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「子の親離れ」と「親の子離れ」

●親が干渉できるのは小学生まで

 人間には2つの矛盾した根源的欲望を持っている。1つは自分を対等に扱って欲しいという願望だ。自分と他人が対等とならなければ、まともな話し合いにならいし、双方が理解し合うことができなくなるからだ。もう1つは自分を上下関係を有する秩序の中に入れて欲しいという願望だ。人間は組織的な動物なので、なんらかの組織に入って上下関係を形成しないと、不安で堪らないし、上下関係があればこそ、安心できて、自分の能力を最大限に発揮することができるようになるのだ。

 この点、結婚というものは、人間の根源的欲望を最大限満たしてくれるものなのである。勿論、結婚が巧く機能すればの話であるが、夫婦として対等の関係を維持しつつ、家族としては夫を頂点にし、妻がその下で家族の実権を握り、その下で子供たちが存在する。この2つの矛盾したものが織り込まれるからこそ、どの夫婦も根源的欲望が満たされるので、夫として、妻として、父親として、母親として、健全に成長して行くことができるのだ。子供たちも両親が健全に成長してくれるからこそ、自分たちも健全に成長して行くことができるのである。

 どの母親も赤ちゃんが生まれると、自分の中から今まででは想像できないように強烈なエネルギーが湧いて来るのは、赤ちゃんという自分が愛情を注がねば死んでしまう命を得たからであり、最初は何もできない赤ちゃんを自分が育児をすることで、成長させて行くことに、独身時代では絶対に得られなかった喜びを見出してしまうからだ。既婚女性に子供ができると、日々の生活が充実しまくるのは、母親として上下関係を形成するという根源的欲望を最大限に満たすことができるからなのである。

 子供も幼い頃は母親の言うことならなんでも聞く。母親の方も子供が自分の言うことを素直に聞いてくれるので、非常に楽しいし、たとえ反抗期を迎えても、その反抗は手に取るように解るものなので、巧くその反抗を抑え込むことができる。まだに子供にとっては従属の時期であって、この時期だからこそ、子供は母親n従属して来る。

 しかし、子供が母親に従属してくれるのは、小学生までであって、それ以降は親からの自立をして来る。それゆえ、親が子供に干渉できるのは小学生までであって、母親が子供に干渉すべき時にきちんと干渉しておき、子供が母親からの干渉を拒否し出して来たら、子供に干渉するのを止めて、後は子供自身に任すしかないのだ。

●思春期になれば親から離れて行くもの

 母子の関係が健全に形成されていれば、小学生までは母親と子供の仲は良いものだから、いざ子供が中学生になって、親に反抗し始め、親からの自立を開始して来るのは、母親にとってはショックなものなのである。今まで自分に素直だった者が自分に素直でなくなるというのは、その格差に驚いてしまうものなのである。

 思春期になれば、如何なる子供も親から離れて行くものなのである。小学生までは親のことが一番大事であっても、中学生になってしまえば、友達のことの方が一番大事で、子供の頭の中で親の占める割合は激減して行くものなのである。自分が中学生の時もそうだったのに、自分の子供が同じことをしてくると、腹立たしく感じてしまうのだ。

 本来、思春期には親に反抗して来るものだから、全寮制の学校に入れてしまうのが最善の選択肢なのである。そうすれば親に反抗するというエネルギーを勉強やスポーツに投入でき、友達作りも親に邪魔されることなく、深い友情を作り上げることができるだろう。イギリスのイートン校がなぜ素晴らしい人物を多数輩出できているのかといえば、それは優れた授業を行っていることにあるのではなく、全寮制の学校であることにこそ、その秘訣があるのだ。

 ただ、全寮制の学校に通わせるのには、お金がかかりすぎるために、多くの親たちはそれをしないで、自宅から中学校に通わせているのだ。そのため、思春期に親への反抗を最大限行ってしまい、親としては子供の激変ぶりに驚いてしまうのだ。この場合、子供の反抗を撃退しつつも、子供と話し合う機会を充分に持って、親として通すべき意見は通し、子供の意見といえども聞くべき意見は聞いておけば、反抗が悪化するということを避けられるのだ。

 その上で、子供の反抗のエネルギーを勉強やスポーツや芸術へと向かわせることだ。幾ら将来、大学進学を目指すとはいえ、中学生の頃から勉強ばかりさせては体に毒なのである。運動部に入部させて、そこで体を鍛えさせ、仲間との深い絆を形成して行くべきなのである。もしも中学校が部活動に力を入れていないのなら、スポーツクラブに通わして、そこで運動ができる機会を与えてあげるべきなのである。

