●どうして働けども貧乏になっていくのか?
俺が子供の頃に住んでいた場所は、高度経済成長の時期に急造された新興住宅街だったので、主婦といえども働かないわけにはいかなかった。住宅ローンを支払わねばならなかったので、大抵の既婚女性たちは働いていた。しかし、俺の母親は病弱で労働することに耐えうる体力を持っておらず、しょうちゅう病気で床に伏せっていたので、働きに出ることができなかった。
俺は余所のお母さんたちは働いているのに、自分の母親が働いていないことになんとなく後ろめたいものを感じていた。しかも、それに追い打ちをかけたのが、学校での社会科の授業で、担任だった女性教師が、「あなたのお母さんの仕事はなんですか?」というのを聞き出したことだ。今から考えてみると、「あなたのお父さんの仕事はなんですか?」なら質問の意図が解るが、「あなたのお母さんの仕事はなんですか?」はないだろうと思う。日教組の組合員であり、社会主義に洗脳されていたその女性教師にとっては、母親といえども労働しなければならないと思い込んでいたのであろう。
他の生徒たちが自分の母親の職業をテキパキと答えて行き、結局、最後は俺一人だけが残ってしまった。女性教師に指されたので、仕方なく立ち上がって、「俺の母親は無職です」と答えざるを得なかった。すると、他の生徒たちは唖然として、「なんで働かないの?」とか、「お金は大丈夫なの?」と心配せんでいい心配をしてくれたのだ。俺の回答はその女性教師にとって心外だったらしく、俺はこの女性教師からたびたびイジメを受け、散々に暴力を受けまくってしまった。小学1年生から4年生の時まではこの女性教師が担任だったので、小学5年生の時に担任が変わってくれた時は本当に嬉しかった。
小学5年生の時に、友達同士でサイクリングに出かけたのだが、たまたまその女性教師の家の近くにまで来てしまった。そこでその女性教師の自宅を探して行ってみると、余りにも殺風景な小さな家があって、俺は本当にビックリしてしまった。俺は家というのは、花が咲いていて木が植えてある庭があって、住宅そのものは人の住んでいる気配があり、掃除が行き届いているものだと思っていたが、その家には全くそういうものがなかったのだ。俺たちは不気味に成って無言になってしまい、不気味な気持ちを残したまま、帰途についてしまった。
その後小学6年生の時に、俺の家族は新しい家に引っ越すことが決まり、今までは違い、より高級な住宅で、見晴らしのいい丘に立つ住宅街に移ったのだ。俺にとっては不思議としかいいようのない現象だった。俺の周りの夫婦は、夫婦共働きで収入が高かった筈なのに、いつまも働けども貧乏のままで、働きもしない専業主婦だった俺の母親の方がお金持ちになってしまったのだ。
●消費こそが豊かさを作り出す
俺は長らくこの疑問に的確な解答を見つけ出すことができなかった。常識的に考えれば、夫婦共働きの方が豊かになる筈だからだ。夫だけが働き、妻が専業主婦になってしまえば、収入面に於いて圧倒的に不利な筈だからだ。しかも、我が家は治療費がかなりかさんだ筈だ。でも、現実では専業主婦の方が豊かになってしまったのだ。
俺がこの問題の解決に糸口を見出したのは、大学で経済学を習った時だ。経済学では生産こそが消費を作り出すと考えるのではなく、消費こそが生産を作り出すということを教えているのだ。但し、俺が通った大学では、経済学者のレベルが低くて、経済学の勉強が思うように進まなかったのだ。俺が経済学のことがちゃんと解ったのは、大学を卒業して、東京大学の教授の小室直樹博士の書物を読んでからだ。
俺の母親は働いていなかったけれど、消費に関しては実によくやっていたのだ。我が家では新聞を定期購読していても、新聞本体を読むのは父親だけで、母親は新聞に入っていたチラシを読みまくって、どの店で安い商品があるかを調べまくっていたのだ。そしてそれから買い物に行っていたのだ。俺の母親には収入がなくても、消費するということに関しては、働いている母親たちよりも遥に勝っていたのだ。
いかに高い所得を得るかで裕福度は決まるのではなく、いかに合理的な消費ができるかで裕福度は決まるのだ。俺はこの逆転の発想に気づくまで、長い時間を要したのだ。男女雇用機会均等法が制定されて以来、日本国民はいくら働けども豊かになれなかった理由はまさにここにこそあるのだ。女性を働かせることで、合理的な消費行動をする専業主婦たちを破壊し続けたからなのである。だからこそ、不況が長引き、日本経済の経済成長が鈍化してしまったのだ。
仕事で合理的な生産をしている者が、消費者の立場に回って、合理的な消費をするかといえば、決してそうではないのである。人間は何か合理的な生産をしてしまうと、非合理的な消費をしてしまうものなのである。働いている男性たちを見れば解るが、稼ぎのいい男性に限って、夜はお酒を飲みまくったり、ギャンブルをやってり、フーゾク嬢と遊んだりするのだ。
●労働の生産性に着目できるか?
