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子供への「良い叱り方」と「良い褒め方」

●育児は性悪説に立脚すれば、子供の現実が見えて来る

 育児書というのは、その殆どが性善説の立場から書かれている。子供は本来「善」なる生き物なのであって、子供が悪に走るのは育て方が間違っていたからという論理を展開して来る。この性善説に立脚した育児の仕方を実践してしまうと、育児の至る所でトラブルが発生しまくり、母親の精神は異常と化してしまうことになる。なぜなら、子供は平然と悪事を仕出かしてくるからである。

 出産をしてみれば、確かに我が子は世界で一番可愛いものである。だが、それが善なる生き物かといえば決してそうではない。育児をしていれば、子供は悪事をしまくるからだ。悪事をしまくることこそ、子供の現実なのであって、母親が性悪説に立脚すると、子供のありのままの姿が見えて来て、まともな育児をすることができるようになるのだ。

 まず、「子供は相手の事などお構いなし」である。子供は親に依存しなければ生きていけないのに、親のことすらお構いなしなのである。親の言ったことを守らないのは日常茶飯事なのだ。我儘し放題で生活して、母親を散々困らす日々を飽きることなく繰り返して来るのだ。

 次に、「子供はルールを守らない」のである。早寝早起きというのは、大人にとっては当たり前のルールであるが、子供はこれすら守れない。朝になってもなかなか起きて来ないし、母親が起こしてもすぐさま起きることはないのだ。夜は夜でなかなか寝てくれないし、母親が寝かしつけても、今度は真夜中に起き出して来ることもあるのだ。

 第三に、「子供の悪事には悪意のない悪事も存在している」ということである。子供も親のもとで自治の領域を拡大して行くものだが、この自治ということを乱用しがちなのである。例えばオモチャで遊ぶのはいい。しかし、オモチャで遊び終わったら、後片付けをしなければならないのに、オモチャを放ったらかして、どこかに行ってしまうのである。子供にとってはオモチャで遊び終わったので、次の場所へと移って行ったのだが、このオモチャが散乱した光景を見れば、いかなる母親も怒りだしてしまうのは当然のことなのだ。ただ、いくら怒っても、子供には悪意がないのだ。

●良い叱り方

 子供の実態というのは、悪事を平然としまくる生き物だということなのである。性善説など嘘の塊であって、性悪説こそ真実の塊なのである。どんなに我が子が可愛くても、我が子は親に対して悪事を働いて来るのだから、その悪事の対処法、即ち、子供が悪い事をしたら、正しい叱り方で子供の悪事を粉砕していかなければならないのだ。

①叱る時は感情的にならずに、腰を下ろして相手の目線に合わせる

 まず、子供が悪事を仕出かした時、絶対に感情的にならないことだ。子供の悪事は悪意のない悪事なのだ。母親の感情を構うことはないし、ルールだって守らない。それが当たり前なのだ。だから、子供の悪事に対して感情的にならない。寧ろ、親の方が冷静になって、腰をおろして、子供の目を見て、子供の目線に合わせてから、「これはいけないことなんだよ」と諭せばいいのだ。

 こうすれば必要以上に叱らないことになり、子供は母親の言いつけをきちんと守ろうとするのだ。叱り方で失敗するのは、母親が感情的になってしまい、子供を叱るのではなく、子供に対して怒りをぶつけるようになってしまうからだ。これでは子供は母親に恐怖を感じてしまい、いくら怒られても、今度は暴力で仕返して来るようになるのだ。

②いけないことを指摘して、その解決策を与える

 子供の悪事を叱る時は、一体何が悪い事なのかを指摘し、その解決法を与えてあげることだ。子供の悪事というのは悪意がないものが殆どなのだから、子供にとっては一体何が悪いことなのか解らないのだ。だから、一体何が悪かったのかを教えてあげ、その解決法まで教えてあげるのだ。例えば、オモチャを放ったらかしにしていたのなら、「オモチャを放ったらかしにしていたら、このオモチャで誰かが転んでしまい、大怪我をすることだってあるの。だから、オモチャで遊び終わったら、ちゃんとオモチャ箱に片付けようね。」と言えばいいのだ。これなら子供にとっても一体何が悪くて、その解決法がきちんと解るようになるのだ。

 叱る時は、絶対に子供の人格を否定しないことだ。子供が悪事を仕出かしたからといって、その子供の人格に何か問題がある訳ではないのだ。「だから、お前は駄目なんだよ!」「お前は馬鹿だねぇ~」「お前は人間失格だ!」とか絶対に言ってはならないのだ。これは母親が若かったり、精神レベルが低いと、平然と言ってしまう傾向にあるので、絶対にやらないことだ。こんなことを言われれば子供は自分の人格を否定されたと思って、母親に対して憎しみ念を持ち続け、それが思春期になる頃に、親に暴力を伴う反抗を行うことで、清算しようとするからだ。

