に悪いのだ。そのため、夏はチェーンをつけた上でドアを開け、家の中の空気の流れを良くすることで涼しくし、冷房を使用しないようにすることだ。猛暑であったとしても、空気さえながれていれば、結構、涼しいものなのである。空気の流れが止まってしまうからこそ、異様なまでの暑さを経験してしまうのである。

 新居を選ぶなら、天井の高い家を選ぶことだ。天井の高い家だと自然に空気が循環してくれるので、空気が汚れないし、冬は暖かく、夏は涼しく暮らせるようになるのだ。天井の高い家に生まれ育った赤ちゃんと、天井の低い家に生まれ育った赤ちゃんを比べてみれば、天井の高い家に生まれ育った赤ちゃんの方が圧倒的に健康である。なぜなら、天井が高いことで自然に空気が循環し、奇麗な空気を吸えることができたからである。

●換気

 換気とは、人為的に空気の入れ替えを行うことである。家の中で生活していれば、異常に空気を汚してしまうことがあるので、そういう時は人為的に換気を行って、汚い空気を追い出し、新鮮な空気を取り入れようとするのだ。換気の習慣を身につけるだけで、家の中の空気は驚くほど奇麗になるのだ。

 まず、朝起きたら必ず窓を開け、寝室の空気を入れ替えてしまうことだ。人間は寝ているだけで相当空気を汚すので、起床後すぐさま空気を取り替えて、自宅の中を新鮮な空気で満たせば、家族は健康で居られるようになるのだ。冬は寒いからといって、この習慣をやめてしまうと、冬の間に赤ちゃんが突然に厄介な病気をしてくるので、寒くても換気をすることだ。

 次に台所である。台所で火を使う時は必ず換気をすることだ。ガスレンジを使うと最も空気を汚すが、換気扇を回すことで汚い空気を追い出すと共に、台所がいつも新鮮な空気で満たされることになるので、台所に立つ回数の多い主婦ほど健康でいられるのだ。台所は空気の流れが異様に良いので、そのままでは冬は寒いのだ。台所の床にマットを敷くなどして、体が冷えないようにすることだ。

 結婚して新婚モードが冷めやらないうちは、排便後の便所の臭さを配偶者は指摘しないことだろう。妻が便秘になって臭いウンコをしたとしても、その後にトイレに入った夫は何も苦情を言わないものなのだ。本当は物凄く臭いのだが、妻を愛しているからこそ、その悪臭に耐え、何一つ文句を言わないのだ。夫が妻の排便後の臭さを指摘するようであるならば、余りの悪臭を経験させ続けたゆえに、夫の愛情が冷めつつある現れだと思った方がいい。

 便所で排便排尿をしたなら、とにかく換気扇を回して、トイレの空気を浄化することだ。特に便秘後の排便は、その悪臭は凄まじいものがあるので、換気扇だけでは追いつかないのだ。こういう時は、トイレに「竹の香りのスプレー」を用意しておき、換気がある程度済んだら、スプレーを吹きかけて、悪臭をなくすと共に、竹林の香りで満たしてしまうことだ。トイレに消臭剤を常備しておくよりも、排便後にスプレーを吹きかけた方が、悪臭は取れるものである。

 入浴を終えたら、必ず風呂場の窓やドアを開けて、換気をしてしまうことだ。これをするだけで風呂場の湿気が取れ、カビが発生しなくなるのだ。風呂は家族の汚い物を洗い流すために、便所に次いで汚れているものと見た方がいいのだ。風呂場は使用したら換気をすると同時に、お風呂のお湯が汚くなったら、すぐに取り替えるべきだし、排水口に髪の毛など溜まるので、それを風呂掃除の際に除去してしまうことだ。

●「玄関掃除」と「ウガイと手洗い」

 赤ちゃんが居る場合、とにかく「外から汚い細菌を持ち込むな」ということに心掛けておくことだ。外の汚い細菌は玄関からやってくるのだ。それゆえ、日々の生活において「玄関掃除」を必ず行うことだ。玄関掃除などやってみれば、毎日数分で済むような掃除なのである。玄関に靴を並べないことだ。出していい靴は、一人一足に限定することだ。玄関にある靴をなくすか、減少されば、玄関の汚さを食い止めることができるのだ。

 玄関はその家の顔のようなものなので、玄関に余計な物を置かす、玄関を奇麗にしておくと共に、玄関に花を飾り、華やかにしておくことだ。本物の花でもいいし、造花でもいいのだ。玄関に花があるだけで、見違えるように玄関が鮮やかになり、夫が仕事で疲労してきても、花のある玄関に到着するだけで、その疲労が吹き飛んでしまうのだ。

 金運を高めたいのであるならば、玄関に「金色の光物」を置くことだ。金色には「魔除け」と「招財」の意味があるので、外から邪気が入り込んでこないと同時に、自宅に金運を招き入れることになるのだ。夫婦としては、毎日、玄関を使うことになるので、日々金色の光物を見ていれば、自然と気分が高揚して、お金がザクザクと入ってくるようになるのだ。

 外から帰ってきたなら、必ずウガイと手洗いをすることだ。ウガイと手洗いをするだけで、病気を激減させることができるのだ。赤ちゃんはウガイができないので、外から病原菌を持ち込むのは、赤ちゃんの両親の方なのである。夫婦の一方だけがやっても、残りの一方が病原菌を持ち込むだけなので、必ず夫婦が一緒になってウガイと手洗いをすることだ。

 赤ちゃんが病気をすると、すぐさま病院に駆け込んで、薬の投与を受けて治していると、赤ちゃんは薬の投与のたびに、その薬のために自分のビタミンとミネラルを奪い取られ、しかも薬は石油から出来ているために、肝臓や腎臓を大いに傷めてしまうのだ。そのため、病気のオンパレードになってしまうのだ。

 赤ちゃんが病気をしまくるようであるなら、病気に囚われてしまうより、自宅の通気や換気がきちんと行われておらず、夫婦がウガイや手洗いをしていないことを疑った方がいい。自宅の空気が流れず淀んしまうような家や、夫婦がウガイも手洗いもしないのであるなら、赤ちゃんは免疫力を下げてしまい、多くの細菌たちと戦わねばならないのである。だからこそ、赤ちゃんは病気をしまくってしまうのである。赤ちゃんを健康にさせたいのであるならば、自宅の通気と換気を確保し、ウガイと手洗いをしっかりとすることだ。

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赤ちゃんが居る家での掃除の仕方

●家の中こそ病気の発生源

 江戸時代まで、妊産婦の産褥熱による死亡や、乳幼児が生後2年の間に命を落としていた最大の原因は、人々の家はが汚かったからだ。家が汚いために、出産や育児の過程で細菌の侵入を受けてしまい、呆気なく命を落としてしまったのである。多くの母親たちが、掃除の重要性や、清潔の大切さを知らなすぎたのである。

 今でこそ日本民族は清潔さを尊ぶ民族になっているが、意外なことかもしれないが、明治維新が起こるまでは、武士階級の人々を除けば、自宅を掃除することを殆どせず、非常に不潔だったのだ。しかし、江戸時代において、武士階級は武士道という倫理規範を形成し、武士の女性たちが「炊事」「掃除」「洗濯」を家事の三大行為に位置づけ、それによって日々掃除を行うようになり、清潔を実現していったのである。そして明治維新以後、武士階級の女性たちが教育関係の仕事に就くようになり、教育を通じて全国民へ掃除や清潔の大切さを普及させていったのである。

 勿論、現在でも掃除や清潔さの重要性を理解せず、汚い家は存在することだろう。結婚したとしても、その新米ママに掃除をする習慣がなければ、自宅で清潔を実現するのは、不可能だと言っていい。結婚してから、日々掃除をし続けるというのは、やろうとしてもできないものなのである。その既婚女性が掃除や清潔を倫理規範にまで高めていない限り、無理なのである。

 しかし、自宅で掃除をせず、不潔にした代償は非常に高くつく。病気を頻繁に発症する赤ちゃんは、住んでいる家が汚すぎるからだといっていい。赤ちゃんの母親に掃除をする習慣がないために、自宅はいつも汚く、赤ちゃんにとっては最悪の環境で生存していかねばならず、そのために病気になってしまうのである。

 赤ちゃんはまだ免疫力が弱いのだ。赤ちゃんが自分で抗体を作り出せるようになるのは、満2歳からなので、それまでは弱い免疫力で過ごしていかざるをえないのだ。それなのに、母親が自宅を掃除をせず、不潔にしていたら、どうしても自分の弱い免疫力で防ぎきれず、そのために病気を発症してしまうようになるのだ。

●まずは使った物を元に戻す

 赤ちゃんを健康に育てたいのなら、赤ちゃんに病気を発症させないためには、自宅内を掃除し、清潔を実現することだ。掃除を散発的に行っても、いずれ掃除をしなくなるものなのだ。掃除を気まぐれに行うのではなく、日々掃除をすることを倫理規範にまで高めない限り、掃除をし続けることはできないし、清潔を実現することもできないのだ。

 まず、掃除をする上で大事なことは、実は掃除以前にある。それは「使った物を元に戻す」ということだ。例えば、爪切りを使ったら、元の位置に戻す。ボールペンを使ったら、元の位置に戻す。この習慣があるだけで家の中は見違えるほど奇麗になるのだ。多くの既婚女性たちが自宅を汚くさせてしまうのは、使ったら使いっぱなしにしてしまい、物が散乱していくからなのである。

 使いっぱなしにしてしまうと、物がなくなってしまい、それを探すために大量の時間が浪費されてしまい、しかも、挙句の果てには行方不明を確認するだけになってしまい、それどころか、その物を使って一体何をやろうとしようとしていたかさえ忘れてしまうのである。これらの無駄な時間を省けば、結婚生活をより豊かにできるのだ。使った物を元の位置に戻さないばっかりに、結婚生活を貧困化させていくのである。

 家庭内にあるすべての物には定位置を定めるべきなのである。特に包丁や新聞紙や携帯電話など、日常的に頻繁に使う物は定位置を定めてしまい、その物を使ったら、その定位置に戻せば、家庭内行為がすべてスムーズに行くようになるのである。だから、包丁を使ったら出しっぱなしにせず、すぐさま洗って布巾で拭き、定位置に戻せば、台所は奇麗になり、再び包丁を使いたい時は、すぐさま取り出せることができるのである。

 この習慣は、妻だけが保てばいいのではなく、夫にもきちんと守らせることだ。自宅で使った物を元に戻せないような男性であるならば、仕事で大手柄を立てられるような仕事などできはしないのだ。自宅で使った物を元の位置に戻す習慣が身についていれば、仕事場でもその習慣を行うことができ、無駄な時間を削減し、その余った時間を有効な作業に充てることができ、それによって仕事が成功し始めるのだ。

●赤ちゃんは家の中を汚すものだと考えよ

 自宅に赤ちゃんが居る場合、赤ちゃんが自宅を最大に散らかしてくれる存在なのである。赤ちゃんが居るなら、赤ちゃんは自宅を奇麗にさせてくれるなどと間違った思い込みをするのではなく、赤ちゃんは自宅を最悪なまでに汚してくれると性悪説に立脚した方がいいのだ。こうすれば、赤ちゃんが汚した所で怒らなくなり、冷静沈着に対処することができるからだ。性善説に立脚し、赤ちゃんは自宅を汚さないと思っていれば、赤ちゃんが汚すたびに、赤ちゃんに対して怒ってしまい、それはそれだけ時間の無駄なのだ。

 赤ちゃんには赤ちゃん専用の部屋を設け、そこで汚すには文句を言わないことだ。赤ちゃんは当然にオモチャを使ったら出しっぱなしにするものだが、そういう時は、大きなバスケットを用意し、そこにオモチャを入れてしまうことだ。赤ちゃんが使えるオモチャなど、ごく僅かなのである。それくらい母親が自分の手で片づけた方が早いのだ。

 赤ちゃんがペンを握れるようになり、絵を描き出したら、油性ペンは絶対に与えないことだ。水性ペンを与えて、赤ちゃんが床に絵を書こうものなら、すぐさま雑巾で拭き消せるようにしておくことだ。夫も妻も大人だから自宅内で落書きをしないために、赤ちゃんの落書きを見ると、どうしても衝撃を受けてしまうのだ。だからこそ、水性ペンを与えて、いつでも消せるようにすればいいのだ。できれば、赤ちゃんにお絵描きの時間を与えて、母親と一緒に画用紙に絵を描かせるようにすればいいのだ。

 赤ちゃんには赤ちゃん専用の部屋で汚すのは構わないが、それ以外の場所で汚したら、赤ちゃんにも掃除を手伝わせることだ。赤ちゃんが物を散らかしたら、赤ちゃんに手で掴ませて、元の位置に戻させる。赤ちゃんが飲み物をこぼしたのなら、赤ちゃんに雑巾拭きを手伝わせる。赤ちゃんを怒鳴りつけるのではなく、赤ちゃんにこういうことは悪いことなんだよと教えて、その処理の仕方を教え込むことだ。

 赤ちゃんは意外と単純なので、自分が汚しても、母親がその処理を行ってしまうと、赤ちゃんはそれが当たり前だと思い込んでしまうのだ。かといって、母親が感情的になって怒り出すと、赤ちゃんにはその怒りの理由が全く理解できないのだ。赤ちゃんに梃子摺るようであるならば、自分が赤ちゃんに対する接し方に問題があると見た方がいいのだ。

 赤ちゃんが「困ったちゃん」にならないためにも、赤ちゃんが何かいいことをしたら、大げさすぎるくらいに褒めることだ。赤ちゃんは母親から褒められると、それをやろうとするものだし、それから派生していくものも遣り出すのだ。母親が赤ちゃんを褒めずに、いつも怒ってばかりいるようだと、赤ちゃんは母親との関係を保つために、わざと母親を怒らせるようなことばかりしまくるのだ。

●「日常掃除」「月例掃除」「年間掃除」の使い分け

 使った物を元に戻し、赤ちゃんの対処法を覚えると、自宅の汚さは激減していくのだ。掃除はそれからなのである。だが、いくら掃除の重要性を理解しても、掃除を無計画に毎日やろうとすると、掃除の習慣は絶対に挫折し、妻がグータラ妻化してしまうのだ。掃除の習慣には掃除を計画化しなければ、持続させ続けることはできないのだ。

①日常掃除

 日常掃除は、毎日行う軽い掃除のことだ。赤ちゃんが居る以上、テキパキと進めていかないと、その日1日の時間が不足してしまうことになるのだ。日常掃除は、毎日、決められた手順で行うことだ。その手順は自分で決めればいい。掃き掃除に拭き掃除、自宅内を簡単に掃除してしまうことだ。

 日常掃除は、90分以内に終わらせることだ。日常掃除にそれ以上の時間をかけても無駄だし、続かないからだ。掃除をしている最中は、掃除だけをしているのではなく、洗濯機を回し、台所の後片付けも行う。時間制限があると、ダラダラしながら掃除をすることがなくなり、テキパキと掃除をするようになり、濃縮し充実した時間を過ごせるようになるのだ。

 便所掃除も自分が用を終えた後に、さっさとやってしまえば、5分以内で終わってしまうものだ。しかし、それをやらずにいると、非常に汚れてしまい、後で掃除をするのが大変になってしまうのだ。毎日掃除をしていれば、便所といえども、そうは汚れるものではないのだ。

 特に気をつけておくべきは、玄関や門であって、ここに掃除を施し、奇麗にしておくと、夫の印象も良くなり、妻を褒めるようになるからだ。夫がネチネチと何か言ってくるようであるならば、自分に何か問題があるというよりも、玄関や門を掃除していないために、夫が帰宅する際に、印象を悪くしてしまい、それを夫婦関係にまでに持ち込んできてしまうと思った方がいい。

 休日前の日常掃除は丹念に行うことだ。折角の休日なのに自宅が汚いのであるならば、休日なのに疲れが取れないし、休日を楽しむことすらできない。特に風呂場を掃除しておくべきだ。夫が仕事で疲れきっている以上、お風呂で疲れを取ってしまえば、休日を家族揃って楽しめることができるからだ。

②月例掃除

 日常掃除は簡単に行う掃除のゆえに、それではどうしても汚れてきてしまうのだ。そこで1ヵ月に一回、本格的な掃除をするのだ。月例掃除の場合、すべての分野に手を出して掃除をするのではなく、掃除をする場所を特定して行うことだ。本格的な掃除である以上、一つの場所にしかできないものなのだ

 例えば、トイレならトイレだけ、風呂場なら風呂場だけ、台所なら台所だけとし、それ以外の場所には手を出さないことだ。場所を特定しているなら、日常掃除のついでに行えるし、時間もそれほどかからないのだ。それゆえ、予め掃除をする場所の予定を組んでおくことだ。前から予定が定まっていれば、やる意欲が湧いてくるし、実際にやってしまうと、簡単に終えることができるからだ。

 台所の場合、本格的に掃除をしてみると、本当に汚れているものなのだ。こういう場所で毎日料理をし、食中毒が発生しなかったことが不思議なくらいなのだ。月例掃除の際に、コップや金属什器を磨いてしまおう。茶渋がついていないコップでお茶を飲めば、お茶は更に美味くなるし、金属什器、特に銀食器がピカピカなら、いかなる料理も最大限にまで美味しくすることができるようになるのだ。

 洗面所などは、毎日使っても、それほど汚れはしないが、だが、月に1度掃除をしてみると、結構、汚れているものなのだ。洗面所を掃除し、鏡をピカピカにし、駄目になった歯ブラシを交換しておけば、爽やかな気持ちで、洗面の作業を行えるようになるのだ。夫婦が朝起きて心地よく顔を洗うことができれば、夫婦仲はより一層高まるはずである。

 日常掃除と月例掃除を組み合わせると、生活に余裕が出て来るので、そういう時は、植木鉢やプランターを買ってきて、花でも植えることだ。自宅に花があると、生活が一気に潤い出し、生活は豊かになり、夫婦喧嘩も消滅してしまうのだ。今まで殺風景な家に住んでいたからこそ、生活は貧しく、夫婦喧嘩が絶えなかったのである。

③年間掃除

 年間掃除は、日常掃除や月例掃除とは違い、掃除するだけではなく、不要な物を捨てていく掃除なのである。「年間掃除は物を捨てることにあり」が大鉄則なのだ。生活していれば、どんどん物が溜まっていくものなのである。だが、自宅の敷地面積は広がることがないので、不用品のために生活スペースがどんどん狭くなっていってしまうのである。

 そこで、年末に大掛かりな掃除をするのだ。掃除をメインにするのではなく、不用品を捨てることをメインにし、掃除はそのついでなのである。年間掃除は一度にすべての部屋に手を出すのではなく、1日ひと部屋を攻略していくことだ。こうすればいくら大掛かりな掃除でも、体力の消耗を抑えながら掃除をしていくことができるのだ。

 年間掃除で最大の注意点は、夫の所有物が夫の部屋にあるなら、それをとやかく言わないことだ。これは夫婦喧嘩の引き金になるからだ。捨てていい物は、あくまでも夫の所有物以外の物だ。不用品を売り飛ばせれるのであるなら、とにかく売り払ってしまうことだ。そうすれば自宅は広くなるし、お金も入ってくるのだ。

 日常掃除と月例掃除と年間掃除を組み合わせると、自宅内は非常に奇麗になるのだ。自宅が奇麗であるならば、赤ちゃんは病気しにくくなり、赤ちゃんはすくすく育っていくことができるようになるのである。掃除をしてみると、いかなる既婚女性であったとしても、自宅の汚さには驚くはずだ。

 但し、掃除というものは、掃除はするが、奇麗にしすぎないことだ。几帳面な性格だと、自宅を奇麗にしすぎてしまい、逆に赤ちゃんの免疫力を下げてしまうからだ。しかも、その几帳面な性格が災いして、精神を病んでしまうこともあるのだ。家庭内の掃除は、妻が行うがゆえに、暴走した場合に、ストップしてくれる人が居ないのだ。それゆえ、たまには自分の実家や、夫の実家に寝泊まりして、その家の掃除を手伝ってみることだ。こうすると、自分の掃除の仕方を冷静に見ることができ、適度な掃除の仕方を維持することができるようになるのだ。

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泣く子も黙る海水浴

●海の音は胎内の音と同じ

 赤ちゃんを育てていく際に、どうあやしても赤ちゃんが泣きやんでくれない時がある。そういう時は。赤ちゃんを連れて海水浴に行くといい。いかなる赤ちゃんでも海辺に連れて行くと泣きやんでしまうからだ。海の音は胎内の音と同じであるために、赤ちゃんは非常に安心してしまい、泣きやんでしまうのだ。

 育児の過程で泣きやまなくなる赤ちゃんが出てくる原因には、二つの原因がある。一つ目は赤ちゃん側の理由で、赤ちゃんが出生前には胎内の音が聞こえていたのに、出生してしまうと胎内の音が聞こえなくなるために、不安がってしまい、それで意味もなく泣き出すというものだ。

 もう一つは、母親が「対面抱っこ」をせず、赤ちゃんに安心感を与えなかったから、赤ちゃんは母親と信頼関係を結ぶことができず、そのために意味もなく泣き出してしまうのだ。要は、母親の赤ちゃんの抱き方に問題があるのだ。赤ちゃんは生後3ヵ月辺りで首が据わり始めるのだが、それ以前は当然に首が据わっていないために、「横抱き」をしまくってしまうのだ。しかし、赤ちゃんは横抱きばかりされると、逆に体が緊張してしまい、そのために少しでも自分に違和感があった時に、すぐに泣き出すということを覚えてしまうのだ。しかし、対面抱っこをすると、母親は赤ちゃんの首と腰を支え、赤ちゃんは重力をモロに受けるために、最初は緊張するが、慣れて来ると、母親に体を任してリラックスするようになるのだ。

 対面抱っこをされると、赤ちゃんは母親を見上げざるをえなくなり、そのために、赤ちゃんの心の中には、母親と赤ちゃんは上下関係であるという認識ができるようになり、赤ちゃんに絶対的な安心感を与えることになるのだ。この際、母親は赤ちゃんの目を見つめ、赤ちゃんの体を揺さぶって、赤ちゃんを喜ばせたりすれば、より効果的になるのだ。

 それゆえ、もしも育児をしていて赤ちゃんが泣きやまないのであるならば、赤ちゃんを海辺に連れていき、そこで対面抱っこを繰り返していけばいいのだ。そうすれば、どんなに泣きやまない赤ちゃんでも静かになり、その後の育児で母親を手古摺らせるようなことはなくなるのだ。

●赤ちゃん風の海水浴

 もしも、赤ちゃんが「ハイハイ」をする時期にあるなら、砂浜で赤ちゃんをハイハイさせてしまおう。赤ちゃんにとっては絶好の「ハイハイ」スポットだからだ。人類のご先祖も砂浜でハイハイをしながら、地上へと上陸していったのだ。それゆえ、赤ちゃんには最もハイハイを遣り易い場所なのだ。

 もしも、一人歩きができる時期にあるなら、波打ち際を散歩させることだ。赤ちゃんにとっては最高の歩行トレーニングとなるのだ。赤ちゃんは未だバランス感覚が取れないために、砂浜という不安定な場所を歩かせると、バランス感覚が養われるのだ。舗装された道路や、床や畳の上ばかりを歩いていたら、バランス感覚は余り養われず、すぐにコケてしまうようになってしまうのだ。

 赤ちゃんにとっては、繰り返す小波や、砂浜に打ち上げられた海草や、動く蟹などは、不思議で仕様がないのだ。赤ちゃんの好奇心は旺盛になり、いつまでも飽きずに遊びまくるようになる。赤ちゃんの時期にこういうことをしておけば、赤ちゃんは放っておいても好奇心旺盛になり、何事にも興味を持てる赤ちゃんになっていくのだ。

 暑い夏であるならば、赤ちゃんに水着を着させて、海に入るのもいい。但し、赤ちゃんにとっては波は怖いものなので、巧く海水で遊べるように配慮することは必要である。赤ちゃんは泳ぎを教わらなくても、海水に入れると勝手に泳ぎ出すので、赤ちゃん泳法を見て楽しむのもいい。

 紫外線のことを考えるなら、海水浴は午前中までにしておけばいい。赤ちゃんの肌はそれほど発達していないので、紫外線には非常に弱いのだ。涼しいうちに海水浴をし、暑くなってきたら海水浴を切り上げればいいのだ。そうすれば、午後は別の遊びをする時間が有り余ることになるのだ。

●潮風が赤ちゃんを活性化させる

 海こそ生命の源であるといっていい。そのため、人間は海辺に来ると、心身ともに活性化するようになっているのだ。どんなに病弱な人でも海辺に来て、潮風に当たっていれば、段々と元気になっていくものだ。これは赤ちゃんも同じで、病気の発症回数が多い赤ちゃんが居るなら、赤ちゃんを海辺に連れて来て、潮風に当たらせることで、赤ちゃんを元気にさせ、病気を発症しないように仕向けていくことだ。赤ちゃんが病気をしたからといって、病院通いばかりしていては、逆に赤ちゃんの体力は落ちていき、病気ばかりする赤ちゃんになってしまうのだ。

 潮風というのは、我々が考えている以上に、体を活性化させてくれるのだ。潮風は通常の風と違い、マイナスイオンを大量に含んでいるので、その潮風を体に浴びるなり、吸うなりすると、そのマイナスイオンが体を活性化させ、体内の老廃物や毒素を除去してくれるようになるのだ。

 また、潮風に含まれる塩には殺菌効果があって、これを赤ちゃんが浴びると、赤ちゃんが罹らなくていい病気には罹りにくくなるのだ。赤ちゃんの場合、免疫力がまだまだ低いために、潮風に当たり殺菌処理を行うことは必要な行為なのである。漁村で生まれた赤ちゃんと、農村で生まれた赤ちゃんを比べてみれば、圧倒的に漁村で生まれた赤ちゃんの方が元気だし、病気に罹りにくいものだ。これは潮風に当たる機会が多かったか少なかったかの違いなのだ。

 赤ちゃんにとって潮風は、脳の活性化を引き起こしてくれる大切な風なのだ。普通の風を浴びても、それほど脳を活性化してくれない。潮風はマイナスイオンと塩分を含んでいるために、人体にとって非常に心地いい風で、その風が頭部や手や腕を刺激することによって、赤ちゃんの脳を活性化させ、脳細胞の量を増やしていくことになるのである。

 赤ちゃんを海水浴に連れて行くと、体の活性化も起こるし、脳の活性化も起こるので、夜になれば当然に早くに睡魔が襲ってきて、熟睡してしまう。心身ともに元気になると、寝付くのが遅かったり、睡眠が浅くなるということがなくなるのだ。「最近、私の赤ちゃんはどうも寝付きが悪いな~」と思っているなら、赤ちゃんを海水浴に連れて行き、赤ちゃんの心身を活性化させ、夜になれば寝付きが良くなるようにしてあげることだ。

●海水浴に行くと食欲が弾む訳

 海水浴は赤ちゃんばかりにいいわけではない。赤ちゃんを育てている夫婦にとっても、体にいいものなのである。まず、海水浴に行くと、育児疲労が吹き飛んでしまい、心身が活性化し、非常に元気になっていくのだ。いつも「育児って大変!」と愚痴を垂れているなら、海水浴に行って、育児疲労を消し去ってしまうことだ。海水浴に行って、疲労困憊になっている母親など居ないものなのだ。自宅の中だけで育児をしているからこそ、疲れきってしまうのである。

 仕事で赤ちゃんと接する機会の少ない夫にとっては、赤ちゃんと遊べるには格好の場所を提供してくれることになるのだ。赤ちゃんも人に対して好き嫌いの感情を現し始めると、まず手始めに父親にそれを遣り出すのだ。しかし、折角の休日なのに、赤ちゃんが父親に懐かないのは、非常に時間の無駄であるので、赤ちゃんを海水浴に連れて行き、赤ちゃんの心身が活性化してしまえば、赤ちゃんは父親に懐いて親子で楽しむことができるようになるのだ。

 海水の中に入ったり、潮風に当たっていると、健全な食欲が促され、非常にお腹がすくのだ。海水浴に行ったら、海辺にあるレストランで新鮮な魚介類を食べまくろう。特に内陸部に住んでいる夫婦や、普段から魚介類を食べることが少ない夫婦は、この際に魚介類を食べまくることだ。新鮮な栄養素を大量に食べて、仕事や育児をこなせるだけのエネルギーを確保しておくことだ。

 便秘がちの母親であるならば、海水浴に行くと体が活性化するので、翌日の朝には排便が出るようになるのだ。育児をしている最中に便秘になると、大腸から汚い水分が全身を駆け巡り、体を疲労させてしまうし、その汚い水分で母乳が作られ、赤ちゃんはそれを飲むことによって病気になってしまうのだ。それゆえ、一刻も早く便秘を解消しておくことだ。

 赤ちゃんを連れて海水浴に行くと本当に楽しい。赤ちゃんの動きを見ているだけで、楽しくなってくるし、赤ちゃんは海辺で面白いことをいくらでもやってくれる。育児ストレスを溜め込んでしまい、育児をネガティブにしか見れなくなってしまったら、家族で海水欲に行けばいいのだ。育児ストレスなどすべて吹き飛んでしまうはずだ。育児は自宅を中心に行われるものであっても、自宅だけで生活していては駄目なのだ。自宅から外に出て、赤ちゃんと一緒にいろんな所に行き、様々な経験をするからこそ、たくさんの育児の面白さに出会えるのだ。

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赤ちゃんを連れて森林浴に行こう!

