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2009年8月

家運は盛衰を繰り返す

●家運の興隆と衰滅

 人間は決して単独で生きているわけではない。家系の流れの中を生きているのだ。人間の命は繁栄するようにできている。男性が出す精子も、女性が出す卵子も、常に必要以上の量が出ており、もしもそれをすべて生かしてしまえば、無数の赤ちゃんたちが生まれて来ることだろう。

 勿論、どの夫婦にも経済力の限界があるから、育てられる子供は限られてくる。しかし、その家族が興隆期にあれば、1人や2人しか産まないということは絶対にないであろう。必ず3人以上産むし、そうやって親の数よりも子供の数を増やしていけば、その家族は自然に繁栄していくことになるからだ。

 だが、すべての家族が繁栄し続けるわけではない。人間は豊かに成り過ぎてしまうと、人間は繁殖しなくなる傾向にあるのだ。過剰な栄養は人間の体を妊娠に不向きな体に変えてしまい、豊かすぎた生活は頭の中に邪念を蔓延らせ、出産や育児を拒否してしまうことになるのだ。人間は豊かになることを望んでも、豊かに成り過ぎて堕落してしまうことは絶対に避けるべきなのである。

 この世の中には、子供に恵まれなかったり、男の子が生まれても病弱で夭折してしまったり、女の子しか生まれず、しかもその女の子が終生独身を貫いてしまい、絶家になる家族もいるのだ。そうやって滅んでくれる家族があるからこそ、新しい家族が生まれてきて、勢力を伸ばすことができるのである。

 結婚したのなら、赤ちゃんが産まれたのなら、まずは家系図を作って、自分たちの家族の流れを調べてみることだ。「勃興期」「隆盛期」「爛熟期」「衰滅期」のどれかにあると解れば、それなりの生き方が解ってくるからだ。自分の生き方を貫いてしまうのではなく、家系の流れに即した生き方をすれば、まず間違いなく優れた人生を送れるようにできているのだ。

●3代周期

 本家を相続しなければ、多くの夫婦は分家として、新たな家族を形成していくことになる。分家では自分の夫が初代の当主に当たるので、財運が非常に強いものとなるのだ。神様は初代の当主にはお金に不自由しないように定めてあるのだ。そのため、通常の男性よりもお金の出入りが激しいために、妻が家計簿をつけてお金の管理をしないと、所得はあるのに資産が溜まらないことになってしまうのだ。初代は莫大な資産を持たなくてもいいが、そこそこの資産を持たないと、2代目、3代目が苦しくなってしまうのだ。

 家系には「3代周期」というのがあって、3代に亘って繁栄が続くものなのだ。これは日本に限らず、どの民族も三代目に亘って繁栄し、しかも3代目が最も繁栄している。ところが、日本の場合、仏教を取り入れているために、過度に欲望を制限してしまったり、お金を不浄と看做すことがあるので、3代目にパワーが不足してしまい、3代目が家を滅ぼすことをやってのける危険性があるのだ。それゆえ、「売家と唐様で書く三代目」と昔から戒めてきたのだ。

 3代目が家族を滅ぼしてしまわないように、初代の妻はとにかく収入の20%を貯金に回してしまうことだ。収入の20%を貯金に回せば、早い時期に相当な資産ができるものだし、生活費を圧迫しなくて済むからだ。初代は質素倹約に心がけるべきであって、派手な生活を決して営まないことだ。

 それと共に、自分たちは勃興期に当たっているので、子供たちの教育は文武両道に徹するべきなのである。勃興期にある家族の子供たちは文学や芸術に対しては高い能力を発揮しえず、現実的な仕事に於いて高い能力を発揮してくるのだ。そのため、優秀な学校や優秀な大学を目指して勉強させれば進学してくれることになるし、スポーツが得意ならそのスポーツをやらせれば全国レベル世界レベルの能力を持てるようになるのだ。

 初代では新たな墓地が必要となるので、せっせと稼いで、なるべく大きな墓地を買うことだ。墓地が大きければ、それだけ子孫が多くの資産を持てることができるようになるのだ。但し、墓地を購入しても、生前に墓を立ててはならない。生前墓は絶家にさせてしまう危険な遣り方なのである。

●300年周期

 家系は家系だけが存続しているわけではない。様々な家系が集まって秩序を形成してくるのだ。それが歴史の大きな流れとなっているのだ。どの国家も「300年周期」で支配階級が交代するようにできており、いくら優れた国家を作った家族たちでも、300年経つと支配階級の家族たちが一斉に没落し始めるようになっているのだ。日本では平安時代の後に武士たちが勃興してきて、公家の支配を打ち砕いてしまったし、江戸時代の後に明治維新が起きて近代化に突入していったのだ。

 支配階級の交代はその国民の性格が如実に現れてくるものだ。日本だと前の支配階級の人々を皆殺しにせず、優秀な人材は残して巧く変動を乗り切っている。中国だと前の支配階級を皆殺しにして、新たな家族たちが新たに支配階級に作ることで、その国家の刷新を図っている。

 社会主義のイデオロギーに囚われて、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争が起こり、プロレタリアートが勝利すると思っていても、この手の貧富の格差による階級闘争で支配階級が転覆されたことはない。どんな貧乏人でも支配階級に入ってしまえば裕福になるのは当然であって、その人たちが国内の労働者のことを気にかけることなど全くないのだ。

 階級の交代は家系が引き起こす大きな歴史の流れであって、300年という時期が来れば自然と起こるものなのである。ロシア帝国のロマノフ王朝は丁度、階級の交代の時期に差し掛かっていたからこそ、レーニン率いるボルシェビキに倒されてしまっただけなのである。革命が起こってしまえば、ソ連共産党は国内のプロレタリアートを支配し、搾取し、虐殺することで、新しい政治秩序を作り出さねばならなかったのである。

 現在では、アメリカ合衆国が丁度、階級の交代の時期を迎えており、今までWASPに代表される裕福な白人たちが支配階級にいたのだが、これらの人々が没落して、黒人を始めとする有色人種に取って代わられることであろう。アメリカ合衆国は多民族国家ゆえに、その階級の交代は相当に悲惨なものになる筈である。

●家族のサバイバル術

 将来、世の中がどのように変動していこうとも、これだけは覚えておいた方がいいのは、「或る程度の資産を絶対に持っておくことだ」ということだ。資産がなければ、政治変動を生き残れないからだ。政治変動があるということは、ビジネスチャンスも多数発生してくるということであり、そのチャンスを金欠のために見逃してしまったら、新たな政治体制の下では貧乏になってしまうものなのだ。

 もう一つは「知識」や「知恵」を持つことだ。お金を奪われることがあっても、脳の中までは奪われないものだ。それゆえ、子供の頃からきちんとした教育を受け、様々な知識と豊富な知恵を持っていれば、激しい政治変動の中でも生き残れるのだ。漠然と学校教育に適応して、学校の成績が良かったなどと浮かれていると、政治変動が起これば、今まで受けていた教育内容など白紙に戻されてしまうものなのだ。特に現在、日本の学校でやっている「反戦教育」「平和教育」などは、政治変動が起これば確実に廃止される教育であろう。

 そして「健康」で在り続けることだ。その人の健康は家族の中で作られるものであって、健康情報を多く集めて、家族の中で病気が発生しないように心掛けることだ。政治変動によって階級の交代が起こっているというのに、病気で床に伏せていたら、支配階級に入るチャンスを見逃してしまうことになるからだ。そうなってしまえば、その家族の子孫は300年に亘って支配階級に入れないことになってしまうのだ。

 政治変動は激変を引き起こすものだ。そのような状況で行き残っていくためには、「宗教」や「慈善」というものが、最重要になってくる。政治変動は今までの政治体制のイデオロギーを破壊してしまうために、既存の価値観が悉く破壊されてしまうからだ。そのような激変の中で宗教によって自己規定ができていれば、その激変でも自己を見失うことがなく、頭角を現わしていくことができるのである。

 いかなる政治体制も滅ぶべくして滅ぶものだが、そういう時代では社会的弱者が最も悲惨な状態に陥ってしまう。だから、自分が稼いだお金をすべて自分のために消費するのではなく、社会的弱者に慈善を施して、彼等の窮状を救ってあげるのだ。昭和憲法下の日本では慈善は政府や地方自治体がやるべきものだという主張が強いために、常に政治家や経営者たちに不信の目が向けられてしまうのだ。慈善は政府や地方自治体の仕事ではないのだ。お金を稼ぐことができる人たちの聖なる義務なのである。

 この世が何も変わらないとは決して思うこと勿れ。世の中は変わっていくようにできているのだ。今まで正しいと思っていた考え方もいきなり否定されてしまうことがあるし、今まで美しいと思っていた国土も荒廃することがあるし、今まで豊かと思っていた人々も極貧に陥ることもあるのだ。大事なことは現状に適応しても、現状に適応し過ぎないことだ。常に政治変動に備えて、余力を蓄えていくことだ。どんなに激しい政治変動がやってきても、自分たちの子孫が生き残ってくれれば、それは非常に素晴らしいことなのである。自分の人生は自分だけのものだと思い上がっていると、政治変動の際には最も悲惨な目に遭い、落命してしまうのである。

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赤ちゃんが生まれると、身代わりの死が発生する

●赤ちゃんが生まれれば、死ぬ者も出て来る

 赤ちゃんが生まれれば、それは非常に嬉しいことである。しかし、その裏側では「身代わりの死」が発生してくるのだ。赤ちゃんが生まれれば死ぬ者も出て来るのだ。この世ではすべての者が生きられることはない。新しい生命が生まれれば、それに押し出されるような形で死者も出て来るのだ。

 赤ちゃんが生まれたら、祖父や祖母が死んでしまう。父や母が死んでしまう。下手をすると、夫婦のどちらかが死んでしまう。これこそが人間という生命の非情な掟なのだ。新しい生命の身代わりとして、まだ死なないだろうと思っていた人たちの命を奪ってしまうのだ。そうやって人間の生命を刷新していくのである。

 殆どの動物は産卵を終えると死んでいくものだ。産卵には最大のエネルギーを使うために、未来に子孫を残すだけで命が尽きてしまうのである。しかし、動物も進化を重ねていくと、産卵や出産をしても死ななくなり、その子孫が無事に成長するまで見届けられるようになった。人間はその中でも出産や育児を終えても、長らく生きながらえる動物として進化してきた。普通なら生殖能力のなくなった動物は死んでしまうものだが、その者たちを生きながらえさせることで、人間集団の中で教育という作業を分担させ、知能を高めさせることに成功したのだ。

 それゆえ、その夫婦が生殖能力を発揮して、まさに出産や育児を展開している時に、生殖能力を終えた父母や祖父母が育児を支援し、教育を施す姿勢を示さない限り、彼らの存在理由は消えてしまい、寿命が尽きてしまうのだ。赤ちゃんが可愛いから、オモチャのように可愛がっていると、突然に死の病が襲いかかってきて、脳疾患や心臓疾患や癌で死んでしまうことになるのだ。

 育児を開始すれば、お金が必要となってくるものだ。しかし、新米ママは育児で働きに出て行かれないのだから、こういう時は、夫の祖父母や両親が育児のためにお金や食料を渡したりするものである。育児の手伝いを頼まれれば、出来る限り応じるべきなのである。それなのに国民年金を貰うことで馬鹿になってしまったのか、お金や食料も渡さず、育児の手伝いを頼んでいるのに、遊び呆け、グルメに狂い、旅行にでも行ってしまうのである。そんなことをしていると、天罰のような形で命を奪われてしまうのだ。

●いかなる家族にも定員がある

 いかなる家族にも定員というものがあるのだ。一つの家には大量に住むことができないものなのだ。昔、大家族と称して、一つ屋根の下に多くの人々が住んだものだが、そういう家では病気が絶えなかったという事実を忘れている。大家族になってしまうと、大抵、一人や二人の病人がいたし、寝たきりの老人たちもいたのだ。ただ、大家族で人手がたくさんあったために、現在ほど、病気も介護も問題にならなかったのだ。

 昔は大家族で、今は核家族というが、昔でも核家族の方が主流なのだ。大家族はそもそも家屋そのものが大きくないと形成することはできないし、そしてなんといっても家族としての機動力が損なわれてしまうので、家族が多くなれば多くなると、何かと不便になってしまうものなのだ。だからこそ、昔も今も人は核家族を好むし、核家族はいつの世でも多いのだ。

 家族が繁栄していくためには、とにかく子供の数を増やして、その子供が成長次第、分家をしていくことなのだ。家族が一つに密集して住むのではなく、分家を作り、外に追いやり、その分家が余所の土地で活躍するからこそ、その一族は繁栄していくことができるのである。

 もう一つは、娘を嫁がせていくことだ。娘を嫁に出すことで、他家を繁栄させるのだ。他家を繁栄させれば、その見返りとして、自分たちの一族も繁栄し易くなるし、家族の定員を減らし、空きを作ることで、新たな生命を誕生させることができるのである。自分の娘にきちんとした花嫁教育を施しておけば、自分の息子たちに嫁いでくる女性たちもきちんと花嫁教育が施されているようになるのだ。

 だから、自分の息子たちをいつまでも手元に置いておいて、分家をさせなかったり、たとえ分家をさせても、その分家が経済的に困らないように、結婚する際に多少の資産を与えないと、分家は巧く家計を運営できないものだ。また、自分の娘たちをいつまでも手元に置いておいて、嫁に出さなかったり、たとえ嫁に出しても結婚持参金を与えないと、娘は嫁ぎ先で発言権が弱くなってしまい、夫の稼ぎが悪いと、家計は火の車になってしまうものなのだ

 そうなってしまうと、赤ちゃんが生まれにくいし、たとえ生まれても数が少なくなってしまうものなのだ。しかも、赤ちゃんが病気になったり、死んでしまうようになるのだ。赤ちゃんは免疫力の関係で生後6ヵ月以内には病死してしまう危険性があるが、それを過ぎればそう簡単には死なないものだ。もしも、赤ちゃんが余りにも病気をし過ぎたり、病死するようであるなら、自分たちの一族を見渡してみることだ。愚かな生き方をしている奴が必ず見つかるものなのだ。

●葬式のあげる回数が多いほど、長続きする

 赤ちゃんが生まれることによって、身代わりの死が発生することは悲しいことだ。しかし、それは人間の宿命たるものなのだ。すべての人を生かそうとすれば、すべての人が死んでしまう結果になるのだ。誰かが死んでくれるからこそ、新たに生まれて来る者のスペースができて、新たな命が誕生してくるものなのだ。

 死者が出ることは、その家系が長続きするために必要なのである。葬式をあげる回数が多いほど、その家族は長続きするものだ。それゆえ、死者が出た場合は、きちんとした葬式をあげて、立派な墓を建て、毎年墓参りをして死者の霊を弔うことだ。そういう家族であるなら、たとえ自分が死んでもきちんと慰霊をしてくれることが解っているので、今ある命を大切にしようとし、その能力を最大限に発揮するようになるのである。

 きちんとした葬式をあげずに、「お別れ会」を開いたり、「珍奇な墓」を建てたり、散骨してしまったり、墓参りにも行かないようであるなら、そういう家族には思わぬ不幸が何度も襲いかかってきて、滅亡に追いやられてしまうのである。世の中には必ず臍曲がりな連中が出て来るものだから、絶対にそのような連中の意見を聞かないことだ。葬式も、墓も、墓参りも、古臭い形式の方が安全であるのだ。

 人間は死ぬことが一番恐ろしいものだ。だが、病気のまま生きながらえても仕様がないのだ。寝たきりのままで生きながらえても仕様がないのだ。目指すべきは、「不老長寿」であって、健康なままで長生きをすることなのである。それゆえ、自分が歳を取ってきたら、日頃から健康に気を使い、病気にならないようにし、寝たきりにならないようにすることだ。

 その健康な姿で、子孫が繁栄していくことを手助けすればいいのだ。自分が健康でなければ、孫や曾孫たちを必要以上に可愛がってしまい、我儘な子供に育ててしまうのだ。心身が矍鑠としていなければ、子供たちに教えるべきことを教えられなくなってしまうものなのだ。

●本当の老害は赤ちゃん殺しである

 昨今は「生涯現役」ということがいわれているが、いくら年老いても、年金生活に入らず、労働をし続けることこそが、自分の健康を維持するために最も必要なことなのである。今まで働き続けたのに、定年退職で仕事をしなくなってしまうと、仕事をしないということで異常なストレスを感じてしまい、病気になってしまい、死んでしまうことになるのだ。だから、退職後はのんびり過ごすという愚かな発想をせずに、後輩たちを手助けできるような仕事を探し出して、その能力を発揮すべきなのである。

 かといって、定年退職をせずに、そのまま仕事を続けてしまうと、「生涯現役の弊害」が発生してきてしまうものだ。まずは「人材が育たない」ということだ。人間は重要な役職を与えられてこそ、その能力を高めることができるので、老人がいつまでも重要な役職に居座り続けたら、能力を高める機会を完全に失ってしまうことになるのだ。70歳を過ぎてもトップに君臨していたり、杖をつかねば歩けないのに、それでもいつまでも重要な役職にしがみついていたら、その組織は最早まともに機能していないことだろう。また、組織に「名誉会長」という意味不明の役職が増設されたら、その組織は完全に老害で腐敗しきっている組織になっていることだろう。

 生涯現役の第二の弊害は、「若者たちが鬱屈してしまう」ということだ。老人が組織を動かせば、発想は古臭いし、行動は鈍くなってしまうのだ。そうなると血気盛んな若者ほど、能力を発揮する機会を失ってしまい、鬱屈してしまうようになるのだ。若者たちが酒に飲んだくれ、賭博にのめり込み、淫乱に耽っているようであれば、それはその若者だけが悪いのではなく、若者たちの能力を発揮する機会を奪ってしまった老人たちも悪いのだ。

 生涯現役の第三の弊害は、「若者たちの教育不足」ということである。嘗て活躍した人が引退後に教育者の立場に回ってくれるからこそ、若者たちは素晴らしい教育を受けられることになり、その能力を高めていくことができるのだ。功労者による教育は、単なる教員による教育の千倍にも勝る教育効果があるものなのだ。それなのに、功労者が生涯現役に拘るばっかりに、教育者になってくれないので、若者たちは素晴らしい教育を受ける機会を失ってしまい、基礎能力を高めることができなくなってしまうのだ。

 そして本当の老害というものは、実は「赤ちゃん殺し」なのである。老人たちが高給の仕事を独占してしまい、しかも国民年金や厚生年金でお金を貰ってしまえば、肝腎の若者たちが貧乏になってしまい、赤ちゃんを産み育てるだけのお金がなくなってしまうのだ。現在、日本は少子化が問題になっているものだが、これは昭和憲法体制では老人ばかりを優遇してきたために、若者たちが結婚して子供を作れるだけの経済力を失ってしまったからなのだ。

 このような馬鹿げた政策を続けていれば、いずれ老人と若者の間で深刻な階級闘争が始まってしまうことだろう。この手の国内の内ゲバは悲惨な戦いになるものなのである。老人たちも「最近の若者は怪しからん」と言っていると、若者たちが武器を取って、殺されまくる日がやってきてしまうものなのである。そうならないためにも、重要な役職を若者たちに譲り、自分の能力を生かして仕事をしつつ、教育者としての役割をきちんと果たしていくことだ。

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厄年に生まれた赤ちゃんの扱い方

●厄年には何かが起こる

 赤ちゃんはいつ生まれても健康に育つとは限らない。出生時に於ける両親の運気に大いに影響を受けてしまうのだ。人間の運勢を知る上で絶対に知っておいた方がいいのが、「厄年」の存在である。厄年には何かが起こり、多くは災厄が訪れて来るからだ。このい厄年の時期に赤ちゃんを産めば、当然に赤ちゃんは災いをもたらしてくることになる。

女性の厄年 

  17歳 18歳 19歳

  31歳 32歳 33歳

  35歳 36歳 37歳

男性の厄年

  23歳 24歳 25歳

  40歳 41歳 42歳

  58歳 59歳 60歳

 厄年が満更「迷信」だと思えないのは、女性の場合、厄年の時期と女性ホルモンの変動がピタリと一致しているからだ。女性ホルモンの分泌は19歳という成長期のピークに第一次のピークを迎え、その後、33歳の成熟期のピークで第二次のピークを迎えるのだ。33歳以降は女性ホルモンが高濃度で分泌され続けるために、30代後半をいかに充実してすごすかで、後の人生はほぼ決定してしまうことであろう。

 男性の場合、厄年は男性の人生の転機と完璧にまで連動している。23歳から25歳は大学を卒業して就職した頃であり、この時期が人生の最初の転機であろう。40歳から42歳は最早「青春時代」が終わり、人生に迷うことなく突き進み始める時期である。そして58歳から60歳は自分の仕事の集大成をする時期であり、この時期に後世に残せるような仕事ができなければ、今までの仕事はすべて無駄になってしまうことであろう。

 日本の厄年の概念は、陰陽道が広めて、それが世俗化していったものなので、日本人であるなら誰でも思い当たる節があるものであろう。この厄年という考え方は、言わば日本人の経験則のようなものであって、この厄年の時期になんらかの転機が訪れたからこそ、多くの日本人はこの厄年という考え方を支持してきたのであろう。明治維新以後、啓蒙運動が起こり、迷信を打破しようと努めてきたが、この厄年だけは打破されなかったほど、厄年に対する日本人の支持は高いのだ。

 因みに、中国の厄年は「7歳ごと」であって、「7歳」「14歳」「21歳」「28歳」「35歳」「42歳」「49歳」「56歳」「63歳」「70歳」「77歳」「84歳」となっていく。中国の厄年を使って自分の人生を振り返ってみると、これもまた当たっていることもあるのだ。要は、人間は同じことを7年以上続けられないということであって、7年ごとにどこかに歪みが出て来てしまうものなのだ。会社経営者に言わせると、経営者として本気で仕事を取り組んでいられるのは、せいぜい5年か6年であって、それ以上だと無理だというのである。7年以上、同じ仕事をし続けてしまうと、頭の中に邪念が蔓延り始めてしまうのである。

●厄年の厄除けの仕方

 女性の場合、高校生の時や高校を卒業してから出産してしまうと、厄年にぶつかってしまうことになる。更に女性が30代で赤ちゃんを産もうものなら、60%の確率で厄年にぶつかってしまうことになるのだ。確かにこれらの時期に赤ちゃんを産んでしまうと、災いが訪れ易い時期なのである。高校を卒業してすぐに赤ちゃんを産んでも、その女性は社会のことを何も知らずに産んでしまうことになるし、30代で赤ちゃんを産んだのなら、人生の中で最も成熟しきっている時期だからこそ、一心不乱に育児や家事に取り組まないと、とんでもない方向に人生が行ってしまい、自分の人生を台無しにしてしまうことになるのだ。

 民間に伝わる厄年の厄除けの仕方は、赤ちゃんを生後1ヵ月以内に、赤飯と共に外に捨てるのだ。その赤ちゃんを血縁関係のない友人に拾って貰う。そして、その友人に「厄よ消えよ」と自分の年齢の数だけ唱えて貰い、赤ちゃんを返して貰うのだ。その後、その友人に高価な贈り物をするというのだ。

 しかし、俺はこの風習を実際に見たことがない。恐らく陰陽道の勢力が強かった関西地方での風習ではなかろうかと思う。この風習で思い出すのが、豊臣秀吉が豊臣秀頼をこのようにして厄除けして育てたことだ。但し、豊臣秀頼は豊臣秀吉の子供ではなく、大野治長の子供なので、天罰という形で豊臣家は滅亡してしまっている。

 現在の厄除けの仕方は、専ら神社での厄除けが中心である。神様の見えざる力を使って厄除けをしているのである。もしも赤ちゃんを厄年の時期に産んでしまったら、神社に行って厄除けして貰うべきであり、こういう費用を決してケチらないことだ。赤ちゃんという大事なものを授かった以上、お金を放出して、その厄除けをすれば、厄年の魔力を大いに引き下げることができるからだ。

 赤ちゃんを育てていれば、昨日までは健康だったのに、突如、急変してしまい重病に陥ってしまうことだってあるのだ。例えば心臓疾患を抱えた赤ちゃんなんてのも、心臓疾患を発症するまで元気な赤ちゃんだったのである。それが突然発症し始め、心臓移植が必要なほど悪化してしまい、そして病死してしまうのだ。しかも、不思議なことに、そういう赤ちゃんの母親たちは、30代で厄年の時期にピタリと該当しているのだ。厄年なのになんにも厄除けをしないと、自分が一番大切だと思っているものを失ってしまうことになるのだ。

●厄年には無理をしない

 厄年は言わば自分の人生の変わり目の時期なのだ。女性だったら、大学や短大に進学してしまう女性たちと、高卒で結婚して赤ちゃんを産んだ女性たちとなら、その後の人生が大いに変わってしまうことだろう。高卒で赤ちゃんを産んだなら、体力は充分あるので、育児ノイローゼに罹ることはないし、家事をすることにも適応できることだろう。

 女性が30代になったら、40歳になる前のこの時期までに結婚して赤ちゃんを産んでおかないと、自分が不妊症でなくても高齢不妊になってしまい妊娠が困難になってくるし、育児も体力的に厳しくなってくることだろう。だが、40歳を過ぎても、結婚もせず出産もしていなかったら、その後の人生は「お一人様」の人生がほぼ確定し、女性としての本当の喜びを味わうことなく、寂しい人生を過ごしてしまうことになってしまうのだ。

 女性が厄年になったら、とにかく無理をしないことだ。厄年では無理をすると事故が起こるものなのだ。厄年は病気をし易い時期でもあるので、疲れたのなら、無理をしないで、体を休ませることだ。赤ちゃんがいる身にとっては、赤ちゃんに事故が訪れないようにすべきだし、病気にならないよう充分に配慮しておくことだ。

 自分が厄年に当たっている時、自分の夫が身代わりとなって、災厄に遭う時がある。そういう時は、自分の災厄の身代わりになってくれたことに充分過ぎるほど感謝して、ねぎらっておくことだ。そういうことをせず、「なんてドジなの!」と罵倒していると、今度は自分の身に災厄が降り注いでくることになるのだ。

 厄年で無理をせずに平穏無事に過ごす生き方もいいが、厄年に災厄を起こして、厄を祓うという生き方も悪いものではないのだ。厄年の時に災厄として厄を出しておけば、厄年を過ぎた頃に幸運が舞い込んでくるものなのだ。人生の中でマイナスがあれば、プラスを作り出して、それを埋めようとするものなのである。

●人生の変わり目を見逃すな

 厄年は恐れられているものだが、使いようによっては人生の飛躍の時期にも成りうるのだ。厄年は「役年」といって、その年に大役を任せられることで、それまでの人生とは違う人生を歩んでしまうことになるのだ。女性にとっては赤ちゃんが生まれたことで大役を仰せつかったわけであり、それまでの人生を一変させる出来事になったわけである。

 夫なら厄年の時期に転職してしまい、今までとは違う職業で活躍してしまうこともあるのだ。そういう時は「生活費をどうすんのよ!?」としみったれた発言をするのではなく、夫を応援してあげることだ。夫の方としても、今の仕事を続けても、これ以上の成長を望めないからこそ、転職したのであり、その大事な決断にケチをつけるべきではないのだ。但し、転職癖のある男性の場合は別である。そういう男性は一つの仕事すらまともに行えない男性だからだ。

 厄年を調べていくと、日本人が本当に信仰してきたのは、実は「陰陽道」であるということが解ってくる。よく宗教学者たちが「日本人は無宗教である」という現実離れした発言をし、それを他の知識人も真に受け取ってオウム返しをするものだが、この無宗教と疑われるのには理由があるのだ。

 信仰を調査するアンケートで「あなたはどの宗教を信仰していますか?」と尋ねられるのだが、神道も仏教も信仰がその宗教の帰属条件ではないのだ。神道の場合は、「崇敬」であって、「神を崇め敬うこと」であり、具体的には「自宅に神棚がある」「神社に参拝したことがある」とか、「困った時の神頼みをしたりすることがある」というものなのだ。仏教の場合は、「帰依」であって、仏教の教えが素晴らしいからこそ、仏教の教えを奉じ、実践しているということなのである。

 だから、神仏習合を長らくやってきた日本民族に対して、信仰を問うても、「私には信仰があります」という人々はいないのだ。だから、この質問に答えられるのは、せいぜいキリスト教徒ぐらいなもので、実はこの信仰を問う質問は、「あなたはキリスト教徒ですか?」と問うているのと変わらないのだ。だからこそ、日本人の信仰度が異常に低いのである。

 だからといって、日本人は無宗教ではないのだ。ちゃんと神道と仏教が日本民族の主流の宗教として存在しているし、神社仏閣は日本全国至る所に存在しているのだ。しかも、どの神社仏閣もいつも参拝客で賑わっているものだ。それなのに学者たちが「日本人は無宗教である」と言い出したら、これこそ余りにも現実離れした話であろう。

 では、日本人が全く信仰してこなかったといえば、そうではないのだ。陰陽道こそ日本人にとって信仰の対象であったのだ。なぜこれほどまでに陰陽道が支持されてきたかといえば、俺は「日常生活に於いて神秘体験」ができたからなのだと思っている。或る特定の宗教を信仰するためには、何かしらの神秘体験が必要だ。例えば、キリスト教なら、医学を用いずに奇蹟で難病を治して貰うことだ。仏教なら煩悩から解脱し、何事にも迷うことのない人生を歩むということだ。だが、キリスト教徒で神父や牧師から奇蹟によって難病を治して貰った信者はいないものだし、仏教徒で解脱でき煩悩を消滅させた信者などいないものだ。

 ところが、陰陽道であるなら、そういう非日常的な神秘体験ではなく、日常生活での神秘体験はできるのである。例えば、厄年に災厄に遭遇すれば、「やっぱり厄年は本当だったんだ!」と叫ぶことができるのである。キリスト教では「ハルマゲドンがやってくる」といいながら、2千年も経った今でもやってこないが、陰陽道でなら厄年がやってくるといえば、確実に厄年がやってくるのである。

 だからこそ、神道は陰陽道を取り入れ、神社で厄除けをやったからこそ繁盛しているのだ。仏教も陰陽道を取り入れ、厄除けをしたからこそ、今日まで生きながらえてきたのである。一方、キリスト教は陰陽道を否定し陰陽道を取り入れないからこそ、広まっていかないし、棄教する者たちも跡を絶たないのだ。滅多に起こらない奇蹟にすがるよりも、確実に起こる厄年の災厄を防いだ方が、余程、充実した人生を過ごせるというものである。

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前世を記憶する子供たち

●輪廻転生が引き起こすもの 

 人間の魂は輪廻転生していく。我々は前世で犯したカルマを清算するために、この世に生を受けたのであって、自分の命が有り続ける限り、そのカルマを清算し終わらなければならないのだ。ただ、一体、自分が前世に於いて何をやったのかが解らないゆえに、多くの人々は無意識のうちに善行をしなければならないと思い、それほど前世のことに拘らずとも、前世のカルマを清算しようとするのだ。

 しかし、この世には「前世の記憶」を持った子供たちが存在するのだ。なぜ或る種の子供たちだけに前世の記憶が存在するのが不明だが、とにかく前世の記憶を持つことで、その前世のカルマの清算を早くに終えようとしているのだ。こういう場合、その子供の話をちゃんと聞いて、一体、その子は前世で何者で何を行ったかを理解するべきだろう。

 輪廻転生は解らないことばかりだ。だが、輪廻転生に関する統計を集めていくと面白いことが解る。例えば人間の魂は3百年から5百年周期で輪廻転生してきているということだ。現在の日本人の魂の前世は西ヨーロッパに居た魂が多く、西ヨーロッパの人々の魂にも前世は日本にいた魂が多いのだ。日本人の魂の前世はそれ以外に中東やインドや中国やモンゴルなどが多いが、前世が黒人だったとか、オーストラリア人だとかアメリカ人だとかはいないのだ。この辺りも輪廻転生の謎である。

 輪廻転生はすべての宗教が認めているかといえばそうではなく、キリスト教は輪廻転生を認めていない。キリスト教では人間は神が土から作ったものとされるので、輪廻転生など有り得ないのだ。そのためキリスト教徒が輪廻転生を認め出すと、キリスト教を棄教したり、教会に出席しなくなったりするのだ。

 仏教では輪廻転生を認めるが、釈迦は輪廻転生からの解脱を説いたのである。解脱というのは、輪廻転生から逸脱するということであり、それゆえ解脱してしまえば、もう再び輪廻転生することはない。だから、釈迦の魂は輪廻転生しないのだ。たまに日本の仏教系の新興宗教団体が、釈迦の生まれ変わりを主張したり、釈迦の霊が乗り移ったということを主張するのだが、釈迦の霊魂は消滅してしまっている以上、最早そういうことは起こらないのだ。それどころか、その宗教家が仏教のことを全然解っていない証拠になってしまうのだ。

●3歳までに前世のことを語り出す

 前世の記憶を持っている子供は、3歳までに前世のことを語り出す。0歳や1歳だと言語能力が発達していないので、前世の記憶を持っていても巧く喋れないのだ。しかし4歳か5歳の時に幼児は記憶の消去という現象が起きるので、その際に前世の記憶も消されてしまう危険性があるのだ。

 それゆえ、胎児教育をして赤ちゃんの知能を高めておくと、赤ちゃんは早い段階で前世のことを喋り出すことができるのだ。乳幼児の場合、「現実」と「前世の記憶」の区別がつかないので、ごちゃ混ぜに喋ったり、断片的にしか喋ってくれなかったりするのだ。しかし、知能が高ければ、前世のことを現実とは区別して話せるようになるし、前世の記憶を纏めて話せるようになるのだ。

 日本の産婦人科医たちは3歳児神話を躍起になって否定しているが、前世の記憶が3歳までに出て来るというのは、3歳児神話の証明なのである。やはり3歳までは乳幼児は明らかに違うのである。人間界に生まれてきたとはいえ、神の領域にも片足を突っ込んだ状態なのだ。

 自分の子供が前世の記憶を持っているのなら、それを嘘の話だとして否定してしまわないで、ちゃんと聞いてあげることだ。子供は嘘を言っているわけではないのだ。輪廻転生で大事なのは、前世の記憶を蘇らせ、それを喋ることだけでも、カルマ落としになるということなのである。その子供にとっては、自分の親に前世の記憶を話すことは、立派なカルマ落としなのである。だから、母親が子供の話を一蹴してしまうと、子供はカルマを清算することができなくなり、そのうち前世のカルマのために苦しまなければならなくなるのである。

 すべての乳幼児が巧く前世の記憶を喋れるわけではないのだ。もしも乳幼児に余りにも異常な行動があるなら、それは前世の記憶が取らせているものなのである。現世で女の子であっても、前世が男の子であれば、かなり凶暴な振る舞いをしてくるし、現世で男の子であっても、前世で女の子であれば、余り外で遊びたがらないものなのだ。

●12歳まで前世の記憶を保持し続ける

 子供はいつまでも前世の記憶を持ち続けるのではないのだ。12歳まで前世の記憶を保持し続け、その後、急激に前世の記憶を忘れていってしまうのだ。人間は青春時代に突入すると、子供の頃の記憶を忘れてしまうが、それと共に前世の記憶も消去されてしまうのだ。

 青春は「第二の誕生」と言われるが、青春時代に突入してしまえば、最早、前世がどうのこうのというのは関係なくなり、自らの力で自分の人生を切り開いていかねばならないのだ。それゆえ、前世の記憶を子供が喋ってくれた場合、カルマ落としは12歳までにやっておかねばならないのだ。

 とするなら、子供が前世の記憶を喋るということは、カルマ落としを親に手伝ってほしいということであるのだ。カルマ落としはその子供のためにもなるが、その親が子供のカルマ落としを手伝うことで、自分のカルマ落としもできるのである。だからこそ、自分の子供に前世の記憶があるといっている家庭では、不幸が襲いかかる率が極端に低いのである。

 子供というのは、親に従属するものである。しかし、この世には子供に自立を強要して、早くから自立させ、「子育て」ではなく「子育ち」を主張してくる愚かな知識人が存在するものだ。子供のカルマ落としを見ても、子供は自分の力ではカルマ落としが出来ないからこそ、親に頼んでカルマ落としを手伝って貰っているのだ。子供は自分の力でカルマ落としができないのである。

 子供の時代に充分に親に従属しておかないと、青春時代に突入しても自立できなくなるのだ。前世の記憶が自立を阻んでしまうからだ。より正確に言うなら、前世で犯したカルマがその子の自立を阻み、良からぬ方向へと人生を歩ませてしまい、更にカルマを重ねてしまう人生を送ってしまうのだ。

●カルマ落としと功徳の蓄積

 自分の子供が青春時代になって余りにも異常な行動を取るなら、前世療法を受けせ、前世での記憶を蘇らせることをした方がいい。子供の頃に親に前世の記憶を喋ろうとしたのに、母親がそれを無視してしまい、その子供がカルマ落としをする機会を失ってしまったということもあるからだ。

 それと共に、子供の両親も一緒に前世療法を受けてしまうことだ。子供の前世を受け入れてあげられなかったということは、その親にもなんらかの問題があるからだ。その問題は前世のことが絡んでいるものなのだ。自分の前世が解れば、自分の子供と本当に理解し合うこともできることだろう。

 カルマ落としをするなら、若いうちにしておくべきなのである。若い時に不幸が訪れた人は、その不幸自体は不幸だけれども、カルマを落とすことができたということでは、ラッキーなのだ。後は現世で功徳を積んで来世に於いていい形で輪廻転生したり、より多くの功徳を積めば天上界に行くことができ、子孫の繁栄を見守る役割を果たすことができるようになるのだ。

 前世のことに触れると、前世のことばかりが気になってしまうものだ。しかし、大事なのは、前世ではなく現世なのだ。現世で一体自分が何をするかで、前世のカルマを落とすことができるし、現世で功徳を積むことができるからだ。それゆえ、余り前世に囚われすぎないことだ。前世の記憶はあくまでも、カルマ落としのためであるのだ。

 この世には霊魂の存在を否定したり、無神論や無宗教を主張したりする人たちがいるものだ。そういう人たちは、死後、地獄行きが決定しているのであって、決して相手にしないことだ。どういう理屈を捏ねようが、霊魂は存在するし、神によって霊魂は輪廻転生させられているのだ。いくら無宗教を唱えても、人間の人生は宗教に操られているものなのである。それゆえ、神の前で謙虚になって、霊魂の旅を楽しんでおくことだ。楽しめば楽しむほど、神の祝福を受けるというものなのである。

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生まれて初めての誕生日

●赤ちゃんは出生当時1歳かゼロ歳か?