③叱った後までネチネチと引き摺らない

 叱り終わった後は、その悪事をネチネチと引き摺らないことだ。女性は自分の身の回りに起こったことに関しては異常なまでの記憶力を発揮して来るので、子供の悪事に関してはいつまでも覚えているものなのだ。そのため、子供が大きくなっても、「お前は昔、こういう悪さをしたんだよ」と遂々言ってしまうのだ。しかし、子供の方はそんな昔のことは奇麗さっぱりと忘れているので、昔のことを持ち出して来られると、自分が悪さをしていないのに、悪い事をしたと思ってしまうようになるのだ。これが積み重なって行くと、或る日突然に感情を爆発させて、母親の手では収拾がつかなくなってしまう事態に陥ってしまうのだ。

 「罪を憎んで人を憎まず」というのは、大人に対してであろうが、子供に対してであろうが、適用されるものなのである。自分の悪事をきちんと償ったのに、昔の悪事のことを持ち出されては、「では一体どうしろというんだ?」と言いたくなってしまうからだ。一度罪を犯したからといって、永遠に罪人にされては堪ったものではないのだ。そんなことをすれば、罪を償った者が、昔の罪を指摘して来る人を殺すことでしか解決することしかできなくなってしまうのだ。「罪が更なる罪を呼ぶ」ようなことにさせてならないのだ。

●良い褒め方

 性悪説に立脚してしまうと、常に子供は悪を仕出かすものと思っているので、逆に子供が何かいいことをした場合、褒め易くなってしまうのだ。性善説に立脚してしまうと、子供は常に良い事をすると思っているので、子供が何かいいことをしたとしても褒めることがなくなってしまい、逆に何か悪い事をした場合、その悪事が余計に目立つために、烈火のごとくに怒り出してしまうことになるのだ。一見、性善説より性悪説の方が悪い考え方だと思うのに、育児の現場では大逆転が起こってしまうようになるのだ。性悪説の方が子供は褒められ易くなり、のびのびと成長して行くことが可能になるのだ。

①褒める時は感情的になって、子供より高い視線を維持する

 まず子供を褒める時は、感情的になって、褒めまくることだ。しかも、褒める時は、子供より高い視線を維持しながら褒めることだ。人間は頭を上の方に向けると、素直になって、褒められたことをなんら否定することなく受け入れてしまうようになるからだ。立っている時は母親の方が身長が高いのでなんら問題は起きないが、座っている時は背筋を伸ばして、子供より高い視線をキープすることだ。よく子供の目線に合わせようと、身を屈ませる母親がいるものだが、こういう母親から褒められてしまうと、子供にとってはちっとも嬉しくなく、それ以降、何かいいことをしようとしなくなってしまうのだ。不良少年を輩出して来る母親は、大抵がこの手の褒め方をしているのだ。

 褒める時は叱る時とは逆であって、必要以上に褒めることだ。子供を放置していたら、子供は悪事を平然と展開して来るので、母親が子供がいいことをした場合、きちんと褒めてあげないと、子供は悪事ばかり仕出かすようになってしまうのだ。自分が些細な良い事をしたとしても、母親が必要以上に褒めてくれれば、子供の脳の中でこういうことをすれば母親は喜ぶという回路が設定されて、子供は今後いいことをするようになっていくのだ。

②凄い部分を指摘して、それを過剰に褒める

 子供の悪事には悪意がないように、子供の善事には善意がないのだ。解り易く言えば、母親から見れば良い事をやったと思えても、子供にとって偶然であり気紛れの行為でしかないのだ。だから、子供を褒める時は、一体どこが良い所なのかを指摘して、それを過剰に褒めてしまうことだ。そうすれば子供の方にとっても、一体何が良かったのかがきちんと解るようになるのだ。

 子供が良い事をした場合、その良い事を褒めるだけでなく、人格まで称賛してしまうことだ。子供が悪事を働いた場合は、その悪事だけを叱り、人格を否定しないことが求められるが、子供が善事を働いた場合は、その善事だけを褒めるのではなく、人格まで称賛してしまうのだ。「お前は凄い!」「お前は立派だ!」と褒められれば、子供は自分自身を肯定することができ、自信と勇気を持つことができるようになるのだ。

