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子供とのスキンシップの大切さ

●子供は母親とじゃれあうことで愛を蓄積して行く

 子供が母性愛を蓄積して行くのに重要な役割を果たすのが「じゃれあい」だ。子供は母親とじゃれあうからこそ、母親から愛されたと思うようになるのだ。哺乳動物というのはどの動物を見ても、母親が子供を弄り回している。しかも脳の大きさが大きくなって行くほど、母親は子供を弄り回しているのだ。

 子供は母親から弄り回されると、体に刺激を受けるだけでなく、脳に刺激を受けまくり、高い知能を持つことができるようになるのだ。母親から母性愛を感じるというのは、高い知能を持たない限り、出来ないものなのだ。だから子供がいるなら、母親は子供とどんどんじゃれあっていけばいいのだ。

 どの民族も母親が子供とじゃれあうことをするものだが、そこに人工宗教が入り込んで来ると、途端におかしな事態になってしまう。キリスト教は「贖罪論」や「三位一体論」のように欠陥のある教義を持っていたために、信者たちを洗脳する必要性に迫られた。そこでキリスト教の聖職者たちは母親と子供を分離してしまい、母親が子供にじゃれあうことを極力少なくしてしまった。

 この分離措置が強いのは、伝統あるカトリックの方ではなく、実はプロテスタントたちの方であって、そのためにプロテスタンティズムの勢力圏内では難病奇病の発症率が異常に高いのだ。育児や子育てなんてどこの国でも同じだろうと思っているのは大間違いで、日本人がアメリカ合衆国やオーストラリアに行って現地の育児や子育てを見ると、その異常さにびっくりしてしまうのだ。とにかく母親が子供とじゃれあうことが非常に少ないのである。

 子供というのは、母親と充分にじゃれあっていれば、母親から愛を欲しがるということはしなくなるものだ。母性愛の蓄積があるために、今度は母親の元を離れて、様々な冒険に出かけるものだ。子供が愛が欲しいと言って来るなら、育児や子育てで何かしら重大なミスを犯したということなのである。キリスト教は愛を唱えるが、だからといってその教義が素晴らしいのではなく、キリスト教徒たちに愛を唱えざるをえない育てられた方をされたために、大人になっても愛を叫び続けるのである。

●母親とじゃれあえるからこそ父親とじゃれあえる

 子供にとって母親は親しい存在であっても、父親は親しい存在ではないのだ。父親は平日、仕事に出かけれいるので、子供にとっては非常に懐くことができない相手なのだ。だから母親は父親がいない平日に、子供と充分にじゃれあって母性愛を与えて、休日には子供が父親とじゃれあえるようにすべきなのである。

 平日は母親中心だが、休日は父親中心にしてしまえば、子供は父親から父性愛を貰うことができるようになるのだ。母性愛と父性愛は全く違うものだ。父性愛は我が子にしか注がないものなので、子供は父親から父性愛を貰うと、生き生きとして来るようになり、自分には価値があると思えるようになるのだ。

 父親というのは、母親が子供に充分に母性愛を与えていないと、我が子といえども可愛がろうとしないのだ。母親が愛そうとしない子供など価値がないと無意識で判断してしまうので、「仕事が忙しい」だのと理由をつけて、休日でもどこかに出かけてしまうのだ。子供を愛そうとしない母親というのは、大抵、夫婦関係でも揉めているので、とにかく夫婦関係を改善して良好なものにしておくべきなのである。

 子供は満2歳までに父親の体臭を覚え、その体臭を以て父親と認識するようになるので、満2歳まではとにかく子供とじゃれあう機会を多くしておくことだ。特に女の子の場合、父親とじゃれあいたがるので、女の子が幼い時に父親とじゃれあう機会を失ってしまうと、その後の親子関係で散々に揉めてしまうことになるのだ。自分の実の父親であっても、その男性を自分の父親と認識できなかったからこそ、徹底した拒絶反応を示してしまうのだ。

