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2009年7月

夫婦が夢を共有してしまえば、育児ストレスはすべて吹き飛んでしまうもの

●育児をする意義を夫が与えるもの

 新米ママが赤ちゃんを産んで育てていけば、数日や数ヵ月で育児が終了することはない。その赤ちゃんが成長して、夫婦のもとを旅立っていくその日まで、面倒を見続けなければならないのだ。だから、新米ママにとっては、それだけの労力を払って育児をし続ける意義が欲しいのだ。

 そこに赤ちゃんがいるからでは、育児をする理由にはならないのだ。妻が育児をする意義は、夫が与えなければならないのだ。妻は「赤ちゃんが夫の子供だからこそ、妻は全力を投入して育てていくのだ」という育児の意義が欲しいのだ。育児をし続ける妻に、育児の意義を与えることで、妻に育児自体に対する疑問を抱かずに行わせるようにしなければならないのだ。

 地球上のどの哺乳動物も、雌が赤ちゃんを産みさえすれば、雌はなんの疑問を抱くことなく、その赤ちゃんを育てていくことだろう。しかし、人間は進化の過程で脳を巨大化させてしまったので、知能を高くさせすぎてしまうと、本能が衰えてしまい、赤ちゃんを産んだ母親が育児をするという当然すぎる行動ですら、拒否してしまう可能性があるのだ。

 それゆえ、夫は自分の妻にメイクラブなどを通じて本能が衰えないように刺激する一方で、妻に育児の意義を与えて、妻の知能が高くなっても、育児放棄をしないように配慮しなければならないのだ。だからこそ、妻が出産してからのメイクラブは、夫の快楽のために行うのではなく、妻に対して徹底的にサービスして、妻に快楽を最大限与えるようにしなければならないのだ。そして、夫が妻に育児自体への疑問を持たせないように、育児の意義を与えねばならぬのだ。

 妻が常日頃から夫に育児の手伝いを頼んでくるようであるならば、その夫は妻に育児の意義を与えていないし、夜の夫婦の愛の営みで、夫が一方的に射精するセックスになっているのだ。育児への不満が一杯になってしまった妻が、夫に育児の手助けを頼むことで、その不満を解消しているにすぎないのだ。

●夫に夢がないからこそ、妻は不平不満で一杯になる

 どうすれば、夫は妻に育児の意義を与えることができるのか? それは夫が夢を持つことなのである! 夫が夢を持って、それを妻に熱く語り、その夢に向かって邁進しているのなら、妻は夫に惚れるようになり、夫を応援するようになり、夫の赤ちゃんをきちんと育てたいと思うようになるものなのだ。育児ストレスなど、どこかに吹き飛んでしまうのである。

 夫が夢を持たずに、仕事ばかりをこなして、生活費を稼ぐだけの労働をしているのなら、妻はなんのために育児をしているのか解らなくなってしまうのだ。妻は夫に夢がないからこそ、妻は不平不満で一杯になってしまうのだ。仕事でくたびれ果てて帰ってきた夫に、妻はなんの愛情も抱かないのだ。寧ろ、夫を軽蔑するようになってしまうのだ。

 人間は現実生活をきちんとこなしていくのと同時に、その現実生活から離れ、夢を見たいのだ。夢があるからこそ、現実生活を有意義に過ごすことができるのである。夫に夢させあれば、妻はその夢の実現の手助けをしたいと思うようになり、現実生活に於いていかなることが襲いかかってきても、大した苦痛を感じなくなってしまうのだ。

 既婚男性たるもの、夢を持て! 夫に夢がなければ、妻は育児ストレスで一杯に成り、悩んでしまうものなのだ。結婚は夫が「俺はこうする!」と言ってしまえば、妻はそれに従うものである。夫婦の夢を掲げることは、夫の義務なのである。妻だって夢を見たいのだ。そしてそれを実現したいのだ。夫が自分たち家族がどの方向に行くかを示さないからこそ、妻は不安だらけになってしまうのだ。

 育児に於いて妻だけを見ていては、育児の問題をすべて解決できないのだ。夫という存在が非常に重要になってくるのだ。育児における夫の役割は、妻がやっているような育児をすることではないのだ。夢を持ち、それを掲げ、その夢に向かって走り出していくことなのである。夫が走り出してしまえば、妻は夫について行かざるをえず、いつの間にか育児に於ける問題が吹き飛んでしまうのだ。

●妻のご機嫌を取るより、妻に夢を与えよ

 育児の専門家の手にかかると、育児のことだけしか見ていないから、妻が育児で困っているなら、夫が育児を手伝えば、問題は解決するだろうと思い込んでしまう。しかし、いかに夫たちが育児に励んでも、妻が引き起こしている育児の問題は解決されないのだ。ぎゃくに育児の問題だけでなく、夫婦の関係にも亀裂が入ってくることだろう。なぜなら、その夫婦に夢がないからだ。

 夫は妻のご機嫌を取るよりも、妻に夢を与えることをすべきなのである。確かに、妻が育児の手助けを頼んできている以上、最低限の手助けを行うことは必要である。しかし、このような手助けを求めてきているならば、自分は妻に夢を与えることができていないと反省すべきなのである。もしも、夫が妻に夢を与えていれば、仕事で疲れて帰ってきた夫に対して、育児を頼んだりはしてこないからだ。まずはその苦労をねぎらう筈だからだ。

 しかも、大体、最初の赤ちゃんが生まれてきた頃に限って、男の仕事は忙しくなるものだ。今までは平凡な仕事ばかりこなしていたのに、急に重要な仕事が舞い込んできて、それらを片づけていかなければならなくなってくるのだ。それなのに、仕事で疲れて帰ってきても、妻からなんのねぎらいもなければ、自分は妻になんの夢も与えていないことに反省をすべきだろう。

 夕食を食べ終わった後でもいい。自分の今の仕事はこういうことをやっており、自分は将来、このような仕事をやっていきたいと、熱く妻に語ることだ。休日で夫婦に暇ができたのなら、今、自分たちはこのようなアパートに住んでいるかもしれないけど、将来的には豪邸を作り、そこに引っ越すと、妻に夢を見させることだ。

 現在、自分が平凡なサラリーマンで給料が低くても、決して構わないのだ。現実に埋もれてしまうのではなく、夢を見ることが大事ななのである。夢を掲げていれば、それに向かって夫婦が協力し合い、自分の一人では成し遂げられなかったもので、実現することが可能になってくるのだ。職場での愚痴をいったり、安月給を嘆くよりは、まずは夢を持つことなのだ。若ければ、過酷な仕事が与えられるのは当然だし、給料だって安いのは当たり前なのだ。しかし、夢を持っていれば、立身出世を果たし、高額所得を得ることができるようになるのだ。

●夢があれば、驚異的な推進力が湧いてくるもの

 人間はいつまでも同じ場所に立ち止まるようにはできていないのだ。人間は動くことでエネルギーを増加させていき、そのエネルギーを使って未来を切り開いてきたのだ。それゆえ、夢があれば驚異的な推進力が湧いてくるものであって、その推進力を使ってしまえば、夫の仕事も、妻の家事や育児も、楽々とこなせるようになってしまうのだ。

 しかし、その推進力がなければ、夫は仕事で苦労し始め、疲労困憊してしまい、妻は家事や育児でトラブル続きになり、ストレスで一杯になってしまうのだ。夫は漠然と仕事をやっていればいいのではないのだ。妻も漠然と家事や育児をやっていればいいのではないのだ。

 人間は目標に向かって突進していくものなのだ。いかに無名で無力な夫婦であったとしても、夫が夢を掲げれば、その夢に向かって夫婦は走り出していくことになるのだ。その夫婦に夢がないからこそ、いつまでも同じ場所に立ち止まってしまい、エネルギーを激減させていってしまうのである。

 夫婦というものは、家族というものは、夫の意思次第でどうにでもなってしまうのだ。夫が夢を持って、それ掲げてしまえば、妻を意欲的にさせることができるのだ。それさえあれば、家事でいかなる問題が生じたとしても、育児でいかなる問題が生じたとしても、簡単に解決させていってしまうものなのである。

 夫婦が夢を共有してしまえば、育児ストレスはすべて吹き飛んでいってしまうのである。自分たち夫婦がどのような状態にあったとしても、自分たち夫婦の夢が明確になっていれば、その夫婦はそれだけで熱くなっているものなのだ。そのような妻が育児ストレスでくたばるような貧弱な女性であるわけがないのだ。妻の心の中からエネルギーが噴き出しており、育児を楽々とこなしてしまう、最強の母親になってしまうものなのだ。

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赤ちゃんが変というよりも、自分自身が変と気付けば、育児ノイローゼは吹き飛んでいくもの

●母親はみんな同じではない

 育児というのは、本来は楽しい筈なのに、それをつまらないと感じてしまい、育児ストレスで一杯に成り、育児ノイローゼになっていくような女性は、常にトラブルの原因を相手に求めるということを繰り返してきたため、育児でのトラブルを赤ちゃんに求めたり、夫に求めたり、姑に求めたりしてしまうのだ。だからこそ、トラブルが発生し、拡大し、収拾が不可能になってしまうのだ。

 結婚生活をしている場合、トラブルの原因は他人の中にはないのだ。トラブルの原因は自分の中にこそあるのだ。自分が結婚の仕方が未熟だからこそ、育児の仕方が未熟だからこそ、至る所でトラブルが発生しているにすぎないのだ。他人に責任を求めず、自分に責任を求めることができれば、いかなるトラブルであったとしても、それらは最早、解決への道を歩み始めているのだ。

 すべての新米ママたちは、みんな同じような経験をすることで、母親へと成長していくことになる。しかし、だからといって、すべての新米ママたちは平等ではないのだ。それぞれの新米ママたちは、物の考え方も、体つきも、収入も、全く違うものなのだ。たとえ結婚したとしても、或る新米ママたちはその結婚を幸せなものにしてしまい、或る新米ママたちはその結婚を不幸なものにしてしまう。たとえ赤ちゃんがいたとしても、或る新米ママたちはその育児を幸せにものにしてしまい、或る新米ママたちは育児を不幸なものにしてしまうのだ。

 平等に取りつかれると、苦しみは大量に発生してくる。無制限に発生してくる。新米ママたち同士で平等というのは存在しないからだ。どの母親たちも日進月歩で育児の仕方を上達させつつあり、時間が経てば経つほど巧くなっていくものなのである。自分だけ平等を唱えて立ち止まっていたら、自分は一向に成長しておらず、それどころか育児の仕方が悪化していくだけなのである。

 赤ちゃんの成長は非常にゆっくりとしたものだ。育児というのは、時間をかけさえすれば、どんな馬鹿な女性であったとしても、きちんと対応することができるようになっているのだ。それすらできないということは、赤ちゃんに問題があるのではなく、新米ママ自身にこそ問題があるのである。

●初期抵抗は必ず消滅する

 いかなる物事を始めても、必ず初期抵抗を発生させてしまう。例えば、会社を設立しようとすると、資本金を集めて、定款を法務局に提出しさえすればいい。慣れてしまえば、3日とかからない単純な作業だ。しかし、ベンチャー企業の企業家たちは、最初の会社を設立する時は、それこそ何ヵ月も悩み、資本金集めに苦労し、定款を作る作業だけで数週間も要しているのだ。

 これが初期抵抗である。慣れた人なら、簡単に行うことができても、最初に始める人にとっては、ありえないような苦労を強いられるものなのだ。しかし、その初期抵抗は経験を積んでいけば消滅していく。最初の会社を設立する時は長い月日をかかったのに、その後、会社経営に成功して、子会社を作り始めると、会社設立を短時間で行えるようになっていくのだ。

 結婚も同じだ。育児も同じだ。結婚した当初は、夫婦双方の生活の仕方の違いが衝突してしまい、至る所で問題が発生してくるものだ。一人暮らしをしていた頃では家事の負担など気にしないほどに小さかったのに、結婚してしまうと、家事の負担が非常に大きく感じられてしまうのだ。

 育児も最初の赤ちゃんなら、至る所で問題が発生し、赤ちゃんのちょっとした反応で一喜一憂してしまうのだ。第一子であるなら、育児にピリピリするのは当たり前なのだ。新米ママの育児はとにかく危なっかしいし、失敗を連発してくるものだ。新米ママの方も疲労困憊になってしまうものだ。しかし、そういう経験を積んでいくと、初期抵抗が消滅し、育児は楽しいものになっていくのだ。結婚も初期抵抗さえ消滅すれば、後は順調に進んでいくものなのだ。

 結婚でトラブルを発生させる女性や、育児でトラブルを発生させる女性は、この「初期抵抗は必ず消滅する」というメカニズムを知らないからこそ、ストレスで一杯になってしまうのである。何事も最初から順調にはいかないものなのだ。しかし、初期抵抗が消滅してしまえば、順調に行き始めるようになるのである。

●知識と知恵の違い

 人間の記憶力には限界があるから、いくら知識を詰め込んでも、忘れてしまうものだ。いくら育児本を読んで、育児の知識を蓄えても、実際に育児をやってみると、どうも巧くいかにものだ。頭では解っていても、体がついていかないのだ。何事も経験してみなければ、本当の所は解らないのだ。

 それが知識と知恵の違いだ。知識はそもそも経験の中から獲得されたものだ。しかし、経験をしていない人に、いくら知識を授けても、頭では解っていても、本当の意味を解ってはいないのだ。自分は実際にやってみて、悪戦苦闘して、何度も失敗するからこそ、本当の意味が解り、育児の知識を自分のものにすることができるのである。

 育児では「習うより慣れろ」ということを地で行った方がいいのだ。確かに最低限の育児の知識を持っていれば、実際の育児では有効だろう。しかし、いくら知識を詰め込んでも、育児を実際にやらなければ、本当のことが解ってこないのだ。事前に育児の知識を知らなくても、実際に育児をやっていれば、なんとなく大事なことが解ってくるものなのである。

 知識は経験から作り出される。経験は知識によって変えることができる。だが、その循環で終わってしまうものではないのだ。「経験の奥にあるものが知恵」だし、「知識の奥にあるものも知恵」なのだ。どんなに育児の経験を積もうとも、どんなに育児の知識を持ったとしても、知恵がなければ、その真価を最大限に発揮することはできないのだ。

 だから、自分の実母や、夫の義母に、育児の話を聞くことは重要なのだ。できれば、お婆ちゃんたちに話を聞いてみることだ。みんな育児の経験者たちだから、話を聞いているうちに「育児の知恵」を教えてくれるものなのだ。自分が未熟であるならば、教えられたとしても、その知恵の価値が解らないことであろう。しかし、自分の経験値を積んでいけば、「そうか! そうやれば良かったんだ!」と心から解る日がやってくるのである。

●自分が変と気づけば、自分を変えていくことができる

 赤ちゃんを出産すれば、自分は母親に変化するし、赤ちゃんを育てていけば、自分は母親として成長していくことだろう。それなのに、自分が独身気分のままなら、育児の現場でいくらでも発生してくることであろう。結婚しているのに、育児をしているのに、自己中心で生きていれば、いくらでもトラブルは発生し、苦しみだらけになってしまうものなのだ。

 自己中心の人生から、自分を母親に変化させ、成長させていけば、いくらでも母親として成長していくことができるのだ。そして自分が変わってしまえば、そこからエネルギーが生まれ、今までの自分では考えられないくらいの凄まじい推進力を与えてくれるのだ。母親として進んでいけば、面白いことはいくらでもあるものなのだ。

 育児をしていると、自分の赤ちゃんは変なのではないかと思いがちだ。しかし、変なのは母親に成りきれていない自分自身なのだ。赤ちゃんには何も変な所がないのだ。自分が変だと気づけば、自分を変えていくことができるのだ。古い自分を捨て、新しい自分になってしまえば、新しい世界は広がってくるものなのだ。

 出産や育児は、既婚女性を変えてしまうものなのだ。赤ちゃんを産んでしまえば、最早、後戻りはできないのだ。しかし、第一子目ではその変化を素直に受け止めることができないのだ。自分が一人黙々と育児をしているのに、自分の友達が独身生活を謳歌していれば、自分の心は決して落ち着かないことだろう。出産の喜びや育児の喜びは、結婚せず独身を貫いては得られないものだと解るその日まで、育児でのトラブルは続くのだ。

 第一子目は育児の喜びよりも悪戦苦闘の思い出の方が多いものだ。だが、自分が人生を振り返った時、あの時こそが今までの人生の中で最も人生が充実していた時なのである。だからこそ、どの母親たちも「最初の赤ちゃんは特別」という感想を述べて来るのである。そして、もっと育児の喜びを味わいたいから、第二子、第三子と産んでいくのである。そうやって、育児の喜びが益々大きくなっていくのだ。

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お金があれば、育児に於いて圧倒的な優位に立てることは当然である

●「お金の力」と「愛の力」

 育児にはお金がかかるものなのである。育児には母親の母性愛が必要であったとしても、それだけで育児ができるものではないのだ。「愛の力」だけでなく、「お金の力」があるからこそ、育児をきちんと行うことができるのである。どの国民も自国の経済力以上の人口を養うことはできず、経済力以上に人口が増えずぎてしまえば、飢饉が発生するか、海外へ移民をせざるえなくなるのである。

 個人レベルでも要は経済力のある人々が子孫を残すことができるのである。フェミニストたちのように結婚もせず、赤ちゃんを産まないという生き方は、それを遂行していくだけの経済力を自分は身につけることができなかったということを暴露しているにすぎないのだ。先進国は出生率が停滞してしまうものだが、それは教育費に余りにもお金がかかるために、そう易々と大量に子供を作ることができなくなっただけのことなのである。

 福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」といって、身分制度を否定して、学問による出世を肯定したのだが、現在の日本の大学は、お金持ちの子女たちが行く所になっているのだ。慶応義塾大学は日本の大学の中で最も授業料が非常に高く、いくら平等を唱えたとしても、裕福な家庭の子供でなければ、進学することができないのだ。

 では、国公立大学には貧乏人の子女たちが行ける思いきや、最早、そうではなくなっているのだ。学生の親の平均年収が最も高い大学は、実は国公立大学の最高峰「東京大学」であるのである。これを最初に指摘したのは、ライブドアの社長だった堀江貴文であったのだ。日本のマスコミ界に根強く蔓延る平等幻想に最大の衝撃を与えたのである。だからこそ、猛烈な嫉妬を食らって逮捕されるまに至ってしまったのである。

 実を言ってしまえば、高校までなら、それほど教育費はかからないものなのだ。しかし、大学に進学させるとなると、塾や予備校に行かせねばならないし、大学の授業料と、その間の生活費というのが、非常に高くついてしまうのである。だからこそ、裕福な家庭の子女が大学に進学することができるのである。そして大学を卒業すれば、高所得を得ることができるから、結婚して子供を産むことができ、その子供たちも大学に進学してくるということを繰り返してくるのである。

●お金を絶対に軽視するな

 多くは母親たちはお金で躓くものだ。愛さえあれば、赤ちゃんを育てていくことができると思い込んでいるからだ。確かに愛は必要である。しかし、それだけで赤ちゃんを育てることはできないのだ。その夫婦にお金があれば、育児に於いて圧倒的な優位に立てることは当然なのである。

 夫婦というのは、すべての夫婦が平等ではないのだ。結婚した時点で、高所得の男性と結婚した女性は優位に立てるものだし、低所得の男性と結婚した女性は不利に立ってしまうものだ。自分の夫の稼ぎが良ければ、お金に関するトラブルが殆どなくなるのだ。夫の稼ぎが悪ければ、お金に関するトラブルが続出し始めるのだ。そして、お金のトラブルは、そのまま育児のトラブルに繋がるのだ。

 結婚しているからこそ、愛以外の力に気づけ。愛が引き起こす誘惑に騙されてはならない。愛は有能であり、お金は万能であるのだ。いかに愛を説くキリスト教といえども、お金なくしては教会を維持することができないのだ。キリスト教は愛を唱えながら、信者からお金を巻き上げている宗教に他ならないのだ。愛の美名に騙されず、もっとお金にドライになった方がいいのだ。

 もしも、自分の赤ちゃんを音楽家に育てたいのなら、3歳になったら音楽教育を始めることが必要になってくる。その授業料や楽器に費用は自分たち夫婦が負担しなければならないのだ。自分の子が20歳を過ぎてから音楽家に成りたいといっても、3歳から音楽教育を受けてきた人には絶対に負けてしまうものなのだ。

 もしも、自分の子供をスポーツ選手に育てたいのなら、小学生になったらスポーツ教育を始めるしかない。その授業料やユニホームや道具は自分たち夫婦が負担しなければならないのだ。スポーツは遊びなのに、それを真剣にやれば莫大な費用がかかってくるものなのだ。だが、そのスポーツで日本一や世界一に立つことができれば、その金額を遥に上回る莫大な報酬を得ることができるのである。

 日本では「学歴差別」が最も厳しい差別なのである。社会主義者たちがいうように「貧富の格差」は問題にならないのだ。フェミニストたちがいうように「男女の性差」など問題にならないのだ。大学卒の資格を持っていれば、高所得になれるものだし、大学を卒業していれば、女性であったとしても、自分に出世に障害が出て来ることはないのだ。大学を卒業していても低所得なら、その人物の能力が低いだけであり、大学を卒業したのに、男女の性差をとやかくいうなら、その人物が周囲の人間たちに喧嘩をふっかけるような生き方をしているからなのである。

●お金で買えないもの

 お金がすべてのものが買えるわけではない。お金で買えないものの一つに「道徳」がある。道徳の中でも「仁」「義」「礼」「智」「信」は重要である。仁とは、他人への心からの思いやりである。義とは、私利私欲を離れて正しい道に従うことである。礼とは、心に敬意を抱き、それを行動として外に出す作法のことである。智とは、優れた心の働きであって、物事を知り分ける能力のことである。信とは、信用のことであって、他人と締結した契約を忠実に履行し、絶対に裏切らないということである。

 不思議なことに、お金が充分にあると、道徳の重要性に気づくようになり、道徳を守るようになっていくのだ。「衣食足りて礼節を知る」とは良く言ったもので、最低限のお金すら持っていない人に道徳を守らせる方が無理なのである。貧しい家庭に育ってしまえば、道徳どころの話ではなく、悪の道に走って盗みを働かざるをえなくなってしまうものなのだ。

 この世で最も価値があるものなのに、大金を支払っても買えず、無償で行えてしまうものに、「神への崇敬」がある。人間は神へ崇敬を行って初めて、人間らしく生きることができるのであり、神の子として神の見えざる力が働き、自分以上の力を発揮していくことができるようになるのである。

 育児をしていくと、乳幼児というのは、母親が教えなくても、神様にちゃんと手を合わし、祈りを捧げるものなのだ。純粋無垢であるなら、誰もが神への崇敬を持っている証拠なのだ。それなのに、人間にとって不要な知識を溜め込みすぎてしまうと、無神論に走ったり、無宗教を唱えることになってしまい、邪道を歩み始めてしまうのである。

 神への崇敬がもたらす効果の一つに、「謙虚さ」を身につけることができるというものがある。自分が傲慢にならず、謙虚だからこそ、様々な物が自分の所に入ってくるのである。自分がどんなに学問に精進したとしても、自分の知らないことばかりなのだ。自分がどんなにお金持ちになったとしても、まだまだお金はたくさんこの世に出回っているものなのだ。自分はなんでも知っていると言ってしまえば、それ以上、その者が賢くなることはなくなることであろう。自分がお金を持っていることで浮かれてしまえば、それ以上、豊かになることはできないものなのだ。

●「豊かさの逆説」を引き起こさないために

 赤ちゃんを育てていくのに、母親の母性愛や父親の父性愛は絶対に必要である。更に育児を充分に行えるだけのお金も必要なのである。このバランスをしっかりと取っていれば、育児が巧く行き、赤ちゃんはスクスクと育っていくものなのだ。決して赤ちゃんは愛さえあれば育つわけでもなく、お金さえあれば育つわけでもないのだ。どちらも必要なのである。

 では、夫婦が「愛の力」と「お金の力」を兼ね備えれば、すべて育児が巧く行くかといえばそうでもないのだ。「貧しい家の孝行息子、豊かな家の馬鹿息子」と言われるくらいに、裕福な家の子供は、お金の苦労を知らぬから、どこか間抜けになってしまい、貧しい家で育ってきて、お金の苦労を何度も味わってきた子供に、その能力に於いて負けてしまうことになるのだ。

 自分たち夫婦が裕福な家庭を実現できたのなら、それで万々歳なのではなく、それからが大事なのである。まず、どんなことがあっても、「子供を親に服従させよ」。この家では父親が一番偉いのであって、父親に逆らえばいかなるお仕置きも許さないということにするのだ。家庭の実権は母親が握っているのであって、家事の手伝いを頼まれたら、忠実に行わせるのだ。

 そして「幼い時から教育を怠るな」ということである。家事の仕方も、遊びの仕方も、子供たちに教えていくことだ。我が家の家系を伝えていき、先祖の活躍を教え込んでいくことだ。宗教書を解り易く説明して、人間はこういう時はこうすべしということを教え込んでいくことだ。

 その上で「可愛い子には旅をさせよ」を実行することだ。10代のように血気盛んな時に自宅に置いておくのではなく、敢えて外に出すことで、世間の中で自分の子供を鍛えさせていくのだ。育児や子育ては、自分の思い通りに育ててる部分には限界があるのである。親の期待を超えて成長してくれるからこそ、自分の子供は大きく成長していくことができるのである。

 育児や子育てをしていくためには「豊かさ」が必要なのである。だが、豊かさには思わぬ罠が仕掛けられており、「豊かさの逆説」が作動してきてしまい、育児や子育てを台無しにしてしまうのである。「豊かさの逆説」を引き起こさないためにも、「お金の力」をきちんと持ちつつも、お金では買えない物があることに気づき、それらをちゃんと手に入れていくことだ。

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育児を巡る姑との対立

●姑の意見は正しくもあり、間違っていることもある

 結婚したら、夫の両親や兄弟姉妹たちと仲良くして、骨肉の争いを引き起こさないようにするべきなのである。人間の争いの中でも、骨肉の争いが最も激しい戦いを演じてしまうのだ。特に姑との関係を良好にすべきなのである。テレビドラマの見過ぎで、嫁姑の戦いを自分が引き起こしてはならないのだ。

 嫁姑の争いが起こる原因は3つある。一つ目は姑は嫁に自分の息子を取られたと思っていることである。2つ目は嫁の方に姑を敬うという最低限の道徳がないということである。3つ目が姑が嫁の育児の仕方に注文を付け過ぎるということなのである。この中で1つ目の原因と2つ目の原因は、嫁が姑に敬意を払い、姑のご機嫌取りをすれば、消えてしまう原因なのだ。しかし、3つ目の原因だけは、いかに良く出来た嫁といえども、これだけは問題にしてしまうのだ。

 夫の家がそれなりの古い家系で、しかもそれなりの財産があるなら、独特の育児の仕方を伝えてくるものだ。そうなれば、嫁いできた以上、自分勝手の育児をすることができず、夫の一族の育児の仕方を行わざるをないだろう。だが、それほど古い家系でもなく、そんなに財産がないにも拘わらず、姑が嫁の育児の仕方にあれこれと注文をつけてくれば、それはそれで問題になるのだ。

 この場合、姑は親心から出たものであって、嫁に育児の仕方を教えれば、嫁は育児が巧くなってくれると思ってしまうものだ。だが、この考えの根本的な間違いは、「母親が主体的に育児をしないと、母親自体が成長しない」ということに姑が気づいていないということだ。姑が余りにも口を出すために、嫁の育児に於ける主体性を奪ってしまい、嫁が育児に精を出すことがなくなってしまうのだ。一方の嫁も嫁で、姑の意見に従ったとしても、不満の火種を燻らせてしまうのだ。

 もしも、姑から育児の仕方をとやかく言われたら、鵜呑みにしたり、怒ったりするのではなく、とにかく紙に書き出して、冷静に受け止めることだ。鵜呑みをしていると、自分に主体性がなくなってしまうし、感情的になるのは絶対にタブーだ。「盗人にも五分の魂、姑にも五割の正論」と思って、姑の意見をまずはきちんと受け止めることだ。

●問題を悪化させる前に夫婦で話し合うこと

 姑の意見は、姑が育児の経験者だからこそ、正しいものが含まれているものなのだ。しかし、その意見が少なければなんの問題も生じないが、あれやこれやと言い出したら、凄まじいまでに問題化してくるのである。新米ママにとって育児どころではなくなるくらいの育児ストレスを抱え込んでしまうのだ。

 姑の方は、嫁は夫のもとへ嫁いできたのだから、自分の義理の娘だと思い込んでいるのだが、嫁の方は嫁いできたとはいえ、姑を自分の義理の母親だと余り思っていないのだ。ここいらの感情のズレが嫁姑の争いの根本的な原因なのである。嫁は育児の仕方を或る程度までなら、姑から聞けることはできても、すべての育児の仕方を聞けることはできないのだ。我慢の限界を遥に超えてしまうものなのだ。

 姑が余りにも育児に口を出してくる場合、問題を悪化させる前に夫婦で話し合うことだ。姑の発言が本当に適正なものかどうか、夫に話して調べてみるのだ。中には、姑が自分の息子にもやったことのない育児の仕方を、嫁に進言してくる場合だってあるからだ。まずは姑の発言が本当に正しいのかを、夫に話して確かめてみることだ。

 そして、姑の発言が余りにも自分にとって苦しいものであるならば、夫の口から姑の発言を制限させることだ。嫁に対していくら厳しい姑でも、自分の息子から何かを言われれば、非常に弱いもので、それ以降は発言を控えてくるものなのである。嫁姑の争いを封じるためには、争いが起こってから夫に味方につくか敵方につくかを迫るのではなく、争いが起こる前に紛争の調停人として使うべきなのである。

 何事もほどほどが大事なのだ。育児経験者である姑にとっては、初めての赤ちゃんを育てている嫁の姿は、危なっかしくて仕様がないのだ。嫁といえども、一生懸命になって育児をしているのだが、育児経験者から見ればそうは映らないのだ。余りにも無駄な動作が多いし、やるべき動作をやっていないのだ。これはどうのこうのではなく、見れば一発で解ってしまうものなのだ。

●一度は姑と喧嘩してみること

 いかに強情な嫁といえども、或る程度までの意見なら受け入れる筈だ。しかし、自分の我慢の限度を超えてしまうと、途端に感情を爆発させてしまうものなのだ。いかに下手っぴな嫁であったとしても、赤ちゃんを産んだことで、母性本能に火がついており、自分の母性本能に反する行動を取られると、怒り狂ってしまうものなのだ。

 もしも、余りにも姑が口を出してきて、自分の我慢の限界を超えてしまったのなら、一度は姑と喧嘩をしてみることだ。意外と姑は嫁が反抗しないと思っているので、嫁が怒り出したら、まさかそんなことはしてくることはないだろうと、勝手に思い込んでいるのだ。だからこそ、敢えてそこを突くのだ。

 勿論、新米ママが怒り出せば、姑の方も激しく応戦してくるし、側にいる赤ちゃんは双方の怒鳴り声で泣き出してしまうことだろう。しかし、一度くらいはこういうことをうやっておくべきなのだ。その口喧嘩の結果がどうなろうと、姑は嫁が怒っている姿を見れば、自分が言い過ぎたことに気付くものなのだ。

 姑は育児の仕方を知っていても、嫁の心の中までは解らないものなのだ。一方、嫁は姑の親切が有難いと思いつつも、自分の力で育児をしたいと思っているものなのだ。それゆえ、どこかで大損害を出してもいいから、双方が解り合える状況を作り出さねばならないのだ。

 荒波を立てずに偽善的に仲良くするよりも、荒波を立ててもいいから、争ってしまい、それを引き金に仲良くなった方が、後々、色々と利益になるものなのである。但し、喧嘩していいのは、一度きりだ。何度も喧嘩するようであるならば、碌でもない嫁のレッテルが貼られ、親族同士での付き合いに困難を極めてしまうのだ。

●付かず離れずの関係を維持すること

 人間関係が仲良くするということは、付かず離れずの関係を維持することなのだ。多くの人々は人間にとっての適正な距離が解らないからこそ、人間関係で争いを生じさせてしまうのである。適正な距離の取り方が解るまで、色々な人々と揉めていくものなのである。決して「みんな友達」だとか、「人類皆兄弟」などと、甘い考えを持つべきではないのだ。どんなに仲のいい友人でも、自宅の中を我が物顔でいられたら、こっちだって怒り出してしまうものなのだ。

 結婚したのなら、姑との適正な距離を取ることに、ちゃんと気を配ることだ。自分たち夫婦の中に最も口を出してき易い人物は、姑以外にいないものなのだ。適正な距離こそが、嫁と姑の関係を正常化させるのだ。適正な距離さえ保てれば、姑の意見も素直に聞けるものなのだ。

 新米ママの中には、物事を新しいか古いかで見てしまう未熟な女性たちもいるものだ。それゆえ、姑から意見を言われても、「そんなの古い遣り方だよ」と一蹴してしまうのだ。これだけは覚えておいた方がいい。育児に新しいも古いもないのだ。育児の仕方は進歩などしていないし、古い方が断然いいのだ。なぜなら、赤ちゃんは昔から進化などしていないからだ。古いと思われている育児の仕方は、実は進化していない赤ちゃんに対して最も適応した育児の仕方である場合が殆どなのだ。

 例えば、紙オムツなどという便利な道具が出て来てしまえば、布オムツなど不便極まりないものになってしまうものだ。しかし、紙オムツで赤ちゃんを育ててしまうと、赤ちゃんは余り泣かなくなってしまい、感情が欠落した子供へと成長してしまうのだ。布オムツなら赤ちゃんが排便排尿をするたびに泣くので、赤ちゃんの感情が十二分に鍛えられ、感情豊かな子供へと成長していくのである。

 育児で新しい物に飛びついて、育児で手抜きをしようとするのではなく、育児はそもそも手間暇がかかるものだと覚悟を決めてしまうことだ。そうすれば、育児というのは、実は古い遣り方こそが、最も赤ちゃんを健康的に育てることができるということが解るものなのだ。そういう境地に立てた時、姑の意見も素直に受け止めることができるようになるのだ。その時、姑と争っていた時期は、自分はまだまだ未熟者だったということが解るようになるのだ。それが自分が母親として成長したことの証となるのだ。