③褒めたことを後々まで覚えておく

 子供が善事を働いた場合、後々まで覚えておくことだ。子供は今日やったことは、翌日には忘れているものだ。これは子供は成長するために、様々なことを記憶していかねばならないために、睡眠中に一旦、記憶を消去してしまい、無意識の世界に記憶を貯蔵してしまうのだ。そのため、子供は朝になれば、意識上の記憶は白紙になってしまい、いくら昨日いいことをやったとしても、全然覚えていないのだ。

 だから、母親は子供が善事を働いた場合、ネチネチといつまでも覚えておき、事あるごとに「お前は昔、こういう良い事をやったんだよ」と言い続けるのだ。そうすると子供の脳の中に、「自分は良い事をする能力があるのであって、今後は良い事をするようにしよう」という気になり、子供の向上心に火がつき、子供は自然と良い事を遣り始めるようになるのだ。

●母親の言葉が子供の前進と後退を決めてしまう

 育児を巡る考えでは、性善説に立脚するか、性悪説に立脚するかで、全く違う考えになってしまうし、全く違う結果が出て来るのだ。実際に育児をやってみれば、性悪説に立脚してしまった方が、圧倒的に素晴らしい育児ができるものなのである。子供は悪事を仕出かしてくるのが当たり前と思っていれば、子供の悪事に平然と対処できるし、子供が善事を働いたら、きちんと褒めてあげることが可能になるのだ。

 これに対して性善説だと、子供は善事を働くのが当たり前だと思っているから、子供が善事を働いても褒めないし、子供が悪事を働いたら、凄まじい怒りをぶつけてしまうようになるのだ。実際に育児をやってみれば、育児では性善説は成り立たないといのは解ることなのに、母親が我が子を可愛いと思う感情が強すぎる余りに、性善説に魅了されてしまうのだ。だからこそ、育児が苦しみだからけになり、児童虐待が平然と行われるようになってしまうのだ。

 子供は親に対して従属しているのである。従属しているということは、その子供は自立して行動することができないということなのである。それゆえ、子供はまともな形で善事を行うことも、悪事を行うこともできないのだ。勝手気儘に我儘し放題なのだ。悪事に対しても悪意はないし、善事に対しても善事はないのだ。

 だからこそ、母親は子供が悪いことをしたら叱り、良いことをしたら褒めるのである。叱ることは怒ることではないのだ。また、褒めることは子供に成績をつけることではないのだ。子供のやることなすことをいい方向に導くために、時には叱り、時には褒めるのである。子供を巧く叱り、巧く褒めたいのであるなら、性悪説に立脚して、子供は悪事をなすのが当たり前だと思ってしまえばいいのだ。そうすれば子供が悪事を働いてもきちんと叱ることができるし、子供が善事を働いたらきちんと褒めることができるのだ。

 では、なぜ性善説に立脚した育児書が出回ってくるかといえば、それは出鱈目な育児の仕方を書いた著者たちが、ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』に洗脳されてしまったからなのである。ルソーは子供を自然に育てれば勝手に育つだろうと思って、我が子5人をすべて育児放棄して孤児にさせてしまったのだ。『エミール』というのは、ルソーが「親が育児放棄すれば子供はまともな人間に育つであろう」という妄想を小説化にしたものにすぎないのだ。この本は飽くまでもルソーが作り出したフィクションであって、現実の育児とは一切関係ないのである。だが、ルソーの魔術的な文章力のために、精神レベルの低い人たちはこの本に物の見事に洗脳されてしまうのだ。

 よく、医者や教育者や童話作家たちが「子供は天使である」「子供は純真である」とか言い出すものであるが、これらはすべてルソーの『エミール』に洗脳されてしまったからこそ、こういうことが平気で言えるのである。凶悪な少年犯罪が発生した時、その罪を犯した不良少年を罰することなく、少年法を楯に庇ってしまうのも、性善説に洗脳されてしまったからなのである。育児に於いて性善説に立脚するのは、育児をまともにしたことがないから、そういう間違った考え方を持ってしまうのである。

 性善説に立脚して育児をしようものなら、子供はまともに育たないし、母親にとっては育児が苦しみだらけになるだけなのである。子供は悪い事は悪いと叱ってくれる母親がいるからこそ、良い事は良いと褒めてくれる母親がいるからこそ、もともに成長して来るのである。子供が子供の時に、親元から切り離されて自然状態で育ってしまえば、まともに成長する訳がないのである。子供の性が善なら、孤児の中でも、浮浪者生活を送って孤児が最もまともに育つ筈である。しかし、実際には浮浪孤児の中から聖人君子が出現した例は皆無である。寧ろ、盗みや殺しを平然と行う凶悪犯罪者に育ってしまうものなのである。