●赤ちゃんに必要な森林浴

 人類はアフリカ大陸のジャングルの中から誕生してきた。それゆえ人類はジャングルがなければ、生存できないほど、我々人類にはジャングルは必要不可欠なのである。だが、我々日本民族が心落ち着ける森林は、日本列島に存在する森林でしかないのだ。我々のご先祖が日本列島に住みついて、数万年以上は経っているので、我々日本民族の脳の中に日本の森林の風景が刻み込まれてしまったのだ。

 赤ちゃんが生まれたら、生後2年までは、とにかく家族揃って森林浴に出かけるべきである。森林は様々な細菌の宝庫であり、赤ちゃんがこれらを吸い込むことで、赤ちゃんの免疫力を最大限にまで上げていくことができるからだ。生後2年までに森林浴を多くすれば、赤ちゃんは健康となり、森林浴がなければ病気になってしまうのだ。しかも、発症してくる病気が難病奇病の病気であり、これは森林浴に行かず、免疫力を高めなかったからこそ、発症してしまったのである。

 都会に住んでいると、住んでいる場所自体に森林が少ない。そのため意図的に森林浴に行かない限り、赤ちゃんは森林の中を漂う細菌を吸い込めないことになってしまうのだ。都会の排気ガス塗れの空気を吸っていては、赤ちゃんは免疫力を下げることはあっても、免疫力を上げることはできないのだ。

 かといって、緑豊かな農村に暮らしていて安心かというとそうではなく、その夫婦が森林浴の威力を知らず、森林浴に行かなかったら、赤ちゃんは森林の中にある細菌を吸い込めなくなってしまうのだ。都会の場合、森林が希少性を有しているからこそ、逆に森林浴の重要性を理解できるのだが、農村の場合、森林がどこにでもあるから、逆に森林の重要性を理解できなくなってしまうのだ。

 休日になったら、家族揃って森林浴に行こう! 夫婦揃って爽やかな汗をかき、赤ちゃんに新鮮な空気を吸わせ、穏やかな日差しを当てていけば、赤ちゃんは見違えるように健康になっていくことだろう。赤ちゃんを連れて登山をすると、日頃の運動不足の解消には持って来いの適度な運動になるのだ。それゆえ、夫婦共々、健康になってしまうのだ。

●健康的な成長が促進される

 森林の中には「フィトンチッド」という科化学物質が溢れており、赤ちゃんにとって有害な細菌を殺し、赤ちゃんが吸い込む空気を浄化し、人間の体内を活性化し、病気を治してくれるのだ。赤ちゃんが病気をしてから慌てふためくのではなく、赤ちゃんの病気を予防し、赤ちゃんが不必要のない病気をしないようにするべきなのである。

 森林浴に行くと、自然の気を受けて、赤ちゃんの自律神経は活性化し、非常に健康的になるのだ。都会だろうが田舎だろうが、生活を規則正しくしないと自律神経は乱れがちだし、たとえ自律神経を乱さなくても自律神経が非常に活性化しまくるということはないのだ。森林浴だけが最も自律神経を活性化させ、そのために赤ちゃんは健康になり、健康的な成長が促進されるのである。

 赤ちゃんを森林浴に連れていくと、赤ちゃんの性格が穏やかになる。赤ちゃんの性格が狂暴になっているようであれば、新米ママが赤ちゃんの喃語やベビーサインを汲み取っていないだけでなく、森林浴に連れて行かず、狭い範囲の中で育児をしてしまっているからこそ、新米ママ自身に育児ストレスが溜まり、それが赤ちゃんは敏感に感じ取って、性格を凶暴化することで、母親に育児の異常事態を伝えているのだ。

 赤ちゃんの凶暴化を治し、赤ちゃんの自律神経を活性化させ、赤ちゃんがより多くのフィトンチッドを吸い込ませるためには、森林の中で「対面抱っこ」をし、赤ちゃんの目を見つめながら、赤ちゃんに語りかけることだ。赤ちゃんは最初、体を緊張させているが、慣れてくると緊張を解いて体をダラーンとさせるので、そうなれば、背骨は伸ばされて、自律神経が正常に作動して、性格は落ち着き、フィトンチッドを大量に吸い込んでくれるようになるのだ。

 森林浴と対面抱っこを組み合わせると、赤ちゃんの知能が非常に高まるのだ。要は対面抱っこで体が活性化している状態で、更に森林浴で体を活性化させるので、赤ちゃんの脳に最大最良の刺激が行き、赤ちゃんの脳が「快感」にシフトしてしまい、ありとあらゆることに興味を示し始めるのだ。

●森林浴のバージョンアップ

 森林浴は満2歳までが非常に重要だが、その後の成長でも森林浴の重要性は変わらないのだ。乳幼児や児童を連れて森林浴に行く機会が多ければ多いほど、その乳幼児や児童は健康になっていく。日常生活にどっぷりと浸かっていては、健康にはなれないのだ。

 自分の子供が満2歳を過ぎたら、森林浴のバージョンアップを図るといい。「みかん狩り」や「リンゴ狩り」や「ぶどう狩り」といったものを行い、家族で楽しみながら森林浴を行えばいいのだ。人類の基本的な経済システムは狩猟採集経済なので、幼いうちから「食べ物というのは採集しなければ手に入ることはできない」ということを教え込ませることだ。そうすれば、大人になって働くことによって生活費を稼ぐようになることだろう。

 より本格的になれば、「山菜取り」に行くのもいい。「ワラビ」や「ゼンマイ」や「フキノトウ」などを山の中で取ってきて、それを料理して自分の子供たちに食べさせるのだ。自分が食べる食べ物は、自分が採集してきて、それを料理して食べるということを教え込めば、好き嫌いは少なくなるだろうし、食事よりもお菓子を重視することはなくなるだろう。

 山の中でキャンプしてしまえば、日常の生活とは全く違った時間を過ごすことができることだろう。子供が殆ど荷物を持てないので、夫婦が背負う装備は重たくなるが、その分以上の楽しさは味わえるはずだ。夜景の素晴らしさや、山の朝の爽やかな朝は、通常の暮らしをしていては経験できないものなのだ。

 仕事が忙しい場合、父親は子供との会話の時間が激減してしまうものだ。そういう時は山の中に泊りがけで行ってしまい、子供とじっくりと話し合える時間を持つと、通常の生活でどんなに忙しくても、子供の方は不平不満を言わなくなるものなのだ。折角の休日だというのに、ゴルフに行ってしまうからこそ、親子の断絶が発生してしまうのである。

●森林と文明

 森林浴は何も本格的に行くものだけではなく、自宅近辺に森林があるなら、そこを外気浴の際に行って、小さな森林浴でもあうればいいのだ。小さな森林浴でも、赤ちゃんにとっては非常に効果のある森林浴なのだ。特に都会だと森林自体が少ないので、小さな森林浴をするとしないとでは、健康に大きな差が出て来るのだ。

 子育てをしていく場合、住宅選びには森林というのが重要な基準の一つになる。自宅の周囲に樹木が多ければ、赤ちゃんは免疫力を高めていくことができるからだ。街路樹が一つもないような殺風景な住宅街では、赤ちゃんは病気をしやすいし、少年少女の心は荒れてしまい、凶悪犯罪だって発生してくることだろう。人間として最低限の森林浴をしていないから、自分の命を消滅させたり、他人の命を消滅させようという異常な行動を取ってしまうのだ。

 赤ちゃんが正常に成長していくためには、森林は必要不可欠なのである。人類が生存していくためには、森林を守り続けなければならないのである。「森林がなくなれば、文明は消滅する」。これは人類が永遠に逃れることのできない「歴史法則」なのだ。古代四大文明は、どれも森林の減少と共に、人口を激減させ、文明レベルを低下させてしまったのだ。そのために、異民族の侵略を招き、異民族の支配に甘んじるようになってしまったのだ。

 自然環境保護が叫ばれているけど、我々が最も注意しなければならないのは、森林を伐採する開発業者ではないのだ。「民主主義」なのだ。嘗て東京は緑溢れる都市だった。それは徳川家康が江戸の至る所に森林を植えて、戦争の際に役立つようにしておいたからだ。しかし、民主化されてしまった東京では、物の見事に森林が消滅してしまっている。東京都民たちが落ち葉が邪魔だとして、樹木を伐採しまくったのである。都市住民と民主主義が重なると、樹木は伐採されまくるのだ。

 現在、東京で緑豊かな場所は、「皇居」「靖国神社」「明治神宮」「新宿御苑」といった、戦後の民主主義者たちが目の仇にしてきた場所にこそ、森林が多く溢れてしまっているのだ。それに引き替え、民主主義者たちが住んでいる住宅街は悲惨なほど森林がないのだ。民主主義者たちは戦後首尾一貫して「民主主義こそ一番素晴らしい!」と叫び続けたが、しかし実際に行っていたのは、徹底した自然破壊だけだったのだ。

 政治の世界で、絶対に素晴らしいイデオロギーなど存在しないのだ。どのイデオロギーも欠陥だらけなのである。もしも、その事実を無視して、或る特定のイデオロギーを絶対に素晴らしいというのなら、そのイデオロギーは絶対に間違っているイデオロギーであり、それを政治の場で実践してしまえば、国民は大損害を被ってしまうのである。

 我々が政治の歴史で知る所は、どのような政治体制であったとしても、「長老の伝承」や「賢者の知恵」や「科学的知見」がなければ、文明は自滅していくということなのである。すべての人間たちは哲学者でもなければ、思想家でもない。だが、「森林がなくなれば、自分たちの文明は消滅してしまう」という危機意識だけは持ち続けるべきなのである。そのためにも、赤ちゃんの頃から森林浴を盛んに行って、森林の有難味を体に覚えさせることだ。そうすれば森林の大切さを理解できる大人へと成長していくことができることだろう。そうしう大人たちが多ければ多いほど、現在の文明は維持され、発展していくことができるのである。

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赤ちゃんは喋れなくても、赤ちゃんの目を見て話す

●相手の目を見て話さないことは失礼である

 古来、王侯貴族の女性たちは、自分で赤ちゃんを産んでも、自分で赤ちゃんを育てることはしなかった。王侯貴族の女性たちは、わざわざお金を払って乳母を雇い、その乳母に育児を担当させたのだ。そうやって不必要な労働力を使うことによって、自分たちの過剰な財力を示し、自分たちは庶民とは違うということを見せつけた。王侯貴族の女性たちは、自分で育児をしない分、その時間を文化活動に振り向け、王侯貴族のある所、どのこ国でも文化が花開くことになったのである。

 しかし、母親が育児をしなかったという弊害は非常に大きく、王侯貴族はどの国の王侯貴族であっても、「情」というものがない。育児の過程で、まともな母性愛を貰っていないからだ。諺でも「貴人に情なし」と言われ、庶民同士の感覚で王侯貴族たちを信用ししすぎると、信用した方が悲惨な目に遭ってしまうのだ。

 また、日本では乳母が赤ちゃんの目を見てはならないとされたため、そのような育児で育ってきた王侯貴族たちは、公式の場で他人の目を見て話すというのが、礼儀に失するとされた。この乳母による育児がもたらした弊害は、現在にまで続いており、今でも公式の場で他人の目を見て離すということが失礼とされているのだ。

 このため、日本人での会話は非常に困難を伴うことになる。目を見て話さなければ、きちんと意思疎通ができないからだ。勿論。非公式の場では相手の目を見て話してもいいのだが、公式の場でしか交渉できない場合、不要な社交辞令が多く、内容の薄い会話の内容になってしまい、些細なことを交渉するのに、膨大な時間を費やしてしまい、非常にエネルギーの無駄になっているのだ。

 母親たちの中には、自分で育児をするのが嫌になってしまい、他人に任せようとする人たちが居るものだが、その要求は決して不自然ではないのだ。昔の王侯貴族の女性たちは当たり前の如くにやっていたのだ。だが、そうやって母親が育児を他人任せにしてしまった場合、異常な育児の結果は必ず異常な人間たちを作り出してしまうことになるのだということだけは、絶対に忘れるべきではないのだ。自分の手でちゃんと赤ちゃんを育てれば、それによってどんな問題が生じようとも、他人任せの育児よりは断然に弊害が少ないのだ。

●目を見て話すことが、赤ちゃんに安心をもたらす

 日本では社交上、相手の目を見て話しかけるのが失礼とされたために、育児をしている新米ママの中にも、夫と目を合わして話すことをしない女性や、赤ちゃんに目を合わして話さない母親たちが居るものなのだ。しかし、このようなことをやっていたら、結婚生活は破綻していくし、育児も巧く行かなくなってしまうことになる。

 夫婦関係でトラブルが発生しているなら、まずは夫の目を見て話す習慣を回復させるべきなのである。夫も妻からジッと見つめられながら話されれば、妻は自分に好意を寄せ、真剣なんんだなと思うようになって、妻のことを粗略に扱うようなことはしなくなるのだ。そうなれば夫婦で内容の濃い会話ができるようになるのだ。こういうことを繰り返していくと、夫婦の愛の絆はより深まり、より強くなっていくのだ。

 育児をしている場合でも、とにかく赤ちゃんの目を見て話すことだ。特に「黒目」を見ることだ。赤ちゃんは母親からこの行動を取られると、母親に対して心を開き、大いなる安心をもたらすことになるのだ。育児でトラブルを起こし続ける母親たちは、必ずといっていいほど、赤ちゃんの目を見て話していないのだ。だから、赤ちゃんは心を開かないのだ。

 勿論、赤ちゃんは話すことはできない。今はまだ喃語を喋っている程度である。喃語では巧く意思疎通ができないものだ。しかしそれでも新米ママは赤ちゃんに話しかけていくのである。赤ちゃんが心を開いていれば、母親の言葉は素直に入っていき、段々と母親の言っている意味が解り始めるのだ。

 喃語やベビーサインを理解することは確かに大事である。しかし、それらは意思疎通のための手段であることを忘れてはならない。新米ママと赤ちゃんとの間に、きちんと心要関係が築かれていれば、喃語やベビーサインの意味が解らなくても、通じ合うことができるようになるのだ。

●会話は赤ちゃんの脳を発達させる

 まず、赤ちゃんが目を覚ましたら、早い段階で、対面抱っこをしてしまうことだ。赤ちゃんを抱き抱え、首と腰に手を当て、そのまま立ち上がり、赤ちゃんに重力を与え体を覚まさせ、赤ちゃんの目を見つめて話しかけることだ。赤ちゃんは目を見つめられると、非常に喜び、自律神経を活性化させることになるのだ。これをやると、1日中、赤ちゃんは活動的になり、体全体を充分に発達させることができるようになるのである。

 赤ちゃんはちゃんと喋れることができないからといって、育児を無言で行ってはならない。赤ちゃんの脳は急激に成長していっているので、新米ママが言葉を喋ると、その新米ママの言葉が赤ちゃんの脳の中を駆け巡り、脳細胞を増やし、シナプスを増やしていき、知能を高くしていっているのである。

 新米ママがヘッドホンをし、無言で育児をしていたら、赤ちゃんは脳を成長させていく大事な機会を奪われてしまい、知能は低く、母親とのコミュニケーションもしなくなり、無表情な不気味な赤ちゃんになってしまうのだ。とにかく育児の現場では、新米ママが赤ちゃんに語りかけていき、言葉の量を増やしていくことである。

 赤ちゃんの体は赤ちゃんが勝手に大きくなっていくものだが、赤ちゃんの脳は新米ママが育てているようなものなのである。特に第一子目は新米ママの方も気合いが入っているので、多くの言葉を費やしてしまうものである。だから、第一子への育児が巧くいけば、大抵、第一子はお喋りになるものである。それだけ巧く脳を発達させることができたということなのである。

 赤ちゃんにとっては、母親が喋ってさえくれれば、それを聞き取る機会が多くなるし、母親の口の動きを見て、口の動きをモノマネできるチャンスでもあるのだ。そうやって、今は喋ることができなくても、言葉を聞き取り言葉を発する訓練をして、赤ちゃんは喃語から赤ちゃん語へと成長させていくことができるのである。

 人間の脳を発達させるには、マンツーマンが一番効果的なのだ。家庭教師を雇って教育を受けたことがあるなら、個人授業と集団授業とでは教育の結果が余りにも違いすぎることに気づく筈だ。赤ちゃんも全く同じで、赤ちゃんを集団の中で育てても、赤ちゃんはそれほど脳を発達させることができないのだ。母親のもとでマンツーマンで育てられるからこそ、赤ちゃんは脳を充分に発達させていくことができるのである。だからこそ、育児は家庭という小さな場所が最適なのである。屁理屈を並べて、赤ちゃんを集団で育てた方がいいと言い出しても、結局は、赤ちゃんの脳の発達を奪う結果にしかならないのだ。

●赤ちゃんの近くで夫婦が会話をする

 赤ちゃんがい居るなら、是非とも夫婦の会話を多くしていくことだ。育児をしているなら、夫婦で話し合わなければならないことはたくさんある筈だ。赤ちゃんは静かにしていても、赤ちゃんは夫婦の会話を聞いているものなのだ。赤ちゃんの周囲で両親が喋ってくれればくれるほど、赤ちゃんはその会話を聞き取る機会を多く得、無意識のうちに脳を発達させることができるようになるのだ。

 赤ちゃんの態度というのは、夫婦の丸映しだといっていい。夫婦の会話が喧嘩腰なら、赤ちゃんはいつも怒っているし、夫婦の会話が和やかに行われているなら、赤ちゃんはいつも和やかなものだ。妻が夫の欠点ばかり指摘していると、赤ちゃんも欠点だらけになり、非常に手古摺らせる赤ちゃんになってしまうのだ。逆に妻が夫の長所を褒め称えていれば、赤ちゃんは長所が多くなり、非常に育児が楽になる赤ちゃんになってくれるのだ。

 赤ちゃんの周囲の会話が赤ちゃんの脳を発達させる以上、夫婦が二人きりだけで育児をしていくのではなく、積極的に親戚回りをし、親戚に自分たちの赤ちゃんを紹介し、そのついでに親戚との会話を赤ちゃんに聞かせ、赤ちゃんの脳を発達させてしまうことだ。夫の両親、夫の祖父母、妻の両親、妻の祖父母と、できるだけ幅広い年代の声を赤ちゃんに聞かせておくと、赤ちゃんの脳はよりバリエーションに富んだ声を聞くことが出来、それらの声に接するたびに脳を刺激していくことができるのだ。

 育児を通じてママ友ができたのなら、なるべくママ友と接触して、そのママ友の声やその赤ちゃんの声を、自分の赤ちゃんに聞かしてあげることだ。自宅ではグズって仕様がなかったのに、他人の家に連れて行くと、赤ちゃんは静かになるものだ。環境が変わったということもあるし、母親とは違う声を聞くことによって、自分の脳の内部で今までとは違う箇所が刺激されているので、グズっている暇がなくなってしまったのだ。

 育児をしている際、ナガティブモードになってしまうと、赤ちゃんの欠点しか目に行かなくなってしまうものだ。新米ママがネガティブモードになった引き金は、育児の忙しさに追われてしまい、赤ちゃんの目を見ることをしなくなり、赤ちゃんが心を開かなくなったことに原因があるのだ。だから、まずは赤ちゃんの目を見て話しかけ、赤ちゃんの心を開かせることだ。そうすれば育児でトラブルが減少していき、自分の心もポジティブモードに変わっていく筈だ。その上で夫婦で会話するなり、様々な人たちの声を聞かして、赤ちゃんの脳を刺激して発達させていくことだ。赤ちゃんを健やかに成長させていけば、育児でのトラブルは激減していくものなのである。

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喃語とベビーサインを覚える

●赤ちゃんとのコミュニケーションの手段

 赤ちゃんは言葉を話すことができない。しかし、それでも母親と人間関係を構築していくなくてはならない。そこでまず赤ちゃんが行うのが、「泣く」という行為である。赤ちゃんはすぐに泣く。泣くことで母親に危険を知らせ、母親が手を出さざるを得ないようにするのである。その次が「視線」を送る。母親に視線を送ることで、母親の気を引くのだ。そして「笑顔」を見せる。赤ちゃんに微笑まれたら、どんな母親といえども、育児疲労は吹き飛んでしまい、育児に喜びを見出すことだろう。

 生後3ヵ月を過ぎて、徐々に出てくるのが、「喃語」と「ベビーサイン」である。これこそが赤ちゃんが言葉をきちんと話せるようになるまで、長い期間使用することになるものなのに、新米ママにとっては全く解らない困りものなのである。喃語はただ呻いているにしか聞こえないし、ベビーサインは手を適当に動かしているようにしか見えないのだ。

 しかし、新米ママが赤ちゃんの喃語やベビーサインを理解しないで育児を進めていくと、赤ちゃんは母親とコミュニケーションが取れないと認定して、事あるごとに大泣きしてくるのである。しかも、赤ちゃんは徐々に体が大きくなっており、その上、赤ちゃんの声は非常に良く通るので、とにかくうるさい泣き声を響き渡らせるのである。

 昔の母親たちが、喃語やベビーサインのことをいとも簡単に理解できたのは、とにかく赤ちゃんのもとを離れなかったからだ。出生直後から母子が分離されなければ、なんとなく赤ちゃんの言いたいことが解り、「こういうことをしたいのね」と言って、赤ちゃんのやってほしいことをやってあげることができたのである。

 しかし、病院などで最初から母子分離されてしまい、しかも、ベビーベットで母子を分離し続けていると、新米ママは赤ちゃんの喃語もベビーサインも全く理解できず、赤ちゃんは大泣きしまくることになるのだ。それに対して、母親が赤ちゃんに構わなくなると、赤ちゃんは表情そのものをなくしてしまい、母親との関係構築をしようとしなくなってしまうのだ。新米ママにとっては手のかからない赤ちゃんになったかもしれないが、手のかからない赤ちゃんは、実は新米ママとちゃんとしたコミュニケーションが取れていないだけなのである。

●喃語

 まずは「喃語」である。赤ちゃんも首が据わってくると、喃語を話すだけの筋肉がつくので、生後3ヵ月以降なら、喃語を話してくる。だが、これが全く意味不明なのである。「あ~」「う~」「ほげ」「あぎゃ」「うぎゃ」とかいうように、言語になっているのではなく、ただ呻くことを楽しんでいるかのようなのである。

 特に、「ぐにゃ座り」や「一人座り」ができると、上半身を起こせるようになるので、そうなると気道が重力に押されることなく、自由に使えるようになるので、赤ちゃんは得体の知れない喃語を喋りまくるのである。恐らく、喃語の大半は、喃語それ自体に何か意味があるわけではなく、ただ喃語を発生するのが快感だからこそ言っているだろうと思う。

 勿論、この喃語は赤ちゃんが将来、喋れるようになるために重要なトレーニングではあるけれども、赤ちゃんの方がそんな先まで考えているわけではないのだ。ただ単に喃語を喋れることが楽しいから喃語を喋っているにすぎないのだ。これが良く解るのは、赤ちゃんに独り遊びをさせると、喃語を一人で喋りまくっているのだ。

 ただ困るのが、その喃語で母親に何かを伝えようとしてくる時である。確かに、こういう時の喃語は何かしらのパターンがあるし、かといって喃語が何を言っている解らないために、新米ママとしては何がなんだか解らないのである。こういう時は、「これをしてほしいの?」「それともあれをしてほしいの?」と、とにかく赤ちゃんの意思がなんなのかを探っていくことだ。

 赤ちゃんの喃語が一体なんだったのか解らなくても気落ちしなくていい。いかなる新米ママにとって、赤ちゃんの喃語は世界七不思議よりも不思議な現象なのだ。後日、ひょっとしたことで、赤ちゃんの喃語が解り、「こういうことを言いたかったわけね!」と解ったりすることもあるのだ。

●ベビーサイン

 喃語というのは、新米ママにとって未知なる外国語よりも難しいものであっても、ベビーサインは比較的解り易いものなのだ。但し、これは条件付きで、新米ママが可能な限り赤ちゃんと一緒に居るならという条件でだ。というのは、赤ちゃんの行動だけでなく、人間の行動は、一緒に居ればなんとなく解ってくるので、解り易い状況でベビーサインを示してくれるなら、そのベビーサインがなんとなく解ってくるのだ。

 喃語を巧く理解できない新米ママにとっては、赤ちゃんのベビーサインこそ赤ちゃんの意思表示がちゃんと解る唯一のものだからだ。赤ちゃんの方も言葉がちゃんと話せるようになるまで、このベビーサインを多用して、母親に自分の意思を伝えていこうとするのだ。それゆえ、ベビーサインを理解できるかできないかで、新米ママと赤ちゃんの双方の理解度は決定してしまうのだ。

 ベビーサインで比較的解り易いのが、寝る際のベビーサインである。赤ちゃんは眠たいと訴えてくるくると、母親と視線を合わさなくなり、目を反らすのだ。このベビーサインが出ると、本人は眠たいといっているのだ。赤ちゃんが一人歩きできるまでは、このベビーサインを多く使用している。

 赤ちゃんは「ぐにゃ座り」ができるようになると、周囲の大人たちに行動を合わせることができるようになるので、遂々、自分が眠たい時間を大幅に過ごしてしまうことがある。そういう時は、新米ママが見計らって、「さあ、寝る時間よ」と赤ちゃんを寝かしつけないと、赤ちゃんは周囲の大人を気にして、眠たいの起き続けてしまうのだ。しかし、本当は眠たいものだから、手をボクサーのように構え、母親の目線が合った瞬間に、それを合図で大泣きを仕出すのだ。赤ちゃんが大泣きして寝るのと、赤ちゃんがそのまま寝てくれるのとでは、育児疲労が全然違うので、赤ちゃんの大泣きのベビーサインはいち早く察知しておいた方がいい。

 育児をしている新米ママにとって、絶対に知っておいた方がいいベビーサインが、ウンチをしたいベビーサインである。大方は、赤ちゃんが指で円を描く仕草をする。ウンチのベビーサインが解るようになると、育児が物凄く楽になるので、赤ちゃんのウンチのベビーサインだけは絶対に見逃さないことだ。ウンチしたことをきちんと意思表示してくれると、いずれオマルでウンチをしてくれるようになるし、オムツからパンツへの移行も非常に楽になるからだ。

●ノートに書き出しておく

 喃語やベビーサインは、育児日誌などのノートに書き出しておくことだ。育児では次から次へとすることがあるので、自分でこの喃語はこれを意味すると解っても、他の情報が入ってきてしまうと、忘れてしまうからだ。書き残しておけば、後になって読めば、ちゃんと思い出せるようになるのだ。絶対に自分の記憶力を過信してはならない。

 もしも、絵が巧く描けるのであるならば、喃語やベビーサインをやった時の赤ちゃんの姿を描いておくと、比較的解り易くなるのだ。喃語もベビーサインも赤ちゃんの体の動きが解ると、なんとなく解ってくるものだからだ。赤ちゃんが寝ている時に、ささっと描いてしまうことだ。

 喃語やベビーサインは単発で出されても解らないが、ノートに書き出してみると、非常に解り易くなってくるのだ。特にベビーサインの方は、赤ちゃんが母親に要求するものはそれほど多くないために、一覧にしてみると、大体何を言いたいのが解ってくるのだ。喃語も赤ちゃんの意味不明な発音が何かしらのことを意味していることが解り始めるのだ。

 新米ママが育児をしていると、どうしても関係が一方的になってしまいがちだ。育児疲労で疲れきってしまう新米ママは、育児をすることに一杯になってしまい、赤ちゃんの多彩な表情をきちんと見ていないのだ。赤ちゃんが喃語もベビーサインも発しているというのに、新米ママが一方的に育児を行ってしまえば、赤ちゃんが大泣きして応酬してくるのは当然のことなのだ。

 ちなみに、第一子の時に喃語やベビーサインをしっかりとノートに書いておくことは第一子だからできることであって、第二子以降はやらない母親が非常に多いのだ。第一子なら何もかも新鮮で解らないことばかりなので、だからこそノートに記録していこうとするが、第二子以降はその新鮮さが薄れ、育児の手抜きをしまくる母親が非常に多いのだ。だからこそ、その赤ちゃんが成長して思春期になった時に、母親に対して有り得ないような反抗をしてくるのである。

●自分で調べてみる、先輩ママに訊いてみる

 喃語に関しては本格的な研究が施された書物は殆どないが、ベビーサインに関しては研究がされた本が多いので、自分で本を借りるなり、買ってみるなりして、自分で調べてみることだ。赤ちゃんの大泣きされて、自分が育児ノイローゼになるより、自分で調べて解決してしまった方が、赤ちゃんの意思表示が解るようになるのだ。

