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2009年6月

夫婦愛だけでなく、結婚の仕方の重要性に気づけ

●愛よりも大事なもの

 結婚は男女双方の愛がなければ始まらないが、結婚の命運は結婚の仕方で決まってしまう。愛だけでは結婚を維持させることはできないのだ。確かに愛は大事かもしれないが、愛よりも大事なものがあると解った時に、結婚は幸せに満ちたものになるのだ。これが見えてこないからこそ、結婚の至る所で躓いてしまうのだ。

 愛には魔力的な力があるために、多くの夫婦が愛の名の前に自律性を失ってしまう。愛は所詮、精神作用にしかすぎないのだ。愛によって精神作用を高めることはできても、物質作用を高めることはできないのだ。結婚に於ける精神作用を高めるだけでなく、物質作用を高めてこそ、執権はバランスを取って、エネルギーを増大させていくのだ。

 例えば、夫婦がいくら愛し合ったとしても、夫の稼ぎが少なければ、生活費のことで揉めてしまうものだ。夫婦がどんなに仲が良くても、妻が家事や育児を放棄していれば、家庭の中はゴチャゴチャになっていくことだろう。夫婦にちゃんとした愛があるなら、夫はきちんと稼いでくるべきだし、妻はきっちりと家事や育児をこなしていくべきなのである。

 夫婦愛だけで結婚を運営していくことはできないのだ。確かに夫婦である以上、夫婦愛は大事である。しかし、夫婦愛の上に、結婚の仕方をマスターするからこそ、夫婦は喧嘩することもなく、結婚によって様々な物を手に入れていくことができるのである。結婚して幸せになった人々は、この結婚の仕方の重要性に気付いただけであり、結婚で不幸になった人々は、この結婚の仕方の存在することが解らなかったのである。

 結婚の仕方が解っている既婚女性は、い育児の仕方も解ってくることだろう。結婚の仕方が解ってしまえば、育児の仕方など簡単なものだからだ。「仕方」というのはメカニズムであって、その仕方をきちんと押さえておけば、幸せは自動的に生み出されていくものである。

●質よりも量をこなせ

 結婚の仕方というものは、量をこなさない限り、結婚の仕方は上達してこないものなのである。量をこなすということを軽視するからこそ、質が向上しないのである。夫婦双方が若ければ、結婚当初は貧乏に決まっているのだ。だったら、夫は稼ぐことに重点を移し、家事や育児を妻に任してしまうことなのだ。夫が家事や育児を手伝ったとしても、それはサポート的なもので充分なのだ。夫が仕事に専念するからこそ、仕事に全力を投入することができ、その結果、収入が増えていくのだ。

 稼ぐのが夫である以上、夫婦間でお金を使うことや、お金を貯めるのは妻の仕事となるのだ。夫の稼ぎを出鱈目に使ってしまうのではなく、家計簿をつけてしっかりと管理して、収入の20%を先に天引きして貯金に回してしまい、その残りを生活費に回し、その全額を当月で使い切るのではなく、可能な限り繰越金を残して、来月の予備費に回して、いざという時に備えるのである。

 現在では低金利政策が長らく続いているので、いくら貯金した所で利子がつかないのだ。そのため、株式投資をするなり、不動産投資をするなりして、資産を増やす努力をしていかなければならなくなるのだ。それゆえ、当然の如く、妻の方は株式投資や不動産投資のことに詳しくなければならず、その方面の勉強をしっかりとしておくべきなのである。結婚して20年経って、夫婦の資産が1億円以上なければ、その妻は貯蓄と投資に関しては全くの失格だったということになるのである。

 一方、資産を増やす努力をだけをしていくのではなく、妻は消費に関してもエキスパートにならなければならないのだ。消費こそ、その夫婦の経済的豊かさを決定してしまうものなのである。この世には「所得が少ないから貧乏なのだ」とか、「いくら働いても豊かになれない」と騒ぎだす人々がいるものだが、きちんと消費をするからこそ、豊かになることができるのである。消費こそ生産力を決定するというのは、経済学の基本中の基本である。夫婦の豊かさというのは、妻が正しい消費をしてくれるからこそ豊かになるのであり、そのための費用は妻が正しい消費をしている限り、ちゃんと得られるものなのである。

 結婚の仕方で重要なものは、実は家族に於けるお金の流れをしっかりと押さえることなのだ。どんなに夫婦が愛し合ったとしても、金欠に見舞われれば、途端に夫婦喧嘩し出すものなのだ。お金の流れが見えず、それを管理できないからこそ、貧乏になってしまい、貧乏だからこそ無意味な夫婦喧嘩が絶えないのだ。

 結婚というと、妻は「料理」「掃除」「洗濯」をしなければならないと思っている既婚女性たちは、愚かな女性たちが作った家政学に囚われているに過ぎないのだ。勿論、料理や掃除や洗濯は家事に於いては重要である。しかし、それらの家事の作業は家政婦でも代用が効く仕事なのである。家政の中で最も重要なのは、家計をしっかりと握り整えることなのだ。夫婦の家計を預かるということができなければ、それは妻として失格であり、妻としての地位は事実上、失っていると同じことなのだ。

●自分の得意分野を築け

 家計というのは、それをしっかり管理できたとしても、結婚当初はそれほどすぐに成果が現れてくるものではないのだ。夫の稼ぎがまだまだ少ないし、資産を増やしていく時間も足りないし、消費の遣り方も充分に習得しているとは言い難いからだ。だからこそ、料理や掃除や洗濯といった家事に主力を投入して、そこで得意分野を築いてしまうべきなのだ。家事というのは得意分野があれば、家事をすることに自信がつき、他の家事も卒なくこなすことができる

 例えば、料理をするのが得意なら、料理本や栄養学の本や漢方医学の本を読んで研究して、体を冷やすことなく、栄養バランスが取れ、しかも美味しい料理を作っていけばいいのだ。それを気紛れに行うのではなく、計画を立て、レシピを書き残していくことだ。夫といえども、すべての料理を食べてくれるわけではなく、好き嫌いがあるので、嫌いな料理を出さないようにして、夫婦双方が美味しいと思える料理を作っていけばいいのだ。

 掃除を苦手とする既婚女性は多いものだ。だったら、敢えてそこに力を入れて、他の既婚女性たちよりも巧くなってしまうとか、最低限の掃除を施すということをしておけばいいという考えに変えてしまうことだ。掃除というのは、とにかく毎日掃除をするというのが基本だ。だから、毎日掃除をして、或る程度まで奇麗にしてしまえばそれで充分なのだ。しかし、だからこそ、多くの既婚女性たちは掃除の手抜きをしてしまうものであり、そこで掃除を少し工夫すれば、それだけで掃除のエキスパートになってしまい、掃除をすることが楽しくなってしまうのだ。

 洗濯は殆ど自動化されているので、大した苦労など発生しないものだ。洗濯物を干す時は規則正しく干して、余分なスペースを生じさせて、干し切れない状況にはしてしまわないことだ。洗濯物をきちんと畳み、箪笥への巧い収納を工夫すべきであろう。また、全く使っていない服があるなら、古着屋で売ってしまうことだ。いくら置いといたとしても、絶対に着ることはないし、ただ単に箪笥の中で邪魔でしかなく、他の洋服が入らなくなってしまうのだ。

 家事というのは、不思議なもので、何か一つの得意分野ができてしまうと、他の家事も簡単にできるようになってしまい、家事のすべての分野で上達していってしまうものなのだ。最初からすべての家事を満遍なくやろうとするからこそ、どの家事も不得意になってしまい、家庭の中がゴチャゴチャになってしまうのである。家庭の中が散乱していたとしていたら、それはその妻の頭の中が具現化されたと思った方がいい。

●80対20の法則

 人間はすべての分野で能力を発揮できるものではないのだ。結婚しているにも拘わらず、夫が家事や育児に専念しているようであれば、夫は能力を発揮できず、悶々とした日々を過ごさざるえないことだろう。仕事に全力を投球してこない男性というのは、最早、男ではないのだ。結婚しているにも拘わらず、妻が家事や育児に専念できないようであるならば、妻は能力を充分に発揮できず、不満タラタラの日々を過ごしてしまうものなのだ。家事や育児をきちんとこないさない女性というのは、最早、まともな女ではないのだ。

 たとえ、妻が結婚後も仕事を持っていたとしても、家事や育児をきちんとこなさなければ、結婚で当然に得られる幸せを得られなくなってしまうのだ。既婚女性が仕事をするなら、家事や育児をテキパキとこなし、休日には休むことなく、平日でできなかった家事や育児をこなしてしまう工夫が必要なのである。

 家事でも育児でも重要なのは2割程度なのだ。重要なことをきちんとこなしてしまえば、ちゃんと成果が出て来るものなのである。家事だったら「家計簿をつけてお金の流れを管理すること」だし、育児だったら「授乳」と「オムツの交換」である。それらの重要なことができてしまえば、後の家事や育児は自然とできてしまうものなのだ。

 努力することは大切である。努力をしなければ幸福を作り出すことはできないことだろう。しかし、すべての分野で頑張り過ぎてはいけないのだ。人間の精力には限りがあるのだから、すべての分野で頑張ることなどできないのだ。それよりも重要な部分をしっかりと押さえてしまい、効果的に自分が努力していくべきなのだ。80対20の法則が解れば、ちょっとしたことが、大きな結果となって現れてくるものなのである。

 結婚当初は、結婚の仕方など解らないものだ。だからこそ、自分で調べたり、試行錯誤したり、他人に教わりながら、結婚の仕方を習得していくべきなのである。この努力をきちんとすれば結婚の仕方が解り、結婚で着実に成果が出始めるようになるのだ。結婚の仕方が解っている既婚女性というのは、育児の仕方も自然と解ってくるものだから、育児に於いても着実に成果が出始めるのである。

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母乳の脳内モルヒネが引き起こす新米ママの変化

●出産すると知能は低下するもの

 女性は出産すると知能が低下することになる。出産すると、正確に言うと妊娠してしまうと、女性は頭の動きが悪くなり、どうも妊娠以前のようには暮らしていけなくなってしまうのだ。しかも、出産後、まともに喋れない赤ちゃんを育てて行かなければならないのだから、知能を高くするチャンスを失ってしまうのだ。

 新米ママが出産後に無理矢理に頭を良くさせようとすると、原因不明の体調不良に陥ってしまうのだ。この体調不良は想像以上に恐ろしいものであって、しかも、それが治るまで相当の時間を要するのだ。この体調不良は育児ストレスでも育児ノイローゼでもなく、あくまでも新米ママが出産後に頭を良くさせようとしたことが原因で発症してくるものなのだ。症状は精神病に似た症状を発してくるが、精神病のように精神をおかしくする病気ではなく、体調が長らく不良に成り続けるといった症状を呈してくるのであり、現在、病院ではこの病気に対する治療法は存在していない。

 この病気は専業主婦なら勿論発症してくることはないし、兼業主婦でも肉体労働に従事する女性には発症してくることはない。あくまでも頭脳労働をする母親たちに発症してくるのである。頭脳労働でもその代表格の大学教授になると、この体調不良は非常に恐ろしいものであって、出産後、暫くの間、学術論文が書けなくなってしまい、そのため出産に恐怖してしまい、子供は1人で打ち止めになってしまう。女性の大学教授たちは結婚する率が他の職業に比べて低いものなのだが、その上、結婚しても子供を作らなかったり、作ったとしても1人しか作らないというのは、出産による体調の変化が恐ろしいからなのだ。

 俺はこの『幸せ色の出産ラブストーリー』を書くに当たって、様々な育児関連の書物を読んだものなのだが、女医が書いた育児書というのが非常に少ないし、あったとしても非常にレベルの低い内容であったり、内容に間違いがあったのものでしかなかったのだ。俺は男性の医者の意見だけでなく、女性の医者の意見を聞きかたかったのに、女医が書いた書物は除外せざるを得なかったほど、ひどい内容のものだったのだ。なぜなら、その女医が結婚していたとしても、子供が1人しかいなかったり、しかも母乳ではんく、ミルクで育ててしまい、育児のなんたるかが解らないまま、女医の仕事を続けているからなのだ。

 頭脳労働に従事する女性が出産後も同じ職業を続けようとするなら、子供は1人で打ち止めにし、その上、母乳育児をやめて、ミルク育児にせざるをえないのだろう。医学は日進月歩で発展していくために、育児の期間中に知能を低下させてしまい、その発展についていけないとなると、女医としては致命的な打撃を受けてしまい、医者としての能力が低下してしまい、医者の仕事を続けられなくなってしまうからだ。

 医療の現場では、女医が結婚してしまうと、医療の現場に復帰してこないという問題があり、それが医師不足を招いてしまっているのだが、出産や育児で知能を落としてしまっている女性を、無理矢理に医療の現場に引き戻すのは、それはそれで逆に問題だろう。せめて、育児でブランクの空いた女医に、育児が終わってから現場に復帰するようにしてあげ、復帰する際にはそのブランクを埋めるために「復帰セミナー」を受けさせ、空白の医療知識と医療技術を教えてあげてレベルを回復させ、そのセミナーを受けなければ現場復帰できないようさせる配慮が必要であろう。

●脳内モルヒネ

 この女性が出産し育児をしている期間中、知能が低下するという問題は、頭脳労働に従事する既婚女性は当然に育児の期間中は仕事をやめざるをえなくなり、既婚女性は失業者状態に置かれざるえなくなってしまう。この事態は、フェミニストたちが「M字曲線」と称して、散々に日本の社会の異常さを指摘する際に使われたものだが、これは日本の社会が異常なのではなく、女性が出産し育児をし始めれば、どうしても経験せざるをえない現象なのである。M字曲線といっても、自宅でできる仕事、例えば農業や漁業や林業や自営業に従事している既婚女性には全く関係ないことであって、彼女たちは出産後もきちんと働きながら育児をしているのだ。、

 なぜこの不思議ね現象が起こってしまうかといえば、それは「母乳」自体にある。母乳には脳内モルヒネと呼ばれる「アラキドノイルギリセロール」という化学物質が含まれており、この脳内モルヒネが母親の頭脳に影響を与えて、知能を高くしないようにさせているのである。

 なぜ、母乳に脳内モルヒネが含まれているかといえば、まずは赤ちゃんの母乳を飲んで貰うためというのが最大の理由なのである。母乳は飲んでみると解るのだが、母乳は決して美味しい飲み物ではない。しかし、赤ちゃんにとっては成長のために必要なので、脳内モルヒネで脳を中毒症状にすることで、赤ちゃんが飲み続けようとさせているのである。

 もうひとつは、赤ちゃんの脳の発達を促すためである。人間は猛獣に勝つために体を進化させたのではなく、脳を進化させたために、母乳に脳内モルヒネを大量に入れることで、脳を進化させたのだ。それゆえ、母乳の期間が長い赤ちゃんほど、成長してから脳の発達が格段に良くなり、高い知能を獲得することができるのである。

 この脳内モルヒネは母乳から出ている以上、母親自体も脳内モルヒネの直撃を受けることになる。母親が赤ちゃんに母乳を与えると、自分まで気持ち良くなってしまい、至福の時間を味わってしまうものなのだが、これこそが脳内モルヒネの仕業なのである。しかし、この脳内モルヒネは母親に育児の喜びを味あわせる一方で、知能の低下を招いてしまい、その結果、母親がいくら頑張っても知能を上げられなくなってしまい、もしも無理に上げようとすると体調不良に陥ってしまうのである。

 この不思議な現象は日々『幸せ色の出産ラブストーリー』を書いている俺にとっては痛いほど解る。記事を書いている時は、さすがに理性を使って知能を駆使して書いているのだが、記事の核になっているアイデアを作る際は、机の前に向かってアイデアを捻り出しているのではなく、ウォーキングやサイクリングやテレビを見ている時などにアイデアが突然に閃いて、それをメモしてアイデアを書き留めているのだ。そのため、いつもメモ帳を持ち歩いているし、テレビの近くにもメモ帳を置いて、いつでもアイデアを書き留められるようにしているのだ。

 アイデアが浮かぶ時は、知能を高めている時ではなく、寧ろ、知能を下げている時であって、知能を高くしている状態では決していいアイデアが浮かんでこないのだ。それなのに無理矢理にアイデアを生み出さそうとしても、体調を崩してしまうだけなのだ。要はリラックスした状態で、脳内に脳内モルヒネが出た状態に成り、その期間だけアイデアが浮かんでくるのだ。しかし、リラックスした状態だけでは、そのアイデアを記事にすることができないのだ。記事を書く時は、逆に知能を高めて、カチャカチャとキーボードを叩いて書きまくるしかないのだ。

 育児をしている新米ママたちは、授乳によって脳内モルヒネが出て続けるために、この脳内モルヒネによるリラックスした状態が持続してしまい、知能を高めるチャンスを失ってしまうのだ。それゆえ育児の期間中に無理矢理に知能を高めようとしてしまうと、脳に異常な負荷がかかってしまい、脳が機能不全に陥り、原因不明の体調不良を引き起こしてしまうのである。

●知識から知恵への転換

 育児をまともにやっている母親たちが育児本を毛嫌いするのは、育児の最中は知能が低下しているために、いくら母親向けに易しい言葉で書かれたとしても、育児知識では非常な違和感を感じてしまうのだ。育児をする際は、「育児の知識」があればそれは重宝するが、それ以上に必要なのが、「育児の知恵」なのである。

 知識とは理性で解るものであるが、知恵というのは本能で理解できるものだ。理性で解るのではなく、本能で解るからこそ、その知恵が「ストンッ!」と心の中に落ちていき、育児を難なくこなしてしまうことができるようになるのだ。俺が「育児本に頼ることなく、自分の母親に育児の仕方を教われ」と何度も言うのは、自分の母親から育児の仕方を教われば、育児の知恵をきちんと継承できるようになるからなのである。

 脳内モルヒネによって知能が低下してしまっている以上、知識ではなく、知恵を得ることによって赤ちゃんを育てていくというのは、当然の論理的帰結なのだ。母親教室で母親にいくら育児の知識を与えても、母親たちが巧く育児を行えないのは、「育児の知恵」を持っていないからなのだ。それよりも本能レベルまで自分が引き下がることによって、「育児の知恵」を獲得してしまえば、無学文盲の女性であったとしても、ちゃんとした育児ができるようになるのだ。

 我々は小学校入学以来、知能が高いことや、知識を豊富に持っていることで、その優秀さを競ってきた。それはそれで自分の人生に貢献するものもあったが、出産して赤ちゃんを産んでしまうと、それらの知識がなんの役にも立たないことを知るようになる筈だ。知識というのは、所詮「理性の目」から見たものにすぎず、知恵というのは「本能の目」が開かない限り、決して見えてこないものだからだ。

 知識というのは、或る事物に対しての理解にしか過ぎないものだ。しかし、知恵は物事の道理を悟って判断し処理していけるものなのである。だからこそ、育児をしている母親たちが、物事に無駄な動作が少なくなり、何か発言したとしても学者たちよりもまともな意見を言ってくるのである。知識ではなく知恵を持っているからこそ、そんな芸当ができるのである。

●女性にとって本物の母親に成るための修行

 要は、育児をする際は、頭で考えるのではなく、心で見なければ、とてもではないが育児などできるわけがないのだ。良妻賢母の賢さは、実は「育児の知恵」を持っているかということなのだ。知恵を持っているからこそ、良妻になるのである。良妻とはただ単に「夫にとって良い妻」というのではなく、知恵があるからこそ、その考えや動きが道理に適っているからこそ、良い妻なのであるということなのである。

 この脳内モルヒネの分泌は、最初の赤ちゃんの時はそれほど多いわけではないのだ。赤ちゃんを3人以上産むと脳内モルヒネがより多く出るようになり、その量も一定してくるのだ。それゆえ、赤ちゃんというのは、下に行けばいくほど、脳内モルヒネを多く貰えるようになり、知能を高くし易くなるのだ。末っ子は最大量の脳内モルヒネを貰えるので、喋り出すのも早いし、才気煥発になってくるものなのである。

 女性は3人以上の赤ちゃんを産み育てなければ、母親としてきちんと成長できないのだ。女性にとっては最初の赤ちゃんを産んでしまえば、それで終わりなのではなく、3人以上の赤ちゃんを産むからこそ、本物の母親に成ることができ、育児の本当の喜びを味わえることができるようになるのである。

 もしも、頭脳労働をしている女性が3人以上の赤ちゃんを産み育てれば、10年近いブランクを生じてしまうのは致し方ないことなのである。しかし、その10年は決して無駄な時間ではないのだ。母親としての本分を果たし、母親としての本当の喜びを得るための貴重な時間だったのである。この期間がなければ、女性として生まれてきたのに、それに見合うだけの喜びを得られなくなってしまい、母親なら当然に解るものでも解らなくなってしまうのだ。

 結婚もせず、赤ちゃんも産まなかった女性たちがその期間にどんなに多くの知識を溜め込み、出世していたとしても、育児を通じて知恵を得た母親にとってみれば、大したライバルではないのだ。「知恵のない知識」など、一撃のもとで撃破できるものなのだ。結婚していない女性など、3人以上の赤ちゃんを育てた母親から見れば、小娘程度にしか見えないものなのだ。育児を終えた母親たちは、新たに真剣になって仕事を取り組めば、10年のブランクなどなんの悪影響を与えないものなのだ。寧ろ、10年間第一線に居なかったことで、第一線の異常な状況を的確に把握することができ、そこから切り込んで行って、新たな仕事をすることができ、仕事を成功させてしまうものなのだ。

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育児ズッコケの法則 パートⅢ

●育児グッズの定理

 育児グッズ。それは新米ママたちの憧れのアイテム。結婚前はブランド品集めに狂奔していた女性でも、出産後は育児グッズ集めに走るものだ。正確に言うと、妊娠中から育児グッズ集めに走るものだ。母性ホルモンの影響を受けて、マタニティーモードになってしまい、赤ちゃんのことを考えるだけでうっとりとしてしまうのだ。しかし、現実はそう甘くはない。

育児グッズの定理その1

 育児グッズの8割方は無意味である

 育児グッズはすべて必要なものではないのだ。8割方は無意味なものなのである。必要なものといえば、「オムツ」に「オシャブリ」に「ベビー服」に「おんぶ紐」に「ベビーカー」くらいだ。後はあってもなくてもやっていける。特にベビーバスなんてのは必要ないのだ。自宅に「盥」があれば、充分に対応できるのだ。

 でも、育児グッズって、その無意味性が面白かったりするのだ。この無意味性を楽しめないと、人生で楽しめるものをかなり楽しんでいないことになる。休日に家族揃って出かけ、無意味な育児グッズを見てみるっていうのでも、充分に楽しめる行為なのだ。育児生活にユーモアをもたらすには、育児グッズは持って来いである。

育児グッズの定理その2

 育児グッズは赤ちゃんのためにではなく、母親の欲求を満たすために購入される

 育児グッズは赤ちゃんのためにあるのではない。母親の欲求を満たすために購入されるのだ。それゆえ、育児グッズとしての機能に拘るのではなく、美的センスにも拘っていないと駄目なのだ。赤ちゃんが使うから幼稚な柄でいいだろうと思うのは、製造メーカーのつけあがりにしかすぎないのだ。かといって、柄を斬新すぎるものにしていはいけない。それはそれでおかしいのだ。そこいらの塩梅をどうみせるかが、腕の見せ所だ。

育児グッズの定理その3

 赤ちゃんは育児グッズがあってもなくてもきちんと育つ

 いくら育児グッズ集めに狂奔した所で、赤ちゃんは育児グッズがあってもなくてもきちんと育つ。これこそが真実である。育児グッズはすべてあったことに越したことはない、という程度の物ばかりなのだ。要は、育児をしている母親が育児グッズで楽しめればそれでいいのだ。但し、その費用を負担せざるえない夫の方は、経済的には楽しめないけど。

●育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理

 夫婦が育児を始めると、育児に関してささやかな夫婦の争いが起こるものだ。夫婦喧嘩ほどまでに悪化するものではないのが、夫婦双方がおかしな行動を取るために、ささやかな争いが起こってしまうのだ。本当にささやかな争いなんだけど、悪化させると大変な夫婦喧嘩に発展することになってしまう。

育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理その1

 育児に於ける夫のアドバイスほど無益なものはない

 何事も現場に居る方が最も詳しくなるものなのである。育児に関しては、妻の方が赤ちゃんに接している時間は長いのだから、育児に詳しくなっていくのは当然なのだ。それなのに、夫は育児に関してアドバイスをし始めるのだ。勿論、夫の方が仕事で育児に携わる仕事をしていれば別だが、育児に関係のない仕事をしていれば、そのアドバイスは全く無意味である。

育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理その2

 妻の直感に夫の理屈は勝つことができない

 育児をしていると、霊能力がついてくるので、妻の方は直感が冴えてくる。しかし、夫の方は霊能力の覚醒が遅れるために、直感が冴えて来ないので、理屈で打ち勝とうとする。この場合、夫の理屈では妻の直感には勝てないのだ。育児をやっていれば、自然と赤ちゃんに危険なことは察知できてしまうものなのだ。

育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理その3

 育児に於ける夫の最大の貢献は生活費をきちんと稼いでくることである

 政府がいくら夫に育児を手伝わせようとしても、夫がすべきことは育児に手を出すことではなく、生活費をきちんと稼いでくることなのである。夫の育児うんぬんを言うのは、国家公務員のように身分が保障されているからこそ言える戯言なのだ。実際の夫婦では夫の稼ぎが低ければ、至る所で問題が発生してくるのだ。

 もしも政府が育児のことをうんぬんと言いたいのなら、税金を安くし、国家公務員の数を減らすことである。そうすればどの夫婦でも経済的に困ることなく、きちんとした育児を行えることができるようになるのだ。政府の勧めにしたがって、低所得の夫がいくら育児を手伝ったとしても、大金を稼いでくる余所の旦那の貢献度には適わないものなのである。

●育児で得られる貴重な格言

 育児をしていれば、様々な格言が得られる。国語の教科書に載るような文学的価値はないが、生活して行く上では、非常に価値のあるものだ。それらの格言を知っておくだけで、育児での失敗を少なくできることができ、育児を楽しめるようになることができるものなのだ。

①赤ちゃんの夜泣きより、夫のイビキの方がうるさい

 赤ちゃんを育ててみると、赤ちゃんの夜泣きには本当に困ってしまう。睡眠を中断されることがいかに人間にとって大きな負担になるか、身を以て体験することになるのだ。赤ちゃんの夜泣きこそ、母親を疲労させるものだが、かといって、赤ちゃんの夜泣きは母乳を与え、オムツを交換すれば治まるものなのだ。夫のイビキの方は、一晩中、なり響く騒音なのだ。イビキをかく男性と結婚した女性は、本当に悲惨である。あのイビキのうるささに比べれば、赤ちゃんの夜泣きなど静かなものなのだ。

②掃除をした直後から赤ちゃんは部屋を汚すもの

 赤ちゃんが家に居る限り、自宅が奇麗になることはない。赤ちゃんは母親が掃除をし終えた直後から、部屋を汚し始めるのだ。育児をしているなら、とにかく毎日掃除をすべきだが、絶対に完璧な清潔を目指さないことだ。掃除をして部屋の汚れを取れば充分なのだ。大事なことは赤ちゃんが部屋を汚す前提で、日々の掃除をすることなのだ。

③赤ちゃんの病気を治してくれる医者は醜男の方がいい

 赤ちゃんは生後2年まで病気をしまくるものだが、小児科医の医者を顔で選んでは絶対に危険である。特に母親の精神年齢が幼稚だと、未だに男の顔に拘り、イケメンにはからきし弱いのだ。はっきりといっておくが、小児科医の医者で腕のいい医者はすべて醜男ばかりだ。小児科医は1つの病気を治せばいいのではなく、ありとあらゆる病気を治さなくてはならなくなるので、総合医学の様相を呈してくるのだ。

 そのため、赤ちゃんや幼児たちが罹るであろうすべての病気を知っておかなくてはならないし、最新の医学論文なども読んで医学の進歩についていかねばならないのだ。そのような努力を強いられる仕事は、女遊びをしている男性ではついていけるわけがないのだ。結婚もできないような男性では困るが、腕のいい医者は結婚して妻オンリーになって、仕事に専念しているものなのである。だからこそ、自分の仕事を向上させることができるのである。

④効き目の強い西洋医薬品か、効き目の弱い漢方薬か、それが問題だ

 育児をしていると、赤ちゃんが頻繁に病気になることで出くわしてしまう。しかし、だからといって薬を使いまくるのは、それはそれで問題なのである。育児の腕が上達してくると、赤ちゃんの病気に関してそれほど驚かず、まずは様子を見ようとするのだが、新米ママだと赤ちゃんを抱えて病院に飛び込んでしまうほどの驚きを見せてしまうのだ。

 西洋医学の薬はとにかく効き目があるのだが、その分、副作用が怖い危険な薬なのだ。一方、漢方薬の方は副作用が少ないが、その分、効き目が弱いのだ。育児をしていると、どっちの薬を使えばいいのかということは、最大の争点になる。赤ちゃんが病気になっても、それを冷静に見ることができ、緊急時ではどの薬を使えばいいかが解れば、育児を安心して行うことができるようになるのだ。

⑤保母や保育士であったとしても、育児では初心者である

 もしも友人に保母や保育士がいたら、その保母や保育士のアドバイスをまともに聞かないことだ。育児と保育は全くの別物なのである。保母や保育士といえども、育児では初心者なのだ。実際に赤ちゃんを産んでみれば、育児ではてんてこ舞いになるのは当然なのだ。いかなる母親といえども、この修行を通じて、母親として一人前になっていくのだ。赤ちゃんを産んでもいない女性が育児のことに関してとやかく言おうとも、それはすべて机上の空論でしかないのだ。

⑥育児の初期では育児雑誌がバイブル化される

 新米マたちにとって有難いのが育児雑誌だ。育児の初期では育児雑誌がバイブル化されるものだ。とにかく育児に関しては知らないことばかりなので、育児雑誌を熟読することで、育児の仕方を習得していくのだ。但し、育児雑誌といえども、すべて正しい育児情報が載っているわけではなく、間違った育児情報も載っているので、要注意だ。育児雑誌の嘘を見破ることができ、育児雑誌を冷静に見れるようになったら、母親として相当の実力がついたということになるのだ。

⑦育児に学歴は関係ない

 社会では学歴が一生涯つきまとうが、育児には学歴は一切関係ない。中卒でも高卒でも短大卒でも大卒でも大学院卒でも一切関係なく、母親としては初心者から始まるのだ。学歴が低いために自分を卑下し過ぎたり、学歴が高いために傲慢になっていると、育児ではトラブルが続出するようになるのだ。

 育児は母親として赤ちゃんを健康に育て上げ、その子が将来、世のため、人のため、お国のために、貢献できるような立派な人物になってくれれば、その育児は大成功であったということだ。母親の育児の評価は、あくまでもその赤ちゃんが大人になってから計られるべきものなのだ。

⑧自分の赤ちゃんの可愛らしさはいかなる芸能人を以てしても適わない

 育児をしているなら、とにかくテレビを消して、育児に集中した方がいい。テレビをいくら見た所で、育児よりも面白いことなど絶対に出てきはしないのだから。赤ちゃんの可愛らしさはいかなる芸能人を以てしても適わないのだ。芸能人をアイドル化して見ることがなくなり、冷静に成って見れるようになったら、それは自分が精神的に成長した証拠なのだ。

⑨育児でどんなにつらいことがあっても、育児の喜びの方が絶対に勝る

 育児では大変なことがあるかもしれないが、育児の喜びの方が遥に勝るものだ。育児経験者たちは、とにかく育児が大変だったと言い過ぎなのだ。これから育児をしようとする新米ママたちにどれだけ精神的負担をかけているか計り知れないのだ。もしも育児が大変だったなら、世の女性たちは誰も赤ちゃんを産まなくなるはずだ。それなのに、毎年、赤ちゃんが生まれるということは、本当は育児は楽しいってことなんだ。

 もしも、今現在育児をしているなら、育児がし終わった時、「育児って大変よ~」というオバサンにだけはなってほしくない。ありとあらゆる物事は、大変なことがあるからこそ、それ以上の楽しみがあるものなのだ。是非とも、育児の苦労ばかり伝えるのではなく、育児の楽しさを伝えられる立派な母親になってほしいものだ。

●育児ズッコケの法則を知っていれば、育児ストレスは軽減される

 育児をやっていれば、誰もが育児でズッコケる。でもそれは育児をしていて失敗というものではないのだ。育児を完璧にやろとするからこそ、育児ズッコケが発生してしまうのである。要は力が入り過ぎているのだ。だから、力を抜いて、リラックスして育児を行えば、育児ズッコケは起こりにくくなるのだ。

 かといって育児ズッコケがすべてなくなるわけがないのだ。育児をしていれば育児ずッコケが起こるのは当たり前なのだ。そういう時は、笑って楽しんでしまうことだ。マニュアル通りに育児をやっても、楽しくないものなのだ。育児をやっていて様々な育児ズッコケに出会うと、それが逆に面白く、記憶に残っていくものなのだ。

 育児ズッコケの法則を知っていれば、育児ストレスは軽減されるものだし、育児ズッコケで笑ってしまえば、育児ストレスなどどこかに消え去ってしまうものだ。法則を知った上で、それを楽しむ。これができれば育児は楽しいことだらけになるのだ。テクニックに走ると、育児を或る程度までこなせるけど、育児を楽しむ所まではいかないものなのだ。

 育児ズッコケが解れば、夫だって様々な場所でズッコケているし、自分だって様々な場所でズッコケているのだ。だから、夫が何をしようとも、余りきつく責めるべきではないし、自分が失敗しても、余りきつく責めるべきではないのだ。生きていれば、誰もがズッコケるのだ。

 育児をしていて、自分が精神的に成長できるものがあるとするなら、それはこの世には完璧な物はないということに気づけることなのである。出産していない女性はとにかく完璧な物を追い求めすぎなのだ。恋愛でもセックスでも仕事でも完璧なものなど、この世には存在しない。誰もがスッコケながら生きているのだ。自分だって完璧じゃない。夫だって完璧じゃない。赤ちゃんだって完璧じゃない。その事実に気付いたからこそ、逆に精神的に成長していくことができるようになるのである。

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育児ズッコケの法則 パートⅡ

●家庭内の夫婦分担の定理

 育児を始めれば、それまでの自分の考えとは違う現実を突きつけられるものだ。いかにその現実を否定して自分の考えを貫いてしまうのではなく、いかに自分の考えを現実に適応することができるかを求められているのだ。自分の考えを変えていかないと育児ではズッコケてしまうし、自分の考えを柔軟に変えていけば、現実から苦労は消え、育児は楽しいものになってしまうのだ。

家庭内の夫婦分担の定理その1

 家事に於いても、育児に於いても、夫婦がいくら話し合っても、夫の方の負担が軽く成り、妻の方の負担が多くなるようにできている

 夫婦間に於いて平等は絶対に成立しない。夫婦は平等だと思い込んでいるからこそ、いつまでも不幸が続くのである。夫婦が家事の分担をどのように話し合って取り決めたとしても、夫の方の負担が軽くなり、妻の負担の方が重くなるようにできているのだ。育児でも結果は同じだ。

 家事の分担も育児の分担も、妻と夫では80対20になるのが大抵の夫婦の実態なのだ。家事や育児は妻が中心となって切り盛りすること、そして夫は妻の手助けをしてくれればそれで充分なのだ。妻がこの現実を受け入れなければ、折角の楽しい育児も台無しになってしまうのだ。

家庭内の夫婦分担の定理その2

 夫に育児をさせすぎると収入が激減する

 夫の育児における最大の仕事は、赤ちゃんを育てるための費用を稼ぎ出してくることなのである。夫が仕事をせずに育児に専念しても、妻は困るだけなのである。国家公務員は手厚い保護を受けるために、「育児をしないパパはパパとは呼ばない」などいう戯言をほざくが、実際の家庭では「養育費を稼いで来ないパパはパパとは呼ばれない」というのが実態なのだ。

家庭内の夫婦分担の定理その3

 妻に育児を任せきりにすると妻の感情が悪化する

 かといって、夫が育児をすべて妻任せにしてしまい、夫がなんにも手伝わないと、妻の感情が悪化するのだ。仕事をして養育費を稼いでくればいいというのではないというのもまた事実なのである。大方の妻たちは、夫が家に居る時、赤ちゃんと一緒にお風呂に入って、その間、自分を赤ちゃんから離れさして貰い、休憩させてほしいというのが、最大の願いなのだ。これをやらないからこそ、妻が育児でガタガタと言いだしてくるのである。

●赤ちゃんと夫の危険物の違いの定理

赤ちゃんと夫の危険物の違いの定理

 赤ちゃんは危険な物を飲み込むが、夫は危険な物を持ってくる

 赤ちゃんの舐めまくりが始まると、赤ちゃんは舐めるだけでなく、飲みこみを開始してくるので、新米ママを冷や冷やとさせる。赤ちゃんの飲み込みの時期では、赤ちゃんの行動範囲に危険な物を置かないというのは、母親としての義務である。自分の目をサーチライトにして危険物を発見しなければならない。

 しかし、赤ちゃんの飲みこみに気を取られて、夫の行動を監視していないと、今度は、夫は危険物を自宅に持ってくることになる。赤ちゃんは危険物を飲み込むだけだが、夫は危険物を持ってくるのだ。特にお金の厳しさが解っていない夫は、安易に消費者金融からお金を借りてきてしまい、恐ろしい高利率の利息の支払いに苦しめられ、家計が破綻してしまうのだ。自分の夫が格好つけたがる男性だったら、要注意である。格好をつけるために、無理をしてしまい、その結果、消費者金融に手を出してしまうからだ。

 次に恐ろしいのが、連帯保証人になってしまうことだ。これは人のいい人がやってしまうのだ。連帯保証人になるのは絶対に駄目だと肝に銘じておいた方がいい。これは日本の民法の欠陥なのだ。連帯保証人は連帯保証契約を結ぶことでなんの利益を得ることがないのに、その損害だけは負担しなくてはならないからだ。破産するか夜逃げするしかなくなるので、絶対に夫に連帯保証契約を結ぶなと念を押しておいた方がいい。

 それから、ちょっとした資産のある夫だと、先物金融取引に手を出していたりするものだが、これは絶対にやめておいた方がいい。先物金融取引というのは、素人が手を出すべき投資ではないからだ。もしもこの投資に手を出すなら、自分の資産を使って行うのではなく、自分の資産から切り離して、株式会社を作って行うべきなのだ。そうすれば万が一、先物金融取引に失敗しても、自分たちの家計に直撃しなくて済むのだ。

 正直という美徳は大切であるが、正直者と言われるようになってはならないのだ。この世の中はどのように改造したとしても、正直者がバカを見るようにできているのだ。この世はルールのもとで動いており、そのルールを作り出した連中はかなり悪どい連中であり、その悪どい連中が儲かるようにできているのだ。これは政治でも経済でも社会でもすべて同じだ。新聞やテレビが打ち出してくる「偽りの正義」に騙されないことだ。生きて行くためには、或る程度の悪どさを持つべきなのだ。世間知らずの夫ほど、恐ろしいものはないのだ。

●育児に於ける天気の定理

 育児をしていると、天気の変化を敏感に感じられるようになる。赤ちゃんは天気の変化に敏感に反応してくるので、否が応でも天気の変化に詳しくならざるをえなくなってしまうのだ。赤ちゃんと天気の関係を無視してしまうと、育児でズッコケだらけになってしまうので要注意だ。

育児に於ける天気の定理その1

 赤ちゃんを連れて買い物に来た時に限って、土砂降りの雨が降る

 曇りなんだけど、買い物に行かねばならぬということで、勇気を出して買い物に行くと、買い物をし終わった時に限って、土砂降りの雨が降ってくるのだ。まあ、新米ママが買い物に行く時間が、夕立の時間に重なるということもあるのだが、ベビーカーと買い物袋を持っているのに、土砂降りの雨に降られるというのは、結構きついのだ。

育児に於ける天気の定理その2

 母親が片手には傘を持ち、もう一方の手は荷物を持っているというのに、赤ちゃんは抱っこを要求する

 赤ちゃんは母親の状況に気を配るという考え方はない。母親が両手に傘と荷物を持っているのに、赤ちゃんは抱っこを要求してくるのだ。赤ちゃんは一人歩きができたとしても、そう長い距離を歩くことはできないので、買い物が終わる頃には疲れきってしまい、母親に抱っこを要求してくるのだ。赤ちゃんと買い物に行く時は、ベビーカーや乳母車が絶対に必要なのはこのためだ。

育児に於ける天気の定理その3

 台風の日に限って、赤ちゃんは外出しようとする

 赤ちゃんは毎日外気浴をするからこそ、健康でいられる。外出することで、外の新鮮な空気を吸えることができるし、太陽光に当たることでビタミンDを合成することができるからだ。しかし、雨の日になれば自宅に居ざるをえず、しかも、台風がやってきて外出不能になると、最早、我慢できず、赤ちゃんは外出を要求してくるのだ。この嵐の中、どこに行くっていうんだい?

