子供の嘘は現実と空想の区別がつかないだけ
●子供の心の中で出来上がる上位自我
赤ちゃんを産み育て、その赤ちゃんが初めて「ママ」や「パパ」と言った時は感動ものだが、子供がちゃんと喋られるようになってから、有り得ないような話を聞かされるのも、それと匹敵するくらいの感動なのだ。男親なら、仕事で疲れて帰宅した時、娘から「今日ね、妖精さんを見たの」という奇想天外の話を聞かされれば、仕事という現実と、妖精さんという空想の話には余りにもギャップが有り過ぎて、爆笑してしまうのだ。
「それでその妖精さんと何をしたの」と話を聞くと、娘はきちんと話をして、物語が出来上がっているのである。これが息子だとこうはいかない。もしも「今日ね、怪獣を見たの」と言ってきても、「それでどうなった?」と尋ねると、いきなり「終わり」。この辺りが女の子と男の子の性差が如実に現れて来ることなのである。
人間の子供は一人で育つわけではない。母親と密着しながら育てられるために、人格の成長に甚大な影響をもたらすことになる。自分の人格だけが育つのではなく、自分の心の中にもう一つの人格を発生させることになる。これが「上位自我」であり、子供に上位自我ができるからこそ、「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」という複雑な遊びができるのである。上位自我が出来始めると、擬人化を行うことができ、この手の妄想が始まるのである。
上位自我は言わば、子供にとっての「良心」の役割を果たす。自分が何をすれば正しいかを自動的に律してくれるのだ。子供の心の中にきちんと上位自我が形成されれば、それほど母親の手を焼くことのない子供になってくれるものなのである。女の子の方が育て易いと言われるが、女の子は母親と同性であるために、母親の人格が入り易く、健全な形で上位自我が形成され易いのだ。男の子の場合は、父親が仕事でいないために、父親の人格が入りにくく、あやふやな形でしか上位自我が形成されないのだ。
上位自我は良心を作り出すだけでなく、「嘘」をも作り出す。上位自我ができたことで、現実にどっぷりと浸かっているわけではないので、現実から離れた空想を生み出すことができるのである。これが可愛い形で現れれば妖精さんなどが出て来る「妄想ワールド」が展開されるし、これが憎たらしい形で現れれば「嘘」という形で現れて来るのだ。
●してはいけない嘘
育児をしていく時に、今まで「自分の天使ちゃん」だと思っていた自分の子供が、途端に嘘をつき始めることには、母親ならビックリするものなのである。赤ちゃんの時には嘘をつかなかったのに、言葉が喋れるようになってから、途端に嘘をつき始めるからだ。相手は子供ゆえに、嘘が発覚する事件は些細なものなのだが、嘘をつかれたために激怒してしまい、子供が泣きわめいているのに、叱り続けてしまうのである。
子供がそれだけ成長したということなのであるが、母親の方はそうは受け止められないのだ。今まで嘘をついてこない人から嘘を聞かれれば、自分はこの子から裏切られたと思ってしまうのだ。子供は母親を裏切ったわけではなく、健全に成長したからこそ、嘘をつjける能力を持ったのだが、母親は決してそのようには受け取らないのである。
勿論、子供が嘘をついたのなら、親として叱らねばならない。しかし、自分が感情的になって怒りを爆発させてはならないのだ。そうなれば、子供の精神的な成長を歪めてしまい、子供は母親を心の中で拒絶するようになってしまい、その後の成長で子供の方が怒りを爆発させてくるのである。
だからこそ、子供を一人産み育てるのではなく、子供を多く産み育ていく必要性があるのだ。子供が嘘をつく頃には第二子を妊娠していれば、子供の嘘といえどもそれほど激怒することなく、冷静に対処できるようになるのだ。子供の方も母親が妊娠していれば、それほど悪どい嘘をつかないものなのである。
子供が嘘をついた時に、絶対に叱らねばならないのは、「親に対して嘘をつくこと」に対してなのである。母親がすべての嘘を取り締まるのではなく、自分を産み育ててくれた母親、正確にいうと父親もなのであるが、親に対して嘘をついた場合は、それを見つけ次第、しっかりと叱っておけばいいのである。そうすれば、「親に対する嘘はいけなんだな」ということが心に刻まれ、嘘をつくことに対して制限を与えることになるのである。
●していい嘘
