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三つ子の魂、百まで

●三歳までに人格の基礎が形成される

 人間の脳は、3歳児の時点で脳の80%が形成されるので、当然にこの時期までに子供の人格の基礎が形成されるわけである。3歳児の時点で出て来た性格は、その後の人生でそう簡単には変わらないものなのである。外向的な子供は、成長してもやっぱり外向的な性格だし、内向的な子供は、成長してもやっぱり内向的な性格のである。勿論、青春時代に何かしら道を踏み外してしまうこともあるが、それでも3歳児までがその人の人格形成にとって最も大事な時期なのである。

 昔の人たちはこれを「三つ子の魂、百まで」と言い伝えてきたのである。昔の人たちが何度も育児をしてみて、辿り着いた結論がこれであったのだ。昔と今とでは年齢の数え方が違うので、現在で言うなら、2歳児の時点で、その子の人格が決定してしまうと見たのである。離乳食の始まる前の親の育て方が、子供の人格に決定的な影響を与えてしまうと考えたのである。

 ところが、現在の医者たちは昔の言い伝えて来たこの教えを迷信だと決めつけ、3歳児神話を否定することに躍起になっている。特に仕事のために育児の時間を充分に取れない女医たちは、この3歳児神話を否定することを母親たちに教えているだけでなく、自らも実践して育児をせずに、保育園に我が子を預けながら仕事をしてしまっているのだ。

 勿論、食事さえ与えておけば、子供は肉体的には成長する。問題はそれではきちんと精神的に成長させることができないということなのである。子供が精神的にきちんと成長していくためには、両親の育児の仕方が大いに影響を持っており、それなくしては子供は健全な人格を作り上げていくことができないのだ。

 医者たちが3歳児神話を否定するなら、母親たちは3歳児以下の子供たちに構わなくても健全に育つ筈ではあるが、現実問題としては少年犯罪は多発しているし、学校ではイジメや自殺が絶えたことはないのだ。ということは医者の3歳児神話の否定という考え方が間違っているということなのである。医者たちが育児の現場で出鱈目な学説を展開してしまえば、そういう育児を受けて育ってきた子供たちの悪魔のツケを、学校や警察が処理しなければならないのである。

●母性愛は子供を甘えさせ、守り、見守ることこそが基本

 子供の人格形成に最も重要な役割を果たすのが、母親である。母親が母性愛を子供に与え続けるからこそ、子供は健全に人格を形成していくことができるのである。子供はとにかく母親からの母性愛を必要としている。母性愛は絶対肯定の愛であるがゆえに、母性愛を充分に貰えねば、自分の存在を肯定することができないからだ。

 それゆえ、母親は子供に充分に甘えさせることだ。子供はこの世がどういう状況になろうとも、母親のことが一番大好きなのである。だから、子供は母親に甘えたがるのである。子供が抱っこを要求することは、子供がただ単に抱っこをしてほしいだけでなく、母性愛の発露として抱っこして欲しいということなのである。子供が抱っこを要求しているのに、「歩けるでしょ」と突き放してしまったら、子供は自分の存在を否定されたと思ってしまうのである。

 母親は子供を充分に守ってあげることだ。子供は自分が弱い存在であるということを知っており、そのため母親の影に隠れようとする。人見知りが激しいのは、母親以外の人間は基本的に危険だと看做しているからなのである。だから、人見知りをしているのに、無理矢理に他人に挨拶などしなくてもいいのである。それよりも抱き締めながら、「大丈夫だよ」と励ましの声をかけてあげるべきなのである。

 子供は母親から充分に母性愛を貰うと、母親から離れて動くようになるので、その際はいつまでも手元に置いておくのではなく、子供を手放して、見守るようにすればいいのだ。子供は自分は母親から見守られていると解っていれば、自分が今まで知らない世界に突き進んでいき、自分の世界を広げていくようになるのである。

 母親が育児をしていて、最大の難関は、「構うべきことは構え」ということであり、かといって「子供に構い過ぎるな」というバランスを巧く取ることなのである。母親が子供に構わなければ子供の人格がおかしくなってしまうし、母親が子供に構い過ぎれば子供の人格は駄目になってしまうのである。これだけは育児の現場で経験値を積みながら、自分なりの結論を出していくしかないのだ。