 梅雨の時期や台風の時期は、母親にとっては非常に困った時期なのだ。赤ちゃんは運動不足になっているし、ビタミンDも合成できないからだ。梅雨の時期は自宅に籠ってしまうのではなく、屋内で遊べる場所に行って、運動不足を解消しておくことだ。また、ビタミンDの不足に関しては、母親が肝油を飲むことで、母乳を通じてビタミンDの補給を行ってあげれば、成長に支障を来たすことはない。但し、台風の日は自宅で赤ちゃんと遊んで、赤ちゃんが退屈しないようにしてあげることだ。

●赤ちゃんのコケ姿の定理

 赤ちゃんがコケる時は、本当にコントのようなコケ方をするので、赤ちゃんには痛いのだろうが、新米ママには笑えて仕様がないのだ。赤ちゃんは構造上、頭が重いので、バランスを取ることがまだまだ難しいのだ。赤ちゃんはコケまくりながら成長していくのだ。そのコケ姿にはきちんとした定理が存在している。

赤ちゃんのコケ姿の定理その1

 赤ちゃんは立ったら立ったで、コケて大泣きをする

 ハイハイをしている赤ちゃんに対して、新米ママは早く一人立ちをしてほしいと思ってしまうのは、当然の親心だ。しかし、赤ちゃんに充分にハイハイをさせておかないと、筋肉が充分についていないので、立った所でコケてしまい、大泣きするだけになってしまうのだ。ハイハイの時期にたっぷりとハイハイをさせてあげることこそ、本当の親心なのだ。

赤ちゃんのコケ姿の定理その2

 赤ちゃんがコケる時には何かしらの家具の角にぶつける

 赤ちゃんは立てたとしても、また充分に体のバランスが取れないために、コケてしまい、その際に何かしらの家具の角にぶつけてしまい、大泣きしてしてしまうのだ。家具の角でなくてもいいのではないかと思ってしまうけど、赤ちゃんは面白いように家具の角にぶつけてしまうのだ。

赤ちゃんのコケ姿の定理その3

 赤ちゃんがコケた際は、ぶつけた箇所が頭部に集中する

 赤ちゃんがコケると、ぶつけた箇所がなぜか頭部に集中する。赤ちゃんの頭蓋骨はまだまだ柔らかいので、頭部をぶつければ当然に痛い。痛いからこそ、大泣きすることになる。赤ちゃんの頭部の大きさと、胴体と手足の短さからいうと、頭部をぶつける確率が高くなってしまうのだ。

 赤ちゃんはコケたら大泣きして、その声が非常にうるさく、しかも声が響くものだが、それでも赤ちゃんの行動をじっと観察していると、笑えるネタはいくらでも転がっているのだ。「どうしてそんなにコケるの?」という疑問を抱かずに、赤ちゃんのコケに付き合うことだ。赤ちゃんのコケ姿を見て、自分なりの定理を探し出せばいいのだ。そうすれば育児は面白くて仕様がなくなるのだ。

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育児ズッコケの法則

●非情なる「育児ズッコケの法則」

 人間はいかに一生懸命にやっても、8割方成功すれば上出来なのである。誰がやったとしても、残りの2割を成功させることはない。必ず2割程度は改善の余地があるものなのだ。育児でも8割方巧く行っても、8割方巧く行くがゆえに、残りに2割に関しては改善の余地があるのだ。これは2割だけを見てしまえば失敗のように思えるが、全体から見れば成功の部類に入るものなのだ。

 この「80対20の法則」をきちんと理解していないと、自分が育児で成功しているにも拘わらず、余りにも改善の余地に注目し過ぎてしまい、自分は失敗しているのではないかと思い込んでしまうのだ。育児では成功したとしても、育児では至る場所に「育児のズッコケ」が出て来るのは当然に予定されているものなのだ。この非情なる「育児ズッコケの法則」は以下のようなものなのである。

第一法則

 いかなる手段を用いても、育児を完璧にこなすことは不可能である

第二法則

 その不可能なことを可能にさせようとすると、育児でズッコケまくることになる

第三法則

 育児のズッコケはユーモアを以て報いないと、育児ストレスを生み出し、その育児ストレスは時間と共に増大していく

 育児では完璧な育児などない。完璧な母親もいない。完璧な父親もいない。完璧な赤ちゃんもいない。みんなすべてが不完全なのだ。もしも、新米ママが専業主婦なら、自分が外に出て仕事をしていないということが不完全なのだ。夫なら妻子のために仕事をする余りに育児を充分に手伝って上げられないということが不完全なのだ。赤ちゃんならベビーサインを出しているのに、母親と巧くコミュニケーションが取れないというのが不完全なのだ。育児に携わっている人物たちは全員が不完全であるからこそ、みんなが巧く改善しようとし、取り組んでいくことができるのだ。

 しかし、その不完全さを完全なものに変えて行こうとすると、育児ではズッコケまくることになる。自分は一生懸命になって育児をしているのに、自分の期待を裏切るようなことが育児の現場で発生しまくるのである。必要以上に力を出さねば育児でズッコケないものなのだが、多くの新米ママたちは育児に真剣になる余りにも、遂々力を出し過ぎてしまうのである。

 育児でズッコケた時はとにかくユーモアで対処し、笑って誤魔化すことだ。育児でズッコケている時は自分が熱くなり過ぎているのだから、ユーモアで笑い飛ばせば、自分は冷静になれるものなのである。自分で笑わすことを忘れてしまうと、育児ズッコケは育児ストレスとなって、その育児ストレスは増大していくことになるのだ。

●オムツ交換の定理

 まずは新米ママなら悪戦苦闘することになる「オムツの交換」である。オムツの交換は育児の基本中の基本テクニックなので、この技術をきちんと学んでおかないと、後でとんでもない事態にまで発展してしまう。育児ズッコケではこのオムツの交換の現場でこそ、様々なズッコケが出て来てしまうのだ。

オムツ交換の定理その1

 赤ちゃんはオムツを交換した直後にウンチをする

 赤ちゃんはハイハイまでならウンチをきちんとしてくれるものなのだが、一人歩きができるようになると、オムツを交換した直後にウンチをするという育児ズッコケを発生させてくる。これは赤ちゃんが一人歩きできることによって、まだまだ2Gの重力に内臓が対応しきれていないことから生じるものなのだ。オムツを交換する新米ママにとって、これほどズッコケることはない。

オムツ交換の定理その2

 赤ちゃんはオムツ交換中に小便をする

 赤ちゃんがオムツ交換中に小便をすることがある。これは母親がやるよりも父親がオムツを交換した時に小便をしてしまう可能性の方が高い。赤ちゃんは通常は母親にオムツを交換して貰っているので、たまに父親にオムツを交換されると、緊張してしまい、小便を漏らしてしまうのだ。父親にとっては折角、育児を手伝っているというのに、赤ちゃんに小便を引っかけられてしまうので、当の本人はズッコケるし、後々まで語り草として記憶することになるのだ。

オムツ交換の定理その3

 赤ちゃんは母親が忙しい時に限ってウンチをする

 母親が赤ちゃんを外出しなければならず、時間が迫っているという緊迫した状況に限って、赤ちゃんはウンチをしてしまう。赤ちゃんはその緊張感を敏感に感じ取ってくるので、ウンチを漏らしてしまうのだ。赤ちゃんにとってはウンチをすることで体を軽くしたという利点もあるのだが、当の母親にとってはこの忙しい時にズッコケることになるのだ。

●全裸の定理

 全裸。人間は全裸で生まれてきたのだから、全裸に対して憧れを持っている。しかし、全裸になれば、本人たちが思ったような現象が起こるのではなく、寧ろ、本人たちの期待を裏切る現象が起こるものなのだ。文明とは服を着ることから始まる。文明人が服を脱いでしまうと、途端に理性の箍が外れてしまうのだ。

全裸の定理その1

 赤ちゃんは全裸になった時に限ってウンチをする

 赤ちゃんを入浴後に体をタオルで拭いてあげ、その後、全裸にして母親とじゃれあっていたりすると、そういう時に限って赤ちゃんはウンチをする。しかも、母親の膝の上あたりにウンチをしてしまう。赤ちゃんも全裸になると解放感を感じてしまうので、遂々ウンチを漏らしてしまうのだ。当然のことだが赤ちゃんには悪気は全くない。

全裸の定理その2

 夫は全裸になった時に限って、妻の体に飛びついてくる

 赤ちゃんを全裸にした時、ウンチをしてくるなら、夫が全裸になるとどうなるかと言えば、妻の体に飛びついてくるのだ。妻が育児で疲れていようがお構いなしなのだ。これは男性の本能がそうさせるものであって、赤ちゃん同様に夫には悪気は全くない。まあ、メイクラブヲすれば育児疲労が取れて熟睡できるので、せいぜい、夫は性愛術を高めて、妻が楽しめるようなメイクラブにする努力を忘れないことだ。

全裸の定理その3

 妻は全裸になった時に限って、自分の体についた贅肉に気づく

 夫が全裸になると性欲まみれなら、妻が全裸になると贅肉まみれである。育児で忙しい余りに、自分の体の管理を怠ってしまい、自分が裸になって初めて自分の贅肉の存在に気づくのだ。しかも、よりによって腰回りに贅肉がついてしまうのだ。これは学術的にいうと、贅肉をつけることによって子宮を守っているのだ。母親が育児を一生懸命になって取り組んでいても、子宮は既に第二子へを妊娠しようとし出しているので、腰回りに贅肉を張り巡らせることで、子宮の温度を高くしようとしているのだ。

 このため、育児をしている最中に無理なダイエットは禁物だし、痩せている母親というのはいかなる理由があっても称賛することはできない。母親になったら或る程度は太るべきなのである。但し、あくまでも或る程度であって、過食と運動不足による肥満はこの範疇ではない。育児をしていても、バランスのとれた食事と、日々適度な運動をすることを忘れないことだ。

●お風呂の定理

 入浴はその日の汚れと疲れを一遍に取ってくれる優れものである。しかし、育児で毎日行うがゆえにズッコケも多いのだ。ベビーバスの頃には新米ママは育児のズッコケを生じることがないのだが、赤ちゃんの入浴に慣れてくると、様々な育児のズッコケが発生してくる。

お風呂の定理その1

 赤ちゃんをお風呂に入れた時に限って、ウンチをする

 赤ちゃんにとってお風呂というのは、筋肉の緊張をほぐしてくれる気持ちのいいものなのだ。そのため緊張がほぐれる余りに、お風呂の中でウンチを漏らしてしまうのだ。赤ちゃんがウンチを漏らしたら、すぐさまウンチをすくいあげることだ。この入浴時での赤ちゃんのウンチを日常化してはならない。余所の家に泊まりに行った時や、ホテルや旅館に泊まった時に、遂々日頃の習慣が出て来てしまいウンチを漏らしてしまうことがあるのだ。特にホテルや旅館の大浴場でウンチを漏らした時は、大浴場を閉鎖して従業員が清掃しなくてはならなくなるので要注意だ。

お風呂の定理の2

 赤ちゃんをお風呂に入れた時に限って、お風呂で溺れる

 ベビーバスの時期が終わり、通常のお風呂に入れた当初は新米ママは充分に赤ちゃんに配慮しながら入浴させるものだが、慣れてきてしまうと、遂々手が滑って赤ちゃんを溺れさせてしまうことになるのだ。赤ちゃんはなぜか目を開けたまま溺れるので、その姿こそが笑えるのだ。大人にとっては狭い浴槽でも、赤ちゃんにとってでかすぎる浴槽なのだ。

お風呂の定理その3

 赤ちゃんをお風呂に入れた時に限って、お風呂のお湯を飲む

 赤ちゃんをお風呂に入浴させると、丁度いい具合に水位が自分の口あたりに来てしまうので、赤ちゃんはお風呂のお湯をゴクゴクと飲んでしまうのだ。お風呂のお湯は浄化してしない家庭が多いので、非常に危険なのである。もしも、お金に余裕があるなら、お風呂場にも浄水器をつけて、お風呂で使用する水を浄化しておいた方がいい。そうすれば赤ちゃんがお風呂のお湯を飲んでも安全であるからだ。

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「育児ノイローゼ」と「脳の傷」

●ストレスがかかりすぎると、脳に傷ができる

 育児ストレスがかかりすぎると、新米ママは「育児ノイローゼ」になってしまう。すべての新米ママたちが育児ノイローゼになるわけではないが、毎年、育児ノイローゼに罹ってしまう新米ママたちは必ず出て来るのだ。育児に於いて適度なストレスは必要だが、必要以上のストレスは新米ママを苦しめ、病気にしてしまうのだ。

 驚くべきことかもしれないが、育児ノイローゼになるということは、脳に傷がつき、脳が正常な作動をしなくなるということなのである。育児ストレスが余りにもかかりすぎて、新米ママの脳に傷がきついてしまい、それがために育児ノイローゼになってしまったのだ。育児をする場合、赤ちゃんを産むことで、自分の環境が激変するので、きちんと育児ストレスに対処する方法を身につけておかないと、育児ノイローゼに陥ってしまうのだ。

 育児ノイローゼは歴とした精神病であり、かといって病院の精神科を訪れても、その育児ノイローゼを治すことはできない。というのは、精神科医たちが精神病の原因を特定できないからであり、しかも、その原因に対応した治療法をきちんと確立していないからなのだ。精神病の研究は医学の中で最も遅れた分野であり、非科学的な分野であるということだけは知っておいた方がいい。

 精神病には、「自律神経失調症」「鬱病」「統合失調症」などがあるが、精神病はすべて原因が同じなのである。要は、精神病患者たちは過度のストレスがかかりすぎてしまい、脳に傷がついてしまったからこそ、精神病を発症してしまっているのである。だから、精神病患者に薬を投与しても治らないし、精神病院に隔離しても治らないのだ。なぜなら、脳の傷を治そうとしないからだ。

 精神科医たちが精神病患者を治せないために、現在、日本では百万人以上もの、恒常的に精神病を患って、精神病院を転々としている精神病患者たちが存在しているのだ。この手の人の中から、「凶悪殺人事件」や「強姦事件」を引き起こす精神病患者たちが現れ、しかも、精神科医たちは裁判で心神喪失の状態で刑事責任がなかったという出鱈目な鑑定をしてくるのである。

 現在、自殺者が毎年3万人以上にも達しているが、これも精神病の慣れの果てであって、精神科医たちが自殺願望を持つ精神病患者たちを治せないからこそ、自殺させてしまっているのである。自殺者が余りにも多いために、中には日本の社会自体に問題があるのではないかと指摘してくる知識人たちが後を絶たないのだが、こういう愚論を述べる知識人たちは、精神科医たちが精神病を治せないにも拘わらず、寧ろ精神病を悪化させる薬を投与し、精神病患者たちを自殺に追い詰めているという事実を御存知ないのだ。

●育児ストレスで脳に傷がついてしまう過程

 人間の脳というのは常に一定の状況にあるのではない。ストレスがかかれば、脳に傷がついてしまうのだ。しかし、適度なストレスであるならば、脳は睡眠中に修復できるので、なんの問題もないのだ。ところが、ストレスが過度にかかってきたり、睡眠時間が少なく修復できる時間が少なければ、当然に脳の傷が修復されなくなってしまい、それで脳が正常な作動を取ることができなくなり、精神病の症状が出始めてくるのである。

 育児ノイローゼは、新米ママが赤ちゃんを育てることで、過度の育児ストレスが罹り易いし、赤ちゃんの夜泣きのために睡眠が妨害されるために、脳は傷を負い易くなり、その結果、育児ノイローゼを発症してしまうのだ。とするなら、赤ちゃんを育てている新米ママたちは全員が育児ノイローゼに罹る筈なのであるが、実際はそうにはならない。実際は、新米ママのうち育児ノイローゼに罹るのは、一部の新米ママたちだけである。実は、脳以外の場所で或る条件を満たさない限り、育児ノイローゼは発症してこないのだ。

①精白穀物

 日頃から精白穀物を摂取していると、育児ノイローゼに罹り易くなる。炭水化物を消化吸収していく際に内臓はビタミンやミネラルを必要とするのだが、穀物を精白穀物にしてしまうと、そのビタミンやミネラルが不足しているために、恒常的にビタミンとミネラルが不足してしまい、それによって脳が傷つき易くなり、その傷も修復しにくくなってしまうのだ。

②塩分とカリウムの異常なアンバランス

 白米は小麦に比べると、含まれている塩分が少ないために、オカズには塩を多目に使用してしまうことになる。和食が塩鹹くなっているのは、白米を食べるようになってからであり、白米を食べる習慣のなかった地域では、塩はそれほど使わないのである。塩は人体には必要なミネラルなのであるが、それが尿や汗などで排出してくれればなんの問題もないのだが、塩分を取り過ぎてしまい、体内の塩分濃度が高くなりすぎてしまうと、塩分とカリウムのバランスが崩れ、このためにストレスに対応できなくなり、神経が異常を来たし、脳が酸欠になってしまい、それで育児ノイローゼ特有の思考が全くできない状況に追い込まれてしまうのだ。

 精白小麦を食べると、肉食が似合うようにできているので、どうしても肉を多く食べてしまいがちだ。肉自体に多くの塩分が含まれているし、肉は岩塩をかけて食べると更に美味しくなるようにできているので、そのために肉食が多いと塩分過剰になってしまうのだ。しかも、この岩塩は塩化ナトリウム99%以上の塩なので、塩分とカリウムのバランスを大いに崩してしまうのだ。精白小麦を食べている人たちに精神病患者が多いのは、これがためなのである。

 塩には天日塩と岩塩と化学塩の三種類があるが、このうち安全なのは天日塩だけであって、天日塩を摂取すれば、腎臓がちゃんと機能してくれて、余分な塩分を体外に排出してくれるのだが、岩塩や化学塩を使ってしまうと、塩化ナトリウムが99%以上のために、腎臓が巧く機能してくれず、どうしても体内に過剰な塩分が残ってしまうのだ。

③運動不足と睡眠不足

 人間は運動をすれば、血行が良くなるし、汗をかくし、排便排尿もスムーズに行く。しかし、運動不足になってしまえば、血行が悪くなり、汗もかかず、排便や排尿に異常が出て来てしまうのだ。育児をしている際、新米ママは自分は育児をしながら運動していると思っても、実際は運動量は激減しているのだ。だから、意図的に何かしらの運動をしないと、育児ストレスを溜め込み易くなり、育児ノイローゼへと悪化していってしまうのだ。

 日中に運動不足ということは、睡眠が浅くなってしまうのだ。しかも、育児で赤ちゃんの夜泣きを食らうために、睡眠不足に陥ってしまうのだ。こうなると、脳は日中についた傷を修復できなくなり、そのために育児ストレスが育児ノイローゼになってしまうのである。出産して赤ちゃんがいる以上、自分の睡眠パターンを変えないと、自分でも想像できない異常な状態になってしまうのだ。

●引き金は悪臭

 育児ストレスを抱えている新米ママに、「精白穀物」に、「塩分とカリウムのアンバランス」、「運動不足に睡眠不足」、これらの条件が重なり、その上で「悪臭」という条件が加わると、育児ノイローゼを発症してしまうのである。意外なことかもしれないが、育児ノイローゼの引き金は「悪臭」なのである。

 悪臭がなぜにそんなに恐ろしい威力を持つかと言えば、悪臭こそが自律神経を狂わせるからなのだ。通常、我々は日中は交感神経にシフトして活発に活動し、夜間は副交感神経にシフトしてリラックスしようと努める。ところが、人間は悪臭を嗅ぐと緊張してしまうので、自宅が臭いと常に交感神経にシフトしてしまうことになってしまい、そのために自律神経が失調して、それで育児ノイローゼになってしまうのだ。

 特に悪臭を放ってくるのは「便所」である。昔から日本では妊婦に便所掃除をさせたものだが、これは便所掃除が妊娠にとって適度な運動になると同時に、便所を臭わなくさせることで、妊娠中も、出産後も、精神的にリラックスした状況にさせようとしたためなのだ。育児ノイローゼに罹る新米ママは、必ずと言っていいほど便所掃除をしないので、そのために便所に悪臭が立ち込めてしまい、それで育児ノイローゼを発症してくるのだ。

 次に臭い場所は「風呂場」である。風呂場は人間が最もリラックスする場所なので、とにかく清潔を保っておくことだ。しかし、風呂場は湿気があるために、カビが生えて来易いし、排水口には抜け毛が溜まりがちなのだ。このため、風呂場が汚れていると、新米ママがリラックスできなくなり、それで自律神経を狂わしていくのである。

 トドメが「台所」である。台所こそ、育児をしている新米ママたちが最も掃除を疎かにしてしまいがちな場所なのだ。日々料理をするために、そんなに汚れていないだろうと勘違いしてしまうのだ。じかし実際にはガスレンジの上も、流しも、排水口も汚れまくっているのだ。汚れた台所で料理をしていると、どうしてもネガティブな感情になってしまい、更に悪臭が加わると、自律神経が乱れていってしまうのだ。

●育児ノイローゼの治療法

①食事を変える

 育児ノイローゼに罹ったら、産婦人科医に言っても無駄だし、精神科医の所に行っても無駄だ。彼らは治せないからだ。医者に治療してして貰うより、自分で治してしまうことだ。まずは、食事を変えることだ。穀物は「無精白穀物」にすることだ。「押麦入り玄米食」や「黒パン」や「蕎麦」といったものに変えていくことだ。

 塩は岩塩や化学塩をやめ、「天日塩」に切り替えることだ。育児ノイローゼを治す際は、最初は天日塩を多目に取っていくことだ。天日塩を多目に取れば、腎臓が機能を回復するので、体内の余分な塩分を排出してくれるようになるのだ。体内の塩分が適正な濃度になると、余り塩鹹い物が欲しくなくなるので、その時は天日塩を控え目にすればいい。

 育児ノイローゼになる新米ママはカリウムが不足している状況にある。そこでカリウムを補給しまくることだ。カリウムが多く含まれているのは、「バナナ」「ヨーグルト」「木の実」の三つなので、この三つを日々摂取することだ。とにかくバナナを1日1本は食べ、ヨーグルトを自宅で作って食べ、木の実をポリポリと齧って食べることだ。カリウムはこの他にも、「牛肉」「豚肉」「カツオ」「マグロ」「大豆」「ピーナッツ」「ジャガイモ」「トマト」「セリ」「柑橘類」などに含まれている。珈琲と白砂糖はカリウムを奪ってしまうので、育児ノイローゼになった新米ママは今後、それらのものを絶対に摂取しないことだ。

②スポーツで汗を流す

 育児ノイローゼになったら、とにかく運動して汗を流すことだ。外気浴の際に遠出してウォーキングしてしまうことだ。とにかく1時間以上は歩くことだ。更に「筋肉トレーニング」を週に2回か3回行って、筋肉を鍛えていくことだ。筋肉量が不足しているからだ。「水泳」も全身運動に成るので、非常にお薦めである。家事や育児に追われて時間がない時は、自宅の前で「縄跳び」をすればいい。10分程度の縄跳びでも充分に運動に成るし、汗を流すことができるのだ。

③睡眠の確保

 育児ノイローゼになっているなら、問答無用で午後10時には寝てしまうことだ。この時間に就寝すると、睡眠が非常に深くなり、脳の傷を修復してくれるからだ。この午後10時に寝てしまえば、赤ちゃんの夜泣きで起こされても、最低でも3時間の睡眠を確保できるので、その後、赤ちゃんに母乳を与え、オムツを交換して、再び寝てしまえば、更に3時間の睡眠を確保できるのだ。

 育児ノイローゼを治したければ、とにかく「早起き」をすることだ。育児ノイローゼは自律神経が乱れた状態にあるので、早起きをすることによって自律神経の乱れを治していくのだ。早起きすれば、気分は爽快に成るし、自分がすべきことを前倒しでできるものなのだ。時間に追われていた今までの生活が、打って変って時間が有り余る生活に変化するのだ。

 早起きする分、昼寝をすることで、睡眠不足を調整すればいい。赤ちゃんが昼寝をした際に、自分もついでに寝てしまうのだ。昼寝は10分程度でも、1時間の睡眠を取ったのと同じになるのだ。昼寝をすれば、脳の傷の修復を、昼と夜の2回行うことができるので、育児ノイローゼの治りが非常に早くなるのだ。

 また、夜には寝る前に必ず入浴することだ。日中、家事や育児で疲れているのだから、入浴することで、その疲労を取ってしまうことだ。入浴すれば、寝付きが良くなり、睡眠も深くなるのだ。更に、たまにはサウナや温泉で汗を流すことだ。サウナで思いっきり汗を流せば、育児ノイローゼなんて吹き飛んでしまうものだ。温泉でゆっくりと湯船に浸かれば、再び元気一杯で育児をしようとする意欲が湧いてくるものなのだ。

④掃除をする

 育児ノイローゼを治したければ、とにかく便所掃除をせよ。便所こそが自宅の中で最悪の悪臭を放っているのだ。便所の悪臭は重曹を使って取ればいい。便所掃除は毎日やるべきであって、毎日便所掃除を遣り続ければ、育児ノイローゼなんて治ってしまうものなのだ。

 風呂場は、壁のカビを取り除き、床を徹底的に磨くことだ。排水口には抜け毛が詰まっているので、それを取り除き、排水口のフィルターを奇麗に洗って、天日干しして乾燥させることだ。風呂場のドアは使用していない時は必ず開けっ放しにしておいて、乾燥させておくことだ。そうすればカビは生えてこない。

 台所はガスレンジや流しが特に汚れている。極めつけは排水口で、排水口のフィルターを奇麗に洗うことだ。こここそが最も臭いのだ。フィルターにお酢をかけ、2時間程度放置していて、そこに熱湯をかけて、殺菌してしまうことだ。それを天日干しすればいい。ここさえ奇麗になれば、台所に悪臭は漂わなくなるものなのだ。

 更に、料理の際に気分を良くするために、蛇口をピカピカにすることだ。お酢と水を1:1の割合で混ぜ合わし、それをスプレーの容器に入れ、蛇口にティッシュを撒きつけて、そこに吹きかけるのだ。酢水に晒して1時間以上してから、ティッシュを取り除くと、蛇口はピカピカに大変身してるのだ。このピカピカの蛇口を見ていると、料理を美味しく作ろうという意欲が湧いて来るので、料理を作っているうちに育児ノイローゼなど吹き飛んでしまうのだ。

 育児ノイローゼに罹ると、育児をネガティブに考えている人たちの意見に惑わされて、より育児ノイローゼを悪化させがちだ。時間が過ぎ去って、たとえ、育児ノイローゼが治ったとしても、育児に対してネガティブな思いを持続しがちだ。しかし、それは育児ノイローゼの原因が解らず、治療法もなかったからこそ、不満を持続させているにすぎないのだ。育児ノイローゼの原因と治療法が解っていれば、ちゃんと育児ノイローゼを治せるし、その後の育児もポジティブに捉えることができるようになるのだ。育児ノイローゼが治ってしまえば、「あの時は私は未熟だったのよ~」と笑い飛ばせるようになれるものなのだ。

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結婚に於ける苦悩を一瞬にして消滅させる究極の方法

●結婚の苦悩は現状否定を行うからこそ生じるもの

 出産して育児の日々を繰り返していると、「私はどうしてこの人と結婚しちゃたんだろう?」とか、「このままの平凡な暮らしでいいのかな?」という疑問が湧いてきてしまうものだ。結婚する前はラブラブで、結婚式当日は永遠の愛を誓い合ったのに、育児を繰り返して赤ちゃんの世話ばかりみていると、どうしてもこういう良からぬ邪念が浮かび上がってきてしまうものなのだ。

 苦悩というものは、目の前の現象を否定し、現実を受け入れないからこそ生じるものである。出産によって赤ちゃんが生まれたという環境の変化、生まれてきた赤ちゃんの成長スピードが遅いという事実、しかも、夜泣きを食らうために疲労困憊になってしまう我が身、こういったことが重なると、どうしても育児の苦悩を通り越して、結婚そのものへの疑問が生じてしまうものなのだ。

 人間は貧困を共にすることはできても、富貴を共にすることはできないという。不思議なことに、人間関係が悪化するのは、不幸な時期ではなく、寧ろ幸福に成り始めた時期になのである。結婚の場合、夫婦二人で暮らしている時は、そこそこの幸せで満足していたのに、出産によって赤ちゃんというお目出度に出くわすと、その幸福の中で今度は一転して夫婦関係が悪化し出してしまうのである。

 意外なことかもしれないければど、かなり多くの夫婦たちが出産後に夫婦仲を悪化させているのだ。赤ちゃんを産んだことによって環境が一変してしまい、傍から見ればそれは幸せな光景であったとしても、その環境の変化に妻自身がついていけず、結婚の苦悩が心の中から湧き上がってきてしまうのだ。

 勿論、出産後も幸せに成り、夫婦仲がより一層良くなるという夫婦たちもいる。そういう夫婦は環境の変化を受け入れ、現実を肯定したからこそ、現実への対処法が解り、自分たちがそれに適応できるように変え、更なる幸せを獲得していったのである。育児は大変であるかもしれないけれど、それ以上の育児の喜びがあるということが解ったのである。

●自分の人生を最高にして最善だと思う

 断言しておこう。「いかなることがあっても、あなたにとっては今の旦那が丁度いい」のだ。今の夫は可でも不可でもなく、最高にして最善の夫なのである。結婚したにも拘わらず、「もっといい男がいるのではないか?」と思うのは、結婚に於いての反則技なのである。増してやイケメンに心を奪われるようであったら、今後の結婚は前途多難であろう。

 自分が今まで自分で選択し続けてきたからこそ、今の自分がいるのだ。結婚したということは、すべて必然であったことであり、必要であったことなのだ。今の日本で略奪婚によって結婚した人などいない筈だ。すべて男女が合意したからこそ結婚に至ったのである。だったら、その結婚を否定することなく、肯定していくべきなのである。

 結婚した自分を肯定し、自分と結婚してくれた夫を肯定する。そうすると自分の心はポジティブに成り、様々なプラス発想が出て来る。夫を怒らせるのではなく、夫に喜んで頂くことをしようという気になる。夫を恨めば、いずれ自分も夫から恨まれるようになるのだ。夫婦は人間関係が最も濃密なので、プラス発想は更なるプラス発想として返ってくるし、邪念は更なる邪念として返ってくるのだ。

 自分の人生は最高であり、最善なのである。育児でいかなる苦悩を抱えたとしても、自分が環境に適応してしまえば、自分にとって丁度いい幸せな状況になるものなのである。自分を変えないからこそ、赤ちゃんがいるのに、自分は不幸だと感じてしまうだけなのである。

 他人と競争し合う生き方はもうやめよう。他人と比較し合う生き方ももうやめよう。競争するのではなく、慈愛を施す喜びに目覚め、他人と比較するのではなく、夫と協力し合う喜びに目覚めよう。結婚の幸不幸は、妻一人の決断で80%以上は決まってしまうものなのだ。結婚というのは家庭内の実権を妻が握るものだから、妻が幸せと思えば幸せになれるし、不幸だと思えば不幸になってしまうものなのだ。

●自分の人生のシナリオは生まれる前から決まっている

 恋愛結婚で結婚したのなら、殆どすべてが生まれる前から決まっていた人と出会い、結婚すべき時期に結婚したといっていいのだ。この結婚は夫婦双方の手相にきちんと「結婚線」として出ているものなのだ。そう、自分の人生は生まれる前から決まっていたのだ。自分がした結婚も生まれる前から決まっていたのだ。

 こういう考え方を「予定説」という。予定説とは。神がその人が生まれる前からその人の人生を決めてしまうことをいうのだ。だからこそ、人間は神に絶対服従しなければならず、神に対して謙虚になりさえすれば、自動的に予定された人生を歩み、幸せになっていくのである。

 これに対して、人間の努力次第で運命が変えられるという考え方が「因果律」だ。自分が何かしらの原因を設定さえすれば、その原因に応じた結果が出て来るというのだ。仏教がこの考え方に立脚しているために、多くの人々が遂々この因果律こそが正しいのではないかと思ってしまい、因果律によって人生を歩んでしまいがちだ。

 しかし、様々な夫婦を見て来て、これだけははっきりと言えるのは、殆どの夫婦は生まれる前からその結婚が予定されていたのであり、その結婚の中で努力によって変えることができるのは、非常に限られているということだ。結婚したのなら、夫婦双方が互いを変えようとし合うのではなく、夫婦双方が互いの存在を受け入れれば、後はすべて巧く行くのだ。その後の努力など、神の予定の前では僅かなものにすぎないのだ。

 自分の人生は生まれる前から神様によって決められている以上、自分の過去現在未来のすべてを受け入れることだ。自分が生まれるべくして生まれてきたのであり、歩むベくして今まで歩んできたのだ。そして、自分の夫も自分の赤ちゃんも、巡り合うべくして巡り合えたのだ。こういう考えに立てれば、結婚に於ける苦悩など一瞬にして消滅してしまうものなのだ。

●だから努力し、楽しみ、感謝する

 結婚してから未来はどうなるか解らない。それゆえ、人間は不安になってしまい、苦悩が湧き出て来るものなのだ。未来は解らない。だから、一生懸命に努力すべきなのである。自分の努力によって幸福を作り出していけばいいのだ。努力をすれば最初は苦しいものである。しかし、努力を積み重ねていくと努力が楽しみになっていくのだ。そして、努力の楽しみを積み重ねていくと、夫や赤ちゃんに感謝するようになるのだ。

 漠然と家事や育児をしているままでは苦悩は続くものなのだ。家事や育児を道楽にしてしまえば、家事や育児は歓喜に満ち溢れるものなのだ。結婚だって漠然と結婚したままでは苦悩が続くものなのだ。結婚を道楽にしてしまえば、結婚は幸福に満ち溢れていくものなのである。

 神の存在を否定し、予定説を否定して、自分の努力だけで幸せになれると思い上がってしまうと、結婚は苦悩だらけになってしまうものなのである。因果律は一見正しそうでも、実際にやってみると、失敗してしまうものなのだ。なぜなら、自分が生まれる前から定まっていたシナリオを理解していないし、神の見えざる力が働くことを拒んでしまうからだ。結婚して自分が散々努力して幸せを作り出しても、それは「因果律のバベルの塔」にすぎないのであり、高くすればするほど、神の怒りに触れて、呆気なく破壊されてしまうのである。

 人間は人間のままでいたら、絶対に不幸に成っていくのだ。いくら人間に人権を認めても、人間は神から切り離されれば、不幸に成っていくしかないのだ。なぜなら、人間の人生は生まれる前から、神様によって決定されているからだ。神が定めたシナリオを通りの人生を歩めば、人間は自然と幸せになっていくものなのである。

 神の予定を知った上で、一生懸命に努力をする。自分が性根を据えて、家事や育児に取り組んでいれば、いかなる不幸も撃破できるし、いくらでも楽しいことに出会えるものなのである。人生で幸福を最大化したいなら、結婚を徹底的に楽しんでしまえばいいのだ。結婚に於いて何か見返りを得るために努力をするのではなく、自分が楽しいからこそ努力をする。そうすれば、自分の心が苦悩に犯されることもなく、不幸が訪れてくることもなく、結婚は幸せと豊かさに満ちたものになるのである。

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育児で悩んでいるのは、自分一人だけじゃない!

