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結婚して「愛の泉」からたくさんの愛を溢れ出させるために

●結婚したのに、「愛の泉」を塞ぐこと勿れ

 恋愛と結婚の決定的な差は愛の出力の差であろう。結婚すれば、恋愛していた頃とは比較にならないくらいに、愛が大量に出て来るのだ。未婚女性が恋愛し、好きな男性のために料理を作るというのは、1日でもう充分だろう。いくら好きな男性のためとはいえ、1週間も料理を作り続けては飽きてしまうものなのだ。結婚すれば、料理を毎日作らざるをえないわけだから、恋愛とは比較にならないくらいに、結婚での愛の出力は大きいのだ。

 しかし、結婚している当事者たちは自分たちが大きな愛を出していることに気づかないものだ。いくら大きな愛とはいえ、いつも出し続けてしまえば、それは当たり前のものになってしまい、独身時代ではごく僅かな愛しか出していたということを、完全に忘れてしまっているのだ。

 だからこそ、未熟な夫婦は夫婦喧嘩をしゅっちゅうやりまくるのだ。どんなに激しい夫婦喧嘩をしたとしても、夫婦喧嘩の原因は、殆どが些細なことなのである。それを冷静に見れば、わざわざ夫婦喧嘩をしなくてもいいのに、愛が多く出ているがために、感情的になってしまい、大きな夫婦喧嘩へと悪化してしまうのだ。

 結婚というものは、夫婦をそれぞれ生成発展させようとするものだ。それゆえ結婚しているからといって、愛さえ出していればいいわけではないのだ。愛とともに、「厳しさ」も必要なのである。厳しさとは、自分の考えていることが本当に正しいのか、自分がやっていることが本当に正しいのか、常に冷静になって自己審査し続けることなのである。この厳しさをきちんと持っていれば、いくら大きな愛を出していたとしても、感情的になって夫婦喧嘩にはならないものなのだ。

 結婚したのに、「愛の泉」を塞ぐこと勿れ。夫婦が無理をしなくても、自然と「愛の泉」から愛が流れ出て来るのに、些細なことで感情的になって、「愛の泉」を塞いではならないのだ。結婚というものは、愛さえあればすべて巧く行くというような幼稚な考えは早々に捨て去るべきなのだ。結婚したからこそ、愛以外のものが必要となってくるのである。

 愛というのは、人間の感情の産物だから、人間を感情的にさせ易い。だからこそ、相手が自分の思い通りにならないことに怒りを覚えてしまい、忍耐力のない人であるならば、その怒りが爆発してしまうのだ。夫婦でどんなことがあっても、相手の身になって考えると、悩みの8割は消滅するものなのだ。愛を出しさえすればそれでいいと思うのではなく、相手を思いやり、夫婦双方の立場から問題を解決できるように仕向けていくべきなのだ。

●嘘でもいいから、自分の夫は世界で最高の男と思え

 人間は見たこともない人に無限の憧れを抱いてしまうという危険な性癖を持っている。例えば、仏教徒なら2千5百年前に死んだゴータマ・シッダルータを崇め、その人物が一体どうなのかも知らないのに、手を合わせるは、頭を下げるは、供え物を捧げたりする。キリスト教徒なら、2千年前に死んだナザレのイエスを崇め、その人物が一体どうなのかも知らないのに、イエスが死から復活したことを信じ、祈りを捧げ、献金をするのだ。

 しかし、この仏教徒の既婚女性が自宅に帰れば、生きている夫を見下し、罵倒し、喧嘩を吹っ掛けるのだ。キリスト教徒の既婚女性も自宅に帰れば、生きている夫を信じることなく、愛に代えて憎しみをぶつけ、献金するどころから夫の財布からお金をふんだくろうとするのだ。

 人間は死んだ者を生きている者よりも上位に置いてはならないのだ。自分が見たこともない人を、自分が見たことのある人よりも優先させてはならないのだ。手を合わせ、頭を下げ、供え物をしたいのであるならば、まずは自分の夫にすべきであり、たとえ夫が死んだとしても夫を崇め、生きている夫の無事を祈り、夫の財布にお金が少なくて困らないは慮をすべきなのだ。

 嘘でもいいから、自分の夫は世界で最高の夫だと思うことだ。現実はそうでなくても構わないのだ。あくまでも妻が勝手に定めた基準で、世界最高の夫に認定してしまうのだ。自分の夫を世界で最高の男性だと思うと、自分の夫は本当に世界で最高の男性になっていくものなのだ。自分の夫はゴータマ・シッダルータよりも素晴らしいし、ナザレのイエスよりお愛を捧げねばならぬ貴重な男性なのである。

 自分の夫を単なる男だと思うと、そのような男にしかならないものなのだ。自分がこの世で唯一の夫の応援団長になってあげることだ。そうすれば夫が現在どんなに悲惨な境遇にいたとしても、立身出世を果たし、巨万の富をもたらしてくれることになるのだ。自分が愛を捧げるべきは、数千年前に死んだ男たちにではないのだ。今生きている自分の夫へなのである。

