家運は盛衰を繰り返す
●家運の興隆と衰滅
人間は決して単独で生きているわけではない。家系の流れの中を生きているのだ。人間の命は繁栄するようにできている。男性が出す精子も、女性が出す卵子も、常に必要以上の量が出ており、もしもそれをすべて生かしてしまえば、無数の赤ちゃんたちが生まれて来ることだろう。
勿論、どの夫婦にも経済力の限界があるから、育てられる子供は限られてくる。しかし、その家族が興隆期にあれば、1人や2人しか産まないということは絶対にないであろう。必ず3人以上産むし、そうやって親の数よりも子供の数を増やしていけば、その家族は自然に繁栄していくことになるからだ。
だが、すべての家族が繁栄し続けるわけではない。人間は豊かに成り過ぎてしまうと、人間は繁殖しなくなる傾向にあるのだ。過剰な栄養は人間の体を妊娠に不向きな体に変えてしまい、豊かすぎた生活は頭の中に邪念を蔓延らせ、出産や育児を拒否してしまうことになるのだ。人間は豊かになることを望んでも、豊かに成り過ぎて堕落してしまうことは絶対に避けるべきなのである。
この世の中には、子供に恵まれなかったり、男の子が生まれても病弱で夭折してしまったり、女の子しか生まれず、しかもその女の子が終生独身を貫いてしまい、絶家になる家族もいるのだ。そうやって滅んでくれる家族があるからこそ、新しい家族が生まれてきて、勢力を伸ばすことができるのである。
結婚したのなら、赤ちゃんが産まれたのなら、まずは家系図を作って、自分たちの家族の流れを調べてみることだ。「勃興期」「隆盛期」「爛熟期」「衰滅期」のどれかにあると解れば、それなりの生き方が解ってくるからだ。自分の生き方を貫いてしまうのではなく、家系の流れに即した生き方をすれば、まず間違いなく優れた人生を送れるようにできているのだ。
●3代周期
本家を相続しなければ、多くの夫婦は分家として、新たな家族を形成していくことになる。分家では自分の夫が初代の当主に当たるので、財運が非常に強いものとなるのだ。神様は初代の当主にはお金に不自由しないように定めてあるのだ。そのため、通常の男性よりもお金の出入りが激しいために、妻が家計簿をつけてお金の管理をしないと、所得はあるのに資産が溜まらないことになってしまうのだ。初代は莫大な資産を持たなくてもいいが、そこそこの資産を持たないと、2代目、3代目が苦しくなってしまうのだ。
家系には「3代周期」というのがあって、3代に亘って繁栄が続くものなのだ。これは日本に限らず、どの民族も三代目に亘って繁栄し、しかも3代目が最も繁栄している。ところが、日本の場合、仏教を取り入れているために、過度に欲望を制限してしまったり、お金を不浄と看做すことがあるので、3代目にパワーが不足してしまい、3代目が家を滅ぼすことをやってのける危険性があるのだ。それゆえ、「売家と唐様で書く三代目」と昔から戒めてきたのだ。
3代目が家族を滅ぼしてしまわないように、初代の妻はとにかく収入の20%を貯金に回してしまうことだ。収入の20%を貯金に回せば、早い時期に相当な資産ができるものだし、生活費を圧迫しなくて済むからだ。初代は質素倹約に心がけるべきであって、派手な生活を決して営まないことだ。
それと共に、自分たちは勃興期に当たっているので、子供たちの教育は文武両道に徹するべきなのである。勃興期にある家族の子供たちは文学や芸術に対しては高い能力を発揮しえず、現実的な仕事に於いて高い能力を発揮してくるのだ。そのため、優秀な学校や優秀な大学を目指して勉強させれば進学してくれることになるし、スポーツが得意ならそのスポーツをやらせれば全国レベル世界レベルの能力を持てるようになるのだ。
初代では新たな墓地が必要となるので、せっせと稼いで、なるべく大きな墓地を買うことだ。墓地が大きければ、それだけ子孫が多くの資産を持てることができるようになるのだ。但し、墓地を購入しても、生前に墓を立ててはならない。生前墓は絶家にさせてしまう危険な遣り方なのである。
●300年周期
家系は家系だけが存続しているわけではない。様々な家系が集まって秩序を形成してくるのだ。それが歴史の大きな流れとなっているのだ。どの国家も「300年周期」で支配階級が交代するようにできており、いくら優れた国家を作った家族たちでも、300年経つと支配階級の家族たちが一斉に没落し始めるようになっているのだ。日本では平安時代の後に武士たちが勃興してきて、公家の支配を打ち砕いてしまったし、江戸時代の後に明治維新が起きて近代化に突入していったのだ。
支配階級の交代はその国民の性格が如実に現れてくるものだ。日本だと前の支配階級の人々を皆殺しにせず、優秀な人材は残して巧く変動を乗り切っている。中国だと前の支配階級を皆殺しにして、新たな家族たちが新たに支配階級に作ることで、その国家の刷新を図っている。