●悩み解消の特効薬

 「育児で悩んでいるのは、自分一人だけじゃない」。こう言われることは、育児に於いて悩み解消の最高の特攻薬となるであろう。新米ママは育児の初心者なのだ。最初からすべてが巧く行くわけがないのだ。成功するのが当たり前ではなく、失敗するのが当たり前になってしまうからだ。

 初めての赤ちゃんなら、育児の基本テクニックである「授乳」と「オムツの交換」ですら躓いてしまうものなのだ。どの新米ママも出産前に「授乳」や「オムツの交換」など経験したことがないから、これらの基本テクニックに戸惑い、きちんと学ぶことをせずに、その後の育児を展開していこうとしてしまうのだ。

 はっきりと言えば、赤ちゃんへの授乳がしっかりとできていない新米ママや、オムツの交換をしっかりできていない新米ママは、その後の育児でトラブルが続出することだろう。赤ちゃんが生まれて当分の間は「子泣き授乳」が原則になるので、その子泣き授乳を無視して定時授乳を行ってしまえば、赤ちゃんへの授乳の仕方が解らなくなってしまうことだろう。母乳を飲んで貰うためには、或る程度は泣いて貰わねばならないのである。

 赤ちゃんは母乳を飲めばウンチをするのだから、ウンチをしたら泣いて貰い、それをきちんと処理して、ウンチが漏れないようにオムツを締めなければならない。オムツの交換が面倒臭いからといって、紙オムツにしてしまうと、赤ちゃんがウンチをしても泣いてくれず、そのために排便が異常になってしまい、赤ちゃんが便秘するという事態になってしまうのだ。

 今まで育児を一度もしたことのない女性にとってみれば、この育児の基本テクニックですら大変なのだ。だから、赤ちゃんの成長は非常にゆっくりしていて、生後3ヵ月まではこの作業の繰り返しになるので、その間に育児の基本テクニックを覚えられるようにできているのだ。その間、何度も失敗するものなのである。いきなり基本テクニックを習得できるわけではないのである。

●対等になりたい願望

 人間の心には他人と対等になりたいという願望が潜んでいる。育児をしていて、自分だけが特別で、自分だけがこの苦労を背負わねばならぬとしたら、その新米ママはいずれ育児で破綻を来たすことであろう。育児ストレスで一杯に成って、一気に育児ノイローゼになってしまう筈だ。

 育児をやっているのは自分一人だけじゃなく、多くの新米ママたちも同じ作業をやっているのだと思えば、心の中で蟠っていたものが、「スーッ」と消え去っていってしまうものなのである。自分だけが育児というマイナスを背負い込んでいるのではなく、新米ママならこういう苦労を背負って当たり前だと思えば、自分がマイナスだと思っていたことがマイナスでなくなってしまうのである。

 女性は特にこの対等に成りたい願望が強く、この願望を満たしておかないと、他の新米ママなら当然に避けることのできる育児ストレスでも、それを最大化してしまい、育児ストレスで一杯になってしまうからだ。同じく育児をしている者同士で集まって、ペチャクチャと喋りながら、育児に関する情報を交換し合っていれば、自然と対等願望が満たされるし、育児ストレスもなくなっていくものなのである。

 母子2人で育児をするのではなく、とにかく新米ママたちの群れに加わることだ。新米ママたちの群れに加わっていれば、育児ストレスは軽減されるし、新米ママたちの群れに加わっていなければ、育児ストレスは増幅していくものなのだ。新米ママ同士で喋ることの重要性を、絶対に忘れるべきではないのである。

 新米ママが他の新米ママたちと喋れば解消できてしまう育児ストレスを夫に持ってくるというのは、夫にとって非常に迷惑なのである。育児の初期で起こる夫婦喧嘩や、夫婦の仲たがいは、これが原因で起こるものなのだ。妻が自分で処理できる育児ストレスを、わざわざ夫の所に持ってくるなということなのである。

●対等になることと、平等になることは違う

 多くの新米ママたちがおかしくなってしまうのは、対等願望をきちんと満たしていないから、みんなを平等にしようという邪念に囚われてしまうからなのである。夫が育児を手伝わないから、夫婦間に男女平等を持ち込んで、無理矢理に育児を手伝わせ、新米ママ自身が育児の基本テクニックを習得するチャンスを逃してしまうのだ。

 夫を平等な者と看做せば、家庭内に愛は流れてこなくなってしまうのだ。妻は夫に愛されるからこそ、今度は赤ちゃんに愛を注ごうとするのである。そうやって家庭内で愛が流れていくので、夫も妻も同じ者だと思ってしまえば、家庭内には愛が流れず、愛が完全に不足した状態で育児をし続けなければならなくなるのだ。

 他の新米ママたちと仲良くするのも、新米ママとしては対等だけど、でも、絶対に平等ではないのだ。それなのに、ちょこっと親しくなったからといって、育児に関係のない他愛のないことを延々と喋りまくり、携帯電話で何時間もお喋りしようとしたり、結婚しているのだから家庭があるのに夜中に訪問してきたりと、相手の事情を完全に無視して付き合おうとするので、相手ときちんと交際することができず、新米ママたちから総スカンを食らってしまうのだ。

 育児をする前に精神的自立をきちんと果たしていない女性は、とにかく平等を唱えてくるので要注意だ。精神的自立を果たしていなければ、平等を唱えてくるので、まともな育児をしようとしないし、新米ママ同士で適切な交際をしようとしないし、夫婦関係ですら揉めてくるからだ。

 結婚するというのは、精神的自立を終えて、今度は夫婦で独立していこうとする動きなのだ。だから、結婚して出産をし育児をしている頃には、新米ママといえども、独立していこうとする意欲で満ち溢れているものなのだ。独立するために悪戦苦闘しているのに、平等を唱えて独立しようとせず、自立すらしていない女性なら、いくらでも場違いな作業を繰り返し、場違いな意見を言ってくるものなのである。

●母親たちへの仲間入りと、家柄による変化

 人間は群生動物なのである。決して一人で生きていける動物ではないのだ。群れることで生存していく技術を伝えあっていくのである。群生動物である以上、「対等」と「秩序」という二つの要素をきちんと兼ね備えなければならないのだ。まずは「新米ママ同士の繋がり」によって対等願望を満たしてあげることだ。もう一つは先輩ママや育児の知識を持っている人から育児の仕方を教えて貰い、秩序願望を満たしてあげることだ。

 対等願望と秩序願望が満たされるからこそ、育児でてんてこ舞いになっている新米ママでも安心して育児ができるのである。赤ちゃんは決して平等ではないし、育児も決して平等ではないのだ。対等願望を満たすことで育児ストレスを軽減すれば、ストレスの少ない状態で育児ができ、そういう新米ママのもとでは赤ちゃんはスクスク育っていくことができることであろう。

 秩序願望を満たし、よりよい育児の仕方を習得できた新米ママは、自分の育児でよりよい育児テクニックを投入できるので、より優秀な赤ちゃんを育てていくことができることであろう。例えば、「赤ちゃんは成長と共に脳を大きくしていっているから、無言で育児をするのではなく、常に赤ちゃんに語りかけ、できれば常にクラシック音楽を流し続けていると、赤ちゃんの脳は刺激され、脳の容積量を大きくしていくことができる」ということを教えて貰えば、自分がすぐさま実践すれば知能の高い赤ちゃんに育っていくことだろう。逆に、この育児の知識を持っていない新米ママたちよりも圧倒的優位に立つことができるのである。

 世の中には人間の遺伝子だけを特に重要視し、人間を遺伝子の箱舟と看做す見解がある。しかし、人間は遺伝子の箱舟ではないのだ。人間はその育てられ方の違いによって、大きくその能力を変えていくものなのだ。いくら優秀な遺伝子を持っていたとしても、その母親が出鱈目な育児をしてしまえば、その優秀な遺伝子を発揮させることなく、生涯を終えてしまうことだってあるのだ。

 遺伝子に着目するよりも、家系に着目した方が余程説得力ある意見を展開できる。家系が長く続いているということは、それだけその家族に優れた人間を産み育てる知識と技術が蓄えられていることなのだ。長寿の家系なら、恐らく食事や運動や睡眠の重要性が解っており、それらを巧く使いこなしながら、長寿を実現してきたのであろう。

 家柄による変化というのは、予想以上に大きいものなのだ。しっかりとした家柄のある家族なら、育児ストレスを軽減するテクニックも充分に備わっているものなのだ。それなのに、平等を唱えて、家柄を破壊してしまうからこそ、育児ストレスで一杯になってしまうのである。育児で悩んでいるのは自分一人だけじゃないけど、かといって平等なわけがないんだ。新米ママだって千差万別色々な新米ママたちが居て、新米ママたちの結婚風景はどれも同じではないんだ。平等ではなく、様々な人々がいるからこそ、多彩な結婚を展開することができ、多彩な赤ちゃんたちが育ってくるものなのである。

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家族というチームワークの力を使う

●個人の力とチームワークの力

 育児というものは母親が独裁でやってしまった方が、最高レベルで巧く行く。独裁を取らずに、夫に頼ろうとするからこそ、破綻するのである。育児ではその母親が新米ママだとしても、夫よりも妻がやってくれた方が何かと便利だし、結果をきちんと出せるものなのだ。赤ちゃんを産んだら、新米ママがヘトヘトになるくらいの活躍が要求されることは当然なのである。

 しかし、そうやって新米ママが育児を行っていれば、育児や家事で手助けが欲しくなる。夫の手助けとは、この時期になって初めて出て来るものなのである。日中、育児をやってきたわけだけから、夫が帰宅したら、夫が赤ちゃんをあやすことで、その間、新米ママが赤ちゃんから離れて他の作業を自由に行えることができるのだ。育児を真剣にやっていれば、一時的に赤ちゃんと離れて他のことをしたいという思いが生ずるのは当然のことなのだ。

 育児に於いても家事に於いても、夫婦が平等に行うより、新米ママが中心的にやった方が、遥に生産性が高くなるのだ。但し、育児でも家事でも新米ママだけでは人手が足りないからこそ、その際に始めて夫の手助けが必要となるのだ。育児でも家事でも、新米ママが中心となりつつ、協業と分業を巧く取り入れるからこそ、生産力を最大限に拡大させることができるのだ。

 どうしても経済的な事情で共働きにならざるをえない兼業主婦は、いくら一生懸命にやっても育児では赤ちゃんに充分に構ってあげられなかったという慙愧の念を持ってしまうものなのだ。育児に於ける独裁を行えなかったからだ。妻が働いていれば、夫が育児の手助けをかなり行わざるをえなくなるが、妻がその優しさに感謝しておかないと、結婚までがギクシャクしてしまうものなのだ。

 そういった意味では、専業主婦は理想的な育児環境を作り出せるのだ。母親が育児で独裁を行えるし、夫にも手助けをして貰える。専業主婦はフェミニストたちから散々に批判されまくったが、専業主婦は育児でも家事でも圧倒的に優位に立つことができるのだ。現在では、専業主婦に対して否定的なムードが漂っているために、この世の専業主婦たちは自分たちが非常に恵まれている立場にあるということが理解できていないのだ。結婚は、夫は仕事に集中し、妻は家事や育児に集中した方が、巧く行くのだ。結婚における分業がはっきりしているから、夫婦双方が自分のやるべきことがきちんと解り、夫婦双方が手助けをし易いのだ。

●まずは自分の仕事をこなす

 自分がいくら努力しても、個人の力には限界がある。だからチームワークの力を使うのである。しかし、チームワークに頼る前に、まずは自分の仕事をこなすことだ。新米ママなら育児でも家事でも自分の仕事はきちんとこなすべきなのだ。自分の仕事をきちんとやっていないのに、夫の手助けを期待するというのは、本末転倒になってしまうのだ。

 育児でも満点を取ることはないのだ。家事でも満点を取ることはないのだ。妻として普通のことをやる。母として普通のことをやる。狙うべきは合格点であって、完璧にこなすことではないのだ。例えば、料理でなら、夫は高級レストランで出されるような料理を望んでいるわけではないのだ。ごく平凡な家庭料理を望んでいるだけなのだ。妻が夫の健康のことを考えて栄養バランスを考えて、味付けを良くし、奇麗に盛り付ける。外食での料理と家庭での料理の何が違うかといえば、家庭料理には「妻の愛情」が入っていることなのだ。

 育児でならハイハイを充分にさせ、一人歩きさせることを急がない。常に赤ちゃんに語りかけて、赤ちゃんの脳を刺激して、赤ちゃんの脳の発達を促す。育児で失敗するのは、ごく当たり前の育児をしないからこそなのである。普通の育児をしないからこそ、育児で失敗が起こるものなのだ。

 ハイハイは赤ちゃんにとって体の発達を促す非常に重要な行為なのだ。このハイハイを充分にやっていれば、赤ちゃんは体を成長させることができるから、非常に健康に成るし、病気に成りにくくなるのだ。特にハイハイを終え、一人歩きができるようになると、口呼吸を覚えてしまう危険性があるので、オシャブリで口呼吸を禁止するようにしなければならないのだ。出生直後から、赤ちゃんが起きている時に、母親が語りかけていけば、赤ちゃんは脳が刺激されるので、喃語の喋りが早くなり、言葉を喋れるのも早くなるのだ。赤ちゃんの時期は脳細胞が猛スピードで成長していくから、この時期に脳を刺激すれば、いくらでも高い知能を持たせることが可能になるのだ。

 育児でも家事でもまずは新米ママが自分でやるべきことをやる。そうしなければ、夫が手助けしようにも、「これくらいのことは自分でやれよ!」と怒りながら手伝う羽目になるのだ。チムワークというのは、まずは自分がやるべきことをやったからこそ、他人の手助けを借りることができるのである。自分がやりもしなかったら、チームワークを巧く使いこなせないのだ。

 育児に於いて政府の介入をすることがなぜ危険なのかといえば、政府の介入を求める母親たちは、自分でできることをやっていないのだ。要は出産したが、育児を放棄している状態なので、いくら政府が育児に介入しても、政府の支援が巧く行かず、破綻してしまう結果になるのだ。政府が社会保障を推進して以来、政府が手を出した福祉はすべて失敗している。それは社会保障によって国民の自助努力を弱めてしまい、国民個人が自分でやるべきことをやりもしないからこそ、いくら政府が手厚い福祉を施しても、破綻してしまうことになってしまうのだ。

●夫婦で話し合う機会をちゃんと持つ

 夫婦がチームワークを巧く使う時は、夫婦それぞれが自分がやるべき作業をやって、その上で相手の手助けを借りるようにすることだ。夫は仕事をして収入を稼ぐことに重点を置き、妻は育児や家事をすることに重点を置いてくれなければ、夫婦のチームワークなど巧く活用できるわけがないのだ。

 その上で、夫婦が話し合う機会をちゃんと持つことだ。話し合わなければ、チームワークを活用できないのだ。特に、何かを始める際には、事前に話し合う習慣を持つことだ。何かを始める前に情報を交換し合うことが、最も夫婦の誤解をなくさせ、夫婦の関係を円満に行うことができる最大の秘訣なのだ。この夫婦の「戦略情報会議」があればこそ、夫婦双方が相手のことを思いやることができ、巧く手助けし合うことができるのである。

 夫婦が事後に話し合っても、実りある話し合いなどできず、「どうして私に知らせてくれなかったのよ!」とか、「今更言われても変更することができないんだ!」と、夫婦双方が怒鳴り合う結果になってしまうものなのだ。夫婦が事前に話し合う習慣を持っていれば、夫婦喧嘩の大方は消滅してしまうものなのだ。

 夫婦で話し合う時は、テーブルの上を奇麗にし、茶菓でも出して、双方がエキサイトしないような配慮を施すべきだろう。テーブルの上で物が散乱している状態であるなら、いくら会話をしても纏まりがつかない話し合いになってしまうことだろう。夫婦がきちんと向かい合い、目を見つめあって話せば、いかなる深刻な問題でもきちんと処理できるものなのだ。話し合いの場を持たないからこそ、夫婦双方が意志疎通を欠き、チームワークを巧く利用できなくなってしまうのだ。

 「困った時はお互い様」なのだ。妻が困っている時は夫に手助けしてほしいし、夫が困っている時は妻に手助けしてほしいものなのだ。恥じることなど何もない。寧ろ、手助けをしてくれれば、感謝の念が湧いてくるものだ。もしも、夫から手助けして貰ったら、今度は妻が夫の手助けをしてあげればいいのだ。

●互いの思いは伝染し合う

 夫婦である以上、その人間関係はいかなる人間関係よりも濃密なものなのだ。だから、お互いの思いは簡単に伝染し合うものなのだ。妻が育児に専念していなければ、恐らく夫の方も仕事に専念せず、遊び呆けているのであろう。妻がきちんと家事をこなしていなければ、夫も仕事をきちんとこなさず、うだつの上がらない仕事しかしていないものなのだ。

 何事もまずは自分からなのだ。自分がやるべき作業をきちんとこなす。それができなければ、何事も始まらないのだ。育児は自分でやってみれば、いくらでも新たな発見があるし、面白いことなどいくらでもあるものなのだ。育児を始めれば、まだ育児に慣れていないのだから、育児をすることは最初は大変である。しかし、その大変さを乗り越えてしまえば、母親として相当タフになり、自信がついていくものなのだ。

 その過程で失敗することはあるし、余りの悲劇に戸惑うことだってあることだろう。しかし、そういう状況でも夫の手助けを巧く借りて、乗り切っていけばいいのだ。夫婦が双方自分の作業をきちんとこなし、力を合わせてしまうことができれば、何事もできてしまうものなのだ。

 結婚に於ける「一体感」は夫婦が自分たちで作り出していかなければならないものなのだ。何もしていないのに、偶然に訪れるわけがないのだ。夫婦が努力して人為的に作るからこそ、「一体感」が生まれてくるのだ。自分がやるべきことをやり、その上で夫婦が話し合う機会を持ては、簡単に作り出すことができるのだ。

 一体感を生み出せれば、夫婦の力は相乗効果を起こして、自分一人ではできないことでも簡単にできるようになるのだ。不可能が可能に成っていくのだ。一体感と相乗効果が起きれば、結婚は爆発的なエネルギーを発し、家事は最高に機能し出し、育児は最高の感動に包まれるものなのだ。結婚に内蔵されている「秘密の力」を使ってしまえば、結婚は楽しくて仕様がなくなるものなのだ。

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すべてに満足しようとするのではなく、不満を残しながら満足する

●人間は何をやっても、不満が発生するもの

 人間は何をやっても満足できないものだ。人間は何をやったとしても不満が発生してくる。これこそが真実であろう。それゆえ、自分の不満をすべて解消し、すべて満足させることになど持っていく必要性などないのだ。いくら一生懸命に育児をやったとしても、育児に於いて何かしらの不満が残るものだ。いくら一生懸命に家事をやったとしても、家事に於いて何かしら不満が残るものだ。これは既婚女性にとってみれば、当たり前の現象なのである。

 赤ちゃんがウンチをしてくれたので、オムツを交換したら、赤ちゃんは交換した直後にウンチをしてしまう。赤ちゃんは母乳の飲みっぷりがいいな思っていたら、或る日突然に高熱を出してしまう。こんなことは育児ではごくありふれた光景なのだ。育児でいくら満足しながら育児をしていても、新米ママを不満にさせることなど、赤ちゃんはいくらでも仕出かすものなのだ。

 家事に於いても全く同じ現象が出て来る。活きのいい魚を買ってきて焼いていやら、焦がしてしまったとか。家中を掃除をし終えたのに、なぜか居間に綿埃が落ちていたとか。今日は雨に降られそうではないから、洗濯物を外に干していても大丈夫かなと思っていたら、俄か雨にやられてしまったとか。家事をやっていれば、いくら腕のいい妻であったとしても、不満になるものは確実に存在してくるのだ。

 夫婦関係にしても満足しつつも、不満は確実に残るのだ、男らしくて格好いいなと思っていた夫が結婚後にブクブクと太り出しとか。待望の赤ちゃんが生まれたのだから、育児を手伝ってくれると思いきや、何も育児を手伝ってくれないとか。年収が多いから結婚したのに、結婚したら解雇されてしまったとか。結婚すれば変化が生じて来るが、それはすべて満足させるものではなく、不満を発生させるものだってあるのだ。

 育児でも家事でも夫婦関係でも、それらの中に満足できるものはあっても、すべてに於いて満足できるわけがないのだ。何かしらの不満は存在していて、決してそれは解消しきれないものなのである。結婚した場合、自分は幸せになれると思って結婚生活を送ろうとすると、満足できるものはちゃんとあるのに、その不満のために結婚生活そのものを不幸と思い込んでしまうようになるのだ。

●不満があるということは、改善の余地があるということ

 人間は何をやらしても、80%の出来にしかならない。残りの20%はどのようにやったとしても、解消できるものではないのだ。育児でも家事でも夫婦関係でも80%の出来になれば上出来と思うべきなのである。残りの20%は今後改善していけばいいのである。不満があるということは、改善の余地があるということなのだ。

 育児をやらせれば育児ストレスで一杯になり、家事をやらせれば家事ストレスで一杯になり、結婚すれば夫婦関係のストレスで一杯になってしまう女性は、完璧主義に走っているからのである。何事も完璧に成し遂げようとするからこそ、すべての場面でストレスで一杯になってしまうのだ。

 完璧主義に走らなければ、心は気楽で居られるものなのだ。自分がどんなに真面目にやり、全力を尽くしたとしても、80%の出来にしかならないのだ。残りの20%は自分がどうやったとしても、解消できるものではないのだ。だから、完璧になってしまう前に停止し、自分が不満と思っていることは、明日以降解消していけばいいのだ。

 完璧主義に走る母親は、力の出し方が間違っているのだ。育児でも家事でも夫婦関係でも、8割方の成果を出してくるのは、僅か2割程度の作業でしかないのだ。だから、成果を激増させるその2割程度の作業を見つけ出し、そこに重点を移っせばいいのだ。その重点が見えないからこそ、不満で一杯になってしまうのだ。

 例えば、育児では最初の3ヵ月が肝心である。授乳の仕方やオムツの交換の仕方をこの期間中にきっちりと学んでおくことだ。この期間に授乳の仕方やオムツの交換の仕方を学んでいないと、後の育児ですべてが後手後手になってしまうからだ。赤ちゃんがハイハイをし出したら、赤ちゃんに充分過ぎるほどハイハイをさせてあげることだ。ハイハイを充分にさせれば、赤ちゃんに相当な筋肉がついて病気をしにくくなるし、夜になれば早々と就寝して熟睡してくれるものだ。

 そして、赤ちゃんは体だけでなく脳を発達させているので、育児の最中はとにかく赤ちゃんに語りかけることだ。赤ちゃんは母親に語りかければ語りかけられるほど、脳が刺激され、脳を発達させることができるからだ。そうすれば母親を困らせる赤ちゃんにはならなくなるのだ。

●完全に満足した状態には、完全なる落とし穴がある

 この世には人間は満足できないというのに、満足したがる人々がいるので、要注意なのだ。必要以上に満足させられれば、必要以上の不満が発生しているものなのだ。東京ディズニーランドに行けば満足できるかもしれない。しかし、その満足のためにお財布からは大量に出費を強いられるのだ。いつもは食料品を買うのに、10円や100円でも気にする主婦が、大盤振る舞いして、その後の家計に打撃を与えてしまっているのだ。

 もしも、学校生活で満足できましたという奴等がいたら、そいつらは確実に在学中に勉強していなかったことだろう。ただ単に遊び呆けていただけだ。在学中に真面目に勉強したら、卒業後は「あの時、もっと勉強しておけば良かったな」というのが、当然すぎるほどの現象なのだ。この思いが心の中で起こらないとしてら、その者は勉強らしい勉強をしていなかったのだ。

 もしも、家事で満足していますという新米ママがいるなら、その新米ママは恐らく掃除不足であろう。新米ママが育児で忙しければ、夫は掃除のことをとやかく言わないものだ。それは妻のことを配慮してのことなのだが、夫に言われないからといって家が奇麗なわけがないのだ。玄関を掃除していないし、便所は悪臭がするし、お風呂の排水口は毛が詰まっていることであろう。

 もしも、育児で満足していますという新米ママがいるなら、その新米ママはちゃんとした赤ちゃんの抱き方も知らないし、赤ちゃんのあやし方も知らないことだろう。ただ、新米ママが余りにも赤ちゃんを構わなかったからこそ、赤ちゃんは母親の愛情不足で静かにしていただけであって、赤ちゃんらしい表情をなくしてしまった不気味な赤ちゃんに育っていることだろう。

 家事を真面目にやっていれば、改善策を施さなければならないと思う筈だ。主婦向けの雑誌を見たり、ママ友から聞いたりしたりして、自分の家事の仕方を変え続けて行かざるをえないものなのだ。育児でも自分が真面目にやっていれば、新たに様々な知識を知って、育児の仕方を改善していかざるをえないのだ。1人目の赤ちゃんなら、まだ解らないことだらけなのだ。3人以上の赤ちゃんを育ててみて、やっと育児のなんたるかが解るものなのである。

●自分を幸せにする喜びから、他人を幸せにする喜びに変える

 人間は自分だけが幸せになろうとすると、一転して不幸になってしまうのだ。80%の満足でそれこそ満足しておけばいいのに、残りの20%の不満を解消しようと躍起になって、既にある80%の満足すら破壊してしまうのだ。だから、結婚して赤ちゃんを産んで幸せになったというのに、家事や育児や夫婦関係で不満を爆発させ、離婚してしまう愚かな女性が出て来てしまうのだ。

 80%の幸せで満足し、残りの20%は改善の余地だと謙虚に思うことだ。そして自分の幸せばかりを考えるのではなく、他人を幸せにしていくという方向に切り替えることだ。他人を幸せにしていると、自分の20%の不満など気にしなくなるものだ。自分を幸せにすることよりも、他人を幸せにする喜びの方が大きいものなのだ。

 自分が精神的に成長できた喜びを感じることができれば、本当の喜びを見出すことができる。育児をしていて自分が幸せになるだけでなく、赤ちゃんを幸せにしていくという精神状態に立てれば、育児ストレスなど吹き飛んでいくことだろう。家事をするのも、自分が幸せになるだけでなく、夫を幸せにしていくという精神状態に立てれば、家事ストレスは吹き飛んでいくことだろう。

 夫婦関係でも、妻の方が自分だけ幸せになろうとすれば、いくらでもストレスは発生してくるものだし、いくらでもトラブルは発生してくるものだ。もしも夫婦関係が悪化した時は、「自分は夫のために何か尽くしたことがあっただろうか?」と自問自答すればいいのだ。夫を幸せにしていなからこそ、夫婦関係が悪化してしまっているだけなのである。夫を幸せにしてしまえば、夫婦関係は有り得ないほどに良好になっていくものなのである。

 自分の精神レベルが低ければ、自分だけが満足しようとし、しかも100%の満足を要求し出すものだ。100%の満足など誰がどうやっても不可能なのだ。そうような愚かな行為を取るのではなく、自分の精神レベルを上げて、すべてに満足しようとするのではなく、不満を残しながら満足することだ。その上で自分が幸せになりつつも、他人を幸せにしていく喜びに目覚めることだ。そうすれば育児ストレスを始め、多くのストレスが消え、楽しみながら育児をすることができるようになることであろう。

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小さな作業こそ、偉大なる作業の土台

●まずは小さな作業をきちんとこなせ

 育児も家事も小さな作業こそが始まりである。小さな作業をこなせなければ、次の作業へと進むことができない。大半の妻や、大半の新米ママたちは、初期の段階で行わなければならない小さな作業を軽視するからこそ、育児や家事でトラブルが続出するのである。小さな作業は簡単なのだから、決して手抜きしてはならないのだ。

 育児に於いて小さな作業とは、「授乳」と「オムツの交換」である。これがきちんとできれば、育児の他の作業は容易いものなのだ。まず授乳は出産後の3ヵ月で完全に習得してしまうことだ。できれば、出産目に母乳育児の重要性をしっかりと頭に叩き込んでいて、頭の中で赤ちゃんに母乳を与えるシュミレーションをしておくといい。そうすると、いざ授乳をする時に、簡単に母乳が出て来るものなのである。最初の赤ちゃんであるなら母乳の出が悪いので余り気にしないことだ。余りにも少ないと思った時は、乳房マッサージを受ければいい。

 オムツの交換は自分の母親から教えて貰った方が手っ取り早い。自分でしっかりと締めたつもりでも、ウンチが漏れてしまうこともあるからだ。オムツを交換する時は無言で行うことでなく、とにかく赤ちゃんに喋りかけながらオムツを交換することだ。「たくさんウンチをそてくれて有難う」と言いながらオムツを交換すると、赤ちゃんは便秘をしなくなるのだ。便秘をしなければ、赤ちゃんの病気はかなり減るものなのである。

 初めての育児なら、この単純な作業ですらまとも行えるわけがないのだ。新米ママは試行錯誤の連続なのである。解らなければ、知っている人に聞けばいいのだ。育児の経験者なら心地よく教えてくれるものなのだ。「こんな簡単な作業でできて当たり前じゃん」と思うのは思い上がりなのである。

 例えば、赤ちゃんをいつまでも横抱きで授乳し続けてしまうと、赤ちゃんの体が緊張してしまい、赤ちゃんを寝かしても足が上がった状態になってしまうのだ。授乳は生後3ヵ月以内に縦抱きに切り替えるべきであって、赤ちゃんの体が緊張しない状態で授乳してあげなければならないのだ。

 オムツの交換の際に無言で交換してしまうと、ベビーサインを出し始める頃に、新米ママの方が赤ちゃんのベビーサインに気づいてあげることができず、そのために赤ちゃんが便秘をして病気になったり、オムツの取れる時期が非常に遅れてしまうことになるのだ。母親が喋ることで、赤ちゃんは脳の刺激を受け、ウンチをする時は、母親に伝えた方がいいという判断がきちんとできるようになるのである。

●小さな作業をするから、大きな作業をすることができる

 生後3ヵ月は赤ちゃんは寝たきり状態なので、この期間に一生懸命になって育児の小さな作業を習得していくことだ。生後3ヵ月を過ぎれば大きな作業へと突入していくことになるからだ。小さな作業をきちんとできてしまえば、後の大きな作業は比較的簡単であり、実践では難なくできてしまうものだ。

 まず、母子の絆をしっかりとさせたいなら、「対面抱っこ」という抱き方をきちんと習得することだ。母親が赤ちゃんの首と腰に手を当てて、自分のお腹にくっつけながら、抱くのである。この抱き方をされると、重力のために赤ちゃんの体がブラ~ンとなり、赤ちゃんは母親にすべてを任さざるを得なくなるのだ。この状態になって、赤ちゃんと目線を合わせのだ。そして赤ちゃんに何か語りかければいいのだ。

 この対面抱っこがなぜ必要なのかといえば、これをやることで母親は上位にあり、赤ちゃんはそれに従属するものだという意識を植え込むのである。赤ちゃんはこれをして貰うからこそ、自分の産みの母親を育ての母親として認め、母親に従おうとするのだ。それゆえ、これをやらなければ母親は赤ちゃんに振り回されるようになってしまうのだ。「育児って大変よ~」といっている母親たちは、絶対と言っていいほど、この対面抱っこをしたことがないのだ。だから赤ちゃんは自分の母親を育ての母親とは認めず、自分勝手な行動を取ってしまうのだ。

 赤ちゃんは生後3ヵ月を過ぎると、難語を喋り始めるのだが、喃語が意味不明の言語だからといって無視してはならない。赤ちゃんの喃語には新米ママは喋ることで対応するべきなのだ。この時期から赤ちゃんは猛スピードで脳細胞を増加させていくので、新米ママはとにかく赤ちゃんに喋りかけて、赤ちゃんの脳を巧く刺激してあげて、脳細胞をより増加させてあげるべきなのだ。自宅に居る時も、外出する時も、赤ちゃんに語りかけていくことだ。

 男の赤ちゃんは女の赤ちゃんより脳の発達が遅いので、母親が赤ちゃんに語りかけることしないと、どうしても知能の発達に遅れが出てしまうのだ。幼稚園児になっても自分の意見が言えず、怪獣状態になっている男の子がいるものだが、これは母親が赤ちゃんの頃に語りかけなかったからこそ、男の赤ちゃんは脳細胞の発達を巧くできなかったのである。

 赤ちゃんは寝たきりの状態から「ぐにゃ座り」ができるようになり、そして「一人座り」ができるようになるものだ。ハイハイを充分にやってから、一人立ちをし、一人歩きをし始めるものだ。これらの動作にはすべて重要な意味があるので、これらをすっ飛ばして、いきなり一人歩きはできないものなのだ。時間をかけてゆっくりと育てていくしかないのだ。

●不平不満を言ってる間は上達しない

 育児をやっていると、「授乳」と「オムツの交換」が終わりなく繰り返されると錯覚してしまいがちだ。赤ちゃんの成長はゆっくりとしたものなので、自分は世間から取り残されてしまったのではないかと錯覚してしまいがちだ。こういう錯覚に囚われてしまうと、育児をやっていても喜びを見出せず、「不平不満」ばかりが出てしまうものだ。

 はっきりと言わして貰うが、不平不満を言っている間は育児は上達しないものだ。新米ママなら育児に於いては、「知らないこと」「解らないこと」だらけなのである。自分が赤ちゃんを産んだからといって、育児のことをすべて知っているような知ったかぶりは絶対にやめるべきなのだ。

 そういう新米ママたちは、小さな作業の重要性が解っていないのだ。育児の初期で同じ単純作業を繰り返していると、問題意識を持ち始め、育児をする姿勢に偉大なる変化が訪れてくるものだ。その変化があるからこそ、育児で様々な試行錯誤をするようになり、育児がどんどん上達していくようになるのだ。大きな作業をするから育児が巧くなるのではないのだ。小さな作業を遣り続けると、全体が見えてくるものであって、その視点を持てたからこそ、大きな作業も難なくこなし、育児が巧くなっていくものなのだ。

 育児をしていれば、結婚せずに働いている女性たちとの間に溝ができてしまい、その溝が時間と共に大きくなっていくものだ。育児をすることは競争することではないのだ。競争をやめたからこそ、育児ができるのであり、平穏な日々の中でのんびりと赤ちゃんを育てていくことができるのだ。

 今まで働いていたのなら、仕事絡みでできた友人たちは去っていき、育児絡みでできた友人たちが増えていくものなのだ。そういった変化をきちんと成し遂げておかないと、育児に関する情報を充分に集めることができず、育児に於いてすべてが後手後手になってしまい、赤ちゃんの成長が遅れてしまうものなのだ。

●地道に作業を遣り続ける人は躓かない

 育児というのは有難いことに、頭の良し悪しを問われないし、学歴をも問われない。赤ちゃんを産みさえすれば、誰もが同じスタートラインに就くのだ。それなのに、或る母親の赤ちゃんは充分に成長して、将来、優秀な頭脳を以て祖国の発展に貢献したり、或る母親の赤ちゃんは歪な成長をして、将来、捻くれた人格を以て凶悪犯罪の犯罪者になってしまうのである。どうしてこんな差が開いてしまったかといえば、それは育児環境が余りにも違いすぎたのだろう。一方の母親はきちんと赤ちゃんに向き合って育て、もう一方の母親は赤ちゃんと向き合わず、育児で散々手抜きをしまくったのだろう。

 地道に作業を遣り続ける人は躓かないものだ。小さな作業を軽んじ、地道に遣り続けないからこそ、折角、赤ちゃんを産んだのに、育児で躓いてしまうのである。赤ちゃんを産んだ以上は、性根を入れ替えて、地道に作業を遣り続けることだ。同じ作業を飽きることなく何度も繰り返していけば、育児は上達していくものなのだ。

 家事でも事情は全く同じだ。家事の場合、料理を作ることが基本の作業に成るので、まずは皿洗いから始めることだ。料理を作るのは妻で、皿洗いは夫というような分担にしてしまうと、いつまで立っても料理の腕は上達しないものだ。いかなるコックといえども、最初は皿洗いから始まるものなのだ。それゆえ、皿を丁寧に洗い、フライパンや鍋がピカピカになるまで洗い込むことだ。できれば、ガスレンジの周りを掃除しまくることだ。流しや排水口を掃除しまくることだ。これらのことがきちんとできれば、料理の腕は上達していくものなのだ。

 夫婦関係であるならば、夫婦といえども挨拶をきちんとし、身なりを正しくして、会話を絶やさないことだ。結婚しているからこそ堅苦しい礼儀をなくしてしまうのではなく、結婚しているからこそ堅苦しい礼儀が必要なのである。礼儀というのは、人間関係を良好にしていくための行為なのだ。夫婦という濃密な人間関係だからこそ、いかなることがあってもきちんと挨拶をし、身なりを正しくしておくことが必要なのだ。 

 育児をしていると、夫が帰宅後にベラベらと育児について喋ってしまうものだ。夫は仕事で疲れて帰ってきている以上、まずは夫の今日の出来事の話を聞き、それから今日の自分の出来事を話せばいいのだ。そうすれば、夫も育児に関心を持ってくれるし、妻も夫の良き理解者として、夫の活躍を支援してあげることができるようになるのである。

 いついかなる時でも、小さな作業は、偉大なる作業の土台なのである。小さな作業はやってみれば難しいものではないのだ。ただ、自分にちゃんとした忍耐力がないと、そこで手抜きを始めてしまい、次の作業へと進むことができなくなってしまうのだ。毎日何度も繰り返される作業であるなら、それは面倒臭い作業なのではなく、小さな作業だからこそ、非常に重要な作業なのである。これを地道に繰り返していれば、育児は自然と上達していくものなのである。

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育児で手抜きをすると、逆に疲れるものである

●手抜きの代償は高くつく

 育児をしている母親たちが、しなくてもいい自慢が、「育児での手抜きをしたこと」なのである。現在、一戸建てでも、マンションでも、食品でも、業者の手抜きが社会問題となっているのに、育児をしている母親たちは、手抜きをする悪徳業者を非難しながら、自分の育児で手抜きをしているのだ。

 育児で手抜きをすると、その代償は非常に高くつくのだ。まず、母親として、「学ぶべきことを学べない」からだ。育児に関しては、実際にやってみないと解らないことだらけなのである。学校でいかに成績が悪かろうが、最終学歴が大学院の博士課程を修了したか、関係ないのだ。育児は実際にやっているみないと解らないのだ。そのため育児で手抜きをしてしまうと、普通の母親なら知っていて当然のことすら知ることができなくなってしまうのだ。

 次に、「楽しむべきことを楽しめない」ということだ。育児では赤ちゃんが他の出来事では絶対に味わえないような楽しさを与えてくれる。育児では勿論、大変なこともあるし、つらいこともある。しかし、そういった苦労をすべて吹き飛ばしてくれる楽しさを、赤ちゃんは母親に与えてくれるのだ。この楽しさがあるからこそ、多くの母親たちは一人の赤ちゃんだけではなく、もう一人欲しいと思ってしまうわけだし、更にもう一人欲しいと思ってしまうのだ。育児が楽しいから、何度もやりたくなってしまうのだ。

 手抜きの代償で一番きついのが、赤ちゃんが得体の知れない病気になるということだ。赤ちゃんは生後2年まで母親から育児を受けて当然と思っているし、赤ちゃんの体の成長そのものがそういうふうにできている。そのため、母親が育児で手抜きをし出すと、赤ちゃんは病気を発症させ、わざと母親に手間がかかるように仕向けるのである。これは育児を経験した母親なら、絶対に経験する事態であろう。

 育児は手間がかかって当然なのだ。どの哺乳動物も赤ちゃんに対して手間をかけているのだ。だからこそ、赤ちゃんをきちんと成長させ、病気に罹らせないようにしているのだ。育児をしている最中に、育児で手抜きをして、赤ちゃんへの手間暇をかけずに、他に重要な仕事などないものなのだ。母親にとって一番大事な仕事は、「育児」なのである。

●手抜きをするのではなく、力を入れる場所を変える

 では一体、育児で手抜きをしている母親たちが、その手抜きをした時間を使って何をやっているかといえば、テレビを見ているのだ。なぜ、テレビを見るのが楽しいのか? それは「楽」だからだ。人間は怠け癖があるので、自分が本来やるべき仕事をしないで、堕落的な行為に平然と耽ってしまう危険な性向を持っているのだ。

 人間が堕落しないためにも、自己中心的にならず、神中心的になって、自分が勝手に育児をしているのではなく、母親である自分は、神様から赤ちゃんを頂いたと思い、謙虚に成って育児をしていくべきなのだ。このような考えに立てれば、育児をそっちのけにして、育児とは関係のない堕落に耽ることはなくなるのだ。

 育児をやっていて、勤続疲労のようなものが出て来たら、手抜きをするのではなく、力を入れる場所を変えることだ。どこに力を入れれば最大の成果を生み出せるのか考えればいいのだ。例えば、赤ちゃんが寝てくれないことで悩んでいるなら、赤ちゃんを眠らせることに悪戦苦闘するのではなく、日中での運動量を増やすという対策をとればいいのである。

 赤ちゃんに纏わりつかれることに疲労を感じたのなら、夫に赤ちゃんを預けるとか、自分の両親や、夫の両親の所に行って、赤ちゃんを預けてしまい、自分が赤ちゃんから離れて少しだけ休憩を取らせて貰えばいいのだ。育児をし続けることに、これ以上の力を注ぐのではなく、休憩を取るということに力を入れるのだ。

 一生懸命に育児を行うということは、常に力を出し切って育児をするわけではないのだ。巧く力を入れる場所を変えながら、育児で成果が出るように力を出していくことなのである。一生懸命にやると、結果がどうであれ満足感が出て来るものなのである。逆に一生懸命にやらないと、育児で当然に味わえる面白さを味わえないし、後ろめたいものが残ってしまい、益々育児で不平不満を抱えてしまうようになるのだ。

●手抜きをするよりも断食をする

 育児で手抜きをしてしまう母親たちは、食事過剰による内臓疲労を引き起こしているのだ。人間は基本的に1日2食に体が慣れているので、現在のように1日3食にしてしまうと、どうしても内臓が疲労しきってしまうのだ。特に肝臓や腎臓といった臓器が、四六時中働かされることによって、凄まじい疲労を起こしてしまうのだ。そのために育児をしているのに、異様に疲労してしまい、育児で手抜きが始まってしまうのだ。

 それゆえ、育児で手抜きをしてしまう母親たちは、3日間連続の「日中断食」をすればいい。朝食と夕食は食べてもいいのだが、それ以外の飲食は一切禁止する断食である。育児をしている際は授乳をしているので、断食をする際は、水分を多目に取っておくべきだ。特に朝食では果物や野菜を多目にとって、質の高い母乳が出るように仕向けておくことだ。

 日中断食を3日間連続で行うと、内臓は休むことができるので、内臓疲労が取れ、機能が回復してくるのだ。内臓疲労がなくなれば、育児で手抜きをしようなどという邪念を抱かなくなるものなのである。今まで内臓が疲労しきっていたからこそ、育児で手抜きをしていただけなのである。

 日中断食内臓が疲労が取れたら、朝食をフルーツ朝食に変えることだ。穀物ではなく、フルーツをメインにすることで、内臓に疲労が来ないようにさせてあげるのだ。但し、フルーツは体を冷やす物が多いので、必ず味噌汁を飲むようにすることだ。もしも、どうしても夫婦で朝食をしっかりと食べたいというなら、朝食はそのままにしておいて、昼食の量を減らせばいい。とにかく1日3食にしてしまうのではなく、内臓疲労が起きないように、1日2食半に切り替えればいいのだ。

 そして、食事のスタイルを夕食中心に切り替えるのだ。夕食は基本的になんでも食べていい。できれば、疲労が取れるように、「酢の物」を必ず入れることだ。食事を多目に取っている以上、翌朝に排便がきちんと行えるように、発酵食品をきちんと摂取しておくことだ。「糠漬け」などは必ず食卓の上に上るようにしておこう。

 但し、夕食後にすぐには寝てしまわないことだ。夕食を中心にした場合、唯一の危険性が、肥満になってしまうことなのである。人間の内臓は、炭水化物の消化が終わってから、脂肪や蛋白質の消化に入るので、炭水化物の消化が終わらぬうちに寝てしまうと、どうしてもその炭水化物が脂肪に変わってしまい、肥満になってしまうのだ。そこで夕食後は暫く起きておいて、夫婦で体を動かすなり、風呂に入るなりして、炭水化物の消化が終わってくれるように仕向ければいいのだ。