「子供は純真だ」なんて思わない方がいい、それは大人たちが作り上げた妄想なのである。子供は嘘をついてくるものなのである。嘘をつくことによって上位自我を使う術を覚えていくのである。子供がオママゴトや怪獣ゴッコで空想を遊ぶことによって上位自我を使う術を覚えていくように、嘘を使うことで上位自我を使う術を覚えていくのである。
この世には「してはいけない嘘」もあるが、「していい嘘」もあるのだ。この「していい嘘」とは「空想」なのでる。子供なりの空想の産物としての嘘は思う存分に使っていいのである。この空想こそが、後に想像力として成長していき、高い創造能力として発揮できるようになるのである。現実にどっぷりと浸かっていては、想像力も創造能力も生まれて来ないのだ。
空想というのは、親が手出しをしないからこそ、自由に空想を展開していくことができるのである。すべての場面に於いて子供に手を出すのではなく、子供を空想の中で遊ばせておけばいいのである。過干渉になってしまう母親に弄られたり、子供に早くから仕事をさせてしまうと、子供は空想の世界で遊ぶことができないので、どうしても歪んだ大人に成長してしまうのである。芸能人でも子役あがりの芸能人は矢張り何か人格的に異常なものを持っているものなのだ。
子供というのは、大きな場所で育ててはならないのだ。小さな場所で育てなければならないのだ。大きな場所で育ててしまえば、その子供が人間関係を処理するだけに終始してしまい、自分だけの時間を持って、自分の空想を楽しむことができなくなってしまうのだ。自分と接する大人たちが少なければ、人間関係の処理は短時間で終わり、後は空想の世界で楽しむ時間に充てることができるのである。
子供が嘘をつき、空想で遊んでくれれば、その内、子供なりに親に隠したい独自の世界を作り出し、そこを安全地帯にして新たな成長を開始していくのだ。幼児であるならば、砂場とか空き地とか親の目の届く所で安全地帯を作るものだが、小学生にもなれば小学生だけで秘密基地を作って、親の目の届かない所で安全地帯を作っていくのである。だからこそ、健全な成長を果たしていくことができるのである。
●知的正直と馬鹿正直
正直というのは道徳で最重要徳目であるが、この世は正直な人たちだけがいるわけではないのだ。いくら自分が正直に徹しても、相手が嘘をついてくれば太刀打ちの仕様がないのだ。嘘に対抗するためには、こちら側も嘘をつくべきだし、嘘をついて相手を迎撃することも必要なのである。
「正直は美徳、嘘は必要悪」なのである。自分の子供には正直をしっかりと教えていかねばならない。その一方で、嘘のつき方もいずれ教えて行かなくてはならないのである。子供に言葉を教える努力をする必要はないものだが、正直と嘘を教える必要性は絶対にあるのだ。
いくら正直が倫理的に正しいこととはいえ、正直だけを教えていては、子供は「馬鹿正直」になってしまい、自分が不利になることでもベラベラと喋ってしまい、大損害を被ってしまうのである。この世で生きて行くためには、必要な嘘もあるのだ。この世で生きて行くためには正直も嘘も両方が必要なのである。
嘗て孔子は弟子が「父親の罪を告発した息子こそ正直者である」と言ってきたのに対して、「そんな人は正直者とは言わない。父親が罪を犯しても隠すのが、本当の正直者である。」と言ったことがあった。人間は罪を犯した所で、すべての罪を告発すべきではないのである。誰だって罪を犯すことだってあるのだから。しかも、よりによって自分の父親が犯した罪を告発することなどないのだ。これこそ馬鹿正直であろう。大事なことは、自分が生きて行きくために、正しい正直の使い方と正しい嘘の使い方を習得していくことなのである。
正直というは、「馬鹿正直」ではなく、「知的正直」であるのだ。知的正直とは、「自分自身に嘘をつかない」ということと、「インチキな観念には騙されない」ということなのだ。インチキな観念に振り回されて、自分の正直を悪用されてはならないのだ。この知的正直を持った者こそが、巧くこの世を生きていけるようになるのだ。物事を誤魔化すような子供は失敗する人生を歩むし、嘘を巧く使えない子供は失敗する人生を歩むものだ。逆に、物事を誤魔化さない子供は成功する人生を歩むし、嘘を巧く使える子供は成功する人生を歩むものなのである。
●上位自我のその後
子供は自分の心の中に上位自我があることによって、自分が自分以上の存在になれる。なんせ男の子なら父親が入っているわけだし、女の子なら母親が入っているのである。子供は子供らしいことをして育ってくるのではなく、親の物真似をして育ってくるのである。だからこそ、自分の能力を大いに高めることができるのである。
