« 母親が無我になる瞬間、全ての世界が変わって行く | トップページ | 笑撃ヒートアップ:『遅ればせながらチャングムブーム』 »

馬鹿な子に「馬鹿」だと教えるのも「母親の愛」

●馬鹿の一つ覚え

 育児や子育てを巡る議論となると、冷静に考えれば確実に間違っているのに、最も真実らしい意見が出回ることになる。その中でも筆頭なものが、「赤ちゃんは天才だ!」「幼児は天使である!」「子供は純真である!」といった類のものだ。こういう意見は飽くまでもその人が主観的に思っていることであって、客観的に見ればどう考えた所で違っているのだ。

 例えば、赤ちゃんは生まれてすぐに言葉を喋れない。だから、泣くことでしか意思表示をすることができない。その後、喃語を喋り始め、一語文、二語文、三語文となり、やっと文章を喋れるようになる。その間、文章が拙いために、意思疎通が巧く行かず、そのためにすぐに感情的になり、暴力を平気で振るって来る。子供は喋れるようになっても、自分の思考をしっかりと確立することができず、学校で勉強し、自宅でも勉強し、高校を卒業する頃にやっと自分らしい意見を持てることになる。しかし、人生経験がまだまだ足りないので、世界で通用するような思考をすることはまだまだ出来ないし、一人前の意見を言ったり、行動ができるようになるのは、30代になってからなのである。

 それゆえ、赤ちゃんは天才でもないし、幼児は天使でもないし、子供たちは純真でもない。誰もが赤ちゃんの頃の記憶はないものだし、幼児の時に言動を見れば赤面するし、小学生の時に書いた文章など、まともな文章としては成立していないものだ。それこそが事実なのであって、だからこそ、両親は乳幼児にきちんと育児をし、子供たちに子育てをし、立派な大人に育てて行かなければならないのである。肉体的な成長が終わっていない19歳以下の人間は、基本的に馬鹿であり、その馬鹿な連中に教育を施すことで、知恵ある者に育て上げなければならないのである。

 我が子が馬鹿なことをしているのなら、「馬鹿!」と言って、その馬鹿なことをやめさせるというのは、母親の育児や子育てに於ける重要な役割の一つなのである。特に子供は或る時期に差し掛かると、「ウンコ」や「チンチン」と言った言葉に異常な関心を示し出し、人前でも平気でそれを言って来たりする。馬鹿の一つ覚えをし始めた時に、「そういう言葉は人前で使ってはいけません!」と叱るのは母親の大事な役目なのである。母親がこれをしてくれるからこそ、子供は人前で使って行けない言葉が解るし、「恥」という概念を持つことになるし、道徳を尊重するようになるのだ。

 子供たちは「ウンコ」や「チンチン」を人前では言ってはいけない言葉だと解っているからこそ、キャラクターショーなどで役者さんたちが子供たちに「ウンコ」や「チンチン」と言った時に大笑いするのである。しかも、このウンコとチンチンを組み合わせた「ウンコチンチン」なる用語を言うと、子供たちの脳は最大級に刺激され、大爆笑してしまうのである。

 子供たちの笑いの壺は大人には理解しにくいのだが、このウンコチンチンが笑いの壺なのだということはどんな親でも解るものだ。子供たちはキャラクターショーが終わっても、「ウンコチンチン」と言い出し、家に帰っても「ウンコチンチン」と言い出し、朝起きても「ウンコチンチン」と言い出してくるのだ。こういう時こそ、「馬鹿だね、お前は!」と言って叱りつけ、子供の馬鹿の一つ覚えを断ち切ってあげなければならないのだ。

 子供の頃にはどの子も馬鹿の一つ覚えをやる時期があるのだから、それを親が立ち切ってあげないと、大人になっても馬鹿の一つ覚えをして来るものなのである。それは身分や地位や男女を問わないものなのだ。例えば、鳩山由紀夫首相は馬鹿の一つ覚えの如く「友愛」という言葉を使い、小沢一郎は馬鹿の一つ覚えの如く「民主主義」という言葉を使っている。馬鹿な子は大人になっても馬鹿だし、首相に成ろうが、与党の幹事長になろうが、馬鹿で有り続けるものなのだ。