社会主義のイデオロギーに囚われて、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争が起こり、プロレタリアートが勝利すると思っていても、この手の貧富の格差による階級闘争で支配階級が転覆されたことはない。どんな貧乏人でも支配階級に入ってしまえば裕福になるのは当然であって、その人たちが国内の労働者のことを気にかけることなど全くないのだ。
階級の交代は家系が引き起こす大きな歴史の流れであって、300年という時期が来れば自然と起こるものなのである。ロシア帝国のロマノフ王朝は丁度、階級の交代の時期に差し掛かっていたからこそ、レーニン率いるボルシェビキに倒されてしまっただけなのである。革命が起こってしまえば、ソ連共産党は国内のプロレタリアートを支配し、搾取し、虐殺することで、新しい政治秩序を作り出さねばならなかったのである。
現在では、アメリカ合衆国が丁度、階級の交代の時期を迎えており、今までWASPに代表される裕福な白人たちが支配階級にいたのだが、これらの人々が没落して、黒人を始めとする有色人種に取って代わられることであろう。アメリカ合衆国は多民族国家ゆえに、その階級の交代は相当に悲惨なものになる筈である。
●家族のサバイバル術
将来、世の中がどのように変動していこうとも、これだけは覚えておいた方がいいのは、「或る程度の資産を絶対に持っておくことだ」ということだ。資産がなければ、政治変動を生き残れないからだ。政治変動があるということは、ビジネスチャンスも多数発生してくるということであり、そのチャンスを金欠のために見逃してしまったら、新たな政治体制の下では貧乏になってしまうものなのだ。
もう一つは「知識」や「知恵」を持つことだ。お金を奪われることがあっても、脳の中までは奪われないものだ。それゆえ、子供の頃からきちんとした教育を受け、様々な知識と豊富な知恵を持っていれば、激しい政治変動の中でも生き残れるのだ。漠然と学校教育に適応して、学校の成績が良かったなどと浮かれていると、政治変動が起これば、今まで受けていた教育内容など白紙に戻されてしまうものなのだ。特に現在、日本の学校でやっている「反戦教育」「平和教育」などは、政治変動が起これば確実に廃止される教育であろう。
そして「健康」で在り続けることだ。その人の健康は家族の中で作られるものであって、健康情報を多く集めて、家族の中で病気が発生しないように心掛けることだ。政治変動によって階級の交代が起こっているというのに、病気で床に伏せていたら、支配階級に入るチャンスを見逃してしまうことになるからだ。そうなってしまえば、その家族の子孫は300年に亘って支配階級に入れないことになってしまうのだ。
政治変動は激変を引き起こすものだ。そのような状況で行き残っていくためには、「宗教」や「慈善」というものが、最重要になってくる。政治変動は今までの政治体制のイデオロギーを破壊してしまうために、既存の価値観が悉く破壊されてしまうからだ。そのような激変の中で宗教によって自己規定ができていれば、その激変でも自己を見失うことがなく、頭角を現わしていくことができるのである。
いかなる政治体制も滅ぶべくして滅ぶものだが、そういう時代では社会的弱者が最も悲惨な状態に陥ってしまう。だから、自分が稼いだお金をすべて自分のために消費するのではなく、社会的弱者に慈善を施して、彼等の窮状を救ってあげるのだ。昭和憲法下の日本では慈善は政府や地方自治体がやるべきものだという主張が強いために、常に政治家や経営者たちに不信の目が向けられてしまうのだ。慈善は政府や地方自治体の仕事ではないのだ。お金を稼ぐことができる人たちの聖なる義務なのである。
この世が何も変わらないとは決して思うこと勿れ。世の中は変わっていくようにできているのだ。今まで正しいと思っていた考え方もいきなり否定されてしまうことがあるし、今まで美しいと思っていた国土も荒廃することがあるし、今まで豊かと思っていた人々も極貧に陥ることもあるのだ。大事なことは現状に適応しても、現状に適応し過ぎないことだ。常に政治変動に備えて、余力を蓄えていくことだ。どんなに激しい政治変動がやってきても、自分たちの子孫が生き残ってくれれば、それは非常に素晴らしいことなのである。自分の人生は自分だけのものだと思い上がっていると、政治変動の際には最も悲惨な目に遭い、落命してしまうのである。
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