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子供には慈善活動を教えよ ~時には自分の利益にならない仕事をさせてみる~

●慈善活動は親が教え込まない限りやらないもの

 この世は自分が利益を追求することによって、利益が得られるのではなく、他人に利益を与えるからこそ、自分も利益を得られるようにできている。ビジネスというのは、そういうことを仕事を通じてやっているにすぎないのだ。だが、ビジネス以外にも他人に利益を与えることができるものがある。それが「慈善活動」である。

 慈善活動は子供たちが自然発生的にやると思ってはならない。慈善活動は親が子供たちに教え込まない限り、絶対にやらないものだからだ。大概の子供たちは自分のことで手一杯なものなのである。親が慈善活動の手本を子供たちに見せて、子供たちにも行わせるからこそ、子供たちは慈善活動をするようになるのである。

 ビジネスと慈善活動は一体どこが違うのか? それは有償な行為か、無償の行為かの違いであるのである。ビジネスをすることで、利益を得た分、その利益の僅かなものを、無償の行為によって還元して行くのである。ビジネスと慈善活動は繋がっており、ビジネスをして儲ければそれでいいのではないのだ。ビジネスで儲けたからこそ、富を社会に還元しなくてはならないのだ。

 ビジネスで儲けているのに、慈善活動をしないでいると、その人から人徳が消え去ってしまい、単なる守銭奴に成り下がってしまうようになるのである。莫大な富を有することは、自分の人徳を高めるものになることなのに、なぜか慈善活動をしないでいると、人徳が低下して行き、自分の精神がおかしくなっていくのである。

 子供たちにもビジネスを教えるだけでなく、慈善活動の大切さを教え込んでいくべきなのだ。慈善活動は他人のためだけではないのだ。自分のためでもあるのだ。自分の人徳をあげていくためには、自分が所有しているお金を、無償で他人に与えるということは、是非とも必要なことなのである。こういうことは親が子供たちに教え込まない限り、子供たちは絶対にやろうとはしてこないものなのだ。

●この世には下には下がいることを教えよ

 子供たちは成長過程にあり、それなのに人生経験は少ないものだ。そのため、大人でなら簡単に乗り越えられる試練であっれも、躓いてしまうことだってあるのだ。些細な失敗なために、自分は駄目な人間だと思い込んでしまい、ネガティブモードを全開にしてしまい、自分のすべての行動を停止させてしまうのである。

 そうならないためにも、この世には下には下がいることを教えてあげるべきなのである。自分が多少運動神経が鈍くても、身体障害者を見たことがあれば、自分の運動音痴は気にならなくなるものだ。いくら自分の頭が悪くても、病院で寝たきりになっている病人を見れば、自分が生きているだけでも幸せと思うようになるものなのだ。、

 昭和憲法体制下の学校では、非常に危険な学校運営を行っている。それは学校から身体障害者を排除して、養護学校に行かせてしまうことだ。確かに、身体障害者には特別な教育を必要ということは解るが、かといって身体障害者であっても、通常の学校に行きたいものなのだ。学校内で教師たちが唱えて来る平等がいかにインチキに満ちたものであるか解ることであろう。平等を唱えながら、強烈な差別をvぶつけて来るのである。

 それでどうなったかといえば、養護学校の生徒たちは社会を憎むようになり、普通の学校ではイジメが深刻化し、毎年、自殺者まで出るほどなのである。人間を公平に扱うということは、平等なんかより遥かに大切なのである。学校教育で公平が確保されていないからこそ、健康な子供たちも、身体障害の子供たちも、心が病んでしまうのである。

 普通の学校に身体障害の子供がいれば、他人を些細な理由でイジメたりしなくなるものだ。身体障害の子供も健康な子供たちと同じように普通の学校に行かして貰えれば、社会に対して恨みなど抱かなくなるものだ。子供の頃から、自分とが明らかに異なる人たちがいることを知っておけば、自然と慈善の心は芽生えて来るものなのである。

