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いつの世も子供はアホだと決まっている ~育児を巡る加点主義と減点主義の戦い~

●無知だからこそ知る喜びがある

 嘗て、ジョン・ロックは「人間は白紙状態で生まれてくる」という説を唱え、すべての知識は経験から得られるとして、経験論に基づく哲学を作り上げた。しかし、赤ちゃんの生態が解ってくると、ジョン・ロックの学説は誤りということが明らかになった。赤ちゃんは生まれながらにして泣くこともできるし、オッパイを見つければ吸いつこうとする。そして赤ちゃんには生得観念なんてないと思われていたが、赤ちゃんは明らかに胎内記憶を持っており、ただそれを言葉で喋れるだけ発達していないということに過ぎないのだ。

 しかも、赤ちゃんは自分が「神の世界」から生まれてきたことを知っており、赤ちゃんの肉体は精子と卵子の融合によって出来たものであっても、赤ちゃんの霊的な部分については神によって作り出されたということを知っているのだ。神とか、霊魂とか、宗教とかは、人間が生まれながらにして持っているものなのである。

 ところが、人間は理性の力が強まってしまうと、人間が持つ本能レベルの能力や、生得観念や、宗教の力を否定しようとしてしまう。理性というごく小さな能力だけで世界を認識し、行動しようとしてしまう。これこそが大人と子供の最大の矛盾点であって、子供はまだまだ本能のままで生きており、理性の力だけに頼って生きているわけではないのだ。

 知識という面に於いては、子供は本当に何も知らないものだ。いつの世も子供はアホだと決まっているのだ。無知だからこそ、知る喜びがあるのである。だから、理性が徐々に発達する時期に、子供はなんでも知ろうとする。この貪欲に知識を吸収しようとし出すと、子供は恐怖の「クエスチョンモンスター」に変身してしまうのだ。

 我が子がクエスチョンモンスターに変身すると、とにかくなんでも質問してくる。このなんでも質問して来られると、親は散々に手を焼いてしまうのだ。質問自体が非常識な質問だからだ。例えば、子供から「風ってどうして吹くの?」と質問されたら、どう答えればいいのだろう? こんなことを質問してくる人は自分の身の周りにはいないものだ。「お前は古代ギリシャのソフィストか!?」と突っ込みを入れたくなるくらいだ。

 これを真面目に答えようとすると、「地球は自転しているから、基本的に風は東から西へと吹くんだ。そして太陽の日照時間は四季では異なり、夏は日照時間が長いから気温が高くなって南風が吹くようになり、冬は日照時間が短いために気温が低くなって北風が吹くんだ。風は動けば山や川や谷にぶつかるから、それによって風向きを変動し、しかも家やビルなどの人工物でも変動するから、かなりランダムな形で動くんだ。」という答えが模範解答になる。

 だが、子供がその解答を聞くと更なる疑問が湧いてきて、「どうして地球は自転するの?」と訊いてきたりする。「風はどこにいった? いきなりガリレオレベルに行くな!」と言いたくなるのだが、クエスチョンモンスターになってしまった子供には無意味な反撃である。このエンドレスで続く質問攻撃に、いかに博識の親といえどもヘトヘトになってしまうのである。

●近くにいると欠点しか見えなくなる

 この点、古代人は神様を使って簡単に説明したことだろう。「どうして風が吹くの?」と訊かれれば、「それは神様が風を引き起こしているからだよ」と答えればいいのだ。子供にとってはそれで満足なのだ。時代が下ると、神様だけでは足りなくなって、妖怪をも生み出して、子供の得体に知れない質問に答えたのだ。そうなると、妖怪といえどもも、決して馬鹿にできないのだ。