 但し、本に書かれていることは、すべてに該当するものではないのだ。ベビーサインが今まで見過ごされてきた最大の原因は、赤ちゃんのベビーサインは、誰かに教えられなくても、その母親が赤ちゃんと一緒に居ればなんとなく解るということであり、赤ちゃんは自分の母親に対して、特別なベビーサインをすることもあるからだ。それゆえ教科書どおりにはベビーサインを理解するということはできないのだ。

 仲のいい先輩ママが居るなら、先輩ママに訊いて覚えてしまうことだ。先輩ママの中には、喃語やベビーサインに矢鱈と詳しい先輩ママも居るので、そういう先輩ママから直に教わってしまえば、自分が不必要な悪戦苦闘をすることがなくなるのだ。最初は先輩ママに言われても解らないことであっても、何度も教えられれば、解ってくるようになるのだ。

 赤ちゃんの方も、母親が喃語やベビーサインを理解してくれるようになると、それまで大泣きして手古摺らせていたのが、途端に素直になり、母親との関係もスムーズに行くようになるのだ。今まで赤ちゃんが意思表示しているのに、母親が理解してくれなかったからこそ、赤ちゃんが大泣きしていたのである。

 喃語やベビーサインの意味は、自分一人で仕舞っておくものではなく、きちんと夫に伝えておくべきだろう。夫の方は仕事で忙しい以上、喃語やベビーサインに詳しいわけではないからだ。喃語やベビーサインの内容を夫にきちんと伝えておけば、夫は改めて自分の妻のことを見直すことであろう。

●赤ちゃんとのコミュニケーションを上達させる方法

 赤ちゃんとのコミュニケーションを上達させる方法は、何よりも「赤ちゃんと一緒に居る」ことだ。赤ちゃんと一緒に居れば、喃語もベビーサインもなんとなく解ってくるものなのである。特に第一子目が一番大事なので、第一子とちゃんとコミュニケーションが取れれば、第二子以降の赤ちゃんとも巧くコミュニケーションを取れることができることだろう。

 次に「赤ちゃんにモノマネをさせる」ことだ。赤ちゃんはまずは母親のモノマネをしてくるので、赤ちゃんにモノマネさせると、赤ちゃんにとっては嬉しくて仕様がない遊びなのだ。赤ちゃんは嬉しくなると、より多くの喃語やベビーサインを出してくるようになるので、より深くコミュニケーションが取れるようになるのだ。

 そして、赤ちゃんとのコミュニケーションで大事なのは、母親の方が「知ったかぶりをしない、知らぬままで通してしまわない」ことだ喃語もベビーサインも、それを解明しなくても、赤ちゃんを育てていくことはできる。しかし、そうやって育ててしまうと、自分の子供のことが全く解らないことになってしまうのだ。自分で調べるなり、自分で訊くなりして、喃語やベビーサインの謎を解明していくことだ。

 赤ちゃんとのコミュニケーションで大切なのは、実は母親と赤ちゃんの関係だけでなく、夫婦の関係をしっかりしておかないと、母親と赤ちゃんの意思疎通は巧く行かなくなってしまうことだ。とにかく夫が仕事から帰ってきたら、苦労をねぎらうべきだし、夫をきちんと立てて、夫の話を聞くということをしておき、その上で育児のことを話すということを繰り返しておかないと、育児でいくらでもトラブルが発生してくるからだ。夫婦の関係と親子の関係は全く無関係で存在しているわけではないのである。

 喃語もベビーサインも解らない頃は解らないものなのである。でも、何か一つのことが解り始めると、ドミノ倒しのように解り始めるのである。そうなれば、赤ちゃんの気持ちが解り始め、育児が非常に楽に成り始めるのである。自分中心になって赤ちゃんの気持ちを汲み取ろうとしないからこそ解らないのであって、ちゃんと赤ちゃんと向き合って、赤ちゃんの気持ちを汲み取ろうとすれば解るものなのである。

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家族揃って動物園に行こう! ~動物園は赤ちゃんたちのパラダイス~

●赤ちゃんたちのパラダイス、それは「動物園」

 赤ちゃんたちには、いかなる赤ちゃんでも喜ぶパラダイスがある。それは「動物園」である。動物園での動物たちの動きは赤ちゃんにとって刺激的なのだ。自宅でペットを飼っていなければ、赤ちゃんにとっては動物園で見る動物たちこそ、初めて見る人間以外の動物だからだ。

 動物園は普通の地味な動物園の方がいい。サファリパークは大人向けの物なのだ。ああいう物は、赤ちゃんには不要なのだ。普通の動物園のように、動物の数が少なく、1日以内で巡れる物の方がいいのだ。赤ちゃんを連れて動物園内を歩けば、そんなに早いスピードで回れるわけがないのだ。しかも、赤ちゃんは1日中起きているわけではないので、寝てしまう可能性だってあるのだ。

 赤ちゃんが一人歩きができるようになったら、是非とも動物園に家族揃って行くことをお勧めする。動物園は赤ちゃんが居る夫婦にとって、最高の行楽スポットなのだ。独身時代では経験できなかったような面白さを、動物園で発見できることだろう。とにかく行ってみれば解る。赤ちゃんの反応が滅茶苦茶面白いのだ。

 赤ちゃんは生後2年までで免疫力の基本を形成していくので、この間に色々な動物の体臭や動物のフンを嗅がせると、赤ちゃんの免疫力は上がり、病気に対して強い抵抗力を持つのだ。動物園に行ったら、問答無用で動物のフンの臭いを嗅がせることだ。このフンの臭いこそが、赤ちゃんを健康にしてくれるのだ。

 新米ママが自宅とか自宅近辺だけでは、それほど高い免疫力を作り出すことができないのだ。勿論、外気浴を盛んにすれば、赤ちゃんの免疫力は高くなっていく。しかし、動物園のように動物のフンが臭い場所ほど、赤ちゃんの免疫力を刺激してくれる場所はないのだ。

●赤ちゃんはゾウさんが大好き

 動物園に連れていくと解るのが、赤ちゃんはゾウさんが大好きだということである。赤ちゃんにしろ、子供にしろ、常に大きな物が大好きなのだ。成長過程にある以上、より大きな物を見て喜ぶというのは、健全な反応だといっていいのだ。ゾウさんを見て喜ばない赤ちゃんや子供が居れば、或る意味、異常な育ち方をしている筈だ。

 動物園では常にゾウさんの前では、黒山の人だかりができている。ソウさんの体の大さや、鼻が長い姿、飽きの来ない体の色、そしてウンコの臭さが、赤ちゃんや子供たちにとっては魅力的なのだ。赤ちゃんの中には、この異様な動物に魅せられてしまい、長い時間見続けてしまう赤ちゃんも居る筈である。

 動物たちの中からライオンを取り上げ、「百獣の王ライオン」といってライオンを特別視するのは、大人たちの視点であって、人間は本来「果実食動物」であって、草食動物の系統に属するのだから、草食動物で最も大きな体を持つゾウに対して、畏敬の念を持つ方が、自然な姿なのだ。これに関しては、大人たちよりも赤ちゃんの方が素直な反応を示すのだ。

 いかなる動物園でも、ゾウを所有できれば、その動物園を繁盛させることができることだろう。ゾウこそが動物園の最大の売り物といっていいからだ。余りにも肉食獣に拘って揃えてしまうと、食費は高くつくし、飼育に危険が伴うし、そのくせ来客数は伸びてこないものなのだ。

 赤ちゃんや子供たちはゾウさんが好きなんだなという基本的なことが解っていると、ゾウを中心にして動物園を形成していけばいいのだ。そうすれば自然と動物園を楽しむことができ、来客数も増え、動物園には赤ちゃんの驚きの声と、子供たちの歓声で満ち溢れることになるのだ。

●赤ちゃんはまだまだ動物レベル

 赤ちゃんは言語を話せない以上、赤ちゃんはまだまだ動物レベルなのである。だからこそ、赤ちゃんの時期に動物を見せておくことは、自分と同じレベルにあるという安心感を与え、赤ちゃんの健やかな成長に寄与することになるのだ。赤ちゃんがいつも母親と一緒に居ると、自分を引き上げてくれるのはいいのだが、それだけでは疲れきってしまうのだ。自分と同等か、それよりも下等なものを見せるからこそ、赤ちゃんは成長に後退がなくなるのだ。

 赤ちゃんがグズって仕様がない、赤ちゃんが母親の言うことを聞かない、赤ちゃんが母親に対して反抗的な態度を取るという症状が出て来ているなら、赤ちゃんは母親との人間関係に疲れていると思った方がいい。赤ちゃんといえども、同じ人間関係が長く続けば疲れてしまうものなのだ。

 そういう時は、赤ちゃんを動物園に連れて行き、この世には母親以外の動物も居ることを見せてあげればいいのだ。動物園での衝撃が加わると、赤ちゃんの頭の中で何かしらの変化が起こり、母親の有難味を再確認することができるようになるのだ。新米ママにとっても動物園に行くことで、育児疲労も吹き飛んでしまうことだろう。

 大人たちが喜ぶものは、海外旅行とか遊園地とか高級レストランだとか、お金がかかり手の込んだ仕掛けがあるものだ。しかし、赤ちゃんが喜ぶものは、至って原始的で、それほどお金がかからないものなのだ。独身時代にお金のかかる遊びばかりしてきた女性は、その感覚をそのまま持ち続けると、赤ちゃんに充分な喜びを与えることができなくなってしまうのだ。

 お金持ちの家庭に限って碌でもない子供が育ってきてしまうのは、その両親がお金をかけさえすれば、子供たちが成長してくれるだろうと思っているからなのだ。ところが、赤ちゃんはお金のかけた遊びをそれほど喜ばず、寧ろ、お金のかからない遊びの方を好むのだ。いかに赤ちゃんの頃に、赤ちゃんらしい遊びをさせてあげることこそ、赤ちゃんに健全な成長を与えることになるのである。

●動物園に工夫してほしいこと

 動物園は赤ちゃんたちのパラダイスであるのに、動物園がそのことを理解しているかといえばそうではないのだ。殆どの動物園はあくまでも生物学の研究の方を優先してしまっていて、お客さんにサービスをするということを余りしていないのだ。そのために集客力に劣ってしまうのだ。

 まず、動物園の経営者たちは、「動物園の最大のお客さんは、乳幼児であり、子供たちなのである」というこを絶対に忘れないことだ。この観点からずれてしまうと、日本全国に存在する動物園のように、来園者がまばらな動物園になってしまうのだ。赤ちゃんが居る夫婦の場合、自分たちが行った動物園が面白ければ、リピーターになる可能性が高いのだ。第一子で楽しめたなら、第二子も同じ動物園に行くものだからだ。

 第二に、動物をより自然な形で見せてほしいということだ。赤ちゃんを連れてきたというのに、コンクリートが剥き出しなのは困るのだ。赤ちゃんを連れている夫婦の方が引いてしまうのだ。無闇に動物の数を増やすのではなく、動物の数を減らしてでも、一頭あたりの動物の敷地を広くした方がいいのだ。夫婦にとっても草の茂みの中の動物を探し出すことでも面白さを味わえるからだ。

 第三に、動物のフンは赤ちゃんの免疫力を高めることを知っておくことだ。大人の感覚からすれば、動物のフンは臭く見苦しい物であっても、動物のフンこそ、動物園に来る赤ちゃんにとって必要不可欠なものだからだ。動物のフンは赤ちゃんの免疫力を高める以上、すぐさま片付けないで、或る程度は見せておくことだ。

 第四に、人間たちが往来する場所の掃除はしっかりとやってほしいということだ。動物園はどうしても動物の飼育に人手を取られてしまうために、どこの動物園も掃除が行き届いていないのだ。お客さんたちが往来する所はとにかく掃除をしておくだけで、お客さんの印象は全然違うものになるのだ。

 第五に、子供が参加できるイベントを多く作ってほしいということだ。子供を連れていった夫婦の場合、自分の子供が自分の側を離れてくれるだけでも、有難いのだ。子供の「なぜなぜ攻撃」から解放されるからだ。親であったとしても、動物のことに詳しいわけではないのだ。こういう時にイベントで子供を連れ出して貰うと、非常に有難いのだ。動物園で何か楽しい思い出があると、子供は自分で動物のことを調べるようになるものなのだ。

 日本全国にある動物園は、ちょこっと改善措置を施すだけで、まだまだたくさんの魅力を持っているのだ。動物を飼育することに手一杯になってしまうのではなく、お客さんを喜ばせようという考えに立てることができれば、いくらでも動物園を楽しくできるアイデアを生み出していくことができるのだ。その楽しさが来園者にも伝わり、更なる楽しさを作り出していくことができるのだ。

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赤ちゃんを土に触らせる

●赤ちゃんを健康的に育む大地の力

 人間は土から離れて生きていくことはできない。土の上に直に寝起きしている民族は、どの民族も赤ちゃんは元気一杯であり、土から離れ、家の中で暮らしている赤ちゃんは元気が弱っている。日本では神代の昔、スサノオの尊が「穴居の神事」を行い、竪穴式の住居をやめてしまったので、それ以降は土の上に直に寝起きするということはなくなっている。

 そのため、新米ママたちが赤ちゃんを土に触らせないと、赤ちゃんは健康的に成長していくことができなくなってしまうのだ。土には赤ちゃんを健康に育む「大地の力」が満ち溢れているので、この大地の力が赤ちゃんの体に注がれると、赤ちゃんは有り得ないような健康を獲得していくのだ。

 赤ちゃんを難病奇病に追い込む新米ママたちは、必ずと言っていいほど、赤ちゃんを土に触らしていない。また、自分自身も土に触ったことがないのだ。赤ちゃんの難病奇病が治りにくいのも、その難病奇病が赤ちゃんの土への接触不足という、余りにも思わぬ原因から発しているからなのである。

 土の中には様々な細菌があり、その細菌たちが赤ちゃんの免疫力を活性化させるのだ。赤ちゃんは生後2年までに自分の基本的な免疫力を形作っていくので、この時期にいかに様々な細菌を吸い込むかが、赤ちゃんの免疫力を向上させる最大の鍵となるのだ。生後2年という大事な期間を、土に触らせずに過ごしていたら、当然に赤ちゃんは免疫力を上げることができず、そのために難病奇病を発症してしまうのである。

 赤ちゃんの舐め回しの時期に重なると、赤ちゃんは手に土をつけて、それを舐めてしまうのだが、実はこの行為は赤ちゃんにとっては非常に重要な行為なのだ。多くの新米ママたちは「バッチイからやめなさい!」と赤ちゃんにやめさせてしまうのだが、これをやめさせると赤ちゃんは免疫力を向上させていくことができなくなってしまうのだ。これをやれば赤ちゃんの免疫力が上がり、それ以降、非常に元気になり、不必要な病気はしなくなるのだ。

●育児における家庭環境

 赤ちゃんが土に触ることができるということなら、「農家」が圧倒的に有利である。農家ならいくらでも土があるからだ。大抵、農家の子供というのは、元気一杯である。土に触れる機会が多ければ多いほど、赤ちゃんは免疫力を向上させることができるからだ。農家の場合、納屋があるので、そこに赤ちゃんを連れていくといい。納屋には人間にとって有益な細菌が一杯生息しているので、それを赤ちゃんが吸い込むと、赤ちゃんは免疫力を飛躍的に向上させることができるのだ。

 酪農家は土だけでなく、「家畜のフン」も加わるので、より免疫力を上げていくことができる。酪農家の赤ちゃんに難病奇病の赤ちゃんが発生してこないのは、この家畜のフンのお蔭なのである。赤ちゃんは家畜のフンの臭いを嗅げば嗅ぐほど、免疫力を最大限まで高くすることができるのである。 

 もしも一戸建ての住宅に住むなら、自宅の庭を改造して、花々が咲き乱れるような庭にするといい。新米ママがガーデニングをしていると、それによって大地の力を吸いこんで、そのために元気一杯の母乳を出すことができるからだ。また、育児ストレスで一杯になってしまっても、ガーデニングをしていれば、育児のことを忘れることができ、非常に素晴らしい気分転換になり、育児ストレスが消滅してしまうのだ。

 マンション暮らしなら、ベランダにプランターや植木鉢を置いて、花を植えることをお勧めしたい。ベランダに花々が咲いていると、殺風景のマンションが見違えるほどに美しい環境に変わるからだ。ベランダで花を育てることは、油虫や白蟻などの害虫の発生に気をつけることだ。毎日見ていないと、急激に発生してくるから、注意が必要なのである。

 もしも家庭菜園をやりたいというなら、農地を借りて野菜を作ってしまおう。夫婦で野菜作りに励んでいると、夫婦揃って大地の力を貰えることができ、育児において不要な問題に拘泥することがなくなるからだ。しかも、野菜を作ることによって、育児だけの会話から解放されて、色々な会話ができるようになり、夫婦の関係がリフレッシュすることができるのである。

●赤ちゃんが余りにもグズるなら、土の上で遊ばせる

 赤ちゃんを育てていると、赤ちゃんが余りにもグズってしまい、泣きまくるは、寝ないは、どうしようもなくなってしまうことがある。こういう時は、恐らく大地の力が不足しているとみていい。赤ちゃんにグズられて手に負えなくなる前に、日頃から赤ちゃんを土の上で遊ばせておくことだ。

 外気浴の際に、芝生のある場所に連れて行き、そこで赤ちゃんをハイハイさせるなり、歩かせるなりしておくことだ。もう既にハイハイができるというのに、ベビーカーに乗せて帰ってくるということだけはやめておいた方がいい。それは母親の散歩であって、赤ちゃんの健康には殆ど寄与しないのだ。

 できれば、赤ちゃんを裸足にして、芝生の上を歩かせると、赤ちゃんは足の裏から直接に大地の力を吸収することができるのだ。裸足で歩かせれば、当然に足の裏は汚れるが、そうやって遊ばせた後の赤ちゃんは非常に元気になっているものなのだ。靴を履いていては、これほどの効果がないのだ。

 グズと土の関係は予想以上に深い関係なのである。もしも母親の中に、自宅の中を巧く整理整頓できないとか、掃除がどうも苦手というなら、恐らく土に触れたことがないために、自分の体内で大地の力が不足して、グズになっていったのだろうと思う。日頃から土に触れていると、最低限の掃除をしようとするし、整理整頓もきちんとするようになるのだ。

 母親と赤ちゃんは鏡のような関係なのである。母親がグズグズしていると、赤ちゃんもグズってくるし、母親がだらしないと、赤ちゃんもだらしないのである。育児をしている時は、育児のことで頭の中が一杯になってしまいがちだが、巧い育児をしたいなら、生活そのものを向上させ、とにかくメリハリをつけて行動することなのである。赤ちゃんと遊ぶ時は遊ぶ、家事をする時はテキパキとこなす。この基本ができてしまうと、生活は向上していき、育児も簡単に行えるようになるのだ。

●休みの日は、土のある場所へ行こう

 都会暮らしでは土に接触する機会が少ないために、どうしても疲れきっていってしまうのである。疲れきっているからこそ、妻は育児でトラブルを起こし、夫はいくら仕事をしてもウダツが上がらないのだ。夫婦共々疲れきっていれば、些細なことで夫婦喧嘩が始まってしまい、それを最悪な形までに拗らせてしまうことだってあるのだ。

 それゆえ、そういうことが起きる前に、休みの日には家族揃って「土のある場所」に行って、夫婦も赤ちゃんも大地の力を受け取ることが必要なのである。花のある公園に行ってみたり、植物園に行ってみたり、山辺の道や、川辺の道を歩いてみたりして、大地の力を吸い込んででしまうことだ。

 食い意地が張るなら、「イチゴ狩り」や「タケノコ狩り」や「シイタケ狩り」などがお薦めである。この手の「採集バイキング」は家族で行くと、有り得ないほど楽しいものになるのだ。ただ単に大食いできることが楽しいのではなくて、採集バイキングをしながら家族で色々な遣り取りするからこそ面白いのである。

 仕事で疲れている場合、休日を家の中でゴロゴロと過ごしても、疲労は殆ど回復されないのだ。既婚男性が抱えるような疲労は、大概が大地の力の不足からくるものだからだ。だからこそ男性は結婚して子供ができるような頃に成ると、休日には自然の中で遊ぶようなことを仕出すのである。

 そしてその時期は、赤ちゃんや子供たちにとっても必要な時期で、大地の力を受け取る機会が多くなれば多くなるほど、赤ちゃんも子供たちも健康的に成長していくことができるのである。折角の休日を夫が家でゴロゴロとさせないためにも、事前に予定を入れておいて、疲れ切った夫を外に連れ出すという妻の優しさは、夫のためだけでなく、赤ちゃんのためにも、自分のためにも必要なのである。

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夫の体臭に慣らさしておく

●赤ちゃんは体臭を記憶する

 赤ちゃんは嗅覚に関しては異常に発達していて、生後2年まで色々な臭いを嗅ぎ取って行き、それによって自分の免疫力を上げていこうとする。母親が赤ちゃんを色々な場所に連れて行って、赤ちゃんに色々な臭いを嗅がせるなら、赤ちゃんは免疫力を強くすることができるのである。

 赤ちゃんにとって、最も嗅いでおかなければならない臭いが、「父親の体臭」である。赤ちゃんにとっては父親の体臭は、その後の人生を大きく左右してくる非常に重要な臭いなのである。人間の体臭は、その人が清潔か不潔かということではなく、その人の免疫力からくる臭いなので、自分の父親の体臭がどのようなものかを記憶しておかないと、自分の免疫力を父親に同調させて、上げていくことができなくなってしまうのだ。

 また、赤ちゃんが女の子の場合、大きくなってから父親とは違うタイプの体臭を持つ男性と恋愛したり結婚したりするので、赤ちゃんの時に父親の体臭を充分に記憶しておかないと、いざ恋愛や結婚をしようとする時に、相手の男性を間違えてしまうことになってしまうのだ。男性と交際しても1年と続かない女性や、結婚して数年で離婚してしまう女性や、離婚しなくても家庭内別居になってしまう女性は、赤ちゃんの時に充分に父親の体臭を嗅いでいなかったからこそ、自分にとって最悪の男性を自ら進んで選んでしまうようになってしまったのだ。

 赤ちゃんが女の子の場合、誰がどうやって育てたとしても、女の子の半分は父親の体臭を好きになり、従順な女性に成長していくが、女の子の半分は父親の体臭を嫌いになり、父親に凄まじい反抗をしてしまい、性格が凶暴になってしまうのだ。そうやって、女性は別々に成長することで、父親とは明らかに違うタイプの男性を選んで、繁殖していこうとするのである。

 このため、父親にそれほど反抗してこない従順な女性の場合、父親と長い時間一緒に居たお蔭で、恋愛にしても結婚にしても、それほど相手の男性を間違うことなく選んで、素晴らしい恋愛や結婚ができるのだが、父親に反抗してくる性格が凶暴な女性は、せめて赤ちゃんの時に父親の体臭を充分に嗅がしておかないと、恋愛すれば最悪の男性を選び、結婚しても最悪な男性を選び、まともな恋愛も結婚も一切することができなくなってしまうのだ。

●なぜ親子の相克は起きるのか?

 親子で悲惨な事件が起こってしまうのも、この体臭を無視しているからなのである。人間は男性であろうと女性であろうと、大きくなれば自分の両親とは違う免疫力を持っている異性を選んで結婚して繁殖していくので、やはり結婚した時は夫婦が二人っきりでスタートした方がいいのだ。住宅費がタダになるという理由で、夫の両親や、妻の両親と一緒に暮らしてしまうと、生活習慣や金銭問題だけで揉めるのではなく、体臭のことで揉めてしまうのだ。結婚した男女にとっては、自分たち以外の体臭は、たとえそれが両親のものでもあっても、嫌な体臭であるのだ。

 人間の男の子も女の子も、十代前半で反抗期を迎えてしまい、自立していこうとする。自立は両親からの従属を脱して、自分で自分の道を切り開いていこうとするもので、これはこれで非常に大事なのである。この過程を経なければ、いかなる者も自立していくことができなくなってしまうからだ。反抗期の時に、或る程度の反抗をしておかなければ、永遠に自立できない人間になってしまうのだ。

 反抗期に反抗がない男女や、反抗が余りにも激しすぎる男女は、赤ちゃんの時に充分に父親の体臭を嗅いでいないことに、その原因があるのだ。自分が赤ちゃんの時に、父親の体臭をきちんと嗅いでおき、それによって父親の免疫力に同調させるという作業をしておかないと、自分が思春期を迎える頃になると、余りにも異常な行動を取ってしまうようになるのだ。反抗期に親に反抗することは大事だが、無意味な反抗は絶対に有害である。そういう反抗をいくら繰り返しても、自立することはできないからだ。

 赤ちゃんの時に充分に父親の体臭を嗅がせた男女は、思春期になってから反抗してきても、それほど悪い反抗の仕方を取らないのだ。そのため、両親の方もいつまでも子供扱いしてしまうので、それはそれで問題が生じてきてしまうのだ。反抗期での巧い距離の取り方は、試行錯誤しながら学んでいった方がいい。

 我々は家族内の人間なら、体臭など気にならない。しかし、人間は誰でも体臭の記憶を持っており、その意識の欠如こそが、親子の相克を引き起こしてしまうのだ。その両親がどんなに自分の子供たちを可愛がっても、その子供たちは大きくなれば、両親とは違う体臭を持つ人々と結婚しようとするのである。これが人間の繁殖の法則なので、この法則を無視することなどできないのだ。子供が大きくなったら、巣立ちさせていくことしかできないのである。

●夫が在宅している際は、夫を中心にして時間を進めていく

 育児をしている新米ママは、とにかく自分の赤ちゃんに夫の体臭を嗅がす機会を多く取ってあげることだ。夫は日頃、仕事で外に出ている以上、夫が在宅している時は、夫を中心にして時間を進めていくことだ。夫が居るのに、自分と赤ちゃんだけがべったりとし、夫がポツリと離れているようでは、赤ちゃんの将来は前途多難である。

 夫に育児の手伝いを頼むより、夫と赤ちゃんの触れ合いを大切にすることだ。夫は仕事で疲れているので、折角、自宅に居て寛ぎたいのに、妻から育児の手伝いを頼まれては、堪ったものではないからだ。まずは、赤ちゃんと触れ合って、赤ちゃんに夫の体臭を嗅がせ、夫も赤ちゃんと一緒に居ることを楽しめたら、それから育児の仕方を教えていけばいいのだ。

 育児を男女平等でやっても、絶対に破綻するだけなのである。邪悪なイデオロギーに洗脳されない限り、そんな馬鹿げた育児の仕方は絶対に取らないものなのである。余りにも自然な形の育児から逸脱しているのだ。育児は母親が中心になって行っていくべきものなのである。それこそが最大の利益を生み出すことができるからだ。これは誰がどうやろうとも同じ結果が出るものなのである。

 だから、夫が居ない時は、妻が自分中心で進めていっていいが、夫が居る時は夫を中心に時間を進めていけばいいのだ。この采配も母親が主導権を握っているからこそできるのであって、夫に育児を手伝わせるのではなく、まずは赤ちゃんに夫の体臭を嗅がせるべきなのである、この作業こそが、その赤ちゃんにきちんとした免疫力を持たせ、その子の将来において、恋愛や結婚で間違いが起こらないようにさせるものなのである。

 赤ちゃんにとっては、父親と一緒にお風呂に入るというのも、大事な出来事になる。一緒に入浴すれば、父親の体臭をきちんと嗅ぐことができるからだ。妻にとっても、夫が赤ちゃんと一緒にお風呂に入ってくれたら、その時間は妻にとっては自由時間になり、育児の負担も軽減するのだ。そういう巧い時間の使い方も、妻が育児の主導権を取っているからこそできるのである。

●夫の親族や、自分の親族の家を訪れる

 体臭は家系の影響を受けるものだ。正確にいうと、どの家系も子孫を残すために、巧い具合に違った体臭を揃えていくということをしているのだ。とすれば、その赤ちゃんが自分の両親だけでなく、自分の祖父母や、曾祖父母の体臭を嗅いでおけば、その家系の流れを嗅覚において記憶することができ、自分の免疫力を上げていくと同時に、自分が将来大きくなって、結婚相手を間違うことなく見つけ出すことができるのだ。

 よく、子育てを終えた人たちが言うには、「親戚回りをすると、子供はグレない」というが、赤ちゃんのうちに自分の親族の家を訪れ、その体臭を嗅いでおくと、自分の生命が巧く家系の流れに乗り、反抗期になって不必要な反抗をしなくなり、その分、そのエネルギーを自分がやりたいことに投入することが可能になるのだ。

 育児をしているなら、夫婦二人きりで赤ちゃんを育てていくのではなく、暇があるなら、夫の両親の家や、妻の両親の家に訪れて、赤ちゃんの顔見せ興行をしていけばいいのだ。赤ちゃんを連れていけば両親も喜ぶし、赤ちゃんも体臭を記憶できるし、両親からお小遣いもくれることだろう。三者がすべて利益を獲得できるようになるのだ。