 赤ちゃんが出生時点で、「ゼロ歳」と考えるか、「1歳」と考えるかは、赤ちゃんへの認識について天と地ほどの差が出て来る結果になってしまう。出生直後の赤ちゃんをゼロ歳と看做すのは、ジョン・ロックの考えに基づいて、「人は白紙の状態で生まれる」という考えを赤ちゃんに当て嵌めたにすぎないからだ。しかし、赤ちゃんは白紙では生まれてこないし、胎児教育を巧く施せば、出生時点から高い知能を与えることができるのだ。

 出生時点では赤ちゃんは1歳と考えるのが現実に即した考え方なのだ。正確には10月10日になるが、2ヵ月程度の月日はおまけということだ。このような数え方に関する議論は、一般の人々は「どうでもいいじゃん」と思ってしまいがちだが、人間の命の関する重要な問題なのだ。

 例えば、堕胎はゼロ歳説に立脚すれば罪を問われないが、1歳説に立てば殺人罪に問われることになる。現在ではゼロ歳説に立つがゆえに、堕胎は野放し状態になってしまうのだ。胎児教育もゼロ歳説に立てば妊娠中に何もすることはないが、1歳説に立てば妊娠中に胎児教育をすることで赤ちゃんの知能を高めることができるのだ。

 母親の立場に立てば、赤ちゃんは出生時に1歳と考えるのが、納得がいく正当な考え方であろ。なんせ胎動を何度も繰り返して、赤ちゃんの命を母親に感じさせ続けてきたからだ。母親にとっては赤ちゃんとの付き合いは、出産した時点で10月10日以上経過しているのだ。

 そうやって、生まれた赤ちゃんを1年間育てれば、母親の赤ちゃんに対する愛情は益々強いものになる。なんせ生後1年ではやっと一人歩きができるようになった状態だ。ハイハイをしている時期では赤ちゃんにつきっきりになってしまうが、一人歩きできるようになれば、赤ちゃんも自分独自のことをし始めるようになるのだ。

●誕生日祝い

 生後1年の誕生日祝いは、夫婦にとって感慨深いものであろう。育児に対する苦労がすべて吹き飛んで、赤ちゃんの誕生日を祝うことができるのだ。1年前はあれほど小さな赤ちゃんが、こんなに大きく成長したのである。人間は成長する人に対して、最大の喜びを感じてしまうものなのだ。

 この最初の誕生日祝いは、身分によって色々な習慣を持っている。例えば、武家の赤ちゃんであるなら、赤ちゃんに刀に触らせ、商人の赤ちゃんなら、赤ちゃんに算盤に触らせ、農民の赤ちゃんなら、農機具に触らせるのだ。現在ではこのような習慣は殆ど失われて、ケーキを作って祝う程度のものだが、だからこそ、育児や子育てで揉めてしまうのであろう。

 せめて夫の職業に関する物を赤ちゃんに触らせて、赤ちゃんもお父さんの跡を継げるようにさせることだ。これは赤ちゃんが男の子であろうが女の子であろうが関係ない。乳幼児や児童というのは、父親に対する尊敬は絶対的なものなのであって、「お前も父のようになれ」と指し示せば、人生の進路に間違うことがなくなるのだ。

 誕生日だからといって、ケーキを食べ、誕生日プレゼントを貰うというのは、余りにも幼稚な考え方なのだ。赤ちゃんは生後1年経っても、まだ哺乳の時期なのでケーキを食べることはできないし、誕生日プレゼントを貰っても大して喜びはしないものだろう。しかし、赤ちゃんに将来の進路を指し示すことをしておけば、赤ちゃんのその通りに生きていくものだし、たとえ親の思うように生きなくても、その子なりに素晴らしい人生を歩んでいくのだ。

 人間は生まれた環境で大いに変わっていくものなのだ。例えば、自宅に書物がたくさんあるようであるならば、自然と書物に親しむので、その子は学問の世界で活躍し易くなるのだ。父親がスポーツをしているなら、その子は幼い時からスポーツに親しむので、その子はスポーツの世界で活躍しやすくなるのだ。これらと同じように、父親が政治家なら、幼い時から政治に関心があり、政治家を志そうとするし、父親が軍人なら、幼い時から軍事に関心があり、軍人を志そうとするし、父親が会社経営者なら、幼い時から経営に関心があり、経営者を志そうとするものなのだ。赤ちゃんは決して平等ではないのだ。色々な家庭環境があるからこそ、多種多様な赤ちゃんが育ってくるのである。

●赤ちゃんの誕生日祝いは、両親のためでもある

 赤ちゃんの最初の誕生日祝いは、赤ちゃんのためだけにあるのではない。その赤ちゃんの両親のためでもあるのだ。この1年間、最初の育児で悪戦苦闘した筈であり、その苦労が赤ちゃんの無事な成長によって報われるのだ。赤ちゃんの誕生日祝いを利用して、自分たち夫妻の働きをねぎらってあげることだ。

 できれば、こういう時は夫が妻に何かプレゼントでもするのが一番効果的なのだ。この日に些細な物をプレゼントしても、妻は狂喜乱舞するくらいに喜んでくれる筈だ。自分にとっては想定外の驚きのプレゼントなので、夫の自分への思いやりを最大限に感じてしまうものなのだ。

 新米ママにとっては、この1年間は早く流れた筈だ。人は人生に充実していると、月日は早く流れるものなのだ。人間はダラダラ過ごしていると、月日はゆっくりと流れてしまい、そのくせ何も充実していないものなのだ。赤ちゃんの誕生日が来るのが早いな思った新米ママほど、育児に真剣になって取り組んだ既婚女性なのである。

 それゆえ、赤ちゃんの誕生日祝いはまずは、親子3人で、他人を交えずに、自宅で密かに行うべきだろう。親子3人になれば、話すことはたくさん出て来るからだ。その話はこういう機会でしか話せない話なのだ。育児に携わっていない他人がいても、話が噛み合わなくなってしまうのだ。

 もしも、夫の両親や妻の両親が赤ちゃんの誕生日を祝いたいというなら、後日、日を改めて、別の誕生日祝いをすればいいのだ。こういう時は、料理を豪勢に振る舞って、それぞれの両親に「誕生日祝い金」や「誕生日プレゼント」を高額にさせるように仕向ければいいのだ。こういう悪どい知恵は人生で生きて行く上で必要不可欠なのである。

●赤ちゃんの脳に成長の喜びの回路を作ってしまうこと

 赤ちゃんにとっても、自分の誕生日を祝ってくれるということは嬉しいものだ。赤ちゃんの脳に、自分が健康的に育っていくことは、両親を喜ばせることになるという記憶を定着させてしまうことだ。赤ちゃんの脳に成長の喜びの回路を作ってしまうと、赤ちゃんに対した労力を投入せずとも、赤ちゃんは無事に育ってくれるようになるのだ。

 赤ちゃんが育つことは、両親にとっても嬉しいし、両親に喜ばれることは、赤ちゃんにとっても喜びと思わせるように育てていくのだ。赤ちゃんに育児と称して、赤ちゃんの世話ばかりしていて、赤ちゃんの脳に成長の喜びの回路を作らなければ、赤ちゃんは両親から世話をされるのが当たり前となってしまい、その後、親の言うことを聞かない子供に成長してしまい、いずれ不良少年や不良少女になっていくことだろう。

 自分の脳の中に成長の喜びの回路がないために、自分が成長することは両親にとっても嬉しいのだという考えを持つことができず、親子の相互関係を巧く構築していくことができないのだ。だからこそ、親に養育されているのに、なんの感謝もせず、親を手古摺らせる人生をア歩んでしまうのだ。

 それゆえ、赤ちゃんの誕生日を祝う時は、赤ちゃんがビックリするくらいにインパクトのある誕生日祝いにしてしまうのだ。赤ちゃんの脳がまだ柔らかい時に、赤ちゃんの脳に成長の喜びの回路を作ってしまい、赤ちゃんに親が喜ぶような行動を取るように仕向けるのだ。そうすれば、赤ちゃんは親の喜ぶようなことをし始め、放っておいても健康的にスクスクと成長していくことになるのだ。

 育児に疲労しきってしまい、赤ちゃんが自分の言うことをきいてくれないと嘆く新米ママは多くいるものだ。それは赤ちゃんの体の世話をしても、赤ちゃんの脳を育てていくということをしてこなかったからなのである。人間は体を進化させて生き残ってきたのではなく、脳を進化させて生き残ってきたという事実を忘れてしまっているのだ。

 いくら自分がお腹を痛めて産んだ赤ちゃんとはいえ、赤ちゃんは親の言う通りには動いてはくれないのだ。しかし、親が思うように育ってくれることはできるのだ。その際の重要なポイントこそが、脳に成長の喜びの回路を作ってしまうことなのだ。この回路を自分たち夫婦が作ってしまえば、赤ちゃんは健康的に成長していき、親が思ったように育ってくれることになるのだ。そういう子は、大きくなれば、きちんと親孝行をする立派な人間になるものなのである。

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赤ちゃんを連れて墓参り

●御先祖の霊的守護を受ける墓参り

 赤ちゃんができた夫婦が、幸せな人生を送るか、不幸な人生を送るかの、大きな分岐点は、墓参りするかしないかにあるといっていい。赤ちゃんを産んだなら、まずは墓に参って御先祖に報告し、御先祖の霊的守護を受ければ、その家族は不幸から守られるし、いくらでも幸せを生み出していくことができるであろう。

 しかし、墓参りをしなければ、自分たちがどんなに努力をしても僅かな幸せしか生み出せないし、招かなくていい不幸を呼び寄せてしまうことであろう。御先祖の霊的守護は目に見えざるものだ。それゆえ、物欲の激しい人や、科学史上主義者や、異常な新興宗教を信仰してしまう人は、必ずといっていいほど墓参りをしないものだ。そのため、自分は正しい考えを持ち、正しい行動を取っているというのに、様々な不幸を招いてしまうのだ。

 赤ちゃんを産み、その赤ちゃんを無事に育てたいのなら、とにかく墓参りに行くことだ。墓参りに行くことは問答無用なのである。「どうして墓参りに行かなくてはならないの?」と得体の疑問を呈しているようであったら、その愚かな疑問の代償として、不幸が襲いかかってくるものなのだ。

 赤ちゃんは自分たち夫婦がいたからこそ生まれたのであり、自分たち夫婦は先祖があって生まれたのだ。だから、まずは御先祖に子孫ができたましたと報告するのは、当然の義務だといっていいのだ。このことに関して、絶対に疑問を呈するべきではないのである。墓参りに疑問を呈しているようであるならば、その人は大いに人生観が狂っているといっていいのだ。

 大概、既婚女性の方は墓参りに積極的である。しかし、既婚男性で大学教育を受けてしまい科学至上主義者になったり、異常な新興宗教に入ってしまうと、立ち所に墓参りを否定し出すものだ。こういう時は旦那を説得して首に縄をつけてでも墓参りをするか、どうしようもない時は放置して母子二人で墓参りをしてしまうことだ。遅かれ早かれ、その夫に不幸が訪れて来るだろうから、その時に「あなたが墓参りをしないから、こういう不幸が訪れてくるのよ」と非難して、心を改めさせて、墓参りに行かせることだ。

●墓参りの作法

 墓参りに行って、礼礼儀作法を守らず、ただ参っても墓参りの意味がない。墓参りにはきちんとした礼儀作法があるので、きちんと墓参りの礼儀作法を守って墓参りをすることだ。そうすれば御先祖の霊的守護をちゃんと得ることができ、その後の人生の至る場所で御先祖が自分たち家族を守ってくれるのだ。

 墓地に参ったら、墓所の前で一礼してから墓所に入り、お墓を掃除することだ。お墓を掃除する道具は自宅から持ってくることだ。墓所のゴミを拾い、草を抜いて、墓所の中を奇麗にすることだ。そして墓石に水をかけ、スポンジで磨いて、その後、タオルで空拭きするのだ。

 花は「白い菊の花」を備え、ロウソクに火をつけ、お線香にも火をつける。墓参りの際の花は絶対に白い菊の花にすべきであって、カラフルな色の花を供えないことだ。花はあくまでも死んだ御先祖のためであって、生きている自分たちの物ではないのだ。ロウソクはあの世に光明をもたらす重要なアイテムで、これがあるからこそ、御先祖たちは自分たちの方に振り向いてくれるのである。お線香は死者の悪臭を掃うためのものだ。

 墓参りの準備が整ったら、家長である夫から御先祖に挨拶をすることだ。次に妻という順になる。赤ちゃんは自我ないので挨拶は不要である。しかし3歳を過ぎたら、幼児といえども御先祖の挨拶が必要で、母親に続いて、第一子、第二子、第三子の順番で挨拶していくのだ。

 墓所には供え物を絶対に置かないことだ。置いたとしても、カラスや野良犬の餌になるだけなのだ。供え物をするなら、自宅の御霊舎でいいのだ。墓参りをしたら直行で家に帰ることだ。墓参りをする日は可能な限り、他に予定を入れずに、御先祖に墓参りに専念していることをアピールすることだ。そうすれば、より強い霊的守護が得られるものなのだ。

●お墓から離れている場合は無理をしないこと

 すべての夫婦に自宅の近辺に墓地があるわけではない。中には田舎から出て来た夫婦もいるし、海外に移住した夫婦もいることだろう。そういう時は無理に墓参りに行くのではなく、一族の中から墓守の役を立て、御先祖の墓地を守って貰うことだ。大概が家督相続者になるので、その者に相続で優先的な権利を持つことは当然になる。墓守の役をして貰ったのに、相続で平等の取り分を主張することは絶対にやめた方がいい。恐ろしいまでの不幸を招き寄せるだけだ。

 自宅からお墓が余りにも離れている場合は、無理をせずに墓参りをすることだ。墓参りに行くだけで、時間が大量に食われてしまうし、お金も相当な金額がかかるからだ。但し、そうはいっても赤ちゃんの生後3年以内には必ず行くことだ。この3年以内に墓参りに行かないと、その赤ちゃんは御先祖の霊的守護を得られにくくなってしまうのだ。

 墓地から離れて移住してくるということは、分家であるということなので、そういう時は、自宅に御霊舎をちゃんと備えて、墓参りの代わりとすることだ。墓所が一族の者にきちんと守られているのであるならば、それでも相当な効果が出て来るものなのである。分家は分家の宿命として、初代に関しては財運がいいので、結構なお金が入ってくるものなのだ。そういうお金を遊びに使ってしまわないで、御霊舎を立てたり、墓参りのために積立て金として回しておくことだ。

 男性が海外に移住し、現地の外国人女性と結婚した場合、その外国人女性は墓参りの重要が解っていない場合が多々あるので、そういう時は妻への教育を兼ねて、帰国して墓参りをしておくことだ。妻に墓参りの作法を教えない限り、墓参りなどできないものなのだ。こういう場合の墓参りは、将来、自分の墓を外国に立てることを想定し、少しは墓の立て方を学んでおくことだ。そうすれば自分が死んだとしても、子供たちはテキパキと墓を立ててくれることであろう。

 分家は子孫を繁栄させるために、御先祖が外に出してのであって、子供をなるべく多く産むことだ。分家の子供たちが出世し易いのは、御先祖が守っているからなのである。分家なのに不妊症になったり、子供が1人や2人しかいないとなったら、それはそれで非常に問題なので、逆に先祖がその夫婦に災いを起こして、異常を知らせるのだ。そういう時は、すぐさま墓参りをして、先祖に対して無礼を詫びることだ。

●先祖の話が豊かな人間を作り出す

 墓参りに行くと親戚に会って、先祖の話で盛り上がるものだ。あの先祖はどうした、この先祖はこうしたなどと、他愛もない話が延々と続くものなのだ。この手の先祖の話は、慣れてしまうと、「またその話かよ」と思ってしまいがちだが、こういう先祖の話をするからこそ、自分たちの家族のルーツが解り、様々な人間模様も解ってくるのだ。

 繁栄している家族に限って、この手の先祖の話を大切にしているものだ。人間はどのような生き方をすれば成功できるのか、どのような選択をしてしまうと失敗してしまうのか、先祖たちは身を以て教えてくれているからだ。先祖の話を聞いておけば、自分たちは最少限の努力で成功できるようになるのだ。

 家系の流れというものは、非常に面白いものだ。例えば、政治家を一度でも出してしまうと、次から次へと政治家を出してくるのだ。ビジネスで一度成功すると、その子孫の多くは経営者になっていくものなのだ。学者を一度でも輩出してしまうと、様々な分野で学者が出て来るものなのだ。そういうことが解っていると、自分のやるべき仕事がなんとなく解ってくるし、現在のマスコミが煽っている「政治家の世襲批判」はそもそもが間違った議論と言いうのが解るものなのだ。

 憲法で「職業選択の自由」が保障されているからといって、自分がいかなる職業につけるわけではないのである。自分ができる仕事は限られているものなのだ。仕事を転々と変える人々は、自分がやらなければならない仕事が解っていないから、転職を繰り返してしまうのだ。そういうのは一時的に給料を得ることができたとしても、長い人生から見れば非常に損失の大きい生き方をしているのである。

 墓参りは決して自分たち夫婦のためだけのものではない。その赤ちゃんのためのものでもあるのだ。赤ちゃんが大きくなっていった時、墓参りを何度も繰り返していれば、その子は学校や大学を選ぶにしても、仕事を選ぶにしても、間違いのない選択をする確率が非常に高くなるのである。そういうことを自分の子供にしてあげるためにも、きちんと礼儀作法を守って墓参りをすることだ。

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第十一章 赤ちゃんが生み出す人間関係の広がり

初参りは家族揃って

●初参り

 赤ちゃんを無事に産み、生後30日を過ぎたら、初参りに行って、赤ちゃんが無事に生まれたことを神様に報告しておこう。地方によって初参りの日が異なるので、地方の習慣に従っておくことだ。大体、男の子は33日後で、女の子は32日後というのが、初参りの参拝日である。

 初参りは家族揃っていくことだ。夫婦と赤ちゃんの3人は絶対に必要である。それに大概、夫の両親が加わるので、夫の両親には参拝に遅れることがないように注意を促しておくことだ。参拝は午前中にしなければならない。これは昔からの決まり事なのだが、最近では守られにくくなっているので、注意が必要だ。午前中の気は澄んでいるために、初参りという赤ちゃんを連れての参拝は、午前中でなければならないのだ。

 神社に行ったら、まずは鳥居の前で1礼1拍手しなければならない。神様にこれから参拝に参りますということを伝えるためだ。参道を上っていく時は、参道の真ん中を決して歩いてはならない。参道の真ん中は神様の道だからだ。参道を歩く時は、母親が赤ちゃんを抱いて、それを中心にして進むことだ。

 本格的な初参りの際は、神殿に上がって、神職者の指示通りに従って儀式を行っていけばいい。本格的な初参りの際は、料金をしっかりと確かめておくことだ。場所によっては、料金を提示せず、参拝者のお気持ちでというのがあるのだが、これが一番困る料金設定であって、そういう時は友達などに事前に相場を聞いておき、その金額を渡すことだ。余りにも安い値段を渡してしまうと、後から「なんだあの連中は!」と後ろ指を指されてしまうので、非常に恐ろしいのだ。だったら、料金をきちんと表示しておいてと言いたくなるのだ。

 神殿に上がらず、略式で参拝を済ます場合は、神前で2礼2拍手1礼をすることだ。ここで大事なのは、2度目の拍手が終わった後に、両手を両膝に置き、腰が直角になるまで頭を下げて、礼をすることだ。参拝風景を見ていると、まず殆どの人々がこれをやっていないので、注意が必要だ。これでは参拝したことにならなくなってしまうのだ。だからこそ、神様のご加護を得られないのだ。宗教を軽視する現代の風潮のツケがこういう所に出て来るのである。母親は赤ちゃんを抱いているので、母親が2礼2拍手1礼をする時は、赤ちゃんを夫に持って貰い、妻は2礼2拍手1礼を行えばいい。、

●産土神に赤ちゃんを守って貰う

 初参りをするというのは、その土地の産土神に赤ちゃんを守って貰うということである。日本人はどの土地を開拓するにしろ、まずは産土神を定めて、その神様を祀り、それを中心にして集落が発達してきたという歴史を持つ。そのため、この産土神を無視してしまうと、神様からのご加護を得ることができなくなり、とんでもない災難に遭ってしまうのだ。

 初参りで問題になるのは、自分が神道とは異なる宗教を信仰している場合であり、そうなってしまうと、宗教上の理由で初参りには行かなくなる。特にキリスト教徒は初参りを絶対にしないので、これがために赤ちゃんを難病奇病にさせてしまう確率を高めてしまうのだ。自分たちの神を裏切った代償は非常に高くつくのである。

 日本で仏教が広まったのは、あくまでも仏教の僧侶たちが神仏習合を行って、神道を蔑ろにしなかったからであり、だからこそ、仏教を広めることができたのだ。だが、キリスト教徒はキリスト教を絶対視してくるために、神道を蔑ろにするために、日本全国どこでもトラブルを起こしてくるのだ。

 初参りは産土神に赤ちゃんを守って貰うというだけでなく、村落共同体への参加という意味合いも含まれているので、初参りをしないということは、「自分たちが住んでいる地域の仲間には入りません」と言っているようなものなのだ。こうなると、キリスト教徒同士で閉鎖的空間を築いてしまい、益々孤立してしまうことになるのだ。

 宗教というのは、経典の中にいくら凄いことが書かれていても、経典だけが大事なのではないのだ。宗教史も大事なのである。我々の御先祖たちが積み重ねた宗教行為が、現代の我々に宗教的遺産となって、我々に宗教的な利益をもたらしてくれるのだ。その宗教的遺産を自分の信仰を理由に破壊してしまわないことだ。そうなれば、自分がゼロから遣り始めなければならなくなり、当然に自分の赤ちゃんも宗教的利益を得られなくなってしまうのだ。

●絵馬に感謝の意を述べておく

 初参りは安産祈願へのお礼参りも兼ねているので、安産をすることができたことに対して感謝の意を述べておくことだ。安産の感謝は絵馬を購入して、自分の思いを絵馬に書き綴っていけばいい。できれば、夫も絵馬を購入して、妻が安産で赤ちゃんを産んでくれたことい対して、感謝の意を現わしておくことだ。

 妊娠中に安産祈願をしたのに、きちんとお礼参りをしないと、その後の育児で神様の報復に遭うことになる。自分の赤ちゃんが聞いたこともないような病気を発症してきた場合、お礼参りをしなかったことにあると思った方がいい。そういう時はすぐさまお礼参りに行って、お礼参りをしなかったことを神様に詫びることだ。そうすればその難病奇病も治ってしまうのだ。

 安産祈願をした時は、白い腹帯を巻いたものだが、お礼参りをする時は赤ちゃんに白い産着を着せてお参りをさせるのだ。こうすることで、母親の安産と、赤ちゃんの健康なる成長が繋がるのだ。現代ではカラフルな産着もあるので、こういう時に派手な産着では行かないことだ。

 絵馬は誰にも見られないようにするものではなくて、他人にも見られるものだ。現在、妊娠中の既婚女性たちがやってきて、その安産の成功を見て、勇気を貰うということもあるのだ。それゆえ、自分の安産は決して自分だけに留まるものではなく、安産は広がっていくのだということを決して忘れないことだ。

 妊娠中に安産で産むために、自分が様々な努力をしたけれど、絶対に「自分が頑張ったからこそ安産で産むことができた」などと言わないことだ。そういう態度でいれば、周囲の支援を今後受けれらなくなってしまうからだ、たとえ安産で産めたとしても、「みんなの助けがあればこそ、安産で産めた」と言って、謙虚にしていることだ。そうすれば今後とも周囲の人々の支援を受けることができるであろう。

●夫の両親へのご報告

 初参りは決して神様への報告だけではないのだ。集落への仲間入りを表明するだけのものでもないのだ。実際は、夫の両親に対して、赤ちゃんを産めたことを報告する儀式であるのだ。初参りの主人公は、その夫婦と赤ちゃんではあるけれど、影の主人公は夫の両親なのである。

 自分たち夫婦が結婚したからこそ赤ちゃんができたのではなく、夫に両親がいたからこそ、夫は生まれ育ち、自分と結婚することができ、そして自分が妊娠し出産することができたのである。だからこそ、自分が安産で赤ちゃんを産めたのなら、夫への両親に対して感謝の意を現わしておかねばならないのである。

 両親を自宅に招いて、手料理を振る舞うとか、レストランに行って、御馳走したりすることだ。その際、感謝の意を文章にしたため、それを夫の両親の前で読み上げると、夫の両親は涙を流して感動してくれるし、今後の嫁姑の関係が非常に良好になるのだ。夫の両親も初参りで適度に疲れ、更に料理を食べて胃に血液が集中しているのだから、些細なことでも感動してくれるものなのだ。普通の状態で感謝の意を現わしてもなんの感動もないものだが、こういう場所で感謝の意を述べると、感動の極みになるのだ。

 自由を余りにも重要視しすぎてしまうと、儀式を軽んじ、そのうちなんの儀式もしなくなってしまうものだ。儀式とは「美しき偽善」なのである。昔の人々は本当に安産で産まれたことを感謝して、「有難や。有難や」と言いながら、初参りに及んだ筈だ。しかし、それが儀式化されてしまえば、そんなに安産に感動しなくても、儀式だからということで初参りをしているにすぎないのだ。だが、実際に初参りに行ってみると、やはり感動するものだし、その儀式を巧く使いこなせば、より感動させることができるのだ。自由ばかりを唱えていては、いずれ何に対しても感動することができなくなってしまうものなのだ。自由の名のもとに、人間を感動させる儀式をすべて破壊してしまうからだ。

 我々は昔から伝えられてきた儀式を守り続けるべきなのである。どんなに古臭いといわれようが、その儀式を守り続けていけば、既婚女性たちは安産に成り易いし、健康な赤ちゃんを産むことができるようになるし、安産で産めたことへの感謝を他人に伝えられ易くなるからだ。優れた儀式はこの世がどんなに変動したとしても、後世に伝えていかねばならないのである。

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結婚して「愛の泉」からたくさんの愛を溢れ出させるために

●結婚したのに、「愛の泉」を塞ぐこと勿れ

 恋愛と結婚の決定的な差は愛の出力の差であろう。結婚すれば、恋愛していた頃とは比較にならないくらいに、愛が大量に出て来るのだ。未婚女性が恋愛し、好きな男性のために料理を作るというのは、1日でもう充分だろう。いくら好きな男性のためとはいえ、1週間も料理を作り続けては飽きてしまうものなのだ。結婚すれば、料理を毎日作らざるをえないわけだから、恋愛とは比較にならないくらいに、結婚での愛の出力は大きいのだ。

 しかし、結婚している当事者たちは自分たちが大きな愛を出していることに気づかないものだ。いくら大きな愛とはいえ、いつも出し続けてしまえば、それは当たり前のものになってしまい、独身時代ではごく僅かな愛しか出していたということを、完全に忘れてしまっているのだ。

 だからこそ、未熟な夫婦は夫婦喧嘩をしゅっちゅうやりまくるのだ。どんなに激しい夫婦喧嘩をしたとしても、夫婦喧嘩の原因は、殆どが些細なことなのである。それを冷静に見れば、わざわざ夫婦喧嘩をしなくてもいいのに、愛が多く出ているがために、感情的になってしまい、大きな夫婦喧嘩へと悪化してしまうのだ。

 結婚というものは、夫婦をそれぞれ生成発展させようとするものだ。それゆえ結婚しているからといって、愛さえ出していればいいわけではないのだ。愛とともに、「厳しさ」も必要なのである。厳しさとは、自分の考えていることが本当に正しいのか、自分がやっていることが本当に正しいのか、常に冷静になって自己審査し続けることなのである。この厳しさをきちんと持っていれば、いくら大きな愛を出していたとしても、感情的になって夫婦喧嘩にはならないものなのだ。

 結婚したのに、「愛の泉」を塞ぐこと勿れ。夫婦が無理をしなくても、自然と「愛の泉」から愛が流れ出て来るのに、些細なことで感情的になって、「愛の泉」を塞いではならないのだ。結婚というものは、愛さえあればすべて巧く行くというような幼稚な考えは早々に捨て去るべきなのだ。結婚したからこそ、愛以外のものが必要となってくるのである。

 愛というのは、人間の感情の産物だから、人間を感情的にさせ易い。だからこそ、相手が自分の思い通りにならないことに怒りを覚えてしまい、忍耐力のない人であるならば、その怒りが爆発してしまうのだ。夫婦でどんなことがあっても、相手の身になって考えると、悩みの8割は消滅するものなのだ。愛を出しさえすればそれでいいと思うのではなく、相手を思いやり、夫婦双方の立場から問題を解決できるように仕向けていくべきなのだ。

●嘘でもいいから、自分の夫は世界で最高の男と思え

 人間は見たこともない人に無限の憧れを抱いてしまうという危険な性癖を持っている。例えば、仏教徒なら2千5百年前に死んだゴータマ・シッダルータを崇め、その人物が一体どうなのかも知らないのに、手を合わせるは、頭を下げるは、供え物を捧げたりする。キリスト教徒なら、2千年前に死んだナザレのイエスを崇め、その人物が一体どうなのかも知らないのに、イエスが死から復活したことを信じ、祈りを捧げ、献金をするのだ。

 しかし、この仏教徒の既婚女性が自宅に帰れば、生きている夫を見下し、罵倒し、喧嘩を吹っ掛けるのだ。キリスト教徒の既婚女性も自宅に帰れば、生きている夫を信じることなく、愛に代えて憎しみをぶつけ、献金するどころから夫の財布からお金をふんだくろうとするのだ。

 人間は死んだ者を生きている者よりも上位に置いてはならないのだ。自分が見たこともない人を、自分が見たことのある人よりも優先させてはならないのだ。手を合わせ、頭を下げ、供え物をしたいのであるならば、まずは自分の夫にすべきであり、たとえ夫が死んだとしても夫を崇め、生きている夫の無事を祈り、夫の財布にお金が少なくて困らないは慮をすべきなのだ。

 嘘でもいいから、自分の夫は世界で最高の夫だと思うことだ。現実はそうでなくても構わないのだ。あくまでも妻が勝手に定めた基準で、世界最高の夫に認定してしまうのだ。自分の夫を世界で最高の男性だと思うと、自分の夫は本当に世界で最高の男性になっていくものなのだ。自分の夫はゴータマ・シッダルータよりも素晴らしいし、ナザレのイエスよりお愛を捧げねばならぬ貴重な男性なのである。

 自分の夫を単なる男だと思うと、そのような男にしかならないものなのだ。自分がこの世で唯一の夫の応援団長になってあげることだ。そうすれば夫が現在どんなに悲惨な境遇にいたとしても、立身出世を果たし、巨万の富をもたらしてくれることになるのだ。自分が愛を捧げるべきは、数千年前に死んだ男たちにではないのだ。今生きている自分の夫へなのである。

●夫婦愛は循環する

 夫婦愛というものは、決して一方通行ではないのだ。夫婦愛は循環する。これこそ、夫婦愛が持つ最大の特徴なのである。夫婦愛を一度発してしまうと、夫婦の中をグルグルと巡ってしまう。そうやって循環することで、夫婦愛は循環すれば循環するほど、愛が大きくなっていく。これが「愛の泉」の正体なのだ。

 夫婦の間に、一度、愛が流れ出してしまうと、その愛は夫婦の間を加速度を伴って回転し続けてしまう。これが「夫婦愛の加速度原理」なのである。自分が出した愛が小さな愛であったとしても、その愛は何倍も何十倍も膨らんで巨大化していく。結婚していると、愛は膨らめば、有り得ないくらいに膨らんでいくものなのだ。未婚時代にはどんなに恋愛で盛り上がっても、赤ちゃんができたりしない筈だ。住宅を所有したりしない筈だ。夫婦の資産として、数千万円、数億円、数十億円の資産を持てたりしてしまうのは、夫婦愛が加速度原理によって高速で循環しているからなのだ。