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家族3人で家族旅行

●赤ちゃんがいるからこそできる旅行

 育児ストレスを抱えているなら、家族旅行をしてしまえ。人間はいかに高度な文明を営もうとも、狩猟採集経済の行動パターンそのままなので、同じ場所に居続けては、苦痛しか味わえなくなるのだ。育児をしているからといって、いつも自宅にいなければならないというルールはないのだ。家族3人で旅行に出かけて、気分転換してしまうことだ。

 赤ちゃんを連れた旅行は、それまでの旅行とは全然違う。新米ママには赤ちゃんという手間のかかる生き物を連れての旅は、それまでの旅の概念を一変してしまうほどに、楽しい旅行に成ってしまうのだ。独身時代の旅行では、一人旅や友達を連れての旅行や、彼氏と一緒での旅行とか、とにかく旅行する本人も、旅行で一緒に行く相手も、自分のことは自分でできる人々である。

 ところが、赤ちゃんは自分では何もできないのだ。しかも、赤ちゃんは新米ママが想像できないような行動を取りまくってくるので、爆笑の連続になってしまうのだ。赤ちゃんがいる旅行はとにかく面白い。この面白い旅行を行かないなんて、余りにも勿体ない。暇があるなら、とにかく家族3人で旅行に行ってしまうことだ。

 赤ちゃんを連れての旅行は、赤ちゃんが生後6ヵ月を過ぎれば何も問題ない。赤ちゃんの体は生後6ヵ月で母乳から抗体を張り巡らせることを終了するので、免疫力が高くなり、病死する危険性がかなり低くなるのだ。しかも、赤ちゃんにとって生後6ヵ月から生後2年の間までに、色々な場所に旅行に行くと、それだけ免疫力を上げることができるので、非常に有益な旅行に成ってくれるのだ。

 両親の方にとっても、赤ちゃんを連れて行った場合、交通費が無料になる場合が非常に多いのだ。こういう「赤ちゃん特権」は思う存分に利用しまくった方がいい。旅館やホテルに泊まる場合は、赤ちゃんを連れて行くことを事前に連絡しておくことだ。それなりの配慮をしてくれることだろう。

●夫婦共同行動と夫婦別行動

 赤ちゃんを連れての旅行が慣れていない時は、夫婦共同行動を取るしかない。自宅では余り役に立たない夫でも、旅行に行けばそれなりに役には立つのだ。旅慣れしていない人の共通項というものは、荷物が多過ぎることなのだが、最初の家族旅行であるならば、とにかく荷物をたくさん持っていってしまうことだろう。赤ちゃんを持っているのが妻の方であるならば、荷物は夫が持つということになってしまうのだ。

 旅行を繰り返していると、「この荷物は要らない」「あの荷物は要らない」と段々と荷物が減って行き、シンプルになっていくものなのである。最初っから巧く行くことなんてありえない。何度も繰り返しながら、慣れていくことである。荷物が軽くなれば、自分たちは旅に慣れたということなのである。

 赤ちゃんを連れた家族旅行の際、夫婦はいつも一緒にいるべきではないのだ。女性はペチャクチャと喋りながら旅行するものであっても、男性は単独行動を好んで一人でブラブラとしたいからだ。自分の夫に、こういう時間を配慮してあげないと、夫はストレスで一杯になってしまうのだ。

 また、妻の方もショッピングする際は、夫を連れていっても足手纏いになるので、自分が女性ならでは行動をする時は、夫と離れて、赤ちゃんと二人で行動してしまうことだ。そうすれば互いが要らぬストレスを抱え込まなくてもいいことになり、家族旅行を楽しむことができるのだ。

 旅先で夫婦が旅のことで揉めてしまったら、そのまま口論しあうのではなく、ジャンケンで決めてしまうことだ。ジャンケンで勝った方の言い分を通してしまえばいいのだ。こうすると、旅行中の夫婦喧嘩がなくなり、楽しい旅行にすることができるのだ。旅行中に夫婦喧嘩をしてしまった夫婦は多いものだが、それは家族で旅行にしにきているのに、独身時代のように自分の意見をすべて貫き通してしまうからなのである。家族旅行をすれば、自分の意見がすべて通らなくなるのは当然のことであり、だからこそ、夫婦双方の意見を噛み合わせながら、今まででは味わえないような楽しい旅行にすることができるのである。

●家族旅行は慣れるに限る

 家族旅行は慣れるに限る。地道に経験値を積み重ねていくことだ。夫婦には「行動派」と「のんびり派」に分かれてくるので、行動派なら行動距離を延ばして行くべきだし、のんびり派ならいっそのこと別荘を購入して、そこでのんびりと過ごしてしまうことだ。まずは自分たち夫婦が基本的にどんな旅行が好きかを知ることだ。

 旅行というのは、事前の計画と準備で8割方、その旅行の内容が決定してしまうものだ。どんなに学校で成績の悪かった人でも、自分たち夫婦が旅行に行くとなれば、情報収集を真剣になってやるし、計画もきちんと立てるし、準備もきっちりとやってくるものなのである。旅行は旅行に行く前が実は楽しいものなのだ。

 旅行は計画と準備がちゃんと出て来ていれば、実際の旅行ではそれほど苦痛になることはないのだ。後は慣れるに限ることだ。例えば、電車に乗っている際に、赤ちゃんが泣き出さないように、電車に乗る前に赤ちゃんと遊んで疲れさせてしまい、電車の中では赤ちゃんは寝るだけにしてしまうことだ。赤ちゃんの泣き声は物凄く通るので、一旦泣かれてしまうと、非常に迷惑なものなのだ。

 家族旅行でその夫婦の真価が問われるのは、現場で緊急事態が発生した時であろう。特に現場に行って病気を発症してしまうことがあるのだ。そのために、万病に効く漢方薬を持っていくことだ。西洋医学の薬だと、効き過ぎてしまうために、それがために逆に病気を悪化させてしまうことだ。

 赤ちゃんが病気なったら、安全な範囲内なら、とにかく発熱させておくことだ。赤ちゃんにとっては、病原菌の侵入を許すことで、敢えて病気を発症している場合があるので、無闇に薬を投与しないことだ。赤ちゃんにとって旅行は、旅行を楽しむだけではなく、自分の免疫力を上げるための旅行でもあるのだ。

●行動範囲は半分になるけど、思い出は10倍以上

 赤ちゃんを連れての旅行だと、それほど移動距離が伸びないものだ。独身時代の旅の移動距離の半分にも満たないことだろう。しかし、赤ちゃんを連れての旅行だと、思い出は10倍以上になるのだ。自分が老年を迎えて旅を振り返ってみれば、今まで楽しかった旅行の殆どは、赤ちゃんを連れた旅行に集中することだろう。

 赤ちゃんとの旅の思い出は、独身時代の旅の記憶を押し出してしまう。家族旅行を繰り返すと、一体自分はどうやって今まで旅行をしてきたのだろうと、思い出せなくなってしまうほどに、赤ちゃんを連れた旅行は楽し過ぎる旅行に成ってしまうのだ。どんなに親しい友人であったとしても、所詮は赤の他人なのだ。自分の血を分けた赤ちゃんとでは比べ物にならないのだ。

 但し、赤ちゃんがどんなに旅行ではしゃごうとも、赤ちゃんは4歳から5歳の間に、それ以前の記憶が消去されてしまうのだ。そのため、赤ちゃんは家族旅行の記憶をすべて失ってしまうのだ。ただ、赤ちゃんの高い免疫力として、旅の記憶が残っているにすぎなくなるのだ。

 だからこそ、赤ちゃんを連れた旅行の思い出は、「母親の物」なのだ。その「夫婦だけの宝物」と言ってもいいのだ。せいぜい写真やビデオで残しておいておくことで、その思い出を永遠に残しておけばいいのだ。育児をしている母親は、この楽しい思い出があるからこそ、育児をする意欲が湧き、また新たな気持ちで育児をすることができるのである。

 情報化社会に生きていると、他人の言動に振り回されてしまい、自分たち夫婦の思い出の重要性を忘れてしまいがちだ。物知りになりすぎてしまい、「あれも知っている」「これも知っている」ということを言うだけになってしまうのだ。それでは、あなたは何も行動していないのと同じなのだ。他人の情報はもう充分なのである。大事なのは、自分たち夫婦が行動を起こして、楽しい旅の思い出を蓄積していくことなのである。そして赤ちゃんにも楽しい旅の思い出を、たくさんたくさんプレゼントしていくことなのである。

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家族の定休日

●新米ママだって休日が欲しい

 どんなに楽しい育児だって、休みなく働き続ければ疲れきってしまうものだ。新米ママだって休日が欲しいのだ。いかに育児疲労で疲れきっても、1日でも休むことができるなら、疲れはすべて吹き飛んでしまうのだ。多くの母親たちは育児を休むことなく続けてしまうからこそ、育児疲労を起こし、乳幼児を叱りつけることしかできない母親になってしまうのだ。

 現在、我々日本民族は、キリスト教の影響を受けて、1週間7日制で過ごさざるをえない状況になっている。しかし、1週間7日制で生活していると、月日はあっという間に過ぎ去ってしまうのだ。子供の時には1週間は長く感じても、大人になってしまうと1週間は物凄く早いのだ。そのため、多くの人々が1週間以内にまともな成果を上げることができず、だからこそ不平不満を抱いてしまうようになるのだ。

 そもそも1週間7日制は女性には適した周期ではないのだ。女性には生理があるために、1ヵ月30日制というのがベストなのである。1週間7日制を広めていった、ユダヤ教のモーゼにしろ、キリスト教のイエスにしろ、イスラム教のマホメットにしろ、すべて男性であるのだ。男性には生理がなかったからこそ、人間にとってかなり無理のある周期を生み出し広めていってしまったのだ。

 赤ちゃんの成長は大体3ヵ月ごとに大きな変化が起こるので、「週」という単位ではなく、「月」という単位がどうしても必要となってくるのだ。1週間7日制で育児をしてしまうと、どうしても赤ちゃんをせかしてしまい、そのうち赤ちゃんに向かって「早くしなさい!」と怒鳴りつけるような最悪な母親になってしまうのだ。赤ちゃんがいるからこそ、1ヵ月30日制というゆっくりとしたペースで進めていかねばならないのだ。

 最初の赤ちゃんが生まれると、夫の仕事運を大いに刺激するので、夫は日曜日といえども休めず、出勤しなければならないことがあるのだ。そのため、1週間7日制で暮らしていると、妻は夫が休日出勤するたびに不満を抱いてしまうようになるのだ。ところが、1ヵ月30日制にしてしまうと、夫は月に1度休んでくれればいいから、妻が夫に対して余計な不満を抱かなくて済むようになり、しかも夫の方は仕事で大活躍できるようになるのだ。

●月に1度、3日連続で休日を取る

 1ヵ月30日制にするなら、月に1度、3日連続で休んでしまうことだ。3日連続で休めば、どんな疲れも取ることが可能になるからだ。どの日に休みを入れるかは、夫婦で相談して決めればいい。実際問題として、夫は金曜日にも出勤するので、金曜日は仕事が終わり次第、早く帰ってきて貰い、それから「土曜日」「日曜日」と立て続けに休んでしまえばいいのだ。正確には夫の方は2日チョイの休みになることだろう。妻の方は金曜日から既に休日モードに入って、休んでいればいいのだ。

 3日連続の休みのうち、せめて1日だけは食事を作らない日を設けておくことだ。料理こそ妻にとって最大の負担になっているものだからだ。これが1日でも休むことができるなら、相当の疲労回復になるのだ。食事は予め作っておき、当日は温めるだけでいい食事にしてしまうことだ。外食に出かけるという手もある。とにかく月に1度は、妻が料理をしなくてもいい日にしてしまうことだ。

 3日連続の休日の際に、どこかに行きたいのなら、予定を先に入れてしまうことだ。妻の方が自分で調べ上げて、その外出を実りあるものにすることだ。夫の方は仕事に全力を投球しているので、夫にすべて任してしまうのは、間違った遣り方なのだ。夫婦でいくら話し合っても、外出先選びは妻の方の要望が通るものだから、妻が下調べをすることだ。

 先に予定を入れておかないと、夫は仕事の疲労から、自宅でゴロゴロと過ごすだけの休日で終わってしまうのだ。夫の疲労が激しい時は、遠出はやめて、近場での外出で済ましておくことだ。疲労している者にとって遠くに行くだけでも疲労が増してしまい、その疲労が取れなくなってしまうのだ。

 赤ちゃんがいるなら、公園でも楽しめてしまうものなのだ。但し、いつも行っている公園にいくのではなく、少し足を延ばして遠い所の公園に行ってみるとか、植物園に行ってみるとか、動物園に行ってみるとかでもいいのだ。お金をかけて楽しむのではなく、いかに親子3人で楽しめるかを最優先すれば、充分に楽しめるものなのだ。

●日常から離れることの大切さ

 人間は日常生活だけを過ごし続ければ、疲れきってしまうものなのだ。日常生活で疲れさせないためには、日常から離れることは非常に大事なのである。非日常は日常をリフレッシュさせるのだ。日常生活から離れ、非日常に身を置くと、意外と冷静になれて、日常生活を再び一生懸命にやろうという意欲が湧いてくるものなのだ。

 どのような非日常がいいかは、人それぞれだろう。出産した当初は、赤ちゃんがいることが非日常になってしまうために、非日常の有効性が解っていないが、赤ちゃんが毎日いれば、赤ちゃんといえども日常化してしまい、育児をしている新米ママもそれにどっぷりと浸かってしまうのだ。だからこそ、楽しい育児をしている日常から離れ、非日常の世界に身を置くことで、自分に変化をもたらすのだ。

 文明生活をするということは、定住生活をするということだ。そのため自宅から動かなくなってしまうのだ。しかし、そのような生き方は人間本来の生き方すれば非常に不自然なのである。人間は文明以前は狩猟採集経済を営んでいた以上、生活場所を転々と変えていったのである。何ヵ月もの間、同じ場所に住み続けるということはなかったのだ。そのため、同じ場所に住み続けていると、知らず知らずのうちに不満を抱え込むようになってしまうのだ。

 もしも、育児をしているのに、政治を批判していたり、経済の好況不況に一喜一憂し、社会に対して不平不満を抱いているようであるならば、それは定住し続けたがゆえに、いつの間にかに自然な気持ちが失われてしまい、自分の心が頑なになってしまっているだけなのである。日常生活にどっぷりと浸かってしまえば、自分の精神だっておかしくなっていくものなのだ。

 赤ちゃんが余りにも言うことを聞かないとか、早くも反抗期が始まって母親の手を手古摺らしているようであるならば、母親の育児がどうのこうのよりも、赤ちゃんの方も同じ場所に居続けることに不平不満を抱いてしまっているだけなのだ。人間は移動し続けてなんぼのものなのである。自宅から動かなければ、赤ちゃんだっておかしくなってしまうものなのだ。

●生活をリフレッシュする工夫こそ人生を豊かにする

 独身時代は休日ともなれば、自宅で休んでいたけど、結婚すれば休日をいかに効果的に使うかで、その夫婦の命運が分かれていくものなのだ。赤ちゃんがいるなら、更に重要となってくるのだ。平日に家事や育児を手伝わなくても、休日さえ効果的に過ごしてしまえば、妻の方はとやかく言わなくなるものなのだ。妻の方だって、平日の間、育児をし続けた以上、育児以外の変化が欲しいものなのだ。その変化を与えてくれるなら、それだけで満足してしまうものなのだ。

 気楽に育児をしていたとしても、矢張り多少は緊張しているものなのだ。その緊張をいつまでも持続することはできないのだ。たまには休んで緊張の糸をほどくからこそ、再び適度な緊張を保つことができるのである。この手加減を夫が巧く取ってあげないと、妻の不平不満が爆発してしまうのだ。

 夫の方にしてみれば、「たまの休日ぐらい自宅で休ませてくれよ」と言いたくなってしまうものだが、妻の方はその自宅で家事や育児をし続けてきたのだ。だから、どこかに連れていかないと、妻の方が鬱屈してしまうのだ。だからこそ、平日に疲労を溜め込まないようにし、夕食に酢の物を食べるとか、お風呂に入るとか、ストレッチをするとかして、疲労が残らないような工夫を施しておくべきなのである。

 何も毎週日曜日に妻と赤ちゃんを連れて出かけなくてもいいのだ。月に1度、ちゃんとした外出をすれば、妻も充分にリフレッシュすることができるのだ。どんなに仕事が忙しくても、月に1日は妻のために時間を費やしたっていいだろう。その時間さえ惜しんで、仕事に振り充ててしまうと、後々に妻から逆襲に遭ってしまい、ひどい損害を被ってしまうのだ。

 いかに幸せに満ちた結婚生活といえども、そのままでは劣化していくだけなのだ。生活をリフレッシュする工夫こそ、人生を豊かにさせてくれるのだ。夫が仕事をすることを当たり前と思ってはならないのだ。妻が家事や育児をすることを当たり前と思ってはならないのだ。夫も妻も休むことなく働き続ければ、勤続疲労でおかしくなってしまうものなのだ。夫婦共々一生懸命になって働くからこそ、たまには「天使の休息」も必要になってくるのだ。

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「世間の目」より「先祖の目」

●人間は家系によって遺伝していくものである。

 赤ちゃんがいると、どうしても赤ちゃんが泣いたり騒いだりするので、世間の目を気にし過ぎてしまいがちだ。そのため、多くの母親たちが、外出先で「すみません」という言葉を連発し過ぎているのだ。赤ちゃんがうるさいのは当たり前のことなんだから、「うちの子は元気なもんで」と言ってしまえば、別に世間の目を気にし過ぎることはくなるのだ。

 世間というものは、見ているようで見ていないものだ。寧ろ、世間の人々は、他人がズッコケているのを楽しむという悪趣味を持っている程度にしかすぎないのだ。赤ちゃんが泣き出して、母親が困っているのに、手助けしてくれるような人物には出会うことはない。そのくせ、赤ちゃんをうざがることだけは一人前にしてくるのだ。そういう人々をまともに相手することはないのだ。

 「世間の目」よりも大事なのは「先祖の目」だ。人間は家系によって遺伝してくるものだから、この先祖の目を持つことができれば、これほど有難いものはないのだ。育児の合間を縫って、まずは家系図を作ってみることだ。家系図を作ってみると、自分たち夫婦がどういう家族なのかというパターンが見えてくるものだし、家系は盛衰を繰り返していることが解ってくるのだ。

 例えば、先祖にビジネスで成功した人がいれば、その家族はビジネスで成功し易い家系なのだ。或る家族は軍人を多く出していたり、学者を多く出していたり、芸術家を多く出していたりと、或るパターンが見えてくるのだ。そうすれば、自分の赤ちゃんに「自由に生きなさい」という無責任な意見を言うことなく、「あなたはこの職業に就きなさい」と言えることができ、母親の言動が変わってくるのだ。

 また、家系というものは、盛衰を繰り返しているので、今は上り調子だなとか、今は衰退期なのだな、とかが解るようになるのだ。家運が上り調子になると、大体、3代に亘って家運が強まっていくものだ。しかし、家運が衰退してしまうと、これまた3代に亘って家運が弱まってしまうものだ。それゆえ、自分たち夫婦が一体どの状態にあるかを見極めることは非常に大事なのだ。

●家門を重んじ、勢力を拡大していく

 平等イデオロギーが蔓延しているために、多くの夫婦がこの家系や家柄といったものを無視してしまい、そのために先祖からの復讐にあってしまうのだ。例えば、「日本の政治家たちの世襲は怪しからん!」といくら非難しても、日本の政治家たちは閨閥によって、しっかりと階級を固めているものなのだ。だからこそ、安定した政治を行えているのであって、どこの馬の骨とも解らないような人物を政治家に仕立て上げてしまえば、いくら能力があったとしても、安定性を欠き、危険な政策を打って出て来ることは必定なのだ。政治の世界で最も危険になるのは、危険な政策を打ち出す時なのである。

 勿論、この世には素晴らしい家柄ばかりあるわけではない。嘘と偽りに満ちた家柄のために、その家柄に押し潰された人々もいるものだ。例えば、「狩野派」なんかはその代表例で、江戸時代は御用絵師として散々に振る舞った癖に、江戸時代が終わってしまえば、碌な絵画ではないことが暴露されてしまい、転落していった一族なのである。江戸時代の優れた絵画は、「浮世絵」であるというのは、誰が見たとしても同じ結果に到達する筈だ。

 家柄というのは、子孫がその家柄に胡坐をかいて、安穏とするためにあるのではないのだ。家柄はその子孫たちが先祖の前で身を正して、家門を重んじ、勢力を拡大していくためにこそあるのだ。先祖に優れた人物がいたのなら、その先祖が立てた功績以上の功績を挙げなくてはならないのだ。また、独身を貫いたり、結婚しても子供を作らないような堕落した生き方を禁止し、結婚適齢期には結婚して、子供を数多く産んで、子孫を繁栄させていくのだ。子孫が多ければ多いほど、成功してくる人々も多くなるからだ。

 できることなら、日本国内だけでなく、外国にも子孫を派遣して、そこで繁栄させてしまうことだ。一族が定期的に会合を開くという交流を持っていれば、それだけでビジネスチャンスが生まれ、一族に富をもたらすことが可能になるのだ。ユダヤ人にしろ、華僑にしろ、そうやって勢力を拡大してきたのである。一国の国内に留まっていては、成功も限界が出て来るものなのである。

 育児の仕方というのは、その夫婦が決めることが原則である。かといってすべて自由にできるものではないのだ。その夫の一族に入ってしまえば、その一族の流れに制限されるのは当然のことなのだ。そしてその制限を巧く使ってしまうと、自然と育児が巧く生き出すものなのである。無制限の自由は、無制限の堕落を生み出すことだってあるのだ。自由は制限があるからこそ、生き生きとしてくるものなのである。

●家系が引き起こす「歴史の逆説」

 新しいことを生み出したいのであるならば、徹底的に古いことに振り返るべきなのだ。家系図を作ったり、墓参りをしている夫婦に限って、古臭い人生を送っているのではなく、逆に新しさを取り入れた新鮮な人生を送っているものなのだ。寧ろ、家系図も作らず、墓参りにも行かないような夫婦こそ、自分たちこそは新しい生き方をしているのに、実は古臭い人生を送ってしまい、人生を行き詰らせてしまうのだ。

 日本の経済がバブル経済の頃、成り金になって、大金を稼ぎまくった人々は続出したものだ。大金が手に入ったものだから、派手に遊びまくったものだ。しかし、バブル経済が破裂してしまうと、成り上がりの者たちは破滅していき、親の代からそこそこのお金持ちだった人々だけが生き残っていったのだ。

 お金というのは、そのお金の稼ぎ方は解ったとしても、そのお金の使い方がなかなか解らないものなのである。自分の力だけで成り上がってきてしまうと、いくら派手に振る舞ったとしても、無駄金を使うばかりで、正しいお金の使い方できないものなのである。大金持ちの家に生まれなくても、小金持ちの家に生まれれば、両輪や祖父母のお金の使い方を見て、なんとなく正しいお金の使い方ができるようになり、その結果、生き残ることができてしまうものなのである。

 現実というのは、決して安定したものではないのだ。いつ衰退していくか解らないものなのである。それゆえ、現実に安穏とする者は、現実を破壊してしまうものなのだ。逆に、現実には安心せず、過去を肯定する者は、新たな現実を作り出すことが可能に成ってくるのだ。先祖たちあっての自分ということが解れば、現状維持だけを試みようとすることはなくなり、未来を作り出していこうという意欲が湧いてくるものなのである。

●先祖の名誉に恥ぬよう生きる

 今現在、生きているからといって、すべて自由ではないのだ。我々は先祖の遺産を継承しつつ生きているものなのだ。先祖の遺産を継承し、その遺産を子孫に伝えていくという重大な責務が我々にあるのだ。赤ちゃんが生まれ、幸せな生活を送っているからこそ、死んだ先祖たちを弔い、先祖のご加護を願うべきなのだ。そうすれば、自分たち夫婦にいかなることがあっても、乗り越えていくことができるようになるものなのだ。

 日本の歴史の中で、最も長い家系を有しているのは、「天皇家」だ。天皇家は今も先祖たちの霊を慰めることを絶やすことはない。だからこそ、繁栄しているのだ。近代以降の天皇家を見ると、明らかに家運に一定のパターンがあることが解る。明治の御世には日本は明治維新を成し遂げ、日露戦争でロシア帝国を打ち破り、大正の御世では大正デモクラシーで政争を繰り返して政局は混迷を極め、昭和の御世では大東亜戦争の敗北はあったものの高度経済成長を成し遂げ、経済的に繁栄することができた。平成の御世では、大地震が連発し、経済不況が長引き、国民は貧しくなってしまった。

 とするなら、平成の御世では、政治で派手なことをすべきではなく、防御に徹するべきだろう。政争を繰り返せば繰り返すほど、無能な政治家が続出してくることになるのであろう。大地震は連発してくるのだから、防災には充分に注意を払うべきだろう。経済不況は長引いているので、大企業には不利であって、バンチャー企業ならいくらでも出て来るチャンスがあるのだ。

 赤ちゃんが生まれた時は、赤ちゃんの顔が父親似か母親似かと散々に議論するものだ。それなのに、赤ちゃんが大きくなっていくと、そんなことをすべて忘れてしまい、赤ちゃんのことだけになってしまうのだ。しかし、そうなってしまえば、赤ちゃんに振り回されるだけになってしまうのだ。

 先祖の目をきちんと持ってしまうと、育児に一本の筋が貫かれ、育児がぶれなくなり、育児が巧く行き出すのだ。先祖の名誉に恥じぬように生きることができれば、自然と身を正すことができ、最善の選択肢を選べるようになるのだ。家柄を相続しつつも、先祖に負けぬように生き、先祖以上の功績を挙げるような生き方をすれば、自分たち夫婦は繁栄していくことができるのである。

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政府の育児支援を求めるのではなく、母親たち自身が育児の喜びを再確認することなのである。

●みんなで行う育児は絶対に破綻する

 現在、少子化対策として、政府が育児支援に乗り出すべきだという意見が出回っているが、これは非常に危険な考え方なのである。いかなる国民も経済的に豊かになれば繁殖力を落とすのは当然のことなのであって、政府が人為的に出生率を上げて行く必要性などどこにもないのだ。

 育児に対して政府の支援を求める人たちは、「昔はみんなで育児を行っていた」からと言い出し、母親たちの独立自尊を破壊してしまうのだ。鎌倉時代だろうが、室町時代だろうが、江戸時代だろうが、政府が育児を支援したことなど一度もないのだ。そんなことは家族が行うべきものであって、政府が介入するべきものではないのだ。

 みんなで行う育児は絶対に破綻する。周囲が共同して、みんなで行う育児という主張は、最も正しいように見えて、実は根本的に間違っているのだ。育児はその赤ちゃんの母親がすべきものであるという、育児で最も大事な視点が抜け落ちてしまっているのだ。育児の責任者はその母親であって、みんなで育児を行えば行うほど、その責任は薄れていってしまい、赤ちゃんの生命は見知らぬ赤の他人によって危険に晒されるのである。

 政府の主要な仕事は、「国防」であり、「治安維持」であり、「公共投資」だ。この3つの仕事に全力を投入すべきであって、社会福祉に積極的に乗り出すべきではないのだ。政府が社会福祉に乗り出したとしても、それにかかる費用はすべて国民の税金で賄われる以上、国民に重税となって圧し掛かってくるのだ。

 政府は育児支援などに乗り出すべきではなく、育児をしている母親たちがなんの不安もなく、育児に専念できるシステムを整えていけばいいのだ。例えば、育児をしている際は労働ができなくなるので、所得税に於ける「配偶者控除」は絶対に必要なのだ。正確に言うなら「母親控除」だろう。それから労働条件に於いて、妻子がいる既婚男性には就労上の優遇措置が認められることが必要なのだ。独身者よりも昇給に於いて優遇し、解雇の際にも守られるようにするべきなのである。

 政府がするべきことは、育児支援を行うことなのではなく、育児環境を整えてあげることなのだ。「伝染病の予防」などがいい例であろう。これだけ国民が密集して暮らしている以上、伝染病の予防は行われて然るべきであり、その費用は政府や地方自治体が持つべきなのである。また、地方自治体に於いては、住民を集めていくために、育児でかかるであろう範囲内の医療費などを公費で負担しても構わないのだ。

●自給自足経済と自由市場経済

 唯物論から言えば、経済条件によって人間の思考は変わっていくという考えが導き出される。人類は誕生して以来、長らく狩猟採集経済を営んでいたし、農耕が開始されてからも、貨幣経済が発達してくるまで、自給自足経済を営んでいたことだろう。それゆえ、貨幣経済が発達し、自由市場経済になったというにも拘わらず、自由市場経済に適応できる考えを持たず、ズルズルと自給自足経済の考えを持ってしまう人たちが出て来てしまうのだ。それが社会主義者たちであり、フェミニストたちなのである。

 自給自足経済なら「共同体の論理」を優先させても構わない。赤ちゃんが生まれたのであるならば、その赤ちゃんはその家族だけの赤ちゃんと看做すのではなく、共同体の赤ちゃんと看做して、何かと支援したことはあったであろう。但し、忘れてはならないのは、その支援をやったのは、「共同体」即ち「部落」がやったのであり、政府がやったわけではないのだ。育児支援を求める人たちは、嘗て「部落」が行っていた支援を、異常なまでに拡大解釈して「政府」に求めるという詭弁を弄しているのだ。

 共同体は、育児を支援をしてくるが、タダで行ったわけではなく、その赤ちゃんが成長すれば、共同体の活動のために労働力を無償で提供しなければならなかったのだ。部落の治安維持や、水の管理や、山の管理や、農作業を共同で行い、お祭りとなれば数日間に亘って遣り続けねばならなかったのだ。その間、一切の給料が支払われることがなく、部落のメンバーだからという理由だけで無償労働を強いられたのだ。

 現在の我々は、日本のどこに住んだとしても、そんな共同体の論理を優先する場所には住んでいない。いかなる者であったとしても、否応なく自由市場経済に巻き込まれ、その経済を土台に暮らしているのだ。それゆえ、「共同体の論理」が優先されるのではなく、「機能性の論理」が優先されるのだ。

 「機能性の論理」とは、お金を出せば商品を買うことができ、能力次第で出世できるということだ。自由市場では自由に商品が行き交っているのだから、お金を出せば物を買えるのだ。だから、昔のように無償労働を当たり前とするのではなく、有償労働を当たり前にし、可能な限り休日を減らして労働時間を増やしていかねばならぬのだ。自給自足経済なら労働時間が少なく、遊んでばかりいたのに、自由市場経済では労働時間が増加し、遊ぶことを控えて禁欲的にならざるをえないのだ。そしてそのようなことをすれば、昔では比較にならないくらいに豊かになっていくことができるのだ。

 自由市場経済なら、「個人主義」と「家族主義」を超えるような主義を優先させてはならない。「個人の尊厳」と「家族の価値」は絶対的なものであり、この主義に反対するようなイデオロギーには断固として反対し、迎撃していかねばならぬのだ。社会主義者もフェミニストたちも、「個人の自由」を唱えながら、「個人の尊厳」を認めていないし、逆に「個人の尊厳」を破壊する行為を平然と行うし、「家族の価値」などは鼻から認めず、家族制度を破壊することを企んでいるのだ。だからこそ、社会主義国では国民に向かって大量虐殺が発生したし、強制収容所の存在は切っても切り離せないものなのだ。現在、フェミニズム革命が発生しフェニミズム国家が誕生していないが、もしも将来、フェミニズム国家が誕生したら、社会主議国家と同様に、大量虐殺を展開するだろうし、強制収容所が設置され、国民の一切の自由と権利が根こそぎ奪われることになるであろう。

●社会主義の教えるもの

 我々日本国民はもう後戻りできないのだ。経済システムそのものが自給自足経済とは違った経済システムになってしまったのだ。それゆえ自由市場経済に対応できる考えを持つべきであって、そうなれば誰もが豊かさを享受できるようになるのだ。このような思考の変化は唯物論に立脚するなら、当然の論理的帰結なのである。

 しかし、それなのに、唯物論に立脚する社会主義者たちこそが、全く正反対の考えを持ってしまい、自由市場経済に対応できず、自由市場経済を破壊することしか考えなくなってしまうのである。なぜ、社会主義者がそのような間違った考えを持ってしまうのかといえば、それは「経済的自立」が成されていないからなのだ。

 自由市場経済では以前の経済システムとは、働き方が全然違うのである。1日8時間労働をこなし、勤務時間中は仕事のことだけを考えて、競争に打ち勝って市場で生き残っていかねばならぬのだ。嘗てのように自分のために労働しさえすればいいのではなく、お客様の満足をもたらすべく有効な労働をしていかねばならぬのだ。そして、給料を貰っても、それをすべて生活費にまわすのではなく、給料から天引きして貯金に回して、その貯金を増やしていって、資産を蓄えていかねばならないのである。

 この経済的自立ができなければ、自由市場経済では「経済奴隷」に近い扱いを受けざるをえないのだ。古代国家では戦争によって奴隷を獲得したが、自由市場経済では、経済的自立を成し遂げようとしなければ、自滅的に事実上の奴隷の地位に落ちてしまうのである。経済的自立がなければ、いくら働けども生活には一切の豊かさがなくなってしまうし、貧困のドン底を味わうようになってしまうのだ。

 しかし、社会主義は決してそういったプロレタリアートたちが作り出していったイデオロギーではないのだ。自由市場経済を憎む学者たちによって作り出されたイデオロギーなのだ。自由市場経済では能力次第で出世していくことができるから、貧乏学者のように自分は高学歴を持ち、他人よりもたくさんの知識を持っているにも拘わらず、貧乏で有り続けることに対して潜在的な不満を抱いており、そういった貧乏学者たちが社会主義を作り出し、扇動していったのである。

