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2009年9月

児童虐待の連鎖

●虐待は幼児から始まる

 女の子は男の子よりも自分が愛されていることに敏感なので、父親や母親からちゃんと愛されれば、青春時代が始まるまでに愛を蓄積してしまい、その愛の蓄積があるからこそ、女性同士できちんとした友情を育むことができ、たった一人の運命の男性を見つけて恋愛をし、結婚していくことができる。その過程を経てしまうと、上位自我が破壊され、きちんと精神的自立を果たしていくことができるのである。

 女性はしっかりと上位自我が形成されてしまうために、上位自我が破壊されないと、結婚してから自分の悪事を止めることがでず、悪事を暴走させてしまう悲惨な事態になってしまう。その典型例が「児童虐待」である。如何なる母親であっても、生まれた直後から児童虐待をするわけではない。自分が産んだ赤ちゃんを育てて行く中で、自分の蓄積していた愛が枯渇してしまうと、児童虐待が始まるのだ。

 児童虐待は幼児に成る頃から始まるものだ。丁度、言葉を喋り出した頃から、児童虐待が始まるのだ。これは父親が幼児が喋ることによって、自分の偽りの上位自我が刺激されt怒り出したように、母親も幼児が喋ることによって、自分の偽りの上位自我が刺激されて児童虐待が始まるのだ。

 児童虐待というのは、余程の鬼母でもない限り、児童虐待をやっている母親が「これではいけない!」と思いつつも、我が子に暴力を振るってしまうのである。偽りの上位自我といえども良心の源泉なので、児童虐待が悪いことだと認識しているのだ。だが、どうやっても児童虐待が止まらないのだ。

 なんせ自分自身が自分の母親から暴力を振るわれながら育って来たために、我が子に暴力を振るうのは当然であり、そうやって子供は育つものだと思い込んでいるのだ。しかし、実際にそれをやってしまうと、良心の呵責に悩まされてしまい、幼児の体は傷だらけ、自分の心も傷だらけになってしまい、地獄の日々が展開していくのである。

●躾が虐待に変わっていく時

 児童虐待が本格化するのは、幼児に「躾」を教え始めた辺りからなのである。躾と称して、幼児に躾を教える振りをして、児童虐待を働くのである。「なんで躾を教えることが児童虐待に繋がるの?」という疑問を持つ方は、児童虐待の悲惨な現実を知らないからこそ、そういうことが言えるのであって、躾を教えるというのは、親の方が精神的に独立していないとできないものなのである。

 解り易い例をあげるなら、学校で校則を教える振りをして、生徒たちに暴力を振るう暴力教師がいるものだが、これも教師本人が精神的に独立していないために、校則を教えることが暴力を振るうことに変わってしまうのだ。精神的に従属状態にある人たちは言っていることと遣っていることが一致しないものなのである。

 実を言ってしまうと、幼児に躾はまだ必要ないのだ。躾とは身にこなしの美しさであって、幼児はまだ身をこなすことさえできていないのだ。躾が必要となるのは小学生1年生辺りからであり、身のこなしは普通はこうだけれども、このようにやれば美しく見えるよというものなのだ。そこには暴力など入る余地がないのだ。

 ところが母親の方が精神的に従属状態にあると、躾と称する虐待が展開されるのである。この母親の言っている躾とは、「母親の言いなりになりなさい」と言っているようなものであって、母親の意にそぐわない行動を取ろうものなら虐待が始まるのだ。だから、子供にとっては一体どれが「躾の基準」なのか解らないので、戦々恐々としながら生きて行かざるをえなくなってしまうのだ。

 児童虐待を働く母親たちは、自分もそうやって自分の母親から躾と称する虐待を受けてきたので、我が子が自分の意にそぐわない行動を取ってくると、暴力を振るってしまうのだ。暴力を振るっている母親自身が「これはイケナイことだ」と思いつつも、暴力が止まらないのである。

●蘇る記憶

 児童虐待が発覚した時、子供の虐待の傷跡は悲惨なために、その母親の蛮行だけ批判されてしまうものだが、その母親も精神的に悲惨な日々を送ってきたのである。自分が虐待されて育ったからこそ、我が子にも虐待してしまう。この「児童虐待の連鎖」に自分が吸い込まれてしまっただけなのである。

 親から子へ遺産が相続されるように、育児の仕方も親から子へと相続されていく。遺産は主に男系相続を展開していくが、この育児の仕方は母系相続を展開していく。母親から娘へと受け継がれていくのだ。そのため、良い育児の仕方も相続してくることもあるが、児童虐待のように悪い育児の仕方も相続してくることもあるのだ。

 児童虐待を受けて育って来た女性は、まさかこの世に愛に満ちた育児の仕方があるとは、夢にも想像できないから、どうしても我が子に暴力を振るってしまうのである。しかも、夫は仕事で外に出かけてしまうために、児童虐待は夫にも発覚することがない。夫が児童虐待に気付くのは、相当遅くなってからなのである。

 精神的に従属状態にある女性は、育児を開始すると、自分の過去の記憶が蘇ってくるものだ。自分が母親から愛されて育たたなかったために、我が子を抱いても母性愛が少ししか出て来ないのだ。それが順調に育ち、我が子が喋り始めると、自分の悲惨な過去に自分が乗っ取られてしまい、児童虐待の連鎖に吸い込まれてしまうのだ。

 母親に僅かな母性愛さえなければ、乳児に育児放棄をするということもある。この場合、乳児は死んでしまう危険性が非常に大きいのだ。乳児はまだ自分で一人歩きできないので、児童虐待の連鎖に吸い込まれている母親にとっては、格好の餌食なのである。乳児は免疫力の関係上、死に易いものだが、乳児が死亡した場合は、必ず検死を行うべきなのである。そうしないと児童虐待による殺人を食い止めることができないのだ。

●妻が生まれ変わる

 児童虐待は児童虐待を行っている母親の方が、「これは悪いことだ」と心の中では認識している点で、夫が怒り狂う時とは違うのである。妻の方が夫よりも自分の不自然さを敏感に感じるのである。自分が精神的に自立をしていなくても、さすがに結婚して育児をしていれば、自分の心の中に自分ではない誰かがいるということに気づいているものなのである。しかし、それを自分の手で取り除くことはできないのだ。

 児童虐待がより悲惨になるのは、その妻の夫が児童虐待に気付かないし、気付いたとしても止めるだけの力を持ち合わしていないのだ。妻が妻なら、夫も夫なのである。妻が精神的に自立していないとするなら、夫も精神的に自立をしていないということなのである。夫に妻の児童虐待が発覚しても、家庭内で止めることができないのだ。

 児童虐待は悲惨な事件であるために、児童の命を守るために、政府や地方自治体が介入してくるのだが、これは大方失敗してしまうものだ。さすがに一時的に児童虐待を止めることはできても、その夫妻の精神的従属状態をどうにかすることができないのだ。そのためいくら児童虐待を止めたとしても、また再発してしまうことになってしまうのである。この仕事は政府や地方自治体が手を出すべき仕事ではないのだ。

 この児童虐待を止めさせ、妻を生まれ変わることをすることができるのは、「宗教の力」によってのみなのである。宗教団体では児童虐待をやっている母親を諭し、まともな育児ができる母親に生まれ変わらせることができるのでものなのである。独身女性ではこの心の闇を解きほぐせない。子持ちの既婚女性で、自分も育児を経験したからこそ、児童虐待をやっている母親の心の闇を解きほぐすことができるのである。

 いくら児童虐待の連鎖に吸い込まれようとも、そこから抜け出せる方法も存在しているのである。そうやって児童虐待の連鎖から抜け出した時、徐々に偽りの上位自我は破壊されていき、精神的に独立できるようになるのである。児童虐待を放棄する時は、本当に感動的なものだ。母親が自分の子供に対して心から謝り、号泣するのである。いくら法律の力で児童虐待を止めても、児童虐待は止まることはないのである。母親が心から自分を改めない限り、児童虐待は止まらないのだ。

 児童虐待を阻止しているか、していないかが、宗教団体の正邪を判別する基準と見ていい。仏教系の宗教団体では鬼子母神を祀っている教団が多々あるものだ。日本では中国は違い食人の風習がないのに鬼子母神を祀ったということは、これは児童虐待をしてしまった母親たちが昔から結構いて、それゆえに自分が犯した罪に懺悔して、信仰してきたものなのである。我が子を育てるために、我が子に暴力を振るってしまったからこそ、鬼子母神を祀り罪滅ぼしを行ったに違いないのであろう。

 人間は自分が生まれ育って来たものがすべてではないのだ。その後、自分が誤れる方向に突き進んでしまったとしても、その誤れる方向を修正できる凄い力を持っているものなのだ。ただ、その人生の方向修正を自分の力ではできないのだ。それが精神的に従属している人の悲劇の引き金になってしまうのだ。自分の子供がいるなら、どんな時でも精神的に独立していることである。精神的に独立していれば、自分が間違った方法に突き進んだ場合、自分の力で方向を修正することができるのである。

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子供が喋り始めると、どうして夫は怒り出すのか?

●偽りの上位自我が揺れ動く

 上位自我は、子供の頃には良心の源泉になるし、若い時は青春の飛翔の原動力になってくれる。しかし、その上位自我を大人になれば破壊して、親から精神的に自立していかねばんらなぬのだ。もしも上位自我を破壊しなければ、その上位自我は偽りの上位自我となり、自分が通常では考えられないような異常な行動を取ってしまうことになるのだ。

 その最たるものが、幼児が喋り出すようになってから、なぜか些細なことで怒り出してしまうのだ。自分が怒ることになった理由は些細なことなのである。だが、自分の子供が喋ることによって、自分の偽りの上位非我を刺激してしまうのだ。要は自分が未だに精神的自立をしていないことを暴露されてしまうのだ。

 殆どの場合、夫がこのように怒り出したら、妻は夫がなんで怒っているのかさっぱり見当がつかない。このため、夫の怒りの爆発で子供が泣き出してしまい、妻は自分の子供を守る手前、「子供の前なんだから静かにしてよ」「いい加減にしてよ」と諭すように言ってしまい、それが更に夫の怒りに火を注ぎ、夫の怒りは妻への暴力へと転化してしまうことになるのだ。

 もしも妻の方が精神的自立を成し終えていたのなら、夫が怒り出した姿を見て、これは子供の言動が夫の偽りの上位自我を刺激しているのだなと解るものだが、こういう夫を持つ妻は夫と同じく精神的自立を果たしていないので、夫の異常な行動の原因を見破ることができないのだ。

 こうなると夫の怒りは益々激しくなり、夫婦間暴力も激しくなってしまう。挙句の果てには、妻はDVシェルターに逃げ出してしまうことになる。このDVシェルターにはこの夫婦問題を解決してくれる人々がいるのではなく、フェミニズムに汚染された女性たちが待ち構えているので、夫婦仲を再建するどころか、人為的に離婚へと突き進まされることになるのだ。

●妻の愛情を貰うことを子供と争う

 子供が喋り出してから、怒り出し、暴力を振るうようになった夫でも、それ以前は優しく、怒ることなく、育児に協力してくれた夫だったのである。それなのに或る日突然変わり始めたのであり、すぐさま離婚というわけにはいかないのだ。妻にとっては未練タラタラなのである。

 夫が精神的自立を果たしていないと、妻が育児をする姿は、夫に幼稚化をもたらしてしまい、妻の愛情を貰うことを子供と争おうとする。こういう場合、妻は育児で大変になっていても、矢張り夫の幼稚化に対応しておくべきなのである。夫は自分の母親から充分な母性愛を貰えなかったために、妻にその不足分を求めているのである。

 しかし、育児で忙しいと、この夫の甘えを振り切ってしまい、夫に母性愛を与えようとしなくなってしまうのだ。これが繰り返されると、夫は妻から拒絶されたと思い、怒りを爆発させ始め、母性愛をくれなかったからこそ、妻に暴力を振るってくるのである。母性愛は絶対肯定の間から、相手を絶対否定する凶暴な行動に駆り立ててしまうのである。

 赤ちゃんを産めば母性愛が出て来るのだから、夫が幼稚化したら、赤ちゃんにだけでなく、夫にも母性愛を与えておけばいいのである。夫は常に逞しい男とは限らないのである。妻から絶対的に肯定して貰えないと、外で戦うことができないのだ。自分が育児に専念するためにも、夫が妻に甘えてきたら、甘えさせてあげればいいのだ。

 結婚というものは、子供が1人目と2人目の時が、経済的に最も苦しくなる。このため夫は仕事に精進して稼ぎを増やさねばならぬのだが、そうなると今までのように遊ぶことなどできず、職場と自宅を往復するだけの日々を送るようになってしまうのだ。妻が育児で大変になっているように、夫も仕事で大変なことになっているのだ。かといって、夫は妻に仕事の愚痴など言ってこないものだ。妻は育児の愚痴を言ってくるというのに。妻は自宅にいるために、夫の大変な姿を見ていないだけであって、夫が妻に甘えてくるというのは、余程疲れきっているからなのである。

●キレる夫に平謝りの妻

 夫が怒り出すとか、夫婦喧嘩なら、それは家庭内の問題だが、これが激しくなると近所迷惑な事態に発展してしまうのだ。俺が昔住んでいた横浜には、日頃は腕のいい鮨職人なのだが、酒が入ると酒乱になってしまい、その怒鳴り声が近所中に鳴り響いてしまい、非常にうるさいのだ。しかも時間は真夜中である。睡眠妨害の何物でもないのだ。このため、翌日にはその鮨職人に妻が近所中に平謝りして、詫びを入れに来たのだった。

 精神的自立を果たしていないと、何かに対して中毒症状を引き起こすことで、自分の精神のバランスを保とうとする。代表例がお酒であり、タバコもそうだし、麻薬にも手を出してしまうことになる。タバコを1日に1箱以上を吸っていたら、それはタバコが好きというわけではなく、精神的自立を果たしていないことこそが、そういう異常な行動に駆り立ててしまうのである。

 アルコール中毒やニコチン中毒や麻薬中毒は、お酒やタバコや麻薬に中毒性があるから中毒症状に陥ったわけではないのである。そうであるならそれらの物に手を出した人は、すべて中毒症状に陥った筈だ。そうなのではなく、自分が精神的自立を果たしていないからこそ、自分の弱い心にそれらの物に付け込まれてしまい、それで中毒症状に陥ってしまったのである。

 医者が中毒症状に陥った人を治療する時、病気を医学的に限定してしまうために、中毒症状を引き起こした物と縁を切り、体をクリーンにするという方法を取ってしまう。だが、それではたとえ中毒症状から抜け出せたとしても、また再び中毒症状を引き起こした物に手を出してしまうのだ。精神的自立を果たしていないからこそ、何度でもそこを付け込まれてしまうのである。

 夫が中毒症状に陥ってしまうと、夫婦仲もひどいものとなってしまう。夫婦がいくら話し合っても、まともな形で会話が成立しないのだ。しかも、夫が中毒症状に陥っていると、夫が無駄遣いをしてしまうために、家計は火の車になってしまうのだ。精神的にも経済的にも追い詰められているのに、妻にとっては夫の異常な行動の理由が解らないのだ。

●夫が生まれ変わる時

 この手の問題は政府や地方自治体では解決できないのだ。国家権力は家族に介入すべきではないのだ。国家権力は国防や治安維持や公共事業といった民間ではできないことをやるべきであって、民間が解決できるものは、民間に任しておくべきなのだ。政府がいくらDVシェルターを作ったとしても、それは税金の無駄遣いでしかないのだ。

 こういう場合、夫婦の異常事態を解決してくれるのは、宗教団体と相場が決まっているのだ。この手の問題は宗教団体にとってはお茶の子さいさいのものでしかないのだ。神の絶対性を主張して、人間を相対化させてしまえば、問題を起こしている自分を絶対化することができず、徐々に自分を冷静に見れるようになり、問題解決の糸口を掴めるようになるのだ。

 夫婦が拗れてしまった場合、第三者の存在がどうしても必要なのである。夫がトラブルの原因である場合、子持ちの既婚男性から諭されれば、夫も自分自身に非があると認めてくるものなのである。独身男性では駄目だし、結婚していても子供がいない男性ても駄目だ。互いに結婚し子供がいるからこそ、結婚で成功している男性から諭されれば、自分を変えていくことができるのである。

 神の存在を否定してしまえば、自分が強い人間だと思い込むし、賢く、間違いを起こさないと思ってしまう。しかし、実際の人間は予想以上に弱い人間だし、愚かで、何度も間違いを起こすものなのである。この世は弱かろうが、愚かだろうが、間違いを起こそうが生きていけるものなのである。しかし、神の存在を否定し、自分自身を絶対化するからこそ、様々なトラブルを引き起こし、この世で生存できなくさせてしまっているのである。

 結婚前に精神的自立を果たしていなくても、第三者の手助けを借りながら自分を変えていき、結婚してから精神的自立を果たし、精神的に独立していくことができるのである。それは冒険旅行の時とは違い、上位自我が一気に崩れ去ることはない。徐々に一つずつ上位自我を破壊していき、気付いてみたら子供に対しては立派な父親、妻に対しては優しき夫に成長しているものなのである。こういうことはDVシェルターに行ってしまっては、絶対に辿りつかないゴールなのである。国家権力ではなく、宗教の力を使うからこそ、できることなのである。

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子供の嘘は現実と空想の区別がつかないだけ

●子供の心の中で出来上がる上位自我

 赤ちゃんを産み育て、その赤ちゃんが初めて「ママ」や「パパ」と言った時は感動ものだが、子供がちゃんと喋られるようになってから、有り得ないような話を聞かされるのも、それと匹敵するくらいの感動なのだ。男親なら、仕事で疲れて帰宅した時、娘から「今日ね、妖精さんを見たの」という奇想天外の話を聞かされれば、仕事という現実と、妖精さんという空想の話には余りにもギャップが有り過ぎて、爆笑してしまうのだ。

 「それでその妖精さんと何をしたの」と話を聞くと、娘はきちんと話をして、物語が出来上がっているのである。これが息子だとこうはいかない。もしも「今日ね、怪獣を見たの」と言ってきても、「それでどうなった?」と尋ねると、いきなり「終わり」。この辺りが女の子と男の子の性差が如実に現れて来ることなのである。

 人間の子供は一人で育つわけではない。母親と密着しながら育てられるために、人格の成長に甚大な影響をもたらすことになる。自分の人格だけが育つのではなく、自分の心の中にもう一つの人格を発生させることになる。これが「上位自我」であり、子供に上位自我ができるからこそ、「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」という複雑な遊びができるのである。上位自我が出来始めると、擬人化を行うことができ、この手の妄想が始まるのである。

 上位自我は言わば、子供にとっての「良心」の役割を果たす。自分が何をすれば正しいかを自動的に律してくれるのだ。子供の心の中にきちんと上位自我が形成されれば、それほど母親の手を焼くことのない子供になってくれるものなのである。女の子の方が育て易いと言われるが、女の子は母親と同性であるために、母親の人格が入り易く、健全な形で上位自我が形成され易いのだ。男の子の場合は、父親が仕事でいないために、父親の人格が入りにくく、あやふやな形でしか上位自我が形成されないのだ。

 上位自我は良心を作り出すだけでなく、「嘘」をも作り出す。上位自我ができたことで、現実にどっぷりと浸かっているわけではないので、現実から離れた空想を生み出すことができるのである。これが可愛い形で現れれば妖精さんなどが出て来る「妄想ワールド」が展開されるし、これが憎たらしい形で現れれば「嘘」という形で現れて来るのだ。

●してはいけない嘘

 育児をしていく時に、今まで「自分の天使ちゃん」だと思っていた自分の子供が、途端に嘘をつき始めることには、母親ならビックリするものなのである。赤ちゃんの時には嘘をつかなかったのに、言葉が喋れるようになってから、途端に嘘をつき始めるからだ。相手は子供ゆえに、嘘が発覚する事件は些細なものなのだが、嘘をつかれたために激怒してしまい、子供が泣きわめいているのに、叱り続けてしまうのである。

 子供がそれだけ成長したということなのであるが、母親の方はそうは受け止められないのだ。今まで嘘をついてこない人から嘘を聞かれれば、自分はこの子から裏切られたと思ってしまうのだ。子供は母親を裏切ったわけではなく、健全に成長したからこそ、嘘をつjける能力を持ったのだが、母親は決してそのようには受け取らないのである。

 勿論、子供が嘘をついたのなら、親として叱らねばならない。しかし、自分が感情的になって怒りを爆発させてはならないのだ。そうなれば、子供の精神的な成長を歪めてしまい、子供は母親を心の中で拒絶するようになってしまい、その後の成長で子供の方が怒りを爆発させてくるのである。

 だからこそ、子供を一人産み育てるのではなく、子供を多く産み育ていく必要性があるのだ。子供が嘘をつく頃には第二子を妊娠していれば、子供の嘘といえどもそれほど激怒することなく、冷静に対処できるようになるのだ。子供の方も母親が妊娠していれば、それほど悪どい嘘をつかないものなのである。

 子供が嘘をついた時に、絶対に叱らねばならないのは、「親に対して嘘をつくこと」に対してなのである。母親がすべての嘘を取り締まるのではなく、自分を産み育ててくれた母親、正確にいうと父親もなのであるが、親に対して嘘をついた場合は、それを見つけ次第、しっかりと叱っておけばいいのである。そうすれば、「親に対する嘘はいけなんだな」ということが心に刻まれ、嘘をつくことに対して制限を与えることになるのである。

●していい嘘

 「子供は純真だ」なんて思わない方がいい、それは大人たちが作り上げた妄想なのである。子供は嘘をついてくるものなのである。嘘をつくことによって上位自我を使う術を覚えていくのである。子供がオママゴトや怪獣ゴッコで空想を遊ぶことによって上位自我を使う術を覚えていくように、嘘を使うことで上位自我を使う術を覚えていくのである。

 この世には「してはいけない嘘」もあるが、「していい嘘」もあるのだ。この「していい嘘」とは「空想」なのでる。子供なりの空想の産物としての嘘は思う存分に使っていいのである。この空想こそが、後に想像力として成長していき、高い創造能力として発揮できるようになるのである。現実にどっぷりと浸かっていては、想像力も創造能力も生まれて来ないのだ。

 空想というのは、親が手出しをしないからこそ、自由に空想を展開していくことができるのである。すべての場面に於いて子供に手を出すのではなく、子供を空想の中で遊ばせておけばいいのである。過干渉になってしまう母親に弄られたり、子供に早くから仕事をさせてしまうと、子供は空想の世界で遊ぶことができないので、どうしても歪んだ大人に成長してしまうのである。芸能人でも子役あがりの芸能人は矢張り何か人格的に異常なものを持っているものなのだ。

 子供というのは、大きな場所で育ててはならないのだ。小さな場所で育てなければならないのだ。大きな場所で育ててしまえば、その子供が人間関係を処理するだけに終始してしまい、自分だけの時間を持って、自分の空想を楽しむことができなくなってしまうのだ。自分と接する大人たちが少なければ、人間関係の処理は短時間で終わり、後は空想の世界で楽しむ時間に充てることができるのである。

 子供が嘘をつき、空想で遊んでくれれば、その内、子供なりに親に隠したい独自の世界を作り出し、そこを安全地帯にして新たな成長を開始していくのだ。幼児であるならば、砂場とか空き地とか親の目の届く所で安全地帯を作るものだが、小学生にもなれば小学生だけで秘密基地を作って、親の目の届かない所で安全地帯を作っていくのである。だからこそ、健全な成長を果たしていくことができるのである。

●知的正直と馬鹿正直

 正直というのは道徳で最重要徳目であるが、この世は正直な人たちだけがいるわけではないのだ。いくら自分が正直に徹しても、相手が嘘をついてくれば太刀打ちの仕様がないのだ。嘘に対抗するためには、こちら側も嘘をつくべきだし、嘘をついて相手を迎撃することも必要なのである。

 「正直は美徳、嘘は必要悪」なのである。自分の子供には正直をしっかりと教えていかねばならない。その一方で、嘘のつき方もいずれ教えて行かなくてはならないのである。子供に言葉を教える努力をする必要はないものだが、正直と嘘を教える必要性は絶対にあるのだ

 いくら正直が倫理的に正しいこととはいえ、正直だけを教えていては、子供は「馬鹿正直」になってしまい、自分が不利になることでもベラベラと喋ってしまい、大損害を被ってしまうのである。この世で生きて行くためには、必要な嘘もあるのだ。この世で生きて行くためには正直も嘘も両方が必要なのである。

 嘗て孔子は弟子が「父親の罪を告発した息子こそ正直者である」と言ってきたのに対して、「そんな人は正直者とは言わない。父親が罪を犯しても隠すのが、本当の正直者である。」と言ったことがあった。人間は罪を犯した所で、すべての罪を告発すべきではないのである。誰だって罪を犯すことだってあるのだから。しかも、よりによって自分の父親が犯した罪を告発することなどないのだ。これこそ馬鹿正直であろう。大事なことは、自分が生きて行きくために、正しい正直の使い方と正しい嘘の使い方を習得していくことなのである。

 正直というは、「馬鹿正直」ではなく、「知的正直」であるのだ。知的正直とは、「自分自身に嘘をつかない」ということと、「インチキな観念には騙されない」ということなのだ。インチキな観念に振り回されて、自分の正直を悪用されてはならないのだ。この知的正直を持った者こそが、巧くこの世を生きていけるようになるのだ。物事を誤魔化すような子供は失敗する人生を歩むし、嘘を巧く使えない子供は失敗する人生を歩むものだ。逆に、物事を誤魔化さない子供は成功する人生を歩むし、嘘を巧く使える子供は成功する人生を歩むものなのである。

●上位自我のその後

 子供は自分の心の中に上位自我があることによって、自分が自分以上の存在になれる。なんせ男の子なら父親が入っているわけだし、女の子なら母親が入っているのである。子供は子供らしいことをして育ってくるのではなく、親の物真似をして育ってくるのである。だからこそ、自分の能力を大いに高めることができるのである。

 育児では母親が主に担当するために、女の子の方により強い上位自我が形成されてしまう。そのため、「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」も非常に面白い物語を展開しながら遊ぶのが巧いのだ。その内、想像力は更に進んで、女の子の魔女や妖精や天使など、空想の世界を作り出していくのだ。それゆえ女の子のアニメなら魔女物が非常にヒットし易いのだ。自分の上位自我を大いに刺激してくれるからだ。

 これに対して男の子は仕事で父親がいなために、女の子に比べれば、貧弱な上位自我しか形成されない。そのため、男の子が「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」などで遊ばないものだ。それができるだけの能力がないのだ。もしも女の子に付き合ってその遊びをしたとしても、女の子同士の遊びに比べれば、非常に程度の低い物語しか作れないのだ。

 男の子なら主にオモチャの「怪獣」や「ミニカー」や「電車」を使って遊ぶものだ。その遊びに物語などありはしない。ただ単に動かし、攻撃を加える程度だ。これが長じてくると、男の子はテレビで戦隊物やロボットアニメに夢中になってしまう。男の子の貧弱な上位自我を大いに刺激してくれるからだ。戦隊物もロボットアニメも、顔が無表情というのは、貧弱な上位自我に対応しているのだ。

 男の子も女の子も成長してくると、自分の親が他人から批判されるとカンカンに怒り出すものだ。たとえ自分の親がどのような人物であれ、他人から批判されれば、烈火の如く怒り出すのだ。親への批判は親への批判に留まらず、自分の上位自我に対する批判にもなってしまうからだ。これは子供が親に反抗したとしても、小学生まで続くものなのである。だからこそ、この時期は決して自立の時期ではなく、従属の時期なのである。

●上位自我が破壊される時

 上位自我は青春時代には決定的な役割を果たすことになる。青春時代とは自立していくための修行時代でもあるのだが、上位自我がきちんと入っていれば、この修行をちゃんとこなして実力を高めていくことができるのである。中学生や高校生の頃に勉強やスポーツに熱中できなければ、実力が高まっていくことができないのだ。

 実力が付き次第、男の子なら「冒険旅行」に出かけ、自分の実力を試す試練を迎える。自分が学んだ物が本当に正しい物なのか実践で試すのである。未知なる世界で見知らぬ人たちと戦うことによって、自分を鍛え、実力を高めていくのである。この推進力を果たすのが上位自我であり、そして上位自我は冒険旅行の中で破壊されていくのである。なぜなら、自分の本当の敵は、自分に不自然をもたらしている上位自我であるからだ。冒険旅行は上位自我に促されて出かけるのに、その冒険旅行の中で上位自我を破壊していくのである。

 だからこそ、男の子は「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」などのアニメに熱中してしまうのだ。両方のアニメも主人公が乗るロボットを父親が作ったという設定である。このロボットは上位自我という暗喩なのだ。そして主人公はそのロボットを使って敵と戦い、戦いに勝利していくのである。最後にはそのロボットを捨てて、新たな人生を歩むのである。これはまさに男の子が経験する冒険旅行なのであり、だからこそ男の子たちはこれらのアニメを見ると興奮し熱狂してしまうのである。

 女の子の場合は、男の子のように冒険旅行をせず、女性同士で友情を育み、親友を作り、そしてたった一人の異性を捕まえて恋愛をし、上位自我を破壊していくのである。女の子の成長過程にはすべてが愛が絡んでくることになる。女性同士できちんとした友情を作り出せないと、健全に成長していかないのだ。だからこそ、女性同士での付き合いではレズビアンは締め出されてしまう。女同士の友情というものを破壊してしまうからだ。

 女の子は数多くの友達を持ち、その中で親友が出来てしまうと、その親友とべったりの時期を迎える。女の子にとってはその親友と深い友情を築くことによって、世間での様々な情報を集め、共感能力を高めていく。男の子は冒険旅行に行くために、自分とは違うタイプの男性を親友にするものだが、女の子の親友というのは、似た者同士で親友を形成していくのである。似た者同士でなければ、共感能力を高めることができないからだ。

 女の子は親友との友情が深まると、不思議と運命の男性が現れてきて、初恋をするようになる。その初恋の中で男性から愛を受け、自分の愛を出して行く過程の中で、上位自我を破壊していくのである。女の子の場合は、初恋の男性と失敗しても、その後、別の男性を探して恋愛をし、上位自我を破壊していくのである。女性は上位自我が破壊されれば、独身で居続けることはせず、結婚して新たな家族を形成していくのである。

●人間が作り出した架空人物

 男性も女性も上位自我を破壊されなければ、異常極まりない言動を取ってきてしまうのでる。上位自我は青春時代の中で破壊されるように仕組まれているのであり、その破壊が起きなければ、上位自我は自分自身を浸食し、不幸の人生を歩ませることになってしまうのだ。なぜなら、上位自我がある限り、その人は不自然な行動しか取れないからだ。

 男性だったら、まともな仕事ができないし、職を転々としてしまい定職に就かなくなってしまう。冒険旅行の中で愛情や知恵や勇気を試していないから、一つの仕事を取り行えるだけの力を持っていないのだ。だからこそ、男性は仕事で成功することに躍起になり、仕事で成功できたことを自慢しようとするのだ。

 女性だったら、まともな恋愛ができず、男性を取っかえ引っかえしてしまい、堕落してセックスに溺れてしまうのだ。女性は十代の頃に、女の子同士できちんとした友情を育んでいないと、男性を見る目を養うことができないのだ。女の子同士で共感しあっていないから、自分が共感できる男性を見つけられないのだ。敢えて自分と相性の悪い男性を見つけてきてはセックスをして捨てられてしまうのだ。

 モテない男性に限ってアイドルに夢中になるし、モテない女性に限ってイケメンに夢中になってしまうものだ。まともな恋愛をしていないから、現実離れした人間にしか興味を示さなくなってしまうのだ。或るアニメオタクの男性が、「僕はアニメキャラの女性にしか興味を持てないんですけど」と言っていたが、こうなってしまうと現実世界で生身の人間と恋愛することはできなくなってしまうことだろう。

 こうなってくると、世界に存在する架空人物たちを調査してみると、これが上位自我を破壊できなかった人たちの産物だというのが解る筈だ。アイルランドやイギリスでは「妖精」がいると言われるが、妖精を見たと言っているのは、友人の少ない孤独な女性たちなのである。上位自我をきちんと破壊できなかったために、妄想の産物としての妖精が産み出されてくるのだ。勿論、この孤独な女性たちの中では妖精は元気よく動きまわっているのだ。

 妖怪なども所詮は人間の妄想の産物なのだ。水木しげるに妖怪を教えた 「のんのん婆」は、貧しい生活を強いられた祈祷師であったのだ。のんのん婆はその悲惨な生活から脱がれたいために、些細な現象にこじつけて、妖怪を作り出し、その妄想を楽しむことによって、悲惨な生活を乗り切ったのである。

 現代に良く出て来る「宇宙人を見た」という話も、所詮は上位自我を破壊できなかった人たちの妄想の産物なのだ。この宇宙人と遭遇した話は、なぜかその遭遇話は殆ど同じである。まず最初に宇宙人は数人出て来て拉致され、円盤の中に連れて行かれるのである。そこで、拉致された他の地球人を見、その円盤の中で治療か検査か何かを行われるのである。折角、宇宙人に会い、円盤の中に入ったのだから、何か物的証拠でも持って帰ってくれば、まだその話に信憑性がつくものを、なぜか宇宙人を見たという人たちは何も物的証拠を持ち帰って来ないのである。

