赤ちゃんが変というよりも、自分自身が変と気付けば、育児ノイローゼは吹き飛んでいくもの
●母親はみんな同じではない
育児というのは、本来は楽しい筈なのに、それをつまらないと感じてしまい、育児ストレスで一杯に成り、育児ノイローゼになっていくような女性は、常にトラブルの原因を相手に求めるということを繰り返してきたため、育児でのトラブルを赤ちゃんに求めたり、夫に求めたり、姑に求めたりしてしまうのだ。だからこそ、トラブルが発生し、拡大し、収拾が不可能になってしまうのだ。
結婚生活をしている場合、トラブルの原因は他人の中にはないのだ。トラブルの原因は自分の中にこそあるのだ。自分が結婚の仕方が未熟だからこそ、育児の仕方が未熟だからこそ、至る所でトラブルが発生しているにすぎないのだ。他人に責任を求めず、自分に責任を求めることができれば、いかなるトラブルであったとしても、それらは最早、解決への道を歩み始めているのだ。
すべての新米ママたちは、みんな同じような経験をすることで、母親へと成長していくことになる。しかし、だからといって、すべての新米ママたちは平等ではないのだ。それぞれの新米ママたちは、物の考え方も、体つきも、収入も、全く違うものなのだ。たとえ結婚したとしても、或る新米ママたちはその結婚を幸せなものにしてしまい、或る新米ママたちはその結婚を不幸なものにしてしまう。たとえ赤ちゃんがいたとしても、或る新米ママたちはその育児を幸せにものにしてしまい、或る新米ママたちは育児を不幸なものにしてしまうのだ。
平等に取りつかれると、苦しみは大量に発生してくる。無制限に発生してくる。新米ママたち同士で平等というのは存在しないからだ。どの母親たちも日進月歩で育児の仕方を上達させつつあり、時間が経てば経つほど巧くなっていくものなのである。自分だけ平等を唱えて立ち止まっていたら、自分は一向に成長しておらず、それどころか育児の仕方が悪化していくだけなのである。
赤ちゃんの成長は非常にゆっくりとしたものだ。育児というのは、時間をかけさえすれば、どんな馬鹿な女性であったとしても、きちんと対応することができるようになっているのだ。それすらできないということは、赤ちゃんに問題があるのではなく、新米ママ自身にこそ問題があるのである。
●初期抵抗は必ず消滅する
いかなる物事を始めても、必ず初期抵抗を発生させてしまう。例えば、会社を設立しようとすると、資本金を集めて、定款を法務局に提出しさえすればいい。慣れてしまえば、3日とかからない単純な作業だ。しかし、ベンチャー企業の企業家たちは、最初の会社を設立する時は、それこそ何ヵ月も悩み、資本金集めに苦労し、定款を作る作業だけで数週間も要しているのだ。
これが初期抵抗である。慣れた人なら、簡単に行うことができても、最初に始める人にとっては、ありえないような苦労を強いられるものなのだ。しかし、その初期抵抗は経験を積んでいけば消滅していく。最初の会社を設立する時は長い月日をかかったのに、その後、会社経営に成功して、子会社を作り始めると、会社設立を短時間で行えるようになっていくのだ。
結婚も同じだ。育児も同じだ。結婚した当初は、夫婦双方の生活の仕方の違いが衝突してしまい、至る所で問題が発生してくるものだ。一人暮らしをしていた頃では家事の負担など気にしないほどに小さかったのに、結婚してしまうと、家事の負担が非常に大きく感じられてしまうのだ。
育児も最初の赤ちゃんなら、至る所で問題が発生し、赤ちゃんのちょっとした反応で一喜一憂してしまうのだ。第一子であるなら、育児にピリピリするのは当たり前なのだ。新米ママの育児はとにかく危なっかしいし、失敗を連発してくるものだ。新米ママの方も疲労困憊になってしまうものだ。しかし、そういう経験を積んでいくと、初期抵抗が消滅し、育児は楽しいものになっていくのだ。結婚も初期抵抗さえ消滅すれば、後は順調に進んでいくものなのだ。
結婚でトラブルを発生させる女性や、育児でトラブルを発生させる女性は、この「初期抵抗は必ず消滅する」というメカニズムを知らないからこそ、ストレスで一杯になってしまうのである。何事も最初から順調にはいかないものなのだ。しかし、初期抵抗が消滅してしまえば、順調に行き始めるようになるのである。