 だからこそ、社会主義政党というのは、どの政党も学歴社会をそのまま反映して、高学歴の人達しか権力の中枢に登れないのだ。日本共産党も最高権力者は常に東大卒でなのである。高学歴を優遇するイデオロギーであるからこそ、大学教授の中にも、学校の教師の中にも、熱心に社会主義を支持する人たちがいるのだ。彼等は学歴を問わず、能力次第で出世できる社会を憎みに憎んでいるのである。

●フェミニズムが教えるもの

 社会主義に対して、フェミニズムが教えるのは、それは「精神的自立」の大切さだ。自由市場経済では精神的に従属状態にある人々を前提とするのではなく、最低でも精神的に自立した人々を要求する。それゆえ、自由市場経済では児童労働を禁止し、児童に労働を解放して、勉強させることで、将来、自立した人間に成って貰い、労働はそれからでいいのだという態度を取るのである。

 自給自足経済ではすべての成人が本当に精神的に自立しているとは言い難かった。共同体が子供たちを育てて、その教育期間を終えれば、自立したと看做しているにしかずぎなかった。若者が本当に自立するためには、両親のもとを離れて一人暮らしをし、親の援助に甘えることなく、自分の力で生活費を稼ぎ出し、自分の幼稚な考えを自らの手で破壊していくしかないのだ。

 若者が精神的に自立していくという作業は、決して楽しい日々なのではなく、寧ろ暗黒の日々なのである。自分が精神的に自立していくために、自分の心の中にある自分の醜さと格闘して、撃破していかねばならぬからだ。しかも、時間は無制限にあるわけではなく、どんなに遅くても女性なら33歳までだろうし、男性でも40歳までの期間に終えなければ、永遠に精神的に自立できなくなってしまうことだろう。

 精神的自立が出来なければ、まともな労働ができないし、まともな恋愛もできないし、まともな結婚もできなくなることだろう。女性であるならば、その精神的に従属状態にある所を付け込まれて、フェミニズムに洗脳されてしまい、生涯を賭けて、世の中を憎み、異性を憎み、幸せな結婚をしている既婚女性たちを憎むことしかできなくなるのだ。

 フェニミズムも社会主義同様に、大学教授や学校の教師たちがその推進者たちである。女性は19歳で脳の成長を終えるので、大学に進学するということは、女性の本来の成長からしてみれば、相当危険な負担になってしまうのだ。女性は19歳で心身ともに成長のピークに達したのだから、社会に出て働きに出ればいいものを、大学や大学院に行ったり、就職先も大学や学校になってしまうと、社会に出て、自分の実力を試す機会を失ってしまうのだ。大学教授や大学院教授に教えられたことを鵜呑みにして、精神的に自立していくことができなくなってしまうのだ。

●慈善は国民個人が行うもの

 我々は自由市場経済を土台にして生活している以上、社会主義やフェミニズムに洗脳されることなく、経済的に自立し、精神的にも自立していかねばならぬのである。できれば、結婚を契機に経済的に独立し、精神的も独立してしまうことなのである。経済的に独立するということは、勤労所得で生活するのではなく、資産収入が勤労所得よりも上回り、現在の仕事を辞めたとしても、自由に生きていけられるようにすることなのである。精神的に独立するということは、結婚したら夫婦二人が力を合わせて家族を作り上げ、両親の経済的支援を拒否し、政府の介入には断固として闘う姿勢を示すことなのである。

 それゆえ、精神的に独立している夫婦なら、決して政府による育児支援など求めるべきではないのだ。政府の慈善は、所詮は国民の税金で賄われるものなのだ。しかも、国民の税金がそのまま社会福祉に回されるのではない。政治家や官僚が莫大なマージンを取ってから、僅かな金額が社会福祉に回されるようになってしまうのだ。

 国民健康保険だって、国民年金だって、最初作った時は、国民の支持を受け、政治家や官僚たちも善意に基づいて作っていった筈だ。しかし、社会保障というものは、歳月が経てば経つほど悪化していく。政治家や官僚たちの汚職の温床となり、逆に国民を極貧に落とすものとなってしまっているのだ。現在の日本政府が財政を破綻させたのも、国民健康保険や国民年金があるからこそであって、これらの社会保障を廃止してしまえば、財政破綻を免れることができ、国民もより豊かになっていくことができるのである。

 政治家が行った政策は、すぐさま効果が出て来るわけではないのだ。10年後、30年度、50年後、100年後になって、本人が思いもしなかった結果として現れてくるものなのである。それゆえ絶対に、「結婚していない人」や、「結婚しても子供のしない人」を政治家にしてはならないのだ。結婚をせず、子供がいなければ、無責任な政策を実施してくるものなのである。その政治家に妻子がいれば、自然と自制が働き、将来、国民に有害となる政策を実施する危険性は減少していくことであろう。政治家に妻子がいることを政治家の条件として盛り込むべきなのである。

 慈善は国民個人が行うものなのだ。自分たち夫婦が育児をしている時は、貧しくとも、失敗しながらでもいいから、地道に育児をやっていくことだ。その育児の中で「育児の喜び」を見出していくべきなのである。そうやって育児が楽しかったのであるならば、育児を終了した後に、自分たち夫婦が資産を割いて、育児を支援する財団を作って、赤ちゃんのいる夫婦に育児支援を行っていけばいいのだ。育児で成功した人々が「慈善によるお金の循環」を行うからこそ、世の中は豊かになっていき、「育児の喜び」を広げていくことができるのである。こういう慈善こそが「本物の慈善」なのである。

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マスコミの育児情報には気をつけて!

●マスコミとターゲットメディアの違い

 育児をしていく上で、育児に関する情報をいかに収集していくかが、その後の育児の結果を大きく左右するものだ。多くの新米ママたちは育児情報をマスコミから得ようとしているからこそ、育児で躓いてしまうのである。母親たちにとって有効な育児情報はマスコミには出て来ないものなのである。

 マスコミとは、マスコミ各社が全国民に向かって一方的に報道してくるのである。全国民には育児をしている母親たちも含まれるからといって、育児情報だけを流してくるわけではない。マスコミが報道するものは、政治や経済や社会に関する物がメインであって、育児情報を流したとしても、それは触り程度の物にしかすぎないのだ。

 これに対してターゲットメディアとは、出版社が特定の人々に対して情報を提供してくるのである。ターゲットメディアの代表格は、「雑誌」であり、育児をしている母親たちにとっては「育児雑誌」が主要な媒体だ。育児雑誌にこそ、育児をしている母親たちにとって有効な育児情報が出て来る物なのである。

 「報道」と「情報」は全然違うのだ。テレビや新聞で流れて来る報道ばかり集めていたら、恐らくノイローゼになり、この世を悲観し始めることだろう。報道は基本的姿勢がネガティブモードなのだ。政治家が優れた政治をしていることを報道することはないが、政治家の汚職や失策や抗争は執拗に報道してくる。経済報道では企業が優れた商品やサービスを提供して人々の役に立っていることを報道してくることはないが、企業の不祥事や法令違反や公害に関しては執拗に報道してくる。社会情報でも善良な人々が幸せに暮らしていることを報道することはないが、凶悪犯罪者が殺人事件を引き起こしたことに関しては懇切丁寧に報道してくるのだ。

 マスコミの報道はそもそもが偏向しているのだ。それゆえ、マスコミには捻くれた人々しか集まってこない。そういう人々が全国民に向かって扇動的に報道してくるのだ。だからどの先進国でも、豊かな社会を築いているというのに、政治や経済や社会に対して批判的になってしまい、いつも不平不満を垂らして不幸になっているのだ。

●一般紙の定期購読をやめる

 育児を幸せにしたいのであるならば、まずはマスコミの主人公である「一般紙」の定期購読をやめることだ。新聞の中でも一般紙は全国民をターゲットとして報道してくるので、どうしても最大級のネガティブモードで、育児をしている母親たちに必要のない報道をしまくるのだ。

 新聞でも「経済紙」や「地方紙」であるならば、そのマスコミの猛毒性は或る程度緩和される。経済紙はビジネスマンに向けて作られているし、地方紙はその地方の住人たちに向けて作られているから、マスコミに属しつつも、ターゲットメディア的な要素を少しは含んでいるのだ。

 一般紙の定期購読をやめると、正しい情報を掴むことができる。例えば、朝日新聞は、戦前は戦前は軍部に加担して日本国民に途端の苦しみを味あわせ、戦後は官僚に加担して税金を釣りあげ、官僚たちの横暴を許してしまっている。戦後、日本の首相はせいぜい1年程度の任期しか全うできないが、これは読売新聞が首相による政策が実施され始めると猛烈に首相を批判し始め、それによって辞任に追い込んでいるからなのだ。

 民主主義は衆愚政治の何物でもないが、その衆愚政治を推進し、国民を白痴化させるのに最大の役割を演じるのが、「一般紙」であるのだ。一般紙は読めば読むほど読者が馬鹿になっていくし、政治に対していくら意見を言ったとしても、最終的には民主主義を自滅させるような意見しか言えなくなってしまうものなのである。

 育児をしているなら、冷静になって一般紙を読んでみればいいのだ。育児情報なんか掲載されていないし、読めば読むほど気分が落ち込んでくることだろう。そういう有害な報道に晒されていれば、自分の心もネガティブモードになってしまい、育児に対して喜びを見出せなくなってしまうものなのだ。ネガティブなものは必ず伝染してくるのだ。

 もしも一般紙を定期購読しているなら、一般紙の定期購読を中止するというのは偉大なる決断なのだ。幸せへの一歩を歩み出したことになるのだ。しかし、新聞が一切いらないかといえば決してそうではないのだ。新聞には「チラシ」や「地方自治体からの広報」が入っているので、これらがないと生活に不便なのだ。それゆえ、例えば経済紙を定期購読し、経済紙自体は夫に渡して、自分はチラシや広報を読めばいいのだ。地方紙なら自分が読んだって構わないのだ。

●テレビの視聴時間を制限する

 出産前と出産後で大きく変わったのが、テレビを視る時間が減ったということであろう。テレビを見ていると、どうしてもテレビの前から動けなくなってしまうので、時間があっという間に過ぎ去ってしまい、すべての分野で時間が不足してしまうことになるのだ。育児をしていると、時間が貴重になってくるので、そう長々とテレビを視ているわけにはいかなくなるのだ。

 テレビを視るのに、最も気をつけるべきは、起床から正午までの時間帯である。人間は朝起きてから正午までの間に集中力が高まっていくので、この時間にダラダラとテレビを視ていると、自分の集中力を欠いてしまい、すべてが後手後手になり育児が大変なことになってしまうのだ。

 午前中のテレビ視聴は最も制限されて然るべきであって、テレビを視る時間が少なければ少ないほど、その母親は家事や育児をテキパキとこなすことができるのである。育児をしていると、赤ちゃんの影響を受けて時間がゆっくりと流れて行くが、それに釣られてテレビをダラダラと視ていては、何もできなくなってしまい、家事も育児も失敗だらけになってしまうのだ。

 次に気をつける時間帯は就寝前である。人間はベッドに入ってもすぐさま眠れるわけではなく、就寝30分前から自分の脳の活動を緩めていかねばならないのだ。もしも就寝前までテレビを視ていると、脳が覚醒してしまい、寝付けなくなってしまうし、寝たとしても非常に浅い睡眠になってしまうのだ。育児をしていれば、赤ちゃんの世話で1日中大変な労力を必要とするので、いかに寝付きが良く、深い睡眠を取るかで、翌朝を迎えた時、元気になっているか病的になっているか分かれてしまうものなのだ。

 「育児で忙しい!」とは言うけれど、テレビを視なければ、自由時間はたくさんあるものなのだ。テレビを視ているからこそ、時間が食われてしまい、すべての分野で時間が不足してしまうことになるのだ。それゆえ、新聞のテレビ欄を見て、自分が視たいと思う番組だけに丸をして、その番組だけを視るようにすればいいのだ。できれば録画して、CMを飛ばして視ることだ。この作業をするだけで、テレビの視聴時間は激減するものなのである。そのあいた時間を使って、赤ちゃんと一緒に遊べばいいのだ。

●育児にとって必要な情報を集めよ

 育児をしているなら、マスコミによる報道を可能な限り避けて、ターゲットメディアによる情報を収集していくことが必要不可欠となるのだ。マスコミの報道をいくら見ていても、育児情報は得られないものなのである。ごくたまに流れてくる育児情報は、「児童虐待」であったり、「シングルマザー」であったり、育児放棄の果てに赤ちゃんを殺してしまった「殺人事件」であったりするのだ。こんな報道をいくら聞いてもなんの役にも立たないのだ。

 育児をしているなら、育児にとって必要な情報を、自分の手で集めていくべきであって、この作業を決して怠らないことだ。育児をしている母親にとって、ターゲットメディアの代表格は「育児雑誌」なので、この育児雑誌を買って読んでいけばいいのだ。育児雑誌は読んだら捨ててしまうのはなく、せめて1年間の間は取っておくべきだ。育児雑誌は1年をサイクルに編集されているので、1年分の育児雑誌を持っていると、育児情報を網羅することができ、育児に於いて圧倒的な力を発揮してくれるのだ。勿論、1年分の雑誌を保管するためには、場所を取るので、可能な限り大きな家に住むようにすることだ。

 インターネットでの育児情報は収集するのが便利であるはあるけれども、必ずしもレベルが高いとはいいきれない。新米ママが育児情報を集め過ぎてしまい、逆に訳が解らなくなり、頭の中がゴチャゴチャになってしまうからだ。インターネットをやる時は、制限時間を設けてやることだ。ネットサーフィンをしていると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまうのだ。

 育児情報は大量に流れていても、それがすべて正しいとは限らない。ガセネタも大量に流れているものなのだ。すべての情報を鵜呑みにしてしまうのではなく、自分でその情報が本当に正しいのか確かめる努力を決して怠らないことだ。最初は確かめるのに時間がかかってしまうものだが、そういう経験を何度もすると、育児情報の正否が解り始め、いずれ瞬時にその正否が解るようになってくるものなのだ。

 育児情報は育児の命運を左右するほど重要なものなのである。その育児情報を決してタダで得ようとしてはならないのだ。或る程度の出費は絶対に必要なのである。身銭を切ったからこそ、その育児情報の重要性が解ってくるのだ。育児情報をなんでもタダで貰っていたら、その代償はいずれ高くついてしまうものなのである。家計が苦しい時に捻り出したお金は、たとえそれが僅かであったとしても、その値は万金に値するものなのである。

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芸能人の育児は絶対に参考にならない

●実力の世界と人気の世界は違う

 今や芸能界は主婦タレントに人気が出て来てしまっているが、巷の母親たちにとって、芸能人の育児は絶対に参考にならないのだ。芸能界は運命学的に言うと、「子宝に恵まれない世界」なのであって、芸能人としてスターであればスターであるほど、結婚しても子供ができなかったり、結婚そのものが離婚に終わってしまうのだ。芸能人は結婚することなく、育児をすることなく、そういった家庭的な楽しみを経験することなく、観客相手に働き続けねばならないということが運命学的に課せられているのだ。

 一般人の世界は言わば「実力の世界」である。実力ある人たちが立身出世していくことができるし、それは子供の数の多さや所得の多さとなって現れてくる。しかし、芸能界は一般人の世界とは真逆の世界であって、「人気の世界」なのである。実力がなくても、人気さえあれば伸し上がっていくことができる世界なのだ。

 実は音痴だというのに、それを加工して、巧い歌として見せかけて売れてしまう歌手や、演技が下手糞なのに、可愛い顔をしているから売れてしまう女優や、他人の意見を無視して自分の意見を一方的にしか言わない司会者など、通常の感覚では有り得ないような世界が展開されているのだ。

 女性アナウンサーも或る意味、芸能人化されているので、彼女たちが話してkる結婚や育児のことは絶対に参考にならない。日本の女性アナウンサーで喋りが巧いというのは、数えるほどしかいない。しかも、出来のいい女性アナウンサーは殆どがNHKの女性アナウンサーに集中してしまっているのだ。要は、女性アナウンサーとして碌な仕事をしていないのに、人気があるばっかりに生息していられるのである。

 嘗て、漫画家の「柴門ふみ」が、「芸能人の恋愛は参考にならない」と名言を放ったものだが、それと同じく、「芸能人の育児は絶対に参考にならない」のだ。芸能界にいるなら、男女が密集した状態で置かれているのだ。そこで彼氏や彼女を見つけ出すことは容易いものなのである。お手軽にセックスできたからといって、それがまともな恋愛であるわけがいのだ。芸能人であるなら、家庭や子供を顧みることなく、芸能界で働き続けねばならないのだ。それなのに育児の仕方をベラベラと喋られても、それは育児をしている母親たちから見れば、程度の低い内容でしかいないのだ。

●「所得の格差」と「労働の仕方」の違い

 一般人と芸能人とを問わず、人間の感覚が極端な形で変わってしまうものが、「所得の格差」だ。学者たちは「所得の格差」が存在することを問題視するが、「所得の格差」それ自体が問題になることはない。「所得の格差」で危険なのは、貧乏人がお金持ちを見て、貧乏人らしく生きようとしなくなってしまうことなのだ。

 日本では最低賃金が保障されているので、どんなに少ない給料でも、その給料内で暮らしていけるようにできている。しかし、テレビで芸能人の言動をまともに聞いてしまうために、派手な生活をしてしまい、貧乏人なのに貧乏らしくない生活を営んでしまい、自分の生活を極端にまで貧乏にしてしまうのだ。

 人生の中には何度か、特に若い時には貧乏を経験する時があるので、その時期はジッと耐え忍んで、貧乏を遣り過ごさねばならないのだ。それなのに、その時期に贅沢な暮しをしてしまえば、その貧乏の中で学ぶことをしなかったら、いつまで経っても貧乏から抜け出せなくなってしまうのだ。

 もう一つは、「労働の仕方」の違いだ。一般人の世界ではなんといっても結果を出す労働が求められるのだ。結果を出さねば、給料は貰えないのだ。それなのに芸能界は結果を出さなくても、莫大なお金が貰えてしまう世界なのである。例えば、TBSの新番組で「THE NEWS}というのがあるのだが、これは平均視聴率が数%なのに、その司会者である「小林麻耶」のギャラはなんと年間5000万円である。通常の世界では絶対に有り得ないような金額を貰っているのである。

 もしも育児をしながらテレビばかり見ているなら、その新米ママの育児は巧く行っていないことだろう。なぜなら、所得に於いても、労働の仕方に於いても、自分のやっていることとは全く参考にならないからだ。一度、テレビを消して、芸能界から離れてしまうことだ。そうすれば、途端に育児が巧く行き始め、育児の楽しさが解ってくるようになるのだ。

●真剣になって育児をしていれば、テレビなどには出て来ないものである

 そもそも、育児をしながら、芸能活動ができるわけがないのだ。真剣になって育児をしていれば、家庭に引き籠るものだし、テレビなんかには出て来ないものなのである。育児をしながら、芸能活動もやってしまう。そんな芸当ができるわけがないのだ。最初の赤ちゃんであるなら、その世話だけでテンテコ舞いになってしまうものなのである。

 しかも、育児というのは、3人の赤ちゃんを産み育てて、やっと一人前の母親になれるものなのだ。子供を1人や2人しか育てていないのに、育児を語るべきではないのだ。子供の数が少なければ、まだまだ母親として未熟なものなのである。育児というのは、それを3回繰り返さねば、本当の所が解らないものなのである。

 主婦タレントは育児雑誌にまで進出してきているので、この手の主婦タレントが言っていることは、大いに割り引いて聞いておいた方がいい。いくら記事を掲載したとしても、その本人が年に1度やるかやらないようなものだったり、編集部がアイデアを用意して、その主婦タレントの名を使って公表しているということもあるからだ。

 育児雑誌で参考になるのは、普通のママたちのアイデアなのだ。そういったアイデアは実際の生活の中で生み出されてきたものなので、いいアイデアなら、すぐさま実戦投入が可能になるのだ。育児のアイデアを聞くなら、こういった普通のママたちの意見を聞くべきなのだ。

 赤ちゃんは生後2歳を過ぎるまで、とにかく病気をしまくるので、目が離せない存在なのである。幼稚園児になっても、まだまだ母親に甘えたい盛りだ。小学生になっても何かと母親の周りに纏わりついてくるものだ。子供から離れていってくれるのは、中学生になってからであり、とはいっても、社会人になって一人立ちするまで予断ができないものなのである。それほど育児や子育ては長い時間を要するものなのである。

●芸能人は離婚がビッグチャンスとなる

 一般人と芸能人での決定的な違いは、一般人は結婚を守ろうとしてくるうが、芸能人は結婚を破壊してくるという点に於いてなのである。芸能人は自らの結婚を破壊してなんぼのものなのだ。芸能人は離婚がビッグチャンスとなるのだ。離婚で運勢がブレイクするのは芸能人特有の運勢なのである。

 一般人では離婚は絶対に運勢を落ち目にさせる。その代償は非常に重たいものなのだ。結婚したら、とにかく離婚しないことである。恋愛結婚で結婚したのなら、恐らくはその相手は運命の出会いによってもたらされた相手だからだ。その運命の相手と離れてしまえば、次に別の運命の相手に出会えることは、殆どないといっていいくらいに、確率が少ないのだ。

 芸能人は離婚すれば、それだけ大々的に報道して貰え、自分の名前を有名にすることができるし、離婚したとしても、次から次へと異性がやってくるものなのだ。次に交際する相手が運命の相手でなくても、セックスする相手などいくらでも存在するのだ。そういったスキャンダルがまた報道されて、更にビッグになっていくのだ。こういうことは一般人の世界では有り得ないことなのだ。

 芸能界とは、言わば「嘘の世界」だ。それなのに我々は「嘘の世界」に甘く、「現実の世界」を軽視し過ぎだ。芸能情報に矢鱈と詳しく、芸能人がどの番組に出ているかをチェックしていたり、好きな芸能人が一体誰と付き合っているのかをもすべて知り尽くしている女性たちは必ず存在するものだ。

 しかし、そういった女性たちが、実際の自分の生活が充実しているかといえば、決してそうではないのだ。寧ろ現実の生活は悲惨で、家計簿をつけないから家計は赤字で、料理や掃除や洗濯もからきし駄目である。育児なんかも、普通の母親なら知っていることさえ何も知らないのだ。

 自分の赤ちゃんがいるのなら、いい加減にフィクションから目覚めよう。現実の世界の方が圧倒的に面白いものなのだ。普通の主婦なら、結婚がビッグチャンスになるものであり、出産によって赤ちゃんと共に、最高の幸せをもたらしてくれるものなのだ。だからこそ、テレビをみまくっていないので、真剣に育児に向き合うべきなのである。母親が真剣になって育児に取り組んでいれば、楽しいことなどいくらでもやってくるものなのだ。

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「大変だババァ」を撃退する方法

●新米ママの許されざる敵:「大変だババァ」

 女の敵は女である。育児をしている母親たちにとっての敵は、まずは「フェミニスト」たちである。フェミニストたちは、女性が結婚することを否定し、女性が出産や育児をすることを否定し、女が女であることを否定してくる碌でもない連中なのである。フェミニストたちがより凶悪なのは、自分で勝手に自立すればいいものなのに、なぜか大学や学校をアジトにして、国家権力に入り込んでくることなのである。そして既婚女性が結婚を維持できなくなるような法律を制定したり、幸福な結婚のために設けられた既存の法律を悪しき方向へと改正しようとしてくるのだ。フェミニストたちの力で、所得税の配偶者控除が廃止されたことを見ても、いかに既婚女性たちにとってフェミニストが許されざる敵だということが解ろうものだ。

 しかし、育児をしている母親たちにとって、すべての既婚女性たちが味方と言えば、決してそうではない。結婚をし、出産をし、育児をしたのに、その中に喜びを見出せず、「大変だ~」「大変だ~」と騒ぎ立てるオバサン連中がいるのだ。このオバサンたちは、夫婦関係が巧く行っていないし、子供たちとの関係も巧く行っておらず、そのストレスが今現在、育児をしている新米ママたちに向けてくるのである。

 新米ママにとっては、初めての育児なのだから、育児に関して解らないことばかりだ。だから、先輩ママたちに教えを乞うものなのであるが、この「大変だババァ」たちはまともな育児をしていないから、まともな育児テクニックを教えられないのだ。その代わり、「育児って大変よ~」と何度も脅迫を繰り返してくるのである。

 赤ちゃんは生後2歳まで自分で抗体を作り出せないのだから、生後2年の間は病気をしまくるものだ。赤ちゃんは病気をすることで、免疫力を上げるという捨て身の戦法を取ってくるのだ。しかし、それなのに、赤ちゃんが病気でもしていようものなら、「まぁ~可愛想!」と大声を上げて、新米ママを助けるどころか、新米ママを脅すのである。

 夫婦の経済力は夫婦それぞれ違うものなのに、新米ママが働きに行かざるをえない家庭なのに、「赤ちゃんにまともな育児をしないで、働きに出るなんて、赤ちゃんが可哀想!」と絶叫に近い叫び声をあげるのである。そういうことを言うなら、「働きに行かなくてもいいように、お金をくれ!」と言いたくなるものだが、「大変だババァ」たちは、自分の観点でしか物事を見ようとしないのである。

●日本最大の世俗宗教である「大変だ教」

 言葉の暴力はナイフよりも人を傷つけるものなのである。新米ママは育児に慣れていないのだから、言葉を選んで使うべきなのに、そういう配慮ができないのである。「大変だババァ」は新米ママのことを心配して言葉をかけているつもりでも、新米ママの方にとっては全然有難くなく、それどころか迷惑なのである。

 女性にとって自立しているか否かは非常に大きな言動の差となって現れてくるのだ。自立していない女性は、「言葉の暴力」が激しいものなのだ。フェミニストたちを見れば解るが、自立していないと、誰かに憎悪を向けてくるために、自然に言葉が憎しみに満ちたものになってしまうのだ。

 結婚できたからといって、その既婚女性が自立しているとは限らない。女性が自立するのは、結婚前に自分の力で行われるものであって、結婚によってもたらされるものではないからだ。精神的な自立を果たしていなければ、結婚したとしても自立できず、夫や子供たちに頼り切った人生を送ってくるものなのだ。

 日本は決して無宗教の国ではない。神道と仏教が共存して宗教心を維持している国家である。しかし、明治維新の際に廃仏毀釈を行って、長年取り続けてきた神仏習合を廃止してしまったので、仏教が大打撃を受けてしまった。そのために、仏教が世俗化し、その過程で生まれてきたのが、日本最大の世俗宗教である「大変だ教」なのだ。

 釈迦は恐らく人類史上初の精神病患者であったのであろう。釈迦の生い立ちを見れば、ノイローゼ患者としか思えない行動を取り続けているからだ。釈迦は世俗を否定し続けて、遂に「一切皆苦」という境地に辿りついたのだ。この世のすべては苦しみだらけであるというとんでもないことを仏教の教義にしたのである。

 この世俗バージョンが「大変だ教」の教義である「何事も大変だ~」なのである。「仏教」の教義と「大変だ教」の教義の一体何が違うといえば、仏教は世俗を否定して、一切皆苦と言っているのに対して、大変だ教は世俗を否定してもいないのに、自分が世俗で生きて行く技術を習得していないから、様々なトラブルが起こり続けるから、何事も「大変だ~」「大変だ~」と言っているにすぎないのだ。

●「自分は楽しいです!」と切り替えす

 「大変だババァ」に決して心を許してはならない。育児だけでなく、何事にも「大変だ~」と言ってくるからだ。それゆえ、「大変だババァ」に「「育児って大変よ~」と言われても、まともに受け取らないことだ。それよりも「あなたと一緒に居る方が大変です!」と断言して、「大変だババァ」と仲良くすることを拒絶してしまうことだ。

 「大変だババァ」は新米ママの顔が艶艶していても、「顔色が悪いんじゃないの?」と言ってくるので、そういう時は「私は健康そのものです!」と言いきってしまうことだ。「あなたと一緒に居るために、顔色が悪くなっているだけです」と反撃してしまうことだ。「大変だババァ」に対して長々と会話をしても無駄なのだ。それよりも1分以内に会話を終えるようにしてしまうことだ。

 育児をしている新米ママにとっては、用事で買い物や公民館やコミュニティーセンターなどに行かねばならぬのだが、その際に「大変だババァ」に出くわしてしまうものなのである。新米ママが赤ちゃんを連れて歩いていたら、格好の餌食となってしまうのだ。相手が一人であるならまだ対応できるが、集団でやってこられては対応できなくなってしまうのだ。

 そういう危険性がある時は、ママ友同士で行動することだ。ママ友同士が行動すると、べビーカーを持っているので、相当に大きな集団となってしまうので、「大変だババァ」といえども、なかなか近づけなくなってしまうのだ。集団に対しては集団で対抗するという、力の論理を決して忘れないことだ。

 人間は常に気を張りつめていることはできないから、気が緩んだ所を狙って、「育児って大変よ~」と「大変だババァ」が言ってくることがあるので、そういう時は「自分は楽しいです!」と言いきってしまうことだ。「自分が楽しいからこそ、楽しく育児をやっています!」と言い返せば、もうそれ以上何も言ってくることがなくなるものなのだ。

●自分の心をポジティブモードにする

 人生は大変なことばかりではない。楽しいことなどいくらでも存在するのだ。ただ、その楽しさを得るためには、それなりの「心」「技」「体」が必要なのだ。育児であるなら、育児を遂行することだけの体力が必要だし、育児を巧くこなす技術が必要だし、育児をきちんとできる母親としての「心構え」も必要なのだ。これらが揃わなければ、育児の中で楽しさを見つけ出すことは不可能であろう。寧ろ育児が苦痛になってしまうものだ。

 「大変だババァ」たちは育児で重要な心技体を身につけなかったがゆえに、育児をしても楽しさを見つけ出せなかったのだ。赤ちゃんを産めば幸せになれるものではないのだ。赤ちゃんを育てていけば幸せになれるものではないのだ。出産や育児を通じて、自分がいかに変わっていくことで、母親たちは幸せになっていくことができるのである。

 人間の心はポジティブモードになるか、ネガティブモードになるかの2つに1つの選択しかできないのだ。自分の心がポジティブモードになっているのに、ネガティブなことを考え出すことは不可能だし、自分の心がネガティブモードになっているのに、ポジティブなことを考え出すことは不可能なのだ。

 育児をしていればいろんなことがあることであろう。だが、常に自分の心をポジティブモードにしておくことだ。そうすれば自分の心が誰かの言葉で傷つくなんてことはなくなるのだ。もしも、「大変だババァ」の発言で傷つくようであるなら、その発言内容も問題ではあるが、自分の心がポジティブモードになっていたということも問題なのだ。

 育児の厳しい現実というのは、赤ちゃんを育てたとしても、育児の喜びを見いだせなかった人たちは必ず存在するということなのだ。今現在、自分が育児をしているなら、自分が決してそういう「大変だババァ」にならないように気をつけることだ。色々と試行錯誤しながら、育児の喜びをたくさん見つけ出していくことだ。自分の頭の中が育児の楽しさで一杯になれば、自分よりも若い新米ママたちに「育児って面白いよ!」と勇気づけれあげることができるようになるのだ。そういう言葉こそ新米ママたちにとっては勇気をくれる有難い言葉なのだ。

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「夫の実家」vs「妻の実家」の仁義なき戦い

●少子化が作り出した「夫婦の実家同士の争い」

 結婚してからの人間関係のトラブルは、「夫婦関係のトラブル」か、「嫁姑の間でのトラブル」というが一般的だった。しかし、少子化になってしまった世の中では、「夫婦の実家同士の争い」という昔なら絶対に有り得ない争いを引き起こしてしまったのである。通常、自分の娘が嫁に行ったら、その娘の両親は結婚には口を出さないものである。ところが、結婚しても口を出して来くるのだ。妻の両親は子離れができていないし、妻の方も親離れができていないのだ。

 具体的には夫婦の実家の双方が、赤ちゃんの成長に盛んに口を出してきたり、七五三で着る服で揉めたり、幼稚園や小学校に進めば制服やランドセルで喧嘩が始まるのだ。この争いが始まると、双方が結婚し家庭を築いているし、仕事も成功し社会的に或る程度の地位があるので、どちらも安全地帯に身を置きながら、「息子夫婦」「娘夫婦」の家庭を戦場にして壮絶なバトルが繰り広げられるのだ。

 子供の数が多ければ、親というものは、それほど子供に期待をかけるものではないのだ。子供の数が多いと、比較対象ができるので、子供の性格や個性がはっきりとしてきて、その子にあった道に進ませようとするものなのである。自分の子供を理解せず、無意味に期待をするのではなく、自分の子供を理解した上で、成功するようにバックアップしてくれるのだ。

 ところが、子供の数が少なければ、両親は比較対象ができないので、自分の子供の性格や個性を充分に理解できず、そのために自分の欲望を自分の子供に押しつけて、その通りに歩ませようとするのである。そういう子供が大きくなっても、その子は親から自立できたとは言い難く、結婚したとしても、その子の結婚に事あるごとに介入してくるのだ。

 しかも、祖父母にとっては、少子化のために孫の数が少ないので、祖父母がかける期待も大きくなってしまうのだ。こういう祖父母は、孫を育てる気は更々なく、孫をオモチャにして、孫と戯れるということしかしないのだ。これはどんなにアホな夫婦でもその異常さを見て取れることができるのだが、なんせその夫婦が親から自立していないために、この妖怪化した自分の親を自宅に招き入れてしまうのだ。

 こういうことを夫の両親だけが行えば、妻の方も反撃することが可能であろう。しかし、妻の両親もこういうことを行ってくるために、妻は反撃することはできないのだ。そのために、自分たち夫婦の家庭を戦場にして、「夫の実家」と「妻の実家」が激しくぶつかりあってしまうのである。

●最初が肝心

 この手の馬鹿馬鹿しい争いを封じるためには、何事につけても夫の実家を優先して、妻の実家が無闇に口を出せないようにすることなのである。赤ちゃんを出産して、初めて親の家を訪れるなら、必ず夫の実家を先に行くようにし、妻の実家に行くのはその後にすべきなのである。

