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本物の母親になるための試練

●子供を3人産むと不思議な現象が起こる

 子供を3人以上産むと、不思議な現象が起こる。その最たるものが、「自分を本物の母親にしてくれる人との出会い」が起こることである。育児をしている母親は、その人と出会うことによって、心の壁が破壊され、本物の母親になることができる。育児というのは、母親が子供を育てないと始まらないが、でも家庭内では完結しないのだ。育児を育児たらしめるものは、実は外からやってくるのである。

 なぜ3人目以上にならないと、その人に出会えないかというと、一人目や二人目ではその人に出会ったとしても、何を言っているのか解らないのだ。自分自身が母親として充分に成長していないし、しかも育児に力が入り過ぎているので、他人の意見を謙虚に聞く余裕がないのだ。、

 子供を3人産めば必ずしも出会えるということはではない。子供を3人以上産むのは、その人と出会えるための必要条件であって、それだけの条件を満たせば出会えるというものではない。子供を3人以上産んでも、自分が母親として充分に成長していないと出会えないし、子供が病気でもして病院に入院していたら、それどころの騒ぎではないだろう。

 我々は何かをやっていると、それを一生懸命になって努力をすればいいと思ってしまう。確かに努力というのは大事だ。しかし努力だけでは或る程度までしか成長できないんであって、自分が自分を変えてしまうような大きな変革は他人と出会うことでしか行い得ないのだ。育児であるなら、家庭内での作業を充実させて行くことは絶対に必要であるが、かといって家庭から出て、人との出会いを大切にしなければならないのだ。

 母親にこの不思議な現象が起きれば、本物の母親になることができる。育児の仕方がきちんと解っているし、母性愛は大量に出て来るし、子供たちは健全に成長して行き、立身出世を果たすようになる。しかし、母親にこの不思議な現象が起きなければ、いつまでも未熟な母親のままだ。育児の仕方がまるで解っていないし、まともな母性愛が出て来ないし、子供たちは健全に成長せず、歪んで育ってしまい、その後の人生の中でその歪みが出て来てしまい、不幸を招き寄せてしまうのだ。

●ベテランの母親による指導

 では、育児をしている母親を本物の母親にしてくれる人とは一体どういうひとであろうか? それはその人自体も母親で子供が3人以上いる母親だ。自分が子供を3人以上産み育てたからこそ、育児のなんたるかが解り、その人自体も本物の母親に出会うことによって、本物の母親になることができたのだ。

 育児というのは、最後の最後で「ベテランの母親による指導」というのが大事なのだ。確かに最初の赤ちゃんを産んだ時には、ベテランの母親によって育児の仕方を教えて貰うことも確かに大事だ。しかし、育児の基本というのは育児をしていれば自然と解って来るので、そういうのはあれば有難いだけのものなのだ。だが、自分が育児の仕方を習得してしまうと、その最後の最後でベテランの母親から何か指導してくれないと、最後の難関を突破することができないのだ。

 育児というのは、それをどんなに正しくやろうとも、その母親によって歪んでしまうものなのだ。例えば、専業主婦はいつも子供を弄っているものだ。子供に母性愛を注ぐのではなく、いつも子供のことを心配してしまっているのだ。仕事をしている母親は自分の仕事を優先させる余りに、子供ときちんと向き合わないものだ。そのため、子供が無表情で、愛想も礼儀もないものだ。

 その育児の歪みをビシッと指摘し、育児をちゃんとして育児に治してくれるのだ。それがどういう展開になるかはその母親とベテランの母親の関係によって変動して行くが、とにかく「あなたなの育児は正しくとも、異常だよ」と指摘して貰い、自分の育児を正常なものに戻さなくてはならないのだ。

 育児の歪みというのは、育児をやっている本人には自分では気づかないものなのだ。誰かに指摘して貰わねば、どうしても解らないものなのだ。丁度、料理人が日々料理する余りに段々と味付けが濃くなってしまい、その味付けの濃さを自分の力では修正できなくなってしまうのと同じように、その異常さを誰かに止めて貰わねばならないのだ。

●本物の母親になるとどうなるのか?