 精神医学的には、円盤の話は「全体性の回復」として捉えられている。その人に協調性がなく、集団から疎外されてしまうと、宇宙人を見たとか、円盤を見たとか、この手の妄想を見てしまうのである。正確に言うと、宇宙人とは自分を疎外している人々であり、円盤は自分を疎外した集団だということになる。

 この妄想がひどくなると、「自分は宇宙人である」と言い出すようになる。民主党の党首「鳩山由紀夫」は「僕は宇宙人」だと言っていたが、彼の人生を振り返っても、どこにも冒険旅行の話は出て来ないのだ。上位自我が破壊されていない人の行動は支離滅裂なのだ。「友愛」を唱えながら、友人の妻に手を出し、略奪婚をしてしまうのだ。これが奴の言う「友愛」なのだ。国民が精神的に独立していれば、この手の男の正体を見破り、彼を排除できるのだが、国民が精神的に自立すらしていないと、この手の男にまんまと騙され、選挙で彼を首相として選出してしまうのだ。国民が選挙で政治家を選ぶなら、その選挙権者が精神的に自立していることを要件にしなければ、衆愚政治にしかならないものなのだ。

●キリスト教の誕生の秘密

 上位自我が破壊されないと、人間は有り得ないような妄想を言い出すということが解ってくると、キリスト教の誕生の秘密も簡単に解ってくるのである。キリスト教は殺されたイエスは復活して蘇ったと主張してくるのだが、これは非常に疑いのある復活なのだ。なんせ最初に復活を見たのは、売春婦であった「マグダラのマリア」だからだ。

 その後、マグダラのマリアに復活を告げられて、「十一の使徒たち」がイエスを見た言い出したからだ。明らかにこの復活劇は異常なのだ。生前、イエスと深い関係にあった人たちだけが復活を見たと言い出したのであり、それ以外の人たちは復活を見ていないのだ。墓場の番兵はなぜか眠りこけているし、40日間に亘ってイエスは復活したと福音書は記しているのに、他にイエスを見たという人は、「マグダラのマリア」と「十一の使徒たち」意外、誰もいないのだ。

 もう解っていると思うが、これは上位自我が見せた妄想なのである。個人が自分だけで見たのではなく、十数名の人たちが同じような妄想を見た「共同幻想」であったのだ。人間は上位自我が破壊されていないと、この手の妄想を見てしまうのである。自分が上位自我を破壊し、精神的に独立してしまえば、キリスト教など信じることはないだろう。しかし、自分が青春時代の中で上位自我を破壊せず、精神的に自立していないと、キリスト教に心を鷲掴みにされてしまうのだ。

 キリスト教の教義など冷静に見れば、出鱈目以外の何物でもないのである。例えば、キリスト教では「原罪」を主張してくるが、なんでアダムが犯した罪を現代の人々が償わねばならないのだ。原罪とは、宗教世界に於ける究極的な冤罪であろう。神は一つであると言いながら、「父と子と聖霊」は一体であるという 「三位一体説」など、唯一絶対神に違反する教義なのである。イエスの母であるマリアが処女懐胎したというのも、これは事実ではなく、ギリシャ語で「若い乙女」が誤訳されて処女になってしまったのである。こんなことは文献を少し調べてみれば解ることなのである。

 自分が理性的態度を貫いてしまえば、キリスト教の教義がおかしいと言い出す筈なのである。しかし、いくら理性的態度を貫いても、精神的な自立が終わっていなければ、キリスト教に洗脳されてしまうのである。キリスト教こそ絶対に正しいと思い込んでしまうのだ。上位自我を破壊できなければ、その上位自我によって誤った世界が見えて来てしまうのである。

 子供が妄想を言ったり、嘘を言ったりするのは、可愛いものだ。しかし、それを大人がしてしまえば、信用を失墜し、「人でなし」となっていくのである。それなのに宗教を持ち出して、正当化してはならないのだ。我々は子供の頃に力を与えてくれた上位自我を、いつの日にか破壊していかねばならないのである。親から貰った上位自我を破壊できた時、我々は一人前の大人になれるのである。

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子供には徹底的に記憶をさせろ

●子供の脳は繰り返すことで成長していく

 育児をしていると、子供がいつも同じ絵本を持って来て、母親に読むことを頼むということに出くわす。母親としては、「その本は昨日読んだじゃん」と思っても、子供は飽きもせずに、同じ本を読んで貰おうとするのだ。こういう時は、母親は嫌がることなく、子供の要請には応じた方がいい。というのは、この子供の行為こそに、脳の発展が隠されているからだ。

 人間の脳というのは、何度も何度も同じことを繰り返すことで、記憶の回路を作り、それによって複雑な思考を展開していくのだ。子供は丁度、脳が成長する時期に当たっており、だからこそ母親に同じことを繰り返して貰うことによって、記憶の回路を作ろうとしているのだ。記憶の回路ができることこそが、知能が高いということなのである。

 母親がなぜ同じ絵本を読むことを嫌がるかといえば、大人は既に記憶の回路が出来上がっているために、本を一読すれば大体の内容を把握することができる。増してや絵本のような物は一読すれば内容をすべて覚えることができてしまうので、新しい発見など何もなく、なんの喜びもないからだ。だからこそ、我が子といえども、同じ絵本を読むことをせがまれると、嫌だという反応を示してしまうのである。

 では、もしも絵本のない国があるとするなら、子供は一体どうなるかといえば、子供はそれほど知能を高くすることができない。子供は幼児という大事な時期に、母親から絵本を読んで貰うことで、知能を高くすることができなくなってしまうからだ。勿論、子供も自分で文字が読めるようになれば、何も母親に依頼せず、自分で読むようになるが、文字が読めなかった頃の空白というのは、脳の成長から見て、意外と大きな差となって現れてくるのである。

 脳の成長が終わるまでは、頭がいいということは記憶の得意さと比例するのだ。いかに母親が子供の記憶の回路を作って上げるかで、その後の学校や大学への進学ルートが全く別のものになってしまうのである。子供は記憶が達者なのだから、とにかく記憶させてしまうことだ。詰め込み教育否定論者の意見を絶対に耳を貸さないことだ。19歳以下の人間に対しては、詰め込み教育こそが最高の教育法なのである。若い時に記憶をしてこなかった人で、優秀な人間になった人など一人もないのだ!

●絵本を繰り返し読む

 子供が同じ本を読んで貰うことをせがむ以上、絵本選びは慎重にした方がいい。ママ友に聞くなり、実母や祖母に聞いてみるといい。もしも実家に絵本が残されていたのなら、自分で探し出して読んでみることだ。絵本の出費は惜しまないことだ。身銭を切るのが、いい絵本に巡り合える一番の近道なのだ。

 絵本の好みは、男の子と女の子では好みが違うということだ。男の子は冒険物や戦争物が大好きで、女の子は結婚物や魔法物が大好きなのだ。絵本を読み聞かせて、子供が好きそうであるなら、その手の絵本を何度も読み聞かせてあげることだ。子供たちは所詮、一読した所で、話の内容なんて解っちゃいないのだ。事実、読み聞かせている途中で眠ってしまうのだ。

 母親になった以上、これだけは知っておいた方がいいのは、絵本作家は非常に特殊な人たちだということだ。普通の作家のように大人向けに作品を作るのではなく、子供向けに作品を作ってくるために、どうしても感性を子供レベルまで落としてこなければならないからだ。そのため、下手をすると、その作家自体が精神的に自立しておらず、その作品の内容や文章がどうも変だなということが有り得るのだ。だからこそ、粗悪な絵本も多く存在しており、それゆえに子供に絵本が必要としなくなれば、絵本は捨てられてしまうのである。

 こういった点からも、絵本は現代の絵本だけでなく、古典的作品を買っておくということを絶対にしておいた方がいい。絵本にも古典があるのだ。絵本で古典に入る作品は、数多の母親たちが自分の子供に読み聞かせて、母親の方がこれはいい絵本だという結論に落ち着き、子供の方もこの絵本は非常に面白いという結論に辿りついた絵本であるということなのだ。

 男の子向けなら『桃太郎』だし、女の子向けなら『シンデレラ』だろう。これらの絵本を何度読み聞かせても、子供たちは喜ぶものだ。いい絵本とは物語の展開が巧く、文章のリズムがいい物なのである。このことを判定するためには、何度も音読してしまうことだ。同じ絵本を何度も読んでいれば、母親の方がこれは名作だというのが解ってくるものなのである。ただ単にダラダラと読んでいると、この判別がつかず、子供に粗悪な絵本を読み聞かせてしまうことになるのだ。

●経典を繰り返し読み聞かせる

 絵本のように子供に読み聞かせるものではないが、結果的に経典を読み聞かせてしまうことも、子供にとっては記憶の回路を作ることを可能にする。この分野では仏教が抜きん出ており、両親が仏教徒の場合、子供は仏教経典に早くから慣れ親しむ機会を得ることができるのである。神道にもキリスト教にも、一般の信徒が音読して読経をする習慣がないために、仏教が圧倒的に優位に立つのである。

 日本人が好んだ仏教経典は2つしかない。それは『法華経』と『般若心経』である。仏教はインド生まれなので、仏教の原典はサンスクリット語で書かれているのだが、これを直接に日本語に訳してしまうと経典の内容が解ることができても、名文であるとは言い難いのだ。法華経も般若心経も、中国の文章レベルが最も高くなった時代に中国語に翻訳されたために、非常に格調の高い文章になっているのだ。このため、未だにサンスクリット語から翻訳された物が好まれず、中国語から翻訳された物が好まれているのだ。この翻訳の仕方の弊害としては経典を正確に理解することができないという難点も出て来るが、かといって解り易い経典にしてしまったら、経典の有難味がなくなってしまうのだ。ここいらは宗教的に言って難しいものだ。

 神道家であるなら、『祝詞』を音読してしまうことだ。祝詞は古代日本人が作り上げた文章なので、この祝詞のリズムが解ってくると、日本語で書かれた文章の良し悪しが解ってしまうようになるからだ。神道には『古事記』を読経する習慣はないものだが、古事記は語り部が話した内容を記録したものなので、古事記を音読してみると。非常に語り易い文章になっているのが解る筈だ。

 儒教の経典なら、『大学』『論語』を読み聞かせておくことだ。文字の解らない子供には珍紛漢紛であっても、その文章のリズムが解っていると、文字が読めるようになってから、読書の理解度が高まるし、大量の書物が読めるようになるのだ。江戸時代や明治期の日本人が英雄豪傑が湧出したのは、儒教の蓄積があったからなのである。

 宗教の経典はどの宗教であったとしても、その内容が素晴らしいものであるし、名文であり、リズムのいい文章でなのである。日本は長らく神仏習合で来たので、仏教徒といえども神道の古典を読まねばならないし、神道家といえども仏典を読まねばならないのだ。それに儒教も経典にも手を出しておくべきなのである。これが出来ていると、バランスの取れた子供が成長してくることになるのだ。

●言葉遊びで脳を鍛える

 言葉遊びというのも、子供の脳を鍛えることになる。子供に語呂のいい文章を教えて、同じ言葉を覚えさせるのだ。暇な時にこれをやると、いい刺激になるのだ。例えば、「にゃんにゃんゴロリン、わんわんわん」など日本語的には意味不明な文章なのだが、これを子供に教えると、結構喜ぶのだ。育児の巧い母親というのは、これが非常に巧いのだ。確かにこの手の母親たちが作る出鱈目文章は言い易いし覚え易いのだ。

 今から大学進学のことや偏差値のことを考えるのではなく、とにかく遊びながら脳を鍛えていくということをしていけばいいのだ。子供は遊びを通して学んでいくのであって、教育によって学んでいくのではないのだ。教育が必要になるのはずっと後のことなのである。今はまだ遊びながら学んでいく時期なのである。

 こういう観点からすると、子供にとってテレビは非常に有害なのだ。母親との遊びがないから、人間関係を構築した上で学ぶというのが欠落してしまうのだ。しかも、テレビには繰り返しがないために、非常に程度の低い内容になってしまい、だからこそ、テレビを見させると馬鹿になるといわれるのだ。

 子供の脳はまだまだ未熟で成長していく真っ盛りなのである。しぶとく子供に何度も何度も同じことを繰り返していくことだ。同じ絵本を読み聞かせ、同じ経典を読み聞かせ、同じ文章を読み聞かせていくべきなのだ。頭のいい大人なら、なんでそんな同じことを繰り返すのかと馬鹿にしてしまうものだが、同じことを繰り返すからこそ、子供は脳を発達させることができるのである。

 因みに、就寝直前は記憶され易いので、子供を布団に寝かして、子供が寝付くまで絵本を読み聞かせるというのは、脳の成長から見ても非常に有効なのだ。大方の子供は絵本を読み終える前に寝てしまうものだが、母親が飽きもせず、毎晩同じ行為を繰り返していると、子供は高い知能を持つことができるようになるのである。

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人間の脳の80%は3歳までに作られる

●2歳代は急激に使う言葉が増える

 人間の脳の80%は3歳までに作られる。その後は、脳の成長は緩やかになって、満12歳までに殆どができあがり、それ以降の19歳まではごく僅かしか成長しない。従って、脳の成長で重要な期間は3歳までであって、だからこそ、昔の人たちは、「三つ子の魂、百まで」と言い現わしたのである。だが、この三つ子は数え年の三つ子だから、正確に言うと満2歳までということになるのである。

 満2際になると急激に使う言葉が増える。理由は出生から今まで多くの言葉を聞いて蓄積したし、自分でも喃語から単語へと移行し、更に二語文を使い続けたので、自分の言いたいことを表現できるように成り始めたのだ。それと母乳が終わり、離乳食になり、そして正式な食事になったので、脳へ行く栄養が今までとは比較にならない量になったから、脳が高度な情報処理に耐えられるようになったのだ。

 正式な食事が始まると、子供への手間がかなり減ってくるので、この時期に会話をするなり、絵本を読ますなり、色々な所へ連れていって好奇心を掻き立てると、脳が充分に刺激され、高い知能を持つことができるようになるのだ。この時期を見逃してしまうと、他の時期では脳を成長させることはできないのだ。

 現在、日本では学歴社会となっているために、頭の良し悪しは学歴で決まってしまうことになっているが、実は頭の良し悪しは学歴で計れるほど単純なものではないのだ。人間の知能は成長の早い人もいるし、遅い人もいるし、学校の勉強が向いている人もいるし、学校の勉強が向いていない人もいるのだ。学歴で計れる知能はごく僅かな部分でしかないのだ。

 人間の頭の良し悪しは3歳までにいかに脳を刺激して、成長させるかで決まってしまうものであって、後は自分の努力でどうにでもなるというものなのだ。母親が子供の脳を充分に成長させてくれるなら、その子供のその後の人生は、いかに結果を生み出せる努力をし続けるかで、頭の良し悪しは決まるし、幸福質量も決まってくるのだ。要は「努力即幸福」という考え方を身につけることができれば、その後の人生でいくらでも脳を成長させていくことができるのである。

●二語文、三語文、そして文章化

 赤ちゃんは「泣く」という行為から、「喃語」へと移行していく。その喃語を使い続けていくと、「単語」を使えるようになるのだ。そして単語の語彙を増やしていくと、二語文を話すようになり、三語文を話すようになっていくのだ。三語文は文章として成立しているから、それ以降は文章化して自分の言いたいことが言えるようになるのだ。

 解り易く説明すると、

「ウンチ」

「ママ、ウンチ」

「ママ、ウンチが終わった」

となり、三語文になると、文章としてほぼ成立しているのが解るであろう。乳幼児を良く観察している母親なら、乳幼児というものは単語の時期が非常に長く、二語文の期間もかなり長いが、三語文になると急速に言葉が喋られるようになることに気付く筈だ。それだけ三語文というのは、脳を成長させ、語彙を急激に増やしていくのである。

 自分の子供が三語文を話してくれれば、会話がきちんと成立するから、とにかく子供と会話しまくることだ。子供にとって母親の話を聞くだけで語彙を増やせるし、母親に自分の言いたいことを言わなければならなくなるので、自分の頭の中で文章を組み立てていかねばならなくなり、その結果、人の話を聞くこともできるし、人に意見を言うこともできるようになるのだ。

 良く、育児書とかでは子供の反抗期ということに着目しているが、子供の反抗で手を焼いているのは、子供と会話をしない母親たちであるのだ。母子が充分に会話をしていれば、たとえ子供が反抗したとしても、子供は自分が反抗している理由をちゃんと言えるものだし、それほど反抗が悪化するものではないのだ。自分の子供の脳が急成長して行く時に、子供をそっちのけにして、テレビを見たり、電話をしたりしているからこそ、子供は脳を充分に成長させることができず、得体の知れない反抗をしてくるだけなのである。

 子供との会話など、肩肘を張らなくても、些細なことを話していけばいいのである。特に子供の方に何か言いたいことがあるなら、それを封じてしまわないで、ちゃんと話を聞くことだ。良くある危険な光景は、母親が子供の腹話術師になってしまい、子供の意見を代弁してしまうことなのである。「何々ちゃんは、何々が好きなのよね~」と母親が強制的に言ってしまうので、子供は自分の意見を発言する機会を失ってしまうのだ。こうなると子供は自分の中に閉じ籠ってしまい、ちゃんとした会話をすることができなくなってしまうのだ。

●言語能力には性差と個人差がある

 言語能力はすべての子供に対して平等に発達するということはない。不平等極まりない発達の仕方をするのだ。まず男女の性差というのが、明確に現れて来る。喋るのが達者なのは女の子の方で、一方の男の子は言語能力の発達が非常に遅いものだ。男女平等に取りつかれてしまうと、成長の遅い男の子を馬鹿扱いしたり、成長の早い女の子を「うるさい!」と怒鳴りつけてしまうことになるので、その後の成長で凄まじい反抗を食らってしまうことになるのだ。

 言語能力の発達の性差は、性ホルモンの影響によるものであって、女性ホルモンの影響を受ける女の子は喋るのが上達し、様々な情報交換をするように仕向けられ、男性ホルモンの影響を受ける男の子は喋ることが余り得意ではなく、電車だとか自動車などのように動く物に興味を示し、狩猟者としての道を歩むべく仕向けられていくのだ。

 もう一つは、個人差が必ず存在するということだ。これはその子供の育った環境によって大きく左右されてしまう。例えば、親子3人で育った子供と、親子3人に祖父母がいる家庭で育った子供では、言語能力が高く発達するのは、圧倒的に5人家族で育った方である。子供は両親だけでなく、祖父母からも話を聞けるので、言語能力を高くしていくことができるのである。

 子供の中には、言語能力の成長が非常に遅い子供のいるので、決してその子供を否定しないことだ。個人差は必ず出て来るのであって、余所の子供が達者に喋っているからといって、我が子も達者に喋るわけではないのだ。その子なりの成長速度というものがあるのだ。

 こういう場合、母親が語りかけることが大事なのだ。子供は喋らなくても、聞いているだけでも、脳は記憶しているのだ。そして子供が何か言いたいことがある時は、時間をかけてゆっくりと聞いてあげることだ。母親がせっかちになってしまうと、子供は自分の意見を言わなくなってしまい、喋ろうとしなくなるのだ。「うちの子は喋るのが下手で~」という前に、まずは子供の喋る機会を確保してあげることだ。

●幼児の頭の良し悪しは語彙の数である

 新米ママにとって自分の子供の言語能力の成長を見るのは、非常に楽しいものだ。なんせ自分が産んだ赤ちゃんが、最初は泣きわめくことしかしなかったのに、喃語を喋り、単語を喋り、二語文を喋り、三語文を喋り、そして文章を喋るようになるからだ。人間の言語の発展を間近で見てしまったからだ。

 語学というのは、要は「単語」と「文法」なのである。これさえできれば、言語は成立するのである。そしてただ単に単語や文法を学べばいいというのではなく、生活に密着し自分に必要性があれば、いくらでも言語能力を発達させていくことができるのである。その言語能力の発達は苦しいものではなく、楽しいものなのである。

 良く「日本人は中学高校で6年間も英語を学んでいるのに、どうして英語が喋れないんだ?」という質問を目にするが、これは愚問なのである。学校では単語も文法も習ったのであり、それでも英語が喋れないというのは、日本では英語を使わなくても生活していくことができるからである。英語が生活に密着してしないし、英語を使う必要性もないのだ。大体、こういう愚問をしてくる人は、高校を卒業してから、英語を学び続ける努力をしなかったのだ。

 俺は中学高校生の頃は国文学専攻の文学少年であったので、外国語には落ち零れてしまい、外国語には散々苦労させられたが、それでも英語の単語を覚えたし、英語の文法も習得した。英語の試験の結果はひどい点数であったが、それでも高校を卒業して、英語に触れる機会がある時は、その文章が読めてしまうのである。勿論、知らない英単語が出て来てしまえば、正確な翻訳はできないが、知っている英単語の範囲内なら、文章が理解できてしまうのである。

 なんで英語で落ち零れた人間にこんな不思議な現象が起こったのかといえば、これこそが「文法」の威力なのである。文法さえ解っていれば、その文章の意味は大体解り、後は知らない単語が解明できれば、文章をちゃんと理解できるのである。即ち、外国語ができないと騒いでいる人たちは、若い時に学校で単語と文法をしっかりと学んでいないからこそ、大人になってそのツクが回ってきたのである。単語と文法が解りさえすれば、後は実践あるのみで、その外国語を使っている国を訪問して滞在してしまえばいいのだ。そうすればその外国語を使わざるをえない必要性に迫られるので、否が応でも喋られるようになるのものなだ。

 幼児の頭の良し悪しは語彙の数なのである。自分の思いをどれだけ豊富な語彙を使って文章化できるか否かなのである。母国語なら文法というものは自然と身につくから、子供が文法上の言い間違いをしたら、それを指摘して、「こういう時はこう言うんだよ」と教えてあげればいいのだ。

 子供に言葉を教えるためにも、母親の方も「会話する習慣」「読書をする習慣」「文章を書く習慣」をしっかりと持っておいた方がいい。母親自身に語彙が少なかったり、まともな文章を喋ることができなければ、子供の言語能力の発達だって頭打ちになってしまうのである。テレビを長時間見て過ごしているようでは、自分の言語能力は落ちて行く一方なのである。自分自身の言語能力を高めるためにも、他人と会話し、読書をし、文章を書いていくことだ。母親の言語能力が高くなってくれれば、子供の言語能力も高くなるものなのである。

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子供は外に出して体を鍛えよ

●正式な食事が始まれば、正式な運動も始まる

 離乳食が終わり、正式な食事が食べられるようになれば、運動量も増えて来るということだ。正式な食事を食べているのに、幼児を外で遊ばせなければ、幼児はそのエネルギーを巧く使いこなせることができないのだ。幼児は体が小さいために、いつまでも乳児の気分でいると、とんでもない病気を引き起こしてくることもあるのだ。

 人間は体を動かせば、エネルギーを使い果たしてくれるので、空腹になる。空腹になると、お腹が鳴って「モリチン」という内臓を掃除してくれるホルモンを出し、内臓がそれによって掃除されるのだ。だから、空腹を感じる回数が多い人ほど、内臓が丈夫になるという不思議な現象が起こるのだ。

 幼児の成長を願って、幼児に大量の食事を与え、オヤツも大量に食べさせているのに、幼児を外で遊ばさせず、家の中でウロチョロしていたら、その幼児は肉体上の病気を負うことになるし、精神上の病気を負うことにもなってしまうのだ。空腹を感じず、内臓が掃除されないから、内臓が疲労しきってしまい、正常なパワーを発揮できなくなってしまうのだ。

 子供の健康的な成長を願うのなら、とにかく幼児を外に出して遊ばさせて、空腹にさせてしまうことだ。幼児が「お腹すいた」と言ってから、食事を作り出せばいいのだ。空腹になっていない幼児に食事を与える必要性はないのだ。お腹がすいてないにも拘わらず、食事を与えても、なかなか食べようとしないし、食べ物をオモチャのようにして遊ぶだけなのだ。お腹がすいていれば、ガツガツと食うものなのである。

 特に気をつけるべきは、母親の年齢が上がってしまい、体力が衰え始めた時に、育児をしなければならない時だ。幼児が外で遊び回っているのに、母親がそれについて行こうとしても、「ハァハァ」と息切れをして付いていけなくなり、その内に外で遊ぶのを控えるようになってしまうのだ。こういう場合は、母親自身が多少は断食をして体重を落とし、その一方で軽ジョギングや筋肉トレーニングをするとかして、体力をつけていくことだ。育児は最後には体力勝負になるということを決して忘れないことだ。

●肉体の成長

 幼児は正式な食事を以て肉体の成長を加速させていくことになる。乳児は満2歳までは免疫力をつけさせるために、肉体上の成長が遅いものなのだが、満2歳を過ぎると、自分で抗体を作り出せるようになるので、免疫力の問題がなくなって、肉体の成長に全力を投入できるようになるのだ。

 この時期からは肉体の成長を行うために、大量のカルシウムと大量の蛋白質が必要になってくる。この時期にカルシウムと蛋白質をしっかりと与えておき、外で遊ばせていると、幼児は骨太で体格のいい幼児になり、将来、長身で筋肉隆々たる大人になることができる。

 ところが、日本では長らく仏教戒律の影響を受け続けてきたために、カルシウムや蛋白質の取り方が巧くないのだ。日本の土壌は火山灰質なので、そのままにしていたら、充分なカルシウムが摂取できないのだ。だからこそ、日本の農民は農業を始める際は、外国の農業とは違って、土壌改良から着手せねばならないのである。それほどカルシウム分が少ない土壌なのである。

 和食には動物の骨からダシを取るという習慣がないのだ。中華料理が美味しいのは、「タン」と呼ばれる鶏を丸ごと使ってダシを取っているからなのである。そのため、味噌汁のダシを鰹節や煮干しで取るのもいいが、たまにはトリガラを使ってダシを取ることもやった方がいい。トリガラだけだと臭うので、ニンニクと生姜と長ネギを一緒に入れて煮込むことだ。このダシを溜め込んでおいて料理のたびに使えば、トリガラ風味の味噌汁の出来上がりだし、鍋物にも使えば鍋物が一層美味しくなる。

 日本人のカルシウム不足を解消させたのは、牛乳なのであるが、日本人は長らく牛乳を飲む習慣がなかったために、乳性蛋白質を分解できる酵素を持っていない人たちがおおいのだ。そのため、牛乳をそのまま飲ませるのではなく、ヨーグルトにして食べるしかないのだ。ヨーグルトは人間の食べ物の中で最長の滞留時間を誇るので、長らく小腸や大腸に滞留して、最高の確率でカルシウムを吸収させることができるのである。

 蛋白質といえば、「肉」という短絡的な発想をしてしまいがちだが、蛋白質はまずは植物性蛋白質を取り、次に魚を食べ、その上で肉を食べて行かないと、途端に体に異常が出て来てしまうのだ。自分の子供にしっかりとした筋肉をつけさせたいのなら、まずは木の実や豆類や落花生を大量に食べさせることだ。そして魚を食べさせ、それから肉なのだ。肉も筋肉や脂肪の場所だけを食べさせるのではなく、内臓を食べさせることだ。動物の肉は内臓にこそ、大量の栄養素が詰まっているのである。

 幼児の骨や筋肉を鍛えたいのなら、ジャンプさせたり、走らせたりすることだ。骨や筋肉に刺激を与えれば、幼児は自然と骨と筋肉を鍛えることができ、スクスクと成長していくことができるようになるのである。幼児を遊ばせると、自然とこのジャンプと走るというのを組み入れて来る遊びをし出すものだ。幼児の体の方が何をすれば健康になるかが解っているのだ。

●脳の成長

 肉体の成長があってこそ、脳の成長があるというものなのである。幼児の肉体を成長させずに、脳の成長を人為的に成長させようとすると、幼児は途端にバランスを崩してしまい、異常な行動を仕出かすというものだ。自分の子供が頭のいい子供になって欲しいということは解るが、知能だけを高めても、異常な子供ができるだけなのだ。

 幼児が最も知能を発達させることができるのは、実は親との会話なのである。親と会話をするからこそ、幼児の脳は刺激され、語彙が増えていくことになり、知能を高めていくことができるのである。それゆえ自分の子供の知能を上げたいのであるならば、まずは親子の会話量を増やしていくことだ。話し合えば話し合うほど、知能が高まっていくのだ。

 もう一つは、自分時間を大切にしてあげるということだ。絵本を読んだり、積み木をしたり、お人形さんごっこをしたりと、自分一人でできる遊びを充分にやらしておくと、物事を深く考察することができる子供に成長していくのだ。幼児に自分時間を与えずに育ててしまうと、非常に薄っぺらい子供になってしまうのである。

 そして脳の成長を決定づけるものは、外で遊ぶ回数が多かったか否かなのである。自宅の中にいればどうやっても情報が制限されてしまうので、外に連れ出して、大量の情報に晒させないと、脳が充分に発達してくれないのだ。幼児は外で遊べば遊ぶほど脳が刺激され、高い知能を持つ子供へと成長していくことができるのである。

 幼児を可愛過ぎる余りに、自分の子供に早期教育を受けさせる必要性なんてどこにもないのだ。いくら早期教育をやったとしても、それは幼児にとって健全な脳の成長ではないのだ。幼児の脳も少しは早期教育に対応することができるが、しかしそれは幼児にとって必要なものではないのだ。幼児の知能を高めたいのであるならば、とにかく遊ばせることだ。

●子供は遊びが仕事

 大人になってしまえば、仕事がメインになってしまうので、子供にとっての遊びの重要性が解らなくなってしまうのだ。遊ばすことが健全な成長に繋がるのである。外に出て遊ばせず自宅に籠りっきりになったり、親子で会話することもせずに早期教育をした所で、幼児は高い知能を獲得することはできないのである。

 新米ママなら自分が幼児の時のことなど忘れてしまっているのだから、幼児の遊びを一緒になって楽しんでしまうことだ。幼児というのは、とんでもない遊びをして、母親を笑わしてくれるものなのである。母親が自宅でニコニコしていれば、幼児はなんの不安を抱えることもなく、自由に遊ぶことができるので、幼児は知能を高めていくことができるのである。

 我が子に早期教育をしたがる母親というものは、それほど高い知能を持っていない母親たちなのだ。自分が若い時に何かしらの功績を打ち立てることができたのなら、我が子に早期教育をしようという発想は持つことがないものだ。子供の頃に塾通いをして偏差値の高い学校に進学してきたからこそ、自分の子供に早期から教育を施せば、高い知能を持てるだろうと思ってしまうのだ。

 しかし、幼児の成長は、幼児を充分に遊ばせ、空腹にさせ、美味しい料理を食べさせる。その上で親子の会話をし、一人遊びをさせておけば、自然と知能を高めていくことができるのである。無理をすることなく、自然に育てていくからこそ、幼児は肉体も脳も健全に成長することができるのである。

 自分の子供は思っているように、頭のいい子でも、体力のある子でもないのである。まだまだ馬鹿でアホで、弱弱しい体しか持っていないのだ。だからこそ、知能を高めていくことができるし、肉体も鍛えていくことができるのである。自分の子供を健全に成長させたたかったら、とにかく子供を外で遊ばせることだ。遊んでいれば、自然と成長していくことができるのである。

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自閉症児の育て方

●自閉症の原因

 精神未成熟症候群の話が出たので、ついでに自閉症児のことも述べておく。自閉症とは先天的な病気で、生まれつきの脳の障害を持っているために、人間関係の構築が困難になってしまう病気だ。健康な赤ちゃんとして産まれた筈なのに、赤ちゃんは早い段階で親と目を合わせないとか、他人との接触を嫌い、自分の世界に閉じ籠ってしまう傾向を見せて来るのだ。

 自閉症児は国籍や民族を問うことなく発生してくる。どの国にも自閉症児は存在しているということである。しかし、自閉症児は、男の子に発症する確率が非常に高く、80%近くの自閉症児が男の子である。これは受精当時から何かしらの問題があった可能性があるということなのである。

 人間の病気は脳に及んでしまうと、その病気の研究や治療法の開発が非常に遅れてしまうものになる。幾ら治療のためとはいえば、頭をかっ割いて調べるわけにはいかないからだ。そのため医者の方が自閉症のことを的確に把握することができないし、患者の家族もそれに振り回されることになってしまうのだ。

 自閉症児は言語の発達が遅れてしまい、人間関係を限定しようとし、自分の能力も満遍なく発達するのではなく、限定されたことにしか興味を示さず、活動が非常に偏ってくるのだ。このため、通常の生活ができない自閉症児が出て来る一方で、突出した才能を持つ自閉症児が出て来ることにもなる。

 自閉症の原因は「脳の障害」だから、問題は脳の障害を引き起こした誘因を突き止めてしまえばいいのであって、それが何かが解れば、自閉症の研究が大いに進むことになる。自閉症の誘因は一つで起こることもあるし、複数の誘因が重なって起こることもあることであろう。

