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育児や子育ては「母親育て」でなく、楽しみながらできる「人生の修行」

●純粋無私の追求の姿勢

 夫婦が本物の夫婦になって行くためには、出産や育児を経験して、3人以上の子供を持たねばならないし、一緒に暮らしながら10年という歳月も必要とするし、最終的には大喧嘩することで、古い愛の形を破壊して、新しい愛の形を築いていかなければならないのだ。愛すればすべて巧く行くことなできないのだ。愛以外にも、大切なことがあって、それらをするからこそ、夫婦は本物の夫婦になっていくのである。

 ところが、育児や子育ての話になってしまうと、母親が育児や子育てに追われる日々を疎い、育児や子育ては「母親育てである」という輩が必ず出て来るのである。育児や子育ては母親育てをするためにやっているのではないのだ。自分が産んだ子供を育てるためにやっているのだ。母親は出産したと同時に母親に成るものであって、いくら育児や子育てを経験した所で母親として育って行く訳ではないのだ。母親は最初から母親であり、時間の経過と共に「育児の仕方」や「子育ての仕方」を学んで行くだけなのである。

 母親育てなる議論を展開して来る女性たちは、大抵が子供の数が3人以上に達していないのだ。母親として未熟なくせに、一丁前の意見を言ってくるからこそ、出鱈目な意見を言って来てしまうのである。赤ちゃんを産めば、赤ちゃんは二時間ごとに泣き出して来るのだから、それに母親が対応していたら、母親育てなんて言っていられないものなのである。でも、身も心もフラフラになりながら育児をしているからこそ、いつの間にかに育児の仕方を身につけてしまうのである。

 母親育ての議論の根本的誤りは、育児をしているのに、自己中心的に物を言っていることなのである。育児をすれば当然に赤ちゃん中心に展開して行くから、母親が真面目に育児に取り組んでいれば、我執が抜け落ちてしまい、自分の限界が突破されて、未婚時代とは比べ物にならないくらいに成長して行くものなのである。

 仏教用語でいうなら、解脱した状態になってしまうのである。ただ、解脱と何が違うかといえば、煩悩から逃れて涅槃の状態になるのではなく、自分が純粋無私の状態になり、その状態で物事を追求して行くと、新たな世界に突入し、新たな義務が神様から授けられ、それによって以前の自分では獲得できない「大いなる幸福」を得ることができてしまうのである。

●出産や育児はこの世で最も素晴らしいもの

 女性が女として生まれて、出産や育児をなんで最高の幸せと思えるのかといえば、出産や育児をすることで、我執が剥がれ落ち、自分が純粋無私となって、新たな世界に突入できるからなのである。女性が出産や育児以外で、これよりも低いレベルでこの現象が起こることはあっても、これより高いレベルでこの現象が起こることは決してないのだ。

 人間は若い時は、既成概念に反抗して来るものだから、結婚以外にも幸せになれるものがあるのではないかと、生意気な女性なら思ってしまうことだろう。確かに結婚以外にも幸せになれることは、この世に存在する。しかし、結婚以上に幸せになれることは、この世には存在しないのである。

 だからこそ、10代や20代で「結婚なんかしない」と宣言していた女性たちが、様々な人生経験を経た結果、或る日突然に結婚したりするのである。若い時に結婚を拒否する宣言をしておいて、本当に結婚しないでいると、或る時期から自分の人生に何も変化が起こらない、成長がピタリと止まった人生を送ってしまうことになるのである。

 たとえ結婚しても、赤ちゃんがいなければ、女性は大いなる成長を遂げることができない。だから、不妊症の女性なら赤ちゃんができないことに焦るのである。出産や育児をしてこその結婚であって、それができないとなれば、どう夫婦が愛し合った所で、大切な何かが欠けた状態のままになってしまうからなのだ。

 いつの世も若者の考えは間違っているものなのである。若者がまともになっていくのは、その間違っている自分の考えを捨てた時からなのである。孔子様だって「三十にして立つ」といったぐらいだから、10代や20代の時は間違った考えを持って、この世の彷徨っていたのである。

 母親なら自分の娘が間違った人生を進まないように、育児や子育てが大変だったと教えるのではなく、最高に面白かったよと教えておくべきなのである。育児の仕方は母親から娘へと継承されていくものであって、娘が出産を拒否したり、育児で喜びを見出せないのなら、母親の育て方に相当な問題があったということなのである。

 母親から育児の仕方を継承すれば、娘は時が来れば母親として自然に成長して行くのである。育児本や育児雑誌はそれを補完するものであって、絶対にそれがメインになってはならないのだ。育児本や育児雑誌に頼るからこそ、母親として成長できなくなってしまうのだ。大事なことは、いつも文字化することはできないのである。直接に自分が誰かから経験することでしか、伝えて行くことはできないのである。

●女性が幾ら働いても、出産や育児には適わない

 世の母親たちが育児や子育てに全力を投入し、本物の母親になれなかったからこそ、育児や子育てに否定的になり、結婚しても損するだけと、自分の娘に教えてしまい、それによって娘たちが大学に進学して、フェミニズムに洗脳されてしまい、結婚を拒否して、仕事に生き甲斐を見出す女性に成ってしまったのである。

