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親が親たりえる理由

●産みの親がそのまま育ての親に成れるわけではない

 夫婦というものは、赤ちゃんを産めば「親」になるものである。しかしそれは「産みの親」であって、赤ちゃんを育てなければ「育ての親」になることはできない。親としての役割を果たすからこそ育ての親でいられるのだ。ただ単に赤ちゃんが可愛いからということでは育ての親としては不十分すぎるのである。

 どの哺乳動物も親になれば親の役割を果たすものだ。だが人間は大きな脳を持ってしまったために、赤ちゃんを産んだのに親としての役割を果たさない人々がどうしても出て来てしまうのだ。自分が精神的に独立していなければ、赤ちゃんを産んでも育てようとしないことだろう。自分が独立しているからこそ、自分の両親に頼らず、自分たち夫婦で赤ちゃんを育てて行こうとするのだ。

 育児放棄してしまう愚かな母親たちに共通することは、自分勝手に自由に生きたいという欲望を最優先しているということだ。自由は大切なものであっても、無制限に自由に生きることは必ずしも素晴らしいことではないのである。自分勝手に生きた所で得られるものは非常に少ないし、価値あるものを作り出すことはできないのだ。

 育児をすれば、当然に自分の自由はかなり奪われてしまう。しかし育児は自分が自由に生きていては得られない価値あるものを多々生み出して行くことができるのである。人間は自分の何かを差し出さないと、次の精神ステージに入ることはできないのだ。独身時代の自由を失うからこそ、結婚時代の自由を得られるわけだし、夫婦二人の自由を失うからこそ、子供を育てていく自由を得ることができるのである。

 自由を享受するためには責任を果たさなければならない。責任が重たければ重たいほど自由は大きくなるものなのである。独身の時は確かに自由であっても、責任が殆どないから、冷静に考えればその自由は非常に小さなものだったのだ。結婚すれば責任が生じるし、育児をし出せばより大きな責任が生じて来るものだ。だから結婚に於ける自由は大きくなっていくものだし、育児で得られる自由も更に大きくなっていくのだ。

●母親が母親たりえる理由

 人間は食べ物を食べなければ死ぬ。生きるためには食べ物を食べ続けなければならない。それゆえ母親のやることで最大の責任は、子供に食事を与えることなのである。しかも単なる食事ではなく、栄養バランスの整った食事であり、愛情の籠った食事である。子供はその食事を食べるからこそ、健康に育って行くのだ。

 母親は我が子に毎日食事を作らねばならないし、食事を作ることに関しては年中無休だ。子供はお腹を空かせば、母親の食事をせっつくのだから、母親はその度に食事を作り、子供に食べさせなければならない。食事を与えることこそが母親としての最低限の義務なのであって、食事を作ることをしなくなれば、育ての親としては失格となるのだ。

 母親が我が子に対して食事を作るのを当たり前と思ってはならない。文明の中で豊かになっていくと、母親たちは我が子に対して食事を作ろうとしなくなるのだ。古代国家の中で最も裕福だったのは国王であったが、王妃は子供を産んでも、自分では育てなかった。乳母を雇って、その者に育てさせたのだ。貴族たちも裕福になってくると王家がやっていることを真似て、乳母を雇いだし、母親は育児をしなくなっていったのだ。

 近代国家でも庶民が裕福になってくると、ベビーシッターを雇ったりして、母親自らが育児をしなくなる現象が出て来るものなのである。繁栄することは確かに素晴らしいことなのだが、豊かさの中で人間らしさを失ってしまうと、途端に育児をしなくなるものなのである。そうやって育児放棄をしている母親に限って、「人権尊重」だとか「人間らしく生きる」とか「自然体で生きる」とか言い出して来るものなのである。自分が母親としての権利を放棄しているからこそ、人権を唱え、自分が人間らしく生きていないからこそ、人間らしく生きると唱え、自分が不自然の極みで生きているからこそ、自然体で生きると言い出して来るのだ。

