育児ズッコケの法則 パートⅢ
●育児グッズの定理
育児グッズ。それは新米ママたちの憧れのアイテム。結婚前はブランド品集めに狂奔していた女性でも、出産後は育児グッズ集めに走るものだ。正確に言うと、妊娠中から育児グッズ集めに走るものだ。母性ホルモンの影響を受けて、マタニティーモードになってしまい、赤ちゃんのことを考えるだけでうっとりとしてしまうのだ。しかし、現実はそう甘くはない。
育児グッズの定理その1
育児グッズの8割方は無意味である
育児グッズはすべて必要なものではないのだ。8割方は無意味なものなのである。必要なものといえば、「オムツ」に「オシャブリ」に「ベビー服」に「おんぶ紐」に「ベビーカー」くらいだ。後はあってもなくてもやっていける。特にベビーバスなんてのは必要ないのだ。自宅に「盥」があれば、充分に対応できるのだ。
でも、育児グッズって、その無意味性が面白かったりするのだ。この無意味性を楽しめないと、人生で楽しめるものをかなり楽しんでいないことになる。休日に家族揃って出かけ、無意味な育児グッズを見てみるっていうのでも、充分に楽しめる行為なのだ。育児生活にユーモアをもたらすには、育児グッズは持って来いである。
育児グッズの定理その2
育児グッズは赤ちゃんのためにではなく、母親の欲求を満たすために購入される
育児グッズは赤ちゃんのためにあるのではない。母親の欲求を満たすために購入されるのだ。それゆえ、育児グッズとしての機能に拘るのではなく、美的センスにも拘っていないと駄目なのだ。赤ちゃんが使うから幼稚な柄でいいだろうと思うのは、製造メーカーのつけあがりにしかすぎないのだ。かといって、柄を斬新すぎるものにしていはいけない。それはそれでおかしいのだ。そこいらの塩梅をどうみせるかが、腕の見せ所だ。
育児グッズの定理その3
赤ちゃんは育児グッズがあってもなくてもきちんと育つ
いくら育児グッズ集めに狂奔した所で、赤ちゃんは育児グッズがあってもなくてもきちんと育つ。これこそが真実である。育児グッズはすべてあったことに越したことはない、という程度の物ばかりなのだ。要は、育児をしている母親が育児グッズで楽しめればそれでいいのだ。但し、その費用を負担せざるえない夫の方は、経済的には楽しめないけど。
●育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理
夫婦が育児を始めると、育児に関してささやかな夫婦の争いが起こるものだ。夫婦喧嘩ほどまでに悪化するものではないのが、夫婦双方がおかしな行動を取るために、ささやかな争いが起こってしまうのだ。本当にささやかな争いなんだけど、悪化させると大変な夫婦喧嘩に発展することになってしまう。
育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理その1
育児に於ける夫のアドバイスほど無益なものはない
何事も現場に居る方が最も詳しくなるものなのである。育児に関しては、妻の方が赤ちゃんに接している時間は長いのだから、育児に詳しくなっていくのは当然なのだ。それなのに、夫は育児に関してアドバイスをし始めるのだ。勿論、夫の方が仕事で育児に携わる仕事をしていれば別だが、育児に関係のない仕事をしていれば、そのアドバイスは全く無意味である。
育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理その2
妻の直感に夫の理屈は勝つことができない
育児をしていると、霊能力がついてくるので、妻の方は直感が冴えてくる。しかし、夫の方は霊能力の覚醒が遅れるために、直感が冴えて来ないので、理屈で打ち勝とうとする。この場合、夫の理屈では妻の直感には勝てないのだ。育児をやっていれば、自然と赤ちゃんに危険なことは察知できてしまうものなのだ。
育児に於けるささやかな夫婦の争いの定理その3