●馬鹿な子ほど親離れをしない

 思春期に於ける最初の課題は、友達を作り、きちんとした友情を育み、その中から親友を選び出し、最も深い友情を築き上げることなのである。だから、思春期に入ると、友達と長々と遊ぶことをするし、友達と急に仲良くなったかと思えば、友達と大喧嘩してしまうことにもなる。そうやって徐々に人間関係の築き方や距離の置き方を身につけつつ、親友を作って行くことになるのだ。

 親友ができると、べったりとした関係を築き上げてしまうので、この時期は異性を排除するし、同性の友達であっても疎遠になってしまう。親友と二人だけで話し合い、行動を起こすことが、最も深い友情を築き上げることにとっても必要なことになるのである。この親友と最も深い友情を築くことができれば、男の子だったら冒険旅行に出かけることになるし、女の子だったら初恋の相手が見つかるようになる。

 親友を作るべき時期に、男の子だったら彼女を作ったり、女の子だったら彼氏を作ってしまえば、そちらの方に時間を取られてしまうので、親友を作ることができず、幾ら異性と付き合っても、本物の恋愛ができないという悲惨な状態に陥ってしまう。また親友と深い関係になる以上、同性愛者は排除されるのであって、同性愛者もまた親友を持てず、まともな恋愛ができず、堕落的な性愛関係しかできないという事態に陥ってしまうのだ。

 自立というものは、家の外に撃って出て行かない限り、永遠に自立ではできない。小学生の頃までに、親から充分な母性愛や父性愛を貰っておかないと、子供は外に撃って出て行かなくなり、交友関係でトラブルを起こし続けたり、イジメに遭ったり、登校拒否になってしまうものなのだ。

 子供は愛情不足だと絶対に親から離れようとしない。親からの愛情が不足しているゆえに、親に対して思い残しているものがあり、そのために親離れをしようとしないのだ。こういう場合、その母親は育児や子育てをしたいたけど、心ここにあらずで、常に心が子供の方に向いておらず、違う所に向いていたために、子供の心の中では母性愛が決定的に不足してしまい、自分を肯定することができなくなってしまったのだ。

●馬鹿な親ほど子離れをしない

 馬鹿な子ほど親離れをしないが、馬鹿な親も子離れをしない。子供が自立を開始し始めた時に、いつまでも親のもとにいて欲しいからと思って、子供の自立を引き止めてしまうのだ。子供を一個の人格を有する人間として認めているのではなく、自分の所有物だと思い込んでしまっているのだ。

 この手の自立を疎外する母親たちに共通することは、夫婦関係が巧く行っておらず、母と子がべったりとした関係を築き上げてしまっている場合である。母親は常に夫に対して不満を持っているので、その不満の捌け口を子供に向けてしまい、赤ちゃんの頃から子供の行動を規制し続けてしまい、子供が母親に反抗することを一切許さない状況にしてしまうのだ。

 母親が長女である場合、親離れを引き止める危険な母親になる可能性が高い。大体、長女というものは父親の愛情を最大限受けるものだし、次女以降の娘たちよりも我儘を言える立場にあるし、子供の頃から自分がリーダーになって遊ぶ機会が多かった筈だ。そのため、我が子にも我儘を言ってしまうし、自分がリーダー風を吹かすので、育児や子育てをしながら、子供を委縮させることを平気やってくるのだ。

 忘れてはならないのは、少子化になると親離れを引き起こす母親たちが続出して来るということなのである。子供が3人以上いれば、第一子が思春期を迎えた頃には、一番下の子供に未だ手がかかる時期なので、第一子にはそれほど構っていられないものである。そのため第一子は自立を開始して行き、その次の子供も続々と自立して行くので、子離れが簡単にできてしまうのだ。しかし、子供の数が1人とか2人になってしまうと、母親は暇を持て余しているので、子供が自立を開始し始めた時に、子供の自立を阻止するということを平気で遣り始めてしまうのだ。

 子供が自立で問題を起こしている場合、大方はその母親が異常な行動を取っていることに原因があると見ていい。母親の中には自分は正しく、子供の方が間違っているとして、子供を精神病院送りにしてしまう母親もいるが、こういう母親は母親の中でも最も愚かで、自分の子育ての間違いを子供に責任転嫁しているだけなのだ。母親が変わらない限り、子供はいつまで経っても問題を起こし続けるのだ。言わば子供は母親の鏡であって、母親が間違ったことをしていれば、子供は問題を起こし続けるのだ。