 もしも、二世代一緒に暮らしているなら、もう一方の両親の方へ、赤ちゃんを連れて遊びに行くことを忘れないことだ。自宅にお爺ちゃんやお婆ちゃんが居ると、遂々、自宅に居ることに安穏としてしまい、赤ちゃんを連れて他人の家に出かけることが億劫になってしまうのだ。核家族なら身軽に出掛けることができても、自宅に既に体力が衰えている人たちがいると、そう簡単には出かけられないものなのだ。

 初めての赤ちゃんの場合、新米ママはどうしても赤ちゃんとべったりしてしまいがちだ。それはそれで当然に起こる現象なので致し方ないが、しかし、それが度を越してしまうと、赤ちゃんが他の人たちの体臭を嗅げないということになってしまい、逆に免疫力を下げ、将来にちゃんとした恋愛も結婚もできなくなってしまうのである。いくら育児に夢中になっても、赤ちゃんの大事なチャンスを奪ってしまわないことだ。

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「赤ちゃんの能力開発の基本」と「子供の大化け現象」 ~我が子を天才に教育していくことはできないけど、高い能力を与えることはできる~

●天才教育の不毛性

 初めての赤ちゃんなら、その赤ちゃんがこの世で最も愛おしく素晴らしい者だという感情を抱いてしまうのは解る。しかし、それが高じて「赤ちゃんは天才だ!」と思い込むのは、非常に良くない。生まれたての赤ちゃんは喋ることすらままならないし、一人歩きすらできないほどの未熟な体しか持っていなのだ。

 それなのに、この世にはそんな赤ちゃんの現実を無視して、赤ちゃんに天才教育を施そうとする人たちが跡を絶えないのだ。赤ちゃんにとって必要なのは、自分の母親に育児をされることであって、教育ではないのだ。だが、赤ちゃんに関することで、小さな嘘なら見破れる母親たちも、余りにも大きすぎる嘘だと、自分がそんな大きな嘘を日頃つかないために、まんまと騙されてしまうのだ。

 赤ちゃんは断じて天才ではない。これこそが育児をすれば誰もが解る事実であって、いかなる母親といえども例外はないのだ。赤ちゃんを天才にしようとする試みは、最初から異常な試みであり、最後は悲惨な形で終わるものなのだ。天才教育ほど育児においては絶対にやってはならない教育法だといっていい。では、天才教育がどのような法則で動かされているのか見てみよう。

天才教育の法則

 第一法則

  天才教育は天才でない人たちによって唱えられる。

 第二法則 

  天才教育は天才でない愚かな夫婦によって支持される。

 第三法則

  天才教育によって赤ちゃんを教育しても、その赤ちゃんは平凡か平凡以下か病的な大人にしか育ってくれない。

 これこそが、天才教育の実態なのである。天才教育のそもそもの誤りは、天才を人為的に育てられると思い込んでいることである。天才は或る日突然に発生してくるものなのだ。秀才たちを人為的に育てることができても、天才は人間の手で育てることができない以上、天才が出現して来た時に、多くの人々が称賛しようとするのである。

 自分の能力がそれほど高くなく、それなのにプライドだけが異様に高い夫婦は、どうしても自分の赤ちゃんに過剰な期待を持ってしまうのだ。もしも、自分が優れた教育を受けたのなら、もっと優秀になれた筈だという間違った思い込みが、今度は自分の赤ちゃんへと向かってしまうのだ。これは出発点が間違った思い込みから発している以上、間違った結果にしかならないのだ。

 天才教育はもう天才教育を施しても、その赤ちゃんが天才になることはないということが解っている。もしも、それだけ天才教育を施しているなら、日本国内は天才が続出している筈である。だが、実際は天災など誰一人出現して来ず、平凡な大人たちか、精神を病んでしまった大人たちを生み出してしまっているに過ぎないのだ。

●赤ちゃんの能力開発の基本

 赤ちゃんは教育されることによって能力を伸ばしていくのではないのだ。赤ちゃんには赤ちゃんなりの能力の開発の仕方があるのだ。赤ちゃんの能力開発の基本は「舐める」と「破壊する」と「ベビーマッサージ」である。この三つが揃うと、赤ちゃんの能力は他に抜きんでた能力を持ち始めるのである。

①舐めまくり

 新米ママにとって赤ちゃんの舐めまくりほど耐えがたいものはない。しかし、この舐めまくりこそ、赤ちゃんの能力を開発するものはないのだ。舐めまくりは、「現実認識能力」「理解力」「読解力」といった基本的能力をつけさせていくものだし、「美的センス」も舐めまくりによって生み出されるのだ。

 舌を常に動かしておくということでは、「オシャブリ」は非常に有効な手段なのである。最低でも3歳ぐらいまではオシャブリをさせ続けると、赤ちゃんはいつも舌を動かすことができ、基本的能力を大いに高めることができるのである。オシャブリをしているののは見っともないと思って、オシャブリを早くから外してしまうと、赤ちゃんは舌を充分に動かす機会を失ってしまい、能力を高めることができなくなってしまうのだ。

 舌の動きというのは、人間にとって基本的な能力を生み出していくことになるので、赤ちゃんの時に充分に舐めまくりをしておこないと、その後の人生でどう教育しても、能力が全く伸びてこないことになってしまうのだ。大人になって、冷たいジュースを飲んだり、アイスクリームを食べたり、タバコを吸うなどしてしまうと、舌の機能が衰えてしまうので、どうしても美的センスが貧弱になり、理解力も読解力も落ち、現実を正しく認識できなくなってしまうのだ。

②破壊活動

 新米ママにとって舐めまくり以上に耐えがたいものが、赤ちゃんの破壊活動である。だが、この破壊活動は、赤ちゃんの「想像力」を鍛え、「創造能力」をもたらし、「行動力」をつけさせることになるのだ。勿論、家中の物が破壊されてしまうのは困るから、積み木やブロックを与えるなどして、地道に破壊活動をさせる機会を与えていかなくてはならないのだ。

 赤ちゃんの時に充分な破壊活動をしていないと、どうしても想像力に欠けてしまい、そのために現実の中で処理しようとする小さな能力しか持たない人間になってしまうのだ。この手の人たちには創造能力など全くないので、せいぜい他人の欠点を指摘したり、特定のイデオロギーに立脚して自分が気に食わないものを断罪したり、日本と外国を比較して日本は遅れていると主張するだけになってしまうのである。

 創造という行為は、他人の欠点を指摘することではなく、逆に自分の長所を伸ばしてしまうことなのである。創造はイデオロギーから決して生まれず、寧ろ、些細な経験の中から生み出されていくものなのである。創造は日本と外国をいくら比較しても生まれて来ず、それどころか日本の生活に密着した中から生まれてくるものなのである。

③ボディーマッサージ

 新米ママがいとも簡単に赤ちゃんの能力を開発できるものが、「ボディーマッサージ」である。ボディーマッサージは赤ちゃんの「能力全般」を開発できるものだといっていい。特に赤ちゃんの精神を穏やかにさせるので、不必要な親子喧嘩をする機会が激減するので、その分、赤ちゃんは自分の時間を充分に確保することができるようになるので、それだけ赤ちゃんは自分の能力を伸ばしていくことができるようになるのだ。

 ボディーマッサージは、赤ちゃんの毛細血管に充分な血液を通して、全身の血行を良くする以上、脳に大量の血液が注ぎ込まれ、脳細胞の量を増やすことができるようになるのだ。人間の脳は小学生を卒業する辺りまで、脳細胞自体が増加していくので、それまではボディーマッサージをし続けることだ。風呂上がりを利用すれば、数分でできてしまうものなのである。もしも子供が母親のボディーマッサージを嫌がるようになったら、自分でボディーマッサージをする習慣を身につけさせることだ。そうすれば母親の手を借りずとも、自分で自分の能力を伸ばしていくことができるようになるのである。

●人間の能力の根源は皆同じである

 大人になれば、人間の能力は千差万別なものになってしまう。だが、人間の能力の根源は皆同じであるといっていいのだ。人間の根本的能力は満2歳までに出来上がるといっていいのだ。この期間に舐めまくりや破壊活動やボディーマッサージを充分にさせておくと、脳細胞そのものが大きくなり、その成長の勢いで以て、その後の成長において高い成長率をマークしてくるようになるからだ。

 昔の人たちが「三つ子の魂、百まで」と言い続けてきたのは、何度も育児をしてきてみて、結局、その後の教育によって能力が左右されるのではなく、実は赤ちゃんの時の育てられ方こそが、人間の基本的な能力を左右してしまうということが解ったからなのである。数えで三つ子なら、満年齢では2歳である。丁度、授乳の時期が終わった頃までに、赤ちゃんの基本的な能力は決定してしまうのだ。

 後世に名を残す天才たちや、秀才として世に時めいている人たちは、その殆どが母親の深い愛情のもとで育ってきたということに、最大限の注目をしていい。人間の能力というものは、母親の母性愛なくして育ってこないのである。「お前は生きているだけで素晴らしいんだよ」という母性愛が赤ちゃんに充分に注がれると、その赤ちゃんの人生に後退がなくなり、前進あるのみの人生に変わっていくのである。それこそが、その人たちに能力を開花させる最大のチャンスを与えることになったのである。

 天才教育を躍起になってやっている夫婦は、自分の赤ちゃんを天才しようという意気込みだけが優先してしまい、母親が母性愛を注ぐということを忘れてしまっているのだ。赤ちゃんは母性愛さえ貰えれば、生きていくことに自信が持て、色々なことに関心を持ち始めるのだ。そういった中で能力を開花させていくのであって、無理矢理に天才教育を施しても、天才になってくれるわけがないのだ。

 人間の成長には順序というものがあるのだ。赤ちゃんの時は根源的能力を身につけていく時期なのである。根源的能力があれば、いずれ専門的な能力が花開き始めるのである。しかし、赤ちゃんの時に充分に根源的能力を身につけさせておかないと、その後、どのような教育を施しても、専門的な能力が開花してこないものなのである。赤ちゃんに物を教えれば、確かに赤ちゃんは覚えていくことだろう。だが、そうやって物を覚えても、4歳か5歳の頃に幼児は赤ちゃんの頃の記憶を忘却してしまう時期を迎えるので、ばっさりとその記憶が消え去ってしまうのだ。そして、そこには平凡極まりない、それどころか赤ちゃんの頃に充分に根源的能力を身につけていないために、他の子供たちよりも遥かに劣る子供に成って行ってしまうのである。

●子供の大化けを見逃すな

 赤ちゃんへの天才教育は、赤ちゃんの成長の仕方を全く無視したものだと言っていいだろう。かといって、全く天才を作り出せないかというと、そうではないのだ。人間は天才を作ることはできないけど、子供たちが大化けする機会を作り出すことはでき、その機会を利用してその子供は飛躍的に能力を伸ばすことができるのだ。

 赤ちゃんに教育は必要ないが、乳児が終わり幼児になると、教育を施すことは可能になる。「教育は3歳に成ってから」というのが子育ての鉄則なのである。「ヴァイオリン」や「ピアノ」を習わすにしても、3歳になってからというのが、教える側にとっての常識なのである。3歳になってから教えれば、幼児といえども学んでいくことができるようになるのである。

 人間の脳は小学生の或る時期に急激に成長する時期を迎えるので、この時期を巧く捉えて能力を飛躍的に伸ばしていくことが可能になるのだ。スポーツ選手を育てるなら、この時期を決して外してはならないだろう。この時期にそのスポーツの基本を叩き込んで教えれば、脳が体の動きを記憶してしまうために、遅れてそのスポーツを遣り出した人たちに対して、圧倒的な格差をつけることができるようになるのだ。

 小学生になれば脳細胞の急激な成長が始まるので 子供たちに書物を暗記させてしまうことだ。『古事記』や『論語』や『大学』といった古典や、『日本政記』や『日本外史』のような歴史書を暗記させてしまうことだ。小学生の頃に暗記させておくと、暗記の回路ができあがり、その後の学校の授業でもいとも簡単に記憶していくことができるようになるのだ。ただ、記憶の回路をつくるためには、「古典」であり、しかも「名文」であり、その内容が素晴らしいものではなくてはならないのだ。

 赤ちゃんは赤ちゃんらしく育てるべきだし、子供は子供らしく育てていくべきなのである。赤ちゃんには赤ちゃんの時にだけ大切なことがあるし、子供には子供の時にだけ大切なことがあるのだ。そして子供には大化けしていく機会を与えてあげることなのである。それができるのは、その子供の両親だけなのである。要は「タイミング」なのである。自分の子供が大化けする機会を見逃さないためにも、教育を学校任せにしないで、夫婦自身が子供とちゃんと向き合って育てていくことだ。

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赤ちゃんの「心の傷」を癒すもの

●自己制御できない人々の深い心の闇

 人間が精神的独立をし始めた頃に得られるのが、「自己統御」であるといっていい。若者が思春期に精神的自立を成そうとしていく時は、自分を自分で統御するというのが一番難しく、自分が感情的に成ってしまったり、性欲を暴走させてしまったり、自分の生活費すらきちんと管理できないものだ。そうやって青春時代を過ごして、社会に出て働き、精神的自立を成し遂げていくと、自分の感情を制御し、性欲を暴走させることなく、生活費もきちんと管理することができるようになるのだ。多くの人々にとって、自己統御がしっかりとできるようになるのは、結婚を機にそれまでの自分を捨てて、夫婦で人生を歩んでいこうと決意した辺りからであろう。

 しかし、この世には自己制御ができない人たちが居る。結婚適齢期を過ぎても結婚できなければ、恐らく自分の感情すら制御できない人たちだし、かといって、結婚したとしても、夫婦が自己統御できなければ、それそれで悲惨な結果にしか成りはしない。結婚はあくまでも自己統御ができているであろうという目安であって、自己統御できる人たちが結婚すれば、結婚生活がバラ色になるだけであって、自分が結婚するための条件を満たしていなければ、結婚は確実に破綻していくのだ。

 もしも、本人が「心の病」を負っているなら、自己統御は不可能になってしまうことだろう。「ADHD」(注意欠陥多動性障害)のように、いつも落ち着きのない人や、「PTSD」(外的外傷後ストレス障害)のような症状を発してしまい、いつも他人の目が気になる人は、精神的自立を果たすというのが、非常に困難になるので、いつまでの自分の心を抑えていくことができないのだ。

 また、精神的に自立していなければ、洗脳されてしまう危険性があることだろう。淫祀邪教や社会主義やフェミニズムに洗脳されるような人々は、精神的自立を成し遂げていないばっかりに自己統御ができず、洗脳力の強いイデオロギーに触れてしまうと、自分の心をガバッと鷲掴みにされてしまうのだ。

 麻薬犯罪は悪いことだというのは、誰もが知っている。人を殺すことは悪いことだというのは、みんな知っているものだ。それなのに、自己統御できないばっかりに、悪の道に走り、麻薬に手を出したり、殺人事件を引き起こしてしまう人たちが跡を絶たないのだ。よりによって知的エリートたる大学生が麻薬に手を出したり、我が子を児童虐待で死に至らしめるという母親たちだっているのだ。

 自己統御できない人たちの心の闇は、相当深く、そして暗いのである。自分の心の中にある心の闇が、自分の心を暗く覆い尽くしてしまい、自分を自分でなくさせてしまい、悪行に走らせるのである。実は、この心の闇は満2歳までの間に起こったことが、自分の心に心の傷をつけてしまい、それが自分の成長と共に大きくなり、心の闇となっていくのだ。要は、自分が赤ちゃんの頃に起こったことが、大人になって復讐を仕掛けてくるのである。

●出生時の心の傷を癒すもの

 人間が最も深く心の傷を負う時は、実は「出生時」であるのだ。赤ちゃんはそれまで母親のお腹の中に居たので、それがいきなり外界に出て来るのである。これは人間が経験するであろう最大の衝撃であって、その瞬間をきちんと祝福された状態にしておかないと、生まれたての赤ちゃんの心は傷ついてしまうのである。

 この点に関して、病院での出産は、最悪までに赤ちゃんに心の傷を負わしてしまうのだ。病院での出産状況が、余りにも非人間的になってしまったからだ。殺風景な場所に生まれてきてしまえば、その赤ちゃんは殺風景な人生を歩んでしまうものなのだ。しかも、出生後に母親と赤ちゃんが切り離されてしまえば、赤ちゃんには最大級の心の傷を受けてしまうのだ。どの哺乳動物でも出生後に母親と切り離される赤ちゃんなどいないのである。

 しかし、助産院で出産すれば、いいというわけではない。助産院でも、母親の出産の仕方が拙いと、赤ちゃんは心に傷を負うものなのである。赤ちゃんがこの時間に生まれたいと思っているのに、母親の方の事情で遅れてしまったり、早すぎてしまったりすると、赤ちゃんは自分の母親とどうしてもタイミングが合わず、心の傷を負ってしまうのだ。

 また、折角生まれてきたのに、父親が出生直後に性別にケチをつけるというのも、その赤ちゃんに深い心の傷を負わす原因になってしまうのだ。例えば、男の子を強く熱望する余りに、女の子が生まれてきてしまうと、「なんだ女の子か!」と言い捨ててしまったり、逆に女の子を強く熱望する余りに、男の子が生まれてきてしまうと、「なんだ男の子か!」と言い捨ててしまうと、その赤ちゃんは生涯に亘って心の傷を負い続けてしまうものなのだ。両親が最初にな投げかける言葉は非常に大切なのである。

 赤ちゃんは知能が発達していないので、赤ちゃんは知らないだろうと思うのは大間違いで、赤ちゃんはきちんと覚えているものなのだ。しかし、人間は4歳か5歳になると、急激に変わって新たな成長を仕出すので、それ以前の記憶を消し去ってしまうのだ。その現象が起こる前なら、赤ちゃんは出生時の記憶を覚えているものだし、それが4歳か5歳になると忘却すると同時に、無意識の世界へと沈澱していくだけなのだ。

●育児での心の傷を癒すもの

 赤ちゃんが出生時と同じく心の傷を負ってしまいがちな場所が、育児の現場においてである。これは大方、母親が未熟なために、赤ちゃんの心を汲み取ることができず、そのために赤ちゃんが欲していない行動を平気で取ってしまい、それによって赤ちゃんの心に傷がついてしまうのだ。

 赤ちゃんは生まれてから長らく話せないので喃語やベビーサインを送って母親と会話をしようと仕出す。だが、新米ママの場合、未熟なために、赤ちゃんの喃語やベビーサインに気づいてやれないので、どうしても巧く意思疎通が図れず、赤ちゃんは母親の遣ること成すことに自分の心を痛めてしまうのである。

 また、赤ちゃんと意思疎通の図れない母親は往々にして、育児ストレスで一杯になるものである。育児ストレスで母親の心がここに在らずの状況になってしまうと、赤ちゃんは凄まじいまでに不安を覚えてしまい、それによって赤ちゃんの心に傷がついてしまうのだ。育児をする時は、とにかく真剣になって赤ちゃんに向き合ってさえいれば、それだけで赤ちゃんは嬉しいものなのである。

 赤ちゃんにとっては満2歳までは、どうしても母親を必要とするので、その間に母親が働きに出て行ってしまい、自分が保育園に預けられようものなら、深く心に傷を負ってしまうものなのだ。保育園に赤ちゃんを預けると、赤ちゃんが大泣きするのは、このためなのである。あれだけ大泣きして、心に傷がつかないわけがないのだ。通常の育児で、どんなにヘマをやらかしても、赤ちゃんはあそこまで泣かないものである。

 赤ちゃんに性格が露わに成り始めると、女の子の場合、その性格は明らかに母親そっくりになってしまうものなのである。それゆえ、女の子が何かを仕出かすと、母親の方は「一体誰に似たんでしょ!」と吐き捨てて、女の子の気持ちを大いに害してしまうものなのである。これは女の子を育てた場合、どの母親も経験することなのである。

 その一方、男の子は成長が遅いので、男女平等だと思い込んでいる母親は、遂々、女の子と比較してしまい、「男の子ってバカなのよ!」と吐き捨ててしまうのだ。この場合、男の子は何も言わないものだが、だが、実際には心に大きく傷を負ってしまうのだ。男の子が思春期になって不良の道に走ると、手がつけられなくなるのは、子供の頃に母親にバカにされてしまって、心に傷を負っているからなのである。

●心の傷を癒すボディーマッサージ

 赤ちゃんは出産時でも育児をされている時でも、心に傷を負ってしまうものなのである。心の傷は肉体上の傷ではないので目には見えないが、この心の傷こそ、その赤ちゃんの心を歪めてしまい、その後の人生を誤らせてしまうものなのである。もしも、心の傷が深ければ、その心の傷は心の闇へと成長していき、その人を悪の世界へと引き摺り込んでしまうのだ。

 だからこそ、その心の傷を癒すのに必要となるのが、「ボディーマッサージ」なのである。赤ちゃんに対してせっせとボディーマッサージを施していくと、いかに心の傷を負ったとしても、赤ちゃんの心の傷は癒されていき、心を完全円満なものにすることができるようになるのだ。

 赤ちゃんが大泣きして、母親の心を惨憺せしめる時は、赤ちゃんを泣きやまそうとする努力をするだけではなく、「赤ちゃんは相当に心を痛めているのだな」と思った方がいいのだ。育児というのは、誰がやったとしても、赤ちゃんに心の傷を負わしてしまうものなのだ。完璧に育児を遣り遂げる母親など、この世には存在しないのだ。どの母親も多少なりは赤ちゃんに悪いことをやってしまうものなのである。

 特に、どうしても仕事に行かなければならない母親たちは、赤ちゃんを大泣きさせて保育園に預けている以上、仕事を終えたら赤ちゃんにボディーマッサージをしてあげて、赤ちゃんの心の傷を癒してあげることだ。この作業をするだけで、赤ちゃんの心の傷は取れていくものなのだ。

 どんなに疲れていても、沐浴の後にささっとボディーマッサージをやってしまえば、数分で終わってしまう作業なのである。こんな作業で心の傷が癒されていくのだから、育児をしている母親にとっては非常に有難いものなのである。しかも、ボディーマッサージをすれば、赤ちゃんの寝付きが良くなるので、寝かしつける時間すら短縮できてしまうのである。

●心の傷をつけるのも人なら、心の傷を治すのも人である

 心の病を精神科医たちは、薬の投与で治そうとしているが、心の病は絶対に投薬では治らない。殆どの精神病は、出生時や育児で心を傷付けられたことが原因で発症してくるものだからだ。乳幼児の時に負ってしまった「心の傷」こそが精神病の根本的原因で、精神科医たちがこれが精神病だと認定しているのは、表面的に現われてくる症状にすぎないのだ。だから、精神科医たちがいくら治療しても精神病は治らないのだ。

 病院で出産する率が上がっていくと同時に、精神病を発症する大人たちも増え、学校で男女平等を洗脳されてしまった女性たちが増えるたびに、凶悪犯罪を仕出かす大人たちも増えていったのだ。そもそも妊娠や出産が病気でない以上、病院で出産すべきではないし、育児は母親が中心的になって行う以上、男女平等に取りつかれてしまえば、まともな育児すらできなくなってしまうのだ。その大人たちの滅茶苦茶な出産や育児によって、赤ちゃんたちは心に無数の傷をつけられてしまい、それが大人になってから、自分で自分を苦しめていくようになるのである。

 この世には、完全に正しい人などいないものだ。いかなる人であっても多少の悪事はやってのけるのである。だから、新米ママが傷つけたものは、新米ママの手で治すのである。母親だからこそ、赤ちゃんの心の傷を治すことができる。心の傷をつけるのも人なら、心の傷を治すのも人なのである。

 完璧な母親を目指すより、いかに試行錯誤し、失敗してもそれをきちんとカバーできる育児の仕方の方が現実的である。赤ちゃんを産み育てていったなら、出産時でも、育児をしている最中でも、何かしらのミスをやってしまうものなのである。そういうミスをしたとしても、ボディーマッサージを赤ちゃんに施すことで、そのミスをカバーしてしまえばいいのである。

 赤ちゃんの方も、心の傷が癒されたなら、明朗快活になって元気一杯になっていくものなのである。その姿こそが赤ちゃんとして正常な姿なのだ。そうすれば新米ママの方も、育児をすることに無数の喜びが溢れ出てくるものなのである。赤ちゃんの笑顔こそ、新米ママの育児疲労をすべて吹き飛ばし、最大限の喜びを与えてくれるものなのである。自分の赤ちゃんに心の傷を負わせてしまった場合、赤ちゃん以上に心を傷つけているのは、何よりも新米ママ自身なのである。だからこそ、育児を巧く行えれば、自分の心に傷がつくことがなくなり、自分自身も明朗快活になって元気一杯になっていくのである。 

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赤ちゃんのすべての能力をたかめる「ボディーマッサージ」

●日本の伝統育児技「小児按摩」

 西洋医が学の流入によって、日本の主流の医学であった漢方医学は壊滅的な打撃を受けたといっていい。西洋医学は、漢方医学だけでなく、産婆を壊滅させたし、「小児按摩」という日本の伝統的な育児技術まで破壊してしまったのである。漢方医学も産婆も小児按摩も、西洋医学に対して決定的に欠けていたものは、「科学的思考」だった。問題があるなら、仮説を立て、それを実験で実証し、問題を解決していくという思考を、完全に欠如していたのだ。そのため、学問や技術は停滞してしまい、西洋医学からは「科学的ではない!」の一言でバッサリと切り捨てられてしまったのだ。

 とは言え、漢方医学も、産婆も、小児按摩も、効果がないわけではないのだ。ちゃんと効果があるのだ。だからこそ、西洋医学がどんなに全盛になろうとも、漢方医学は復活して、漢方薬を服用する人々は居るし、産婆は助産婦になって復活して、病院で出産するよりも、助産院で出産した方が楽しかったという人々はちゃんと居るのだ。

 しかし、小児按摩だけはそうではなかった。西洋医学の流入と共に、小児按摩は絶滅したといってもいいのだ。小児按摩は乳幼児の死亡率の高かった時代には、非常に有効的な技術でであった。日本で乳幼児の死亡率が高かった最大の原因は、仏教の影響によって肉食が禁じられてしまい、動物性食品からしか摂取することができない「ビタミンB12」が決定的に不足してしまったからなのだ。そのために妊婦は胎児のために充分な血液を作ることができず、胎児は妊娠中から血液不足の状態で育ってしまい、それゆえ、出生してからも血液不足に悩まされてしまい、それで命を落としてしまったのだ。

 小児按摩は、そういう状況下の赤ちゃんに対して、マッサージを施すことで、血液の巡りをよくしてあげ、少ない血液でもちゃんと成長できるようにすることができた優れ技であったのだ。現在では日本民族の殆どは仏教の肉食禁止の戒律から解放されているので、ビタミンB12の不足に陥っていないから、この優れた技術の凄さを完全に忘れ去ってしまったのだ。

 小児按摩は赤ちゃんの血行を促進する以上、いくらでも見直されていい技術であるのだ。健康な赤ちゃんに対して小児按摩を施せば、より健康な赤ちゃんにもなるし、もしも、病気を発症している赤ちゃんであるならば、早い段階で施せば、非常に高い効果を得られる筈である。

●ボディーマッサージの威力

 小児按摩はわざわざ整体師の所に行かなくても、自宅で「ボディーマッサージ」という形で簡単にできてしまうものなのだ。要は新米ママがこのボディーマッサージの威力を知って、それを自分の赤ちゃんに施せば、自分の赤ちゃんは最高レベルの健康を獲得することができるのである。

①発育促進

 まず、赤ちゃんにボディーマッサージをすれば、発育が促進されるのだ。ボディーマッサージは赤ちゃんの全身にマッサージを施すことで、すべての血管に血液を行き渡らせることで、血流を促進させ、それによって老廃物と毒素を排出させ、新たな栄養素や酸素を送り込むことで、赤ちゃんの成長がより健康的な形で展開されていくのだ。

②消化促進 便秘解消

 赤ちゃんの内臓は消化吸収の能力が低いし、排泄の機能も低いのだ。そのため、新米ママが母乳をしっかりと与えても、赤ちゃんの方がちゃんと消化吸収してくれるとは限らないし、便秘にだってなることがあるのだ。そこで赤ちゃんにボディーマッサージによって内臓を刺激してあげると、「消化」「吸収」「排泄」の能力が高まり、充分に消化吸収でき、便秘することなく排泄もきちんと行えるようになるのだ。

③運動機能向上

 赤ちゃんは言わば寝たきりの状態から、一人歩きができるまで、約1年間かけて運動機能を向上させていくのだが、ボディーマッサージはその成長に対して、最大限のバックアップをすることができるのだ。ボディーマッサージをすればするほど、筋肉や神経が刺激されるので、より高いレベルでの成長が可能になるのだ。