●母親も一生懸命なら子供も一生懸命

 新米ママなら、初めての育児なのだから、一生懸命になっているものだ。しかし、その努力は空回りしている部分もあって、何度も失敗をしでかしてしまうものだ。時には育児で涙を流し、時には自己嫌悪に落ち込んだり、時には「自分は母親として失格だ!」と思うからこそ、いつの間にかに母親としてきちんと成長していくのである。

 新米ママは育児を一生懸命にやっているからこそ、育児には思い出がたくさんあるのである。育児の仕方を試行錯誤しながら掴み取っていくからこそ、育児の仕方が朧げながら解ってくるのであって、育児に於いて悪戦苦闘することは絶対に必要不可欠なことなのである。

 子供の方も未熟な母親から育てて貰うことに一生懸命になっており、子供はその未熟な母親といえども、未熟な形で育てて貰うことで、子供は一生懸命になって成長していくのである。子供は何も完璧な母親を望んでいるわけではないのである。未熟でもいいから、子供に向き合って育児をする母親を求めているのである。

 育児をするのに、育児書や医者に頼ってしまうと、なかなか育児が巧く行かなくなってしまう理由はここにこそあるのだ。育児で最も大事なのが、母親がちゃんと子供に向かい合っているのかということだからだ。それなのに母親が自分の子供にではなく、育児書に向かい合ってしまったり、医者に向かい合ってしまったら、そのアドバイスがいかに優れたものであっても、実際の育児の現場では絶対に巧くいかないのだ。育児の仕方というのは、母親の存在抜きに存在しえないものであって、まずは母親の気持ちなのである。

 育児に悪戦苦闘していれば、いつの間にかに育児の仕方は身についていくものなのである。子供が成長していき、母親がそれほど手間をかけなくてもよくなり始めた時でも、母親が自分の子供に向かい合っていれば、育児は順調に行くものなのである。自分の子供が言葉を初めて喋ってくれた時は嬉しくても、その後に子供が下らないことを喋ってくると途端に不機嫌になってしまうものだ。それでも子供に向き合って、子供の話して来ることを聞くからこそ、子供は段々レベルの高い話をしてくるようになるのである。

●夫婦仲が良ければ育児は巧くいく

 家族の中で愛がきちんと流れていくためには、夫婦仲を良くしていくことは絶対に必要なことである。夫が妻を愛し、妻が自分は夫に愛されていると感じているからこそ、我が子に充分な母性愛を与えようとしてくるのである。母親が自分の夫と仲が悪く、自分の子供だけを愛しても、正常な母性愛は出て来ないものなのである。

 愛は家族の中で循環しているものなのだ。愛は家族の中を循環することによって愛が増大していくのだ。妻は夫から愛されることが嬉しければ、子供をきちんと愛そうとするし、子供もきちんと愛が貰えればスクスクと成長していくのだ。夫はそういう妻や子の姿を見ると、益々仕事に一生懸命になって、収入を増やしていこうとするのだ。

 いくら育児をしているからといって、育児だけをしていてはならないのだ。夫婦関係にも充分に気を配って、夫婦仲を良好なものにしていかねばならないのである。夫婦仲が良ければ、育児は巧く行くのだ。夫婦喧嘩をしあっているのに、育児が巧く行くということは有り得ないのだ。

 新米ママなら育児が未熟だから、夫に育児を手伝ってほしいと言ってしまうものだ。しかし、夫に育児を手伝わせてしまうと、肝腎な仕事が疎かになってしまい、仕事が巧く行かなくなってしまうのだ。そうなれば夫は妻に対してきつく当たって来るようになり、そして夫婦喧嘩が始まってしまうのである。妻が自分に良かれと思ったことが、夫婦仲を破壊してしまうことになってしまったのである。

 夫は育児に直接参加していなくても、生活費を稼いで来ることで最大の貢献をしているものなのである。まずはそこを認め、夫を褒めてあげることなのである。夫も妻から認められ褒められていれば、余力がある時は自然と育児を手伝ってくれるようになるものなのだ。

 子供は父親と母親が喧嘩している家庭では健全に育つことができない。母親から母性愛を貰ったり、父親から父性愛を貰ったりするどころではないからだ。育児がどうこのうと言う前にまずは夫婦が仲直りして、夫婦仲をきちんとしておくことである。そういう夫婦のもとでは、子供は自然と健全に成長していくものなのである。

●胎内記憶の告白

 子供が3歳児になって行われる最大の行為が、「胎内記憶の告白」であろう。胎内記憶は、2歳だと巧く言えず、4歳だと消えてしまうのだ。明らかに3歳児は他の年齢の子供とは違うのである。3歳児でなければ、話してくれないものだって、この世にはするのだ。