●知識と知恵の違い
人間の記憶力には限界があるから、いくら知識を詰め込んでも、忘れてしまうものだ。いくら育児本を読んで、育児の知識を蓄えても、実際に育児をやってみると、どうも巧くいかにものだ。頭では解っていても、体がついていかないのだ。何事も経験してみなければ、本当の所は解らないのだ。
それが知識と知恵の違いだ。知識はそもそも経験の中から獲得されたものだ。しかし、経験をしていない人に、いくら知識を授けても、頭では解っていても、本当の意味を解ってはいないのだ。自分は実際にやってみて、悪戦苦闘して、何度も失敗するからこそ、本当の意味が解り、育児の知識を自分のものにすることができるのである。
育児では「習うより慣れろ」ということを地で行った方がいいのだ。確かに最低限の育児の知識を持っていれば、実際の育児では有効だろう。しかし、いくら知識を詰め込んでも、育児を実際にやらなければ、本当のことが解ってこないのだ。事前に育児の知識を知らなくても、実際に育児をやっていれば、なんとなく大事なことが解ってくるものなのである。
知識は経験から作り出される。経験は知識によって変えることができる。だが、その循環で終わってしまうものではないのだ。「経験の奥にあるものが知恵」だし、「知識の奥にあるものも知恵」なのだ。どんなに育児の経験を積もうとも、どんなに育児の知識を持ったとしても、知恵がなければ、その真価を最大限に発揮することはできないのだ。
だから、自分の実母や、夫の義母に、育児の話を聞くことは重要なのだ。できれば、お婆ちゃんたちに話を聞いてみることだ。みんな育児の経験者たちだから、話を聞いているうちに「育児の知恵」を教えてくれるものなのだ。自分が未熟であるならば、教えられたとしても、その知恵の価値が解らないことであろう。しかし、自分の経験値を積んでいけば、「そうか! そうやれば良かったんだ!」と心から解る日がやってくるのである。
●自分が変と気づけば、自分を変えていくことができる
赤ちゃんを出産すれば、自分は母親に変化するし、赤ちゃんを育てていけば、自分は母親として成長していくことだろう。それなのに、自分が独身気分のままなら、育児の現場でいくらでも発生してくることであろう。結婚しているのに、育児をしているのに、自己中心で生きていれば、いくらでもトラブルは発生し、苦しみだらけになってしまうものなのだ。
自己中心の人生から、自分を母親に変化させ、成長させていけば、いくらでも母親として成長していくことができるのだ。そして自分が変わってしまえば、そこからエネルギーが生まれ、今までの自分では考えられないくらいの凄まじい推進力を与えてくれるのだ。母親として進んでいけば、面白いことはいくらでもあるものなのだ。
育児をしていると、自分の赤ちゃんは変なのではないかと思いがちだ。しかし、変なのは母親に成りきれていない自分自身なのだ。赤ちゃんには何も変な所がないのだ。自分が変だと気づけば、自分を変えていくことができるのだ。古い自分を捨て、新しい自分になってしまえば、新しい世界は広がってくるものなのだ。
出産や育児は、既婚女性を変えてしまうものなのだ。赤ちゃんを産んでしまえば、最早、後戻りはできないのだ。しかし、第一子目ではその変化を素直に受け止めることができないのだ。自分が一人黙々と育児をしているのに、自分の友達が独身生活を謳歌していれば、自分の心は決して落ち着かないことだろう。出産の喜びや育児の喜びは、結婚せず独身を貫いては得られないものだと解るその日まで、育児でのトラブルは続くのだ。
第一子目は育児の喜びよりも悪戦苦闘の思い出の方が多いものだ。だが、自分が人生を振り返った時、あの時こそが今までの人生の中で最も人生が充実していた時なのである。だからこそ、どの母親たちも「最初の赤ちゃんは特別」という感想を述べて来るのである。そして、もっと育児の喜びを味わいたいから、第二子、第三子と産んでいくのである。そうやって、育児の喜びが益々大きくなっていくのだ。
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