●「専業主婦たちの優柔不断」「兼業主婦たちの無関心」

 子離れや親離れは一気に起こるものではない。中学生辺りから徐々に起こって来るものだ。親子の距離が徐々に開きながら、高校を卒業する頃には、子は親離れをし、親は子離れをして来るのである。単純に計算してみれば、6年もの長い月日があるので、親子双方が時には問題を起こしつつも、徐々に距離を取って行き、そして来るべき日が来たら離れて行くものなのである。

 しかし、これが出来ない母親たちは必ずいるものだ。子供が母親に従属していた時期を当たり前のことだと思ってしまい、子供が自立し始めているのに、その事実を受け入れず、子供の自立を阻止し破壊して、いつまでも我が子を母親に従属させようとしてしまうのだ。母親にとってみれば、自分がお腹を痛めて産み、育てた子なので、愛情が強く深すぎる分、その愛情の多さが裏目に出て来てしまうのだ。

 母親が専業主婦の場合、専業主婦として育児や子育てに全力を投入して来たのだから、子供が母親に反抗し、自立を開始すると、その子供の変化に戸惑ってしまうのだ。今までは的確な判断ができた母親でも、或る日突然に優柔不断な対応を見せてしまい、子供を信用して、自立させて行ってあげることをしなくなってしまうのである。この優柔不断は母親の方が自分の子供に裏切られたのではないかと錯覚しているからこそ起こるのであって、その錯覚が治らない限り、いつまでの優柔不断な態度を取り続けてしまうのだ。

 特に子供が娘であった場合はこれが悲惨な結果になってしまい、確実に娘の自立を阻止してしまうのである。自分の母親が今まではきちんと独立していたのに、自分が自立しようとし始めると、独立どころか自立すらしなくなり、夫に従属しながら、子供を従属させるという事態に陥ってしまうのだ。忘れてはならないは、こういう母親の下で育った女性たちは大人になっても自立することができず、その多くがフェミニズムに走り、専業主婦たちを罵倒し、専業主婦たちを苦境に陥れる運動を展開し、税制面での配偶者控除を廃止するなどをし、現在では専業主婦であることが犯罪であるような風潮を作ってしまったということなのである。

 専業主婦の場合、まずは夫に相談を持ちかけ、子供が自立して来る際に、どのように対応して行けばいいのか話し合っておくことだ。妻が夫に心を開いている限り、それほど自立で問題は起こらないものなのである。その一方で、専業主婦としての特権を活かして、教育に関して確固たる目標を持つことだ。大学に進学させるなら、家庭教師を雇うのではなく、自分でやってしまうことだ。子供に本を読ませるだけでなく、それを話させれば、子供の方は記憶力が高まって、いい成績が取れるようになるものなのである。

 母親が兼業主婦の場合、我が子を保育園に入れたりして来たので、どこかで愛情が薄い傾向があるのだ。そのため、子供の方も愛情をしっかりと貰っていないために、なかなか反抗をして来ないという異常な事態が起こってしまうのだ。ところが兼業主婦は仕事に忙しいものだから、子供の変化に気付かず、子育てに無関心な態度を取ってしまうのだ。こういう態度を取り続けると、子供の方が或る日突然にプッツンと来てしまい、心を病んでしまったり、有り得ない反抗をして来たり、警察沙汰になってしまうので、我が子が中学生になったら、仕事ばかりしていないで、子供の変化に注意を払っておくことだ。

 兼業主婦が仕事で忙しいのは解るし、帰宅してから疲労しているのは解る。しかし、自分の仕事は子供を或る程度犠牲にしながら行っていることを、常に忘れてはらないのだ。どんなに忙しくても、1日30分でもいいから、仕事のことは忘れて、子供と一緒になって遊んだり、話し合ったりすることが、非常に大切なことなのである。こうすれば、子供の方は母親が仕事で忙しくても、充分に愛されたと思うことができるのである。

 子供が中学生になったら、子供の変化に無関心な態度は絶対に取るべきではないのだ。子供にとっての自立というのは、まず母親からの自立で始まるものなのである。母親である自分に何もしてこなければ、子供はいつまで経っても自立して来ないのである。この時期は仕事に忙しい余り、子供の変化に気付けないというのは最悪な選択肢で、どんなに仕事が忙しくても、子供に対して注意を支払っておけば、子供の変化に気付くものなのである。