 胎内記憶はすべての3歳児が話して来るわけではない。出産時に母親の体から胎内記憶を消すホルモンが分泌されてしまうために、大方の赤ちゃんは胎内記憶を失ってしまうのだ。3歳になっても胎内記憶を持っている子供は、せいぜい半分くらいで、しかも、胎内記憶をすべて覚えているわけではなく、記憶の断片を繋ぎ合わして、話してくるのだ。そのため、母親から見ると、胎内記憶に多少の食い違いが出て来るのだ。

 我が子から胎内記憶を告白されると、殆どの母親たちは感動して感涙を流すという。赤ちゃんは決して白紙状態で産まれてきたのではなく、妊娠中に人格の基礎を形成しており、ということは子供の最も大事な部分が、実は母親のお腹の中で作られたということであるからだ。

 昔から妊婦は感情を爆発させることがないよう、自宅で平穏な日々を過ごすべきとされてきたし、『幸せ色の出産ラブストーリー』でも妊娠中は夫婦仲を良くするよう最大の注意を払ってきた。なぜなら、妊娠中に平穏で最低限の幸せが確保される生活を営んでいれば、お腹の赤ちゃんは脳を巧く形成しえて、出生後に健全な人格を形成することになるからである。

 胎内記憶の告白は、ただ子宮内という目に見えぬ生活のことを知ることができるのではなく、子供の人格形成に、実は母親こそが最も深く関わっているということが解って来るのである。だから、母親たちが自分の子供から胎内記憶の告白を受けると感動してしまうのである。自分の子供にただ肉体的な要素だけが遺伝していくのではなく、母親が持っている精神的要素までが継承されていくからである。

●三歳以前の記憶の消去

 3歳児になれば、その子の人格もほぼ形成され、喋ることも充分にできて、人間関係を構築していくこともできる。しかし、そのまま成長していけばいいのに、4歳か5歳までの間にそれまでの乳幼児期の記憶が消去されてしまうのである。だから誰も乳幼児の記憶がないわけである。

 なぜ、脳がこのような措置を取るのか、正確な所は解らない。ただ、乳幼児期の不要な記憶を消去することで、新たな人生を切り開こうとすることだけは確かなようである。乳幼児期の記憶をいつまでも持っていては、新たな情報が入って来なくなってしまうので、乳幼児期の記憶を消去することで、新たな記憶が入って来るように仕向けるのである。

 但し、これには例外もいる。記憶の消去のかかり具合が弱く、乳幼児期の記憶を大人になっても持ち続けてしまうのだ。作家の三島由紀夫なんかはその代表例で、「自分は出生直後の光景を見たことがある」と小説に書いたのだが、この文章は作家や文芸評論家から嘘をついていると散々に酷評されてしまったのだ。三島由紀夫を決して嘘をついているのはなく、記憶の消去が弱かったために、出生直後の記憶を持ち続けることができたのである。通常の人々では記憶の消去がなされてしまったために、出生直後の記憶なんて持ち合わせていないのだ。これは記憶の消去がどのように起こったかの違いでしかないのだ。

 現在の人間の教育システムでは、4歳児と5歳児向けには幼稚園を完備している。これは子供の脳の成長からいうと非常に適した教育の遣り方で、この時期から教育を施すからこそ、子供の脳はグングンと成長していくことができるようになるのである。3歳以前は親元で過ごしていればいいのだ。保育園というのは飽くまでも親の都合のために子供を預ける施設であって、子供の脳の成長からいえば、優れた施設ではないのだ。

 子供の脳が充分に成長していないのに、早期教育を施すことは非常に危険なのである。その反面、子供の脳が充分に成長したのに、教育を施さないことも非常に危険なのである。幼稚園はただ単に子供を預かる場所なのではなく、「遊びながら学ばせていく」ということをしておけば、その後の教育が非常に楽に成り、子供は高い知能を形成していくことが可能になるのである。

●人が成長することは嬉しくて、悲しくて、そして楽しいもの

 我が子が成長していくことは嬉しいものなのである。この嬉しさは他の物では代えようがない物なのである。赤ちゃんが成長していく喜びというのは、女性が経験できる喜びの中で最高レベルのものであって、この喜びがあるからこそ、女性は精神レベルを高くしていくことができるようになるのである。この喜びは女性が結婚せずに、仕事だけをしていては、絶対に得られない喜びなのである。