 七五三の服で揉め出す前に、事前に夫の両親に相談を入れて、七五三で着て行く服を先に決めてしまうことだ。後で妻の実家がなんと言って来ようとも、決して耳を傾けないことだ。そして、幼稚園や小学校に関しては、自分たち夫婦が決めることであって、夫の実家や妻の実家には口を出させないことだ。

 夫婦の実家同士の争いを起こさせないためには、最初が肝心なのであって、最初の段階で失敗してしまうと、後でズルズルと揉め事を発生させてしまうのである。自分たちは夫婦は夫の実家を優先しますよと、妻の実家に対して常にアピールしておくことだ。娘が嫁いだ以上、最早、口を出すなということを身を以て知らせることだ。

 但し、この遣り方は、妻が嫁入りした場合であって、夫が婿入りしてきた場合には、この遣り方が逆になってしまう。妻は自分の実家を常に優先させて、夫の実家からの介入を封じ込めてしまえばいいのだ。夫が婿入りするということは、女系相続がなされたということなのであって、一旦、夫の実家と揉めてしまうと、その争いが泥沼化してしまう傾向にあるのだ。女性であるがゆえに、恨みを持続してしまい、双方が妥協して、戦いを終えるこということができないのだ。

 最初の出産であるなら、赤ちゃんが可愛いすぎるために、遂々自宅に籠りがちであるが、事あるごとに夫の実家に行くべきなのである。夫の両親に孫の顔見世興行を行い、夫の両親を立てることだ。こういうことをすれば、夫の両親から幾らかのお金は貰えるものなのである。この手の人間関係への配慮をきちんと行って、夫婦の実家同士の争いを未然に防いでしまうことだ。

●無闇に敵を作るな

 夫婦関係のトラブルでも、嫁姑のトラブルでも、それらを解決しようとせず、逆にその争いを扇動して、最悪の事態にまで持っていこうする人たちは大勢いるものだ。精神的自立を成し終えていないために、夫に反抗することで、姑に反抗することで、自分の親への反抗の代わりにしてしまうのだ。

 人生で大事なことは、無闇に味方を作るのではなく、無闇に敵を作らないことなのだ。無闇に敵を作れば、敵にされた方は、執念を燃やすようになってしまい、執拗にまで敵として有り続けてしまうのだ。敵の方も何か正当な理由があって敵とされたならば、まだ納得がいくが、そうでない場合は、相手は無制限に恨みを抱いてしまうものなのである。

 夫婦関係のトラブルでも、それを解決せずに、逆に夫に戦いを挑むように振り向けるなら、夫は暴力を以て対抗せざるをえなくなってしまうのだ。もしも、それを理由に離婚をしてくるなら、いかなる殺人行為をも恐れることはなくなってしまうものなのだ。嫁姑の争いも、それを激化させてしまえば、姑は息子の嫁に怨念を抱いてしまい、その怨念が妻の身に降りかかってきたり、子供たちの身に降りかかってきて、凄まじい災いをもたらしてしまうのだ。

 夫婦の実家同士の争いも、一旦、争ってしまえば、収拾がつかなくなるほどの激しい争いを繰り広げてきてしまい、双方が恨みを抱いてしまうのである。その恨みは決して良い結果をもたらすことはなく、逆に自分たちの家庭に災いとなって降り注いでくるようになるのである。

 結婚したら、親族内に敵を作らないことだ。骨肉の争いは、赤の他人との争いよりも、残酷な結果に終わってしまうものなのだ。嫁入りしてきたからといって、いきなり夫の親族とベタベタするのは逆に問題だが、時間をかけてゆっくりと距離を縮めて行き、良好な関係を作り出していくことだ。

●説得のコツ

 夫婦の実家同士の争いを起こさないためにも、まずは「自分たち夫婦が実力を持つこと」だ。精神的に自立して、双方の親から独立している姿勢をきちんと示すことだ。精神的だけでなく、経済的にもちゃんと独立して、双方の親の資金援助などは一切拒否して、自分たち夫婦が稼いだお金で生活していき、地道に貯金して資産を作り出していくことだ。

 その上で、自分たちが下の立場に立つのではなく、「相手の目線に立つこと」なのである。夫の実家が何か言ってきたら、それを撥ね退けてしまうのではなく、とりあえず「そうだよね」と一言いって、相手の目線に立ってあげるべきなのだ。そうすれば、相手は争いを起こそうとは思わなくなるのだ。

 これは妻の実家に対しても同じで、妻の実家が何かを言ってきたのなら、まずはその話を聞いてあげて、「そうだよね」と言ってあげればいいのだ。そして、その意見が理不尽なものであるなら、「でも、お父さんやお母さんは自分のお爺ちゃんやお婆ちゃんからそういうことされたことあるの?」といって、相手の頭を冷却化させてしまうのだ。相手の目線に立つと、相手の落とし所がはっきりと解ってくるものなのである。

 そして最後は、争いを激化させるのではなく、争いを終結させるという「結果を出していく努力」を行うことだ。争いをやめさせ、平和にさせ、それによって自分たち夫婦の信義を貫いて、利益を生み出させねばならぬのだ。結婚したらそれがゴールだと思って、こういう外交力を身につけていないと、幸せになる結婚も幸せにならなくなってしまうものなのだ。

 「運命は自ら招き、境遇は自分が作るもの」と言われる。自分たち夫婦の運気を落としてしまっているなら、それは自分たち夫婦がやってしまったことなのである。結婚していれば、どちらかの方の運気が落ちても、もう一方がカバーできるものなのだ。それができないとなれば、自分たち夫婦に落ち度があるということなのだ。

 結婚すれば、夫婦の境遇はゼロから始まるものだ。その境遇を自分たち夫婦が力を合わせて、自分たち夫婦の信義を貫き、自分たち夫婦にとって最大の利益をもたらせるような境遇を作り出すべきなのである。これができないとなれば、その夫婦がそういった努力をしていないということなのだ。

 夫婦の実家同士の争いが起こったら、「夫の実家が悪い!」「妻の実家が悪い!」と罵り合うのではなく、自分たち夫婦の不徳を責めるべきなのである。本来なら味方にできる人たちを敵に回してしまっただけなのである。争いをやめ、味方になってくれれば、これほど有難い人たちはこの世には他にいない人たちなのである。

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自分独自のストレス解消法

●育児ストレス解消法を知らなければ、育児ストレスは溜まっていくだけ

 人間はその相手がどんなに可愛い赤ちゃんであったとしても、いつも一緒に居続けたらストレスを感じてしまうものだ。育児では育児ストレスが必ず発生するものであって、育児ストレス解消法を知らなければ、育児ストレスは溜まっていくだけなのだ。逆に言えば、育児ストレスが溜まって行くのは、育児ストレス解消法を知らないからなのだ。

 大家族で暮らしているなら、育児ストレスはそれほど発生しないことだろう。自分が育児で疲れてきたら、姑にやって貰えばいいからだ。しかし、核家族のように、母親に育児の負担がモロにかかるような家族形態になってしまうと、育児で疲れても、育児を任せられるのは夫しかおらず、そのため夫が忙しい時は、頼むにも頼めなくなってしまうからだ。

 言わば、育児ストレス解消法は、核家族の形態を取る夫婦では絶対に必要なことなのだ。核家族になっているのに、育児ストレス解消法を習得しなければ、いくらでも育児ストレスが溜まっていってしまうだけなのだ。育児ストレスでギャーギャー騒ぎ出すのではなく、育児ストレスを巧く流してしまうようにすればいいのだけなのだ。

 育児をしている際に、夫に頼り過ぎることはやめておいた方がいい。夫は仕事で全力を投入してきている以上、平日の夫は疲れて帰宅してくるものだからだ。妻が頼めば、最初のうちは何度か応じてくれるが、そのうち段々と嫌がるようになり、下手をすれば自宅に帰ってこなくなってしまうことだろう。

 仕事のストレスと育児のストレスでは、一体どちらが大変かといえば、仕事のストレスに決まっているのだ。大抵の男性たちは、テレビの前でゴロゴロしながら、仕事のストレスをj解消しているものなのだ。そんな時に夫に頼り過ぎてしまえば、夫だって嫌になってくるものなのだ。

●赤ちゃんから離れること

 育児ストレスを感じたら、まずは赤ちゃんから離れることだ。これが一番大事なのだ。育児ストレスの正体は、赤ちゃんと一緒に居続けることで、母親の方が疲労してしまっただけのことであり、母親が赤ちゃんから離れてしまえば、呆気なく消滅していくものだからだ。非常に簡単なことなのだ。

 赤ちゃんと離れるといっても、完全に離れてしまうのではなく、赤ちゃんが寝ている時間を巧く利用してしまうことだ。赤ちゃんは1日の大半を眠って過ごしているので、赤ちゃんの寝ている時間を有効に使うことだ。例えば、早起きをして、赤ちゃんが寝ている間に、自分のやるべきことをやってしまう。夜に赤ちゃんが寝たら、自分の自由時間として使ってしまうことだ。

 それ以外にも、赤ちゃんを他人に預けて、数時間の間、自分がリラックスする時間に充ててしまうことだ。何日も赤ちゃんから離れる必要性はないのだ。数時間、赤ちゃんと離れているだけで、育児ストレスはすべて吹き飛んでしまい、再び新たな気持ちで育児に取り組めるのである。

 その際、自分の夫や、自分の母親や、夫の母親を巧く使いこなすことだ。赤ちゃんを少しの間だけ預けて、自分は育児から解放されて、気楽に過ごしてしまえばいいのだ。赤ちゃんを預けれられた相手も、赤ちゃんと充実して遊ぶことができるのである。育児で疲れきってしまった人間関係を修復するのには、これが物凄く効果的なのである。

 育児ストレスを最大限に溜め込んで、行政に泣きつくような新米ママたちは、このちょっとした方法を取らないからこそ、育児ストレスでギブアップしてしまうのだ。人間はそれほど長い間、他人と接触し続けられるものではないのだ。たとえ我が子であったとしても、一人に成りたい時間は必要なのだ。

●短時間で済ませられるもの

 お手頃に育児ストレスを解消できてしまうものは、赤ちゃんが寝た後に見る「ビデオ」ではないだろうか? ビデオといっても、テレビ番組を録画したものではなく、夜に見る映画のことだ。映画は駄作でない限り、その映画を見ている間だけ、自分の生活を忘れることができ、これだけで育児ストレスをリセットすることができるからだ。それゆえ、育児をしている最中はテレビをダラダラ見るのだけはやめた方がいい。あっという間に時間が過ぎ去ってしまうし、全然、育児ストレス解消法にならないからだ。

 料理が得意な女性は、料理をするだけで育児ストレスの解消になってしまうものだ。有効なのは、「パン」や「うどん」といった、それを作るのに体力仕事にならざるをえない料理だ。「パン」や「うどん」を作っていると、意外と無心の境地になれるものなのだ。「蕎麦」を作るのも同じことだ。料理は育児ストレスを解消できるだけでなく、料理で作った物を食べられるということも、非常に利点になるのだ。

 裁縫が得意ならベビー服を作るだけで育児ストレスは吹き飛んでしまうものだ。ベビー服は構造が非常に簡単なので、裁縫の下手な女性でも作れてしまうものなのだこの世に1つしかないオリジナルな服を着させると、それだけで楽しくなってしまうものなのだ。そうなれば育児ストレスなど一瞬にして消え去ってしまうものなのである。

 スポーツで体を動かし、汗を流すというのも、立派な育児ストレスの解消になる。スポーツの素晴らしさは、スポーツをして育児ストレスが消えるだけでなく、体力がつくことによって忍耐力がつき、そう簡単に育児ストレスを溜め込まなくなるからだ。いつの間にか「強い母」に変身しているものなのである。

 汗を流すと言うなら、「温泉」や「サウナ」もお薦めだ。温泉やサウナで汗を流してしまえば、それまでの育児ストレスは完全に吹き飛んでしまうものなのだ。温泉やサウナは数時間で育児ストレスを完全に消滅できる優れ物なのだ。人間は体が冷えてしまえば、碌でもない発想しか浮かばなくなってしまうものなのである。

 「喫茶店」に行って、お茶を飲みながら、ボケーッとするのも、脳を完全にリセットすることができる。こういう時間が人間には必要なのだ。食い意地の張っている女性なら、レストランで食事をしてしまうのもいい。食欲を満たせば、育児ストレスなど消え去ってしまうものだからだ。 

 但し、育児ストレスの解消で、絶対にやめた方がいいのは、「飲酒」や「喫煙」である。授乳をしている母親が飲酒をすると、お酒の酔いが非常に早く回ってしまうので急性アルコール中毒になってしまったりするのだ。赤ちゃんに母乳を飲んで貰うことで、体内の循環が非常に良くなりすぎてしまっているのである。喫煙は吸っている時はストレス解消になっても、体内は酸素不足に陥ってしまい、しかもニコチン中毒になってしまうので、非常に危険な母乳を出してしまうことになるのだ。赤ちゃんが非常に高い確率でアトピー性皮膚炎になってしまうのである。

●赤ちゃんと遊んでしまうこと

 究極の育児ストレス解消法は、赤ちゃんと遊んでしまうことだ。育児をしている時に育児ストレスを発生させなければ、育児ストレスの解消など不必要になってしまうからだ。育児を真面目に遣り過ぎると、育児で楽しむということを忘れてしまいがちなのだ。育児で正しいことをすればそれでいいというわけではないのだ。正しいことをしつつも、母親が楽しんでしまうということも必要なのだ。

 漠然と育児をしているのではなく、赤ちゃんと一緒に遊んでしまう時間を作ってみることだ。時間無制限で行うのではなく、最大でも90分と定めて、赤ちゃんと一緒に遊んでしまえばいいのだ。例えば、赤ちゃんの物真似の能力を使って遊んでしまうとか、赤ちゃんに柔軟体操をやらせて、一体どこまで赤ちゃんは柔軟力があるのか試してみるのもいいし、赤ちゃんに芸を仕込んで、夫の前で披露するなんてのも楽しいものなのだ。

 真面目な女性が育児ストレスを一杯に抱え込み、ギャルママのようなチャランポランな女性が育児ストレスを全然溜め込んでいないのは、遊ぶことを罪悪視しているか、そうでないかの差でしかないのだ。「遊ぶ」ということが抜け落ちてしまえば、どんなに正しいことであったとしても、苦痛だらけになってしまうものなのである。

 人間は一生懸命になって何をやっている時、それがどんなものであったとしても、それは幸せなものなのである。新米ママなら初めての赤ちゃんを育てることは、一生懸命になってしまうものだ。それは本人には余り解っていないけど、新米ママたちは非常なる幸せを得続けているということなのである。

 この世には生きているのに、一生懸命になれることを見つけられず、酔生夢死の人生を歩んでいる人々はたくさんいるのだ。人間の人生など遊び呆けているうちに、あっという間に終わってしまうものなのだ。無我夢中に取り組んでいないからこそ、何をやっても我儘な自分が邪魔をしてしまうのである。

 遊び呆けるのではなく、一生懸命に取り組んでいるものの中で遊びを見出していくことなのである。育児の中で遊びを見出せないということは、一生懸命になって育児に取り組んでいないということなのだ。幸せというものは、自分のためだけに生きていると得られないものなのである。自分ではなく、他人のために生きている時にこそ得られるものなのである。新米ママが赤ちゃんのために生きているなら、その中にこそ幸せが無数にあり、そして育児を心から楽しめてしまうのである。

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母性本能とヒステリー

●ヒステリーは赤ちゃんを守ろうとする本能

 女性は赤ちゃんを産むと、或る程度は野生に帰ろうとする。その最たるものが、「ヒステリー」になってしまう時があることなのだ。赤ちゃんに危険が及ぼうものなら、母親はヒステリーになってしまうし、夫が育児に無理解なら妻はヒステリーになってしまうものなのだ。ヒステリーはそれを食らった人々には迷惑この上ないものだがヒステリーは母親が赤ちゃんを守ろうとする本能なのだ。

 犬を飼ったことのある人なら解ると思うが、犬が赤ちゃんを産んだ時に、犬の赤ちゃんに危害を加えようもなのら、激しく怒り出して吠えまくるものなのだ。哺乳動物の雌には、無防備な赤ちゃんを守るために、ヒステリーになることで、相手を威嚇し、その危険状態から脱出しようとするのだ。

 赤ちゃんのいる母親が、気をつけなければならないのが、ヒステリーはそれを食らった人たちにとっては常軌を逸した行動にしか映らないということなのである。最初の赤ちゃんを産み育てている頃は、夫はまだ父親に成り切れていないものなので、妻が感情的になってしまうと、妻は夫が父親ではないと本能レベルで即断して、ヒステリーを爆発させてしまうものなのである。特に結婚する前から理性を重んじず、感情的に成り易かった人は要注意なのである。

 男性の方は、女性がヒステリーになってしまうと、この女性は自分に敵対しているという本能が作動してしまい、妻であったとしても、暴力を以て対応してくるのだ。多くの夫婦間暴力は最初から暴力的な夫でもない限り、妻がヒステリーになったからこそ、夫は理性の箍を外してしまい、暴力で対抗しているにすぎないのだ。妻が本能レベルで行動してくれば、夫だって本能レベルで対抗してくるものなのだ。

 ヒステリーになることが悪いことだと思うのではなく、女性は赤ちゃんを産んだら、無防備な赤ちゃんを守るために、ヒステリーになって外敵を排除しようとする本能があることを認めることだ。それと同時に、そのヒステリーを本来なら味方となる夫や、舅や姑といった人々には向けないことなのである。絶対にヒステリーにならないようにするのではなく、ヒステリーが起こることを想定し、それを制御する対策を講じていけばいいのだ。

●自宅を安全にすること

 ヒステリーを暴走させないためにも、まずは自宅を安全にすることだ。ヒステリーを起こし易い女性は、意外にも自宅は安全ではないと思っている節があるのだ。子供の頃に、自宅に泥棒が入られたとか、火事に遭ったとかいうのは、本人が忘れていても、心の傷として長く残るものなのだ。また、両親に暴力を受けたことがあれば、自宅であったとしても、安全とは思えなくなっているのだ。こういう女性は若い頃に自宅に寄り付かず、夜の街に出て、遊び呆ける傾向があるのだ。

 自宅の防犯を確認して、外出する際は、どこの窓の鍵を締め、ドアの鍵をきちんと締めることだ。できれば、警備会社と契約を結び、自宅を警備して貰うことだ。「大袈裟な」と思うかもしれないが、治安が悪化している都会暮らしでは、何かと物騒なものなのだ。警備会社と契約を結んでいれば、いざという時に役に立つものなのである。

 もう一つは、火の元に注意をすることだ。ガスコンロの上には鍋やフライパンを置きっぱなしにしないことだ。火がついているかどうか解らなくなってしまうからだ。火を使う時になってから、鍋やフライパンを置くようにし、しかも火を使っている時は、換気扇を回して、音を立てることで、現在、火を使っているということを自分に知らせるのだ。自宅では、可能な限り、マッチやライターを使わないことにし、もしも夫がタバコを吸っているなら、出産を機に禁煙して貰うことだ。赤ちゃんを育てている母親にとってみれば、赤ちゃんの肺を傷つけるタバコの煙は、充分にヒステリーを起こす条件を満たすものなのである。

 女性は他人と話し合うことで、自分の安全を作り出そうとしてくるので、「近所づきあい」や「ママ友との付き合い」を絶対に忘れないことだ。人間関係を広げようとせず、母子2人の密室空間を作ってしまうと、それだけで母親はかなりの育児ストレスを感じているものだし、他の人と話していないから、夫に対して不満が爆発してしまうものなのだ。

 夫は決して万能ではないのだ。妻が女性同士で話して解決するものを、夫に持ってこられても困ってしまうだけなのだ。夫に対して何度もヒステリーを爆発させてくる既婚女性は、女性同士の付き合いでもトラブルを起こしているものなのだ。地道に友達を作っていくべきだし、近所づきあいという最低限のマナーは守るべきなのである。

●体を温めること

 ヒステリーを起こしまくる既婚女性は、とにかく体が冷えているのだ。それゆえ、冷たい飲み物は決して口にしないことだ。温かい飲み物でも、珈琲や緑茶といった体を冷やす飲み物を決して飲まないことだ。特に夏の場合、暑いからといって、カキ氷やアイスクリームを食べてしまう危険性があるので、要注意だ。そんなことをすれば体が冷えてしまい、ヒステリーになってしまうものなのだ。

 夏の場合は、朝の早い段階でウォーキングをするなり、軽ジョギングをするなりして、汗を流してしまうことだ。朝に汗を流してしまうと、その1日中、涼しくしていられるものなのだ。汗を流さないからこそ冷たい飲み物を氷菓子が欲しくなるのであって、汗を流してしまえば、それらを摂取したくなる欲望が消滅してしまうものなのだ。

 体を温める飲み物としては、「生姜湯」がある。生姜を摩り下ろして、そこに80℃のお湯を入れ、黒砂糖を入れれば出来上がりだ。これを飲むと体が温まるので、ヒステリーにはならなくなるものなのだ。また、外出先でお茶を飲む場合は、「紅茶」を飲むようにすることだ。紅茶も体を温める効果があるので、紅茶を飲めばヒステリーにはならなくなるものなのだ。

 食事では絶対に白米を食べないことだ。白米は穀物の中で最も体温を下げてしまうので、どうしてもヒステリー気味になってしまうのだ。白米ではなく玄米にすることだ。できれば、玄米と押麦を半々の割合で入れた、押麦入り玄米食にすることだ。因みに、体を最も温める効果があるのは「蕎麦」であるので、定期的に蕎麦を食べて体を温めていくことだ。

 スポーツをして体温を上げることも重要だ。とにかく1日1時間はウォーキングをするべきだし、軽ジョギングを最低でも週に1回はすることだ。それに筋肉トレーニングをして、腹筋や背筋を鍛えていくことだ。ヒステリーになる女性は、まず腹筋と背筋に筋肉が余りにもついていないのだ。

 自分の体が冷えているなと思ったら、お風呂に入って、体を温めることだ。入浴は汗を流し切るまで湯船に入っていることだ。できれば、定期的にサウナに行って、汗を流しまくることだ。サウナで汗を流している女性にヒステリーを爆発させる女性などいないものなのだ。

 温かい服装をするということも大事だ。短パンやミニスカートを穿いていれば、体は冷え切ってしまい、頭部に血液が集中することでヒステリーになってしまうものなのだ。服装は季節を問わず、長袖長ズボンでいることだ。温かい服装をしておけば、体が温かくなるので、ヒステリーになったりはしないものなのだ。

●夫と会話をすること

 赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんだけに集中してしまうのではなく、夫との会話をきちんと保っておくことだ。人間は喋らなければ、相手が何をしたいか解らないものなのだ。1日10分程度でもいいから、夫婦で話し合う習慣をきちんと持っておくことだ。テレビを見ながら話すのではなく、テレビを消して、内容の濃い話をすればいいのだ。たった、それだけのことをするだけで、妻の方の不満は消え去ってしまうものなのだ。

 ヒステリーを起こしまくる既婚女性は、とにかく自分の本音を言わないという傾向が見られるのだ。自分の本音を言わないから、夫の方も自分の本音を言わなくなってしまうのだ。こういう女性の口癖は、「女性としては」「妻としては」「母親としては」、挙句の果ては「人間としては」になってしまい、いくら話しても自分の本音を言わないのだ。夫婦が二人で会話する時は、そういう立場を忘れて、自分の本音を言えばいいものを、なかなか自分の本音を言わないのだ。だから、長い時間、話し合って、非常に実りの少ない話し合いに終わってしまい、妻の方は益々ストレスを溜め込んでしまうのだ。

 話し方というのは、自分が考えている以上に、大きな影響をもたらしてくるものなのだ。夫の方は仕事をしているために、結論から物事を考えてしまう傾向にあるのだ。そのため、最初から結論を言わず、しかも長々と話しているのに、妻が本音を言わなければ、夫の方はこの話し合いは重要ではないと判断してしまい、その後、妻との話す回数は激減してしまうものなのだ。話し合いが少なくなれば、当然に妻の方はストレスを溜め込んで行ってしまい、それが或る日突然に爆発してしまうのだ。

 赤ちゃんがいるからといって、育児だけに専念していればいいというものではないのだ。夫婦関係あってこその育児なのである。夫婦関係が悪化してしまえば、抱え込まなくていいストレスを大量に抱え込んでしまうものなのだ。それゆえ、まずは夫婦での話し方を改善していくことだ。論点をいくつも広げていくのではなく、1つに絞って話し合うようにしていけばいい。

 ヒステリーを起こすことは決して悪いものではない。赤ちゃんを産んだことで本能レベルに戻ってしまい、ヒステリーを発してしまうことはあるのだ。ただ、そのヒステリーを引き起こしてしまうと、それを食らった人々は、非常に迷惑なものだということだけは覚えておこう。赤ちゃんも、決して喜んでいるわけではないのだ。母親がヒステリーになれば、大泣きしてしまうものなのだ。できることなら、ヒステリーになってしまう回数を極力減らしていくことだ。

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「赤ちゃん時間」と「大人時間」

●「赤ちゃん時間」を受け入れないとストレスになる

 時間というのは決して誰に対しても平等に流れるのではない。赤ちゃんと大人では時間の流れ方が全く異なるのだ。赤ちゃんは何をやらしてもゆっくりと行動し、大人はテキパキと行動しようとする。育児を開始して、この赤ちゃん時間を受け入れないとストレスになるし、大人時間を巧く使いこなさないと、家事や育児での時間がなくなってしまう。育児を楽しいものにしたいのなら、この時間の流れの違いを巧く利用していくことだ。

 赤ちゃんの時間はゆっくりと流れていく。赤ちゃんの時間は自然のリズムに合った時間の流れなので、散歩に行っても直線ルートを行くわけではなく、散々寄り道をしていこうとするし、母乳を飲むのも遅いし、寝付くのも遅い。早いのは小便をする時ぐらいなものなのである。それほど赤ちゃんの時間はゆっくりと進んでいくものなのである。

 人間の赤ちゃんは五体満足の状態で産んだとしても、未熟児の状態で生まれてくるので、一人歩きができるまでに1年という歳月がかかってしまうのだ。他の動物なら、出生後、すぐさま歩くことが可能なのに、人間の赤ちゃんに限ってそうではないのだ。人間は脳を巨大化したことで、体のバランスが崩れてしまい、一人歩きするのにそれほどの時間がかかってしまうのだ。

 このため、赤ちゃんの鈍さには、赤ちゃん自体が自分の体を巧く使いこなせないという最大の理由が存在しているのだ。しかも、一人歩きできたとしても、脳が急成長を遂げていく時期に当たるので、何に対しても好奇心を持って、アッチャコッチャに手を出して、脳を刺激させ、より高い能力を身につけようとしているのだ。

 この脳の急成長は小学6年生くらいまで続くので、12歳以下の子供というのは、何をやらしてもフラフラと行動して、注意を散漫にすることで、いかなるものにも好奇心を示し、脳を刺激させ、脳の容積量を大きくしようとするのだ。このため、脳の容積量の拡大が停止した親と子供の間には、その行動を巡って、いつもトラブルが起きているものなのだ。親の意見を優先させすぎてしまえば、子供は能力を伸ばすことができないし、子供の意見を優先させ過ぎてしまえば、家庭内の秩序はバラバラになってしまうのだ。

●大人時間が余りにも早く流れているだけ

 もしも結婚前に仕事をしていたのなら、出産後はその仕事のペースで育児をすることだけは絶対にやめた方がいい。大人時間が余りにも早く流れ過ぎているのだ。これは都会に行けば行くほど早く流れているものだ。朝早くから働き、夜遅くまで働くというのは、人間の本来の姿からしても間違っている労働の仕方なのだ。

 人間の体は、早起きして午前中には労働をし、午後には遊びや会話に費やし、日が暮れればとっと寝るようにできている。そのため、人間の体は朝早くに起きて午前中までに仕事を終わらせ、午後はもう仕事をするべきではないのである。事実、古代ローマはこの労働パターンを取ることで、地中海世界を統一することができたのだ。古代日本でも労働をするのは午前中というのが当たり前だったのだ。

 ところが、文明が発達してくると、午後にも労働をするようになったし、日没後も労働をするようになってしまったのだ。だからこそ、多くの人々が心身を痛めてしまい、病気になってしまうのである。文明が発達し過ぎたことによる異常な労働パターンを絶対に赤ちゃんに適用させてはならない。赤ちゃんなら、朝はウンチをしまくるし、午後は遊びたがるし、日が暮れたらとっと寝てしまうものなのである。意外と赤ちゃんの方が人間本来の行動パターンが出て来ているのだ。 

 育児の最中に、新聞やテレビを見ることの危険性はここにこそあるのだ。新聞もテレビも異常になってしまたった大人時間を地で行っているために、労働するのは午前中だけというような労働をしていないのだ。1日8時間以上働くのは当たり前だし、自分をリラックスさせるために、まともな遊びや会話をしていないのだ。労働が異常であるために、遊びや会話も常に異常な遣り方をしてきてしまうのだ。

 赤ちゃんを育てている母親が、新聞やテレビを見ているようであるなら、無意識のうちに早すぎる大人時間に乗せられてしまい、赤ちゃんのゆっくりとした行動にストレスを感じてしまうものなのだ。新聞なんか見なくても赤ちゃんは育てることができるし、テレビを見なくても赤ちゃんと一緒なら楽しいことはいくらでもあるのだ。

●赤ちゃん時間を一緒に成って楽しむ

 赤ちゃんを産んだのなら、赤ちゃん時間に付き合うことだ。赤ちゃんのゆっくりとした時間の流れを一緒に成って楽しむべきなのだ。自分の時間を赤ちゃん時間に合わせてしまえば、赤ちゃんはいくらでも面白いことをやってくれるものなのだ。それは大人時間の中に居ては絶対に見つけられない楽しさなのだ。

 新米ママであるなら、最初の赤ちゃんは特別なものだ。赤ちゃんの目線に立って、赤ちゃん時間の流れを知っておかないと、育児を充分に楽しめないものだ。今まで自分が猛スピードで生きて来たために、どうしても速度を落として、赤ちゃんの目線に立ってあげるというのができないものなのだ。でも、育児で悪戦苦闘しているうちに、自然と赤ちゃん時間が解り始め、赤ちゃんと一緒に楽しむことができるようになるのだ。

 赤ちゃん時間を一緒に楽しんでしまうと、当然に自分がやるべきことの時間が不足してしまうので、そのために早起きして自分がやるべきことをさっさと済ましてしまうことだ。赤ちゃんが未だ寝ている早朝こそ、自分を大人時間に戻して、テキパキと行動してしまえばいいのだ。

 赤ちゃんが就寝したら、母親にとっては自由時間になることができる。その時は、自分が赤ちゃんと一緒ではできなかったことをすればいいのだ。読書をするなり、音楽を聴くなり、DVDを見るなり、自分のために時間を使えばいいのだ。この貴重な時間をテレビを見て過ごしてしまわないことだ。あっという間に時間が過ぎ去ってしまうからだ。

 もしも、仕事をしているなら、1日30分だけ赤ちゃんと一緒に成って楽しむべきだろう。母親が仕事をしていれば、どうしても家庭内に大人時間を持ち込んでしまうものだ。そのため、赤ちゃん時間の流れが解らないために、育児というより、ただ単に赤ちゃんの世話をしている程度でしかなくなってしまうからだ。それゆえ、仕事のことは一切忘れて、1日30分でもいいから、赤ちゃん時間にトリップしてしまうことだ。

●家庭の時間をゆっくりにして、精神のバランスを取ろう

 芸能界やフーゾク産業を除けば、結婚し子供がいることが、人生の成功の必要条件となっている。結婚せず子供がいない状況で働いても、そういう人はいくら手柄を立てても、どこかに精神のバランスが崩れていて、本当の幸せを掴んでいるとは言い難いのだ。本来なら妻や子供たちのために時間を使わなければならない所を、仕事に費やしただけだけだから、仕事は多少できるかもしれないが、人間的魅力ということでは大いにマイナスが目立ってしまうのだ。

 結婚し、そして赤ちゃんが生まれて一体何が素晴らしいかといえば、家庭の中に赤ちゃんがいることで、家庭の時間がゆっくりと流れていくことだろう。特に夫にとってみれば、今まで猛スピードで生きてきたのに、赤ちゃんと接することで速度を落とすことができるので、自分の生き方に無理がなくなるのだ。

 逆に言えば、独身時代というのは誰であっても多少の無理はし続けているものなのである。無理をすることで強くなろうとし、実力をつけていくからだ。しかし、そのような無理な生き方は若い時だからこそできるのであって、最早、若くない時代に入ってしまえば、そんな生き方は不自然極まりない生き方なのだ。

 いくら一生懸命になって生きていても、大事な時に脳疾患や内臓疾患を患ったり、精神病を患ったり、自殺に追い込まれたりするのは、自分の生き方に無理が有り過ぎたということなのである。無理をし過ぎて自律神経が異常となり、それが病気や自殺といった形で現れてきてしまったにすぎないのだ。

 赤ちゃんがいれば、家庭の時間はゆっくりと流れていく。そうやって人間は精神のバランスを保つのである。いつまでも早く走り続ければ、いずれ走れなくなってしまうものなのだ。ゆっくりと歩くからこそ、逆に最も早く走れるようになるのである。大人時間を否定してしまう赤ちゃん時間があるからこそ、逆に大人時間は充実してくるのである。

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働くママは貧乏人? 働かないママはお金持ち?

●どうして働けども貧乏になっていくのか?