 だが、この夫婦愛の循環を使い間違えると、悲惨なことになってしまう。結婚していると、愛は萎めば、有り得ないくらいに萎んでいくからだ。妻が夫の仕事のできの悪さを愚痴ったり、給料の少なさを罵倒したり、家事や育児を手伝わないことを不平不満に思っていると、夫婦の間で愛は消えてしまい、憎しみが循環してしまい、しかもその憎しみは加速度原理によって急速に憎しみが巨大化してしまうのだ。

 だからこそ、夫婦喧嘩で暴力が発生すると、その暴力は激しいものになるし、殺人事件にだって発展してしまう。たとえ離婚を決断したとしても、奇麗さっぱりに別れることをせず、少しでも相手からお金をふんだくり、離婚後も激しい憎しみを抱いてしまうのだ。そういう夫婦は相手がどんなに悪い人物であるかを罵倒し続けるものだが、結婚した当初は愛を以て始めたのに、愛を憎しみに変えてしまい、その憎しみを循環させてしまったからこそ、離婚という結果に終わっただけなのである。

 結婚すれば夫婦は最も近い距離に居るものなのだ。しかも夫婦愛は循環していくから、その愛を決して憎しみに変えてはならないのだ。憎しみを持ってしまえば、最初はその憎しみが小さな物であったとしても、自然と憎しみが巨大化してしまい、自分では手に負えないものになってしまうのだ。

 仏教を信仰しているのに、夫婦喧嘩をいてしまい、離婚してしまう夫婦は跡を絶たないものだ。キリスト教を信仰しているのに、夫婦喧嘩をしてしまい、離婚してしまう夫婦はいくらでもいるものだ。なぜなら、自分の夫よりも、数千年前に死んだ男を優位に置いてしまい、しかも、その死んだ男に捧げる愛よりも大きな愛を自分の夫に捧げないからだ。これでは誰がやったとしても結婚は巧く行くことはないであろう。

●愛の喜びは性の悦びに繋がる

 夫婦の性行為は、単なる性行為なのではなく、夫婦愛の表現であるのだ。愛の喜びは必ず性の悦びに変わるものだ。結婚しているなら、夫婦は性生活を定期的に営むことになるから、性行為をするたびに、夫婦愛は膨らんでいき、大きなものに成長していくのだ。

 だから、夫は性愛術が巧くなって、せっせと妻に性の悦びを与えていくことだ。妻に性の悦びがあれば、妻の愛の喜びは更に大きくなるものなのだ。そうすればベッドの上ではあんなに優しかった妻が、ベッド以外の場所でも優しくしてくれるものなのである。そのような状態になれば、家庭内でのストレスが激減し、夫は全力を以て仕事に取り組めることができるようになり、自分の能力を最大限に発揮していくことができるようになるのだ。

 性欲に囚われている人であるならば、夫婦の性行為は性行為の中だけで完結してしまうと思ってしまう。だからこそ、夫婦の性行為を堕落させて、いかにも嫌らしい性行為におとしめてしまうのだ。そうなれば、妻は淫乱になるだけで、夫婦の通常の生活までが破壊されていってしまうのだ。

 性愛術をきちんと施し、妻に正しい性の悦びを与えれば、その性の悦びの中で治まりきるものではなく、その性の悦びが愛の喜びに変わって、自分たちの夫婦の夫婦愛をより大きくしていくことができ、それによって夫婦双方が高い能力を発揮して、夫婦に幸せと良高さをもたらすのだ。

 夫婦愛は夫婦の中を循環している以上、夫婦の性行為だって、それによって夫婦愛が循環しているのだ。結婚して月日が経っているというのに、夫の性愛術が未熟だったり、妻が恥じらってばかりいて、様々なプレイに挑戦しないというのであるならば、夫婦の性生活は向上していかなし、夫婦の性行為による夫婦愛の発生もイマイチになってしまうのである。そうならないためにも、夫は性愛術を上達させ、妻は勇気を出して様々なプレイにチャレンジしてみることだ。そういうベッドでの冒険が、夫婦愛を大きくさせ、結婚生活にも巨大な幸運をもたらすことになるのだ。

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あなたの性生活は、実は他人が決めている

●性行為の相手を固定することこそ、性愛術の基本

 性生活というものは、自分ではなく、実は他人が決めている。だから、自己中的な人では絶対に素晴らしい性生活を送ることができない。自分がどんなことをしたとしても、それには限界があるからだ。自己中的に生きず、自分と他人との関係を良好に保つ者だけが、相手の性生活を豊かにすることができ、自分の性生活を豊かにすることができるということだ。

 例えば、「ダメンズウォーカー」と称して、ダメ男ばかり付き合い、しかも過去の男たちを馬鹿にしているような女性には、永遠に性の悦びを得ることができないのだ。性行為がどうのこうのではなく、男女関係を良好に保つという、自立した女性としての最低限のマナーを守っていないからだ。

 逆に貧乏人の夫婦であったとしても、夫婦仲が良ければ、表面的には貧しくて不幸に見えたとしても、実は豊かな性生活を送っており、いずれそのセックスエネルギーが現実世界に転化してきて、その夫婦を経済的にも豊かにさせることができるのである。豊かな性生活が豊かな夫婦愛を作り出すこともあるが、良好な夫婦関係がなければ、まともな性生活を営めるわけがないのだ。

 性の世界は秘められた世界であるがゆえに、様々な人たちが出鱈目なことを言ってしまいがちだ。しかも、雑誌や書籍に出てくれば、衝撃的なものとして受け止められがちだ。そのためそれが本当に正しいことを言っているのか、判断つきにくい物であるのだ。だが、はっきりとこの基準さえ持っていれば、性愛術の良し悪しがつくという基準がある。

 それは「性行為の相手を固定すれば、性愛術が上達する」ということが解っている人なら、性愛術に関して最低限のラインはクリアしていることであろう。性愛術というものは、相手を固定すれば、自然と巧くなっていくものなのだ。自分の性愛術がいくら巧いからといって、相手を取っかえ引っかえしていれば、性愛術のレベルは低下してしまうものなのだ。

●男性の性愛術を上達させる秘訣

 そもそも性愛術は男性が備えなければならないものだ。性愛術を考え出したのも男性だし、性愛術を真剣に学んでいる者たちも殆ど男性たちだ。しかし、若い男性には性欲が強過ぎるために、どうしても性愛術を的確に習得していくことが困難になってしまうのだ。自分の性欲が邪魔をして、性愛術の基本すらまともに習得できないものなのだ。

 それゆえ、男性の性愛術が巧く成り始めるのは、性欲が衰え始める30歳を過ぎてからだ。10代や20代では下手に性愛術を巧くさせようと考えるのではなく、いかに射精しまくるかを考えてしまった方が、男として健康的であるのだ。若い時にきちんと射精しまくっておかないと、30歳を過ぎてから、性愛術を上達させられないものなのだ。

 性愛術が巧く成り出す時期は、男性にとって自立を完成させた時期や結婚する時期にピタリと一致し、精神的に自立し、結婚することで、性愛術が飛躍的に巧くなっていくのだ。男性の性愛術を上達させる秘訣とは、何か秘密めいた物ではなく、実は結婚して自分が本当に好きな女性とやりまくることにこそあるのだ。

 時たま、性愛術を教える学校という、いかにもいかがわしい学校ができたりして、話題をさらうものだが、この手の学校はすぐさま潰れてしまうものだ。こんな学校には碌でもない男性たちしか寄ってこないし、教える連中も碌でなしだからだ。明らかに金儲けのためだけの学校だから、まともなことを教えられるわけがないのだ。

 もしも男性が性愛術を巧くなりたいのであるならば、自分が本当に好きな女性と結婚してしまうのが、最も手っ取り早いのだ。ただ結婚すればいいのではなく、自分が結婚する前に、ちゃんと定職を持ち、経済的に自立して、様々な試練に耐えて精神的にも自立しておかねばならない。自分の妻をどんなことがあっても守り切れる力を持っていなければ、結婚だけでなく、性愛術を上達させるパワーに欠けてしまうからだ。

●女性が性生活で満足する秘訣

 女性が性生活で満足する秘訣は、自分が本当に好きな男性と結婚して、夫婦仲を良好に保つことだ。勿論、男性同様に、女性も結婚前に仕事をして経済的に自立し、親のお金で生活することがないようにし、様々な試練を経て精神的に自立しておかねばならないのだ。たとえ結婚したとしても、精神的な自立を終えていないばっかりに、夫を見下し、夫婦喧嘩を吹っ掛けているようであるなら、夫婦の性生活で満足いくものを得られるわけがないのだ。

 女性脳は男性脳とは違って、性行為だけを切り離して考えることはできない。女性脳はあくまでも性愛を恋愛や結婚の過程の中にあるものとして考えてしまうのだ。そのため、女性に性愛だけを与えてしまうと、女性脳が暴走して、その女性をまとな女性にさせなくしてしまうのだ。

 しかも、女性の性欲中枢と食欲中枢は隣接した所にあるので、食事を正しくしておかないと、正しい性生活を得ることができなくなってしまうのだ。偏食をし、間食をし、便秘がちであるなた、男性がどんなに努力したとしても、正しい性生活を得ることはできないのだ。女性が正しい性生活を得たいのなら、まずは栄養バランスの取れた食事をし、間食をやめて、朝の排便をしっかりと行っておくことなのだ。

 既婚女性は出産してしまうと、赤ちゃんのことを中心に考えてしまうので、育児をしている時期であったとしても、夫への配慮をきちんとしておくというすることをしないと、性生活がなくなってしまうという危険性があるのだ。赤ちゃんがいるからといって、育児だけをしていればいいというのではないだ。育児も家事もこなし、夫との関係に気を配らねばならぬのだ。こういうことは女性脳が最も能力を発揮し易いので、育児期間中というのは、女性が最も充実した日々を過ごせる期間であるのだ。

 既婚女性が性生活で満足するためには、性生活を向上させることをする前に、まずは家事や育児をきちんとこなし、夫婦関係を良好に保っておくことなのである。そうしておけば、自然に夫婦の性生活も向上していくことになるのだ。既婚女性が家事や育児をそっちのけにし、性愛を追及しても、まともな性愛を得ることはできないし、その代償は非常に高くつくのだ。

●既婚女性が性生活で求めるもの

 夫婦には様々な夫婦があるがゆえに、夫婦の性の悩みも様々なものがあるものだ。しかし、夫婦が健全な結婚生活を営んでいれば、自然と豊かな性生活を得られるものなのだ。それゆえ、性愛のことをとやかく言う前に、まずは自分たちの結婚生活をきちんと整えていくことだ。

 夫婦で性の悩みを持ってしまう夫婦は、性生活以前に様々な問題を抱えているものだ。例えば、朝起きて来たというのに、「おはよう」という挨拶を交わさない。朝飯前のひと仕事をせずテレビをダラダラと見ている。朝の排便をしない。掃除をきちんとしていない。洗濯機にカビが生えているために、洗濯物が臭い。料理が余りにも栄養バランスを欠き、しかも不味過ぎる。未だに赤ちゃんの夜泣きをきちんと処理できない。夫が仕事で忙しいのに、妻は夫に育児の手助けを要求して、夫婦喧嘩になる。これでは夫婦の性生どころではないのだ。

 結婚している以上、夫は自分がやるべきことをきちんとやる。妻も自分がやるべきことをきちんとやる。決して夫婦は平等ではないのだ。夫婦が同じことをやっていたら、その夫婦は確実に破綻してしまうのだ。夫婦が平等を否定し、夫婦がそれぞれ異なることをするからこそ、夫婦は様々なことをすることができ、結婚のエネルギーを拡充させていくことができるのである。

 どんなに性愛に貪欲な既婚女性であったとしても、性愛の場で求めてくるものは、意外とシンプルなものなのだ。まずは「自分をきちんと愛してくれるということ」だ。性愛術が巧い下手ではなく、自分をきちんと愛してくれるかどうかなのだ。これは性愛術が巧い男性が、テクニックに走り過ぎてしまい、遂々忘れがちな大事なことなのだ。

 次に「性愛術で愛を表現してほしいということ」だ。性愛術が下手でも、真摯な愛が伝わってくればそれでいいのだ。第三に「ちゃんとオルガズムに行かせて欲しいということ」だ。性愛術が下手な男性だと、このちゃんとオルガズムに行かせることができないゆえに、妻は性的欲求不満を抱えているのだ。だからこそ、性愛術を練習して、妻をきちんとオルガズムに行かせるようにしなくてはならないのだ。

 そして妻は「夫婦愛を支えるための経済力も欲しい」ということだ。この点は非常にシビアに見ているものだ。 というか経済力がありさえすれば、妻は多少の性的欲求不満があったとしても、それを問題視してこないのだ。夫婦が貧乏だからこそ、性的欲求不満を爆発させてきてしまうのだ。

 性愛術が巧くなるのも、豊かな性生活を営むためにも、結婚は絶対に欠かせないものだ。しかし、性愛術だけが巧くればいいというものではないのだ。豊かな性生活を送ればいいというものではないのだ。夫は仕事をしてお金を稼ぎ、妻は家事や育児をきちんとこなして、家族生活そのものを豊かにしていかねばならぬのだ。その豊かな家族生活の中に、素晴らしい性愛術も、豊かな生活も存在しているのだ。

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出産したからこそ、夫とのメイクラブが必要となる

●育児に専念すると性欲を忘れてしまう

 女性は出産すると性欲が減少するものなのだが、夫婦の性生活を怠ってはならない。夫の求めにはできる限り応じた方がいい。というのは、新米ママが出産後に育児に専念してしまうと、性欲そのものを忘れてしまう危険性があるからだ。初めての赤ちゃんを育てることは楽しいものだが、かといって赤ちゃんに執着し過ぎてしまうと、夫婦の関係すら危険になってくるのだ。

 新米ママの中には、余りにも赤ちゃんを待望し過ぎたために、異常なまでに母親モードになってしまい、妻としての役割を果たすことになんの魅力も感じなくなってしまう女性がいるものだ。既婚女性が出産後に離婚が続出するのは、これが原因で起こる離婚もかなりあるのだ。母親に成り切りすぎるのも、問題なのである。

 人間が生きていくには、「程々」が大事であって、母親としての役割も果たし、妻としての役割も果たし、というバランスが必要なのだ。母親だけの仕事をやっていればいいというのはでないのだ。妻としての仕事をもこなし、夫を立てることをしていかないと、後で取り返しのつかない損害を被ってしまうのである。

 新米ママの場合、初めての赤ちゃんを出産すると、少しは太り始める。これは第二子以降の出産の準備のためであり、脂肪をつけることで体温を上げようとするのだ。そのため、そのまま放置しておくと、ブクブクと太っていってしまうことになり、典型的なオバサン体形になってしまうのだ。それゆえ、育児をしているからこそ、夫婦の性生活で汗を流すことが必要となってくるのだ。

 夫婦の性生活の運動量を決して軽んじてはならない。メイクラブをきちんと行って貰えれば、かなり痩せるほどの運動になるのである。しかも性行為は夜に行われるので、脂肪が最も燃焼し易いのだ。だから、性行為をきちんと行えば、必要な脂肪はついても、無駄な脂肪は落ち、贅肉が奇麗に消滅していくのである。

●女性ホルモンは33歳でピーク

 女性にとって忘れてはならないのは、女性ホルモンのピークは33歳であるということだ。それ以降は少し減少して、高濃度で分泌され続け、40歳後半で急激に減少していくことになる。女性は33歳を過ぎれば、それ以降は老化していく一方になってしまうのである。老化防止のためには、いかに巧く女性ホルモンを分泌させ続けるかが、非常に大事な作業になってくるのだ。

 33歳を過ぎた既婚女性が、美しくいるためには、夫婦関係を良好にし、夫婦の性生活を定期的に営むことが大事になる。女性ホルモンは自分を美しくしようとするので、自分の夫から褒められたり、可愛がられたりしないと、よりいっそう美しくなれないのだ。歳を取っても美しくいたいのであるなら、夫婦喧嘩は絶対にやめた方がいい。夫婦喧嘩をすればするほど、顔にシワやシミができはじめ、徐々に醜くなっていくのだ。

 夫婦の性生活も女性ホルモンの観点から見れば、それを定期的に行えば、自分を美しくしてくれる大事な行為なのである。もしも既婚女性が性行為をしなければ、老けていく一方になのである。女性は性行為をするからこそ、歳を取って奇麗で居続けることができるのである。

 そしてたまには夫婦二人だけでデートをするのもいい。赤ちゃんがいるとどうしても赤ちゃんペースになってしまうので、赤ちゃんを両親に預けて、数時間だけデートをしてしまうのだ。昔のように時間無制限でデートするよりも、時間制限があるデートの方が盛り上がるものなのだ。濃密な時間こそ夫婦愛の証なのである。

 既婚女性が女性ホルモンの分泌量を低下させないためにも、日頃から手をつないだり、ハグをしたり、キスをしたりするということは、非常に大事な行為なのである。こういうことを日頃からしているからこそ、夫婦仲も良くなり、夫婦の意思疎通が簡単に図られ、女性ホルモンが健全に働いて、自分を美しくしてくれるのである。

●夫とのメイクラブによって奇麗になる

 女性は恋をすれば美しくなるというのは、それは若い時に話でしかないのだ。どんなに美しい女性といえども、結婚適齢期に突入すれば、結婚することでしか美しくなれないものなのだ。結婚していない女優がどんなに美しく見えても、それは遠くから見ているからこそ美しく見えるだけであって、間近で見てしまうと、しっかりと老化の跡が出て来ているものなのである。

 叶恭子だって自分の美貌を自慢して、不特定多数の男性と淫乱三昧に耽っていたら、いつの間にかマントヒヒみたいな顔つきになってしまったのだ。恋愛や性愛は自分が特定した異性と真剣になってやらないと、充分に効果が発揮されないのである。恋愛や性愛を悪用した結果は、必ず自分の顔に出て来るものなのである。

 女性は33歳をすぎたら、自分の顔に責任を持った方がいい。33歳以降の顔は、明らかに自分の生き様によって作られた顔だからだ。夫婦喧嘩をするたびに、自分の顔に深いシワが刻まれ、シミが出て来てしまうものなのである。夫婦でしょぼい性行為しかしていないと、体から張りや艶が失われ、徐々にブクブクと太り出すものなのである。

 結婚したのなら、「夫婦関係を良好に保つことで美しくなる」「夫とのメイクラブで美しくなる」と思い込んでいた方がいい。夫婦関係を良好に保っていれば、顔は常に明るく笑顔になってくるものなのだ。定期的に夫婦でメイクラブをしていれば、体は引き締まり、美しくなっていくものなのである。

 既婚女性がエステサロンに行ったり、化粧品に拘ったり、高級ブランド品を購入して、美しくなる努力をしたとしても、それほど美しくならないものなのだ。そういった物は、夫婦関係が良好で、夫婦の性生活をきちんと行っている人がやれば、更に一層美しくなるという代物なのである。常日頃、夫婦喧嘩をし、夫婦の性生活がなくなってしまった既婚女性が、いくらエステサロンに行っても、化粧品を厚く塗りつけても、高級ブランド品を身に纏っても、美しくなれないものなのである。寧ろ逆に醜くなってしまうものなのである。

●妻が性的に満足していることこそ、夫婦円満の本当の秘訣

 既婚女性の視点から見た場合、遂々性生活の重要性を忘れてしまいがちだ。既婚女性にとっては、家事をこなさねばならなし、育児をしなければならないし、夫との付き合いもこなさねばならないからだ。既婚女性にとっては、夫婦の性生活の持つ重要性は低いものなのである。だからこそ、性生活の持っている威力を忘れてしまうのだ。

 結論から言ってしまうと、妻が性的に不満な状態では、その夫婦がどんなに努力をしたとしても、夫婦喧嘩が発生してしまうものなのである。ベッドの上で、夫が自分にきちんとメイクラブをしてくれないという性的不満が、夫婦の日常生活で爆発してしまい、無意味な夫婦喧嘩を繰り返してしまうのだ。

 妻が性的に満足の状態だと、夫婦喧嘩は起きにくいのだ。たとえ起こったとしても、些細な夫婦喧嘩で終わってしまい、すぐさま解決される程度のものでしかないのだ。夫婦円満の秘訣をとやかくいうけれど、妻が性的に満足している状態こそ、夫婦円満の本当の秘訣なのである。

 キリスト教のように既婚女性に対して必要以上の貞節を要求し、夫婦の性行為は生殖目的のためだけだとしてしまうと、妻はどんなに努力をしたとしても、性的に満足を得ることができなくなってしまうので、夫婦喧嘩が起るし、僅かなことなのに夫婦関係そのものが破壊されてしまうことになるのだ。こういう女性に限って、「自分はちゃんと信仰しているのに!」と愚痴を垂れてしまうのだが、自分が間違った宗教を信仰してしまえば、必ず自分の生活に災いが及んでくるものなのである。正しい宗教を信仰していれば、自分の結婚生活は幸福に満ちたものになるものなのである。

 人間には性欲が必ずあるものだ。人間が生きている以上、その性欲を消し去ることはできない。大事なことは、その性欲を暴走させることではなくて、ちゃんと自己統御して、その性欲を正しく使っていくことなのだ。結婚すれば、夫にこんなに激しい性欲があると気付くものだし、妻だってそれなりの性欲だってあることに気付くものなのだ。夫婦双方がその性欲を無視してはならないのだ。既婚男性であるならば、妻にメイクラブをせっせとして、性的満足をきちんと与えていくべきなのである。既婚女性であるならば、夫がメイクラブをしたくなるような美しい体を作り、性的満足をきちんと頂くことなのである。それを地道に行っていれば、その夫婦はどんなことがあっても乗り切れるものなのである。

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出産によって変わる「性の記憶」

●優れた性愛術は、自立を終えた人間にしか持つことはできない

 人間の性愛は、性欲だけの産物ではない。増してやペニスやヴァギナだけの産物でもないのだ。人間の性愛をどうするかは、「脳の記憶の産物」であるのだ。だから、フロイトの学説に取りつかれて、リピドーがなんたらかんたら、近親相姦がなんたらかんたらといっていては、とんでもない間違いを起こしてしまうのだ。また、性教育を熱心に勧めてくる連中のように、ぺニスやヴァギナのことしか考えていない人々の意見を真に受けていたら、その人の性生活は悲惨なものになってしまうことだろう。

 子供を育ててみれば解るが、子供というのは性には無頓着だ。しかしそれでも男女の性差が現れてきて、女の子なら遊びで「おママごと」をやりながら母親の真似をし出すし、男の子なら父親の後をくっついて父親の真似をすることで成長していこうとする。子供同士の喧嘩で壮絶な喧嘩になるのは、自分の親を馬鹿にされた場合であって、そういう場合は子供はいかなることがあっても敵対する子供に徹底した攻撃を加えてくるのだ。

 そして性愛に関して生まれて初めて自らが意識せざるをえなくなるのは、女の子なら「初潮」を迎えた時であり、初潮が来たことを両親から祝って貰うということが、両親からの自立への始まりとなるのだ。男の子の場合、精通を迎えても、両親から祝われることはなく、勝手に両親のもとから自らが離れていくことで、自力で自立していかねばならぬのだ。

 子供は自立をし始めると、大抵は同性同士でつるむ。女の子は女の子同士で、男の子は男の子同士でつるむ。その仲間内では異性を入れるのは厳禁で、友達との友情を深めていくことに専念することになる。この友達の中から、親友を作り出し、その親友と仲良くなることで、友情を最も深めていくことになる。この親友との友情が完成すると、初めて「初恋のチケット」が貰え、初恋相手の異性が現れてくることになる。だから初恋ができるのは、高校生か大学生の頃でしかない。小学生や中学生の時期に初恋ができるわけがないのだ。増してや幼稚園児の時など絶対にできるわけがないのだ。

 人間の性愛は初恋時での性愛の経験が、最も大きな影響を与えてくる。性愛というのは、こういうものだという記憶が作り出されてしまうのだ。ただ、悲しいのは、多くの人々は、事前に性の知識をいくら持っていても、経験値が全く伴わないので、大方は初恋時での性愛が巧くいかないものなのだ。それでも、せめて女性にオルガズムを行かせたとか、男性からオルガズムに行かせて貰ったという経験ができたなら、その後の人生で性愛術が劇的に巧くなっていくことができるのである。

●出産は出産前の人生を洗い流してしまう

 夫婦といっても、初恋がそのまま結婚へと発展していったら別ではあるが、結婚するまで複数の異性とつきあった経験の持ち主同士なのだ。今までの恋愛が結局は巧くいかず、今の結婚相手こそが恋愛から結婚へと臨界点を突破させた相手なのである。だからこそ、独身時代に終止符を打ち、結婚することができたのである。

 だからといって、その結婚相手が性に関する記憶がマッサラだと思ってはならない。性愛の経験を何度も重ねてきた以上、性愛に関する嫌な思い出も、性愛に関する良い思い出もたくさん持っているものなのだ。そういう記憶が自分たちの夫婦の性生活の中に噴き出してきてしまうのである。

 だからこそ、結婚したら、多少は性愛術に関心を持って、過去の性愛の記憶を吹き飛ばせるくらいの性愛術を施さないと、配偶者は過去の性愛の記憶に囚われて、夫婦の性生活を満喫することができないのだ。特に男性は独身時代のような自分が一方的に射精するような性行為をやめて、妻にオルガズムを行かせる性行為へと切り替えるべきなのである。そうしなければ、妻は過去の性愛の記憶を捨てきれないのだ。

 結婚生活で特に大事なのは、出産は出産前の人生を洗い流してしまうということだ。女性は初めての赤ちゃんを出産すると、それまでに交際のあった男性たちは、自分を妊娠させ出産させるまでに至らなかった未熟な男たちと本能レベルで考え、出産前の性愛の記憶は奇麗さっぱりに洗い流してしまうのだ。男性は妊娠することも出産することもないがために、初恋の女性のことをうだうだと思い出したりするのだ。これは男女の性差で決定的なことなので、この性差を絶対に無視しないことだ。

 言わば、初めての出産後の妻は、性愛に関しては真っ白な状態であって、その夫の性愛術の腕次第で、いくらでも自由に性愛の記憶を作り出すことができるのだ。だからこそ、出産以後の夫婦の性生活がその後の夫婦の性生活を決定するのだ。妻が夫との性生活を楽しいと思うか否かは、出産後の性生活で決まってしまうのだ。

●夫婦の性生活に問題があるなら、自分たちで工夫しろ

 出産後の夫婦の性生活でなんらかのトラブルがあるなら、夫は自分の性愛術になんらかの問題があるとみていいのだ。妻は出産後、「精神的なヴァージン」になっている状態であって、しかし肉体的には処女ではないし、性愛の経験値もしっかりとあるのだ。それゆえ、妻に対して優しく接して、愛撫を駆使し、性交ではオルガズムに行かせまくらねばならぬのだ。こういったことをしなければ、夫婦の性生活でトラブルが生じてくるのは、当然のことなのだ。

 こういう場合、まずは「性愛術の基本を習得しろ」ということだ。性愛術の基本というのは決して難しいものではない。ただ、自分の性欲に惑わされて、自分のために使おうとするからこそ、いくら学んでも性愛術の基本が身に付かないのである。自分の性欲を制御し、妻に性の悦びを与えたいという気持ちがあるなら、簡単に習得できてしまうものなのだ。

 性愛術の基本を習得した所で、それはあくまでも基本にしかすぎない。それを実践の場でちゃんと使いこなせるためには、何度も試行錯誤をしていかねばならぬのだ。妻の性感帯はどこで、妻はこういう愛撫が好きだとか、妻はこの体位でなら確実に行くとか、様々なプレイを試していけばいいのだ。

 その上で自分たちの性生活を創意工夫することだ。妻が真面目な女性なら、下手に小細工を使わずに、ストレートな性愛術を使い続けることだ。妻が芸術好きの女性なら、演劇的要素を取り入れ、まるで演劇をしながら性行為をするようにすればいい。妻がスポーツ好きの女性なら、夫婦の性生活をスポーツにしてしまい、スポーツ競技のようにしてしまえばいいのだ。

 性愛術は普遍的なものかもしれないが、夫婦の性生活は個別的なものだ。その夫婦の個性というものが、如実に出て来るものなのである。他の夫婦がどのような性生活を送っていようと、自分たち夫婦が楽しいと思える性生活を作り出し、それを夫婦二人だけで楽しんでしまうのが、一番正しい選択なのだ。

●夫婦で性行為をするのが楽しいと記憶させてしまう

 男性は性愛術が巧くなってしまうと、どんな女性でも性の悦びを与えることができると錯覚してしまうものだ。しかし、実際にそのようなことをやっていると、とんでもない痛い目に遭ってしまうものなのだ。なぜなら、性愛は記憶の産物であって、その女性に性愛の楽しい記憶が少なければ、その女性に性の悦びを与えることはできないからだ。

 人間の脳は30日間で作り変えることができるのだ。だから、夫は妻に対して30日間連続して、日頃の夫婦関係を良好にし、夫婦の性生活を楽しいと記憶させてしまえば、妻はその後、多少のことがあっても、夫と性行為をすることは楽しいと思い込んでしまうのだ。妻の脳にそういう回路ができてしまえば、妻は夫以外の男性は性行為を楽しめなくなってしまうのだ。

 また、人間の肉体の方は、3ヶ月間で作り変えることができるので、夫婦の性生活を3ヶ月間、手抜きをせず、きちんとした性愛術を駆使していけば、妻の体は夫の性愛術に反応するような体に変化してくれるのだ。3ヶ月間というのは、実際にやってみると、異常に長い月日なのだが、これをしっかりやるからこそ、妻の体が劇的に変わっていくことができるのである。

 妻は出産すると赤ちゃんを育てることに意識が集中してしまうものだ。そのため夫婦の性生活をそれほど重要視してこない。しかし、妻が何も言わないからといって、妻が無関心でいるとは限らないのだ。出産後に出鱈目な性行為ばかりしていると、或る日突然に妻の性的欲求不満が爆発して、手のつけられない事態になってしまうのだ。

 「結婚すれば、いつでもセックスができる」なんて、とんでもない間違いをしていると、その代償は離婚という形で現れてきてしまうのだ。結婚したからこそ、妻が出産したからこそ、夫婦の性生活は慎重にやらざるをえないのである。夫が真面目に夫婦の性生活に取り組み、きちんと性の悦びを妻に与えていけば、妻は必ずきちんと評価してくれるものなのだ。夫婦の性生活で妻が何も言ってこなくても、地道に性愛術を駆使していくことだ。その努力は必ずや報われることになるのだ。

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霊障による二人目不妊とその霊的解決法

●先祖のカルマ

 通常の二人目不妊は、妻が育児に熱中する余りに二人目の赤ちゃんが生まれにくくなっている状況を作り出してしまっているものだ。その状況を巧く取り除いてあげれば、すんなりと二人目不妊を克服でき、妊娠できるものだ。しかし、すべての二人目不妊が巧く解決できるとは限らない。中には霊障が引き起こしている二人目不妊もあるからだ。

 「一人っ子が女の子」「出産後、矢鱈と体調が悪い」「出産後、家族に不幸が続く」、この三つが重なったら、出産後に霊障が起こり、そのために二人目不妊が発生してしまっているのである。霊障といっても、赤の他人の霊が引き起こしているものではなく、先祖の霊が引き起こしているものだ。しかも、先祖といっても、今から100年以内の先祖の霊だ。

 先祖が生前中に何かしらの罪を犯してしまい、それのために霊界で苦しんでいる場合、その先祖のカルマを子孫に清算して貰おうとする先祖がいるのだ。そのため、先祖のカルマをきちんと清算してあげないと、先祖は子孫を守るどころか悪さをしてき、子孫を絶家に向かわせようとするのだ。

 宗教団体の中には「信仰」を矢鱈に強調し、「信仰すれば救われる」とか「信仰すれば幸せになれる」という教義を持つ教団もいるが、この手の霊障に関しては信仰は全くの無力である。「ちゃんと信仰しているのに、どうして不幸になるんですか?」という質問を受けたりするが、この世には信仰ではどうにもならないことがあるし、実はその方が多いのだ。霊障もその一つなのだ。

 霊障といっても先祖なので、すぐさま殺したりはしない。警告を何度も発することで、子孫にカルマを落としてほしいだけなのだ。しかし、警告を無視し続けると、まずは妻の体を蝕んで病気にさせてしまい、命を奪ってしまうのだ。次に当主である夫を病死させたり、事故死させたりする。たった一人の女の子には難病奇病に罹らせて、散々困らせながら殺してしまうのだ。

●生霊による霊障

 霊障による二人目不妊で、先祖の霊以外で考えられるのは、夫婦双方の水子の霊だ。特に妻の方が結婚以前に堕胎をしたことがあるとか、夫が結婚以前に他の女性に堕胎を強要したことがあると、水子の霊は霊障を引き起こし易い。最も、水子の霊は二人目不妊以前に、夫の仕事が巧くいかないとか、仕事でトラブルを発生させるということで現れて来るので、非常に解り易いのだ。

 水子の霊とはよくいったもので、自宅の水周りで不自然な現象を引き起こしてくるのだ。例えば、台所で料理をしていたら、包丁で何度も怪我をしてしまうとか、風呂場で転んで大怪我をするとか、夜中に尋常ならざる寝汗をかくとかするのだ。水に関して異常なことがありすぎるなら、水子の霊を疑った方がいい。鎮魂してほしいと訴えているのだ。

 先祖の霊や水子の霊よりも遥に強力で恐ろしいのが、「生霊」だ。妻は自分が結婚することで、恨みを買っていないか調べてみた方がいい。自分が他の男と付き合っているのに、その男性を捨てて夫と結婚してしまったとか、夫が二股をかけていて、その女性を捨てることで結婚したとしたのなら、その捨てられた人々は恨みに思い、生霊になって二人目不妊を引き起こしてくるのだ。

 夫の場合、夫の仕事で夫を恨みに思う人はいないか、交友関係で恨みに思う人はいなか、夫が浮気をしていて、相手の女性が妻を恨んでいるのではないか、調べてみた方がいい。こういう場合、夫の生き方に問題があって、巧く人間関係を処理すればいいものを、敢えて他人の恨みを買ってしまう生き方をしているのだ。それが巡りに巡って、妻を二人目不妊にさせてしまっているのだ。

 生霊に関しては、とにかく生き方を変えることだ。自分たち夫婦の生き方こそが、問題を引き起こしているのだ。自分たち夫婦が精神レベルを上げさえすれば、この手の恨みが起こりにくくなるし、たとえ恨まれてもビクともしなくなるのだ。生霊に悩まされる夫婦は、自分たちの夫婦関係すら巧くいっていないというのが殆どだ。まずは目の前にいる配偶者と喧嘩を引き起こさないようにし、相手を受け入れてあげることだ。

●先祖祭祀と願かけ

 霊の問題に関しては信仰は全くの無力だ。いくら信仰したとしても、悪霊が治まってはくれないからだ、信仰を矢鱈に強調する教団に入っている人は、悪霊に悩まされても、教団は何もやってくれないものだ。それならこの機を利用して、その教団を脱会することだ。この手の問題すらを解決できないようであるならば、程度の低い教団であることは間違いないからだ。

 霊障を治めるためには、まずは「墓参り」をきちんと行うことだ。先祖のカルマによって二人目不妊になっているなら、墓参りこそ最も効果があるからだ。墓地に行ったら、掃除をし、ロウソクをつけてあげることだ。ロウソクは霊界にいる人々にとっては、光となって現れ、子孫を守るように促してくれるからだ。

