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人が精神的に自立するということ

●経済的自立と精神的自立

 育児をしていみれば解ることだが、赤ちゃんというものは、親に従属するものだ。そうでもしなければ赤ちゃんは生きては行けないからだ。人間は進化の過程で相当無理をして進化してきたので、脳を大きくして高い知能を持つことはできたのだけれども、その反面、どんな健康な赤ちゃんでも未熟児状態で生まれるということになってしまったのだ。

 しかも、脳の成長が80%に達するのは3歳辺りで、その後も成長は続き、19歳辺りでほぼ完成する。そのため、他の動物たちのように生まれてからすぐに立ち上がって行動したり、数年で群れから離れて自立するというわけにはいかないのだ。家族の中で両親に従属して、長期間に亘って養育され続けねばならないのだ。

 そのため、中には大きくなっても自立ができない人々が出て来ることになる。人間は働きさえすれば、経済的自立を得ることはできる。だが、経済的自立を得たからといって、精神的自立も得られるのではないのだ。精神的自立は精神的に親への従属を解かない限り、絶対に精神的に自立ができないのだ。

 フェミニズムのイデオロギーは凶暴で、どの先進国もフェミニストたちの悪逆非道に悩まされているものだが、フェミニストたちの最大の功績は、実は、「女性たちは経済的に自立できても、精神的には自立できない」ことを指摘した点なのである。もしもフェミニズムを唱えることによって、「女性の自立」ができるのなら、もうとっくにすべての女性たちは自立を果たしている筈だ。しかし、何十年とフェミニストたちが「女性の自立」を唱え続けたのに、フェミニストたちは精神的に自立できなかったのである。女性の自立という問題は、フェミニズムというイデオロギーでは決して解決できないものなのである。

 人間は一足飛びに成長することはできない。親への従属を経て、親から離れて自立していき、そして結婚することによって独立していく。そういう成長過程をきちんと行わない限り、誰であったとしても、親から自立することはできないし、独立していくことができない。大事なことは、親に従属している時はきちんと従属し、親から離れて行く時は、親から離れることによって自立していくことなのである。間違っても親に従属すべき時に自立を強いてはならないし、自立していく時に親に頼ってはならないのだ。

 もう一つは、人間は環境に左右されるということだ。人間は自立していく際に絶対に無視できないのは、「家族」と「学校」の存在である。家族の中で充分に愛や厳しさや夢を貰っていれば、来るべき時が来れば、自立していけるものだ。人間が自立していく時は中学や高校に通っている時期と重なるので、学校が生徒たちの自立を損なうようなことをしなければ、男女共に自立していくことが可能になるのだ。

●自立の性差

 男の子と女の子では自立にも性差がある。男の子は上位自我が貧弱なために、冒険旅行でその上位自我を自分の力で破壊してくことができる。しかし、女の子は上位自我がしっかりと出来上がっているために、男の子ように冒険旅行に出たとしても上位自我を破壊することはできず、女の子同士で友情を育み、そして自分の上位自我を破壊できる男性を見つけて、恋愛をしていく中で上位自我を破壊していくのである。そうやって男女双方、上位自我が破壊されれば、精神的に自立することができるのである。

 そのため、男の子と女の子は育て方が違うのだ。男の子は充分すぎるほどに愛してから、時が来れば突き放すしかないのだ。男の子は女の子よりも甘えん坊なものだが、これは男の子は母親からたっぷりと愛を貰わねば、成長できないからなのである。男の子は母親から充分すぎるほどの愛を貰えば、時が来れば母親から離れ、冒険旅行に出かけていくのである。昔から「可愛い子には旅をさせよ」というが、いくら我が子とはいえ、いつまでも手元に置いておいたら、男の子は鬱屈してしまい、自立できなくなってしまうのだ。