 俺が子供の頃に住んでいた場所は、高度経済成長の時期に急造された新興住宅街だったので、主婦といえども働かないわけにはいかなかった。住宅ローンを支払わねばならなかったので、大抵の既婚女性たちは働いていた。しかし、俺の母親は病弱で労働することに耐えうる体力を持っておらず、しょうちゅう病気で床に伏せっていたので、働きに出ることができなかった。

 俺は余所のお母さんたちは働いているのに、自分の母親が働いていないことになんとなく後ろめたいものを感じていた。しかも、それに追い打ちをかけたのが、学校での社会科の授業で、担任だった女性教師が、「あなたのお母さんの仕事はなんですか?」というのを聞き出したことだ。今から考えてみると、「あなたのお父さんの仕事はなんですか?」なら質問の意図が解るが、「あなたのお母さんの仕事はなんですか?」はないだろうと思う。日教組の組合員であり、社会主義に洗脳されていたその女性教師にとっては、母親といえども労働しなければならないと思い込んでいたのであろう。

 他の生徒たちが自分の母親の職業をテキパキと答えて行き、結局、最後は俺一人だけが残ってしまった。女性教師に指されたので、仕方なく立ち上がって、「俺の母親は無職です」と答えざるを得なかった。すると、他の生徒たちは唖然として、「なんで働かないの?」とか、「お金は大丈夫なの?」と心配せんでいい心配をしてくれたのだ。俺の回答はその女性教師にとって心外だったらしく、俺はこの女性教師からたびたびイジメを受け、散々に暴力を受けまくってしまった。小学1年生から4年生の時まではこの女性教師が担任だったので、小学5年生の時に担任が変わってくれた時は本当に嬉しかった。

 小学5年生の時に、友達同士でサイクリングに出かけたのだが、たまたまその女性教師の家の近くにまで来てしまった。そこでその女性教師の自宅を探して行ってみると、余りにも殺風景な小さな家があって、俺は本当にビックリしてしまった。俺は家というのは、花が咲いていて木が植えてある庭があって、住宅そのものは人の住んでいる気配があり、掃除が行き届いているものだと思っていたが、その家には全くそういうものがなかったのだ。俺たちは不気味に成って無言になってしまい、不気味な気持ちを残したまま、帰途についてしまった。

 その後小学6年生の時に、俺の家族は新しい家に引っ越すことが決まり、今までは違い、より高級な住宅で、見晴らしのいい丘に立つ住宅街に移ったのだ。俺にとっては不思議としかいいようのない現象だった。俺の周りの夫婦は、夫婦共働きで収入が高かった筈なのに、いつまも働けども貧乏のままで、働きもしない専業主婦だった俺の母親の方がお金持ちになってしまったのだ。

●消費こそが豊かさを作り出す

 俺は長らくこの疑問に的確な解答を見つけ出すことができなかった。常識的に考えれば、夫婦共働きの方が豊かになる筈だからだ。夫だけが働き、妻が専業主婦になってしまえば、収入面に於いて圧倒的に不利な筈だからだ。しかも、我が家は治療費がかなりかさんだ筈だ。でも、現実では専業主婦の方が豊かになってしまったのだ。

 俺がこの問題の解決に糸口を見出したのは、大学で経済学を習った時だ。経済学では生産こそが消費を作り出すと考えるのではなく、消費こそが生産を作り出すということを教えているのだ。但し、俺が通った大学では、経済学者のレベルが低くて、経済学の勉強が思うように進まなかったのだ。俺が経済学のことがちゃんと解ったのは、大学を卒業して、東京大学の教授の小室直樹博士の書物を読んでからだ。

 俺の母親は働いていなかったけれど、消費に関しては実によくやっていたのだ。我が家では新聞を定期購読していても、新聞本体を読むのは父親だけで、母親は新聞に入っていたチラシを読みまくって、どの店で安い商品があるかを調べまくっていたのだ。そしてそれから買い物に行っていたのだ。俺の母親には収入がなくても、消費するということに関しては、働いている母親たちよりも遥に勝っていたのだ。

 いかに高い所得を得るかで裕福度は決まるのではなく、いかに合理的な消費ができるかで裕福度は決まるのだ。俺はこの逆転の発想に気づくまで、長い時間を要したのだ。男女雇用機会均等法が制定されて以来、日本国民はいくら働けども豊かになれなかった理由はまさにここにこそあるのだ。女性を働かせることで、合理的な消費行動をする専業主婦たちを破壊し続けたからなのである。だからこそ、不況が長引き、日本経済の経済成長が鈍化してしまったのだ。

 仕事で合理的な生産をしている者が、消費者の立場に回って、合理的な消費をするかといえば、決してそうではないのである。人間は何か合理的な生産をしてしまうと、非合理的な消費をしてしまうものなのである。働いている男性たちを見れば解るが、稼ぎのいい男性に限って、夜はお酒を飲みまくったり、ギャンブルをやってり、フーゾク嬢と遊んだりするのだ。

●労働の生産性に着目できるか?

 嘗て政府は主婦の家事労働を賃金に換算した結果を公表したことがあったが、これほどナンセンスなものはないのだ。なぜなら、主婦の家事労働は消費を担当するものであって、それによって収入を増やすものではないからだ。家事や育児をいくらやったとしても、そこには支出しか存在しないのである。

 主婦たちの家事労働で特筆すべきことは、実はその家事労働の生産性の高さなのだ。通常、収入を得るために労働をしてしまうと、1日8時間労働にならざるをえない。このために仕事自体が長丁場になってしまい、誰がどうやろうとも労働の生産性は低くなってしまうのだ。

 しかし、主婦の方は家事労働の大半を午前中に終えることができるので、非常に労働の生産性が高い働きをしているのである。「1日8時間労働」よりも「1日午前中労働」の方が、労働の生産性は圧倒的に高くなるものなのだ。だからこそ、主婦が家事をテキパキとこなすことができれば、非常に質の高い消費行動を取ることができ、そのためにその家族が急激に豊かになっていってしまうのである。

 人間は午前中の方が高い集中力を発揮してくるので、午前中で1日の労働を終えてしまうべきなのである。生産性の高い労働をしてくるビジネスマンたちは午前中に殆どの仕事を遣り終えてしまい、午後は自由時間に充て、余分な仕事をしているものなのである。それゆえ、テキパキと仕事をこなしてしまうし、仕事で疲れないのだ。

 家事をテキパキとこなせるなら、仕事をやらしてもテキパキとこなせるものなのだ。育児を終えた主婦たちがパートに働きに出るものだが、このパートで働く既婚女性たちの労働の生産性は、未婚女性の労働の生産性よりも非常に高いものなのである。1日8時間労働を当たり前にしてしまうと、意外と低い生産性しか発揮できなくなってしまうものなのである。

●貧乏から脱出できる必殺技:「滅私奉公」

 人間は若い時は貧乏なものなのである。しかし、人間はそこから抜け出して裕福になっていくのだ。だが、人間が貧乏から奪取していく際に、最大の障害となるのが、実は若かりし頃に身につけてしまった経済観念なのだ。貧乏であるなら、自分の労働を売って、それをお金に買えるという考えしか思い浮かばなくなってしまうのだ。

 ただ単に賃金労働者になってしまうと、労務者根性が抜けきらず、いくら仕事を与えても、命令通りの仕事しかできず、覇気に欠け、積極性がなく、仕事に創意工夫をこらすことがないのだ。しかも、労働に喜びを見出さないから、自分の安い給料が気になってしまい、「給料が安い!」だの「資本家から搾取されている!」などと見当違いのことを言い出してしまうのだ。

 人間は豊かになりたければ、賃金以上に働きをすることなのである。経営者が支払う賃金レベルの働きや、賃金レベル以下の働きしかしていなかったら、いつまでもウダツが上がらないものなのである。若い時は体力が有り余っているのだから、休む日を極力少なくして、賃金が安くでも不平不満を言わず、骨が折れるような激しい労働に身を投じるべきなのである。そんな労働に従事すれば、きついものではあるが、その仕事を一生懸命にやっていると、いつの間にか実力がついてしまい、高額の所得を得られるような仕事に就くことができるようになるのである。

 物事を打算的に考えて、利益ばかり追求するような人々にとって、こういう仕事の仕方は馬鹿らしく映る筈だ。しかし、若い時に低賃金の中で実力を鍛えなかったからこそ、いつまでも貧乏で居続けてしまうものなのである。若い時に高給を貰い、休暇が多いなら、遊び呆けてしまうのは、当然のことなのだ。そうなれば、実力をつけるチャンスを永遠に失ってしまうのだ。

 この若かりし頃の正当な労働の仕方を。昔の人々は「滅私奉公」と言った。自分を殺して、公のために働く。自分自身のために働くのではなく、世のため、人のため、お国のために働くということが、若い時分には想像もできないような巨大な幸福をもたらしてくれることになるのである。

●資産収入の爆発的増大力

 若い時に染みついてしまう貧乏の考え方の1つに、所得を増やせば豊かになれると思ってしまうことがある。「所得の増加」=「豊かさの実現」だと思うからこそ、結婚して夫婦共働きの形を取ってしまうのである。確かに所得は或る程度までなら、豊かさを作り出してくれる。しかし、それは或る程度までなのである。

 お金持ちに成りたければ、「所得ばかり増やそうとしていくな」ということを肝に銘じた方がいい。貧乏から脱出していくためには、或る程度の所得の高さは必要である。だが、そのまま所得を増やしても、それに伴う経費もかかり過ぎてしまい、逆に豊かになれなくなってしまうのだ。

 貧乏から脱出するためには、「所得と資産の違いに気づけ」ということなのである。収入を「所得」と「資産」とに分け、所得ばかり増やしていくのではなく、所得からお金を天引きしてしまい、それを資産へ投入していくのである。そして資産を増やしていくのである。こうすると、貧乏が全く消滅し、お金持ちになっていくのである。

 働くママたちの最大の危険性は、働いて所得を増やすことに躍起になってしまい、資産を増やすことを忘れてしまうからなのだ。そのため。、所得金額は結構ある筈なのに、いつまでも金欠で苦しみ、貧乏から抜け出せなくなってしまうのだ。その一方、専業主婦なら、この違いに気づくことができ、働いてもいないにも拘わらず、資産を増やしていってしまい、簡単な形でお金持ちになってしまうのだ。

 貧乏が染みついてしまい、生活ばかりに追われてしまうと、大事な「投資の法則」が見えてこないのだ。投資の法則とは、「投資で得た利益は生活費にまわさず再投資する」ということなのだ。所得と資産を分離しているからこそ、投資で得た利益を生活費に回すことなく、資産に再投資していくことができ、それによって資産を爆発的に増やしていくことが可能になるのである。

●専業主婦の長所と欠点

 専業主婦はフェミニストたちから目の仇にされてしまったので、現在では少数派に転じてしまい、税制上の優遇措置もフェミニズムに汚染された政治家や官僚や女性学者たちによって廃止されてしまった。そのため、この時代に結婚して専業主婦でいようとするのは、非常に後ろめたく、自分の働きが正当化されないという危険な状態であるのだ。

 専業主婦は決して無駄飯食いをしているわけではないのだ。主婦業を専業にしているからこそ、家事や育児に充分な時間を回すことができるのだ。家事や育児の巧さは、働いている母親たちとは比較にならないほどの巧さを示してくるのだ。当たり前のことだが、家事や育児に大量の時間を投入している以上、巧くなるのは当然のことなのだ。

 しかも、夫婦の役割分担が、夫は「稼ぐ役」、妻は「使う約役」「貯める役」と奇麗に分かれているので、専業主婦であるなら、消費のプロになれるし、お金を貯め込むことによって資産を形成していく易くなるのだ。但し、多くの専業主婦たちは貯金を巧く行えても、株式投資や不動産投資となると、得手不得手が明確になる傾向がある。投資をするためには、本を読んだり、セミナーに行って勉強する必要性があるのだが、遂々この大切な出費を拒んでしまい、投資の技術が上達しないということになってしまうのだ。勿論、必要な出費をした専業主婦は当然に投資の技術を習得することができ、投資で資産を増やしていくことができるようになるのだ。

 しかし、専業主婦の欠点は、働いていないために人間関係が狭く世間知らずだということだ。専業主婦たちの不満はすべてここにこそ集中するのだ。女性はとにかく人間関係を重視してくるので、色々な人々と仲良くなってお喋りをしたいという欲望が渦巻いているものなのだ。このため、人間関係が狭いと、どうしても不満を抱えてしまい、その不満の矛先が夫に向かってしまうのだ。

 専業主婦は歴史的に見ても特異な存在なのだ。農業や漁業や林業や酪農といった第一次産業に属していれば、専業主婦などできるわけがないのだ。結婚したら、その妻は貴重な労働力として使われるのが当然のことなのだ。専業主婦が現れてくるのは、王侯貴族が登場してからであり、それが庶民階級にも出現し始めたのは、資本主義が発生してからなのである。このため、自分の家系が天皇家や公家や武家に連なっていればいいが、そうでないと専業主婦になろうとしても、その主婦業の仕方が解らないものなのである。専業主婦は誰でもできるものではないのだ。

●兼業主婦の長所と欠点

 歴史の流れからしても、女性は結婚したとしても働くというのは当然のことなのだ。庶民階級に属する人々であるなら、働かなければ、日々の生活の糧すら得ることができないのだ。専業主婦と兼業主婦を分けるのは、その個人の考え方の違いなのではなく、あくまでも階級意識の差に基づくものなのである。

 既婚女性が結婚しても働くともなれば、専業主婦が抱えるような狭い人間関係になることがないし、労働の喜びも味わうことができるし、所得金額も増えることになる。特に現在のように女性が高学歴化した社会では、女性が結婚後、労働をしないというのは非常な損失になるのだ。教育で投資した金額を遥かに下回る金額しか生み出していないからだ。労働することによって、せめて自分の教育費分くらいは稼ぎ出さねばならないのである。

 しかし、母親が働いてしまえば、当然に欠点も出て来る。それは家事や育児に充分な時間を確保できないということなのだ。母親が働いてしまえば、誰かに頼ることでしか家事や育児ができないものなのである。母親が働くための負担を、家族の者や、家族以外の者が負担することによって、やっと働けるものなのである。

 更なる欠点は、資産形成に充分な時間を回せないということだ。働く母親たちがいつまでも貧乏なのは、所得金額を増やすことばかりに目を奪われてしまい、そのまま所得金額を増やしていくと、資産は形成されずに、消費金額も増えて行ってしまうという罠に陥ってしまうからなのである。だからこそ、働いているのに、貧乏になってしまうのだ。

 兼業主婦であるなら、仕事で疲れて帰ってきたとしても、家計簿をつけて、消費に制限を加えて、資産を形成していく努力を決して忘れないことだ。この作業をやらないと、どうしても消費金額が多くなってしまい、資産形成をするどころの話ではなくなってしまうからだ。いくら働いて所得金額を増やしても、勝手に資産が形成されるということは決してないのだ。

●夫婦の貧困を解決するプライベート会社

 結婚しても決して遊び呆けること勿れ。結婚生活の豊かさは、大概、結婚の早い時期に決まってしまうものなのだ。新婚の夫婦が「私達はどんなことがあってもお金持ちになる!」と決断してしまえば、将来、そのようになっていくものなのだ。しかし、結婚生活に浮かれてしまい、何もしていないと、その後の結婚生活がお金に追われるだけの人生になってしまうのだ。

 もしも、お金持ちになると決断したのなら、夫婦でプライベート会社を作ってしまうことだ。これは専業主婦であろうが、兼業主婦であろうが全く関係ない。夫婦がプライベート会社を所有することで、貧困を解決していくのだ。会社でやる事業は自分たちが好きな物を選べばいい。グッズを売るのもいい、何かしらのサービスを施すのもいい。土日だけ開くレストランなんてのもいいだろう。

 投資専門会社にしてしまうのもいい。こうすると、株式投資や不動産投資で失敗しても、株券だけの損失で抑えることができ、自分たち夫婦の資産には傷がつかなくなるからだ。しかも、家計と投資が完全に分離されているので、投資で儲けたお金を家計に回すという誘惑に囚われることがないのだ。そのために投資で成功したら、資産は爆発的な勢いで増やしていくことができるのだ。

 夫婦で会社を所有するということは、夫婦の意識に重大な変化を与えることになる。自分の肩書に「社長」や「専務」といった肩書を使えるようになれば、一介の平凡な主婦に陥らなくて済むようになるからだ。社長や専務であなら、大企業の社長や専務たちと同等の考えを持つことができ、世の中のお金の流れがはっきりと解るようになってくるのだ。人間の思考はその肩書によって決まってしまうものなのだ。

 しかも、このプライベート会社があると、必要経費と称して、本来なら家計で処理するお金を使うことができるのだ。言わば、合法的に家計での支出を大幅に削減することができるのだ。例えば、走る税金と言われる「自動車」など、夫婦が所有すべきではなく、会社の所有にしてしまえば、その分、自動車関連の出費がなくなることになり、家計が非常に楽になるのだ。夫婦が会社を持っていれば、こういう芸当がいくらでもできるのである。

●人間の貧富は脳が決めてしまうこと

 人間の豊かさや貧しさは、経済システムが決めるものではないのだ。人間の豊かさや貧しさは、人間の脳が決めてしまうものなのだ。人間は若い時は貧乏であるがゆえに、貧乏の考え方に囚われてしまい、結婚してもなかなかその貧乏の考え方が取れないのだ、だからこそ、結婚しても貧乏になってしまうし、会社で働いたことのない学者が「貧富の格差」を唱えてくれば、それに同調してしまうのだ。自分が貧乏なのは決して世の中が悪いからではないのだ。自分が貧乏になるような考え方を持っているからこそ、貧乏になっているだけなのである。

 働けば豊かになれるなら、アルバイトをしている若者たちが最も豊かになっている筈である。しかし、現実はアルバイトをしている若者たちこそが貧乏なのである。働くことでお金を稼ぐことはできても、お金持ちになるためには違う方法を取らざるをえないと解った時に、人間はお金持ちになっていくものなのである。

 結婚して一体何が本当に面白いかといえば、夫婦が力を合わして、自分たちの貧困を撲滅して、お金持ちになっていくことだろう。夫婦が老年になって自分たちの結婚を振り返った時、その時期が一番面白い時期だったと思うことであろう。それほど夫婦にとって貧乏退治は面白いものなのだ。

 結婚してお金持ちになりたいのであるならば、肩肘を張って取り組むのではなく、寧ろ「ゲーム」だと思って取り組んでしまうことだ。夫婦で「億万長者ゲーム」をやっていると思えば、いくらでも楽しいことは見つかるし、笑い声が溢れてくるものなのだ。そのような気持ちで取り組んでいれば、この世の中がいかに不況になろうと、天変地異に襲われようとも、戦争になっても、自分たち夫婦がお金持ちになっていくことには変わりがないのだ。

 夫婦の貧富の格差は、「豊かになるための思考ができていない」か「豊かになるための思考ができている」かでの差でしかないのだ。働けば豊かになれるものではないのだ。働くこと以外に、家計の重要性に気づき、所得金額を全額消費に回してしまうのではなく、地道に貯金していき、そして投資していかねばならぬのだ。できれば夫婦でプライベート会社を所有してしまい、自分たち夫婦の家計以外の場所で資産を増やしまくっていくことだ。そうすれば、自分たち夫婦はお金持ちになっていくのだ。

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赤ちゃんがいる生活の人生設計

●赤ちゃんがいるからこそ人生設計ができる

 赤ちゃんができると、「家族」という概念がはっきりと見えてくる。そうなれば夫婦として、赤ちゃんを無事に育てていくための「人生設計」が必要となる。夫婦の在り方に千差万別はあっても、夫婦のお金の流れに差別は存在しないのである。どの夫婦もお金を使って生活していかざるをえないのに、お金の威力を無視するからこそ、家庭内でゴタゴタが続いてしまうのである。

 夫婦がいくら働いても、夫婦の人生設計がなければ、その日暮らしになってしまうものなのだ。いくら高額所得があったとしても、夫婦が話し合って人生設計を作らなければ、お金は出て行く一方になってしまうだけなのだ。仕事ばかりしていないで、育児ばかりしていないで、夫婦が二人きりになって、人生設計について話し合う時間が絶対に必要になるのだ。

 結婚していても赤ちゃんがいなければ、未婚者同士の同棲と殆ど変わらない。しかし、赤ちゃんが生まれると俄然に家族が形成され始め、家族としてどうあるべきか、これから家族をどのようにしていたいかというのが具体的に考えることができるようになるのだ。夫婦の人生設計など難しいことはないのだ。赤ちゃんが生まれてしまえば、簡単に作れてしまうものなのだ。

 夫婦の人生設計で話し合うことは、夫婦の所得をどのような金額にするか、夫婦の資産をどのように展開していくか、持ち家か借家か、というこの3つは絶対に話し合わねばならないであろう。この話し合いは話し合うだけで貴重な存在となるのだ。というのは、夫婦双方に人生設計が明確になることで、その労働の生産性が今までとは比較にならないくらいに高まるからだ。

 ビジネスで最も危険な働き方は、エンドレスで働いてしまうことなのである。この労働の罠に嵌ってしまうと、凄まじい過労に襲われてしまい、心身を異常なまでに消耗させてしまうからだ。若々しかった既婚男性たちが、居酒屋やキャバクラやパチンコに行きまくるようになり、人生での貴重な時間を無駄にしてしまうのは、夫婦で人生設計を取り決めなかったからなのである。夫婦で人生設計を決めてしまえば、そんな場所で時間を無駄にしていられるわけがないのだ。

●家計簿を整え、所得と資産の違いに気づく

 夫婦の人生設計ができたら、なんといっても家計簿を整えて、所得と資産の違いにきづくことだ。殆どの家計簿は単式簿記になっているので、そのままでは一体どれが所得で、どれが資産かが解らないのだ。収入を所得と資産に分けるからこそ、所得も資産も爆発的に増えていくのである。

 家計簿をつける最大の効果は、家計を切り詰めてケチケチに暮らすということではないのだ。所得の範囲内で生活し、残ったお金を資産に組み入れていくことなのだ。とはいいつつも、所得から生活費を抜いて、残りを貯金に回すというのはなかなかできないもので、だからこそ、天引き貯金をしてしまい、所得からいきなり所得金額の20%を天引きしてしまい、それを貯金に回すと共に、残りの金額で生活していくべきなのである。これなら無理をすることな地道に貯金を殖やしていくことができるのだ。

 結婚当初は夫婦の所得は低い物なので、なかなかまともな経済観念が身に付かないだろうが、夫婦の所得が1千万円に達しない限り、妻がどう切り盛りしてもきついものなのだ。夫婦2人に赤ちゃんがいれば、所得が1千万円なければ、お金での苦労が絶えないものなのだ。

 所得が3千万円以上に達したら、この日本に生活している限り、経済的苦悩は殆どなくなる。所得の最低ラインというのは、意外と低いものなのだ。所得が3千万円あれば、一番お金のかかる住宅などでも楽々に買えるからだ。夫婦の人生設計を作る時は、絶対に年収3千万円以上になると決めてしまうことだ。夫婦が決めてしまうと、必ずその金額を実現できてしまうものなのである。

 一方、資産というのは、所得よりも高くなる。お金持ち最低ラインは資産が1億円あるということだ。資産が1億円になると、一般人では得られない秘密情報を得ることができるようになり、その秘密情報が更に資産を増やしてくれることになるのだ。新聞やテレビというのは、あくまでも貧乏人向けのメディアであるということを絶対に忘れないことだ。新聞やテレビばかり見ていると、確実に貧乏になっていくのだ。

 たとえ資産が1億円あっても、不動産や株式や債券にしてしまいお金を自由に動かせなければ、お金持ちとはいえないのだ。不動産や株式や債券をいくらたくさん持っていても、1億円のキャッシュがなければ、貧乏根性はなかなか抜けないものなのである。資産形成は最初は無難に株式投資になるだろうが、投資をしつつも常に手元に或る程度のお金を増やしていき、1億円の現金を必ず作るようにすることだ。1億円の現金があれば、貧乏根性が奇麗さっぱり抜け落ちてしまうものなのだ。

 資産が10億円に達すると、大金持ちになることができる。大金持ちになると、世界レベルで資産を爆発的に増やしていくことが可能になるのだ。日本では金利が低いために投資してもそれほど利益がないから、外国に投資しようという意欲が湧いてくるものなのだ。勿論、資産の少ない人でも外国に投資できるけど、なぜか余り儲からないし、不祥事が発生してしまうものなのだ。お金というものは、大金持ちが儲かるようにできているのであって、貧乏人が投資に手を出してもそれほど儲からないものなのだ。

●都会暮らしと田舎暮らしの違い

 夫婦で人生設計を考えた場合、最大の論点となるのが、持ち家に住むか、借家に住むかということであろう。妻の方は本能的に持ち家に済みたがるので、夫はそれに釣られて持ち家を持とうとしてしまうのだ。結論から言ってしまうと、都市に済むなら自宅を所有しないことだ。持ち家が許されるのは田舎暮らしの場合だけである。

 いかなる夫婦であったとしても、持ち家の購入金額が高騰してしまうと、その住宅ローンを毎月支払わなければならなくなり、それで家計が確実に圧迫され、破綻してしまうのである。しかも、都市部で自宅を購入するとなると、職場から遠い場所で購入せざるをえなくなる。そうなればその通勤時間が毎日確実に奪われてしまい、疲労を蓄積していくことになり、自分の持っている能力よりも遥に下回る能力しか発揮できなくなってしまうのだ。

 都市部に住むなら、借家にすべきなのである。できれば職場から近い場所で借家を借りて、通勤時間を最大限減少させるべきなのである。こうすれば住宅ローンで家計が圧迫されないので、資産を形成していくことが容易に成り、通勤時間も短いので、その浮いた時間を自己投資のために使えばいいのだ。

 もしも、都市部で住宅を持ちたいなら、自分が株式会社を作り、その名義で住宅を購入することだ。そうすれば、夫婦の家計とは関係なくなるし、修繕費や固定資産税などを会社の経費で落とせるので、非常に有益な形で、事実上、自分の所有物にすることができるのである。

 持ち家が許されるのは、地方でのみなのである。地方は土地も建物も安いので、それを購入したとしても、家計を圧迫することはないからだ。だが、地方に住むなら、自宅以外に農地を所有することだ。田舎では意外と物価が高いのだ。特に農家ばかりの地域になってしまうと、農家は当然に野菜を買わないので、売っている野菜は意外と高い値段がついてしまうものなのだ。地方なら農地を借りても非常に安い値段で借りることができるので、夫婦でせっせと農地を耕して、自分たちが食べる野菜は自分たちで作ることだ。

●収支の錯覚

 人間というのは若い時は貧乏なものだから、貧乏根性が染みついてしまうものだ。だから、結婚すれば貧乏になると思い込んでいる人たちもいるし、子供を育てるとお金がかかるから赤ちゃんを産むのをやめようと言い出す愚かな人々が出て来てしまうのだ。どのお金持ちも結婚を契機にお金持ちに成って行っているものだし、子供が多ければ多いほどその家族は繁栄していくものなのである。

 結婚や育児にお金がかかるのではなく、結婚しているからこそ、子供がいるからこそ収入も支出も増えていくのである。要は支出も増えたが、その分、収入も増えたということなのである。収入が増えるということは、支出も増えていくことだし、支出が増えたということは、収入も増えたということなのだ。この「収支の錯覚」に囚われてしまい、支出を増えるから結婚や出産をやめようとしたら、いつまでも経っても貧乏から抜け出せなくなるのだ。

 折角、赤ちゃんを産んだというのに、この「収支の錯覚」に囚われてしまい、貧乏になってしまう夫婦がいるものだ。第一子目の赤ちゃんが生まれた頃は、夫婦の経済力は一時的に落ちる時なので、この時期に夫婦で人生設計をきちんと立てておかないと、死ぬまで貧乏になってしまうものなのだ。

 もしも、この時期にお金がないのなら、定期的に自宅にある不要な物を整理し処分すればいいのだ。生活していれば、要らない物は確実に増えていくものだから、それらを自宅に置いておいても、家が狭くなるだけなのだ。不用品を売って換金して、それを生活費に投入すれば、生活は意外と楽になるし、自宅だって広く使えるものなのだ。

 赤ちゃんがいる時に、夫婦で話し合って人生設計を立てていれば、その後の人生はその人生設計通りの人生を歩んでいくものなのである。もしも、子供がいるのに貧乏であるなら、それは第一子の赤ちゃんが生まれた時に、夫婦で人生設計を作らなかったからなのである。お金の苦労を消すためにも、夫婦で話し合って、人生設計を作る時間を設けるべきなのである。

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運命学から見た子宝の意味

●数字に操られる人生

 人間の人生というものは、数字に操られている。その中でも人間の数というのが、重要な役割を果たしてくる。例えば、独身時代に一人暮らしを経験した人であるならば、一人暮らしというのは矢鱈に忙しかったという経験がある筈だ。それに対して結婚してしまうと、なぜか夫婦で落ち着いた生活をしてしまっているということに気づく筈だ。

 なぜ、こんな現象が起きるかといえば、1人は奇数で「陽」であり、2人は偶数で「陰」だからだ。陽の場合、行動は積極的になり、落ち着いてなどいられなくなるのだ。陰の場合、行動は消極的になり、落ち着いて物事を定着させようとし出すのだ。だから、独身者というのは忙しいし、既婚者は落ち着いてしまうのだ。

 人間はいつも積極的な行動ばかりしてはいられない。いつも行動ばかりしていたら、自分の中身が空っぽになってしまうからだ。独身者も年齢が高くなっていくと、意外と薄っぺらい人たちが多くなるのはこのためだ。人間はその自己保存本能から、攻撃よりも防御を優先するので、結婚することで守りを固めようとするのだ。それゆえ、結婚するとその防御が整えられることにより、中身が充実していくのである。

 結婚したにも拘わらず、夫婦が余りにも行動的に成り過ぎてしまうと、子宝に恵まれなかったり、夫婦のどちらかが病気をしてしまったり、働いているのになぜか資産が増えて行かないという現象に見舞われてしまう。結婚すれば、夫婦は落ち着くことでそのエネルギーを増大させていくことを無視するから、結婚のどこかで支障を来たしてしまうのだ。

 夫婦の関係というのは、大体結婚してから3年以内で決まってしまうものだ。この3年以内に90%以上の夫婦が出産を経験するから、夫婦二人きりの時期と、最初の赤ちゃんがいる時期で、夫婦の在り方が決まってしまうのだ。その中でも夫婦二人きりの時期が非常に大事で、新婚ホヤホヤの時期こそ、実は後々の結婚生活の全体を規定してしまうものになるのだ。

 夫婦の在り方というのは、本当に千差万別だ。だたはっきりと言えることは、その夫婦にとってベストと思える在り方こそ、その夫婦に相応しいものなのだ。通常は夫が家長として君臨し、妻が家庭の実権を握るというのが最も素晴らしい夫婦の在り方だ。これ以外にも亭主関白になる夫婦もあるし、カカァ天下になる夫婦もある。それはそれでその夫婦にとってはそれでいい夫婦の在り方なのだ。

●三位一体の結界

 さて、結婚してから赤ちゃんが生まれると、なぜか夫も妻も忙しくなる。妻は育児に追われ、夫は仕事で活動的にならざるをえない。なぜこのような現象が起こるかといえば、赤ちゃんが生まれたことで家族の構成員が3人になり、その家族は「陽」にシフトするからだ。「陽」である以上、当然に忙しくなる。

 「1」や「2」は「木性」に属するのだが、「3」は「火性」に属する。そのため、火がついたように忙しくなり、夫婦共々休むことなく動き回らねばならぬ時期を迎えるのだ。火性には「伝達本能」があり、育児の仕方を誰かから伝達して貰い、自分も誰かに伝達していくという役割を背負わされることになるのだ。学校でどんなに成績の悪かった女性でも、育児をし出すと、育児のことがスラスラと頭の中に入ってきて、それをきちんと説明できるようになるのは、伝達本能が作動しているからなのだ。

 だから、この時期、沈黙を守りながら育児をするのではなく、赤ちゃんに喋りかけながら育児をしなければならないのだ。どの新米ママも赤ちゃんが喋れないことをいいことに、無口になって育児をしているのだが、これは非常に悪い遣り方なのである。新米ママにとにかく喋りながら育児をするように指導すると、大抵の新米ママたちは育児の仕方が上達し、しかも、育児の喜びに満ち溢れるようになるのだ。

 家族構成が3人になったということは、家庭内に「三位一体の結界」が張られたということなのである。三位一体の結界とは、「天運」「人運」「地運」の三つの運が確定してしまい、異様なまでに運勢が強くなってしまうのだ。結婚して赤ちゃんができると、夫はビジネスで成功し易くなるのは、三位一体の結界が張られたからなのである。

 但し、三位一体の結界には唯一の弱点がある。それは「金欠」になってしまうということだ。一人目の赤ちゃんが生まれ育てている時期こそ、その夫婦にとって最もお金が不足してしまう時期なのだ。なぜかいくら働いてもお金が出て行ってしまうのだ。だから、子供が1人しかいないと、養育費は余りかかっていないのに、なぜか貧乏になってしまうのだ。

 現在、日本は少子化で苦しんでいるのであるが、これは子供の数が減少してしまうと、貧乏になっていく夫婦が続出してくるのだ。しかも、資産を形成してこないから、資本主義経済では圧倒的な不利な立場に置かれてしまうのだ。知識人の中には「少子化になれば、日本はもっと豊かになれる」と主張してくる人たちがいるが、それなら少子化が続いた日本ではもっと豊かになれた筈だ。しかし現実は不況が長引き、多くの人々が貧困に落ちていったのである。「派遣切り」や、「正社員への就職拒否」や、「給料引き上げの凍結」、「生活保護受給世帯の増加」。これが少子化社会での経済の実態なのだ。少子化になれば、いくら国民が働こうが、いくら政府が経済政策を打とうが、豊かになっていかないのだ。

●「死の結界」を恐れよ

 一人目の赤ちゃんを育ててしまうと、次の赤ちゃんがほしくなるものだ。そうやって2人目の赤ちゃんが生まれると、家族構成は4人となり、今度は一転して家族中心の閉塞した動きに変わってしまうのだ。言わば、家族らしい時期を迎え、家族だけで落ちつた日々を過ごすことになるのだ。

 しかし、「四の結界」はまさに「死の結界」であり、非常に危険な時期なのだ。「死の結界」は、「破壊」「困苦」「分離」をもたらすので、子供が二人になると、夫が仕事で成功してしまうと、子供たちに災難が降りかかってきたり、妻が育児や家事で幸せを感じれば感じるほど、夫が仕事で労災にあったり、子供たちが病気になってしまうのだ。

 「死の結界」は死者を出すのも特徴だ。夫婦の両親たちの誰かに死者が出たり、家族の中でも死者が出たりするのだ。子供が或る程度まで成長したのに、その後に難病や奇病に犯されるのが最も多いのが、家族構成が4人の時だ。この家族で難病や奇病を出してしまうと、「死の結界」を破らない限り、非常に治りにくいのだ。

 「死の結界」が張られてしまうと、夫の動きを止めてしまうことになる。この時期は夫が父親らしく成り始めるのだが、その反面、夫がいくら働いてもなかなか出世できなかったり、収入が思うようには増えていかないのだ。特に「死の結界」が張られた状態で、新築の家に引っ越すべきではなく、そのようなことをすれば、夫は仕事が巧く行かなくなってしまうし、子供たちに災いが降りかかってくるのだ。家を建てるなら、子供が1人の時か、子供が3人以上できてからにすればいいのだ。

 「死の結界」の魔力を封じるためにも、「宗教」は絶対に必要である。神社に参拝して、お祓いを受けたり、お守りを貰うなどして、「死の結界」がもたらす災いから避けるようにすることだ。もしも「霊能者」と知り合えることができたなら、その霊能者の指導を仰ぐことだ。「死の結界」が張られた時期は、悪霊が最も祟りをし易い時期なのだ。

 また、この時期、慈善活動をしていた方がいい。慈善活動をすることで、「死の結界」の魔力を減少させてしまうのだ。この場合は、慈善は子供たちに向けた事前が最も効果的だ。貧しい家庭の子供たちに生活費や教育費を寄付してあげるのだ。決して外国の子供たちにするのではなく、あくまでも国内の子供たちに向けて行うべきなのだ。

●子供が3人となると、吸引力が発生し、人や物やお金を引きつけて行く

 恐ろしい「死の結界」も、3人目の赤ちゃんを産んでしまうと、呆気なく破られてしまうことになる。子供が3人になると、その家族は激変して、吸引力を発生させ、人や物やお金を引きつけていき、お金持ちに成り始めるのだ。論理的に考えていけば、子供が3人も生まれてしまえば、それだけ養育費がかかるわけだから、貧乏になる筈である。しかし、子供を3人も産んでしまうと、そんな養育費などを吹き飛ばすくらいに、莫大なお金が入り始めるようになるのだ。

 経済のことを本当に解っていないと、プラスだけを集めていけばいいと思ってしまいがちだ。だが、そんなことをいくらやっても、それほど豊かにならないのだ。確かに子供を3人も育てねばならない養育費は大いなるマイナスである。しかし、その大いなるマイナスがあるからこそ、大いなるプラスで埋めようとし出すのであり、だからこそ、子供がいると莫大なお金が入り始めるのである。

 子供が3人できたら、積極的に資産を形成していくことだ。この時期だと資産が雪達磨式で増えていくのである。家計がどのような状況であっても、収入の2割を天引きして、それを貯金していく、或る程度の金額になったら、株式や不動産に投資していくのだ。欲に惑わされた投資をしない限り、この時期は投資で成功し易いのだ。

 子供が3人いると、家庭が賑やかになるのは、その家族に吸引力が発生し始め、夫婦や子供たちの協業と分業が巧く働き始め、家族の誰もが少ない労力で最大の成果を生み出せるようになり始めるからだ。子供が1人や2人しかいないと、家族の誰に対しても、負担がかかってしまうものなのだ。「梃子の原理」をなかなか巧く使えないのだ。

 人間は子供を1人や2人を産み育てるようにはできていないのだ。子供の数が少なければ、夫婦共々、親としては未熟者にしかならないのだ。しかも、子供の数が少なければ、経済的にも苦しい状況が続くのだ。経済的に豊かになりたいのであるなら、とにかく3人以上の赤ちゃんを産んでしまうことだ。子宝は本当に宝物をその夫婦にもたらしてくれるようになるのだ。

 お金持ちになる最大の秘訣があるとするなら、子供をより3人以上作るということなのだ。子供を作らずお金ばかりを追い求めていけば、逆に貧乏になってしまうものなのである。子供をたくさん産んで、大きなマイナスを作ってしまうことだ。世の中は大きなマイナスがあれば、大きなプラスでもって埋めようとしてくるものなのだ。

 少子化というのは、国民にとって非常に深刻な問題である。しかし、結婚している夫婦にとっては非常に絶好のチャンスなのだ。なぜなら、お金持ちになるための競争相手が非常に少ないということだからだ。自分たちがたくさん赤ちゃんを産んでしまえば、自然とお金持ちに成り始めていくのである。それゆえ、家計簿をしっかりとつけて、貯金が集まり次第、積極的に投資をしていけばいいのだ。そうすれば資産は爆発的に増えていくものなのである。

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どうして夫は育児を手伝ってくれないの?