 墓参りをした際には、絶対にお供え物を墓前に置かないことだ。お供え物を置いたとしても、どうせカラスや野良犬や野良猫に食われてしまうだけなので、墓が荒らされてしまうのだ。だから、先祖がそういうことはやめてほしいということで、霊障を引き起こすということもあるのだ。

 自宅には御霊舎を設けて、毎日、先祖の霊を弔っておくことだ。御霊舎には「水」「塩」「花」は必需品なので、絶対に絶やさないようにすることだ。御霊舎の前にはお供え物を置いて、「常に我が家は繁栄しています」と先祖に思い込ませることだ。食事をする際は、ご飯を最初に捧げ、それから自分たち家族が食べるようにすることだ。こういうことをしていれば、先祖の霊は悪さをしてこなくなるのだ。

 その上で二人目の赤ちゃんができるように「願かけ」を行うのだ。願かけは百日間連続して神社に参拝し続けるのだ。この百日間というのが非常に大事で、この期間には何があっても参拝し続けるのだ。1日でも休んでしまうと、効果がなくなってしまうほどに恐ろしいのだ。願かけは百日間かかるために、台風の季節に重なる時は行わないことだ。気候が穏やかな期間を選んで、願かけを行うのだ。

 願かけの場合、まずは水で体を清めてからいくことだ。どんなに冷たくても、温水は絶対に使わないことだ。冷水を頭から被り、徹底して清めてしまうのだ。その清められた体で神社に参拝し、二人目の赤ちゃんができることを願うのだ。これを百日間休むことなく続けるのだ。

 願が適ったら、必ずお礼参りをし、それなりのお金を納めることだ。願かけで心願成就してもお礼参りをしないと、その後、自分が願っても成功しなくなってしまうものなのだ。大事なことは、神様に対して誠意を見せることだ。自分は本当に二人目の赤ちゃんがほしいということを体できちんと現わすことだ。

●陰徳を積む

 先祖のカルマが出てきたり、水子の霊が出てきたり、生霊の霊障を受けるということは、その夫婦に陰徳が足りないからでもあるのだ。夫は仕事で頑張っているのに、給料も少なく、トラブルも多いとなれば、それはその夫に陰徳がないということなのだ。妻が二人目不妊でエンドレスで苦しんでしまうということは、それはその妻に陰徳がないということなのだ。

 陰徳とは、人の見えない所で徳を積むことだ。夫が仕事で手柄をあげました、妻が家事や育児をきちんとこなしましたというのは、陽徳である。この陽徳は目に見えるものなので、こればかり追い求めてしまうものだ。しかし、この陽徳だけでは、徳は本物にはならないのだ。陰徳があってこそ、徳は本物になるのだ。

 陰徳を積むためには、「慈善活動」をすることだ。この場合の慈善活動とは、難民を救済したり、募金をしたりするということではない。妊婦や新米ママたちの手伝いをするということだ。自分が妊娠や出産や育児で経験した技術や知恵を彼女たちに無償であげるのだ。言わば、妻の方がいらなくなった物を大量に溜め込んでいるために、新たな物が入ってこないのだ。だから、他人に無償で与えることで、無償で新たな物が入ってくるようになるのだ。

 これ以外にも自分の要らなくなったものを無償であげるということも有効だ。余りにも多くの物を持ち過ぎているために、二人目の赤ちゃんが生まれて来る余地がないのだ。育児をしていればお互い様となるので、こういう時に無償であげておくと、今度、自分が必要な物がある時に、それがすぐさま見つかり、購入できるものなのだ。こういう偶然も陰徳を積んでおかないと、なかなか起こらないものなのである。

 霊障によって二人目不妊が発生しても、それは恐ろしいことではないのだ。霊たちが自分たち夫婦の誤りを気付かせてくれたということであるのだ。悪さをしていた霊たちも、自分たち夫婦がきちんと祀ってあげれば、今度は一転して自分たち夫婦を守り、恩恵を与えてくれるものなのだ。自分一人の力で生きていると傲慢にならず、謙虚になって、先祖の霊的守護を受けながら、幸せに満ちた人生を送ることだ。

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二人目不妊を治す最強の作戦:「早朝のメイクラブ」

●仕事の疲労で、夫婦の性生活にエネルギーを回せない

 二人目不妊を発症する頃は、既婚男性の方は30代や40代になっている頃だろうが、この時期こそは仕事で最も疲れる時期なのだ。二人目不妊で苦しむ既婚女性の夫が、「疲れた」というようになったら、それは冗談ではなく、本当に疲れているのである。男子たる者、30歳を過ぎれば、体力が徐々に低下してきて、本当に疲れるものなのだ。

 日本のどの組織でも、30代や40代が最も仕事の負担がかかる年代だ。20代ではまだ若すぎるし、50代や60代では指導者の部署に就くものだ。そうなると、30代や40代という時期こそ、重要な仕事が多く回され、働きまくらねばならぬ時期なのである。ここで働きまくらねば、出世などできなくなってしまうのだ。

 日本のどの組織も「年功序列」でできている。年功序列をいくら批判しても、新聞社にしろ、テレビ局にしろ、出版社にしろ、すべてが年功序列の組織形態を採用しているのだ。実力主義一本で組織を形成している組織など、どこにもないのだ。創業当時は実力主義でいくベンチャー企業でも、事業が軌道に乗れば、徐々に年功序列を形成していき、そして年功序列の組織を作り上げていくものなのだ。

 年功序列は決して悪い組織形態ではないのだ。多くの人々が必要だからこそ、採用しなければならない組織形態なのだ。もしも実力主義で組織を形成しても、30歳以降という、体力が落ち始め、しかも結婚や出産や育児で出費がかさむのに、実力がないという理由だけで給料が低ければ、結婚もできないし、赤ちゃんだって産み育てることができないのだ。組織に忠誠を尽くす以上、そこでちゃんと結婚でき、子供を持てるようにすることは、組織として最低限の義務なのである。

 二人目不妊の治療がズルズルと長引いてしまうのは、妻の方は赤ちゃんが欲しいのに、夫の方は仕事で疲れきっているという一言に尽きるのだ。夫は仕事の疲労で、夫婦の性生活に充分なエネルギーを回せないのだ。二人目の赤ちゃんを欲しがる余りに、夫の疲労を考慮しないというのは、余りも夫婦愛に欠けた行動であるのだ。まずは夫の疲労を取り除いてあげることだ。それがまず先決なのである。

●食事のパターンを変更すれば、疲労しにくくなる

 夫に疲労が蓄積している場合、大方は食事の取り方に問題がある。男性は若い時は1日3食でも構わないが、30歳をすぎれば、1日3食では多過ぎるのだ。自分が必要以上に食事を摂取しているので、内臓が疲労してしまい、それが原因で肉体疲労や頭脳疲労が起こっているのだ。

 抜くべきは朝食か昼食である。特に朝の排便が終わっていないにも拘わらず、朝食を食べるべきではないのだ。ウンコがでないということは、排泄が終わっていないということであり、その時期に朝食を食べてしまえば、消化吸収にエネルギーを取られて、排泄ができなくなってしまうのだ。朝のウンコがでない場合は、朝食抜きで出勤したとしても構わないのだ。

 もしも、朝の排便が終わり、朝食を取ったのなら、昼食は抜くべきなのだ。朝食をしっかりと食べれば、夕食の間まで充分に持つし、しかも昼食の時間がなければそのぶん仕事の時間に充てることがでk、生産性が上がるものなのだ。昼食さえ食べなければ、「忙しい」「忙しい」と口にしなくなるものなのだ。それだけ充分に労働時間を確保できるということなのだ。

 1日2食を朝食抜きにするか、昼食抜きにするかは、その本人の趣向と仕事内容で決まってしまうが、とにかく1日2食にして、内臓の負担を軽減させてあげることだ。しかも1食抜いたことで食費が浮くし、更に食事の時間を仕事に充てることができるので、同僚よりもお金は溜まるし、仕事だって捗るのだ。そうすれば出世していくのは、間違いないのだ。

 妻の方も、夕食だけを本格的に作ればいいわけで、料理の苦労が激減するのだ。1日3度の食事のメニューを考えねばならぬというのは、結構な負担になるものなのだ。その負担が二人目の赤ちゃんを欲しいと願いながらも、これ以上の家事や育児の負担は御免だと無意識レベルで考えてしまい、二人目の赤ちゃんがなかなか授からない結果になっているのだ。

 夕食時には、必ず「酢の物」や「梅干し」や「糠漬け」といった、疲労物質を除去できる料理を出すことだ。肉や魚を出しても構わないが、年齢的にそろそろ野菜が美味しいと感じる年齢に差し掛かっているのだ。それゆえ、なるべく野菜料理を多く出して、体が欲することに応えてあげることだ。

●早朝にメイクラブをやれば、エネルギーは満タンで行える

 食事パターンの変更で夫の疲労を取り除いてあげれば、夫といえども、夫婦の性生活にエネルギーを回せるようになるのであろう。その際、夜に性生活を営むのではなく、朝に性生活を営んでしまうことだ。性行為は何も夜にやらなければならないという決まりはない。朝にやったっていいのだ。

 早朝にメイクラブをやれば、誰でもエネルギーは満タンの状態で取り組めるのだ。平日に仕事で疲れて帰ってきて、それから性行為をしましょうでは、夫は性行為どころではないのだ。疲れきっていて、もう眠りたいのだ。そこで平日に性行為をやるのではなく、夫に仕事がない休日に性行為をやってしまうのだ。そうすれば疲労なしで性行為を行えることができるのだ。

 早朝メイクラブは、妻の排卵期と重なった休日に行うことだ。そのためにも生理の周期をきちんと自分でチェックして、的確に最も妊娠し易い日に行うようにすることだ。早朝メイククラブの準備は早朝メイクラブを行う前日から始まっているのだ。前日には子供を夫の親か、妻の親に預けてしまい、宿泊させることだ。子供がいるとどうしても気が散るので、自宅にいさせないことだ。

 そして夫婦共々、朝食を食べないことだ。水やお茶を大量に飲んで、排泄を徹底して行うことだ。体内に老廃物や毒素があるからこそ、健康的な精子や健康的な卵子が出て来ないのであって、排泄をさせまくれば、妊娠し易い精子や卵子が出て来るものなのだ。排便は1日3回行うようにすることだ。午前中までは排泄の時間帯なので、正午までにとにかく排便をしまくることだ。

 昼食は炭水化物中心の食事とする。穀物は通常の2倍以上の量を食べることだ。果物も通常の2倍以上の量を食べることだ。炭水化物を大量に食べることで、脳にエネルギーを送りまくり、脳が明日の性行為に耐えられるようにしてあげるのだ。性行為中にトラブルを起こすような男女は、しっかりと炭水化物を取っていないから、性行為の最中に集中力が切れてしまい、それでトラブルが発生してしまうのだ。

 夕食は蛋白質や脂肪を中心にすることだ。炭水化物は極力少な目にすることだ。人間の内臓は、食事を食べると、最初は炭水化物を消化し、血糖値が落ちると蛋白質や脂肪を消化していくので、炭水化物を減らすことで、蛋白質と脂肪の消化を優先的に行わせ、内臓の負担を軽くしてあげるのだ。肉や魚がメインとなる食事になると思うが、その際に野菜をしっかりと取って栄養バランスにもしっかりと配慮しておくことだ。

●早朝メイクラブ当日

 さて、早朝メイクラブ当日は、起床後、朝の排泄が終わり、朝のシャワーで体を洗い流したら、すぐさま早朝メイクラブを開始することだ。二人目不妊で悩む夫婦の場合、夫のペニスがイマイチで、性行為の最中に硬くならないとか、インポ気味であるとか、様々な問題を抱えているものだが、朝立ちできちんと勃起している朝なら、そういうペニスの問題は発生しない筈だ。

 いつもは疲れている夫といえども、今日は仕事がないのだから、自分のエネルギーを性行為にぶつけてみることだ。妻の体を愛撫しまくって、オルガズムに行かせることだ。朝であるならば、妻の体も美しくなっている状態なので、愛撫のし甲斐があるというものなのだ。出会った頃を思い出して、愛撫をしまくって、その興奮を再現することだ。

 妊娠させるためには、オルガズムは絶対に必要となる。女性の体はオルガズムに行くことで、子宮が大いに動き、子宮口を開いて、精子を中に入れて妊娠させようとするからだ。それゆえ、愛撫や性交で何度もオルガズムに行かせた後で、射精すればいいのだ。こうすれば、最も高い確率で妊娠させることが可能になるのだ。

 早朝メイクラブは、朝食抜きで昼まで行うことだ。正味「6時間」もの間、徹底して遣り続ければ、夫婦双方満足した性行為ができるし、精子も子宮の中に大量に入っている筈だ。そうなれば二人目不妊を克服し、妊娠することは間違いなしだろう。夜に性行為をやった場合では、これだけの時間をかけられないものなのだ。

 早朝メイクラブをやった日は、夫は精力を使いきっているので、休ませてあげることだ。この日には決して遠出をしないことだ。早朝メクラブで体力を使いきった以上、少し昼寝をするというのは当然の現象であるのだ。いつもは仕事ばかりに追われているのだから、たまにはメイクラブのために費やす日があってもいいのだ。

 早朝メイクラブは、二人目不妊を克服する最強の作戦といっていいだろう。夫婦の性生活は夜に行わなければならないと思い込んでいる夫婦には、大逆転の発想なのだ。考えてみれば、1日の疲労が最も溜まっている夜間に性行為を行えば、妊娠の確率は下がるものなのである。体力のある若い時はそれでも妊娠できるけど、自分たちの体力が落ちてきたら、そうは簡単には妊娠できなくなってしまうのだ。自分たちの体力が落ちて来たのなら、それに合わした夫婦の性生活を営めばいいのだ。そうすればいくつになっても妊娠することが可能になるのだ。

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二人目不妊は深刻化する前に治す

●不妊症ではない二人目不妊

 俺が子供の頃、どの家の子供たちも2歳か3歳の間隔で兄弟姉妹がいたことを俺は不思議がった。どうしてこういう間隔があくのかという謎は、大きくなってから恋愛ホルモンの存在が解ってからだ。恋愛ホルモンは女性に妊娠と出産をもたらすが、その効果が約3年間しかないので、第一子の赤ちゃんを産み育てて、満1歳か満2歳に成る頃には、次の赤ちゃんが欲しくなり、母親は新たなる命を宿そうとし出すのだ。

 それゆえ、第二子を欲しがっているのに、その欲望を止めてしまい、余りにも長い期間放置しておくと、二人目の赤ちゃんを宿しにくくなってしまうのだ。「二人目不妊」という事態に陥ってしまうのだ。しかし、二人目不妊というのは、正確な表現ではない。この表現だとその母親が不妊症に陥っていると捉えられてしまうからだ。既に1人の赤ちゃんがいる以上、その母親は不妊症ではないのだ。不妊症というのは、その夫婦がどうやっても自力では妊娠しない病気なのだ。

 二人目不妊というのは、二人目を妊娠することが困難になっているだけなのだ。いわば妊娠できる能力を持っているのに、二人目を妊娠するタイミングを逃してしまっただけなのだ。二人目不妊は「二人目妊娠困難症」というべきであって、不妊症とは明確に区別させられなけれなばならないのだ。

 二人目不妊は深刻になる前に治しておいた方がいいだろう。深刻化すると、ずるずると長引いてしまい、結局、他の赤ちゃんを孕むことができず、一人っ子になってしまうからだ。不思議なことに、「3人目不妊」「4人目不妊」ということは聞かないものだ。2人目の赤ちゃんを産んでしまうと、子宮は立派に成長して、それ以降の赤ちゃんをバンバン産めるようになるのだ

 最初の赤ちゃんが満3歳を過ぎても自分が妊娠しなかったら、そろそろ焦り出した方がいい。その子が小学生になっても自分が妊娠しないなら、本格的に二人目妊娠困難症に突入していると思った方がいい。自分の年齢のことを考えても、早目に手を打って、二番目の赤ちゃんを孕んでしまうことだ。

●母親になったというストレスが二人目不妊を引き起こす

 二人目不妊になるような母親たちには、或る一つの特徴がある。それは「母子密着」という現象だ。最初の子供に対して、母親が余りにも干渉してしまい、いつも母と子が密着しているのだ。これは二人目不妊を解決して欲しいという母親たちの特筆すべき異常な行動なのだ。

 新米ママにとっては、最初の赤ちゃんは非常に嬉しいものだ。最初の育児は非常に楽しいものだ。しかし、赤ちゃんを育てていけば、赤ちゃんも自分一人の世界を欲しがり始め、母親のもとで徐々に自分でできる行動を取り始めるものだ。しかし、二人目不妊を引き起こす母親はどんなことに対しても子供に干渉してしまい、子供の自主性を奪ってしまい、子供が母親なくしては何もできない状態にしてしまっているのだ。

 二人目妊娠困難症の最大の原因は、母親になったというストレスによって自分の自律神経が狂ってしまったことにあるのだ。「自分はいい母親にならなければならない!」という強迫観念が、自分に対してストレスを与え過ぎてしまい、自律神経が交感神経にシフトしすぎてしまい、日々緊張状態にあって、子供に対しては過干渉を繰り返すようになってしまうのだ。このような緊張状態では第二子を妊娠するということは、非常に難しくなってしまうのだ。

 こういう育児をしていると、夫は妻の育児の仕方を褒めないものだ。妻としては自分の育児を夫に褒めて貰いたいものだが、夫の方は無意識のうちに育児の異常を感じてしまい、妻の育児を褒めないのだ。自分が一生懸命に育児をしているのに、夫から何も褒められず、ねぎらいの言葉もかけられなかったら、自分の育児は多少は異常なことをやっているのだなと思った方がいい。こういう自覚がなければ、自律神経の回復などできないからだ。

 自律神経の回復をもたらすために、余りにも母子密着をしないようにし、子供をいじくりすぎないようにすることだ。子供ができることに関しては子供に任せ、子供がいいことをしたのなら、ちゃんと褒めてあげることだ。そして子供にも家事を分担させ、正しい家事の仕方を教え、それをきちんとできたら、お小遣いを与えることだ。こういうことを繰り返していけば、子供は自主性を持ち始めて、母親の目が行き届かない場所でも、きちんとした行動が取れるようになるのだ。

 二人目不妊を治すためには、二人目不妊に余りにも拘りすぎるのではなく、まずは自分と子供との関係を見直すことだ。子供が自分にストレスを与えているのではない。自分がいい母親になろうとし過ぎていることが、自分に思わぬ多大なストレスを与えてしまい、自律神経を異常にさせてしまっているのだ。その自律神経の異常が、二人目の妊娠を困難にしているのだ。

●背骨を治す

 自律神経が異常になっている人は、必ずといっていいほど、背骨が曲がっている。自律神経が異常になったから背骨が曲がったのか、背骨が曲がったから自律神経が異常になったのか解らないけど、二人目不妊の女性は必ずといっていいほど背骨が曲がっている。

 なぜ、背骨が曲がったかというと、それは「赤ちゃんの抱き方」に問題があったのだ。家の中に居る時は、赤ちゃんの抱き方は自由で構わないが、外出する際は赤ちゃんをおんぶ紐で括り、背中に背負うというようにしなければならないのだ。このように背負えば赤ちゃんの体重が苦痛に成らず、しかも背骨が曲がることがないからだ。

 しかし、おんぶ紐を使わず、赤ちゃんを腕に乗せたり、お腹の上に抱いたりすると、それが長時間に及ぶと、女性の体ではそれを支えきれず、背骨が曲がってしまうのだ。こういう抱き方は父親がよくやるものだが、これは男性の場合、筋肉量が多いので、こういう無理な体勢で抱いても、背骨が曲がらないのだ。しかし、筋肉量の少ない女性だと、こういう無理な体勢が長時間続くと背骨が曲がってしまうのだ。

 二人目不妊の女性に直立させると、直立がきちんとできず、お腹を突き出したような立ち方をするのだ。こういう体形は明らかに背骨が曲がっており、そのために自律神経が狂ってしまっているのだ。しかも、この体形では子宮後屈に成り易く、夫がいくら射精しても精子が卵子に届きにくくなってしまうのだ。

 この曲がった背骨を治すためには、立った状態で、腰を折り曲げ、手を地面につけ、今度は逆に上半身を起こし、上半身を反らす体操を繰り返すことだ。これをやると背骨が逆方向に曲がり、曲がった背骨が治り始めるのだ。これを1日10回以上行うようにし、毎日行うことだ。できれば朝の早い段階でこの体操をしてしまうと、1日中、背骨が正しい形になることができ、正しい姿勢で生活することができるのだ。

 子宮後屈を治すためには、妻が寝っ転がり、足を体育座りの要領で抱き抱えて、その両足の上に夫に乗って貰うのだ。苦しくなってきたら、夫にどいて貰い、両足を伸ばすのだ。そして再び足を抱き抱えて、その上に夫に乗って貰うのだ。これを3回繰り返せばいい。これは毎日行う必要性はないが、夫婦で性生活がある夜は、これをやって子宮後屈を治し、妊娠し易いようにさせるのだ。

●オリーブオイルマッサージ

 背骨の曲がりを治したら、オリーブオイルで体をマッサージし、自律神経を整えるようにすればいい。二人目不妊になっている女性は、体が常に緊張状態にあるので、オリーブオイルマッサージをして貰うことで、その緊張状態を解きほぐして、自律神経を交感神経にも副交感神経にもシフトできるようにしてあげることだ。

 オリーブオイルマッサージは、ヴァージンオリーブオイルを使うことだ。オリーブオイルは肌が吸収してしまうので、安全性が確保されているものを使うことだ。そのオリーブオイルを手に取り、全身に塗っていけばいいのだ。塗って貰う役割は夫がやるのだが、その際はゆっくりとやって貰うことだ。男性の場合だと、スピードを速くしてしまい、緊張状態を解きほぐすことができなくなってしまうのだ。ゆっくりとしたスピードで行えば、緊張状態は解きほぐしていくことができるのである。

 オリーブオイルマッサージが終わった後は、石鹸でオリーブオイルを洗い流しても構わないが、肌を乾かして、そのままでも構わないのだ。翌朝には肌がピカピカになっていることだろう。それだけ自分の肌は脂分が不足していたということだ。外からオリーブオイルを染み込ませると、細胞は活性化し、妊娠し易い体を作ってくれるようになるのだ。

 自分が夫からオリーブオイルマッサージをしてくれたのなら、自分も夫に対してオリーブオイルマッサージをしてあげよう。夫の体にオリーブオイルマッサージをする要領は、自分にやってくれたものと変わらないが、しかし、夫にはペニスがついているので、夫のペニスにもマッサージしてあげることだ。ペニスに対して優しくマッサージし、陰嚢を引き延ばすことだ。こういうことをすると、精液の量が増え、妊娠する確率が飛躍的に高まるのだ。

 夫婦双方がオリーブオイルマッサージで気持ち良くなり、その気になってしまったら、そのままでメイクラブに突入してしまっても構わない。オリーブオイルで体が滑り易くなっているので、普段とは違う感覚のメイクラブヲすることができ、性感も物凄く高まるのだ。このプレイだと、当然に妊娠する確率が高まり、二人目不妊を克服することが可能になってくるのだ。

●子供を置いてメイクラブに専念する

 二人目不妊で悩む既婚女性の場合、とにかく自宅で夫婦の性行為を営んでしまうと、生活の延長線上になってしまい、どうしても性行為に集中できないという事態になってしまう。そのため、心身が妊娠モードにならず、性行為をしているのに、日常生活の些細なことを考えてしまって、性行為に夢中になれないのだ。

 こういう場合は、子供を夫の両親に預け、夫婦揃ってホテルにでも行って宿泊してしまうことだ。その日1日は、生活のことを忘れて、正装をしてレストランで食事をし、ホテルで優雅に過ごしてしまうのだ。子供のことを話すことはタブーと決めて、夫婦が非日常の世界でゆっくりとした時間を過ごすことだ。

 日常生活から離れてしまえば、メイクラブに専念できる筈だ。最初の赤ちゃんを妊娠できたのは偶然だと思い、新たに妊娠させるために「メイクラブの仕方を変える」ことだ。夫が妻に奉仕するようにし、妻をオルガズムに何度も行かせてあげることだ。オルガズムに行く回数が多いと、子宮口が開き、精液が入り易くなるので、妻がオルガズムに行けば行くほど、妊娠する確率は高まるのだ。

 そのためには、愛撫の時間を増やすことだ。愛撫には最低でも1時間以上かけ、ペニスを挿入する前に愛撫で何度も行かしてあげることだ。女性の体は愛撫で3回以上行かしてあげると、性交時にオルガズムに行き易くなるので、愛撫に時間をたっぷりとかければ、それだけ性交がし易くなるのだ。

 性交時には夫の射精に重点を置くのではなく、妻のオルガズムの回数を増やすことに重点を置けばいい。愛撫で体を温めた以上、性交時での妻の体は動き易くなっており、易々とオルガズムに行かせることができるからだ。夫は最後の最後で射精すればいいのだ。そうすれば、たった1回の射精で最も妊娠し易い射精をすることができるのだ。

 そして、射精したら終わりではなく、後戯をきちんと行うことだ。男性は射精すれば終わりなのだが、女性はそうではなく、性交が終わっても後戯を行って余韻を残すと、愛を感じる動物なのだ。面倒臭いだろうけど、これをやるかやらないかで、妻の性行為に関する印象がまるで違ったものになるので、要注意だ。

●断食して宿便を出してしまう

 妻が出産後に肥満になってしまい、それで二人目不妊になっているなら、断食して宿便を排出してしまうのがいい。妻の体は「胃腸内の異常発酵」を起こしており、いくら妊娠させようとしても、老廃物と毒素で巧く胎児が育ってくれないのだ。だから、断食をして宿便を出してしまえば、胃腸内の異常発酵は止まり、妊娠を妨害しなくなるのだ。

 宿便排出断食は多少の危険を伴うので、断食道場で断食をすることをお勧めする。断食の指導者がいれば、断食がし易いし、断食の際のトラブルも防いでくれるからだ。宿便を出すための断食は、断食中に一切の食事を立ち、水と塩だけを摂取して、とにかく排便排尿を繰り返していくことだ。塩分を取るのは、腎臓の機能を低下させないためである。

 断食をすると、何も食べていないのに、よくぞまあこんなにウンコが出ると感心するくらいにウンコが出て来る。そして或る日突然にお腹が痛くなり、便意を催して便所に駆け込むと、大量の真っ黒なウンコが出て来る。これが宿便である。これが自分の体内にあったからこそ、二人目の赤ちゃんを妊娠するのが困難になっていたのだ。この宿便こそ、自分の体内にあった最後の老廃物と毒素なのである。

 宿便は1回で出し切れるものではなく、何度か出て来るので、それ以降も断食を続けることだ。真っ黒なウンコが出なくなれば、断食を終了させ、補食を食べるようにすることだ。、補食とは薄いお粥に薄い味噌汁であり、それを段々濃くしていくのだ。補食の日数は断食を始めてから終わりまでの期間を要するので、この期間を絶対に守ることだ。断食で死亡事故が起きるのは、必ずといっていいほど補食の期間なのだ。補食の期間に大量に食事を取ってしまうと、内臓がビックリしてしまい、腸捻転を引き起こして死亡してしまうのだ。

 宿便排出断食を軽い物にしたいのなら、水と塩分の他に、リンゴ人参ジュースだけを飲んでいいという断食もある。リンゴ人参ジュースは人間が生きて行くために必要な栄養素がすべて含まれているので、これを断食の期間中、食事代わりにして飲めばいいのだ。但し、1日に飲んでいい回数は1日2回までである。この断食の仕方であるならば、それほど苦労することなく、宿便が出て来る筈である。

●1日2食制に切り替える

 宿便を排出したからといって、その後に大量に食事を食べて太ってしまったら、元も子もない。宿便を出してスリムな体になったのなら、「1日2食制」に切り替えてしまうことだ。朝食を抜きにして、昼食と夕食だけを食べるようにするのだ。これをやると内臓が食べ物の消化吸収に追われることがなくなるので、体内のエネルギーを妊娠に振り向けることが可能になるのだ。

 朝食を食べなくても、別に問題は生じないのだ。人間は夕食時に食べた物をエネルギーにして動くことができるし、それがなくなれば肝臓からグリコーゲンを放出して、それをエネルギーにすることができるし、それすらも使い切ったら脂肪からエネルギーを出して活動することができるのだ。

 朝は食事を食べるより、排泄に重点を置き、とにかく排便排尿をしまくることだ。お腹がすいたのなら、水を飲んで空腹を誤魔化して、排便排尿をし易くさせてあげることだ。朝食を食べなければ、午前中に3回のウンコは確実に出て来る筈だ。朝食を食べてしまえば、1日1回のウンコしか出ないだろうが、朝食を抜けば1日3回のウンコが出るのだ。1日3回もウンコが出れば、太ることはないし、内臓も老廃物と毒素を大量に出し切ることができるのである。

 もしも、どうしても朝食を食べたいというなら、リンゴ人参ジュースを飲めばいい。リンゴ人参ジュースは胃への負担がゼロであって、すぐさま十二指腸に行ってくれて、すぐさま消化吸収を開始してくれるのだ。リンゴ人参ジュースを飲めば空腹ではなくなるし、その糖分が脳に送られ、脳も機能を低下することはなくなるのだ。

 二人目不妊を克服したいのなら、昼食時には果物をたくさん食べて、昼食と夕食の療法では生野菜を大量に食べることだ。妊娠するためには、酵素水分が必要となるのだが、二人目不妊を引き起こす女性はこの酵素水分が不足しているのだ。酵素水分は果物や野菜の中に含まれているので、これを摂取してしまえばいいのだ。酵素水分が大量にあると、非常に元気になるし、お肌は艶艶になるし、非常に美しくなっていくのだ。

●不妊症を治すお茶

 二人目不妊を克服するためにお勧めのお茶は、「アマチャズル茶」と「イカリソウ茶」と「ローズヒップティー」である。これらのお茶を飲んでいけば、確実に二人目不妊を克服することができることだろう。二人目不妊を克服したいのなら、緑茶や紅茶を飲んでも構わないが、珈琲のようにビタミンを奪い、体を冷やしてしまう物は決して飲まないことだ。

 アマチャズル茶の効能は、「ストレス解消」である。二人目不妊に場合、二人目を妊娠できないことでかなりのストレスを溜め込んでいるものだし、夫婦関係のことや、子供のことで、とかくイライラしがちなのだ。そこでアマチャズル茶を飲んで、ストレスを解消し、リラックスさせるのだ。

 イカリソウ茶の効能は、「精力増進」「不妊解消」である。夫婦で性行為をする日は、夫婦揃って必ず飲むようにすることだ。特に夫の方が仕事などで疲れきっている場合、妊娠させようとするどころではなくなってしまうからだ。とにかく自分の夫に精力をつけさせてあげることだ。そして自分の方も不妊解消を目的としてイカリソウ茶を飲んで、妊娠し易い体にしておけばいいのだ。そして夫婦で性行為をすれば、妊娠することができるのである。

 ローズヒップティーには大量のビタミンCが含まれ、胎児の成長を促進させるのだ。女性は年齢を重ねるごとに、自分の老化を防ぐためビタミンCを消費してしまうので、体内のビタミンCが不足してしまえば、胎児を成長させるだけのビタミンCが不足してしまい、そのために二人目不妊という事態に陥ってしまうのである。

 また、このビタミンCは鉄分の補給に一役買うので、生理の重い女性にとっては、生理の負担を軽減させることになる。生理が重いというのは、それだけ体内で鉄分が不足しているということであり、正常な血液が作られにくくなっているのだ。生理が重ければ、当然に胎児に向ける血液が不足してしまい、妊娠どころの話ではなくなってしまうのだ。

 アマチャズル茶とイカリソウ茶は薬草茶なので、必ず「土瓶」を煮出すことだ。ステンレス製の物を使うと効果が減少してしまうので、土瓶を使うという決まり事は必ず守ることだ。ローズヒップティーは薬草茶ではないので、鉄瓶でも大丈夫である。鉄瓶でお湯を沸かした方が、鉄分も補給できるので、一石二鳥なのである。

 二人目不妊は決して難しい治療を要するものではない。最初の赤ちゃんを産んだ実績がある以上、妊娠する能力はあるのだ。それが出産後のなんらかの事情によって二人目を妊娠することが困難になっているだけなのだ。二人目不妊の治療をちんたらとやっていると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまい、年齢的に妊娠することが困難になってきてしまうので、そうなる前に素早く治療を進めていき、二人目を妊娠してしまうことだ。

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性愛術とポルノの関係

●宗教がなければ、性愛術は発達しない

 性愛術というのは、個人個人がいくら巧くさせたとしても、それほど発達することはない。性愛術の発展に必要なのは、実は「宗教」なのである。性愛術が発達した国家は、「日本」「中国」「インド」なのであるが、インドではバラモン教の「愛欲」という教えが性愛術を発達させたし、中国では道教の「房中術」が性愛術を発達させたのだ。日本では神道の夫婦和合という教えが性愛術の発達を促したのだ。

 時は戦国時代、戦争に行く武士たちは、自分が安全に帰ってこられるように、神社の絵馬に女性の裸婦像を描いて、それを身につけて戦場に臨んだといわれる。女性の裸婦の力によって我が身を守ろうとしたのである。古代の性器崇拝が違う形で復活してきたのである。戦国時代が終わり天下泰平の世の中になると、この絵馬が「浮世絵」や「春画」として発達していったのである。

 江戸時代は日本の歴史の中で最も性愛術が発達したと言われる時代で、この時代に「江戸性愛術四十八手」が生まれている。これは今も使われている性愛術なので、いかに先祖たちの大きな遺産かが解る。性愛術が発達するためには、「エロ本」というのが必要で、これがなければどうやっても発達してこないのだ。春画という、いかにもエロチックに描いた絵がなければ、体位ひとつを取っても、それを分析しようがないのだ。

 よく、江戸性愛術四十八手は実践的ではないという声が聞かれる。それは当たり前だ。江戸性愛術四十八手は、男女が行えるであろう体位を考えうる限り考え出したものであって、それを実践で使うかどうかは大事ではないのだ。相撲の決め技だって、毎回出る決め技もあれば、何十年に一度しか出ない決め技があるのだ。大事なことは、その滅多に出ない技の存在を知り、それに名称を与えているかどうかなのかなのだ。

 性愛術はキリスト教のように頭ごなしに性愛を否定してくる宗教では絶対に発達することがない。どんなにスケベな信者たちでも、どこかで心理的なブレーキが働いてしまい、性愛術の臨界点を突破できないのだ。その宗教が性愛を肯定し、しかも堕落的な性愛を避け、「性愛倫理」というものを付与することができ、性愛を正しい方向へと導くことができるなら、その信者たちの性愛術は発達していくことができるのだ。それはその信者たちの夫婦生活にも劇的な影響を与えて、夫婦の性生活は充分に満足することがででき、子孫を繁栄していくことができるようになるのである。

●まともなエロ本と若者たちの健全な成長

 性愛術を発達させていくためには、宗教の他に、エロ本の存在が必要なのである。その国でエロ本を健全に発達させることができれば、その国の民に性愛術の発展という利益を享受させることができるのだ。逆に性愛を肯定する宗教があっても、エロ本文化が育たなければ、性愛術は発達することはないのだ。