嘗て政府は主婦の家事労働を賃金に換算した結果を公表したことがあったが、これほどナンセンスなものはないのだ。なぜなら、主婦の家事労働は消費を担当するものであって、それによって収入を増やすものではないからだ。家事や育児をいくらやったとしても、そこには支出しか存在しないのである。
主婦たちの家事労働で特筆すべきことは、実はその家事労働の生産性の高さなのだ。通常、収入を得るために労働をしてしまうと、1日8時間労働にならざるをえない。このために仕事自体が長丁場になってしまい、誰がどうやろうとも労働の生産性は低くなってしまうのだ。
しかし、主婦の方は家事労働の大半を午前中に終えることができるので、非常に労働の生産性が高い働きをしているのである。「1日8時間労働」よりも「1日午前中労働」の方が、労働の生産性は圧倒的に高くなるものなのだ。だからこそ、主婦が家事をテキパキとこなすことができれば、非常に質の高い消費行動を取ることができ、そのためにその家族が急激に豊かになっていってしまうのである。
人間は午前中の方が高い集中力を発揮してくるので、午前中で1日の労働を終えてしまうべきなのである。生産性の高い労働をしてくるビジネスマンたちは午前中に殆どの仕事を遣り終えてしまい、午後は自由時間に充て、余分な仕事をしているものなのである。それゆえ、テキパキと仕事をこなしてしまうし、仕事で疲れないのだ。
家事をテキパキとこなせるなら、仕事をやらしてもテキパキとこなせるものなのだ。育児を終えた主婦たちがパートに働きに出るものだが、このパートで働く既婚女性たちの労働の生産性は、未婚女性の労働の生産性よりも非常に高いものなのである。1日8時間労働を当たり前にしてしまうと、意外と低い生産性しか発揮できなくなってしまうものなのである。
●貧乏から脱出できる必殺技:「滅私奉公」
人間は若い時は貧乏なものなのである。しかし、人間はそこから抜け出して裕福になっていくのだ。だが、人間が貧乏から奪取していく際に、最大の障害となるのが、実は若かりし頃に身につけてしまった経済観念なのだ。貧乏であるなら、自分の労働を売って、それをお金に買えるという考えしか思い浮かばなくなってしまうのだ。
ただ単に賃金労働者になってしまうと、労務者根性が抜けきらず、いくら仕事を与えても、命令通りの仕事しかできず、覇気に欠け、積極性がなく、仕事に創意工夫をこらすことがないのだ。しかも、労働に喜びを見出さないから、自分の安い給料が気になってしまい、「給料が安い!」だの「資本家から搾取されている!」などと見当違いのことを言い出してしまうのだ。
人間は豊かになりたければ、賃金以上に働きをすることなのである。経営者が支払う賃金レベルの働きや、賃金レベル以下の働きしかしていなかったら、いつまでもウダツが上がらないものなのである。若い時は体力が有り余っているのだから、休む日を極力少なくして、賃金が安くでも不平不満を言わず、骨が折れるような激しい労働に身を投じるべきなのである。そんな労働に従事すれば、きついものではあるが、その仕事を一生懸命にやっていると、いつの間にか実力がついてしまい、高額の所得を得られるような仕事に就くことができるようになるのである。
物事を打算的に考えて、利益ばかり追求するような人々にとって、こういう仕事の仕方は馬鹿らしく映る筈だ。しかし、若い時に低賃金の中で実力を鍛えなかったからこそ、いつまでも貧乏で居続けてしまうものなのである。若い時に高給を貰い、休暇が多いなら、遊び呆けてしまうのは、当然のことなのだ。そうなれば、実力をつけるチャンスを永遠に失ってしまうのだ。