 人間は決して一人で生きているのではない。人間はそもそも群生動物なので、自分で家族を形成して行く一方で、他の家族たちと交わり、情報を交換しながら生きて行かざるをえないのである。それゆえ育児だけをしていればいいのではないのだ。育児をきちんとしつつも、家族の外からやってくる情報をきちんと掴まねばならないのである。

 育児の仕方というのは、所詮は「技術」である。その技術が解れば育児を順調に進めて行くことができる。しかし、その技術は技術であるがゆえに、その技術の使い手である母親の心次第で悪用することも可能なのだ。大抵の母親たちは育児にスピードを求めてしまい、子供を急かすように育てて行ってしまうのだ。なんでも「早くしなさい」「急ぎなさい」「お母さんはもう行くわよ」と何かに追われるように忙しい日々を送ってしまうのだ。そのくせ、それだけ時間が余った筈なのに、その余った時間を育児に再投資せず、育児の手抜きをする方向に使ってしまうのだ。

 だからこそ、この異常な育児を破壊して貰わねばならないのだ。育児には確かに子供を育てて行くという「技術」は必要ではあるが、それだけでは駄目なのだ。育児には母親が心から子供を慈しむという「真心」が必要だし、子供をきちんと育てて行くために手抜きすることなく「手間暇」をかけなければならないし、そして何より「時間」をたっぷりとかけてゆっくりと育てて行かねばならないのだ。 

 育児には秘訣などないのである。いや、育児に秘訣など求めてはならないのである。自分が充分に母親として成長できれば、育児の仕方など充分に行えるものなのである。でも、悲しいかな、どの母親も最初は新米ママで技術的な所から入って行ってしまうのである。そのため、肝腎の母親としての真心が失われてしまい、子供は手間暇や時間をたっぷりとかけないと育たないということを忘れてしまうのだ。これは未熟な母親ならどうしてもこの間違った方向に進んでしまうのである。

 自分が子供を3人以上産み、ベテランの母親の指導を受けるからこそ、育児のなんたるかがちゃんと解って来るのである。この不思議な現象が起こると、母親の心の中で何かが変わり、本物の母親になることができ、それ以降、育児や子育てで間違うことが殆どなくなるのだ。

●母親としての安心立命

 この不思議な現象だけは、育児をしている母親が自分で経験して貰わねば、それが一体どういうものなのか決して解らないのだ。この世には経験しなければ解らないなど幾らでもあるものなのだ。育児書や育児雑誌に頼り過ぎる育児がなぜ間違っているのかは、これで解る筈だ。育児の知識を優先させてしまい、育児に於ける経験を大事にしないからなのだ。いくら経験する前に教えても、経験して貰わないと絶対に解らないものが、育児には存在しているのである。

 母親が本物の母親になってくれると、いい意味で子供に対して心が囚われなくなる。逆に言えば、それまでは子供に心が囚われていたために、いつも子供のことが心配で、自分の持てる力のすべてを発揮することができなかったのだ。子供に心を囚われなくなったからこそ、自分の心が自由になって、ちゃんとした育児ができるようになるのである。

 言わばこれが母親としての安心立命なのである。自分のやっている育児が、神の聖慮に適うレベルのものができるようになったので、心が落ちつて朗らかになり、迷いが吹っ切れて、自分の心の中から無限のエネルギーが噴き出して来るものなのである。だから、本物の母親になれた母親は非常に元気で行動力に溢れているのである。

 この世にはいつの時代でも知ったかぶりする人はいるものだ。子供を1人や2人しか産んでいないのに、育児のなんたるかを述べて来る母親たちは跡を絶たない。その段階では誰がどうやっても母親として未熟なままなのだ。自分が本物の母親になっていないのだから、育児が大変になるのは当たり前のことなのだ。

 女性は赤ちゃんを産んでしまえば、母親になることはできる。しかし、その段階では育児の初心者なのである。育児の初心者でも育児ができないことはないのだ。やればできるものなのだ。かといって、自分が本物の母親になれる訳がないのだ。自分が本物の母親になるためには、様々な試練を経験していかねばならないのである。

 先進国では女性が子供を産む数が減少して行くから、子供を産んだとしても、本物の母親になれる母親が少なくなってしまう。そのため育児で様々なトラブルを抱え、育った子供たちも大人になれば様々な問題を引き起こして来るものだ。自分がちゃんと成長していないから、「男が悪い」「社会が悪い」「政治が悪い」と、とにかく自分を棚に上げて、誰かを批判しまくり、改造することに躍起になってしまうものだ。しかし、そういう批判や改造をいくらしても、自分の不幸を解決することはできないのだ。

 自分が母親になったら、子供を1人や2人で打ち止めにするのではなく、せっせと3人以上の子供を産み育てて行くことだ。そういうことをしていれば、自然と不思議な現象が起こって来て、自分を本物の母親にしてくれるものなのだ。本物の母親になるということは、本物の母性愛がしっかりと出るようになれることであり、自分の子供たちをしっかりと肯定してあげることができ、だからこそ、その子供たちは健全に成長して行くことができるようになるのである。

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