 馬鹿な人間を「馬鹿だ」と判定する最も簡単で最良の基準は、「その人が馬鹿の一つ覚えをやっているか否か」である。

●優しい母親ゆえに我が家を滅ぼす

 母親が我が子に対して主観的になりすぎる余り、子供のことを大事にしすぎてしまうと、この馬鹿の一つ覚えを遣り始めた時に、それを断ち切ってやるという、どの母親でも出来る行為をやろうとしなくなってしまうのだ。優しい母親で居続ける余りに、子供が馬鹿なこおをし出しても見て見ぬ振りをしてしまうのだ。

 この手の母親はその女性が裕福な家の出身で、その親も優しすぎた親である場合、優しさ一辺倒の女性が育って来ることになる。また、学校や大学で異常な教育を受けてしまたために、いざ自分が赤ちゃんを産んでも、我が子をに対して最初から異常な考えを持ってしまい、事実をきちんと認識できなくなってしまい、我が子に対して異常な育児や子育てを失敗しているに遣り続けてしまうのだ。

 時折、少年少女たちが手のつけられないほどの非行に走ったり、凶悪犯罪を起こしたり、麻薬を遣り始めたりするのは、大抵、子供の頃に母親がきちんと叱っていなかった人たちなのだ。馬鹿の一つ覚えを遣り始めた時に、きちんと叱って貰い、その馬鹿なことを止めることができたのなら、大きくなってから、自分が馬鹿な人生を歩まなくて済んだのである。それなのに、母親がしてくれなかったからこそ、馬鹿な人生を止めることができなくなってしまったのだ。

 刑法というのは、個人責任を追及するために、犯罪を犯したら、その犯罪者の責任だけが要求される。しかし、それは飽くまでも法学的に言えばそういうことなのであって、育児や子育ての視点から見た時に、我が子を犯罪者にしてしまった母親というのは、どこかで育児や子育てが間違っていたのである。その責任は母親がきちんと背負うべきなのである。だからこそ、我が子が犯罪者になってしまった時、留置所や拘置所や刑務所に母親が面会に訪れて来るものなのである。我が子が犯罪を犯したとしても、我が子を見捨てる母親というのは滅多にいないものなのである。

 人に優しさを求める人は跡を絶たないものだ。しかし、人は優しさだけでは、幸福に成ることはできないのだ。優しさゆえに我が家を滅ぼしてしまうこともあるのである。優しさが必要なのは或る程度までであって、育児や子育てをしているなら、優しさ以外にも必要なことがあることに早く気付くべきなのである。

●生きて行くためには知恵が必要

 儒教は「仁」を唱え、キリスト教は「愛」を唱えたのに、人々がまともにならなかった理由はまさにここにこそある。人は仁や愛を求めるが、しかし、仁や愛だけでは、まともになることはできないのだ。寧ろ、人生が益々悪化して行くことになってしまうものなのだ。如何に仁や愛が高尚な言葉に思えても、それは馬鹿の一つ覚えをやっている子供となんら変わりがないのだ。馬鹿の一つ覚えを止めない限り、利巧な人間にはなれないのだ。

 母親が子供を叱ったりするのは、母親としては辛いものなのである。今まで我が子を可愛い者だと思って来たがゆえに、我が子が悪いことをやっていると認識し、それを叱りつけたり、叱っても聞かない時はお尻を叩くことで強制的に止めさせるのは、それをやっている母親の方も辛いのだ。しかし、そうやって非情になるからこそ、子供は馬鹿の一つ覚えを止めることができ、一つ利巧に成って行くのだ。

 この世で生きて行くためには知恵が必要なのだ。往々にして知恵と言うのは、愛とは掛け離れた所にある。愛は感性の産物であるが、知恵は理性の産物だからである。育児や子育てには愛というものは確かに必要である。だが、子供の知能が高くなってくれば、子供に愛を注ぐだけでは駄目で、知恵を教え込んで行かなければならないのだ。

 子供に知恵がなければ、子供は大きくなっても馬鹿を繰り返すことだろう。例えば、「貧富の格差の解消」を主張して来る人々は、金銭的に馬鹿であるに過ぎないのだ。この世に貧富の格差があるのは当たり前であって、我々はそれを是認することしかできないし、幾ら自分が貧乏であっても、働くことで貧乏から抜け出していかなければならないのだ。