●自立でない人ほど「個の確立」を騒ぎ始める

 人間はどの人々も19歳までは肉体が成長して来るので、大人になってしまえば、どの人間たちも大人の肉体を持っている。しかし、だからといって、その者たち全てが精神的に自立しているかは解らないものなのだ。体は大人でも、心は子供という人は幾らでもいるものなのである。、

 大人の仲でも危険なのは、実は大学に進学して来た人々なのである。人間の成長過程を鑑みるなら、本来、教育というのは高校までで充分なのである。それ以降は社会に出て働き、仕事をすることで自分を成長させ、精神的に自立させて行くべきなのである。だが、高度に発達した文明は、高校卒業程度の知識では運営することができず、大学というものを必要とし、更には大学院まで必要とするのだ。確かにその教育を受けることで、高度な学力を持つことはできるが、その反面、自分が精神的に自立できなくなるという危険性を大いに高めてしまうのである。

 大学を卒業した人々ほど、大学院を卒業した人々ほど、自分が精神的に自立していないことを膨大な知識で誤魔化そうとするのだ。社会主義者にしても、フェミニストにしても、精神的に自立していないのは同じものなのだが、自分が精神的に自立できないことを膨大な知識で誤魔化し、自分が精神的に自立して行くために、自分自身と真剣に向き合うということを一切しないのだ。だから、いつまで経っても精神的に自立できなくなってしまうのである。

 恐ろしいには、自分が精神的に自立できないことを、日本人全体に置き換えて述べて来るのである。「どうして日本人は自立できないのか?」というテーマで本まで書き、それを出版して悦に入っているのである。そうではなく、その意見を述べている著者こそが自立できていないだけなのである。

 書物の中で、「個の確立」という用語が出て来たら、要注意なのである。この「個の確立」という日常語で絶対に使われることのない用語を使い、それをメインテーマとして論じている書物があるなら、その著者こそが精神的に自立していないと思った方がいい。この手の著者は大抵が深刻な顔つきをしていて、大量の蔵書量を誇っているが、冷静に話を聞いてみると、著者本人が精神的に自立しておらず、それを誤魔化すために、この手の本を書いて来るのである。作家だろうが、学者であろうが、会社経営者であろうが、政治家であろうが、自立してない人は自立をしていないのである。そのことをいつ如何なる時も忘れてはならないのだ。

●自立は親から離れるからこそできる

 自立というものは、親から離れるからこそできるものなのである。まずは自宅を出て、自分で生活をしてみることだ。一人暮らしをして行くためには生活費がいるのだから、それを自分が働くことで稼ぎ出さねばならないのだ。若者が働けば給料は安いと決まっているのだから、我が子がどんなに貧しくても、親であるなら我が子にお金を与えてはいけない。親が我が子にお金を与えてしまえば、我が子の方はいつまで経っても自立して来ないものなのである。

 自立はいきなり自立できてしまうのではなく、まずは経済的自立を成し遂げる必要性があるので、収入を徐々に増やし、家計簿をつけて貯蓄をきちんと行い、常に収入よりも少ない生活費で暮らして行くべきなのである。一人暮らしは物入りになるものだが、それでも質素に暮らして行けば、確実に貯金額は増え、確実に資産が形成され始めるのだ。そうやって経済的に自立して行くのである。

 精神的自立の方は、大人として身につけるべき教養を身につけておき、自分の専門分野の知識や技術をきちんと習得しておくことだ。その一方で、自分を精神的に向上させていく努力を行い続け、自分の心の中の悪と戦い続けることだ。男性だったら自分の心の中で父親が偽りの上位自我となっており、女性だったら自分の心の中で母親が偽りの上位自我になっており、それを破壊しない限り、精神的な自立は成し遂げられないのだ。

 この時期、男性だったら冒険旅行に出かけて、その冒険旅行で様々な経験をすることで、自分の心の中にある偽りの上位自我を破壊して行くし、女性なら男性と恋愛をすることで、その恋愛の中で様々な経験をすることで、自分の心の中にある偽りの上位自我を破壊して行く。男性なのに冒険旅行に出かけず、女性なのに男性ときちんとした恋愛をしなければ、いつまで経っても精神的な自立を成し遂げることはできないのだ。