 女の子は適度に愛しながら、結婚まで守り通す態度を貫かねばならない。女の子は母親だけでなく、父親からもたっぷりと愛を貰い、祖父や祖母にも愛を貰おうとする。上位自我がしっかりと入っているので、大人相手であっても会話が成立するので、両親が娘のことを適度に愛する態度を貫くと、きちんと成長していくものなのである。そして自立していく時期を迎えた時、娘が親に反抗しつつも、親は娘を信用し支援している態度を貫き、いかなることがあっても娘を守るという態度を貫いておれば、娘は自立していくことが可能になるのだ。

 肝腎の両親が精神的自立を果たしていないと、平等イデオロギーに取りつかれてしまい、男の子も女の子も平等に育てようとしてしまうことになる。そうなると、男の子は充分な愛が貰えず、女の子の方も自分を取り巻く人々から適度な愛が貰えないので、男の子は冒険旅行に行かなくなるし、女の子は友情や恋愛で失敗の連続になってしまう。そのために精神的自立が不可能になってしまうのだ。

 赤ちゃんを産んで育ててみれば、男の子と女の子は全く違う成長の仕方をするということは解る筈だ。しかし、平等イデオロギーに取りつかれてしまうと、その現実が全く見えなくなってしまうのだ。間違っているのは現実の方であって、平等イデオロギーは如何なることがあっても正しいと思い込んでしまうのだ。こういう両親から育児を受ければ、当然にその子供は愛が決定的に不足してしまうことになるのだ。

●両親と片親

 子供は両親から愛されて育つ以上、家族には両親がいることが理想であり、正常な状態なのだ。両親がちゃんとした結婚生活を営んでいれば、夫婦の間に夫婦愛が巡ることになるので、有り余った愛が子供たちに流れ込んでくるのだ。育児をする際は、夫婦が愛し合っていることが前提なので、育児ばかりに集中しないで、夫婦仲もきちんと保つ努力をすべきなのである。

 ふた親が揃っているというのに、夫婦の仲が悪ければ、子供たちに愛は巡ってくることはない。両親は常に夫婦喧嘩をしているし、殴り合っている所を見ていれば、愛を貰うどころではないし、子供たちは「大人たちは信用できない!」と思い込んでしまうのだ。こうなってしまうと、子供の心の中には愛が決定的に不足してしまうので、自立すべき時期が来ても、そう簡単には自立できなくなってしまうのである。こういう育ち方をした子供が大きくなって結婚しても、親と全く同じような光景を繰り返してしまうのである。

 親の離婚や死別というのは、子供たちの甚大なる影響を与えてしまう。母親がなく男親のもとで育てられると、男親によって精神作用が刺激されるので、精神レベルが急激に上がるが、家族の中での潤いというのがなくなってしまう。男親のもとで育つと、女性はすぐさま結婚してしまう。精神レベルが上がってしまったために、自分にとっての理想の男性を見つけ易いのだ。男親のもとで育った男性は、自分がかなり潤いのない生活をしてきたために、自分の生活に潤いをもたらしてくれる女性を見つけ出さないと、自分自身がかなり偏った人間になってしまうのだ。

 父親がなく女親のもとで育てられると、女親によって物質作用が刺激されるので、経済的には豊かな生活を送ることができるが、精神的には低レベルな見方しかできなくなってしまう。女親のもとで育つと、女性はビジネスを展開し易い。物質レベルが上がってしまったために、自分の天職を見つけ易いのだ。そのために結婚が遅れたり、失敗してしまったりする。結婚を大事にするという考え方に辿りついていないので、どうしても結婚を犠牲にしてしまで働こうとしてしまうのだ。女親のもとで育った男性は、男として一本筋が通っていないが、女性相手の仕事では天性の才能を発揮して成功することが可能になってくる。芸能界を見ても、母子家庭で育った子が人気タレントに成り易いのだ。