●夫の仕事は生活費をかせいでくること

 「どうして夫は育児を手伝ってくれないの?」というのは、新米ママなら誰でも抱えてしまう問題であろう。決して夫が妻を愛さなくなったわけではないのだが、赤ちゃんが生まれたとしても、夫というのはそれほど育児を手伝わないものなのだ。なぜ夫が育児を手伝わないかというと、夫には必要ないからなのである。

 新米ママが育児を開始すると、物事に対して近視眼的になってしまい、夫婦の役割分担ということを忘れてしまうのだ。家族内で妻がすべきことは育児であり家事であるが、夫の仕事は生活費をかせいでくることなのである。もしも夫が生活をかせいでこなかったら、妻は育児などできなくなってしまうのだ。

 男女平等にとりつかれてしまえば、この当たり前すぎる夫婦の役割分担でさえ、解らなくなってしまう。いくら妻が夫に育児を手伝ってくれることを頼んでも、平日なら夫は仕事で疲れきって帰ってきているのであって、育児を手伝う気力というのが殆ど残っていないのだ。もしも疲れているのに妻の要望を聞いたのなら、それは妻を愛するからこそ動いたのであって、本当はやりたくないものなのである。

 真っ当な夫婦であるならば、妻は夫に育児の手伝いなど望まず、夫の休日の時に家族揃って出かけ、平日では赤ちゃんと接することのできなかった夫に対して、赤ちゃんと接する機会を与えてあげるというのが、まともな妻の遣り方だろう。妻の方も休日は育児の負担から解放されるために、育児が物凄く楽に成り、そして平日になれば新たな気持ちで育児に取り組めることになるのだ。

 夫婦が同じ作業をしていたら、夫婦での生産力が全く上がらないものなのだ。夫と妻はそれぞれ役割分担を決め、協業と分業でそれぞれの作業を行うからこそ、夫婦の生産力は非常に高いものになるのだ。夫婦だから同じ作業をしなければならないというのは、余りにも幼稚過ぎる考え方なのである。

●夫はあくまでも非常用のサポート役

 新米ママは夫に育児の手伝いを望むのではなく、「夫はあくまでも非常用のサポート役」と思った方がいい。育児など本来、夫が手伝わなくても、妻が一人でできるものなのだ。しかし、自宅で何もしていない夫の姿を見ると手伝いを要請したくなってしまうものなのだ。それよりも夫は仕事で疲れているのだから、家ではリラックスさせてあげると思うようにし、自分でできる育児を夫には手伝わせないことだ。

 しかし、そうはいっても育児をやっていれば、夫の手を借りたい時があるのであって、その時に夫に育児の手伝いを頼めばいいのだ。夫に頼む内容は高度な内容ではない方がいい。例えば、赤ちゃんの子守りをして貰い、その間に自分が料理をするとか、掃除をしてしまうとかといったものだろう。

 また、夫に手伝いを頼む際は、頼む作業を1つに絞ることだ。男性は女性とは違って、男性脳があるために、何か1つのことをやることに関しては物凄い集中力を発揮するのだ。女性のように女性脳を使って、あれもこれもこなすということはできないのだ。だから、育児のような様々な作業をしなければならない作業は、男性には不向きなのである。それゆえ、夫に育児の手伝いを頼む時は、通常の育児を頼むのではなく、育児の作業の中から1つに限定して、それを頼めばいいのだ。

 夫は日頃、育児をしていないのだから、育児の手伝いを頼む時は、その内容を丁寧に教えてあげることだ。妻にとっては当然にできることでも、夫にはできないものなのだ。もしもこの時に「こんなこともできないの!?」「バッカじゃない!」と夫を罵倒してしまったら、夫はその後いかに頼まれても育児を手伝わなくなってしまうのだ。夫婦であるからこそ無礼が許されるのではなく、夫婦だからこそ礼儀を守り、特に口の聞き方には充分注意した方がいい。

 夫に育児の手伝いを頼んでも、妻よりも巧く行えるわけがないのだ。妻の方が日々赤ちゃんと接しているために育児の仕方が巧くなっていくのは当然のことなのだ。だから、夫が育児を手伝ってくれないことを不満に思ってしまうよりは、夫はいつもは育児を手伝ってくれなくていいから、非常時には育児のサポートをしてほしいと思っていれば、これほど精神的に楽なことはないし、現実的な選択の仕方だと思う。

●夫は妻が育児に不満を抱えたら、まずは妻を褒めよ

 夫にとっては妻が育児を手伝って騒ぎ始めたら、自分が育児を手伝わないことよりも、夫婦の在り方に相当な問題を抱えていると思った方がいい。余程の馬鹿女でもない限り、夫が仕事を一生懸命にやっているのに、あれこれと育児の手伝いを頼んでくることはないからだ。夫の仕事でも一生懸命さは妻はその職場に居なくても、なんとなく解るものなのである。夫が仕事で疲れて帰ってきているのに、無闇に育児の手伝いなど頼まないものなのである。もしも頼んでくるとするなら、自分の妻が本当に愚妻か、妻の育児ストレスを巧く解消させてあげなかったかの2つの1つなのである。 

①妻の話を聞く

 本当に愚妻であるなら、手の施しようがないが、妻が育児ストレスを抱えているなら、まずは妻の話を聞いてあげることだ。妻は育児でのことをあれやこれやと夫に話しているだけで、育児ストレスは吹き飛んでしまうのだ。男性の場合、お喋りをしてストレス発散というのがないために、遂々、この女性の異様な行動を避けてしまいがちだ。しかし、そういうことをやってしまうと、妻が育児ストレスで一杯になってしまうために、妻が必要ないのに育児の手伝いを頼んでくるのだ。

②妻を褒める

 妻は育児でいくら頑張ったとしても、誰からも褒められることはない。育児は誰かに褒められるためにやるものではなく、母親の義務として当然に行うものだからだ。しかし、妻も人間である以上、妻は自分のやっている行為を誰かに褒めてほしいものなのだ。だから、日頃から妻の育児を褒めていくことである。些細な褒め方では駄目だ。大袈裟に褒めまくることだ。「うちの奥さんは世界一の妻だ!」とか「うちの奥さんは育児が本当に巧いよ!」とか妻の方が赤面するくらいの褒め方をしてしまうことだ。勿論、客観的にはその表現と事実が異なっているが、大事なことは夫の妻を褒めたいという気持ちなのであって、大袈裟に言えば言うほど妻にはちゃんと伝わってくるものなのだ。

③褒美を与える

 人間は自分が多大な労力を支払ったものであるなら、褒美がほしいものだ。妻の育児で赤ちゃんにつきっきりになっているのだから、それに見合う褒美がほしいものなのだ。夫は「育児は妻がやるもの」だと当然のように思っていると、その妻の労力を無視してしまい、褒美を与えることを全く忘れ去ってしまっているのだ。だから妻の方が育児ストレスを抱え込んでしまうのだ。

 それゆえ、日頃から夫は妻に対して、何かしらの褒美を与えて行くようにしておくことだ。例えば、仕事の帰りに「ケーキ」を買ってきて、「これは御褒美だ!」といって渡してしまえば、妻の方は嬉しいものなのだ。御褒美として妻に洋服を買ってあげる、御褒美として温泉に連れて行く、御褒美としてレストランで食事をする。こういうふうに御褒美をじゃんじゃん与えていくことだ。そうすれば妻の頭の中には、育児をすれば御褒美が貰えるという思考回路が出来上がってしまい、育児ストレスが発生しにくくなり、育児に励み始めるものなのである。

●最終解決策は子供を3人以上作ること

 最初の赤ちゃんであるならば、育児の仕方など解らないものなのだから、無闇に夫の手伝いを要請するよりも、とにかく妻が自分一人でやってしまい、育児の仕方を早く覚えていくことだ。妻の方が「育児は私の責任!」だと覚悟を決めてしまった方が、育児の仕方の上達は早くなっていくものなのである。

 夫の方は、第一子が生まれたとしても、父親としての自覚など殆どないものなのだ。第二子が生まれた辺りから徐々に父親としての自覚を持ち始め、第三子が生まれると夫といえども育児を手伝うようになる。、赤ちゃんが3人以上生まれると、夫の方は最早、妻だけでは育児を行うことができないと判断して、夫といえども育児を手伝うようになってくるのだ。

 「夫が育児の手伝いをしてくれない」と悩んでも、それは夫が必要ないからと判断しているからこそ手伝ってこないだけなのだ。夫はちゃんと妻の動きを見ているものなのだ。第一子の赤ちゃんで妻が育児の仕方を充分に学べていないのに、夫が手伝ってしまったら、妻は育児の仕方を学ぶ機会を永遠に失ってしまうのだ。その方が育児に於いて重大な問題を発生させるものなのだ。

 育児の最終解決策は子供を3人以上作ることなのだ。赤ちゃんを3人以上産んで育ててしまえば、妻の方は育児の仕方を充分に習得できたし、夫の方も父親の自覚をちゃんと持って、子供たちを逞しく育てて行こうという気持ちになってくれるからだ。育児で矢鱈と問題を抱えるのは、要は子供の数が少なすぎるからでって、子供をたくさん産んでしまえば、「夫が育児を手伝ってくれない」などという妻の悩みは幼稚な悩みだということに気づくことだろう。

 最初の赤ちゃんでるあるならば、育児について解らないことばかりだ。だから、自分がせっせと育児に励んでいけばいいのだ。夫に期待するとりも、自分が育児を楽しんでしまえば、育児では様々な面白いことを発見することができることだろう。そして第二子、第三子と産んでいけば、自然と夫は育児の手伝いを仕出すものなのだ。

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恥をかいても、聞くべきことは聞け

●聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

 俺が子供の頃、母親と一緒にテレビドラマを見ていると、女優が赤ちゃんを抱いているシーンが出て来ようものなら、母親はテレビの前で大変なことになってしまったのだ。「持ち方が違う!」と大騒ぎになってしまうのだ。実際に赤ちゃんを産んだことのない女優さんがドラマの役として赤ちゃんを抱いても、ちゃんとした遣り方で赤ちゃんを抱いていないというのだ。子供の頃にはなんで母親が騒ぎ出しているのか解らなかったけど、20年後には自分もドラマを見て大騒ぎになってしまっているのだ。「赤ちゃんの抱き方が違う!」と。

 育児で一番最初に躓くのは、赤ちゃんの抱き方なのだと思う。赤ちゃんを産んだことのない女性が赤ちゃんを抱いてしまうと、異様に不自然であり、赤ちゃんの体が緊張してしまうような抱き方をしてしまうのだ。通常は赤ちゃんの抱き方すら、自分で覚えるのではなく、助産婦さんにその抱き方を教えて貰い、初めてちゃんとした抱き方ができるのだ。人間は群生動物である以上、こんなことですら、教えて貰わねばきちんとできないものなのだ。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺があるが、育児で事前に育児の仕方を教えて貰えば、教えられた時は恥ずかしいものであっても、教えられれば育児は巧く行き出すのだ。知っておけば発生させなくていい育児ストレスだってあるのだ。例えば、赤ちゃんの夜泣きを止める方法を知らなければ、凄まじい育児ストレスを感じてしまうものだ。その夜泣きの防止法はこの世にはいくらでも存在しているというのに、恥を忍んで知ろうとしなかったために、育児ストレスで一杯になり、育児で疲れきってしまうのだ。

 高学歴の女性だったり、プライドの高い女性であったりすると、育児のことくらい他人に教わらなくても自分でできると思ってしまいがちだ。しかし、赤ちゃんは大人とは違う体の作りになっているので、自分の考えだけでは到底巧く育てることができないのだ。恥をかいてでも、教わっておくべき育児の仕方は教わっておいた方がいいのだ。

 大家族で育てば、自分が成長していく過程で、赤ちゃんが生まれてりして、育児を経験することもあるが、核家族で育ってしまうと、物心ついた時には赤ちゃんがいない場合が多いのだ。そうなってしまえば、育児の仕方を知らないのは当然のことで、育児の仕方で或る程度のことは他人から教えて貰わねばならぬのだ。

●育児で解らなければ実母や義母に聞け

 まず、育児の仕方を真っ先に教えて貰うべき人は、自分の母親であろう。実母は何より自分を育ててくれたので、育児の仕方は当然に解っている人なのだ。自分の母親から育児の仕方を教えて貰うと、自分がどのように育てて貰ったかが良く解るし、母親に感謝することができるようになるのだ。

 自分の母親から育児の仕方を教えて貰う場合、自分の母親であることに驕りがあるので、どうしても教えて貰った感謝の仕方がイマイチになってしまいがちだ。育児の仕方を教えて貰ったら、必ず「有難う!」と口に出して言うべきであり、母親の誕生日には何かしらのプレゼントを夫婦の名義で渡しておくべきだろう。こういう礼儀をきちんと守っておかないと、育児の仕方を教えて貰っても、それを巧く使いこなせないのだ。

 結婚の偉大な力の一つに、全く家族文化の違う家族の生活の仕方を取り入れるということがある。人間は近親婚を繰り返してしまうと、それが遺伝子レベルで危険なのではなく、同じ生活パターンばかりになってしまうと、自然環境の変化に対応できなくなってしまうのだ。結婚することによって、敢えて違う家族の生活習慣を取り入れることによって、生活を活性化させるのだ。

 とかく嫁姑の問題が取り上げられがちではあるが、義母こそ自分とは違う生活習慣を教えてくれる有難い女性はいないものなのだ。実母から育児の仕方を教わるのではなく、義母からも育児の仕方を教えて貰えば、育児の仕方を比較対照することができ、よりより育児の仕方を生み出していけるのだ。

 親子3人だけで暮らしているのではなく、たまには姑の家を訪れたり、我が家の方へ姑に来て貰って、双方の家の風通しを良くしておくことだ。定期的に会っていれば、嫁と姑が憎しみ合うということはなくなるものだ。いかに偏狭な姑であったとしても、息子の嫁から「育児の仕方を教えて下さい!」と言われれば、教えてしまうものなのである。

●保健師やママ友の意見を聞く

 育児で解らないことがあると、すぐに医者に頼ろうとするのだが、これだけは絶対にやめた方がいい。医者は赤ちゃんの病気を治すことはできても、育児の仕方など教えられることなどできないのだ。育児の仕方を教えてくれるのは、「保健師」であるのだ。この違いだけは絶対に覚えておいた方がいい。

 地方自治体によって多少の格差は存在するが、保健師は非常に役に立つ存在だと思っておいた方がいい。保健師こそ日本の乳幼児の死亡を激減させた最大の立役者であるのだ。その保健師が独身であるならば、机上の空論を言ってくる危険性もあるが、その保健師が結婚していて子供がいるのであるならば、これほど役に立つ人材はいないのだ。

 但し、保健師のすべての意見が正しいわけではない。政府の政策によって多少の変動を受けてしまうからだ。例えば、保健師は良くいうセリフは「赤ちゃんにいつまでも母乳を飲ましていると虫歯になってしまいますよ」というのがある。これは政府は離乳食の開始を生後5ヵ月と決めたためにこのようなことを言い出してくるのだが、赤ちゃんの歯というものは、母乳では虫歯になることは絶対にない。政府は母乳育児とミルク育児では赤ちゃんは全く別の成長の仕方をするということが解っていないために、政府が介入してしまうと、育児の現場でこのような弊害が発生してしまうのだ。

 更に、育児をしている母親たちにとって、「ママ友」というのは有難い存在だ。お互いが同じ経験をしている最中なので、何かと話題が尽きないものなのだ。育児の仕方の情報交換は、ママ友がいれば早いスピードで交換されていくものなのだ。しかも、何か問題があった場合、ママ友に相談すれば、的確な回答を得られるわけではないが、不要なストレスを溜め込まなくて済むようになるのだ。

 育児のことでなんでも話せる友人を持つことだ。育児をしていれば、それが深刻な問題ではないのに、本人がその解決法を知らないばっかりに解決できなくなり、育児ストレスを抱え込んでしまうことがるのだ。結局、人間の人生はその友人の存在によって大きく変動を受けてしまうものなのである。あなたが素晴らしい友人を持っていたら、あなたは素晴らしい人生を歩むことになるし、あなたが悪しき友人を持っていたら、あなたは悲惨な人生を歩むことになるであろう。

●誰の意見であったとしても鵜呑みにしないこと

 他人から教えても貰えば、それはそれで有難いものだ。しかし、その教えた人々がすべて正しいことを言ってくるわけではないのだ。中には間違った意見だって平然として言ってくる場合だってあるのだ。それゆえ、もしも疑問に思うようなことがあるなら、それが本当に正しいことなのか、自分で調べてみることだ。

 本屋で育児本を買って調べてみたり、図書館で本を借りて調べてみればいいのだ。インターネットの場合、いい情報もあることはあるのだが、ガゼネタもかなり多く存在しているので、注意しながら情報を集めていくことだ。情報を集めていけば、問題点が見えて来始め、大体のことが解ってくるものなのだ。情報量の多さこそが、疑問を解決する糸口になるのだ。

 例えば、離乳食の開始時期が生後5ヵ月と教えられているが、これはミルクで育ててしまうと、赤ちゃんの成長のために栄養素が不足してしまうために、生後5ヵ月から離乳食を食べさせよと言っているにすぎないのだ。だから、母乳で育児をしていれば、そんな早い時期に離乳食を与える必要性は全くないのだ。

 赤ちゃんは生後2年まで自分で抗体を作り出せないために、母乳以外の食事を取ってしまった場合、その食べ物が充分に消化できず、それどころか蛋白質が内臓を通り抜けてしまい、体の各所へ侵入してしまい、勝手に抗体になってしまうのだ。このために食事に関してアレルギー反応が出て来てしまうのだ。離乳食の開始が早すぎることこそが、アトピー性皮膚炎を発生させているのだ。

 他人の意見を鵜呑みにするのではなく、相手を良く見ることだ。これだけアトピー性皮膚炎が蔓延しているということは、育児の仕方が間違っているからなのだ。安全な育児の仕方も出回るが、危険な育児の仕方も出回っているので、注意をしながら、その情報を受け取っていけばいい。大事なことは育児の仕方を教えて貰うと同時に、それが本当に正しいのか確かめていくことなのだ。

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赤ちゃんが動くからこそ、家事が大変になるのだ

●赤ちゃんが動き出せば、恐怖が始まる

 赤ちゃんは可愛いものである。なぜなら、赤ちゃんは一人では動けないからである。赤ちゃんが動かなかったからこそ、可愛かったに過ぎないのだ。赤ちゃんが動き出したら、恐怖が始まるのだ。この赤ちゃんの動きに対して、殆どの新米ママたちは赤ちゃんから目を離せなくなる。なぜなら、赤ちゃんの動きが予測のつかないものだからだ。赤ちゃんが動き出せば、これほど新米ママをハラハラドキドキさせるものはないのだ。

 「育児って大変よ~」とか言い出す育児経験者たちは、赤ちゃんが動き出してしまうために、まともに家事をすることができなくなったからこそ、育児は大変だといっているにすぎないのだ。要は動き出した赤ちゃんに対して、巧く対応することができなかったのだ。動き出した赤ちゃんに対して、いかに巧く対応するかが、その後の育児を楽しいものにするか、大変なものにするかに分かれてしまうのだ。

 結論から言ってしまうと、最初の赤ちゃんが生まれた頃は、そんなに大きな家に住むべきではないのである。新米ママの目が届く範囲で赤ちゃんの行動範囲が存在すればいいのだ。家が狭いと育児で不満を垂らす母親たちがいないのに、家が大きく成り始めると、育児で不満を垂らす母親たちが出現してくるのは、何事も程よい大きさがあるということを無視してくるからなのだ。

 もしも、豪邸に住むのであるならば、居間と台所をくっつけてしまい、母親が台所にいても、居間にいる赤ちゃんを見渡せるようにすればいいのだ。家事の中でも料理は赤ちゃんと離れて作らざるをえなくなるので、母親が料理をしていても、赤ちゃんを見れるようにしておけば、動き出した赤ちゃんに対してきちんと対応できるのだ。

 育児をしている母親にとって、家事に於いてスピードが求められるかというのは、母親が家事を手早く終えてしまえば、それだけ動き出している赤ちゃんに対して安心していられるからだ。チンタラと家事をやっていては、それだけ赤ちゃんの側にいないということであって、いかなる事故が起こるか解らないからだ。

●赤ちゃんが小さければ、「おんぶ紐」を使え

 赤ちゃんが動き出すようになっても、赤ちゃんが小さければ、おんぶ紐を使えばいい。「おんぶ紐の威力」は家事をしている新米ママにこそ痛いほど解るものなのである。最初の赤ちゃんの場合は、新米ママの方が赤ちゃんの動きを全く予測できないから、おんぶ紐で赤ちゃんを背負ってしまえば、その不安がなくなってしまうのだ。

 おんぶ紐を使っていると、赤ちゃんの方はそれだけ刺激を受けて、血液が鬱血することがなくなり、健康に育っていくものなのだ。昔の日本の母親たちなら当然に使っていた「おんぶ紐」でも、現在ではお出掛けの時にしか使われていないので、だからこそ赤ちゃんが何度も病気に罹ってしまうのだ。要は「おんぶ紐」を使わないから、血行が悪すぎるのだ。

 「おんぶ紐」を新米ママが使っていると、新米ママの方にもメリットがある。そては赤ちゃんをおんぶしているだけで、体力が使われ、筋肉が相当につくということだ。育児に悲鳴をあげてくる既婚女性たちは大概が筋肉量が不足しているからなのである。筋肉の中でも腹筋と背筋はその人の忍耐力を作り出すものなので、これらの筋肉が少なければ、育児に於いて忍耐力が不足してしまい、育児に悲鳴を上げてしまうのは当然のことなのだ。

 赤ちゃんは小さくとも、背負い続けていれば、結構重いので、それだけ腹筋や背筋が自然と鍛えられるのだ。筋肉量が多くなってしまえば、体形は物の見事に変わるが、しかし、筋肉量が増えたことで、育児を大変だと思わなくなり、育児を楽しめるようになるのだ。赤ちゃんを育てているなら、赤ちゃんを使って筋肉をつけていくべきなのである。

 但し、おんぶ紐を使い過ぎると、赤ちゃんはガニ股になってしまうので、連続して使い過ぎることだけは注意した方がいい。赤ちゃんが寝ているのであるならば、無理矢理おんぶしてしまうよりも、そのまま寝かしつけておいた方がいいのだ。また、新米ママの方も赤ちゃんをおんぶすることで、猫背や撫で肩を治していった方がいい。これらが治るだけで、見た目が物凄く変わり、美しく見えるようになるからだ。

●赤ちゃんが静かにしている間に家事をしてしまう

 赤ちゃんがおんぶ紐で背負えなくなってきたら、これからが本当の恐怖の始まりなのである。赤ちゃんの方も動けるようになってきているので、母親が家事をしている間に、赤ちゃんが勝手に動いてしまうからだ。とにかく赤ちゃんに静かにしておいてほしいのは、新米ママが料理を作っている間だ。この間は新米ママといえども両手が手放せなくなるので、赤ちゃんの動きをなんとか封じさせる必要性があるのだ。

 この期間における必須アイテムは、「テレビ」である。できれば、赤ちゃんが喜びそうなDVDを用意し、赤ちゃんがそれを見ている間に、手早く料理を作ってしまうのだ。テレビが活躍し出すのは、こういう時なのである。赤ちゃんの動きを封じてしまえば、料理など簡単にできてしまうものなのだ。

 もしも、夫が早く帰宅してくる時は、夫の帰宅前に料理を作らず、夫の帰宅後に帰ってきた夫に赤ちゃんをあやしてもらい、その間に手早く料理を作ってしまうことだ。こうすれば、夫の方も出来たての料理を食べることができ、しかも妻の方にとっては赤ちゃんから安心して離れることができるので、非常に良好な状態を作り出すことができるのだ。

 掃除の際、掃除機の出す大きな音で赤ちゃんは泣き出してくるので、すべての部屋で掃除機を使用しなくてもいいのだ。板張りの床であるなら、雑巾で拭いてしまえば充分なのだ。畳のある部屋は箒で掃いてしまえばそれで充分なのだ。掃除機が必要なのは、せいぜい絨毯くらいなのだ。

 洗濯は自動化されているので、余り問題は生じないが、注意すべきことは洗濯物を溜めこまないことだ。洗濯物の量が多過ぎれば、それだけ洗濯物を干すのに時間が食われてしまうからだ。洗濯物は干して終わりではなく、畳まなくてはならないので、その際に赤ちゃんが妨害行為を働いてくるものなのである。勿論、赤ちゃんには悪気はない。折角、干した洗濯物を赤ちゃんに滅茶苦茶にされないためにも、日々洗濯していくべきなのだ。

●だから一人っ子は大変なのだ

 実をいえば、最初の赤ちゃんが動き出した頃が、育児に於いて家事が一番大変になってしまう時期なのだ。新米ママは赤ちゃんの面倒を見ながら、家事をもこなしていかねばならないからだ。だから、一人っ子は大変なのだ。しかし、第二子が生まれると、最初の子供が下の赤ちゃんの面倒を見てあげることができるようになるので、赤ちゃんの子守りを任すことができ、家事が格段に楽になっていくのである。

 しかし、子供が二人だと、壮絶な兄弟喧嘩をしてくるので、3人目の赤ちゃんを産んで、兄弟喧嘩が起こらないようにすればいいのだ。子供が3人もいれば、子供たちは赤ちゃんの面倒も見てくれるし、そのうち家事も手伝うようになってくるので、育児も家事も楽に成り、楽しみに満ちたものになっていくのだ。

 育児が大変だと悲鳴をあげている母親たちは、子供を1人か2人しか生まないからこそ、育児も家事も大変になってしまうのだ。大変だと言い続けてきたからこそ、育児に於いてもきちんとしたことができないし、家事に於いてもきちんとしたことができないのだ。育児も家事もきちんとこなせないくせに、不平不満だけは一人前に垂れて来るのである。

 育児というのは、1回やった所で完全に習得できるものではないのだ。矢張り3回繰り返さなければ、解らないことだらけなのだ。最初の赤ちゃんで解らなかったことでも、次の赤ちゃんでは解り出し、3人目の赤ちゃんでは楽しむことができるようになるのだ。何事も3回繰り返さないと、上達していかないものなのである。

 家事というものは、子供が3人以上いれば、家事は非常に楽になるものなのだ。子供たちに家事を手伝わせればいいからだ。最初の赤ちゃんの場合、その赤ちゃんに家事を手伝わせられないからこそ、家事に大きな負担がかかってくるものなのである。しかし、その時期を巧く乗り越え、第二子を産んでしまう頃には、第一子の方は家事のお手伝いをするまでに成長しているものなのである。

 人間というのは、その能力に限りがあるから、すべてのことを自分ですべきではないのだ。他人の力を巧く利用し、協業と分業で作業をこなしていけばいいのだ。そのために使われるのが、「梃子の原理」だ。「梃子の原理」を用いて、他人の力を巧く使ってしまえば、自分にとっては困難な作業でも簡単に行えるようになるのだ。

 しかし、第一子を育てている時は、その「梃子の原理」が巧く使えないからこそ、家事も育児も大変になってしまうのだ。だからこそ、自分の忍耐力を使って、この時期を巧く乗り切ってしまえばいいのだ。乗り切ってしまえば、自分に相当な実力がついてしまうものなのである。「育児って大変よ~」と愚痴を垂れている既婚女性たちに対しては、「あっ、この人は忍耐力がないんだな」と見切ってしまうことだ。第一子が動き始めた時が、育児も家事も大変になるのは当然のことなのだ。でも、その時期を一生懸命になって取り組んでいると、いつの間にかしっかりとした実力がついてしまうものなのである。そういう実力のついた母親が、「育児って大変よ~」とかは決して言わないものなのである。寧ろ、「あの時期は無我夢中で逆に毎日が充実してたよ!」と言ってのけてしまうものなのである。

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赤ちゃんの寝ている間に読書をせよ

●精神レベルを上げる努力をせよ

 二宮金次郎が薪を背負って読書をするなら、新米ママたちは赤ちゃんをおんぶして読書をすべきなのである。赤ちゃんをきちんと育てていくためには自分の精神レベルを上げなければならないので、読書によって自分の精神レベルを上げる努力をした方がいいのだ。赤ちゃんがいくら幼稚だからといって、その幼稚さに合わしてばかりいたら、自分の精神レベルが上がらず、その結果、育児の至る所でトラブルが発生し始めることになるのだ。

 女性の場合、女性ホルモンが急激に分泌される時期が「10代」と「26歳から33歳」までの2つの時期があって、この時期に読書をして見聞を広めておけば、有意義な人生を過ごすことができることだろう。女性には自分が変わるべき時期があるので、その時期に変わっておかないと、的外れの苦悩を抱いてしまい、自分の人生が反れていってしまうのだ。

 更に女性は出産してからは母性ホルモンが分泌されるので、赤ちゃんをきちんと育てるために、自分の脳が精神のレベルアップを要求し出すのだ。出産をすると、独身時代に読めた本が読めなくなってしまうのは、このためなのだ。自分の精神レベルを上げてくれる本なら、頭の中にスラスラ入っていくことになるのだ。

 出産したら、是非とも一度は自分の本棚の整理をした方がいい。本棚が満杯だと、新たな本を購入できないために、本を買わなくなってしまうのだ。そうなると、せいぜい図書館から本を借りて済ます程度になってしまい、折角のチャンスを台無しにしてしまうのだ。本というのは矢張り自分でお金を出して買わなければ、その本の内容が身に付かないものだ。育児のために多少は家計が苦しくなっている状況で出す書籍代は貴重なものであり、そのお金で買った本にハズレはないものなのである。