④知能向上

 ボディーマッサージは血行を良くし、全身に刺激が与えられる以上、赤ちゃんにとっては脳を成長させ、知能を高くすることができるようになるのだ。昔の日本人で栄養状態が悪いにも拘わらず、知能が高い人物が出現できたのは、小児按摩が存在していたからなのである。現在でも、母親がボディーマッサージを施せば、赤ちゃんの知能は格段と高くなり、その後の人生で活躍が期待できるようになるのだ。

⑤免疫力アップ

 赤ちゃんにとっては生後2年まで、自分で抗体を作り出すことができないゆえに、免疫力は非常に低くなってしまうのだ。そこでボディーマッサージを赤ちゃんに施し、皮膚を鍛えさせると、免疫力を最大限に上げることができ、病気に罹らなくて済むようになるのだ。乾布摩擦が大人にとって病気をさせない健康法であると同時に、ボディーマッサージは赤ちゃんを病気にさせない健康法でもあるのだ。

⑥寝付きの良さ 

 赤ちゃんは必ずしも夜になったら寝てくれるわけではない。寝付きの悪い赤ちゃんだって存在しているのだ。そういう赤ちゃんに対して、沐浴後にボディーマッサージを施すと、赤ちゃんは睡魔に襲われ、簡単に寝付いてくれるのだ。新米ママにとっては赤ちゃんが早くに寝付いてくれれば、それだけ自由時間を持つことができるので、沐浴後にはボディーマッサージを赤ちゃんに施して、早くに赤ちゃんを寝付かしてしまおう。

⑦夜泣きの防止

 夜泣きがひどくて困っているというなら、ボディーマッサージをすればいいのだ。夜泣きのひどい赤ちゃんは日中において母親と充分なスキンシップをしていないので、ボディーマッサージをすることによって、赤ちゃんとの肌の触れ合いの時間を多くすれば、赤ちゃんはひどい夜泣きをするということがなくなるのだ。

●ボディーマッサージの仕方

 ボディーマッサージの遣り方は至って簡単で、ただ赤ちゃんに素手でマッサージをしていくだけ。赤ちゃんに肌は充分に水分があるので、手にクリームを塗らずに行うのだ。手順としては、まず心臓の場所に手を当て、そこから足までマッサージしていき、足の裏をマッサージして、そこから心臓まで揉んでいくことだ。

 背中の場合は、その逆で、まずは足の裏をマッサージして、そこから足を通り、背中を通り、首元までマッサージをしていけばいい。そして首元から足の裏まで一気にマッサージをしていくのだ。背中にすると赤ちゃんの顔が見えなくなってしまうので、赤ちゃんの顔をチラチラと見ながら、手加減しながらマッサージをしていくことだ。

 腕に関しては、まずは手をマッサージしてあげ、その後、腕へとマッサージをしていき、肩の付け根まで揉んでいくのだ。そしてその肩の付け根から、腕へとマッサージをしていき、手の場所へと戻っていくのだ。赤ちゃんの手のヒラはツボがたくさんあるので、丹念にマッサージを施すことだ。

 赤ちゃんの頭に関しては、首から顔を通り、後頭部へとマッサージをしていくことだ。赤ちゃんはまだ毛が薄く、細いので、マッサージをしている最中に毛を巻き込まないように、滑らかにマッサージを施していくことだ。頭部は直接的に知能の向上に深く関係している所なので、愛情を込めながら、優しく丹念に行うことだ。

 ボディーマッサージをする時間帯は、赤ちゃんが目覚めて、朝の沐浴を済ませた後で、まずは朝のボディーマッサージを行うことだ。朝のボディーマッサージは日中の活動を活発にさせるものだ。次は夜の沐浴後にボディーマッサージを施せばいい。夜のボディーマッサージは打って変わって睡眠を誘導するためのものだ。赤ちゃんは体が小さいので、1回5分以内で終わってしまうものだ。それゆえ、1日2回やったとしても、新米ママにとって負担にはならない筈だ。それどころか僅か1日2回のボディーマッサージで、劇的な効果が現れ、育児が今までとは有り得ないほどに楽に行えるようになるのだ。

●赤ちゃんと触れ合うからこそ、赤ちゃんの能力は向上する

 赤ちゃんには、生まれながら持った能力というものがある。それが「才能」というものだ。もうい一方で、赤ちゃんは生まれ育った環境でその能力が左右されてしまうのだ。それが「技能」である。才能と技能が相まってこそ、その人が持てる能力を最大限に発揮していくことができるのである。

 赤ちゃんが生まれながら才能を持っていても、母親がその才能を否定してしまえば、その赤ちゃんは大きくなって才能を発揮することなどできないことだろう。その赤ちゃんがなんの才能を持たずに生まれても、母親が愛情を以て育て、技能を与えてあげれば、その赤ちゃんは大きくなってその技能を発揮することができるようになるのだ。

 それゆえ、赤ちゃんの能力は母親次第といっていいのだ。より正確に言うと、赤ちゃんの生来の能力と母親の育児の仕方で、その赤ちゃんの能力は大体決まってしまうものなのだ。後世に名を残す偉人たちはすべて、母親の深い愛情と、その育児の巧さがあったからこそ、大人になって自分の能力を開花することができ、後世にまで伝わるような功績を打ち立てることができたのである。

 では、どうすれば赤ちゃんの能力を最大限に高めることができるかといえば、母親が赤ちゃんと触れ合う時間を多くすることだ。赤ちゃんと遊ぶ時間を多くするとか、外気浴の時間を多くするとか、沐浴を日々行うとか、そしてボディーマッサージをするとかで、赤ちゃんの能力を開発していけばいいのだ。赤ちゃんは母親と触れ合うからこそ、赤ちゃんの能力は向上していくのだ。

 人間の脳は出生後から小学生6年生まで急激に成長していくのだが、その中でも出生後から幼稚園児までは非常に猛スピードで成長していくので、この時期にボディーマッサージを日々行っていくと、脳の容積量を圧倒的に多くすることができ、他の子供たちとは比較にならないくらいに高い知能を持つことができるようになるのである。

 ボディーマッサージだけでなく、入浴という肌の触れ合える機会を大切にすることだ。赤ちゃんが大きくなって喋れるようになったら、お風呂場で会話をして楽しめば、その赤ちゃんはより高い言語能力や、人間関係の巧みさを作り出すことができるだろう。男の子の場合、小学生の或る時期に達すれば、母親との入浴は嫌がるものだが、それでもそれまでの間は、お母さんと一緒に入浴するように心掛けることだ。母親とお風呂に入っている期間が長い男の子ほど、思春期に入ると、能力を飛躍的に伸ばしていくことになるからだ。

 小児按摩は現在失われてしまった伝統技なので、新米ママがせっせとボディーマッサージを自分の赤ちゃんに施せば、他の赤ちゃんに比べて非常に素晴らしい健康と、非常に高い知能を持つことができるようになるのだ。学校崩壊で学力の低下が問題になっているこの御時世だからこそ、地道にボディーマッサージを施して、学力低下を問題にしている学者たちが足元にも及ばないほどの高い知能を、自分の赤ちゃんに持たせてあげることだ。そうすれば、いかに学校が崩壊しようと、大学の知的レベルが下がろうとも、いずれ頭角を現し、後世に名を轟かす人物へと成長していくようになるのだ。

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赤ちゃんの想像力を高める「積み木」と「ブロック」

●赤ちゃんの破壊に怯えるくらいなら、破壊できる物を与えよ

 赤ちゃんが自分で動けるようになってから起こる破壊活動は、実は赤ちゃんの知能を高め、その後の将来で創造能力を発揮していくためには、非常に重要なトレーニングなのである。しかし、今まで殆ど動かず、可愛かった赤ちゃんが突然に破壊活動を仕出すことに、その赤ちゃんを育てている母親自体が理解しきれないのだ。

 女性である母親ほど、「破壊の威力」を知らない。結婚して妻になり母親になるような女性であるならば、最早、何かを破壊して、その破壊に喜びを見出すことはなくなってしまっているからだ。破壊するのではなく、今ある現状を維持して、平穏に暮らしていきたいという思いが圧倒的に強いからだ。

 だが、当の母親ですら、赤ちゃんの頃には破壊活動をやっていたのである。それなのに、自分が母親になってしまえば、赤ちゃんの破壊活動を禁止するようになってしまい、そのために自分の赤ちゃんの成長が歪なものになってしまうのだ。赤ちゃんは赤ちゃんの時に破壊活動を充分にしていなければ、自分の能力を高めていく機会を失ってしまうのだ。

 新米ママなら、赤ちゃんが何か物を壊せばすぐさま叱るという光景が、何度も繰り返されることだろう。母性愛を発揮せねばならぬと思っている母親ほど、自分の思いとは正反対のことを日常的に行ってしまっているのだ。愛は万能ではないのだ。この世には愛を叫びながら、愛とは正反対のことをやっている人たちはいくらでも居るのだ。「愛こそすべて」とは思うのではなく、成果を巧く作り出すことができる「テクニック」を習得すべきなのである。

 赤ちゃんがいくら破壊活動を行っても、母親が怒ることなく、赤ちゃんの自由に行えるもの、それは「オモチャ」なのである。オモチャこそ赤ちゃんの破壊活動を充分に満たし、赤ちゃんの知能を飛躍的に上げ、赤ちゃんのその後の人生で創造能力を高めていくことはできる代物なのである。赤ちゃんの破壊に怯えるくらいなら、赤ちゃんに破壊できる物を与えればいいのである。

●赤ちゃんのオモチャは古典的な物の方が優れている

 赤ちゃんに与えるオモチャは何も最新の電気機器を使った物など要らないのだ。赤ちゃんが使うオモチャは古典的な物の方が、圧倒的に優れているのだ。赤ちゃんの破壊活動を充分に満たし、創造能力を最大限に高めることができる物は、「積み木」であり、「ブロック」であるのだ。

 積み木なら満1歳前後から与えても大丈夫だし、ブロックは赤ちゃんの舐め回し攻撃が終わってから与えればいい。ブロックの場合、赤ちゃんがそのブロックを飲み込んでしまう危険性があるからだ。赤ちゃんに積み木やブロックを与えると、家に居る時、気が向けば延々とやっているものなのだ。赤ちゃんにとってはこれほど楽しいものはないのである。

 積み木やブロックを作っては壊し、作っては壊しを続けていくと、赤ちゃんの脳の内部で劇的なことが起こっているのである。それは物事を立体的に捉えことができるようになるのである。生まれた当初、赤ちゃんは視力が弱いし、経験値も少ないので、物事を表面的にしか捉えることができないのである。しかし、積み木やブロックで遊ぶことで、物事を立体的に捉えることができるようになり、脳の内部で創造能力が生み出されていくのである。

 文学作品でも、学術論文でも、音楽作品でも、美術作品でも、優れた作品には必ず奥行きがあり、その作品が立体的になっているのだ。例えば、文学作品の場合、その作者が文字を書き連ねて、物語を展開していけば、一応、作品としては成立する。しかし、その作品が優れた作品であるか否かは、読者たちが何度も読んで行って、その作品に奥行きがあり、立体的になっていない限り、決して名作にはならないのだ。世に名作と称される物や、古典として認められる物は、すべて長い時間をかけて篩にかけていって、これは奥深いと思い、その作品の内部に立体的な物が存在しているからこそ、名作や古典として命を保っていくのである。

 実はこの能力は、その作家が赤ちゃんの頃に積み木やブロックで遊んでいないと出来上がらないものなのである。大人になってから、いきなり作家になろうとしても、或る程度のレベルの物までは書けても、それ以上の物は絶対に書けないのだ。赤ちゃんの時に充分に遊んでいないと、その人の脳の内部に創造能力が生み出されないのである。

 小学生や中学生や高校生の頃にやった知能テストは、主に立体的認識ができるか否かを計っているのだ。立体的認識が高ければ、その人の学校の成績や科目の得意不得意に関係なく、その後の将来で創造能力を発揮してくる可能性が非常に高いのだ。立体的認識こそ知能の根幹だからだ。

●オモチャを使うと赤ちゃんの頭の中に何が起こるのか?

 大人の母親にとってみれば、赤ちゃんの遊びは、無意味な遊びに見えるかもしれない。大人の遊びとは全然違う遊びをしているからだ。赤ちゃんには赤ちゃんがしたい遊びがあるので、この遊びをきちんとしておかないと、その代償として、家中の物を破壊してくるようになるのだ。

 赤ちゃんの頃から小学生の頃まで、人間の脳は急激に成長していく。そのためこの時期に脳に質の高い刺激を与えれば、脳は自然と成長し、高い知能を持たせてくれるようになるのだ。赤ちゃんの脳の成長を促すものはいくらでもあるけど、オモチャを使った遊びこそ、赤ちゃんの脳を最大限に成長させていくことができるのだ。

 オモチャを使う赤ちゃんの頭の中で一体何が起こるかといえば、積み木やブロックを見ながら手を使うと、脳細胞が増加し、シナプスが増えていくのだ。赤ちゃんに知能が高まってくると、それまでは平面的にしか捉えられなかった物を、立体的に捉えることができるようになり、自分が目に見えている物だけではなく、見えない物まで見えてくるのだ。

 女の子の場合、これが長じていくと「お人形さんごっこ」になり、女の子らしく人間関係を中心にした遊びを展開してくるし、男の子の場合は、これが長じてくると「ミニカー」や「鉄道模型」を使った遊びになり、男の子らしく人間関係など一切なく、動く物を中心にした遊びを展開してくるのだ。

 赤ちゃんは決して男女平等ではなく、最初の頃は性差が目立たなくても、赤ちゃんが自分で遊べるようになると、性差が如実に現れてくるのだ。男の子の場合は、やはりハンターとしての能力が赤ちゃんの頃から存在しているし、女の子の場合は、やはり男たちが狩猟で出て行った後、女同士でお喋りをしながら家事や育児をしていく能力が、赤ちゃんの頃から存在しているのだ。男女平等を唱える人々は、人間が既に赤ちゃんの頃から性差が現れてくるという事実を完全に無視して、異常極まりない妄想を唱えているにすぎないのだ。

●人間の創造能力は乳幼児の時に殆ど決まってしまう

 赤ちゃんの成長スピードも、男女平等ではない。大概、女の子の方が男の子よりも成長が早いので、女の赤ちゃんが積み木やブロックで遊ぶ期間が、男の赤ちゃんよりも短いのだ。そのため、遅くまで積み木やブロックで遊んでいる男の赤ちゃんの方が、成長が遅いくせに、その後の人生で大いに能力を伸ばしてくるのである。

 よく、フェミニストたちの常套句で「日本は男社会だから」という言い方があるが、日本の社会だけでなく、どこの国の社会でも、圧倒的に男の方が仕事をする能力が高いからこそ、出世して、高い地位に就いているのである。それはその社会が差別的に作られているのではなく、赤ちゃんの時にいかに長く積み木やブロックで遊んだ違いが、大人になって能力の差となって現れてきているにすぎないのだ。

 女性の場合は、創造能力が欠けた分、人間関係の処理の仕方に圧倒的な能力を発揮するのだ。男性の中で創造能力のある男性ほど、人間関係の処理の仕方が下手なのである。人間は何かの能力が発達すれば、別の何かの能力が衰えてしまうものなのである。自分に創造能力がなく、その反面、人間関係の処理の巧い女性なら、創造能力の優れているけど人間関係の処理の下手な男性と組んで仕事をすればいいのである。そうすれば、自分の性差のマイナス点を補えることができるのだ。わざわざ男女の性差の解消に躍起になり、日本の社会を改造してく必要性など、どこにもないのだ。

 また、よく教育関係の人たちは、「日本人には創造性がない」という言い方をしてくるのだが、これはそのようなことを言っている人たちが、子供の頃から教育ばかり受けてしまい、子供の頃に充分な遊びができなかったゆえに、大人になってから創造能力を伸ばすことができなくなってしまったのだ。教育関係の仕事に就くような人たちは、子供の頃から勉強ばかりしてきたから、大人になって創造能力そのものが消滅してしまったのである。日本人に創造性がないのではなく、その教育関係者たちに創造性がないだけなのである。創造能力だけは、教育によって生み出すことができない能力なのだ。

 人間には男女の性差が存在しているし、教育期間の長短高低によっても、その能力に変動をもたらすことであろう。ただ、そうではあっても、赤ちゃんの頃にきちんと遊んでいないと、その人が本来持つ能力を広げていくことも高めていくこともできないし、その後の人生で能力を発揮することもできなjくなってしまうのだ。その人が大人になって能力を発揮できないのなら、我々の男女の性差が悪いのでもなく、我々が住んでいる社会が悪いのでもなく、その人の育てられ方の方が圧倒的に悪いのである。

 積み木やブロックで遊び、作っては壊し、作っては壊しを繰り返していると、いつの間にかに想像力がついてしまい、他人が考えられないことまで考え出してしまい、そういう想像の繰り返しが、大人になってから創造能力へと転化していくのだ。「想像力は創造能力に繋がる」のだ。仕事能力を発揮できない大人たちは、乳幼児の頃に充分に遊ぶ機会を与えられなかったし、創造性のない大人たちは、乳幼児の頃にオモチャで遊ばなかったのだ。遊びをせずに勉強だけしていると、創造能力は枯渇していくものなのである。

 人間の創造能力は、乳幼児の頃に殆ど決まってしまうものなのだ。後世、天才と称される人たちは、学校や大学の中で育ってきたのではないのだ。母親の庇護のもと、母性愛を注がれつつも、充分すぎるほどに積み木やブロックで遊べる機会を与えて貰ったからこそ、誰にも邪魔されずに遊ぶことができ、その結果、自分の知能を大いに高め、創造能力を発揮していく準備をすることができたのである。いつの世も、天才は母親のお膝元で育ってくるのである。

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「赤ちゃんの破壊活動」と「大人の創造能力」 ~なぜ、赤ちゃんは破壊しまくるのか?~

●自分の領域の拡大

 赤ちゃんが一人座りができるようになる頃から始まるのが、「破壊活動」である。自分の周囲にある物は手当たり次第に破壊していく。これがハイハイをできるようになれば、一人歩きができるようになれば、その破壊の回数は多くなっていくのである。この赤ちゃんの破壊現象は、赤ちゃんの舐めまくり攻撃と同様に、新米ママを悩ます物なのである。

 赤ちゃんは一体何をやっているかといえば、自分の安全を確認しているのである。動くということは、自分の生存領域が拡大していくことであり、赤ちゃんは赤ちゃんなりに、その生存領域の中で破壊をすることによって、自分の安全を確認しているのである。だからこそ、よりによって自宅の中で、赤ちゃんが動ける範囲内の物が破壊されていくのである。

 大人になったら、この習性は大いに失われるものだし、女性であるなら尚更失われるものなのである。但し、女性の場合であるなら、その女性が精神的に自立していなければ、意図的に失恋や離婚をすることで、人間関係を破壊しようとする習性が残っている程度なのである。男性の場合であるなら、精神的に自立したとしても、自転車や自動車を分解したりするとか、赤ちゃんの頃の習性がかなり違った形で残るものなのである。

 しかし、いかなる男女であったとしても、手当たり次第に破壊していくということはしない。なぜなら、自分の行動範囲の内部は安全だということが解っているからである。だが、赤ちゃんは未だ自分の行動範囲の内部は安全だということが解っていないのである。だからこそ、破壊をしながら自分の安全を確かめていくのである。

 赤ちゃんの破壊活動は、自分の行動範囲の中で安全を確認するのだということが、一番解るのが、赤ちゃんと外出して、見知らぬ地に行った場合は、赤ちゃんは破壊活動を殆どしないということなのである。なぜなら、そこは赤ちゃんにとって日常における行動範囲の中ではないからなのだ。

●破壊することで力の加減を覚えていく

 赤ちゃんの破壊活動は、もう一つ役割がある。それは力の加減を覚えていくことなのである。大人でも経験が少なければ、力の加減が解らないものだが、赤ちゃんになると、経験などないに等しいのだ。そのため、赤ちゃんは破壊活動を繰り返すことで、力の加減を覚えていくのである。

 それゆえ、赤ちゃんが破壊しているものを挙げていくと、「新聞」であり、「ティッシュ箱」であり、「ゴミ箱」と、実は微妙な力加減がないと動かせない物ばかりなのである。新米ママが新聞を読んでいる時に、赤ちゃんがやってきて、新聞を破ってしまうものなのだが、これは赤ちゃんにとっては薄い紙でできている新聞を動かしているのは、非常に不思議だからなのである。ちなみに、赤ちゃん用の厚手の絵本を与えても、これを破壊したりはしないのだ。赤ちゃんにとっては納得しうる強度を持っているからなのである。

 赤ちゃんが動けるようになったら、赤ちゃんの手に届く場所に、ティッシュ箱を置いておくべきではないのである。赤ちゃんにとってはこれは不思議なものでしかなく、ティッシュを全部取り出して、安全を確認しようとするのだ。よく「赤ちゃんにティッシュ箱のティッシュを全部出されてしまtった~」と嘆く新米ママが居るものだが、これは赤ちゃんの手に届くような場所に、赤ちゃんがとっても不思議がるティッシュ箱を置いておく方が悪いのである。

 ゴミ箱も赤ちゃんにとっては不思議なのである。赤ちゃんの居る部屋にゴミ箱を置いておこうものなら、赤ちゃんは確実にひっくり返してゴミを散乱させるのである。育児をしている場合、この赤ちゃんのゴミ箱に対するテロ活動は、育児の邪魔になって仕様がないのだ。そこで赤ちゃんが居る部屋にはゴミ箱を置かないようにし、赤ちゃんが居る場所でゴミが出たら、ゴミ箱のある場所まで持って行って捨てるようにすることだ。こうすると部屋は汚れないし、ゴミ袋にゴミを集める時も便利になるのだ。

 赤ちゃんの破壊活動が始まったら、赤ちゃんに破壊されていい物は赤ちゃんの周囲に置いておいてもいいが、赤ちゃんに破壊されてはまずい物は、赤ちゃんの手の届かない場所に移動しておくことだ。事前に予防策を施しておけば、赤ちゃんの破壊活動はそれほど気にならないものなのである。

●破壊こそ創造の始まり

 赤ちゃんの破壊活動は、破壊活動をすればするほど脳内が刺激され、脳の容積量が多くなり、知能が向上していくのだ。赤ちゃんの破壊活動の開始時期こそ、実は赤ちゃんの脳細胞自体が増殖していく時期とピタリと一致しているのである。人間の脳は出生直後から小学6年生頃まで脳の容積量が急激に増大していくので、いかに赤ちゃんの頃に脳の容積量を増やすスピードを速くすれば、それだけ脳の容積量を多くすることが可能になるのだ。

 大人になってから勉強させても、それは脳内のシナプスを増大させているだけであって、言わば脳の機能を向上させているだけであって、脳自体を大きくしているわけではないのだ。赤ちゃんの頃に充分な破壊活動をさせることが、それは表面的には新米ママにとっては腹立たしい行為なのではあるが、実は赤ちゃんの脳自体を大きくさせ、その赤ちゃんが大人になった時に、知能の高い人間として成長してくれることになるのだ。

 ユダヤ教の経典である『創世記』がキリスト教やイスラム教を通じて世界中に流布したたために、多くの人々がすべての物は無から創造されるものだと思い込まされてしまっている。しかし、有りと有らゆるものは、無から創造されるのではないのだ。人間の脳の容積量が或る一定の大きさに達しない限り、創造しようにも創造できなくなってしまうのだ。文明とは脳を巨大化させた人々による「想像の産物」なのであって、文明の中で新しい物を生み出したいのであるならば、まずは自分の脳の容積量を大きくしていくしかないのだ。

 赤ちゃんの頃から小学生の頃にかけて充分な破壊活動をやっておくと、脳の容積量が充分に増えて、創造能力が高まっていくことになるのだ。何か新しい物を創造するということは、何かを破壊することで創造が始まるのである。この「創造的破壊」を繰り返すことで、人類は文明を向上させてきたのである。まさに「破壊こそ創造の始まり」なのである。

 人間はこの地上で生きていけば、既成概念にどっぷりと浸かってしまうものだ。既成概念の多くは、実はその大半が有益な既成概念であって、それを守ることで我々は利益を享受することができるのだ。しかし、既成概念の中には、我々に損害を与えているものもあり、それなのに惰性によって維持し続けてしまうのである。創造とはその損害をもたらしている既成概念を外すことなのである。創造の最大の障害物は、実は自分の頭の中に存在しているのであって、これを破壊できないからこそ、多くの人々は自分の創造能力を使いこなせないのである。

●物を破壊できないと自分を破壊してしまうようになる

 赤ちゃんの頃に充分な破壊活動をしておけば、悪しき既成概念を外すことは、無理なく行えるものなのである。赤ちゃんの時に破壊活動を充分にしていれば、大人になってから悪しき既成概念を外すことなど簡単なことになるのである。赤ちゃんの時に破壊活動を充分にしておかなければ、悪しき既成概念を外すことができなくなってしまうのである。

 赤ちゃんの破壊活動が始まると、新米ママにとっては気が気でない時期を迎えてしまう。いかなる新米ママであっても、赤ちゃんの破壊活動は歓迎されるべきものではないだろう。だが、赤ちゃんの破壊活動には「破壊することの大切さ」も充分に存在しているのである。そして、それはその赤ちゃんが大きくならない限り解らないものなのだ。

 赤ちゃんが女の子の場合、女性脳の影響によって、破壊活動は早い段階で終焉を迎えてしまう。一方、赤ちゃんが男の子の場合、男性脳の影響によって、破壊活動は小学生になっても続き、母親を困らせることが続くのである。それゆえ、赤ちゃんが女の子なら赤ちゃんの頃に破壊活動を充分にさせておくべきだし、赤ちゃんが男の子なら、その赤ちゃんが大きくなっても、その破壊活動に付き合っていくしかないのだ。

 女の子が赤ちゃんの頃に充分な破壊活動をしていないと、男の子が母親から破壊活動を余りにも禁止されていると、その子たちが大きくなってから、自分自身を破壊してしまうようになってしまうのだ。幼稚園児や小学生が自殺したということは聞かない。しかし、中学生以降になると、自殺者が続出してくるのである。自殺にいかなくてもリストカットをしまくっている中高生は確実に居るものなのである。丁度、脳細胞の急激な成長が終わってから、なぜか自殺し出す人々が出て来るのである。自殺の理由には、偏食や睡眠不足や人間関係の行き詰まりとかあるかもしれないが、赤ちゃんの頃に充分な破壊活動をしていなかったことが、中学生以降に出て来てしまうのである。

 自殺だけでなく、淫祀邪教や社会主義やフェミニズムに洗脳されてしまう人たちも、赤ちゃんの頃に充分な破壊活動をしていないからこそ、大人になってから社会を破壊しようとい仕出すのである。淫祀邪教や社会主義やフェミニズムに洗脳される時期は、大抵が10代や20代である。自分にとって最も大事な時期に淫祀邪教や社会主義やフェミニズムに耽っていたら、充分な成長ができなくなってしまうのである。自分の貧困を解消したければ働いてお金を稼ぎ、貯金をしてけばいいのである。女性が自立したければ、両親から離れて一人暮らしをし、自分が働いて稼いだお金を両親に仕送りし、自分を生み育ててくれたことを感謝すればいいのである。宗教やイデオロギーをいくら信じても、自分の不幸を解消することはできないし、それどころか洗脳は更に悪化していくものなのである。他力本願ではなく、自力本願に変わったからこそ、自分の不幸が解消されていくのである。

 赤ちゃんの破壊活動は新米ママにとっては忌々しいものだ。しかし、赤ちゃんの破壊活動に対して、赤ちゃんに駄目駄目攻撃をしすぎてしまえば、赤ちゃんは自分の脳の容積量を増やしていくことができなくなってしまうのだ。その代償は赤ちゃんの頃には見えてこない。しかし、その赤ちゃんが大人になってから、如実に現われてくるものなのである。赤ちゃんの破壊活動は赤ちゃんにとっては必要なので、新米ママは大らかな気持ちで赤ちゃんに付き合うことだ。

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特別自然科学論文:『なぜ、地球上で疫病が発生するのか?』

●なぜ疫病は猛威を振るうのか?