 片親のもとで育つと、どうしてもバランスを崩し易い。そのため、青春時代に男の子なら冒険旅行に行こうとしなくなるし、自分の上位自我を破壊するだけの力を持てなくなってしまう。女の子はきちんと友情を作り上げたり、恋愛をきちんと行うということができなくなってしまう。青春時代に失敗が続くのなら、相手が間違っていると思い込むのではなく、自分が間違っていると思うことだ。片親のもとで育てば、どうしても自分の心は歪むものなのである。

●児童養護施設育ち

 では、両親も片親もおらず、親から捨てられてしまった子供はどうなるのであろうか? 当然に愛の不足で苦しむことになる。愛といっても、子供が欲しい愛は、母性愛であり、父性愛である。いくら他人から愛を貰っても、母性愛や父性愛でない限り、子供は満足できないものなのである。

 キリスト教は孤児院作りに積極的になったために、かなりの数の孤児院を設立したのだは、この孤児院上がりの子供たちに不気味な変化が起こってしまったのだ。それは孤児院を出ても精神的な自立ができなかったのである。孤児院は主に女子修道会が運営したために、独身女性のシスターが親代わりになったので、孤児たちの間で決定的な母性愛の不足が起こってしまい、大人になっても精神的な自立ができなくなってしまったのである。

 これに対して、政府や地方自治体によって運営された児童養護施設ではこういう現象は起こる確率が激減した。施設で働く職員に既婚者たちがいたので、母性愛や父性愛を貰えることができたのである。児童養護施設は所詮、官僚の組織なので、かなりドライなのであるが、そのために施設で育った孤児たちは逆に自立し易いのだ。

 児童養護施設を出た孤児たちが経験するのが、とにかく自分が生活することで精一杯になってしまい、自分が精神的に自立していく作業を等閑してしまうことなのだ。しかも、児童養護施設で愛を貰ったとはいえ、充分な量とは言えないものなので、どうしてもパワー不足が目立ってしまうのだ。

 このため、いつまでも自分が「孤児」だとか「施設上がり」だとか言っていると、精神的に自立できなくなってしまい、普通なら得られるであろう幸せを得られなくなったり、たとえ幸せがやってきても自らの手で壊してしまうのだ。こうならないためにも、弱い自分と戦って精神的に自立していくべきだし、愛が不足している以上、周囲の人々の関係を切ってしまわないことだ。親戚が一人もいなければ、人為的に人間関係を築いていくしかないのである。

●異常なる結婚

 経済的自立というのは、目に見えるものだ。しかし、精神的自立は目に見えないものだ。経済的自立は裕福になっていくのだから、それはそれで素晴らしいことではあるが、精神的自立は裕福になるということとは関係ないので、それをしなくても生きて行くことはできる。

 だが、精神的自立をしなかったというツケは必ず至る箇所で出て来る。例えば、精神的自立をしていない人たちは、訊いてもいないのに、「俺のお袋がよ~」「私の父の仕事は~」とか言い出して、会話を白けさせてしまう。自分の人生なのに、自分が主人公になっておらず、親が主人公になっているので、幾ら会話をしても高いレベルの会話ができないのだ。これを繰り返されると、友人たちは徐々に避け始め、自分の友人たちが低レベルな人たちだけになってしまうのだ。

 精神的自立ができなくても、結婚適齢期を迎えれば、結婚をすることはできる。しかし、その結婚は「正常なる結婚」を営むことができず、「異常なる結婚」になってしまうのだ。結婚しましたというから祝福しにいったのに、どうも話がおかしいと思ったら、「事実婚」だというのだ。事実婚とは、要は「同棲」のことなんであって、「そんなもののために結婚式を挙げるな!」と言いたくなる。

 結婚したのに、夫婦別姓を唱えるのも、明らかに精神的自立がなされていない証拠だ。結婚した女性にとっては、改姓の手続きは面倒臭いだろうが、苗字が変わるというのは、自分の運命に大きな変動をもたらしてくれるので、それによって新たな人生が開けていくものなのだ。苗字を変えないというのは、その本人がどのような理由を持とうが、自分の両親から精神的に自立できないということの現れなのだ。それが解っていないのだ。