 若者たちは様々な大人たちと出会うことで、自立を成し遂げて行くのである。一生懸命に生きていれば、どの大人も完璧ではないということに気付くものだ。みんな欠点を持っている。しかし、それでもこの世を生きて行くことができるのである。自分の両親だって完璧ではないのだ。欠点はたくさんあるものなのである。その欠点を他の大人たちに補って貰うことで、足らざるものを補いながら、自分の力で自立して行くのである。

 自立というのは、如何なる人も完璧ではないということに気付くことでもあるのだ。それがきちんとできていないと、キリスト教徒たちのように救世主に縋ってみたり、仏教徒たちのように釈迦に縋ってしまうのである。宗教は違い、崇拝対象も違うが、どちらとも精神的自立できなかったということでは同じことなのだ。

●子離れは悲しくても、親にとっても子にとっても必要なこと

 不思議なことに、人は自立を成し遂げてしまうと、そのまま独身で暮して行こうとは思わなくなる。遅かれ早かれ最良の異性と巡り会って、結婚して行くものなのである。自立の完成は独立の始まりであり、両親から正式に離れて、新たな家族を形成して行くものなのである。

 親にとって子離れが決定的になるのは、まさに我が子が結婚した時であり、特に育児や子育てで大活躍をした母親にとっては非常に悲しいことなのだ。でも、子離れは悲しくとも、親にとっても子にとっても必要なことなのである。その悲しみがあるからこそ、我が子は一人前の大人になれるし、母親の方も我が子を一人前の大人にできたという喜びがあるのである。人はそうやって一人前の大人に成って行くのである。

 もしも我が子がいつまで経っても結婚しないのなら、それは我が子を自立させることに失敗してしまったのである。子供の時に充分に愛情を注がなかったとか、子供に教えるべきことをきちんと教えなかったとか、反抗期に入った時にその反抗の対応が拙かったとか、一人暮らしを始めたのに、お金を与え続けてしまったとか、様々な原因が絡み合って、我が子が自立して来ず、いつまでも精神的に親の従属下にいるようになってしまうのである。

 子育ては親だけの力で出来るものではない。我が子が自立すべき時が来たら、きちんと突き放すべきなのである。通常の肉食動物なら、親が子に噛みつくことで、我が子を群れから追い払い、自立を促すのである。人間はさすがにそういうことをしないが、来るべき日が来たら、一旦、自宅から追い出し、自立が終わるまで、帰宅させないべきなのである。我が子だからといってちょくちょく帰宅させていたら、いつまで経っても自立して来ないのは当然のことなのだ。無理矢理でもいいから、自宅の外に追い出し、後は世間で揉まれて育っていけばいいのである。我が子のことを心配するより、我が子のことを信用して、追い出してしまった方がいいのだ。

 全ての若者たちが、親離れができる訳ではない。若者の中には邪教に引っ掛かったり、平等イデオロギーに洗脳されてしまったり、経済的に貧しすぎてしまったり、中には自殺したり他殺されたりする者も出て来るものなのである。でも、そういう脱落者を産みつつも、若者たちはきちんと自立を成し遂げて来るものなのである。

 我が子がきちんと自立を成し遂げ、未来の結婚相手を連れて自宅に戻って来た時、親子共々、正式に「親離れ」「子離れ」をすることになるものなのである。それは我が子が立派に成長してくれた証であり、自分たちの育児や子育てが間違っていなかった証なのだ。育児や子育ての結果は育児や子育てをやっている時には出て来ず、育児や子育てが終わって暫く経った後に出て来るものである。母親にとって子離れは悲しくとも、だからこそ嬉しいものなのである。その嬉しさは、育児や子育てで苦労した者でなければ解らないものなのである。どういう母親であれ、我が子が新たな家族を形成してくれれば、立派な母親であることに間違いはないのだ。

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コメント

いまさらながら、このブログの内容には自分も痛感しました。 

木村自身も、両親は「家庭内離婚を数十年もひきずったまま」なために親離れも子離れもままならない状態です。
家庭内離婚を末っ子な木村自身がなんとか出来たら、と思っても「親も他人」すなわち「他人を変えるのはたやすくない、自分自身を変えるのが最もたやすいこと」と諦めるしかないでしょうかね?

この内容にふれてる通り、バカ息子な木村自身ですがこのコメントに目を通してもらえたら幸いです。

投稿: 木村務夢 | 2011年8月 9日 (火) 14時58分

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