 要は、子供がクエスチョンモンスターになった時、科学的に答えてもいいし、宗教的に答えてもいいのだ。しかし、子供への受け答えを知っていないと、この手の質問にはうんざりしてしまうものだ。しかも、子供はクエスチョンモンスターになって知識を溜め込んでいくと、今度は恐怖の「謎々モンスター」に変身してくる。子供が考える謎々って本当に下らないものだ。「知識は力なり」と言われるが、子供は知識を持つと悪用し出すものなのだ。

 子供がこの世の疑問点を持ったり、謎々をしてくるのは、脳が成長した証なのではあるが、親の方としては単純には喜べないものなのだ。近すぎると欠点ばかり目についてしまうものなのだ。だから、子供が質問攻撃をしてきたり、謎々攻撃をしてくると、それを否定的に受け取ってしまい、子供の成長を否定するような行動を取ってしまうのだ。

 子供の質問攻撃にうんざりしている母親たちは、夫婦仲も相当に危険になっていると見ておいた方がいい。夫と近くにいすぎるために欠点しか見えなくなっており、夫の言動をも否定しているからだ。夫は夫で、仕事で頭の中を一杯にしているので、妻がネガティブモードになっていることなどお構いなしになっており、夫婦として危険な状態に差し掛かりつつあるのだ。

 近くにいればすべてのことを見通せると思ったら大間違いなのである。例えば日本の知識人の中には、日本に長く住んでいるのに、日本の悪口を言ってくる人たちがいる。かと思えば、海外に短期間留学した程度で日本の悪口を言ってくる人たちもいるのだ。ところが、現実の日本国は、政治的にも安定しているし、経済力はまだまだ豊かだし、治安だっていいのだ。日本に来る外国人が称賛するのは、「和食の美味しさ」であり、「都市の清潔さ」であり、「国民の礼儀作法の美しさ」なのである。日本の悪口を言う知識人たちは、日本の近くにいすぎるからこそ、日本の良さが解らなくなってしまったにすぎないのだ。

●欠点を指摘するより、長所探し

 子供の質問攻撃や謎々攻撃を受けてうんざりしている母親たちは、まずは子供から離れてみることだ。できれば、難病奇病を抱えた子供たちの姿を見て、我が子が健康に育ってくれていることに感謝すべきなのだ。自分が冷静になった上で、我が子を見れば、我が子の長所がきちんと見えてくるのだ。

 母親がネガティブモードになってしまうと、子供の欠点を克服しようと躍起になってしまうものだ。しかし、いくら欠点を指摘しても、子供は決して良くならないのだ。欠点を指摘するのではなく、長所を探し、その長所を伸展させてしまうと、その嫌な欠点を克服することができてしまうのである。

 子供の好きなことを、その子の得意分野にしてしまえばいいのだ。親が子供を褒められるものを人為的に作り出せばいいのだ。芸事なんてのも、習えば得意分野になるから、子供の頃から習い事をさせると、子供の欠点が気にならなくなってしまうのだ。長所を伸ばしていないからこそ、短所が気になって仕様がなくなってしまうのだ。

 育児に悩む母親たちの愚痴というのは、ひっくり返してみると、実は子供にとっては長所だったということもある。例えば、「うちの子はお喋りで~」とかいう母親がいても、冷静に考えてみれば、「その子供は饒舌である」ということなのだ。「うちの子はいつまでも遊んでいる」とかいう母親がいても、冷静に考えてみれば、「その子供は体力があり運動神経がいい」ということなのだ。「うちの子は遊んだ後の後片づけをしない」とかいう母親がいても、冷静に考えれてみれば、「その子供はきちんと遊んだ証拠であり、病気ではない」ということなのだ。

 物の見方を変えるだけで、実はその子供の長所が見えてくるものなのだ。健康に育ってきている以上、その子供自体に問題があるのではなく、その母親自体に問題があるのだ。ネガティブモードで子供を見ているから、ネガティブなことしか見えてこないのだ。まずはネガティブモードを捨てて、ポジティブモードにしてしまうことだ。そうすれば、ポッジティブなことしか見えてこなくなるのだ。