 人類は文明誕生以来、疫病に苦しられ続けてきた。疫病を根絶しようとする試みは、いつの世でも政府や医者たちによって行われ続けて来たが、どの取り組みも最終的には失敗している。現在ではより大掛かりになり、国際連合や世界各国の政府や世界中の医者たちによって疫病の根絶に躍起になっているが、彼等がどのような取り組みをしたとしても、疫病は息の根を吹き返し、多くの人々を死に至らしめてくるのだ。

 疫病は単なる病気ではない。通常の病気であるならば、個人がその病気の発症に全責任を負うべきであって、その病気はあくまでも個人に自己完結されていくのだが、疫病となると伝染していくために、個人の自己責任では処理しきれなくなり、自分に発症の責任がなくても疫病に伝染してしまい、その疫病に殺されてしまうことだってあるのである。

 これほどまでに邪悪な病気の伝染が、なぜ発生してくるのであろうか? そして、なぜ、疫病は猛威を振るうのであろうか? もしも、疫病を真剣に研究している専門家で、国際連合や自国政府や国内の医者たちの意見に惑わされずに、専門家として本音を言うのなら、これは人口を増やし過ぎてしまった人類の宿痾であり、人口密度が高いくせに定住し続けるからこそ、疫病が猛威を振るうのだと答えることだろう。

 自然界に存在する哺乳動物は、どの哺乳動物も定住して暮らそうとしない。常に移動し続けるからこそ、免疫力を高め、病気を抑える方向へと働くのである。群生する哺乳動物でも、生息範囲が広いために、生息密度は実は低いものなのである。しかし、人類は農耕を開始して以来、その高い食料生産力から、定住して住むようになり、人口も密集して住むようになってしまったのだ。そのため免疫力を下げてしまい、基本的に病気に対して弱い状態になってしまい、この状態で疫病が発生してしまうと、爆発的な勢いで感染者と病死者を増やしていってしまう危険性を秘めてしまったのである。言わば、人類の生存形態こそが、疫病を発生させ、蔓延し易い状態にさせてあるのである。

 それゆえ、疫病対策に取り組むなら、疫病を根絶させるという愚かな思考を持つのではなく、「疫病を根絶することはできない」という前提で進めていかなければならないのだ。文明を誕生させてしまった人類にできることといえば、疫病を最低限度にまで抑え込むことしかできないのである。疫病を根絶するのではなく、疫病を封じ込めることしか、人類は選択肢を取れないのである。

●ジャングルから出て来て、食べ物を変えてしまったから

 人類が疫病に対して非常に弱いというのは、実は「進化の過程」において必然の流れから出て来るものなのである。人類は本来「果実食動物」なのでジャングル内でしか生息できない動物である。それが湖で二足歩行を覚え、魚や根菜類や動物の骨髄を食べるようになって、脳細胞を増やしていき、そして動物の肉を求めて、世界各地へ展開していった。

 人類の内臓は、魚や根菜類や骨髄を食べることに関しては、内臓を変化させて病気を発生させることがなくなっている。しかし、肉に関しては内臓を変化しきれていず、そのために肉食を開始してしまうと、どうしても内臓を大いに疲労させてしまうために、免疫力そのものが物凄く弱くなってしまうのだ。

 ところが、肉食は脳に最大レベルのエネルギーを供給させるし、人類に不足しがちな蛋白質を大量にもたらすので、どの民族も肉食を完全に捨て去ることはできないのだ。勿論、肉食を否定する宗教家や健康愛好家たちが出現してくるが、そういった者たちの意見はあくまでも個人レベルに留まってしまい、民族の食習慣を根本的に変えることはできなかったのだ。なぜなら、肉食は各民族が必要だからこそ保ち続けている食習慣であり、そう簡単には捨て去ることができないのだ。

 進化の過程で食習慣を変えてしまい、未だに内臓が適応できていない最大の証拠が、人類の寿命の短さなのである。通常、どの哺乳動物も、誕生から成長のピークまでの期間の5倍もの寿命を有する。それゆえ、誕生から成長のピークまでの期間が長ければ長いほど、長寿を獲得できるのである。

 しかし、人類は19歳までが体の成長のピークで、24歳でその他の成長のピークになるので、95歳から120歳の間の寿命を持つ筈なのである。だが、殆どの人間たちがこれほどまでに長い寿命を持つことができず、早い段階で早死にしてしまっているのだ。いかに人類の食習慣が進化の過程で狂わされ、人間本来の食べ物とは違う物を食べることが内臓に大いなる負担になっているかが解ることだろう。

●人間たちの異常な行動

 人類の免疫力が弱ってしまっているもう一つの理由が、文明化された人間たちの異常な行動なのである。人間が文明化されるということは、その者たちが自然体の行動を取れなくなってしまうということなのである。文明生活を享受しながら、「自然体で生きる」と主張する者たちは、文明のために、余程、精神が異常になっているのである。文明生活を享受しているなら、その文明の中に巧く自然の力を取り込んでいくことしかできないのである。

 まず、文明の中で精神が異常となり、その結果、異常な行動を取る人たちは、赤ちゃんを赤ちゃんとは看做さずに、「小さな大人」と看做してしまい、早くから二足歩行をさせようとし、赤ちゃんに口呼吸をさせてしまうのである。人間は鼻呼吸によって呼吸をするので、口呼吸では細菌を防ぎきれず、免疫力を大いに下げてしまうのである。

 口呼吸をしながら成長してしまった人たちは、常に体が酸素不足なので、これを体がエネルギー不足と勘違いし、本人に過食や偏食へと走らせてしまうのである。しかし、過食や偏食になってしまうと、逆にエネルギーに転嫁するためのビタミンやミネラルが不足してしまうので、より多くの食べ物を必要とし、そのくせ巧くエネルギーが発生せず、体は疲れきってしまい、免疫力をより下げた状態になってしまうのである。

 大量に食べても、充分に消化吸収されないということは、内臓の中で未処理の食べ物を残しているということであり、このような食生活が続けば当然に便秘になる。どの哺乳動物も食事をしたのなら、必ず排便をするので、人間が1日3食を食べるなら、1日3回排便が出るべきなのである。ところが、便秘をしている人は3日以上排便が出ないし、ということは9回分以上のウンコを内臓の中に溜め込んでいるということなのである。この状態であるなら、その老廃物と毒素のためにエネルギーを取られてしまい、より免疫力を下げてしまうのである。

 便秘によってエネルギーが取られてしまっている以上、体温を上げていくエネルギーが不足するので、当然に低体温になり、「暖衣」を身に纏ってしまうようになるのだ。こうなると、皮膚の力をより衰えさせてしまい、暖衣のために皮膚呼吸ができないので、今度は体が酸欠になっていってしまうのである。皮膚も弱り、恒常的な酸欠にもなれば、より免疫力を下げてしまうのである。

 こうやって日中において異常な行動を取っていれば、当然に睡眠は乱れがちとなり、夜更かしは当たり前のものになって、「睡眠不足」の状態に陥っていくのだ。人間は睡眠中に体の内部の傷んだ箇所を修復するので、この時間を充分に取れなければ、体が傷んだ状態で活動せねばならず、そのために、最悪なまでに免疫力を下げてしまうのだ。

 こうやって、文明の中で行った異常な行動の蓄積の結果、異常なまでに自分の免疫力を下げてしまい、疫病に罹り易い状態にさせてしまっているのである。疫病は発生したからといって、すべての人たちが感染し、死に絶えていくのではない。文明の中で異常な行動を取って、免疫力を大いに下げてしまった人たちを直撃して、死に至らしめていくのである。

●戦争と疫病

 疫病が爆発的に広がっていく過程で重要な要素が戦争である。戦争をすれば兵力を密集させなければならないし、その兵士たちが日々排便するとなれば、大量の排泄物を出さざるをえないのだ。しかも、実際に戦闘が始まれば、死傷者が大量に出始めるので、疫病にとっては格好の餌食が揃った状況になるのだ。

 ペストは本来はギリシャの風土病であった。ペストの流行は、早くも古代ギリシャで確認されており、ペストによって侵され死んでしまうと、体が黒く変色するので「黒死病」とも言われ、非常に恐れられた疫病だった。その後、ギリシャ人たちがトルコに植民すると、ここにもペストを持ち込んだらしく、東ローマ帝国の時代になってもペストは流行してしまったのだ。

 しかし、ペストが大流行したのは、イギリスとフランスの間で行われた「百年戦争」のためであり、イタリアのジェノバの商人たちの商船によってクリミア半島からペストを持ち込んでしまい、それが全ヨーロッパに大流行してしまった。百年戦争の戦争期間が、西暦1338年~1453年であり、ペストが大流行したのが西暦1347年から1351年の間なので、時期的にピタリと一致するのだ。

 西ヨーロッパの学者たちはペストをモンゴル帝国起源説を唱え、これが通説になっており、モンケ・ハーンが南宋でペストに感染し死亡したので、これが西ヨーロッパにペストをもたらしたのではないかとしているのだが、モンケ・ハーンが死んだのは西暦1259年であり、ヨーロッパでペストが流行するよりも百年も前に死んでいるのだ。これは全く時期が合わない。寧ろ、モンゴル帝国が西征することで、トルコやクリミア半島にあったペストを中国に持ち込んでしまったのであり、事実、大元帝国はペストの流行に悩まされ、その滅亡の原因にペストの流行が挙げられているほどなのである。

 第一次世界大戦の際に起こった「スペイン風邪」も、第一次世界大戦の激戦地となったフランスから発生しているのだ。スペイン風邪はスペインが発祥の地と思われているが、これはスペインの王族の人たちが感染したためにそう呼ばれるようになっただけであり、事実はフランスのマルセイユにいたフランス軍兵士の間から蔓延していったのだ。

 このスペイン風邪に関しても、西ヨーロッパの学者たちは中国起源説を唱えており、風邪のウィルスが中国からインドにもたらされ、それがインドからマルセイユ行きの船によってもたらされたと主張しているのだ。インフルエンザは常に中国南部で発生してくるものなのだが、だからといって中国がすべて悪いのではなく、ヨーロッパで戦争が起こらなければ、風邪は世界的に大流行などしないものなのだということを、西ヨーロッパの学者たちは解ろうとしないらしい。

 戦争のために兵士たちが集結し、そこで大量の排便を垂れ、しかも戦争が始まれば、大量の死傷者が出るということは、疫病にとって最良の繁殖状況が用意されるということなのだ。風邪が流行したとしても大量の死者を出すほどのものでもないのに、戦争という要素が加われば、疫病は大流行してしまい、大量の死者を出す疫病へと発展していくのだ。

●不潔の民族たちが引き起こす疫病

 疫病というのは、その民族が清潔という倫理を持っておらず、不潔であることを平然としていると、疫病はいくらでも発生するのだ。人口が増え、都市を建設し、そこに密集して居住する以上、その住民たちが清潔を心掛けず、平気でゴミを捨ててしまい、都市を汚くされていれば、それは疫病を引き起こす細菌を大量に繁殖させているようなものなのである。

 西ヨーロッパでは宗教改革が起こるまで、西ヨーロッパは非常に汚かった。キリスト教に清潔という倫理がなかったからだ。入浴する習慣がなく、そのため体臭が物凄く臭く、それで教会や修道院などでお香が焚かれていたくらいなのだ。都市には下水道が完備されておらず、都市住民は排泄物をバケツに溜め込み、それを平気で道路に捨てていたのだ。ベルサイユ宮殿に便所がないのは有名な話なのである。このような状態だったからこそ、ペストが蔓延し、その後も、たびたび疫病が発生したのである。

 宗教改革によってプロテスタンティズムが勃興してくると、清潔という倫理が普及し、プロテシタントたちは、一生懸命に掃除をするようになったのだ。このため、プロテスタントの居住する地域では疫病の蔓延が起こりにくくなったのだ。これに対して、今でもカトリック教徒たちは清潔という倫理がないために、非常に不潔であり、たびたび疫病を引き起こしているのだ。スペイン風邪もフランスのマルセイユが発祥の地だというのは、象徴的な出来事であるのだ。

 インフルエンザの発生源はいつも中国南部なのだが、これも中国人たちが世界でも突出して非常に不潔な民族だということが原因なのである。中国古典を読んでいると中国人は文明度の高い民族だと思ってしまいがちだが、どの中国古典を読んでも清潔を尊ぶ思想は出て来ないのだ。実際の中国人たちは平気でゴミを捨てるし、痰をそこら中に吐くし、入浴もきちんとしないし、その不潔極まりない状態でとにかく密集して住もうとするのだ。

 人類を長らく悩ませ続けた「コレラ」も中国がその発祥の地であり、清王朝の頃に大流行し、これが世界各国へと広がっていったのだ。江戸時代の日本でも、日清貿易を行っていた長崎の地から侵入してきて、日本国内で大流行したのだ。コレラに罹ると、ころりと死ぬから、当時の人々は「コロリ」と言って非常に恐れたのだ。コレラは江戸や大阪といった幕府の直轄地で被害が大きかったので、そのために幕府は経済力を落としてしまい、コレラの被害の少なかった長州藩や薩摩藩を台頭させる結果になり、これが明治維新の遠因になったのである。

 日本民族の「大根好き」「ミカン好き」「緑茶好き」というのは、すべて風邪を始めとする疫病対策でもあるのだ。弥生時代の初期に中国南部から大根が伝わってきたのだが、中国では日本ほど大根を食べることはない。大根にはビタミンCが大量に含まれており、特にビタミンが不足しがちな冬場には、好んで食べられるのだ。ミカンは日本の固有種であるが、なぜこのフルーツが特に好まれたかといえば、ビタミンCを大量に含んでいるからなのだ。緑茶は禅僧によって中国からもたらされたが、中国では発酵茶を好むのに、なぜ日本人は緑茶を好んだかといえば、やはり緑茶にはビタミンCが大量に含まれているからなのだ。ビタミンCを大量に含んでいる食品を食べることで、中国からやってくる疫病に備えていたのである。

 中国文明の名に幻惑されて、中国人たちの異常なまでの不潔さを知らないと、疫病は世界中に蔓延することになるだろう。歴史的に見ても、中国南部の不潔さと西ヨーロッパの戦争が重なると、世界的に大流行する疫病が発生しているのだ。ペストしかり、スペイン風邪しかりである。現在では覇権国家であるアメリカ合衆国が中国を買いかぶり過ぎているので、恐らく、中国発の疫病がアメリカ合衆国内で大流行し、それが世界各国へと飛び火していくことだろう。

●人工的に作り出した疫病

 疫病は人間たちが人工的に作り出してしまうこともある。結核はその代表例である。結核はそもそも牛の病気であったのだが、人間が牧畜を開始し、牛乳を飲むようになってから、その結核菌が人間に感染してしまい、そのために結核が世界に広がっていったのだ。結核患者に栄養をつけさせようと思って牛乳を飲ますと、逆に結核を悪化させてしまうのは、結核の故郷が牛乳だからだ。

 性病の代表例である梅毒も、人間が人工的に作り出してしまったものなのだ。この梅毒は中南米の原住民たちが獣姦で感染したものらしいのだ。これが大航海によって訪れたコロンブスたち一行がヨーロッパに持ち帰り、それで西ヨーロッパに蔓延し、そして世界中に広がっていったのだ。

 エイズは西暦1960年代に国際連合がコンゴでワクチンの培養をチンパンジーを使って行い、それによってコンゴ人たちにワクチン接種を通じて広がっていったのだ。その後アメリカ軍が細菌兵器として、より強い効果のあるエイズウィルスを開発し、これを人体実験でアメリカの黒人に対して使用し、これがアメリカ全土に広まっていったのだ。これに拍車をかけたのは、同性愛者たちの乱交癖であって、危険な性行為を通じて同性愛者間に爆発的に感染していったのだ。

 エイズの治療が困難だったのが、エイズには大きく分けて、自然型のエイズと、人工型のエイズがあって、その違いを知らなかったからこそ、多くの研究者たちが治療薬の開発に失敗し続けてきたのである。エイズといえども、不治の病ではない。ブラジルでは既にエイズに効く、薬草が見つかっているし、これが量産化されれば、エイズの蔓延を阻止することができるだろう。

 ちなみに、日本でエイズが余り蔓延しなかったのは、緑茶に含まれるカテキンにはエイズに対して最大の効果があったためだ。日本でエイズに感染した殆どの人々は、緑茶を飲む習慣をやめてしまった人たちであったのだ。この緑茶はドイツにも輸出され、ドイツでのエイズ蔓延の阻止に一役買った優れ物であるのだ。

 世界中の殆どの国は、細菌兵器の開発を断念しているが、覇権を握っているアメリカ合衆国は、大量の軍事予算を使って、細菌兵器の開発を行っているのだ。ただ、アメリカ軍の恐ろしさは、細菌兵器の人体実験を、同国民に対して行うということなのである。近年、アメリカ軍がアメリカ上空でばら撒いた細菌兵器に「内臓破壊ウィルス」がある。これは人間が体内に取り込んでしまうと、小さな毛虫のようなものになって全身を食い破っていき、内臓を破壊して死に至らしめてしまうのだ。この内臓破壊ウィルスはいずれ世界中で蔓延することになるだろうと思う。

●隕石からの未知のバクテリア

 疫病は何も地球内だけで発生してくるものではないのだ。隕石から未知のバクテリアがやってきた場合、そのバクテリアは長い間、放射線に照射されており、そのために非常に異常な遺伝子を持ったバクテリアに成長していることも有り得るのだ。バクテリアは地球上だけで生み出されるものではないのだ。生物は地球上で自然発生したとも考えられているが、隕石によって未知のバクテリアがやってきて、それが地球で生命を誕生させたという有力な仮説も存在しているのだ。

 ハレー彗星は公転周期は「75.3」年で地球の周りを回っているのだが、このハレー彗星が地球に近づくたびに、地球の氷の欠片を落としていったのだ。勿論、その殆どが地球の大気圏で燃え尽きてしまうが、中には燃え尽きずに地球上に落下してくるものもあるのだ。こういった現象が地球上にどのような影響をもたらしたのかは、科学者といえども、未だ解明しきれていないのだ。

 また、毎年、地球上に降り注ぐ隕石も、大半は大気圏で燃え尽きてしまうけれど、隕石の中には確実に地上まで降りてくる隕石も存在しているのである。強力な放射線を浴びて微生物を変化させてしまったなら、その中には疫病を引き起こす微生物がないとも言えないのである。

 人類は地球上の細菌に対してすら、完璧な免疫力を持っているのではないのである。それなのに地球外から未知なる細菌が侵入してきた場合、それを除去するだけの免疫機能が果たしてきちんと存在するか解らないのである。万物の霊長たる人類は、その程度のものでしかないのである。

 将来的には、人類は「月」や「火星」に宇宙旅行ができるようになることだろう。しかし、その宇宙旅行が可能になった時に、得体の知れない疫病に悩まされるであろうことは、人類の歴史から鑑みるに、予想されうることなのだ。未知なる疫病を発生させ、大量の死者を出しても、宇宙を開拓していくという強靭なる意志を持たぬ限り、宇宙への開拓などできるものではないのである。輝かしい未来があるなら、その輝かしさの影には、それに匹敵するだけの影があるものなのである。

●「疫病の封じ込め」と「人類の生存」

 国際化が進めば進むほど、疫病の発生の危険性は高まるのである。日本国内でいくら安全に暮らしていても、日本人が海外に出歩くことが当たり前になってしまえば、外国で発生した疫病をそのまま日本国内に持ち帰ってしまうということも有り得るのだ。また、世界で最も不潔な国民である中国人たちが世界各国に旅行や移住をしてくるなら、疫病の危険性は世界レベルで高まっていくということなのである。

 マスコミは無邪気にも「国際化」を唱え続けている。国際化は利益をもたらすだけではないのだ。国際化によって甚大なる被害を被ることだってあるのだ。国籍の違う外国人だからこそ不信感を持って接し、常に警戒を怠らないことなのである。国際化には光と影があるのだから、性善説に立脚して、こちらが悲惨な目に遭うより、性悪説に立脚して、相手を信用しなければ、逆に有益な付き合いができるというものなのだ。

 今後、地球上において有力な疫病の発生源は、アメリカ合衆国と中華人民共和国とになることだろう。いかなる国家といえども、超大国になれば、国内は疲弊し人々は病んでいくものなのである。その状態を突いて、いくらでも疫病は発生し、蔓延してくるものなのである。今回の「豚インフルエンザ」もメキシコが発生源と思われているが、実はアメリカ合衆国こそが発生源なのである。我々はアメリカ合衆国と中華人民共和国が解体され、小さな国々に分解されない限り、この両国に対して警戒を怠らないことである。

 国際連合の根本的な愚かさは、疫病の根絶を目指していることなのである。人類が生存し続けている以上、疫病は必ず発生してくるものなのである。人類は疫病を根絶するのではなく、人類は疫病と共存していくしかないのである。エンドレスで疫病を封じ込める努力をし続けていくしかないのである。

 疫病を根絶することは、人類の生存を根底から危険にさせることなのである。疫病を根絶してしまうと、人間の免疫力そのものが低下し、新手の疫病に対して無防備になってしまうのだ。疫病がいかに気に食わない物であっても、定期的に発生して貰い、それによって人類の免疫力を上げていくしかないのである。疫病を根絶させるのではなく、疫病を封じ込めていく努力こそが、逆に人類の免疫力を上げ、人類の生存を保障することができるようになるのである。

 こういう考え方は、疫病を根絶させようと必死になっている医者から見れば、非常に腹立たしい態度であることだろう。しかし、疫病が存在できない世界では、人類もまた生存できないのである。これこそが真実なのである。この世は逆説に満ち満ちているものなのだ。歴史の逆説を巧く働かせたいのであるならば、不真面目な態度でいることなのである。疫病は確かに危険だが、人間の真面目すぎる態度はそれ以上に危険なのである。

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赤ちゃんは舐めることで免疫力を高めていく

●赤ちゃんの舐めまくり攻撃開始!

 人間は別にそれが困ったものではないのに、赤ちゃんの不可解な行動を間近で見てしまうと、非常に困るという意識に囚われるものらしい。育児をしている最中で、その本当は困ったものではないのに、新米ママが困ってしまうものが、「赤ちゃんの舐めまくり」なのである。とにかく、赤ちゃんは或る時期に達したら、有りと有らゆる物を舐めまくるのである。

 新米ママから不可解な行動と思われても、実は赤ちゃんにとっては非常に大事な作業なのである。赤ちゃんは近くにあるものを舐めて、自分の免疫力を高めようとしているのである。この赤ちゃんの舐めまくりは、赤ちゃんが母乳の抗体を全身に張り巡らし終えた生後6ヵ月前後から始まるのである。赤ちゃんは全身に充分な抗体があるからこそ、舐めまくりを開始し、舐めまくりをした所で病気にもならず、それどころか免疫力を上げていくのである。

 この赤ちゃんの舐めまくりを、新米ママが阻止してしまうと、赤ちゃんは充分に免疫力を上げていくことができず、非常に病弱な赤ちゃんに育っていってしまうのである。舐めまくりは非常に大事なのである。田舎に行けば人間関係が濃いため、この赤ちゃんの舐めまくりを阻止するような新米ママたちは居ないのだが、都会だと人間関係が希薄なために、新米ママが赤ちゃんの舐めまくりを阻止してしまい、赤ちゃんの舐めまくりの機会を奪ってしまうのだ。そのため、都会の中で難病奇病に襲われてしまう赤ちゃんが出現してくるのである。

 人間の免疫力の基本が出来上がってしまうのは、満2歳までなので、赤ちゃんの方としても、自分の免疫力を高めるのに必死なのである。免疫力を高めることができなければ、病気に襲われるし、死んでしまう可能性が出て来るからだ。それゆえ、新米ママがこの舐めまくりを不可解な行動と思うのではなく、赤ちゃんは自分の免疫力を上げているのだということを理解して、阻止しないことだ。

 但し、新米ママが赤ちゃんと一緒に外出した際に、赤ちゃんが外出先でも舐めまくりをしようとするので、そういう時は赤ちゃんにオシャブリを咥えさせ、舐めまくりができないようにしていた方がいい。舐めまくりが始まると、赤ちゃんは一体何を仕出かすか解らないからだ。

●赤ちゃんが舐めるものは、放置しておく

 赤ちゃんの舐めまくりが始まったら、赤ちゃんが舐めるものは諦めることだ。「スリッパ」や「テレビのリモコン」や「毛布」といったものは、赤ちゃんの舐めまくりの格好の対象物なのだ。赤ちゃんに舐めまくりを食らうと、赤ちゃんのヨダレはつくし、歯形はつけらるし、散々な状態になってしまうのだが、これも赤ちゃんの免疫力を上げるためだと思って、腹を括ることだ。

 赤ちゃんに舐める専用の物を買ってきても無駄なのだ。なぜか赤ちゃんは生活で使用されている物にしか舐めまくりを行わないのだ。やはりこれは赤ちゃんは免疫力を上げるために、生活で使用され、或る程度の細菌がついた物を舐めるのであろう。新しい物では細菌がついていないために、舐めても意味がないのだ。

 それゆえ、生後6ヵ月前後に差し掛かったら、赤ちゃんの身の回りに、赤ちゃんが舐めてもいい物しか置かないことだ。赤ちゃんもハイハイができるようになると、自宅内での行動範囲が広がるので、日頃、赤ちゃんが来る場所においては、赤ちゃんが舐めてもいい物しか置かないことだ。

 これをやっておくと、赤ちゃんの舐めまくりでのトラブルが激減するのである。要は自宅内を赤ちゃんが行動してもいいように作り変えていないので、それで赤ちゃんが舐めまくりをし始めるとトラブルが続出するのである。新米ママにとって大事な物が、赤ちゃんの舐めまくり攻撃を受けてしまい、ヨダレで濡れてしまい、歯形がついたとしても、それは新米ママの方が悪いのである。

 とにかく、赤ちゃんに舐めまくりを受けてはまずいと思う物は、赤ちゃんの手に届かない場所に移動しておけばいいのだ。たった、これだけの作業をすることで、赤ちゃんの舐めまくり攻撃で、赤ちゃんに対して怒らなくて済むようになるのだ。ついでに自宅内の整理整頓をしてしまえば、自宅の内部も奇麗になって、気分爽快になることだろう。

●赤ちゃんが飲み込んでしまうようなものは、赤ちゃんの手が届く所には置かない

 赤ちゃんは舐めまくり攻撃を開始しても、必ずしも自分にとって安全な物だけに手出しをするのではない。赤ちゃんにはまだ何が安全で何が危険かが解らないので、有りと有らゆる物に手を出して来るのである。それゆえ、赤ちゃんにとって危険物は、予め除去し、赤ちゃんの行動を見て、これは危険だなと思う物も追加しながら除去していくことだ。

 まず、多くの赤ちゃんにとって、それは危険物なのに、赤ちゃんの舐めまくりでは大好物に入る物は、「電気コード」である。どの赤ちゃんも、この電気コードは大好物なのだ。そのため、この電気コードを巡るトラブルが、一番多いのだ。電気コードは感電する危険性もあるので、これは非常に危険である。

 次は「コンセント」である。コンセントは舐めるのではなく、舐めようとして手を出そうとするのである。このコンセントは赤ちゃんが手を出すと感電する危険性が非常に高いので、これは電気コード以上に危険な代物なのである。赤ちゃんが見える所では、コンセントを隠してしまうことだ。

 赤ちゃんは舐めまくり攻撃をし始めると、ゴミだろうが、埃だろうが、飲みこんでしまうので、赤ちゃんの行動範囲内ではゴミを放置しておかないことと、舐めまくりを受ける際には埃がついていないものを舐めさせることである。特に居間にはゴミ箱を置かないことだ。居間にあるゴミ箱は、赤ちゃんにとっては格好の獲物なのである。

 自宅で動物を飼っていたり、公園にいったりして危険なのは、「動物のフン」である、赤ちゃんは動物のフンであったとしても、舐めまくりの対象物になってしまうし、下手をすると飲み込んでしまうのだ。自宅で動物を飼っている際は、動物のフンが出たらすぐさま片付けるべきだし、公園などに行った場合は、動物のフンがないかをまずは確かめてから、赤ちゃんを遊ばせればいいのだ。

●家の中を適度に掃除しておく

 赤ちゃんにとって何が安全物で何が危険物かは、新米ママが常識的に考えることだ。赤ちゃんが危険物に手を出してしまい、それで被害を被ったとしても、それは赤ちゃんが悪いのではなく、新米ママの方に落ち度があるのだ。赤ちゃんにはまだ安全か危険かを識別する能力を持っていないのだ。

 赤ちゃんの舐めまくり攻撃が始まると、舐めまくりをするだけではなく、飲み込みもし始めるので、赤ちゃんの飲み込みには充分注意した方がいい。特に、「ピアス」「イヤリング」「指輪」「ネックレス」といった、母親の体臭がついており、赤ちゃんでも飲み込めるサイズの物は、赤ちゃんにとっては格好の獲物なのである。これらの物をゴックンと飲み込んでしまうのだ。

 赤ちゃんが何かを飲みこんでしまったら、すぐさま吐き出させることだ。もしも、吐き出させても出なかったら、毎回、赤ちゃんのウンチを調べて、赤ちゃんが飲み込んだ物を探し出すことだ。そして発見したら、もう二度と赤ちゃんの近くには置いておかないようにすることだ。

 赤ちゃんの舐めまくりの時期は、掃除は毎日するべきだが、掃除をしすぎないことだ。余りにも清潔すぎる環境だと、赤ちゃんが舐めまくりをしても、それほど免疫力を上げることができなくなってしまうのだ。赤ちゃんが居るというのに、綿埃があるというのは問題外だが、赤ちゃんが居るからといって、余りにも丁寧に掃除をしすぎるのも、これはこれで問題なのだ。清潔は赤ちゃんを健康にするが、清潔すぎると逆に赤ちゃんは病気になってしまうものなのだ。

