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我が子が挫折に遭遇した時

●人生は挫折に打ち勝てるか負けてしまうかで決まってしまう

 人間は生きていれば何かしらの挫折を経験する。我が子だって生きていれば挫折を経験することだあって有り得る。我が子はその挫折を自らの手で乗り越えて行かねば、自分の人生を自分の力で切り開いていくことは不可能になることだろう。いつも失敗し続け、常に誰かに頼り、自立せず、主体性がなく、消極的で、否定的な碌でもない人間になってしまうことだろう。

 我が子が挫折に遭遇した時、母親は下手に出すべきではないのだ。母親が愛情を出し過ぎてしまい、母親が我が子に代わってその挫折を処理してしまったり、憐憫の情をかけすぎて、ただの傷の舐め合いになったら、我が子といえどもその挫折を乗り越えて行くことができないのだ。母親は我が子がどんなに苦しい境遇に置かれても、「逃げ出すな!」「試練に真正面から立ち向かえ!」という言葉を言って、我が子の退却を封じてしまうしかないのだ。

 子供の挫折は大人の目から見れば大したものないかもしれない。例えばスポーツの試合で負けてしまったとか、コンクールで優勝を逃してしまったとか、受験勉強を散々したのに受験で不合格になり志望する学校に行けなかったとかでも、子供にとってはショックで、その衝撃のために挫折してしまうのである。もっと程度が低くなると、同級生からイジメを受けたとか、担任から暴力を振るわれたり、病気になって学校を休まねばならくなったり、交通事故に遭って大怪我をしてしまったとかでも、子供にとってはそれで挫折してしまうのである。

 人の人生は挫折に打ち勝てるか負けてしまうかで決まってしまうものだ。子供といえども挫折を経験するなら、その挫折に打ち勝たねばならないのだ。我が子が挫折して傷ついているなら、母親はオロオロするのではなく、毅然とした態度を見せ、子供から話を聞くなり、相談に乗ってあげればいいのだ。その行為だけで、我が子は冷静さを取り戻し、挫折に打ち勝とうとし始めるものなのである。

 我が子が今回の挫折に負けてしまえば、たとえそこから逃げても、我が子は似たような挫折を繰り返し、挫折し続ける人間になってしまうものなのである。我が子が挫折しているのに、母親が他の事に夢中で気付かないというのは問題外であるが、我が子が挫折しているのに、我が子が逃げ出すことを認めてしまう母親は、母親として許されない行為をやってしまったことになるのである。そういうことでは我が子の人生を母親の手で台無しにしかねないのだ。

●準備が出来ている者だけに挫折はやってくる

 忘れてはならないのは、挫折というものは準備が出来ている者だけに挫折はやってくるということである。準備が出来ていない者に挫折はやってこない。たとえその挫折が如何に強烈な物であっても、その挫折を乗り越える準備ができているからこそ、その人に挫折がやってくるのである。だから逃げてはならないのだ。逃げることなく、真正面から立ち向かって行くしかないのである。

 野球の試合で負けることができるのでは、その試合に出れた選手だけである。選手に選ばれなかった者たちは、試合に負けて、屈辱を味合うことができないのである。ピアノのコンクールで優秀することができなかったのは、そのコンクールに出れた者たちだけである。コンクールに出れなかった者たちは、コンクールで優勝を逃し、屈辱を味合うことができないのである。受験勉強で落ちることができるのは、受験勉強をして、入学試験を受けた者たちだけである。入学試験を受けず、違う進路を取ってしまった者たちは、入学試験で失敗し、屈辱を味合うこができないのである。

 病気を患い、病院に長期入院せざるを得ない者は、それまで健康だった者に決まっている。今まで何度も病気をし、病院に長期入院している者が、何かしらの病気が発覚した程度で挫折したりしないものだ。交通事故に遭って重傷を負う者は、今まで平気で道路を歩いていた者に決まっている。嘗て交通事故に遭い、車椅子生活を強いられていれば、再度交通事故に遭っても、挫折したりしないしないものだ。、

 挫折はその人に克服する能力があるからこそ与えられるのだ。挫折をした者は、挫折すらしたことがない者よりも遥かに増しなのだ。挫折して、屈辱を味合い、全てを失ったかに見えたとしても、自分にはまざその挫折を克服する力が残っているのである。だからその力を振り絞って挫折を克服して行けばいいのだ。

 プロの野球選手で挫折を一度も味合わなかった人など一人もいない。プロのピアニストで挫折を一度も味合わなかった人など一人もいない。今成功している人たちも嘗ては挫折したことがあるのだ。ただその人たちは挫折でめげることなく、その挫折を克服して行ったからこそ、今の成功を手にすることができたのである。

●挫折の中で逆転の発想を身につける

 挫折をしたなら、その挫折を切っ掛けに自分を変えて行くしかないのである。自分を変えなければ、いつまでも挫折しっぱなしなのである。自分の今までの生き方では、もうこれ以上成長することができなくなってしまったからこそ、挫折が発生した来たのであって、自分を変えなければ、この挫折から抜け出すことはできないものなのである。