●最低基準と加点主義

 子供の脳を巧く成長させるためには、母親自体が「最低基準」と「加点主義」というものを持たねばならない。子供の成長に応じて、これだけはやってほしいという最低基準を設け、その上で子供の行為に対して加点していくのである。例えば、ご飯を食べる時は、「頂きます」と言い、食べ終わったら、「御馳走様でした」と言うように教える。その上で、嫌いな食べ物を食べたら、大袈裟なほどに褒めるのである。そうやって育児をしていくと、子供は脳を健全な形で高く成長させていくことができるのである。

 これに対して危険なのは、母親自体が「最高基準」と「減点主義」を持ってしまうことである。子供の成長を無視して、最高レベルのものを要求し、それができなければ減点していくのである。例えば、自分がピアノをひけないのに子供に無理矢理にピアノを教え、しかも子供がコンクールで優勝しないと、執拗に怒りまくるのである。こういう母親のもとで育つと、子供は委縮してしまい、「自分は駄目な子なんだ」ということを心に刻み込んでしまい、事実、その通りになってしまうのである。

 子供が可愛いのは、無知だからである。母親から見れば馬鹿な子供ほど可愛いのだ。なぜなら、馬鹿な子供ほど急激に成長する可能性があるからである。人間は他人が成長している姿を見ると心から喜んでしまう性向を持っているのだ。だから、自分の子供にそんな最高基準など要求せずに、もっと基準を落として、どんどん加点していけばいいのだ。加点していけば、子供の方も勢いづいて、グングンと成長していくことができるようになるのである。

 育児をしていく上で、子供には最低限のことは守らせろ。最低基準は誰でも守れるものだからだ。それができないと、いかなる子供であったとしても叱らざるを得ないのだ。しかし、子供に最高基準など要求しなくていいのだ。子供はそんなに高い能力を持っていないのである。それよりも最低基準を守ったなら、どんどん褒めていけばいいのだ。

 加点主義に立脚すると、我が子の人生は上り調子になる。減点主義に立脚すると、我が子の人生は下り坂になってしまうものだ。子供が質問攻撃をしてくるようになると、母親が加点主義に立つのか、減点主義に立つのか明確になってくるものだ。自分が子供のことを叱りつけているようであるならば、減点主義になっていると思った方がいい。子供が間違ったことをしたのなら、叱るべきことは叱るべきだが、それよりも子供のいい所を探して褒めまくることだ。その方が子供の脳は成長していくことができるのである。

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コメント

またまたタマティー様に助けて頂きました
三女の子育てがちょっと落ち着いてきたと思ったら、今度は上の子達の事で悩み始め…「最高基準」「減点主義」は正に私の事ですハッと気が付かせて頂きました。有難うございます。

投稿: ゆきりん | 2011年12月28日 (水) 00時03分

 ゆきりんさん、感情表現は大袈裟にした方がいいですよ。
 母親の表情が少ないと、どうしても子供が巧く育って来ないですからね。
 子供ってのは、母親が喜んでくれることは思いっきりやろうとしますからね。
 
 そういう意味で母親が学校の成績を気にしすぎるのは危険ですよ。
 学校の成績は担任の基準でつけただけであって、母親の意見は反映されていませんからね。
 それよりも母親が子供の長所を見つけ出し、その長所を伸ばしてしまった方が、子供は一気に伸びて来ますよ。

 浅田真央の母親の浅田匡子さんは、その点が巧かったと思いますよ。
 娘に様々なお稽古事をさせて、フィギュアスケートに興味を持ったら、そこに集中して行ったわけだから、そこでグニョ~ンと才能が伸びて行ったんですよ。
 こうなると娘は母親が喜んでくれるから一生懸命に努力し、努力すれば優勝してしまうという好循環が始まるんですな。

投稿: タマティー | 2011年12月28日 (水) 07時35分

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