●採算を度外視した行動こそ、未来を切り開く

 人間は損得勘定だけでは大物になることができない。時には採算を度外視した行動こそが、未来を切り開いていくのだ。子供に慈善活動を行わせていたら、利己的な人ならなんて馬鹿なことを強いるのだと罵ることだろう。でも、子供たちが利己的に行動していたら、決して大物に育って行くことはないのだ。せいぜい小賢しい才子になるだけなのである。

 確かに人間は利益を出されれば、動くこともある。しかし、この世のすべての人たちが利己的になって、自分の利益だけを追求するようになってしまったら、この世はギスギスしてしまい、人間不信の輩が続出して、到底、人間らしく住む社会にはならないことだろう。いや、余りにも殺伐とした社会であるために、多くの人々の心が壊れてしまい、暴動となって爆発して来ることだろう。

 すべての人々が慈善活動をする必要性などないのだ。ビジネスで成功している人たちが、高貴な義務として慈善活動を行えば、その慈善活動で使われるお金はごく僅かであっても、社会に潤いが生まれ、利己的に生きている人々にその非人間的な生き方を改めさせることができ、この世に生きている人々が互いに楽しめる世の中に変えて行くことができるのである。

 人間は自分の利益の分しか働かないとすれば、もうそれ以上の成長は見込めないのだ。自分が既存の利益以上の働きをするからこそ、今まで以上の成長が見込めるようになるのである。慈善活動は他人に対して無償の行為をしている振りをして、実は自分の能力を大いに引き延ばしているものなのである。だから、慈善活動をし続けると、無限に成長して行くことができるのである。

 都会は才子を産み、田舎は凡庸な人間を産み易い。都会は情報が溢れているために、あれやこれやと気が散ってしまい、何か一つに打ち込める人間にはならなくなる。一方、田舎は情報が少ないために、自分の才能を発揮する機会がないために、能力が低下して行ってしまうものなのだ。それゆえ、都会であろうが田舎であろうが、我が子を大物にさせたいのなら、慈善活動に従事させ、子供の能力の限界を取り払う機会を与えてあげるべきなのである。

●慈善活動をすると、自分の家から不幸がなくなる

 慈善活動は慈善を必要とする人たちに直接行うのが鉄則だ。ユニセフや赤十字のように巨大な組織に寄付しても、自分の寄付金がその組織の経費に消えてしまい、自分の寄付金の数%程度しか慈善対象者に届かないのである。特に子供が慈善活動をやるのだから、自分が出した寄付金がどのように使われたのか、目に見える形にしておかないと、子供の方が解らなくなってしまうのだ。

 寄付金の限界は所得の10%以内と定めておくことだ。余りにも多くのお金を寄付金に回してしまうと、自分のために使うお金がなくなってしまうので、今後、慈善活動をやらなくなってしまうのだ。慈善活動は持続して行うからこそ意味があるのであって、細々と遣り続けて行くことができるようにさせて行くことだ。

 慈善活動をすると、自分の家族から不幸がなくなっていくものだ。正確に言ってしまえば、ちょっとやそっとの不幸が来ても、その不幸が気にならなくなり、きちんと対処できるようになるのだ。慈善活動によって不幸を解消されせることができれば、自然と幸福の方が多くやってくるようになるものなのである。

 子供たちが慈善活動をし出すと、今まで育児や子育てで手一杯だった母親の方もゆとりが生まれて来て、家族全員が余裕を持てるようになるのだ。いつも忙しくしていて、何かに追われているような慌ただしい生活を送っているなら、その忙しさの余りに、母親の方がゆとりをなくしてしまうこともあるものなのである。そうなってしまえば、子供たちにきつく当たるだけの母親になってしまうものなのだ。そうならないためにも、子供たちだけが慈善活動をするのではなく、母親自身も慈善活動をしてみることだ。

 慈善活動で使ったお金は、慈善活動をするだけで消えてしまうお金ではないのだ。いずれ何百倍にもなって自分の所に帰って来るものなのである。銀行に預金したり、株券や不動産に投資するのも結構であるが、慈善活動という「投資」も積極的に行ってみることだ。お金は天下の回りものだから、いずれ通常では絶対につかない利子をつけて帰って来るのである。

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