 男性にとっては、エロ本との最初の出会いが肝腎である。青少年になった早い時期に、ちゃんとしたエロ本を見ておけば、逆に健全な若者に成長していくものなのである。青少年の頭の中に女性の体は美しい物という記憶が残ってしまえば、成長してから女性に美しい体を求めるようになり、実際に女性と交際してしまえば、その女性を大切に扱おうとし出すのだ。

 エロ本だからといって、早い時期から、男女のエロチックな絡みを見たり、アナルセックスを見たり、同性愛プレイを見てしまえば、その男性は異常な方向へと成長していくのは当たり前だ。エロ本にも自分の成長に合わした物を見て行かないと、自分の精神がおかしくなってしまうのだ。30歳をすぎた男性が見て刺激的なものであっても、青少年には有害だということは有り得るのだ。

 俺の場合、父親の仕事の関係で、アメリカからノーカットのエロ本を購入することができ、それを中学1年生の時に見ている。白人女性のヌードを集めたエロ本で、陰部は丸出しで、男女の絡みは全くないものだ。そのお蔭で俺はエロ本に関しては余り異常な関心を持たず、健全な青少年として成長することができた。性に関心のある早い時期に、女性の体をきちんと見ておくことが、逆にその青少年を健全に育ててしまうのである。

 しかし、俺の友人たちはそうではなかった。日本では猥褻規制があるために、エロ本が過激になる傾向があったのだ。普通の中高生なら、最初はビキニ姿から始まり、次はランジェリー姿、そしてヌード、更に性交シーン、挙句の果てにはレイプシーンへと行ってしまうのである。俺にはなんでレイプシーンを見て喜ぶのか理解できなかったが、猥褻規制のかかったエロ本を見ていると、どうしても性欲が異常になり、歪んだものになってしまうのである。

●回春としての効果

 エロ本は若い時にはオナニー用のものであって、若者の過剰な精力を発散するものであるが、30歳を過ぎれば回春用なのである。たまにはエロ本を見て、性的な刺激を受けておかないと、どうしても性欲は衰えていってしまい、そのうちにセックスレスやインポになってしまうものなのである。

 男性は30歳を過ぎると、アルギニンの分泌が止まってしまうので、それ以降はアルギニンを含んだ食品を摂取するとともに、エロ本でも見て脳に刺激を与えていかないと、性行為の際に充分に勃起を維持することができなくなってしまうのだ。多くの真面目な男性は「大人になったのに、まだエロ本を読んでいるのかよ!」と吐き捨ててしまうものだが、そういうことをいっていると、自分の性生活が消滅してしまうことになるのだ。

 男性が結婚していようものなら、自分の妻からエロ本のことをとやかく言われてしまうものだ。曰く「私の体が魅力的ではないの?」とか「私達の性生活に何か不満でもあるの?」とか言い出すのだ。しかし、いかに満足行く性生活を送っていても、エロ本で頭を鍛えておかないと、男性は性欲が衰えていってしまうのだ。

 性愛術はエロ本を見なくても、或る程度までは上達することができる。性愛術は実践で学ぶのが一番効果的なのだ。しかし、エロ本を見ていなければ、性愛術の情報が不足してしまうし、自分の脳に刺激を与えることができなくなってしまうのだ。性愛術の巧い男性に限って、質の高いエロ本をかなりの数を持っているものなのである。

 男性の場合、働き盛りになってしまえば、仕事中心の生活になってしまい、エロ本など読んでいる暇などなくなってしまうものだ。そのため、徐々に性欲に関する脳が衰えてしまい、気づいた時には自分の妻になんの性的魅力も感じなくなってしまい、性生活も消滅してしまうものなのである。

●ポルノを禁止すれば、凶悪犯罪が跋扈する

 日本では猥褻規制があるために、エロ本というのはまともに評価されることはない。そのため、エロ本を通常の本屋では買えないような条例を制定して、青少年からエロ本を遠ざけるのに必死に成っている。しかし、青少年からエロ本を遠ざけても、青少年たちは健全に成長することはない。寧ろ事実は逆で、若い時にエロ本を見て精力を発散していないから、ちょっとしたことでキレてしまい、凶悪犯罪を平気で起こしてしまうのである。青少年保護条例がある自治体ほど、凶悪犯罪の発生率が高いものなのだ。

 人間には性欲が存在している以上、一律にエロ本を始めとするポルノを禁止するというのは、非常に危険な行為なのである。ポルノを禁止すれば、凶悪犯罪が跳梁跋扈してしまうものなのである。かといって、ポルノを野放し状態にしてしまえば、ポルノを見たくない人々にも見させることになってしまい、それはそれで問題なのだ。

 ポルノは見たい人には確実に手に入れることができるようにし、ポルノを見たくない人には見ないようにすることをしなければならないのだ。また、ポルノの健全な発達を促すためにも、猥褻規制を解除してしまうことだ。ポルノが過激化するのは、猥褻規制があるからであって、ポルノの製作者たちは法律に逆らうことで自分たちの鬱屈した感情を爆発させているだけなのである。

 猥褻規制を解除したとしても、犯罪を誘発するようなポルノや倫理的に余りにも反するポルノは必ず制限しなければならない。例えば「児童ポルノ」や「暴力プレイ」や「獣姦」などだ。SMプレイといえども野放図に許されるのではなく、危険なプレイに関しては、監視対象にすべきなのである。

 その上で、ポルノ関係者の権利と義務を定めることだ。法律によって肯定的に扱われてこなかったために、ポルノ業界というのは、法律の整備が最も遅れているのだ。きちんとした権利義務を定めておかないと、ポルノ関係者たちは碌でもないポルノしか作ってこなくなるものなのだ。

 ポルノに関する法律や条例は、一部の政治家たちや一部の学者たちが論議を進めていってしまい、その人たちの意見だけが通ってしまうものだ。そのために現実離れした法律や条例が制定されてしまうものだ。性の悦びを知らない真面目人間たちに、ポルノを語る資格はないのだ。人間には誰でも性欲がある以上、ポルノに関する法律や条例は、国民投票や住民投票にかけるべきなのである。そうすれば現実に即して法律や条例が制定されるものなのである。

 既婚女性にとっては、ポルノは関係ないと思ってしまう、しかし、健全なポルノがあるからこそ、自分の夫の性愛術が上達し、セックスレスにもインポにもならないでいてくれるのである。余りにも真面目になりすぎてしまい、ポルノ禁止する方に回ってしまえば、自分の性生活も消滅してしまうことになるのである。その代償は非常に高くつくのである。

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「結婚に於ける性愛」と「売春に於ける性愛」

●結婚に於ける性愛

 どの動物も性愛は生殖のためだけに行われる。性愛は本来「生殖のためにこそある」ものだかrだ。しかし脳を大きくしていった霊長類は、性愛を生殖だけには使わない。快楽のためにも使うし、集団での人間関係を維持するためにも使用する。脳が大きくなった分、性愛を生殖以外のために使うということができるようになったのである。

 霊長類よりも進化し、動物の中で最も高い知能を持った人類は、性愛を「生殖」を主目的に、「快楽」「人間関係の維持」という目的のためにも使用する。そして、それを結婚内に於いていかんなく使用して、夫婦がただ単に子作りのために性行為を行うのではなく、快楽のためにも、人間関係の維持のためにも使用し、そのどれか一つでも欠けてしまえば、途端に結婚は危機に陥ってしまうのだ。

 ところが、人類はこの性欲を自分で制御して、性愛が持つ力を最大限に発揮して行こうという正しい方向を取らずに、性愛を否定する宗教を生み出してしまったのだ。それが「仏教」である。仏教の教祖の釈迦は、結婚をしてラーフラという子供を産んだのだが、ノイローゼが高じてしまい、妻子を捨てて出家をするようになってしまう。その釈迦が生み出した教義には、「結婚の否定」「性愛の否定」 「生殖の否定」を含んでいるから、当然に性愛によって快楽をもたらすとか、性愛によって人間関係を維持するということもなくなってしまったのだ。

 では、結婚や性愛を否定した仏教がその後どうなったかといえば、仏教寺院は男色の巣窟となってしまったのだ。浄土真宗に至っては釈迦が定めた戒律を否定し、平然と結婚する僧侶が出て来てしまったのだ。いかに仏教の教義といえども、性愛は否定できないということなのだろう。人間は結婚や生殖を否定してしまうと、自然な形の性愛が失われてしまい、異常極まる性愛を生み出してしまうものなのだろう。

 人間はそもそも性愛が備わっているのだから、結婚を通して、性愛術を最大限に発揮して、生殖を行い、快楽を与え、夫婦という人間関係を維持できるように精進すればいいものを、性愛を否定してくる宗教に惹かれ、信仰してしまうのだ。その宗教を唱えてくる僧侶たちは、信者たちには性愛を否定しながら、裏では男色に耽っているというのに。

●売春に於ける性愛

 人類は文明を誕生させると、結婚以外での性愛をも生み出していくことになる。それが「売春に於ける性愛」だ。文明誕生によって経済力が飛躍的に高まったために、売春を行えるだけの経済力や、娼婦を養えるだけの経済力を持つことができたのである。売春の始まりは、宗教によってもたらされたのであり、それは当初「神殿売春」という形を取った。

 神殿売春とは、女性聖職者に信者たちと有料で性行為を行わせ、その料金を神殿の維持費とするとともに、赤ちゃんができてしまった場合、その赤ちゃんを教団のものとして育て、忠実な聖職者に育て上げることにしたのだ。この神殿売春は日本の宗教史にはなかったので、いまいちピンとこないが、ユダヤ教典を読んでみると、ユダヤ教というのは、この神殿売春を行う宗教と盛んに闘争していたことが解る。後にユダヤ教を打ち破ってキリスト教を打ち立てることになるイエスは、マグダラのマリアという売春婦を連れて布教することになるのだが、こういう所業がいかにユダヤ教の宗教指導者たちから反感を買ったかは、ユダヤ教の歴史を知らないと全く解らないのだ。イエスは磔刑にされて当然の行為をしているのである。

 因みに、日本では神道に神殿売春がなかったために、売春は中国大陸から輸入されたというのが、学会の通説となっている。しかし、山の民であるサンカが山を下りて、定住民となった時、娼婦として生計を立てた者もいるだろうし、平安時代の文献には「傀儡子」として登場してくるので、この辺りが本格的な娼婦の登場なのだろう。

 売春に於ける性愛が、結婚における性愛と異なるのは、「遊戯としての性愛」「金儲けとしての性愛」の2つの機能を持つということである。性愛術が快楽としての機能を果たす場合、その快楽を与えるのは男性の側であって、男性は女性に肉体的快楽を与えるのを精神的な喜びとするのである。しかし、売春では立場が逆転して、娼婦が男性客に快楽を与えて、遊ぶのである。売春が誕生し、娼婦が持続的に存在し続けると、様々な性愛遊戯が生まれてきて、それが性愛術の発展に一役買うのだ。

 勿論、売春は無料ではなく有料で行われるので、貧しい家の出の娼婦たちにお金が行き渡ることになり、しかも彼女たちは金離れが非常にいいので、娼婦が存在する地域ではお金が猛スピードで循環し始め、多くの人々が豊かになっていくのである。特にファッション関係では娼婦たちがお金を使うことによって、奇抜なファッションが生み出されてくるのである。

●結婚こそ最古の男女関係、売春は最古の商売

 ところが、売春は人工的に作り出した宗教によって非難の的と成り易い。人工宗教は、人間の矛盾点をありのままに認めようとせず、人工的に作り出した戒律や教義によって人間を改造していこうとするものだから、娼婦たちのようにお金さえ貰えば性行為をしてしまうというような女性たちの存在を許すことができないのだ。

 日本では近代になってキリスト教が伝来してくると、キリスト教徒たちは廃娼運動を展開して、遊郭を破壊し、娼婦たちに職業の変更を迫った。そのため、最終的には売春禁止法まで制定されてしまい、江戸時代から続いてきた遊郭はすべて潰れてしまったのだ。そしてキリスト教の教会は莫大な収益を上げて、遊郭以上の立派な宗教施設を作ることができたのである。

 それで売春が消滅したといえば、決してそうではない。売春は形を変えて存続しているし、フーゾク嬢たちは売春が禁止されているけど、非合法で売春をやるし、女子高校生たちの援助交際も売春と変わらないだろう。売春を禁止し、娼婦を消滅させても、売春が人類最古の商売である以上、売春は絶対に消滅しないのだ。

 売春が禁止されてしまうと、今度は結婚制度まで破壊され始めるのである。日本ではフェミニズムが猛威を振るっているのだが、このフェミニズムの卸問屋が実はキリスト教なのである。道理でフェミニズムの猛威が治まらないわけである。フェミニストたちは、専業主婦を奴隷と看做し、女性が結婚することや妊娠することや育児をすることを犯罪と看做し、必死になって結婚制度を破壊し続けているのである。所得税の配偶者控除を廃止したのも、フェミニストたちの圧力によるものなのである。

 結婚こそ人類最古の人間関係である以上、結婚制度を廃止することはできないのである。しかも、結婚制度は既婚者たちによってだけ守られているのではなく、その結婚制度の外郭に売春制度を存在せしめ、娼婦たちによって結婚制度が破壊されないようにしていたのである。売春が禁止されれば、いずれ結婚制度も破壊されてしまうようになるのだ。結婚と売春はいくら廃止しようとしても、廃止できるものではないのだ。なぜなら、それらは文明の産物だからだ。これらを廃止しようとする宗教やイデオロギーは絶対に認めてはならないのだ。彼等の教説を放置すれば、文明そのものが破壊されてしまう危険性があるからだ。

●世間知らずの潔癖症女性たちの危険性

 世の中は奇麗事だけでは巧く行くことはない。既婚女性にとって娼婦は忌むべき存在ではあるが、かといってこの世には売春を行う欲望が存在しており、それによって利益を得る男女が存在しているものなのである。娼婦たちの活躍が巡りに巡って、結婚制度を守り、既婚女性たちに利益を与えているものとは思いもつかないものだ。

 キリスト教は教祖が売春婦を連れて歩いたという歴史的事実があるがゆえに、売春を目の仇にして破壊しようと試みてしまう。しかし、そういう奇麗事だけで進めてしまうと、自分が思っていたのとは、正反対の結果をもたらしてしまうものなのだ。オーストリア=ハンガリー帝国では、マリア・テレジアの時代に売春禁止令が出され、それによって表面的には売春が消滅したが、実は裏では「闇売春」が盛んになり、性病も蔓延してしまうようになったのだ。これ以降、オーストリア=ハンガリー帝国は国力を低下していき、結局、第一次世界大戦で滅亡してしまったのである。売春を禁止すると、国家が滅亡してしまうのだ

 現在、日本ではフェミニストたちの主導によって、「DVシェルター」やら「女性センター」やらが税金によって設立しているのだが、いくらこんなものを作ったとしても、夫婦の問題は良くならないし、離婚件数が増加していくだけなのだ。これらの施設はフェミニストたちが結婚制度を破壊するために作ったのであり、結婚を改善するために作ったのではないのだ。

 結婚というのは、女性だからといって誰もができるものではないのだ。精神的自立を終えていないと、結婚してから結婚を巧く運営していくことはできないのだ。結婚での問題を解消させたいのであるならば、まずは既婚女性を精神的に自立させ、利己的に生きる生き方を改めさせるしかないのである。

 女性といえども、すぐさま自立できるものではないのだ。大学に進学してしまい、社会に出る機会が遅れれば遅れるほど、精神的に自立できる時期は遅くなってしまうものだ。だから、大学を卒業しても就職せず、大学院に進学し、そして学者の道を歩んでしまう女性たちは、当然に精神的に自立できるチャンスを失ってしまい、フェミニズムに洗脳されてしまうようになるのだ。そういう女性たちが女性学講座を開き、女子大生たちに男性への憎悪を教え込んでいるのだ。そういう教育を受けてしまえば、益々精神的に自立できなくなるし、結婚することも不可能になってしまうことだろう。

 世間知らずの潔癖症女性たちは非常に危険なのである。結婚には様々な問題があるかもしれない。売春には様々な問題があるかもしない。しかしそれらは文明の存続のためには絶対に必要なものなのである。既婚女性のいない文明は必ず崩壊するし、娼婦のいない文明も必ず崩壊するのだ。

 結婚制度に様々な問題が発生してくるのは、それは結婚というものが生きているからこそなのである。売春制度に様々な問題が発生してくるのは、それは売春というものが生きているからこそなのである。結婚制度も売春制度も死んでしまえば、問題など発生しなくなるものだ。ネガティブな面ばかり見て、それらを廃止してしまうのは本末転倒なのである。問題が発生しているということは、それらによって利益も発生しているということなのである。そしてその利益が莫大だからこそ、いつの世にも結婚と売春が存在し続けているのである。

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夫婦の性生活のマンネリ化を超えるために

●結婚すれば、性生活のマンネリ化は必ずやってくる

 結婚して、いくら夫婦の性生活を楽しんでても、性生活のマンネリ化は必ずやってくる。夫婦の性生活にとって、倦怠期というのは最大の試練であると見ていいのだ。この倦怠期を乗り越えれば、夫婦の性生活は格段にレベルアップするし、倦怠期を乗り越えなければ、夫婦の性生活はガタガタになり、破滅していってしまう。

 夫婦の性生活は、結婚当初はエキサイティングで非常に楽しかった筈だ。性の相性がピタリと合ったからこそ結婚したわけだし、妻を妊娠させるほどまでに、性行為は盛んに行われたわけなのである。しかし、妻が妊娠し、出産し、育児をし始め、妻の関心が夫から赤ちゃんへと移動してしまい、妻が性欲を落とし始めると、徐々にではあるが、夫婦の性生活に危機が訪れ始めるのだ。

 夫が妻をどうにか性行為に誘っても、妻は余り乗り気ではないし、夫も昔と変わらない手順で性行為を行ってしまう。このちょっとしたズレが月日を重ねるごとに大きくなっていってしまい、夫婦の性生活のレベルアップを図ることができず、夫婦の性生活は夫婦双方がマンネリであることを認めざるを得なくなってしまうのだ。これこそが倦怠期に入ってしまった証なのだ。

 かといって、すべての夫婦が倦怠期を経験するわけではないのだ。月当たりの性行為の回数の多い夫婦ほど、倦怠期に陥り易いのだ。性行為の最大の恐ろしさは、秘められているからこそ無限の魅力を放ってくるものなのであり、その秘められた魅力が失われてしまえば、食傷現象を起こしてしまい、夫婦双方が性行為に飽きてしまうことになるのだ。このタブーを犯してしまった夫婦ほど、倦怠期に陥ってしまい、しかも深刻な問題へと悪化させ易いのだ。

 新婚の夫婦が将来の倦怠期突入を防止するために、月当たりの性行為の回数を制限して、性行為以外で夫婦が楽しめるものを用意しておくことだ。夫婦で会話を楽しむとか、夫婦共通の趣味を持つとか、何かしらの慈善活動に夫婦揃って参加するなどして、性行為に余りにも重点を置き過ぎないことだ。結婚当初からこのようにしておけば、倦怠期に陥りにくいし、たとえ陥ったとしても軽い事態で済むようになるのだ。

●夫に性愛術の勉強をさせる

 もしも倦怠期に突入してしまったら、「夫は性愛術の開発に投資しろ」というアドバイスしか思いつない。結婚以来、正確にいうと結婚前の交際以来、夫婦が続けてきた性愛術が劣化してしまっているのである。折角の夫婦の性生活なのに、いつも似たような性愛術を使っているからこそ、妻の方が性の悦びを感じられなくなってしまったのである、妻が性行為のたびにきちんと性の悦びを感じているなら、倦怠期などに陥るわけがないのだ。

 それゆえ、まずは性愛術の開発に投資をして、自分の性愛術のレベルをアップさせていくことだ。お勧めは取り敢えず「エロ本」を買ってみて熟読することだ。結婚以来、エロ本を買ったことがないだろうが、エロ本の中で展開されているエロチシズムこそ、今の夫に欠けたものなのだ。性行為が当たり前にできるがゆえに、エロスに満ちながら性行為をするという感情を忘れてしまったのだ。

 その上で「性愛術書」を買って熟読することだ。性愛術書は最低でも3冊買った方がいい。3冊の性愛術書を見比べれば、性愛術の基本テクニックが明確に解ってくるからだ。但し、気をつけた方がいいのは、性愛術書を書いてくるような人物は、ひと癖もふた癖もあり、実践では使えないような技を紹介してきたり、異常な性愛を好んだりするので、その点は差し引いて考えるべきだろう。

 そして、性愛術の巧い男性が書いた「実践録」を買って読むことだ。性愛術の教え方が非常に難しいのは、いくら真面目に教えても、性愛術は実践の中から掴み取っていかねばならないからだ。そのため、性術書をいくら読んで駄目だし、セックスの教習所に行っても、決して上達しないのだ。それゆえ「性道」を極めた人物の実践録を読んで、実際の性行為でどのようにすればいいかを学んでしまうことだ。性愛術を学ぶ中では、この実践録が最も役に立つ。

 性愛術の向上には直接関係ないが、「ヌードアート」に触れておくことも大事だ。女性の裸に対して性欲ばかり感じているのではなく、美しさを感じることも大事なのだ。女性のヌードを美しく取った写真とか、一流の画家が描いた女性の裸婦画などを見て、自分の芸術センスを磨いておくことだ。女性はこういうことに敏感なので、「私の夫は私の裸を見て、美しさを感じ取ってくれている」ということが解ると、嬉しくなり、性行為に一生懸命になろうとするものなのだ。

 性愛術を向上させていく上で、絶対にやめた方がいいのは、「アダルトビデオ」を見て、自分の性愛術を向上させようとすることだ。アダルトビデオはあくまでも独身男性のオナニー用に作られたものであり、既婚男性が見るべきものではないのだ。アダルトビデオの中には、性愛術を解説したビデオもあるが、こういうのをいくら見ても性愛術が向上することは絶対にない。アダルトビデオを見ても、自分で考えることをしないからだ。エロ本なら注意を引くページがあるなら、立ち止まって熟読するものだが、そういうことが性愛術の向上に繋がるのだ。これがエロ本とアダルトビデオの決定的な違いなのだ。

 また、AV男優は想像以上にセックスが下手だということも忘れてはならない。AV男優は仕事でセックスの回数が非常に多くなるのだが、アダルトビデオの監督がAV男優に求めているのは、遅漏であり、監督の指示通りに動くことだけなのだ。それゆえ、AV男優は自分の頭を働かして、女性に最大限の性の悦びを与えるということを全くしてこなかたtのだ。こういうことは歳月を重ねるごとに大きな差となって現れてくるものなのである。

 性愛術の発達した国は、「日本」「中国」「インド」といった国々である、これらの国々で出版された性愛術書はかなり役に立つ。これに対してヨーロッパやアメリカではキリスト教の影響を受けて、性愛術が発達しなかったので、性愛術書のレベルは非常に低いのだ。そのため、欧米かぶれになってしまうと、自分の性愛術のレベルが低いという高い代償を支払う羽目になってしまうのだ。

●妻が環境を変える

 妻が倦怠期を脱出するためにやるべきことは、「夫婦の性生活の環境を変える」ことだ。男性は性愛術の向上には熱心かもしれないが、その性愛術を実施する環境に関しては無頓着なのだ。それゆえ、性生活をいつも夫に任せっぱなしにするのではなく、自らも動いて、夫婦の性生活がレベルアップできるように環境を変えてしまうのだ。

 まずは、寝室に花を活けたり、ムードのいい音楽を流したり、照明に凝ってみたりすることだ。こういうことは女性である妻の方が能力を如何なく発揮することができるものなのである。余りにも殺風景な寝室では、盛り上がる筈の性生活も盛り上がらなくなってしまうのだ。

 性的な魅力が増すようなセクシーなランジェリーを見につけることも必要だ。出産後、妻は体形が変わってきているので、この手のランジェリーが似合うようになってきているのだ。こういうセクシーランジェリーを選ぶ場合は、自分でも「これはありえねぇ~」というくらいのセクシーなランジェリーを勇気を出して買ってしまうことだ。そのランジェリーを見につけると、夫が興奮することは間違いないのだ。

 性行為もいきなり性行為を始めてしまうのではなく、「コスプレ」を展開してしまうことだ。セーラー服やナース服でも身につけ、妻でない別の人格に変身してしむのだ。そうやって性行為にストーリーを作り、その物語の中で性行為を営めばいいのだ。夫婦の性生活を楽しむためには、夫婦双方に或る種の妄想力が必要なのだ。

 妻は性行為が終わったら、無言で寝てしまうのではなく、ちゃんと感想を言っておくことだ。妻が感想を言ってくれない限り、夫としては改善しようがないからだ。夫の方も射精後なので、ガードが非常に低くなっており、こういう時に妻から何か言われれば素直に聞くものなのである。

●性愛術師のアドバイスを受ける

 自分たち夫婦がどうやっても性生活のレベルが上がらないというのなら、夫婦揃って性愛術師のアドバイスを受けてしまえばいい。この世には性愛術が巧いがゆえに、性愛術を教えてくれる人物がいるものなのだ。勿論、そのドバイスは有料だし、自宅ではなくホテルで教えて貰えば、そのホテル代はその夫婦が持たなければならない。

 性愛術師を探すのは困難を極めるだろうが、真剣になって探せば見つかるものなのだ。性技アドバイザーと名乗っていたりもする。但し、性愛術師は30歳以上の男性であることが絶対条件だ。30歳未満の男性で性愛術が巧いということはありえないのだ。また時またフーゾク嬢あがりの女性がこういう仕事をしているが、依頼するのは絶対にやめた方がいい。フーゾク嬢は男性をオルガズムに行かせることは巧いだけであって、女性をオルガズムに行かせるのが巧いわけではないのだ。

 夫婦揃って教えを受ける時は、必ず夫婦双方が同意しておくことだ。どちらかの配偶者が嫌がっているのに、無理矢理に受けさせたとしても、性愛術が向上するわけがないからだ。性愛術師にはただ単に夫婦にアドバイスをする人と、夫婦に本番を伴って教えてくる人がいる。夫婦にアドバイスするだけだと、夫婦が本番をやりながら、性愛術師がその脇でアドバイスをするというものだ。本番の方は、性愛術師が妻とやりながら、手取り足とり教えていくというものだ。その夫婦が好きな教わり方を選べばいい。

 性愛術師に依頼して、妻の性感を開発して貰うという手もある。性愛術師に妻を抱かせて、夫では行わないような愛撫をして貰い、妻の性感を開発するのだ。体位にしても夫がやらないような体位で行かして貰えれば、妻の方も新たなオルガズムにビックリする筈である、夫にとって妻が他の男性に抱かれているという背徳と、妻にとって夫以外の男性に抱かれるという悪徳によって、通常では味わえないような性的興奮を得てしまうのだ。

 夫婦の倦怠期を突破するために夫婦が自力でいくべきだが、どうしても夫婦の力だけでは突破できないのであるならば、性愛術師の指導を受けるというのが、最も短時間でクリアすることができ、非常に効果的なのである。夫婦双方がいくらやっていても、どうしても似たり寄ったりの技しか使わないので、「まさかこういう愛撫があるのか!?」「まさかこういう体位があるのか!?」という衝撃によって倦怠期を吹き飛ばしてしまうことができるのである。

●マンネリを突き抜ければ性愛術の王道が見えて来る

 夫婦の性生活がマンネリ化してしまうことは、決して悪いことではないのだ。夫の性愛術が余りにも下手で、妻の体に女としての性的魅力がなければ、結婚に至らなかっただろうし、結婚後すぐさま離婚していたことだろう。夫婦の性生活がマンネリ化するこということは、夫婦の性生活が長年の風雪に耐えうるだけの力を持っていたということなのである。

 いくら夫婦の性生活を向上させたいからといって、余りにもアクロバチックな技を使ったり、大人のオモチャを多用するようであっては、向上することはできないのだ。それは新たな性的刺激を求めただけで、肝腎の性愛術そのものはなんのレベルアップを図っていないものなのだ。

 性愛術はレベルが上がれば上がるほど、技そのものは非常にシンプルなものだ。そのくせ、性行為の至る場所でインパクトを与えることができ、確実にオルガズムに導いていくのだ。しかも、「愛撫」「性交」「後戯」に完璧なまでのバランスが整っているのだ。小手先の技に走らず、王道を歩んだからこそ、性愛術は格段に巧くなっていくものなのだ。マンネリというのは、その一歩手前まできているということなのだ。そのマンネリを突き抜ければ、性愛術の王道がはっきりと見えてくるものなのである。

 性の世界は、一旦間違った方向に進んでしまうと、性愛術を小手先の技に走ってしまったり、異常な性的興奮に走ってしまったり、性行為をやった異性の数を数える方向に行ってしまうものなのだ。そういうものは一時的には楽しくても、飽きるもの早いし、代償も高くつくものなのだ。そうなると、その堕落状態から抜け出すのは非常に難しくなってしまうのだ。

 男性の場合、女性よりも性欲が強いために、射精することに重点を置いてしまうし、自分の性欲を暴走させてしまうようになってしまうのだ。性愛術が巧くなるということは、自分の性欲を制御し、射精を最後の瞬間で行うようにし、女性に徹底的に奉仕して、女性に性の悦びを最大限に与えるようになるということなのである。そういう精神変革が起こらないと、いつの日にか自分の性生活は行き詰まってしまうものなのである。

 倦怠期と言うのは、決して悪いものではないのだ。夫婦が倦怠期に突入した場合、その夫婦に「今までと同じことをやっていては駄目だよ」と警告を発しているのである。こういう警告を受けなければ、夫婦の性生活をなかなか変えられないものなのだ。だからこそ、倦怠期に突入したら、強情な感情を捨てて、謙虚になって性愛術のレベルアップを図っていけばいいのだ。そうすれな、夫婦はより良い性生活を営めることができるようになるのだ。

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夫婦がアンバランス過ぎることの悲劇

●アンバランスこそバランス

 人間は自分と正反対の物を求めるからこそ、安定していくことができる。男は女を求め、女は男を求める。そうやってバランスを生み出していくのだ。男女の関係というのは、アンバランスこそがバランスなのである。それゆえ、この世の夫婦を見渡してみると、異常な光景が目に付く。身長の高い男性の妻は身長の低い女性だったり、肥満の女性には痩せ形の夫がいたり、美女に限って醜男と結婚しており、イケメンに限ってブスな女と結婚している。

 しかし、夫婦がアンバランスすぎれば、その夫婦は逆にバランスを失い、アンバランスすぎるために結婚に悲劇をもたらしてしまうのだ。そういう夫婦というものは、本人たちがいかに結婚で盛り上がっていても、第三者の目から見れば、この結婚は絶対に破綻するというのがずぐに解ってしまうものなのだ。

 例えば現実にあった話で、筋肉隆々たる妻で、女にしておくには勿体ないくらいの体格のいい女性と、貧相な体の夫で いかにも頼りなさそうな男性とが夫婦であったのだが、一見すればどう考えても不釣り合いな夫婦であったのだ。妻の方としてみれば、そういう気弱な男性と結婚すれば、その夫は絶対に浮気をしないと思ったのだろうが、その二人が夫婦の性生活を営まねばならぬと考えれば、これは絶対に長く続かないということくらい解るものなのだ。

 これは結婚の当初から結婚相手を間違っていたのだ。性欲の強い妻と性欲の弱い夫では、夫婦の性生活が破綻し、妻の方に欲求不満が募ってしまい、妻が異常行動を取ってくるというのは火を見るよりも明らかだったのだ。実際、この夫婦は、夫がミュージシャンでかなりの稼ぎはあったのに、妻の方が虚言癖が甚だしく周囲の信用を失い、観劇狂いになり、消費者金融から多額の借金をし、自己破算してしまったのだ。そのため、夫の信用も失墜し、音楽家としての才能はあったのに、仕事ができない状態にまで追い込まれてしまったのだ。

 結婚する際、その相手が運命の出会いによって出会えた相手なら、結婚はトントン拍子でいくものだ。しかし、自分の運命の相手が解らず、自分の意志だけで結婚相手を見つけて、結婚を進めていこうとすると、いかにも不釣り合いの相手と付き合ってしまい、恋愛で盛り上がって状態で、そのまま結婚してしまうのだ。だが、こういう無理な結婚は、結婚すれば、いずれボロが出始め、収拾が不可能になってしまうのだ。

●セレブ妻の原因不明の病

 自由恋愛といっても、平凡な家庭の出身の人たちなら、それこそ自由に恋愛することができ、その中なら運命の相手と結婚できるものだ。しかし、名門の家庭に生まれてしまうと、いくら自由恋愛といっても、交際できる人たちが限られてきてしまうのだ。自分の家が名家である以上、結婚相手も名家でなければならないのだ。名家というのは、名家同士で結婚することで、生き残りを図ってくるものなのである。

 名家同士であるならば、生活習慣はほぼ同じなので、結婚後、生活上の些細なトラブルなど起こりにくいものだ。その夫婦がお似合いのカップルであり、夫婦の話し合いの場を設けているなら、平凡な夫婦以上に巧くいくものなのだ。しかし、名家のお坊ちゃんやお嬢様たちは、苦労知らずで育ってきたから、相手の力量を見切ることなどできないものだ。そのため、結婚相手の本性を見破ることなく、勢いで結婚してしまうと、結婚後にボロが出始めるのだ。

 例えば、夫が高学歴で、頭が非常に良く、仕事も良くでき、いかにも紳士なのではあるが、性のことに関しては興味が非常に薄く、交際中でも性行為の数が少なく、妻が出産してしまうと、それ以降、セックスをしなくなってしまう男性がいるものだ。夫は妻が出産後、最早、性行為を一切しなくなってしまうのだ。これは「セックスレス」という問題ではなく、夫は妻に赤ちゃんを産ませた以上、夫としての役目を終えたと思っているのだ。こういう夫は、今後、永遠にセックスをしない筈である。

 問題なのは、こういう夫に限って、いかにも「美人すぎる美女」を目取ってしまっている場合なのである。まるで絵を描いたような美人で、肌が色白でスタイルが抜群で、着ている服はすべて高級ブランド品で、着こなしが非常に巧いのだ。高級車を乗り回し、運転が矢鱈に巧い。喋らせれば頭の良さが一発で解るような知的な喋りをして、周囲となんのトラブルを起こすこともない。それなのに、年齢的にまさに女盛りを迎えて、オッパイが膨らみ、性的な魅力を思う存分に放っているのだ。

 妻の方にしてみれば、出産後に性生活が何もないのだから、性的欲求不満は高まる一方である。夫にいくら要求しても仕事を理由に拒否されてしまい、悶々とした日々が延々と続いてしまうのだ。周囲の人々には「セレブ妻」とか言われ、身分的には夫が事業をしているために「社長夫人」であって、豪邸や高級マンションに住み、お金には何不自由しない生活を送っていても、心のなかはグチャグチャになってしまっているのである。そのうち、体調不良になってしまい、日常生活では家事や育児の最低限のことはできるが、それ以外ではベッドで寝たきり状態になってしまうのだ。

 自分は病気ではないかと思って病院に行っても、原因不明の病気だから病院をタライ回しされ、挙句の果てには精神病院に行ったりもするようになってしまうのだ。中には悪徳の医者もいて、病名が解っていないのに、薬を処方して、その薬を服用したために、今度はその薬の副作用で苦しんでしまうことになるのだ。要は性欲不満による原因不明の病を発症しているだけで、そんなものは薬で治るわけがないのだ。