●自閉症の誘因

①劣化した精子

 自閉症児の場合、そもそもが劣化した精子のために、この病気を発生した可能性が高いのだ。男性の精子はいつも健康的な精子を出せるということはなく、性交時のタイミングを間違えてしまうと、精子は劣化した状態で卵子と結合してしまい、それが胎児へと成長していく過程で何かしらの問題を発生させたのではないかということだ。

 自閉症児は国籍や民族を問うことなく満遍なく発症してくるといわれるが、実はユダヤ民族だけが自閉症児の発症率が非常に低いのだ。これはユダヤ民族の遺伝子がそうさせるのではなく、タルムードで定められた性交の仕方が、精子を劣化しない状態で卵子と結合させることが可能になるのだ。そのために自閉症児の発生率が下がるのである。

 男性は女性が排卵するまで、或る程度は禁欲せねばならず、精子を溜め込むことによって、数を多くして、より優秀な精子が届くように仕向ける必要性があるのだ。しかも、女性が排卵してから射精するのではなく、排卵する前に女性が性欲を持った時に射精しないと、健康な精子を卵子のもとにまで送り届けられないのだ。

②水銀

 昔から自閉症児を治療してきた現場の医者たちが指摘していたのは、「水銀」が何かしらの問題を発生させているのではないかということだった。母親が妊娠中に水銀を含んだ食べ物を食べてしまったために、その水銀によって脳に何かしらの異常が発生したのではないかというのだ。

 現在では規制されているが、昔はインフルエンザなどの予防接種に水銀が使用されていたために、女性は妊娠前にその予防接種を受けて、その水銀が体内に残留してしまい、それによって自閉症児が生まれてしまったのではないかということだ。また、農薬にも水銀が使用されていたことがあるので、この農薬をきちんと除去しない限り、体内に水銀が残留してしまうことになるのだ。

 動物はその体が大きくなればなるほど、水銀を濃縮していくことになる。そのため、妊婦が妊娠中にマグロやクジラなどの大型の魚を食べると、その魚に含まれる水銀が限界量を超えてしまい、胎児の成長に何かしらの影響を与えてくるのである。魚は健康にはいいといっても、妊娠中は沿岸で取れる魚に限定すべきなのである。

 家畜の中では牛が最も多くの水銀を持つので、牛肉を常食とすると危険なことになってしまう。しかもアメリカ人のように、牛肉のステーキを食べた後に、アイスクリームを食べ、その翌朝には珈琲を飲むという食生活は非常に危険なものになってしまうのだ。牛肉によって体内が酸化して、タダでさえ血流が悪くなっているのに、アイスクリームで内臓を冷やし、しかもアイスクリームに含まれる白砂糖は赤血球を溶かしてしまうのだ。更に翌朝、珈琲によってビタミンやミネラルを破壊してしまえば、体内は決定的にビタミンやミネラルが不足してしまい、自閉症児が生まれ易くなってしまうのだ。だからこそ、アメリカ合衆国では自閉症の発症率が異常に高いのである。

③何かしらの重金属

 粉ミルクは牛乳から作られるので、微量ではあるが多少は水銀が入っている。これ自体はさほど問題にならないのだが、問題は粉ミルクの精製の過程で出る重金属が粉ミルクに入ってしまうことだ。粉ミルクは工場で作るために、その機械が摩耗して、多少は重金属が混入してしまうのである。これは機械を使っている以上、ゼロにすることはできないのだ。自閉症児が何かしらの重金属を含んだ粉ミルクを飲んでいれば、自閉症の症状が悪化してしまうのだ。

④植物性脂肪不足

 人間の脳は脂肪からできているために、妊娠中に脂肪の摂取が不足してしまうと、胎児は脳を正常に発達できないという危険性が生じてしまう。妊娠中は植物性脂肪をしっかりと摂取し、木の実や豆類や植物油をしっかりと取っていかねばならないのだ。それと共に、肉食を控えて、体内が酸化しないようにし、自分が摂取して植物性脂肪がちゃんと胎児の成長のために使用されるよう仕向けなければならないのだ。

⑤葉酸不足

 遺伝子の分裂には葉酸が必要不可欠なので、葉酸が不足してしまうと、細胞分裂ができない状態になってしまうのだ。そのため妊娠中はせっせと野菜を大量に食べていくべきであって、常に葉酸が不足しないように仕向けなければならないのだ。葉酸はお酒によって破壊されてしまうために、妊娠中は原則として飲酒が禁止されるのである。

⑥睡眠不足

 胎児は母親が睡眠中の時に成長することができるので、母親が早寝早起きを心掛け、充分な睡眠時間を確保してくれないと、健康的な成長ができなくなってしまうのだ。特に午後10時から午前2時の間には大量の成長ホルモンが分泌されるので、午後10時までに就寝していないと、自閉症が起こる確率が高まってしまうのだ。

●自閉症児への対処法

 自閉症は精子レベルで起こった問題に対しては、もう何も対処することができないが、それ以外の誘因で起こったことに関しては、自分の子供が自閉症児であると解った時点でも、何かしらの対処法を施すことで、多少は自閉症の症状を和らげることができるのである。

①大腸を奇麗にする

 人間は大腸から水分を汲み上げるので、脳に何かしらの問題があっても、大腸が奇麗であるならば、その問題を解消できるのである。自閉症児に浣腸して腸内洗浄をさせると、自閉症に効果があったということが医者たちから伝えられているのだが、自閉症を治療している医者たちはなぜかこの情報を握り潰してしまっている。浣腸が自閉症に効果ありという情報を頭から否定しているのだろう。

 腸内洗浄をして貰える医者の所にいって、自閉症児の大腸を奇麗にしてしまうことだ。それと共に、普段の生活で朝食を抜いて排便に集中させ、朝に大量の水を飲まして、排便排尿を大量にさせまくることだ。朝に排便が出ない時は、浣腸をさせて、強制的に排便させてしまうことだ。

②玄米食+発酵食品

 玄米は有毒物質を除去する能力が非常に優れている。特に水銀や重金属などは、玄米を常に食べていれば、体外に排出されていくものなのである。玄米食だけだと飽きるので、「玄米食」と「発芽玄米食」を交互に食べさせて行くことだ。味噌汁もたっぷりと飲まして、炭水化物とビタミンB1のコンビで脳にエネルギーを届けてあげることだ。

 発酵食品は腸内環境を整えるので、毎食、発酵食品を出してあげることだ。糠漬けや納豆などを毎回食べさせていけば、排便量も増えるし、大腸が奇麗になって、安全な水分が脳に行ってくれることになるのだ。発酵食品の量は普通の人たちよりも多目に出して、翌朝の排便の具合を見ながら調整していくことだ。

 それと同時に、腸を汚す「肉」「卵」「乳製品」を徹底的に除去していくことだ。これらを控えると、腸内環境は劇的に奇麗なものになるのだ。蛋白質の不足は豆類を食べることで補うことだ。特に粉ミルクで自閉症の症状を深めた子供には効果が甚大となるのだ。それだけ粉ミルクは大腸を汚してしまうということなのだ。

③亜鉛の摂取

 亜鉛は水銀を排出する威力を持つ。亜鉛は「ゴマ」「高野豆腐」「海苔」「アーモンド」「抹茶」「銀杏」に多く含まれるので、これらをコンスタントに摂取していくことだ。特にゴマは「スリゴマ」にして、ご飯の上にかけて食べることだ。ゴマは知能を高くさせるので、言語機能が向上することであろう。

④ドクダミ茶

 自閉症児に飲み物を飲ませるなら、ドクダミ茶を飲ましてあげることだ。ドクダミ茶は解毒作用があるので、体内に蓄積された水銀や重金属を輩出してくれることになるのだ。ドクダミ茶なんか効くわけがないと言う前に、とにかくドクダミ茶を飲んでみることだ。自閉症の症状が改善していく筈である。

⑤オシャブリで口呼吸を防ぐ

 自閉症児は口呼吸をしているために、常に酸素不足なっているのだ。そのためオシャブリをさせることで口呼吸を防ぎ、鼻呼吸に変えてあげるのだ。鼻呼吸に切り替えると、酸素量が増えるために、体の各細胞に酸素が送り届けられ、活性化し、体内の老廃物や毒素を除去しようとし出すのだ。口腔科のある病院にいけば、大きくなった子供向けのオシャブリを得ることができる。

●自閉症児を身体障害者扱いしないこと

 自閉症児を抱えてしまうと、母親のショックは非常に激しいものがあるのだ。「なんで私の子が自閉症なの!?」と叫んで、泣き崩れてしまうのだ。そのつらい気持ちは解るが、泣いて過ごしていても、なんの解決にもならないのだ。まずは自分の子供が自閉症児であるという現実を受け止め、それに対処していくことだ。

 まず自閉症児を抱えた母親に解って欲しいのは、「自閉症児は脳に問題があるのであって、体に問題があるのではない」ということだ。それゆえ自閉症児を身体障害者扱いをしないことだ。この決断をするだけで、自閉症児を巡る環境が劇的に変化するのだ。人間関係を構築するのが下手なのであるならば、「別にそれでいいじゃん!」と決め込んでしまえば、自閉症という病気はなんの苦痛も発生させなくなるのだ。

 自閉症という症状ばかりに着目するのではなく、自閉症児が持つ「自己生活能力」と「特殊能力」に着目してあげるべきなのである。自閉症児を抱える母親たちにとっては、たとえ自閉症児であっても、自分のことは自分でやってほしいということであろう。個人的な身の回りの世話まで母親がやらなければならないとすると、体力的にギブアップしてしまうからだ。とにかく、自分の身の回りのことは自分でできるように躾けていくことだ。それさえ出来れば、自閉症児であっても、そんなに苦痛にはならないのだ。

 それと同時に、自閉症児は特殊能力を持つ傾向にあるということを評価してあげることだ。数字を記憶したり、音楽に熱中したり、絵を描くことに夢中になったりと、自閉症児はサヴァン症候群という症状を出してくるのだ。我が子を否定的に見るのではなく、その才能を肯定的に見てあげて、何か特別な能力を引き延ばしてあげることだ。

 そしていくら自閉症児を抱えていても、これだけは絶対に忘れないでほしい。それは、

 「この世には、アホな人間はいても、無駄ない命を持った人間は一人もいない!」

 ということだ。自閉症児は何かしらの役割があるからこそ、この世に生まれてきたのであって、その命を否定したり、消し去ったりしないことだ。他の子供たちとは違った子供でも、自分の子供であることには変わりないのだ。平等イデオロギーに取りつかれては、自分の子供を不幸にすることしかできないのだ。自分の子供は他人の子供たちといくら変わっていても別にいいのだ。大事なことは、自分の子供を有りのままに肯定してあげられるか否かなのである。

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精神未成熟症候群

●精神未成熟症候群とは何か?

 離乳食病で最も悲惨なのが、小児癌や小児白血病と思いきや、それを上回る悲惨な病気がある。それが「精神未成熟症候群」である。「そんな病名は知らない」というのは当たり前で、これは俺が命名したものなのである。自分の子供がこの病気を持とうものなら、現在の医者たちはこの病気を把握していないので、病院を盥回しにされるだけとなってしまうのだ。

 精神未成熟症候群とは、体は一人前の体になっているのに、脳が全く成熟していないのだ。脳に異常があるといっても先天的になったのではなく、後天的に、しかも粉ミルクと離乳食のために脳を発達させることができず、木偶の坊のような人間になってしまったのである。

 口をポカ~ンと開け、明らかに頭が悪い行動を取ってくるのである。だが、見た瞬間にこれは先天的な身体障害者ではないというのが解るのだ。というのは、体自体は立派な体を持っており、先天的な身体障害者のような貧弱な肉体を持っていないからだ。明らかに充分な栄養を取って育ってきた体をしているのだ。

 粉ミルクを使った育児をしても、こういう病気は絶対に発生しない。粉ミルクといえども、そこまで危険な代物ではいからだ。では、その母親は何をしたかといえば、赤ちゃんにたくさんのミルクを飲んで欲しいと思って、哺乳瓶の入り口を人為的に大きくしてしまい、その哺乳瓶を使い続けたことでこうなってしまったのだ。

 赤ちゃんは大量のミルクがあれば成長するとは限らないのだ。赤ちゃんは必要以上の母乳を決して飲まないように、必要以上のミルクなど必要ないのだ。それなのに人為的に大量のミルクを飲ましてしまうと、それを消化吸収するのに大量のエネルギーを奪われてしまい、逆に成長のためにエネルギーを回せなくなってしまうという異常事態が発生してしまうのだ。

 勿論、栄養は大量にあるのだから、体はどうにか大きくなっていくことだろう。しかし、体が大きくなっていくのに、脳が全く成長しなくなってしまうのだ。脳というのは余分の栄養があったから発達するものではなく、適度に空腹を感じて、内臓に食べ物がなくなって、血液が大量に脳に行ってくれるからこそ、脳は成長を遂げることができるのである。満腹ばかりでは馬鹿になるだけなのである。

●精神未成熟症候群の原因

 精神未成熟症候群の原因は、なんと言ってもその母親が「哺乳瓶の吸い口を人為的に大きくしたこと」に起因する。哺乳瓶の吸い口を大きくし、大量にミルクを飲ませたことで、内臓がそれに追いつかなかったということである。それと「吸啜力不足による頭蓋骨と脳の成長不良」という現象が起こったのだ。

 ミルク育児をしてしまうと、母乳育児に比べて、30分の1しか吸啜力を使わない。そのためミルクで育った赤ちゃんはどれも顎が小さくなり、頭蓋骨を発達させることができなくなるのだ。ミルクで育つと小顔にはなるが、小顔の人間で知能の高い人はいないものだ。小さな頭蓋骨が邪魔をして、脳を大きくすることができなかったのだ。

 それ以上に哺乳瓶の入り口を大きくしたことで、顎が発達せず、頭蓋骨を大きくすることができず、そのために脳が発達できなかったのだ。精神未成熟症候群に罹っている人は、体の割に頭の大きさが非常にアンバランスなのである。これは赤ちゃんの時に非常に弱い吸啜力を使っていなkったから、その後の成長でどうしても頭を大きくすることができなかったのである。

 粉ミルクといえども、最低限の安全性を確保した上で販売がなされている。しかし、想定以上のミルクを赤ちゃんに与えてしまえば、内臓が消化吸収に追いつかず、ミルクの何かしらのホルモンが脳を直撃することだってありえるのだ。一体なんのホルモンが直撃したかは不明だが、明らかに何かしらのホルモンの直撃を受けなければ、人間として最低限の知能すら発達できなかったという事態にはならなかっただろう。

 更に大量のミルクを与えたことで、大腸が決定的に汚染されてしまい、大腸の汚染による体内水分の悪化という現象が起こって、その汚い水分を回すことで、脳に異常が出て来てしまったのである。精神未成熟症候群に罹っている人の小便や大便が非常に臭いというのも、この腸内環境の悪化のためなのである。

 このような状態で、生後5ヵ月から早すぎる離乳食を開始したために、赤ちゃんは食べ物を食べる習慣を持つことができず、食べ物を飲む習慣になってしまい、更に脳にダメージを与えてしまったのだろう。咀嚼するというのは、非常に大事で、これをするからこそ、顎の筋肉を鍛え、脳に血液を送ることができ、脳を発達させることができるのである。食事の際に咀嚼をしなければ、脳を発達させる機会を失ってしまうことになるのだ。

●精神未成熟症候群の治療法

 我が子が精神未成熟症候群に罹っても、いくら病院に行っても医者でも治せないだろう。哺乳瓶の入り口をいじくるなんて、想像もつかないからだ。医者が治せない以上、母親がその子を連れて病院を転々としている姿は哀れなものだが、医者としても最早どうすることもできないのだ。しかし、このまま放置しておくのは余計に悲惨なので、俺なりにこういうことをすれば効果があるのではないかなという治療法を挙げておく。

①宿便排出断食+腸内洗浄

 とにかく粉ミルクのために相当に腸内環境が悪化しているので、まずは宿便排出断食を行って、宿便を出してしまうことだ。宿便さえ出してくれれば、腸内環境も正常化し始めるからだ。それと宿便を出した後も、定期的に腸内洗浄を行い、腸内が汚くならないようにしておくことだ。そうすれば脳に奇麗な水分を送ることが可能になるのだ。

②オシャブリをさせて口呼吸を防ぐ

 精神未成熟症候群に罹った患者は、顎が発達していないために、常に口を閉じているということができない。そのために、いつも口呼吸をしてしまい、脳に充分な酸素が行かないということになってしまうのだ。そこで病院の口腔科に行ってオシャブリをつけて貰い、口呼吸を封じてしまうのだ。鼻呼吸になれば、脳に充分な酸素が生き渡るようになるのだ。

③活性水素水による体内水分の総入れ替え

 今まで腸内環境が最悪なまでに悪化し続けたということは、体内の水分が非常に汚いということなのだ。そのために脳が正常に機能しなくなってしまったのである。そこで活性水素水を飲むことによって、体内水分の総入れ替えを行うのだ。毎日3ℓ程度の活性水素水を飲まし続ければ、3ヵ月には水分が完全に入れ替わる筈だ。そうなれば、脳に対して常に奇麗な水分が供給され続け、脳が正常化していくのだ。

④玄米食+発酵食品+木の実

 食べ物を噛んで食べる習慣がないので、とにかく噛んで食べさせる習慣を身につけさせることだ。毎食、玄米食にして、一口あたり100回以上は噛ませることだ。噛めば噛むほど、脳が発達するので、病状も徐々に沈静化していく筈である。それと共に発酵食品を食べさせて、腸内環境を整えることだ。精神未成熟症候群の子供を抱えた母親は、糠漬けなどの発酵食品を出したことがないのだ。それに木の実を食べさせることだ。木の実は植物性脂肪が大量に含まれているので、食べ続けていれば、脳が成長していくことになるのだ。

⑤脳を鍛える

 水や酸素や栄養が脳に行き渡っても、脳を使わなければ、脳は発達しないものだ。出来る限り、手や足を使って遊び、脳を刺激していくことだ。手足を使えば使うほど、脳が発達していくので、手足を使っている内にきちんとした言葉を喋り出すものなのだ。言葉さえ喋ってくれれば、後は会話で知能を上げていくことができるようになるのである。

●母親が犯した罪は自分の子供が償うこともある

 精神未成熟症候群の子供を抱えた母親たちが良く言うのは、「子供のために良かれと思ってやったのに」というのだが、世の中には母親といえども、やってはならないことがあるものなのである。母親がいくら健康な赤ちゃんを願っても、禁じ手を使って育児をすれば、その悲劇は赤ちゃんに訪れてくるものなのであr。

 現在は余りにも個人主義的になってしまい、自分勝手に気儘に生きる人々が多過ぎるのだ。人間は個人が一人で生きていけるようにはできていないのだ。母親が犯した罪は母親自身が背負うのではなく、何も悪いことをしていない自分の子供が償わなければならないことだってあるのだ。

 精神未成熟症候群は、母親自身が引き起こしてしまった悲劇である。この罪の意識を持ってくれない限り、この病気を治して行くことは絶対に不可能なのだ。精神的に自立しきっていないから、自己責任を取ろうとせず、どこか人任せにしてしまい、この病気を最悪なまでに悪化してしまうのである。

 一方、哺乳瓶を製造販売する企業も、哺乳瓶の入り口をいじくる母親が出て来ないように、注意書きを書き入れておくと同時に、精神未成熟症候群という病気があるということを伝えていくべきなのである。この世には想像を絶する馬鹿がいるものなのである。企業内で「これは常識!」などといっていると、馬鹿な母親が自分で精神未成熟症候群を引き起こしたのに、それを棚に上げて、企業に製造物責任を問うてくる母親たちが出て来るかもしれないのだ。

 育児では多少の失敗は付き物である。しかし致命的な失敗は絶対にしないことだ。それゆえ、自分の母親に育児の仕方を聞いたり、育児をしている母親同士で情報を交換することを決して怠らないことだ。情報収集を無視して、子供のために良かれと思ったことをしても、それが悲惨な出来事を引き起こしてしまうこともあるのだ。世の中には取り返しのつかない悲劇というものも存在しているのである。

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母親の邪念が難病を作り出す

●難病奇病の子供がいる家族には共通項がある

 難病奇病の子供を抱える家族には、或る共通がある。それは母子がべったりとなっていることなのである。難病奇病の風景を見た時、その子供の難病奇病より、その母親の異常な態度の方こそが目立つのである。病院のベッドにへばりついた「看護ロボット」ではないかと思うくらいに、母親がその子供に付きっきりとなっているのである。

 病気の子供を看護しているのだから、母親の献身的な態度は当たり前はないかと思う人もいるが、これは最早、看護の域を超えているのである。本当に看護をしているのであるならば、看護を受けたその子供は自分の病気が徐々に治っていく筈だ。しかし、実際にはその子供の病気は益々悪化し、結果的にはその子供は病死してしまうである。

 しかも、この母親は常にシャシャリ出て来るので、誰と会話しても自分の意見を言ってくるし、まずは相手の意見を聞こうということが全くないのだ。これだから夫婦関係も巧く行っておらず、常に夫を蔑ろにしているのだ。この家族は母子の関係だけが異常に目立ち、夫は存在感が非常に薄いのだ。

 難病奇病を治す時、その難病奇病を治せばいいというものではないのだ。その難病奇病だけでなく、その家族の関係をきちんと正しいものに修正してあげないと、幾ら物理的に正しい治療法を施しても、その病気が一向に回復しないということもあるのだ。だから、病気の治療には医者だけが必要なのではなく、宗教家も必要なのである。宗教家がその家族を精神的に治すことがなければ、病気など治らないものなのだ。医療と宗教というのはセットなのである。

 ところが、難病奇病を治療している医者という者は、宗教家を寄せ付けないものだ。なぜなら、難病奇病というのは格好の研究材料であって、宗教家が患者の家族たちの精神を治してしまい、奇蹟を起こされたら、堪ったものではないからだ。その難病奇病を治して研究論文でも発表できれば、その分野での第一人者となることができるのに、宗教家が奇蹟を起こしてしまえば、単なる平凡な医者のままでしかないからだ。

●渇愛の発生原因

 では、一体、難病奇病の子供を抱える家族には、どのような異常事態が起こっているのだろうか? それはその母親や父親が「渇愛」を出しているということだ。渇愛というのは、正常な愛ではなく、その愛を貰えば貰うほど、心が乾いてしまい、その渇愛を貰った方が不幸になってしまうのだ。

 家族の愛は、夫を起点とし、妻に流れ、そして子供たちに辿りついていくものなのである。そのため、妻が夫を蔑ろにして、自分がご主人様になってしまうと、途端に家族の中で愛は流れなくなってしまい、その妻は愛と思って渇愛を出してしまい、自分の子供たちを不幸にしてしまうのだ。

 愛は家族の中を巡るものだ。もしも子供たちにまともな愛が流れてこなければ、その子供たちは自分が病気になることで、その異常を両親に知らせてくるのだ。母親が夫を敬わない、夫を愛さないでいると、その母親は夫から父性愛が入ってこないので、まともな母性愛が出せなくなるのだ。母性愛というのは、「絶対肯定の愛」であるから、もしも子供たちに母性愛が不足してしまえば、絶対否定の状態、即ち「死」の病態へと突き進んでしまうのだ。

 父性愛というのは「絶対価値の愛」である。妻はこの父性愛を夫から貰うからこそ、自分がやっている育児が絶対に価値あるものだと思うことができ、自分の育児を価値あるものにしていくのだ。夫から父性愛を貰わない限り、妻は正常な母性愛を出し続けていくことは不可能なのである。それゆえ、育児をしていても、夫婦は仲良くしておくべきであって、夫が妻よりも上になって妻を甘えさせて父性愛を出したり、夫が妻よりも下になって妻に甘えたりして母性愛を貰い、そうやって自分たち夫婦の父性愛と母性愛の不足を補い、多くの愛を出せるように仕向けているのである。

 この世には人間が平等ということは絶対に有り得ないのだ。結婚すれば、夫婦は対等であるが、上下関係をしっかりと築いているものなのだ。表面的には夫を家督権者と認めて「一家の主」とし、実質的には妻が実権を握って家族を運営していくのである。表面的には「男尊女卑」であり、実質的には「女尊男卑」である。ところが、平等イデオロギーに取りつかれて、「男尊女卑は怪しからん!」と唱えてしまうと、途端に家族はまともな秩序を構成できなくなり、家族は機能不全に陥ってしまい、その母親は渇愛を出しまくって、自分の子供のを難病奇病の餌食にしてしまうのである。

●人間の従属と自立と独立

 人間は男女ともに、結婚する前までに精神的な自立を終えていなければ、まともな結婚にならないし、まともな夫婦にならないし、まともな家族にならないのだ。人間の家族というものは、結婚届けを出し、出産して赤ちゃんができてしまえば、家族が出来上がるというものではないのだ。その夫婦が精神的に独立していなければ、家族を独立させることはできないのである。

 人間の成長過程は、主に「従属時代」「自立時代」「独立時代」の三つを経て、一人前の大人になっていく。従属時代は両親を始めとして、みんなら愛され、正しいことは一体何かを教えて貰う時代だ。この従属時代で最も大切なのは、母親の母性愛であって、子供は母性愛をたくさん貰えば、その愛を溜め込んでいくことができ、自分を肯定できるようになるのだ。一方、父親の父性愛も必要であって、父親から父性愛を貰うことで、この世に何があろうとも大切な物は何かを学んでいくのだ。

 自立時代は、自分の感性と理性と意志と行動力を使って、自分自身を修行させていく時代である。大体、中学生頃から自立が始まり、この辺りから両親とは一緒に暮らしていても、精神的に離れていく。両親から離れることによって、自分を自立させていこうとするのである。男の子たちは冒険旅行をすることで自立していき、女の子たちは同性同士で友情を深め、たった一人の異性と恋愛をすることで自立していく。自立時代では男女の自立の仕方は、全く別なのである。

 独立時代は、結婚して一人前として認められることで、愛と知恵と勇気を使って、世のため、人のため、お国のために貢献しいく時代である。幸せを貰う立場に立つのではなく、幸せを与えて行く立場に変わることで、多くの人々を幸せにしていくのである。だから、精神的に独立できた男女が独身ていることは有り得ないし、結婚しても子供がいないということは有り得ないし、自分たち夫婦が産んだ子供が難病奇病に罹るということもないのだ。幾ら結婚したとしても、その夫婦が精神的に独立していなければ、明確にその異常が現れてくるものなのである。

 我々が出せる愛は、成長過程ごとに異なっている。従属時代では「渇愛」、自立時代では「出愛」、独立時代では「創愛」である。結婚してからは渇愛は問題になるけど、従属時代なら渇愛は問題にならない。子供は両親から愛を貰いまくることで成長していくからだ。自立時代では今まで貰った愛を出していくのである。これが出愛である。しかし、出愛は自分が蓄積した愛しか出せないので、それ以上の愛を出そうとすると、途端に渇愛を出してしまい、これがために自立時代は様々なトラブルを発生させるのである。

 創愛は自分の精神的自立を完成させた時から出て来る。大方は運命の人と出会うことで、大恋愛をして、今までの自分を捨てて、新たな自分を生み出していった時に創愛が出て来るものなのである。自分の心の壁がバキバキと音を立てて崩れ落ち、自分の心の中から無制限に愛が溢れ始めるのである。

●母親が変われば、子供の病気は治る

 言ってしまえば、難病奇病を抱える夫婦というのは、その夫婦の精神的自立を終えていないのである。結婚しているのに従属状態にあるために、渇愛を出してしまい、折角、自分がお腹を痛めて産んだ子を病魔の餌食にさせてしまっているのである。それゆえ、その夫婦が性根を変えて、精神的に独立して貰わねば、この難病奇病を治せないのである。

 じゃあ、その夫婦が再び恋愛をして精神的に独立できるのかといえば、そうではないのだ。その夫婦は心がこんがらがっており、もう恋愛をした所で、その心の歪みを取り除くことができないのだ。精神的に独立できない妻というものは、夫が何をしたとしても夫の行動を否定してくるし、精神的に独立していない夫というものは、自分の妻の心の歪みを正せるだけの力を持っていないのだ。

 だからこそ、夫婦以外の第三者が必要なのである。自分たち夫婦よりも精神レベルの高い人と出会って、自分たち夫婦の生き方の誤りを正して貰い、自分たち夫婦の心の壁をブチ壊して、創愛が出て来るようにして貰わねばならないのだ。人との出会いがなければ、この夫婦は精神的に独立できないのである。渇愛が止まらないのである。

 こういう場合、夫にではなく、妻に重点をかけねばならない。その妻が渇愛を出し続けている限り、子供の難病奇病は決して治らないからだ。不思議なことに、母親が心を入れ替えると、母親の邪念は打ち砕かれてしまい、子供の病気は呆気なく消えてしまうのだ。ということは、その難病奇病というのは、母親の歪んだ心が作り出した病だったのである。

 現代の人々は宗教に対して否定的だし、病気は医者が治せばいいのであって、宗教家は出て来るなと思っているものだ。しかし、この世にある病気で、医者が治せない病気があるという事実を知っておいた方がいい。その医者が最もがっくりきてしまうのは、自分が治せない病気を宗教家が治してしまった時なのである。

 宗教団体も既成宗教化し出すと、奇蹟を起こそうとしなくなるが、新興宗教団体では難病奇病を治すのは得意技なのである。要は宗教の力を使って、その夫婦を精神的に独立させてしまえば、その夫婦は渇愛を出さなくなるから、難病奇病は治ってしまうのである。この遣り方を習得した新興宗教団体は信者を多く獲得して発展していくし、それをせず、壺や印鑑を売りつけて、「これを買えば病気は治る!」といっている新興宗教団体は、遅かれ早かれ、様々なトラブルを起こして、消滅していくだけなのである。「新興宗教といえばカルト教団!」という短絡的な知識しか持たないからこそ、難病奇病の餌食になってしまうのである。

 難病奇病の子供を抱える夫婦は、まさか自分たち夫婦にその病気の原因があるとは思いもつかないものだ。しかし、結婚する前にきちんと精神的自立を終えていなければ、その悪魔のツケは自分の子供が犠牲になることで、支払われるものなのである。医者がお手上げの難病奇病なら、ベッドの横にへばりついていないで、自分自身を変えていくことである。自分が変わらなければ、自分が産んだ子供を助けることはできないのである。

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子供が難病になったら、断食をさせて治す ~小児癌と小児白血病の治し方~

●離乳食病が作り出す難病奇病

 人間の哺乳動物なのだから、生後2年以前に母乳以外の物を与えてしまえば、その乳児の体になんらかの異常が出て来て、病気になってしまうのは当然のことなのだ。乳児の内臓は母乳を消化吸収するようにできており、他の食べ物が入ってきてしまえば、予想外の事態に陥ってしまうのだ。

 人間の体は多少の無理が効くようにもできているので、母乳ではなくミルクを与えても、多少は対応できるし、生後2年以前に離乳食を与えても、多少はそれを処理する能力を持っているものだ。しかし、その無理が限度を超えてしまうと、死の病に取りつかれてしまうことになるのだ。

 離乳食病が作り出す病気で、難病奇病の最たる物が、「小児癌」であり、「小児白血病」である。これらの病気は、出生当時は健康に生まれたのに、その後の育児の仕方が悪かったからこそ、罹らなくてもいい病気に罹ってしまったのである。小児癌も小児白血病も、一人歩きをし出す前には発症してこない。一人歩きという、「2G」の重力を受け始めた途端に、発症してくるのである。体内に異常な抗原抗体反応が出て来てしまうために、血液がそれに耐えられなくなってしまったのだ。

 小児癌や小児白血病を発症した場合、母親は我が子を連れて病院に駆け込んでしまうものだが、現在の医療では小児癌にはお手上げ状態だし、小児白血病の完治率は非常に低いものとなっている。医者たちはどうしても抗癌剤を使って治療を開始してくるために、乳幼児の体力を最大限に奪ってしまい、癌や白血病によってではなく、医者が使った抗癌剤によって死に至らしめてしまうのだ。

 しかも、入院してしまえば、病院食で牛乳や小麦が出されてしまうので、そのために異常な抗原抗体反応が止まらなくなってしまい、益々病状が悪化していくことになるのだ。食べ物こそが、小児癌や小児白血病といった難病奇病を作り出しているということを、医者たちは全く解っていないのだ。

●「小児癌の原因」「小児白血病の原因」

 小児癌も小児白血病も、原因が解らなければ、本格的な治療を開始してはならないのだ。小児癌はその子供の体内で「癌遺伝子の発動」という事態が起こったからこそ小児癌が発症したのであり、小児白血病はその子供の体内で「白血病遺伝子の発動」という事態が起こったからこそ小児白血病が発症したのである。

 小児癌も小児白血病も遺伝子レベルの問題で発症してきているのだから、小児癌や小児白血病の症状に囚われて、馬鹿の一つ覚えの如くに抗癌剤を使用をすべきではないのだ。その癌遺伝子の発動や白血病遺伝子の発動を止めない限り、病状は益々進行していってしまうのである。