 女性が社会に出て働くなとは言わないが、結婚を否定するまでの仕事など、この世には存在しないものなのである。女性が仕事をするなら、産休を取るとか、育児の間だけは退職するとか、自宅で育児しながらでもできる仕事を探せばいいのである。働く既婚女性を優遇することは必要であっても、働く行かず後家を保護する必要性などどこにもないのだ。

 男性が結婚せず、子供がいないのなら、どんなに功績を上げようが一人前と看做されないように、女性だって結婚せず、子供がいないのなら、どんなに功績を上げようが一人前と看做されないのである。フェミニストたちは、「日本は男社会だ」と決めつけてくる。しかし、日本の社会で高位に就いている男性たちは、単なる男性ではなく、既婚男性であり、子供がいる男性たちのなのである。男としてやるべきことをやったからこそ、一人前と看做されるようになって、この社会で高い地位に就くことができたのである。

 男といえども、いつまでも独身でいたり、結婚しても子供がいなければ、高い地位が与えられないものなのである。男としての重みがないから、重要な仕事を任すことができないのである。フェミニズムに洗脳された女性たちが、或る時期に出世が止まってしまうのは、何も女性だから差別を受けたのではなく、結婚せず子供がいないから、どうしても女としての重みがないから、重要な役職に就かせて貰えないだけなのである。

 フェミニズムは「女性の地位向上」や「女性の権利の充実」を唱えて来るから、頭の悪い女性たちはフェミニズムこそ女性の味方ではないかと思ってしまう。しかし、フェミニズムこそが「女性の尊厳」を破壊するものなのである。なぜなら、女性として最高の幸福を得ることができる結婚を否定して来るからなのである。女性が最高レベルで成長できる機会を奪ってしまうからこそ、どうやっても自分が満足できる幸せを得ることができない人生を送ってしまうのである。

●「一時の快楽」より「一生の修行」

 この世には「一時の快楽」などいくらでも出回っているものなのだ。若ければお酒やタバコやギャンブルだし、堕落的なセックスに耽ることもあるだろうし、法律で禁止されているというのに麻薬だって出回っているものなのである。社会主義やフェミニズムも「一時の快楽」の一つであろう。そのイデオロギーに取りつかれていれば、現実を忘れることができるからだ。

 もしも自分が素晴らしい人生を歩みたいのなら、人生の早い段階で「一時の快楽」は自分の人生には何も貢献しないということに気付くべきなのである。「一時の快楽」はどうやったとしても、刹那の快感しか得ることができないのだ。「一時の快楽」を求めるのではなく、「人生の修行」に目覚めるべきなのである。

 女性にとっては、結婚がまさにそうだし、妊娠や出産や育児や子育てというのが、結局は人生の修行となって、自分を大いに成長させてくれるのである。育児や子育てに何かしら不平不満を言うのではなく、10年間、腰を据えてじっくりと物事に取り組むべきなのである。10年間やっていれば、どんなに頭の悪い女性だって、育児の仕方や子育ての仕方が解って来るものなのである。

 「自由」を矢鱈滅多らに主張して、いつまでもフラフラとしているべきではないのだ。そんなことをやっていれば、時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、自分が気付いた時にはお婆さんになっているものなのである。大事なことは、いつまでも迷っているのではなく、「これが自分の生き方だ!」と決めてしまうことなのである。

 自分の夫がどのような男性であれ、結婚して10年も経てば、返品することも、誰かと交換することもすべきではないのである。「これが自分の旦那なんだ!」と腹を括れば、自分が大きく変わって行くのである。自分が産んだ子供たちも、それが健康に育とうが、病気になろうが、頭が良かろうが、バカだろうが、「この子たちは自分の子供なんだ!」と腹を括れば、子育てで大した問題など起こらなくなって来るものなのである。

 自分の利益になることばかりを考えるのではなく、「結婚も修行」「育児も修行」「子育ても修行」と思ってしまえば、自分はいつまでも成長して行くことができるのである。時間を止めてしまうことよりも、死ぬまで修行し続けることの大切さに気付いた時、自分は死ぬまで成長し続けて行くことができるのである。

 人間は未熟であるなら、この「人生の修行」という考えになかなか辿りつけないのだ。重荷を背負って坂道を上がって行くよりも、重荷を捨てて坂道を転げ落ちる人生を歩んでしまうものなのである。人生の落後者たちが人生を破綻させる切っ掛けになったものは、どれも些細な物なのである。お酒やギャンブルや麻薬程度の代物で自分の台無しにしてしまうなんて、詰らない人生なものなのである。

 育児や子育てを一生懸命にやっていれば、傍から見れば地味な生活をしているに決まっているのだ。しかし、その地味な生活を繰り返して行く内に、派手な生活をしている人たちが転落して行き、いつの間にかに自分は圧倒的な実力を持ってしまうのである。だから、焦ることなく、楽しみながら育児や子育てに取り組むべきなのである。人生の修行を楽しみながら行えば、いつも楽しくしていられるものなのである。

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コメント

タマティーさんおはようございます。昨日は「実母に感謝する」というアドバイスを有り難うございました。実家の母からコンタクトがある度に心を乱されていますが…「感謝」して、受け流して、早く自分自身が強い母親になれるよう頑張ります。

今日の内容も心に残りました。地味な生活で大丈夫なのですね。立派なことは何も出来ず目の前のことで精一杯の日々ですが、何だか安心しました!

投稿: smile-larch | 2009年11月20日 (金) 10時03分

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