●性的欲求不満では異常行動を取ってしまう

 性的欲求が満たされていれば正常な行動を取れる女性であったとしても、性的欲求不満が長引いてしまえば、異常行動を取ってきてしまうのだ。ホストクラブに嵌って数千万円を貢いでしまったり、出会い系サイトで男漁りをして、刑事事件に巻き込まれたり、性悪の男性と付き合って、麻薬を使うことを教え込まれたり、その性行為をビデオに取られて裏ビデオとして出回ってしまったりすることもあるのだ。名家出身者であるがゆえに、ワルに対する免疫力がないから、悪人たちの格好の餌食になってしまうのだ。

 妻の異常行動はそのうち夫の仕事にも支障を来たし始めることになるのだ。自分の預金通帳から多額のお金が引き出されていたり、刑事事件のために警察が自宅に来たり、あの裏ビデオに出ている女性はあそこの奥さんではないかと噂され始め、最早、仕事どころではなくなってしまうのだ。

 夫の方にしてみれば、妻がなんで異常行動を取っているか全く解らないものだし、また、その問題に対する解決能力も落ち合わせていないのだ。では、離婚してしまえばいいのではないかと思うのだが、名家同士の結婚ゆえに、そう簡単に離婚することはできないのだ。離婚すれば、現在抱えている問題以上に問題が発生してしまうのだ。

 こういう場合、自分たちの結婚を破壊しないためにも、妻に性愛術の巧い男性をあてがい、その性的欲求不満を処理して貰うというのは、自分たちの結婚生活を維持するためにも必要不可欠な行為なのである。夫の方としては、その方面に関しては全く無力であり、妻の方としても、性的欲求不満を解消できれば、異常行動を取ることがなくなり、結婚生活を正常に営むことができるからだ。

 自分に妻と性行為をする意思がないばっかりに、妻が自宅で寝たきりになっていたり、病院をタライ回しにされたり、性悪の男性と淫乱な行為を重ね、自分の仕事にまで悪影響が及んでくるより、ちゃんとした男性を愛人としてあてがい、妻の健康を取り戻し、正常な人間関係を作れるようにするというのは、夫としての義務なのである。

●夫公認の愛人をあてがう

 妻の愛人は誰でもいいというわけではない。最低条件として、「30歳以上で性愛術の巧い男性」であるということである。男性は30歳以前では性愛術の巧い男性はいないものだし、自分が射精することにしか関心がないものなのだ。妻を任せる以上、身元はしっかりと確かめておくべきであろう。できれば既婚男性がいい。双方の結婚を破壊しないようにさせるのだ。

 交際は月に1度程度の交際で、セックスだけの関係にするのではなく、きちんとした人間関係を構築した上で、性行為に及ぶようにさせればいい。性行為をする際は、妻を充分に満足させると同時に、避妊を絶対にすることだ。妻の方は愛人をあてがって貰っている以上、愛人に夫の悪口を絶対に言わないことだ。

 こういう交際の場合、デートは妻主導のもとで行われるものだし、デート代は妻の方が支払うものなのである。こういう最低限のマナーを守らないと、交際は長く続かないのだ。性行為というのは、不特定多数の相手とやりまくるよりも、特定の相手と長く遣り続けないと、本格的な性的満足は得られないものなのだ。

 いくら妻に愛人がいたとしても、性的欲求不満さえ解消されれば、日常生活では「良き妻」「良き母」として振る舞えるのである。妻に愛人がいるということは不倫に思えるかもしれないが、決してそうとは言い切れないのだ。妻に愛人が必要な夫婦も存在しているのだ。妻の不倫はなぜ悪いのか? それは夫公認ではないからである。影でこそこそとやるということは、自分がこの行為は倫理的ではないと思っているからなのである。

 夫公認の愛人であるならば、セックスだけの関係になることがなく、自宅に呼んでみたり、相手の自宅に行ってみたりして、家族ぐるみの付き合いができるものなのだ。そうやって結婚を維持している夫婦もいるのである。こういう夫婦もその夫婦なりに幸せな結婚を実現しているのだ。

 夫婦には色々な愛の形があるものなのだ。一つの価値基準だけを押しつけても巧く行かないものなのだ。妻の不倫はすべてOKというのもおかしいし、妻は性行為をしなくても、それに耐えねばならないというのもおかしいいのだ。自分たち夫婦が自分たちなりに幸せになれる夫婦の愛の形を模索していき、その愛の形を見つけ出したら、それを実現して幸せをもたらしていけばいいのだ。

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一夫一婦制と一夫多妻制の両立

●結婚は2種類の結婚があるからこそ、結婚は自己規定できる

 結婚制度というのは、1つの結婚システムだけでは存続することができない。結婚は2種類の結婚があるからこそ、双方の結婚システムを維持することができ、結婚を自己規定できるのだ。結婚制度には、一夫一婦制の結婚と一夫多妻制の結婚という相反する物がどうしても必要になってくるのだ。

 歴史的に見れば、一夫一婦制の結婚は庶民階級の結婚の仕方である。これに対して、一夫多妻制の結婚は王族階級や貴族階級の人々のための結婚の仕方である。庶民であるなら、自分の好きな異性と結婚すればいい。しかし、王侯貴族になってしまうと、お家存続のためや、一族繁栄のために、政略結婚をしていかなければならなくなるからだ。そのため、一人の女性とだけ結婚をするのではなく、複数の女性と結婚することによって、血統を維持し、子孫を絶やさぬようにし、一族を繁栄させていかなけらばならないのだ。

 それゆえ、すべての男女が一夫一婦制の結婚をしなければならないのはおかしいし、逆にすべての男女に一夫多妻制の結婚を認めるのもおかしいのだ。結婚は自分たちがどの階級に属するかで決まってくるものなのだ。キリスト教のように一夫一婦制の結婚だけを認め、それ以外の結婚を排除してしまえば、結婚そのものが崩壊してしまうのだ。神の前では永遠の愛を誓い合った夫婦なのに、結婚が平然と夫婦双方が愛人を持ってしまったり、子供がいようが平気で離婚してしまうようになるのだ。間違っているのは、一夫多妻制の方ではなく、キリスト教の方なのである。

 平等イデオロギーに取りつかれてしまえば、一夫多妻制の結婚では既婚女性たちは悲しみに満ち溢れていたというとんでもない誤解をしてしまうものだが、実際の一夫多妻制の結婚では正室と側室は仲がいいものであり、笑い声が絶えないものなのである。なんせ家庭内に女性脳を持った人間たちがいるのだから、女性同士でペチャクチャとお喋りをしまくり、一夫一婦制の結婚をした既婚女性が抱えこむような不満を抱かないものなのである。

 一夫一婦制の結婚をしている人たちは、一夫多妻制の結婚を見て、自分たちの結婚はこのようなものであると自己規定できるし、一夫多妻制の結婚をしている人たちは、一夫一婦制の結婚を見て、自分たちの結婚はこのようなものであると自己規定することができるのである。そうやって結婚制度を維持してきたのである。

●裕福になれば、一夫多妻制に移行するのは自然の流れ

 昨今は、「勝ち組」と「負け組」の峻別に拘る傾向にあるが、女性にとって本当の勝ち組とは結婚するだけでなく、夫の所得が高額所得になり、夫に愛人ができることなのである。これだけは覚えていた方がいいかもしれない。本当に裕福な男性というものは、妻以外に必ず愛人を持つものなのである。

 女性は肉体作用が働くので「財運」を持っている。そのため男性が裕福になろうとするなら、まずは結婚するものであり、結婚して或る程度豊かになったら、愛人を持って更に豊かになろうとするもののなのである。億万長者になっていくためには、一人の女性の財運だけでは力不足なのである。もしも、愛人を持たずに妻だけを愛したとしても、その妻は財運を使いきってしまい、予想外の不幸が襲いかかってきたり、病気になったり、事故に遭って死んでしまったりするのだ。

 一方、既婚女性の方も、夫の所得が増えることは有難いことだし、家事や育児がひと段落ついた所で、また夫の世話をしなければならないというのは苦痛なものなのだ。自分が主婦業以外のことをするためにも、夫に愛人を作って貰い、夫の世話は愛人に任してしまった方が都合がいいのだ。

 愛人になった若い女性の方も、裕福な既婚男性と付き合うことによって、自分の精神レベルを引き上げて貰うことができ、しかも、その既婚男性の紹介によってビジネスチャンスを貰うことができ、通常の若い女性では絶対にありつけないような仕事を得ることができ、高額所得を得ることができるようになるのである。

 裕福な既婚男性が愛人を作るということは、その妻にとっても、その愛人にとっても、双方の利害関係が一致して、三者全員が莫大な利益を得ることができる関係なのだ。夫に愛人ができたら、妻と愛人で壮絶な戦いが勃発すると考えるのは、昼のメロドラマの見過ぎである。不倫が問題になるのは、裕福でない既婚男性が浮気をした場合であり、こういう場合は妻が夫の浮気を容認していないからなのだ。妻が許していないのに、夫が愛人を作るからこそ、大喧嘩が始まるのである。

 裕福な既婚女性であるなら、妻と愛人は喧嘩などしないものなのだ。妻にとっては、夫が若くて美しい女性を愛人することは嬉しいものなのだ。愛人になった時に大事なことは、まずは既婚男性の妻に挨拶に行くことであり、誕生日などには宝石やら貴金属類をプレゼントすることなのである。「私はあなたを敬い、決して妻の座を狙ったりはしません」と意思表示をすることなのである。こういう礼儀作法をきちんと踏んでいれば、愛人という地位であっても、ちゃんと既婚男性の妻から守られるものなのである。

 裕福になれば、一夫多妻制に移行するのは自然の流れなのだ。支配階級の条件というのは、事実上、一夫多妻制の結婚を営んでいるといことなのである。そうしなければ、既婚男性に支配階級の人間としてのパワーが足りなくなってしまうのである。また、支配階級に属する既婚女性たちも、夫に愛人ができたとことで自由時間が生まれ、その自由時間を使って文化活動や宗教活動に従事し、世の中をより豊かなものにさせていくのである。

●一夫一婦制の結婚だけだと、自立していない人たちから攻撃を食らってしまう

 もしも、自分たち夫婦が裕福になって、夫に愛人ができたのなら、それは嬉しい出来事なのである。夫は愛人を作ることによって、財運を高め、より豊かになっていこうとするからだ。それゆえ、夫に愛人ができた場合、夫をなじるのではなく、逆に夫を褒めてあげることなのである。その反面、愛人に挨拶に来させて、結婚を要求しないように、早い段階で釘を刺しておくことなのだ。愚かな既婚男性というのは、愛人にのぼせあがって、糟糠の妻を捨ててしまうものだし、愚かな愛人は、既婚男性の愛にのぼせあがって、離婚を要求し始めるものなのである。

 勿論、妻の方が夫に愛人を持ってほしくないという時は、夫に愛人と別れるように勧告し、今後を浮気をさせないようにするべきなのである。自分たち夫婦がこれ以上裕福にならず、平凡な庶民として生きて行くというのも、夫婦の選択の一つなのだ。間違っても、夫に愛人ができたことに逆上し、離婚にまで悪化させないことだ。夫も今以上裕福になろうとした結果が愛人を作ったということであり、妻が裕福になることに反対するなら、愛人など作りはしないものなのである。

 結婚というのは、精神的自立を終えてからでないと、巧く結婚生活を運営していくことはできないものだ。結婚することによって、夫婦双方が自分たちの両親から独立して、新たな家族を築かねばならないからだ。それゆえ、結婚したというのに、精神的自立ができていなければ、夫に愛人ができたことぐらいで、大騒ぎしてしまうものなのだ。大方の夫婦であるならば、浮気の1つや2つは経験することなのである。そして、その際に夫婦がどのような選択するかで、その後の夫婦の命運が決まってしまうものなのだ。

 こういうことは、結婚していない人たちからは非常に解りにくいものだ。それゆえ、一夫一婦制の結婚だけだと、未だに精神的に自立していない人々から攻撃を食らってしまうものなのだ。図書館に行って夫婦問題のコーナーに行けば解るが、夫婦問題について学者たちが書いた物は、大半が離婚についての物なのだ。大学教授という精神的に自立がしにく職業だと、どうしても結婚を正しく理解し、巧く運営していくことができないのだ。

 また、同性愛者たちも盛んに結婚制度の破壊を企んでいる。同性愛者たちは自分たちが同性愛者の結婚を認めてくれと主張しているのに、異性愛者たちの家族制度の解体を企んでいるのだ。いかに同性愛者たちが精神的に自立できない人々なのかが解る。自分が精神的に自立してしまえば、最早、同性愛者ではいらなくなるものなのである。

●繁殖力の弱い支配階級は国家を滅ぼす

 国民をすべて平等化してしまえば、その国家は滅亡していくことだろう。その国家の指導を行う支配階級が存在しないから、国民がいくら政治に対して議論を行い選挙を行ったとしても、まともな政治論議にならないし、まともな政治家を選び出すことはできないからだ。嘗て、古代ギリシャは民主主義を実現し、市民が直接に政治参加を行い、政治を議論し、政治家を選出したのに、結局、滅亡していったという歴史的事実を決して忘れるべきではないのだ。国家が滅亡してしまえば、国民は大量虐殺を食らい、財産を悉く奪われて、塗炭の苦しみを味合わなければならなくなるのである。

 国民が幸福に暮らしていくためには、国家内部に強力で健全なる支配階級を作り出し、その支配階級を国民が支持し、彼らにその政治能力を発揮させるように仕向けなければならないのである。政治指導者たちを庶民と同じ目線で見るべきではないのだ。階級によって持つべき倫理が異なるのだ。政治指導者の本来の役割は、「国防」であり、「治安維持」であり、「公共投資」なのだ。政治指導者たちがこの三大職務をきちんと果たしていれば、その国家は平和になるし、繁栄していくことができるのである。

 支配階級として優れた能力を持つ人々は、繁殖力も高いものだ。結婚すれば妻に多数の子供たちを産ませるものだし、更には愛人を作ってより多くの子供たちを産ませるものなのだ。支配階級の人々の繁殖力が高いということは、その国家は繁栄していくということである。多産のお蔭で人材は豊富になり、ありとあらゆる分野に人材を送り出していくことができるからだ。その結果、一夫一婦制の結婚をいている庶民の人たちにも莫大な利益を得ることができるようになるのである。

 政治家は誰がなってもいい職業ではないのだ。政治家は支配階級としての訓練を受け、「国防」「治安維持」「公共事業」について学び、実際にそれらの現場で働いて経験を積んだ人たちでなければならないのだ。その上で、政治家の生活上の条件は「結婚していること」「子供が複数いること」「愛人がいて、その愛人に子供を産ませていること」なのである。それだけ性欲が強くなければ、国家を運営することなどできないのだ。

 国家が衰退し滅亡して行く時は、国民が支配階級に属さない人々を政治家に選んでしまい、政府の活動に従事したこともないのに、演説が達者なだけで、政府の要職に就任させてしまうのである。しかも、その政治家が独身であったり、結婚していても子供がいなかったり、離婚していたりするのだ。、自分の家庭すら治められない人が、国民を治められるわけがないのだ。

 国民が今現在の繁栄を維持し続けたいのなら、国内に支配階級をきちんと作り、その支配階級の人々が正常に政治活動ができるようにしてあげる配慮をすることなのだ。支配階級に属する人々も、支配階級として相応しくない者たちを排除していくことを決して怠ってはならないのだ。特に40歳を過ぎても独身でいるとか、結婚したのに子供ができない人や、離婚したような人は、支配階級の人間として認めるべきではないのだ。そのような人物たちは支配階級の人間として相応しくないのだ。

 政治家は庶民とは違う政治倫理で動いているものなのである。それゆえ、政治家に庶民の結婚倫理を要求してはならないのだ。一夫一婦制の結婚を選んだ人たちなら、愛人を作ることは悪いことであっても、支配階級に属するなら、それは正しいことなのだ。そうやって、違う結婚倫理を持った人々を存在させるからこそ、国家は発展し、国民はより豊かになっていくのである。

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セックスレスはエンドレスで続く危険性がある

●セックスレスの夫婦が犯す「結婚上の最大の過ち」

 性行為には「生殖」という最大の目的と、性の「快楽」という副産物以外に、「人間関係の維持」という作用もある。性行為が人間関係の維持という役割を果たしてくれるからこそ、学校や大学といった狭い空間でカップルが誕生し易いし、会社に行けば社内恋愛やら上司との不倫まで存在するのだ。その一方で、人間関係の希薄な場所では性行為が発生しにくいし、なんの人間関係のない場所では、絶対に性行為が発生しない。

 性行為を論じる場合、夫婦というのは、ただ生殖のためや、快楽のためだけに性行為を行っているのではなく、夫婦という人間関係を維持するためにも性行為を行っているという視点が必要なのである。夫婦で様々なことがあったとしても、夜になって夫婦が性生活を営んでしまえば、一気に夫婦の関係は修復されてしまうのだ。赤の他人だったら、簡単に壊れてしまう人間関係でも、夫婦であるならそう簡単には壊れないのだ。

 ロックバンド「GLAY」のリーダーのTAKUROは、「バンドはライブを遣り続けないと、空中分解してしまう」と言ったことがあった。多くのロックバンドは売れてしまうと、労力を多く必要とするライブをやらなくなり、金に成る作詞作曲に重点を移すのだが、それだからこそバンド内部で喧嘩が発生して、解散してしまうのだ。

 夫婦もロックバンドと全く同じで、性行為をし続けないと空中分解してしまうのだ。夫婦だからこそ、性行為なくても愛が維持できると思うのではなく、夫婦だからこそ性行為をし続けなければ、夫婦愛を高めることはできないし、夫婦関係を維持することができないと考えるべきなのだ。

 セックスレスがなぜ深刻な問題になるかといえば、セックスレスになってしまえば、夫婦の性生活が消えるだけでなく、夫婦の人間関係も消えてしまうからなのである。もうそうなってしまえば、夫が浮気をしようが、妻が不倫しようが、離婚してしまおうが、関係なくなってしまうのだ。セックスレスに陥ってしまう夫婦は、性行為が人間関係を維持する役割を果たすということを余りにも重大視していなかったのだ。これは結婚上の最大の過ちだといっていいのだ。

●最初からセックス中心の関係なら、結婚後セックスレスになる

 現在ではお見合い結婚よりも、恋愛結婚の方が圧倒的に主流だ。それなのに恋愛結婚を通り越してしまい、セックス結婚に堕落してしまっている夫婦がかなり存在しているのだ。恋愛結婚であるならば、知り合ってから会話を交わすようになり、その内に仲良くなってからデートに誘い、気が合うなら交際を申し込み、その後もデートを何度も繰り返しながら、キスをし、ハグをし、性行為に及ぶというのが自然の流れだ。大体、多くのカップルは交際を開始してから、性行為をするまでは、3ヶ月間もの月日を必要とするのだ。恋愛というのは、思っている以上に、かなり時間を要するものなのである。

 それなのに、馬鹿な男女は、交際直後にすぐさま性行為に及んでしまい、恋愛と称してセックスを遣りまくっているのだ。このセックス交際を続けて、男女双方の感情が盛り上がって結婚してしまったり、交際中に妊娠が発覚して「できちゃった結婚」をしてしまえば、これは「セックス結婚」というべきものであって、セックス中心の結婚になってしまうのである。

 セックス結婚といえども、セックスをし続け、子供を多く産んでしまい、妻を家事や育児で奮闘させれば、それはそれで仲のいい夫婦関係を作り出すことができることであろう。しかし、結婚前からセックス中心の交際を続けていれば、結婚後にはセックスに飽きてしまい、セックスレスに陥ってしまうことだってあるのだ。

 恋愛なき結婚の悲劇は、セックス以外でも男女が楽しめることがあることを知らないのだ。例えば、喫茶店に一人で行けば、静かにお茶を飲むことしかできない。だが、恋愛中のカップルが行けば、いくらでも話のネタは尽きない。しかし、自分が好きでもない他の異性を連れていっても、それほど盛り上がることはない。恋愛している相手だからこそ、話が盛り上がるのだ。

 結婚すれば夫婦で買い物に行くのが楽しかったり、ハイキングに行くのが楽しかったり、引っ越しを考えるのが楽しかったり、結婚にはいくらでも夫婦が楽しめるものがあるものなのだ。それなのにセックスに取りつかれてしまえば、同じことをやったとしても、全然楽しめくなってしまうのだ。だからこそ、夫婦間のセックスも段々楽しくなくなっていき、そのうちセックスレスになってしまうのだ。

●「夫のストレスと過労」と「妻の不精」

 大方の夫婦は、夫婦で性行為をするのは夫が要求する場合が大半なので、夫に何かしらの異常があった時、夫婦で性行為が行われなくなってしまう。夫のセックスレスの最大の原因は、「自律神経の異常」である。自律神経が狂うと、性欲に異常が生じてしまい、セックスレスになってしまうのだ。

 特に頭脳労働に従事している既婚男性は注意が必要であって、仕事中に余りにも頭を使い過ぎているので、自律神経が異常に成り易いのだ。大学教授や教師やコンピューター関係など、体を殆ど使わない仕事は要注意なのである。仕事が終わったら、積極的にスポーツをして体を動かさないと、セックスレスになってしまうのだ。

 夫婦の性生活の回数が減り始めたら、性行為を要求するのではなく、スポーツをさせて汗を流させるようにした方がいい。そうやって自律神経の異常を回復させていくのだ。休日に家でゴロゴロさせるのではなく、休日だからこそ夫婦で出かけて、体を動かして汗を流すようにするのだ。

 妻の方として注意しなければならないのは、家事や育児に追われる余りに、夫婦でセックスするのが面倒臭くなってしまうのだ。こういう既婚女性はやや太り気味の女性に多く、筋肉量が余りにも少ないのだ。肥満の女性は太っていても、意外と筋肉量があるので、セックスをするのが面倒臭いということにはなりにくいのだ。セックスレスで悩む既婚女性になぜかデブはいないし、やや肥満気味の女性たちがやけに多いのだ。

 妻の方は今日は乗り気ではないから、夫から求められても「イヤ!」と言っていると、それが積み重なってしまうと、夫は妻から拒絶されたと思い、妻の体を求めなくなってしまうのだ。夫に「イヤ!」という言葉を連発し続けたために、夫の脳の回路には自分が妻の体を求めても、妻は必ず拒絶するという回路が出来上がってしまったのだ。

 こいいう妻は、性行為は夫婦の人間関係を維持するためにも行われているのだ、ということを無視し過ぎたのである。こういう形でセックスレスになってしまった場合、夫は浮気をして、愛人が既にいるものだ。愛人の方も静かにしておらず、略奪婚を狙っているので、妻が怒りに任せて不倫をしてしまえば、夫は待ってましたといわんばかりに、離婚を切り出してくる筈だ。後は、夫のペースで離婚協議が進んでしまうものなのだ。

●最低でも月に1度は行うというルールを決める

 セックスレスはセックスをしないことだけが問題ではないのだ。その背後には夫婦が様々な問題を抱えているものなのだ。だから、セックスレスを解決しようとしても、そう簡単には解決できないのだ。夫婦双方が謝るべきことは謝り、歩み寄るべき所は歩み寄っていかねばならないのだ。

 セックスレスは一度セックスレスの状態になってしまうと、エンドレスで続く危険性があるのだ。夫婦がセックスレスにならないためにも、セックスレスになる前に、夫婦の性生活上の最低限のルールを決めておくことだ。「夫婦にいかなることがあっても、月に1度は性生活を行う」という最低限のルールを定めておくことだ。

 意外なことかもしれないが、夫婦で数は少ないがコンスタントに性行為をしている夫婦は、セックスレスに陥らないものなのだ。結婚しているからといって、余りにも頻繁に遣り過ぎてしまうと、歳月の経過と共に、夫は妻への魅力が、妻は夫への魅力が失せてしまい、些細な出来事のためにセックスレスに陥ってしまうのである。

 もしも、夫が夫婦で性行為を拒否しているのなら、夫の母親に密告してしまうことだ。夫は自分の母親からセックスレスのことをとやかく言われてしまえば、赤面ものだからだ。もしも、妻が夫婦での性行為を拒否しているのなら、夫婦の会話中に敢えて妻の知らない女性の名前を出し、その女性と仲が良くなっていることを伝えて、意図的に嫉妬させることだ。セックス不精になっている妻といえども、夫に女の影がチラつくなら、黙ってはいないからだ。

 夫婦だから、性行為をしなくても、愛し合えるなどと、間違った考え方をすべきではないのだ。夫だって、妻だって、性欲が存在するものなのだ。その性欲を或る程度満足させていくべきなのである。セックスレスで性的欲求不満が溜まりに溜まった時、人間は余りにも異常な行動しか取れなくなってしまうものなのだ。だからこそ、そういうことが起きないように、夫婦でコンスタントに性生活を営んでおくべきなのである。

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夫がインポになった時 ~若年性インポ~

●インポの原因は自律神経の異常

 女性であるなら、高校生や大学生の頃に、恋愛をするためにダイエットを経験したことはないだろうか? 男性と付き合うためにダイエットをして、男性の注意を引こうとする。女性にとっては何の違和感を抱かないものであっても、男性にとっては「なんで恋愛をするためにダイエットをするの?」という疑問を抱いてしまうのだ。

 これは女性の脳の中で、性欲中枢と食欲中枢が隣接しているからだ。そのため女性が恋愛をしようとすると、食欲中枢を抑えて、性欲中枢を発達させようとする。このため、男性と付き合うためにダイエットをしたり、恋愛中は男性の前では少食になったりするのだ。因みに、結婚後、もう恋愛で苦労しなくていいかといって大食いをして食欲中枢を満たしてしまうと、性欲中枢が衰えてしまい、夫婦の性生活が巧く行かなくなってしまうのだ。

 一方、男性の場合、性欲中枢と食欲中枢は分離しているので、自分の性欲が食欲に左右されることはない。しかし、男性の性欲は自律神経と深い関係にあり、自律神経が狂ってしまうと、性欲が乱れてしまうのだ。男性は女性を守ろうという本能があるので、多少のストレスや過労があったとしても、妻のためであるならば、無理してでも働こうとするのだ。このため、女性がびっくりするような生産力を発揮するのだが、しかし、そのため過度のストレスや過労を受け続けてしまい、自律神経を異常にさせてしまうのだ。その自律神経が異常になった時に発症してくるのが、「インポ」である。

 普通、インポと聞くと、中高年の男性がなるものだと思うものだが、若者でも自律神経が異常になってしまえば「若年性インポ」を発症してきてしまう。これが急増したのは、「男女雇用機会均等法」が制定されてからだ。男女雇用機会均等法と聞くと、雇用の機会が男女に平等に保障されたと勘違いしてしまうが、実はこの法律は総合職に対して、その能力がない女性であったとしても、女性の進出を積極的に促そうという悪法なのだ。

 男女雇用機会均等法が制定される前でも、優秀な女性であるならば、総合職に抜擢されたし、それ以外にも優秀で美人であるなら、秘書という形で抜擢され、その能力を最大限に発揮できたものなのだ。男女雇用機会均等法は、総合職としての能力がなくても、女性であるならば法律の力を出世できるということなのだ。

 このため、男女雇用機会均等法の制約を多く受けざるをえない大企業ほど生産性を激減させたし、企業の内部では「出世競争の激化」「セクハラテロ」「過度の残業」に見舞われて、極度のストレスと過労を受けてしまう最悪の職場に変化してしまったのだ。このため、既婚男性という妻子を養わねばならない男性は、多大なストレスと過労を受けたとしても、給料を上げて貰うために無理して働き、そのために「偏食」や「運動不足」や「睡眠不足」に陥ってしまい、それで自律神経を狂わし、インポになってしまったのだ。

 自分の夫が肉体労働ではなく、頭脳労働に就き、しかも総合職であり、出世競争の真っ只中にあるなら、夫がインポになる可能性は非常に高まっていると思った方がいい。夫が仕事で疲れて帰ってきたなら、家事や育児のことでゴタゴタ言わず、とにかく休ませてあげることを優先させてあげるべきだろう。そういう配慮を妻がしないと、夫はインポになってしまい、夫婦の性生活に重大な危機が訪れてきてしまうのだ。

●廃用性衰退

 最初の赤ちゃんが生まれた頃には、夫の仕事は忙しくなるものだ。そのため、夫婦の性生活の回数が激減してしまい、気づいてみたら、数ヵ月以上も性生活を営んでいないということも有り得るのだ。しかし、ペニスは使わないと急速に衰えるもので、「廃用性衰退」という現象が起こってしまい、そのためにインポになってしまうのだ。

 男性のペニスは筋肉でできているのではなく、「海綿体」というものでできているので、常に血液を送って勃起させないと、この海綿体という組織は衰えてしまうのだ。しかも、一度、衰えた海綿体を元に戻すには、大変な時間を費やさざるをえなくなってしまうのだ。男性の場合、とにかく毎日勃起し続けることが非常に大事になってくるのだ。

 若い男性が気をつけるべきことは「きついGパン」と「ブリーフ」の組み合わせだ。Gパンはズボンの中でも最も重たいズボンなので、ただでさえペニスに負担をかけてしまうズボンなのだ。それをサイズがきついものにしてしまうと、最大レベルでペニスを直撃してしまうのだ。しかも、プリーフという見た目にはいいかもしれいが、陰部に熱を籠らせてしまう下着をつけてしまうと、急速にペニスは機能を衰えさせてしまうのだ。そしてインポになるのだ。

 自分が結婚したら、Gパンとブリーフからは卒業することだ。Gパンよりも軽くてゆったりとしたズボンを穿き、トランクスやボクサーパンツを穿いて陰部の風通しを良くしてあげることだ。解り易くいえば、ズボンを穿いていても勃起できるようなズボンを穿くべきであって、実際にズボンを穿いていて勃起した場合、躊躇なく勃起してしまうことだ。そうすればインポから脱出できるのだ。

 廃用性衰退のインポを治すためには、まず「1日3回以上は勃起すること」だ。男性は朝立ちで朝に1回勃起するので、それ以外の時間帯でもう2回以上は勃起することだ。お勧めは、自分が好きなエロ本を買ってきて、それを定期的に眺めて勃起することだ。エロ本こそインポ治療に最高の成果を発揮するアイテムなのである。

 それを30日間繰り返すことだ。海綿体の機能が復活するのに、それだけの日数を必要とするし、それ以上に脳の回路を作り直して、勃起させるようにするのだ。インポを発症してしまった場合、脳がインポを記憶してしまい、大事な時にインポになってしまうのだ。そのため脳の回路を作り直し、自分はインポではないと覚えこませれば、大事な時に勃起できるようになるのだ。

●アダルトビデオの危険性

 「オナニーは健康にいいから、どんどんしないさい」と医者たちは言うのだが、このアドバイスを得て若い時にオナニーをしすぎてしまうと、結婚してからインポになってしまう男性が続出しているのだ。オナニーは決して健康にいいわけがない。女性とセックスできない男性が、仕方なくするものであって、たとえしたとしても、オナニーを遣り過ぎてはならないのだ。特にアダルトビデオを見てオナニーする男性は毎日オナニーをするという、とんでもない回数をしているものなのだ。

 オナペットを「エロ本」にするか、「アダルトビデオ」にするかでは、その後の影響は物凄く違ったものになるのだ。エロ本には文章が入っているので、多少は頭を使って性的想像を楽しむということもできるのだが、アダルトビデオだと頭を使わずに、ただオナニーができるだけなので、性的想像力が消滅してしまうのだ。アダルトビデオに矢鱈と詳しい男性に限って、性愛術は下手だし、女性を喜ばせようとする意欲が全くないのだ。

 要はアダルトビデオの見過ぎで、脳が委縮してしまい、性的想像力がなくなってしまい、そのためにインポになってしまったのだ。結婚してからも、アダルトビデオを見てオナニーをしているような男性であるならば、要注意である。若い時にはなんの悪影響も出て来ないが、歳を取ると非常に高い確率でインポになってしまうのだ。アダルトビデオは独身男性のオナニー用に作られているのであって、結婚して妻がいるなら、もうアダルトビデオはいらないのだ。

 アダルトビデオの見過ぎでインポになった場合、とにかくアダルトビデオを捨てることだ。こういう男性は捨てない限り、また見てしまうからだ。アダルトビデオの代わりに、エロ本やエロ小説を買って来て、じっくりと読むことだ。自分の年齢が高くなってからエロ本を読むと、意外と笑えるページもあるし、学べるものもあるのだ。エロ小説は自分の性的想像力を鍛えるには持って来いのものなのだ。

 セックスというと、ペニスを使ってだけするものだと思ってしまいがちだ。しかし、ペニスだけでなく、頭を使うからこそ、セックスを面白くすることができ、そういうことを繰り返していると、女性に性の悦びを与えることができるメイクラブへと発展させていくことができるのだ。アダルトビデオを見てオナニーするというのは、あくまでも自分のためなのだ。そうではなく、そこから卒業して、妻に性の悦びを与えるという高い地位に辿りつかないと、インポという形で自分が苦しめられてしまうことになるのだ。

●夫の心の傷

 インポは薬では治らない。バイアグラはあくまでも一時的に効果のある薬でしかない。インポは脳が引き起こしている病気であって、脳を正常に戻してしまえば、時間はかかるが、簡単に治ってしまうものなのだ。インポだからといって、ペニスばかりに注目していては、インポは治らなくなってしまうのだ。

 大方のインポの既婚男性は、「自律神経の異常」「廃用性衰退」「アダルトビデオの見過ぎ」が原因で発症してくるが、中にはいくらインポを治療しても治らない既婚男性がいるものだ。そういう既婚男性は、自分の母親が原因でインポになっていると見て間違いない。自分が子供の頃に母親から受けたなんらかのことが、結婚してからインポという形で現れてきてしまうのだ。

 例えば、母親が性欲を否定するような宗教を信仰して、実際の夫婦の性生活も生殖のためにだけ行い、それ以外は一切せず、子供たちにも性欲を抑圧するような家庭で育ってきてしまうと、その子供は大人になってから、どうしても異常な行動を取ってしまいがちだ。通常の家族なら、親子で性の話をするものだが、こういう家族は親子で性の話はタブーなのだ。

 もしも、夫が「学校での性教育の実施」を唱えているような人物であるならば、そういう家庭で育ってきた見て構わない。少しでも性のことに詳しい男性であるのならば、学校の教師から性のことをとやかく教わろうとしないものだ。そういうものは、自分の力で知らなければならないものだからだ。要は、大人になっても、まだ両親から精神的に自立できていないのだ。

 これ以外にも、両親から性的虐待を受けたり、両親が離婚してしまったり、親の再婚相手とトラブルを生じさてしまうと、その心の傷が自分が結婚してから噴き出してきてしまうのだ。要は結婚そのものになんらかの不信感を抱いているからこそ、妻が赤ちゃんを出産し、母親らしくなっていくと、その姿に恐怖してしまい、インポになってしまうのだ。

●夫婦で乗り越える

 夫がインポになったら、夫を否定しないことだ。男にとってインポになるというのは、それだけでも最大級のストレスであり、それを妻からなじられたら、更にストレスを受けてしまい、インポをより悪化させてしまうことになるのだ。まずは夫婦で話し合うことだ。夫婦で話していくうちに、原因がなんとなく解ってくるものだ。但し、夫が子供の頃に受けた心の傷に関してはなかなか話そうとしないので、そういう時はセックスカウンセラーを訪ねて、話を聞いて貰うことだ。決して精神病院には行かないことだ。精神病院ではインポを治せないし、逆に薬浸けで精神をおかしくしてしまうのだ。

