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母親たちはどうして学校の先生たちをバカだと思ってしまうのか?

●昭和憲法体制の致命的ね欠陥

 昭和憲法を制定以来、日本は教育問題を抱えっぱなしである。常に学校の教師たちは問題を引き起こし、学校教育に於いて高い成果をあげることができていないでいる。政治家たちは毎年の如く教育改革を打ち出しているが、実際に実施しても逆により問題を悪化させるだけになってしまっている。なぜこんなことが起こるのか?

 それは連合軍の占領中にGHQが師範学校を廃止してしまったからである。大東亜戦争の最中にアメリカ軍は戦略や戦術に於いて圧倒的に優位になっていたのに、実際の戦闘では日本軍からの激しい反撃に遭い、想像以上の死傷者を出してしまったかだ。この日本軍の兵士たちの優秀さはどこから出て来るのかと研究をしたら、日本は学校教育が優れているからであって、その学校に対して師範学校が優秀な教師たちを送り込んでいたからだと解明したのだ。そこでアメリカ合衆国は日本を占領中に師範学校を潰し、二度と日本が強国になれないように仕向けたのである。

 師範学校というのは教師を養成する教育機関だから、これがないために昭和憲法体制下では教育能力のない人たちが教壇の上に立っていることになってしまったのである。大学で教職課程があるが、これは飽くまでも師範学校が潰されてしまったから臨時で作られたものなのだが、これが未だに延々と存在し続けているのである。大学で教育学部というのがあるが、これは教育を学術的に研究する学部であって、教師を養成する場所ではないのである。解り易い例を挙げるなら、法学部と司法修習所の違いと同じであって、法学部を卒業した所で弁護士になれないが、司法修習所を卒業すれば弁護士になれるということなのである。

 しかも、現代の学校教育は最早、大卒の人が担当できる内容のものではなくなっており、大学院の修士課程卒業レベルの学力を必要とするようになっているのである。この点に気付いたのはフィンランドであって、国家プロジェクトとして大学院卒の人材を教師に回し、そのために急激に教育レベルが上がり、フィンラド人の学力が世界でトップになってしまったのである。日本はオーバードクターのように大学院卒の人材が余っているのだから、この人材を遊ばせておかないで、学校教育に振り向ければいいのである。

 教育技術は年月が経てば劣化していくものである。だから、教員免許の4年から5年置きの更新がどうしても必要となってくるのである。その際、ただ単にいきなり試験を受けさせるのではなく、教育技術を向上させるために講習を受けさせ、教育技術を向上させた上で、試験を受けさせるようにするのである。問題教師はこの更新試験で落とすべきなのである。こうすれば現在の教育現場のように、生徒たちにまとも教育を施せない問題教師たちが存在することができず、問題教師たちを全て駆逐することができるのである。

●冷静ママVS熱血教師

 要は昭和憲法体制下の日本では、教師としての能力を持っていない人々が教師になってしまっているのだが、このために冷静ママたちは我が子を塾に通わせたり、私立学校に通わせようとしたりするのだ。冷静ママたちは頭がいいために、教師であろうと馬鹿は馬鹿だと的確に判定して来るのである。

 冷静ママはそもそも教師たちを信用していない。冷静ママは他人との信用を構築するまで時間がかかるのである。それなのに、小学校の教師は子供を相手にしているので、かなり感情的で、大人げない言動を取って来るのである。冷静ママは誰であっても、物事を論理的に進めて来ないと、馬鹿だと看做してしまうのである。

 冷静ママが教師の中でも特に激怒してしまうのは、「熱血教師」である。熱血教師は教育熱心に度が過ぎて、生徒たちの信条に踏み込んで来るのだが、冷静ママにとっては個人の信条には絶対に踏み込んで欲しくないのである。冷静ママには何かしらの個人的な信条があるので、その信条に共感するものであるなら、他人の考えを評価するのであって、熱血教師のように自分の考えを一方的に押し付けて来る人を断じて許せないのである。冷静ママにとっては、金八先生のような教師は絶対に許せないのである。

 学校とトラブルを発生させる母親というのは、冷静ママが非常に多く、担任が熱血教師であった場合の組み合わせの時に、冷静ママは学校に怒鳴り込んで来るようになるのである。学校側も問題が発生した時、遂々「この先生は教育熱心なのだから」と言ってしまいがちだが、そうなると余計に冷静ママは怒り心頭に達してしまうのである。幾ら教育熱心だからといって、個人の信条に踏み込むべきではないのである。大体、ちゃんとして教育能力があるなら、熱血教師にはならないものなのである。

 忘れてならないのは、冷静ママの子供たちは頭がいいということなのである。自宅で知的な会話をして育って来ているのだから、学校の教師たちのように教員免許を取得した時点で知能レベルが向上しない人々とは性に合わないのである。生徒の成績が良い場合には、明らかに熱血教師の側に落ち度があったと認めるべきであって、冷静ママが主張している意見を採用して、改善措置を図るようにすることだ。熱血教師というのは、問題が起こっても自分は正しいと思っているから、校長なり教頭が入って解決しないと、問題が余計に悪化するだけなのである。