 では、なぜ癌遺伝子や白血病遺伝子が発動したのか? 小児癌を患う子供も、小児白血病を患う子供も、健康な体で産まれてきた筈である。出生後の育児のどこかで大失敗をやらかしてしまったったのだ。癌治療は白血病治療では、その病気の原因ではなく、その病気の誘因こそが大事で、そこが解れば小児癌や小児白血病を治していくことが可能になるのである。

①水道水の使用

 妊婦が妊娠中に水道水を飲んでいると、その水道水に含まれた塩素がビタミンを破壊してしまうので、胎児は決定的なビタミン不足に陥ってしまう。しかも、出生後にも水道水を使って作ったミルクを飲まされると、乳児の体内の腸内細菌が破壊されてしまい、これによって癌遺伝子や白血病遺伝子にスイッチが入ってしまうのである。

②電磁波被曝

 妊娠中にテレビやパソコンなどによって電磁波の被曝を受け続けていると、その赤ちゃんは後に癌遺伝子や白血病遺伝子にスイッチが入ってしまう。気をつけるべきは離乳食を作る際に電子レンジを使ってしまうと、その離乳食が電磁波によって死んだ食べ物になってしまい、しかも電磁波を大量に帯びた離乳食になっているので、その離乳食を食べ続けると、癌遺伝子や白血病遺伝子にスイッチが入ってしまうのである。

③喫煙者の存在

 タバコは最強の発癌性物質なので、妊婦や母親が吸うのは言語道断であるが、夫が吸っているだけでも非常に危険となる。副流煙の方がタバコの煙の量は多いものだし、しかもフィルター抜きでタバコの煙を吸ってしまうので、その煙が胎児や乳児を直撃してしまうのである。乳児がミルクを飲んでいる時、離乳食を食べている時に、側でタバコを吸っている人がいれば、その乳児がタバコの煙も一緒に食ってしまっているのだ。

④粉ミルクによる腸の汚れ

 粉ミルクを飲んで育ってしまうと、そのミルクがそのまま腸の壁を通り抜けてしまい、抗体を作ってしまい、それが異常なる抗原抗体反応を引き起こしてしまうのである。もう一つはミルクによって腸が汚れてしまい、そのために奇麗な水分を全身に供給することができなくなり、小児癌や小児白血病を発症してしまうのだ。特に脳は最も奇麗な水分を必要とするので、小児癌は大抵が脳腫瘍という形で現れてくるのだ。

⑤早すぎる離乳食

 生後2年を過ぎないと、人間の赤ちゃんは母乳以外の食べ物を食べることができないので、早くに離乳食を開始してしまうと、様々なアレルギー症状が出始めることになる。しかも人間は生き続ける以上、食事をし続けざるをえないので、そのアレルギー反応が止まらなくなってしまい、小児癌や小児白血病を発症してきてしまうのだ。幼児期の食事こそが難病を作り出しているのだ。

●難病を治したければ、宿便排出断食

 小児癌も小児白血病も抗癌剤では治らない。その患者の異常なる抗原抗体反応を止めない限り、死ぬまで死の病に苦しまされ続けるのだ。それゆえ、まずはその異常なる抗原抗体反応を止めることが必要なのである。そのためには宿便排出断食しかないのだ。宿便を出してしまえば、腸内はクリーンになり、異常なる抗原抗体反応は停止するのである

 断食は母子ともに行うことだ。いくら小児癌や小児白血病とはいえ、自分だけが断食を強いられ、母親が飯を食っていたら、その子供は隠れて飯を食い出すものなのだ。母親と子供が一緒にやるからこそ、その真剣さが伝わって、子供も真剣に宿便排出断食をしようと仕出すのだ。

 宿便排出断食では、何も食べることなく、午前中に水を飲んで排便を促していくのだ。水を大量に飲むと塩分が不足するので、天日塩は少々舐めてもいい。とにかく排便を優先させ、ウンコをしまくるのだ。ただ、そうはいっても育ち盛りゆえにお腹がすくので、その際は寒天を食べさせればいい。これなら子供も騒がなくなるのだ。

 宿便は子供の宿便の出る方が早く、最短で3日で出て来る。宿便は通常のウンコとは違い、黒いタール状のウンコで、洗面器一杯ぐらいの量が出て来るのだ。何も食べていないのに、なんでこんな大量にウンコが出て来るのか、殆どの人たちが驚くものだ。これがお腹の中に入っていたからこそ、小児癌も小児白血病も発症してきたのである。

 宿便は1回で終わることがなく、その後、何度も出て来る。必ず宿便を出した翌日まで断食を続けることだ。母親の方は宿便が出るのが遅く、最長で20日かかることもある。ただ、自分の子供が宿便を出してしまうと、それに釣られて自分も宿便を出してしまうことがあるので、とにかくその場の勢いを巧く利用することだ。病気の治療をしているのは、自分の子供なのだから、自分は宿便を出さなくていいと思ってはならない。これは自分が実際に体験してみないと、解らないことなのだ。

●宿便後の食事に気をつけろ

 宿便が出たら、大抵の難病奇病は治せる。いかなる治療を施そうとも、宿便こそが最大の障壁となって現れてくるからだ。それゆえ宿便を取り除いてしまえば、小児癌も小児白血病も治っていくのだ。その後は食事を使って、巧く体力を回復させ、自分の体を健康な体に作り変えてしけばいい。

 その前に、まず知っておくべきことは、「血液は葉緑素と鉄分の組み合わせでできている」ということだ。葉緑素の分子配列とそこに鉄分の原子を組み合わせると、理論上、血液が出来上がってしまうということだ。だから、野菜と鉄分を大量に取れば、大量の血液を作ることができ、小児癌も小児白血病も完治させることができるということだ。

 小児癌も小児白血病もそれが完治するまで、朝食抜きで1日2食制にすることだ。朝は排泄の時間帯なので、水を大量に飲んで排便をしまくることだ。最低でも1日2回の排便をし、できればそれ以上の排便をすることだ。午前中は体を動かして、体温を上昇させ、血流を良くしまくることだ。

 食事は「押麦入り玄米食」と「味噌汁」を基本とし、それに「野菜料理」を大量に出していけばいい。糠漬けや納豆などの発酵食品や、木の実や豆を使った料理は必ず出すようにすることだ。動物性蛋白質と動物性脂肪は原則として禁止し、週に1回だけ、魚料理を食べてればいい。離乳食病を引き起こしている牛乳は当然に禁止である。

 古代ギリシャの名医ヒポクラテスは言う。「食べ物で治せない病気はない。もしも食べ物で治せないのなら、医者でも治せない」と。母親の立場にある者が、我が子を小児癌や小児白血病に追いやっているのなら、それはその母親が作った料理に問題があったということなのである。我が子を食べ物で死の病に罹らせたのなら、食べ物で我が子の死の病も治せるということでもあるのだ。いくら小児癌や小児白血病になったとはいえ、これらの病気を完治できない医者に頼らないことだ。医者は幼い患者が死んでも、悲しまないし涙を流さないものだ。我が子が死ねば、一番悲しみ、一番涙を流すのは、母親であるということを絶対に忘れないことだ。我が子の命は、どんなことがあっても母親が自分の手で守るべきなのである。

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子供には白砂糖を食べさせるな

●オヤツは1日2回まで

 幼児に正式な食事が始まった後に、1日3回の食事を取っているにも拘わらず、オヤツを要求し出してくるのだ。人間の血糖値は、食事をした後には急上昇するが、その2時間後には下がって行き、蛋白質や脂肪の消化吸収を開始してくるのだが、まさにこの変わり目にお腹がすいてしまい、オヤツを要求し出してくるのだ。幼児の反応は本当に正確な反応を示しているといっていい。

 成長期の終わった大人がオヤツを食べると確実に太ってしまう。オヤツによって再び血糖値が上昇するので、蛋白質や脂肪の消化吸収が後回しにされてしまうからだ。自分がいつまでも美しい体でいたいのなら、まずはオヤツを抜いて、食事は食事の時だけで済ましてしまう生活を心掛けるべきなのだ。

 しかし、幼児にオヤツを与えても決して太らず、それどころか体がオヤツを消化吸収してしまい、成長に寄与することになるのだ。だからこそ、幼児は成オヤツを欲しがってくるのだ。もしも幼児にオヤツを与えるなら、1日2回と限定した方がいい。午前10時と、午後3時の2回だけにしておくのだ。それ以外でダラダラとオヤツを食べさせしてしまえば、それは幼児としても多過ぎなのだ。

 オヤツを与える時は、必ず母親と一緒に食べることを定めておくことだ。オヤツの時間に話をしてしまい、情報を収集していくのだ。幼児に一人でオヤツを食べさせてしまうと、幼児は無制限にオヤツを食べてしまい、そうなると今度は食事になっても血糖値が下がらないので、食事を余り食べなくなってしまうのだ。

 新米ママにとっては、この幼児と一緒にオヤツを食べる習慣こそ、自分を肥満にさせる最大の原因であると知っておいた方がいい。大抵の母親は、このオヤツを食べ始めることで太ってしまうのだ。だから、オヤツは幼児にとっても美味しく食べられ、自分が食べても太らないようなオヤツを作るようにしていくことだ。

●木の実がベスト

 幼児にとって健康に寄与し、母親が食べても太らないオヤツは、「木の実」である。木の実は血糖値をそれほど上げないくせに、歯ごたえが充分なので、オヤツを食べた満足感が出て来るのだ。しかも、木の実の栄養成分は非常に優れているので、木の実をオヤツに食べされば、成長にも寄与することになるのだ。

 母親にとって木の実は、いくら食べても太らないという最大の利点がある。これは木の実が栄養豊富なのに、血糖値を上げないからであって、蛋白質や脂肪の消化吸収を妨げないからなのだ。しかも植物性脂肪が充分に含まれているために、お肌に潤いが生じてくるのだ。

 和食では木の実を殆ど食べていない。縄文時代では木の実をちゃんと食べていたのに、弥生時代が始まると木の実を食べなくなってしまったのだ。稲作を遣り過ぎてしまったために、穀物中心の食事へと変わっていってしまったのだ。このため、和食だけを食べていると、決定的な木の実不足になってしまうので、意図的に木の実を食べるようにしていくことだ。

 木の実はスーパーなどで買うと非常に高価になってしまうので、問屋に行くなり、専門店に行くなりして、木の実を大量に買い込んでおくことだ。木の実は長期保存が効くので、親子でオヤツのたびにポリポリと食べておくことだ。また、たまには木の実を使ったお菓子を作ってみて、変化をに富ますようにしていくことだ。

 幼児に木の実をたべさせると、とにかく食べ物を噛む習慣が身につくのだ。それほど通常の食事は柔らかい物ばかりで、顎を鍛えているわけではないのだ。幼児の頃から木の実を食べさせておくと、しっかりとした顎ができあがるので、虫歯にならないし、頭蓋骨も発達して、脳が大きくなり、知能も高くなるのだ。幼児向けのオヤツで木の実以上に優れたオヤツはないといっていいくらいなのだ。

●白砂糖を使ったお菓子を食べさせるな

 いくら木の実がオヤツとして素晴らしいからといって、いつも木の実ばかりを出していくわけにはいかない。そのうち幼児の方が飽きてしまい、木の実を有難がって食べなくなってしまうからだ。それゆえ、たまには小麦を使ったお菓子を作って出せばいいのだ。あくまでもたまにである。

 小麦を使ったお菓子は血糖値をあげてしまうので、大量に食べさせたら、蛋白質や脂肪の消化吸収に遅れが生じてしまうのだ。それゆえ、小麦でお菓子を作る際は、少な目に作り、絶対に白砂糖を使わないことだ。白砂糖は血糖値を上げ過ぎてしまい、幼児に異常行動を取らせてしまうことになるのだ。

 自分の子供を頭のいい子に育て上げたいのであるならば、子供に白砂糖を絶対に与えないことだ。白砂糖は人間が作り出した食品の中で、最も純度が高い純粋物だからだ。白砂糖は糖分の塊ゆえにすぐさまエネルギーに変わってくれるという利点を持つが、そのために体内のビタミンやミネラルを大量に奪ってしまい、そのためにビタミンやミネラルが決定的に不足してしまうことになり、脳の機能が衰えてしまうのだ。白砂糖を食べると、確実に馬鹿になると思っておいた方がいい。白砂糖を食べ続けると、非常に感情が激しくなり、キレ易くなり、そして頭の中が真っ白になってしまい、勉強どころではなくなってしまうのだ。

 昭和憲法体制下の幼児や小学生や中高生の異常行動は、その殆どが白砂糖を食べていることに起因しているといっていいのだ。白砂糖を食べ続けていれば、誰であろうとも感情を制御できなくなってしまい、すぐにキレるようになり、いくらでも犯罪を犯してしまうようになるのだ。麻薬が人間にとって悪い物であるように、白砂糖も人間にとって悪い物であるのだ。

 お菓子を作る時は、必ず「黒砂糖」や「蜂蜜や「メイフルシロップ」を使うようにすることだ。これらの甘味料には糖分だけでなく、ビタミンやミネラルがちゃんと含まれているがゆえに、健康を害さないし、知能を高くさせていくことができるのである。しかも味がまろやかになるので、白砂糖を使ったお菓子のように、ただ甘いだけということにはならなくなるのだ。

●たまにはオヤツ抜きも必要

 いつも幼児の要望に対してオヤツを出していれば、幼児は忍耐力の弱い子供に育ってしまう。幼児の忍耐力を鍛えるためにも、たまにはオヤツ抜きが必要であって、オヤツを抜かすことで空腹を覚えさせるのだ。幼児といえども空腹になれば、その空腹を耐えなければならなくなるので、忍耐力が付き始めるのである。

 豊かな国の人たちになぜ忍耐力が失われてしまうかというと、それは食事過剰になっているからなのだ。食事過剰になってしまえば、体は四六時中、消化吸収に追われることになってしまい、内臓が勤続疲労を起こしてしまい、常に疲れきった状態になってしまうのだ。その中でも副腎が衰えてしまうと、副腎皮質ホルモンが分泌されなくなり、ストレスに対抗していくことができなくなってしまうのだ。

 幼児といえども、1日3度の食事を食べ、1日2回のオヤツを食べ続けてしまえば、副腎が衰えてしまい、忍耐力のない子供になってしまうのだ。何をやらして集中力が続かないし、中途半端に物事を放り投げ、何に対しても諦めモードになってしまうのだ。母親がオヤツを与え過ぎてしまったばっかりに、子供らしくない子供に育っていってしまうのである。

 また、幼児にオヤツを無制限に認めておくと、好き嫌いの激しい子供になるのだ。これはオヤツによって血糖値が下がらないためであるのと、副腎の機能低下によって嫌いな物でも食べるという忍耐力が失われてしまったからなのだ。子供の好き嫌いをなくすためにも、たまにはオヤツ抜きで幼児の副腎を鍛えておくことだ。

 自宅にいればオヤツを要求されるので、親子でハイキングにでも行って、歩き続けてしまえばいいのだ。運動していればお腹がすかなくなり、しかも肝臓からグルコーゲンが放出され、更には脂肪が燃焼し始めるので、そのエネルギーで充分に活動できるのである。こうなると幼児もオヤツを請求することなく、副腎を鍛えることができるのである。これだけ運動すれば、夕食時にはお腹がペコペコになるので、好き嫌いをすることなくなんでも食べてくれるようになるのだ。

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なんで幼児は飲み物を欲しがるのか?

●飲み物を欲しがる幼児たち

 離乳食が始まり、正式な食事へと移っていくと、幼児は矢鱈に飲み物を欲しがり出すのだ。自分専用のコップを持って、母親に飲み物を要求してくるのだ。幼児が飲み物を欲しがることを当たり前と思ってはならない。母親の方はもう過剰な水分を必要としなくなっている年齢であって、逆に幼児は過剰な水分を必要としている年齢であるのだ。

 人間の70%は水分でできているために、幼児のように日々成長している者にとっては、大量の水分が必要となる。過剰な水分を取ったとしても、それを肉体の成長に回せるし、体内の循環もいいために汗や尿として排出できるのだ。これは成長期が終わる19歳まで続くのであって、人間の子供はかなり多くの水分を飲み続けることで大きくなっていくのだ。

 ところが、成長期が終わってしまえば、もう大量の水分を必要としなくなる。それなのに、今までの大量の水分を摂取してきたために、その習慣が止まらなくなってしまい、体には不必要なのに大量の水分を飲み続けてしまうのだ。清涼飲料水やミネラルウォーターやお酒をガブ飲みし出すのである。これがために水分過剰となって、体が冷えてしまい、その冷えた体を温めるために大量の食事を食べてしまい、徐々に太り出し、病気の温床になっていくのである。

 女性なら20代後半でもう贅肉が付き始めるし、男性なら30代後半を過ぎれば贅肉が付き始める。この男女差は、女性の方が早くに成長期が始まることと、男性の方が筋肉量が多いために、その筋肉によって過剰な水分を吸収してくれるからなのだ。男女共に肥満になってしまえば、体の機能が低下してしまうために、様々な病気をするようになってしまうのだ。

 どんなに太っている女性でも、食事以外での飲水を禁止してしまうと、大抵が体重を落としてくる。肥満というと、脂肪を目の仇にしてしまうのだが、実は体内の過剰な水分を減らしさえすれば、簡単に体重を落とすことができるのである。それほど、過剰な水分というものは、体を重たくさせてしまうのである。

●水を飲ませるな

 母親の方はもう過剰な水分を必要としなくなっているために、幼児が水分を要求し出すの驚いてしまうが、かといって、幼児の要求するままに適当に水分を与えてはならないのだ。特に、「水」そのものを与えて飲ませないことだ。水を与えてしまうと、幼児の体は機能を低下させてしまうことになるのだ。

 人間は本来「果実食動物」なので、水が飲めない生き物なのだ。だから、幼児に水を与えてしまうと、途端に動きの悪い幼児になってしまうのだ。水は朝の排便を促す時だけに使用すべきであって、それ以外では要らないのだ。この原則としての「水そのものを飲ませてはならない」ということを知っているだけで、自分の子供を有り得ないような健康な子供に育て上げることが可能になってくるのだ。

 幼児に水を飲ませてしまうと、体内でナトリウムが薄くなってしまい、その影響を受けて、神経や筋肉の機能が低下し、疲労し易いようになってしまうのだ。この悲惨な状況を脱すために、小便をして体内の過剰な水分を排出するまで待たねばならず、小便をして体がナトリウムバランスを回復すると、正常な動きをするようになる。だが、水を飲むことになれてしまうと、体が冷えてしまうので、どうしての頭も体も正常に動かなくなってしまうのだ。

 いつも水を欲しがっている幼児が無闇に病気をしているのなら、まずは水の摂取そのものをやめることだ。幼児はまだ身長が低いので、水を取ってあげるのは、母親がやっていることだからだ。母親さえ、水の危険性について解っていれば、水によってナトリウムバランスを崩すことながなくなるので、病気をしなくなるのだ。

 今まで水を与え過ぎてしまい、自分の子供の動きがどうも鈍いと言うなら、運動をさせるなり、風呂で汗をかかせるなりして、過剰な水分をなくさせてしまうことだ。過剰な水分をなくさせさえすれば、自分の子供は有り得ないような利発な子供になり、健康そのものになっていくのだ。

●果物や野菜を大量に食べさせよ

 幼児に水そのものを与えないとするなら、では一体何を飲ましたらいいのかといえば、それは「果物」であり、「野菜」である。果物や野菜の中に含まれている酵素水分こそ、成長している幼児には必要な水分であって、これが大量にあれば、順調に成長していくことがかのうになるからだ。

 朝食時や昼食時にフルーツジュースや野菜ジュースを作って飲ましてしまえば、幼児はその後、余り水分を欲しがらなくなるのだ。要は食事の際にきちんと酵素水分を摂取していないからこそ、食事以外の時に水分を要求してくるのである。まずは食事の際にきちんと酵素水分を与えていくことだ。

 野菜嫌いで困っているなら、野菜ジュースを巧い具合に作ってしまうことだ。こうすると幼児は野菜嫌いであったとしても、きちんと野菜を飲んでくれるようになるのだ。野菜嫌いの幼児はビタミンが不足しているので、そのままにしておくと病気し易くなるし、最悪の場合は白血病になってしまうので、絶対に放置しておかないことだ。

 幼児も運動をして汗を大量にかけば、水分補給が必要となる。その時は、「蜂蜜レモン水」や「蜂蜜カボス水」を作ってあげればいいのだ。蜂蜜レモン水は、水にレモン汁を入れて、そこに蜂蜜を落として掻き回せば出来上がりだ。蜂蜜カボス水は、水にカボス汁を入れて、そこに蜂蜜を落として掻き回せば出来上がりだ。レモン汁やカボス汁が疲労物質を除去してくれるし、蜂蜜の糖分で低下した血糖値を元に戻してくれるのだ。

 幼児は体内の循環がいいために、酵素水分をきちんと取らしていくと、お肌がピカピカになってくる。体の全細胞に充分な酸素と栄養が補給されているために、病気にならないし、超健康体になってくれるのだ。たとえ、病気に罹っても、その病気からの回復が他の子たちよりも早くなり、病気を悪化させずに済むようになるのである。

●健康にいい飲み物

 果物や野菜以外で、健康にいい飲み物には、「味噌汁」がある。味噌汁は味噌は発酵食品なので、ビタミンやミネラルを効率よく消化吸収していくことができるのである。食事の際に味噌汁を出す時は、大きなお椀についで、多目に出しておくことだ。食事の際に味噌汁を大量に飲ましておけば、食事外でそれほど頻繁に水分を欲しがらなくなるのだ。

 牛乳を出すなら、「ヨーグルト」を出した方がいい。幼児の中には乳性蛋白を分解できない子供もいるので、ヨーグルトにしてその乳性蛋白を分解しておけば、下痢をしなくて済むようになるのだ。牛乳は人間が飲む飲み物の中で最も体を冷やすので、幼児に牛乳を飲まし続けていると、忍耐力がなくなってしまい、非常にキレ易い子供になってしまうのだ。自宅でヨーグルトを作り、それを常温で出せば、そういう牛乳の悪影響がなくなるのである。しかも、ヨーグルトは腸での滞留時間が長いために、最も多くのカルシウムを吸収することができるようになり、自分の子供の身長を高くすることが可能になるのだ。

 もしも、食事以外で飲み物を要求されたのなら、「カフェインの入っていないお茶」を出せばいい。例えば「麦茶」「鳩麦茶」などを出せばいい。麦茶は暑い夏には持って来いのお茶で、麦茶を飲むことで迅速に水分補給が可能になるのだ。麦茶はパックの物を買ってくるのではなく、焦がした麦を買ってくるべきであって、朝の内に麦茶を作ってしまい、それを日中に飲めばいいのだ。

 鳩麦茶は別名「イボコロリ」。自分の子供にイボが出来たら、鳩麦茶を飲まし続ければいい。子供は本当にイボが出来易いので、子供にイボができたら、すぐさま鳩麦茶を飲ましてイボを取ってしまうことだ。鳩麦茶はお肌のトラブルを解消してくれるので、お肌のトラブルに見舞われたら、鳩麦茶を飲ませばいい。女の子の場合、ソバカスができた時には鳩麦茶を飲ませば、ソバカスを除去していくことができる。

 カフェイン入りのお茶は、カフェインがビタミンやミネラルを奪ってしまうので、成長していく幼児には不適格なのだ。夫婦でカフェイン入りのお茶を飲んでいても、絶対に自分の子供にはカフェイン入りのお茶を飲まさせないことだ。子供の頃から珈琲を飲んでいたら、身長は低くなるし、病気し易くなるし、精神的に異常な子供になってしまうのだ。

 幼児に飲み物を与える時は、飲み物は冷やさないことだ。常温で飲み物を出しておけば、お腹を冷やさなくなるので、風邪をひく確率が激減するのである。幼児が風邪をひいてくれなければ、他の病気に罹る率も下がるので、育児が非常に楽になるのだ。幼児に水分補給させる時は、過剰な水分や冷たい水分というものが、病気と密接な関係にあるということを絶対に忘れないことだ。

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離乳食のメニューは記録しておく

●食事を記録しておくと、料理が楽になる

 新米ママがブクブクと太り出すのは、離乳食を開始してからと見ていい。幼児が母乳を飲まなくなったので、体重が減らなくなるのだ。しかも、幼児の離乳食を食べる姿に釣られて、自分もかなりの量の食事を食べてしまうようになるからだ。その上、第二子を妊娠しようものなら、妊娠によってお腹が大きくなってしまい、自分が太り始めているということすら解らなくなってしまう。この一連の罠に嵌るからこそ、多くの既婚女性は太って行ってしまうのである。

 赤ちゃんを産むことによって、自分が母親らし体形になることは必要性があっても、肥満になる必要性などどこにもない。肥満になれば、食事の量も増えるし、洋服代が高くなるし、動きが鈍くなって行動範囲が狭まってしまう。肥満になっても碌なことがないのだ。母親になったからこそ、少しは筋肉がついたとしても、引き締まった体でいることだ。

 体を引き締めるためには、運動することも大事であるが、とにかく食事を管理していくことだ。肥満を防止したければ、毎日の食事を記録していけばいい。この簡単なことをするだけで、人間は肥満にはならなくなる。人間はただ単に食事をしていると、大量に食べてしまうが、食事を記録しながら食べると、適正な量しか食べなくなるし、かなり多目に食べてもそれほど太らなくなるのだ。記録するということで頭を使っているので、常に余分なエネルギーが頭に回り、そのために贅肉がつかなくなるのだ。

 母親が食事を記録してくれるということは、幼児にとっても嬉しいことになる。離乳食がワンパターンにならなくなるのだ。初期の離乳食は離乳食のために離乳食を作るものだが、離乳食に慣れてくれば、夫婦の食事の余り物で離乳食を作ることになる。このため、離乳食はワンパターン化していき、幼児の方も食事をすることにだれてきてしまうのだ。

 そこを新米ママが離乳食のメニューを記録していくと、離乳食に何を出したか一目瞭然となり、離乳食にバリエーションを持たせようとし出すのだ。離乳食というものは、不思議なもので、メニューを記録していくと、離乳食を作る際にネタに困らなくなり、しかも作ってみると、幼児の方もきちんと食べてくれるようになるのだ。

●幼児の好き嫌いが明確に解るようになる

 離乳食のメニューをつけてしまうと、幼児の好き嫌いが明確になるのだ。幼児も人の子だから、好き嫌いがあり、或る物に関してはきちんと食べてくれるのに、或る物に関してはなかなか食べてくれなかったりする。この情報は物凄く貴重なのに、記録しなければ、育児に追われてしまい、その生活の中で忘却していってしまうのだ。

 幼児が好きな物を出していけば、きちんと食べてくれるのだから、まずはこの好きな食べ物を多くしていくべきなのである。そして嫌いな食べ物には何かしかしらの改善策を施して、食べさせるように仕向けていけばいいのだ。幼児が嫌いだと言っているのに、前のと同じような料理の仕方で出せば、食事の際に悪戦苦闘するのは当然なのだ。

 食事のメニューを記録していくという習慣は、離乳食が終わり、正式な食事は始まると、食事と病気との因果関係が明白になるのだ。幼児は満2歳を過ぎると、病気しにくくなるものだが、それでも幼児は病気をする。幼児が病気になるのは、食事で余りにもビタミンやミネラルが不足した時なのである。

 例えば、「カレーライス」。カレーは煮込んで作るために、野菜を多目に入れても、ビタミンが破壊され易くなってしまう。そのためカレーライスは幼児にとって好物なのに、風邪をひきだす幼児も出てくるのだ。だから、カレーライスを出す時は、カレーライスを単品で出すのではなく、ドレッシングをかけたサラダを必ず出すようにすることだ。

 もしも幼児が病気をしたのなら、病気の対応に追われるのではなく、料理のメニューを読み返してみて、病気を引き起こした料理を見つけ出すようにすることだ。栄養バランスの悪い食事を出し続けていると、幼児はすぐに病気をしてくるものなのである。我が子が病気をしたのなら、自分の作っている料理に改善を施すことは絶対に必要なことなのだ。

●新米ママ自体が肥満にならなくなる

 幼児の離乳食が始まり、そして正式な食事に移行していくと、毎日料理を作らざるを得なくなるので、料理を作っている新米ママの方が、勤続疲労を起こしてしまい、料理をだらけた形で作ってきてしまうのだ。そのため、栄養バランスは滅茶苦茶で、それだけ偏ったs料理を食べていれば、幼児の心もおかしくなってしまい、母親の手を焼かす子供に成長していってしまうのだ。

 料理は漠然と作ること勿れ。頭を使って楽しみながら作るべきなのである。そのためにこそ料理のメニューが必要なんであって、そのメニューを見てしまえば、今日はあれを作ろうというのが、不思議に浮かんでくるものなのだ。料理というものは、料理のメニューがなければ、場当たり的にやってしまうものなのである。

 脳は体の全エネルギーの20%もの量を消費するので、料理といえども、頭を使いながら料理をすると、料理をしている最中にかなりのエネルギーを消費してくれるのである。頭を使わずに、食事の時間が来たからという理由で料理を作っていると、それほど脳はエネルギーを消費してくれないので、どうしても太ってしまうのである。

 新米ママは我が子が料理を食べてくれるだけで嬉しいので、遂々自分の体のことを忘れてしまうものなのだ。妻がぶくぶくと太っていっても、夫は何も指摘しないものなのだ。敢えて夫婦喧嘩の原因になるような発言をする夫などこの世にはいないものだ。そのため、誰の指摘を受けることなく、贅肉が徐々に付き始めるのである。

 料理のメニューを記録する習慣があれば、テレビの料理番組を見ていて、気に行った料理があれば、すぐにメモすることができるのだ。そのメモを見て、新たな料理に挑戦すれば、料理が巧くなっていくものなのである。しかし、料理のメニューをつける習慣のない母親は、幾ら料理番組で料理が紹介されても、それを見ているだけで終わってしまうのである。だから、いつまで経っても料理の腕が上がらないのだ。

●二人目以降の離乳食が自然体で行えるようになる

 第一子の際に、離乳食のメニューを記録しておくと、第二子目以降の離乳食のメニューに困らなくなるのだ。離乳食に情熱を燃やすのは、第一子の時だけと見ていいのだ。第二子はドタバタの中で離乳食を与えねばならないし、第三子に至ってはいつの間にかに離乳食を食べているものなのだ。

 第一子の離乳食で悪戦苦闘したのなら、第二子以降の離乳食はスムーズに行くものなのである。既に上の子が正式な食事を食べているので、下の子も離乳食をすんなりと食べてくれるようになるのだ。それゆえ、第一子の際に離乳食をきちん習得しておかないと、第二子以降の離乳食は滅茶苦茶になってしまうものなのである。

 そうやって第三子まで来ると、離乳食は簡単なものになってしまい、母親がささっと離乳食を手早く作ってしまうのである。離乳食がどうたらこうだらと言ってくるのは、大抵が子供が1人か2人しかいない母親たちだ。恐らく離乳食の回数が少なかったために、離乳食をきちんと習得できなかったのであろう。

 この世には新米ママ向けに離乳食専用の料理本とかが出版されてているのだ。「こんな本、売れるのかな?」と思っていても、この料理本を買っていく新米ママがいるものなのだ。非常に驚きの光景である。矢張り、最初の子供なら不安になってしまうのだろう。だが、その離乳食専用の料理本を見てみると、結構、出鱈目なことが書かれているものなのである。幾らでも改善の余地はあるのだ。

 商才のある母親なら、自分が記録していた料理のメニューを基に、離乳食専用の料理本を作ってしまえばいいのだ。離乳食のことなんて、学者が書く本よりも、実際に育児をしてきた母親たちの方が良く知っているものなのである。育児をする時は、漠然と育児をしていくきではないのだ。記録しながら育児をしていくことだ。その記録した物が、後にビジネスチャンスを生み出し、巨万の富に変わっていくかもしれないのだ。

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幼児の最大の試練:「ウンチの大移動」

●乳児のウンチは食後、幼児のウンチは朝

 ありとあらゆる動物は食べ物を変えることで進化してきた。このことは人間といえども例外ではない。人間も食べ物を変えれば、進化せざるをえなくなってくる。乳児は母親の母乳を食べ物にしていたのに、幼児になると離乳食を食べさせられ、通常の食事を食べるようになっていく。幼児には最大級の進化の試練を受けることになるのである。我々大人ですら、このような過酷な試練を受けたことはないのである。

 何がどう進化していくのか? それは母乳から離乳食への移行に伴って、内臓を進化せさざるをえなくなるということなのである。通常、離乳食を食べさせると、幼児のウンチは臭くなるものだ。母乳を与えていた時はウンチは臭くないのに、離乳食を食べさせた途端に、ウンチが臭くなり始めるのだ。これは内臓がまだ充分な消化吸収機能を持っていないために、胃腸内で異常発酵が起こってしまい、どうしてもウンチが臭くなってしまうのである。まだ充分に消化吸収しきれていないといいことは、ウンチが流動形ではなく、固形物になるということなのである。乳児に離乳食を食べさせると、途端にウンチがウンチらしいウンチになるのである。