 母親が貧困の中にいれば、自分の食事を減らしてでも、我が子に食べ物を優先させて来るものだ。しかし裕福になってしまうと、食事なんて当たり前だと思うようになってしまうので、自分が食事を作らなくても、我が子は勝手に食べて育つだろうと勘違いをしてくるのだ。だからこそ裕福な暮らしの中でも、神の下で謙虚になっていきるべきであり、そういう敬虔な宗教心によって自分の傲慢なる心を抑えるからこそ、産みの親であると同時に、育ての親で居続けることができるのである。

●父親が父親たりえる理由

 妻が育児をしている際は、妻は働けなくなるのだから、夫はその間、働いてお金を稼ぎ出し、妻子の生活費を賄わねばならない。夫が父親たりえるためには、働いてお金を稼いで来ることなのである。夫は育児を手伝って所で父親になれる訳ではないのだ。夫がお金を稼いで来なければ、一家は餓死してしまうものなのである。

 大抵、男性が結婚し、子供が出来る頃には、夫は仕事で忙しくなり始める時期と丁度ピタリと重なるものだ。どの会社でも就職してから3年間は雑用係ではあるが、その雑用係の3年間が過ぎると、徐々に重要な役職が与えられ、猛烈に働きだして来るものだ。そうやって働くことで、給料が徐々に上がって行くことになるのである。

 正常な精神を持っている男性なら、子供が生まれても妻に育児を任すものだ。妻に育児を任せてしまえば、妻は自然と育児が巧くなり始めるからだ。帰宅すれば多少は育児の手伝いをするが、妻に取って代わるほどの育児などしないものだ。子供が3人以上生まれてしまえば、最早、妻一人の手では処理できなくなるので、育児に対して本格的に手伝いをし始めるものだ。そうやって本格的に育児に参加しても、自分の仕事に支障を来たすようなことはしないものだ。

 父親が父親たりえるのは、働いてお金を稼いで、妻子を養うからなのである。それゆえ外で働きもしない「主夫」は、産みの父親であっても育ての父親ではないのだ。幾ら父親が自宅で育児をしても、働いてお金を稼ぐことをしなければ、育ての父親としては失格なのである。裕福になれば必ず異常な人間たちが出て来るから、子供を産んだというのに、育児そっちのけで働きに出てしまう母親たちが出て来るが、だからといって夫が働きもせずに、育児をしていい訳がないのものなのだ。

 男性というのは、自分で妊娠することも出産することもないから、父親としての実感をきちんと抱けないものなのだ。そのため妻子を持つ男性たちだけの組織に参加して、父親としての訓練を受けるものなのである。父親が仕事で忙しいのに、妻は育児を手伝ってくれと懇請しているのに、男同士の付き合いを優先するのは、そういうことをしないと、父親として成長することができないからなのである。

●落ち零れの親たちの言動に惑わされるな

 人間は繁栄しようと思えば裕福になっていかざるをえない。しかし人間は裕福の中で人間らしさを失って行く動物でもあるのだ。経済的に豊かな社会だからこそ、「豊かさの中の貧困」という得体の知れない現象が出て来るものなのである。裕福ではあっても、母性愛を出さない母親、父性愛を出さない父親というのは、必ず出て来るものなのである。

 そういった異常な現象に対して、キリスト教なら「愛」を唱え、仏教なら「空」を唱え、人権主義者なら「人権」を唱えて、どうにか救済しようとすることだろう。しかしそんなことをやっても解決することはないのだ。キリスト教徒たちが幾ら愛を唱えても、キリスト教徒の中で育児放棄をする連中は跡を絶たないし、仏教徒が幾ら空を唱えても、家族を解体することなどできないのだ。人権主義者が子供の人権を唱えれば唱えるほど、子供たちは悲惨な目に遭う事件が多発して行くことだろう。

 繁栄の中でも真っ当な親で居続けるためには、敬虔な宗教心が必要だし、更に父親には父親だけの組織というものが必要なのである。そうやって神の下で謙虚になり、親は親で居続ける努力をすべきなのである。母親だからこそ子供に食事を作り、父親だからこそ働いてお金を稼いで来るのである。