 父性愛は母性愛のようにいつでも貰えるものではなく、貰える期間が限定されているために、子供の方としても父性愛を貰うことに必死になるものだ。成長の早い娘の方は、父親に抱きつき、父親と他愛もない会話をし出すものだ。成長の遅い息子の方は、娘のようにはしてこないが、それでも息子なりに父親とじゃれあってくるものだ。

●良い子悪い子よりも子供を肯定してあげること

 じゃれあいというのは、その子が良いことをしたからじゃれあうわけではないし、その子が悪いことをしたらじゃれあうことを拒否するというものではない。ただ単に母親の方が子供とじゃれあっているのが面白いからこそじゃれあっているのである。そうやって子供は母親にじゃれあえることで、母性愛を蓄積して行くのである。

 母親自身に母性愛の出が少なければ、我が子に対して「良い子」「悪い子」と判断してしまいがちだ。母性愛というのは、そういう「良い子」や「悪い子」と判断する以前のものなのであって、我が子が我が子であるがゆえに母親は我が子を肯定してあげるのである。母親にとってまず必要なのは我が子を肯定することの大切さなのである。

 女性が子供を産めば、母性愛を出すのは当たり前のことなのだが、しかしその女性がく学歴になって大量の知識を溜め込んでしまうと、この当たり前すぎることができなくなってしまうのだ。自分になまじ知識があるために、我が子の些細な行動で以て、「この子は良い子!」「この子は悪い子!」と判断してしまい、母性愛を与えなくなってしまうのだ。

 勿論、育児をしていれば、子供はとんでもないことを仕出かして来るものだ。しかしそれは子供の脳が充分に成長しておらず、ルールというものが解らないからなのである。我が子がどんなに悪いことをしたとしても、母親であるなら我が子を肯定し続けることが大事なのである。それが出来るからこそ子供はきちんと成長してきて、長じれば善悪の判断ができるようになるのだ。

 育児や子育てが教育とは違うのはまさにこの点こそ最大の箇所なのである。教育というのは、子供に学問を教え育てることによってその子の能力を引き出して行くのだが、それと同時に子供を選別していくものだ。しかし育児や子育てには子供を選別するということはないのだ。我が子だからこそ母性愛を与えて、いつまでも肯定し続けるものなのである。

●子供はいつまでも親とじゃれあっているわけではない

 子供のが子供の時は、母親は子供とじゃれあっていればいいのだ。特に男の子の方は甘えん坊なので、小学生の高学年になっても母親に甘えて来るものだ。しかし、子供の方も母親とじゃれあうことに満足すれば、母親から離れていくものなのである。じゃれあうことは大切であっても、いつまでも母親とじゃれあっているわけではないのだ。

 母親には感情ママと冷静ママの2種類がいるものだが、この2つの母親は子供にじゃれあうことに関して、それぞれ長所と短所がある。感情ママの場合は、子供とじゃれあうことが非常に巧い。だがその反面、子供が母親から離れていく時にいつまでも引き止めてしまい、子供の怒りを買ってしまうようになるのだ。

 一方、冷静ママの方は子供とじゃれあうことが余り好きではないのだ。たとえ我が子であってもベタベタした付き合いが苦手なのだ。そのため我が子が幼い時に必要最低限のじゃれあいをしておかないと、子供はその後に於いて精神に異常を来たしてしまうのだ。だがその反面、母親が余りじゃれあってこなかったためい、子供は自治領域を大いに拡大することができ、非常に個性の強い子供に育って来ることになるのだ。

 よく育児経験者たちは「子供が可愛いのには訳がある」と感想を述べるものだ。子供が可愛い時期こそ、母親がじゃれあってもいい時期だからだ。子供の顔から可愛らしさが抜け始めてしまえば、じゃれあうことは必要でなくなるのだ。だから子供が可愛い内に思いっきり可愛がっておくべきなのである。