 内臓疲労を起こさないためにも、間食をしないことだ。女性は遂々甘いお菓子を食べてしまうのだが、そうしてしまうと、内臓は四六時中、食べ物の消化に当たらなくれはならなくなってしまうので、内臓が疲労しきってしまうのである。しかも、砂糖という炭水化物だけをエネルギーにしてしまうようになり、炭水化物と脂肪と蛋白質の三つが燃焼してくれなくなってしまうのである。甘いお菓子が食べたいのであるならば、食後に食べればいいのであって、間食をやめて、とにかく内臓を休まさせてあげるべきなのである。

●赤ちゃんにとっては赤ちゃんの時代は一度きり

 これだけは覚えておいた方がいい。いくら母親が育児で手抜きをしたとしても、赤ちゃんにとっては、赤ちゃんの時代は生涯一度きりなのだ。もう二度と戻ってこないのだ。赤ちゃんにとっては、赤ちゃんの時に母親から充分過ぎるほどの愛情を貰いたいものなのだ。赤ちゃんの心に母性愛が満タンになれば、赤ちゃんは自然と成長していき、母親の手を煩わせる子供にはならなくなるものなのだ、

 小学生や中学生や高校生の時に、母親が手をつけられないような悪ガキに育ってしまうのは、育児をしている最中に、充分に母親から母性愛を貰えなかったからこそ、その代償としてグレているだけなのである。育児をしている最中は育児で手抜きをしてもバレないものだが、育児で手抜きをした結果は、赤ちゃんが大きくなってから出て来るものなのである。

 現在、結婚を拒否する男女が出て来てしまい、それが少子化を引き起こしているわけだが、その男女は赤ちゃんの時に充分な母性愛を貰えなかったのだ。だから、自分も両親のように結婚して、赤ちゃんを産み育てていきたいという当たり前の気持ちが湧き起こらなくなってしまったのである。母親による育児の手抜きは、社会問題をも引き起こしてしまうものなのである。

 赤ちゃんにとっては母親から育児を受けるのは一度きりなのだ。赤ちゃんでなくなれば、いずれ母親の手から離れていくものなのだ。だから、赤ちゃんが赤ちゃんでいる時は、母親は自分のすべての力を出し切って育児をしてみよう。全力で取り組むと、逆に疲れなくなり、非常なる満足感が出て来るものなのである。

 いかなる物も手間暇かけるからこそ、いい物が出来上がってくるものなのである。育児でも母親が手間暇かければ、いい赤ちゃんに育っていくものなのである。育児で手抜きをするということは、自分の赤ちゃんをいい赤ちゃんに育てないと言っているようなものなのである。育児は真剣にやっていると、たくさん学ぶものがあるし、たくさん楽しめるものがあるのだ。でも、その学びや楽しさは、手間暇をかけないと見つけられないものなのである。一生懸命になってやった報いは、必ず得られるものなのである。

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「あげまん」の条件と「さげまん」の条件

●男と女の運の違う

 古代中国の哲学では、男性を「陽」、女性を「陰」と考えた。「陰」とは、何か悪いイメージを考えてしまいがちだが、「根本」という意味である。それに対して「陽」とは「枝葉」という意味である。陰という根本があるからこそ、陽という枝葉が展開していくことができるのである。この理想状態を夫婦に当て嵌めると、夫である男性が家長として君臨し、妻である女性が家庭内を切り盛りしなければならないということである。

 この理想状態が巧く行くことを、「人徳がある」といい、この人徳があれば出世し、裕福になり、天下泰平がもたらされると考えた。逆にこの人徳を生み出せない状況では「不徳」ということなになる。歴代の中国の王朝は、後宮三千人といいながら、男性が家庭を整えず、他の女性たちと淫乱に耽ると「悪徳」と看做し、その一方で、女性が政治に手を出して政治権力を振るうことをも「悪徳」と看做した。民族性の違いもあるのだろうが、中国では政治に手を出してくる女性は本当に邪悪な女性たちが多い。則天武后や西太后や江青など、碌な人物がおらず、政治権力を握ると必ず悪政を働いている。

 結婚した場合、基本的には夫婦というものは対等である。しかし、結婚を形成し、結婚を維持し、発展させ、その結婚から莫大なエネルギーを引き出そうとするなら、夫を家長にし、妻が家庭内の実権を握るという、夫婦のスタイルを築き上げない限り、結婚で莫大なエネルギーを引き出すことはできないだろう。

 男性は運を吐き出す存在であり、女性は運を溜め込む存在だ。夫は運を吐き出してばかりでは自分がスカスカになってしまうし、妻が運を溜め込んでばかりいたら自分の人生がおかしくなっていくことだろう。夫は運を吐き出しても妻から貰い、妻は運を溜め込んでも夫に与えてあげなければならないのだ。そうすれば夫婦間の運が巧く流れ出して、それによって夫は仕事ができるようになるし、妻は子宝にも恵まれて子供たちがスクスクと成長していくようになるであろう。

 結婚には「運」という要素が非常に重要な要素を成しているのだ。その運のいい女性のことを「あげまん」といい、運の悪い女性のことを「さげまん」という。自分の妻が「あげまん」であるならば、その夫はなぜがエネルギッシュに成り、仕事で成功し始め、立身出世を成し遂げていく。「あげまん」の妻は子供をたくさん生み、それらすべてを優秀な人材へと育て上げていく。

 しかし、妻が「さげまん」であるなら、夫はいくら一生懸命に働いても仕事で成功せず、それどころか仕事が失敗して給料が減っていき、職場ではいつもトラブル続きになってしまう。「さげまん」の妻は子供を産みたがらないし、産んだとしても碌な育児をせず、赤ちゃんを病気にさせて出費をかさまさせたり、育っても碌な人材にしか育てないのだ。

●あげまんの条件

 結婚したのなら、妻は自分が「あげまん」になることを目指すべきだろう。自分が「あげまん」になってしまえば、自分が苦労しなくても、夫は仕事に成功し出し、子供たちはスクスクと健康に育っていくからだ。自分が結婚を幸せにしていくために、様々な努力は必要である。しかし、努力以外に「運」というものがあることを認め、それを巧く活用していくことだ。

①清潔であり身嗜みが整っている

 まず、「あげまん」の最大の特徴が清潔であるということである。「あげまん」の近くに近寄ると、清潔感を感じてしまうのだ。そして身嗜みが整っていることだ。朝起きたら、洗顔をし、歯磨きをする。夜には入浴して、その日の汚れを落とす。いついかなる時も、家庭内の掃除は絶対に欠かさない。特に便所掃除は毎日きちんと行う。そうやって清潔を作り出し、保つのだ。

 結婚した場合、身嗜みが乱れがちだ。結婚しているから逆に緊張感を欠いてしまい、夫の前で平然とだらしない格好をするのである。こういう姿では運気を大いに落としてしまうことだろう。起床後、夫が自宅に居る時間はごく僅かなのだ。起床から出勤の時間まで数時間しかないのだ。だから早起きしてすぐさまきちんとした格好に着替えて、家事をテキパキとこなせばいいのだ。また、夫が帰宅してくる際には、洋服を着替え、新たな服装で夫を出迎えるようにすると、日中の慌ただしさから解放され、スッキリとした気分で夜の時間を過ごすことができるのだ。

 出産すると母性ホルモンが分泌されるので、化粧には気をつけた方がいい。出産前の化粧法で化粧をしてしまうと、どうしても化粧が浮き上がってしまうからだ。女性は出産前と出産後では肌が異なるということに、多くの化粧品会社は知らないでいるのだ。独身女性向けの化粧品を使っても、美しくなれないのだ。出産したら、出産した女性に合う化粧品を探し出すと同時に、その化粧品の安全性を確かめ、化粧テクニックを学んでいくことだ。そうすれば結婚していても、美しくいられるのだ。

②常にポジティブな考えをし、笑顔や笑い声を絶やさない

 「あげまん」は常にポジティブである。何があっても前向きに考えようとする。夫を肯定的に捉えてくれるので、夫婦が会話をすれば、いつも話が弾むし、笑顔や笑い声が絶えないのだ。夫は仕事をして自宅に帰ってくる時は、仕事で疲れきっているので、妻がこういう状態でいてくれれば、いくらでも疲労を回復させ、エネルギー満タンの状態で新たに仕事に取り組めるようになるのだ。

③家庭内のことはきっちりと処理する

 「あげまん」は家庭の切り盛りが非常に巧い。家事では料理や掃除や洗濯で様々なアイデアを使ってこなし、育児では赤ちゃんを育てるのが巧いし、赤ちゃんが病気になれば、その対処法も巧いのだ。家事はスムーズにテキパキと行っているし、育児では赤ちゃんとの触れ合いを大切にするのだ。

 結婚してから最大の注意を払うべき箇所は、家庭のお金の流れであって、きちんと家計簿をつけて、家計を黒字にさせていくことだ。その一方で毎月貯金をし、投資をして、資産を増やす努力を怠らないことだ。家計簿をつけても大福帳になったら意味はないし、ちゃんと所得と資産を分けることだ。そして資本主義経済では妻といえども、株式投資や不動産投資の知識を持ち、それらで成功していかなければならないのだ。

④床上手になっても、セックスを重視し過ぎない

 夫婦間の性行為は、子孫を作るためのものではあるが、夫婦間のコミュニケーションを緊密にする機能もあるし、疲労を回復させる機能もある。「あげまん」は夫婦の性行為を重視するし、そこそこ床上手なのだ。結婚したら、夫が射精することに重点を置くのではなく、妻がオルガズムに達することに重点を置くことだ。

 そのためにはいきなり性交をしてしまうのではなく、愛撫の時間をたっぷりと取り、愛撫でオルガズムにいかして貰うことだ。愛撫で3回オルガズムにいくと、その後の性交でオルガズムにいきやすくなる。性交時でもオルガズムは3回以上いくようにすれば、妻としては充分に満足できるメイクラブになることだろう。夫が妻をきちんといかせられるようになると、男にとっては非常な自信となるのだ。

 勿論、夫がベッドの上できちんとサービスをしてくれるためには、ベッド以外の場所で妻が夫にサービスをしておくことは忘れないことだ。その日の性行為ばかりに気を取られるのではなく、それ以外の場所にも気を配ることだ。女性の場合、セックスを重要視し過ぎると、逆にいい性生活を送れなくなってしまうものなのだ。セックスに囚われるのではなく、夫婦で性行為を楽しむべきなのである。

⑤結婚しても夫に惚れて夫の支援者になる

 夫というものは大抵が結婚すれば仕事に全力投球してくる。そのため、その夫に対して妻が夫の仕事ぶりに惚れて、夫の支援者になると、仕事が成功し始めるのだ。愛だとか、妻だとかに囚われるのではなく、夫に惚れ、夫の支援者になってしまうことだ。そうすれば、夫は職場でどんなことがあっても耐え抜けるものだし、仕事が成功し易くなるのだ。

 夫を管理するのではなく、夫を或る程度自由にすることだ。或る程度自由にしておけば、夫は勝手に動き出し、様々な成果を作り出してくるものなのだ。そして、夫に或る程度発破をしかけることだ。男は自分の母親から叱られて育ってきているので、或る程度なら妻が叱っても、それがいい方向に動き、成果を作り出すことが可能になるのだ。その上で、夫がピンチになったら、夫をすぐさま助けることだ。夫といえども万能ではないのだ。失敗することもあるし、絶体絶命のピンチになることもある。その時は妻が動いて、窮地を脱するべきなのである。

●さげまんの条件

 これらの条件が「あげまん」の条件なら、この逆が「さげまん」の条件である。この世は陰陽バランスの法則で成り立っているので、「あげまん」が存在すれば、「さげまん」も当然に存在する。ただ、悲しいのは、「あげまん」の数よりも、「さげまん」の数の方が多いのだ。それだけ多くの既婚男性たちは災難ならぬ「妻難」になっているのである。

①不潔で身嗜みがだらしない

 まず、「さげまん」の最大の条件は不潔であるということである。とにかく何をやっても不潔感を漂わしてくるのだ。体臭や口臭が臭いし、家庭内も掃除をしてないのでゴチャゴチャだし、独特の悪臭を漂わしている。特に便所が非常に汚く、便所掃除などしたことがないのだ。

 身嗜みは家庭内でもだらしないし、家庭の外でもだらしない。夫婦ででかけようとしても、ちぐはぐな格好をしてきて、周囲の失笑を買っているのだ。有名ブランドの服を着さしても、どうやっても似合わないのである。化粧に至っては、完全に厚化粧で、まるで妖怪のようである。

②ナガティブな考え

 「さげまん」はとにかく考え方がネガティブなのだ。常に否定的に物事を見、暗くなることしか言ってこないのだ。自分の妻が「さげまん」なら家庭内で喧嘩が絶えないし、鳴き声や悲鳴が連発しまくることになるのだ。目つきが非常に悪いし、相手に対して思いやりのある言葉をかけてあげるということが、全くないのだ。

③家庭内がゴチャゴチャ

 「さげまん」の家はとにかく汚い。掃除はしない。物は散乱している。台所が汚いから料理をしようという気が起こらないし、お菓子はたくさんあるのに、冷蔵庫には必要な食材が不足しているのだ。洗濯物は洗濯籠に溜まっており、中にはカビ臭くなっている洗濯物があるのだ。

 育児など巧いわけがなく、子供を怒鳴りつけ、暴力を振るいまくるのだ。当然に子供たちは思春期に入るとグレてしまい、警察沙汰を繰り返してくるのだ。子供たちに無理矢理勉強させるからこそ、子供たちが大学生になって、強姦事件や麻薬事件を引き起こして、退学処分になってしまうのだ。

④セックスに無関心か、セックスを重視しすぎ

 「さげまん」は女性が当然に知っておくべき性の知識を持っておらず、セックスに無関心になるか、セックスを重視し過ぎる態度を取ってくるのだ。妻が性に無関心なら、夫は敢えて妻とセックスしようとはしなくなるので、セックスレスになるし、セックスに重視し過ぎれば、夫だけでは満足行かなくなり、不倫に走ってくるのは当然の現象なのだ。

⑤結婚して夫に憎しみをぶつけ、夫を自分の奴隷にしようとする

 「さげまん」には夫婦仲を良くしようという考えが全くない。夫に憎しみをぶつけ、夫を自分の奴隷にしようと躍起になるのだ。「あげまん」が口を開くと、最初に出て来るのが夫への悪口である。妻から散々悪口を言われるわけだから、仕事で成功するわけがないのだ。そのため給料が低く、それをネタにまた悪口がエスカレートしていくのだ。

●あげまんを更にあげまんにする方法

 結婚したら、自分が「さげまん」になることを拒否し、「あげまん」になることを目指していけば、意外と簡単に「あげまん」になることができるのだ。というのは、マスコミで流れている情報は、特にテレビで流れてくる情報は、その殆どが「さげまん」になるための情報であって、そのために多くの既婚女性たちが「さげまん」になってしまうのだ。だから、「あげまん」になるのは競争相手が非常に少ないし、自分が少し努力すれば簡単に「あげまん」になってしまうのだ。その上で、「あげまん」を更に「あげまん」にする方法を行って、より運気を高めていくことだ。

①雑誌を読み、本を良く読む

 まず、雑誌を多く読み、本を良く読むことだ。女性は生理の周期が1ヵ月単位なので、月刊誌を読むことになんの抵抗もなく読めてしまうのだ。男性の場合、生理がないために新聞か週刊誌どまりなのだ。それでは情報が不足してしまうので、妻が月刊誌を読むことで、夫の情報不足を解消させてあげるのだ。

 そして、本を良く読むことだ。夫は仕事で忙しいので、ビジネス関連の書物を読むことはできても、流行の書物や小説の類などは読めないものなのだ。そこで妻が読書をして、いい本であるなら夫に薦めたり、夫に読む暇がないのなら内容を掻い摘んで教えてあげることだ。こうすれば、夫婦の読書量が増え、競争相手よりも圧倒的に優位に立つことができるようになるのだ。

②心地いい音楽を聴く

 男性は仕事をし出すと、音楽に鈍感になるものだ。夫が音楽に無関心になったら、それは夫が仕事に集中しているサインなのだ。そこで妻は自宅にいつも音楽を流しておくことだ。できればクラシックのように、心を穏やかにするものがいいだろう。また、流行曲をチェックしておいて、さりげなく夫に「最近、こんな曲がはやっているんだよ」と教えてあげれば、夫は流行から取り残されることもなくなるだろう。

③人との出会いを大切にする

 女性は結婚すると、どうしても既婚女性同士の友人が増えてくる。そういう場合、人との出会いを大切にすることだ。結婚すれば誰もが幸せになるわけではないのだ。結婚して不幸に成る既婚女性もいるのだから、そういう女性との付き合いは可能な限り避けることだ。結婚して幸せになっている既婚女性の友達を多く増やしていく努力をすることだ。既婚女性にとっては、結婚して幸せになるのは当たり前であって、それすらできない女性は、能力に於いて大いに劣るものなのだ。

④与え上手になる

 人間関係は物を貰う側にいるよりも、物を与える側にいる人の方が幸せになっていくものだ。自分の親しい人には、事あるごとに物を与える習慣を持つことだ。特にお中元やお歳暮で貰った物は、すべて家庭内で使い切ってしまうのではなく、それらの物を他人に与えてしまうことだ。そうやって他人に与えていくと、物を貰った他人から物をくれるようになるので、より豊かになっていくのだ。

⑤既婚女性同士のネットワークを巧く活用する

 既婚女性同士のネットワークというのは、物凄い広い繋がりを持っているのだ。このネットワークの繋がりを使って、自分が出会いたい人と出会ったり、ビジネスを展開してしまうことだ。但し、毛嫌いされると、凄まじいイジメに発展する可能性があるので、嫌われないようにする努力は怠らないことだ。

●夫が成功すると、妻は3倍以上の成功を手にする

 男というのは、仕事で成功したいという野望を強く持っているものだ。これは太古の昔に狩猟をし続けてきたがゆえに、自分の目標を成功させることに最大の快感を得てしまうからだ。だから、結婚したら、夫を家庭の中に閉じ込めておかないで、とにかく仕事で成功を収めるように仕向けることだ。

 夫が成功してしまえば、妻は何もしなくても夫よりも3倍以上の成功を手にしてしまうものなのだ。まず、「収入面」である。妻が職場で労働しなくても、勝手に収入が爆発的に増えていくのだ。しかも、夫は仕事に忙しいから、お金を使っている暇がなく、妻の裁量で使うことができるようになるのだ。

 次に「夫婦面」である。夫が仕事で成功すれば、夫は男として満足しているので、妻に辛くあたってくることがなくなるのだ。仕事で成功している男性ほど、自宅に帰れば、優しいお父さんに変身するものなのである。だから、夫婦関係は巧く行くし、夫婦喧嘩も滅多なことでは起こらなくなるのだ。

 更には「対人関係」だ。女性は結婚してしまえば、夫の仕事の如何で他人に見られる評価が変わっていくのだ。例えば、夫が会社経営者なら、その妻は「社長夫人」だ。妻が会社経営をしていても、その夫を「女社長の旦那様」という言われ方はしないものだ。それゆえ、夫が仕事に成功してさえくれれば、妻の人間関係は非常にスムーズに行くものなのである。

 結婚して、幸せな家庭を作ろうと努力することは大切である。しかし、無闇に努力しても、幸せになれるわけがないのだ。要は自分が「あげまん」になってしまうことだ。そして「あげまん」の運気を更に強めることを行っていけば、夫は自然と仕事に成功し出し、幸せな家庭を作り出すことが可能になるのだ。

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結婚しても寵愛を維持する方法

●人間はいくつになっても寵愛をしたくなるもの

 人間は愛をすべての人々に注ぐより、誰か特定の人に愛を注ぎたい傾向を持っている。愛は「寵愛」であってこそ、自分もその相手も満足するものだし、愛本来の激しいエネルギーを発してくるものなのだ。結婚している場合、夫は妻を寵愛したいし、妻は赤ちゃんを寵愛したい。これは結婚を維持し続けていく上で、絶対にそのようにしなければならない愛の形なのだ。

 新米ママは赤ちゃんが生まれると、赤ちゃんを激しく愛してしまうために、夫も自分と同じように赤ちゃんを愛してくれると思ってしまうものだ。しかし、夫の方は妻jほどには赤ちゃんを愛さないものなのだ。勿論、夫はちゃんと赤ちゃんを愛することであろう。しかし、それは妻あっての赤ちゃんであって、夫は妻の方を寵愛したいのだ。

 家庭内の愛は、夫から妻へ、妻から子供たちへと流れていくので、この愛の流れをきちんと保つことこそ、家長たる夫の役目なのだ。赤ちゃんは大事であっても、妻が居なくなってしまえば、家庭内の愛はきちんと流れていかなくなってしまうからだ。だからこそ、夫は結婚しても出産しても、愛の主力を妻の方に向けてくるのである。

 ところが、多くの新米ママたちは夫の熱い愛の視線に気づかずに、夫が育児を手伝ってくれないことを騒ぎ立て、仕事で疲れて帰ってきている夫に家事をやらせて、折角の夫の寵愛を自らの手で破壊してしまい、夫からの愛を受けることなく、孤独の中で育児に励む羽目に陥ってしまっているのだ。

 政府は母親たちに夫婦が共同して育児をするように推進している。しかし、それは母親たちが働くことで、所得税を課すことができ、税収が増えるからであって、夫婦それ自体に利益があるわけではないのだ。寧ろ、妻が夫に育児を頼んでしまうことで、夫からの寵愛は失われ、夫婦愛は乏しくなってしまい、挙句の果ては愛のない夫婦になってしまうことになってしまうのだ。

●寵愛の法則

 結婚した以上、夫からの寵愛を失うような振る舞いは決してすべきではないのだ。寵愛というものは、激しい愛であったとしても、一度失われてしまえば永遠に失われてしまうものだからだ。それゆえ、妻は夫からの寵愛に溺れることなく、いつまでも寵愛を受け続けるように立ち回るべきなのである。

 寵愛には「寵愛の法則」というものがある。寵愛を受けたいのなら、決してこの「寵愛の法則」から外れてはならないのだ。「寵愛の法則」に忠実に従って、いつまでも寵愛を受け続けるように振る舞うことだ。「寵愛の法則は決して難しい法則なのではない。ただ、多くの既婚女性たちが結婚したことで奢り高ぶってしまい、「寵愛の法則」から逸脱して、身を破滅させているにすぎないのだ。

①寵愛の第一法則

  主人よりも目立てば寵愛は失われる

 寵愛を受ける者は、主人より目立ってはならない。主人という者は、自分より目立つ者に対しては寵愛を注ごうとしない。女性は独身であるならば、奇麗に着飾り、より美しく見せようとする。これは自分を男性に高く売りつけたいがために本能レベルで行ってしまうものなのだ。しかし、女性は恋に落ち、男性と付き合ってしまえば、徐々にその派手さを落とし、落ち着いた服装になっていく。これは自分を目立たなくさせることで、男性からの寵愛を受けたいがために自然に行ってしまうものなのだ。

 だが、結婚してしまうと、男性に対する自制心が失われてしまい、夫よりも目立つ服装や化粧をしてしまい、夫から顰蹙を買い、寵愛を失わせてしまう結果に自らがしてしまうのだ。女性が結婚後も派手な服装や化粧をしていいのは、夫の身長が高く筋肉隆々の男性か、会社経営者のように莫大な資産を持っている男性に限られてくるのだ。なぜなら、この手の男性ならば、妻が少し派手な格好をしても、夫の方がそれ以上に目立っているものだからだ。だからこそ、独身女性は高身長の男性やリッチな男性と付き合いたがるのである。なぜなら、そのような男性と結婚すれば、結婚後もオシャレができるからだ。

 この寵愛の第一法則に対しては、多くの新米ママたちが踏み外してしまうものなのだ。夫よりも目立とうとしてしまうのだ。育児をしていると、日中は新米ママの方が赤ちゃんに対して主人になってしまうので、そのままの気持ちで日没後に夫の帰宅を迎えてしまい、夫からの寵愛を失わせるような振る舞いをしてしまうのだ。昔の日本の母親たちは、「夫を立て、夫から3歩下がるのが、結婚を巧く行わせる秘訣」と心得ていたものだが、これは結婚しても寵愛を失わないようにする女のしたたかな知恵だったのだ。それを馬鹿の一つ覚えの如く「男女平等」を唱えてしまえば、夫から寵愛は呆気なく失われてしまうものなのだ。

 「姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せ」「蚤夫婦はお金持ちになる」とか言われるのは、姉さん女房の場合、妻の方が年齢で目立っているので、敢えてそれ以上目立とうとはしなくなり、夫を目立たせようとするからなのだ。蚤夫婦の場合、妻の方が夫よりも身長が高いために、敢えてそれ以上目立とうとせず、夫を陰で支え、夫を出世させようとするからなのだ。自分が夫よりも目立たなけれ、年齢が上であったとしても、身長が上であったとしても、夫からちゃんと寵愛され、大切に扱われるものなのだ。

②寵愛の第二法則

 主人に逆らってしまうと寵愛は失われる

 寵愛を受ける者は、絶対に主人に逆らってはならない。主人に逆らえば、寵愛は失われてしまうものだからだ。結婚した以上、全く夫婦喧嘩が起こらないことはないであろう。ただ、可能な限り夫婦喧嘩の回数は少な目に抑えておくことだ。できれば、夫婦喧嘩をした後に詫びを入れるなどして、後腐れのないようにしておくべきだろう。夫婦喧嘩というのは、夫婦のどちらかが折れてしまえば、呆気なく解決されてしまうものだからだ。

 但し、夫が理不尽な要求をしてきたら、断固として反論すべきである。しかし、いくら夫婦で揉めても、夫に逆らう素振りを見せるべきではないのだ。夫の意見に反対することと、夫に逆らうことは、全く別の次元の話なのである。多くの既婚女性たちは自分の意見を言うのに感情的になってしまい、夫に逆らう素振りを見せるからこそ、夫の方も感情的になって、最悪の夫婦喧嘩にしてしまい、寵愛を失ってしまうのである。

③寵愛の第三法則

 主人に守らせる気持ちを失わせれば寵愛は完全に失われる

 寵愛というものは、寵愛する者が寵愛されるものを守りたいと思うからこそ、永遠に持続していくのである。この主人に自分を守らせる気持ちを失わせる振る舞いをしてしまうと、完全に寵愛は失われ、二度と復活することはなくなってしまうのだ。夫婦でいかに揉め事があっても、絶対にこの最終ラインを踏み越えてはならないのだ。

 寵愛される者にとっては、誰かに守られ続けてしまえば、自分の独立心が衰え、自立心すら消え去っていく危険性があるために、遂々主人に守られることを嫌がってしまう傾向にあるのだ。そのために感情的に成って、夫から守られたくないと思ってしまい、最終ラインを突破して、夫からの寵愛を永遠に失ってしまうのである。

 夫に守られながらも自分の独立心を維持するためには、夫に守られながらも、自分が夫を守り盛り立てるという思いに立てばいいのだ。正確に言うと、夫の仕事が巧く行くように夫を助け、夫の無事を祈って、自分が夫を霊的に守ってあげるように仕向けていけばいいのだ。こうすれば、夫に守られながら寵愛を受けつつも、独立心を失うことなく、結婚生活を楽しむことができるようになるのだ。

●大事なことは家庭内の主導権を握り続けることである

 結婚すれば夫婦で色々な事態が発生することだろう。育児をすれば赤ちゃんは色々なことを仕出かしてくることだろう。しかし、そういう結婚生活で妻にとって大事なことは、常に家庭内の主導権を握り続けることなのである。夫は家族の家長として君臨してくるが、実際に権限を行使してくることは少ない。だからこそ、妻が家庭内の主導権を握り、権限を行使していかなくなると、家族は機能しなくなってしまうのだ。

①感情を暴走させるな

 まず、家庭内の主導権を握るために、既婚女性が絶対にやっていけないことは、自分の感情を暴走させることである。多くの既婚女性たちが決定的な過ちを犯しているのは、結婚したから奢り高ぶってしまい、事あるごとに感情を暴走させてしまい、家庭内の主導権を握らず、しかも夫からの寵愛を失ってしまっているのだ。感情を暴走させないことは、基本中の基本であり、これができなければ幸せな結婚生活など実現できるわけがないのだ。

②現実を冷静に見ること

 結婚してしまえば、様々な情報が飛び交うものだが、そういう状況でも、現実を冷静に見ることを忘れないことだ。多くの既婚女性たちは現実を直視できないからこそ、家庭内の主導権を握れず、夫からの寵愛を失ってしまうのである。例えば、政府が夫婦が共同で行う育児を推進していたとしても、夫は仕事で疲れて帰ってきているのに、その上で育児を押しつけてしまえば、夫は疲労を回復できないし、まともな育児も施すことはできないことだろ。夫が育児に精を出すよりは、仕事で頑張って貰い、より多く稼いで来てくれた方が、自分たち夫婦にとっては最大の利益になるという冷静な判断を下すべきだろう。

③自分が望む結果を確実に出していくこと

 結婚した場合、最初は夫婦二人で始まっていくが、時が経てば経つほど、家庭の中に居る時間は圧倒的に妻の方が多くなるものだ。それゆえ、何から何まで夫に期待するのではなく、妻が自分から行動を起こし、家庭内の主導権を発揮して、自分が望む結果を確実に出していくことだ。夫から寵愛を受ける余りにも、夫がなんでもしてくれると思うべきではないのだ。まずは夫は万能であるという幻想を捨てるべきなのである。自分の夫は万能でなんでもしてくれるだろうと間違った思い込みをするからこそ、「夫は何何をしてくれない」と不平不満を垂れてしまうのである。

 夫婦は対等であったとしても、絶対に平等ではない。多かれ少なかれ、結婚後は、夫は家長として君臨しようとするし、妻は家庭内の主導権を握ろうとしてくるものなのだ。いくら愛し合って結婚したとしても、結婚後、夫と妻の取る行動パターンは全く違うのである。男女平等という間違った理念を結婚に当て嵌めてしまえば、夫は家長として君臨できないし、妻は家庭内の主導権を握れなくなってしまい、夫婦双方が激しい不満を抱いてしまい、結婚前はあれだけ愛し合っていたのに、愛は完全に失われて、激しく憎しみ合ってしまうことになるのだ。

●人類愛よりも夫婦愛

 この世に様々な愛があれども、愛の中で最も素晴らしい愛は、「夫婦愛」である。恋愛は激しく燃え上がるものであったとしても、すぐに壊れてしまうし、夫婦愛ほど深い愛し方はできないものだ。夫婦愛があるなら、妻の方はいずれ妊娠して赤ちゃんを産み、そして赤ちゃんを育てていくものだ。そうやって新しい命を育み、先祖から伝えられてきた命を子孫へと伝えていく、偉大なる作業ができるのである。恋愛にはこの偉大なる作業がないのだ。

 意外なことかもしれないが、すべての男女が結婚できることはない。どんなに恋愛をしようが、どんなにセックスをしようが、「運命の出会い」に巡り合えない男女というのは、確実に居るものなのである。結婚できたということは、自分が「運命の出会い」に巡り合えたということなのである。

 だが、結婚にしたとしてもその結婚を不幸にしてしまう人たちが出て来てしまうものなのだ。結婚というものは恋愛と全く異なり、結婚に於ける様々な法則を見つけ出し、その法則のもとで巧く立ち振る舞っていかなければ、結婚生活を幸せにすることはできないからなのだ。多くの夫婦が目の前に繰り広げられる愛に幻惑されてしまい、夫婦愛を使って家族に幸せをもたらすという使命を忘れてしまっているのだ。だから、結婚が不幸になっていくのである。

 それゆえ、世の中に於いて、結婚について正しい情報が流れて来るということは有り得ないのだ。神に選ばれなかった人々は、結婚できないし、結婚したとしても幸せになることができないのだ。そのため、マスコミでは「ドメスティックバイオレンス」や「不倫」や「「熟年離婚」を興味本位で流してきてくるのだ。結婚で失敗する人たちはその人たちが結婚を巧く運営していく方法を学ばなかったこそ悪いのであって、結婚すれば幸せになれると思い込んでいること自体が既に幼稚なのだ。精神的に自立できていなければ、結婚すれば当然に享受できる幸福すら与えられないものなのである。

 人間の愛というものは、夫婦愛に始まり、その愛が子供たちに流れていき、郷土愛を育み、愛国心へと発展していく。ところが人間は精神的に狂ってしまうと、「人類愛」を唱え、夫婦愛を罵倒し、我が子への愛を破壊し、郷土愛や愛国心を否定する輩が出て来るものなのだ。「世界の恵まれない子供たちを救え!」と言いながら、愛の根幹である結婚を否定し、「アフリカの難民を救え!」と言いながら、北朝鮮に拉致された日本人を救出しようとしないのである。

 愛というものは、すべての人たちを愛そうとすれば、すべての人たちを愛せなくなってしまうものなのだ。いくら人類愛を唱えた所で、不法入国の外国人が麻薬を売り捌き、強盗を働き、殺人事件を犯してくれば、逮捕して死刑にしたくなるものなのである。いい加減に人類愛のペテンに気付くべきなのだ。人類愛は決してまともな愛ではないのだ。愛は寵愛を好むものであり、愛の中で夫婦愛こそが最高の愛の形なのだ。結婚したなら、躊躇することなく夫婦愛を最大限に発揮していけばいいのだ。

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喧嘩は両成敗だけど、夫婦喧嘩は両成敗ではない

●夫婦喧嘩をした場合、妻の言い分の方が八割方正しい

 結婚をすれば、夫婦喧嘩をしたことはあるであろう。しかも、よりによって育児ストレスで一杯になっている時に、夫婦喧嘩をしてしまい、より一層ストレスを溜め込んでしまうのである。育児でも揉め、夫婦でも揉めれば、いかに温厚な女性であったとしても、冷静ではいられなくなってしまうことだろう。

 夫婦喧嘩の一体何が問題なのか? それは夫婦喧嘩をした場合、妻の言い分の方が八割方正しいのに、話し合いでは決着がつかず、夫婦の関係が悪化してしまうのである。勿論、結婚しているのだから、夫婦関係が悪化しても、その後は仲直りするのだが、もしも仲直りできなければ、離婚へと一直線であろう。

 夫婦喧嘩は、妻の言い分が正しいからこそ、夫婦喧嘩は問題になるのである。言い分が正しいからといって、解決が施されるわけではないのだ。通常の喧嘩なら、喧嘩をしあっているどちらかの話の筋の通っている方が勝つものである。論理的に負けた方が負けなのだが、夫婦になるとこの勝敗の付け方ができなくなるのである。夫婦喧嘩は明らかに違う決着の付け方になっているのだ。

 結婚した場合、夫婦喧嘩の処理の仕方をどうするのか、ちきんと定めておいていた方がいいのだ。いくら愛し合っていたとしても、夫婦ならどうしても喧嘩してしまうものだからだ。結婚には宗教が必要に成ってくるのは、夫婦の問題というのが、通常の仕方では解決しえないからであろう。

 家庭に裁判や行政が入り込むことは非常に危険なのである。夫婦でトラブルが生じたとしても、裁判や行政で決着がつけられるものではないからだ。昭和憲法体制はこの禁じ手を盛んに行っているのだが、結局、裁判も行政も莫大な資金を使いつつも、成功していないのだ。

●では何が問題なのか?

 では、夫婦喧嘩が拗れてしまうのは、何が問題かといえば、「妻が夫を敬っていないことこそが問題なのだ」ということなのである。夫というのは、妻が髪形を変えても気づかないし、服を変えても気づかないのに、妻が夫を敬わなくなっているということに関しては敏感に感じ取ってくるのだ。

 夫婦は対等ではあったとしても、夫が家長になることによって家族が形成されていく。夫が家長に成り、妻が家庭内の実権を握り、そして赤ちゃんが健やかに育っていく。これでこそ家族がきちんと機能し、家庭内に巧く愛が流れた証拠なのである。そのため、夫婦が対等であるのは、夫婦が話し合う時に制限されてしまい、夫婦で何かあった場合、夫婦で穏やかに話し合うのが、大事な決まりごとになるのだ。

 だから、夫婦喧嘩は結婚に対して重大な掟破りになっているのである。それは夫婦喧嘩をすることによって、夫婦が対等に成って穏やかに話し合うという掟を破ったことであり、もう一つは、夫婦喧嘩をすることによって家長たる夫の権威を傷つけたということなのである。だからこそ、妻の言い分がどんなに正しくても、夫は頑なに拒否してくるのである。昔から、「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言われ続けたのは、筋の通った話を拒否している夫も馬鹿だが、結婚の掟破りを破りをしている妻の方も馬鹿だからだ。

 結婚して遂々傲慢になってしまうのは、妻は結婚したことによって夫を思い通りに動かせると勘違いしてしまうことだ。なんせ妻は家庭内の実権を押さえているのだから、夫を自由自在に動かせると、思い上がってしまうのだ。「権力の魔力」のために冷静な自分を見失っているのだ。夫は愛する妻のためなら多少のことは聞くことだろう。しかし、限度を超えれば、激怒してくるのは当然であろう。だからこそ、解決不能の夫婦喧嘩が起こってくるのである。

 「夫は自分の思い通りには動かない」という事実を認めない限り、夫婦喧嘩は延々と続くのである。人間は夫婦であったとしても、自分の意見の50%しか伝わらないものだ。自分の意見の50%が伝わったら、それは伝わったことの100%をやってくれたと思って大喜びするべきなのである。残りの50%が伝わっていないからといって怒ってはならないのだ

●憎しみ合うために結婚したのか?