 自宅を清潔にするか、不潔にするか、清潔しすぎる状態にまで持っていってしまうかは、その新米ママの性格にかかっているので、自分が余りにもズボらな性格や、潔癖症の性格の女性は、要注意である。自宅で赤ちゃんと2人きりでいると、自分の性格が暴走していくので、自宅ばかりにいないで外に出て、ママ友を作って、そのママ友の家にお邪魔して、その家を観察しておくことだ。他人の家と比較すれば、自宅の異常さが目につくはずである。

 家屋は建設されてから歳月が経つと、家の内部に安全な細菌が住みついて、それによって赤ちゃんの免疫力を上げることができるのだが、新築住宅とか新築マンションに住んでしまうと、自宅内に安全な細菌が殆どなく、逆に化学物質が充満しているのだ。そのため、新築住宅とか新築マンションに住んで子育てをしていると、赤ちゃんが突如として病気を発症してくる危険性が高くなってしまうのだ。

 それゆえ、常日頃、換気を良くして、化学物質を早く希薄化させることだ。それと共に、自宅で糠漬けをつくるなり、ヨーグルトを作るなりして、人間にとって安全な細菌を充満させることだ。この作業をやっておくと、赤ちゃんの舐めまくりが始まった頃には、充分な細菌が周囲に付着しているので、赤ちゃんが舐めまくりをすることで、その細菌を体内に入れて、免疫力を上げていくことができるようになるのである。

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「一人歩き」と「寝っ転がり」の必要性

●重力の負担から解放する

 赤ちゃんが一人歩きできるまでの過程は、人類が二足歩行ができるようになったダイジェスト版を見せてくれているようなものなのだ。二足歩行というものは、我々が考える以上に大変なことであり、重力に打ち勝ち、血液を増産させていかない限り、人間は二足歩行ができないのである。それゆえに、二足歩行で歩き回れば、自由に行動できる代償として、体が非常に疲れるものなのである。

 この二足歩行の大変さを知っていれば、育児をしていく上で、赤ちゃんの不思議な行動の謎を解明することができる筈だ。「赤ちゃんのお出かけ直前のウンチ」「赤ちゃんの突然のしゃがみこみ」「赤ちゃんのいきなり抱っこ」「赤ちゃんのグズって大泣き」「赤ちゃんの外出先で寝てしまう」。これらすべてが重力に対応した措置なのである。

 なぜ、お出かけ直前にウンチをするかといえば、赤ちゃんはウンチをすることで、体重を軽くし、重力の負担を軽減しようとしているからなのだ。なぜ、赤ちゃんが突然にしゃがみこむかといえば、しゃがむことで重力による疲労を軽減しようとしているからなのだ。なぜ、赤ちゃんがいきなり抱っこを要求してくるかといえば、抱っこされることで重力と体重の負担をなくし、疲労を解消しようとしているからなのだ。なぜ、赤ちゃんがグズって大泣きするかといえば、重力に対抗できるだけの血液が不足しているからなのである。なぜ、赤ちゃんが外出先で寝てしまうかといえば、起き続けられるだけの血液がなくなり、睡眠を取ることで血液を増産しているからなのである。赤ちゃんは赤ちゃんなりに、この重力の負担を軽減しようとしているのだ。

 人間は重力に逆らって二足歩行をする以上、「寝っ転がり」をすることで体を休ませなければならないのだ。この一番解り易い例が、夫が仕事から帰ってから、自宅で寝っ転がる姿であろう。仕事で疲れ切ったのなら、自宅で寝っ転がって重力から解放させない限り、命を縮めてしまうだけなのである。過労死になったり、職場で脳溢血や脳卒中や心筋梗塞になるような人は、仕事が大変だから病を発症したのではなく、寝っ転がることをしなかったからこそ、その病を発症したのである。

 これは何も夫だけに限ることではないのだ。妻も育児で疲労したなら、寝っ転がって、疲労を除去すべきなのである。育児で疲労し、血液が不足している状態であるならば、いくら温和な女性であったとしても、性格が変貌して凶暴化し、幼児虐待をするようになるし、夫婦喧嘩を絶え間なく行ってしまうことになるだろう。育児がどうのこうの、夫がどうのこうのは問題ではないのだ。。寝っ転がって疲労を除去しなければ、その疲労はその本人を悪い方へと変えてしまうのである。

●疲労物質を除去し、造血作用を促す

 睡眠は我々が通常考えている以上に、非常に大切なものなのである。人間は睡眠中に疲労物質を除去し、体の傷ついた箇所を修復し、造血作用を促して、再び活動できるように準備してくれるのである。だから、「完徹」や「徹夜」や「短眠」は絶対に自慢にはならない。睡眠を削ることで起き続けられたかもしれないが、それは自分の命を削りながら行ったにすぎないのである。

 寝なければ、免疫力が低下するのだ。育児をしていると、いかに睡眠の大切さが解る筈だ。赤ちゃんはいくら病気をしても、寝ていれば治ってしまうものなのだ。寝ることこそが、最高の治療行為なのである。それゆえ、赤ちゃんの夜更かしは絶対にやってはならないことなのである。免疫力を低下させ、病気を呼び込んでいるようなものだからだ。

 睡眠不足で血液が不足すれば、「貧血」になるし、それ以上に血液が不足すれば、「白血病」になってしまう。成長期には体が大きくなっていくので、必要以上に血液を増産していかなければならないのであるが、睡眠不足が重なれば、それに見合うだけの血液を供給できなくなるので、貧血になるし、白血病にもなってしまうのだ。貧血を起こすような子供、白血病になる少年少女は、やはり睡眠を充分に取っていないのだ。

 満4歳児辺りまでは、乳幼児は眠たくなれば、自然と寝てしまうので、眠りたいというサインを見逃さないことだ。特に赤ちゃんは未だ言葉を発することができないので、眠りたいというベビーサインがなんなのかを一刻も早く知り、そのベビーサインが出たら、すぐに寝かしつけてしまうことだ。

 そして赤ちゃんが熟睡できるように、赤ちゃんの寝室環境を整えておくことだ。赤ちゃんが寝ているというのに、光が入ってくるような部屋や、テレビの音が響いてくるような部屋であるならば、赤ちゃんは熟睡できないものなのだ。育児をするなら、大きな家の方が圧倒的に有利に立つことができるのである。なぜなら、赤ちゃんが熟睡できる部屋を確保することができるからだ。

●睡眠の偉大なる力

 乳幼児は最低12時間以上の纏まった睡眠が必要なのだ。午後8時に寝たのなら、午前8時に起きるという睡眠のリズムを取れるなら、その赤ちゃんは健康的に成長していくことだろう。纏めて睡眠を確保すれば、それだけ大量の血液を増産することが可能になるのだ。しかも、赤ちゃんはそれだけ睡眠を取ったのに、日中でもまた寝まくるのだ。道理で早く成長してくるわけである。

 子供なら最低9時間以上の纏まった睡眠が必要だ。小学生になったら、午後9時に寝て、午前6時に起きるという睡眠のリズムを取れば、その小学生は健康的に成長していくことが可能になるのだ。小学生が午後10時や午後11時辺りまで起きているようであるならば、その小学生の成長に支障が出始めてしまうのだ。

 成長ホルモンは午後10時から午前2時の間に大量に分泌されてくるので、この成長ホルモンを大量に分泌させれば、身長を伸ばすことができ、脳細胞の量を増やしていくことが可能になるのだ。まさに「寝る子は良く育つ」なのだ。成長期が終わるまでは充分に睡眠を確保しなければ、充分に成長することができなくなってしまうのだ。

 中学受験を理由に子供に夜遅くまで起きさせてしまうと、成長ホルモンを充分に確保できず、身長が伸びないし、脳細胞も増えていかなくなってしまうのだ。小学生の頃に高成績を叩き出しても、その後の人生でまるで脳細胞が委縮してしまったような人生を送ってしまうようになるのだ。

 都会に住んでいると、「睡眠の偉大なる力」を忘れがちだ。睡眠を軽視し、夜更かしをしまくるからこそ、病気が跡を絶たないし、能力も充分に発揮できないのである。そのくせ口先だけは達者で、「政府が悪い」だの、「景気が悪い」だの、「社会が悪い」だの、散々他人のせいにしまくるのだ。悪いのは自分が睡眠不足だからであって、いくら深刻な問題を抱えていても、早くに寝てしまえば、朝になったら解決しているものなのだ。真夜中にいくら考えこんでも、悩みはより一層深刻化するだけなのである。

●ベビーカーと乳母車によるバックアップ

 赤ちゃんは寝るからこそ、健全に成長していくことができる。睡眠は何も眠たいから寝ているのではなく、寝ることで疲労物質を除去し、造血作用を作動させて、新たな血液を作り出しているのだ。それゆえ、夜間に纏まった睡眠を確保することは勿論大事であるが、「ベビーカー」や「乳母車」を使って、赤ちゃんをバックアップしてあげることが必要になってくるのだ。

 とにかく赤ちゃんを横になって寝かしてあげて、重力から解放して、睡眠の偉大なる力を使いまくるべきなのである。使うべきベビーカーは寝台型のベビーカーだ。これなら赤ちゃんは移動中でも睡眠を確保することが可能になるのだ。椅子型のベビーカーは、赤ちゃんが起きている時に使用すればいい。椅子型のベビーカーで赤ちゃんが座りながら寝ている光景に出くわすが、これでは意味がないのだ。

 日本では乳母車が主流になっていないのだが、乳母車の必要性は知っておいた方がいい。ベビーカーは満2歳で卒業なのだが、それ以降でも幼児はベビーカーに代わるものが必要なのである。満4歳辺りまでは、幼児といえども眠たくなったら、横になれる道具が必要なのである。

 乳幼児にとっていかにベビーカーや乳母車が必要なのかは、多くの人々に知らしめていく必要性があるのだ。というのは、日本の歩道はベビーカーや乳母車を走らせるには非常に危険な歩道が多いし、バスや電車の乗り降りでも、駅の構内でも、空港でも港湾でも、母親たちに優しい作りにはなっていないのだ。赤ちゃんを産み育てている母親たちが、「済みません」と言いながら肩身の狭い思いしながら行動しなければらない光景は異常だとしか言いようがないのだ。

 日本国内にある交通手段も公共施設も、母親たちが使い易いように作れば、実は誰でも使い易くなるのである。金儲け至上主義に走ったり、身体障害者の意見だけを取り入れたり、女性専用車両を作ったりするから、逆に非常に使いにくいものになってしまうのである。赤ちゃんの居る母親以上に重たい荷物を持っている人は居ないのだ。新たに交通手段や公共施設を作る際は、実際に育児をしている母親たちの意見を取り入れて建設してしまえば、誰もが使い易いものになるのである。

 赤ちゃんに眠たくなれば、いつでも睡眠を確保することが必要になると同じように、大人たちにとっても夜間の睡眠以外に睡眠を確保することが必要になるのだ。育児ではどうしても夜泣きを受けて疲労してしまうので、昼寝や夕寝といったものを確保して、睡眠をより多く取っていくことが必要になるのだ。育児でどんなに疲労しても、昼寝や夕寝をすれば、育児疲れは吹き飛んでしまうものなのである。

 健康の証が「快食」「快眠」「快便」であるが、病気の兆しが「過食」「寝不足」「便秘」であるのだ。「過食」「寝不足」「便秘」が続けば、いかなる者であっても、いずれは病気を発症してくるものなのである、特に寝不足は非常に危険なものであって、睡眠が不足してしまえば、病的になり、性格まで変わってしまうものなのだ。育児疲れを引き越しているなら、夫婦でトラブルが絶えないのなら、とにかく寝ることである。睡眠を充分に確保できれば、元気溌剌で育児に取り組むことができ、夫婦仲も良好になるのである。

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赤ちゃんの成長遅延

●赤ちゃんは平等ではない

 人間は平等ではない。人間は遺伝子レベルで違っている以上、赤ちゃんに誰一人として平等の赤ちゃんは居ない。赤ちゃんの成長には個人差が激しいものなのである。赤ちゃんは平等ではないからこそ多彩な生存が可能になり、多様性に富んだ人間の生存を可能にさせたのである。

 ところが、この「人間の真実」「科学の真実」「自然界の真実」を無視して、平等を唱えてくる人々が居るのだ。人間は自分が精神的に自立していなければ、この平等というものが唱えられると、自分の心を鷲掴みにされてしまい、完全に洗脳されてしまうのだ。そして、その後の人生をこの世に平等をもたらすべく、差別と偏見を廃止するためだけの人生に費やしてしまうのだ。だから、自分が本当にやりたいことができずに、不平不満の人生を送ってしまうようになるのだ。

 新米ママたちも小学校の頃から平等を教え込れてしまうので、余程、強力な意志を持って自分に施された洗脳を解かない限り、平等という洗脳から脱することはできないのだ。洗脳というものを理性で解こうとしても解けるものではないのだ。洗脳という状態は、理性が異常になっている状態であるので、理性ではなく、意志を働かさない限り絶対に解けないのだ。

 新米ママが赤ちゃんは平等なものだと思っていたら、もしも自分の赤ちゃんに成長遅延が起ころうものなら、悲惨極まりないことになってしまう。赤ちゃんは成長の個人差が激しいので、他の赤ちゃんたちよりも成長が遅れてしまうえば、明らかに自分が考えている平等から逸脱することになってしまい、パニックに陥ってしまうのである。

 余所の赤ちゃんは寝返りを打っているのに、自分の赤ちゃんは寝返りがいつまでも打てない。余所の赤ちゃんは一人座りができるのに、自分の赤ちゃんは一人座りがいつまでもできない。余所の赤ちゃんはハイハイをしているのに、自分の赤ちゃんはハイハイがいつまでもできない。と、他の赤ちゃんたちと成長が違ってしまうだけで、自分の精神が蝕まれてしまうのである。

 平等は人間に極限までの苦しみを味あわせるのである。赤ちゃんが順調に育っていれば、「平等という幻想」が破壊されることはないだろう。しかし、赤ちゃんに成長遅延が発生すれば、「平等という幻想」は一瞬のうちに破壊されて、当の赤ちゃんの成長遅延よりも、新米ママの精神的動揺の方が遥かに問題になってしまうのである。

●母親側の成長遅延の原因

①葉酸不足

 赤ちゃんの成長遅延の原因として考えられるのが、「葉酸不足」である。母親が食事で「葉酸」を充分に摂取していないと、赤ちゃんの成長に支障が出始めるのだ。葉酸は母乳を作るために必須のビタミンであり、授乳期間中は通常の2倍の量を必要とする。葉酸は遺伝子の分裂のためには必要になるので、葉酸が不足してしまえば、赤ちゃんは体内ので細胞分裂ができなくなってしまうのだ。

②外気浴不足

 赤ちゃんにとっては外気浴をするだけで、運動になるのだ。しかも、自宅ではない外気を吸うことで免疫力を高め、成長を促そうとしていくのだ。更に太陽光はビタミンDを生成するために必要なので、ビタミンDが不足してしまうと、骨が成長してくれなくなってしまうのである。

③睡眠不足

 赤ちゃんの成長ホルモンの分泌は、大人のように午後10時から午前2時の間に分泌されるのではなく、睡眠中いつでも成長ホルモンを分泌しているので、いかに睡眠時間を多く確保するかが健康的な成長を保障することになる。逆に睡眠不足になってしまえば、成長ホルモン不足に陥ってしまい、成長遅延の原因になってしまう。いくら赤ちゃんが寝ていたとしても、部屋を蛍光灯で照らし、テレビの音量を大きくし、夫婦が赤ちゃんの横で大声で話し合っていれば、赤ちゃんは熟睡できず、成長ホルモンの分泌量も低下してしまうのである。

④便秘

 便秘は老廃物や毒素の保持のためにエネルギーを取られてしまうので、赤ちゃんが便秘になろうものなら、成長に必要なエネルギーが便秘のために浪費されてしまうのである。更に母親の方が便秘になってしまうと、汚い水分で母乳を作らざるを得ないので、赤ちゃんはその汚い母乳を飲むことによって、成長が遅れてしまうのである。

⑤血行不良

 赤ちゃんは睡眠中に血液を生産しているので、赤ちゃんが起きた時というのは、いわば鬱血状態にあるのだ。そこで母親が赤ちゃんを抱き上げて充分にあやしておかないと、血行が良くならないのだ。赤ちゃんが泣いているというのに、母親が赤ちゃんをあやさなければ、当然に赤ちゃんは血行不良になってしまい、そのために成長遅延が発生してしまうのである。

⑥水の飲み過ぎ

 授乳期間中は母乳を出していくために、母親の方が喉が渇いてしまうものだ。その際に水をガブ飲みしていると、母乳が薄まってしまい、薄い母乳を出すようになってしまうのだ。しかも、水は葉酸を体外に流し出してしまうので、葉酸が非常に少ない母乳になってしまい、そのために赤ちゃんは遺伝子の分裂ができなくなってしまうのである。

⑦カフェイン中毒

 カフェインはビタミンやミネラルを奪ってしまうので、母親が珈琲でも飲んでいようものなら、母乳はビタミンやミネラルが非常に少ない母乳になってしまうのだ。特にインスタント珈琲は非常に危険であって、赤ちゃんに成長遅延を発生させる化学物質が含まれているのだ。授乳期間中はカフェインの摂取は控えるべきなのである。

●保健所や病院の意見に過敏にならない

 赤ちゃんの成長遅延は、赤ちゃんの成長スピードの遅さと、その母親の育児の仕方のまずさが相互に影響し合って、発生するものなのである。女の子の赤ちゃんで成長スピードが遅いなら、育ったとしても性格がのんびりとした子供になるだろうし、男の子の赤ちゃんで成長スピードが遅いなら、育ったとしても大器晩成の大人になる可能性が高いのだ。その赤ちゃんが生まれ持った性格こそが、成長スピードの遅さとして現われてくるのだ。また、赤ちゃんを産んだ季節が、秋の終わり頃から、冬の中頃になってしまうと、気温も低く、太陽光も不足しがちであり、成長ホルモンもこの時期は分泌が低下してしまうものなのである。そのため、この時期に生まれた赤ちゃんは成長が遅いものなのである。

 その上で、母親の育児の仕方のまずさが追い打ちをかけて、赤ちゃんの成長を異常なまでに遅らせてしまうのである。母親側の成長遅延の原因で特に考えられるのが、葉酸不足である。授乳期間中は自分が草食動物になった気分で、野菜をムシャムシャと食べていくべきなのである。喉が渇いたからといって水を飲んでいると葉酸が破壊されてしまうので、朝食時に大量のフルーツを食べて、その日1日の水分を確保すべきなのである。母親が休憩中に珈琲など飲むのは以ての外で、ビタミンとミネラルの深刻な不足に悩まされるだけなのである。

 自分の赤ちゃんが成長遅延になった場合、まずは自分で調べてみることだ。いきなり保健所や病院に行ってしまうと、なんの知識も持っていないので、保健師や医者のいいなりになってしまうだけなのだ。本屋に行くなり、図書館に行くなりして、成長遅延を述べている書籍を購入するなり、借りて来て、自分で調べてみることだ。自分で調べれば、大半のことは解るものなのだ。

 赤ちゃんの成長遅延は、当の本人にとっては深刻な悩みなのである。そのため、保健師や医者の意見に対して、過敏になってしまい、些細な言葉でも本人が相当傷ついてしまうのだ。例えば、成長遅延が起こって保健所や病院に行くと、保健師や医者は大抵こういうだろう。「普通の赤ちゃんよりも成長が遅れていますね」と。そんなこと当たり前だ! 成長遅延だからこそ、来ているのだ!

 保健師も医者も成長遅延の赤ちゃんを抱えている母親の苦しみまでは眼中にないし、また治そうともしないのだ。こういう時は、まずは一言、「赤ちゃんの中には成長の遅い赤ちゃんもいますから、安心して下さい」と言うべきなのである。赤ちゃんを治療する場合、その赤ちゃん以上にその母親が病んでいるものなのである。まずは母親を治していくことが先決なのである。

●成長遅延の解決法:「対面抱っこ」と「夫婦でメイクラブ」

 赤ちゃんの成長遅延を解決していくのに、投薬も手術も必要ないのだ。まずは赤ちゃんの中には成長スピードが遅い赤ちゃんも居るという事実を受け入れることなのである。その上で、母親側の成長遅延の原因である「葉酸不足」「外気浴不足」「睡眠不足」「便秘」「血行不良」「水の飲み過ぎ」「カフェイン中毒」を取り除いて、赤ちゃんの成長を促してあげればいいのだ。

 成長遅延を起こす赤ちゃんに特徴的なのが、母親から「対面抱っこ」をされたをされたことがないということだ。赤ちゃんは自分の母親から「対面抱っこ」をされて貰わないと、重力の影響を受けて脳と背骨と骨盤に大いなる刺激を与えることができず、そのために充分な血液を作ったり、体を支えるだけの背骨を作れなかったり、体の各部署に成長の指令を与えることができず、そのために成長遅延になってしまうのだ。

 そこで、とにかく母親が「対面抱っこ」をしまくることだ。遣り方は赤ちゃんと対面になって抱き抱え、手を首と腰に当て、そのまま立ち上がることだ。そして赤ちゃんの目に視線を合わせて、語りかけたり、上下に揺さぶったりして、赤ちゃんの脳を刺激しまくることだ。「対面抱っこ」に慣れていないうちは、赤ちゃんは体の各部署を力ませているので、赤ちゃんが「対面抱っこ」をしても緊張しなくなるまで何度も抱き続けることを繰り返すことだ。

 これをやると、赤ちゃんの脳や背骨や骨盤に大いなる刺激を受けて、血液を増産させ、体を支えるだけの背骨を形成し、脳が体の各部署に成長するよう指令を送りまくることになるのだ。できれば、授乳も「横抱き」で行うのではなく、「縦抱き」で行い、授乳中も充分に重力の刺激を受けさせまくることだ。

 その上で、赤ちゃんの成長遅延を解決する方法として是非ともやっておくことが、「夫婦でメイクラブ」である。いきなり何を馬鹿をことを言っているかとお思いだろうが、自分の赤ちゃんを成長遅延にさせてしまう母親たちに共通することは、実はその母親が自分の夫とメイクラブをしていない、またはメイクラブの回数が少なすぎるということが、異様に目立つのである。

 母親が育児が忙しいからといって、夫婦で夜の愛の営みを怠っていると、どうしても生命力が弱くなってしまうのだ。夫婦でちゃんとメイクラブをしていないからこそ、生命力が枯渇し、赤ちゃんの成長遅延が発生するのである。自分の赤ちゃんを成長遅延にさせてしまった母親なら、絶対に思い当たるふしがある筈である。

 だからこそ、夫婦でちゃんと時間をかけて、メイクラブをするのである。メイクラブによって生命力が活性化すると、生命力に溢れた母乳を出すことができ、それを飲んで赤ちゃんがスクスクと成長していくことになるのだ。また、メイクラブをすれば、母親の気分も高揚するので、赤ちゃんの成長遅延を気にしなくなるようになるのだ。ノイローゼを脱出すれば、育児は簡単になるものなのである。

 古代の性器信仰は決して馬鹿にできない威力を持っているのだ。古代の人たちは、性器の形をした石や木を見ることによって、自分の生命力を回復させ、それを生活に投入していったのであろう。現代ではそういう性器信仰は失われてしまっているが、だからこそ、夫婦のメイクラブを大切にしていかねばならぬのだ。夫婦が夫婦のメイクラブを軽んじてしまうと、途端に生活に異常が発生してきてしまうのだ。

●赤ちゃんは生後2年間は赤ちゃんなのである

 赤ちゃんは赤ちゃんなのである。赤ちゃんは生後2年間は赤ちゃんなのである。他人の赤ちゃんの成長スピードを気にせずに、自分の赤ちゃんのペースに合わせて、ゆっくりと育てていくことだ。いくら成長が遅くても、自分の赤ちゃんであることには変わりがないのだ。

 赤ちゃんが成長遅延になっても、いずれは成長していくのだ。ただ、他の赤ちゃんに比べれば、成長が遅いだけなのだ。他の赤ちゃんを気にすることはないのだ。気にしてしまうからこそ、自分の心が病んでしまうのである。母親がいくら心を病んだとしても、それでも赤ちゃんはゆっくりとしたペースで成長しているのだ。

 赤ちゃんの成長遅延で一番恐ろしいのは、赤ちゃんの成長遅延自体ではなく、母親が平等に取りつかれて、自分の赤ちゃんが不平等状態に陥ったことでパニックになってしまっていることなのである。この状況に陥れば、どんなに知能の高い女性であったとしても、精神は異常になってしまい、異常極まりない行動を取ってきてしまうのだ。

 赤ちゃんを実際に育ててみれば、赤ちゃんというのは不平等というのが解る筈だ。首が据わる時期も、寝返りを打ち出す時期も、一人座りができる時期も、ハイハイができる時期も、一人歩きができる時期も、人それぞれなのである。赤ちゃんはみんな同じではないのだ。赤ちゃんの違いに早く気づくことだ。

 赤ちゃんは生まれながら持った成長スピードがあるし、母親も赤ちゃんが健全に成長できる環境をきちんと整備してあげないと、成長スピードに差が出て来てしまうのだ。他人と比較し競争する生き方をやめて、自分の赤ちゃんの成長スピードに合わした生き方に変えていくことだ。この大事なことに気づけば、赤ちゃんはスクスク育っていくものなのである。

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「口呼吸の禁止」と「オシャブリの使用」

●二足歩行の功罪

 人類は進化の過程で二足歩行を選んでしまった。自然界において、二足歩行は決して素晴らしい歩き方ではないのだ。獲物を獲得しようとするなら、ライオンや虎やチーターのように四足歩行の方が断然優れている。もしも、二足歩行で高速に走ろうとするなら、恐竜のティラノサウルスのように、前屈みになり、尻尾を後方に突き出して、二足歩行をした方が断然優れているのだ。人間の二足歩行は走るのには遅く、狩猟するのには余りにも不適格な体型をしているのである。

 それもそのはずで、人類が二足歩行を開始して、まず食べ始めたのが「根菜類」だからだ、根菜類を食べることによって大腸を進化させて、それによって脳を発達させていったのである。次に食べ始めたのが動物の骨の中の骨髄であって、他の肉食動物たちが食べ残していった骨を取って食べることで、胃を発達させて、その高いエネルギーを使って、更に脳を発達させたのである。人類は骨髄を食べても肉食動物ではないのである。だからこそ、人類は他の肉食動物たちとは明らかに違う体型になってしまったのである。

 狩猟をするには余りにも不適格な二足歩行が、一体人類にどのようなものをもたらしてくれたかは、赤ちゃんが二足歩行を開始した日々を見ていると良く解る、まずは「行動範囲の拡大」である。二足歩行ができなかった時は、原則として家の中を中心に活動をしているが、二足歩行が出来始めると、行動範囲は一気に広がっていくのである、

 次は「知能の発達」である。二足歩行をすれば両手が自由に使えるので、知能が一気に高くなっていくのだ。手を使うことがいかに知能を高めるかは、赤ちゃんが一人座りを始めた頃から、顔を表情が豊かになり、喃語も増え、他人とのコミュニケーションの遣り取りも断然巧くなっていくのだ。

 そして「言葉の使用」である。背筋を伸ばした状態で二足歩行ができてしまうと、声をきちんと発することができるようになるのである。赤ちゃんに二足歩行をさせていくと、それまでは喃語だったのに、いつの間にかに喃語がきちんとした単語になり、単語が2語文章になり、3語文章になって、複雑な会話をしていくことが可能になるのである。

 逆に二足歩行に罪があるとするなら、それは喋ることができてしまったために、「口呼吸」をすることが可能になってしまったということである。哺乳動物はどの動物も鼻呼吸である。鼻には空気を浄化する機能がついているので、それによって安全な空気を吸うのである。しかし、口呼吸だと空気を浄化する機能がないために、空気中の細菌をダイレクトに受けてしまい、そのために様々な病気を発症してしまうのである。

●なぜ、口呼吸が危険なのか?