 女の子なら初潮が始まれば、母親の元から離れていくことだろう。男の子なら中学生になれば、母親の元から離れていくことだろう。もうその時期が来ればじゃれあうことで母性愛を貰うことは必要なくなるのだ。それ以降は、自分の心の中に蓄積した母性愛を使って、自立を開始していけばいいのである。

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コメント

タマティーさん アドバイス有難うございます
m(_ _)m
前に タマティーさんの過去のブログに、父親との関係についての話がありましたよね、 それを読んでから気になってはいたのですが…
オルガズムというのは よく言うイクと言う事ですか?
もし そうだとして オルガスムがないと妊娠出来ないとしたら 絶望的な気持ちです
多分 独身の頃から今まで ちゃんとしたオルガスムは経験ないと思います きっと相手のせいではなく神経質な私自身が原因なのかも…
恥ずかしながら 自分でしたら イク事は出来ていると思います
過去に ちゃんとイッたら妊娠しやすいと聞いて 頑張った時もありました…
結果、私の技術が磨かれただけ…(笑)
逆に早く終わるようになりました(涙)
そうする内に私はセックスが楽しくなくなってきました
だから倦怠期ではなくセックスだけが嫌なんです
父親とは 今は互いに自然に楽しく会話できてますし尊敬してますが子どもの頃はスッゴく嫌でした だから 男子が怖くて苦手、でも馬鹿にしてました
だから恋愛でも辛い思い出たっぷりですが、旦那は唯一安心して私の素を見せられる異性です
不妊の人は歪んでいると言われて逆にドキッとしました
私は 親によく、ひねくれ者と言われていたし 傷ついても平気なふりして後で泣く人間なんです
最近やっと ゆるく考えられるようになってきたのです…
でも、人前で泣くのは恥ずかしいかも…
タマティーさん 私は大丈夫ですか?
オルガスムなんて…
旦那にはイッたふりしてます とにかく出してもらえれば、と
でも 全くセックスが嫌な訳ではなく気持ち良時もあります。でも膣でオルガスムはないし 膣に入ると圧迫感で痛い時もあるのです
だからオルガスムなんて…夢のような話です
私はどうしたらよいのでしようか…
保育所のアドバイス有難うございました
子供の良い所や頑張りも話してるんですよでも 親も忙しい時もありますし 私がその時イライラしてて(生理になったし)過敏になってたのだと思います 大反省です

投稿: あやのん | 2010年5月13日 (木) 21時49分

 あやのんさん、一人の時は行けるって、ちゃんと行けるではないですか!?
 あやのんさんは、膣派ではなく、クリトリス派なので、クリトリスを刺激して、それで行くようにすればいいんです。

 まず絶対に行った振りをしないこと!
 それをやってしまうと、男性の方が改善することができないんです。
 そして自分の奥さんが行った振りをしているのに、それに気付かないとなれば、旦那さんは余りセックスが巧くない筈です。
 だから、相手の感情を逆なですることなく、冷静にオルガズムのことを話すことです。

 技術的には、とにかく愛撫で行かして貰うことです。
 全身を愛撫されて上で、クリトリスやその周辺の集中的に舐められたら、多分、オルガズムに行ける筈です。
 とにかく1度でもいいから、愛撫で行ってしまい、自分はオルガズムに行けるんだという自信を持つことです。

  

投稿: タマティー | 2010年5月14日 (金) 06時57分

子供とのスキンシップ、できるうちにたくさんしようと思いました。

教室で、他の親子はお母さんが子供とコミュニケーションをとりながらやっているんですけど、私たち親子は(汗)
子供は周囲の様子から、受け答えの仕方を学んでいて、がんばっています。

私は感情ママなのかな?
とにかく母親にならなくては…
スキンシップ!スキンシップ!

投稿: みち子 | 2018年3月18日 (日) 12時26分

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