 もう一つは、妻の方が「幸せを貰う立場から、幸せを与えていく立場に変わっていない」ということなのだ。多くの夫婦が結婚に関して勘違いするのは、プロポーズの際に夫の方が「あなたを幸せにしますから、結婚して下さい」と言ってきたことを、未だに鵜呑みにしていることなのである。

 結婚すれば、妻の方が夫から幸せを貰うのではなく、幸せを与えていく立場に変わらない限り、結婚など巧く行くわけがないのだ。夫は妻に幸せを与え、妻も夫に幸せを与えるからこそ、夫婦双方が相乗効果を引き起こし、個人一人では実現不可能な巨大な幸福を実現してしまうのである。

 ところが、妻の方が精神的に独立せず、いつまでも夫から幸せにして貰おうと思っていると、夫婦の間で相乗効果が起きず、少ない幸せを遣り繰りせざるをえなくなり、そのために妻の方が不満を爆発させてしまうのだ。しかし、これは妻の言い分がどんなに正しくても、妻が精神的に独立せず、配偶者を幸せにしていこうとしていないことに、最大の問題があるのである。

 すべての夫婦は結婚した時は、「永遠の愛」を誓い合うものだ。だが、その永遠の愛を維持し続ける夫婦は少ないものだ。夫婦喧嘩をすれば、「永遠の愛」が「永遠の憎しみ」に変わってしまうことだろう。もしも、夫婦喧嘩をして怒りで一杯になってしまったら、「私は憎しみ合うために結婚したのか?」と自分に問うべきなのである。

 あなたの「永遠の愛」はそんなものなのか? 所詮は偽りだったのか? 愛というのは、どうしても憎しみに転化していってしまうのだ。だから、愛が憎しみに変わらないようにし、夫婦が憎しみ合わない工夫を結婚に施さなければならないのである。そのためには、まずは精神的に独立して、幸せを貰う立場から、幸せを与えていく立場に変わることだ。

●結婚した時の思いを永遠に忘れないこと

 育児で手一杯になっているのに、夫婦喧嘩をしてしまえば、どんな妻であったとしても冷静さを欠いてしまい、自分の感情だけを暴走してしまう危険性があるものだ。だから、育児をしている時は、可能な限り夫婦喧嘩が起こらないようにし、夫婦喧嘩を事前に封じてしまうことだ。

①身嗜みをきちんとしておこう

 まず、夫婦喧嘩を起こす妻たちに共通することは、家庭内の身嗜みが悪すぎるということである。人間は身嗜みのいい相手の意見はちゃjんと聞く傾向にあるので、身嗜みが悪いとどうしても夫は妻の意見を聞かなくなってしまうのだ。朝は早く起きて、歯磨きと洗顔を行い、すぐさまきちんとした格好に着替えることだ。いつまでもパジャマ姿でいないことだ。

 夫は日中いないのだから、夫が帰ってくる頃を見計らって、ちゃんとした格好に着替えてしまえばいいのだ。こうすると、夫に好印象を与えることができるし、妻の方としても日中、育児をしていて、そのままダラダラと夜の時間に雪崩れ込んで過ごすことがなくなるのだ。このちょっとした工夫が気分を一新させ、颯爽とさせてくっれるのである。

②些細なことで揉めた時は、ジャンケンで決定せよ

 結婚していれば、それが夫婦にとって重要なことでもないのに、揉めてしまうことは多々あるものだ。例えば、今日の料理を肉にするか魚するかで揉めることだって有り得るのだ。そういう些細なことで揉めた時は、ジャンケンで決定させることだ。夫婦でジャンケンをして、勝った方の言い分を聞くようにするのだ。こうすれば、些細な問題を夫婦が後腐れを残すことなく、処理することが可能になるのだ。

③結婚写真を居間に飾っておけ

 すべての結婚は結婚の前後で大半が決まってしまうものだ。結婚の早い段階で、夫が妻の尻に敷かれるようであれば、最後まで敷かれっぱなしだし、夫が頑固者であれば、最後まで頑固を貫き通してくるものだ。結婚するために駆け落ちしたら、妻方の両親とは気難しくなるし、娘も駆け落ち同然の結婚をするようになることだろう。結婚して妻が舅や姑と揉めるようであれば、そのイザコザは延々と続いていくものなのだ。

 だから、結婚して夫婦に何が起ころうとも、結婚した時に気持ちを永遠に忘れないことだ。結婚の前後で夫婦の有り方が決まっても、それを下手に変えてしまわないことだ。意外とその夫婦にとってはベストな関係になっている場合が多々あるものなのだ。勿論、結婚に支障を来たすのであるならば、それを修正していけばいいのだ。

 結婚した当初の気持ちを忘れないためにも、結婚写真を居間に飾っておくことだ。夫婦喧嘩に成りそうな時、妻の方が視線を外して、ちらっと結婚写真を見れば、夫も結婚写真を見る筈であり、そうなれば夫婦双方が冷静になれるものなのだ。夫婦の間にどんな問題が発生したとしても、夫婦が憎しみ合い、結婚を破壊するまでの問題なのではないのだ。夫婦の間で発生した問題を、怒りに釣られて悪化させてしまうからこそ、結婚を最悪の形にしてしまうのである。

 育児をしている時は、とにかく赤ちゃんを育てることが最優先なのだから、夫婦で夫婦喧嘩を起こすべきではないのだ。妻の方が育児ストレスを抱えている時は、遂々、夫につらく当たってしまい、それを引き金に夫婦喧嘩が発生してしまうものだ。夫に手厳しい意見を言っている時は、冷静になって、「自分は育児ストレスで一杯になっているんだな」と思うことが必要だ。夫婦の問題よりも、まずは育児をきちんとこなしていけば、育児ストレスは減少して、夫婦仲も良くなっていくものなのだ。

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夫と喧嘩してしまう本当の原因、それは自分の「父親の呪い」

●夫婦喧嘩が頻繁に起こりまくるなら

 基本的には夫婦仲はいいのに、なぜか些細な理由で夫婦喧嘩をしてしまう。自分の意志ではしたくないのに、なぜか夫婦喧嘩をしてしまう。こういう場合、あなたは「父親の呪い」にかかっていると見ていいだろう。その「父親の呪い」があるからこそ、要らぬ夫婦喧嘩をしてしまうのだ。

 「父親の呪い」は何もあなたの父親が呪いをかけたくてかけたわけではない。父親は家族を形成していく際に、妻や子供たちを従わせようとする。そうやって、秩序を作り出し、「父性愛」と「父性厳」を与えていくのだ。父性愛とは、価値ある者にしか与えない愛だ。母性愛のように価値がなくても与えられる愛ではない。自分の娘であり、その娘が正しいことをしているからこそ、与えられる愛なのだ。父性厳とは、価値ある者を厳しくすることで、正しい道を歩かせるように仕向けるものだ。この父性厳がなければ、大人になって勝手気儘な堕落した人間になってしまうのだ。

 ところが、娘は青春時代に差し掛かれば、父親の支配のもとを脱却しようとする。そうやって自立していくのだが、その際に父親から与えられた父性愛や父性厳は、一転して「父親の呪い」に変化してしまうのだ。父親が秩序を作り出すために絶対に必要な行為が、娘がその秩序から抜け出そうとすると、自分を呪縛していく忌まわしい呪いになってしまうのだ。

 だから、この時期、女性たちは自分で考えてもその考え方は完全に間違っているし、自分の意志で行った行動の多くは完全に間違っているものなのである。なぜなら、「父親の呪い」にかかっているからだ。高校生や大学生の意見をまともに聞いていられないのは、このためなのである。

 普通、女性はこの父親の呪いを恋愛をすることによって、相手の男性から解いて貰うことで、その呪いから脱出していく。若い女性が恋愛に興味深々になり、実際に恋愛によって大きく自分を変えていくのは、父親の呪いが解けるからなのである。勿論、この父親の呪いを解くには、短期間の恋愛では駄目である。最低でも3年間ぐらいは付き合っていないと、「父親の呪い」は解けないのである。

 女性は父親の呪いが解ければ、呪いを解いてくれた男性と結婚しようとする。そして夫婦円満な家庭を築き上げていくのだ。しかし、父親の呪いを解かずに結婚してしまうと、夫婦喧嘩は絶えないし、些細な理由で離婚してしまうのだ。そして、離婚する際に、必ずといっていいほど、自分の父親に泣きつくのである。要は精神的な自立ができていないのだ。だから、精神的自立を終えた者たちでしか運営できな結婚を、運営できないのだ。

●女性の半分は父親を憎むようにできている

 結婚というのは、既婚女性の方が父親と仲がいいと、非常に巧く行きやすいのだ。娘が父親と仲がいいということは、充分に父性愛や父性厳を貰っているということであり、男性の方としては「父親の呪い」を比較的簡単に解き易いのだ。「父親の呪い」を解いてしまえば、良妻賢母に成り易く、家庭のことを安心して任せられ、自分は仕事に全力を投球することが可能になるのだ。

 しかし、既婚女性が子供の頃から父親と仲が悪いと、男性の方は「父親の呪い」を非常に解きにくいのだ。恋愛で父親の呪いを解かねばならないのに、女性の方が相手の男性から父性愛を貰おうとしてくるので、まず恋愛自体が巧く行かないし、精神的な繋がりよりも肉体的な繋がりばかり重視してしまうようになり、セックスばかりして恋愛が進捗していかないのだ。

 こういう恋愛のまま、「父親の呪い」を解かずにずるずると結婚してしまうと、結婚した所で、結婚が巧く行かない。妻は夫を変えようと必死に成るし、夫婦喧嘩は絶えない。家事はできず、家の中は非常に汚い。不妊症でもないのに、妊娠しないのだ。もしも赤ちゃんを産もうものなら、育児でテンヤワンヤになり、育児ストレスを夫にぶつけてくるのだ。

 なんでこんなことになるかといえば、これは人類が発展してきた歴史に大いに関係がある。人類はそもそも定住する動物ではない。アフリカのジャングルから世界各地へと広がっていった動物なのである。そのため、生まれてくる娘の半分は父親の言うことをちゃんと聞けるいい娘になるが、残りの半分は父親の言うことを聞けない悪い娘になってしまうのだ。

 いい娘は結婚したとしても、自分たちが既に住んでいた部落に住み、子孫を維持していく役割を担う。残りの悪い娘たちは、部落から出て行くことによって、新たな生存領域を開拓する責務を負わされているのである。そうやって人類は繁栄していったのだ。言わば、人類が子孫を繁栄させていくために、人間の内部に埋め込まれた非情な宿命なのである。

 だから今でも娘たちの半分は父親を好きに成り、残りの半分は父親を憎むようにできているのだ。父親と仲が良ければ、結婚しても自然と夫と仲良くなれる。しかし、父親と仲が悪ければ、結婚したら、自分が愛していても、夫と喧嘩してしまうようになるのだ。これは誰がどうやろうとも、仕方のない非情な現象なのだ。

●父親への感謝こそが父親の呪いを解く

 本来なら、恋愛そして結婚で「父親の呪い」は解かれるものなのである。父親と仲が悪い女性であったとしても、恋愛をきちんと行えば、「父親の呪い」は解けてしまい、今までとは全く違った人生を歩むことになるのである。しかし、恋愛している時に、恋愛を充分に行っておらず、「父親の呪い」が解けていないのなら、結婚しても、トラブルは避けられないのだ。では、どうすればいいのか?

①父親への感謝

 父親に感謝できた時に、「父親の呪い」は解かれるのだ。結婚してから、改めて実家に訪れ、自分を産み育ててくれたことを、自分の父親にちゃんとした言葉で、感謝の意を伝えることだ。自分の父親にきちんと「自分を産んでくれて有難う」と言えれば、それは自分にとっては大きな変化を引き起こしてくれるものになるのだ。

②生活を大いに変える

 父親と仲が悪い女性は、本来なら部落を出て、新たな領域を開拓していかざるをえなかったので、ありきたりの家庭を運営するのが、どうも苦手なのだ。だから、自分の両親がやっていたことと正反対の生活を営むようにすることだ。通常は夫唱婦随の夫婦が理想的なのだが、こういう夫婦に限っては「カカァ天下」でいいのだ。妻が夫を尻に敷いても、こういう妻に惚れてくるような夫は、意外に妻の尻に敷かれることに快感を持っているような男性であったりするのだ。

③結婚にではなく仕事に重点を置く

 普通であれば、結婚すれば、家庭に重点が置かれる。しかし、父親と仲が悪かったような女性は、家庭の温もりを知らずに育ったので、いくら真面目に取り組んでも、家事や育児が巧くならないのだ。それよりも、仕事に重点を置いてしまい、そこで自分の能力を発揮することだ。育児は保育園があるものだし、家事は家政婦を雇えばいいのだ。出費はかさむかもしれないが、その分、仕事で稼ぎ出せばいいのだ。

 女性には大きく分けて二種類の女性が存在しているのだ。だから、女性は専業主婦になって家事や育児だけをしていればいいという考え方はおかしいし、逆に女性は結婚しても働かなければならないという考え方もおかしいのだ。父親と仲がいい女性は、結婚すれば当然に家庭に重点を置き、家事や育児に励むものなのだ。そういう既婚女性に結婚しても外に働きに行かしたとしても、仕事も家庭も満足いく作業を行うことはできなくなるのだ。一方、父親と仲の悪い女性は、結婚しても仕事に重点を置きたがるので、そういう既婚女性に家庭のことをきちんとしなさいといっても、満足に行うことはできないのだ。

 だから、現在、政府が進めている「男女共同参画社会」が本当に実現してしまえば、幸せな結婚を営んでいる既婚女性たちは、その幸せが根こそぎ奪われてしまうものだし、家庭と仕事の両立を行いながら働いている既婚女性たちもバランスを崩してしまい、その幸せを自らの手で破壊してしまうようになるのだ。男女共同参画社会で使われている「女」は、あくまでも独身女性のことであり、その中でもフェミニズムを信奉している女性であるということを決して忘れてはならない。既婚女性がどんなに頑張ったとしても、男女共同参画社会では絶対に報われないのだ。

●夫を再び愛せるようになる瞬間

 「父親の呪い」にかかっている既婚女性にとっては、自分は夫のことが好きなのに、些細なことでいつも夫婦喧嘩してしまいがちだ。だが、「父親の呪い」を夫の手助けを借りながら解いていけば、解けていくものなのだ。解いてしまえば、自分も変わるし、夫婦喧嘩の回数も減っていくものなのである。ただ、夫婦喧嘩の回数は減るものの、全くなくなるわけではないのだ。どうしても父親への反抗を、夫への反抗に摩り替えてしまうのだ。

①掃除をしまくること

 夫婦喧嘩が起きないためには、まずは掃除をしまくることだ。夫婦喧嘩を起こす夫婦の家は、非常に汚いものだ。家の中を掃除してしまえば、家の中は奇麗になり、夫婦共々過ごしやすい環境になってくれるのだ。特に便所掃除は毎日やる習慣をきちんと持つことだ。便所が奇麗になるだけで、夫婦喧嘩は発生しにくくなるものなのだ。

②誤るべきことは、誤っておくこと

 通常の夫婦喧嘩なら、妻の言い分の方が正しいのだが、父親の呪いが解けていない既婚女性に限っていえば、妻の言い分の方が間違っている可能性が非常に高いのだ。夫に喧嘩を売るために喧嘩をしかけた時など、明らかに妻の言い分の方が悪いのだ。こういう時は、妻の方から先に誤っておくことだ。夫の方も妻に誤られたことがないので、妻から誤れると逆に夫の方が改心してしまい、仲のいい夫婦が復活してしまうものなのだ。

③握るべき権限はきちんと握っておくこと

 夫婦喧嘩を引き越してくる既婚女性は、まずは妻として握るべき権限をきちんと握っていないのだ。家事の中で最も重要な権限は「料理」である。妻が台所に立つことを嫌い、夫に料理を作らせたり、皿洗いをさせたり、店屋物で済ませていると、妻の家庭内の地位は急激に下がっていくものなのだ。地位が低いからこそ、夫に反抗してしまい、夫婦喧嘩が勃発する仕組みになっているのだ。

 まずは、夫に可能な限り台所に入らせないようにすることだ。夫が台所に入ってくれば、夫が料理に口出しをしてくるのは当然のことなのだ。妻が自分で料理をし、自分で後片付けをする。この方が早いし、スムーズに行えるのだ。美味しい料理を出し、後片付けもきちんとしているなら、夫は妻に対してとやかく言わないものなのである。

 「父親の呪い」が解かれてしまえば、夫婦喧嘩は少なくなり、夫婦仲は良くなっていくものなのだ。夫婦喧嘩を散々したからこそ、逆に深い絆になることもあるのだ。そういう日が訪れた時、改めて夫の顔を見れば、新たな気持ちで再び夫を愛せる瞬間がやってくるのだ。その愛は今までの愛よりも、ずっと大きく、そしてずっと強い愛になっているのだ。

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「出産後の霊能力の覚醒」と「オーラの変化」

●出産後の霊能力の覚醒

 女性という生き物は、結婚によって大いに変わる。妊娠し出産をすれば、尚のこと変わる。一体、そんなに何が変わるのか? それは「霊能力が変わる」のだ。普通、霊能力というと、背後霊を見たり、浮遊霊を見たりするのだが、実はそういう霊能力は霊能力の中でもレベルが低いものなのだ。

 レベルの高い霊能力とは、自分を幸運にしてくれる不思議な現象を見てしまうということなのだ。結婚の際に、今の夫と出会った瞬間に、「あっ、私、この人と結婚する!」と思えたのなら、その女性はレベルの高い霊能力が覚醒したということなのである。妊娠している時に、自分が出産すべき時間がいつなのか解ったのなら、それはレベルの高い霊能力が覚醒したことなのである。

 育児は自分の感性や理性や意志だけでできるものではないのだ。霊能力を使って育児をしなければ、いくらでも育児でトラブルが発生してしまうのだ。言わば、神様が「霊能力を使って育児をしないさい」と、育児をしている母親たちにくれたものなのである。だからこそ、赤ちゃんの危険を事前に察知する能力を持てたり、赤ちゃんが危機に瀕した時、偶然としか思えない現象が起こり、危機を脱出することができるようになるのである。

 ところが、夫の方も、霊能力が覚醒するかと思いきや、そうではないのだ。夫の霊能力が覚醒するのは、妻よりも非常に遅いのだ。特に夫が無宗教で科学万能主義者であるならば、霊能力の覚醒など無理な話で、そのために育児では役に立たないし、それどころか育児で有り得ないような妨害を働いてくるのである。

 夫婦の霊能力の差が歴然と解り始めるのは、妻の方が道に迷わなくなることだろう。通常、女性というのは空間認識能力は弱いために、道を良く間違えるものなのだ。一方、男性は空間認識能力が優れているために、道を間違えることは少ないのだ。それなのに、妻が赤ちゃんを出産すると、道に迷わずに目的地にちゃんと行けるようになるのだ。

 育児をしている母親たちはこの不思議な変化に気づいていないのだが、母親というのは赤ちゃんと一緒に行動するなら、空間認識能力を補完できる能力、即ち霊能力を使って目的地に辿り着いてしまうのだ。事実、母親に地図を書かせても、見せても、依然として空間認識能力は弱いままなのだ。明らかに霊能力が覚醒し始めているのである。

●結婚によるオーラの変化

 人間には霊魂があって、その霊魂は「霊衣」を発しているのだが、通常、これは「オーラ」と呼ばれている。このオーラは不変ではないのだ。結婚によって大いに変化を遂げるのだ。特に結婚して3年目までに大いに変化するものなのである。解り易い例で言うと、結婚当時の夫婦の写真と、結婚3年目の夫婦の写真を見比べてみると、明らかに夫婦の顔も体も雰囲気も変わっていることに気付くはずだ。

 結婚によるオーラの変化が起こると、どうしても霊力が乱れるので、自分が無性にイライラしてしまい、大した理由もなく夫婦喧嘩を始めてしまうのだ。丁度、この時期こそが最初の育児と重なるために、夫婦喧嘩をしてしまうと、育児で育児の喜びを見出せなくなってしまい、育児ストレスを激増させていってしまうのである。

 女性は結婚によって人生が変わるものだし、出産によって人生が変わっていくものだ。人生が変わるということは、そこに大きなエネルギーを発生させていることなのだ。それを良い結果が出るように使っていくべきであって、悪い結果が出るような使い方をすべきではないのだ。

 オーラの変化は赤ちゃんが敏感に感じ取るものなので、自分が巧くオーラの変化を治めていないと、赤ちゃんは大泣きするし、グズりまくるものなのだ。赤ちゃんは3歳を過ぎる頃まで、非常に奇麗なオーラを発しているために、母親のオーラが汚ければ、母親自体を拒絶するようになってしまうのだ。

 妻の方は、赤ちゃんの奇麗なオーラに日々接しているし、出産によって大きく霊能力が開花しているので、夫よりも圧倒的に優位なのだ。それゆえ、妻の方が霊能力を正しく使い、巧くオーラの変化を治めていかないと、育児トラブルにしろ、夫婦喧嘩にしろ、表面的は偶然の現象や、夫が悪いという理由を立てられるかもしれないが、実は本当の原因は妻が引き起こしているということになってしまうのだ。

●霊能力は正しく使うこと

 啓蒙思想が広まってしまったために、「理性の力」は称賛されても、「霊能力」は迷信ということで否定され、駆逐されていってしまった。そのために、本来なら霊能力を必要とする結婚や育児に於いて、それを公然と使えなくなり、そのために、多くの夫婦たちが結婚や育児で苦しまなければならなくなってしまったのだ。

 夫婦は人知人力を使いつつも、それでは対応できない事柄に対しては、霊能力の存在を認めて、それによって処理していかざるをえないのである。これは結婚してみれば解ることだし、育児をし始めれば尚のこと解ることであろう。最高の霊能力は自分や家族を幸せにしていくものなのである。

 霊能力がマスコミなどで興味本位に取り上げられているので、霊能力の正しい使い方を多くの人々が忘れてしまっている。まず、霊能力を正しく使い、オーラの変化を治めていくには、「楽しい歌を歌う」ことだ。楽しい歌声の響きが、オーラを安定させ、霊能力を充実させていくのである。育児に歌が付き物なのは、歌によって赤ちゃんが喜んでくれたり、寝付いてくれたりするのもあるが、母親自身の霊能力が正しく使われるためでもあるのだ。これに対して、霊媒師たちは必ずといっていいほど、楽しい歌を歌わない。だからこそ、悪霊を見つけ出してしまい、下手をすればそれに憑依されてしまうのだ。

 霊能力を安定させるためには、常に自宅の中に「心地いい音楽を流しておく」ことだ。音楽は圧倒的にクラシックの曲が優れている。モーツァルトやバッハの曲がお薦めである。但し、霊能力が高まってくると、ピアノの音を余り長く聞き続けていると、体が疲労してくるということがある。これに対してハープの音は長く聞き続けても疲れることなく、寧ろ、霊能力がより高まる傾向にある。

 そして肝心なのが、赤ちゃんに会話ができなくても、「赤ちゃんに喋りかける」ことだ。霊能力は使ってなんぼのものなので、母親が赤ちゃんに語りかけることで、「私はあなたのこと常に守りますよ」という意思表示をし続けることだ。要は自分の赤ちゃんを霊的に守るということを、常に示し続けることだ。

●霊能力を高める努力

 第一子を育てている時は、母親の霊能力はまだまだ乱れがちなのである。赤ちゃんを3人産めば、母親の霊能力は安定してくる。一方、夫の方は赤ちゃんが3人もできると、やっと霊能力が覚醒して、霊能力を発揮してくる。第三子目になると、急に夫の態度が変わり、育児に関しても的確なアドバイスをくれたりするのは、そのためなのだ。

 但し、夫が無宗教者や無神論者だったりすると、何事も理屈っぽいので、霊能力が覚醒してこないということも有り得るのだ。こうなると、夫が育児でアドバイスしようもなら、すべて間違っているし、夫婦間でも妻の方が霊能力を働かして直感的に解っているのに、夫がグダグダと下らない理論を述べてきたりするので、要注意だ。

①神社への参拝

 霊能力は低ければ、どうしても悪い方向に使ってしまうので、常に霊能力を高めていく努力が必要だ。そのためにはなんと言っても神社に参拝することだ。神社でも古い時代に建立された神社はその土地そのものが古代の聖地であった場所なので、その境内に入るだけで、霊能力が非常に高まるのだ。

②墓参り

 神社以外で霊能力を高めようとすれば、墓参りがお勧めである。赤ちゃんが生まれた以上、年に1度は墓参りに行くべきだし、その際に、墓を掃除し、ロウソクで明かりを灯し、白い菊の花を供えると、霊能力が高まっていく。墓参りする際は、他の用事を予定せず、墓参りだけに専念することだ。

③宝石や貴金属を使うこと

 自宅で霊能力を高めたいのなら、宝石や貴金属を使うことだ。水晶を結界を張るように置くと、悪霊が入り込めず、自分の霊能力を高めることができる。水晶は透明な物よりも、少し白みがかった方が効果がある。宝石で気をつけるべきことは、「ダイヤモンド」であり、これを日々つけていると悪霊を呼び込んでしまう危険性があるのだ。宝石の中で「呪いのダイヤモンド」みたいに呪いがあるのは、ダイヤモンドくらいである。宝石を身につける時は、いつも同じ宝石を使うのではなく、自分の気分に応じて様々な宝石を身につけるようにすることだ。 

 貴金属では圧倒的に「黄金のネックレス」が優れている。ネックレスは非常に安全な魔除けだと思った方がいい。黄金のネックレスは1日使えば疲労してしまうので、何種類か持っておき、それをローテーションで使っていけばいい。それ以外には、銀製の写真立てを使うのもいいし、銀食器を使って食事をするというのも、自分の霊能力を高める重要なアイテムなのだ。

 育児をしていれば、自分の理性の力だけで育児などできるわけがないのである。赤ちゃんはいくらでも不測の事態を引き起こしてくるものなのだ。しかし、母親の方にちゃんとした霊能力があれば、事前に危険を察知できるし、万が一、赤ちゃんは危機に瀕しても、そこから巧く助け出すことができるのである。

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結婚したからこそ解る「愛の危険性」

●恋愛は愛の入門編、結婚こそが愛の本番である

 「愛こそすべて」と人々は言うけれど、人生において愛はすべてではない。愛は重要な要素であっても、愛だけでは恋愛も結婚も巧くいかないものなのだ。愛だけで運営できるのなら、この世のすべての男女は、恋愛にも結婚にも悩みはしないことだろう。いくら人を愛したとしても、恋愛も結婚も巧く行かないからこそ、多くの男女は愛に苦しんでいるのである。

 現在、キリスト教が地球上を覆ってしまったために、キリスト教の教義によって、「愛は絶対的な価値を有するものだ」と、キリスト教徒たちだけでなく、キリスト教徒以外の人達もそう思い込んでいる。しかし、キリスト教の教祖のイエスは愛を唱えたために磔にされたのだし、キリスト教徒たちというのは、愛を唱えながら、この世に存在した宗教の中でダントツ量の大量虐殺を展開したのだ。キリスト教が世界を覆ってしまったので、この当たり前すぎる歴史的事実が見えていないのだ。

 賢者と愚者を分けるものは、賢者は何か一つだけで処理しようとしないが、愚者は馬鹿の一つ覚えといわれるが如く、何か一つの物で処理しようとしたがるのだ。人を愛することがそんなに素晴らしいものであるならば、世界はとっくの昔に平和になっているし、誰もが恋愛や結婚で巧く行っていることだろう。現実がそうならないのは、愛だけでは人間を幸福にできないからなのである。

 恋愛は愛の入門編である。人の子は両親に愛されて育つものだが、両親に愛を捧げることは滅多にしない。なぜなら、それは当たり前のものだからだ。人は恋愛をすることによって、愛の大切さを知っていくものだ。しかし、恋愛は誰それ構わずできるものではなく、或る特定の異性に対してのみ、恋心が宿ってくるものなのである。「愛」とは違う「恋」があるからこそ、人は初めて恋愛することができるのである。

 結婚は愛の本番である。かといって、結婚も愛があれば成立するわけではないのだ。結婚にとって最も重要なのは、「運命の出会い」であろう。「運命の出会い」による相手なら、結婚で多少の問題があっても、巧く乗り切っていくことができるからだ。そしてその上で、結婚を運営していく様々な技術を身につけて行かない限り、結婚の楽しさを充分に味わうことができないし、下手をすれば離婚に陥ってしまうことだろう。

●愛は憎しみを呼ぶ

 結婚当初は「永遠の愛」を誓い合った仲でも、結婚すれば、一度や二度は夫婦喧嘩をすることであろう。なぜ永遠の愛を誓い合ったのに、喧嘩をしてしまうのかといえば、余りにも近くに居過ぎるからなのだ。人は遠く離れて暮らしている人とは喧嘩をすることはない。人は近くに暮らしている人だからこそ喧嘩をしてしまうのだ。

 だから、「結婚して夫婦で愛し合っているのだから、夫婦喧嘩など発生することはないだろう」と思い込むことは非常に危険なのだ。夫婦といえども、喧嘩になるものだし、悪化すれば殴り合いの暴力を伴うし、最悪の場合は殺人事件にだって発展していくことがあるのだ。愛しているからこそ、いいのではない。愛すればこそ憎しむのだ。

 愛とは他人を可愛がり慈しむことだ。一見素晴らしいことに思える愛には、その反面、愛した人を大切にして手放さない危険性を秘めているのだ。自分が可愛がり慈しむということは、その対象者を大切にして手放さないから、相手が自分の思い通りに動いてくれないと、それが憎しみへと変わっていってしまうのだ。

 結婚しているのに、どうして憎しみ合う夫婦が出て来てしまうのかといえば、この愛は憎しみへと変わるということを知らないからなのだ。結婚したとしても、配偶者は思い通りには動いてくれないものなのである。それは愛を以てしても不可能なのだ。この当たり前すぎるほどの事実が解っていれば、夫婦で憎しみ合うことは激減していく筈である。

 育児で於いてすら、赤ちゃんは母親の思う通りには動いてはくれない。静かにしてほしいのに、動き回る。忙しい時に限ってウンチをしてくる。寝てほしいのに寝てくれない。こんなことが繰り返されるのだ。愛があればすべてが巧く行くと思い込んでいる新米ママは、この状況が繰り返されると、育児ストレスで一杯になってしまうことだろう。新米ママは母性愛が出て来て、それによって赤ちゃんを育てていることだろう。だが、母性愛を以てしても、赤ちゃんを思い通りに動かすことはできないのだ。愛には限界があるのだ。

●結婚相手を敬うことの重要性

 愛が憎しみに転化してしまうことを防ぐには、「自分が愛する相手を敬うこと」だ。敬うとは、相手を尊んで礼を尽くすことだ。夫を愛しているなら、愛しているからこそ、夫を尊敬して、その結婚は礼に適った結婚として運営していくことだ。夫を敬うことができれば、夫を思い通りに動かそうという邪念が消え、結婚にも礼を持ち込めば、結婚がだらしなくなることはなくなるだろう。敬うことで、憎悪の発生を抑えることができるのだ。

 育児に於いても、赤ちゃんを愛しているなら、愛しているからこそ、赤ちゃんを敬うことだ。「自分がお腹を痛めて産んだのだ!」と傲慢になるのではなく、「わざわざ私を選んで、私のもとにやってきてくれたのねheart01」と謙虚になることだ。育児も自分勝手に行うべきではなく、礼に適った育児をしていけばいいのだ。

 夫婦喧嘩をしょっちゅうしてしまう妻たちや、育児で育児ストレスが一杯になってしまう新米ママたちは、とにかく相手を敬ってみることだ。夫婦喧嘩をして自分の心の中に憎悪の炎が燃え上がっていると、夫を世界で最低な男だと思い込んでしまいがちだ。しかし、夫を敬ってみると、世界で最低な男と思っていた男が、実は世界の中で一番優しい男だと自分の心の中で評価が大逆転してしまうのだ。憎悪の炎が燃え上がれば、冷静に相手を見れなくなってしまうものなのだ。

 育児に於いても、赤ちゃんを敬ってみると、赤ちゃんの素晴らしさに気付き、育児の楽しさに気付くものなのだ。今まで育児をすることによって、赤ちゃんを思い通りに動かそうとしていたからこそ、育児が巧く行かず、育児ストレスで一杯になっていただけであって、そういう間違った思い込みを捨ててしまうと、育児ストレスは消えてしまい、育児が巧く行き出すものなのだ。

 新妻なら新米ママなら、相手を敬うことの大切さが、なかなか解らないものだ。何度か夫婦喧嘩を繰り返し、育児でトラブルを起こしながら、やっと愛だけでは巧く行かないことに気づき、相手を敬うようになるのだ。そうなってくると、結婚も穏やかになり。、育児の幸せに満ちたものになるのだ。そういう妻だからこそ、夫も妻を敬うようになり、赤ちゃんも母親のことが大好きになっていくのだ。

●行動を起こせば、恐れは消える

 生まれて初めて結婚したのなら、今後の結婚生活に恐れを抱いてしまうものなのだ。生まれて初めて出産したのなら、今後の育児に恐れを抱いてしまうものなのだ。誰だって未知なる領域に踏み込む時は、恐れを抱くものなのだ。しかし、恐れを抱く余りに、結婚では夫につらく当たってしまい、育児では赤ちゃんにつらく当たってしまうのだ。自分が恐れているばっかりに、いつもとは違う行動を平然と取ってしまうものなのだ。

 恐怖のある仕事とは、それが非常に大変で面倒臭い仕事だということだ。家事だって妻が一人で切り盛りするには非常に大変だし、面倒臭いものがたくさんあるものだ。育児だって母親が一人で行うには非常に大変だし、面倒臭いことならいくらでもあるのだ。だからといって、行動を起こさないと、恐れに包まれてしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。

 これだけは忘れないでおこう。「恐怖の多い仕事は、報酬も多い」ということに。恋愛をいくら繰り返した所で、結婚で得られるような報酬は絶対に得ることができないのだ。なぜなら、恋愛では結婚で行われるような大変で面倒な作業など殆どしていないからだ。結婚では確かに大変で面倒な作業が多いかもしれないが、だからこそ、その報酬もでかいのである。

 結婚したにも拘わらず行動を起こさなければ、結婚として得られる報酬を獲得することができないことだろう。出産したにも拘わらず行動を起こさなければ、育児で得られる報酬を獲得することはできないことだろう。結婚でも育児でも、行動を起こさないグータラな女性たちはいるものなのだ。そういう女性たちが結婚や育児のことを語ったとしても、その口からまともな意見が出て来ることはないのだ。そのすべてがネガティブな意見なのだ。

 ネガティブな思いは伝染するものなのだ。どんな妻や母親たちだって、家事や育児でネガティブに思ってしまうことはあるものなのだ。しかし、だからといって、結婚のすべてがネガティブなものではないし、育児のすべてがネガティブなものではないのだ。結婚でも育児でもポジテイィブなものはたくさんあるのだ。

 結婚や育児で現れてくる恐怖を克服しなければ、まともなことなど語れるわけがないのだ。結婚して10年も経っていない既婚女性が、結婚に関してとやかく語るべきではないのだ。子供を3人以上産んで育ててもいない母親が、育児に関してとやかく語るべきではないのだ。妻として母親としてやるべきことをやり終えたら、その時、初めて結婚や育児について語ればいいのだ。

●成功体験を共有する

 行動を起こさなければ、様々な邪念が生まれてきてしまうのだ。邪念に取りつかれれば、身動きが取れなくなってしまうものなのだ。そうならないためにも、とにかく行動することだ。結婚でも育児でも、自分がやらなければならないことはたくさんある筈だ。それを一つ一つこなしていけばいいのだ。

 家事や育児で着実に成功体験を増やしていく。「こういうふうに料理を作れば美味しい料理ができる」「こういうふうに赤ちゃんをあやせば、赤ちゃんは泣きやむ」。そういった小さな成功体験を着実に積み重ねていくことだ。誰から褒められなくてもいいから、自分で行動を起こし、成功体験を味わっていくことだ。

 家事も育児も大変な作業の連続なのだから、夫に褒めて貰いたいと言い出す妻たちがいるものだ。しかし、そうやって相手の行動に左右されるのではなく、まず誰から褒められなくても、自分で行動し、自分で楽しむことを先に行うべきなのだ。妻が家事や育児を楽しんでいれば、夫は口に出さなくても嬉しいものなのだ。妻が家事や育児でイライラしていたら、口の出しようがないのだ。

 自分が家事や育児で成功し始めると、何か余裕が出て来るものなのだ。そうなれば、夫のことにもきちんと気を配れるようになるのだ。それゆえ、夫が帰宅したら、自分の今日あったことを先に話しまくるのではなく、まずは夫の仕事の話を聞いてあげることができるようになるのだ。自分の話は夫の話を聞き終わってからで充分なのだ。

 そして、夫が仕事で成功したのなら、心から祝福してあげる。我が身のことのように喜ぶことだ。事実、夫の仕事の成功は、夫婦にとっては収入増加の原因になるのだ。夫が仕事で成功したことを祝福してあげれば、夫も妻の育児の成功を祝福してくれるようになるのだ。夫も仕事のことで妻に褒められることによって、心のどこかに余裕ができ、妻の行いを冷静に見れることができるようになるからだ。

 そうやって、夫婦で成功体験を共有し、勝ち癖をつけることだ。相手の欠点をいくら指摘しても、成功することはないし、増してや成功体験を共有するということは有り得ないのだ。「自分たち夫婦が行動を起こせば、何があっても成功する!」。そういう心理状態に持って行ってしまうことだ。勝ち癖がつけば、何をやっても勝つ確率が非常に高く成り始めるのだ。

●失敗から逃げ出さない

 その一方で、家事でも育児でも失敗は付き物なのだ。「お皿洗いをしている時に、手が滑ってお皿を割ってしまった」「赤ちゃんにちゃんとオムツをさせた筈なのに、オムツからウンチがはみでた」など、家事や育児をやっていれば、いろんな失敗が出て来るものなのだ。それらの失敗は行動を起こしたからこそ出て来る失敗であって、その失敗に対して必要以上に落ち込まないことだ。

 それよりも、失敗の処理の仕方を習得することだ。例えば、頻繁に食器を割ってしまうようなら、食器洗いの仕方になんらかの問題があるのだから、その改善を施すとか、ウンチがはみでないように、オムツを巧く嵌め、ベビー服についたウンチを奇麗に洗い落す技術を習得してしまうことだ。そうやって、失敗したとしても、それを修復できるようにされせてしまうことだ。

 失敗に慣れると、ちょっとやそっとの失敗ではへこたれなくなるのだ。物事といいうのは、それがどれであったとしても、最初の頃は失敗の連続なのである。失敗を繰り返すことで、その失敗の対処法を学び、成功するための方法を発見していくのである。学校の勉強のように、一度覚えてしまえば、確実に高得点が取れるようにいかないのだ。実際に家事や育児をやってみれば、いかなる女性であったとしても、失敗を仕出かしてしまうものなのである。

 妻が家事や育児で失敗しているということは、夫の方も仕事で失敗をしているということなのだ。だから、夫が仕事で失敗したとしても、それをきちんと受け止めてあげることだ。そうやって、妻が夫の仕事の失敗を受け止めてくれるなら、夫も妻の失敗をちゃんと受け止めてくれるようになるのだ。妻が夫の仕事の失敗に知らんぷりを決め込んだら、夫も妻の失敗に知らんぷりを決め込むものなのだ。

 結婚したら、失敗から逃げ出さないということに覚悟を決めることだ。逃げ出さなければ、いくらでも解決策は浮かんでくるものなのだ。育児をしていれば、目を離した隙に、赤ちゃんが大怪我をしてしまうことだって有り得るのだ。夫が仕事をしていれば、会社経営者なら会社を倒産させたり、サラリーマンなら失業してしまうことだって有り得るのだ。夫婦に何が起ころうとも逃げ出さないのなら、ちゃんと解決策が見つかり、今までとは違った楽しい生活を営めてしまうことができるものなのだ。

●幸せな結婚をするためには、「幸福な家族の型」を見つけ出せ

 家事や育児でなぜ失敗が連続して起こってしまうかといえば、それは自分勝手に行い、気儘な行動を取っているからなのだ。我儘な行動を取っているからこそ、何度も何度も失敗を仕出かしてしまうものなのだ。今の自分のままで幸せになろうとしても、必ず不幸になってしまうものなのだ。

 幸せにはパターンがあるということだ。幸せな結婚をするためには、「幸福な家族の型」を見つけ出し、その型に嵌ってしまことだ。幸せな育児をするためには、「幸福な育児の型」を見つけ出し、その型に嵌ってしまうことだ。個性なんで要らないのだ。まずは自分の個性を捨てろ。型に嵌れ。これをするだけで、結婚も育児も成功し始めるのだ。

 新妻にとっては生まれて初めての結婚かもしれないけど、この世は今まで無数の結婚が繰り返されてきたのだ。新米ママにとっては生まれて初めての育児かもしれないけれど、この世は今まで無数の育児が繰り返されてきたのだ。それゆえ、こうすれば幸せな結婚ができる、こうすれば幸せな育児ができるという型が確実に存在しているのだ。だから、我儘にならないで、その型を見つけ出し、その型に自分を当て嵌めてしまえばいいのだ。

 「型」というのは、最大限に成功するためのものではなく、最低限の成功を確保するためのものなのだ。何もこの世で最高に幸福な夫婦になることも、この世で最高の母親になることも、必要ないのだ。最低限の幸福さえ確保すれば、夫婦に何が起ころうと、育児で何が起ころうと、巧く結婚を運営していくことができるのである。多くの若い夫婦たちがその「幸せなの型」を見つけ出さないからこそ、夫婦でトラブルを起こし、育児でトラブルを起こし、挙句の果てには離婚に至ってしまうのである。

 育児を終えた主婦が、未婚女性とは話ができなくなる最大の理由は、結婚できない女性たちは、「幸せの型」が解っていないからだ。結婚すれば必ずしも幸せになれるわけではないが、結婚しなければ「幸せの型」を見つけ出すことができないからだ。それゆえ、洋服やバッグや宝石など、物理的な幸福にしか目に行かないのだ。

 結局、「幸せの型」が解っている者同士でしか話せなくなってしまうし、目に見えざるものがちゃんと解っているからこそ、レベルの高い会話ができるのだ。幸せな夫婦は最初から幸せであったわけではないのだ。試行錯誤しながら、様々な試練を経て、その「幸せの型」を見つけ出し。それに自分たちを嵌め込んでいったのだ。だからこそ、幸せが雪崩の如くに押し寄せてきたのである。