 なぜ、口呼吸が危険かといえば、空気中の細菌がダイレクトに入ってしまい、それによって人間の免疫に異常を引き起こしてしまうからなのである。人間は二足歩行をすることで、偶然にも言葉を発する機能を持ったが、口呼吸をするために口や喉を変えていったわけではないのである。口にも喉にも細菌を封じる能力がないのだ。

 一番解り易いのが、赤ちゃんが喃語を喋り始めた頃から、大量のヨダレを垂らすことなのである。赤ちゃんは一人立ちができなければ鼻呼吸しか行わないのだが、喃語を喋ることは、口から空気が入ってくる危険性を伴うので、赤ちゃんはヨダレを垂らすことで、免疫力を高めているのだ。ヨダレには殺菌効果があるので、口の中だけではなく、口の外にまで出すことによって、その殺菌効果を充分に使用しているのである。

 もうひとつは、赤ちゃんは手を口に突っ込んで、手をしゃぶるのである。新米ママだと赤ちゃんのおしゃぶりをやめさせようと手を引っこ抜こうとするのだが、赤ちゃんは相当強い力で手をしゃぶっているので、母親の筋力を以てしても抜けないのである。とするなら、これは単なる癖ではなく、赤ちゃんが何かしら必要があるからこそやっているのである。それは口呼吸の阻止である。赤ちゃんが口に手を突っ込んでしゃぶっていると、それは「母親の愛情不足だ」といわれるのだが、それはそうなのではなく、赤ちゃんが喃語を喋れるようになってしまったがために、口呼吸を阻止するために、赤ちゃんが自然に取っている行動なのである。

 しかし、赤ちゃんが二足歩行を開始してしまうと、徐々にヨダレを垂らさなくなり、常に手を口に突っ込むよりは、手を自由に使った方が動き易いゆえに、口呼吸の危険性を封殺することをしなくなってしまうのだ。そのために赤ちゃんの中には口呼吸を仕出す赤ちゃんたちが大量に出始めてしまうのである。

 人間は口呼吸をしてしまうと顔が歪んでしまい、そのために「出っ歯」や「隙っ歯」や「歯並びの悪さ」となって現われ、顎がずれてしまい、非常に顔つきの悪い人間になってしまうのである。「口呼吸をしている人に美男美女はいない」と言われるが、まさにその通りであって、鼻呼吸をしないからこそ、顔が歪んでしまうのである。

●口呼吸が引き起こす病気

①小児喘息

 口呼吸は空気中の細菌がダイレクトに入ってくるので、喉や肺が細菌によって侵されてしまう。そこで喉や肺が細菌を追い出そうとする症状が、小児喘息である。赤ちゃんは小児喘息になりやすく、小児喘息になれば治療は困難を極める。当たり前である。いくら薬を投与しても、その赤ちゃんが細菌を侵入させてしまう口呼吸をしているからである。それゆえ、医者が治療困難な小児喘息でも、口呼吸を禁止させさえすれば、簡単に治ってしまうのだ。

②アトピー性皮膚炎

 アトピー性皮膚炎は口呼吸だけが原因で起こるものではないが、口呼吸をしている限り細菌を体内に侵入させてしまうので。その細菌が皮膚に到達して、そこで炎症を引き起こしてしまうのである。アトピー性皮膚炎の治療に効果がないのも、その赤ちゃんの口呼吸を封じないからなのである。口呼吸している限り、いくらでも細菌が体内に侵入してきてしまい、皮膚で炎症を引き起こしてくるのである。

③食物アレルギー

 赤ちゃんが見せる食物アレルギー反応は、主に満2歳以前の離乳食を原因として起こってくるのだが、口呼吸によって免疫力を下げていると、些細な食べ物に対してですら、アレルギー反応を示してしまう。満2歳になるまで口呼吸を禁止して、その後に離乳食を与えていかないと、赤ちゃんはその体の構造上から口呼吸をしてしまう危険性があるのである。 

④キレる症候群

 「キレる症候群」とは、現在、社会問題化している病気で、少年少女だけでなく、大人ですらも、ちょっとしたことで、すぐにキレてしまう。これは口呼吸によって恒常的な酸欠を引き起こし、思考能力が著しく低下してしまい、これがキレる原因となっているのだ。キレる症候群に罹っている人たちの知能指数は明らかに低いし、忍耐力というものに限っては全くないといっていいのだ。これは赤ちゃんの時から口呼吸を繰り返してきたために、脳に充分な酸素を供給することができず、知能を高めることができなかったのである。

 赤ちゃんですら、赤ちゃんが口呼吸をしているなら、すぐにキレてしまい、大人たちと同様に「キレる症候群」を発症し始める。赤ちゃんが怒ってしまい手がつけらないとうなら、まずは赤ちゃんの口呼吸を禁止することだ。それと共に、自分や夫の口呼吸を禁止することだ。赤ちゃんを「キレる症候群」に罹らせる両親も口呼吸をやっている可能性が非常に高いからだ。赤ちゃんは必ず両親のマネをしてくるのだ。

⑤「近視」と「難聴」

 赤ちゃんは生まれた当初、視力は「0.02」程度しかないといわれている。視力は徐々に発達していって「2.0」になるので、この事実を知っていないと、赤ちゃんの近視を問題視してしまうのだ。小学6年生以下であるならば、近視の原因は、「ビタミンA不足」「テレビの見過ぎ」「蛍光灯」にあるので、メガネをかけさせるよりは、まずはこれらの物を除去していくことである。これでも治らない時は、その子供が口呼吸をしているからである。それゆえ、口呼吸を封じさせることである。

 人間の口と耳は内部で繋がっているので、口呼吸をしていると、難聴になってしまう危険性が出て来る。乳幼児や児童の難聴は耳鼻咽喉科に行っても治せないので、ただ口呼吸を禁止して、鼻呼吸に切り替えさせれば、呆気ないほど簡単に治ってしまうのだ。ちなみに、赤ちゃんは生まれた当初から聴力はいいので、難聴になってしまうと、母親とのコミュニケーションが一気に悪化してしまうことになる。

⑥小児性白血病

 口呼吸もひどくなると、小児性白血病という死の病を引き起こしてしまう。小児性白血病は口呼吸によって細菌が骨にまで到達してしまい、そのために血液の生産に異常事態を引き起こしてしまうのである。小児性白血病は抗癌剤や骨髄移植で治るものなのではなく、まずは口呼吸を封じるべきなのである。口呼吸さえやめさせれば、血液の生産を妨害する細菌を断つことができるからだ。

⑦悪性リンパ腫と脳腫瘍

 口呼吸も更に悪化すると、悪性リンパ腫という死の病を引き起こしてくる。子供であるならば、悪性リンパ腫は脳腫瘍という形で表れてくる。体内の細菌を除去するはずのリンパが正常に機能してくれないために、脳にまで細菌が到達してしまい、これが脳腫瘍になってしまうのである。いくら脳腫瘍だからといって、頭蓋骨を開いて手術しても無駄である。まずはその子供の口呼吸を禁止すれば、細菌を封じることができ、脳腫瘍が急激に縮小していくことになるのである。

●お座りを仕出したら、オシャブリを使用する

 口呼吸は非常に恐ろしい呼吸の仕方なのである。だからこそ、母親は赤ちゃんの口呼吸を封ずる必要性があるのである。では、どうすればいいのかといえば、「オシャブリ」を使用すればいいのである。オシャブリこそ口呼吸を封じて、鼻呼吸をさせ、赤ちゃんの免疫力を高めさせることができるのである。

 オシャブリを与える時期は、お座りを仕出した頃である。オシャブリを早い時期にさせようとしても、赤ちゃんは吐き捨てるだけなので、タイミングをきちんと見計らっておいた方がいい。オシャブリはいつも目にするものなので、母親の好みに合うものを選ぶべきなのである。ちなみに、オシャブリの製品は、現在では、ドイツのヌーク社製のオシャブリが世界最高品質である。

 オシャブリをさせると歯並びが非常に良くなるのだ。赤ちゃんにオシャブリをさせると、舌を盛んに動かし、顎でオシャブリをいつも支えていなくてはならないので、顔の筋肉が非常に鍛えられ、歯並びも良くなるのだ。歯並びの悪さというのは、顔の筋肉が鍛えられていないからこそ、歯並びの悪さとなって現われてくるのである。

 オシャブリは顔の筋肉を日々鍛える以上、赤ちゃんは男の子ならカッコ良く、女の子なら可愛くなっていくのだ。しかも、表情も豊かになり、快活な子供へと育っていくのだ。我が子を将来、美男美女にしたければ、オシャブリをさせることだ。醜男醜女というのは、口呼吸をしているために、顔の筋肉が鍛えられていないからこそ、顔つきが悪くなってしまうのである。

 オシャブリは赤ちゃんの時だけにするのではなく、3歳か4歳まではオシャブリをさせることだ。乳幼児は4歳から5歳の間に、明らかに何かが変わり、母親から離れていこうするので、その時期が来るまでは、オシャブリをさせ、口呼吸を封じて、鼻呼吸を常時行えるようにしてあげることだ。自分の息子や娘にオシャブリをさせ、鼻呼吸をさせることが、無病息災にさせ、顔つきのいい大人へと育っていくことができるようになるのである。

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赤ちゃんの一人歩きのために、新米ママができること

●新米ママにできることは、ゆっくりと待つことだけ

 新米ママが焦るよりも、赤ちゃんはゆっくりと成長していく。いつも自分が赤ちゃんと一緒に居るためにその遅さが解らないのである。そして、赤ちゃんにとっては、そのゆっくりとした成長こそが、その過程で持つそれぞれの役割を充分に満たして、健康的に成長していくことができるのである。

 それゆえ、赤ちゃんの一人歩きのために、新米ママが一体何ができるかといえば、「ゆっくりと待つ」ことだけなのである。たったそれだけのことなのである。新米ママがゆっくりと待ってくれさえすれば、赤ちゃんはいずれ一人歩きを開始するようになるのである。育児で最も大事なことは、母親が手を出すべきものには手を出すべきだが、手を出してはならないものには、絶対に手を出してはならないということなのである。待たねばならぬものに対しては、ゆっくりと待つしかないのである。

 人間は人々が集まれば必ず競争が始まる。だからこそ、育児というのは、基本的には家庭という小さな場所で行われなければならないのだ。集団で育児をしようものなら、母親たちが競争を始めてしまい、赤ちゃんは充分に時間をかけて成長していくことができなくなってしまうのだ。そして、赤ちゃんにとっては、大事な過程を永遠に失ってしまうことになり、異常な状態で成長していかなくてはならなくなるのである。

 育児というのは、その母親が精神的に独立していない限り、非常に危険な育児の仕方を開始してしまうことになるのだ。精神的な自立を完成させていない女性は、必ず他人と競争しようとし始めるからだ。他の母親たちと育児のスピードを争い、下手をすれば、自分の赤ちゃんとですら競争をし始めるからだ。

 人間は精神的な自立を成し遂げてしまえば、「競争から慈愛へ」という精神的な大転換を果たすのである。自分の利益を得るために競争するより、他人を慈しみ愛していこうと仕出すのである。これが精神的な独立の始まりであって、この大転換を成し遂げていないのなら、人間は結婚などしようとしない筈だ。誰かと争おうという姿勢を持っている限り、人をまともな形で愛していくことはできないのだ。せいぜい、自分の欲望を満たすために、愛を利用していくことしかできないのだ。

 だからこそ、赤ちゃんが生まれたのなら、他人と争うことなく、自分の赤ちゃんは自分の赤ちゃんのペースでゆっくりと育てていけばいいのである。これができるのは、精神的に独立した女性だからこそできるのである。赤ちゃんが生まれてから、ゆっくりと育てながら、ハイハイを充分にさせ、膝歩きをさせ、赤ちゃんが伝い歩きをするようになってから、手押し車を与えるだけでいいのである。たった、これだけなのである。 

●母乳の出を良くさせる

 と、いくら手を出すなと言っても、手を出してくるのが、新米ママなのである。まさに「小人閑居して不善を成す」を地で行くが如しなのである。人間は何もしないのが、一番苦手なのである。手を出さず、ゆっくりと育てていくのが、育児の王道と解っていても、赤ちゃんが目の前に居れば、手を出してしまうのである。それゆえ、新米ママに何かしらの課題を与えておかないと、とんでもないことを仕出かすのである。

 赤ちゃんの一人歩きをちゃんと行わせたいのなら、まずは「母乳の出を良くさせる」ということだ。赤ちゃんはハイハイができるようになると、たくさんのエネルギーを消費するので、より多くの母乳が必要となる。この時期に母乳を大量に与えておけば、赤ちゃんの成長はより健全に成長していくことができるようになるのだ。

 ところが、ハイハイができる頃になると、赤ちゃんの体も大きくなっているので、赤ちゃんが小さかった頃のようには、おっぱいにがぶりついていないように見えてしまい、それほど母乳の出を気にしなくなってしまうのだ。これは典型的な目の錯覚であって、当然のことながら、赤ちゃんは大きくなった時期の方が、母乳を飲む量は多くなっているのだ。

 母乳の出を良くしたいのなら、とにかく「葉野菜」をたくさん食べることだ。葉野菜に含まれる「葉酸」こそが、母乳の出を良くさせてくれるビタミンであるからだ。お薦めは「小松菜ジュース」であって、小松菜とトマトとパセリと浄水をミキサーで掻き回し、そこに天日塩とオリーブオイルを入れて掻き回せば出来上がりだ。

 これ以外にも、「アンズ」「アボガド」「マスクメロン」「カボチャ」「人参」「豆類」「レバー」「卵黄」などに葉酸が含まれている。特にアンズとアボガドは、葉野菜についで良質な葉酸が含まれているので、頻繁に食卓の上に登らしておくべきだろう。カボチャや人参や豆類といったものも、料理で工夫して、出す回数を多くしていくことだ。レバーは葉酸だけでなく、育児において必要なビタミンやミネラルが大量に含まれているので、定期的に料理で出していくことだ。

 赤ちゃんが母乳を飲む量が増えていくと、喉が渇くものである。だからといって、そこで大量の水を飲んでいると、母乳が薄まってしまい、赤ちゃんの成長は遅くなってしまう。それゆえ、喉が渇いたのなら、「フルーツ」を食べることだ。特に朝食事にフルーツを大量に食べておくと、フルーツがよりいい形で消化吸収されるので、朝食時にフルーツを食べればいいのだ。しかも、フルーツに含まれる酵素水分が母親の体を活性化させるだけでなく、母乳を通じて赤ちゃんをも活性化させるからだ。

 もしも、母乳の出がどうも悪いなと思った時は、「タンポポ茶」がお薦めである。タンポポ茶は母乳の出を良くさせてくれるお茶であるのだ。母乳の出が悪く、仕方なく断乳してしまった母親でも、タンポポ茶を飲ますと、母乳が復活してくるのだ。授乳中は可能な限り、カフェインの入ったお茶を控えた方がいい。カフェイン入りのお茶には効能があったとしても、カフェインはどうしてもビタミンやミネラルを奪ってしまうので、授乳という母乳を通じて自分の体内のビタミンやミネラルを出していかなければならない時期には、飲むべきではないのだ。

●天日塩湯

 赤ちゃんはハイハイを仕出すと、大量の老廃物や毒素を発生させてきてしまう。人間は動けば、それだけエネルギーを使い、老廃物や毒素が出て来てしまうのだ。それゆえ、まずは赤ちゃんが便秘をしないように、授乳したらすぐに排便というペースを維持することだ。赤ちゃんが便秘にならないように、自分自身も便秘をしないことだ。母親の便秘は赤ちゃんにも伝染するものだと思った方がいい。実際には、母親が便秘をしてしまうと、母乳の中に汚い水分が含まれてしまうので、その汚い母乳を赤ちゃんが飲んでいると、赤ちゃんも便秘になってしまうのだ。

 次に定期的に天日塩湯で赤ちゃんを洗うことだ、昔から、赤ちゃんに元気がなくなった場合、天日塩湯で洗うということをしてきたのだ。天日塩の力を使って、赤ちゃんの体から老廃物や毒素を出させて、赤ちゃんの体を健康にさせるという優れた方法なのだ。遣り方は非常に簡単で、湯船に天日塩を入れて、そこに赤ちゃんを入れ、お湯で溶かした天日塩で赤ちゃんの体を洗えばいい。

 天日塩湯に入れる時は、石鹸を使わなくていい。天日塩自体に殺菌効果があるので、充分に赤ちゃんを奇麗にすることができるのだ。天日塩湯に入れた時は、赤ちゃんを湯船から出して、そのまま置いておき、赤ちゃんの体を自然に乾かせることだ。こうすると天日塩が赤ちゃんの体に浸透して、より赤ちゃんを元気にさせることができるのである。沐浴を終了させる時は、水のシャワーで洗いながせば、艶艶の肌が現われてくることだろう。

 赤ちゃんにとっては天日塩湯で毒消しが可能になり、体内の余分な水分を排出させ、動き易くさせることができるのだ。動きが良くなれば、ハイハイもしやすくなるし、一人歩きをさせやすくなるのだ。天日塩湯を使用すると、赤ちゃんの動きが全く変わり、いかにも活発になるのだ。

 天日塩湯は赤ちゃんが入るだけでなく、新米ママ自身も入っておいた方がいい。新米ママの場合、湯船に天日塩を入れてもいいが、それだと大量の天日塩が必要となってしまうので、通常の湯船に20分から30分の間、充分に浸かって、玉のような汗が額から流れてきたら、湯船から上がり、そこに天日塩を塗りつけていくのだ。天日塩の力で大量の汗が出始め、そして乾いたら、水のシャワーで洗い流せばいいのだ。これをやるとお肌は艶々になるし、張りも出てくるし、体重も軽くなるのだ。確実に1kg以上は体重が落ちる筈だ。それだけ体内に余分な水分があったということなのだ。新米ママの体が軽くなれば、あれやこれやと育児に手出しするような母親にはならない筈だ。

●育児以外で自分が取り組めるものを持っておく

 赤ちゃんにとって母親から育児をされるということは必要である。しかし、赤ちゃんは母親が自分に執着されると、巧く成長してくれないものなのだ。赤ちゃんに母性愛を注いでも、赤ちゃんに執着すべきではないのである。もしも、新米ママが育児だけをしていたら、育児が成功するどころか、育児の様々な場面で要らぬ手出しをしてしまい、育児を台無しにしてしまうのである。

 そこで、育児以外で自分が取り組めるものを持っておくことだ。まあ、無難な所では「料理」や「裁縫」といったものだ。料理が得意な女性なら、育児のことを忘れて、料理に取り組むことだ。しかも、ただ単に料理を作るのではなく、レシピをきちんと書き残して、後日、料理本として出版してもいいくらいの野望を持って、料理をしていくことだ。

 新米ママがやる裁縫も、この時期に作るものといえば、ベビー服である。ベビー服は構造が簡単なので、意外と簡単に作れてしまうものなのだ。ベビー服も漠然と作るのではなく、デザインのいいベビー服を作り、将来、ビジネスとして成功するくらいの勢いで作っていくことだ。ベビー服は、量産では大手企業に勝てなくても、特注品ということでなら、一介の主婦でも充分に成功していくことが可能な分野なのだ。

 それ以外にも赤ちゃんの「写真」を撮ってみたり、赤ちゃんの「絵画」を描くというのもいい。赤ちゃんの何気のない動作でも、カメラを使えば、ベストショットだらけなのだ。風景画や美人画というジャンルがあるなら、「赤ちゃん画」があってもいいのだ。地道にやっていけば、確実に腕は上達し、プロ並みの腕前になる筈である。

 育児というのは、赤ちゃんを目の前にしたら、手を出すべきことには手を出しておかねばならない。しかし、手を出し過ぎれば、逆に巧く行かなくなってしまうのだ。だから、育児の現場から一旦離れてみることなのだ。離れてしまえば、今まで見えなかったものでも、ちゃんと見えてくるのだ。そして、それを何度か繰り返していれば、「育児で最も大事なことは、ゆっくりと待つことなのだな」というのが自然と解ってくるのだ。赤ちゃんは母親の思い通りには成長してくれない。赤ちゃんには赤ちゃんなりのペースがあって、そのペースに合わしていけば、最も出来のいい成長が可能になるのである。そのためには、育児をしながら、ゆっくりと待つことだけなのである。

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赤ちゃんの動きと脳の発達の関係

●赤ちゃんは動くたびに脳が発達していく

 人間の肉体的成長には限界があるが、人間の精神的成長には限界がない。人間の肉体は19歳をピークにして成長を止めてしまうが、人間の脳の成長には成長の終わりというものがないのだ。脳は使えば使うほど発達していく器官なのである。「老化でどうも物忘れがひどくて~」と言っているような人々は、頭を使わないからこそボケていくのであって、実際、頭を使っている仕事をしている人々は、歳を取れば取るほど頭が良くなっているものなのだ。

 赤ちゃんの場合は、未だ肉体の成長途上なので、肉体の成長に釣られて、脳の成長も促されてしまうという時期を迎えているのだ。一言で言ってしまえば、赤ちゃんは体を動かすたびに脳が発達しているということなのだ。赤ちゃんのことを注意深く見ている新米ママなら、赤ちゃんが話す喃語が、赤ちゃんの動きが多くなるたびに、喃語が増えていく事実を見つけ出す筈だ。赤ちゃんは手足を動かせば動かすほど、脳細胞が増え、脳内でシナプスが形成されて、知能を高くしていくのだ。

 赤ちゃんは自分一人で成長していくのではない。赤ちゃんは母親の手助けを借りながら、母親のモノマネをして育っていくのだ。このため、母親が赤ちゃんに接する時間が長いほど、赤ちゃんは母親の手助けを借りて、母親との遣り取りを行い、母親の行動を観察することができ、モノマネのレパートリーを増やしていくのだ。この母親との遣り取りとモノマネこそが赤ちゃんの脳の成長を促し、知能を高めていくことになるのだ。

 赤ちゃんには外気浴も非常に大事で、自宅以外の世界を見聞きするからこそ、脳が大いに刺激されて、知能を高めることができるようになるのだ。行動範囲の狭い母親と、行動範囲の広い母親とでは、行動範囲の広い母親のもとで育った赤ちゃんの方が高い知能を持つことができるのだ。

 赤ちゃんは動けるようになると、何度も失敗し、ぶつけるは、転ぶは、泣くは、喚くは、と何度も試行錯誤を繰り返しながら、徐々に動ける内容を増やしていくのだが、この動けば動くほど脳が活性化され、知能が高くなっていくのだ。人間の脳の大きさや質といったものは、いかに赤ちゃんの頃に動いたかで決定されてしまうものなのだ。

●手足バタバタでも脳は発達する

 赤ちゃんは生まれてから当分の間は、寝ていることだけに1日の大半を費やすのであるが、首が据わり始めてくると、手足をバタバタさせるようになる。この手足のバタバタを、意味不明の動きとは思ってはならない。実は、この手足のバタバタだけで、「延髄」の成長が促されるという非常に重要な動きをしているのである。

 延髄は脊椎動物にとっては脳の一部で、呼吸運動や心臓の動きを調整するものなのだ。赤ちゃんが手足をバタバタさせ始めた時に、充分に手足をバタバタさせないと、呼吸運動や心臓の成長になんらかの異常が生じてしまうのだ。昔、日本で肺結核が死の病とされていた時代が長く続いたものなのだが、これは仏教の影響を受けて肉食ができなかったということと、赤ちゃんに重い掛け布団をかけたり、重たい服を着せて、赤ちゃんの手足のバタバタを封じてしまったからなのだ。

 また、小学生や10代や20代で心臓の病気を患ったなら、赤ちゃんの時に充分に手足のバタバタをさせて貰えなかったことに原因があると見ていいのだ。病院で手術を受けたり、正体不明の薬を飲むよりは、寝っ転がって手足をバタバタさせて延髄を鍛えていった方が余程効果があるのだ。

 更に延髄には声帯を発達させる機能をも持っているので、赤ちゃんが手足をバタバタさせるようになると、喃語が出始めることになる。言葉の発達が遅い赤ちゃんや、喋るのが遅い赤ちゃんや、無口な赤ちゃんは、手足をバタバタさせる回数が少ないために、充分に延髄を成長させることができなかったためなのだ。

 延髄は運動中枢の中継地点であり、この延髄が充分に発達されないと、赤ちゃんは動けないままになってしまうのだ。事実、手足をバタバタさせた後に、寝返りを打つということをし始めるのだ。寝返りを打つという動作だけでも、延髄が充分に発達していないとできない動作なのだ。

●「ハイハイ」で脳幹が発達する

 赤ちゃんが「ハイハイ」を仕出すと、脳幹の成長が促されることになるのだ。脳幹はそれこそ「脳の根幹」であり、人間の生命の根幹であるといってもいいいのだ。運動神経を司り、ホルモンを分泌させ、自律神経を作動させる。赤ちゃんは「ハイハイ」を繰り返すことで、脳幹を発達させて、人間らしい人間を作り上げていくのである。

 また、脳幹には人間の意識を制御するという重大な機能があり、いくら大脳を大きくさせても、大脳の機能は脳幹によって制御されているのであって、脳幹が充分に発達していない限り、大脳を制御することができず、それどころか大脳に脳幹が制御できないほどの情報量が入ってきてしまうと、自殺命令が作動してしまうのだ。

 人間は脳幹の機能が弱れば、それはそのまま自分の生命力の弱体化に直結するのだ。それゆえ、母親が赤ちゃんの「ハイハイ」の期間を短くして一人歩きをさせてしまうと、赤ちゃんは脳幹を発達させる時期を失ってしまい、甚大な症状が出始めるのだ。現在、有名になってしまった「ADHD」(注意欠陥多動性障害)や「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)なども、脳幹が発達していないからこそ、患ってしまう病気なのだ。キレる子供や、イジメをする中高生や、麻薬に手を出す大学生や、自殺してしまう大人たちは、皆、脳幹が発達していないからこそ、人間として異常な行動を取ってしまうのである。

 赤ちゃんは「ハイハイ」をすることで、脳幹だけを鍛えていくのではない。「摺り這い」では、「腸」「肺」「腎臓」「脳下垂体」を鍛え、「高這い」では「腸」「胃」「肝臓」「喉」「鼻」を鍛えていくことになるのだ。だから、「ハイハイ」をしている時期に離乳食など以ての外で、腸も胃も腎臓も肝臓もまだ充分に発達してしないのだ。赤ちゃんは「ハイハイ」を繰り返すことで、内臓を鍛え、来るべき離乳食に備えていくのである。

 ちなみに、脳下垂体は卵巣や子宮への内分泌機能の総司令部なので、脳下垂体が弱まれば「不妊症」を患ってしまうのだ。不妊症を患ってしまった女性たちは、赤ちゃんの頃に充分な「摺り這い」をしなかったからこそ、大人になり結婚してから不妊症という症状に見舞われてしまうのだ。それゆえ、不妊症を患っているなら、自分も「摺り這い」をして脳幹を鍛えていくことだ。大人になってからやると見苦しい動作ではあるが、摺り這い」をやれば脳幹が鍛えられるので、不妊症を克服して妊娠することが可能になるのだ。

●膝歩きと伝い歩きと一人歩きで大脳が発達する

 赤ちゃんが「膝歩き」を開始すると、大脳辺縁系が発達することになる。大脳辺縁系は主に「記憶の保持と想起」、それに「閃き」を司っている。日本では母親たちの無知や住宅が狭さが原因して、赤ちゃんの膝歩きが充分にされていないという深刻な状況にある。赤ちゃんも足腰の筋力が発達してしまうと、膝歩きをやめて次の「伝い歩き」に移行してしまうので、膝歩きをし始めたら、母親は手出しをしないで、赤ちゃんに充分に膝歩きをさせてあげなければならないのだ。

 赤ちゃんは膝歩きが充分にできるスペースで育てられるなら、充分に膝歩きができるので、大脳辺縁系を成長させることができるのだ。当然に大きな家で育った赤ちゃんは記憶力や発想力で圧倒的に優位に立つのだ。いかに政府や地方自治体の住宅政策が必要かなのかは、自宅の大きさこそが赤ちゃんの知能を左右してしまう要素になっているからなのだ。

 赤ちゃんが伝い歩きをし、一人歩きをし始めると、大脳新皮質が急激に成長していくことになる。大脳新皮質は運動の全般を司り、「視覚」「聴覚」「味覚」」「嗅覚」などの感覚機能を有し、言語機能をも司る。人間は二足歩行をすればするほど、大脳新皮質を発達させるので、赤ちゃんも歩けば歩くほど知能が高くなっていくのだ。

 大人たちは二足歩行を当たり前としているので、どうしても、赤ちゃんに早く二足歩行をしてほしいと強く願ってしまう。しかし、赤ちゃんは手足をバタバタさせ、「ハイハイ」をし、膝歩きをし、伝い歩きをして、やっと一人歩きを仕出すのであって、その過程にはそれぞれに脳を発達させる役割が秘められているのであり、その過程を充分にやっておかないと脳が発達していかなくなってしまうのだ。

 人間は大脳だけを発達させればいいというものではないのだ。延髄も脳幹も充分に発達させていないと、その大きくなりすぎた大脳を制御できなくなってしまうのだ。人間は知能が低ければ、それはそれで異常なものだが、知能が高くなりすぎると、より異常な人々を見出してしまうのだ。それは延髄や脳幹が制御できる以上の大脳を持ってしまったからなのだ。

 人間は知能が高ければいいというものではないのだ。その高い知能を支える延髄や脳幹を充分に発達させない限り、まともな知能を使いこなすことはできなくなってしまうのだ。赤ちゃんのその後の成長を考えるなら、赤ちゃんをゆっくりと育てて、赤ちゃんの手足のバタバタや「ハイハイ」や膝歩きや伝い歩きや一人歩きをさせていくことだ。それこそが赤ちゃんの脳を健全な形で成長させることが可能になるのである。

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