 インポであるなら性生活ができないとは、短絡的に思い込まなことだ。インポでも充分に性行為はできるのだ。性交に重点をおくのではなく、愛撫に重点を置き、愛撫でオルガズムに行かせることだ。性交を一切禁じて、愛撫のみの性行為にしてしまうと、逆に性欲が高まり、夫の性愛術が急激に上達していくというものなのだ。

 性交する場合、実はインポでも挿入可能なのだ。ペニスをヴァギナにちょこんと入れておくだけでいいのだ。正常位なら夫は自分の恥骨を妻のクリトリスに当て、そこを擦りつけて動かせば、妻をオルガズムに行かせることができる。騎乗位なら妻は夫の恥骨に自分のクリトリスを押しつけて、そして動かせば、それで充分にオルガズムに行くことができる。

 もしも、夫が妻に対して精神的な抑圧を感じてしまい、それで妻に対してだけインポになっているのなら、お金を持たしてソープランドにでも行かしてみることだ。夫は妻以外の女性の裸を見ることで勃起を克服できるかもしれないし、ソープ嬢ならインポという問題は簡単に解決できる能力を持っているものなのだ。ソープ嬢の手にかかれば、いかに深刻なインポで悩んでいる男性でもちゃんと勃起をし、1晩に3回も射精することができるものなのだ。

 男性は勃起をしなければ、男としての用を果たさないものなのだ。女性には勃起という現象がないために、インポで苦しむ男性をいたわってあげるということができないものだ。夫がインポになった時こそ、実は妻の愛が本物なのかどうかが試されているのだ。夫がインポになったら優しくいたわり、そしてインポを克服させてあげたなら、それは日本一の素晴らしい妻であり、そういう妻だからこそ夫は妻を大切にするのである。インポは夫婦で乗り越えることができるし、乗り越えたなら、より夫婦の愛は大きくなり強くなるのだ。

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出産後、性欲が湧かない

●出産時の記憶と産後の体調回復の悪さ

 女性は出産すると、性欲が激減してしまう。自分の心がどうのこうのではなく、女性の体が育児を最優先してくるので、性行為に及ぶのは控えるという制動装置が働いてしまい、出産後暫くは、性生活を復活したいとは思わなくなるのだ。それよりも、赤ちゃんを育てることに夢中になってしまうのだ。

 殆どの夫婦の場合、妻が育児に取り組み、疲れているのに、夫が性行為をヤル気満々で、仕方なく夫の要望に答えるというのが実態であろう。夫の方は臨月辺りから性行為をしていないので、精液が溜まりに溜まった状態であるのだ。実をいうと、こういう形で性生活を再開させるのが、一番健康にいいのだ。というのは、既婚女性は育児に専念しすぎてしまうと、当分の間は性行為をやりたくなくなってしまうので、そのまま放置しておくと、逆に老化が進んでしまったりするので、自分がしたくなくても、夫に求められて仕方なく行うという形で性生活を再開するのが、ベストな方法であるのだ。

 しかし、新米ママの中には性欲が全く湧かないという女性もいるものなのだ。「性行為をしたくない」と、「性欲が全くない」というのは、全く別物であるのだ。こういう新米ママは実際には少ないのだが、確実に毎年出て来るので、本人だけがこの問題を抱え込んでしまうと、本人だけでなく、家族にとっても深刻な問題になってしまうのだ。夫の方は妻から性行為を拒絶され、その夫婦は確実にセックスレスになっていくだろうし、赤ちゃんの方も成長していくにつれ、母親の異常さに気付き、育児で大揉めに揉めてしまうからだ。

 性欲がなくなってしまう最大の原因は、「出産時の記憶の悪さ」と「出産後の体調回復の悪さ」であろう。自分が楽しい出産を期待していたのに、出産時の体験が余りにもひどいものになってしまうと、心の奥底で「もう2度と出産したくない!」と思ってしまうものなのだ。これは病院で出産した新米ママたちに見られる現象なのだ。余りにも非人間的な遣り方で出産させられたので、出産に関して拒絶反応が出て来てしまったのだ。

 もう一つは、出産後に体を休ませて、出産時の疲労を取り除かないで、体を動かし過ぎたり、逆に出産後に寝てばかりいて、体を動かしていないと、出産後の体調回復が悪化してしまい、性欲を消滅させる原因になる。出産後、新米ママの骨盤はゆっくりと小さくなっていくのだが、その際に骨盤が巧く小さくなってくれず、腰の骨がズレてしまうと、性欲が起こらなくなってしまうのだ。腰辺りの背骨に歪みが生じてしまい、性欲が起きないという現象が出て来てしまうのだ。

 出産時の記憶が余りにひどかった場合は、夫は出産前後の病院の対応を調べて、病院の対応の悪さを裁判で訴えるとかして、妻に対して誠意を見せることをしておいた方がいい。日本の裁判は裁判期間が長いし、判決も病院側に有利に働くことが多いので、望むべき判決を得られないが、妻の方にとってみれば、夫は自分を守ってくれて、しかも自分のためにこんなに尽くしてくれると思ってくれるものなのだ。そうやって、次回は助産院で出産するような配慮をするとかして、妻の心を癒していってあげることだ。

 背骨のズレに関しては、整体師の所に行って、背骨を治して貰えばいい。背骨が治ったら、性欲は復活し出すものなのだ。但し、背骨が曲がるということは、それだけ背筋に筋肉が少ないということなので、筋肉トレーニングをして、背筋に筋肉をつけて、今後、背骨が曲がらないような配慮をしておくべきだろう。

●性生活をできる体を作っていない

 性欲はないのではないが、性欲が余りにも激しく減少してしまうことがある。これは性生活をできる体を作っていないのだ。新米ママは出産によって授乳をせざるをえない日々が続くので、体の栄養分がかなり取られてしまい、余程、食事に気をつけていないと、自分の体内で栄養素が不足してしまうのだ。

 特にカルシウムは最も失われがちなので、新米ママがカルシウムを不足させてしまうと、神経と筋肉が正常に作動しなくなり、性欲が激しく減少してしまい、夫婦の性生活を再開させたとしても、全然乗り気ではなくなってしまうのだ。これに関しては地道にカルシウムを摂取していくことを忘れないことだ。

 人間は運動量の多い人ほど健全な性欲が高まってくるものだ。それなのに育児を理由に体を動かしていないと、性欲が激減してしまうのだ。これは単なる運動不足なので、運動をさせさえすれば、自然と性欲が復活してくる。赤ちゃんと散歩をする際に、少し長めにあるとか、筋肉トレーニングに励んだりして、筋肉をつけていくことだ。

 多くの新米ママたちが性行為に応じても、性行為に乗り気ではないのは、赤ちゃんの夜泣きに悩まされて、慢性的な睡眠不足にあるからなのである。人間の体は睡眠中に体を修復するので、最低でも6時間、通常は7時間30分程度の纏まった睡眠時間を必要とするのだ。そのため、赤ちゃんの夜泣きに悩まされる前に、早寝の習慣を身につけ、赤ちゃんの夜泣きまでに3時間、赤ちゃんの夜泣きを止めてから3時間という、睡眠時間を2つに分ける方法を早目に習得してしまうことだ。こうすれば睡眠不足に陥らず、性欲も正常に復活してくるのだ。

 新米ママが気をつけておくべきことは、便秘解消である。出産後は体が変化していく時期なので、体は奇麗な水分を必要としているのだ。それなのに便秘になってしまい、奇麗な水分を供給できなくなってしまうと、性欲が湧いてこなくなってしまうのだ。性行為よりも、ウンコがしたい方に意識が集中してしまうのだ。そのため、出産後に便秘にならないように気をつけるべきだし、便秘になったら浣腸でもしてウンコを吐き出させてしまうことだ。そうすれば性欲は復活してくるのだ。

●夫婦関係上の問題

 新米ママの中には、性欲は多少はあっても、「夫とはやりたくない」という感情に駆られてしまう女性がいるものだ。これは性欲がどうのこうのよりも、夫婦関係上に問題があるのである。出産前後に夫婦の間でなんらかのトラブルが発生してしまい、それがベッドにまで持ち込まされてしまったのであろう。

 まずは、夫婦で話し合うべきことを話し合うことだ。妻が怒っていても、夫は妻がなんで怒っているのか解らない場合も多々あるものなのだ。まずは話し合わない限り、問題は解決されないのだ。話し合う時は感情的にならず、なぜ自分が怒っているのかを、理路整然と話していくことだ。

 夫にとってみれば、妻から言われて初めて気づくということもあるのだ。自分が出産前後にやった何気ない言動が、実は妻を大いに傷つけていたということに初めて気づくものなのだ。だからこそ、夫婦できちんと話し合いをすることなのである。夫婦だから「以心伝心」だと間違った思い込みを決してしないことだ。

 それと共も、「夫は万能ではない」ということを悟ることだ。夫も父親になることは初めての体験なのだ。だから、夫がいきなりすべてのことを巧くこなせるわけがないのだ。夫も失敗を何度も繰り返しながら、父親に成長していくのであって、妻が赤ちゃんを出産したからと言って、いきなり完璧な父親になれるわけがないのだ。

 また、妻が夫への怒りを顕わにするようであるならば、妻は母親として殆ど成長していないことだろう。母親になってしまえば、学ぶべきことはたくさんあるので、夫に最大レベルの関心が行くわけがないのだ。自分も母親として手抜きをしまくっているからこそ、夫に不平不満を抱いてしまうのだ。

●悲しみのフラッシュバック

 新米ママに性欲が湧かなくても、時間が経てば、性欲は回復してくるものだ。妻に性欲がないのに無理矢理に性生活を復活させるのではなく、夫が巧く妻を優しく包み込んで、性生活を再開させるように仕向けていけばいいのだ。妻にとってはこういう夫の優しさが嬉しいので、性欲が徐々に復活してくるのだ。

 しかし、中には性生活がどうしても再開できないという新米ママがいるものだ。そういう新米ママは、その新米ママに「悲しみのフラッシュバック」に襲われてしまっているからなのだ。自分が母親になって赤ちゃんを育てることで、自分の幼少期の記憶が蘇ってきてしまうのだ。

 自分の母親から児童虐待を受けていたとか、父親から暴力を振るわれたとか、子供にとって存在自体を否定されないかねないことを受けてしまうと、その人の心の心の傷として深く刻み込まれ、それが自分が育児を開始した時に蘇ってきてしまい、自分の心を硬直させてしまうのだ。

 こういう新米ママは精神病ではない。精神病特有の異常な行動は見られないからだ。もしも精神病患者であるならば、脳に傷ができているので、必ず異常な行動を取ってくるからだ。脳の傷があるのではなく、脳の記憶が問題を引き起こしているのである。虐待されていた人が、虐待する側に回った時、過去の記憶が蘇ってきて、「もう、これ以上、赤ちゃんはいない!」と間違った指令を受けてしまい、夫との性行為を拒否してしまうのだ。

 夫が妻の過去の出来事を真剣に受け止められるような人物であるなら、夫に話してみることだ。自分が誰にも話していなかったことを誰かに話すだけで、心の記憶は猛威を振わなくなってしまうのだ。もしも、夫がそういう人物でないなら、然るべき人物に相談を持ちかけてみることだ。但し、絶対に精神病院には行かないことだ。精神科医ではこの「悲しみのフラッシュバック」を治せないからだ。

 自分が児童虐待を受けてしまった場合、その過去の記憶に潰されるようであるなら、その問題は永遠に解決できず、未だに自分の精神が両親に従属してしまっているということなのだ。その悲しみの体験があったからこそ、「自分はちゃんとした母親になってやる!」と思えるようになった時、自分は両親から精神的に自立していき、悲しみの記憶も消え去っていくのだ。

 人間の偉大なる力は、悲しみの出来事があったとしても、それを乗り越えていくことができるということなのだ。過去の悲惨な記憶を風化させようとしない努力は、逆に自分を徹底的に不幸に追いやっていくものでしかないのだ。ありとあらゆる記憶は風化して貰わねば非常に困るものなのだ。過去の記憶を乗り越えていくことができれば、その記憶は風化して、自分によりよい教訓を与えてくれるものなのだ。そういう母親は悲しみの記憶がない母親たちよりも、深い愛情を出せる立派な母親になれるものなのである。悲しみの記憶が風化したからこそ、自分は立派な母親になれるのである。

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本当の所の夫婦の性生活の実態

●夫婦の性生活の調査は信用できない

 夫婦の性生活の実態が一体どのようなものかを研究する際、肝腎の夫婦の性生活の統計が信用できないという事実に直面する。普通の問題の統計であるなら、その統計をほぼ正確に作り出すことはできても、夫婦の性生活となると、まともな統計が取れないからだ。もしも、或る日突然に「あなたの性生活はどうなっていますか?」と聞かれても、俺はまともには答えないことだろう。「さぁ、どうかな?」と巧く誤魔化してしまうことだろう。

 キンゼー調書の発表以来、幾度も性生活の調査がなされてきたが、性生活という秘密の行為に関しては、人間は正直にまともなことを言わないという最大の危険性を除去できないのだ。それなのに、そのインチキな統計をもとに性生活の実態を研究したとしても、まともな研究成果を生み出すことはできないのだ。これは学者たちが発表している夫婦問題の学術論文を見ても、出鱈目ぶりがいかんなく露呈してしまっているのだ。

 性生活の調査は性に問題を抱えている人々が異常な関心を示すものだ。例えば、セックスレスを調査しようとした場合、セックスレスの夫婦であるなら、それに対して異常な関心を示してしまい、統計上では通常では有り得ない数値になってしまうものだ。しかし、そのセックスレスになった人に直接話を聞くと、セックスレスとはいっても、実際は1週間以上ご無沙汰なだけという、実はセックスレスではなかったという事実が解ってきてしまうものなのだ。

 性に問題を抱えている人々の中でも、同性愛者は性に対して異常な執着を示してくるものだ。日本では同性愛者だからといって、差別されることはないし、同性愛者と暮らしても、何不自由することはない。しかし、同性愛者が現実を無視して、「同性愛者は差別されている!」と規定して、しかも、大学や学校に入り込んでくるし、フェミニストたちと結託してくるのだ。このため同性愛者が性の問題に口を出してきたら、まともな研究にならないし、嘘と偽りに満ち満ちた物しか作り出せなくなってしまうのだ。そのくせ、同性愛者の学者たちは矢鱈と本を書きまくり、その悪影響が生徒や学生たちに及び、それを読んで育った生徒や学生たちが、これまた性に関して嘘と偽りに満ちたことを言い出すのだ。

 それゆえ、性生活の調査はまずは同性愛者の関与を取り除き、その統計が本当に正しいものなのかをまずは確かめることから始めなければならないのだ。解り易く言えば、すべての夫婦の統計を取るのではなく、普通の夫婦に限定して統計を取り、その統計が本当に正しいものなのか、夫婦別々に話を聞き、それを確かめる作業をしなければらないのだ。そうでなければ、研究の土台となる「まともな統計」が取れないのだ。

●統計からみた性生活の実態

 統計それ自体に制限を加え、厳密に統計を取っていくと、実は夫婦の性生活といううものは、面白い数値を示してくる。夫婦の性生活はその夫婦が自由に行っていたとしても、実は群生動物であるという制約下のもとでのこ行動でしかないという事実が暴露され始めるのだ。

 毎日      数% 

 週3回以上  20%

 週1回以上  20%

 月2回以上  20%

 月1回     20%

 セックスレス 10数%

 夫婦の性生活の統計を取ってみると、大体、このようなものになってくるのだ。毎日、やっている夫婦もいるものなのだ。統計を見れば解るように、週3回から月1回という回数に満遍なく数値が広がっている。大体、殆どの夫婦はこの辺りの回数をこなしているということなのである。

 セックスレスが問題になるが、セックスレスというのは、10数%という高い数値で存在しているのだ。セックスレスというのは、基本的に1ヵ月以上、夫婦の性生活がないということであって、セックスレスの夫婦でも、本当にセックスれになってしまった夫婦だけでなく、夫の仕事の関係でセックスができない夫婦もいるし、妻が病気のためにセックスできない夫婦もいるのだ。本当に夫婦の性生活が消滅している夫婦もいれば、夫婦がその気になればたまには性行為を行う夫婦もいるということだ。セックスレスといえども、ひと括りにはできないのだ。

 週3回以上と 週1回以上は、その後に変動して、数を減らす傾向にある。夫婦双方に体力の衰えもあるし、妻の方にとってはその気にならないということもある。月に2回以上というのが、夫婦にとっては最善の回数であって、このペースを行っている夫婦は、歳を取ってもこのペースを乱さないのだ。夫婦の性生活というのは、いかにコンスタントに行うということが、最高の秘訣なのであろう。

 夫婦の性生活は群生動物としての制約を受けるが、その夫婦の体質や体力や性癖が決めてしまうということだ。それゆえ、「夫婦の平均的な性生活は存在しない」ということなのだ。この結果こそ夫婦の性生活の統計から得られる貴重な結果なのだ。平均的な夫婦の性生活は存在しないが、いくつかのパターンが存在しているというだけのだ。

 結婚していれば、夫婦の性生活を遣る続けるというのは長丁場になってしまうので、回数の多い夫婦は性生活を減らしてしまう危険性があるし、逆に回数の少ない夫婦は意外とコンスタントに行い続けるのだ。夫婦の性生活は回数が多ければ幸せなものというものではないのだ。いかに夫婦が自分たちに無理なく性生活を営み続けるかに大事なポイントが隠されているのだ。

●性行為の時間

 夫婦の性生活の統計を公表すると、必ず夫婦の性生活の回数が問題視されてしまうのだが、性生活の回数は問題視するほどの問題は出て来ないものだ。夫婦の性生活の統計で、明らかにこれは問題だなと思えるものは、「夫婦の性行為の時間」なのである。多くの夫婦は余りにも性行為に時間を費やしていないのだ。

 なんと「50%以上の夫婦が30分以内で終わっている」のだ。しかも、「90%以上の夫婦が1時間以内で終わっている」のだ。女性の場合、愛撫に時間をかけて貰わないと、性感を高めることができないので、性行為が30分以内という時間であれば、まともな愛撫は行われていないということだろう。性行為の回数うよりも、性行為にかける時間が少ないことこそが、妻の性行為に関する不満の最大の原因なのである。

 中には夫が早漏という問題も抱えている夫婦もいるので、そうなってしまえば、性行為もすぐに終わってしまうことだろう。こういう夫婦ではいくら夫婦の性生活の回数を増やしても、根本的な解決になることはない。早漏を治すことも必要だし、それ以上に愛撫に時間をかけて、妻の性感が高まるような努力をもすべきなのである。

 夫婦といえども、1時間以上、性行為に時間をかけている夫婦が10%には満たない数値ではあるが、きちんと存在しているのだ。性愛術の巧さは性行為にかける時間に比例するものだ。こういう夫婦は、夫の方が性愛術が発達し、妻の方も性感帯が開発されているので、夫婦双方、夫婦の性生活に満足していた。実を言うと、これだけの時間をかけて性行為を行うと、性の不満を抱えている夫婦は皆無になってしまうのだ。

 性愛術の未熟な人たちが性行為について考えてしまうと、どうしても回数を多くするということで解決策を講じようとしてくるのだが、妻の立場に立てば、下手な性行為しかできないのに、回数を多くしても無駄な時間を取れられて嫌なのである。女性の体は男性のようにそれほど性欲が強いわけではないので、夫婦で性行為をやる時は、奥深い性感を感じ、オルガズムに何度も行きたいのだ。それをやってくれさえすれば、当分の間は性行為をしなくても満足し続けられるものなのである。

●結婚前よりも性行為が楽しくなった

 夫婦の性生活の話をすると、どうしても夫婦が性生活で不満を抱いているということを最優先で問題として取り上げてくるのだが、統計を取ってみると、50%以上の夫婦が結婚前よりも性行為が楽しくなったと答えているのだ。夫婦の問題を取り扱う学者や、婦人雑誌がいかに間違った事実に立脚しているかが解るというものだ。

 人間の性行為には、「生殖」という最も大事な目的と、「性の快楽」と「人間関係の維持」という副産物が存在しているのだ。夫婦の性生活は「性の快楽」に重点を置いたものではなく、「生殖による子孫の繁栄」と、夫婦という「人間関係の維持」に重点を置いたものなのだ。

 それゆえ、その夫婦に赤ちゃんができれば、生殖という最大の目的を果たしたがために、夫婦で性生活を営むことが非常に楽しくなるのだ。これだけは妊娠と出産と育児という経験を実際に経験した人たちでないと解らないものなのだ。結婚前は、性行為は性の快楽のためのものであったが、結婚すれば性行為の本来の目的が解ってくるものなのである。

 もう一つは夫婦という人間関係の維持なのである。性行為は夫婦の仲を確認するために行われているのであって、頻繁に相手を変えているような性行為を営んでいる人たちには、この大事な作業が解っていないのだ。人間関係は深まれば深まるほど、より多くの愛を生み出していくことになるのだ。そのため、結婚によって夫婦の性行為の回数を重ねていけば、より多くの愛が出て来るものなのである。

 ただ、夫婦は長い付き合いになるので、足りない物も出て来る。「トキメキ」などはその最たるものであろう。実際の夫婦の性生活の現場では、「愛の言葉」や「きわどい愛撫」や「新しい体位」や「余韻の残る後戯」も、夫婦が意識的に取り入れようとしなければ、欠けた物になってしまうことだどう。

 だが、本当に足りない物は、「夫婦が腹を割って性生活について話し合うこと」なのである。意外なことかもしれないが、多くの夫婦はいつも性生活を営んでいるがゆえに、改めて性生活について話し合うことをしていないのだ。だからこそ、いつも通りの性生活をこなすようになってしまうのだ。それゆえ、たまには夫婦で性生活のことについて、真面目に話し合ってみれば、その夫婦の性生活を改善させることができるのである。

●幸せな夫婦はトキメキではなく、ラブラブを維持している

 人間にとって青春時代に行った恋愛の記憶が余りにも強烈なものだから、結婚しても「トキメキ」を求めようとしてしまう。確かに恋をすれば、トキメキを感じまくるのであるが、トキメキというものは、恋愛の当初に出て来るものでしかないのだ。それなのに結婚して、トキメキを求めても、それは無理な注文なのだ。

 幸せな夫婦は、トキメキではなく、ラブラブを維持しているのだ。新婚当初、トキメキを感じていても、そのトキメキが収まれば、夫婦のラブラブが出て来るものなのである。その夫婦のラブラブをいかに巧く維持していくかで、その後の結婚生活の行方が大概決まってしまうのものなのである。

 では、どうすれば夫婦のラブラブを維持することができるのだろうか? それは「なんでもないことを幸せに思う」ことだ。夫婦の幸せというものは、その大半が当たり前の物だ。その幸せに感謝することができないと、夫婦がより大きな幸せを獲得することができなくなってしまうのだ。夫が給料を稼いできてくれたら、妻は「ありがとう」って感謝する。妻が家事や育児をやっていてくれたら、夫は「ありがとう」って感謝する。この当たり前すぎることをやっているからこそ、夫婦のラブラブが維持され、より大きくなっていくのである。

 そして、夫婦の性生活の現場では、「夫は性愛術の基本がしっかりとできていること」「妻にきちんとオルガズムに行かせていること」「性行為終了後、妻は夫に感想を述べ、改善点を見つけ出し、改善していること」、これら三つのことをやれば、夫婦の性生活でも夫婦のラブラブを維持し、高めていくことができるのだ。

 夫婦の性生活は何も性生活だけが活躍の場ではないのだ。夫婦といえども、日頃からきちんと挨拶をする。事あるごとにハグをし、キスをする。夫婦の会話を短くてもいいから毎日する。こういうことをやっておけば、性愛術が下手な夫でも、妻は夫に抱かれれば、満足してしまうものなのだ。そこいらが、夫婦以外の人には理解しがたいことなのである。

 どんなに仲のいい友人でも、夫婦の性生活のことに関しては、余り話題にしないものだ。たとえ話題になったとしても、話の勢いで嘘を言っている場合も多々あるものだ。そのため、学者が書いた「夫婦の性生活の本」や、婦人雑誌での「夫婦の性生活特集」には、興味深々となって読んでしまうものだ。しかし、そういう本や雑誌は、まともな統計に基づいたものではないのだ。普通の既婚女性ですら、仲のいい友達とこの手の話をすることができないのに、大学の学者や雑誌の編集部のスタッフたちが突っ込めるわけがないのだ。

 夫婦の性生活の実態とは、50%以上の夫婦が結婚前よりも性行為が楽しくなったということなのである。夫婦の性生活で問題視する点があったとしても、その大事なことを忘れてはならないのだ。そうでなければ、結婚してから赤ちゃんが生まれるわけがないのだ。赤ちゃんが生まれたということ自体、実はその夫婦は性生活を楽しんでいるということなのである。

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「重症の便秘」と「性格不一致による離婚」の関係

●便秘は女性を悪魔に変える

 夫婦の性生活を素晴らしいものにしたいのなら、便秘をしないことである。便秘ほど性生活の敵となるものはないのだ。便秘になるということは、体内に老廃物と毒素が溜まった状態にあるといことである。そのために、股間が非常に臭くなるのだ。悪臭といっていいほどの臭さを放ってしまうようになるのだ。その股間を夫が性行為の際に愛撫しなければならないとすれば、これは地獄の沙汰なのである。そのうち、夫が愛撫を嫌がり、愛撫なしで挿入し始めるようになってしまうのだ。

 便秘をしているということは、運動性能を極端に落としてしまうので、性行為の際でも体の動きが非常に悪くなり、性感度も激減してしまうのだ。常にテンポの遅い動きと、ブレーキがかかったような性感を感じて、いくら夫がサービスしても、性行為に対して不満足に終わってしまうのだ。

 便秘は性生活を破壊するだけではない。夫婦の日常生活まで破壊してしまうのだ。便秘になれば、頭痛になってしまうものだ。これは便秘によって奇麗な水分を供給できないために、脳が痛みを発して、警告を発しているのだ。頭痛になれば、「肩こり」も起こってくる。便秘性の肩こりはどう揉みほぐしても治ることはない。老廃物と毒素のために内臓が下に引っ張られてしまい、肩が凝っているからだ。

 便秘は精神にまで影響を及ぼし、「倦怠感」や「イライラ」が募り、何事にもやる気はないし、怒りっぽくなるのだ。日常からこうなのだから、些細なことで夫婦喧嘩をし始めるのだ。実際に夫婦喧嘩の原因となったものは些細なものなのだ。しかし、便秘で精神に異常が生じ始めている女性にとっては、原因はどうであれ、怒りを爆発させることで、便秘の不満を解消しているだけなのだ。

 便秘は女性を悪魔に変えるといっていいのだ。特に便秘になって、赤ら顔になっている女性は要注意である。便秘が溜まりに溜まっているために、顔が赤くなっているのであり、そういう女性は股間が異様に臭いのだ。因みに、民族的にノルマン系の女性たちは赤ら顔の女性たちが多いが、ノルマン系の女性たちは股間が非常に臭いし、体臭も物凄く臭い。食事の量と回数の割には、排便の回数が非常に少ないために、顔がピンク色になってしまっているのだ。ノルマン民族はノルマン民族の大移動でヨーロッパ各地に移住していったので、ノルマン系の遺伝子を持っている人たちはかなりいるのだ。白人でピンク色の肌をした女性は股間が非常に臭いのだ。

●一種の性格異変

 便秘も初期は単なる糞詰まりでしかないのだ。しかし便秘が長引いてしまうと、体調が悪化し始め、更に一種の性格異変が起こるのだ。どんなに日頃は善良な女性であったとしても、便秘を長期間患っていれば、性格が変わってしまい、凶暴になってしまうのだ。しかも、この性格異変を自分でも止められないのだ。

 男性は女性よりも筋肉量が多いために、滅多なことでは便秘をしないものなのだが、それゆえ便秘をしない夫にとってみれば、自分の妻が便秘で性格異変が起こっているなど想像すらできない事態なのだ。そのため妻が凶暴に成り始めれば、それは妻がそのままの状態で凶暴になったと思ってしまうのだ。

 妻が凶暴になっている以上、夫婦の性生活など期待できるわけがないのだ。遅かれ早かれ、「性の不一致」が出て来てしまうものなのだ。妻も夫も性行為をする前から怒りをかかえている状態なので、最悪の性行為しかできないものなのだ。性行為に絶対に必要な「愛のムード」が全くないからだ。

 夫婦の性生活が破綻してしまえば、いずれ夫婦の日常の生活まで破綻してくる、便秘を患っている女性が、家事や育児をまともにやる筈がないからだ。そうして、離婚に発展してしまうのだ。理由は「性格の不一致」。しかし、性格の不一致は妻の便秘がもたらしたものなのだ。便秘による性格異変が性格不一致の離婚に発展してしまうのだ。

 恋愛結婚で結婚したのなら、その男性は「運命の相手」なのだ。手相に結婚線が他に出ていれば、離婚しても運命の出会いがあるかもしれないが、殆どの女性たちは運命の出会いを壊してしまうと、次に新たな運命の出会いなど期待できないものだ。運命の相手と離婚してしまった「悪魔のツケ」をその後の人生で支払う羽目になり、坂道を転がり落ちるように、災難の連続の人生になってしまうのだ。

●何はともあれ、便秘を解消しよう

 妻が便秘になっていても、夫は何も言わないものだ。自分自身が便秘になったことがないので、その便秘が良く解っていないのだ。しかし、その夫が「股間が臭い」とか、「お前が便所を使った後は非常に臭い」と言い出したら、要注意である。夫が妻を愛しているのなら、多少の悪臭は我慢するものだからだ。夫が悪臭のことをとやかく言いだすということは、余程異様な悪臭を発しているということなのだ。

 夫にそんなことを言われたら、何はともあれ、便秘を解消しよう。便秘を解消するために、夕食時に発酵食品を大量に食べることだ。糠漬けなら、キュウリやナスを2本ぐらい食べてしまうことだ。納豆なら3パックまるごと食べてしまうことだ。ヨーグルトであるなら、500gほど食べてしまうことだ。

 そして、朝になったら早起きして、浄水を1ℓほど飲んでしまうことだ。更に500mlの天日塩湯を飲んで内臓を刺激し、排便を促してしまうことだ。そうやれば排便が出る筈だ。それでも出ない場合は、天日塩を舐めながら、更に浄水を1ℓ飲んで、お腹をポンポコと叩いて、お腹を時計回りにグルグルと回していくことだ。そうすればウンコがどっさりと出ることだろう。

 便秘になるような女性はそもそもが運動不足なので、とにかく運動することだ。軽ジョギングを30分ほど走って汗を流すことだ。走っている最中の振動が適度にお腹を刺激させ、内臓の機能を活発にさせるのだ。その上で、腹筋や背筋を鍛えることだ。1日100回を毎日行うことだ。1ヵ月を過ぎれば、排便も順調になるし、腹筋と背筋にしっかりと筋肉がついて、ウェストが引き締まり、美しく見えるようになるのだ。

 夜になったら、お風呂に入ることで、内臓を温めて、消化吸収の手助けをしてあげることだ。夜に体を温めておけば、内臓は活動し易くなり、朝になれば排便を準備万端で待っていてくれることになるのだ。そうすれば、起床後、適度に体を動かせば、便意が起こり、ウンコがどっさりと出て来るものなのだ。

●3回連続の浣腸

 便秘をしているのなら、朝食を絶対に取らないことだ。朝の排便が終わらない限り、食事は一切取らないとルールを決めてしまうことだ。このルールを守るだけで便秘と無縁の人生を送ることができるのだ。朝は排泄の時間帯なので、排泄が終わってもいないのに、食事を取ってしまえば、内臓はその食事の消化吸収に追われてしまい、排泄の作業を後回しにしてしまい、それが便秘へと繋がっていくのである。

 もしも、何をやっても排便ができないのであるなら、浣腸という最終手段を取るべきだ。ウンコが出ない以上、浣腸によって強制的にウンコを出させるのだ。浣腸は決して恥ずかしいものではない。便秘によって体調不良が起こり、性格異変が起こるより増しなのである。浣腸をするだけで、便秘という悪夢から解放されるのだ。

 浣腸器は自分でできる自動の物もあるので、それを購入すればいい。浣腸は午前中に行うことだ。午前中は排泄の時間帯だから、午前中に浣腸を行えば、排便がスムーズに行くのだ。便秘を患っている場合、浣腸を1回で終わらしてはならない。1回の浣腸ではまだすべての老廃物と毒素を出し切れていないのだ。

 せめて、3回連続で浣腸を行うことだ。3回続けて浣腸を行えば、大腸にある老廃物と毒素は殆どが出き切る筈だからだ。3回も浣腸をすれば、お腹が張り出し、強張っていたものが、奇麗になくなり、お腹がポコンと凹み、美しいプロポーションを復活させるのだ。それだけ大量の老廃物と毒素を溜め込んでいたということなのだ。

 便秘を解消した暁には、夫に今までの無礼を詫びておいた方がいい。便秘であるがゆえに、自分が知らず知らずのうちに夫にきつく当たっていた可能性が非常に高いからだ。というか実際にきつく当たってしまったのだが、そういう異常な言動は自分が便秘だったからと詫びておくことだ。そうすれな夫も後腐れなく、妻を大切にし、愛してくれるようになる筈だ。

 そして、便秘を解消したのなら、是非とも便秘をしていない状態で夫婦の性生活を営んで欲しい。便秘でなければ、夫との性行為が気持ちいい筈である。性的欲求不満を抱えているなら、まずは自分が便秘であることが筆頭の原因なのだ。夫婦の性生活を充実したいのなら、便秘にならないような生活を心掛け、便秘をしていない奇麗な体でメイクラブができるようにすることだ。

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出産後の性交痛の治し方

●洒落にならない性交痛

 出産によって、人生最大の激痛が走るので、当然に体にもなんらかの影響を与えることがある。そのひとつが「性交痛」だ。出産後、夫婦の性生活を再開したとしても、性行為をする際に激痛が走ってしまい、性行為どころの話ではなくなってしまうのだ。とにかく痛さの余りに性行為を続けられなくなってしまうのだ。

 性交痛は本当に痛いらしい。通常では気持ちよくなる場所に激痛が走るので、余計に傷みを感じてしまうのだ。性交痛は夫婦の性生活を拒否し、セックスレスになってしまう危険性がある。性交痛に悩む既婚女性にとっては、夫婦の性生活さえなくなってくれれば、それであの性交痛がなくなるのだから、非常に有難いのだ。夫の性欲処理は他人の女性に任せればいいのであって、夫に浮気を勧めるということもあるのだ。

 性交痛は2人目不妊の原因にもなりかねない。性交痛の痛さの余りに、2人目を妊娠しようという気力すらなくなってしまうのだ。しかも、性交痛を抱えていると、本人は妊娠できるのに、妊娠しないだけであって、2人目不妊とは全然思っていないのだ。1人の赤ちゃんで打ち止めに成ってしまう既婚女性には、性交痛で悩んでいる女性が非常に多いのだ。

 この性交痛に関して夫は全くの無理解と思った方がいい。性交痛があるという知識がないからだ。このため性欲の激しい夫だと、妻が痛がっているのに無理矢理に性行為に及んでしまい、妻を怒らせることになるのだ。夫婦間で強姦が発生したという意味不明な話を聞くが、これは妻が性交痛で性行為を拒否しているのに、夫が無理矢理にやってしまったということなのである。