この若かりし頃の正当な労働の仕方を。昔の人々は「滅私奉公」と言った。自分を殺して、公のために働く。自分自身のために働くのではなく、世のため、人のため、お国のために働くということが、若い時分には想像もできないような巨大な幸福をもたらしてくれることになるのである。
●資産収入の爆発的増大力
若い時に染みついてしまう貧乏の考え方の1つに、所得を増やせば豊かになれると思ってしまうことがある。「所得の増加」=「豊かさの実現」だと思うからこそ、結婚して夫婦共働きの形を取ってしまうのである。確かに所得は或る程度までなら、豊かさを作り出してくれる。しかし、それは或る程度までなのである。
お金持ちに成りたければ、「所得ばかり増やそうとしていくな」ということを肝に銘じた方がいい。貧乏から脱出していくためには、或る程度の所得の高さは必要である。だが、そのまま所得を増やしても、それに伴う経費もかかり過ぎてしまい、逆に豊かになれなくなってしまうのだ。
貧乏から脱出するためには、「所得と資産の違いに気づけ」ということなのである。収入を「所得」と「資産」とに分け、所得ばかり増やしていくのではなく、所得からお金を天引きしてしまい、それを資産へ投入していくのである。そして資産を増やしていくのである。こうすると、貧乏が全く消滅し、お金持ちになっていくのである。
働くママたちの最大の危険性は、働いて所得を増やすことに躍起になってしまい、資産を増やすことを忘れてしまうからなのだ。そのため。、所得金額は結構ある筈なのに、いつまでも金欠で苦しみ、貧乏から抜け出せなくなってしまうのだ。その一方、専業主婦なら、この違いに気づくことができ、働いてもいないにも拘わらず、資産を増やしていってしまい、簡単な形でお金持ちになってしまうのだ。
貧乏が染みついてしまい、生活ばかりに追われてしまうと、大事な「投資の法則」が見えてこないのだ。投資の法則とは、「投資で得た利益は生活費にまわさず再投資する」ということなのだ。所得と資産を分離しているからこそ、投資で得た利益を生活費に回すことなく、資産に再投資していくことができ、それによって資産を爆発的に増やしていくことが可能になるのである。
●専業主婦の長所と欠点
専業主婦はフェミニストたちから目の仇にされてしまったので、現在では少数派に転じてしまい、税制上の優遇措置もフェミニズムに汚染された政治家や官僚や女性学者たちによって廃止されてしまった。そのため、この時代に結婚して専業主婦でいようとするのは、非常に後ろめたく、自分の働きが正当化されないという危険な状態であるのだ。
専業主婦は決して無駄飯食いをしているわけではないのだ。主婦業を専業にしているからこそ、家事や育児に充分な時間を回すことができるのだ。家事や育児の巧さは、働いている母親たちとは比較にならないほどの巧さを示してくるのだ。当たり前のことだが、家事や育児に大量の時間を投入している以上、巧くなるのは当然のことなのだ。
しかも、夫婦の役割分担が、夫は「稼ぐ役」、妻は「使う約役」「貯める役」と奇麗に分かれているので、専業主婦であるなら、消費のプロになれるし、お金を貯め込むことによって資産を形成していく易くなるのだ。但し、多くの専業主婦たちは貯金を巧く行えても、株式投資や不動産投資となると、得手不得手が明確になる傾向がある。投資をするためには、本を読んだり、セミナーに行って勉強する必要性があるのだが、遂々この大切な出費を拒んでしまい、投資の技術が上達しないということになってしまうのだ。勿論、必要な出費をした専業主婦は当然に投資の技術を習得することができ、投資で資産を増やしていくことができるようになるのだ。