 結婚すれば、次は妊娠出産育児とドミノ倒しのように進んでいく。しかし、精神的自立がなされていないと、「不妊症」を患ってしまい、躓いてしまうのだ。実を言うと、肉体的理由で本当に不妊症になっているのはごく僅かなのだ。大半は夫婦仲が巧く行っていないだけなのだ。夫婦双方が精神的自立を果たしていないから、夫が妻の心の壁を打ち破って、妻の心の中から「無限の愛」を溢れ出させるということができないのだ。

 たとえ赤ちゃんを産んだとしても、育児放棄をしたり、児童虐待をしたり、とにかく自分より弱い者へ残虐な行為を仕出かして、そこに邪悪な悦びを見出すのだ。両親が精神的自立をしていないならば、その家族の中ではまともな愛が流れないから、子供は家出をしていくかない。家出をするような子供というのは、まともな愛を貰ったことがないから、非常に寂しい顔をしているものなのである。

●神の奴隷として生きる

 人間は精神的自立を果たしていなければ、不幸の連続になってしまう。精神的自立を果たしていなくても、その弊害を防止して、不幸が起こらなくさせようとしたのが、「キリスト教」である。「偽りの上位自我」を、「イエス」に置き換えてしまうのだ。言わば、親に従属していた人生を、イエスに従属させることに変えて、違う人生を歩ませてしまうのだ。

 キリスト教ではこれを「神の僕」というが、「僕」とは奴隷のことで、だから「神の奴隷」として生きるのだ。人類の歴史では奴隷制度が廃止されていったものだが、未だにキリスト教の中ではしっかりと奴隷制度が残っているのである。しかし、大人になっても親に従属している人が、そのままで人生を歩めば不幸の連続になってしまうので、神の奴隷として「物」になってしまえば、精神的自立がなされていないことは関係なくなってしまうのだ。

 確かにキリスト教を正しく信仰しさえすれば、それはそれで素晴らしい人生を送ることができるのである。自分が精神的自立を果たしていなくても、神の奴隷として「愛と奉仕」に生きればそれは素晴らしい人生になるものである。精神的自立を果たしているからといって、他人に愛を与えず、他人に奉仕をしなければ、それは精神的自立を果たしていないキリスト教徒たちよりも劣るのである。

 だが、キリスト教徒たちは信仰によって精神的自立ができていないことを隠してしまうために、双方で争ったら悲惨なことになってしまうのだ。キリスト教徒が神学論争をした場合、大抵が論争が戦争に発展してしまい、虐殺が行われている。キリスト教は「アガペー」を掲げるが、実際にやっていることは正反対の「大量虐殺」をやっているのである。

 キリスト教の歴史は、いくら信仰で誤魔化したとしても、その本人がきちんと精神的自立を果たしていなければ、まともな愛を出せないということを証明したようなものなのだ。人間はいくら敬虔に信仰したとしても、まともな愛は出て来ないのだ。まともな愛を出したいのであるならば、自分の青春時代の中できっちりと精神的自立を果たさなくてはならないのである。

●煩悩からの解脱

 仏教では信仰ではなく、「解脱」することで、精神的従属から逃れようとする。確かに釈迦が言うように、解脱してしまえば、精神的に自立できなかった自分は消滅してしまうのである。解脱というのは、決して難しいものではないのだ。解脱というのは、この世で生きている自分を消滅させてしまうことなのだ。こうすれば、確かに精神的に自立をしていない自分も消えてなくなってしまい、仏陀として生きて行くことができるのである。

 釈迦は人類史上の中で有り得ない世界を切り開いたのだが、その後の仏教徒たちは仏教を信仰しながら、釈迦が一体何を言っているのかが解らず、解脱することができないようになってしまった。釈迦を信ずる余りにこの世に執着が湧いてしまい、自分を消滅させることができなくなってしまったのだ。