育児では母親が主に担当するために、女の子の方により強い上位自我が形成されてしまう。そのため、「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」も非常に面白い物語を展開しながら遊ぶのが巧いのだ。その内、想像力は更に進んで、女の子の魔女や妖精や天使など、空想の世界を作り出していくのだ。それゆえ女の子のアニメなら魔女物が非常にヒットし易いのだ。自分の上位自我を大いに刺激してくれるからだ。
これに対して男の子は仕事で父親がいなために、女の子に比べれば、貧弱な上位自我しか形成されない。そのため、男の子が「オママゴト」や「お人形さんゴッコ」などで遊ばないものだ。それができるだけの能力がないのだ。もしも女の子に付き合ってその遊びをしたとしても、女の子同士の遊びに比べれば、非常に程度の低い物語しか作れないのだ。
男の子なら主にオモチャの「怪獣」や「ミニカー」や「電車」を使って遊ぶものだ。その遊びに物語などありはしない。ただ単に動かし、攻撃を加える程度だ。これが長じてくると、男の子はテレビで戦隊物やロボットアニメに夢中になってしまう。男の子の貧弱な上位自我を大いに刺激してくれるからだ。戦隊物もロボットアニメも、顔が無表情というのは、貧弱な上位自我に対応しているのだ。
男の子も女の子も成長してくると、自分の親が他人から批判されるとカンカンに怒り出すものだ。たとえ自分の親がどのような人物であれ、他人から批判されれば、烈火の如く怒り出すのだ。親への批判は親への批判に留まらず、自分の上位自我に対する批判にもなってしまうからだ。これは子供が親に反抗したとしても、小学生まで続くものなのである。だからこそ、この時期は決して自立の時期ではなく、従属の時期なのである。
●上位自我が破壊される時
上位自我は青春時代には決定的な役割を果たすことになる。青春時代とは自立していくための修行時代でもあるのだが、上位自我がきちんと入っていれば、この修行をちゃんとこなして実力を高めていくことができるのである。中学生や高校生の頃に勉強やスポーツに熱中できなければ、実力が高まっていくことができないのだ。
実力が付き次第、男の子なら「冒険旅行」に出かけ、自分の実力を試す試練を迎える。自分が学んだ物が本当に正しい物なのか実践で試すのである。未知なる世界で見知らぬ人たちと戦うことによって、自分を鍛え、実力を高めていくのである。この推進力を果たすのが上位自我であり、そして上位自我は冒険旅行の中で破壊されていくのである。なぜなら、自分の本当の敵は、自分に不自然をもたらしている上位自我であるからだ。冒険旅行は上位自我に促されて出かけるのに、その冒険旅行の中で上位自我を破壊していくのである。
だからこそ、男の子は「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」などのアニメに熱中してしまうのだ。両方のアニメも主人公が乗るロボットを父親が作ったという設定である。このロボットは上位自我という暗喩なのだ。そして主人公はそのロボットを使って敵と戦い、戦いに勝利していくのである。最後にはそのロボットを捨てて、新たな人生を歩むのである。これはまさに男の子が経験する冒険旅行なのであり、だからこそ男の子たちはこれらのアニメを見ると興奮し熱狂してしまうのである。
女の子の場合は、男の子のように冒険旅行をせず、女性同士で友情を育み、親友を作り、そしてたった一人の異性を捕まえて恋愛をし、上位自我を破壊していくのである。女の子の成長過程にはすべてが愛が絡んでくることになる。女性同士できちんとした友情を作り出せないと、健全に成長していかないのだ。だからこそ、女性同士での付き合いではレズビアンは締め出されてしまう。女同士の友情というものを破壊してしまうからだ。
女の子は数多くの友達を持ち、その中で親友が出来てしまうと、その親友とべったりの時期を迎える。女の子にとってはその親友と深い友情を築くことによって、世間での様々な情報を集め、共感能力を高めていく。男の子は冒険旅行に行くために、自分とは違うタイプの男性を親友にするものだが、女の子の親友というのは、似た者同士で親友を形成していくのである。似た者同士でなければ、共感能力を高めることができないからだ。