しかし、専業主婦の欠点は、働いていないために人間関係が狭く世間知らずだということだ。専業主婦たちの不満はすべてここにこそ集中するのだ。女性はとにかく人間関係を重視してくるので、色々な人々と仲良くなってお喋りをしたいという欲望が渦巻いているものなのだ。このため、人間関係が狭いと、どうしても不満を抱えてしまい、その不満の矛先が夫に向かってしまうのだ。
専業主婦は歴史的に見ても特異な存在なのだ。農業や漁業や林業や酪農といった第一次産業に属していれば、専業主婦などできるわけがないのだ。結婚したら、その妻は貴重な労働力として使われるのが当然のことなのだ。専業主婦が現れてくるのは、王侯貴族が登場してからであり、それが庶民階級にも出現し始めたのは、資本主義が発生してからなのである。このため、自分の家系が天皇家や公家や武家に連なっていればいいが、そうでないと専業主婦になろうとしても、その主婦業の仕方が解らないものなのである。専業主婦は誰でもできるものではないのだ。
●兼業主婦の長所と欠点
歴史の流れからしても、女性は結婚したとしても働くというのは当然のことなのだ。庶民階級に属する人々であるなら、働かなければ、日々の生活の糧すら得ることができないのだ。専業主婦と兼業主婦を分けるのは、その個人の考え方の違いなのではなく、あくまでも階級意識の差に基づくものなのである。
既婚女性が結婚しても働くともなれば、専業主婦が抱えるような狭い人間関係になることがないし、労働の喜びも味わうことができるし、所得金額も増えることになる。特に現在のように女性が高学歴化した社会では、女性が結婚後、労働をしないというのは非常な損失になるのだ。教育で投資した金額を遥かに下回る金額しか生み出していないからだ。労働することによって、せめて自分の教育費分くらいは稼ぎ出さねばならないのである。
しかし、母親が働いてしまえば、当然に欠点も出て来る。それは家事や育児に充分な時間を確保できないということなのだ。母親が働いてしまえば、誰かに頼ることでしか家事や育児ができないものなのである。母親が働くための負担を、家族の者や、家族以外の者が負担することによって、やっと働けるものなのである。
更なる欠点は、資産形成に充分な時間を回せないということだ。働く母親たちがいつまでも貧乏なのは、所得金額を増やすことばかりに目を奪われてしまい、そのまま所得金額を増やしていくと、資産は形成されずに、消費金額も増えて行ってしまうという罠に陥ってしまうからなのである。だからこそ、働いているのに、貧乏になってしまうのだ。
兼業主婦であるなら、仕事で疲れて帰ってきたとしても、家計簿をつけて、消費に制限を加えて、資産を形成していく努力を決して忘れないことだ。この作業をやらないと、どうしても消費金額が多くなってしまい、資産形成をするどころの話ではなくなってしまうからだ。いくら働いて所得金額を増やしても、勝手に資産が形成されるということは決してないのだ。
●夫婦の貧困を解決するプライベート会社
結婚しても決して遊び呆けること勿れ。結婚生活の豊かさは、大概、結婚の早い時期に決まってしまうものなのだ。新婚の夫婦が「私達はどんなことがあってもお金持ちになる!」と決断してしまえば、将来、そのようになっていくものなのだ。しかし、結婚生活に浮かれてしまい、何もしていないと、その後の結婚生活がお金に追われるだけの人生になってしまうのだ。
もしも、お金持ちになると決断したのなら、夫婦でプライベート会社を作ってしまうことだ。これは専業主婦であろうが、兼業主婦であろうが全く関係ない。夫婦がプライベート会社を所有することで、貧困を解決していくのだ。会社でやる事業は自分たちが好きな物を選べばいい。グッズを売るのもいい、何かしらのサービスを施すのもいい。土日だけ開くレストランなんてのもいいだろう。