●夫婦愛は循環する

 夫婦愛というものは、決して一方通行ではないのだ。夫婦愛は循環する。これこそ、夫婦愛が持つ最大の特徴なのである。夫婦愛を一度発してしまうと、夫婦の中をグルグルと巡ってしまう。そうやって循環することで、夫婦愛は循環すれば循環するほど、愛が大きくなっていく。これが「愛の泉」の正体なのだ。

 夫婦の間に、一度、愛が流れ出してしまうと、その愛は夫婦の間を加速度を伴って回転し続けてしまう。これが「夫婦愛の加速度原理」なのである。自分が出した愛が小さな愛であったとしても、その愛は何倍も何十倍も膨らんで巨大化していく。結婚していると、愛は膨らめば、有り得ないくらいに膨らんでいくものなのだ。未婚時代にはどんなに恋愛で盛り上がっても、赤ちゃんができたりしない筈だ。住宅を所有したりしない筈だ。夫婦の資産として、数千万円、数億円、数十億円の資産を持てたりしてしまうのは、夫婦愛が加速度原理によって高速で循環しているからなのだ。

 だが、この夫婦愛の循環を使い間違えると、悲惨なことになってしまう。結婚していると、愛は萎めば、有り得ないくらいに萎んでいくからだ。妻が夫の仕事のできの悪さを愚痴ったり、給料の少なさを罵倒したり、家事や育児を手伝わないことを不平不満に思っていると、夫婦の間で愛は消えてしまい、憎しみが循環してしまい、しかもその憎しみは加速度原理によって急速に憎しみが巨大化してしまうのだ。

 だからこそ、夫婦喧嘩で暴力が発生すると、その暴力は激しいものになるし、殺人事件にだって発展してしまう。たとえ離婚を決断したとしても、奇麗さっぱりに別れることをせず、少しでも相手からお金をふんだくり、離婚後も激しい憎しみを抱いてしまうのだ。そういう夫婦は相手がどんなに悪い人物であるかを罵倒し続けるものだが、結婚した当初は愛を以て始めたのに、愛を憎しみに変えてしまい、その憎しみを循環させてしまったからこそ、離婚という結果に終わっただけなのである。

 結婚すれば夫婦は最も近い距離に居るものなのだ。しかも夫婦愛は循環していくから、その愛を決して憎しみに変えてはならないのだ。憎しみを持ってしまえば、最初はその憎しみが小さな物であったとしても、自然と憎しみが巨大化してしまい、自分では手に負えないものになってしまうのだ。

 仏教を信仰しているのに、夫婦喧嘩をいてしまい、離婚してしまう夫婦は跡を絶たないものだ。キリスト教を信仰しているのに、夫婦喧嘩をしてしまい、離婚してしまう夫婦はいくらでもいるものだ。なぜなら、自分の夫よりも、数千年前に死んだ男を優位に置いてしまい、しかも、その死んだ男に捧げる愛よりも大きな愛を自分の夫に捧げないからだ。これでは誰がやったとしても結婚は巧く行くことはないであろう。

●愛の喜びは性の悦びに繋がる

 夫婦の性行為は、単なる性行為なのではなく、夫婦愛の表現であるのだ。愛の喜びは必ず性の悦びに変わるものだ。結婚しているなら、夫婦は性生活を定期的に営むことになるから、性行為をするたびに、夫婦愛は膨らんでいき、大きなものに成長していくのだ。

 だから、夫は性愛術が巧くなって、せっせと妻に性の悦びを与えていくことだ。妻に性の悦びがあれば、妻の愛の喜びは更に大きくなるものなのだ。そうすればベッドの上ではあんなに優しかった妻が、ベッド以外の場所でも優しくしてくれるものなのである。そのような状態になれば、家庭内でのストレスが激減し、夫は全力を以て仕事に取り組めることができるようになり、自分の能力を最大限に発揮していくことができるようになるのだ。

 性欲に囚われている人であるならば、夫婦の性行為は性行為の中だけで完結してしまうと思ってしまう。だからこそ、夫婦の性行為を堕落させて、いかにも嫌らしい性行為におとしめてしまうのだ。そうなれば、妻は淫乱になるだけで、夫婦の通常の生活までが破壊されていってしまうのだ。

 性愛術をきちんと施し、妻に正しい性の悦びを与えれば、その性の悦びの中で治まりきるものではなく、その性の悦びが愛の喜びに変わって、自分たちの夫婦の夫婦愛をより大きくしていくことができ、それによって夫婦双方が高い能力を発揮して、夫婦に幸せと良高さをもたらすのだ。

 夫婦愛は夫婦の中を循環している以上、夫婦の性行為だって、それによって夫婦愛が循環しているのだ。結婚して月日が経っているというのに、夫の性愛術が未熟だったり、妻が恥じらってばかりいて、様々なプレイに挑戦しないというのであるならば、夫婦の性生活は向上していかなし、夫婦の性行為による夫婦愛の発生もイマイチになってしまうのである。そうならないためにも、夫は性愛術を上達させ、妻は勇気を出して様々なプレイにチャレンジしてみることだ。そういうベッドでの冒険が、夫婦愛を大きくさせ、結婚生活にも巨大な幸運をもたらすことになるのだ。

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