女の子は親友との友情が深まると、不思議と運命の男性が現れてきて、初恋をするようになる。その初恋の中で男性から愛を受け、自分の愛を出して行く過程の中で、上位自我を破壊していくのである。女の子の場合は、初恋の男性と失敗しても、その後、別の男性を探して恋愛をし、上位自我を破壊していくのである。女性は上位自我が破壊されれば、独身で居続けることはせず、結婚して新たな家族を形成していくのである。
●人間が作り出した架空人物
男性も女性も上位自我を破壊されなければ、異常極まりない言動を取ってきてしまうのでる。上位自我は青春時代の中で破壊されるように仕組まれているのであり、その破壊が起きなければ、上位自我は自分自身を浸食し、不幸の人生を歩ませることになってしまうのだ。なぜなら、上位自我がある限り、その人は不自然な行動しか取れないからだ。
男性だったら、まともな仕事ができないし、職を転々としてしまい定職に就かなくなってしまう。冒険旅行の中で愛情や知恵や勇気を試していないから、一つの仕事を取り行えるだけの力を持っていないのだ。だからこそ、男性は仕事で成功することに躍起になり、仕事で成功できたことを自慢しようとするのだ。
女性だったら、まともな恋愛ができず、男性を取っかえ引っかえしてしまい、堕落してセックスに溺れてしまうのだ。女性は十代の頃に、女の子同士できちんとした友情を育んでいないと、男性を見る目を養うことができないのだ。女の子同士で共感しあっていないから、自分が共感できる男性を見つけられないのだ。敢えて自分と相性の悪い男性を見つけてきてはセックスをして捨てられてしまうのだ。
モテない男性に限ってアイドルに夢中になるし、モテない女性に限ってイケメンに夢中になってしまうものだ。まともな恋愛をしていないから、現実離れした人間にしか興味を示さなくなってしまうのだ。或るアニメオタクの男性が、「僕はアニメキャラの女性にしか興味を持てないんですけど」と言っていたが、こうなってしまうと現実世界で生身の人間と恋愛することはできなくなってしまうことだろう。
こうなってくると、世界に存在する架空人物たちを調査してみると、これが上位自我を破壊できなかった人たちの産物だというのが解る筈だ。アイルランドやイギリスでは「妖精」がいると言われるが、妖精を見たと言っているのは、友人の少ない孤独な女性たちなのである。上位自我をきちんと破壊できなかったために、妄想の産物としての妖精が産み出されてくるのだ。勿論、この孤独な女性たちの中では妖精は元気よく動きまわっているのだ。
妖怪なども所詮は人間の妄想の産物なのだ。水木しげるに妖怪を教えた 「のんのん婆」は、貧しい生活を強いられた祈祷師であったのだ。のんのん婆はその悲惨な生活から脱がれたいために、些細な現象にこじつけて、妖怪を作り出し、その妄想を楽しむことによって、悲惨な生活を乗り切ったのである。
現代に良く出て来る「宇宙人を見た」という話も、所詮は上位自我を破壊できなかった人たちの妄想の産物なのだ。この宇宙人と遭遇した話は、なぜかその遭遇話は殆ど同じである。まず最初に宇宙人は数人出て来て拉致され、円盤の中に連れて行かれるのである。そこで、拉致された他の地球人を見、その円盤の中で治療か検査か何かを行われるのである。折角、宇宙人に会い、円盤の中に入ったのだから、何か物的証拠でも持って帰ってくれば、まだその話に信憑性がつくものを、なぜか宇宙人を見たという人たちは何も物的証拠を持ち帰って来ないのである。
精神医学的には、円盤の話は「全体性の回復」として捉えられている。その人に協調性がなく、集団から疎外されてしまうと、宇宙人を見たとか、円盤を見たとか、この手の妄想を見てしまうのである。正確に言うと、宇宙人とは自分を疎外している人々であり、円盤は自分を疎外した集団だということになる。
この妄想がひどくなると、「自分は宇宙人である」と言い出すようになる。民主党の党首「鳩山由紀夫」は「僕は宇宙人」だと言っていたが、彼の人生を振り返っても、どこにも冒険旅行の話は出て来ないのだ。上位自我が破壊されていない人の行動は支離滅裂なのだ。「友愛」を唱えながら、友人の妻に手を出し、略奪婚をしてしまうのだ。これが奴の言う「友愛」なのだ。国民が精神的に独立していれば、この手の男の正体を見破り、彼を排除できるのだが、国民が精神的に自立すらしていないと、この手の男にまんまと騙され、選挙で彼を首相として選出してしまうのだ。国民が選挙で政治家を選ぶなら、その選挙権者が精神的に自立していることを要件にしなければ、衆愚政治にしかならないものなのだ。
●キリスト教の誕生の秘密