 もう一つは離乳食、そして通常の食事に移行することによって、高エネルギーを得たことによる知能の発達と行動範囲の拡大が起こるのである。玄米と大豆のコンビを食べると知能が高くなるし、小麦とヨーグルトのコンビを食べても知能が高くなる。通常の食事の開始は、幼児の脳の発達の時期にピタリと重なってしまうために、この時期に良質の穀物を食べさせておくと、高い知能を持った人間を作ることができるのである。それと母乳では比較にならないほどの高エネルギーを得ているのだから、行動範囲が広がって、より活動的な人間に育てていくことが可能になるのである。

 第三の変化は排泄時間の大移動である。通常、乳児は母乳を飲み終えた後にウンチをする。これはどの動物でも同じ現象を取る。しかし、幼児に離乳食を与え、正式な食事に変えていくと、幼児は朝の時間帯に排泄するようになり、食事をしたらウンチをするということがなくなっていくのだ。

 ここで「あっそうか!」と気付いた新米ママは頭がいい女性である。少なくとも昼以降排泄しなくなり、そのため睡眠中も排泄しないので、食べ物を内臓の中に仕舞っておくことが可能になるのである。そのためより多くの栄養を吸収できるので、人間の知能は他の動物とは比較にならないぐらいに高いし、行動量も他の動物とは比較にならない多くなるのである。

●朝は排泄の時間

 普通、どの動物も、餌を取った場所と、排泄をする場所は、同じ場所か、近接した場所である。ところが、人間の排泄の時間が朝であるということは、人間は食べ物を取った場所では排泄をしないということなのである。これには我々人類の進化の歴史が我々の体の中に刻まれているからなのである。

 太古の昔、男女が平等に共同して労働をするということはなかった。その集落の男性たちは男性たちだけで集まり、男性たちだけで狩猟に出かけ 女性たちは女性たちだけで集まり、女性たちだけで採集に出かけた。これが狩猟採集経済なのである。人間の平等性なんてどこにもないし、原始共産制というものなどどこにもないのだ。

 男性の狩猟も女性の採集も大抵は午前中で終わった。男性の狩猟は成功することは稀で、失敗することの方が多かった。それに対して女性は木の実や野草や芋を掘り出してくるので、その収穫の時期であるならば、失敗することがなかった。当時は1日2食で、昼食に女性たちが取ってきた物を食べ、夕食に男性たちが取ってきた物を食べた。

 食べ物の量は平等に分配されるのではなく、集落のリーダーが最も多く食べ、その次に狩猟に出かけた男性たち、そして採集に出かけた女性たち、残りを子供たちが食べ、病人には大した量の食事が行き渡らなかった。このため食料不足になると、病人は切り捨てられ、子供たちもバタバタ死んでいくことになった。この習慣は今でもアフリカの原住民たちは持っており、だからこそ飢饉になると凄まじい量の餓死者を出してしまうのである。飢饉で病人や子供たちが死んでいっても、大人の男性たちは食べ物を多く食べてしまうのだ。これが飢饉に対する人口調整なのである。そうやって人間の数が増えないように制御してきたのである。

 通常の狩猟採集経済であるならば、食事をした途端に排泄をする筈である。それなのに食事をしても排泄をしないというのは、その狩猟採集経済が定住しながら狩猟や採集をしていたのではなく、住居を移動し続けながら狩猟や採集をしていたということなのである。人間の体自体を長距離移動が可能な体に変えることで、より多くの獲物を求めることができ、だからこそ人類は全世界に広まっていくことができたのである。

 幼児はこの人類の進化の歴史が体に出て来て、朝に排泄時間を大移動させてくるのである。この排泄時間の大移動を軽視してはならない。幼児が朝のうちにウンチをするというのは、大変なことであり、ウンチには大変苦労するのである。幼児が朝のうちにウンチをしてしまえば、健康な子供に育っていくし、幼児が朝のうちにウンチができなければ、その幼児は老廃物や毒素を溜め込むことによって病気がちな子供になってしまうのである。

 だからこそ、母親の排便も大事なのである。母親が朝の時間帯にきちんとウンコをしていれば、幼児も母親の行動を見習って、ウンチをしようとするのだ。しかし、母親が便秘気味だと幼児は母親の行動を真似することができず、幼児も排泄が乱れてしまったり、便秘になってしまったりするのだ。

●離乳食は昼食からスタートすべき

 幼児の排泄時間が朝に大移動しているというのなら、排泄しようとしている朝の時間帯に食事などすべきではないのだ。食事は排泄を阻害してしまうので、幼児に朝食を食べさせれば、幼児は朝の時間帯に排泄をするチャンスを失ってしまうのだ。排泄が乱れている幼児に限って、朝食を食べているものなのである。

 殆どの新米ママたちは離乳食をいきなり朝食から始めてしまうものだが、離乳食というのは昼食からスタートすべきなのである。幼児には午前10時以前には食事を与えないことだ。とにかく幼児には朝のウンチをしてもらい、そのウンチを見届けた後に母乳でも与えていけばいいのだ。離乳食はお腹がすいた昼時でいいのであり、昼食に離乳食を出せば、幼児は好き嫌いを言うことなく、食べてくれるようになるのだ。

 離乳食といっても、幼児はいきなり慣れるわけではないので、当分の間は離乳食は昼食だけでいいのだ。他は母乳を与えていけばいいのだ。こうすれば幼児としても1日1回しか離乳食を与えられないので、離乳食を食べることによる内臓の変化を、時間をかけて行えることができ、胃腸内の異常発酵を起こさずに、内臓の変化を行えることができるようになるのである。

 昼食の場合だと、平日は母子二人の食事になってしまうので、まずは母親から食事をしていくべきなのである。幼児は涎を垂らしながら母親の食事の風景を見ることで、食欲を湧かして、母親が食べ終わった後に、離乳食を出されると、勢いよく食べ始めるのである。離乳食を食べさせるのが面倒だからと言って、先に幼児に離乳食を食べさせてしまうと、幼児は離乳食を食べないものなのである。

 離乳食の時期になると、離乳食のことばかりに頭が一杯になってしまうものだが、幼児のウンチの変化をきちんと見ておくことなのである。朝に何も食べずにウンチをしてくれたら、その幼児は健康に育っているのである。そうしたら離乳食の量や回数を増やしていけばいいのであって、朝にきちんとウンチができなければ、離乳食に変化をもたらしてはならないのである。

●離乳食は1日2食が基本

 幼児は朝に排泄をするというのが慣れていないために、離乳食は1日2食が基本なのである。朝の時間に離乳食を与える必要性はないのだ。幼児には朝に朝食を食べるよりも、朝の排泄をきちんと行って貰う方が先なのである。離乳食の期間中は、昼食と夕食で充分なのである。

 1日に3度の食事を与えるのではなく、1日2食にして、その離乳食を徐々に充実させていけばいいのだ。どのように充実したかが解るかは、朝にウンチをすることと、そのウンチが臭くないということなのである。昨日の離乳食がどうだったかは、翌朝のウンチを見れば解るものなのである。

 離乳食で足らないものは、母乳で補えばいいのだ。離乳食の期間は、絶対に離乳食と母乳は並行して存在するのであって、幼児が離乳食以外の時間でお腹がすけば、母乳を与えればいいのである。母乳さえ与えておけば、離乳食がどうであっても、栄養的にはなんの問題もないのである。

 幼児が離乳食を卒業できるのでは、離乳食をきちんと食べられるだけではなく、朝の排泄がきちんとでき、そのウンチが悪臭を放たないことを見届けてから、正式な食事へ移行させていけばいいのである。新米ママが急いで離乳食を卒業させてしまうと、朝にきちんとウンチができなくなってしまうし、幼児なのに既にウンチが悪臭を放っているのである。こうなれば幼児は病気をし出すし、母親に有り得ないような悪態をついてくるのである。

 離乳食の時期は、今まで母乳育児をしてきた新米ママにとって最大の試練の場所であるのだが、幼児の方も最大の試練を迎えているのである。朝になって、きちんとウンチができるということは、睡眠中に消化吸収を終えて、排泄することによって体内の老廃物や毒素を出すということなのである。それができれば、体内は高エネルギーを獲得し、体はクリーンになるので、知能を高くすることができるし、行動範囲も広がっていくことになるのである。自分が産んだ赤ちゃんを、元気一杯の幼児に育てるのは、新米ママが離乳食の時期を巧く乗り切っていくかにかかっているのである。

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食事のスピードが速い子、遅い子

●良く噛んで食べることの大切さ

 新米ママが幼児に離乳食を食べさせ始めた時、驚くのは幼児の食事の遅さであろう。とにかく動作が鈍いし、手間がかかるのだ。そのためイライラしてしまい、早く食べさせようとしてしまうのだ。しかし、これは非常に危険なことだといっていいのだ。これこそが離乳食の落とし穴なのである。

 人間は噛むことで、顔の筋肉を発達させることになるので、母親が離乳食を急かして食べさせてしまうと、顔の筋肉が発達しなくなってしまい、無表情の子供へと成長してしまうのだ。要は、食事を噛んで食べる習慣がないために、いつも食事を飲んでいる状態になってしまい、胃腸に物凄い負担をかけながら生きていることになってしまうのだ。しかも、顔に表情がないために、何に対しても感動せず、消極的な人間になってしまうのだ。

 食べ物を噛むというのは非常に大事で、噛めば噛むほど脳への血流が多くなるので、それだけ脳を発達させることができ、知能を高くすることができるのである。離乳食の段階から、良く噛んで食べる習慣をつけさせると、その幼児は正式な食事が始まっても良く噛んで食べるようになるのだ。そのため脳が発達して知能を高くすることができるのである。こういう子供は顔のバランスが非常に巧く取れており、オデコが非常に大きくなって、いかにも頭の良さそうな子供へと成長してくるのである。

 自分の子供が良く噛んで食べる習慣を身につけさせるためには、両親が良く噛んで食べている所を見せないと、幼児は真似してくれないのだ。幼児に良く噛むように教えておきながら、夫婦で食べ物をきちんと噛んでいなければ、幼児はいずれ噛まずに飲む込むようになってしまうことだろう。まずは自分たちから良く噛んで食べることだ。

 食事を良く噛んで食べさせると、食事の時間はかかるが、その効果は絶大で、幼児が病気しにくくなるし、顔の表情も豊かになって会話し易くなるし、知能も高くなってくるのだ。それゆえ、食事の時間には余裕を持ってあたり、絶対に急かさないことだ。新米ママが食事を急かさなければ、幼児は食事をゆっくりと食べてくれるのである。

●速い子の長所と短所

 食事のスピードは人それぞれであるということである。個性差がモロに出て来るので、自分の子供の食事のスピードがどのようなものなのか、早い段階で掴んでしまうことだ。食事スピードが速い子はいつも速いし、食事スピードが遅い子はどうしたとしても遅いのだ。子供は決して平等なスピードでは食べてくれないのだ。

 食事の速い子は食事がテキパキと進むのだ。母親としては食事の手間がかからないので非常に有難いのだ。離乳食の段階で食事のスピードが速ければ、正式な食事が始まればもっと速くなるのだ。勢いよく食べてくれるその姿は、母親としては食事の作り甲斐があるので、遂々可愛がってしまう傾向にあるのだ。

 しかし、その反面、その幼児は食べ物を良く噛んでいないのだ。食べ物を飲み込んでいる確率が高く、噛んだとしてもそれほど噛まずに飲み込んでしまうのだ。こうなると、顎が巧く発達していかないので、虫歯に罹ったり、踏ん張りのきかない子供に成長してしまうのだ。

 しかも、良く噛まないことで、脳への血流が悪くなるから、知能がなかなか発達しないのだ。食事の速い子供は大抵が馬鹿である。こういう子供は頭を使うと、小手先の悪知恵しか思いつかないものなので、親に対して散々悪さをするようになってしまうのだ。集中力に欠けるために物事に対して本格的に取り込むことができず、いつも中途半端になってしまい、物事に挫折する確率が多くなってしまうのだ。

 うちの子は食事のスピードが速いなと思ったら、とにかくその幼児に運動をさせることだ。体力が有り余っているから、食事で体力を使おうとするのであって、その体力を外で使ってしまい、ヘトヘトにさせてしまえば、食事の際は意外と大人しく食べるようになり、食事のスピードも落ち着くようになるのだ。

●遅い子の長所と短所

 幼児に食事を与えると、10人に2人ぐらいは、異様な遅さで食事を食べる幼児が出て来る。この遅さは離乳食の段階から現れ始めるので、新米ママとしては非常にイライラしてしまうのだ。普通の幼児の倍以上の時間がかかってしまうために、その後の時間が押された格好になり、忙しくなってしまう事態になってしまうのだ。

 しかし、こういう幼児は良く噛んで食べるために、食べ物が粉々に壊されて、しかも唾液がきちん絡まるので、消化吸収し易くなり、病気に罹りにくくなるのだ。そのため、充分な体力があるために、行動がエネルギッシュになり、何に対しても真剣に取り組むようになり、物事の上達が早くなるのあ。

 更に食べ物を良く噛んで食べているために、脳への血流が多くなり、知能が発達してくるのだ。このため、言語能力が発達して大人顔負けのことを言い出したり、絵を描く才能が他の子たちよりも高かったり、歌を歌わせるとビックリするくらいに上手に歌うようになるのだ。

 こういう子供は若い頃から頭角を現し易いので、そのつもりで育てていくことだ。食事のスピードが遅い分、出世のスピードが速いのである。自分の子供が何かに特別な興味を示し出したなら、その興味に付き合ってあげることだ。そういう集中力を発揮できる場所を与えることが、後の人生で大きな影響を与えることができるのである。

 但し、新米ママの方としては、食事の余りの遅さには閉口してしまうものだ。みんなの食事が終わっているのに、まだ食べている。自宅ですらそうなのだから、幼稚園や小学校に行くと、みんなが昼食を食べ終えているというのに、ポツンと一人で食べているのだ。これはその子の生まれ持った特徴であるので、絶対に矯正したりしないことだ。食事のスピードが遅いことこそが、その子の個性なのである。

●幼児を画一的には見ない

 食事のスピードは速くて困ることはあるが、遅くて困ることはないのだ。新米ママの方としては、大急ぎで食事を作ったために、自分の子供にも大急ぎで食べさせてしまおうとしてしまうのだ。そうなれば、子供は親に釣られて大急ぎで食事を食べてしまい、顎を発達させることも、知能を高くすることもできなくなってしまうのだ。

 食事をする際は、ゆっくりと食べ、余りにも子供を忙しくさないことだ。幼児に食事を食べさせる時は時間がかかるものなのだから、食事の時間を多目に確保しておくことだ。幼児が食べ物を良く噛んで食べるようになってくれれば、健康になってくれて病気に罹る回数が少なくなり、知能も高くしていくことが可能になるのである。

 離乳食が始まると、他の子供はどうしているんだろうと、気になってしまうものだが、幼児を画一的に見ないことだ。画一的に見たとしても、なんの解決にもならないのだ。食事のスピードは人それぞれなので、速くすべきことは食事のスピードではなく、自分の子供の食事スピードを早くに掴んでしまうことなのである。

 今まで母乳を与えていた時は、それほど時間がかからなかったのに、離乳食を与えると、離乳食を作るのにも時間がかかるし、離乳食を与えるのも時間がかかるし、離乳食の後片付けにも時間がかかってしまう。だからこそ、家事をテキパキとこなすようにしていくべきであって、肝腎の離乳食の時間を急がせて短縮すべきではないのだ。 

 食事の時間を削っても、結局はテレビを見て時間を潰してしまうのだから、それならテレビを視る時間を減らして、食事の時間をたっぷりと確保してあげればいいのだ。食事の時間がたっぷりとあれば、幼児は自分のペースで食事をすることができるようになるのである。それが結局は健康に寄与し、知能を高くすることができるのである。

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幼児に食べ物の好き嫌いがあるのは当たり前

●なぜ食べ物の好き嫌いが出て来るのか?

 育児をしていく上で、絶対に忘れてはならないということは、自然界では食べ物を与えてくれる人が一番偉いということだ。だからこそ、乳児や幼児は母乳や離乳食や食事をくれる母親に従うし、その食費を稼いでくる父親に従うのだ。それゆえ、与えられた食事には文句を言わせないことこそ、親の権威を確立させることができ、その権威によって正常な育児をすることができるのである。

 母乳を与えている段階では全くなかったのに、離乳食を与えていくと、幼児というのは、好き嫌いを示し始める。離乳食の段階では好きな食べ物は早く食べるが、嫌いな食べ物になると食べなかったり、わざと遅く食べて母親の手を困らせるのだ。これを放置しておくと、正式な食事になると、有り得ないような好き嫌いを言い出してくるのだ。

 実を言ってしまうと、幼児の好き嫌いは或る程度までは、正しい反応を示しているのである。人間は自分が欲しくない食べ物は食べないという本能的に持っている。例えば、幼児の嫌いな食べ物ナンバーワンである「ピーマン」は、ピーマンの持つ苦味成分が疲労物質を除去する役割を果たすので、疲労物質を溜め込んでいない幼児には殆ど必要のない食材なのである。だからこそ、幼児たちがピーマンを嫌うのである。

 もう一つは母親が偏食を与え続けてしまったということである。離乳食自体が偏食なので、離乳食の後期には栄養バランスを整えていって、栄養が偏らないようにしておかないと、偏食のまま正式な食事へと突入してしまうのだ。それゆえ、離乳食を作る際は、精白穀物を絶対に使用しないことだ。精白穀物を食べさせていると、どうしてもビタミンやミネラルが決定的に不足しすぎてしまうので、偏食をし出すのである。

 トドメが育児の仕方が間違っているということである。母親が適切な愛情を与えなかったり、家庭内の秩序を教え込まなかったりすると、幼児は強烈な好き嫌いを発揮し始める。家庭内の愛の流れは、父親に発して、母親を経て、幼児に辿りつくので、夫婦間でどんなことがあっても最終的には仲直りすべきだし、幼児にはお父さんが一番偉いのだということを教え込んでおくことだ。間違っても、幼児の前で父親の悪口を言ってはならないのだ。こうすると、幼児は家庭内の秩序を受け入れ、両親の愛が流れ込んでくるので、食べ物で好き嫌いをしなくなるのである。

●好き嫌いを言うのは成長した証

 離乳食で好き嫌いを言われるのは困りものだが、好き嫌いを全くしないというのも、それはそれで問題なのだ。離乳食は幼児にとって、未知との遭遇の連続であって、中には自分がどうしても嫌いな物も出て来るし、自分が大好物な物も出て来るのだ。それはそれで成長した証なのだ

 但し、好き嫌いをそのままにしてはいけない。好き嫌いを放置しておくと、幼児中心の家庭に変わっていってしまうので、幼児の好き嫌いを認めてはならないのだ。幼児の好き嫌いを粉砕することで、親の権威を確立するのである。これをやらないと、母親は幼児の我儘に振り回されてしまうようになるのだ。

 嫌いな物を食べ終わるまで、絶対に食事を終わらせないことだ。幼児にへばりついて、問答無用で食べさせるのだ。母親というのは、何も食堂のオバチャンではないのである。自分の子供の健康を思って食事を出しているのであって、それは幼児がどのように思ったとしても、食べて貰わねばならない物なのである。

 母親が離乳食の段階で、幼児の好き嫌いを認めないと、正式な食事を開始した後は、余り好き嫌いを言わなくなるものなのだ。離乳食でズッコケていると、正式な食事が始まった時に、散々に手を焼くことになるので、離乳食の段階で好き嫌いの芽を摘み取っておくことだ。

 その反面、幼児の好きな料理や嫌いな料理を覚えておき、定期的に好きな料理を出していけばいいし、嫌いな料理も少しは改善した方がいいのだ。どうやって嫌いな物を改善すればいいかは、ママ友たちに聞いてみればいい。みんな悪戦苦闘しているので、いいアイデアを持っていることもあるのだ。少しヒントを与えるなら、幼児は食べ物の臭いに敏感なので、その臭いを巧く消し去ってしまうと、嫌いな物でも食べてくれるようになるのだ。

●空腹を味合わしてから食事をさせるようにする

 幼児の好き嫌いを克服していくために、まずは幼児を空腹にしてしまうことなのである。人間は誰しも空腹になれば、どんな物でも美味しく感じることができ、何も残さず食べるようになるのである。満腹の状態ではいかに美味しい料理を与えても、不満を言い出し、食べ残すようになってしまうのだ。

 そのため、離乳食を作ることに追われてしまうのではなく、食事の前に幼児を空腹にさせるという作業を怠ってはならないのだ。食事の前に外に出かけて、遊んでしまい、お腹がすいた頃を見計らって帰宅し、それから料理を作って出せばいいのだ。こうすればお腹がすいているために、好き嫌いを言うことなく、なんでも食べてしまうのだ。

 空腹になると、最も先に炭水化物が欲しくなるので、炭水化物中心の食事を食べさせていくと、その他のオカズもきちんと食べてくれるようになるのだ。離乳食で張り切ってしまうと、オカズの量を増やしてしまう傾向にあるので、離乳食は炭水化物中心の食事であるということを決して忘れないようにすることだ。

 幼児は食後、すぐさま動き出してしまうので、食事が終わったら、必ず食休みをして、胃腸に血液を集中させてあげることだ。こうすると食べ物の消化吸収が早くなるので、次の食事までにはきちんと空腹になるのだ。最低でも15分程度は、居間でゴロゴロとしていれば、充分な食休みになるのだ。

 食休みをさせないと、次の食事の時間になっても、まだ消化吸収が終わらず、お腹がすいていないということになってしまうので、いくら美味しい料理を出しても、食べ残してしまうようになるのだ。この手の好き嫌いは、食休みをさせなかったことが原因なので、今後、きちんと食休みを取らせるようにすることだ。

●家族の中で食べるようにする

 幼児の好き嫌いをなくすためには、とにかく家族の中で食べるようにさせることだ。幼児は両親の食事の姿を見て、食欲が湧いてしまい、それで釣られて食べてしまうのだ。この「釣られ食い」こそ、幼児の好き嫌いをなくしてしまう最大の対策なのである。その食材の栄養がどうのこうのではなく、食事をするのが楽しいということを覚えさせてしまうことだ。

 それうえ、離乳食の初期は、両親が先に食事をし、楽しい会話をしてから、その後に離乳食を与えるというスタンスを決して崩さないことだ。幼児は両親の風景を見ているだけで食事は楽しいものだなということが脳内にインプットされるので、その後に離乳食を与えると、大急ぎで食べ始めてしまうのだ。

 これは離乳食を終えて、正式な食事をするようになった時、食事を食べさせすればいいのではなく、食事の際は会話をして、楽しみながら食べるという習慣を教え込ましてしまうことになるのだ。食事をしても楽しくないからこそ、得体の知れない好き嫌いを言い出してくるのである。

 新米ママだと離乳食を作ることに肩が張り過ぎてしまい、夫婦で楽しく会話をするということを忘れてしまいがちだ。しかし、そんなことをやっていると、幼児が凄まじい好き嫌いを言い出し、離乳食の段階でズッコケてしまうことになるのだ。自分の子供が余りにも激しい好き嫌いをしてくるなら、自分たち夫婦に何かしらの問題があると思った方がいい。家庭内できちんと愛が流れていないのである。

 人間は本来「果実食動物」のくせに、進化の過程で雑食になっていったので、なんでも食べて行かねばならないのである。好き嫌いを言っているようでは、非常に偏った人間になってしまうものなのである。自分の子供をまともな人間に育てあげたいのであるならば、食べ物で好き嫌いを言わせないことだ。食べられるだけ有難いということを教え込み、食べ物に対して感謝の気持ちを持たせることだ。

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幼児の食事は炭水化物中心である。

●炭水化物を多くすれば、幼児は好き嫌いなく食べることができる

 離乳食というと、炭水化物中心の食事になってしまう。「栄養的にこれでいいのかな?」と思っても、実はそれで構わないのだ。幼児は炭水化物を多く必要とし、炭水化物の多い離乳食だからこそ、好き嫌いなく食べることができるのである。幼児が余りにも好き嫌いを言うようであるならば、炭水化物の量が少なすぎるのだ。

 人間の体は食事をしたら、まず先に炭水化物を消化し、炭水化物の消化が終わったら、脂肪や蛋白質の消化に移ってしまう。そのため、幼児に脂肪や蛋白質の多い食事を取らしてしまうと、エネルギーが余りにも多すぎることになり、しかもなかなかお腹がすかないようになってしまうのだ。それだからこそ、まだ空腹になっていないにも拘わらず食事を出されてしまうと、好き嫌いを言うことで食べるのを遅らせようとし出すのである。

 離乳食は必ず炭水化物を6割を下回らないようにしておけば、幼児は好き嫌いを言うこともなく、ちゃんと離乳食を食べてくれるようになるのだ。幼児は必要であるなら、嘗て乳児の時に空腹になれば乳房にしゃぶりついたのと同じように、空腹になれば離乳食に食らいつくようになるのだ。それゆえ、離乳食をただ単に食べればいいというのではなく、幼児の態度や表情というのをきちんと見ておくようにすることだ。幼児が離乳食を食べている時に、テレビを見ていたり、台所の方に行っていては、大事な情報を掴み損ねてしまうからだ。

 新米ママが30歳を過ぎている場合、自分の炭水化物の摂取量が減ってきてしまうために、自分の子供にもそれを適用してしまう危険性があるので要注意だ。人間は離乳食の開始から、19歳で成長期が終わるまでは、体だけでなく、脳も成長していくので、炭水化物中心の食事にした方が、健康になるものなのである。しかし、この炭水化物の肉体的成長が終わってしまえば、それほど必要としなくなるのだ。そのため、炭水化物の摂取量を減らしていくことになるのだ。だからといって、今まさに離乳食を迎えた幼児が、炭水化物を減らしていいわけがないのだ。

 幼児は行動量が多くなってくるので、大量の炭水化物を必要とするのだ。特に女の子の場合、お喋りが更に炭水化物を消費してくるので、女の子といえども、かなりの炭水化物を摂取するようになるのだ。体も脳も炭水化物を必要としている真っ最中なので、離乳食は炭水化物中心で行くべきなのだ。

●果物をしっかりと食べさせる

 離乳食を炭水化物中心にした場合、多くの新米ママたちが考えるのは、「お粥」なのであるが、白米のお粥ではビタミンやミネラルが決定的に不足してしまうことになる。白米のお粥を幼児に食べさせ続けると、風邪をひき易くなるし、近視になったり、他の幼児をイジメるようになるし、積極的に行動せず、知能が低く、手のかかる幼児へと間違った方向に成長して行ってしまうので、絶対に食べさせないことだ。

 お粥にするなら、玄米と押麦で作るようにすることだ。この玄米と押麦のコンビだと、ビタミンとミネラルが足りるようになるし、しかも、押麦に含まれるグルテンが免疫力を活性化して、病気になりにくい幼児にしてくれるのだ。更に、グルテンは知能を高める効果があるので、離乳食の段階から押麦を食べさせていれば、知能の高い子供へと成長していくことになるのだ。

 離乳食は何もお粥だけではないので、「果物」をきちんと食べさせるようにしておくことだ。果物のは酵素水分が大量に含まれているので、果物を食べさせると、幼児は殆ど病気しなくなるのだ。乳児の頃から病気で悩まされていたというのなら、離乳食の開始以降は果物を食べさせることで、病気と無縁の幼児に育てあげてしまうことだ。

 但し、どの果物も体を冷やす効果を持っているので、日が暮れたら果物を食べさせないことだ。日が暮れてから幼児に果物を食べさせてしまうと、お腹が冷えてしまい、それを切っ掛けに病気になってしまうからだ。果物は気温の温かい日中に食べさせることである。そうすれば、果物が害が殆どなくなるのだ。

 人間は本来「果実食動物」なので、幼児の段階からしっかりと果物を食べさせておかないと、味覚が異常になってしまうのだ。果物を食べない幼児ほど、味付けが濃い物が欲しくなり、微妙な味の変化が解らなKなってしまうのだ。人間の味覚は12歳までに決定してしまうので、幼児の段階から果物をきちんと食べさせておくことだ。そうすれば健康的な味付けを好むようになり、病気しにくくなるのだ。味付けの濃い料理を食べ続けていれば、遅かれ早かれ病気になっていくものなのである。

●栄養バランスは年齢によって異なる

 人間の体の姿は赤ちゃんの時から基本的には変わっていないので、乳児が幼児になっても、食事は大人と一緒で構わなだろうと思ってしまいがちだ。しかし、実はそうではなく、栄養バランスは年齢によって異なるのだ。年齢によって必要とする物が違ってくるのである。

 幼児は行動量も多いいし、心身共に成長しているので、炭水化物が多目に必要となる。そのために、その成長を補うために、蛋白質の必要量はなんと大人の2倍になるのだ。幼児の体が小さいから蛋白質の摂取量の多さに気付かないが、離乳食が終わり、通常の食事になっていくと、幼児は肉が非常に大好きで、大量に食べまくるものなのである。これは幼児としては非常に正しい行動を取っているのである。それだけ体が蛋白質を要求しているのだ。

 離乳食の段階では肉を出すべきではないので、植物性蛋白質を使っていくしかない。「豆類」「木の実」といった物を砕いて食べ易いようにしておくことだ。植物性蛋白質を多目に食べさせると、幼児の体にしっかりとした筋肉が付き始めるようになるのだ。そのしっかとした体格があるからこそ、脳に充分な血液を送ることができるようになり、知能を高めていくことができるようになるのである。

 体がそれだけ成長しているということは、大量のカルシウムを必要とするということなので、カルシウムの摂取量を徐々に増やしていくことだ。離乳食の前期はお粥に「海苔」を入れて、カルシウムを摂取させていけばいい。離乳食の後期にはヨーグルトを食べさせていけばいい。ヨーグルトは腸内で最も滞留時間が長くなるので、最も多くのカルシウムを摂取することが可能になるのだ。

 離乳食を食べさせ始めてから、風邪をひくようになったら、それは明らかに野菜不足である。人間の体は大量のビタミンを必要としているので、野菜がどうしても必要なのである。そのため離乳食の段階で野菜を徐々に使っていき、野菜嫌いの子供にさせないようにすることだ。野菜を美味しいと思うのは、歳を取ってからの話であって、幼児の段階では母親に食べさせて貰わなければ、食べなくなってしまうものなのだ。

●楽しみながら食事をしてしまう

 幼児にきちんとした離乳食を作ればいいと考えるのではなく、幼児が離乳食を美味しく食べて貰えるという環境も大事なのだ。料理そのものは所詮「2割」程度であり、残りの「8割」は環境が決めてしまうものなのだ。食事中にテレビをつけていたり、無言で食事をしているのなら、いかに美味しい料理を作っても、台無しになってしまうものなのである。

 幼児に離乳食を与える時は、家族で一緒に食事をすることだ。ワイワイガヤガヤと賑やかに食事をしていれば、幼児もそれに釣られて離乳食を食べてしまうものなのである。夫婦が食事をしながら会話していると、幼児はその会話の内容が解らなくても、この場は楽しい場所なんだなということだけが理解できるものなのだ。

 幼児は食べ物を零すことに関しては常習犯なので、テーブルの上には食器以外の物を置かないことだ。調味料は幼児から最も離れた所に置くのがベストである。幼児が食べ物を零しても、決して怒らないことだ。零して当たり前、汚して当たり前なのだ。いきなり礼儀正しい食事ができるわけがないのだ。幼児は時間をかけてゆっくりと食事の仕方を学んでいくのである。

 幼児が余りにも好き嫌いをいうということは、その食事の風景になんらかの問題があるということなのである。両親の食事の仕方に問題があるからこそ、幼児は好き嫌いを発しているということもあるのだ。そういう時は、改めるべき所を探し出し、改善してしまうことだ。但し、ただ単に我儘を言っている場合もあるので、その時は問答無用で離乳食を食べて貰うことだ。

 新米ママが自分の子供に離乳食を食べさせる時には、自分が幼児の頃になんの離乳食を食べさせて貰ったかなど忘れているものだ。そのため、自分の子供に対して必要以上の力を出してしまい、無理矢理に離乳食を食べさせようとしてしまうのだ。離乳食で困った時は、育児本を読むよりも、自分の実家に帰って、自分の母親に離乳食をどのように食べさせたか聞いてみることだ。自分の母親から離乳食のことを教えて貰うと、離乳食の作り方や食べさせ方が急激に巧くなっていくものなのだ。

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最初の離乳食は赤い果物

●赤い果物を食べさせれば、離乳食で失敗することはない

 離乳食というと、母親がせっせと「薄いお粥」を作ってと、殆どの母親たちが思いこんでいる。しかし、幼児にその離乳食を食べさしても、なかなか食べてくれないという現象に出くわしてしまう。それもその筈、お米を使った離乳食は、最初の離乳食には相応しくないものだからだ。

