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子供が複数いれば差別してしまうのは当たり前

●母性愛は一番下の子に最大の愛情を施そうとしてしまう

 自分に子供が複数いれば、自分が施す愛に格差が生じて来るのは致し方ないことである。母性愛の性質として、一番下の子供に最大の愛情を注いでしまうようにできているからだ。しかも、赤ちゃんは母性愛を刺激する体臭を放って来るので、この体臭を嗅ぐだけで母親はうっとりとしてしまい、赤ちゃんに最大の愛情を注いでしまうようになるのだ。

 また、どの母親の第一子を育てる時は苦労したものだから、最初の子供は母親にとってどうしても一番印象深くなってしまうのだ。そのため、一番上の子供に対しては、手加減を余りせずに接してしまい、これが巧く行けば責任感の強い子供に育ち、悪く行ってしまうと母親では手のつけられない暴れ放題の子供になってしまうのだ。

 第二子というのは、上の兄や姉の姿を見て育って来るので、いい意味でそれが防波堤となり、母親が余り叱らなくても気楽に成長して来るのだ。そのため母親として叱っていない分、第二子が何を考えているのか解りにくいし、第二子は第二子の方でマイペースを貫いて、母親のテンポには従おうとはしないのだ。こうなると、母親としてはちゃんとした愛情を注ぎたくても、巧い形で注げなくなってしまうのだ。

 子供が同時に生まれて来ていない以上、子供に対する愛情に格差はあることは当然のことなのに、それをそのまま他の母親たちに言ってしまうと、「子供には平等に愛を施すのが当たり前でしょ!」と言い返されてしまうのだ。かといって、こういうことを言い返して来る母親たちが巧い育児を行っていると思ってはならない。育児が巧く行っていないからこそ、平等イデオロギーに囚われてしまうのだ。

 母性愛は子供の年齢が下がれば下がるほそ、子供が弱ければ弱いほど、強く愛を発して来るために、平等イデオロギーに取りつかれ易いのだ。実際は平等ではなく、最も年齢が低く体力の弱い子供に最も強く愛を注いでいるだけにすぎないのだが、母性愛というものはそういう性質を持っていると解った上で母性愛を注いでいないと、平等イデオロギーに取りつかれてしまうのだ。時たま、結婚して子供がいるのに、フェミニズム運動に参加して来る母親たちがいるものだが、これはフェミニストたちに母性愛の性質を悪用された形でフェミニズム運動に取り込まれてしまったのだ。もうこうなると、家庭崩壊は必至では、育児そっちのけでフェミニズム運動に従事して来るので、子供たちはグレるし、夫婦喧嘩は絶えることがなくなってしまい、その内、離婚してしまうことになるのだ。

●親子の相性に気をつけろ

 親子というのは個人的に相性があるものだ。まず、母親は女の子よりも男の子の方が好きである。好きどころか、大好きである。というのは、男の子は女の子よりも大量の母性愛を必要とするために、女の子よりも甘えん坊だし、その甘え方が巧いのだ。しかも、男の子は3歳辺りに有り得ないほどの可愛らしさを発揮して来るので、母親はこの可愛らしさにメロメロになってしまうのだ。

 では、女の子に対してはどうなるかというと、母親が長女だと長女を愛し、母親が次女だと次女を愛してしまう傾向にあるのだ。人間は生まれた順番でかなり似たような性格を持ってしまい、女性同士の場合だと性格が似ている方が仲が良くなってしまうのだ。そのため母親が長女なら、我が子の中で長女と仲良くなってしまい、母親が次女なら我が子の中で次女と仲良くなってしまうのだ。

 女の子の場合、男の子を育てる時よりも、遥かに会話量が多くなってしむので、その相性は如実に現れて来ると思っておいた方がいい。この子とは話が盛り上がるのに、あの子とは話がなかなか盛り上がらないというのは、どうしても避けることのできない現象なのだ。そういう場合、話が盛り上がらない子に対しても、会話をするように心掛け、会話をしないことによる問題の発生を避けるべきなのである。

 また、自分が天中殺の時に産んでしまった子供は、小学生ぐらいまでならなんとも問題が起こらないが、中学生辺りから問題が発生して来るようになるので、全寮制の学校に行かせるとかして、早くに親子の距離をきちんと取ってしまうことだ。我が子であったとしても、自分にとって運気の悪い子供は自分の運気を確実に損ねて来るのである。

 逆に運勢上、自分と相性のいい子供とはその子供が大人になっても仲がいいので、その子供を手放さないようになってしまうのだ。子供は外に出して何かしらの経験を積まさせないと強くならないので、一旦は外に出して子供に鍛える機会を与えるべきなのである。その子供がきちんと経験すべきことをしておけば、立派な大人に成長して来るので、親子で仲が良くなりたければ、その子が結婚してからでも充分できることなのだ。