 脳というものは、使わなければ衰えていくだけなのだ。脳は使えば使うほど成長していくのだ。育児という全く新しい体験をすることによって脳が刺激されシナプスが増えている状況であるが、それをより刺激するためには、読書という行為が絶対に必要なのだ。育児をしながらの読書というのは、脳を最大限に刺激して、脳のシナプスを爆発的に増やすことになるのである。

●育児では知らないことばかり

 「知は力なり」というが、育児の現場では「育児の知識こそ最大の力となる」のだ。育児では事前に知っていれば犯さなくていいトラブルを事前に回避することができるからだ。例えば、母親の母乳が赤ちゃんの免疫力を作り出すことを事前に知っていれば、ミルクで赤ちゃんを育てようとは思わない筈だ。オシャブリが赤ちゃんの口呼吸を防止するために非常に有効であると事前に解っていれば、赤ちゃんが泣き叫んでいるのにオシャブリを外そうとは思わない筈だ。

 但し、育児に関する知識で気をつけなければならないのは、育児書が育児にとって最も危険な知識を提供しているということである。日本の育児学はアメリカの育児学の影響をモロに受けており、非常に歪んでしまった学問であるのだ。育児には世界に普遍的な育児があるのではなく、民族特有の歴史・伝統・習慣の上に立脚してくるものだからだ。外国人からは非合理的と思える日本の習慣であったとしても、その習慣の中に偉大なる育児の知恵が隠されていることだってあるものなのだ。

 意外なことかもしれないが、育児で真っ当なことを言っているのは、育児学の学者以外の人達なのだ。育児学の外にいれば、アメリカの育児学の洗脳から解除されているので、日本の育児学の異常さが手に取るように解るものなのだ。それゆえ、育児書を育児のバイブルとして育児をしてしまうと、新米ママたちの多くの育児ノイローゼになってしまうのだ。育児で本当の知識を持っていないから、どうしても育児の現場で支障を来たし始めてしまうのだ。

 育児をするなら、実際に育児した母親たちの体験談や育児漫画というのは非常に有効的だ。それらは学術的なものではないが、実践で得られた経験を披露しているので、実際に育児をしている新米ママにとっては、非常に共感できるものなのだ。育児に関する学術書ばかりを購入するのではなく、体験談や育児漫画といったものを購入しないと、育児の現場で有効な育児力というものがなかなか向上しないものなのである。

 新米ママにとっては育児に関しては知らないことばかりなのだ。自分はなんでも知っていると思い上がらずに、自分は育児のことは何も知らないと謙虚になってしまった方が、育児に於いて有効的な知識を得られるものなのだ。自分が謙虚になってしまえば、健全な批判力を持つことができるようになるものなのだ。例えば、離乳食は生後5ヵ月からと言われても、赤ちゃんにはまだ1本も歯が生えていないのだ。「これっておかしくない?」と批判できれば、あなたは偉大なる母親へ成長し始めることができるのだ。

●結婚を成功させる方法

 育児の知識を学んでいく一方で、もう一つきちんと学んでおくべきことが、「結婚を成功させる方法」だ。結婚というのは、結婚を成功させる方法を事前にしっていれば、夫婦喧嘩が起こることもなくなるし、夫婦間暴力も発生しなくなるし、離婚に至ることもなくなるのだ。結婚で愚痴悪口を言っている人たちは、結婚したのに結婚を成功させる方法を学ばなかったか、自分の両親の悲惨な結婚を見て八つ当たり的に物を申しているにすぎないのだ。

 結婚したのなら、結婚して不幸になった人たちの話を聞くのではなくて、幸せな結婚をした女性たちの自叙伝を読んで、自分もそのような人生を歩むようにしてしまうことだ。結婚には「幸せな結婚」と「不幸な結婚」の2種類しかないので、自分が断固として決意を以て「幸せな結婚」を選んでしまうことだ。

 幸せな結婚をした既婚女性と、結婚を不幸なものにしてしまった既婚女性の一体何が違うかといえば、基本的な思考が全く違うのである。それゆえ、幸せな結婚をしている人たちの思考を一刻も早く身につけてしまうことだ。結婚に関してしっかりとした物の考え方ができれば、自然と結婚は幸せに満ちたものになっていくのだ

 結婚生活を進めていく上で、家事を巧くこなすことや、夫婦関係を巧くこなすことは絶対に必要不可欠なのものである。それゆえ、家事でのテクニックや夫婦関係のテクニックを上達させる本などを積極的に購入して家事や夫婦関係を上達させていくことだ。知っていれば、これほど結婚生活を豊かにさせるものはないのだ。

 それから、「健康」に関する本である。家計を直撃させるものはなんといっても「医療費」なのである。国民健康保険があるからといって病気になってすぐさま病院に行ってしまうと、医療費というのは莫大なものになってしまうのだ。そういうふうにしてしまうよりも、病気にならないような努力をすべきであって、そのために健康に関する本などを購入して、家族の全員が病気にならないように努力をすることなのである。

 そして、「お金」に関する本である。殆どの夫婦が躓いてしまうのは、お金に関してなのだ。結婚したというのに、お金のことを学んでいないために、家計を滅茶苦茶にしてしまい、家計を破綻させてしまうのだ。家計を「所得」「資産」「消費」「債務」の4つの面しかないのであって、この4つの面が解っていれば、家計など簡単に処理してしまうことができるものなのである。

●心は穢れるものだから、常に心を磨き続けよう

 人間は生きていれば心が汚れて行くものだ。しかも、新聞やテレビでは殺人事件や汚職事件や不況や倒産を報道してくるので、本を読まずに新聞やテレビを見まくっていたら、心の中は真っ暗になってしまうものなのだ。結婚したのに、結婚のことを悪く言ったり、自分の配偶者を罵倒している人に限って、新聞やテレビを熱心に見ているのだ。結婚したのに、自分の心を磨く努力を全くしてこなかったのだ。それゆえにそれに相応しい最悪の結果を手にしているだけなのである。

 心は穢れるものだから、常に心を磨き続けよう。奇麗な心で生きていけば、幸せな結果が得られるものだが、汚い心で生きていけば、不幸な結果しか得られないものなのだ。だからこそ、定期的に自分の心を磨く時間を持つべきなのだ。自分の精神レベルを向上させてくれる本を読んで、自分の精神レベルを上げていくべきなのだ。

 人間というのは放置しておけば我執に取りつかれてしまい、我儘なことしか仕出かさなくなってしまうものだ。読書というのは、そのような下等な人間にならないようにするための脳のトレーニングであるのだ。何事も自分中心で考えるのではなく、神様のレベルに合わして生きていくことだ。自分が勇気を出して行動を起こしつつも、「自分の判断は間違っていなだろうか?」と常に自己審査しながら前に進んでいくことだ。そうすれば、人生で躓くことはなくなるものなのである。

 既婚女性が出産した以降の読書は、すべての分野に展開できる読書ではなくなるのだ。解り易くいうと「自分の身の回りに関する分野」に限定されてしまうのだ。新米ママの頭の中では赤ちゃんをきちんと育てねばならないという基本的な義務を遂行中なので、育児や家事や夫婦関係や健康やお金などといったものに関してはスラスラと頭の中に入ってくるのだが、それ以外の分野に関してはなかなか頭の中に入りづらくなってしまうのだ。

 もしも新米ママが学者であった場合、余りにも学術的なことを勉強してしまうと、脳の機能になんらかの悪影響が生じて作動しなくなり、精神病とは全く違う心の病を発症してしまうことになるのだ。正確にいうと脳の機能に異常を発生させてしまうのだ。この治療法は未だ開発されていないので、どの病院にいっても治せないし、自力で治しても非常に長い期間を要求されることになるのだ。

 女性の大学教授が子供を産んだとしても1人しか生まないのは、ここにこそ原因があるのだ。これを経験してしまうとビビってしまい、もう2人目の赤ちゃんを望まなくなるのだ。学問の研究に携わっている女性なら、この脳が正常に作動しなくなるという事態は本当に恐ろしい事態なのだ。それゆえ、学問の研究をしている女性なら、出産して育児をしている期間は暫くの間、育児休暇を取って第一線から退き、学問の研究をしない配慮をすべきなのである。しかし、これをやらないからこそ、原因不明の病気になtってしまったりするのだ。

 本というのは、すべてがいい本であるのではないのだ。女性であるなら、結婚をし、子供を3人以上産み育てていなければ、本当に価値あることを言えないものなのである。本に書かれたことを鵜呑みにするのではなく、作者を良く見るべきなのである。作者が真っ当な人であるなら、真っ当なことを言ってくるものなのだ。

 人間の心の中には已むことのない「向上心」というものが備わっているのだ。それゆえ出産したのなら、母親として成長したいという欲望が沸騰しているものなのだ。その欲望を抑えてしまい、日常生活で消耗しきってしまうと、心のどこかに歪みが生じてしまい、生活の至る所でその歪みが不幸となって現れてくるものなのだ。だからこそ、心を磨いて向上して、自分を成長させてしまうことなのだ。母親として成長してしまえば、いくらでも幸せなことが発生し始めるのだ。

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育児ストレスはスポーツで吹き飛ばせ

●新米ママたちが太っていくメカニズム

 出産後、健康のためには少しは太るべきなのだが、決して肥満になるべきではないのだ。しかしながら、出産後に肥満の道へと突き進み、ブクブクと太っていく新米ママたちが後を絶えないのだ。体重が重くなってしまったゆえに、体の動きが鈍くなり、そのために育児では育児ストレスを抱え、結婚生活は夫に対して不満を抱いてしまうのだ。本当は自分の肥満が原因であるというのに!

 なぜ、育児をしている母親たちが太っていくかというと、それは「食事のパターン」を変えていないからだ。通常、仕事をしているなら、朝食と夕食を重くして、昼食を軽く済ませるという方法を取らざるをえない。この食事パターンにしてしまうと、最大効率で仕事ができるようになるからだ。

 しかし、既婚女性が出産したのなら、朝食を最少限までに少な目にして、昼食を重たくし、夕食は蛋白質を多目に取って炭水化物を少な目にしていかねばならぬのだ。人間の体というのは、昼行性動物であるがゆえに、本来、昼食時に大量に食べるように作られている。それゆえ夕食時というのは炭水化物を少な目にして、蛋白質を多目に取っていくことで、血糖値の上昇を抑え、内臓の消化吸収の手助けをしてあげるべきなのである。そして朝になれば、体は修復を終えているので、すぐさま食事を取ることを必要とせず、午前10時あたりまでなら食事をしなくても動けるのだ。では、なぜ朝食を取るのかといえば、ぞれは頭脳を活性化させるためなのだ。それゆえ、朝から大量の食事を食うべきではないのだ。

 出産したのなら、仕事モードの食事パターンにするのではなく、人間本来の食事パターンに変えていかなくてはならないのだ。だが、この食事パターンの変更がなかなかできないのは、それは結婚しているからだ。結婚していれば、夫を優先して食事を作るのは当たり前であるが、しかし、夫に合わしてしまうと、どうしても太っていく食事の仕方になってしまうのだ。夫が大量に朝食を食べているというのに、妻が朝食を最少限までに抑えた食事をしないものだし、夫のいない昼食に腕を振るって大量に作り、一人でバクバクと食べていることもないだろう。夕食時では夫婦双方が揃うために料理を豪華にしてしまい、血糖値などを気にせずに食べてしまうことだろう。だから、肥満になっていくのだ。

 それに追い打ちをかけるのが、育児に於ける「運動不足」だ。育児では赤ちゃんの行動範囲が狭いために、どうしても運動不足になってしまうのだ。母親の方は自分は動いていると思っても、運動量というのはたかが知れていて、そのために筋肉が衰え、脂肪が着実に増えて行ってしまうのだ。

 出産して肥満になったと感じたら、まずは朝食を少な目にしていくと同時に、今まで軽すぎた昼食を多目に取るようにすることだ。これだけでも肥満解消の糸口になるのだ。その上で、排便がしっかりと出るように発酵食品を食べ、「糠漬け」や「納豆」や「キムチ」や「ヨーグルト」を毎日食べるようにすることだ。そして脂肪を燃焼させるために運動をして、汗を流しまくることだ。

●ウォーキングと軽ジョギング

 赤ちゃんがいる場合、新米ママができるスポーツというのは、非常に限定されてしまうものなのだ。授乳の関係で赤ちゃんから長時間離れてスポーツをすることができないので、育児をしながらでもできるスポーツを選んでしていかざるをえないのだ。新米ママが自分の肥満を解消するために、赤ちゃんをほったらかしにしてスポーツをすることだけは絶対にすべきではないのだ。

 肥満を解消するのに手っ取り早いスポーツは、「ウォーキング」だ。肥満になる女性は脂肪よりも水太りしているからこそ太っているのであって、歩きまくることで血行を良くして、排尿を促し、体内の余分な水分を排出させるのだ。とにかくウォーキングを毎日行うことだ。赤ちゃんを連れた外気浴で1時間ほど歩けば、小便がジャージャーと出るものなのである。

 脂肪を燃焼させるのに手っ取り早いのは、「軽ジョギング」だ。特に朝食を食べる前に朝の軽ジョギングをしてしまうと、脂肪が心地いいまでに燃焼してくれる。朝起きると、血糖値が落ちているために、体は脂肪を燃焼させ易い状態になっており、そこに軽ジョギングをすると、体は脂肪を優先的に燃焼させ、体重を効果的に落としていくことが可能になるのだ。

 早朝であるならば、夫が自宅に居るので、夫に赤ちゃんを任して、自分は軽ジョギングに出かけられることができるのだ。時間は20分以上で充分である。20分間以上走り続けると脂肪が燃焼し始め、軽ジョギングを終えても、その燃焼がなかなか止まらず、脂肪の減少を効果的に行えるのだ。

 軽ジョギングは毎日やっても構わないが、家庭の事情を考えれば、週に2回か3回というのが手頃な所だ。忙しい時は週に1回でいいのだ。但し、軽ジョギングをした以上は、最後まで走り続け、きちんと汗を流すようにすることだ。特に夏は汗を流し易い時期なので、厚着をして軽ジョギングを行えば、大量の汗を流すことができる。

 軽ジョギングをした日は、折角、脂肪が燃焼しているのだから、朝食を大量に食べるべきではないのだ。脂肪が燃焼し始めれば、食欲など湧かないものだ。それゆえ朝食はフルーツだけを食べるとか、ヨーグルトを付け加えるだけでいいのだ。その代わり昼食は大量に食べることだ。母乳を出しているがゆえに、野菜を大量に食べ、母乳の重要な栄養素である葉酸が不足しないように配慮することだ。

●筋肉トレーニング

 育児をしているなら、積極的に赤ちゃんを抱いたり、おんぶしたりするようにした方がいい。これをするだけで筋肉がつき、健康的な体になるからだ。体の中でも筋肉が最もエネルギーを使ってくれるので、筋肉が衰えてしまうとエネルギーが行き場を失い、脂肪に変わってしまうのだ。肥満の女性ほど筋肉量が少ないのはそのためなのだ。

 絶対にやっておいた方がいい筋肉トレーニングは、「太股」の筋トレである。太股が細くなり始めると、低体温になり、脂肪がつきやすい状況になってしまうからだ。太股にしっかりと筋肉がついていれば、そこを通る血液が自然と温められるので、高体温になり、エネルギーを燃焼し易くしてくれて、脂肪がつきにく体になれるのだ。

 太股を鍛えるためには、スクワットをすればいい。最初の頃は1日100回やるのも大変だろうが、慣れてくれば1日1000回することができる。筋トレは毎日やってしまうと逆に筋肉がつかなくなってしまうので、肥満解消のための筋トレなら、週に2回に限定し、その代わり、筋トレをしっかりとやりまくることだ。

 出産した女性が最も鍛えねばならぬ筋肉は、「腹筋」である。出産したことによって腹筋が伸び易くなっているので、筋トレとかしないと、お腹が出てしまい、典型的な中年太りになってしまうのだ。腹筋がちゃんとついていれば腰にくびれができ、見た目にもいいし、洋服を巧く着こなすことができるようになるのだ。

 新米ママは育児に関して頭を使わざるをえないので、血液が頭部に集中してしまい、そのために思考力の低下や頭痛など起こってくる。そういう時は、「背筋」を鍛えて、頭部に集中した血液を拡散させることだ。背筋にしっかりと筋肉がついていれば背筋をピンと伸ばすことができ、猫背になりにくい体にすることができるようになるのだ。

 腹筋も背筋も筋トレを行うのは、週に2回程度でいい。但し、遣る時は徹底的にやることだ。回数はそれぞれ最低でも100回にし、できれば1000回にまで持っていくことだ。腹筋と背筋に筋肉がついてくれれば、腰回りの脂肪が減っていくし、スタイルも非常に良くなるし、筋肉があるがゆえに体が非常に動き易くなるのだ。

●ヨガとストレッチ

 肥満を解消するには、ヨガも効果的である。女性の体は男性よりも柔らかくできているので、女性がその柔軟性を失ってしまうと肥満に成り易いし、体の動きが非常に悪くなってしまい、動きたくなくなってしまうのだ。その点、ヨガを行えば、体の柔軟性を取り戻すことができ、肥満を解消させることができるようになるのだ。

 朝起きたら、ウダウダしているのではなく、体を目覚めさせるためにストレッチをしてしまうことだ。起床直後の段階でストレッチを行えば、1日中、体を柔軟でいられて、家事も育児もテキパキとこなすことができることであろう。そして就寝前にもストレッチを行うことだ。就寝前にストレッチを行うと、その日の疲労が巧く解消されるので、就寝中に脂肪がつきにくい体にすることができるのだ。

 そして最後に忘れてはならないのは、家事と育児である。家事と育児は女性にとって非常にエネルギーを使い易い動きなので、家事と育児をきちんとこなしていると、脂肪が燃焼してくれて、体が引き締まってくるものなのだ。家事や育児をそっちのけにして、テレビを見ていたら、自然とブクブクと太り出してしまうものなのだ。

 スポーツをして汗を流せば爽快になる。育児期間中、汗を流すことの重要性を絶対に忘れるべきではないのだ。育児をしていて楽しいことは確かにあるけれども、育児ストレスも発生してくるものなのである。そういう時は、スポーツをして汗を流してしまえば、育児ストレスは吹き飛んでしまい、爽快になってしまうものだ。そして新たな気持ちで育児に取り組めばいいのだ。

 育児をしていて忙しいからスポーツができないというのは、自分がやりたくないからこそ出て来る言い訳なのだ。スポーツをやる時間など、作り出そうとすればいくらでも作り出せるものなのだ。女性は肥満になってしまうと、なんでも面倒臭がるので、益々肥満になっていってしまうのだ。赤ちゃんはまだ物を言わないけど、自分の母親が奇麗な母親であれば嬉しいものなのだ。自分のためだけでなく、赤ちゃんのためにも、最低限の美しさだけは保っておくことだ。

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出産したら、自分の体形が変化したことを認めよう

●出産後は少し太った方がいい

 出産すれば女性の体形は変化する。出産によって骨盤が広がるし、母性ホルモンが分泌されるために乳房を初め、体のすべてが母親らしくなっていく。しかも育児によって体の筋肉が鍛えられていく。本来であるなら、そうやって新しい命を生み出した母親たちの体形を褒めていいのだ。

 しかし、現実はそうはなっていない。現在の女性たちが精神的に自立していないことを反映してか、独身女性であるような体形が称賛されているし、それどころか明らかに小学生であるような幼稚な体形でいたとしても、それが逆に「可愛い!」ということになってしまっているのだ。女性の場合、「従属の時代」と「自立の時代」と「独立の時代」は体形が物の見事に変化するので、非常に解り易いようにできているのだ。

 女性が出産によって体形が変わるが、これは育児をし易くするためのものなのだ。特に骨盤の広がりは赤ちゃんを抱き抱える際に非常に遣り易くなり、赤ちゃんを抱いていても疲れが来ないように変形していくのだ。独身女性のままの体形であっては、これほど赤ちゃんを持ちにくい体はないのだ。

 もう一つ、女性が出産で体形が変わる理由は、子宮を守るためなのだ。育児をいている最中に、実は子宮は第二子以降の赤ちゃんを産むために活発に活動し始めているのであって、そのために子宮の周辺に脂肪をつけさせて、寒さから守っているのだ。女性は出産によって腰回りに脂肪がつくものなのだが、これは次の赤ちゃんを準備しているからなのである。

 女性は結婚以前なら痩せていても構わないが、結婚後は徐々に体重を増やし、出産後は少し太った方がいいのだ。母親体形になってしまえば、これほど育児がし易い体は他にないのだ。しかも、脂肪がつくことによって子宮癌や乳癌といった女性特有の癌を防ぐことができ、女性の健康をも守ってくれるのだ。

●育児開始以降の服装の変化

 出産によって体形が変わったのだから、服装だって変わっていく。より正確に言うと、出産してしまうと、出産以前の服がなんか幼稚に見えてしまい、今の自分に適した服を着出し始めるのだ。ただ、第一子を育てている最中はこの服装の変化が徐々にしか現れてこないので、第一子目の時は丁度その変化の渦に巻き込まれていく状態なのだ。

①下着のサイズを上げろ

 まず、体重は少しは増えているのだから、下着のサイズは上げた方がいい。決して肥満で太ったわけではないからだ。女性の下着は小刻みにサイズが分かれているので、少しでもサイズが違っていると、血行不良になってしまい、それが冷え症を引き起こしたり、腰痛になったり、下半身デブを引き起こしたりするのだ。要は無理をするなということだ。今の自分に適したサイズの下着を思い切って購入することだ。

②育児のし易い服

 育児をしている最中は、母性ホルモンが出ているために、新米ママがマタニティーモードになってしまい、明らかにそれは育児に不向きな服なのに、いかにも新米ママらしい服装をしてくるのだ。新米ママとして初々しさが漂う、愛らしいスカートを穿いて育児をしようとするのだ。

 そういう気持ちは解らないでもないが、スカートほど育児に不向きな服装はないのだ。赤ちゃんが動き出すと、新米ママも動きまくらねばならなくなるので、育児向きの服装としては矢張りパンツを穿いた方がいい。パンツを穿けば動き易いし、下半身を温めることにもなるので、非常に育児向きの服装なのだ。スカートを穿くのは、お出掛けの時とかにすればいいのだ。

③服のセンスが変わる

 出産をしてしまうと、服のセンスが変わるのだ。独身時代ではいい男性を見つけるために、多少は無理をして美しくなろうとしていたのだが、女性は結婚してしまうと、その無理な部分がなくなるために、結構、気楽な服装に変化していくことになるのだ。婦人向けのファッション誌を見ても、美しい服装ほど落ち着きのある服装なので、この服装の変化を見逃さないことだ。育児をしているのに、いつまでも未婚の女性の服装と変わらないようであるならば、これほどチグハグな服装もないのだ。

●ダイエットするのではなく、体を引き締めること

 芸能人であるなら、出産しても、出産前と殆ど変らないような体形で復帰してくるのだが、こういうことは普通の既婚女性たちがすべきではないのだ。芸能人の場合は、スタイルを維持することも契約の一つに入っているので、無理矢理にスタイルを整えているのであって、しかも一般人では行うことができないような整形手術をも行ったりしてくるので、絶対に参考にはならないのだ。そのスタイルの矯正の後遺症が後に出て来ることになり、それゆえ芸能人に余り聞いたことのない難病や奇病に襲われてしまうのだ。

 出産してしまうと多少は太ってしまうので、ダイエットをしようと思ってしまいがちだ。しかも芸能人で出産を経験した女性たちはあんなにスリムなのだから、自分だってそうしなければならないと思い込んでしまうものだ。しかし、その太ったことは育児に於いて必要な太り方なのであって、決して肥満ではないのだ。もしも自分の体を美しく見せたいのであるならば、ダイエットをするのではなく、体を引き締める努力をすればいいのだ。そうすれば美しく見えるようになるのだ。、

①朝の冷水浴

 ます、朝起きて、朝の排便が済んだら、お風呂場へ行き、冷水のシャワーを浴びてしまうことだ。冷水のシャワーを浴びると体が引き締まるので、太っても、体が引き締まり、そのために美しく見えるようになるのだ。しかも、朝に冷水を浴びることによって、自律神経が正常に作動することになり、体を活発に活動させ、余分な脂肪を燃焼してくれるようになるのだ。更に冷水による刺激は副腎を刺激し、その刺激によって副腎皮質ホルモンが分泌されるので、お肌に張りが出て、艶艶になるのだ。

②ウォーキングと軽ジョギングと筋肉トレーニング

 育児をしている場合、育児で体を動かしていると思っていても、そうは運動量が増えていないのだ。寧ろ運動量は減少しているのだ。それゆえ、育児をしているなら、人為的に運動量を増やす工夫をしておくことだ。1日1時間のウォーキングは欠かせないだろう。1日1時間歩けば、体に余分な脂肪などつかなくなるからだ。

 できれば、週に2回か3回は、軽ジョギングを行い、汗を流してしまうことだ。軽ジョギングを行うと、足腰にしっかりとした筋肉がつき、足が奇麗に見えるようになるのだ。出産以降、猫背になったり、お腹が出て来るのは、背筋と腹筋が衰えたからこそであり、だからこそ、筋肉トレーニングを定期的に行って、背筋と腹筋を鍛え、背筋が伸び、お腹が出ないようにしていくべきなのだ。

③温泉とサウナ

 新米ママの体形を苦労なく美しくさせるのに欠かせないのが、「温泉」と「サウナ」だ。女性の肥満は基本的に「水太り」が原因なのだ。女性は水分を溜め込み易い体なので、体を適度に動かして、余分な水分を排出させていないと、それほど大量に食事をしていないにも拘わらず、肥満になってしまうのだ。それゆえ、たまには温泉やサウナに行って汗を流してしまうことだ。温泉やサウナに行って汗を流せば、育児ストレスなど吹き飛んでしまい、しかも、自分の体が美しくなっていくものなのである。

●夫婦で出かける際の注意点

 新米ママは育児をしている際に、ただでさえ体形の変化というストレスに晒されているに、その上、夫婦で出かけなければならないことが出て来るので、これが更にストレスを生じさせるのだ。しかも、夫婦で出かけなければならないような用事は、夫にとって仕事の一部分でもあり、それが出世に繋がっていくことにもなり、非常に重要なお出掛けなのだ。

①夫の服装に配慮する

 まず、夫婦で出かける時は、妻は夫の服装に配慮することだ。できれば、男性向けのファッション誌を見るなり、夫と一緒にスーツを買いにいくなどして、夫を格好良くさせると同時に、自分の服装に合うようなスーツを選らんでしまうことだ。夫婦で余りにもチグハグな服装を着ていると、夫婦で全く話が噛み合わなくなり、夫の晴れ舞台を台無しにしてしまうことになるからだ。

②派手になることよりも洗練された美しさ

 独身時代では派手な服装をしたとしても別に構わない。しかし、結婚すれば洗練された美しさが求められるのであって、この美しさを身に着けないと、いつまでも醜いままなのだ。結婚しているというのに派手な服装をしてくる既婚女性はたまに居るものだが、服装と同様に、会話も洗練されておらず、いつまでも下品なままなのだ。

③時間を厳守する

 育児をしていると、時間の経過がゆっくりと流れていくために、夫と出かける時に、遂々時間にルーズになってしまうのだ。ビジネスの世界では遅刻厳禁なので、いつもは遅刻しない夫でも、妻の遅刻のために遅刻してしまうと、信用が台無しになってしまうのだ。夫婦で出かける時は、前日に着て行く服を用意しておき、当日には絶対に遅刻しないようにすることだ。

 出産による体形の変化のストレスは、独身時代に美人であった女性よりも、独身時代にそれほど美人でなかった女性の方が感じ易いのだ。独身時代に美人であれば、どうやれば美しくなれるかが解っているので、出産して体形が変化しても、巧く服装を変化させていくことができるのだ。しかし、独身時代にファションセンスがイマイチだと、美しくなるためのテクニックが解っていないから、出産して体形が変化してしまうと、戸惑ってしまうのだ。中には美しさを投げ捨ててしまい、オバサン街道をまっしぐらに突き進む女性もいることだろう。

 ファッションというのは、その女性の体形によって大いに制限を受けるものなのだ。それゆえ、出産して体形が変化したのなら、その体形の変化が醜くならないように、シェイプアップをしていけばいいのだ。そうしてしまえば、出産経験者であったとしても、奇麗に着こなすことができるようになるのだ。その美しさは独身女性の時では味わえなかったレベルの高い美しさであるのだ。

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夫の話をきちんと聞くことができれば、夫婦間の問題の8割は解決してしまう

●女の言語能力が達者なのもの

 人間とは捻くれた生き物で、遠くに住んでいる人とは真剣に話し合おうとするが、近くに住んでいる人は真剣に話し合おうとはしない傾向にあるのだ。結婚しているから、夫婦は一心同体だと思うのは、思い上がりの何物でもないのであって、多くの夫婦たちが話し合い不足の傾向にあるのだ。離婚に至った夫婦の殆どすべてが、夫婦で話し合わずに意思疎通を欠き続けたからこそ、最悪の結果になってしまったのだ。

 結婚生活を進めていくにも、夫婦が定期的に真剣に話し合える場を持っておく。特に家計に関しては、月に1度、話し合う機会を設け、互いの経済状況を知らせ合い、今後どのようにしていくかを話し合うべきなのだ。また、夫婦のどちらかが何か事を起こすのなら、事前に話し合っておき、情報を伝えるという作業をきちんとしておくべきだろう。これらのことをするだけで、夫婦仲はいつまでも良くし続けられるのだ。

 育児に於いても、育児ストレスで一杯になる前に、妻は夫に育児の状況を伝え、困り事がある場合は、夫に手助けを要請すれば手助けをしてくれるものなのだ。それなのに、日頃から育児の状況を伝えず、夫が忙しい時に限って、いきなり育児の手助けを要請してくるからこそ、夫は育児を手伝わなくなってしまうのだ。

 夫婦の会話の主導権というものは、大概が妻の方が握るものだ。なぜなら、妻は女性脳を持っているがゆえに、言語能力が発達しているために、妻はお喋りが上手だからだ。それに対して、夫は男性脳を持っているがゆえに、物事を論理的に考えることは得意でも、それを解り易く伝達する能力に劣っており、夫は口下手だからだ。

 それゆえ、夫婦の会話に問題がある場合、妻の会話の進め方の方に問題があるのである。妻の方が自分が優位な能力を持っているにも拘わらず、聞くべきことを聞いていないし、話しておかねばならぬことを話していないからだ。夫婦の関係が悪化していくのは、夫婦の会話不足による意思疎通を欠いたことに始まるのである。愚かな妻たちというのは、「自分は正しい」と思い込みながら、実は間違ったことを仕出かしているのである。

●夫の話を聞

 夫婦の会話で最も大事なのは、妻の方が機会を設けて、夫の話を聞くことだ。夫婦が一緒に居るなら、妻の方が喋り過ぎてしまうものだ。自分が喋りに徹しているからこそ、夫の話を聞かず、夫を理解してあげることができなくなってしまうのだ。夫のことをちゃんと理解してあげれば、夫は妻の手助けをするものだし、妻に対していつまでも優しくしてくれるものなのだ。

 無口な夫だからこそ、敢えて話を聞く。仕事で忙しい夫だからこそ、敢えて機会を設けて話を聞く。こいういう配慮を妻の方がしなければ、夫婦で会話したとしても、妻の方が一方的に喋っている会話にしかならないのだ。夫が仕事で疲れて帰ってきたというのに、妻の方が今日あったことを一方的に喋ったのなら、夫は無口になり、そのうち妻との会話を避けるようになるものなのだ。

 妻にとっては夫の仕事場でのことなど、夫から聞かない限り、解らないものだ。夫の食の好みも、夫の口から聞かない限り、解らないものだ。夫が家族をどのようにしていきたいかということすらも、夫に話す機会を与えないと喋ってくれないものなのだ。結婚しているというのに、夫婦が肝心なことを話し合っていないということは、いくらでも有り得ることなのだ。

 夫婦で話し合う時は、大抵が居間で話し合うことになるのだから、居間は常に掃除をしておくべきだし、テーブルの上には何も置かないことだ。夫婦が会話をして、喧嘩に発展してしまう夫婦というのは、必ずといっていいほどテーブルの上に物が置いてあるのだ。テーブルの上を奇麗さっぱりにしておけば、夫婦の会話も奇麗さっぱりに進んでいくものなのだ。

 夫の話を聞いた以上、妻の方も喋らなければならなくなるのだが、そういう時は、妻は話す要点を1つに決めてしまうことだ。女性は女性脳があるために、いくつでも論点を持つことができ、話を様々に展開していくことができるのだが、男性は男性脳があるために、いくつもの論点を持つことができないのだ。その代わり、女性のようにただ情報を伝達しただけで終わってしまうのではなく、話し合ったことで必ず解決策を導き出そうとするのだ。これは男性と女性の話し方の最大の相違点だといっていい。

●お喋りな夫は要注意

 夫というのはすべての夫たちが無口でお喋りが下手だとは限らない。夫の中にもお喋りの夫はいるし、会話を盛り上げていくのが巧い夫だっている。しかし、そういう夫の方こそが妻にとっては危険なのだ。典型的な男性脳を持っていれば、予測可能な行動を取ってくれるのだが、解り易い男性脳として成長していないために、妻の方がそれに応じた対応策を持たねばならぬのだ。

①喋りすぎの夫

 最近の若い女性では、好きな男性のタイプというのが、お笑いブームの影響を受けて、「話が面白い人」というのが必ず上位に上がってきている。しかし、話が面白いというのは、実際にあった話に脚色し、嘘のような話をしてくるからこそ面白いのであって、そういう話し方をしてくる男性を夫にしてしまうと、喋っているのに、本当のことを言わないし、重要な話をなかなかしてこないのだ。本当に困り者になってしまうのである。