●理想を現実化していく努力をし続けること

 現実に追われれば、疲労しきってしまうものだ。家事をダラダラとやっていたら、疲れきってしまうのは当然なのだ。育児をダラダラとやっていたら、疲れきってしまうのは当然なのだ。自分がどのような家庭を築きたいのか、まずは理想を思い描くことだ。その理想に向かって行動を起こしていけば、家事や育児で疲労しきるということはなくなるのだ。

 オンボロアパートに住むのではなく、高級マンションに住みたいと思って、その理想をきちんと思い描いていれば、いつの日にかは実現してしまうものなのだ。高級マンションでなくても、庭付き一戸建ての豪邸に住みたいと思っていれば、それは実現してしまうものなのだ。年収を一千万円台に乗せたい。年収を一億円台に乗せたい。そう思っていれば、実現できてしまうものなのだ。

 現実に追われて疲労困憊してしまうのではなく、理想を思い描き、それを現実化していく努力をし続けるべきなのだ。自分が理想を思い描かなければ、努力が本当の力を発揮する場所がなくなってしまうのだ。理想に向かって努力してしまえば、いくらでも努力をすることができ、その理想が簡単に実現してしまうものなのだ。

 いくら結婚した所で、「愛さえあれば大丈夫」と思うのは、単なる世間知らずの思い上がりに過ぎないのだ。多くの夫婦は愛しているのに、貧乏で、夫婦喧嘩が絶えないし、育児はトラブル続きなのだ。愛だけでは結婚を運営していくことはできないのである。寧ろ、愛に囚われ過ぎるからこそ、結婚を台無しにしてしまうのだ。

 結婚したのなら、結婚相手を愛するだけではなく、相手をきちんと敬うことだ。相手を敬うと愛の危険性が消滅していくのである。世間では愛を歌う「ラブソング」は流れてくるけど、愛する相手を敬う歌など流れてこないものだ。だからこそ、多くの人々が愛の危険性に気づけず、「愛の炎」で焼き殺されてしまうようになるのだ。

 愛する相手を敬うことができれば、料理や掃除や洗濯でも本腰を入れて取り組めることができる筈だ。赤ちゃんを自分の所有物だと思うのではなく、赤ちゃんが自分を選んでくれたと思うことができたのなら、自分勝手な育児をすることなく、正しい育児の仕方を謙虚に学んでいくことができるようになる筈だ。

 そうやって成功と失敗を繰り返しながら、「幸せの型」を見つけ出し、それに自分を嵌め込んでいけばいいのだ。それができたのなら、いくらでも幸せは訪れてくるものなのだ。人間が成長するということは、いつまでも努力をし続けることだ。結婚生活ではいくらでも努力すべき場所はあり、それらの場所で努力をしまくれば、いくらでも幸せを獲得していくことができるようになるのだ。

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幸せな結婚だからこそ、「運命の谷」がやってくる

●運命の谷の恐ろしさ

 新米ママが育児ストレスで一杯に成っている時、自分の運勢上で最も恐ろしい事態が訪れてくる。それは「運命の谷」と呼ばれるものだ。結婚して、赤ちゃんを産んで、人生上最も幸せだというのに、不幸が続出し始めるのである。その不幸が偶然に起こったのはではなく、何か意味するように立て続けに起こり、新米ママの心胆を寒からしめるのである。

 「運命の谷」で起こり易いのが、「親との死別」だ。夫の両親のどちらかが亡くなったり、妻の両親のどちらかが亡くなったりするのだ。早ければ、その夫婦が結婚した直後に親の死別が起こるし、遅ければ、赤ちゃんの誕生と引き換えに、親の死別が起こるのだ。次に「夫の病気」や「妻の病気」だ。今まで健康だったのに、結婚や出産を境に病院に入院するような大病を引き起こしてしまうのだ。ひどければ、そこで命を落としてしまうのだ。結婚したのに、いきなり未亡人だ。

 妻にとって結婚や出産というのは、「転職」という事態が起こり易いものだ。今までバリバリのキャリアウーマンだったのに、出産後は専業主婦になってしまったり、今までうだつの上がらないOLが、結婚後に夫の会社の手伝いをするようになり、いきなり専務取締役になってしまったというのもあるのだ。妻だけでなく、夫の方も転職することもあり、結婚や出産前後に、夫は仕事を変えてしまい、今までの平凡な仕事とは全く違う仕事をするということもあるのだ。

 「運命の谷」で巧く乗り切れないと、折角、結婚や出産をしたというのに、「離婚」という最悪の事態に陥ってしまうのだ。しかも、離婚する時期は、結婚して3年とか、結婚して10年といったように、まるで判を押したかのような同じ期間で多くの夫婦が別れてしまうのだ。離婚原因になった理由は、冷静に見れば大したものではなく、通常なら離婚に至らずに済んだものを、「運命の谷」に居ると冷静になれないから、事態を最悪な状態までに悪化させてしまい、破局に至ってしまうのだ。

 結婚というのは、人生上、恋愛運や結婚運が最も上昇する時期なのである。だからこそ、結婚式を挙げてしまうと、運勢が一時的に落ちてしまい、運命の谷と呼ばれる時期に入ってしまうのだ。しかも、その時期は新妻にとって、出産して赤ちゃんを産んだ時期にピタリと重なってしまうのだ。だからこそ、注意が必要なのである。

●結婚というのは、それまでの生き方を変えること

 未婚時代と結婚時代では生き方が全く違うものになってしまうものだ。結婚というものは、それまでの生き方を捨てて、新たなる生き方を選択することでもあるのだ。結婚して早い時期に、それまでの生き方を変えないと、「運命の谷」で不幸が連発し始めるのである。まるで神様が「生き方を変えろ!」と言っているかのように、不気味な不幸が連続し始めるのである。

 夫にとってみれば、それまで仕事だけにエネルギーを費やしてきたのに、仕事をしながら、家庭をも守らなければならなくなるのである。しかし、今まで一人で生きて来て、もう一人では生きていても詰らないからこそ、結婚して家族という新たな世界を築いたのである。その家族があるからこそ、更に仕事の意欲が湧いて来て、仕事で活躍できるようになるのである。

 妻にとってみれば、それまで私生活では勝手気儘に暮らしてきたのが、妻としての立場や、母親としての立場に立たざるを得なくなり、それらをこなしていかなければならくなったのだ。妻の方は明らかに家庭に自分のエネルギーを大量に注ぎ込まなければならなくなるのである。

 結婚によって、夫婦が平等になるわけではなく、夫は仕事に重点を、妻は家庭に重点を置かざるを得なくなるのだ。もしも、妻が家庭の運営をしながら仕事をするとなると、凄まじいエネルギーを発しない限り、きちんとできるものではなくなってしまうのだ。育児をしている母親に仕事をさせると、未婚の女性よりもテキパキと仕事をし、いかに困難な仕事を与えても弱音を吐かなくなると言われるのは、結婚と出産によって生き方を変えたからなのだ。

 結婚したのに、出産したのに、それまでの生き方を変えなかったら、新たなエネルギーが出て来なくなってしまい、至る所でトラブルが続出し始めるのだ。エネルギーが余りにも足らないのだ。既婚女性の場合、結婚そのものを揉めてしまうし、育児での失敗続きになってしまうのだ。こういう時期は、夫が悪いのでも、赤ちゃんが悪いのでもないのだ。それまでの生き方を変えずに、持続していることこそが悪いのである。

●夫を変えるより、自分を変えろ

 夫婦が夫婦喧嘩をしてしまうと、妻という者は遂々その原因は夫にあると思いがちだ。育児をして失敗ばかりが続いてしまうと、「なんで女性だけが育児をしなければならないの!?」というお門違いの疑問で心の中が一杯になってしまいがちだ。そのトラブルに於いて、自分に責任を求めるのではなく、相手に責任を求めてしまうのだ。だから、そのトラブルはいつまでも続いてしまうのである。

 なぜなら、人間は自分が責任を負った時に初めて、そのトラブルを解決できるようになるし、妻としての幸福、母親としての幸福を手にすることができるようになるからである。妻としての責任や母親としての責任を負わないからこそ、いつまで経っても妻としてきちんと行動できないし、母親としてきちんと行動できないのだ。それがトラブルの原因なのである。

 多くの妻たちは、夫を変えようと必死になっている。夫が変わってさえしてくれれば、このトラブルはなくなり、自分は幸せになれるのだと思い込んでいる。しかし、現実はいくら夫を改造しても、トラブルはなくならないのだ。いや、より一層、トラブルが続出し、不幸が大きくなっていくのだ。

 夫を変えるより。自分を変えるべきなのだ。自分が生き方を変えてしまえば、トラブルは一気に解消され、いくらでも幸福が訪れてくるものなのだ。自分を変えずに、夫を変えようとすれば、夫婦は地獄の様相を呈し始めるものなのだ。夫は妻の思った通りには動いてくれないが、夫は妻が思った通りの男にはなるのだ。もしも、妻が「うちの夫は優しくないな~」と思っていれば、いつまで経っても優しくない男で有り続けることだろう。もしも、妻が「うちの旦那は稼ぎが少ないな~」と思っていれば、いつまで経っても稼ぎの少ない男で有り続けることだろう。

 結婚の成功者たちに共通するもの、それは結婚後に今までの生き方を変えたということなのである。幸せな家庭を築き上げた夫婦というものは、最初から巧く行っていたわけではないのだ。結婚して暫くの間はトラブルが続いたのだ。それが何かを切っ掛けに、夫婦の双方が生き方を変え、運命の谷を脱したのだ。運命の谷を脱したからこそ、その後の夫婦が幸せになっていったのである。

●不幸が連続する時には、幸運の芽が出ているもの

 結婚でトラブルが発生し、育児でトラブルが発生してくれな、遂々言い訳を言ってしまいがちだ。言い訳を言って、その不幸を取り繕うことをしてしまうものなのだ。しかし、失敗は言い訳をする人たちがするものなのだ。言い訳が続く限り失敗が続くのだ。相手が悪いと思うのではなく、自分が悪いと思うまで、失敗は延々と続くものなのだ。

 運命の谷というのは、その夫婦にとって結婚以来の最大の試練なのだ。しかも、この運命の谷は目には見えないからこそ、殆どの夫婦が、今、自分たちが危険な事態に居ることを理解できないのだ。トラブルはいくらでも起こってくるし、不幸もいくらでも訪れているのに!

 親に不幸が訪れたり、自分たちに不幸が訪れても、生き方を変えなければ、今度は大事な大事な赤ちゃんにまで危機が及んでくるのだ。赤ちゃんを難病奇病に陥れたり、赤ちゃんを夭折させてしまうような夫婦たちは、生き方を変えなかったからこそ、そういう悲惨な事態にまで陥ってしまったのだ。事実、赤ちゃんが病気になる前までは、赤ちゃんは元気だったのだ。それなのに、或る日突然に不幸が襲いかかってきたのである。

 「好事魔多し」と言われるが、幸福な時こそ要注意なのだ。結婚できたということは、それまでの努力が報われたということなのだ。しかし、結婚後の生活のために、夫婦双方、努力をしているわけではないのだ。だからこそ、肝心の結婚生活で不幸を招いてしまうのだ。結婚は誰でもできるものではないのだ。結婚式を挙げるお金すらない貧乏人たちは結婚しないだろうし、精神的に自立していない人たちも結婚できないのだ。結婚できたということは、裕福で、精神的自立を完成させた、神に選ばれた男女ということなのである。神の祝福が結婚してからも及ぶためには、生き方を変え、幸せになる努力をすべきなのである。

 結婚後の運命の谷での不幸を少なくなるようにするためには、「結婚式を派手にし過ぎないこと」だ。結婚式を派手にし過ぎてしまうと、どうしても運を使い切ってしまい、その反動が結婚後に出て来るのだ。特に田舎に住む人たちは、結婚式と結婚披露宴が盛大に行われる傾向があるので、結婚式それ自体を地味にし、その一方で結婚披露宴の食事を豪華にして、来てくれたお客さんたちを持て成す配慮をすべきだろう。また、キリスト教徒でない人は、キリスト教式の結婚式を挙げないことだ。赤ちゃんを難病奇病にさせたり、赤ちゃんを夭折させる夫婦を見ると、結婚式をキリスト教式の結婚式で挙げた夫婦が圧倒的に多いのだ。日本人の大半は神仏習合を根強く行っているので、自分たちの宗教と関係ない神父や牧師に結婚式が執り行われれば、先祖が復讐をしかけてくるものなのである。

 運命の谷で赤ちゃんに不幸が及ばないためにも、出産後には初参りにきちんと行くことだ。自分たち夫婦が何か宗教を持っていたとしても、自分たちが住んでいる地域の神社に参拝することだけはしておいた方がいい。その地域を守護している産土神の祝福を得ていれば、そう簡単に不幸が訪れなくなるものなのだ。

 そして、夫婦と赤ちゃんの3人で墓参りに行くことだ。御先祖に赤ちゃんができたことを報告して、霊的守護を得るためだ。赤ちゃんができたのに、墓参りにいかないと、先祖が祟ることも有り得るのだ。もしも、墓参りに行かなかったために、赤ちゃんに難病奇病が発生してしまったら、とにかく何度も墓参りに行き、先祖の許しを乞うことだ。何度も連続して墓参りをすると、先祖は許してくれて、赤ちゃんの難病奇病は嘘のように治ってしまうこともあるのだ。

 運命の谷の中にいると、訪れて来る不幸のために、ネガティブモードになってしまいがちだ、しかし、不幸が連続している時には、幸運の芽が出ているものなのだ。不幸というのは、自分の運勢上のマイナスを清算している状況なのだ。だから、不幸が出尽くしてしまえば、運勢上のプラスがそのまま幸福として現れてくるものなのだ。運命の谷を脱してしまえば、それまでの人生とまるで別の人生を歩んでしまうものなのである。そういう新たな人生は、決して独身のままであったらできないし、離婚してしまったらできなかったのだ。結婚を維持し続け、その中で自分の生き方を変えたからこそ、新たな人生を歩むことができ、巨大な幸福を手にすることができたのである。

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育児ストレスを膨らませる原因は育児以外の場所にある

●育児ストレスだけが育児ストレスの発生原因になるわけではない

 育児をしていれば、誰であったとしても育児ストレスは生じて来るのだから、或る程度の育児ストレスに耐えられるものだし、万が一、その育児ストレスが危険な状態になった場合、その新米ママの夫が何かしらのフォローをしてくれて、窮地を脱する筈である。大方の夫婦なら、こうやって育児ストレスを乗り越えて行く筈である。

 これができないとすれば、育児以外の場所に育児ストレスを増幅させてしまう原因があるのだ。新米ママにとって育児以外での三大ストレス発生原因は、「夫婦関係」であり、「新聞」であり、「育児書」である。この三つこそが、新米ママにとって恐ろしい状態を引き起こすことになるのである。

 育児をしていれば、自分の生活が大きく変わるのである。それなのに、出産前の呑気な暮らしをそのまましていれば、いくらでもトラブルが発生してきてしまうものだ。自分の生活を育児に相応しい環境に作り変えるからこそ、安心して育児を執り行うことができるようになるのである。

 だから、育児ストレスを増幅させやすい環境で育児を行っていれば、当然に僅かな育児ストレスでも増幅していってしまい、失敗のスパイラルに突入してしまうのだ。育児で問題を起こしている新米ママに、育児の仕方を教えても無駄なのは、ここにこそ原因があるのだ。まともな育児をできる環境になってしないのだ。その新米ママが起こすトラブルは、育児以外の場所に原因があるのである。

 自分の個性ばかり追求していくと、育児なんかは失敗してしまうものなのだ。育児には「成功する型」があるのだから、一刻も早くその型を見つけ出し、学ぶ取ってしまうことだ。いつまでも「自分が」「自分が」と拘っているからこそ、失敗し続けてしまうのだ。自分らしい育児をするよりも、育児で成功する型に自分を嵌め込んでしまうと、逆に育児は楽しくなり、自由自在な育児ができるものなのである。

●育児をしている時は、夫婦関係を良好にしておくこと

 育児をしている時は、いかなる手段を用いても、夫婦関係を良好にしておくことだ。育児において、夫婦関係で揉め事が発生することこそ、育児に支障を来たさせるものはないのだ。夫婦関係を甘く見てはならない。多くの愚かな既婚女性たちが、育児の最中に夫婦関係を悪化させてしまい、育児は失敗続きに成り、中には離婚に至ってしまう者たちもいるのである。

 結婚してから出産する前までは、その夫婦たちは夫婦仲が良かった筈だ。では、どうして赤ちゃんを出産すると、夫婦仲を悪化させてしまったかというと、結婚して「夫」優先だったのが、出産することで「赤ちゃん」優先になってしまったのである。普通の男であるならば、これは怒るものなのである。

 「え?」と脳内に疑問符が出て来てしまう新米ママたちに、立場を変えて説明しよう。結婚しては夫が「妻のことを世界一愛している」と意志表示をしているのに、妻が出産後、夫が愛人を作り、その愛人のことを世界一愛してしまったら、妻の方は激怒する筈である。これと全く同じことを、妻が平気で夫にやってしまったのだ。

 新米ママにとって、赤ちゃんはこの世で特別な存在だし、天使のようなものである。それに最高レベルの愛情を注ぐことは当然のことなのだ。だからといって、その感情のまま、夫婦関係を運営してはならないのだ。自宅に夫が居る時は、夫を最優先して、敬っておくべきなのである。夫が仕事で疲れきって帰宅してきたのに、「お帰りなさい」の一言も言わず、ねぎらいの言葉もかけいないで、いきなり今日あった赤ちゃんの出来事を話しかけてくれば、いかに妻を愛している夫だって、旋毛を曲げてしまうものなのだ。

 新米ママと赤ちゃんだけの、母子二人だけの世界を築いてしまわないことだ。育児ができるのも、夫あってのことなのだ。夫婦喧嘩など愚の骨頂と思った方がいい。夫婦喧嘩をすると、運気が落ちるのだ。夫は仕事が巧くいかなくなるし、妻は育児でトラブルが発生し始めるものなのだ。愚かな夫婦喧嘩よりも育児を優先させた方がいいのだ。

●新聞は母親たちの天敵

 育児ノイローゼになった多くの母親たちに共通することは、朝っぱらから新聞を読んでいることなのである。この新聞こそ曲者であって、新聞というのは育児をしている母親たちにとって天敵のようなものなのだ。幸せな育児をしたいのなら、まずは新聞を読まないことである。この偉大なる決断こそが、自分の育児を最大限に幸せなものにしてくれるのである。

 育児の成否は育児の期間中に仕入れた情報の質量によって決定するのだ。だから、育児の期間中に育児に必要な情報を多く仕入れ、できれば質の高い情報を仕入れた母親たちは、育児を成功する確率が非常に高くなるのである。たとえ育児で失敗を起こしても、それに対処する情報を持っているので、きちんと処理することができるのである。

 ところが新聞を呑気に読んでいるような母親たちは、育児に必要な情報を集めないのだ。新聞を読むことで、情報収集するエネルギーを使いきってしまうのだ。新聞というものは、どう読んだとしても、育児をしている母親たちに有益な情報を流してこないのだ。育児関連で出て来る情報は、寧ろ、危険な情報ばかり流してくるのであって、「出産中に妊婦が死亡した」とか「幼児虐待で幼児が殺された」とか「保育所が待機待ち」だとか、こういう情報を仕入れて、楽しい育児などできるわけがないのだ! 頭の中は真っ暗なままで育児に取り組まねばならなくなるのだ。

 新聞社に勤めている女性たちは、独身女性ばかりで、育児をしながら仕事をしている既婚女性などいないものなのだ。だから、独身女性が自分が結婚しないために、意図的に結婚するのが不利な情報を新聞に掲載して、それで自己を正当化するという行動を取ってくるのである。それゆえ、新聞の結婚や育児に関する情報は、すべてネガティブな情報ばかりになってしまうのである。

 新米ママにとって新聞など不要なのだ。多くの新米ママたちが行っているのは、育児雑誌を熟読することなのである。そうやって育児の知識を仕入れていくものなのである。勿論、育児雑誌にすべて正しい育児情報が載っているわけではない。中には間違った育児情報も載っているのだ。だが、育児雑誌は新聞のように育児に関してネガティブな情報だけは流してこないものだ。どの育児雑誌も育児をしている母親たちに有益な情報を流そうとしているので、育児雑誌を読めば母親の方もポジティブモードになっていくのだ。

●育児を更に悪化させる育児書

 この世の中で、救いようのない愚かな人たちは、一冊の本を読めばすべて事足りると思い込んでいる人たちである。人間が抱える問題を、一冊の本で解決できるわけがないのだ。人間は問題に直面すれば、様々な角度から情報を収集し、色々な知恵を働かして、何度も失敗をしながら乗り切っていくものなのである。

 育児をする新米ママにとって、育児を更に悪化させる危険な書物が「育児書」である。育児書には育児に関する情報がすべて網羅され、確かに素晴らしい内容のことが書かれてはある。しかし、何が問題かといえば、この育児書を頼りにして育児を進めていけば、なぜか育児は失敗してしまうのである。

 それこそが「知識」と「経験」の違いだ。育児書を頼りにする新米ママたちがなぜ失敗するかといえば、育児書を読むことで「理性の力」を働かしすぎてしまい、育児の知識を散発的に使用してくるからなのである。「赤ちゃんが可愛い!」という感情よりも、「正しい育児をしなければならない!」という理性を重んじてしまうのだ。だから、愛情不足に陥ってしまい、至る所で育児が失敗し出すのである。

 育児書なんかに頼らず、まずは「赤ちゃんは可愛い!」という、出産時に抱いた感情を大事にすることなのである。その思いを育児の中心に置いておけば、いくらでも育児の知識や育児の仕方は備わってくるものなのである。母性愛を信じ、母性愛を心の中から溢れ出してしまった方が、育児は巧く行くものなのだ。

 育児書のもう一つの危険な側面は、育児書は医者が書いた医学書でもあるということだ。医者は病気を治す者として、育児を病気の観点から見てしまうのだ。そのため、どうしてもマイナスの波動が伝わってきてしまうのだ。なぜなら育児は病気ではないからだ。育児は健康だからこそできるものだからだ。

 育児をしている母親たちはいくらでも過ちを犯してくるものだ。しかし、その欠点を指摘して、育児が上達することは、絶対に有り得ないのだ。寧ろ、育児をしている母親たちの優れた箇所を褒めて、それを伸ばしてしまった方が、育児は上達していくものなのだ。医者は自分の仕事柄、マイナスを治せば良くなると思い込んでしまうものだ。しかし、母親のマイナスを指摘し治しても、その母親は育児が上達しないのだ。また再び似たような失敗を仕出かしてくるのである。だからこそ、育児書を読んでいると、知らず知らずのうちに、失敗を繰り返してしまうようになってしまうのだ。

●運気が落ちれば、ストレスはマイナス方向に作動してくる

 「夫婦喧嘩」「新聞」「育児書」のこれら3つに共通するのは、すべて「マイナスの波動」だということだ。育児をしていて、育児ストレスが発生した場合、そのマイナスの波動のために、マイナス方向により増幅してしまい、そのために育児ストレスが増大してしまうのだ。通常なら自分で制御できる筈の育児ストレスでも、マイナスの波動がある所では、それを処理しきれなくなってしまうのだ。

 波動にはきちんとした法則があるのだ。

「①同じ波動は似たような波動を招く」

「②波動は時間と共に増幅していく」

「③波動は善悪を問わず現実化してくる」

 という3つの法則から成り立っている。

 育児でストレスは発生してくるものだ。しかし、その育児ストレスのすべれがマイナスではないのだ。育児ストレスがあるからこそ、母親はポジティブになって育児に取り組めるのだ。これはプラスの育児ストレスだ。しかし、育児をしている母親が育児をナガティブに思ってしまうと、育児ストレスは一気にマイナス方向へと作動し、そういう時に限って、夫婦喧嘩をしてしまったり、新聞で育児にマイナスな記事を見つけてしまったり、育児書を読んでノイローゼになってしまうのだ。これが「同じ波動は似たような波動を招く」という現象なのだ。

 そして、マイナスの育児ストレスは時間の経過と共に増幅していく。育児でトラブルを抱えたら、更に大きなトラブルを起こしてしまう。夫婦関係は更に悪化し、新聞では育児をしているというのに殺人事件の記事に目が行くようになり、育児書に従って正しい育児をしようとすればするほど、育児で失敗が続いてしまうのだ。

 トドメが、その波動が善悪を問わず現実化してくるということだ。この善悪を問わずというのが恐ろしいのだ。自分の心身にマイナスの波動を溜め込んでしまうと、育児に於いても、夫婦関係に於いても、夫の仕事に於いても、自分が欲していないのに、最悪の事態が訪れてくるのである。

 育児をしている多くの母親たちが、神社に参拝したり、宗教団体の活動に参加したりするのは、自分の運気がマイナス方向に作動させないようにするためなのである。「波動の法則」を正確に知っているわけではないが、生きてきた中で、なんとなく理解しているのである。自分の運気が落ちれば、育児ストレスはマイナス方向に作動してしまい、危険な方向へと持っていかれてしまうからだ。宗教が持つマイナスをプラスに転化する力を使って、自分の運気を上げていくのである。

 育児をしていれば、育児ストレスが発生する以上、それをマイナス方向へと持っていかれないようにすることだ。まずは夫婦仲を良くし、新聞を読むのをやめ、育児書に頼らないことだ。これらを心掛けるだけでも、育児ストレスはマイナス方向に作動しなくなり、或る程度の緊張感を保ちながら、楽しい育児ができるようになるのである。

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「産後の涙脆さ」と「育児ストレス」の意外な関係

●涙脆さは母性ホルモンの影響

 出産してから、急に涙脆くなったことはないだろうか? ちょっとしたことですぐに泣いてしまい、それどころか赤ちゃんに絵本を読んで聞かせるだけでも涙を流してしまうのだ。出産してから涙脆くなるのは、正常な反応だといっていい。女性はただでさえ男性よりも涙脆いのだが、出産によって母性ホルモンが出始めると、母性ホルモンと女性ホルモンとの間で何かしらの化学反応が起こり、それによって涙脆くなるのだ。

 新米ママの中でも美人な女性ほど涙脆くなる。美人はただでさえ女性ホルモンの量が多いために、母性ホルモンの影響を直撃しやすくなり、それによって有り得ないような涙脆さになってしまうのだ。涙脆くなることは、決して病気になったわけでも、自分の気が弱くなったわけでもなく、寧ろ、健康な証なので、決して悩まないことだ。

 ただ、気をつけるべきことは、女性ホルモンの分泌量が以前から多い女性は、女性ホルモンの影響によって美しくなれる効果を得られるのだが、その反面、副作用として「冷え性」に悩まされてしまうのだ。それが母性ホルモンの分泌によって緩和されるのだが、それでも冷え性だというのであるならば、まだまだ母性ホルモンの分泌量が不足しているので、体を温めることをしておくことだ。

 というのは、体が冷えていると、涙が出て来た場合、号泣に近い涙の流し方をしてしまい、涙を流すのが止まらなくなってしまうのだ。体が冷えているために、体が不要な水分を涙として出すという作業をついでに行ってくるのだ。それゆえ、スポーツで体を動かしたり、入浴時間を長くしたり、生姜湯を飲んで体を温めることをしておいた方がいい。

 この涙脆さは、女性ホルモンの分泌量が下がってくる時まで続く。大体、40代後半から50代後半までの間に女性ホルモンの分泌量が下がるので、それ以降は涙脆さは急激に解消される。涙脆さが収まる頃には、今度は更年期障害が出て来る可能性があるので、この時期には女性ホルモンを整える「ヨモギ茶」を必ず飲んでおくことだ。涙脆い女性は女性ホルモンの分泌量が多いので、更年期障害が非常に出やすいのだ。

●育児ストレスが解消される

 この涙脆さは、ただ単に涙を流しているだけではないのだ。涙を流すと、育児ストレスが解消されるのだ。女性の体は赤ちゃんを産み育てるように作られているので、その育児の過程で育児ストレスが発生することは、体の方も予定しているのだ。そのために、産後、母親を涙脆くさせることによって、涙を流せば、育児ストレスが解消できるようにしてあるのだ。

 事実、新米ママが涙を流した後は、育児ストレスは吹き飛んでしまい、笑顔になっているのだ。涙を流している時はさすがに悲しくなってしまうが、涙を流し終わった後は、晴々しい気持ちになっているのだ。そうなれば、再び育児に取り組む意欲が湧いてきて、赤ちゃんにきちんとした育児を行えるようになるのだ。

 このため、涙は流せるものなら、流しておいた方がいい。涙を流せば流すほど、育児ストレスは解消されていくからだ。涙を流す回数が少なければ、当然に育児ストレスを溜め込み易いことになってしまうのだ。育児をしていれば、別に本当に悲しいことがあるわけでもなく、涙が出て来てしまうので、そういう時は感情に任せて泣いてしまうことだ。泣けば育児ストレスは吹き飛んでいってしまうからだ。

 ただ、要注意なのは、夫のことであり、夫は男性である以上、涙脆くないし、男が涙を流すことは恥とする道徳下で育ってきているので、妻が涙を流してしまうと、本当に驚いてしまうのだ。そのため、夫が要らぬ心配をしてくることがあるので、妻の方から、「女性は赤ちゃんを産むとホルモンの関係上、涙脆くなる」ということを伝えておくべきだろう。育児をしている身にとっては、要らぬ心配は本当に厄介なものだからだ。「それをするなら育児を手伝って!」といいたくなるくらいだ。

 新米ママが涙脆くなったとしても、別に育児に支障はない。赤ちゃんは母親が涙を流していても、別になんとも思っていないものだ。言葉が喋れるようになれば、「大丈夫?」と心配をかけてくるくらいで、赤ちゃんの成長に何かしらの影響を与えるということはしない。敢えて問題を指摘するなら、涙脆くなってしまったために、絵本を最後まで読み聞かせることができなくなってしまうことぐらいだろうか? 

●視力が良くなる

 育児をしていると、赤ちゃんと毎日接しているために、視点が赤ちゃんにだけ集中してしまい、その内に小さい筈の赤ちゃんが非常に大きく見えるようになってしまうのだ。事実、新米ママと赤ちゃんを一緒に写真を撮らせると、赤ちゃんの小ささに、新米ママの方が驚いてしまうという事態になってしまうのだ。赤ちゃんと日々接していたために、目の錯覚が起こり、赤ちゃんの体が大きく見えてしまっているのだ。

 この目の錯覚を放置しておくと、新米ママは近視に成り易く成ってしまうのだ。近くの物ばかり見ていると、視点が近くの物だけにしか合わせられなくなって近視になると同じように、赤ちゃんだけを見ていると、視点が近くの赤ちゃんだけにしか合わせられなくなってしまい、近視になってしまうのだ。事実、赤ちゃんを産んでから、視力が落ちてしまったと嘆く新米ママも存在しているものなのだ。

 この近視防止にも涙脆さは一役買うのだ。涙を流すことで、赤ちゃんを見続けていた目の緊張がほぐれ、近視に陥るのを防いでくれるのだ。これは涙脆い母親たちに近視の母親たちがいないということでも、この効果の凄さを知ることができる。当然、育児をしているのに、涙を流さないと、目が緊張し続けてしまい、近視になってしまうのだ。

 育児をしている際に、可能な限りテレビを見るのを控えたのがいいのは、近視防止のためでもあるのだ。ただでさえ、日中、赤ちゃんを見続けて、目が緊張しまくっているというのに、更にテレビを見て、目を緊張させてしまえば、近視になっていくのは、当然のことだからだ。眼鏡をかげながら育児をしている母親たちがいるものだが、いかにも眼鏡をかけているのが不便そうだし、眼鏡をかけていない母親たちよりも、行動が非常に鈍いのだ。

 近視になるには、「ビタミン不足」や、「蛍光灯」や、「遠くを見ない習慣」とかいったものもあるので、育児をしている際は、果物や野菜や植物油を多く食べるべきだし、家の中の照明を白熱灯に切り替えるべきだし、一日に少しの時間だけ遠くを眺めて、目の緊張をほぐしてあげることだ。

 また、育児をしていると、赤ちゃんが小さいために、猫背に成り易いのだ。この猫背を続けていると、非常に高い確率で近視になるので、猫背にならないように気をつけておくべきだ。常に胸を張る習慣を持つことだ。胸を張って生活していると、酸素を大量に吸い込めるようになるので、精神的な疲労や肉体的な疲労が激減するのである。当然に近視にもならなくなるのだ。

●要注意は不幸話が好きになってしまうこと

 この涙脆さは母親にとって有益なことも多々あるのだが、涙脆さの欠点というもの存在している。それは涙脆さのゆえに、「不幸話好き」になってしまうことだ。産後の涙脆さは、別に悲しいことがあったから涙を流すわけではなく、勝手に胸が高まってしまい涙を流すだけなのに、人間の脳は「涙を流すことは悲しいことがったから」と思い込んでいるので、涙を流している母親の方は、無意識の内に悲しい話を求めてしまうのだ。

 一番解り易いのが、育児をしている母親たち同士での会話だ。通常は育児に関連する話をしているのに、その中で誰かが不幸話をし始めると、一気に有り得ないような不幸話に発展していくのだ。多くの母親たちは、この話の輪の中に入っているからこそ、その異常な話の展開に気付かないだけであって、傍から見ると、これは異常極まりない展開にしか見えないものなのだ。

 不幸話を聞いて、みんなで涙を流すということまでなら、まだ理解できるが、自分のママ友に何かしらの不幸があったのに、それを微笑みを浮かべながら話してくるようになると、これはもう人間として問題がある。ママ友の赤ちゃんに病気が発症し、それで苦しんでいるというのに、なんの同情もせず、それをネタに不幸話で盛り上がってしまうのだ。こんなことをしていたら、当然に友情にヒビが入るし、この感覚をママ友以外の場所でしてしまったら、「あの女は一体何を考えているんだ!」と怒鳴られ、人間関係を展開していく上で、非常に問題が出て来てしまうのだ。

①ポジティブな会話を心掛ける

 こういう弊害が起こらないためにも、涙脆くなったら、ポジティブな会話を心掛けることだ。ネガティブな内容の話は可能な限り避け、会話が楽しい形で盛り上がるように仕向けていくことだ。もしも話題が深刻に成り始めたら、ユーモアを言って場をなごませることをすることだ。

②不幸な情報ばかりを収集しようとしない

 この世の中は、一方的に不幸になることはないのだ。例えば、児童虐待が話題に上っても、実際に児童虐待を行っている母親はごく僅かであり、殆どの母親たちは児童虐待とは無縁の生活を送っているのだ。それなのに、児童虐待の情報ばかりを集めて、頭の中を真っ暗にしてしまわないことだ。

 特に、フェミニストたちのように、これだけ女性たちが社会に進出しているのに、「女性は差別されている!」と思い込んで、女性が差別されている情報だけを集めてくる連中には要注意だ。その情報だけを見てしまえば、女性は差別され悲惨な状況にあると、思い込んでしまうからだ。しかし、女性がこれだけ社会に出て働いていれば、それ相応の影も生じてくるものなのだ。その影は必要な影であるのだ。もしも、フェミニストたちに唆されて、女性が差別されていると思い込んでしまったなら、最早、日本の大学進学率は男性よりも女性の方が多いし、日本に「女子大学」があっても「男子大学」がないという事実を知っておくことだ。この事実を知るだけでも、女性が差別されているという意見は間違ったものだと解る筈だ。

 また、余りにも不幸話が好きなママ友とは意図的に疎遠にさせることだ。ママ友の中には、「歩くホラー映画」ではないかと思うくらいに、不幸な話が大好きな女性がいるものなのである。そのママ友から出て来る話は、すべてネガティブな話なので、聞いている方が落ち込んでしまい、ネガティブモードになってしまうのだ。

③悲劇のヒロインになろうとはしないこと

 涙脆さで最も危険なのが、自分が悲劇のヒロインになろうとしてくることなのである。涙を流す余りに、「こんなに大変な思いをして育児をしている自分は不幸だ!」と思い込んでしまい、その思いが赤ちゃんに伝わって、赤ちゃんが病気をしてしまい、赤ちゃんの看病をすることで、自分を悲劇のヒロインに仕立てあげるのである。

 この看病が異常なのは、母親の方に赤ちゃんを治そうとする気配が全く見られないことなのだ。これはまともに医療に携わっている者なら、簡単に見抜けてしまうものなのである。こういう場合は、投薬や手術は一切不要である。母親のその腐った考え方を除去してあげれば、簡単に赤ちゃんは病気が治ってしまうからだ。人間の気というのは、赤ちゃんを病気にするほどの強い威力を持つものなのである。

 更にこの事態が悪化すると、我が子を病死のように見せかけて殺してしまい、周囲の人々から同情を買い、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるのだ。この手の殺人事件は確実に起こってくるものなのだ。それゆえ、育児をしている母親を手放しで放置していおかないことである。育児をしているからこそ、母親の方が精神を向上させていく努力を怠らないことである。

 産後の涙脆さは、母親のストレス解消や視力向上といったプラスの面があると同時に、母親の心をネガティブモードにさせてしまうマイナスの面もあるのだ。育児をしている最中、いくら涙を流しても、ストレス解消や視力向上といったプラスの面を利用すべきであって、自分の心をネガティブモードにしてしまわないことだ。育児で楽しいことなど、いくらでもあるのだから。

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自分を変えない母親たちの自己破滅的弁証法

●自己義認説

 育児に失敗しまくり困りきっている母親たちは、意外にも、いくら育児で失敗しても、自分は絶対に正しいのだと思い込んでいるのだ。人間は不完全な存在なのだという事実を受け入れ、過ちを犯したのなら、その過ちを認めて、それに対して改善策を施してけば、人間は成長していくことができる。しかし、自分が完全だと思い込み、過ちを犯しても、それを認めないのであるならば、いかなる改善策をも打てるわけがないのだ。

 「自分が絶対に正しい」という非常に危険な考え方を、「自己義認説」という。自分で自分を正しいと認めてしまう考え方なので、自己完結してしまっているので、他人の意見など聞く耳を持たないし、いくら失敗を仕出かしたとしても、その失敗がそのまま放置され、なんの改善策も施されることはないのだ。

 なぜ、この危険な自己義認説に多くの母親たちが取りつかれてしまうかといえば、それは「新聞による自己洗脳」がその原因として考えられる。普通、有能なビジネスマンにとって、新聞は熟読すべき媒体ではなく、自分に必要な情報を手っ取り早く収集するための道具であって、流し読みをするものなのである。多くの経営コンサルタントたちは、「新聞は5分以内で読め。できれば新聞を読むより見るようにしろ」と忠告する。こういう新聞の読み方をしなければ、新聞を読むだけで時間を食われてしまい、しかも、不要な情報で頭の中を一杯にしてしまい、ビジネスでなんの役にも立たなくなってしまうからだ。

 ところが、碌な仕事をしてこない低能な庶民というのは、一般紙をまるで聖書を読むかのように熟読しているのだ。そのため、一般紙が持っている非常に危険なものを、そのまま自分の中に取り入れてしまうのだ。それが「社説」だ。社説を科学的に分析してみると、「我が新聞社は正しい。政治を始めとする世の中が間違っている」という自己義認説に立脚した言論を展開しているにすぎないのだ。この自己義認説に基づく社説を毎日熟読していれば、読者の方も自己義認説に洗脳されるのは、時間の問題なのだ。

 だから、意外にも一般紙を読んで、社会のことを知っているはずの母親たちの方が、自己義認説に取りつかれてしまい、育児では失敗をしまくり、夫婦関係でも揉め事が絶えなくなってしまうのだ。自分は絶対に正しいと思い込んでいる人に、いくら忠告しても無駄だし、逆に相手に対して罵詈雑言が浴びせる結果になってしまうのである。だからこそ、育児でのトラブルが延々と続いてしまうのである。

●自己肯定から自己否定へ

 自己義認説というのは、プロテスタンティズムが立脚した「信仰義認説」の亜流だといってものだ。プロテスタンティズムでは信仰するからこそ、義と認められ、それゆは自分は正しい存在になれるという立場に立つが、自己義認説では、自分が正しいから、義と認められ、それゆえ自分は正しい存在なのだという、いわば同義反復であり、この考え自体が間違っているものなのである。