 性交痛は妻にとっては恥ずかしいものであっても、そのまま性交痛を放置しておけば、夫婦の性生活が破綻してしまうのだ。結婚している以上、性生活を営むのは、夫婦双方の義務であって、それを拒否してしまえば、結婚そのものが崩壊していくのは当然のことなのだ。性交痛があるなら、早くに治療を開始するべきであろう。

●性交痛の原因

 性交痛の原因は、「出産時の骨盤のズレ」である。骨盤がズレたために、性交痛が発生してしまうのだ。その既婚女性にしっかりとした筋肉があれば別だが、筋肉量が少ないと、出産時に骨盤をズレ易くしてしまうのだ。この骨盤のズレを治さない限り、性交痛はいつまでも続くことになる。

 そして「体の冷え」も原因のひとつだ。性交痛になる既婚女性はそもそも体が冷えており、その体の冷たさが痛みとなって出て来てしまうのだ。冷たいジュースや冷たいお酒を飲んでいたり、偏食気味で、精白穀物や白砂糖を摂取し、お菓子中心の食生活を送っていると、体が異様に冷えるものなのだ。

 性交痛の原因で忘れてはならないのが、「女性ホルモンの変動」である。出産すると母性ホルモンが大量に分泌されるので、女性ホルモンの分泌量が変動してしまうのである。特に注意すべきは30歳以降の出産で、女性は33歳に女性ホルモンのピークに達し、その後、高濃度の女性ホルモンが出続けるので、女性ホルモンの分泌に影響が出て来ると、立ち所に心身をおかしくしてしまうのだ。

 なんの理由もないのにイライラしてしまったり、なんの原因もないのに夫婦喧嘩をしてしまっているようなら、女性ホルモンの変動にあっていると見ていい。このイライラや怒りを溜め込んでしまうと、性行為の際に痛みとなって出て来てしまうのだ。自分の脳に夫といると苦痛であるという回路ができてしまい、それが性行為の際に体の痛みとなって出て来てしまうのである。

 性交痛は当初は肉体的原因で始まるものである。しかし、その性交痛を繰り返していると、次第に脳に「夫との性行為は痛いもの」という記憶が成されてしまい、それによって今度は精神的な痛みに変わってしまうのだ。こうなってくると、「夫と性行為をするのはイヤ!」ということになってしまい、夫婦の関係そのものが危機になってしまうのである。

●整体とヨモギ茶

 まず初めにいっておくが、性交痛は医者では治せない。せいぜいコルセットを嵌められるくらいだ。骨盤のズレこどが性交痛の原因だと解っているのだが、その骨盤のズレを治す技術を持っていないために、患者を治せないのだ。骨盤のズレを治せるのは整体師であって、絶対に治療してくれる所を間違えないことだ。

 整体師は本当にピンからキリまであるので、性交痛を治せる整体師を見つけ出すことだ。性交痛を治せる整体師ならどんなに治療に時間がかかっても3回で終わる筈だ。もしも何度も治療をしてくるようであれば、それは治せないということであって、早目にその整体師を見捨てることだ。

 ちゃんと治せる整体師なら、最初の治療でなんらかの変化が出て来るものであって、そうなれば治療は早いのだ。整体師に骨盤のズレを治して貰えば、性交痛は自然と消えていくものなのだ。性交痛の痛みを自分の体で感じる以上、整体師の巧い下手は手に取るように解るものなのである。

 次に体を温めて体の冷えを取り除いていくことだ。冷たいジュースやお酒を絶対に飲まないことだ。穀物は無精白穀物に変え、体が冷えないように配慮しておくことだろう。お菓子の類も、間食として食べるのをやめ、食後のデザートととして食べればいいのだ。そして、スポーツをして体を動かし、体温を温めていくことだ。特に腹筋と背筋を鍛えていくことだ。この部分にしっかりとした筋肉がつけば、体温低下は起きないものなのだ。スポーツで朝をかいたら、毎晩お風呂に入り、また定期的にサウナで汗を流すことを忘れないことだ。

 女性ホルモンを整えるためには、ヨモギ茶を飲むことだ。ヨモギ茶は女性ホルモンを整える効果があるので、女性ホルモンの乱れが解消されるのだ。それと同時にオシャレをして美しく着飾ることだ。自分が美しくなったという自身こそ、女性ホルモンを安定化させるのである。

 因みに、漢方医は性交痛に対して「海馬補腎丸」というものを処方してくる。これはタツノオトシゴなどの動物の肝臓を集めた物で、肝臓の機能の回復に効果があるものだ。漢方医学は性交痛を肝臓の機能低下による血液汚染と見ているようだ。肝臓の機能を高めるためにも、常に満腹状態にあるのではなく、お腹をすかした状態を作って上げ、肝臓に休息できる時間を与えてあげることだ。そうすれば、肝臓の機能は回復していくのだ。

●夫婦で話し合うこと

 性交痛がなぜ深刻化してしまうのかというと、夫婦できちんとした形で話し合わないからだ。性行為の最中にいくら「痛い!」といっても、夫の方は真面目に受け取らないものなのだ。それよりもテーブルの前でちゃんと服を着た状態で話し合い、できれば性交痛について書かれた本を見せて、真面目に話し合うことだ。こうでもしないと、真面目な会話ができないのだ。

 もしも夫が真面目に受け取らないのなら、性生活を拒否することだ。でれきばいっそのこと、実家に帰ってしまうという脅しをかけるのもいい。夫といえども、妻が実家に帰ってしまえば、事態がこれほど深刻なのかと初めて真面目に受け取るようになるからだ。妻の方に交渉の主導権が得られたことを確認してから、自宅に帰ればいいのだ。

 どの人たちも病気になれば医者に行くという短絡的な思考があるために、性交痛であると解ると、夫は妻を医者のもとに連れていこうとする。しかし、医者では性交痛を治せないのだ。骨盤のズレを治してくれるのは整体師だ。まずは行く先を絶対に間違えないことだ。間違えてしまえば、治る筈の性交痛も治らなくなってしまうのだ。

 治療を受け、たとえ性交痛が治ったとしても、それですべて解決というわけではないのだ。性交痛になるような女性は筋力が衰えているので、せっせと筋肉トレーニングにでも励んで、筋肉量を増やしていくことだ。そのまま何もしないと、今度は腰痛になったり、ギックリ腰になったりするのだ。勿論、性交痛もブリ返してきてしまうのだ。

 夫婦で楽しく性生活を送るということは、夫婦円満を支えてくれるものである。性交痛という痛みだけで、性生活にヒビが入り、夫婦生活そのものにも影響を及ぼしてくるのだ。性交痛を抱えているのなら、自分一人で悩んでいないで、他人に話したり、他人の力を借りて、解決していくことだ。

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出産後肥満でも、美しく見せる方法

●男性は引き締まった腰まわりに性欲を感じる

 新米ママは出産すれば、多少は太らざる得ない。母性ホルモンの分泌に世よって、体が子宮の活動を守るために、腰回りに脂肪をつけさせてしまうのだ。脂肪に体温低下を防ぎ、第二子以降の赤ちゃんを産むための準備をし始めるのだ。程度の差こそあれ、どの新米ママも母親体形へと変化していくのだ。

 しかし、男性というのは、引き締まった腰回りの女性に魅力を感じ、己の性欲に火をつけ、妊娠させようとするのだ。そのため、新米ママが出産後肥満で多少太るのはいいが、それを超えてかなり太ってしまうと、夫から大切にされなくなってしまうのだ。育児に追われる余りに、自分の体形に気をつけていないと、女性はブクブクと太っていくものなのである。

 よく女性たちは「男性は若くてピチピチした女性が好きなんでしょ」と言ってのけるのだが、正確にいうとこれは間違いで、男性は腰回りの引き締まった女性が好きなだけなのである。女性の腰回りが最も引き締まるのが19歳あたりなので、たまたま若かっただけなのである。年齢を重ねても、その女性の腰回りさえ引き締まっていれば、男性は魅力を感じ続けるものなのだ。

 殆どの男性たちは「腰回りの引き締まった女性が好き」とは言ってこないものだ。これは男性の個人的な好みなのではなく、男性の本能レベルの話だからだ。女性の腰回りが引き締まっているということは、その女性は「私は妊娠できる体ですよ」と言っているようなものであって、自分の子供を妊娠し産んでくれるからこそ、魅力を感じるのである。

 出産後、夫の態度が変わってしまったとかいう話はよくあるものだが、これは新米ママが育児に集中し過ぎてしまい、自分の体形を疎かにしたことが原因だ。腰回りに贅肉がたっぷりとついてしまったために、夫が妻の体になんの魅力も感じなくなってしまったのだ。こういう場合、いくら夫婦で話し合っても無駄だ。夫は妻の以外の女性を物色中か、浮気の最中であろう。そうならないためにも、出産後肥満でも美しくみせる方法を習得して、夫に魅力的に見える女性に変身してしまうことだ。

●夜食は絶対にやめること

 出産後肥満とっいっても、それほど贅肉がつくのではない。健康的に生活をしていれば、少しつく程度であり、その脂肪は意外と美しくつくものなのである。ところが、出産後肥満で見苦しいほどまでに贅肉がついてくるのは、「夜食を食う」からなのである。人間の食事では、夜食ほど贅肉をつけさせるものはないのだ。夕食で大量に食べたとしても、消化吸収さえされれれば、それが脂肪に回ることはない。しかし夕食の後に夜食を食べてしまうと、その夜食のために夕食で食べた物の消化吸収が遅れてしまい、そのために炭水化物が脂肪に変わってしまうのだ。だからこそ、夜食を食べる女性は太ってしまうのである。

 若い時には夜食を食べても太らなかったという経験はあろう。19歳までなら成長期なので、、夜食を食べたとしても、それはすべて消化吸収され、消して太らないのだ。しかし、成長期が終わり、成熟期に入ってしまうと、最早、体はそれほど食事を必要とせず、もしも体が必要とする以上の量を食べれば脂肪に変わってしまうのだ。

 夜食を食べないためにも、夕食時にしっかりと食べておくことだ。夕食時にしっかりと食べていれば、夜食を欲しがらないものなのだ。しかも、夕食後、すぐに寝てしまうのではなく、食休みをした後、多少は活動して炭水化物の燃焼を行ってしまうことだ。食事の後片付けや、明日の準備をしたりすることは、意外と炭水化物の燃焼を行わせるのだ。できることなら、夜に筋肉トレーニングをすると、筋肉がしっかりとつくようになるのだ。

 勿論、夫婦の性生活も脂肪をつけさせなくさせてくれる大事な運動の一つだ。夫が体を動かしてばかりいるのではなく、妻の方が自由に動ける体位を選んで、性行為の最中に体を動かしまくることだ。性行為で余分なエネルギーを燃焼させるのと同時に、女性ホルモンの分泌が促されるので、痩せるし、美しくなることができるのだ。

 夕食をしっかりと食べてさえいれば、朝になってもそんなにお腹がすかない筈だ。そういう時は朝食を大量に食べるのではなく、朝食を少なくしておくことだ。歳を取ってくると、朝から大量に食べることがきつくなってくるものだ。朝食の量が少ない分、昼食や夕食の量を増やしていけばいいのだ。そうすればブクブクと太っていくことはなくなるのだ。

●腰を動かせ

 筋肉というものは使わなければ衰えていくものだ。育児でどんなに体を使っていても、育児をこなすための筋肉はつくが、自分を美しくみせるための筋肉はつかないものなのだ。だからこそ、僅かな脂肪でも余計に太ったように見えてしまうのだ。それゆえ、美しく見えるように筋肉をつければ、太っていても美しく見えてしまうのだ。

 まずは、腰の筋肉を鍛えることだ。腹筋を100回、背筋を100回やって、地道に鍛えていくことだ。こういう場合の筋肉トレーニングは量を少な目にして、毎日やった方がいい。これは腰回りを引き締めるための筋肉トレーニングだからだ。1ヵ月間、腹筋と背筋を鍛え続けると、見違えるように筋肉がしっかりとついて、美しく見えるようになるのだ。

 次に腰を振り振りさせる運動を毎日行うことだ。腰を右に振って、次に左に振ってというふうに、腰を振り振りさせることで、腰回りにしっかりと筋肉をつけていくのだ。これは真面目に取り組むよりも、遊ぶ感覚でやった方が長続きすることができる。テレビを見ている暇な時間を使って、腰を振り振りしながら見ていると、徐々に腰が引き締まってくるのだ。

 出産経験のある女性のお腹が出て来てしまうのは、要は腹筋が衰えてしまったからであり。腹筋さえつけてあげれば、お腹が出て来ることはないのだ。腹筋は一気にやってもそんなにつかないので、地道に毎日筋肉トレーニングをして、腹筋をつけていくことだ。腹筋さえあれば、多少脂肪がついても、美しく見せることができるのだ。

 女性の場合、激しいスポーツをするよりも、家事のような細かい動きを要求される運動の方が以外とエネルギーを消費してくれるのだ。それゆえ、家事を手抜きせず、しっかりと行ってしまうことだ。家事をちゃんとやっていれば、そうは脂肪がつかないものなのだ。家事の手抜きをし、テレビを見ている時間が長いからこそ、脂肪がついてしまい、肥満になってしまうのである。

●サウナで汗を流せ

 女性は水分を溜め込み易い体なのである。これは妊娠するために、水分を溜め込むことで、胎児を安全に育てようとするからなのだ。そのため、女性が肥満になった時、ついてしまった脂肪自体が問題なのではなく、水分過剰の状態こそが問題なのだ。それゆえ、過剰な水分を吐き出させてしまえば、意外と簡単に痩せてしまうのだ。

 まずは、ウォーキングだ。1日1時間は必ず歩くようにすることだ。歩けば血液循環が良くなり、小便が出まくるようになるのだ。夏の場合なら、歩くだけで汗が出てくるものなのだ。なるべく自動車を使わずに、歩ける距離なら歩いてしまうことだ。赤ちゃんがいる場合、その重さも自分への負担になるので、その分、エネルギーを使ってくれることになり、痩せることができるのだ。

 それから、「軽ジョギング」だ。軽ジョギングは猛スピードで走るのではなく、ゆっくりとした程度のスピードで走るジョギングだ。ジョギングをする際は、厚着にしてしまい、汗が噴き出るくらいに汗を流せるようにしてしまうことだ。1日30分間1ヵ月間、軽ジョギングを繰り返せば、有り得ないkらいに体重が落ちて、美しくなることができるのだ。

 1日の終わりには、お風呂に入って汗を流すということは、絶対に必要だ。この夜のお風呂に入るからこそ、汗を流すことができ、血液循環も良くなって、体内の老廃物や毒素を排便排尿で出すことができるのである。入浴はカラスの行水にしてしまうのではなく、20分程度はしっかりと浸って体を温めておくことだ。

 サウナには定期的に行った方がいい。サウナこそ最大量の汗を出すことができるからだ。特に新米ママの中で冷え性に悩まされているなら、サウナで汗を流してしまい、体を芯から温めてしまうことだ。サウナで汗を流し喉が渇いたら、すぐさま水分補給をするのではなく、汗が引いてから、水分補給をすることだ。このちょっとしたことをするだけで、肥満がかなり解消されるのだ。

 出産後肥満であっても、夜食をやめ、筋肉をつけ、汗を流せば、美しく見せるようにすることができるのだ。自分の体が引き締まれば、洋服も奇麗に着こなせるし、自分に自信がつくのだ。こういうふうに魅力的になれば、出産後肥満であったとしても、夫は妻に対して魅力を感じてしまい、大切に扱うようになるのだ。自分がデブなのに、夫に大切に扱われたいというのは、無茶な相談なのだ。夫から大切に扱われたいなら、自分の体を引き締める努力をし続けることだ。

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出産すると性感が変わる

●出産すると夜の生活も変わる

 出産すると性感が変わる。大いに変わる。これこそ、未婚女性と既婚女性を分ける大きな違いなのである。出産経験があると、今まで性行為で余り感じなかった女性でも感じるようになり、今まで感じていた女性はそれ以上に感じるようになるのである。なぜこんな現象が起こるかといえば、それは赤ちゃんが膣を通過したからなのである。

 女性の体は全身が性感帯といわれるが、唯一「膣」だけが鈍感な器官なのである。未婚時代にいくら性行為をやったとしても、膣以外の場所の性感帯を刺激することで、性感を感じて満足を得ようとしなければならないのである。だが、出産によって赤ちゃんが通過してくれると、膣は一時的に大きく広がり、それによって膣が鍛えられるのだ。

 膣できちんと感じられると、膣できちんと感じられないでは、天と地ほどの差が出てきてしまうものなのである。膣で感じることができれば、下手な性愛術でもそこそこの満足を得ることができるのだ。しかし、膣で感じることができないと、相当に巧い性愛術でないと満足を得ることはできないのだ。そういう凄い性愛術を持った男性など余りいないものだし、居たとしても結婚しているのがオチなのである。

 出産をしたのなら、是非ともこの女性としての最大の幸運を見逃すべきではないのだ。せっせと夫婦でやりまくるべきなのだ。やればやるほど深い満足を得ることができ、夫婦の愛を深めていくことができるのだ。出産後は自分が「新手の処女」だと思って、新たな気持ちで男性と接するようにすればいいのだ。出産以前にいくら性体験を積んでも、出産後は全く違う性体験が待ち受けているものなのである。

 育児をしている身としては、夫婦で夜の性生活を営むことで、育児疲労が吹き飛んでしまうという重大な効果をも持っているのだ。そのため、夫婦の夜の性生活がご無沙汰になってしまうと、育児疲労が増してしまい、余計に疲れきってしまうようになるのだ。日中にどんなに育児で疲れていても、夜の性生活でオルガズムに行くことができれば、一瞬で育児疲労が吹き飛んでしまうものなのである。

●オルガズムが行き易くなる

 出産すると、オルガズムに行き易くなる。出産によって足腰が鍛えられたことと、出産によって膣を広げることができたこと、そして女性ホルモンと母性ホルモンが適度に分泌されるようになったことがその理由としてあげられる。特に美人である女性は、美人であるがゆえに女性ホルモンが大量に分泌されてしまい、その副作用によって冷え性になってしまうのだが、出産して母性ホルモンが分泌され始めると、女性ホルモンの副作用が緩和され始め、体が温かくなることで、オルガズムに行き易くなるのだ。

 女性のオルガズムは大きく分けて、「クリトリスオルガズム」と「膣オルガズム」の2つがあるのだが、出産前は「クリトリスオルガズム」しか行かなかったのが、出産後は「膣オルガズム」も行けるようになるのだ。出産前でも膣オルガズムに行けることは行けるが、これに行ける女性が数が限られているものなのだ。

 今までクリトリスでしか行かなかった女性は、膣オルガズムを初めて経験するとビックリするらしい。クリトリスで行く場合、背中に電流が走る程度のものが、膣で行く場合、頭の中で爆弾が炸裂して、頭の中が真っ白になるくらいの衝撃なのだ。恐らくクリトリスで行くより10倍以上の快感が我が身を襲うことになるのである。

 女性の性感にはクリトリス派と膣派がいるものだが、これはその人の好みで決まるのではなく、実はその女性の子供の頃の記憶が決定的な役割を果たすことになる。その女性が子供の時に、父親の命令に素直に従い、父親を好きになると、その女性は膣派の女性として成長していくのだ。しかし、父親の命令に逆らい、父親に反感を持ってしまうと、その女性はクリトリス派の女性として成長してしまうのだ。

 膣派の女性は、男性との関係を良好に保つことができ、恋愛をする年頃になると、ちゃんとした男性を見つけることができ、性行為に及んでも、クリトリスで行くだけでなく、膣でも行けるようになり、充実した性生活を送ることができるようになるのだ。一方、クリトリス派の女性は、男性との関係を良好に保つことができず、恋愛をする年頃になっても、ちゃんとした相手を見つけることができず、男を取っかえ引っかえして、セックス中心の付き合いをしてしまい、性行為に及んでもオルガズムに行きずらいし、行ったとしてもクリトリスでしか行けないのだ。

 膣派とクリトリス派は結婚してもそのまま持ち込まれてしまうが、だが、出産によってクリトリス派の女性にも変化が生じて、クリトリスだけでなく、膣でも行けるようになるのだ。この膣オルガズムを経験すると、その女性に多くの心境の変化が現れ、夫を始めとして、他の男性にもきつくあたることがなくなり、徐々に女らしい女へと変わっていくのだ。

●妻にオルガズムを行かせるようにようにしろ

 出産によって、自分の妻がオルガズムに行き易くなっている以上、夫は妻に対して、オルガズムに行くような性愛術を施していくべきなのである。独身男性のように自分が射精することを中心にして性行為に及んではならないのだ。結婚したからこそ、妻が出産したからこそ、ベッドの上で妻にサービスして、妻がオルガズムに行きまくるような性行為をするべきなのである。

 まず、女性の体は男性の体のように愛撫なしでオルガズムに行くということはない。充分すぎるほどの愛撫を施さねばならぬのだ。愛撫にたっぷりと時間をかけてから、自分のペニスを挿入していけばいい。愛撫で一度もオルガズムに行かしたことがなければ、とりあえず愛撫で行かしてみることだ。できれば、愛撫で3回オルガズムに行かしてあげることだ。愛撫で3回もオルガズムに行かせてあげると、妻は性交の際に非常に感じ易くなり、オルガズムに行き易くなるのだ。

 夫がペニスを挿入する際は、徹底的にじらすことだ。妻が「入れて!」と叫ぶまで入れるべきではないのだ。妻の股間が愛液で濡れまくり、グチョグチョになったからこそ、妻は夫のペニスを入れられるだけで感じてしまうのだ。そうやって挿入してしまえば、後の性交で妻は感じまくることができるし、オルガズムにもちゃんと行くようになるのだ。性交で1回行って終わりにするのではなく、妻の体力が回復次第、再び性交を開始して、せめて性交で3回オルガズムに行かしてあげれば、妻は体力の限界まで愛してくれたと思うことができるようになるのだ。

 性交が終わったら、それで終わりなのではなく、後戯をきちんと行うことだ。男性の場合、射精すればそれで終わりなのであるが、女性は性行為の余韻を楽しみたいのだ。それゆえ、妻の全身を愛撫してあげ、後戯で1回オルガズムに行かしてあげることだ。前戯でも性交でもオルガズムに行っているので、後戯でもオルガズムに行き易くなっているのだ。

 性行為は最高のものを求めていく態度も確かに大切ではあるが、そんなにしょっちゅう最高のものができるわけがないのだ。それよりも最低限これだけすれば妻は満足するであろう性行為の基準を設けておき、それを忠実に実行することだ。「愛撫で3回」「性交で3回」「後戯で1回」という回数は、慣れてしまえば簡単にできるものだし、どんなに貪欲な妻でもこの回数なら満足する筈である。

●深い愛情を得られるようになる

 女性にとっては性行為は、恋愛に於ける一つのオプションに過ぎないのだ。それゆえ、女性が性愛術で上達してくることはないのだ。セックスのことを矢鱈に喋りまくる女性に限って、低レベルなセックスしかしたことがないのだ。女性は性行為で満足すればするほど、性行為の話は余り喋らなくなっていくものなのだ。

 しかし、男にとっては性行為こそに最大の関心が支払われるし、男にとっては性愛術は切り札のようなものなのだ。だが、それなのに、性愛術が上達している男性は少ないものなのだ。なぜなら、アフダルトビデオのような低俗な物の影響をもろに受けているからだ。アダルトビデオは男性がオナニーをするためのものであって、あれをいくら見ても性愛術は上達しないものなのだ。

 それよりも、自分が本当に好きな女性とちゃんと付き合って、性行為をしまくるべきなのだ。性愛術が上達したければ、女性を取っかえ引っかえするのではなく、一人の女性に絞って、徹底的にやるべきなのである。これ以外の方法では絶対に上達してこないのである。結婚しているなら、浮気などせず、妻一人に絞り込んで、何度も何度もやりまくることだ。そうすれば自然と上達してくるものなのである。

 男性は若くて性愛術が未熟であるならば、男性の射精中心の性行為をしてしまうものだ。しかし、結婚して年齢を重ねたのなら、妻のオルガズム中心の性行為に変えていくべきなのである。「セックス」から「メイクラブ」への転換を図るべきなのだ。性行為をすることによって、互いの性欲を剥き出しにするのではなく、性行為によって愛を作り出していくように変えていくことなのだ。

 妻が夫に抱く深い愛情は、夫が妻に施す深い快感から生み出されてくるものなのだ。性行為で妻が感じまくり、オルガズムに何度も行けば、理性は吹っ飛び、本能の成すがままになるから、その本能に夫婦の夜の性生活は非常に深い快感を得られると覚え込ましてしまえば、性行為を終えて日常生活に戻った時、妻は夫を心から愛せるようになるのだ。

 性愛術とは、女性に快感を与え、オルガズムに行かせることだけではないのだ。性愛術の奥義とは、「セックスエネルギーを転化せよ」ということなのである。性行為の中で生み出されたエネルギーを、ただ快楽のために使用するのではなく、そのエネルギーを日常生活に送り込んで、夫婦が幸せになるように、家庭円満になるようにし、夫が仕事で成功するようにしていくのである。

 性欲というのは自己制御しがたい欲望だし、性の世界には妖艶なる魅惑が至る所に存在し、性の快楽にいくらでも耽けることもできる。しかし、そのように性欲の成すがままになり、性の快楽に溺れてしまえば、歳月はあっという間に過ぎ去ってしまい、酔生夢死の人生を送ってしまうのだ。これは一人や二人ではないのだ。多くの人々がその落とし穴に落ちてしまうものなのである。

 だからこそ、チャンスなのだ。競争相手など殆ど存在していないのだ。自分の性欲を自己統御して、性愛術を上達していけば、性の世界から突き出てしまい、圧倒的なセックスエネルギーを使って、戦いに勝利していくことができるようになるのである。そうすれば、自分たち夫婦はバラ色の生活を送ることができ、栄光を掴むことができるようになるのである。

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第十章 出産後の夫婦の性生活

出産してから、10ヵ月は避妊する

●人間の体は立て続けに妊娠できるようにはできていない

 最初の赤ちゃんを産んでしまったら、次の赤ちゃんも欲しいというのは、母親として当然の感情である。気の早い既婚女性であるなら、最初の赤ちゃんの出産が終わった直後に、「もう一人、赤ちゃんが欲しい!」と思ってしまうのだ。妊娠中から母性ホルモンが出ており、しかも、出産によって母性ホルモンが大量に分泌されることになるので、そういう感情が湧き起こってしまうのだ。

 子宮の方は妊娠と出産で疲れ切った筈なのに、次の妊娠への準備を着々と進めて、新米ママの骨盤を押し広げて丈夫なものにし、腰回りに脂肪をつけることで、子宮への温度をあげるようにしていくるのだ。女性が出産後に体形を変えてしまうのは、第二子以降に妊娠を準備しているからなのである。

 だが、急いで次の妊娠をしていいいのかというと、実は人間の体は立て続けに妊娠できるようにはできていないのだ。新米ママにとって最重要な問題は、「骨に於けるカルシウムの問題」だ。妊娠によってカルシウムを大量に奪われたために、新米ママの骨にカルシウムが不足してしまっているのだ。立て続けに妊娠してしまった場合、視力の低下が起こったり、虫歯で悩まされたり、骨粗鬆症になってしまったりするのだ。初めての出産をし終えた後は、カルシウムをしっかりと補給して、骨にカルシウムを蓄えていくことだ。

 授乳を必要とする赤ちゃんは、離乳開始時期が生後2年からなので、やはりその間は出産すべきではないのだ。乳児がきちんと喋ることができ、母親とのコミュニケーションがきちんと取れるようにならない限り、とてもではないが第二子を産んで育てることはできないものなのだ。

 しかし、そうはいっても長い猶予期間を必要とするわけではなくい。というのは、親の恋愛ホルモンの効果が3年で切れるからだ。母親は自分の夫に恋心を燃やして、妊娠し出産したとしても、その熱い想いは3年で切れてしまうのだ。既婚女性の場合、結婚前の恋愛から結婚後の新婚生活の期間が3年、そして妊娠し出産してからの期間が3年で、次の妊娠をしないと恋愛ホルモンが分泌されなくなってしまうのだ。恋愛ホルモンは何も恋愛をするために使用されるホルモンなのではなく、実は妊娠し出産し育児をするためのホルモンなので、それが切れてしまえば、夫婦でゴタゴタが発生してしまうものなのだ。

 こうれらのことを考えていくと、2年から3年をあけて、次の赤ちゃんを産むというのが、最善の選択であろう。実際にこの間隔をあけて出産している夫婦が殆どだといっていいのだ。下手に長引いてしまうと、第一子で打ち止めになってしまう危険性が出て来るのだ。実際問題としては、育児にひと段落がつき、育児に余裕が出て来たのなら、次の妊娠にチャレンジすればいいのだ。

●最低でも10ヵ月は避妊する

 出産すると、生理は止まったままなので、出産後に生理が再開したら、まずはその月経血をきちんと排出しておくことだ。この月経血は妊娠中や出産後に溜まった老廃物や毒素を大量に含んでいるので、この月経血をきちんと出しておかないと、新米ママ自身が体調を崩して病気になってしまうし、たとえ第二子を妊娠し出産したとしても、病弱な赤ちゃんになってしまう危険性が出て来るのだ。

 生理は満遍なく月経血が出て来るわけではなく、生理の期間中の1日だけ大量に月経血を出す日があるので、今日は月経血が多いなと思ったら、外には出歩かないことだ。せいぜい散歩程度の距離で済まし、月経血を出すことに専念することだ。生理用品の普及によって、生理の日でも外出できるようになったが、多くの女性たちは月経血をちゃんと出しておかないからこそ、子宮内膜症や子宮筋腫や子宮癌になったりするのである。

 出産後、生理が再開したら、せめて3回は妊娠しないで生理を迎えるようにし、月経血をちゃんと出しておくことだ。第一子の赤ちゃんを産んだ後だと、女性ホルモンと母性ホルモンのバランスが巧く取れていないので、月経血を出すことで、そのバランスを取るようにするのだ。このホルモンのバランスをちゃんと取っておかないと、原因不明の体調不良に襲われるので、ちゃんとバランスを取れるようにしておくことだ。

 赤ちゃんの妊娠に10ヵ月間かかったことを考えれば、矢張り出産後10ヵ月間は妊娠しない方がいいのだ。妊娠や出産で体を疲れさせた以上、10ヵ月間の間は避妊して、体を休まして、次の妊娠に必要な栄養素を着々と蓄えていくことだ。そうすれば第二子は健康な赤ちゃんとして産むことができるようになるのだ。

 危険日にはコンドームを着用して性行為を行えばいいし、それ以外の日はナマでも大丈夫だ。絶対に避妊するためにピルを飲んだりしないことだ。ピルは女性のホルモンを乱すので、鬱病に成ってしまう危険性があるからだ。余り避妊することに深刻にならず、危険日さえ注意しておけばいいのだ。それよりも夫婦で性行為を楽しむことだ。

●年子を育てることの危険性

 万が一、早目に妊娠したとしても、絶対に堕胎しないことだ。そういう既婚女性の子宮は妊娠したたがっていただけのことであり、必要だからこそ妊娠してしまっただけなのである。堕胎というと、女子高校生がするものだと思ってはならない。既婚女性の堕胎も結構あるのだ。このために堕胎した女性の子宮に傷がついてしまい、その後に治療が困難になる病気をしまくり始めるのだ。現在、日本の法律では堕胎が合法化されてしまっているが、女性のことを考えるのなら、堕胎を禁止し、已むを得ない理由がある場合に限って、堕胎を許すべきなのである。

 年子になってしまった場合、その危険性は充分に承知しておいた方がいい。赤ちゃんは生後2年まで授乳を必要とするので、母乳が出続ける限り授乳し続けることだ。但し、妊娠中はいい母乳が出ないし、母乳自体が止まってしまうことを知っておくべきだ。そういう時は離乳食を開始していけばいい。

 赤ちゃんは母親に妊娠したということが解ると、赤ちゃん返りをし出すことになる。赤ちゃんが赤ちゃん返りというのも変な表現だが、赤ちゃんがより幼稚な赤ちゃんになってしまい、母親に甘えるようになるのだ。この光景は結構面白いので、赤ちゃんの赤ちゃん返りを楽しんでしまうことだ。赤ちゃんの方も気が済めば、赤ちゃん返りを卒業してしまうのだ。

 年子を産んだ場合、兄弟喧嘩ばかりすることになることだけは事前に知っておいた方がいい。第一子の方もそれほど成長していないので、「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」としての実力が備わっていないのだ。しかも、下の子の方は年齢がそれほど離れていないのに、兄弟姉妹としての秩序をつけられてしまうことに憤りを感じてしまうのだ。この双方が組み合わさって、しょうっちゅう喧嘩することになるのだ。

 人間の子供を育てて行く場合、或る程度の年齢差は必要なのである。特に赤ちゃんの頃は赤ちゃんは母親に甘えたい盛りなので、この時期にきちんと母親に甘えさせておかないと、精神的に不安定になってしまい、成長した暁には、暴力を振るうことで、それを解消していこうとし出してくるようになってしまうのだ。

●避妊していても、夫婦の性生活を絶やさないこと

 年子を恐れる余りに、夫婦の性生活を絶やしてしまうのは、それは過剰な反応である。避妊していても、夫婦の性生活を絶やさないことだ。夫婦で性生活の禁止が長く続くと、夫婦の愛が崩れてしまうのだ。特に育児疲労が激しい新米ママは、その疲労のために夫婦の性生活を拒否してしまうことがあるのだが、そういったことを頻繁にやっていると、結婚自体が危機になってしまうから要注意である。

 夫にしてみれば、臨月から性行為をしていないのであるのだから、その性欲は溜まりに溜まっているのだ。妻の体を使って噴出しないと、妻とは違う女性の体を使って噴出することになってしまうのだ。人間には性欲があるのだから、その性欲を否定するような考えを持たないことである。大事なことは性欲を自己統御し、巧く性欲を使いこなしていくことなのである。

 実際、育児で疲れきっていても、夜に夫婦で性行為を営めば、疲労は吹き飛んでしまうものなのである。勿論、そのためには夫に最低限の性愛術が必要となるのだが、最低限の性愛術さえありさえすれば、そこそこの満足が行くような性行為ができる筈なのである。もしも、夫の性愛術に不満があるのなら、夫にお小遣いを与えて、性愛術が上達するように努力させればいいのだ。

 性行為は妊娠のためだけに使われるのではなく、快楽のためにも使われるし、夫婦の場合は夫婦関係を維持するためにも使われているのだ。夫婦が性行為をしないで何か快楽を得ようとしても、碌な快楽しか見つけられないものだし、夫婦の性生活が途絶えてしまえば、夫婦関係を維持することが難しくなってくるのだ。

 第二子が生まれるまで、充分に時間があるのだから、夫婦の性生活を思いっきり楽しんでしまうことだ。新たな性感帯を開発してみるのもいいし、新たな体位でやってみるのもいい。そうやって楽しんでいるうちに次の妊娠が発覚した方が、健康な赤ちゃんを産めるというものなのだ。楽しい性行為は、明るい夫婦関係を作り出し、そして健康な赤ちゃんを生み出してくるのだ。

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