育児に於ける夫の最大の貢献は生活費をきちんと稼いでくることである
政府がいくら夫に育児を手伝わせようとしても、夫がすべきことは育児に手を出すことではなく、生活費をきちんと稼いでくることなのである。夫の育児うんぬんを言うのは、国家公務員のように身分が保障されているからこそ言える戯言なのだ。実際の夫婦では夫の稼ぎが低ければ、至る所で問題が発生してくるのだ。
もしも政府が育児のことをうんぬんと言いたいのなら、税金を安くし、国家公務員の数を減らすことである。そうすればどの夫婦でも経済的に困ることなく、きちんとした育児を行えることができるようになるのだ。政府の勧めにしたがって、低所得の夫がいくら育児を手伝ったとしても、大金を稼いでくる余所の旦那の貢献度には適わないものなのである。
●育児で得られる貴重な格言
育児をしていれば、様々な格言が得られる。国語の教科書に載るような文学的価値はないが、生活して行く上では、非常に価値のあるものだ。それらの格言を知っておくだけで、育児での失敗を少なくできることができ、育児を楽しめるようになることができるものなのだ。
①赤ちゃんの夜泣きより、夫のイビキの方がうるさい
赤ちゃんを育ててみると、赤ちゃんの夜泣きには本当に困ってしまう。睡眠を中断されることがいかに人間にとって大きな負担になるか、身を以て体験することになるのだ。赤ちゃんの夜泣きこそ、母親を疲労させるものだが、かといって、赤ちゃんの夜泣きは母乳を与え、オムツを交換すれば治まるものなのだ。夫のイビキの方は、一晩中、なり響く騒音なのだ。イビキをかく男性と結婚した女性は、本当に悲惨である。あのイビキのうるささに比べれば、赤ちゃんの夜泣きなど静かなものなのだ。
②掃除をした直後から赤ちゃんは部屋を汚すもの
赤ちゃんが家に居る限り、自宅が奇麗になることはない。赤ちゃんは母親が掃除をし終えた直後から、部屋を汚し始めるのだ。育児をしているなら、とにかく毎日掃除をすべきだが、絶対に完璧な清潔を目指さないことだ。掃除をして部屋の汚れを取れば充分なのだ。大事なことは赤ちゃんが部屋を汚す前提で、日々の掃除をすることなのだ。
③赤ちゃんの病気を治してくれる医者は醜男の方がいい
赤ちゃんは生後2年まで病気をしまくるものだが、小児科医の医者を顔で選んでは絶対に危険である。特に母親の精神年齢が幼稚だと、未だに男の顔に拘り、イケメンにはからきし弱いのだ。はっきりといっておくが、小児科医の医者で腕のいい医者はすべて醜男ばかりだ。小児科医は1つの病気を治せばいいのではなく、ありとあらゆる病気を治さなくてはならなくなるので、総合医学の様相を呈してくるのだ。
そのため、赤ちゃんや幼児たちが罹るであろうすべての病気を知っておかなくてはならないし、最新の医学論文なども読んで医学の進歩についていかねばならないのだ。そのような努力を強いられる仕事は、女遊びをしている男性ではついていけるわけがないのだ。結婚もできないような男性では困るが、腕のいい医者は結婚して妻オンリーになって、仕事に専念しているものなのである。だからこそ、自分の仕事を向上させることができるのである。
④効き目の強い西洋医薬品か、効き目の弱い漢方薬か、それが問題だ
育児をしていると、赤ちゃんが頻繁に病気になることで出くわしてしまう。しかし、だからといって薬を使いまくるのは、それはそれで問題なのである。育児の腕が上達してくると、赤ちゃんの病気に関してそれほど驚かず、まずは様子を見ようとするのだが、新米ママだと赤ちゃんを抱えて病院に飛び込んでしまうほどの驚きを見せてしまうのだ。
西洋医学の薬はとにかく効き目があるのだが、その分、副作用が怖い危険な薬なのだ。一方、漢方薬の方は副作用が少ないが、その分、効き目が弱いのだ。育児をしていると、どっちの薬を使えばいいのかということは、最大の争点になる。赤ちゃんが病気になっても、それを冷静に見ることができ、緊急時ではどの薬を使えばいいかが解れば、育児を安心して行うことができるようになるのだ。