 日本全国では大阪府出身の男性はお喋りが得意だが、しかし、大阪府では離婚率が非常に高いのだ。これは夫婦で話し合って笑わすことはできても、そういう話し方をしてしまうために、夫婦がその夫婦にとって真剣な話し合いをする機会を奪ってしまうからなのだ。妻が真面目な話をしようとしているのに、夫が「なんでやねん」と突っぱねてしまえば、それ以降、真面目な話などできなくなってしまうものなのだ。お喋りの巧い男性は喋る量が大いにも拘わらず、表面的な付き合いしかできなくなってしまうものなのである。要は夫の方が妻の話をきちんと聞いていないために、夫婦の関係を深めていくということをしていないのだ。

②結婚後豹変してしまう夫

 結婚後豹変してしまい、結婚前はあんなに優しかったのに、結婚後は冷淡になってしまう夫というのは居るものだ。こういう男性は男性脳が必要以上に発達してしまったのであり、獲物を獲得することに関しては意欲を燃やすが、獲物を手に入れてしまうと意欲が消え去ってしまうのだ。妻が夫に優しさを要求しても、「釣った魚には餌をやらない」というのがその夫のモットーなのだ。

 この手の男性も人間関係を深めていくというのが非常に苦手なのだ。性愛に関しても、女性をベッドに連れ込むテクニックは上手なのに、性愛術を駆使して、その女性に性の悦びを最大限与えるということができないのだ。こういう夫に対しては、妻は「結婚したとしても、私はあなたの所有物ではない!」という態度を取り続け、夫に緊張感を与え続けることだ。

③すぐに喧嘩腰になる夫

 結婚すれば夫婦喧嘩は起こるものだが、可能な限り夫婦喧嘩が起こることを抑えていくことだ。しかし、妻がそういう手段を駆使しても、最初っから喧嘩腰で居続けている夫には無意味なのだ。夫が喧嘩腰であるなら、その妻に対してだけ喧嘩腰になっているのではなく、誰に対しても喧嘩腰になっているのだ。こういう夫は自分の両親が喧嘩をしまくってきた光景を見続けてきたたために、それを大人になってから手当たり次第に再現してしまうのだ。

 こういう夫に対しては、妻がいくら話し合ったとしても無駄なのである。最後には必ず喧嘩になってしまうからだ。それゆえ、まずは兵糧攻めで相手を挫いていくことだ。夫に出す料理は、「徹底して塩分を控え目にすること」「精白穀物を食べさせないこと」「肉料理を控えること」「ヨーグルトを食べさせること」「お酒を飲まさせないこと」、この4つを守っていれば、夫の喧嘩腰も多少は緩和されることだろう。

●自分の姿は他人から見えない

 結婚をしていく上で、最大の危険性は、結婚して様々なことが起こり続けるために、結婚の目的である「配偶者や子供たちに幸せを提供し続けること」を忘れてしまい、些細な事柄に拘泥してしまうことにあるのだ。妻が自分のことをいくら「正しい!」と思っても、夫や子供たちに幸せを与えられなければ、その正しさは絶対に間違っているのだ。

 家事をこなしていく中で、育児をこなしていく中で、自分が見えていないのだ。自分の姿は相手からしか見えないのだ。自分だけが見えないのだ。それゆえ、結婚していて、夫や子供たちが異常な行動を取りだしたら、自分が何か異常な行動をし続けたからだと思った方がいいのだ。妻としての鏡は常に夫であり、母としての鏡は常に子供たちなのだ。

 だから、夫から何か言われた時は、謙虚に成って素直に聞くことだ。冷静に考えてみれば、夫はそうとやかく何か意見を言ってくるわけがないのだ。何か重要な問題があるからこそ、無口な夫が敢えて意見を述べてくるのだ。その意見を無視してしまうと、夫の方は今後何も意見を言わなくなってしまい、夫婦の会話が途絶してしまうことになってしまうのである。

 夫婦で話し合ったとしても、ただ単に情報交換に終わっていては、ただ単に意思の疎通が図れたことにしかならない。夫婦で話し合った以上は、その話し合いの結果を出す努力を決して怠らないことだ。家事で何か問題があったら、すぐさま解決してしまう。育児で何か問題があったら、すぐさま解決してしまうことだ。そうすれば夫婦双方にとって、不要なストレスを受けなくなるのだ。

 妻が夫の話を聞くことができれば、夫婦間の問題の8割は解決できてしまうものなのだ。それなのに夫婦のいざこざが絶えないのは、それだけ多くの妻たちが夫の話を聞いていないということなのだ。離婚やDVシェルターは夫婦の問題の根本的解決にはなっていないのだ。それは問題から逃避したことでしかないのだ。

 人間の顔には口は1つだが、耳は2つついているのだ。自分が話す量の2倍は他人の意見を聞かねばならぬようにできているのだ。その原理原則を無視して、他人の意見を聞かず、自分が意見だけを喋りまくっていては、結婚も育児も失敗するし、仕事だって失敗するものなのだ。結婚して幸せになりたいのなら、夫の話を聞く。育児で幸せになりたいのなら、赤ちゃんの言っていることに耳を傾ける。これができれば自然と幸せになっていくものなのだ。

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不機嫌な新米ママへの対応策

●忍耐力がないからこそ、育児をしているのに不機嫌になってしまう

 育児ストレスが発生している時は、その育児ストレス自体が問題なのではなく、実は妻として、母親として、考え方が大きく変わっていく大事な時期なのである。ここで巧く自分の考え方を変えていかないと、育児ストレスどころではなく、夫とトラブルを抱えてしまうし、赤ちゃんに対してすらトラブルを抱え続けてしまい、結婚や育児が破綻してしまいかねないのだ。

 育児ストレスを問題視してくる学者たちは、育児ストレスだけに注目してしまうし、政府が育児支援に乗り出すと、新米ママへ育児に負担がかからないようなサポートをし出して、肝心の新米ママが考え方を変え、精神的な成長を成し遂げさせるということを不可能にさせてしまうのだ。このために、「妻らしくない妻」「母親らしくない母親」たちが続出してまい、平気で離婚するわ、平気で育児放棄をしてしまうのだ。

 育児をしていて、育児ストレスで一杯になり、いつも不機嫌でいる新米ママは、自分が今までの考え方を変えず、精神的に成長していないことを素直に認めた方がいい。育児というのは、自分が考え方を変えてしまうと、楽しいことばかりになってしまい、育児を通じていくらでも精神的に成長していくことができるのだ。

 もしも、そういうことができないのなら、要は「忍耐力不足」なのである。自分に忍耐力がないからこそ、通常の母親たちなら耐えられる育児でも、すぐにギブアップしてしまうのだ。この忍耐力がない母親たちの特徴は、お肌に張りや艶がなく、筋肉が弱く、何事にたいしても神経質だということである。肉体が貧弱なために、忍耐力が不足してしまっているのだ。

 通常、女性が出産すると、お肌に張りが出て来て艶で光り輝くものである。育児をすれば動きまわらねばならないし、授乳で母乳が大量に出まくり、体内の余分なエネルギーが燃焼し、余分な水分が出て行くので、お肌に張りが出て、艶が出て来るものなのである。これが起こらないというなら、その新米ママは「副腎の弱体化」が起こっているのだ。副腎は副腎皮質ホルモンを分泌して、ストレスに対抗できるようにするので、この副腎が弱ってしまうと、副腎皮質ホルモンが分泌されないために、ストレスに対抗できなくなり、お肌に張りと艶が消えてしまうのだ。、

 家事が電化される前は、家事というのは重労働だった。そのために家事をしていれば充分な筋肉がついたものだが、現在では家事の大部分が電化されてしまったために、家事をしても筋肉がつかないのだ。そのために、足の筋肉や背筋や腹筋といった筋肉が衰えてしまい、育児に対して忍耐をすることができなくなってしまったのだ。少し育児をやらしても、疲れきってしまうほどの、貧弱な筋肉しか持ち合わせていないのだ。

 神経質な女性は、とにかく「食後の食休め」というものをせず、食事を食べ終えたら、すぐさま次の行動に移ってしまうものだ。食後すぐに動くと、胃に血液を集中させて食事を消化していくことができず、胃が傷んでしまうのだ。そのため胃が病的になってしまい、それはそのまま神経質となって現れてきてしまい、育児に至る場面で神経質になってしまうのだ。

●温冷水浴

 忍耐力がないというのは、「副腎の弱体化」「筋肉の弱体化」「胃の弱体化」の三つが相乗効果を起こすからこそ、忍耐力が低下していってしまうのである。だったら、これら三つの弱体化したものを、強化していけばいいのだ。そうすれば、忍耐力がつくようになり、育児ストレスに耐えうる体になることができるのである。

 まず、副腎を鍛えるためには、「温冷水浴」をすることだ。夜のお風呂で充分に体を温めてから、冷水を全身にかけると、副腎が鍛えられることになるのだ。できれば、頭部に冷水をかけてしまうと、より効果が出て来る。副腎は体にストレスがかかると、副腎皮質ホルモンを大量に分泌していくことができるので、この温冷水浴こそ手軽に体にストレスをかけさせ、副腎から副腎皮質ホルモンを大量に分泌させることができるのだ。

 温冷水浴をやると、ブヨブヨとしていた体が引き締まり、体重も適正体重へと落ちて行く。産後に太ってしまった新米ママとしては有難いものになるのだ。しかも、肌に張りが出て来て、艶も出て来るので、自分の姿を鏡で見れば、自分は健康なんだなというのが一発で解るようになるのだ。肌の張りと艶こそ、副腎が正常に作動している証拠なのである。

 人間にとって気温の寒暖差こそ最適のストレスになるのだ。それゆえ、夏になったら可能な限り冷房をすることは避けて、団扇で済ますべきなのである。せいぜい扇風機までが限度なのだ。夏の間に、夏の暑さのストレスを充分に受けていないと、副腎が弱体化してしまうのだ。夏の暑さ対策のためには、午前中に厚着をしてウォーキングをしてしまい、汗を流してしまうことだ。午前中に汗を流してしまうと、体内の余分な水分が出て行ってしまうので、それ以降は涼しく過ごせるようになるのだ。

 冬は雪でも降らない限り暖房を使わないことだ。温冷水浴をしていると、体がポカポカになるので、氷点下の寒さに成らない限り、暖房を必要としない体になるのだ。もしも、雪が降ってきたのなら、暖房をつけてもいいが、その際でも外出を可能な限りして、冬の寒さに体を晒すことだ。冬季にできるスポーツはいくらでもあるし、その中でも寒中水泳は副腎を最大限に鍛えることができるのだ。

●軽ジョギングと筋肉トレーニング

 育児ストレスで不満タラタラになってしまう新米ママたちは、とにかく体に筋肉がついていない。特に「足腰」「腹筋」「背筋」に悲しいまでに筋肉がついていないのだ。そのため、育児ストレスがかかってしまうと、頭部に血液が集中してしまい、それで頭が重たくなってしまい、脳の機能が低下してしまうのだ。要は、頭を使っている際に、それを支える筋肉がないために、僅かな育児ストレスにすら耐えきれなくなってしまっているだけなのだ。

 足腰の筋肉を衰えさせないためにも、とにかく日々のウォーキングを欠かさないことだ。ウォーキングこそ、足腰の筋肉を鍛えることになるからだ。だが、足腰の筋肉が少ない女性はそれだけでは足りず、軽ジョギングをして足腰を鍛えていくことだ。軽ジョギングは速度の速いものではなく、スピードの遅いジョギングでいい。軽ジョギングを30分以上行うことだ。これを週に2回から3回やればいい。育児をしていると、赤ちゃんから離れて、軽ジョギングをする時間を取りにくいものだが、例えば朝早く起きて、夫と赤ちゃんが寝ている間に軽ジョギングをしてしまえばいいのだ。軽ジョギングをすると血行が非常に良くなり、足腰にしっかりとした筋肉がつくようになるのだ。

 忍耐力のない新米ママは、悲しいまでに腹筋と背筋に筋肉がついていないのだ。それゆえ、筋肉トレーニングで、腹筋と背筋を鍛えていけばいい。腹筋は最低でも100回やって鍛えることだ。背筋も最低でも100回やって鍛えることだ。最初の頃はこの回数すらもできないが、挫折せずに行い続けることだ。筋トレは毎日やってしまうと、逆に筋肉がつかなくなるので、週に2回か3回のペースをきっちりと守ることだ。忙しい時は週に1回で充分である。但し、1回で行う筋トレの量を多くすればいいのだ。

 筋肉というのは使わなければ衰えるので、日常生活で筋肉が落ちるようなことはしないことだ。例えば、歩いていける範囲なのに、自動車を使わないことだ。自動車を使わず、赤ちゃんを連れて歩くだけでも、筋肉が使われることになり、充分な筋肉がついていくものなのだ。自動車に乗っている新米ママが育児ストレスでダウンしているなら、それは自動車の乗り過ぎで足腰の筋肉が弱っているからなのである。

 赤ちゃんを「おんぶ紐」でおんぶしてしまうと、それだけ適度な筋トレになり、筋肉がついていくことになるのだ。赤ちゃんを抱っこすることを繰り返していくと、腕に相当な筋肉がつき、タフな女性になっていくものなのである。買い物の際、買い物袋を持つだけでも、結構な筋トレになるのだ。こういう育児や家事で自分の筋肉を使える場面があるなら、積極的にそれを行って、筋肉を鍛えていくことだ。

●食事パターンを変更する

 忍耐力不足で神経質になっている新米ママは、食事の取り方が完全に間違っているのだ。朝っぱらから大量の食事を摂取しないことだ。朝は排泄の時間帯なので、排便を優先させ、排便が終わるまで、絶対に朝食を食べないことだ。朝から大量に食べると、胃に物凄い負担がかかるので、どうしても神経質な女性になってしまうのだ。また、昼食や夕食の後には、必ず食休めをし、体を動かさず、血液を胃に集中させるようになしないと、胃が傷んでしまい、それで神経質になってしまうのだ。

 それゆえ、食事の重点を昼食と夕食に移し、朝食を軽くしてしまうことだ。朝は食事よりも排便を優先させることだ。とにかく排便をしない限り、絶対に朝食を取らないことだ。しかも、朝食は「フルーツ朝食」にしてしまい、胃に負担がかからないような軽い食事で済ましてしまうことだ。因みに、フルーツを食べても胃を素通りしてくれるので、胃に一切の負担がかからないのだ。仕事柄、どうしても朝早くから働き、朝食を食べざるをえない新米ママは、「オカユ」にするとか、「オートミール」にするとか、「黒パン」を一切れにするとか工夫して、朝の時間帯に胃に負担がかからないような食事にしてしまうことだ。

 食事は昼食と夕食で本格的な食事をすればいいのであって、食事を食べ終わったら、絶対に食後の食休めを行い、できれば昼寝や夕寝をしてしまい、胃に血液を集中させることだ。これをするだけで、胃は活発に活動することができ、胃が健康的に成り、神経質な自分とオサラバすることができるようになるのだ。

 女性はとかくオヤツが好きなものだが、午後3時から午後5時あたりのオヤツは絶対にやめた方がいい。この時間帯は昼食で食べた物の中で内臓が炭水化物の消化を終え、脂肪と蛋白質の消化に移ろうとしているので、この時間帯にオヤツを食べてしまうと、再び炭水化物の消化に移らねばならず、胃が休むことなく働き続けねばならず、胃が疲労しきってしまうのだ。そのために神経質になってしまうのだ。

 これは夜食も同じことであって、夕食を食べて数時間経った後にお腹がすいたのなら、それは炭水化物の消化が終わり、脂肪と蛋白質の消化に移ったことなので、夜食を食べてしまえば、再び炭水化物の消化に当たることになるので、胃が疲れきってしまうのだ。夜食を食べると太ると言われるのは、食べた夜食を消化吸収しても使い道がないし、しかも、夕食時での脂肪と蛋白質の消化が後回しにされるので、それが脂肪へと変わっていってしまうからなのだ。

 育児ストレスは忍耐力不足から生じてくるものだが、それでも温冷水浴で副腎を鍛え、軽ジョギングや筋トレで「足腰」「腹筋」「背筋」を鍛え、食事パターンを変えて胃に負担にならないような食事をとっていけば、忍耐力はついていくものなのだ。忍耐力がついてしまえば、育児ストレスはどこかに吹き飛んでいってしまい、それと同時に自分の考え方を変えていくことができ、「妻らしい妻」「母親らしい母親」に成長していくことができるようになるのである。

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家の中が汚いと、育児が巧くいかないもの

●家庭内の汚さは、育児を台無しにする

 育児ストレスで一杯になっている新米ママはとにかく家庭の中が汚い。掃除をきちんとしていないからこそ、赤ちゃんがすぐに病気に罹り、要らぬ負担を強いてしまい、ただでさえ育児で大変だというのに、更に大変にさせてしまうのだ。生活をしているなら掃除は不可欠な行為である。育児をしているなら尚更のことだ。人は生きていれば、家の中を汚してしまうものなのだ。だから日々せっせと掃除をして奇麗にし続けなければならないのだ。

 新米ママが掃除をしなければ、家庭の中が汚くなるだけでなく、家庭内が物でゴチャゴチャになるものだ。家庭内がゴチャゴチャであるなら、その新米ママの頭の中もゴチャゴチャになってしまうのだ。育児をしていく上で的確な判断ができなくなるし、無用な邪念が浮かんでしまい、至る所でトラブルを起こしてしまうようになるのだ。

 家庭内の汚さは、育児を台無しにする。育児が失敗続きだから、家庭内が汚くなってくるのではなく、掃除をしないために家庭内が汚いからこそ、育児が失敗続きになってしまうのだ。家庭内の汚さは、育児が巧く行っていない証拠と見ていい。家庭内でゴミが散乱している姿こそ、自分の育児の姿なのだ。

 新米ママが掃除によって体を動かすことは、新米ママにとって適度な運動になり、エネルギーを燃焼させていくことになる。特に女性の場合は、スポーツで体を動かすことよりも、家事ののような体の動かし方の方が、エネルギーを燃焼させ易いのであって、余分なエネルギーが燃焼してくれれば、安全な母乳を出せるようになるのだ。

 食事を大量に食べるくせに、体を動かさなければ、余分なエネルギーが燃焼してくれないために、危険な母乳を出してしまうことになるのだ。そのため、危険な母乳を飲んだ赤ちゃんが体調を悪化させてしまい、病院通いの毎日になってしまうのだ。母乳を飲んでいるなら、赤ちゃんはそう滅多に病気を起こさないものだが、その赤ちゃんだって危険な母乳を毎日飲まされれば、病気になってしまうものなのだ。

●夫婦関係が悪化する

 家庭内の汚さは、育児の悪化だけをもたらすだけではない。家庭内が汚ければ、夫婦関係が悪化していくものだ。夫は結婚していても、家庭に長居しているわけではないのだ。平日は夜から朝にかけてしか居ないものだ。仕事で疲労しきって帰宅したというのに、家庭内が汚ければ、夫は仕事での疲れを取ることができないのだ。疲労を残したまま出勤せざるをえなくなり、徐々に妻に対して不満を抱え込むようになっていくのだ。

 結婚しているなら、夫婦で話し合うべきことはたくさんある。それなのに妻が掃除をしていないために、居間が汚かったら、きちんと夫婦で話し合うことができるだろうか? きちんと掃除され、奇麗な居間なら会話が弾むが、掃除をせず、汚い居間なら会話は行われなくなるものだ。

 テーブルに物がたくさん置いてあれば、いくら夫婦が話し合ったとしても、会話は噛み合わず、相手を非難するだけの話し合いになってしまうことだろう。もしも、居間の照明が蛍光灯なら、互いが緊張しきってしまい、落ち着いた会話などできず、いずれ感情を爆発させ、激怒するようになってしまうことだろう。

 寝室を掃除せず、汚いままなら、通常の夫婦なら得られるだろう「愛の営み」ですら、得られなくなってしまうことだろう。寝室は広めの部屋の方が回数が多くなるものだし、ベッドは柔らかいよりも硬い方が、妻にとってはオルガズムに行きやすくなるものなのだ。寝室は睡眠を取る所だから、物をゴチャゴチャと置かず、スッキリにしてしまった方が、熟睡を取ることが可能になるのだ。

 うちの夫婦はどうも夫婦喧嘩の回数が多いと思うなら、まずは家庭内の汚さを疑ってみることだ。掃除をしていない妻が、夫を大切にするわけがないのだ。夫の方も、掃除という妻がやるべき家事を放棄しているなら、妻を大切にするわけがないのだ。夫婦喧嘩をなくしたければ、とにかく掃除をすることだ。掃除をして家庭内を奇麗にしてしまえば、夫婦双方、相手を罵るというようなことはなくなるのだ。

●収支が悪化する

 新米ママが掃除をしなけれな、育児や夫婦関係だけでなく、家族の収支が悪化することになる。家の中が汚くしている既婚女性が、家計簿をつける筈がないからだ。家族の経済活動には。「稼ぐ」「使う」「貯める」の3つの動きしかないのだ。そのうち夫は「稼ぐ」ことに専念しているから、妻は「使う」と「貯める」に専念すべきなのである。それなのに家計簿をつけないでいたら、夫がいくら働いて稼いでも、妻が巧くお金を使えないから、いくら働いても豊かな生活ができないし、妻が巧くお金を蓄えないから、いくら働いても資産が形成されないのだ。

 妻が掃除をしないということは、どこにお金を使えば最大の効果が出、どこのお金を削減すれば、無駄な出費を抑えることができるというのが、全く解らなくなってしまうのだ。夫が失業者でもない限り、いくら低所得であったとしても、それで生活できるお金は充分にあるものなのだ。それなのに妻が家計を管理しないばっかりに、貧乏を強いられてしまうのだ。貧乏人はこの世に貧富の格差があることを非難してくるが、貧富の格差はいつの時代でもあるものなのだ。貧富の格差など自分たちの貧乏に関係のないことなのだ。家計簿をつけず、家計を管理しないからこそ、無駄な出費が出まくっているのであり、それこそが貧乏の原因なのである。

 妻が掃除をしなければ、豊かになるための必要な出費をしなくせに、不要な物を溜め込んでいくことになるであろう。豊かな生活を送るためには、不要な物を捨てるということが解っていないのだ。その物が骨董品でもなければ、家財道具というのは、時間の経過とともに劣化していくものなのである。不要な家財道具を溜め込むよりも、不要な家財道具を捨ててしまい、シンプルな生活を心掛けた方が、豊かな生活を送れるものなのだ。

 夫が稼いできたお金をすべて生活費に回してしまうのではなく、収入の2割を天引きしてしまい、それを貯金へと回してしまうのだ。貯金が或る程度の金額になったら、株式投資や不動産投資に回して、資産運用を行っていくべきなのである。また、生活費に回した分も、すべて使い切ってしまうのではなく、繰越金を残して、来月に回せるようにし、家計を安定化させていけばいいのだ。

 家計簿をつけてしまえば、どこで無駄遣いしているか一発で解ってしまうものなのだ。例えば、照明をつけっぱなしにしないで、小まめに電気を消していくと、結構な節約になるのだ。食器を洗う時は、冬以外はお湯を使わなければ、ガス代の節約になるのだ。携帯電話では絶対に長電話をしない。こういうことを積み重ねていくと、一つ一つは小さな金額であったとしても、合計してしまえばかなりの金額になるし、それが1年間経過すれば、結構な金額になるものなのである。こういうことを行っていくと、家計は豊かになっていくものなのである。

●掃除こそお金持ちの始まり

 結婚当初はどこの夫婦も貧乏なものだ。逆に結婚を豊かな状態から出発してしまうと、お金の威力が解っていないから、いつまで経っても家計簿をつけることをしないのだ。だからこそ、高額な収入があるのに、貧乏を強いられてしまうのだ。新婚当初の夫婦が貧乏であるというのは、寧ろラッキーなことなのである。貧乏だからこそ、お金の威力を知ることができ、家計簿をつけて家計を管理して行こうとする切っ掛けになっていくからだ。

 結婚してただでさえお金がないのに、そういう時に限って赤ちゃんが生まれるものだ。そしてより出費がかさむのだ。人間が豊かになっていくためには、プラスだけ集めても豊かになれないものなのだ。育児にはお金がかかるというマイナスを背負い込むからこそ、夫は全力投球で働き出し、収入が急上昇していくものなのである。

 いくら高収入であったとしても、子供がいなければ、その夫婦はその代で終わりなのである。子供を作らずに豊かになったとしても、それは本来なら養育費のためにかかる費用を、自分たちのために使ったという反則技で豊かになったにすぎないのだ。豊かさとは、「人」「物」「金」の三つが揃わなければ、本当の豊かさではないのだ。お金だけ集めても、それは守銭奴にしかすぎないのである。

 結婚し出産したのなら、早い段階で「掃除の重要性」に気づくことだ。家の中が清潔だからこそ、結婚も育児も巧く行き出すのである。その家の妻がせっせと掃除をし、家庭の中を奇麗にしているなら、その夫がいつまでも低所得で居続けることは有り得ないのだ。必ず出世し始め、高額の収入を稼ぎ出すようになるものなのだ。家庭内が奇麗であるなら、夫婦の会話が弾むものだから、結婚してもいつまで経っても夫婦仲が良い状態で居られるものなのだ。

 赤ちゃんも家庭内が奇麗であるなら、スクスクと成長していくことができるようになるのだ。赤ちゃんが不要な病気に罹らなければ、それだけ育児の負担は軽減し、育児は楽しくなっていくものなのだ。新米ママの方も家庭内が奇麗であるなら、思考は明確になっているから、育児に於いて的確な判断が下せるようになるのだ。掃除こそ、幸せな育児の始まりだし、幸せな夫婦の始まりだし、お金持ちの始まりなのだ。

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結婚に於ける「マイナス暗示の法則」と「プラス暗示の法則」

●結婚に於けるマイナスとプラス

 結婚は決してマイナスから始まるものではない。結婚前の恋愛が激しく行われていれば、相当のパワーがあり、勢いづいているものなのである。それが結婚することによって、ガクンと一時的に落ち込んでしまうのである。結婚をすることでかなりのエネルギーをつ使ったので、一時的なマイナスが発生してしまうのだ。多くの夫婦がこの一時的なマイナスに躓いてしまうものだし、しかも出産によって育児が始まるので、そのマイナズへの対処法を巧く取ることができなくなってしまうのだ。

 恋愛のままでは結婚をし続けることはできない。いくら恋愛で盛り上がったとしても、結婚に突入すれば、そのスタート時ではスタートによる損出があるものだし、恋愛とは違う遣り方を習得しなければならないということなのだ。この変更をせずに、そのまま恋愛気分で突入しても、結婚が破綻するのは当然なのだ。

 この世にはプラスとマイナスしかないのだ。結婚にマイナスを掛けるか、プラスを掛けるかで、結婚の命運は決まってしまうのだ。結婚は決してゼロからの出発ではない。かなりのプラスを持った状態から始まるのだ。しかし、その結婚に対してマイナスを掛け続ければ、結婚が破綻してしまうのは当然と言えば当然のことになってしまうのだ。いかにマイナスを減らし、プラスを掛け続けていくかなのである。

 結婚式を挙げたことによってエネルギーを使った以上、その後に運気の一時的な落ち込みがあるし、その上、育児で育児ストレスを抱えまくったら、結婚に対してマイナスを掛けまくっているということになり、結婚が相当にギクシャクし、幸せを感じられず、不幸気味になってしまうのだ。

 いかなるものでも、スタート時にはかなりのエネルギーを食うのであるということ。そして結婚が始まったら、自分の考え方を変え、結婚の仕方をきちんと習得すること。これらのことを知っておき、それらができないと、結婚は惨憺たるものになってしまうのだ。結婚当初はエネルギーを使ったので、一時的に落ち込みがあるということを知っておき、しかも、結婚することによって、結婚が成功するように自分の考えを変え、結婚の仕方を習得していけば、その後に於いて急激な成長を見せることになり、幸福がいくらでもやってくることになるのである。

●マイナス暗示の法則

 人間はマイナス思考に囚われると、マイナスのことを仕出かし、マイナスの結果を出してしまうのだ。それゆえ、マイナスの暗示にかかってしまうと、プラスの方向に努力をするのではなく、マイナスの方向に向かって努力をし始めるのだ。幸せを作り出すのに努力は必要であるが、だからといってマイナス方向に努力していたら、マイナスの結果しか出て来ないのは当然のことなのだ。

 結婚前は勝手気儘にお金を使えていたのに。結婚初期にはお金がかなり出て行くものなので、そこで現れる金欠に対して、マイナス思考に取りつかれてしまう危険性があるのだ。しかも、育児が始まると赤ちゃんに付きっきりになり、今まで自分のために自由に使えた時間が赤ちゃんにすべて奪われてしまうことになり、更にマイナス思考に取りつかれてしまうのだ。

 既婚女性というのは、結婚できない独身女性よりも遥に高い地位にあるのに、マイナス思考に取りつかれてしまえば、幸せな結婚も不幸に思えてしまうものなのだ。赤ちゃんがいる新米ママは。赤ちゃんができない不妊症の女性よりも遥に恵まれた状態にあるのに、マイナス思考に取りつかれてしまえば、幸せな育児ですら不幸に思えてしまうのだ。

 いかに物の考え方が大事かというのが解る。自分の考えを頑なに変えないのではなく、結婚すれば結婚が巧くいくように自分の思考を変え、出産すれば育児が巧く行くように自分の思考を変えていく柔軟性がなければ、幸せな筈の結婚も育児も不幸としか思えなくなってしまうのだ。人間の思考というのは、それほど優れたものではないのだ。環境が変わっても、自分の考え方を変えずに、環境適応できず、自分が勝手に不幸だと思い込んでしまうことだってあるのだ。

 「結婚に対してネガティブな考えを持っている人とは付き合うな」と言われるのは、人間の思考はそれほど頑丈にはできていないために、ネガティブな人々と付き合っていると、自分もそのマイナス思考に伝染してしまい、どっぷりとマイナス思考に取りつかれてしま、結婚や育児を最悪な状態にまで持って行ってしまうからなのだ。

●プラス暗示の法則

 人間はプラス思考を持ててしまうと、プラスの行動を取り始め、自然とプラスの結果を出してしまうものなのだ。努力をする際には、その努力がプラスに向かって努力をしているのか確かめてから、努力を開始すべきなのである。不幸になるための努力など決してすべきではないのだ。

 結婚初期に現れる一時的な金欠に襲われたのなら、今までのようにお金を自分勝手に使ってはいけないのだということに気づき、家計簿をつけてお金の流れを管理するという考え方の変更が求められるのだ。赤ちゃんが生まれたら、今までのように時間を自分のためだけに使ってはいけないのだということに気づき、時間の管理をしっかりと行い、無駄な時間を削減して、テキパキと家事をこなし、育児に可能な限り時間を投入してあげなければならないのだ。

 結婚は誰でもできると多くの人々が思い込んでいるために、様々な見解を結婚に対してぶつけてくるのである。ただ、それらの結婚は大きく分けてしまえば、たった2つしかないのだ。それは結婚を肯定的に捉えている発言か、結婚をネガティブに捉えている発言かの、どちらかなのだ。結婚を肯定的に捉える発言する人々は、結婚に於ける変化の重要性が解っている人々であって、結婚に対してネガティブな発言をする人々は、結婚に於ける変化の重要性が解っていない人々なのだ。

 結婚したのなら、すべての既婚女性と仲良くなるのではなく、結婚で成功している人々と付き合うことだ。結婚で成功している人々は、結婚することで自分の思考を変え、行動を変えたからこそ、成功していったのだ。そういう人たちと一緒に居れば、自然とプラスの暗示にかかり易くなり、自然と考え方や行動が変わり、結婚で成功し易くなるのだ。

 家計簿をつけずに、金欠で苦労している既婚女性よりも、家計簿をつけて、経済的余裕のある既婚女性と話していた方が、楽しいものである。赤ちゃんが生まれたというのに、時間管理をせずに、自分の時間がないとほざいている母親よりも、時間管理をしっかりと行い、育児に充分な時間を投入している母親と一緒に居る方が楽しいものなのである。

●人間の驚くべき能力

 人間はプラスのものをプラスと受け止め、マイナスのものをマイナスと受け止めているだけではないのだ。人間の驚くべき能力の一つは、マイナスをプラスに変えることなのである。マイナスをプラスに変えることで、大きな飛躍を成し遂げるという偉大なる能力を持っているのだ。

 結婚の初期に金欠に見舞われれば、家計簿をつけて、お金の流れを管理する。そうしてしまえば、金欠は解消され、結婚前とは比べ物にならない位に裕福になっていくものなのである。育児をすれば、赤ちゃんのために時間が大量に取られてしまうのは、当然に起こりうる事態である。だからこそ、時間管理をしっかりとするようになり、時間の大切さが解るようになり、テキパキと行動することができるようになるのだ。だからこそ、赤ちゃんを育てた母親たちは、未婚女性に比べると、比べ物にならない位にテキパキと行動することができるようになるのである。

 神は永遠不変のものであっても、人間の思考は永遠不変のものではない。自分の思考というものは、いくらでも変わっていくことができるものなのである。そして、古くなった既成概念を捨て去った時に、自分の人生は開けるものなのである。物の見方を変えると、全く違った景色が見えてくるものなのだ。

 結婚したのに、独身の頃の考えのままで、結婚生活を見てはならないのだ。出産したのに、未妊の頃の考えのままで。育児生活を見てはならないのだ。もしもそんなことをすれば、結婚も育児も悲惨となり不幸にしかならなくなってしまうものなのだ。結婚すれば自分の考えを変え、結婚が幸せになるような考え方をすべきであり、出産すれば自分の考えを変え、育児が幸せになるような考え方をすべきなのである。

 他人を変えることはできない。過去を変えることもできない。しかし、物の見方を変えると、自分も未来も変えることができるのだ。自分の考え方を変えてしまえば、現実は全く違ったものに見えてきて、確実に自分の未来も変わっていくのだ。自分の考え方を変えなければ、マイナス暗示の法則によって、マイナス方向へと追いやられていくのだ。しかし、自分の考え方を変えてしまえば、プラス暗示の法則によって、プラスの方向へと突き進んでいくのだ。

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