 育児というのは、一直線で進めていくものではないのだ。紆余曲折を経て育って行くものなのだ。その際に最も影響を与えてしまうのは、母親の言葉なのだ。母親の言葉こそ、子供の前進と後退を決めてしまうのだ。子供が悪い事をしたのなら、叱って後退させ、子供が良い事をしたのなら、褒めて前進させていかねばならないのだ。子供は親元で養育されている以上、母親の指図に従うのは当然のことなのである。しかし、それは永遠に続くものではないのだ。子供が成長して自立して行けば、その善悪の判断を自分でこなすようになり、母親の関与は不要になって行くのだ。それがきちんとできるまでは、母親に叱られたり、褒められたりしながら育っていくしかないのである。

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コメント

タマティーさま
毎朝ありがとうございます。
私はすごい発見をしました。(というか当たり前のことなんだけど自分が気がつかなかっただけなんですけどね)
タマティーさまは父親から母親、そして子どもへ愛が流れて循環するとおっしゃてましたが、なんと逆方向に元気が流れてくるのです。私は子どもから元気をもらい、旦那さんは私から(子どもからもだけど)元気をもらっているのです。本当にありがたいなーと思い、幸せだなーと思うのです。
ところでしつけと甘え(ともすると甘やかしになってしまうのですが)はどのように分けていけばよいのか、タマティーさまの考えをブログに載せていただきたいのです。井深大さんなんか後半分の教育てしつけがとても重要だと書いあるのですが、具体的なことが書いていないのです。

投稿: ゆきねこ | 2009年10月25日 (日) 07時36分

続きです。
うちの子の場合ですと、障子を破ったくらいでは怒りません。オムツ替えのときもハイハイでなかなか替えさせてくれなくとも怒りません。でも怪我をするようなことだったら、これは譲れないと言って厳しくいいます。まあ8ヶ月だから言ってもわからないかもしれないですけどね。

投稿: ゆきねこ | 2009年10月25日 (日) 07時43分

 「ゆきねこ」さん、それは凄い発見です!happy01
 それこそが「子宝パワー」ですよ。
 赤ちゃんは人間の中でも最も奇麗な気を発して来るので、その気を受けてしまうと、元気になっていくんです。
 夫婦の場合、妻の方が赤ちゃんと接している時間が長いために、妻の方が元気になってしまい、その元気になった妻の気を夫も影響を受けて元気になってしまうんです。

 それと、「ゆきねこ」さんが育児をすることによって、赤ちゃん優先の暮らしていているために、色々な能力が高まってしまうんです。
 自分中心だとそれほど能力は伸びないんです。特に女性が結婚もせずに働いていたら、日々の仕事で同じような作業をするだめになってしまい、他御分野の能力は伸びませんよ。
 ところが、育児をしていると、育児自体が幅広い能力を必要とするし、その上、家事もこさなさなくてはならないので、自分の能力が自然と高まってしまうんです。
 そのため、出産前の「ゆきねこ」さんよりレベルアップしていて、些細なことでは疲れなくなるんです。

 それから「躾」というのは、ず~っと後ですよ。
 子供は4歳か5歳の時に乳幼児の頃を記憶を一旦消去してしまうという不思議な現象が発生するので、それ以前にいくら躾を施しても無駄です。
 それどころか躾は児童虐待の引き金になりかねないんです。殆どの児童虐待は躾がエスカレートしてから始まっているんです。
 躾というのは、身のこなしの美しさであるので、まずはそれ以前の我が身をきちんとこなすことの方が必要なんです。
 子供は幼稚園児になっても身のこなしをきちんとできないものですよ。
 躾は身のこなしがきちんとできてからで充分です。我が子が小学生になったら、躾を施していけばいいです。
 但し、躾を施すには期限ってものがあって、中学生になってからでは遅すぎます。
 躾がなんで大事かというと、躾は学校で教わることができないからなんです。その家の家柄や家風が如実に現れて来るからなんです。
 例えば、挨拶がきちんとできれば、物事に集中できるので、当然に知能は高くなって行きます。食事のマナーがしっかりと守られていれば、栄養を充分に補給できて、体を健康に成長させて行くことができます。
 躾が行き届いている子は、マナーを守れる子だから、立身出世がし易くなるんです。能力あるのに出世できないとか、出世したのに足元を掬われてしまう人は、要はマナーが守れないからこそ、そういう事態に出くわしてしまうんです。
 大人になってみれば解ることだけど、学校の教科書は役に立たないけど、マナーは色々な場所で役に立ちます。それを教えるのは、基本的に自分の親ですよ。
 かといって、赤ちゃんにも幼児にも幼稚園児にも必要ないんです。小学生になってからで充分ですよ。

happy01 happy01 happy01

投稿: タマティー | 2009年10月26日 (月) 06時00分

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