 いかなる既婚女性も、最初から自分が間違っているだなんと思うことはないだろう。結婚した時は、自分は正しい選択をしたと思うからこそ、結婚するわけだし、出産しても、自分は正しい育児をしているかと思うからこそ、育児に励むものなのである。ところが、そうやって自己肯定を繰り返していると、自分のもとに様々な失敗が襲いかかってきてしまうのである。結婚でもトラブル続きになり、育児でもトラブル続きになってしまうのだ。

 トラブルが起こるのは、相手が悪いのだから、自分は悪くないと思っていると、最早、自己肯定を支えられるだけのエネルギーはなくなり、今度は一転して自己否定に陥ってしまうのだ。結婚に関しては、既婚女性であること自体をやめてしまい、壮絶な暴力を伴う夫婦喧嘩になるし、家庭内別居になってしまったり、離婚してしまう結果になってしまうのである。育児に関しては、いい母親であることをやめてしまい、グータラ化して、出鱈目な育児を施し、挙句の果てには児童虐待へと走っていくのである。

 自己肯定は自己否定へと転化する。これこそが、自己義認説が持つ非常に危険な悪魔のプログラムなのだ。自己破滅的弁証法こそ、自己義認説の内部に内蔵されているものなのである。この自己義認説に立脚する「社会主義」は、プロレタリアートは正しく、ブルジョアジーは間違っている、という思考を展開してくる。この社会主義は貧乏人にとっては福音であるはずなのに、実際に社会主義を実施してみると、社会主義国家は逆に貧乏人たちを大量虐殺していかざるをえなくなってしまうのだ。ソ連でも、中国でも、北朝鮮でも、これはどこの国でも結果は同じだ。自分は正しいと思い込んでいる人々が、共産党に楯ついてくるのなら、双方でまともな議論など見込めるはずもなく、共産党が反対する勢力を皆殺しにすることでしか、解決策を導き出せないものなのだ。

 既婚女性が自己義認説に立脚してしまえば、結婚も育児も破滅的展開をしてしまうのは、当然の結果なのだ。いくら熱愛をして結婚したとしても、結婚がいきなり巧くいくわけがないのだ。結婚生活を運営していく思考や技術というものが、全く持っていないからだ。いくら可愛い赤ちゃんがいるから育児を一生懸命に励んでも、育児がいきなり巧くいくわけがないのだ。育児を行っていくために必要な思考や技術を、全く持っていないからだ。自分が正しいと思い込んでも、失敗するのは、当然なのだ。

●自己否定から自己肯定へ

 結婚をしていれば、些細なことで夫婦喧嘩になってしまい、「私って駄目な妻だな」と落ち込むことは当たり前のことなのだ。育児をしていれば、育児の失敗の連続で、「私って母親失格だ」と思い込んでしまうのは、当たり前のことなのだ。「いい妻」「いい母親」と思っていた自分が、結婚や育児の過程の中で崩れ落ちてしまい、「悪妻愚母」である自分を認識してしまうのだ。

 そうやって自己否定すると、それ以上の後退はなくなってしまうのだ。なぜなら、自分が悪い妻であることを認めたら、逆に悪いことをしなくなり、夫婦仲を良くしようという選択肢を選び始めるようになるし、自分が愚かな母親であることを認めたら、逆に愚かなことをしなくなり、ちゃんとした育児をしようと仕出すものなのだ。

 そういう妻や母親は、第三者の目から見れば、「良妻賢母」として認められるものなのである。本人が良妻賢母になろうとして良妻賢母になったのではなく、自己否定を行ったからこそ、新たなる自分が再肯定され、「良妻賢母」の状態へと成長していったのである。自分がそのままの状態であるなら、決して良妻賢母の地位には辿り着けないのである。

 自分を悔い改めることはなぜ必要かといえば、それは自分を成長させてくれるからなのである。夫婦の間でトラブルが発生したのなら、「夫が悪い!」と糾弾するのではなく、妻である自分に何か落ち度がなかったかと自己審査することだ。育児でトラブルが発生したのなら、「赤ちゃんが悪い!」と糾弾するのではなく、母親である自分に何か落ち度がなかったかと自己審査することだ。

 こういう自己審査をしていけば、堂々とはしていないし、自分を責め続けてしまうものだ。そんな生き方よりも、自己義認説に立脚している女性の方が、余程、堂々としているし、自分が過ちを犯しても、自分を責めることはないから、立派に見えてしまうものだ。しかし、自己義認説に立脚すれば、その人は全く成長していないのだ。自分が悔い改め、自己審査をし続けた女性の方が、あっという間に成長してしまい、妻としても、母親としてもタフになり、幸せな家庭を築き上げてしまっているものなのである。

●自分を変えることの重要性

 人間は変わっていく生き物なのだ。変わることで成長していくのである。結婚をしたのなら、育児をしているのなら、自分を変えることの重要性を絶対に忘れないことだ。自分が変われば、結婚での問題は激減していく。自分が変われば、育児での問題は激減していく。これが結婚や育児における真実なのである。

 マスコミにおいては、結婚や育児に関して、いい情報というものは、殆ど流れてこないものだ。新聞やテレビでは、結婚に関する情報といえば、「ドメスティックバイオレンス」であり「離婚」だし、育児に関する情報といえば、「育児放棄」や「児童虐待」である。マスコミで働いている女性たちは、既婚女性が圧倒的に少なく、結婚を拒否している独身女性が圧倒的に多いために、どうしても結婚や育児に関して、悪い情報だけを流してくるのだ。

 それゆえ、マスコミの情報ばかりに頼っていると、幸せな結婚の仕方や、幸せない育児の仕方の情報が手に入らなくなってしまうのだ。幸せな結婚をする妻たちや、幸せな育児をしている母親たちは、必ず自己義認説を捨て、自己否定をして、新たな自分を肯定するという過程を経てくるものなのである。それをしなければ、夫婦間にドメステイックバイオレンスが起こるものだし、育児をしながら育児放棄や児童虐待が起こってしまうものなのだ。そういう既婚女性たちに「DVシェルター」を作ったりしても無駄なのだ。そういう状況に持って行ったことに関しては、夫だけではなく、その妻にも相当な責任があるからだ。

 幸せな人生を歩みたいのなら、自分の存在を柔軟にしておくことだ。自分は不完全であると素直に認めることだ。新婚生活を送っているなら、その妻は妻としては新人なのだ。新人の妻が妻として完璧であるわけがないのだ。最初の赤ちゃんを産んだのなら、その母親は母親としては新人なのだ。新人の母親が母親として完璧な育児を施せるわけがないのだ。

 結婚していれば、妻としての自信を喪失してしまうことは起こってくるものだ。育児をしていれば、母親としての自信を喪失してしまうことは起こってくるものだ。そうやって自己否定をすることで、新たな自分が肯定されていくのである。自分の過ちを認めることは、きついものだ。しかし、自分の過ちを認めてしまえば、同じ過ちを繰り返すことがなくなり、自分が着実に成長しているものなのである。成長した自分なら、過去の過ちも笑い飛ばすことができるものなのである。そうやって、妻として、母親として、成長していくのである。

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育児で迷ったら、育児の原点に帰れ! ~赤ちゃんを育てる大原則~

●母親として学ぶべきものは学んでおく

 育児ストレスで一杯になり、育児で失敗ばかりしてしまうと、「私って母親失格だ」と思い込んでしまい、更に落ち込んでしまうものだ。赤ちゃんの居る前で泣き崩れてしまったり、自信を喪失して茫然としてしまうのだ。育児で袋小路に入ってしまった時は、育児の原点に返るべきなのだ。そのまま育児を続けていても、更に失敗を重ねるだけなのだ。

 育児の原点、それは「いくら育児で失敗したとしても、母親であるということには変わりがない」ということだ。母親は赤ちゃんを産んだ時点で母親なのであり、その後、いくら育児で失敗を重ねても、母親の地位を奪われることはないのだ。だから、どんなに育児で失敗しようとも、「自分は母親失格」だなんて決して思わないことだ。

 だから、「母親教育」とかいう言葉は非常に危険な要素を孕んでいるのだ。確かに母親として最低限の育児の仕方を教えて貰うという面では有難いが、母親教育は教育によって母親が誕生させることができるという錯覚を抱く女性たちが出て来てしまうことだ。育児で絶対にやってはならないのが、「母親になる努力をするな」ということなのである。女性がいくら母親になろうとする努力をしても、母親になれるものではないからだ。

 保育士たちに「保育」の仕方を教えることはできても、「育児」の仕方を教えることはできないのだ。保育と育児はまるで違うものなのである。保育は赤の他人でもできる行為なのだが、育児はその赤ちゃんの母親でなければできない行為なのだ。いくら保育が巧い保育士でも、実際に自分が結婚して出産してみれば、育児というものが保育とは全く別の物だということに気づき、衝撃を受けるはずだ。

 母親は赤ちゃんが生まれた時から母親なのだ。「母親になる努力をする」のではなく、「母親である地位から努力しろ」ということなのだ。育児をしながら、自分を母親に育てていこうと悠長に構えているからこそ、育児ストレスで一杯になってしまい、育児で失敗が連続してしまうのである。そうなのではなく、母親である地位から、育児の仕方を学んでいくことなのである。

 育児の仕方というのは、母親になってしまえば、自然と学べるものなのだ。自分でやってみてどうしても解らないことは、実母に聞くとか、姑に聞くとか、先輩ママたちに聞いてみることだ。その上で、育児の実践録や、育児の研究書などを読んで、自分で調べてみることだ。そうやって、母親として学ぶべきものは学んでしまうことだ。

●本気で育児をする

 育児をしているというのに、本気で育児をしていなければ、赤ちゃんの些細な行動に対しても育児ストレスを感じてしまい、育児をするどころか、赤ちゃんに怒鳴り散らしてしまうことだろう。雑念ほど、自分のエネルギーを奪うものはないのだ。今まで仕事で頑張ってきた女性なら、育児をすれば周囲から遅れてしまうと焦ってしまうことだろう。夫婦仲が悪化している女性なら、育児をしても本腰が入ることはないであろう。

 本気で育児をする。これこそ育児の中で本当に難しいものであり、その既婚女性が本当に母親になっていないと、これができないのだ。何事も本気で取り組まなければ、失敗を連発してしまうものだ。育児に本気にならず注意力が散漫になっているからこそ、母親としてやるべきことが、全く解っていないのだ。

 育児を本気で取り組んでいたら、育児の仕方が解ってくるし、育児の喜びも解ってくるものだ。たとえ育児で失敗したとしても、その改善策を見つけ出し、巧くリカバーしていけるものなのだ。育児を本気になって取り組めば、今まで自分を苦しめていた育児ストレスが、今度は一転して自分にいい緊張感をもたらしてくれる有難い存在に変わってしまうのだ。

 育児を本気になって取り組んでいない母親たちは、とにかく育児のすべての場面で誤魔化しを連発しまくるものだ。最初は赤ちゃんの抱き方すら解らないものなのだ。本気になって育児をしていれば、赤ちゃんがリラックスできる抱き方をみつけたり、余所の人から最適な抱き方を教えて貰うことができるのだ。

 「育児の現場では正直でいろ。絶対に誤魔化すな」というのは、大事なスローガンなのだ。誤魔化してしまえば、その場を表面的に取り繕うことはできても、母親としてなんの進歩もしていないのだ。育児で失敗したとしても、誰かに怒られるわけではないのだ。誰かから減点され、落第点を渡されるわけでもないのだ。正直というのは、育児において非常に大事な徳目なのである。正直にしていると、育児の仕方の上達が非常に早くなるものなのだ。

●赤ちゃんの成長を見守るということ

 育児をしていれば、赤ちゃんに対して手を出さなければならない所には、絶対に手を出さなければならない。しかし、いたずらに手を出し過ぎるなということなのである。例えば、赤ちゃんが一人立ちしようとしている時に、母親が手を出してしまい、無理矢理に立たせても、それは赤ちゃんの成長を奪っていることになるのだ。

 育児の中では、母親が自分を抑えて、赤ちゃんの成長を見守るということも大事なのだ。手出しをしなくてもいいことに関しては、グッと堪えて手出しをしないことなのだ。成長を見守るということも大事な育児の仕方なのだ。赤ちゃんは母親からきちんとした育児を受けていれば、スクスクと成長してくるので、赤ちゃんの方にも自分でできることがたくさん出て来るものなのだ。

 要は、育児の中で、赤ちゃんの自発性を奪うなということなのである。育児ストレスで一杯になってしまう新米ママは、育児で手を出し過ぎなのだ。そんなに手を出していたら、自分だってエネルギーを大いに消耗してしまうし、赤ちゃんは自発的に行動できなくなってしまうのだ。新米ママが不必要な手出しをやめたら、赤ちゃんは自発的に行動してくるものなのだ。

 ただ勘違いしてはならないのが、赤ちゃんに自立を求めてはならないということだ。大の大人であったとしても、精神的に自立できていない人はいるものなのだ。そういう人は赤ちゃんに対しても自立を求めるような言動をしてくるのだ。赤ちゃんは両親に従属する存在であって、従属しているからこそ、自発的に動けるようになるのだ。赤ちゃんには自立など要らないのだ。人間に自立が始まるのは、小学校を卒業してからである。まだまだ先にことなのだ。

 赤ちゃんを3人以上産めば、育児での手出しと赤ちゃんの自発性の塩梅を巧く見つけ出すことができることだろう。最初の赤ちゃんでは、どうしても赤ちゃんに手出しをしすぎてしまうものなのだ。最初の育児の際は、母子二人っきりになってしまうのではなく、より多くのママ友と接して、自分が暴走してしまわないようにしておくことだ。

●真面目に成り過ぎる育児よりも、赤ちゃんへの愛情と触れ合い

 最初の育児ではどうしても神経質になりがちなものだ。真面目に育児に取り組んでいるのが、傍から見れば真面目に成り過ぎてしまい、肩に力が入り過ぎてしまい、異様にぎこちない育児をしてしまうこともあるのだ。そうなれば、育児ストレスは発生しまくるし、育児で失敗をいくらでもやらかしてしまうものだ。

 しかも、育児で真面目に成り過ぎれば、他人の意見など聞く耳を持たぬから、その育児トラブルで最善の解決法を教えられたにも拘わらず、無視してしまうのだ。逆に保健師や医者の意見を鵜呑みにしてしまい、母親なら当然に気付くであろう過ちにも気付けなくなってしまうのだ。

 母親よりも育児に携わっていない夫であったとしても、妻が異常になっている時は、まともなことを言っていることもあるのだ。また、保健師や医者であったとしても、育児に関しては間違ったこと言ってくることもあるのだ。育児をしている際、夫の意見をすべて否定してしまうようであるなら、自分はおかしいのではないかと、敢えて自分を疑ってみることだ。保健師や医者の意見を鵜呑みして、しかもその意見を実行したのに、更に状況が悪化した場合、敢えて保健師や医者の意見を疑ってみることだ。疑ってみると、自分の異常さに気付くものなのだ。

 育児で真面目になることは確かに大事である。しかし、真面目に成り過ぎれば、育児から面白みが消えてしまうものなのだ。育児で真面目に成り過ぎるよりも、赤ちゃんへの愛情と触れ合いこそが大事なのだ。赤ちゃんにちゃんとした愛情を持ち、赤ちゃんと触れ合っていれば、自分が母親として暴走するということはなくなるのだ。

 育児には育児の喜びがあるけど、育児をしていて苦しいこともあるのだ。育児で苦しみばかり感じているのなら、育児の原点に帰り、出産した時の喜びを思い返すことだ。出産時の喜びがあれば、育児における苦しい場面も乗り切れるはずだ。育児で苦しい場面が続き過ぎるようであるなら、赤ちゃんを育てる大原則を母親自身が忘れているものなのだ。自分勝手に育児をするのではなく、育児の原理原則に忠実になることだ。そうすれば、育児の苦しみなどすべて消滅していくことになるであろう。

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人間の不幸の原因は「我執」である ~結婚も育児も我執を取り除けば、全部巧く行く~

●人間が不幸になるのは、我儘だからである

 育児で失敗ばかりし、育児ストレスで一杯になってしまう新米ママは、要は「我儘」なのである。我儘だからこそ、母親として何をしたらいいかが解らず、育児がスムーズに行かず、赤ちゃんが泣きわめいてしまう結果になってしまうのだ。育児ストレスで一杯になっている新米ママは、夫婦仲も巧く行っていないはずだ。我儘だからこそ、妻としてやるべきことをやらず、夫を怒らすだけになってしまうのだ。

 人間が不幸になるのは、我儘だからである。自分が変化し成長していくことよりも、自分の我儘な欲望を優先させてしまい、変えるべきと所を変えていないし、成長すべき所が成長していないのだ。人間が我儘を優先させていたら、必ず人生に失敗する。いかに自分の我儘な欲望を抑えて、より良い自分を作り出していくという大きな欲望に目覚めないと、いつまで経っても変わらず、成長することができなくなってしまうのだ。

 自分の人生を成功させたいのなら、自分の人生を幸福に満ちたものにしたいのなら、若い時に「自由」や「平等」を唱えて勝手気儘に暮らすのではなく、個人の自由や平等を否定して、成功している人たちの「型」を学び取ってしまうことだ。自由や平等よりも、「型に嵌る」ということこそが、実は成功への最短の近道なのだ。

 もしも、結婚したのなら、自分が結婚に対して我儘な欲望を抱くよりも、幸せな家庭を築いている既婚女性を手本とし、そこから学んでしまった方が、簡単に幸せな家庭を築くことができるのだ。もしも、出産したのなら、自分が育児に対して我儘な欲望を抱くよりも、既に育児を成功させている先輩ママを手本とし、そこから学んでしまった方が、簡単に育児を成功させることができるのだ。

 学問をするにも、成功する型があり、スポーツをするにも、成功する型があるのだ。それを見つけ出すことこそが、重要な努力であり、その型を見つけ出したからこそ、最小限の努力で成功することができるのだ。結婚でも、育児でも、このことは全く変わらないのだ。「成功する型」を見つけ出して、それを自分に実践させれば、どんな無能な女性でも、簡単に成功することができるのだ。

●我執は朝寝坊から始まる

 ところが、多くの既婚女性たちは、自分の我儘を抑えて、成功する型を学び取らず、逆に自分の我儘を暴走させてしまい、結婚も育児も不幸だらけにしてしまうのだ。結婚したのに、出産したのに、我執に囚われているのだ。結婚したら、未婚女性であった自分を捨てて、既婚女性として行動せねばならぬのに、出産したら、妊婦であった自分を捨てて、新米ママとして行動せねばならぬのに、未婚女性であることを引き摺り、妊婦であることを引き摺っているのだ。古い自分に囚われているからこそ、新しい自分に変わることができないのだ。

 この我執というのは、大抵、「朝寝坊」から始まる。古い自分にしがみつき、自分を変えていくことができない女性は、大抵、朝早く起きることができないのだ。人間の体は自律神経が正常に作動していれば、朝早く起きるようになっているのだ。どんなに夜更かしをしても、太陽が昇ってくる頃には目が覚めてしまうものなのだ。朝寝坊してしまうというのは、自律神経が異常になっている証拠なのだ。

 一時的な睡眠不足なら、一時的な朝寝坊しかしないものだ。不足した睡眠時間を補充できれば、早起きできるようになるのだ。「自分は低血圧で朝早く起きれない」とか言うのなら、早くに寝てしまえば、いかに低血圧の女性でも早起きはできるはずだ。低血圧を理由にして、夜更かしを続けているからこそ、いつも朝寝坊をしてしまうのだ。

 もしも、結婚して結婚生活にワクワクするものがあるなら、朝寝坊などしていられないはずだ。朝早く起きれば、それだけ楽しいことにたくさん出会えるからだ。もしも、出産して育児でドキドキするものがあるなら、朝寝坊などしていられないはずだ。朝早く起きれば、それだけ面白いことにたくさん出会えるからだ。結婚したのに、出産したのに、朝寝坊をしていることが、実は結婚にも育児にも喜びを見出せなくなった危険な兆候なのだ。

 自律神経を狂わせ、朝寝坊をし、育児ストレスで一杯に成ってしまう新米ママは、典型的な「天日塩」不足だ。いつも塩化ナトリウム99%以上の「化学塩」を取り続けたために、天日塩に含まれる微量なミネラル分が決定的に不足してしまい、そのために自律神経を狂わせ、朝寝坊になってしまうのだ。

 それゆえ、早起きをしたかったら、とにかく天日塩を摂取することだ。朝起きたら、白湯に天日塩を溶かして、天日塩湯を飲むことだ。それ以外にも、料理で少し強めに天日塩を使うことだ。こうすると、天日塩を大量に補給でき、自律神経が徐々に正常になっていくのだ。天日塩を大量に摂取すると、腎臓が機能を回復させてくるので、小便が大量に出るので、尿意を催したら、すぐに便所に行くことだ。小便の回数が多くなれば、体内の余分な水分が排出されるので、体重もかなり落ち、適正体重に戻るはずだ。

 また、どうしても夜に寝付くことができず、夜更かしをしてしまう新米ママは、日中に1時間程度ウォーキングをすることだ。恒常的な運動不足のために、睡魔が襲ってこないし、睡眠も浅くなってしまうのだ。太陽光に当たりながら、ウォーキングをして汗を流せば、夜になれば自然と睡魔が襲ってきて、熟睡できてしまうものなのだ。

 それと、就寝前30分間はテレビを見ないことだ。就寝前にテレビを見てしまうと、脳が覚醒してしまい、睡眠を非常に浅くしてしまい、いくら寝ても疲労が取れなくなってしまうのだ。特に育児をしている時は、育児に慣れなけば、新米ママの方が疲れてしまうものだ。そういう新米ママが就寝前にテレビを見ているようであれば、その日の疲労を翌日にまで持ち越してしまい、疲労が蓄積してしまい、それが朝寝坊という形になって現れてきてしまうのだ。だからこそ、就寝する30分前からテレビを消して、熟睡できるように持っていくべきなのである。

●我執を取り除くには便所掃除

 我執を取り除くのに、手っ取り早い方法がある。それは「便所掃除」である。便所掃除こそ、自分を苦しめている我執を簡単に取り除いてくれるのだ。育児ストレスで一杯になっている新米ママは、とにかく便所掃除というものをしない。いつも臭い便所に入って用を足しているからこそ、自分の自律神経を狂わし、我執に取りつかれてしまうのだ。

 便所という場所は、自宅の中で最も臭い場所だ。その臭い場所をきちんと掃除することができれば、自分を苦しめている我執など簡単に吹き飛んでいくものだ。便所掃除をして、便所の中の汚い物を洗い流し、便所が奇麗になったら、自分の心も汚い物が剥がれ落ち、心が奇麗になっていくものである。

 我執に取りつかれている場合、とにかく思い立ったら徹底的に便所掃除をしまくることだ。自分が勇気を出して便所掃除をすれば、今まで使っていた便所がいかに臭いかが解るはずだ。自律神経が狂うと、この便所の臭さすら気付かないなってしまうのだ。便器や便所の床や便所のドアなどすべてに掃除をしまくることだ。

 実を言うと、育児ストレスを抱え込むような新米ママの家の便所は、一度、便所掃除をやった所で、その悪臭を完全に取り去ることはできない。悪臭がこびりついているのだ。そこで、悪臭を消すために、「重曹」を便器に撒いて、数時間便所を使用しないようにすることだ。こうすると、悪臭が奇麗さっぱりと取れるのだ。

 便所は日々使うものなので、汚れていくものなのだ。だから、毎日掃除することだ。日常掃除としての便所掃除は、5分以内で終わる簡単なものでいいのだ。僅か5分の便所掃除で、便所は悪臭を放たなくなるのだ。但し、月に1度は本格的な便所掃除をして、便所を徹底的に掃除しておくことだ。

●夫は妻の鏡

 我執というものは、本当に恐ろしいものだ。結婚も育児も最悪のものに変えていってしまうからだ。新米ママが我執に取りつかれれば、赤ちゃんは泣き叫ぶことになる。赤ちゃんが泣きまくることで、母親にその異常を知らせているのだ。異常な育児を施されれば、未だ喋れない赤ちゃんでも、その異常さは解り、泣きまくることで、母親に変わってくれるように促しているのだ。

 妻の我執は夫の我儘な行動になって現れる。自分が我儘な行動をしているなら、夫も同じく我儘な行動を取ってくることだろう。いや、妻以上に我儘な行動を取ってくるのだ。夫は妻の鏡なのだ。妻が悪しき事をやっていれば、夫も悪しき事をやってくるのだ。夫婦喧嘩になった場合、とにかく妻の方が夫の事を非難しがちだ。そして、通常、妻の方が口が達者だから、妻の言い分の方が通ってしまいがちだ。

 しかし、そのような不毛な夫婦喧嘩をしたとしても、夫は悪しき行動を改めることはないし、性懲りもなく更にひどい悪事を仕出かし、そして今まで以上に激しい夫婦喧嘩をしてしまうのだ。夫が悪いといえば、確かに夫は悪いのである。だが、夫をそのような行動に走らせてしまったのは、妻の我執にこそ原因があるのである。

 夫婦喧嘩をなくし、夫婦仲を良くしたいのなら、妻の方が自分の我執を捨て去ることである。自分が我執を捨ててしまえば、嘘のように夫婦喧嘩がなくなり、夫婦仲は良くなり、夫婦の愛がより強くなって復活してくるはずだ。結婚したというのに、出産したというのに、古い自分のままでいたからこそ、結婚生活が荒んだものになってしまったのである。

 結婚というものは、表面的には夫を家長として君臨するからこそ成り立つものだが、実質的には妻が家庭内の権力を握り、家族の中心となって動かされていくものだ。だから、既婚男性が家庭でトラブルを抱えていたら、まともな仕事などできないのだ。家庭を安心して妻に任せられるからこそ、夫は仕事に全力を投球することができるのだ。もしも、夫が全力投球で仕事をしていたら、世の不況など関係なしに、仕事で成功し始め、収入は常にアップしていくものなのである。

 この世の夫婦というものは、夫を見ても妻の能力は解らないが、妻を見れば、その夫の能力は大体解るものだ。世の中には家柄は卑賎で、学歴も低く、風采も上がらないのに、なぜか高い能力を発揮して、出世してくる男性が居るものだ。そういう男性は判を押したように、家事や育児をきちんとこなす立派な妻が居るものなのである。妻の高い能力が、夫の能力を大いに引き伸ばして、発揮させたのである。

 自分の幸福というのものは、他人によって与えられるものではないのだ。他人から与えて貰った幸福など小さい幸福ばかりなのだ。本当の幸福は自分の手で作っていくものなのだ。幸福を作り出したいのであるならば、我執を捨て去ることだ。古い自分を捨てて、新しい自分を生み出すことができれば、自然とたくさんの幸福が作り出されていくのだ。

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育児の失敗スパイラルからの解放

●問題を解決しても、更なる問題が発生す

 育児をして、育児ストレスが溜まってしまうと、何をやらかしても育児が失敗しだして、所謂「失敗のスパイラル」に突入してしまう。自分の精神が育児ストレスで一杯になっているので、自分を冷静に見ることができず、自分のすべての行動が散漫になってしまい、そのために育児が失敗し出すのだ。

 育児をしている場合、何か問題が発生し、それを解決しても、更なる問題が発生してくるものだ。通常はそうやって育児をこなしていくものだが、育児ストレスを抱え込んでしまうと、今ある問題を解決していないのに、更なる問題が襲いかかってきて、問題だらけになってしまい、母親としての自信を喪失してしまうのだ。

 母親としての自信を喪失してしまうと、最早、育児などまともな形で成立することはなくなってしまう。「母親としての自信」というのが、育児において最終防衛ラインなのだ。ここだけは絶対に守り通さねばならぬのだ。新米ママなら、それほど強力な母親としての自信があるわけないのだ。育児ストレスがここまで浸食されると、一気に育児ノイローゼになってしまうものなのだ。

 育児というのは、その女性の性格がモロに出て来てしまうものだ。その女性が子供の頃から問題に対しては一つずつ取り組んでいくような女性であれば、育児において問題を悪化させることはないであろう。しかし、注意力が散漫で何をやらかしても中途半端であったり、逆に真面目すぎて教科書通りにやってきてしまうと、臨機応変に対応することができず、育児のような様々な能力が要求される仕事では、ギブアップしてしまうのだ。

 「母親の仕事なんて、誰でも簡単にできるだろう」と思い込んでいる女性は、育児の現場に直面すると、その仕事の量の多さにお手上げになってしまうのだ。この世には「専業主婦」なる職種の人々がなぜ存在しているのかすら、よく解っていないのだ。家事や育児を専業に遣らない限り、まともな家事も育児もできないのである。兼業主婦たちは、家事や育児をこなし、その上で仕事をしているわけだから、相当な能力の持ち主たちなのである。家事や育児の軽視が、実際に自分が家事や育児をやらねばならぬ時に、悲惨な形で襲いかかってきてしまうことになるのである。

●育児を根本的に苦しみと思うか、楽しいと思うか

 この世には、「育児って本当に面白い!」という母親たちと、「育児って大変!」と嘆く母親たちの、2種類が存在している。同じような育児をやっているのに、全く正反対の結論が出て来るとするなら、これは育児そのものに問題があるのではなく、その母親の人生哲学にこそ問題があるのだ。

 育児に喜びを見出せる母親たちは、「人生は基本的に楽しいもの」と思っているのだろう。勿論、人生には苦しいことだってやってくる。しかし、そういう現象的な苦楽が存在しても、基本的な部分では人生は楽しいと思っているのだ。所謂「人生常楽」というのが、人生哲学の根本に据えられているのだ。人生は常に楽しいと思っているからこそ、育児で苦しい場面が現れたとしても、そこから逃げ出すことなく、きちんと立ち向かって処理してしまい、「あの苦しみがあったから、今の楽しみがるんだ」と肯定的に捉えてしまうのである。

 しかし、育児に苦しみを見出してしまう母親たちは、「人生は基本的に苦しいもの」だと思っているのだろう。勿論、人生は楽しいことだってやってくるのだが、この手の母親たちは楽しいことがあっても、些細な欠点を見つけ出し、苦しみに変えてしまうのだ。いくら楽しいことが訪れても、苦しみにしか思えなくなってしまうのだ。所謂「一切皆苦」というのが、人生哲学の根本に置かれているのだ。

 だから、育児をいくらやらしても、「育児って大変だ!」と念仏の如く繰り返してくるのである。赤ちゃんが寝返りを打てたとしても、赤ちゃんが一人座りができたとしても、赤ちゃんが一人歩きができたとしても、それをまともに喜べず、苦しみだけが自分の心の中を一杯にさせてしまうのだ。

 育児をしている場合、その母親が、根本的に育児を苦しみとして捉えてしまった場合、最早、手の施しようがないのだ。これは育児テクニックがどうのこうのの問題ではなく、その人の人生哲学の問題であるからだ。その母親が一切皆苦だと思い込んでいれば、育児では苦しみだらけになってしまうのである。

 一切皆苦とは出家した釈迦が辿り着いた哲学である。だから、在家である母親たちが持つべき哲学ではないのだ。在家の人間が仏教の教義を引用すること自体が間違っているのだ。在家の人間には在家の人間らしい哲学が必要なのであって、出家した人間が持つ哲学は断固として拒否すべきなのである。育児を根本的な部分で間違えていたら、いかなる修正もできなくなってしまうからだ。やはり、育児は根本的な所で楽しいと思うべきなのである。

●育児で重要なポイント

 育児をするには、重要なポイントというのがある。この重要なポイントを外さなければ、育児は楽しくなるし、育児ストレスを溜め込むこともなくなり、失敗のスパイラルに入ることもなくなるのだ。育児の現象に囚われて、重要なポイントが見えないからこそ、要らぬ失敗を抱え込んでしまうのである。

①要領

 まず、育児とは要領の良さこそが重要なポイントなのだ。すべての作業に手を出すのではなく、重要と思われる作業を分別して、そこにエネルギーを集中させ、取り組んでしまうのである。例えば、育児で最初の頃は、「授乳」と「オムツの交換」が重要な作業になる。だからこそ、ここに集中して、授乳テクニックやオムツの交換の仕方をきちんと習得してしまうことだ。最初の3ヵ月できちんと習得しておかないと、次に作業が必要となってくる時期に、要領の良さを全く欠いてしまうことになってしまうのだ。

②集中力

 次は、集中力こそ、育児の重要なポイントなのである。人間の集中力は90分間しか持たない。だから、だから、どんな作業でも90分以内に終わらせるべきなのである。例えば、料理を作るのに90分以上かけていたら、他の家事や育児を圧迫してしまうものなのである。日頃の料理は速く作るべきであって、手の込んだ料理は、特別の日だけでいいのだ。

③改善

 第三は、改善である。育児で問題が生じたら、すぐさま処理していくことだ。問題が発生した時に処理してしまえば、問題は悪化しないものなのだ。問題を放置しておくからこそ、問題が悪化していくのである。例えば、赤ちゃんの夜泣きだとか、赤ちゃんのグズリには、いかなる母親も困るものだ。だったら、その対処法を早目に考え出していけばいいのだ。

 育児で重要なポイントは、「要領」「集中力」「改善」だと解っていると、失敗のスパイラルに突入しても、そのスパイラルを突破していくことができるのだ。要領の良さがなかったからこそ、集中力がなかったからこそ、改善することがなかったからこそ、育児で問題を悪化させていたに過ぎなかったのだ。

●問題を引き起こしているのは、僅か20%

 育児ストレスで一杯になり、育児で失敗が多発している場合、殆どの母親たちが育児のすべてが問題なのだと思い込んでしまう。そして育児を放り投げようとしてしまうのだ。しかし、いかに育児が拗れたとしても、問題を引き起こしているのはごく僅かなのだ。せいぜい、20%程度しかないのだ。

 その問題の20%を解決してしまえば、育児における問題の殆どか解決されてしまうのである、なぜ、こんな簡単なことに気づけないのかというと、育児で失敗を多発させる母親たちは、必ずといっていいほど、「全面展開」を行ってしまっているからだ。育児ですべての作業に手を出してしまい、自分のエネルギーを分散させてしまっているのだ。そのために、問題が発生しても、それを処理できる余力が残っていないのだ。

 平均的な努力などすべきではないのだ。最早、この作業は要らないなと思うなら、手を引いてしまっていいのだ。常に余力を残しておいて、問題が発生したら、直ちに処理すればいいのだ。全面展開して余力が残っていないからこそ、問題が発生してきても、それに対処できなかっただけなのである。

 育児をしている場合、常に赤ちゃんと一緒に居るために、遂々すべての分野に手を出してしまいがちなのだ。しかし、そうやって手を出しても、殆どが価値のない行為なのだ。育児ストレスで一杯になっているようであるならば、今やっている作業の80%は無駄な作業をやっているのだ。だからこそ、当然に育児の成果が出て来ないし、育児で疲れきってしまい、育児ストレスで一杯になってしまうのだ。

 育児ストレスで一杯になったら、とにかく育児の現場から離れることである。夫に赤ちゃんを預けるなりして、数時間でもいいから離れることだ。そうやって自分を冷静になれる場所に身を置いて、自分の育児に改善を図ることだ。価値のない作業を切り捨て、価値のある作業に振り向けるだけで、育児から失敗がなくなり、育児ストレスから解放され、それに比例して育児で成果が出始め、育児が楽しくて仕様がなくなってくるのである。

●精神レベルを上げて視点を変えろ

 育児で失敗のスパイラルに突入したら、数量的には問題を起こしている重要な部分が見えていないと同時に、自分の精神レベルが余りにも低すぎるために、質的に問題を起こしているということがあるのだ。結婚し、妊娠し、出産したというのに、未婚女性のままの精神レベルでいたら、育児をまともにこなせるわけがないのだ。育児をするためには、独身の女性よりも高い精神力が必要となるのだ。

 育児ストレスで一杯になってしまう新米ママは、比較的に知能の高い女性たちが多い。頭が悪いのなら、結婚や育児といった自分の環境の変化にそれなりに対応でき、自分を変えていくことができるからだ。しかし、なまじ学校での成績が良かったりすると、結婚や育児という環境の変化についていけなくなってしまうのだ。頭の中で考えるだけでなく、とにかく体を動かしていくことが不得手なために、変化した環境についていけず、育児ストレスを抱え込んでしまうのだ。

 新米ママが育児ノイローゼにかかり、余りにも細かいことに拘り過ぎてしまっている時に、夫がその異変に気づいて、妻を叱り飛ばせば、妻は一瞬にして目が覚めることだろう。しかし、夫が仕事に忙しすぎて、妻の異変に気づけなかったり、夫がただ単に優しいだけで、妻を叱り飛ばすという厳しさを見せられないような男性だったら、妻は一気に育児で失敗のスパイラルに突入してしまうのだ。

 赤ちゃんを産んだら、新米ママは自分の精神レベルを上げる努力を忘れないことだ。とにかく育児をしている人々の集団に紛れ込んでしまい、先輩ママたちから教われるものがあるなら、教わっておくことだ。育児の仕方を学んでいくうちに、自然と自分の精神レベルも上がっていくようになるのだ。

 それと共に、育児とは関係ない場所で、自分よりも精神レベルの高い人の話を聞いたり、精神性の高い本を読んだりして、自分を向上させていく努力をし続けることだ。自分の精神レベルを上げて、視点を変えてしまうと、今までこんがらがっていた育児での失敗のスパイラルも、その解決策が見出せるようになるのだ。

●失敗は成功の資本、苦難は幸福の入り口

 結婚前に人生の中で苦労が少ないと、結婚してから、些細な失敗でも耐えられないものだ。苦労に慣れていないから、僅かな失敗でもそれを重大に受け止めてしまうし、苦難が襲いかかれば「なんで自分だけ?」と被害妄想に取りつかれてしまうのだ。人生は成功ばかりするのは危険なのである。或る程度の失敗や苦難は絶対に必要なのである。そうでなければ、その人を鍛えることができなくなるからだ。

 育児で失敗したら、「こういうことをやってはいけないんだな」ということが解っただけでも、大進歩なのだ。失敗しなければ解らないことだって、この世にはあるのだ。育児で失敗した場合、「この方法は駄目だから、違う方法を取ればいいんだ」という新たな選択肢が出て来ているのだ。失敗ばかりに目を奪われていないで、成功の手口に目を向けるべきなのだ。

 育児で苦難がやってくることもある。もしも、育児で苦難がやってきたら、自分を成長させてくれるものがやってきたと思えばいいのだ。苦難を経験すれば、誰だって精神的に成長し、非常に強くなるものなのだ。育児で起こる苦難に打ちひしがれてしまうからこそ、自分を成長させることができなくなってしまうのだ。

 育児をやっていて、何も失敗しなかった母親はいないし、何の苦難も受けなかった母親もいないのだ。多くの母親たちがそれらを経験して通り抜けていったからこそ、強い母親になることができたのである。それゆえ、「失敗は成功の資本」だし、「苦難は幸福の入り口」なのだ。

 育児をしていれば、他では経験できない素晴らしいものがたくさんある。しかし、その育児でいい部分だけを見ないことだ。育児では、他では経験できない大変なことだってたくさんあるのだ。でも、その大変なことをきちんと受け取っておかないと、素晴らしいものを受け取ることができないのだ。

●どんな人間でもマイナス面はある

 多くの人々は他人を見る時は、プラスの面しか見ないのに、自分を見る時はマイナスの面しか見ないものだ。諺で「隣の家の芝生は奇麗に見える」というのがあるが、確かに隣の家の芝生は奇麗かもしれないが、その家の者たちが日々芝生の手入れをしているからこそ、奇麗にしていられるのである。

 野球でホームランバッターはホームランを打つかもしれないが、三振の回数も突出して高いものだ。サッカーでゴールネットを揺らしまくるストライカーは、得点率が高いかもしれないが、敵からのタックルを食らい、負傷する率も高いものなのだ。彼らは手痛いマイナスを支払っているからこそ、周囲が羨む輝かしいプラス面を手にしているのだ。