 我々日本人が知っている仏教というのは、出家して僧侶になっても解脱しないという堕落した仏教なのである。なぜ、この仏教を歪めたものが生き続けたかというと、精神的自立を果たしていない者たちをいつまでも修行させることによって、人畜無害なものにさせようとしたからなのである。

 そして戒律を守って修行している僧侶たちを全国各地に送り、その住民たちの精神的な悩み事を聞いてあげるのである。そうすれば、住民たちは政治に対して不穏な動きをしなkなるし、精神的におかしくなった者たちの犯罪も抑えることができるのである。だから、日本全国各地に仏教寺院が点在しているのである。

 ところが、親鸞が出て来て、釈迦如来への信仰よりも阿弥陀如来への信仰を優先させてしまったのだ。仏教の戒律を守らず、僧侶が結婚して子供を産んでしまうと、その僧侶の家族の生活を信者たちが支えなければならなくなるので、信徒たちは非常に貧しくなってしまうのだ。僧侶自体は生産を何もしていないので、僧侶や僧侶の家族が多ければ、それは直接に信者たちの負担となって現れてくるのだ。浄土真宗が出て来たことで、我々日本人が仏教の本当に姿が見えなくなってしまったのである。浄土真宗ではいくら親鸞を崇めたとしても、親鸞は解脱していないのである。解脱していない僧侶の教えを、釈迦の教えより優先させてはならないのだ。

●神の予定と独立自尊

 結局、イエスも釈迦も所詮は人間だということだ。イエスを救世主に仕立て上げたり、釈迦を仏像にして崇めるからこそ、彼等が人間として生きた軌跡が解らなくなり、一体何を言いたかったのかが解らなくなってしまうのだ。彼等は精神的に自立できない人たちに、精神的に自立しなくても生きていける方法を説いたにすぎないのだ。キリスト教の教えが絶対でもなく、仏教の教えが絶対でもないのだ。

 人間は自立すれば、それ以前の自分を否定してしまうことになるのだ。それは非常に恐ろしいことなのである。いくら親に反抗しているとはいえ、子供の頃は親といるのが楽しかった筈だ。その家族の思い出が消えていくのだ。青春時代はすべての物が輝いて見え、青春の熱気に突き動かされるように生きた筈だ。その青春時代が消えて行くのだ。精神的に自立を目前にすると、我々は自立していない自分が消えてしまうことに、恐れおののいてしまう。施設育ちなら、もっと悲惨で、親への記憶がないから、施設での思い出が消えてしまい、自分が育った場所がなくなってしまうのである。

 青春時代は様々な喜びや悲しみが溢れ返るものだ。しかし、青春時代が終わりに差し掛かり始めた時には、もう青春時代の喜びでは喜べなくなるし、青春時代の悲しみでは悲しめなくなるのである。いつまでも同じ場所には居られないという焦燥感の方が自分を突き動かしてしまうのである。青春時代はいつの日にかは終わるものだ。「生涯青春」などと馬鹿げた人生を送ることなどできないのだ。

 若者が精神的に自立していくということは、青春時代に作り上げた自分の考えを捨てて、神の摂理に自分の人生を合わせるということなのだ。自分の幼稚な考えを捨てた時に、神に指し示された一本の道がはっきりと見えて来て、その道を全速力で駆けて行くことができるようになるのである。青春時代になぜ悩み迷うかといえば、自分のやるべきことがみつからないからなのだ。

 人間は精神的に自立できなければ、平等な社会を作ろうとし出すものだ。自分が精神的に従属状態にあるからこそ、精神的自立を果たしていかなくてもいい社会を作ろうとし出すのだ。社会主義やフェミニズムに走るのは、10代や20代である。還暦を過ぎてしまえば、平等イデオロギーに走ることはないことだろう。社会的弱者に慈善を施すことと、平等社会を作ろうとすることは、全くの別物なのである。社会を変えるよりは、まずは自分を変えるべきなのである。