●感情ママVS理数系教師

 感情ママはみんな仲良くが信条なので、学校でみんなが仲良くしているなら、教育に対してなんの不満も持たないものなのである。感情ママが怒り出す時は、イジメが発生した時なのである。感情ママにとっては、イジメは絶対に許せないものなのである。「みんな仲良く」がモットーだから、学級内でイジメが発生したということは、その担任のに教育能力がないと即断してしまうのである。

 感情ママは育児や子育てに於いて、子供たちが喧嘩すれば直ちに介入して、喧嘩しないようにさせていくので、子供同士でトラブルが発生した場合、それを教師がなんの解決策も打たず、イジメを放置していたというのは、自分の経験からして絶対に許せないことなのである。

 学校でイジメが発生する理由は多々あるものだが、教師が授業が終わる度に職員室に帰ってしまうというのが問題なのである。小学校であるなら、全ての授業を担任が受け持つのだから、職員室になど帰らず、教室に留まって生徒たちと話してでもしていればいいのである。子供たちと仲良くする振りをして、イジメが発生しないように監視すればいいのだ。これでイジメは殆ど発生しなくなるものなのである。

 j感情ママは頭が悪いので、成績で生徒を競わせるのに否定的なのである。感情ママの意見を学校で反映させてしまうと、途端に生徒たちは勉強しなくなるものなのである。子供たちはなんでも競争したがるものなので、その競争心を巧く使って、子供たちを競わせながら教育して行けば、高い教育成果を出すことができるようになるのである。競争させれば落ち零れが出て来るのだから、そういう生徒たちには補習授業を受けさせればいいのである。

 感情ママは、自分の失敗を認めない人を絶対に許せないという特徴を持っている。人間は間違いを犯すことがあるのだから、そういう時は謝るべきであって、それができない人は絶対に信用できないのである。学校の教師というのは、自分が失敗すれば謝罪すればいいものを、なぜか自分から謝ろうとはしない。教師が失敗を引き起こしたのに、事件が明るみになると、校長が代理で謝罪するという有り得ない行動を取って来るのだ。感情ママが教師に謝罪してほしいといっているなら、それは謝罪だけして欲しいのであって、損害賠償とかを請求するものではないのだ。こういう時は、校長は失敗をしでかした教師を引き連れて、感情ママの前でその教師に謝罪させるべきなのである。こうしないと感情ママの怒りは収まらないし、失敗をしでかした教師もなんの反省もせず、更に問題を引き起こすようになってしまうのだ。

●学校不信こそ本当の教育の始まり

 この世では「先生」と呼ばれる職業についている人ほど、精神レベルが低い人たちばかりである。確かに先生と呼ばれる職業は多くの知識を必要とするが、だからといって人格まで立派だとは限らないのである。人間は他人に物を教えるなら、それ以上に自分が学ばなければならないのである。それを怠ってしまえば、どうやっても自分自身が成長することができないのである。

 子供の親たちは憲法上の義務として、子供を学校に通わせなければならないのだが、だからといって学校を信用してしまわないことだ。寧ろ、「学校不信」になるべきなのである。学校不信というのは、何か物凄く悪いような感じに受け止められてしまうが、学校を信用していないからこそ、学校の教師たちが問題を引き起こした時に冷静に対処することができるし、逆に学校の教師が信用に足る行為を遣った時に、それをきちんと評価することができるのである。信用の置けない教師を無闇に信用するからこそ、母親がその教師と大いに揉めてしまうのである。

 教育の基本は独学なのである。学校など信用せず、母親が子供に自宅で学習する習慣を身につけさせればいいのである。小学校レベルの教育なら、どんな母親にだってできる筈だ。子供がテレビを見ている暇があるのなら、テレビを消して、親子で一緒に勉強をすればいいのである。

 学校はそのサポートに過ぎないのである。学校の力を過大評価しては駄目だ。師範学校が潰されてしまった以上、今の教育体制では母親たちがどのようにしたとしても、優れた教育システムを作ることは不可能なのである。偉大な政治家による、大掛かりな改革が必要なのである。母親が教育に熱心になる余り、PTAの活動に幾ら頑張ったとしても、大した成果を上げることはできないのだ。

 学校不信であればこそ、学校以外の場所で教育を施すことができるのである。だからこそ、塾や予備校が繁盛しているのである。塾や予備校に通わせることは教育費が高くつくかもしれないが、教育に投資するだけの価値はあるものなのである。大事なことは我が子に勉強する習慣を身につけさせることなのである。それができてしまえば、いずれ自発的に勉強し出し、自分が進むべき道に全速力で突き進んでいくことになるのである。

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コメント

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もちろん立派な先生はいます。
しかし自分の中で認められる先生はほぼいないです。
人間ですから欠陥があって当たり前ですが、しかしです。
にんじんを切った事がない先生。生徒の気持ちを考えられない先生。何に付けても、文句しか言えない先生。片付けすらできない先生。情けないです。

経験値がなさ過ぎなのです。狭すぎる世界なのです。
教職員の常識は非常識といわれている方もいます。
その通りだと思います。
回りから先生とちやほやされ、その気になり調子にる。
自分を偉いと勘違いする。 そんな先生ばかりです。

子どもにとっての最大の先生とは親にはじまり他に関わる大人たちすべてが先生であり教育者なのです。

自分はそう思っています。

投稿: 名無し | 2011年10月28日 (金) 11時54分

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