 自分にとってマイナス面は「負の力」として、人生を前進させる。マイナスはそのままマイナスではないのだ。マイナスがあるからこそ、新たな力を獲得して、人生を前に進ませていくことができるのだ。人々は失敗を恐れる。しかし。失敗しない者は、常に何事も成しえないのだ。

 人生で失敗をしたことがない人は失敗に怯えがちだ。だが、失敗することが悪いのではないのだ。失敗をそのままにしてしまうのが、悪いのである。失敗の中から学び取り、失敗から立ち直れば、既に成功への道を歩み始めているのだ。しかも、自分が経験した失敗には耐えられる強い免疫力を持つことができるのだ。

 育児をしていて、失敗をすれば確かに驚いてしまうものだ。育児をしていて、苦難が訪れれば恐れおののいてしまうものだ。育児ストレスで一杯になった時は、自虐的になってしまうものだ。でも、そうやって育児で様々な経験をしておくと、後で「あの時は私は未熟だったのよ~」と笑い飛ばせることができるようになるのだ。

●悩みがあるから、人間は成長していくことができる

 人間は生きている限り悩むものだ。育児をすれば、どうすればより良い育児をすればいいのか悩むものだ。その悩みは、赤ちゃんを持った母親なら当然に抱く悩みなのである。この悩みをしない母親など居ないものなのだ。「これでいいのかな?」「あれでいいのかな?」と悩みながら育児をし続けていくものなのである。だからこそ、月日を重ねるごとに、育児の仕方が上達していくのだ。

 しかし、この世には悩みのない世界を望む人たちがいるものなのだ。人間には煩悩があるのだから、煩悩まみれで生きていけばいいのに、煩悩から解脱しようとしてくるのだ。はっきりと言わして貰えば、育児における煩悩から解脱できるのは、育児を遣り終えた時だけなのである。だから、育児をしている期間は、母親は様々なことで育児における煩悩を抱え込むものなのである。

 人間は悩みがあるからこそ、人間は成長していくことができるのだ。もしも、育児において何も悩みがなければ、それは母親として全く成長していないということなのだ。煩悩というのは、育児において非常に大事なものなのである、捨て去ってしまってはらないし、また捨て去ってしまっていいものでもないのだ。

 育児でいくら悩みを抱え込んでも、悩みのない世界を決して望まないことだ。もしもそのような状態が実現したとしても、それは母親としての成長がピタリと止まった瞬間であるのだ。そうなれば赤ちゃんは泣き叫びまくることだろう。赤ちゃんの方は成長しているのに、母親の方が成長していないからだ。

 育児で失敗のスパイラルに突入してしまったら、育児で最悪の状態になってしまうことだろう。でも、目の前の現象に囚われず、自分自身が冷静さを取り戻せば、その解決策を見出せるものなのだ。もしも、解決策を見出すことができたのなら、一気に解決していくことだ。そうやって育児の失敗のスパイラルから脱出できた時、自分は母親として精神的に大いに成長できたのである。たとえそれがどんなに大きな悩みであったとしても、自分が精神的に成長してしまえば、消え去っていくものなのである。そして、その当時の愚かな自分を笑い飛ばせるようになれることができるのである。

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第九章 育児ストレス

育児ストレスの法則

●育児ストレスには法則がある

 この世の中はランダムに動いているのではない。乱雑に見えるのは現象だけであって、その背後には必ず法則がある。その法則を掴み取っていくことこそ、学問の使命なのだ。育児をしていれば、すべての母親たちが育児ストレスを感じることであろう。しかし、その育児ストレスはランダムに起こるのではない。その育児ストレスには法則があるのであり、多くの母親たちはその育児ストレスの法則を知らないからこそ、育児ストレスに振り回されてしまうのだ。

 大体、ストレスは悪い意味に捉えられ過ぎている。人間はストレスの全く存在しない世界では生きていくことができない。学校に行けば様々なストレスが存在するからこそ、勉強やスポーツに励むことができ、知能も体力も徳性も急激に上げていくことができるのだ。就職すれば職場に様々なストレスが存在するからこそ、ビジネスを緊張感に満ちた状態で行うことができ、ビジネスを成功させ、その結果として収入を確保することができるのである。

 育児においても、いい意味での育児ストレスが存在している。どの赤ちゃんも健康であったとしても、未熟児状態で生まれてくるので、どの母親たちも赤ちゃんの扱い方には、慎重に慎重を期するような態度で臨んでくる。その慎重な態度こそが育児テクニックを上達させることができるようになるのである。育児ストレスがあるからこそ、育児が巧くなっていくのだ。

 しかし、問題はその育児ストレスがマイナス方向に作動した場合であって、例えば赤ちゃんの夜泣きに悩まされたり、オムツ交換のような同じ作業の繰り返しに疲れきってしまったり、育児の中で母親としての自信を喪失してしまった時などだ。育児ストレスはプラスの方向に働くものもあるけど、その分、マイナスの方向に動くものもあるのである。

 育児をしていく時は、育児のすべてがバラ色なのだと思うのではなく、マイナスの育児ストレスが我が身に襲いかかってくるという前提に立った方がいい。最初から、マイナスの育児ストレスが存在すると解っているなら、実際にマイナスの育児ストレスに遭遇しても、決して戸惑うことなく、きちんと処理することができるからだ。

 育児をしているなら、プラスの育児ストレスとマイナスの育児ストレスが存在するのだから、可能な限りマイナスの育児ストレスを抑え、プラスの育児ストレスを巧い具合に使っていけばいいのだ。マイナスの育児ストレスに囚われるばかりに、育児のすべてを否定してくるという危険な選択肢だけは絶対に取らないことだ。これは本末転倒だからだ。

 育児ストレスで問題になるのは、マイナスの育児ストレスだ。それゆえ、ここではマイナスの育児ストレスについてのみ究明していく。マイナスの育児ストレスのメカニズムが解れば、いかなる母親であってもきちんと処理することができるようになるのだ。では、育児ストレスの法則を解明していこう。

●第一法則 育児ストレス増大の法則

 育児ストレスはそれが解決されなかい限り、その育児ストレスは持続され、それどころか時間の経過と共に、育児ストレスは増大していく

 マイナスの育児ストレスが発生してくるなら、早目にその対策を講じるのが最善の選択肢なのである。育児ストレスを放置しても解決されないのだ。それどころか、その育児ストレスは長く持続されて、しかも時間を経過するたびに、新たな育児ストレスを発生させていくのだ。

 例えば、赤ちゃんの夜泣きで育児ストレスを抱えているのなら、赤ちゃんが夜泣きをした場合に、短時間で泣きやむようなテクニックを身につけることだ。そしてできれば早寝をして、赤ちゃんの夜泣きが起こるまでに3時間程度の睡眠を確保し、その後、夜泣きで目を覚まされても、泣きやませてから、また3時間程度の睡眠を確保できれば、2度に亘って熟睡することが可能になるのだ。

 それなのに、赤ちゃんの夜泣きで悩まされているのに、その対処法を何も考えなかったら、その育児ストレスはいつまでも持続していくし、それどころか睡眠不足でフラフラになってしまい、精神的に追い詰められた状態になってしまうようになるのだ。育児ストレスが発生しているのに、自分は何も変えずにそのままにしていたからこそ、更に大きな育児ストレスを発生させてしまったのである。

 育児をしている場合、夫が仕事に出かけてしまえば、母親と赤ちゃんの2人だけの関係になってしまう。そのため、母親がきちんと自己統御しておかないと、自分が悪いことをしているのに、その悪い部分を改めずに、その悪しき状態をそのまま放置し、暴走させてしまうようになるのだ。

 だからこそ、自分が絶対に正しいと思っているのではなく、謙虚になって、自分で育児のことを調べたり、他人に育児の仕方を教えて貰えばいいのだ。自分を一杯一杯にしなければ、いくらでも外から新しい情報が入ってくるのである。育児ストレスで身動きが取れなくなっているということは、育児に関して未熟者なのだから、身を低くして、聞くべきことは聞くべきなのである。

●第二法則  育児ストレスのトラブル拡大の法則

 育児ストレスを抱えている場合、本人が自分は絶対に正しいと思っていると、育児の現場だけではなく、至る所で様々なトラブルが発生してくる。

 育児ストレスは、母親本人が「自分は絶対に正しい」とおもっていると、絶対に解決されることはない。世の中には自分の育児の仕方が間違っていることを指摘されることを極端に嫌う母親たちが多数存在しているものなのだ。間違いを指摘されても、罪を被せられるわけでも、責任追及されるわけでもないのだ。ただ、指摘してくる人は、育児の仕方を知っているからこそ、無償で巧い育児の仕方を教えているにすぎないのだ。

 こういう他人の善意を踏みにじるような既婚女性は、育児だけでトラブルを起こすとは到底思えない。育児だけでなく、夫婦関係でもトラブルを引き起こす筈だ。このトラブルの特徴は、夫婦で何か問題が発生した場合、すべて夫が悪いということに帰結するのであって、妻は夫を悪者にすることで、自分の絶対的な正しさを維持しようとするのだ。こういう夫婦喧嘩ほど不毛な喧嘩はないのだ。

 夫を悪者扱いしている以上、夫の生みの親である姑を大事にするわけがない。この手の既婚女性は、とにかく嫁姑の問題を最悪なまでに持って行きがちだ。勿論、嫁姑は赤の他人だから、すぐさま仲良くなるということはない。姑の良さが解り、仲良くなっていくまでには時間がかかるものだ。だからといって、嫁と姑が最悪なまでに憎しみ合うということは絶対にない筈だ。そういう状態になったら、明らかにその嫁の方が異常なのである。

 育児というものは、夫婦と赤ちゃんだけで行えるものではない。保健師や医者の手助けを借りざるをえない。ところが不思議なのは、自分は絶対に正しいと思っている母親は、自分が「先生」と看做す男性にはからきし弱いのである。鵜呑みにしてしまうのだ。例えば、保健師から「歯並びが悪くなるから、オシャブリはやめた方がいい」と言われると、赤ちゃんがどんなに泣き叫んでもオシャブリをやめさせてしまうのだ。育児をしていれば、歯並びが悪くなるのは、早い段階でオシャブリを外したからだというのが解る筈だ。どの母親たちも保健師や医者の意見を眉唾で聞き、決して鵜呑みにしないのに、自分が絶対に正しいと思っている母親は、なぜか先生の意見だけは鵜呑みにしてしまうのだ。

 育児以外でトラブルが発生した場合、育児でのトラブルでさえ解決できないのだから、育児以外でのトラブルも解決できるわけがない。そのために、時間が経てば経つほど、トラブルが増大していくのだ。これでは夫の方も真剣に仕事に取り組むことができず、仕事の手を休めてでも、妻が引き起こしたトラブルの処理に当たらなくてはならなくなってしまうのだ。それだからこそ、仕事が捗らず、収入も減少してしまうのだ。

●第三法則 育児ストレスの最悪事態発生の法則

 育児ストレスが或る一定量を超えた場合、最悪のタイミングで最悪の事態が発生しまくり、本人を最悪の状況へと追い込んでいく。

 育児ストレスはいつまでも育児ストレスのままで留まっているわけではない。育児ストレスが或る一定量を超えた場合、育児ストレスそのものが突然変異して、最悪のタイミングで最悪の事態を発生させてきてしまうのだ。例えば、育児ストレスで一杯になっているのに、母親が交通事故にあってしまったり、赤ちゃんが難病になってしまったりするのである。最悪の状態なのに、更に最悪な事態を発生させてしまうのである。

 要は「魔が差した」という状態に陥ってしまうのだ。人間は人知人力で処理すべきことは処理すべきなのである。しかし、人知人力には限界があるから、そこに霊の力の存在を認めて、その霊性によって不確実なものに対処する方法を使うのである。だからこそ、多くの母親たちが育児をしていると、神社に参拝し、お守りを購入して、我が子に悪しきことが起こらぬように願うのである。

 ところが、育児ストレスで一杯になっている母親は、人知人力で処理すべきことを処理していないし、霊性によって人間にとって不可思議な物に対処することすらしない。こういうふうな精神態度でいると、神様が「その生き方は間違っているよ」と最悪の事態を発生させて、その母親に教えてくるのだ。

 赤ちゃんを産めば、すべての赤ちゃんがスクスクと育っていくわけではないのである。難病に罹ってしまう赤ちゃんもいるし、落命していく赤ちゃんもいるのである。勿論、その難病に対して立ち向かい、落命しないように努力し続けることは大事である。しかし、どんなことをしても、やはり難病に罹る赤ちゃんは出て来るし、落命してしまう赤ちゃんも出て来るのだ。

 だから、最終的には、無事に育ってくれた赤ちゃんは「運が良かった」ということしかできないのである。それだからこそ、多くの母親たちは自分の身を正し、神社に参拝するなどして、自分の運気を高めていこうとするのである。こういったことをしなければ、最悪の事態が起こってきてしまい、取り返しのつかないことになってしまうからだ。だが、自分が絶対に正しいと思ってしまえば、自分の身を正すことも、神の力を認めることもしないのである。そしてそのような生き方をしていると、最悪の事態が発生してくるのである。

●育児ストレスはあるという前提で育児をせよ

 物事には必ず光と影がある。自分にとって喜ばしいものであればあるほど、自分を悲しませてくれるものが存在しているのである。赤ちゃんを産むことによって、育児の喜びを知れば、その反対側には、育児を通じての悲しみが存在しているのである。育児の喜びだけを得て、育児のマイナス面を受け取らないというわけにはいかないのだ。

 新米ママたちが生まれて初めて育児の喜びを知り、育児のマイナス面にきちんと立ち向かっていくからこそ、母親として大いに成長し、自分の精神レベルを大いに上げていくことができるのである。我々はマイナスなものをネガティブに受け取りがちだ。しかし、マイナスを受け取らない限り、成長することなどできないのだ。

 育児をしていれば、育児ストレスは絶対に発生する。育児ストレスは絶対に発生するという前提で育児をしていけば、そのマイナスの育児ストレスにきちんと立ち向かっていくことができる筈だ。そういう心持ちの新米ママはいかなる育児ストレスが襲いかかってきても、なんとか対処できるものなのである。

 育児ストレスはとかく大きく取り上げられるものだ。育児ストレスに晒されれば、新米ママの口から出て来るものは「愚痴」ばかりである。そうやってストレス発散をしているつもりなのだが、時間が経てば、いくらそういうことをやっても無駄だと気付くことだろう。他人を変えるのではなく、自分を変えていかなければ、この育児ストレスは処理できないからだ。

 育児ストレスの問題に関しては、その母親の性格というものが重要な鍵を握っている。謙虚になって、自己改革できれば、育児ストレスを解消して、育児をレベルアップしていくことができる。しかし、傲慢になって、自分が変わることを拒めば、育児ストレスは更に増大していく、最悪の事態まで招いてしまうものなのである。

 目に見えているものがすべてじゃないのだ。人間にとって本当に重要なものは、目に見えない所にあるのだ育児に起こる様々な現象に振り回されていれば、いかに体力のある母親でも参ってしまうものなのだ。育児ストレスの法則も、自分の性格も目には見えないものだ。しかし、目に見えないものを見つめることで、自分が変わっていき、育児ストレスを解消することができるのである。

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赤ちゃんの時期で決まってしまう人間の免疫力

●生後2年で基本的な免疫力が決まってしまう

 赤ちゃんは生後2年で基本的な免疫力が決定してしまう。これは哺乳動物である人間の逃れられない宿命なのである。赤ちゃんの哺乳期間と、赤ちゃんの免疫力を決定する時期がピタリと一致するのだ。赤ちゃんが生まれてから、2年以内で環境適応を完了させるのである。その時期が終了して以降、基本的な免疫力に変更を加えることはできないのだ。

 赤ちゃんは決して天才でも万能でもない。赤ちゃんの育てられ方こそ、その人の一生の免疫力を決定してしまうのだ。赤ちゃんの母親こそが、赤ちゃんの生存の鍵を握っているのだ。いくら赤ちゃんを産んで育てたとしても、母親がこのことを知らなければ、平気で出鱈目な育児を行ってしまい、そのために赤ちゃんを病気にさせてしまい、死に至らしめてしまうようになってしまうのだ。

 とにかく赤ちゃんの免疫力を高めたいのであるならば、赤ちゃんが病気にならない範囲で、様々な細菌を吸わせることだ。生後2年の間に吸った細菌こそが、赤ちゃんの免疫力を決めてしまうのだ。農家や酪農家といった職業では、職業上、様々な細菌を吸わざるをえない生活をしている夫婦のもとに生まれた赤ちゃんは圧倒的に有利だし、都市部のように、様々な細菌がいない環境に住んでいる両親のもとで生まれた赤ちゃんは、その両親が意識的に細菌を吸わせなければ、免疫力を上げることができなくなってしまうのだ。

 折角、赤ちゃんが生まれたというのに、赤ちゃんを救いのないような難病奇病を発症させてしまうのは、大抵が都市部に住んでいる夫婦のもとに生まれた赤ちゃんである。今までスクスクと育ってきたのに、或る日突然に、得体の知れない病気に罹って、病院通いが始まり、散々に治療を受けた上に死に至らしめてしまうのだ。生後2年以内に免疫力を上げていく努力をしないからこそ、他の赤ちゃんなら罹らない病気に罹ってしまうのである。

 免疫力の向上と同じくらいに重要なのが、赤ちゃんを母乳で育てるということである。哺乳動物である以上、母乳こそが赤ちゃんにとって最高の飲み物なのである。他の物では代わりが効かないのだ。母乳は赤ちゃんの体の成長に資するだけでなく、母乳による細胞の健全な成長にも貢献しているのだ。いわば、赤ちゃんが母乳を飲めば飲むほど、赤ちゃんの細胞がピカピカになっていくのである。

 赤ちゃんをミルクで育ててしまったり、離乳食の時期が早すぎると、赤ちゃんは内臓を疲労させ、特に大腸を汚してしまうので、全身に奇麗な水分を供給できなくなってしまうのだ。そのために赤ちゃんでありながら、「脳疾患」や「心臓疾患」になったりして、絶望的な治療を受けざるを得なくなってしまうのである。いくら深刻な病気になったらといって、頭部を切開してみたり、心臓移植をしたとしても、治るものではないのだ。寧ろ、寿命を急激に縮めてしまうだけなのだ。哺乳動物の掟に背くからこそ、我が子の命を自らの手で奪ってしまうのである。

●「免疫力の活動力」と「細胞の健康度」

 人間が病気になるか否かは、「免疫力の活動力」と「細胞の健康度」のこの2つで決まってしまうのだ。この世にいくら万病が存在したとしても、人間にとって大事なのは、たったこの2つなのである。「免疫力の活動力」は、言わば「対外部防衛力」であって、外からの細菌やウィルスの侵入を阻むのである。「細胞の健康度」とは、言わば「対内部防衛力」であって、老廃物や毒素に蝕まれないようにするのである。

 それゆえ、いかなる病気であったとしても、その病気を根本的に治したいのであるならば、「免疫療法」と「細胞活性化療法」の2つを組み合わして行っていかざるをえないのである。この2つの治療法を組み合わすからこそ、体内で相乗効果を発揮させて、病気を撃退して、健康にさせるのである。

 例えば、人間にとって最も深刻な病気である癌を例に挙げて、その基本的な治療法を説明しよう。まず、いかなる癌患者といえども、癌で死ぬことはないのだ。癌患者が最終的に死亡してしまうのは、癌に蝕まれて免疫力が落ち、肺炎に罹って死ぬのだ。癌患者が癌では死なないのだ。意外なことかもしれないが、この当たり前すぎる事実すら、国民は医療知識として所有していないのだ。

 そのため、まずは癌患者の免疫力を下げないようにし、肺炎に罹らせないようにすることなのである。この最終防衛ラインさえしっかりと敷ければ、癌患者に死ぬことはなくなるのだ。癌患者に早寝早起きをさせ、日中は何か労働をさせ、日没後は風呂に入って、体をゆっくりとさせるのだ。森林浴や海水浴に行くというのも効果的だ。要は日中は適度なストレスを与え、夜間はストレスから解放して、自律神経を活発に活動させてあげることによって、免疫力を高めるのだ。

 その上で、癌患者に食事療法を施して、炭水化物を最低限にまで引き下げ、果物や野菜を充分過ぎるほどに取らせて、癌細胞の活動を弱め、白血球の活動を高めるのである。そして食った以上は、体を適度に動かして貰い、汗を流させるという「運動療法」を施すのである。飯を食い、運動すれば、老廃物や毒素が出るので、排便をきっちりとさせる「排便療法」が必要になるのである。更に、マイナスイオンを照射して、体内の細胞を活性化させて、癌細胞を撃退するように仕向けるのである。これらの4つを組み合わせることが、細胞の健康度を上げることになるのである。

 多くの癌治療が失敗してしまうのは、何か一つの治療法を施して、癌を治そうとしていることなのである。、何か一つの治療法を施して、その人が本当に健康になれるわけではないのだ。癌のような生活習慣病の場合、今までしてきた悪しき生活のツケが癌となって出て来ているので、一つの治療法を施して、そう簡単に治るわけがないのだ。癌細胞の増殖スピードの方が遥に早いものなのだ。

●なぜ、「水分過剰」「食事過剰」「血液汚染」が病気を引き起こすのか?

 ただ、「免疫力の活動力」と「細胞の健康度」の基本的な部分は、自分が赤ちゃんの時に決定されてしまうものであって、自我の芽生えが起こり、自我意識を持った頃には、最早、どう仕様もないのだ。後は、自分の生活を整えていくことで、免疫力を下げないようにし、細胞の健康度が落ちないようするしかないのである。

 病気の原因をすべて細菌やウィルスに求めてしまうと、医学は出鱈目な学問へと捻じ曲がっていくのだ。細菌やウィルスは病気の引き金になったものにすぎないのであって、それらにすべての原因を求めることはできないのだ。病気の本当の原因は「水分過剰」と「食事過剰」と「血液汚染」にあるのだ。

 人間は本来「果実食動物」なので、原則として水を飲めない。果物や野菜に含まれる酵素水分からしか摂取できないのだ。それなのに、水をがぶ飲みし、清涼飲料水を飲みまくり、お酒を飲みまくっていたら、体内で水分が大量に余ることになり、免疫力も細胞の健康度も急激に低下させてしまうのだ。

 しかも、大量の水分を飲んでしまえば、体を冷えるので、どうしても大量の食事が必要になってくるのだ。そのために大食いをしてしまい、人間が本来食べる以上の量を食べてしまい、それが内臓を大いに疲労させてしまい、血液を内臓に集中させることで、免疫力と細胞の健康度を下げてしまうのである。

 大量の食事を食べれば、老廃物や毒素が出まくるので、それが血液の中にまで入り込んでしまい、その汚れた血液が全身に送られ、全身が汚染され始めるのだ。体の各細胞にとって直接汚染されることで、急激に細胞の健康度を下げてしまうことになるのだ。細胞が巧く機能しなければ、神経も巧く機能しなくなるということであり、そのために自律神経を蝕んでしまい、免疫力を急激に下げてしまうのだ。

 10代の時なら、大量に水分補給しても、大量の食事を食べても別に構わない。成長期なので体は大きくなっていくし、運動すればすぐに燃焼して排出されるので、問題がないのだ。だが、成長期を終えたら、最早、大量の水分も大量の食事も要らないのだ。僅かな水分と僅かな食事でも充分にやっていけるのである。

 暴飲暴食こそ病気の本当の原因である。大量に食べれば、体の動きが鈍くなるのだ。大量にお酒を飲めば、それだけ大量の活性酸素を体内で発生させていることにすぎないのだ。「少食こそ長寿の秘訣」なのである。お酒は節酒を心掛け、祝い事の日だけに飲めばいいのである。毎晩、お酒を飲む必要性など、どこにもないのだ。

●人間の寿命を縮める要因

 人間は理論上は120歳まで生きられるのである。最後の晩年に寝たきりになってしまうのは仕様がないとしても、正しい生活を送っていれば、100歳までは元気に居られるものなのである。ところが現実はそうではなく、平均寿命は男性は70歳代だし、女性は80歳代であり、しかも、健康で老後を過ごしているのではなく、下手をすれば60歳でも寝たきりになってしまうのだ。なぜなら、人間は寿命を縮めることを平気で行っているからだ。

①過労

 人間は本来、午前中だけ働けばいいのだ。農業を見れば、朝早くから働くけど、今でも正午には労働を終えているのである。1日8時間労働というのが、異常なのである。過労こそ人間の寿命を縮めてしまう最大の原因である。人間の体そのものが、早朝に起きて、正午には労働を終えるようにできているからだ。だから、残業をする人たちは時間をかけたにも拘わらず生産性が低いものだし、それどころか自分の命まで縮めているのだ。仕事のできる男性たちは、この危険性を知っているので、午前中に仕事を終えて、午後は自由時間に充てているものなのである。残業など勿論しないのだ。

②ストレス

 ストレスは人間の自律神経を大いに狂わせる。大の大人がストレスで苦しむのは、「夫婦関係」と「職場の人間関係」だ。結婚は最大限の安らぎを得たいというのに、夫婦で喧嘩していたら、安らげる場所がなくなってしまい、凄まじいまでのストレスを発生してしまうのだ。また、仕事は仕事それ自体で問題が出るのではなく、職場の人間関係で問題が出て来るものなのだ。仕事の場合、毎日仕事をせざるをえなくなるので、恒常的にストレスを受け続けることになってしまうのだ。

 男性で気をつけなければならないのは、「定年退職前後」だ。男が仕事で最大のストレスを受けてしまうのは、仕事をやめる前後であるのだ。多くのビジネスマンたちはこの時期に命を落としてしまうのである。今までの仕事を退職する時は、退職後に何もしない生活を送るのではなく、何か軽い仕事を見つけて、定年退職後も労働をするように仕向けることだ。

③環境汚染

 人類は近代化以降、地球環境を大いに汚染してしまった。特に問題なのが、「自動車の排気ガス」と「家庭での石油系洗剤の使用」だ。排気ガスを人間が吸い込めば、確実に肺が汚染されてしまうのだ。石油系洗剤は、使用すれば皮膚から浸入してくるものだし、洗い残した洗剤を人間が飲みこめば、肝臓や腎臓が大いに傷んでしまうのである。

④有害飲食物

 人間は人体に安全な物しか食することができない。それなのに、有害飲食物を好んで食べてしまうのだ。「食品添加物」はその最たるものであって、食品添加物を食べれば、体内のビタミンやミネラルを奪ってしまうし、肝臓や腎臓を大いに傷めてしまうのである。更に「冷たい飲食物」を平気で摂取してしまう。人間の内臓は冷たい飲食物を摂取できるようにはできていないので、もしも摂取すれば内臓を大いに傷めてしまうのである。

⑤急激な老化現象

 人間は或る時期に急激な老化現象を迎える時期がある。男性の場合は70歳前後で免疫力が激変してしまい、この時期に命を落とす人たちが非常に多いのだ。この時期は無理な活動をするべきではなく、リラックスするように心掛けるべきなのである。人間は死ぬ間際になると怒りっぽくなるので、矢鱈と怒るようになったら、死期が近づいたと思うべきなのである。

 女性は更年期障害があるので、この時期に更年期障害が現れたら、更年期障害がなくなるように仕向けるべきなのである。女性はこの時期を過ぎると、体力を大いに下げるので、これ以降は無理は禁物である。いつまでも若いと思っていると、呆気ない形で命を落としてしまうのだ。

●育児で得る宝物

 人間の健康や寿命といったものは、自分が赤ちゃんの時に母親に施された育児と、その後の自分の生活習慣で決まってしまうのだ。赤ちゃんの時に、充分に免疫力を上げることができなければ、その後の人生は取り返しがつかないのだ。母親に母乳が出るにも拘わらず、ミルクで育てられてしまったら、赤ちゃんの細胞は健康度を上げることはできないのだ。育児で失われたものは、一生取り返すことができないのだ。

 育児の際に、母親から充分に免疫力を上げて貰い、母乳育児で細胞を元気にさせて貰い、その後に、生活を滅茶苦茶にするなら、それはその本人の責任なのである。生活習慣が出鱈目なのに、病気にならない方がおかしいし、その病気を投薬や手術で治そうという考えがそもそも誤っているのだ。

 人間の命というものは、生命の壮大なるバトンリレーなのだ。我々は地球上で生命誕生以来、一度も命を絶やしたことのない生命体なのである。生命が連続しているからこそ、今現在ここに生きていられるのである。だからこそ、我々がすべきことは、自分の命を大切にしていくことだし、新たな生命を生み出して、生命を連続させていくことなのである。

 いかに健康な赤ちゃんを育てていくかが、民族の繁栄の分かれ目だし、多くの人々に生活習慣を正しくさせるかで、民族は大繁殖していくことが可能になるのである。いかに正しい育児の仕方を共有し、生活習慣の重要性を知るかで、多くの人々が病気と無縁になり、健康になり、人口を増やしていくことができるようになるのだ。

 健康というのは、実は育児で得る宝物なのだ。だからこそ、多くの人々が大きくなってから母親に感謝するようになるのである。育児をしている時でなければ、健康の基本は作り出せないのである。その後に自分でやれることは、非常に限られてくるのだ。健康こそ、母親が我が子に贈ることのできる最高のプレゼントなのだ。

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新米ママの育児の禁じ手:「母親自身が病気になること」

●育児では母親自身が病気をしていられない

 育児をしている母親たちが得る最大の教訓は、「育児をしている時は病気をしていられない」ということであろう。別に、赤ちゃんが病気をするのは構わないが、母親自身が病気になってしまうと、育児が立ち所に機能しなくなってしまうからだ。育児とは、母親あってこその育児のなのである。母親の代わりになるような人物はいないものなのだ。

 育児を経験した母親は非常に強くなる。育児のために病気をしていならないという緊張感こそ、その母親を肉体的に強くするだけではなく、精神的にも強くさせるのである。だからこそ、育児を終えた時に、独身女性を見て「なんて弱弱しいんだろう!?」と思ってしまうのである。仕事をいくらしたとしても、それほど強くはなれないのだ。育児を経験した母親たちからみれば、小娘程度にしか過ぎないのだ。

 人間は自分のことだけを考えていても、それほど成長しないということなのである。母親が自分のことよりも、赤ちゃんのことを最優先するからこそ、その赤ちゃんはスクスク育つと同時に、自分も精神的に成長していくことができるのである。「利己」ではなく、「利他」に変わったらこそ、飛躍的な成長が可能になったのである。

 人間の肉体は19歳で成長のピークを迎える。しかし、人間の精神はそれ以降も成長し続けるのである。ところが、多くの人々が自分の精神の成長を行わず、自分のことしか考えないからこそ、病気になるのである。人間が、純粋に肉体が原因で病気になるのは、せいぜい2割以下しかないのである。残りは精神が原因で病気を発症してくるものなのである。

 良く言われるように、癌患者に限って頑固である。脳疾患を発症する人は、神や先祖を敬わないし、心臓疾患を発症する人は自分にとって大切な人を大事にしないし、膝の痛みで苦しむ人は自分の子孫を寵愛しようとしないのだ。自分のやった行為が、自分の体に病気として跳ね返ってきているだけなのである。

 病気の本当の原因は、「我執」だといっていい。自分を大事にし過ぎるからこそ、自分の利益ばかり追いかけるからこそ、自分の精神を歪めてしまうからこそ、様々な病気を発症してくるのである。赤ちゃんを妊娠し出産することがいかに大事なのかといえば、女性は育児をすることによって、少なくとも育児をしている期間だけは、我執が取れ、自分の精神を成長していくことができるからなのである。

●快食快眠快便

 自分の精神が順調に成長している母親は、「快食」「快眠」「快便」となる。自分が育児で充実した日々を過ごしているからこそ、食事をしても美味しいのである。独身女性であるならば、グルメに走る女性たちが居るものだが、育児をしている母親でグルメに走る母親たちは居ないものだ。自分が育児をして、赤ちゃんのために尽くしているからこそ、何を食べても美味しく感じられるのである。

 ただ、注意すべきことは、育児をしている際は、果物や野菜を多く食べることだ。果物や野菜には母乳を作るための成分が含まれているので、どうしてもこれらの物が必要になってくるのだ。育児をしている際は、肉食中心にならないようにするべきなのである。肉を消化吸収するために体内のビタミンやミネラルが奪われてしまうために、質のいい母乳が出ないし、自分の体にとっても悪くなるからだ。

 育児をしている際は、赤ちゃんの夜泣きで起こされてしまうために、出産前のように纏まった時間を使って睡眠を確保することができなくなる。そのため、恒常的な睡眠不足になってしまうのだ。ところが、睡眠不足であるかゆえに、就寝してしまうと、熟睡できてしまい、深い睡眠を取ることができるのだ。それゆえ、育児をしている母親たちは睡眠障害にならないのである。不眠症で苦しむ母親などこの世には居ないのだ。

 育児をしている母親が注意すべきことは、日々の排便である。出産すると、女性ホルモンが大量に分泌され、子宮が第二子以降の赤ちゃんを欲し始めるのだ。そのために女性ホルモンの副作用によって体が冷えてしまい、便秘になってしまうのだ。特に美人な女性ほど女性ホルモンの量が多いので、深刻な便秘になってしまうのだ。

 便秘を解消していくためには、「糠漬け」などの発酵食品を多く取るようにし、寒天やヒジキや根菜類といった食物繊維を多く含む食品を大量に食べるようにし、女性ホルモンを整えるためにヨモギ茶を飲めばいいのだ。便秘は「食生活を改善しろ」という体のサインなので、素直になって食生活を改善していくことだ。

●運動して汗を流す

 育児をしている際に、最も気をつけるべきことは、育児をしている最中は運動量が物凄く低下しているということなのである。育児をしている母親にとっては、育児で体を動かしていると思っていても、育児ではそれほど体を動かしていないのだ。初めての育児なら何もが初体験なので様々な経験をして頭が高揚しているが、冷静に育児の動きを見ると、体を全然動かしていないのだ。要は、育児で気を使っているけど、体を使っていないのだ。

 それゆえ、運動して汗を流すということを忘れないことだ。育児で病気をしてしまうような母親たちは、スポーツの重要性が解っていないからこそ、育児をしているというのに、病気で寝込んでしまうのだ。育児で自分の気力を使い過ぎてしまえば、体に異常が出て来るのは当然のことなのである。

 まず、育児をしている際にスポーツを取り入れてしまうことだ。赤ちゃんを連れて外気浴をする際は、少し遠出して、外気浴のついでに自分もウォーキングをしてしまうことだ。1日1時間程度歩けば、誰でも健康を維持できるものなのだ。人は歩かないからこそ、病気になっていくのである。 

 それから、家事をテキパキとこなしていくことだ。家事がダラダラとやれば苦痛以外の何物でもないが、家事をテキパキとやれば爽快なものだし、結構な運動量になるのだ。女性の体は遠距離を走ったり、重たい物を持ち上げるような運動よりも、こういうチョコマカした運動の方が得意であって、この運動をこなすからこそ、健康になれるのである。

 育児をしている時でも、スポーツをすることを忘れないことだ。スポーツは自分が好きなものを選べばいいのだ。ダンスでもいいし、ヨガでもいいし、バレーボールでもいいし、水泳でもいいのだ。とにかく育児から離れて、体を動かして、汗を流すということをすることだ。これをするだけで病気をしにくい体にすることができるのである。

●日中はテキパキ、日没後はゆっくり

 人間には自律神経というものがあって、日中は交感神経が優位になり、日没後は副交感神経が優位になるようにできている。交感神経は人間に「集中力」と「緊張感」をもたらし、副交感神経は「くつろぎ」と「リラックス」をもたらしてくる。そのため、朝は早く起きて、テキパキと家事や育児や仕事をこなして、日が暮れたら入浴して、ゆっくりと過ごすことだ。

 交感神経が優位になっている日中にダラダラと過ごし、副交感神経が優位になっている夜間に活発に活動するようであれば、自律神経がバランスを失ってしまい、精神の病を発症してくるし、肉体のどこかに異常な病気を発症して、その異常な生活を改めるように警告してくるのだ。

 自律神経が失調していると、とにかく夫婦喧嘩が起こりがちだ。夫婦喧嘩が起った場合、その夫婦喧嘩の原因となったものが本当の原因なのではなく、寧ろ、自分の自律神経が失調していることこそが、夫婦喧嘩の原因になったと思った方がいいのだ。自分の自律神経がバランスを欠いている状態では、些細なことで感情が高ぶり喧嘩になってしまうのだ。

 自律神経の失調を治す薬などこの世には存在しない。精神科医たちは精神病の患者たちの無知をいいことに金儲けをしているにすぎないのだ。自律神経の失調を治したければ、とにかく早起きすることだ。早起きして全裸になって乾布摩擦で体をゴシゴシと擦りまくることだ。そして「朝飯前のひと仕事」をやってのけてしまうことだ。1日の始まりを、アップテンポで始めてしまうと、交感神経が優位になって、活動的になることができるのだ。こうすれば、日没後には副交感神経が優位になって、自律神経はバランスを回復するようになるのである。

 自律神経は人間の免疫力と深く関わっているので、自律神経が正常に作動していれば、そう簡単には病気にはならないのだ。子供のいる夫婦が病気をしにくいのは、子供がいれば朝になると起き出してくるからなのである。太陽が昇ったというのに、いつまでも寝ていることができないからなのである。子供がいれば、否が応でも自律神経は正常に動いてしまうものなのである。

●育児をするからこそ、母親は強くなれる

 人間が病気をせずに健康でいられるかは、「細胞の健康度」「免疫力の活動力」で決まってしまう。我々は食事をすることで体の各細胞が必要とする栄養素を補給して、それらを各細胞に送り届けるのである。それをしてくれるからこそ、細胞は必要な栄養素を貰うことができるのである。

 しかし、ただ食べてばかりいては駄目で、細胞が出す老廃物や毒素を排便によって排出していけなければらないし、細胞が得た栄養素を使うために、充分な睡眠を取って貰わねばならないし、人間自体がスポーツをして体を動かして貰わねばならぬのである。快食快眠快便、そしてスポーツは、細胞の健康度を高めるということでは、きちんとした繋がりを持っているのである。細胞の健康度が落ちてしまえば、脳疾患や内臓疾患といった人間 の体を内部から蝕む病気を発症してしまうのだ。

 免疫力は外部からの病原菌を撃退するために機能するのである。免疫力の活動に欠かせないのが、自律神経である。自律神経が正常に作動してくれれば、高い免疫力を保つとができ、外からの病気には罹りにくくなるのだ。自律神経のバランスの取り方が巧い人は、多少は自分の生活に無理がかかっても、そのような生活の中でも自律神経のバランスを取ってくるので、非常に病気に罹りにくくなるのだ。

 育児をしていれば、赤ちゃんのために食事に気をつけなければならないし、睡眠時間の確保にも気を配るし、便秘を解消していくのにも気を使うことだろう。その上で授乳したり、スポーツをしていけば、母親の体の細胞の健康度がアップしていくのである。しかも、赤ちゃんがいれば朝早く起きなければならなくなるので、自律神経はバランスを取り戻していくのである。そうなれば免疫力は活性化し、病気に罹りにくくなるのだ。

 人間はそのままで素晴らしい生き物なのではなく、人間を放置しておけば、生活のリズムを乱し、怠けまくり、自分のことしか考えなくなるものだ。人間は群生動物なので、群れから離れ、一人で生きていこうとすると、途端に堕落しまくるものなのである。偏食をし、昼夜逆転の生活を送り、便秘がちで、スポーツをしなかったら、病気になって当然なのだ。細胞の健康度も免疫力の活動力も急激に低下してしまうからだ。そして何より、自分自身のことしか考えていなからこそ、自分のすべてを奪っていくような病気に罹ってしまうのである。

 人は一人では生きていけない。また、独りで生きていくものでもないのだ。最低でも、結婚することで男女2人の群れを作り、妊娠出産育児を繰り返すことで、その群れを大きくして行こうとするのだ。そうやって生きていくからこそ、健康を維持することができるのである。それゆえ、男だろうが、女だろうが、結婚せず、育児もしなければ、いくらでも病気に罹ってしまうのだ。人間は利己的な生き方を捨て、利他的な生き方に切り替えるからこそ、健康になれ、自分の人生を大いに楽しむことができるようになるのである。

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