⑤保母や保育士であったとしても、育児では初心者である
もしも友人に保母や保育士がいたら、その保母や保育士のアドバイスをまともに聞かないことだ。育児と保育は全くの別物なのである。保母や保育士といえども、育児では初心者なのだ。実際に赤ちゃんを産んでみれば、育児ではてんてこ舞いになるのは当然なのだ。いかなる母親といえども、この修行を通じて、母親として一人前になっていくのだ。赤ちゃんを産んでもいない女性が育児のことに関してとやかく言おうとも、それはすべて机上の空論でしかないのだ。
⑥育児の初期では育児雑誌がバイブル化される
新米マたちにとって有難いのが育児雑誌だ。育児の初期では育児雑誌がバイブル化されるものだ。とにかく育児に関しては知らないことばかりなので、育児雑誌を熟読することで、育児の仕方を習得していくのだ。但し、育児雑誌といえども、すべて正しい育児情報が載っているわけではなく、間違った育児情報も載っているので、要注意だ。育児雑誌の嘘を見破ることができ、育児雑誌を冷静に見れるようになったら、母親として相当の実力がついたということになるのだ。
⑦育児に学歴は関係ない
社会では学歴が一生涯つきまとうが、育児には学歴は一切関係ない。中卒でも高卒でも短大卒でも大卒でも大学院卒でも一切関係なく、母親としては初心者から始まるのだ。学歴が低いために自分を卑下し過ぎたり、学歴が高いために傲慢になっていると、育児ではトラブルが続出するようになるのだ。
育児は母親として赤ちゃんを健康に育て上げ、その子が将来、世のため、人のため、お国のために、貢献できるような立派な人物になってくれれば、その育児は大成功であったということだ。母親の育児の評価は、あくまでもその赤ちゃんが大人になってから計られるべきものなのだ。
⑧自分の赤ちゃんの可愛らしさはいかなる芸能人を以てしても適わない
育児をしているなら、とにかくテレビを消して、育児に集中した方がいい。テレビをいくら見た所で、育児よりも面白いことなど絶対に出てきはしないのだから。赤ちゃんの可愛らしさはいかなる芸能人を以てしても適わないのだ。芸能人をアイドル化して見ることがなくなり、冷静に成って見れるようになったら、それは自分が精神的に成長した証拠なのだ。
⑨育児でどんなにつらいことがあっても、育児の喜びの方が絶対に勝る
育児では大変なことがあるかもしれないが、育児の喜びの方が遥に勝るものだ。育児経験者たちは、とにかく育児が大変だったと言い過ぎなのだ。これから育児をしようとする新米ママたちにどれだけ精神的負担をかけているか計り知れないのだ。もしも育児が大変だったなら、世の女性たちは誰も赤ちゃんを産まなくなるはずだ。それなのに、毎年、赤ちゃんが生まれるということは、本当は育児は楽しいってことなんだ。
もしも、今現在育児をしているなら、育児がし終わった時、「育児って大変よ~」というオバサンにだけはなってほしくない。ありとあらゆる物事は、大変なことがあるからこそ、それ以上の楽しみがあるものなのだ。是非とも、育児の苦労ばかり伝えるのではなく、育児の楽しさを伝えられる立派な母親になってほしいものだ。
●育児ズッコケの法則を知っていれば、育児ストレスは軽減される
育児をやっていれば、誰もが育児でズッコケる。でもそれは育児をしていて失敗というものではないのだ。育児を完璧にやろとするからこそ、育児ズッコケが発生してしまうのである。要は力が入り過ぎているのだ。だから、力を抜いて、リラックスして育児を行えば、育児ズッコケは起こりにくくなるのだ。
かといって育児ズッコケがすべてなくなるわけがないのだ。育児をしていれば育児ずッコケが起こるのは当たり前なのだ。そういう時は、笑って楽しんでしまうことだ。マニュアル通りに育児をやっても、楽しくないものなのだ。育児をやっていて様々な育児ズッコケに出会うと、それが逆に面白く、記憶に残っていくものなのだ。