 人類は本来「果実食動物」だったのだから、離乳食は果実を使ったものにすべきなのである。その離乳食であるなら、幼児は難なく食べてしまうのである。果実の中でも使うべき果物は「赤い果物」である。なぜ、赤い果物を使うのかといえば、自然界に入っていけば、幼児が目にする果物は、赤い物ほど目が行き易いからだ。

 赤い果物といえば、「リンゴ」「イチゴ」「アンズ」といった物だ。これを摩り下ろすなり、押し潰すなりして、幼児が食べ易いようにしてあげるのだ。こうやって離乳食を開始していけば、離乳食に失敗することはない。幼児にとって最も自然な形で離乳食を作って貰えたからだ。幼児にとって最も消化吸収し易い離乳食であるのだ。

 穀物は人間が人為的に品種改良していったために、大人では難なく食べることができても、幼児では難しいのである。一体何が難しいかといえば、穀物は良く噛んで唾液を絡ませない限り、きちんと消化吸収してくれないからだ。この良く噛むという動作こそ、今まで母乳を飲んできた幼児にとっては難しいのである。離乳食を繰り返しながら学んでいかねばならぬ動作なのだ。

 それに対して果物を離乳食に使ってしまえば、良く噛まなくても消化吸収されてしまうので、なんの問題も起こらないのだ。しかも、果物は体内に入ると、胃を通過して、すぐさま十二指腸に行くので、幼児といえども、いきなり消化吸収を開始することができるのである。更に果物は離乳食病を起こす危険性が全くないので、この点でも初期の離乳食に相応しい物であるのだ。 

●お粥は上澄みだけ

 穀物を使った離乳食は、果物による離乳食が慣れてから後なのである。食べ物を良く噛んで食べることができるようになってから作ればいいのだ。離乳食を使って遊んでしまうとか、離乳食を全然食べない頃には、まだ穀物を使った離乳食を与えなくていいのである。幼児にはまだ穀物を食べる態勢が整っていないのだ。

 幼児が離乳食を良く噛んで食べるようになったら、穀物を使った離乳食を出していけばいい。穀物は人間が人為的に改良し過ぎてしまったから、精白穀物を使うのは非常に危険である。例えば、白米の場合だと、白米自体が澱粉の塊なので、これを消化するのに物凄いエネルギーを要してしまうのだ。

 お粥は玄米と押麦を半々の割合で入れ、それで作っていけばいい。味付けは天日塩だけで充分である。お粥は上澄みだけを使用することだ。上澄みであるなら、植物性蛋白質がないので、離乳食が発症しないからなのである。これは日本民族の先祖伝来の知恵なので、絶対に守った方がいい。残り半分は母親が食事の際に食べてしまえばいいのだ。

 お粥の上澄みだけといえども、良く噛んで食べるように仕向けていき、体になんの問題も起こらないようであるなら、徐々にお粥を濃くしていけばいいのだ。この徐々に濃くしていくのは、可能な限りゆっくりとするべきであって、絶対に早くしてしまわないことだ。穀物を食べるのに徐々になれさせていかないと、離乳食病の餌食になってしまうのだ。

 幼児は離乳食を噛まずに飲み込んでしまう傾向があるので、必ず良く噛むように指導していくことだ。母親が離乳食を食べて、良く噛んでいる仕草を見せて、次に幼児に離乳食を与えていくのだ。こうすれば幼児は離乳食を良く噛んで食べるようになっていくのだ。この食習慣はいきなりできるものではないので、気長にゆっくりと教え込んでいくことである。

●母乳と離乳食の併用

 離乳食と言うことは正式な食事ではないので、幼児が食事をするのは、夫婦が食事をし終えてからということになるのだ。離乳食も食事だからといって、同じテーブルについてしまうと、幼児は自分こそがご主人様であると勘違いしてしまい、離乳食で散々に困らせることになるのだ。

 自然界では食事の順番というものは明確に決まっており、群れの中で一番強い者から食べていくのである。それゆえ家庭内では父親が最初に食べて、次に母親が食べて、幼児はその後なのである。この食事の順番を守らせると、幼児はその後に得体の知れない反抗期をしなくなるのだ。家庭内での序列が動物的感覚で解っているから、無意味な反抗をしなくて済むのだ。

 両親が食事をしている風景を散々見せられた後なので、離乳食を与えると、きちんと食べてくれるようになるのだ。幼児の頭の中が食事モードになっているために、離乳食を与えれば、すぐさま食べることができるのである。母親としても、幼児が離乳食をきちんと食べてくれると、離乳食の苦労が激減するので、非常に有難いのだ。

 離乳食は、いきなり離乳食というわけにはいかない。当分の間は母乳との併用である。理由は離乳食そのものが栄養バランスのいいものではいからだ。それと幼児の内臓が離乳食をきちんと消化吸収するようにはできておらず、母乳を与え続けることで、幼児の体に栄養不足が起こらないようにするのだ。

 離乳食の時期になったら、いきなり離乳食にしなければならないと思い込んでいる新米ママたちも多いのだが、初期の離乳食は1日1回でいいのであり、他は母乳で済ませてしまえばいいのだ。離乳食を開始してから当分の間は、離乳食の訓練に充てることだ。時間をかけて、幼児に離乳食を教え込んでいけばいいのだ。

●ベビーフードは絶対に食べさせるな

 新米ママは離乳食を不安だらけの中で行ってしまうために、遂々市販されているベビーフードに手を出してしまう。幼児にはベビーフードを絶対に食べさせてはならない。なぜなら、ベビーフードは食品添加物が大量に入っており、着実にビタミンやミネラルを奪ってしまい、幼児の内臓を疲労させてしまうからだ。食品添加物は幼児の体ではきちんと処理しきれないのだ。

 ベビーフードの恐ろしさは、これを幼児に食べさせると、食べてしまうということなのである。恐らく味付けを試行錯誤して、幼児が最も好みそうな味付けにしてあるので、幼児はベビーフードを差し出されれば、食べてしまうのだ。しかし、その代償は非常に高くつく。幼児は成長過程にあるために、ベビーフードを食べると病気がちになってしまうし、何よりも脳が破壊されてしまい、高い知能を持てなくなるのだ。

 折角、健康的な赤ちゃんを産んだのに、ベビーウードを食べさせたばっかりに、幼児の知能が遅れてしまい、すぐキレる幼児に変身してしまうのだ。幼児に得体の知れない病名をつけてしまって、「うちの子は病気なんだ!」と思いこむのではなく、とにかくベビーフードなんかを食べさせないことだ。自分が幼児の時に食べなかった物は、絶対に自分の子供にも食べさせないことだ。

 ベビーフードには様々な栄養素が入っていて、一見、それが健康的に見えてしまうのだが、離乳食は栄養バランスが整っていなくてもいいのだ。あくまでも離乳させ、正式な食事をさせるために行っているのであって、まともな離乳食ほど栄養バランスが取れていないのである。足りない栄養は母乳で補っておけばいいのである。

 離乳食では手古摺った経験を持つ母親たちが非常に多いのだが、これは離乳食の開始時期が余りにも早すぎることと、正しい離乳食を与えていないこと、更に食事の順番を守らせないことにあるのだ。幼児はどんなに可愛くても、まだまだ文明人ではいなのだ。自然界の動物として扱うべきなのである。この非情な遣り方こそが、実は幼児をきちんと育てることになるのである。

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第十二章 離乳食の成功と離乳食病の予防

●離乳食の開始は満二歳から

 人類は「哺乳動物」である。それゆえ、人間の赤ちゃんは母親の母乳しか飲めない。これが自然界の掟である。この自然界の掟に逆らえば、己の生存を脅かされるほどの報復を受けてしまうのである。赤ちゃんを産んで育児をしているのなら、赤ちゃんの食べ物は母乳しかないということを絶対に忘れないことだ。

 赤ちゃんは母乳を飲むことで、母乳に含まれる抗体を全身に張り巡らせるのである。この抗体を張り巡らせることが終わるのは生後6ヵ月辺りである。この時期こそ赤ちゃんが赤ちゃんらしくなる時期なのである。赤ちゃんが死亡してしまうのは、生後直後から生後6ヵ月に集中する。これは抗体を全身に張り巡らし終わっていないからなのである。

 その後は、母乳の抗体を取り入れつつ、生きて行かねばならないのだ。赤ちゃんが抗体を自分で作り出せるようになるのは、生後2歳を過ぎてからであり、この時期こそが哺乳の終了時期なのである。赤ちゃんは生後2歳を過ぎた或る時期から途端に病気をしなくなる時期を迎えるのだが、この時期こそが赤ちゃんが自分で抗体を作り出し始めた証拠であって、この時期から離乳食を開始していいのだ。

 赤ちゃんにとって母乳は単なる食べ物ではないのである。抗体という絶対に必要な物が含まれている飲み物でもあるのだ。そのため、ミルクで育ててしまうと、いくら栄養価を母乳に近づけたとしても、肝腎な抗体がないために、ミルクで育った赤ちゃんたちは病気のオンパレードになってしまうのである。

 母乳育児をした場合、離乳食の開始は満2歳からなのである。赤ちゃんが抗体を自分で作り出せるようになったら、赤ちゃんはなんの問題もなく離乳食を食べることができるようになるのである。それまでは赤ちゃんどんなに大きくなろうが、母乳だけで育てていかねばならないのである。

●医学では定めることのできない離乳食の時期

 折角、母乳育児をしているのに、医者の勧めに従って、生後5ヵ月から離乳食を与えていては、母乳育児をした意味がなくなってしまう。なぜ医者たちが生後5ヵ月から離乳食を与えるよう勧めるのかといえば、それはミルク育児だと初期の栄養価は母乳よりも高いのであるが、生後5ヵ月を過ぎると、ミルクでは栄養が不足してしまうからなのである。それもその筈で、牛の赤ちゃんは早くに乳離れするために、人間の赤ちゃんに適したように作られていないのだ。

 このため、医者の勧めに従って、生後5ヵ月の赤ちゃんに離乳食を開始しようものなら大変なことになる。赤ちゃんはまだ歯が生え揃っていないために、離乳食をきちんと噛むことができないのだ。赤ちゃんの歯が生え始めるのは生後8カ月辺りであり、歯がきちんと生え揃うのは満2歳までには生え揃うのである。赤ちゃんの歯を見ても、生後5ヵ月は明らかに離乳食の開始時期には不適格であり、やはり歯が生え揃う満2歳になってからなのだ。

 離乳食の開始時期は、医者たちが勝手に定めることなどできない。なぜなら、離乳食を食べることは病気ではないからだ。それは健康の証だからだ。医者は病気を治療するにはプロであっても、健康を維持することについてはド素人なのである。どうすれば健康になれるかということを、医者に聞いていては、必ず病気をしてしまう方向へと誘導されてしまうようになるのだ。これが医者の職業としての宿痾なのである。

 離乳食の開始時期を決めるのは、医学の担当ではないのだ。それは宗教の担当なのだ。民族の生存を確保するために、宗教は最も適した離乳食の開始時期を散々模索して、この時期を過ぎてからなら安全だと言う結論に達したのだ。医学は数年程度の研究を土台にしているが、宗教は数千年生き続けて来たことを土台にしているのだ。圧倒的に宗教の方が勝るのである。

 医者がどうのこうの言おうと、既に宗教は離乳食の開始時期を探り当てている。ヒンズー教は、離乳食は生後6ヵ月以降と定めた。生後6ヵ月以前には如何なる理由があっても離乳食を与えてはならないとした。これは赤ちゃんの抗体を考えるなら、非常に正しい結論であって、生後6ヵ月以降に離乳食を開始するなら、深刻な離乳食病を回避することができるのである。

 神道では、生後10ヵ月を過ぎてからと定めた。母親の母乳も生後10ヵ月を過ぎてしまうと、栄養が不足してしまうのだ。そのために、母乳以外の離乳食で補うという発想が生まれてきたのだ。人間の赤ちゃんは生後10ヵ月から満2歳までは、体格を作るのではなく、体質を作る作業をしているのだ。神道の場合、離乳食といっても、いきなり本格的な離乳食を食べさせたのではなく、母乳と並行して、お粥の上汁だけを食べさせるということをしたのだ。これだと赤ちゃんにアレルギー反応が起こりにくくなるのだ。

 ユダヤ教は、生後24ヵ月を過ぎてからと定めた。ユダヤ教はトーラー(モーセ五書)ではなく、タルムードでこの離乳食の開始時期を定めている。ひっくり返せば、タルムードを編纂した時には、ユダヤ教徒たちは早い段階で離乳食を与えてしまい、様々なアレルギー問題で苦しんでいたということなのだ。

 どの宗教が最も優れた見解を持っているかといえば、それはユダヤ教である。しかし、ヒンズー教は赤ちゃんが抗体を張り巡らし終わる時期からであり、神道は母乳の栄養が不足する時期からであり、それぞれ大事な点を着目した上でのことなのである。付け加えていうと、ヒンズー教徒も神道家たちも離乳食にするには比較的安全なお米を主食にしているので、離乳食の開始時期を早めることが可能になったのである。離乳食に不向きな小麦を主食にしていたら、こうはいかなかった筈である。

●満2歳以前の離乳食は無駄に終わる

 離乳食は満2歳以降からなのである。満2歳以降なら、赤ちゃんの歯も生え揃っており、赤ちゃんは離乳食をきちんと食べてくれるようになるのである。満2歳以前に離乳食を与えても、赤ちゃんは歯が生え揃っていないために、巧く食べることができず、食べ物をオモチャにしてしまうだけなのである。

 医者の勧めに従って離乳食を生後5ヵ月からにしてしまうと、赤ちゃんは離乳食を食べないし、散々に汚してしまい、後片付けが大変なものになってしまうのだ。それもその筈で、赤ちゃんは離乳食を食べる必要性がないからなのだ。離乳食が必要でない時期に離乳食を与えても、赤ちゃんはまともに食べてくれないのだ。しかも、歯が生えていないために、噛み合わせが悪くなってしまい、赤ちゃんの顎が曲がってしまい、それによって歯並びが悪くなり、背骨が変形して、様々な病気を発症してしまうようになるのだ。だからこそ、離乳食の開始時期が早いと赤ちゃんたちは様々な病気を仕出すのである。

 満2歳を過ぎれば、歯が生え揃っているために、きちんと離乳食を食べることができるので、顎が曲がることもなく、歯並びは良くなり、背骨も曲がることもなくなるのだ。母乳はそのまま飲んでも消化吸収してくれるが、離乳食はそれを噛んで唾液を絡ませなければ、消化吸収しにくくなってしまうのである。きちんと噛むことができるというのは、食事をする上で非常に重要なのである。

 満2歳までは離乳食を食べさせないために、赤ちゃんは親の食事の風景をじっと見て、涎を垂らすことがある。これはいかに可愛い赤ちゃんでも、動物そのものの仕草を取るので、良く覚えておいた方がいい。これは生後6ヵ月以降にこういう仕草を取り始めるので、これで親子の上下関係を築いてしまうのだ。食事は親だけが食べられるのであって、赤ちゃんは駄目だとされれば、赤ちゃんは自然と親に服従し出すようになるのだ。

 離乳食の早い赤ちゃんほど、その後、親に対して凄まじい反抗をしてくるのであるが、これは赤ちゃんの時に食事で上下関係を教え込ませなかったからなのである。いかなる赤ちゃんでも食事で格差をつけられれば、親に絶対服従するものなのである。これがあるからこそ、赤ちゃんの凄まじい反抗が起こらなくなり、親の言うことをちゃんと聞く赤ちゃんに育っていくのである。

●離乳食病の防止

 満2歳以前の赤ちゃんに離乳食を与えてしまうと、離乳食病という病気に罹ってしまう。赤ちゃんの内臓はまだ離乳食を消化吸収するようには発達していなので、離乳食を食べてしまうと、その食べ物の抗体がダイレクトに体の中に入ってしまうことになり、その抗体を持ち続けることになってしまうのである。

 これが「離乳食病」であり、この抗体があるために、その後に同じ食材を食べてしまうと、異常な抗原抗体反応を起こしてしまい、病気を発症してしまうのである。代表例がアトピー性皮膚炎であり、食物アレルギーであり、小児癌や小児白血病である。これは成人しても持ち続けてしまうので、女性の場合でなら、子宮癌や乳癌を発症するし、不妊症だってこの離乳食病が引き金となって起こることがある。

 離乳食病を起こし易いのは、「ミルク」「小麦」「大豆」である。どれも食物性蛋白質が豊富に入っている食品であって、これを満2歳以前に食べてしまうと、深刻な離乳食病になってしまい、アトピー性皮膚炎やアレルギー症状で赤ちゃんが苦しんでしまうことになるのだ。離乳食を食べてはならない時期に離乳食を食べてしまうと、悲惨なことにしかならないのである。

 神道では生後10ヵ月以降なら離乳食は許されるとしたが、離乳食といっても本格的な離乳食ではなく、玄米のお粥の上汁を飲ませたのであって、これだと離乳食病に罹りにくいのである。お米は小麦よりも蛋白質が少ないのだ。要は「蛋白質」こそが最も離乳食病を引き起こし易いのだ。

 離乳食病にならなければ、病気の大半が激減するといっていい。赤ちゃんの際に離乳食病を患ってしまえば、それは取り返しのつかないことになってしまうからだ。人間は哺乳動物であることを忘れれば、いつでも自然界の報復に遭ってしまうものなのである。赤ちゃんを健康に育てていきたいのであるならば、満2歳までは母乳を与え続けていくことである。医者が何を言おうとも、絶対に耳を貸さないことだ。赤ちゃんが病気になって、最も儲かるのは医者であることを決して忘れてはならない。赤ちゃんが病気になって、最も苦しむのは、赤ちゃんなのである。そして、その苦しみを与えたのは、自然界の掟を破って離乳食を与えてしまったあなたなのである。

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夫の仕事関係の人々との付き合い

●夫の出世に拘わる妻の存在

 男は結婚すると、頭角を現し始めて来る。妻の財産運の影響を受けて、お金に困ることがなくなり、自分の能力を仕事に集中することができるからだ。しかも、赤ちゃんが生まれると、赤ちゃんの新鮮な気の影響を受けて、仕事でも成功し始めることになるのだ。妻が育児に専念している時、夫は妻の知らない所で、男としての正念場を迎えているのである。

 夫に出世に妻の存在は想像以上に拘わっていると思っておいた方がいい。独身男性ならば、その男性に突出した能力があるなら別だが、大概、出世できないものだ。結婚していないために、男としての重みがなく、重要な役職を任せることができないのだ。独身男性が活躍できるのは、芸能界や、学問の世界や、芸術の世界と言った特別な世界だけだと思っておいた方がいい。政治の世界にしろ、経済の世界にしろ、既婚男性でなければ、大きな仕事をすることはできないものなのだ。

 妻にとっては赤ちゃんがいるために、育児に忙しい毎日を送っているが、妻の評価というものは、夫の評価を左右するものなのだ。良家の出身だとか、美人であるということは、結婚のスタートが有利なだけにすぎないのだ。発揮すべきは内助の功であって、夫の出世を妻が後ろから支えて行けば、夫は能力を発揮していくことができ、出世していくことが可能になるのだ。

 妻が内助の功を発揮しないと、妻は単なる「浪費妻」になるだけなのだ。夫が出世していくためには、それなりの投資が必要だ。ビジネス関連の本を読まねばならないし、男同士の付き合いでお酒を飲まねばならないし、色々なセミナーに出て見聞を広めていかねばならぬのだ。その必要な投資をケチり、妻が自分のために使っていたら、夫の出世など見込めないものなのだ。

 殆どの夫婦は億万長者ではないのだ。年収は少ないものなのだ。しかもその上に赤ちゃんがいて、出費がかさむ時期を迎えているのだ。こういう時は、家計をしっかりと管理して、夫が出世できるように資金を集中していくべきなのだ。いくら家計が苦しいからといって、夫が月に数千円の小遣いしかなければ、その男性は出世などできないものなのだ。いくら金欠とはいえ、夫の財布にお金を絶やさぬように配慮するのが、優れた妻のやることなのだ。

●相手は予想以上に奥さんのことを見ているもの

 結婚したら、夫婦で出かけることがあるだろうが、そこで出会った人たちというのは、予想以上に奥さんのことを見ているものだ。その奥さんの品定めをしているといっても過言ではないのだ。1回しか会ったことがないのに、その1回の出会いを延々と覚えているものなのだ。

 なぜなら、男性が結婚している場合、その奥さんが優秀な女性であるなら、必ず出世してくるからだ。才色兼備のような妻を持っている男性が、いつまでの貧困でいるわけがないのだ。その妻の運気や援助を受けて、猛スピードで出世し始め、能力を最大限に発揮し始めるものなのである。

 この世には科学の力では証明できない「あげまん」という女性たちが存在している。「あげまん」の女性を妻にしていると、その男性の運気が非常に良くなり、あれよあれよと出世していってしまい、莫大な財産を得ることができるものなのだ。「どうしてあの男が出世してくるんだ?」と思うような男性には、必ず「あげまん」がいるものなのだ。

 これに対して、「妻に成り切れていない女性」「精神的自立が出来ていない女性」「さげまんの女性」などを妻にしていれば、その夫にいかに高い能力があっても、出世していくことはできない。万が一、無理矢理に出世しても、至る所でトラブルが続出し始め、破滅していくことになるのだ。

 それゆえ、個人主義に走り過ぎてしまうと、夫婦の相性を無視してしまい、相手の力量を正確に見切ることができなくなってしまうのだ。人間は結婚すれば、その配偶者の運気の影響を受ける以上、夫婦を一緒にして見、その能力を見極めるということが非常に大事な作業になってくるのだ。

●化粧と服装には気をつけろ

 他人とはいつどこで出会うのか解らないので、お出掛けする時だけちゃんとした格好をするのではなく、日頃からきちんとした格好をしておくことだ。そのためにはなんといっても早寝早起きをして、規則正しい生活のリズムを作っておくことだ。早起きしてさえいれば、それほどその既婚女性の容姿は衰えないものなのである。朝早く起きれば、朝から活発な行動をすることができるので、血行が良くなり、体温を上昇させることができるので、新陳代謝が活発になるのだ。しかも、早起きしていれば自然と早寝をすることになるので、熟睡が可能に成り、睡眠中に体が修復され、美しくなっていくものなのだ。

 それから、とにかく体を鍛えることだ。赤ちゃんがいると、どうしても赤ちゃんのペースになってしまうので、運動量が少なくなってしまうのだ。そのため、育児に熱中していると、気付いてみたら、オバサン体形になっていたということになってしまうのだ。体がなまっていれば、何を着ても似合わないものなのだ。特に40歳を過ぎたら、「中年太り」には絶対に気をつけるべきだし、50歳を過ぎたら「老年痩せ」に気をつけるべきだ。骨と皮ばかりになってしまえば、もう手の打ちようがなくなってしまうのだ。

 育児をしている最中は、化粧もしないし、服装にも拘らないので、夫婦で出かける際は、化粧と服装には充分に気をつけた方がいい。日頃、スッピンでいると、肌が活性化してくるので、化粧がきちんと乗らなくなってしまうのだ。服装も自分が育児をしている間に流行が過ぎ去ってしまい、自分が思いっきりめかしこんだというのに、時代遅れの服装を着ているということもあるのだ。

 赤ちゃんを産んだのなら、化粧や服装を変えていくことだ。まず化粧はもうそれほど厚くすべきではないのだ。既婚女性が醜くなってしまうのは、化粧が濃すぎるからなのである。化粧の量を控え目にして、醜くならない程度で充分なのだ。既婚女性が化粧で気をつけるべき所は、化粧品自体の安全性であって、安全性が確保されていないような化粧品は絶対に使うべきではないのだ。有害な化粧品のために肌がやられてしまい、どんどん醜くなっていってしまうのだ。

 服装は流行があるので、既婚女性向けのファッション誌には必ず目を通しておくことだ。ファション誌は情報がテンコ盛りなので、これほどお買い得な雑誌は他にないのだ。それとブティックを訪れて、ディスプレイを見ておくことだ。これはファッションセンスを磨くには意外と効力を発揮するので、食料品を買い物した時に、ついでにブティックを見て回る習慣をつけておくべきだろう。

 赤ちゃんができた以降は、長袖長ズボンの格好を原則とすることだ。ちょっとオシャレ度を高めたいのなら、ロングスカートにすればいい。とにかく生足や生腕を出さないことだ。年齢的に言って、一度、体を冷やしてしまうと体がいつまでも冷えてしまい、本格的な冷え症で悩まされることになってしからだ。それに日焼けした場合、もう若い頃と違って、日焼けが落ちにくくなっているし、シミやシワが出来易い年齢になっているのだ。

 化粧と服装こそ、その女性の力量が解るもの最重要な物だ。育児に熱中する余り、化粧と服装だけは怠らないようにしておいた方がいい。他人の化粧や服装を品評したりして、「この化粧の仕方はまずいな」「この化粧の仕方だと奇麗に見えるな」「この服装はダサイな」「この服装はオシャレだな」とか常に自分のファッションセンスを磨いておいた方がいい。

●夫婦で食事のマナーを学ぶ

 結婚したのなら、夫婦で是非やっておいた方が、出世に大きく貢献できることがある。それは夫婦で食事のマナーを学ぶことだ。夫婦はそれぞれ違う家庭で育ってきたために、食事のマナーが微妙に違っているのだ。そのためその食事のマナーを巡って、些細な夫婦喧嘩が起ってしまうのだ。しかも、食事のマナーが悪ければ、夫が仕事で食事をした時に、そのマナーの悪さのために出世コースから排除されてしまうこともあるのだ。有力者であればあるほど、食事のマナーで人間を見極めようとするものなのだ。

 食事のマナーを教えてくれる教室は、探せばあるので、夫婦で受けてみることだ。まずは、和食での食事のマナーを学ぶのだ。日本人として和食を食べ慣れていても、食事のマナーがちゃんとできているとは限らないのだ。日本人でありながら、知らない食事のマナーもあるものなのだ。

 次に洋食での食事のマナーだ。どんなに洋食が好きな人であっても、洋食での食事のマナーはなっていないものだ。洋食といっても、各国で食事のマナーが異なるので、主にフランス料理とイタリア料理の食事のマナーを学んでおけばいい。洋食ではこの2つの料理が最高峰なので、ここでの料理で阻喪をしなければ、後は簡単だからだ。

 食事のマナーは外食した時だけ守るのではなく、自宅でも可能な限り、食事のマナーを守ることだ。妻が折角丹精込めて料理を作ったのに、無礼な仕方でその料理を食べられたら、無性に腹が立つものなのだ。それが積み重なってくると、些細なことで夫婦喧嘩が発生してしまうのである。

 食事のマナーをきちんと守っておくと、「この人はいいとこの出の人なんだな」と思わせることが可能になるのだ。そうなると、それだけで他人から信用されてしまい、様々なビジネスチャンスを貰うことができるようになるのである。食事のマナーを学んだ時は、「なんて堅苦しいんだろう!」と思ってしまうが、食事のマナーを守るということは、他人に対して敬意を現わしているということなのだ。そのため、食事のマナーを守っていると、相手は自分が敬われていると思ってしまい、今後、大切にしてくれるようになるのだ。

●パ-ティーは顔見世興行

 日本でも欧米の影響を受けて夫婦同伴で出席しなければならないパーティーが増えてきたが、この夫婦同伴のパーティーほど日本で似合わぬものはない。まず、日本では社交界というものが成立していないから、社交界デビューをしたことがない人たちが、無理矢理にパーティーに出席しているようのものだからだ。こういう仕事は嘗てはホステスが受け持ったものだが、これが最近では妻の仕事になりつつあるのだ。

 夫の仕事関係でパーティーに出席した場合、そのパーティーは決して対等なものではなく、男同士の序列の上に成り立っているものであり、そこで交わされる会話もその序列を前提としてものになるのだ。一体、夫の職場の人間関係がどのようなものか、日頃から夫から話を聞いていないと、阻喪どころの話ではなくなってしまうのだ。

 結婚する前に合コンに参加した経験のある女性なら、合コンの乗りでは絶対に行くな。当たり前のことだが、これは人間関係の交流を差し障りなく進めていくとともに、或る種の情報収集が重大な仕事になるからだ。あの人はこうで、この人はこうでと、顔を情報を確認していかないと、まるで話にならないのだ。

 日本でのパーティーは顔見世興行のようなものなのだ。その上、余程頭のいい女性でないと、この仕事が務まらないのだ。日本では一目見ただけで相手の器量を見極める習慣があるので、欧米からパーティーを持ち込んでも、欧米風のパーティーにはならず、奥さんの器量を見極める舞台になってしまうのだ。奥さんの器量が良ければ。夫は出世していくし、奥さんの器量が悪ければ、夫は出世が困難になってしまうのだ。

 パーティーには必ず大物がいるものだから、一刻も早くその人物を特定し、挨拶をし、会話をしておくことだ。パーティーだからといって、誰構うことなく会話をするのではなく、重要な人物は一体誰かを特定しながら話して行くことだ。それが解っていれば、パーティーでの立ち振る舞いがきちんとできることであろう。

●自宅に来る客は特に仲のいい客なのだ

 赤ちゃんがいるのに、夫が自宅に部下を呼んでくることがある。こういう時は嫌な顔をせず、ちゃんと対応してあげよう。日本では身分の高い人が、自分より身分の低い人の家を訪れるということは、原則としてない。自宅に客人が来るというのは、夫が出世しつつある証拠なのだ。男は出世すれば、部下を連れて来るものなのだ。

 だが、戦後の日本では住宅環境が悪く、自宅が狭いために、自宅に部下を呼ぶというのは、余程のことなのである。通常は外食で済ますものなのである。それを自宅に招いたということは、その部下たちと仲を良くしておきたいからなのだ。外でいくら付き合っていても、なかなか仲が深まらないものなのだ。自宅に招待すると、一気に仲が深まるものなのだ。

 事前に話をきいているなら、豪勢な料理を作って、振る舞えばいいのだ。もしも、いきなり部下たちを連れて来るなら、急いで料理を作って、振る舞うことだ。いざという時に料理が作れるよう、常に或る程度の量の食材は残しておくことだ。妻が余りにもケチケチに徹してしまうと、逆にそれは夫の出世の妨げとなり、それほど給料が増えなくなってしまうのだ。

 料理を差し出す時とは、自分がその部下たちの母親になったつもりで話をしてみることだ。こうすると話をし易くなるし、部下たちも安心して楽しむことができるようになるのである。恐らく、夫と部下たちは会話で盛り上がっている最中なので、絶対に水を差すような話をしないことだ。ここいらには気を使っておいた方がいい。

 犬でも飯を与えてくれた恩を忘れないものだが、人間でも自宅で御馳走してくれた人に恩義を感じるものだ。もしも、自宅で御馳走になったのに、その人を裏切るようなことがあるなら、その人は人非人なので、大した能力を発揮することはできないであろう。夫も将来、この部下たちを使って大きな仕事をしたいと思っているので、きちんと対応してあげるべきだろう。

●妻同士で仲良くなれ

 夫の仕事関係で人間関係を展開していく場合、自分が働いてはいないので、どうしても余所余所しい付き合いになってしまう。もしも人間関係が深くなる付き合いをしたいのなら、妻同士で仲良くなってしまうことだ。夫の仕事関係を通じて、どこかの夫人と知り合って、仲良くしてしまうのだ。

 双方が既婚女性ということで、話が弾むものなのだ。しかも、自分では知りえなかった情報まで得ることができ、より多彩な人間関係を展開していくことが可能になるのだ。妻同士で仲良くなると、夫たちの仲も非常に良くなるものだ。戦国時代、頭角を現わしてくる前に豊臣秀吉と前田利家は隣同士だったのだが、そのお陰でその婦人たちの「お寧」と「お松」が仲良くなり、そのために夫たち双方が猛スピードで出世していったのだ。

 人間は個人だけの付き合いでは、なかなか信用できないものだ。夫婦ぐるみで付き合うからこそ、信用できるというものなのだ。妻同士が仲良くなるというのは、より信用するためであり、裏切り防止のためでもあるのだ。そのため、その夫が信用ならない人とは絶対に付き合うことはしないことだ。夫が信用するに値しないような人物の妻は、それ以上に信用できないものなのだ。

 夫の出世を早めたいのなら、夫の上司に当たる人の奥さんと仲良くなってしまうことだ。妻同士で仲良くなってしまえば、上司の方もなにかと夫を目にかけ、重要な仕事を与えてくれるようになるのだ。仲良くなる切っ掛けを掴めば、定期的に電話をするなり、お茶を飲んだりしたり、挨拶に伺ったりしていけば、自然と仲良くなっていくものなのだ。

 妻同士での遣り取りは可能な限り、夫に話しておくことだ。夫にとっても、そういう情報は有難いものなのだ。他人がどのような家族を形成しているかが解ると、人間関係もスムーズに展開していくものなのだ。情報が多ければ多いほど、夫は仕事で活躍できるようになるのである。