上位自我が破壊されないと、人間は有り得ないような妄想を言い出すということが解ってくると、キリスト教の誕生の秘密も簡単に解ってくるのである。キリスト教は殺されたイエスは復活して蘇ったと主張してくるのだが、これは非常に疑いのある復活なのだ。なんせ最初に復活を見たのは、売春婦であった「マグダラのマリア」だからだ。
その後、マグダラのマリアに復活を告げられて、「十一の使徒たち」がイエスを見た言い出したからだ。明らかにこの復活劇は異常なのだ。生前、イエスと深い関係にあった人たちだけが復活を見たと言い出したのであり、それ以外の人たちは復活を見ていないのだ。墓場の番兵はなぜか眠りこけているし、40日間に亘ってイエスは復活したと福音書は記しているのに、他にイエスを見たという人は、「マグダラのマリア」と「十一の使徒たち」意外、誰もいないのだ。
もう解っていると思うが、これは上位自我が見せた妄想なのである。個人が自分だけで見たのではなく、十数名の人たちが同じような妄想を見た「共同幻想」であったのだ。人間は上位自我が破壊されていないと、この手の妄想を見てしまうのである。自分が上位自我を破壊し、精神的に独立してしまえば、キリスト教など信じることはないだろう。しかし、自分が青春時代の中で上位自我を破壊せず、精神的に自立していないと、キリスト教に心を鷲掴みにされてしまうのだ。
キリスト教の教義など冷静に見れば、出鱈目以外の何物でもないのである。例えば、キリスト教では「原罪」を主張してくるが、なんでアダムが犯した罪を現代の人々が償わねばならないのだ。原罪とは、宗教世界に於ける究極的な冤罪であろう。神は一つであると言いながら、「父と子と聖霊」は一体であるという 「三位一体説」など、唯一絶対神に違反する教義なのである。イエスの母であるマリアが処女懐胎したというのも、これは事実ではなく、ギリシャ語で「若い乙女」が誤訳されて処女になってしまったのである。こんなことは文献を少し調べてみれば解ることなのである。
自分が理性的態度を貫いてしまえば、キリスト教の教義がおかしいと言い出す筈なのである。しかし、いくら理性的態度を貫いても、精神的な自立が終わっていなければ、キリスト教に洗脳されてしまうのである。キリスト教こそ絶対に正しいと思い込んでしまうのだ。上位自我を破壊できなければ、その上位自我によって誤った世界が見えて来てしまうのである。
子供が妄想を言ったり、嘘を言ったりするのは、可愛いものだ。しかし、それを大人がしてしまえば、信用を失墜し、「人でなし」となっていくのである。それなのに宗教を持ち出して、正当化してはならないのだ。我々は子供の頃に力を与えてくれた上位自我を、いつの日にか破壊していかねばならないのである。親から貰った上位自我を破壊できた時、我々は一人前の大人になれるのである。
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コメント
たまてぃーさん、おはようございます。
あれから夫と何度か話し合いました。なかなか本心は言わないし、言っている事と行動が伴わないような気がして、納得できない日々でした。そして馬鹿正直な人なんです。だから、いろいろ心配になってしまいます…言わなくても良いことまで言うし、言われた相手がどう思うかまで考えてないみたいです。だから、私は心配になるし、イライラするし、不安で頼りがいがもてなくなりました。素直なのはいいけど、大人がこれではダメでないかと思うのですが…個性として受け入れられない私も悪いと思いますが、これは治らないものなのでしょうか?
それから、仕事をする場所は実家からも夫と住んでいた家からも遠く、ばらばらに暮らさないと通えない距離です。だから結論がでるまで単身赴任という形です。たまてぃーさんのアドバイスだと同居しながら働く事がベストなんですよね。就職しようと決めた時点では1人で頑張りたかったから遠く離れようと決めました。けじめをつけて就職したかったんです。離れたら修復が難しいかもしれないですが、離婚しているような状況になるので、とりあえずこのまま頑張ってみようと思います。私の中では離婚する方向ですが、踏ん切りがつくまで様子をみようと思いますが、だらだらしてよくないでしょうか。何度もすみませんが、たまてぃーさん的な意見を伺いたいです。よろしくお願いいたします。
投稿: らら | 2009年9月28日 (月) 08時33分
「らら」さん、コメント有難うございます!