育児ズッコケの法則を知っていれば、育児ストレスは軽減されるものだし、育児ズッコケで笑ってしまえば、育児ストレスなどどこかに消え去ってしまうものだ。法則を知った上で、それを楽しむ。これができれば育児は楽しいことだらけになるのだ。テクニックに走ると、育児を或る程度までこなせるけど、育児を楽しむ所まではいかないものなのだ。
育児ズッコケが解れば、夫だって様々な場所でズッコケているし、自分だって様々な場所でズッコケているのだ。だから、夫が何をしようとも、余りきつく責めるべきではないし、自分が失敗しても、余りきつく責めるべきではないのだ。生きていれば、誰もがズッコケるのだ。
育児をしていて、自分が精神的に成長できるものがあるとするなら、それはこの世には完璧な物はないということに気づけることなのである。出産していない女性はとにかく完璧な物を追い求めすぎなのだ。恋愛でもセックスでも仕事でも完璧なものなど、この世には存在しない。誰もがスッコケながら生きているのだ。自分だって完璧じゃない。夫だって完璧じゃない。赤ちゃんだって完璧じゃない。その事実に気付いたからこそ、逆に精神的に成長していくことができるようになるのである。
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コメント
タマティーで~す!
タマティーはお酒は殆ど飲まないのだけれども、付き合いで年に何度かはお酒を飲むことになる。
しかも、この夏の時期に飲酒の回数が最も多くなるのだ。
夕飯を一緒に食べると、お酒を飲まずに食べればいいものを、なぜかお酒を注文して、ビールで「乾杯!」と遣り出すのだ。
一体、何を理由に乾杯しているのか解らないけど、夏の暑さで頭がおかしくなっているのだろう。
俺に言わせれば、夏の暑さを吹き飛ばすためには、とにかく朝の段階で運動して汗を流してしまうことに尽きる!
朝に汗を流すと、その日1日中涼しくしていられるからだ。冷房なんていらないし、せいぜい団扇で煽ぐ程度で充分に涼しくしていられるのだ。
しかし、お酒を飲む夜の付き合いもたまにはやらないと、人間関係に支障を来たすことになる。だから、付き合いで飲まざるを得なくなるのだ。
「ビールって1杯目が一番旨いんだよな~」と酒飲みたちはいうのだが、だったらその1杯目でやめておけばいいのだ。
タマティーは下戸なので、ビール1杯で顔が赤くなってしまうので、それ以上はもう飲みたくはないのだ。飲んだとしても、ビール3杯でもう充分なのだ。
だが、酒飲みたちの手にかかるとそれでは決して終わらない。そこからビール以外の酒を注文し始め、夜の宴が延々と続くのだ。
よく、「飲みニケーション」などといって、飲酒に於ける人間関係の重要性を説くが、お酒が入ったら、まずまともな話をするのは不可能なのである。
俺自身、仕事の付き合いで、お酒が入ったら、まともな話はできないと諦めている。もしも、その人物とまともな話し合いをしたいのなら、喫茶店に連れて行き、お茶でも飲みながら、話をするようにしている。これならまともな話し合いができるからだ。
肉体労働をやっているのなら、仕事を終えた後にお酒を飲むことは、或る程度は必要である。
仕事で緊張した筋肉や神経をリラックスさせてくれるからである。
しかし、頭脳労働に携わった場合、お酒というのは極力飲まないようにすべきなのである。仕事で脳が疲労しても、お酒を飲んでもその疲労は取れないからだ。
脳の疲労は寧ろ、仕事とは関係のない趣味に打ち込んで脳をクールダウンさせたり、脳に必要な栄養素を取ることで脳の機能を回復させるしかないのだ。
いくら仕事で疲れたからといって、お酒を飲んでしまえば、その後、夜に読書することなど不可能になるし、二日酔いになってしまえば、朝早く起きることもできないし、正午辺りまで脳は全く正常に機能しないことだろう。