 より突っ込んで言うなら、育児でお金がかかる時だからこそ、他人に慈善を施すべきなのである。最大でも収入の10%までなら慈善に回せるものだ。どんなに家計が苦しくても、収入の5%でも出そうと思えば出せるものだ。そうやって強制的に自分たち家族を貧しくさせることで、「豊かさの中の貧困」という得体に知れない現象が起きないにさせるのである。慈善にお金を費やして家計を貧しくさせた方が、夫も妻も親として健全でいられるようになるものなのである。

 豊かな社会になってしまうと、この当たり前のことが失われてしまうから、異常な親たちが出現して来るものだ。マスコミはきちんと育児をしている夫婦たちの報道をしないくせに、児童虐待をする親や、子供を殺した親などのニュースをセンセーショナルに報道して来るものだ。そういった親たちは親として落ち零れなのであって、そういう親たちの言動には惑わされてはならないのだ。

 母親が子供に毎日食事を作り続けるのは大変だと言えば大変だ。父親が妻子のために毎日働き続けるのは大変だと言えば大変だ。しかしその大変なことの中に、様々な楽しさがあるのであって、そして何より自分の生命が充実しているものなのである。大変だからといって自分がやるべきことを放棄するのではなく、大変ならそれを合理化して楽しめるようにすればいいのである。

 例えば母親は場当たり的に料理を作って行くのではなく、きちんと料理の勉強をし、献立を立てて、料理して行けばいいのだ。父親は自分の仕事を見直して、不要な仕事を削減して、重要な仕事に絞り込み、更に新しい仕事に取り組むなら、生産量が激増するものなのである。そういう工夫をしていけば、「育児が大変だ」とか「仕事が大変だ」と言わなくなるものなのである。

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コメント

アドバイス 有難うございましたhappy01
あまり 神経質にならないように 頑張ってみますhappy01
質問ですが四十代 前半の 精子は元気なのでしようか?
個人差はあると思いますが 精子を健康にする方法や食べ物はありますか?

投稿: あやのん | 2010年5月17日 (月) 20時30分

 あやのんさん、男性の場合、女性と違って、加齢によって徐々に精子が減少していくだけで、基本的に何歳であっても妊娠させるのは可能なんです。

 但し、気をつけるべくは、使わないと劣化してくるということなんです。
 ペニスは海綿体で出来ているために、ペニスを余りにも長く使わないと海綿体が衰えてしまい、ペニスが小さくなってしまうんです。
 そのため精子の量が更に減少してしまうことになるんです。
 精子というのは3日あれば溜まるので、本来なら3日置きに射精するのが望ましいんです。
 しかし女性にも性欲というものがあるので、そんなに多くの回数はできず、少なければ月に1回とかなってしまうんです。

 健康な精子を作るためには珈琲の飲み過ぎは禁物です。
 せいぜい1日1杯か2杯に抑えておくべきです。
 カフェインは遺伝子の生成を阻害することになるので、珈琲を飲み過ぎている男性は女性を妊娠させるだけの精子をもてなくなるんです。
 しかも珈琲は勃起力を衰えさせてしまうので、インポになりやすいんです。
 バイアグラが珈琲好きのアメリカ合衆国で開発されたのは偶然ではないんです。珈琲を飲み過ぎてしまうと、インポになってしまうんです。

 それから運動することは非常に大事です。
 足の裏には精巣を刺激するツボがあるので、歩行する量が少ない男性の精子は非常に弱くなってしまいます。
 1日1時間は必ずウォーキングをするべきなんです。
 それとスクワットして太股を鍛えておくことです。
 ここの筋肉が弱いと、どうしてもセックスに耐えうるだけのパワーがなくなってしまうし、いざ射精しようとした時に、勢いよく精子が飛び出していかなくなってしまうんです。
 それゆえ、夫婦で一緒にウォーキングをするとか、スクワットをするとかして、日頃から体を鍛えておくと、あやのんさんにとっても性生活を満喫できるようになると思います。


happy01 happy01 happy01

投稿: タマティー | 2010年5月18日 (火) 06時47分

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