●夫の出世は妻次第

 夫婦は一蓮托生なのだ。夫が出世していけば、その妻も出世の恩恵に預かれるのだ。その逆に夫が出世できなければ、その妻も出世の恩恵に預かることができず、いつまで経っても貧乏になってしまうのだ。裏を返せば、妻が良けりゃ、夫も良く、妻が駄目なりゃ、夫の駄目でもあるのだ。

 「夫の出世は妻次第」だと覚悟を決めることだ。妻の方が、いかに巧く人間関係を処理していくかで、夫の出世は大体決まってしまうものなのだ。出世し来る既婚男性の裏には、必ず優れた妻がいるものなのだ。その妻がバックアップし続けたからこそ、出世していくことができたのである。

 若い時に、精神的自立をするのが遅かったために、男性を見れば「雄」と見てセックスの対象としか思えない女性や、男性を見れば敵対して喧嘩を吹っ掛けるような女性であったのなら、そのままでは夫の仕事に問題が生じて来るもので、余程気をつけた方がいい。若い時に、順調に自立していき、男性とちゃんとして友情を作ることができた女性は、結婚後の人間関係を展開していくのが遣り易い筈だ。

 男性は男性ホルモンの影響を受けて、突出した才能を持ち易いものだ。しかし、その才能があっても、必ずしも出世に結びつくとは限らないのだ。才能を開花させていくためには、人間関係をきちんと処理していかねばならないのだ。この点、女性は女性ホルモンの影響を受けて、人間関係の処理の仕方が巧いものなのだ。

 妻が人間関係を巧く処理していけば、夫は自分の才能を思う存分発揮して、出世し出してくるものなのである。いくら育児をしているからといって、赤ちゃんのことばかり見ていると、夫の出世が不可能になっているということもあるのである。赤ちゃんだけでなく、夫のことにもちゃんと気を配ってあげることだ。妻の些細な努力で、夫は猛スピードで出世していくことが可能になるものなのだ。

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妊婦フレンドがいればママ友作りは怖くない

●妊娠中に妊婦フレンドを作るべし

 結婚すれば自分の付き合う友達は変わっていく。出産すれば自分の付き合う友達は変わっていく。実は結婚によって大きく変わるのが「友人関係」なのだ。結婚に至るまでは二人の世界で突き進んでもいいけど、結婚すれば結婚後の友人関係をきちんと築く必要性がある。独身時代の「のほほんとした性格」でいると、結婚生活は悲惨なものになるし、離婚へと引き摺りこまれてしまうのだ。自分の付き合う友達で、自分の結婚生活が左右されることもあるということは覚えておこう。

 多くの既婚女性たちは、結婚がドタバタとしているし、その後の妊娠や出産や育児も時間に追われるような忙しい形で行ってしまうために、気づいてみると、友達がいなかったということになってしまうのだ。そのため、育児がひと段落してから友達作りを開始するのだが、これが悲しいまでに巧くいかないのだ。新米ママ同士であっても、いきなり仲良くなれるわけがないのだ。

 友達作りは育児がひと段落してから行うのではなく、妊娠中から作っておくことだ。妊娠中に助産院などに行けば、他にも妊婦がいるのだから、そこで挨拶を交わして、会話をするようにすればいいのだ。そうすれば、自然と仲良くなって、妊婦フレンドとして成長してくるのだ。

 但し、この妊娠の段階では、話の共通項は「妊娠」のみである。妊娠のことしか話題にならないので、まずはそこでの話を卒なくこなしていくことだ。多少は妊娠のことを勉強をしておかないと、頭の悪い女性と思われて仲良くしてくれなくなってしまうのだ。母親学級などには必ず行くようにし、妊婦フレンドとの仲を良くしていくことだ。母親学級は母親になることを教えられるよりも、実は友達作りの方が大事な役割を果たしてくれているのだ。

 仲のいい友達ができたら、お茶をするなり、電話番号を聞き出すなりして、仲を深めていくことだ。間違っても助産院で挨拶する程度とか、仲がいいのに電話番号も知らないということにはしないことだ。これは致命的なミスといっていいのだ。妊婦フレンドがいれば、妊婦生活で様々な情報交換に役立つし、妊婦生活で多少問題があっても解決に役立ってくれるからだ。

 妊娠中に妊婦フレンドを作っておけば、出産後にもその妊婦フレンドとの仲を繋げておくことである。妊婦フレンドがいれば、ママ友を作り易くなるからだ。妊娠生活を孤独に過ごしてしまえば、出産後にいきなりママ友を作ろうとしても、人間関係をどのようにやっていたかすら忘れてしまうものなのだ。自分がどのような状況になろうとも、人間関係は維持しておくべきなのである。

●ママ友の作り方

 育児が始まると、最初の頃は育児に追われっぱなしの生活になってしまうものだ。こういう体験は新米ママにとって絶対に必要な時期なのである。問題はこの時期に余りにも適応し過ぎてしまい、気づいたら自分の周りに友達が一人もいなかったということがありえるのだ。いや、殆どの新米ママたちが経験することなのである。

 そこで慌てて友達作りを開始しようとし出すのだが、これが悉く失敗してしまう。なぜなら、友達作りは人為的に行うのではなく、自然発生的に作られてくるものだからだ。学校でも大学でも職場でも、人為的に友達を作ったような女性はいない筈だ。気づいてみれば友達ができていたというのが本当の所であろう。

 いくらママ友がいないからといって、無闇に育児をしている母親たちに声をかけるというのは非常に問題のある行為である。こういうことをやっても友達ができるわけがないのだ。赤ちゃんがいる以上、育児をメインに据えるべきであって、友達作りに精を出し過ぎるべきではないのだ。

 ママ友の作りの方があるというのなら、意図的にママ友を作ろうとしないことだ。友達は自然発生的にできると解っていれば、ママ友ができなくても、それはそれでいいと割り切ってしまうことだ。ママ友がいなくても、赤ちゃんがいるのだから、育児をして楽しんでいればいいのだ。

 かといって、何かの切っ掛けにママ友ができたのなら、絶対にその機会を見逃さないことだ。その機会を切り捨てているようであるなら、いくらママ友ができる機会が来ても、すべて切り捨ててしまうことを遣り出してしまうからだ。ママ友ができる時は一斉にできはじめるので、その流れに巧く乗ってしまうことだ。

●ママ友ができないから、孤独を楽しむこと

 生まれ育った場所で結婚したのなら、ママ友作りにはそう悩むことはないであろう。自分の周りには昔から友達がいるので、その友達の中にも結婚し出産し始める友達が出て来るので、昔どおりに仲良くしていけばいいのだ。問題となるのは、故郷を出て、異郷で結婚した場合なのである。この場合、結婚当初には友達が全くいないものなのである。

 結婚してから新築の家を建てた場合、周囲には友達は一人もいないのだ。夫の仕事が転勤を多くする仕事だと、転勤のたびに新たに友達作りをしていかなければならないという環境に置かれてしまうのだ。結婚は環境を大いに変えるのだから、友達がいなくなる状況が出て来るのは当たり前なのだ。そういう時は、まずは孤独に耐えることなのである。

 既婚女性に最低限の忍耐力がないと、結婚して幸せな家庭を築いたというのに、エホバの証人のような危険な新興宗教に洗脳されてしまったり、フェミニズム運動に参加して日本の社会を解体させようとし出してしまうのだ。淫祀邪教に走る既婚女性も、フェミニズムに走る既婚女性も、孤独に耐えるだけの忍耐力がなく、まともな友達がいないということでは共通しているのだ。だからこそ、誰かに洗脳されてしまうのである。

 ママ友がいなくても、それはそれでいいのだ。ママ友ができないなら、孤独を楽しむことだ。友達がいないから、自由時間はたっぷりとあるのだ。晴れた日は、親子で遊びに出かければいいのだ。余所の母親たちがグループを作っていても気にしないことだ。新米ママと赤ちゃんとで遊べば、自然と楽しくなっていくものなのだ。

 いくらママ友がいないからといって、自宅の中にいては息が詰まってしまうものだ。赤ちゃんを連れて遊びに行ける公園をいくつか確保しておくことだ。毎日同じ公園に行っていると飽きてしまうので、最低でも3つ以上の公園は確保しておくことだ。そうすれば気分が落ち込まず、ママ友がいなくても気にならないものになるのだ。

●なぜ公園デビューが恐ろしいものとなるのか?

 「公園デビュー」という言葉は、育児雑誌が作ったものだが、これほど育児の現実から離れた言葉もないのだ。新米ママが赤ちゃんを公園に連れて来て、他の母親たちの仲間入りができるということは、その新米ママも異常だし、仲間入りさせた母親たちの方も異常だろう。

 人間には仲間意識というものがあるので、仲間でない者に対しては激しく排除してしまうのだ。そうでなければ、仲間を形成することができないのだ。余所者をすぐさま入れてしまうような集団であれば、それは正常な仲間意識が形成されていないということなのである。正常な仲間意識があれば、赤ちゃんを連れた新米ママといえども、排除するのは当然のことなのだ。

 公園デビューという言葉を信じて、新米ママが母親たちの集団に声をかけて、仲間入りを試みた女性は多くいる筈だ。しかし、現実は無視されるのがオチなのだ。その集団は血も涙もない非情な人々ではないのだ。あなたも立場を入れ替えて、母親たちの集団の側に立ってみればいいのだ。或る日突然に見知らぬ女性が赤ちゃんを連れて話しかけてくるのだ。これほど恐ろしいものはないのだ。そういう見知らぬ女性をすぐさま自分たちの集団に入れるわけがないのだ。自分の赤ちゃんを守るためにも、見知らぬ女性を排除するというのは、当然の措置であるのだ。

 育児をしている母親たちが公園でたむろしている場合、最少単位が2人か3人である。大きくなっても、絶対に10人以上にはならない。母親の集団は一見、空席があるのではないかと思ってしまうのだが、実は余程のことがない限り空席はないのだ。大概が満席なのだ。仲のいい母親同士でつるんでいるために、集団内での人間関係がほぼ確定しているのだ。そのため、もしも余所者を入れた場合、その集団が分裂してしまう危険性も出て来てしまうのだ。だからこそ、暗黙の了解事項として、他の新米ママが来ても、新しく受け入れたりはしないものなのだ。

 既存の集団に入ろうとするのではなく、気の合うママ友を作り、そのママ友を軸に集団を形成していけばいいのだ。そしてその集団も或る程度の大きさに成れば、それ以上、大きくしないものなのだ。ママ友の集団というのは、限界があるものなのだ。小さな集団からこそ、仲間意識も強いし、余り変化のない育児の日々を楽しく過ごせるのである。

●ママ友を整理する日がやってくる

 ママ友が出来始めたら、どんどん増やしていけばいい。育児に関することで話し合うべきことはたくさんあるからだ。新米ママ同士なら育児の不安を解消することができるし、先輩ママなら育児の仕方を教えて貰うことができるものなのだ。どの母親たちも同じような育児をやっているわけではなく、どの母親たちも微妙に違う育児をしているものなのである。そういう違いを知っておくということは、自分の頭を柔軟にするためにも、絶対に欠かせないのだ。

 しかし、ママ友を増やしていくと、ママ友を整理する日がやってくるのだ。人間の友達作りには必ずこの過程を経ないと、よりレベルの高い友達作りができなくなってしまうのだ。ママ友を増やしていくと、中には「どうしても相性の悪い人」というのが出て来るのだ。その女性といると、なんか調子が狂い、不幸な出来事ばかりが続いてしまうのだ。相性の悪い女性は、問答無用で避けていくしかないのだ。

 それから「まともな育児の仕方を学ぼうとしない人」というのも整理せざるをえなくなってしまう。既婚女性は母親になれば、育児の仕方を必死になって学び始めるものだ。赤ちゃんの抱き方ひとつを取ってみても、母親にならなければ解らないことばかりなのだ。それなのに育児の仕方を学ぼうとせず、適当にやっている新米ママなら、その女性を排除せざるを得ないのだ。

 更に、自分と経済的格差が激し過ぎる人とも仲が続かなくなってしまう。母親同士というのは、大体似たような所得同士の者たちで仲良くなっていくものだ。「ちょっとお茶しよう」といって普通の喫茶店に行くのではなく、目ん玉が飛び出てしまうような金額の高級レストランに行くようであるなら、通常の母親たちはその人を避けてしまうことだろう。

 デフレ経済になれば、所得が低くてもそれほど生活が苦しくなるものではない。物価が下がっていっているために、少ない所得でも充分に生活できるからだ。しかし、自分たち夫婦が所得が少ないのに、億万長者の既婚女性とは付き合うことができないのだ。会話の至る所で金銭感覚の違いが出て来るので、話が盛り上がっていかないのだ。貧富の格差を解消しようと試みるのではなく、自分の生活レベルに合った既婚女性たちと仲良くなることだ。

●近所づきあいこそ、育児をしていく上で大事

 ママ友がいると、近所付き合いがスムーズに行くものだ。近所付き合いは決して軽視してはならない。近所付き合いは育児をしていく上で非常に大事なのだ。育児をしていて困った場合、役に立つのはご近所の人であるからだ。「遠くのママ友より、近くのママ友」といことは絶対に忘れない方がいい。

 近所付き合いは、都会と地方とでは異なるし、一戸建てとマンションとでは異なるものだ。地方であり、一戸建てであれば、近所付き合いは濃厚なものとなろう。都会であり、マンション暮らしであれば、近所付き合いは希薄なものとなってしまうものだ。育児で悲鳴を上げて来るのは、大抵が都会でマンションに住む母親たちだ。近所付き合いをきちんとしていないから、育児という現場で困り果ててしまうのである。

 自分が子供の頃は一戸建てに住み、結婚してからマンションに住む人は、その習慣の違いに注意した方がいい。一戸建てなら隣人と常に挨拶し、食事の余り物を分け与えたりするのは当然なのに、マンション暮らしならそういことをしないからだ。人間関係がドライといえばドライだし、そういことをしない分、自分の時間を大量に持つことができるのだ。その反面、隣人が殺人鬼だということもあるのだ。都会で殺人事件が多いのは、人間関係が希薄だからである。

 自分が子供の頃はマンションに住み、結婚してから一戸建てに住む人は、その都会的な習慣を絶対に改めた方がいい。一戸建てに住む人と、マンションに住む人とでは、物の考え方も、生活レベルも全然違うからだ。一戸建てに住むような人は、近所付き合いを大切にするので、必ず近所付き合いに応じておくことだ。これが育児の際には非常に役に立つのだ。一戸建てに住んでいるのに、近所付き合いをしないということは、いずれその家から立ち退くことにならざるをえなくなるのだ。一戸建てに住むということは、近所付き合いをきちんとするということでもあるのだ。

 同じ住宅街に住んでいれば、それほど経済的格差は生じないものだ。だからこそ、近所付き合いで付き合い人々は仲良くし易いのだ。ゴミ捨ての日や、近所で催し物がある時は、可能な限り出るようにしよう。そこでご近所の人と会って、ペチャクチャと喋っていれば、自然と仲良くなるというものなのだ。

●人間は住む場所で人間関係が決まってしまう

 日本はすべての地域が平等に作られているのではない。日本の各地は不平等であって、様々に違う様相を見せ、貧富の格差も激しいものなのだ。昭和憲法体制下では国会を国の最高機関と規定するがゆえに、国会のある場所が最も税金を集めてしまい、豊かになってしまうのだ。それゆえ東京都こそが日本の中で最も豊かな都道府県なのだ。東京が昔から日本で最も豊かであったとは思ってはならない。戦前は大阪府が最も豊かな都道府県であり、東京の経済力は大阪の経済力の3分の1しかなかったのだ。

 その反面、北海道や沖縄県といった辺境地帯では、経済力が乏しく、未だに国の開拓の対象であって、多額の税金が投入されるのだが、そのために北海道庁も沖縄県庁も腐敗してしまい、汚職は当たり前にようになり、統治能力が非常に弱くなってしまっているのだ。北海道や沖縄の自然の美しさに惑わされて、その土地の政治家や官僚たちが腐りきっていることを無視してはならないのだ。

 それから太平洋ベルト地帯では台風が毎年やってくるものだ。それゆえ、この地域に住むなら川沿いに住むべきではないのだ。河川が氾濫した場合、「床下浸水」「床上浸水」が起こるし、下手をすれば住んでいる家が流されてしまうからだ。洪水が起こってからでは遅すぎるのだ。住宅を選ぶ際には、洪水のことを充分に考えてから選ぶことだ。

 それから日本は地震多発地帯なので、地盤の緩い所に住む際は充分に気をつけることだ。現代の地図と昔の地図を見比べて、自分が住んでいる土地が埋立地でないか調査することだ。埋め立て地であるなら、地盤が緩いので、地震が起こった場合に、最大級の被害が出て来るものなのだ。可能な限り、地盤が固い場所に住むべきだし、耐震設計をきちんと施した住居に住むことだ。

 日本全国はどこでも不平等に出来ているのだから、「裕福な地域」と「貧しい地域」があるのは当たり前のことなのだ。経済力が許す限り、裕福な地域に住むことだ。裕福な地域であるなら、民度も高いので、育児が非常にし易いのだ。家族が引っ越す時は、適当に決めるべきではないのだ。人間は住む場所で人間関係が決まってしまうものなのだ。

●新興宗教での母親同士の結びつき

 明治維新以降、日本は近代化に突入し、国民たちの多くが移動を繰り返していった。江戸時代のように一箇所に定住することで終わってしまう人生ではなくなったのだ。しかし、この国民の移動が起これば、当然に人間関係が希薄になってしまい、人心が殺伐としてしまい、人間として最低限の倫理すら崩壊してしまうものだ。

 その危険性を食い止めたのが、実は新興宗教なのだ。明治維新以降、新興宗教は雨後の筍の如くに大量発生して、世の中の急激な変動から溢れた者たちを吸収していったのだ。日本の知識人たちの多くは社会主義に洗脳されているので、宗教を否定的に扱い、「日本人は無宗教」と言う現実離れをした言動を吐くものだが、彼等の目にはこれほど数多くある新興宗教団体が目に入らないのだ。

 既成宗教と新興宗教には決定的な違いがある。それは既成宗教では最早「消えた信仰」になっていまっているが、新興宗教には「燃えるような信仰」があるということだ。勿論、その異常な信仰はその宗教と関係のない人々から見れば奇異に映るかも知れないが、燃えるような信仰があるために、信者同士が強烈な結束を作り出して行くのだ。

 新興宗教団体がなぜ成長するかといえば、それは母親同士の結びつきがえ得られるからなのである。既成宗教ではこの母親同士の結びつきが得られないのだ。あくまでも聖職者と信者の関係になってしまうのだ。見知らぬ人であっても、「私はどこそこの信者ですよ」といって、すぐさま仲良くできるのは、横の繋がりを大事にする新興宗教団体ならでは現象なのだ。

 新興宗教団体のすべてがいいというわけではない。中にはカルト教団があって、信者に対して洗脳を施す教団もあることだろう。そういう教団に入ってしまえば、御利益をがあるどころか、お金のすべてを奪われてしまい、家庭までは崩壊してしまうことになるであろう。カルト教団とそうでない教団を見分ける重要なポイントが、横の結びつきを認めないか、認めるかの違いにあると見ていい。

 新興宗教は常に否定的に見られてしまうが、それではなぜ新興宗教が勢力を強めることができるかとえば、それは国民の要求に応えているからなのだ。これに対して既成宗教は既得権益に胡坐をかいているだけなのだ。既成宗教の中でも、最早死んでしまった宗教を見極めたければ、参拝するのに参拝料を取る教団があれば、その宗教は最早死んでしまった宗教であるのだ。生きている宗教なら、参拝料など決して取らないものなのだ。

 日本では新興宗教団体の競争が激しいために、キリスト教の教団は勢力を伸ばせずにいる。日本のプロテスタントでは日曜学校は最早事実上崩壊してしまっているほど、信者が激減しているのだ。母親同士の結びつきを得られるということでは、キリスト教の教団は失格なのだ。どのキリスト教の教団も女性が重要な役職に抜擢されていることがないことでも、その失態は明らかになるのだ。

 新興宗教団体が勢力を伸ばしていくためには、母親同士の結びつきを得させるだけでなく、教団が母親たちの支援をできるか否かが、教団の成功の分かれ道となるのだ。育児に支援金を与えたり、保育園を整備したり、家政婦を派遣できるようにしていかなければならないのだ。これには莫大な資金がかかるために、勇気を以てこの分野に大量の資金を投入できれば、その教団は勢力を拡大していくことになるであろう。

●人間関係限界理論と人間関係変動理論

 人間は無制限に友達を作っていくことはできない。人間には人間関係を展開することに限界があるのだ。人間関係限界理論によれば、人間は親友を作るのには限界があり、一生の中でせいぜい「3人」というのが平均的な値なのだ。普通の人であるなら、高校生の時に1人、大学生の時に1人、社会人になってから1人なのだ。

 出産して幸せな人生を送るためには、育児をしながら、もう1人親友を作っていくことなのだ。勿論、出産する以前からいる親友がそのまま親友になってくれれば有難い。しかし、現実は出産してから新たな親友を作るということをしていかなければならないのだ。育児で幸せを実感できる既婚女性は、育児をしている最中に親友を作ることができ、それによって育児の苦しみが激減してしまい、育児が楽しくなっていったのだ。

 これに対して、育児で苦しみしか実感できない既婚女性は育児をしながら親友を作ることができず、そのために育児の苦しみが激増してしまい、育児に悦びを見出せなくなってしまったのだ。だが、これには人間関係限界理論から言えば当然の出来事なのである。もしも女性が大学に進学し、社会人となって働けば、親友を作る機会をすべて使い切ってしまい、最早、親友を作る機会が残っていないのだ。人間は自分の人生の中で親友を作り切ってしまうと、もうそれ以上、親友を作ろうとはしなくなってしまうのだ。

 親友を作ることに越したことはないが、もしも親友を作ることができなかったら、人間関係変動理論を適用して、友達を変えていくことをしていけばいいのだ。人間は友達を変えて行かないと成長できないので、育児で出会える様々な出会いを利用して、友達を多く作ることで、自分を成長させていけばいいのだ。

 ママ友作りの理想形は、出産してから親友を作り、友達を変えることによって成長していくことなのだ。いくら親友と仲がいいからといって、友達を多くしていかないと、人間はなかなか成長できないものだ。かといって、友達を多くしていっても、親友がいなければ寂しいものだ。みんな友達と考えるよりは、人間は限られた人としか友達になることができないと思って、友達を大切に扱っていくことだ。

●赤ちゃんを産むと人間関係が広がり、そして深くなる

 赤ちゃんを産むと、人間関係は広がっていくものだ。そして深くなっていくものだ。赤ちゃんがいるだけで、友達が増えていくのだ。見知らぬ既婚女性となら、共通の趣味がなくても、育児の会話ができてしまい、すぐさま仲良くなることができてしまうものなのだ。赤ちゃんを産み育てた既婚女性の話が奥深いのは、この人間関係の広がりがあるからなのだ。

 これに比べて、独身女性というのはいくら活躍しても、人間の底の浅さをなくすことはできないのだ。女性としなければならない「妊娠」「出産」「育児」をしてないと、どうしても精神レベルが上がらず、人間として奥深さが出て来ないのだ。いくら結婚をせず、仕事をしていても、或る年齢を過ぎてしまうと、同じような友人たちに固定されてしまい、いつも通りの日々を送るようになってしまうのだ。結婚せず、赤ちゃんを産まないと、新たな人間関係は展開していかないのだ。

 男性には妊娠や出産ということができないために、友達作りはビジネス中心のものになってしまう。だからといって、女性が男性の真似をして、ビジネス中心の友達作りをしていけば、寂しい人生になってしまうのは当然のことなのだ。女性だからこそ、妊娠や出産や育児を通じて、友達を作っていくからこそ、幸せな人生になっていくものなのだ。

 友達はいきなりできるものではないのだ。結婚し、引っ越しをして、新天地に住もうものなら、友達など全くいないものだ。しかし、そういう時は焦って友達を作るのではなく、孤独に耐えることだ。未来の友情を温めるためには、孤独の時期が必要なのである。孤独にきちんと耐えることができる人だからこそ、その後、友達が出来始めるのである。

 ママ友作りは適当に進めていくのではなく、できることなら親友を作っていくことだ。親友が居れば、深い人間関係を築いていくことが可能になるのだ。そしてできるだけ友達を増やしていけばいいのだ。去年よりも今年、今年よりも来年に、友達が増えていれば、あなたは成長したことになるのだ。逆に友達が増えていなかったり、減っていたりすれば、あなたは成長していなかったことになるのだ。育児を楽しいものにしたければ、せっせと友達を増やしていくことだ。

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年賀状や書中見舞いに赤ちゃんの写真を載せない

●その夫婦にとっては出産がビッグイベント

 初めての赤ちゃんが生まれた夫婦にとっては、その出産と育児はビッグイベントなのだ。夫婦として初めての体験であるがゆえに、その体験は強烈なものとなり、夫婦の絆を強くするものだ。だからといって、自分たちの経験のインパクトをすべての人々が共有するわけではないのだ。

 赤ちゃんが生まれてしまうと、夫婦の中には年賀状や暑中見舞いに赤ちゃんの写真をデカデカと載せる夫婦たちが出て来る。この手紙を貰った人は「一体誰のものだろう?」と不思議がり、差出人の名前を見て、初めて差出人を理解することになる。これほど年賀状や暑中見舞いとして相応しくないものは他にないであろう。

 その夫婦にとっては生まれたての赤ちゃんは可愛いが、しかし実際の生まれたての赤ちゃんはそれほど可愛いものではないのだ。人間の赤ちゃんは未熟児状態で産まれてくるので、生まれたては人間の赤ちゃんとは思えないグロテスクな顔になっているものなのだ。赤ちゃんが可愛くなるのは、生後6ヵ月辺りからなのである。首が据わり、多少は筋肉がつかないと、客観的に赤ちゃんは可愛くないのだ。

 「年賀状や暑中見舞いは夫婦の好みで出しても構わないでしょ」と言いたくなるだろうが、この手の年賀状や暑中見舞いを出す夫婦は、年賀状や暑中見舞いを貰った人のことを考えてはいないのだ。年賀状はあくまでもその年1年間仲良くして貰うために出すものだし、暑中見舞いは猛暑でも元気に過ごして貰うために出すものだ。何も自分たち夫婦の出産報告ではないのだ。

 俺は年賀状や暑中見舞いに赤ちゃんの写真を載せて来るような既婚男性には大した能力がないと思っている。年賀状にしても、暑中見舞いにしても、僅か50円という格安の値段で人間関係を維持できる優れた道具なのだ。これを巧く利用して、人間関係を維持し発展させ、ビジネスチャンスに繋げるというのが、出来る男の遣り方だからだ。そのことが解らなければ、いくら仕事で努力した所で、大した能力を発揮することはできないのだ。

●赤ちゃんの写真は身内だけにする

 昔は年賀状や暑中見舞いは手書きでしなければならなかったために、非常に手間のかかるものであったが、現在ではパソコンで大量に印刷できてしまうものなのだ。それゆえ、すべての年賀状や暑中見舞いを1つの形式で印刷するのではなく、これは「ビジネス用」、これは「友達用」、これは「身内用」と、せめて3種類くらいに分けることだ。

 このうち、身内には赤ちゃんの写真を使ってもいい。親戚たちに赤ちゃんができたことを報告するのは、親族としての義務だからだ。親戚たちにとっては新たな仲間が加わったと思うことだろう。だから、赤ちゃんの写真を使うことにはちゃんとした意味があるし、その写真を使えば有効なのだ。

 これに対してビジネス用は、あくまでもビジネスを展開していく上で、仲良くして頂くものだ。それゆえ、赤ちゃんの写真など使わずに、相手のことを気遣い、「今後とも宜しくお願い致します」ということが伝わる内容であればいいのだ。ビジネスをしている以上、年賀状は来て当然と思う所があるが、暑中見舞いは来てくれると嬉しいものだ。特に中高年になると、夏の暑さが辛くなってくるので、そういう時に若い人から暑中見舞いが来ると嬉しくなるものなのだ。暑中見舞いを貰った相手は、今後、差出人を大切に扱ってくれることになるのだ。

 年賀状や暑中見舞いで友達向けのものは、或る程度整理した方がいい。結婚すると、以前からの友達づきあいが減ってしまい、妊娠や出産や育児を通じて新たな友達が出来始めるからだ。親友でもない限り、昔の友達は減っていくものなのだ。やはり自分たち夫婦に赤ちゃんができた以上、赤ちゃんのいる夫婦たちと仲良くなっていくのは当然のことなのだ。

 「友達用」は一律にしてしまうのではなく、使い分けた方がいいだろう。特に親友に送る年賀状や暑中見舞いを他の友達と同列の物にすべきではないだろう。赤ちゃんのいる友達には、赤ちゃんの写真を使って、互いの赤ちゃんの成長を祝福しあうべきだろう。しかし、夫の男友達には赤ちゃんの写真など必要ないだろう。男同士での連絡の仕方というものがあるからだ。

●年賀状や暑中見舞いはビジネスチャンスのために使用しろ

 結婚をしているなら、これだけは覚えておいた方がいいのは、年賀状や暑中見舞いは単なる挨拶ではないのだ。年賀状や暑中見舞いはビジネスチャンスに繋がる大事な道具なのだ。単なる挨拶なら、書かない方が増しなのだ。相手にインパクトがあるような物にすることだ。

 男性は美的センスが鋭い人を除けば、こういうことに関しては苦手なのだ。それゆえ、ここは妻の出番なのだ。妻が前以て計画し、目立つ葉書に仕上げてしまうことだ。女性脳をフル稼働させて、いかにも美しく、そしてインパクトのある葉書を作ってしまえばいいのだ。色は単色にするな。カラフルにさせよ。できることなら、光らせよ。人間は光る物にインパクトを感じるようにできているのだ。

 年賀状や暑中見舞いで記憶に残るものは、その既婚男性の奥さんが書いたものばかりだ。男性が結婚すると出世し出すのは、こういう作業を妻が担当してくれるからなのだ。仕事で疲れきっている以上、年賀状や暑中見舞い作りに充分なエネルギーを回せないものなのだ。仕事をしていない妻がやってくれるからこそ、仕事が忙しいのに、年賀状や暑中見舞いが充実してくるのである。

 年賀状や暑中見舞いは差出人は投函してしまったら、奇麗さっぱりと忘れてしまっているものだが、それを貰った人は意外と覚えているものだ。特に年齢が上がれば上がるほど、礼儀作法をチェックするようになり、きちんとした年賀状や暑中見舞いが届くと、「この男はやるな」という評価を下して、その後、仕事で抜擢しようとするのだ。

 年賀状や暑中見舞いは書くのが面倒臭いがゆえに、書いている時は面倒だなと思うものである。しかし、送らねばならぬ年賀状や暑中見舞いがあるうちが花なのである。人間は仕事を引退してしまえば、急激に年賀状や暑中見舞いが減ってしまうものなのである。だから、書くのを苦痛に感じても、せっせと取り組んで、人間関係を豊かにしていくことだ。

●男子たるもの家庭のエネルギーを注ぎ過ぎるな

 政府が男女共同で育児に取り組むことを強制し、男女双方に育児休暇を認め、その法律を施行したのだが、実際には、既婚男性で育児休暇を取ったのは1%にも満たないのだ。これに対して既婚女性で育児休暇を取ったのは9割以上に及ぶのだ。これこそが国民の解答なのである。

 結婚は決して男女平等では動かないのである。結婚は男女不平等が当たり前で、育児は既婚女性を中心になって行われるのである。既婚男性は育児にとやかく手を出すのではなく、仕事に精を出して、生活費を稼ぐことにエネルギーを集中させるのである。間違っているのは男女平等に取りつかれた政府の方であって、男女不平等を実行している国民の方ではないのだ。

 男子たる者、家庭にエネルギーを注ぎ過ぎてはならないのである。人間のエネルギーには限りがあるのだから、家庭にエネルギーを注ぎ過ぎれば、仕事に充分なエネルギーを回せなくなり、仕事で手柄を立てることができなくなってしまうのである。そうなれば「あいつは使えない男だ」というレッテルが貼られ、出世などできなくなってしまい、給料があがらなくなってしまうのだ。

 結婚しているなら、妻に任せられることは任してしまえばいいのだ。妻は家事も育児も得意なものなのである。妻に家事や育児を任せれば、自然と妻の能力が高まり、妻が妻として成長してくるのだ。夫が家庭内にいちいち手を出していたら、妻の能力が高まらなくなり、妻が妻としての責任を果たそうとしなくなってしまうのだ。

 その代わり、妻が何かを依頼してきたなら、可能な限りやってしまうことだ。その頼まれた作業は、妻ならできる作業なのである。しかし、妻がやっているのに、家庭内でゴロゴロされると、無性に腹が立つだけなのだ。こういう場合は、素直に応じておくと、妻が怒らなくて済み、それをきっかけに夫婦仲が深まるものなのだ。