投資専門会社にしてしまうのもいい。こうすると、株式投資や不動産投資で失敗しても、株券だけの損失で抑えることができ、自分たち夫婦の資産には傷がつかなくなるからだ。しかも、家計と投資が完全に分離されているので、投資で儲けたお金を家計に回すという誘惑に囚われることがないのだ。そのために投資で成功したら、資産は爆発的な勢いで増やしていくことができるのだ。
夫婦で会社を所有するということは、夫婦の意識に重大な変化を与えることになる。自分の肩書に「社長」や「専務」といった肩書を使えるようになれば、一介の平凡な主婦に陥らなくて済むようになるからだ。社長や専務であなら、大企業の社長や専務たちと同等の考えを持つことができ、世の中のお金の流れがはっきりと解るようになってくるのだ。人間の思考はその肩書によって決まってしまうものなのだ。
しかも、このプライベート会社があると、必要経費と称して、本来なら家計で処理するお金を使うことができるのだ。言わば、合法的に家計での支出を大幅に削減することができるのだ。例えば、走る税金と言われる「自動車」など、夫婦が所有すべきではなく、会社の所有にしてしまえば、その分、自動車関連の出費がなくなることになり、家計が非常に楽になるのだ。夫婦が会社を持っていれば、こういう芸当がいくらでもできるのである。
●人間の貧富は脳が決めてしまうこと
人間の豊かさや貧しさは、経済システムが決めるものではないのだ。人間の豊かさや貧しさは、人間の脳が決めてしまうものなのだ。人間は若い時は貧乏であるがゆえに、貧乏の考え方に囚われてしまい、結婚してもなかなかその貧乏の考え方が取れないのだ、だからこそ、結婚しても貧乏になってしまうし、会社で働いたことのない学者が「貧富の格差」を唱えてくれば、それに同調してしまうのだ。自分が貧乏なのは決して世の中が悪いからではないのだ。自分が貧乏になるような考え方を持っているからこそ、貧乏になっているだけなのである。
働けば豊かになれるなら、アルバイトをしている若者たちが最も豊かになっている筈である。しかし、現実はアルバイトをしている若者たちこそが貧乏なのである。働くことでお金を稼ぐことはできても、お金持ちになるためには違う方法を取らざるをえないと解った時に、人間はお金持ちになっていくものなのである。
結婚して一体何が本当に面白いかといえば、夫婦が力を合わして、自分たちの貧困を撲滅して、お金持ちになっていくことだろう。夫婦が老年になって自分たちの結婚を振り返った時、その時期が一番面白い時期だったと思うことであろう。それほど夫婦にとって貧乏退治は面白いものなのだ。
結婚してお金持ちになりたいのであるならば、肩肘を張って取り組むのではなく、寧ろ「ゲーム」だと思って取り組んでしまうことだ。夫婦で「億万長者ゲーム」をやっていると思えば、いくらでも楽しいことは見つかるし、笑い声が溢れてくるものなのだ。そのような気持ちで取り組んでいれば、この世の中がいかに不況になろうと、天変地異に襲われようとも、戦争になっても、自分たち夫婦がお金持ちになっていくことには変わりがないのだ。
夫婦の貧富の格差は、「豊かになるための思考ができていない」か「豊かになるための思考ができている」かでの差でしかないのだ。働けば豊かになれるものではないのだ。働くこと以外に、家計の重要性に気づき、所得金額を全額消費に回してしまうのではなく、地道に貯金していき、そして投資していかねばならぬのだ。できれば夫婦でプライベート会社を所有してしまい、自分たち夫婦の家計以外の場所で資産を増やしまくっていくことだ。そうすれば、自分たち夫婦はお金持ちになっていくのだ。
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