 何もかも自然に育てていけばいいのではないのだ。中には自立できずに親になってしまう人たちもいるのだ。そういった親たちは精神的に独立していないから、まともに家族を運営をしていくことができず、すぐに政府に頼ろうとするのだ。もしも政府が救いの手を差し伸べなければ、政府の悪口を散々に言ってくるものなのである。まともな愛が出せないから、無制限に憎しみをぶつけることしかできないのだ。

 男と女は憎しみ合うものではないのだ。お金持ちと貧乏人は憎しみ合うものではないのだ。共に愛し合い、手を携えて生きて行かねばならないのである。しかし、まともな成長過程を経ないと、まともな愛が出て来ないから、他人に憎しみをぶつけることしかできなくなってしまうのだ。

 だから、宗教は必要なのである。精神的自立を果たしていない人たちは、政治に手を出すべきではなく、精神的自立を果たしていなくても、宗教の力を借りて生きていくしかないのである。政府がどのような政策を実行した所で、精神的自立を果たしていない人たちを満足させることはできないし、増してや精神的自立を果たすようにさせることもできないのだ。

 人間たちがどのような成長過程を経るにせよ、精神的自立を完成できる人は、神によって予定されているのである。神に選ばれた人たちは、自分が両親のいる家庭に育とうが、片親の家の育とうが、児童養護施設の中で育とうが、精神的自立を成し遂げ、精神的独立を果たすことができるのである。しかし、神に選ばれなければ、淫祀邪教や平等イデオロギーに洗脳されてしまうだけなのである。神に選ばれた人たちは、決して精神的自立を果たしていない人たちに警戒を怠ってはならず、ありとあらゆる場面で主導権を握って、彼等が暴虐な行いをしないように管理し続けなければならないのである。

 自分が産んだ子が、将来、ちゃんと精神的自立や経済的自立を果たしてくれるかは解らないものだ。ただ、親としては、その子に充分な愛を与え、何が正しいかを教え、夢を持つことの大切さを教えていくしかないのだ。今はまだ可愛い子供も、青春時代が来れば飛び立つ日がやってくるのである。だから、親ができることは、自立することをせかすのではなく、親に従属すべき時にきちんと従属させておくことなのである。

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コメント

とても難しい内容でしたが参考になりました
この記事を読んで自分は結婚を諦めた方が良いかなと思いました
やはり過去は変えられないですネ

投稿: かる | 2010年6月 1日 (火) 23時35分

精神的自立をするにはどうすれば可能かを知りたく読みました、大変分かりやすく、又宗教の事も目からウロコが落ちたようです。書かれた本、あるいは講演会などがあれば、是非知りたくコメントを書きました、あれば是非教えてください。67歳の男です、息子が精神的自立できず困っています。

投稿: みえこ | 2011年8月13日 (土) 14時21分

 みえこさん、コメント有難うございます!happy01
 が、67歳の息子って、誤字じゃないですよね?
 
 本当に67歳なら、時期的に戦時中生まれってことですね。
 丁度、戦争で忙しくて、母親の愛情が不足していたのでしょう。
 それに占領中の大混乱で、学校でちゃんとした教育を受けられなかったということもあります。

  しかし相手が67歳なら、もう自立云々ではないですよ。
 みえこさん自身が息子さんに執着しないことです!
 母親が息子に執着して来るから、息子も親離れできないんです。
 こういうことは本を読んでどうなるとか、講演会に行って講演を聞いてどうなるかってことではないですよ。
 みえこさん自身が心を鬼にしないと。
 そうやって自分が子離れして、みえこさん自身が何か趣味を持って人生を楽しんだり、旅行に行って楽しめばいいんです。

 但し気をつけるべきは「お金」ですよ。
 精神的に自立していない息子なら、お金を盗むことあるので、くれぐれも要注意して下さい。

投稿: タマティー | 2011年8月13日 (土) 18時11分

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