 年賀状や暑中見舞いはその夫婦が一体どのような状況にあるかが、明白に解ってしまうものなのだ。赤ちゃんの写真を載せてくるような既婚男性は、妻の管理がまだまだなのである。妻を管理することができないような既婚男性に大きな仕事など任せられないものなのだ。妻としては出産の喜びが非常に大きいから、それをすべての人々にも味わって貰いたいと思っているのだが、そういう行為が夫の出世を台無しにしているのだ。夫を出世させたければ、三歩下がり、夫を立てることである。夫が仕事で活躍してくれるからこそ、自分は出産の喜びを味わえたし、育児の喜びも味わえたと思えれば、まともな年賀状や暑中見舞いを作り、送ってくるものなのである。

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出産祝い金を貰ったら、必ず礼状を書く

●有難い出産祝い金

 育児で苦労するのは、出産時に一時的にお金がかかるからなのである。その急激な出費が家計を狂わしてしまい、その後、ズルズルと家計を火の車にしてしまい、経済状況が最悪な状態で育児をしなければならなくなるからだ。だからこそ、出産前から家計簿をつけて、家計を管理するすることが大事になってくるのである。家計簿さえつけれいれば、事前に出産費用を積み立てることができるので、出産や育児でお金に困らなくなり、出産後の家計を安定化させることができるからだ。

 家計簿の重要性は金持ちだろうが、貧乏人だろうが、全く変わることはない。金持ちでも家計簿をつけなければ、家計は火の車になるし、貧乏人なのに家計簿をつけなければ、一家離散が確実なものになってくるのだ。冷静に考えれば、出産費用も育児費用もそんなにかかるものはないのだ。しかし、一度にその金額を纏めて請求されれば、大金に見えてしまうだけのことなのだ。だからこそ、赤ちゃんが生まれる前からコツコツと貯金していけば、その金額はすぐに貯まってしまうものなのだ。

 現実は家計簿をつけない既婚女性が大半だから、出産時に貰える「出産祝い金」こそが急激な出費を乗り切るために重要なお金となってくるのだ。女性が生きている中で貰うお金で、自分が働いて稼いだお金以外で、これほど嬉しいお金は他にないであろう。女性にとって出産は命懸けの行為であって、その後に出産を祝ってお金が貰えるというのは、本当に有難いのだ。

 その夫婦に親戚や友人が多いと、この出産祝い金を合計すると、簡単に出産費用を上回ってしまうのだ。これで家計が狂ってしまうことがなくなるのだ。親戚や友人が少ない夫婦でも、出産祝い金が出産費用ほどにはならなくても、出産費用を出費することにそれほど苦痛にはならなくなるものだ。

 赤ちゃんを産んだのなら、赤ちゃんを連れて顔見世興行に行くことだ。親戚や友人たちの所を回って、出産祝い金を貰ってくるのだ。こういうガメついことをやっておかないと、折角貰えるお金が貰えなくなってしまうものなのだ。そして出産祝い金を出してくれた親戚や友人たちは、今後の人生で大切にした方がいい。こういう時にきちんとお金を払う人こそ、いざという時に大切にしなければならない人たちだからだ。

●礼状を書く習慣

 出産祝い金を貰ったら、そのままにしておいてはならない。出産祝い金を貰ったら、必ず礼状を書いて、感謝の意を現わしておくことだ。感謝の言葉を口に出しても無駄だ。感謝の言葉は必ず文章で残すことだ。言葉は消えてしまうものなのだ。文章だから残っていくのである。出産祝い金を出した方にとっては、祝い金を出した後日に、礼状がくれば嬉しいものなのだ。

 礼状を書くのを面倒臭いと思うな。出産祝い金に対するものだけでなく、今後、結婚していれば、礼状を書く機会は何度もあるので、筆マメになることだ。夫の仕事関係で、実際に礼状を書くのは妻の仕事なのだ。その妻が筆マメになってくれると、夫は妻を安心して使えるようになり、仕事の負担が軽減するのだ。それゆえ、妻と一緒に居る時は妻を大切にしようと仕出すし、仕事で疲労し尽くして帰ってくるということがなくなるのだ。

 礼状を書く時は絶対にテレビを消すことだ。礼状を書くと、その書いた人の念力が礼状に入り込むために、真剣になって書くとその念力が強くなり、その礼状を貰った人は感動するようになるのだ。テレビを見ながら雑念だらけで礼状を書くと、その雑念が礼状に入り込むために、その礼状を貰った人にうざがられるだけになってしまうのだ。

 礼状を書くのを溜め込んでしまえば、礼状を書く時間が長くなってしまう。そのため、礼状は出産祝い金を貰ったその日にしてしまうようにし、すぐさま投函 してしまうことだ。そうすれば礼状を書くことが面倒臭いことにならないし、出産祝い金を出した方もすぐさま礼状が貰えるので、その感謝の意を覚えて貰えるようになるのだ。

 すぐに礼状を書くためにも、自宅には常に「官製はがき」「便箋」「封筒」「切手」を用意しておくことだ。自宅にそれらがあればすぐに書けるものなのだ。いざ書こうと思っても、自宅に葉書や便箋がなければ、書く意欲は減少してしまい、そのうち書く機会を失ってしまうものなのだ。

 いくら携帯電話のメールやパソコンのメールがあったとしても、それで感謝の意を伝えないことだ。こういう時代だからこそ、敢えて葉書や封筒で届くということに意味があるのだ。通常の連絡はメールでしても構わないが、大事な用件であるなら、葉書や封筒で行うべきなのだ。

●出産ラッシュの時に備えよ

 出産祝い金を貰うということは、こちら側も誰かが出産すれば出産祝い金を出さねばならないということだ。まずは自分たち夫婦に出産祝い金をくれた人たちをリストアップしておき、その人たちには必ず出産祝い金を渡すことだ。こちら側が出産祝い金を貰ったのに、その相手に出産祝い金を出さなかったから、これほど無礼なものはないのだ。自分たち夫婦はうっかり忘れていても、出産祝い金を貰わなかった夫婦はいつまでも根深く覚えているものなのだ。

 現実問題として、出産祝い金をどの人に出せばいう線引きは非常に困るものなのである。親戚でも日頃から会っている親戚には出せるが、滅多なことでは会わない親戚に出していいものか悩むものなのだ。遠縁の親戚でも実は有力者だったり、その親戚がこちら側と仲良くしたいのに仕事の関係で会えないだけということもあるからだ。友人でも親しい友人なら快く出せるが、もう殆ど会っていない友人だとか、仕事上の上辺の付き合いだとか、どこで線引きすればいいのか非常に難しいものなのだ。

 こういう時は自分本位で考えるのではなく、相手の立場になって考えることだ。相手が自分から出産祝い金を貰ったら本当に嬉しいのかを考えればいいのだ。余り嬉しいのではないなら、切り捨ててしまうことだ。相手が嬉しいのであるなら、思いっ切って渡してしまうことだ。ここいらの線引きは常識の範囲内でやることだ。絶対に闇雲に出すべきではないし、かといって切り捨てすぎるのも問題だ。あくまでも自分たち夫婦の人間関係が今度巧く行くように配慮すればいいのだ。

 20代や30代では誰もが出産の時期を迎える。そのため、給料をすべて生活費で使ってしまうのではなく、家計は必ず繰越金を残しておくことだ。その繰越金の中から、出産祝い金を出すようにすることだ。こうすれば生活費を圧迫させずに、出産祝い金を出せることができるのだ。

 友人の間で出産ラッシュになると、出産祝い金が飛ぶように出て行くものだ。こういう時はお互い様と思って快く出してしくことだ。出産で一時的に家計が苦しくなるのは、どの夫婦も同じなのだ。その際にきちんと出産祝い金を寄越しておかないと、いくら仲良くして、どこかで敬遠されてしまうことになってしまうのだ。

 サラリーマンだと出産祝い金は必要経費に成らないが、自営業者だと出産祝い金を必要経費で落とせるのだ。これは自営業者の仕事の有難味なのだ。自営業者は必要経費で落とせるために、出産祝い金をポ~ンと心地よく出していくものだ。そのために人脈が増え、その人脈を辿っていくと、ビジネスチャンスが見つかり、出産祝い金とは比較にならないほどの大金を得ることができるのだ。

 俺が夫婦でプライベート会社を設立することを勧めるのは、この必要経費を使えるためなのだ。その夫婦の出産祝い金を会社の必要経費で落とせば、生活費を圧迫しなくて済むし、それどころか出産祝い金を出したことでビジネスチャンスを掴むことができるからだ。そうなれば自分たち夫婦があっという間に億万長者になっていくものなのである。

●この世は持ちつ持たれつ

 政府に社会保障の充実を要求し、出産費用や育児費用をすべて賄って貰うというのは、非常に危険な発想だ。政府がそういことに手を出してくれば、税金が非常に重くなるし、政治家や官僚がその仕事の中で汚職をし始めるからだ。政府が本来やるべきではない仕事に手を出すと、必ず政治家と官僚の汚職が始まるものなのである。

 政治家に社会保障の充実を訴えるような既婚女性たちは、人間関係が希薄なのだ。結婚すれば人間関係が広がっていくので、出産すれば出産祝い金が大量に届くものなのである。それが起こらないということは、その既婚女性がちゃんとした友人を持っていないということなのだ。

 政府に不平不満をぶつけることで、人為的に仲間を作っているにすぎないのだ。こういう人たちは精神的に自立していないし、まともな友情も持ち合わせていないものだ。赤ちゃんがいる新米ママがいくら政治のことを言っても無駄なのである。それよりも政府に頼らず、自分たち夫婦の力で赤ちゃんを育てていくことだ。そういう独立心の強い親から育てられれば、赤ちゃんはスクスクと健康に育っていくものなのだ。

 この世は持ちつ持たれつなのだ。お金が必要になったら、お金は持っている奴が出せばいいのだ。そういう人間関係を日頃からきちんお築いておくことだ。政府が社会保障を充実させればさせるほど、国民一人一人が人間関係を大事にしなくなり、いざという時に困窮してしまい、何もできなくなってしまうのだ。

 いかなる世の中にあっても、優れた人物というのは、独立自尊を確立し、自助努力と相互扶助を惜しまないものだ。そういう人物が多ければ多いほど、その国民は富み、強く、世界史の担い手になっていくものだ。逆に社会保障が整備されている国家ほど、国民の多くが精神的な自立すら果たしておらず、自助努力をせずに不平不満を垂れ、相互扶助をすることなく、自己中心的で卑劣な生き方をするものなのだ。自分たち夫婦が出産しても出産祝い金が貰えなかったら、それは世の中や政府が悪いのではなく、自分たち夫婦が希薄な人間関係しか築いてこなかったということなのである。日頃からちゃんとした人たちとちゃんと友情を築き上げ、自分たち夫婦が出産したら出産祝い金を貰えるような仲を作り上げておくことだ。

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氏族で氏族会を作る

●年に1度は親戚との付き合いを必ずしておく

 子供の頃から親戚づきあいをしていくと、その子供はグレないという。確かにその通りで、思春期になって手のつけられないようなグレ方をするのは、決まって親戚づきあいをしないか、少ないかの家庭で育った人たちであった。子供の頃や青春時代に一番知りたくなるのは、「自分の血のルーツ」であって、この自分の血のルーツを確認できないと、人間は有り得ないくらいに凶暴になってしまうのだ。

 更にいうなら、親戚同士では「長幼の序」がしっかりと形成されているために、自分が反抗期に入って両親に反抗し出したとしても、親戚たちにまで反抗することはないので、反抗期を迎えても、意外と大人しい反抗になってしまい、そのうち反抗が消え、その青春の有り余るエネルギーを自分の夢に投入しすることができるようになるのだ。

 ところが、この世には親戚巡りを嫌がり、自分の世界に閉じ籠ってしまう人たちもいるものだ。そういう人たちは、「近代的自我の確立」とか、「個性の尊重」とか、「個と集団の対立」などと訳の解らないことを言い出してくるのだ。どんなに難しい学術用語を使ったとしても、要は子供の頃に親戚巡りをしてこなかったために、精神的な自立を成し遂げることができず、その不満を社会にぶつけているだけなのだ。だが、社会にいくら不満をぶつけても、精神的な自立は絶対にできないのだ。

 親戚巡りはやってみると面倒臭いものなのである。手ぶらで訪問するわけにはいかないから、何か手土産を持っていかねばならないし、親戚との会話などテンポが遅いし、丁々発止とはいかないものなのである。親戚同士が集まると、低俗ではないが、下らない話をするものだ。それでも自分の子供たちを連れて親戚巡りをしていると、子供たちはそれを楽しんでいるし、子供を種に話が盛り上がり、親戚同士の仲も更に良くなっていくのである。

 友人は確かに大切だ。しかし、土壇場になった時、友人は意外と役に立たないものだ。もしも将来、自分たち家族に何か重大な問題が発生した時に、役に立つのは親戚たちなのだ。勿論、日頃から親戚同士の付き合いをきちんとこなしておかないと、役立ってはくれないだろうが、「血は友情よりも濃い」ものなのである。親戚は役に立たないようで、非常時には役に立つのだ。

 農村や漁村に住んでいれば、親戚との付き合いの重要性は解ることだろう。しかし、都会に住んでいると、親戚との付き合いをしなくても、別に困ることはないのだ。それゆえ、いざという時に、親戚の力を借りることができないし、自分の子供が有り得ないようなグレ方をしてくるのだ。都会で未成年者の凶悪犯罪が発生してくるのは、その犯罪を犯した少年の両親が親戚づきあいをしてこなかったからなのである。

●氏族会の必要性

 都会に住めば、農村のように自然発生的に親戚づきあいができるとは思わない方がいい。親戚同士の距離が離れているのだから、人為的に交流を持ち続けないと、呆気なく壊れてしまうからだ。そして一度でも親戚同士の関係が破壊されてしまうと、それを復活させるのは非常に困難なことになるのだ。

 そのためにも、「氏族会」を作って、氏族を束ねておくことだ。氏族会の目的は、まず氏族内での定期的交流の確保である。氏族会があれば、個別に親戚巡りをするのではなく、一度に全員を集めてしまえばいいのだ。そうすれば、億劫な人でも参加させることが可能になり、それを切っ掛けに親戚同士の仲が深まっていくのだ。

 氏族会はその他にも、「氏族の名簿作り」や「墓地の共有」や「家系図の確保」といった個人の力では困難な仕事をやって貰うと、氏族内の人々は非常に便利になるのである。例えば、今度引っ越すことになったのだが、新天地で遠い親戚がいれば、その人からその土地の情報を貰え、仕事で成功し易くなるのだ。墓地にしても、バラバラに存在していたら墓参りも面倒になってしまうが、集中して墓地を作ってしまえば、一度にすべての墓に参ることができるのあ。家系図にしても、自分たち家族の直系の家系図は作れても、傍系の家系図など書き切れるものではないのだ。自分で調べて家系図を作ると、とんでもない労力と時間を費やしてしまうのだ。それが氏族会にきちんと家系図が存在していれば、その労力と時間を節約でき、他のことに痞えるのだ。

 氏族会は小さければ、「法人格なき社団」として活動していればいい。氏族会で代表者を選んで、その人の名義で財産を所有していればいいのだ。しかし、氏族会も大きくなってくると、何かと不便が生じてくるので、その時は、「財団法人」にするなり、「社団法人」にするなりして、法人格を取得してしまうことだ。法人格を持っておけば、税制面での優遇措置を得ることができるし、財産上のトラブルが激減するのだ。

 氏族会は成人した氏族全員に投票権を持たせることだ。代表者を選ぶのは、世襲ではなく、代表者として適した能力のある人物を選挙で選ぶことだ。代表者にしろ、理事たちにしろ、それらはすべて男性を選ぶことだ。氏族会で女性が代表者になったり、理事になったりすると、氏族内がごちゃごちゃになってしまい、崩壊してしまうのだ。氏族はあくまでも男系相続で成り立っているので、基本的には余所者である女性が氏族会を動かしてしまうと、男性たちが氏族会で活躍しなくなってしまい、そのうち脱落していってしまうのだ。

 女性には監査役の仕事を与えて、会計を監査させればいいのだ。氏族会内部で揉めることがあるとしたら、それは必ず不正な金の流れを伴うので、このような事態が起きないように、女性に監視させればいいのだ。氏族会での重要な話し合いには絶対に口を挟まないことだ。自分の不注意な発言のために、夫もろとも氏族会から追放されてしまうことだってあるのだ。

●氏族会に或る程度の資金を持たせる

 氏族会の資金は、基本的には氏族会のメンバーから会費を徴収していくしかない。もしも氏族会のメンバーに裕福な人がいれば、その資産を割いても貰い、氏族会の資産として組み入れてしまうことだ。こうすれば財政的に安定化することができ、資産を運用して資産を増やしていけばいいのだ。

 氏族会の資金は氏族会の運営に使われるととも、「冠婚葬祭での資金援助」にも使用される。出産は一時的に費用がかさむために、そういう時に氏族会から出産祝い金を貰えば、金銭的な苦労がなくなるものなのだ。それ以外にも子供の進学祝いなどにも、少しでもいいからお金が貰えれば、家計を苦しくさせなくて済むのだ。

 氏族会での資金は可能な限り備蓄しておくことだ。その貯まったお金を「緊急時での資金援助」として使えばいいのだ。災害に罹災した場合、氏族会から資金援助を受ければ、早くに災害から立ち直ることができ、仕事を再開することが可能になるのだ。お金がないばっかりに、避難所暮らしをいつまでも続けていたら、労働力の無駄でしかないのだ。そんなことをしていたら、益々貧しくなっていくだけなのだ。災害時には政府や地方自治体は応急処置を施してくれるが、それ以上のことはやってくれないものなのだ。政府や地方自治体に甘えるのではなく、平時から氏族会を作って、災害に備えておくべきなのだ。

 もしも氏族内で起業する者が出て来たのなら、起業資金を無利子で貸してあげることだ。会社というのは、起業する時に、最もお金がかかるものなのだ。どの起業家も最初の資本金で苦労するものなのだ。それゆえ、起業家に資金を無利子で貸してあげて、ビジネスチャンスを掴ませてあげるのだ。そしてその起業家が事業を成功したのなら、利益を折半することだ。そうすれば氏族会としても、ただ単に金を貸すよりも、高い利益を得られるし、起業家の方も利息の支払いで苦しむことがなくなるのだ。

 氏族会で問題が起こるとするなら、必ずお金の問題なので、お金のことに関しては、絶対にクリアにしておくことだ。予算や決算、繰越金はいくらで、資産はどのくらいあり、そして会計検査報告書をきちんと正確に公開していくことだ。決して裏金を作ったりしないことだ。裏金を作り出したら、会計が滅茶苦茶になってしまうからだ。氏族会のお金で不正を働いた者には、必ず多額の罰金を科して、二度と起こらぬようにしておくことだ。

●氏族内でのビジネスチャンス

 氏族会というのは、ただ単に親戚同士の集まりではないのだ。氏族会の内部で交わされる何気ない会話が巨万の富をもたらすことだってあるのだ。或る人にとってはこれをやれば儲かるんだけど、今は仕事で忙しい場合、氏族会の他のメンバーに勧めれば、その者がビジネスチャンスを掴んで、大成功するということだってあるのだ。

 氏族会の凄さは、氏族の中で一人が成功し始めると、続々と成功し始めるということなのである。自分では無理だろうと思っていても、親戚たちが成功し始めてしまえば、「俺にもできるんじゃないかな」と思うようになって、自分の限界を突破していくことになるのだ。人間は群生動物なので、こういうことが起こってしまうのである。自分一人で努力しても、成功しないことの方が多いのだ。

 氏族会はビジネスを進めていく上で、貴重な知恵をくれるものなのだ。例えば、毎年、台風の季節になると、台風が来ているというのに、農家の人が田圃を身に行って、鉄砲水に流されてしまうという事故が起こるものだ。これは都会に住んでいる人には解りにくい出来事だろうが、稲は台風で倒れてしまうと、収穫が出来なくなるから、農家の人は危険を冒してまで田圃の様子を見に行くのである。

 しかし、我が母親の実家の農家はこの手の死者を出したことがない。というのは、水稲栽培一本にするのではなく、必ず陸稲栽培もして、台風で田圃が全滅しても、陸稲で収穫を確保しているのだ。農業をしたことがなければ、水稲も陸稲も同じだろうと思ってしまうのだが、水稲というのはなんと陸稲の30倍もお米が収穫できてしまうのだ。だから、どの農家も陸稲をやめて、水稲栽培一本にしてしまうのだ。だからこそ、台風の時に稲の全滅を恐れて田圃を見に行き、死んでしまうことになるのだ。

 これは農業以外のビジネスをやる時に、非常に参考になるのだ。どのビジネスマンも最も高い収益を生ずる仕事を優先的にしていくものだが、ビジネスをするなら、たとえ収益が低くても、それが絶対に安全であるなら、それを切り捨てないで、ビジネスの保険として仕事をやっていくべきなのである。そうすれば、いくら不況が来ようとも、常に仕事に有り続け、恒常的に確実に収益を上げ続けることができるのである。

 自分が働きまくってゼロから積み上げていくよりも、氏族会で他の親戚たちに知恵を貰って、高いレベルからスタートした方が成功し易いのだ。氏族会さえあれば、その氏族から続々と優秀な人材が出て来るものなのである。馬鹿の一つ覚えの如くに、余りにも個人を尊重し過ぎないことだ。どの国家も氏族がなければ成立しないのである。個人の力を過信するよりも、氏族の力を認めて、それを正しく使っていくことだ。

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本家の資産確保と分家の資産形成

●平等に相続するということは、タワケの悪行である

 飛鳥時代、奈良時代、平安時代を通して、関東地方は開拓のラッシュに沸いていた。古代には関東地方に蝦夷たちによって王国らしきものが作られたが、大和朝廷は関東に何度も軍隊を送り込んで、攻め滅ぼしてしまっている。そのために関東地方の経済レベルが下がってしまい、そこに出雲親族を移民させたり、高句麗や百済や新羅から渡来してきた帰化人を投入し開拓に従事させた。これが関東地方を活性化させたことは間違いなく、経済力を着々と拡充していき、後に鎌倉幕府の成立を見ることになる。

 鎌倉幕府は要は開拓民によって作られた政府であったために、武士たちの相続システムを子孫に均等に分け与えるということにした。開拓地であるために土地がたくさんあったので、子孫に均等に分け与えても、なんの問題もなかったのだ。しかし、人口が増え始めてくると、農地を均等に分けてしまうと、農業経営そのものが巧く行かなくなってしまい、武士たちは途端に窮乏してしまったのだ。鎌倉幕府は元寇を防いだ後、国力を消耗して滅亡してしまったが、だが、元寇がなくなても、鎌倉幕府の相続システムが、最早、時代に適合しないものになっており、そのために遅かれ早かれ崩壊したに違いないのだ。

 室町時代や戦国時代は、日本は戦争で荒れに荒れまくった時代なのだが、要は武士たちの生活を巧く成り立たせる相続システムを形成し得なかったからなのである。自分の相続を認めてほしいから、征夷大将軍についたり、鎌倉公方についたり、守護大名や戦国大名についたりしているのである。それが常に戦争という形で現れてきたにすぎないのだ。

 徳川家康はさすがに戦国時代で辛酸を舐めたために、江戸幕府が成立すると、相続は長子相続に限定して、武士たちの相続争いを防いでしまった。相続の仕方こそ武士たちの争いの原因だったから、この法令が制定されると、立ち所に戦争がなくなってしまったのだ。だからこそ、江戸時代は非常に平和で、経済的にも豊かに成り、華麗な文化も花開いたのである。

 ところが、この民族の偉大な教訓を捨てて、国際連合の占領中にどさくさに紛れて均等相続を復活させ、民法を改正してしまった奴がいるのだ。それが民法学者「我妻栄」である。この男は「隠れ共産党員」で、日本国に社会主義革命をもたらすために、日本国民の家族が破壊されるように民法を改正したのだ。戦時国際法では占領中にその国の憲法や法律を改正することは違反なので、この民法改正は国際法に違反したものなのである。

 「均等相続」や「遺留分」はすべて我妻栄の発案によるものである。この相続法のために日本では常に相続で混乱になっているのだ。当たり前のことだが、この均等相続をやってしまえば、必ず問題が発生し、遺族同士で争わなければならなくなるからだ。しかも、それに累進課税を内蔵する相続税によって莫大な税金がかかってくるために、日本国民は先進国の中でも非常に貧しい国民になってしまったのだ。日本国民が貧しいのは、民法と相続税のお蔭なのだ。

 普通、先進国に成れば、相続による大金持ちや小金持ちが続出してくることになる。彼等は成り上がってくるために労力を使うことがないから、若いうちからそのお金を利用してビジネスを展開することができるので、非常に優れた商品やサービスを作り出すことができるのだ。しかも、子供の頃から豊かな暮らしをしているので、消費者の立場に回っても、優れた商品やサービスを購入しようとし、それが経済の質を向上させていくことになるのだ。

 西ヨーロッパに行くと、街並みも奇麗だし、民度も高いことに驚かされるが、これは相続によって大金持ちや小金持ちがたくさんいるからなのである。一方、アメリカ合衆国は日本と同様に相続税が高いので、相続による大金持ちや小金持ちが出現しにくいのである。だからこそ、街並みは汚いし、民度も低いのだ。相続法や相続税は想像以上に国民の命運を左右するものなのである。

 昭和憲法体制下では民法には殆ど改正らしい改正を施していない。しかし商法は問題が起こるたびに改正され続けたので、会社は非常に豊かになったのである。「戦前は自営業者が豊かになり、戦後は会社が豊かになった」と言われるのは、このためなのだ。法律というものは、問題があれば改正していくべきであって、何十年と何も改正せずにいると、そのツケは国民の貧困化として現れてくるのだ。

●家督相続者の相続の仕方

 赤ちゃんを産んだのなら、将来の相続に関してルールを作っておくことは大事だ。今の日本の民法に従って相続してしまうと、子供同士で争いが起こることは必死だからだ。相続のルールは自分たち夫婦が作り、それを文書化しておくことである。知恵ある相続の仕方はたった一つだけしかないのだ。家督相続者にのみ相続させるという遣り方だ。

 農業をやっているなら、絶対に農地を分割しないことだ。農業は農地を分割されてしまったら、農業経営など成り立たないものなのだ。会社を経営しているなら、絶対に株式を分割しないことだ。会社は株主の意向が反映されなければ、従業員たちに経営を乗っ取られるのが必然の流れだからだ。

 いくらたくさん赤ちゃんを産んでも、その子供たちの中から家督相続者を決めて、その家督相続者に遺産を集中させることだ。家督相続者は長幼の序は問わない。家督相続者として適した能力のある者に家督を継がせることだ。いかなることがあっても、自分たち夫婦の遺産の半分は家督相続者に相続させるべきなのである。そうでなければ、家督相続者は家督相続者として兄弟姉妹たちに振る舞うことができなくなるからだ。

 家督相続権者以外には、相続権を放棄させ、お金で処理することだ。要は生前贈与という形を取るのだ。その際、相続は家督相続者に主だった遺産を相続させることに同意させ、文書化し著名捺印させることだ。これは家族全員が集まって、その中で行わせるのだ。こうすれば自分たち夫妻が死んだ後に、相続争いが起こることはないのだ。

 子供を産んだ以上、その子供たちのために相続の仕方を定めておくことは、親の義務なのである。相続というのは原則的に「一子相伝」だ。家督相続者のみが自分たち夫婦の遺産を継承し、そして墓を建ててくれ、墓参りをしてくれるものなのである。纏まった遺産を渡さないで、自分たちの死後のことを面倒見てくれといわれても、誰もしないものなのである。

●分家の相続の仕方

 相続というものは、家督相続者が本家を守り、それ以外の者たちは外に出ていくということなのである。そうやって他の人たちを追い払うからこそ、その者たちは違う場所で活躍することができ、一族は繁栄していくことになるのである。これはその立場に立たされれば、誰もがその非情さに涙する過酷ね試練なのである。しかし、この過酷な試練を乗り越えなければ、一人前の男や女になれないのである。

 自分の息子が分家として出ていくことが決まった際は、分家に分家を起こすための資産を分け与えることだ。どの分家も当初、経済的に苦しくなってしまうのは、最低限の資産がないからなのである。jこの資産が形成されるまで分家は貧乏なものなのだ。だから、分家になる自分の息子が結婚した時に、生前贈与という形で多少の資産を与えて、分家の財政が巧く行き易いようにしてあげればいいのだ。

 自分の娘は嫁として他家に嫁いでいくので、その際には「結婚持参金」を持たして嫁がせることだ。花嫁というのは、無一文で嫁いでくれば、立場が非常に悪いものなのである。花嫁は結婚持参金を持って嫁いでくれば、その結婚持参金を資産運用に回して、その配当が収入としてカウントできれば、夫婦がピンチになった時に、そのお金を使うことができ、夫婦の窮状を救うことができるのである。こういうことを妻がやってしまえば、夫は絶対に妻を蔑ろにしないものなのである。

 分家になった息子や、他家に嫁いでいった娘には、生前に既に相続分を与えているので、絶対に相続に参加させないことだ。この原則が貫かれれば、相続で揉めることはないのだ。後は家督相続者が相続税をどのようにして払うかであり、そのための資金を事前に用意しておくことだ。

 特に相続のする際、女性を絶対に相続に参加させるな。女性が絡んでしまうと、普通なら纏まる話でも過去の問題を持ち出してきて、纏まらなくなってしまうからだ。いくら自分の娘が可愛いからといって、この排除措置を取れないと、まともな形で相続することができず、相続権者全員が親の不甲斐なさを嘆き、恨みに思うようになるのだ。

●骨肉の争いでお金が絡むと悲惨な結果になる

 人間同士の争いで、骨肉の争いほど悲惨になるものはないのだ。血を分けた者同士ということで、甘えがあるために、通常なら治められる争いでも、血の雨が降るまで争ってしまうのだ。しかもそれにお金が加わってくれば、どうやっても悲惨な結果にしかならないのだ。いかなる理由があっても、骨肉の争いは避けよ。遺産ごときで兄弟喧嘩をさせないことだ。大事なのは、遺産ではないのだ。兄弟姉妹同士の結束なのである。

 親の遺産を相続するということは、親の仕事を継承するということなのだ。相続しないのなら、職業選択の自由があって、自由に自分が好きな仕事を選べばいいのだ。分家にそういう強みがあるのだから、遺産を欲しがるべきではないのだ。遺産を継承すれば、自分がその仕事は好きではないのに、その仕事をしなければならないということなのだ。

 そして家督相続権者は、自分の父親が死んだら、自分の母親の面倒を最後まで見なければならないのだ。遺産を貰っている以上、その介護を行うのは当然の義務なのだ。こういうことが定められていれば、介護保険など要らなくなるし、老人ホームも要らなくなるのだ。そうなれば介護保険に奪われていた資金が他の産業に投入できることになるし、老人ホームに奪われた人材を他の産業に投入することができ、経済を発展させることができるようになるのだ。特に介護保険がなくなれば、政治家や官僚の汚職もなくなり、余分な公務員を雇わなくても済むようになり、国民の税負担は非常に軽くなるのだ。

 戦前の日本が大躍進を遂げたのも、それは日本国民に適した相続システムを持ち、常に分家を外に追いやることで、発展させていったからなのである。戦後の日本は確かに荒廃した国土を復興させたが、愚かな民法や相続税があるために、国内では常に内ゲバ状態で、国力を消耗しまくっているのだ。

 日本が将来、絶対に行うべきことは、「相続法の改正」であり、「相続税の廃止」である。相続は家督相続が原則なのであって、それさえ復活させれば、現在日本が抱えている問題の大半は消滅してしまうことになるのである。なぜ多くの夫婦が子供を1人や2人しか産まないかといえば、遺産相続の争いが怖いからなのである。家督相続によって、分家は出て行くのが宿命と解れば、いくらたくさん子供を産んでも、子供たちは分家して外に飛び出していくことになるのだ。

 相続税の廃止は絶対にやらなければならないことである。相続によって大金持ちや小金持ちが大量にできれば、街並みは美しくなり、民度は上がっていくものなのである。戦前の日本が貧しくとも街並みは奇麗で、低学歴だというのに民度が高かったのは、相続税がなかったからなのである。相続税を廃止すれば、国庫にお金が行かなくなるのだから、政治家や官僚たちも税金の無駄遣いをしなくなるものなのだ。選挙のたびにいくら「税金の無駄遣いをやめろ!」と公約したとしても、相続税がある限り、政治家や官僚は税金の無駄遣いをしてしまうものなのである。増しては増税をしたり、新たな税を作り出せば、政治家や官僚たちは益々税金の無駄遣いを繰り返すものなのである。

 夫婦はいくら赤ちゃんが可愛いからといって、可愛がっているだけでは駄目なのだ。その赤ちゃんに相続させるだけの資産を形成していくべきだし、その後も赤ちゃんをたくさん産んで、分家として外に出し、嫁として他家に嫁がせることによって、自分たちの家族を繁栄させていかなければならないのだ。そうやって自分の子供たちの未来が解っていれば、働き甲斐もあるし、資産も急激に増えていくものなのである。

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