 女性ならフェミニズムに洗脳されてしまえば、「男女の性差の解消」を主張して来ることになる。この手の女性たちは出世して行くことに関して馬鹿であるにすぎないのだ。女性の場合、男性よりも労働の面に於いて優遇されているのは当たり前であって、もしも男性と対等の出世をしたいのなら、男性たちがやっているような過酷な労働に従事すべきであって、どうのこうの言わずに過酷な仕事をしていけばいいのである。自分が今までどおりの仕事をしながら、出世させてくれというのは、虫が良すぎる話なのだ。

●愛に満たされたがゆえに、賢さの大切さに気付く

 母親といえども、最初の赤ちゃんを産んだ時は新米ママなのだから、いきなり完璧な母親になることはできない。母親としては初心者であるがゆえに、謙虚になって母親としてすべきことを学んでいかなければならないのだ。自分の主観的な考えを優先させ、育児の仕方を学ばねば、その後の育児や子育てで問題が生じて来るのは当然のことなのだ。

 新米ママの中には、結婚前までにきちんと精神的自立を完成させていないと、「良妻賢母」という言葉に反発をして来るものだ。曰く「良妻賢母なる考えは男にとって都合のいい言葉なのではないか?」と思ってしまうのだ。確かに良妻賢母は異常な言葉なのである。結婚は愛なくして行うことはできないし、育児も愛なくして行うことはできない。それなら「愛妻愛母」で良い訳である。しかし、そのようなことでは結婚も育児も巧く行かないのだ。

 結婚を幸せにさせるためには、育児を幸せにさせるためには、「愛ではなく賢さ」が必要なのである。「結婚の仕方」「育児の仕方」をきちんと習得できたからこそ、良い妻になり、賢い母親になることができるのである。愛は確かに必要なものであっても、結婚の仕方や育児の仕方を習得して来る方がより重要なことなのである。

 多くの既婚女性たちは、表面的に良妻賢母を捉えるのではなく、結婚で愛に満たされたからこそ、良妻賢母への道を歩み始めるのだ。だからこそ、結婚前の恋愛が大事だし、新婚生活での濃密な愛の時間というのも大事ななのだ。女性は愛に満たされてしまえば、この世には愛以外に大切なものがあることに気づけるのだ。

 愛に満たされていないのに、良妻になっても、その良妻が重みとなって、自分を潰してしまうし、愛に満たされていないのに、賢母になっても、その賢さが子供たちの成長を止めてしまうものだ。良妻賢母を否定して来る既婚女性たちは、良妻賢母がどうのこうのより、自分の結婚によって愛に満たされていないことの方が問題なのである。

 子供が馬鹿なことを遣り始めた時、今まで優しいお母さんだったのに、いきなり厳しくなって叱りつけられれば、子供だって辛い。母親の方だって、可愛い我が子を叱りつけるのは、やっている本人だって辛いことだ。しかし、それをやらねば、子供の馬鹿を断ち切らせることができず、子供はいつまでも馬鹿なことを仕出かして来ることになるのだ。

 歴史に名を轟かす英雄という者は、皆一様に良妻賢母の母親から生まれ育てられて来るのである。チンギス・ハーンの母親のホエルンにしても知恵のある母親だったし、ナポレン・ボナパルトの母親のレティツィアも気丈な母親だったのである。我が子を後世の歴史に名を残す英雄になってほしいと願うなら、まずは自分が良妻賢母となり、我が子に愛だけでなく、賢さをもきちんと教えて行くことだ。「英雄の背後には良妻賢母あり」という言葉を絶対に忘れないようにして、育児や子育てに励んで行くことだ。そうすれば、我が子が大きくなった時、英雄として歴史の表舞台に登場して来ることだろう。

|

« 母親が無我になる瞬間、全ての世界が変わって行く | トップページ | 笑撃ヒートアップ:『遅ればせながらチャングムブーム』 »

子育て」カテゴリの記事

育児」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/496414/32649667

この記事へのトラックバック一覧です: 馬鹿な子に「馬鹿」だと教えるのも「母親の愛」:

» 蒼海の 「明日は明日の風が吹く」 1 [ガラス瓶に手紙を入れて]
 筆者は昭和十八年十二月、憧れの海軍兵学校へ入校した。 [続きを読む]

受信: 2010年1月 4日 (月) 18時24分

« 母親が無我になる瞬間、全ての世界が変わって行く | トップページ | 笑撃ヒートアップ:『遅ればせながらチャングムブーム』 »