もしも、一切お酒を飲まず、夜の時間を読書の時間に充て、1晩で1冊読んでしまえば、1年で365冊も読めてしまうのだ。その反対にお酒ばかり飲んでいた人は、1年にうちに1冊も本を読んでいないことになるのだ。
そうなれば、両者がビジネスで対決した場合、毎晩読書している方が圧倒的に勝利してしまうものなのだ。ビジネスに於いて無知というのは、確実に敗北をもたらすものになってしまうのである。
いくらお酒が飲まないことがいいからといって、全く禁酒してしまうことはできないものだ。
付き合いでどうしても飲まざるをえないからだ。
しかし、お酒を極力控えて、仕事や勉強に打ち込んでしまった方が、ビジネスは成功するし、収入だって激増していくことになるのだ。
よく、「不況だから」とか、「政府の政策が間違っているから」といって、自分の仕事の出来の悪さを隠蔽する人たちがいるものだが、自分の仕事に専念していれば、不況や悪政など殆ど影響しないものなのである。
ビジネスというのは、手抜きせず当たり前のことをやっていれば、確実に成功していくものなのである。
ビジネスをやっていれば、自分の知らないことに出くわしていくものだ。そういう時はせっせと本屋に通って、書物を買いまくり、読み漁っていくしかないのである。
そのためにはお酒を飲んでいるお金を削減して書籍代に充てねばならないし、お酒を飲んでいる時間を削減して読書の時間に充てねばならないのだ。
既婚女性であるならば、絶対に夫の書籍代だけはケチらない方がいい。それは無駄遣いなのではなく、立派な投資だからだ。仕事をしているのに、自分に投資をしていなければ、能力など向上しなくなってしまい、その結果、貧乏を強いられることになってしまうのだ。
育児をしていて、何が最大の利点かと言えば、お酒を飲む機会がなくなったということではないだろうか?
お酒を飲まなければ、いくらでも自由時間を得ることができるので、赤ちゃんが寝ていれば、その時間を使って自分のために使っていけばいいのだ。
それを3年間遣り続ければ、第一線で活躍できるだけの実力が得られるものなのである。
お酒が好きな女性は、お酒を飲めないことを苦痛に感じてしまうだろうが、お酒を飲まなければ、その分、お金も時間もたっぷりと得られるものなのである。それだけ今までお金も時間も無駄にしてきたということなのだ。
俺は毎朝早く起きて、『幸せ色の出産ラブストーリー』を書いているのだが、そのためには前日にお酒を飲まずに早く寝て、早起きをして書き上げていかねばならぬのだ。
それなのに夏となると、付き合いでビールを飲まざるえなくなるのだから、この暑い夏の時期は俺にとっては憂鬱な時期になってしまうのである。
みんなが飲んでいるのにも拘わらず、自分だけが飲まないというわけにはいかないのだ。
この前、とある女優さんとみんなで一緒に飲んだのだが、その女優さんとは昔からの知り合いだということもあって、俺はお酒を飲むことを遠慮したのだが、これほど気まずい雰囲気というのもなかった。その後、1週間ぐらい、「やっぱ一緒に飲んでおいた方が良かったかな~」「あれは失礼だったな~」と悩んでしまったぐらいだ。
その1件以来、どうしても飲まざるを得ない時は、お酒を飲むのを遠慮するというのではなく、付き合いで1杯か2杯か飲んで、それで打ち止めにすることにした。こうすれば、翌日にお酒は残らないので、ブログを書き続けることができるのだ。
このブログが日々更新されるためには、タマティーの壮絶なお酒との戦いがあることを決してお忘れなく。
投稿: 笑撃ヒートアップ『下戸たちの憂鬱な夏』 | 2009年6月27日 (土) 06時04分
昨年の医薬品登録販売者試験に関して裁判沙汰の騒ぎが起こって
いるようです。
やはり低レベルと言われた試験問題が原因なのでしょうか?
http://www.drugmagazine.co.jp/dt_index.html
投稿: テル | 2009年6月27日 (土) 15時11分