 それと共に、我が子が成長していくことは悲しさを伴うものなのである。母親であるなら、我が子に対して成長を願うと同時に、「いつまでも赤ちゃんでいてほしい」「いつまでも幼児でいてほしい」でいてほしいと思ってしまうものだ。それは育児をちゃんとこなして、幸せな日々を送っているからこそ、時間が止まってほしいと願ってしまうのである。

 そして、だからこそ我が子が成長していくことは楽しいのである。育児は一期一会だ。その一瞬一瞬はもう二度と帰ってこないのだ。 今、育児をしている時に全力を尽くす。自分が育児に全力を尽くしているからこそ、育児は楽しいのである。注意を散漫にして、育児に全力を尽くさなかったら、育児の本当の楽しさなど決して解らないものなのである。

 人間は人間が作りし物に騙されてしまう。自分の経験をそっちのけにして、演劇や映画やドラマや小説や漫画に虜にされてしまうのだ。いくらフィクションの中で遊んでも、現実の世界の方が圧倒的に面白いものなのである。育児をしていれば、色々な経験をすることだろう。育児は楽しいことばかりではない。喜怒哀楽を伴うものだ。しかし、そうやって育児をしながら、悪戦苦闘するからこそ、育児の本当の楽しさが解ってくるのだ。

 育児とはうのは、母親の心を変えて行ってしまうものだ。母親は子供を産み育てることで、人が生きていく喜び、悲しみ、そして楽しさを知るのだ。時には怒ったりもするし、落ち込んだりもする。そうやって育児をしていくからこそ、人の命の大切さを知るのである。こういう命の大切さは、実際に自分が経験してみないと解らないものなのである。いくら命の大切さを教えても、妊娠も出産も育児もしたことのない女性たちに解らせるのは無理というものなのである。たとえ「命の大切さを理解しました」と言っても、それは偽善の塊にしかすぎないのだ。

●人間は3歳までに親孝行を果たしているもの

 人間の子供は3歳児が最も可愛くなる時期である。子供が男の子なら、有り得ないような可愛さを発揮してきて、母親はメロメロになってしまうことだろう。この可愛さは他の人間には決して持たざるものだからだ。子供が3歳までは如何なる乳幼児も母親の独占物なのである。

 それゆえ、人間は3歳までに親孝行を果たしているものだ。だから、その後の人生で、我が子に親孝行を強いてはならないのだ。いくら自分が育児で大変な思いをしたとはいえ、それ以上の物を我が子はくれた筈なのである。育児に見返りなど求めてはならなのだ。育児は見返りを要求しないからこそ、育児たりえるのである。

 自分の子供に求めていい親孝行は、大人になったら結婚して子孫を絶やさぬようにすることなのである。自分が育児の楽しい思いをしたのなら、我が子にもそれを味わって、子孫を繁栄させていくべきなのである。子孫の多い家族というのは、それだけ育児の楽しい想いが継承さている家族なのである。

 子供は母親が育児で楽しんでくれないと、大人になっても結婚しないし、結婚したとしても子供を産まないという異常な行動を取ってくるものだ。いくら勉強やスポーツや仕事で頑張ったとしても、育児を超えるような楽しさはないものなのである。子供を産まなかった女性たちには、心の中にまともな愛がなく、どこか寂しげで、常に誰かに対して憎しみを抱いているものなのである。自分の母親が育児で楽しんでくれなかったツケが、こういう形で現れてきてしまうのである。

 人間の人生の中で、育児をしている3年間というのは、決して長い歳月ではないのだ。実際に育児をやってみれば、あっという間に過ぎ去ってしまう歳月でしかない。その歳月ですら楽しめないのであるなら、他のいかなることをやっても楽しむことができないことだろう。

 子供にとってはその3年間で人格の基本が形成されてしまう最も大事な時期のである。子供はその人格の基礎を元にして成長していくのである。3歳児の時に現れて来た性格は、その後の人生でそれほど変わらないものなのである。そういった意味で育児に於ける母親の役割は最重要であるのだ。こういうことはいくら政府が育児支援に乗り出しても、取って代わることができないものなのである。母親が性根を据えて、育児に向き合って、育児を楽しむしかないのである。女の人生が一本道なら、母親の人生だって一本道なのである。

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コメント

こんにちは。
この記事は大好きで、読むと涙が出そうになります。
今月から1歳の娘は保育園生活ですが、時間を作って精一杯相手してあげたいです。

投稿: まあ | 2014年4月14日 (月) 11時09分

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