●子供が母性愛で揉めるのは「子供の嫉妬」が原因である

 子供が複数いれば、愛情の注ぎ方に格差が出て来るのは当たり前のことだと早くに悟ってしまうことだ。他の母親たちがなんといおうとも、どんなに優れた母親であっても、子供に対して平等に接することはできないし、平等に愛を注げないのだ。例えば、第一子はもう長年に亘って育てて来たのだから、愛情の量が減って来るのは当たり前のことだし、生まれたての赤ちゃんは育てている期間が短いために、愛情の量を多くするのは当たり前のことなのだ。この当たり前すぎる事実を、平等イデオロギーによって打ち消してしまわないことだ。

 実際問題として、母親の母性愛の格差で問題が生じるのは、いつも一番下の子供に強く愛情を注いでしまうために、一番上の子が嫉妬して来ることなのである。こういう場合、一番上の子にもきちんと母性愛を注いでいるのに、一番上の子に生じた「嫉妬」という感情が問題を発生させてしまっているのである。一番上の子にしても、一番下の子に対して、母親が世話を焼かねばならないというのは解っているが、それを自分の目の前であからさまにやられると、「いつも一番下の子ばっかし」という嫉妬の感情が芽生えて来るのだ。

 他の子供たちが嫉妬してきている場合、自分の行動を改めて、上の子も下の子も平等に接するというのでは、まともな解決策にはならないのだ。嫉妬という感情は、自分だけにもっと強い愛情が欲しいということなので、平等に接した所で解決にならないのだ。子供の嫉妬を解消させるためには、僅かな時間でもいいから、その嫉妬を生じている子供と充実した時間を過ごすことなのである。例えば、一日15分間でもいいから、母親とその子の二人だけになって話をするとか、遊んだりすればいいのだ。休日に母親とその子だけでお出かけして、子供に母親を独占できる時間を与えたりすればいいのだ。

 それと同時に母親にも或る自制が必要で、自分の子供を余り比較し過ぎrなということだ。上の子が下の子をイジメてくるような場合は、母親が余所の子供と自分の子供を比較して、自分の子供の成長スピードを巧く掴めなかったからなのである。子供には子供なりのペースがあるので、自分のペースを母親に乱されてしまうと、幾ら母親から愛情を注がれても、拒絶してしまうようになってしまうのだ。まずは我が子を良く見てあげることなのである。

 一番上の子供は、「いつも一番下の子ばっかし」と騒ぎたてて来るような場合は、子供は母親に平等になることを要求しているのではないのだ。母親の行動に多少の問題があるから、それを変えて欲しいという、子供なりのサインなのだ。いや子供からの「警告」だと言ってもいいのだ。育児に追われる余りに、我が子に対して真心を以て接するということをしなくなってしまったのである。

●でも、「み~んな大好き!」という姿勢を忘れないこと

 家族というのは、原始的な集団なのである。そのため原始的な秩序構成を必要として来るのである。子供の中で第一子は一番偉く、第二子は二番目に偉く、第三子は三番目に偉いのだ。この家族内の序列を絶対に崩さないことだ。子供の順番は年齢順で決まるのである。そしてこの序列は生涯変わらない不変なものなのである。

 どの母親も一番上の子供には厳しく当たってしまうものだ。下の子供たちに比べれば充分に成長しているために、事あるごとに責任を押し付けてしまうのだ。一番上の子供も家族内の序列が守られている限り、母親の過酷な要求にはきちんと耐えて来るのである。一番上の子供が母親の要求に耐えられなくなるのは、第一子が一番偉いという秩序を破壊してしまうからなのである。

 どの母親も一番下の子供を甘やかしてしまうものだ。一番下の子供といえども優しくし過ぎてはならないのだ。どんなに可愛くても、間違ったことをしたらきちんと叱ることだ。一番下の子が失敗をやらかしたのに、母親が可愛さの余りに対して叱らないからこそ、上の子たちが騒ぎ始めるのである。

 子供が多くいれば、漠然と平等に母性愛を注げばいいというのではなく、母性愛の出し方や使い方にも工夫を施さねばならないということだ。必要な差別をきちんと認めると同時に、どの子にもその子なりに応じて接してあげるのである。これが「公平」なのである。解り易くいうなら、「我が子はどの子も違うけど、み~んな大好き!」という姿勢を絶対に忘れないことなのだ。平等ではなく公平に接してあげるからこそ、すべての子供たちに過不足なく母性愛が行き渡るようになるのである。

 母親としても未熟ならば、我が子たちに対して平等に接してしまうものなのだ。平等に我が子たちを愛そうとすれば、育児はどこか歪んでしまい、いずれ大爆発を起こして来るものなのである。子供たちの心の中にきちんと母性愛が行き届いていなかったのである。心の仲は空っぽなのに、母親が平等に接して来たために、その心の異常さが解らなくなってしまったのである。

 母性愛は子供たちに対して格差が生じて来てしまうが、それをあからさまにやらないことなのだ。どんなに温和な子供であっても、母親が子供たちの中で一人だけ可愛がれば、嫉妬の感情に火をつけてしまうのは当然のことなのだ。我が子も嫉妬の感情をきちんと持てるくらいに成長して来たということなのである。その成長をネガティブな方向に使ってしまわないことだ。嫉妬の感情を巧く回避すれば、その子は母親の育児の仕方に対してきちんと理解してくれるようになり、育児や家事を手伝うなり、自分一人でも遊べるような子供に成長して来るのである。

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