旦那さんの喋り方を悪いように解釈すれば「らら」さんの言う通りだし、良い方に解釈すれば、ざっくばらんに話してくれる男性ということになるでしょうね。
旦那さんは気配りが効く人みたいだから、どうしても「らら」さんのことを意識し過ぎて会話しているみたいですね。
あんまr夫婦の会話がギスギスしないように、お酒を飲みながら話すとか、照明を暖かい色の物にかえるとか、インテリアを工夫するとかしてみたらいいんじゃないかな?
とにかく会話の仕方をどうにかした方がいいですよ。
このような状況なら、夫婦が別居して双方が冷静になるというのも必要だと思いますよ。
これはダラダラしているとは違いますよ。
冷静になれば、互いに短所ばかりに目が行ってしまうのではなく、長所に目が行くようになりますからね。
但し、「らら」さんが予想するように、別居してしまうと修復したい際に、修復が難しくなってしまうために、定期的に夫婦で会っておくことですよ。
因みに、今年の旦那さんの運気は悪いので、「らら」さんが引っ越した場合、残された旦那さんが事故に遭ったり、病気をしないように気を付けてください。
投稿: タマティー | 2009年9月29日 (火) 06時49分
たまてぃーさん、おはようございます。アドバイスありがとうございました。
旦那さんとお酒を飲みながら、いろいろ話しました。別居して冷静になれたし仕事がみつかった心の余裕からか、以前よりいい関係になれた気がしました。
新天地でがんばろうと決断したのに、なんだか楽しかった日々を思い出し泣けてきてしまいました。嫌だったことって忘れられるのか、私の考え方が変わったのか…?
旦那さんはいつものペースなのに、今は仲良く話せるのは、私が別れを意識しているからなのかな…こんなふうになる前は、私だけが焦ったりイライラしたり大きな心で旦那さんを見ていられなかったからなのかなとも思います。
旦那さんは何もかわらないのに、私の受け止め方が変化してきているのでしょうか。
言葉で表現するのが下手な人だけど、すごく私の事を考えてくれて、優しくしてくれるのを感じました。なのに、どうしてすんなり受け入れられないのか不思議です。
夫婦って難しいですね。
私が育ってきた環境の過程で両親との何かが関係するのでしょうか?
投稿: らら | 2009年9月30日 (水) 08時23分
「らら」さん、大いに関係がありますよ。
女性の場合、父親との会話がきちんとできていれば、大人になってから男性ときちんとした会話ができます。
子供の頃に父親と会話量が少なかったり、父親と喧嘩ばかりしていると、それが大人になってから男性との会話に如実に現れてきます。
特に「らら」さんの場合、運命的に父親と離れていく運命にあるので、会話の仕方がまずいと、取り返しのつかないことになってしまいます。
父親が生きている内に、父親とちゃんとした会話をしておき、思い残すことがないようにしておくことです。
それと自分の精神レベルをあげることです。
「らら」さんが精神レベルをあげたら、夫婦の会話が改善したように、自分が精神レベルをあげてしまえば、どうにかなるものなんです。
夫婦だと二人きりの会話になってしまうので、自分が幼稚だと、思いっきり下らない話になってしまうんです。
結婚しているからといって、四六時中、夫婦が一緒にいるわけではなので、夫婦が会話する時は、実りある会話をすることです。
女性同士がする会話と、女性が男性とする会話の仕方は違うんです。
男性は「要点のない会話」を嫌います。結論はなるべく始めに出しておくことです。
それrから男性は自分の自慢をしたいんです。結婚しているなら、仕事での自慢を妻に聞いて貰い、褒めて貰いたいんです。この辺りのことは、「らら」さんはやっていないんじゃないかな? 余り自分のことだけで一杯一杯にならないことですよ。
そして、男性との会話には「ユーモア」が必要なんです。男性は女性以上に笑うことが大好きなんです。しかも、上は高尚なネタから下はシモネタまで、テリトリーが広いんです。また旦那さんが好む独特のユーモアもあるので、早い内にマスターしておくべきですよ。
投稿: タマティー | 2009年10月 1日 (木) 06時35分