 こういう時、敢えて逆境の中で自分をひっくり返せば、解決策が見つかるものなのだ。通常の発想では何一つ解決に結びつかないのだ。通常の考え方を否定して、逆転の発想を身につけるからこそ、視界が一気に広がり、その挫折を克服できる道筋が見えて来ることになるのだ。

 例えば、「自分の一番得意なものを敢えて捨ててみる」というのも、逆転の発想の一つだ。今まで自分が自分の一番得意なものに拘り過ぎていたからこそ、他の分野が疎かになってしまったのであって、だからこそ自分の一番得意なものを封印してしまえば、他の分野にエネルギーを注ぐことができ、自分の意外な能力が引き出されるものなのだ。

 フィギュアスケーターの荒川静香は世界選手権で優勝した後、長らく低迷してしまい、トリノ五輪で優勝することは不可能だと看做されるようになった。そこで荒川静香は自分の一番得意なイナバウアーを封印し、その後、練習の仕方を全て見直し、そして全てのテクニックの精度を上げることができたのである。だからこそ、トリノ五輪で優勝することができたのである。

 スポーツをやっている人なら、勉強することを馬鹿にしているものだ。それゆえ挫折した時は、一旦スポーツをすることを封印し、勉強に一生懸命になってみればいい。勉強が得意な者なら、スポーツを馬鹿にしているものだ。それゆえ、挫折した時は、一旦勉強を封印し、スポーツに一生懸命になってみればいい。そうすることで思わぬ物が見えて来て、自分が元のポジションに戻った時、今まででは有り得ないようなパワーを発揮することができるようになるのである。

●最悪と思った出来事が幸せに繋がる

 不思議なもので「人生の中で最悪と思った出来事がその後の人生で自分の幸せに繋がっている」ものなのである。考えてみれば、挫折をした時こそ、実は自分の人生の変わり時なのであって、あの時に自分が変わったからこそ、新たな道が開け、自分は幸せになることができたのである。

 挫折の中でもがいている時、傍から見ればジタバタしているに見えないものだが、本人が散々試行錯誤している間に。挫折の中で実力がついてしまうものなのである。挫折の中にいるからこそ、人間は死ぬほど努力するし、最大限努力して抜け出して行こうとする。そうするといつの間にか自分の限界が突破されていき、強力なパワーを身につけることができるのである。

 そうやって挫折の中で悪戦苦闘している間に、自分の考えががらりと変わり、勝ち負けを意識しつつも、勝ち負けに拘らなくなるのだ。その場を巧くやろうとか、失敗を恐れるといった消極的な考えが消えて行くのだ。「自分の力を全て出し切るためには、自分が本当にやりたいことをやる!」という成功するための考えに辿り着くのである。挫折の中で自分を変えたからこそ、自分が本当にやりたいことが見つかったのである。だからこそ、その挫折を抜け出し、成功して行くことができるのである。

 この世には「自分らしく生きられない!」と騒ぎ立てている者たちがいるものである。その者たちが自分らしくい生きられないのは、挫折を経験していないからなのである。挫折の中でもがき苦しみ、自分を変えていないからこそ、自分が本当にやりたいことを見つけることができなかったのである。今まで我儘し放題で生きて来たツケは、高い利息を伴って、終生、払い続けねばならなくなるのである。

 挫折が過ぎ去ると、チャンスに出会い易くなる。挫折した者ほど、その後の人生でチャンスを掴み取って来るのだ。殆どのチャンスは一度きりだ。そのチャンスを逃せば、もうそのチャンスを掴めないものだ。だが、挫折の中でパワーアップした者にとって、それがチャンスだと見抜く力も、そのチャンスを掴み取る力もしっかりとついてしまい、チャンスを逃すことなく掴み取り、それによって大いに飛躍して行くのである。

 だから、我が子が挫折して駄目になっても、母親なら応援し続けてあげることだ。母親がわが子に教えてあげることができるのは、たった一つしかないのだ。「成功するまで諦めない。何事も諦めなければ、挫折は吹き飛んで行く!」のだと。我が子を諦念思想に洗脳され、挫折しっぱなしの、負けっぱなしの、逃げっ放しの人生にさせないことだ。

 成長していれば、常に何かしらの挫折に遭遇するのは当たり前なのだ。挫折に遭遇したのなら、それを乗り越えて行けばいいだけなのだ。何も問題がなく順調に行き過ぎている方が逆に危険なのである。そういう子供に限って、大きくなった時、些細な挫折で自分の人生の全てを台無しにし、自分の命を自らの手で絶ってしまうようになるのだ。

 確かに、我が子が挫折して傷ついている姿を見るのは、母親にとって辛いことだ。しかし、我が子の方がもっと辛いのである。でも我が子が成長して行くためには避けることができない現象なのである。傷ついた我が子もいつまでも傷ついている訳ではないのだ。挫折の中で悪戦苦闘しながら徐々に実力をつけて行き、挫折を乗り切って行くのだ。そうやって我が子が今までよりももっともっと強くなっていくのである。

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