今後、日本がワールドカップで優勝するための秘策
●ワールドカップで優勝したければ、慈善活動をせ
今回のワールドカップは優勝できなかったとはいえ、収穫の多い大会であった。なんせ日本のサッカーチームが初めて戦術を習得することができたからだ。戦術さえ習得できれば、自分たちが弱いチームであったとしても、試合に勝てることができるのだ。日本はこの大会でやっと国際水準に到達することができたのである。
嘗てジーコが監督だった時代、ジーコ監督は日本の選手たちに自由にプレイするよう指導していたのだが、当時の日本の選手たちはこれが全然できなかった。自由なプレイとは、選手全員が戦術を習得した上で出来るものであって、戦術も習得せずに選手個人が自由に動いたら組織はバラバラになってしまうのだ。もしも将来、日本がワールドカップで優勝した時には、是非とも会場にジーコを呼び、優勝の感動をジーコに捧げるべきなのである。
今回の日本のサッカーチームの善戦のために、日本国内ではサッカーが活気づくであろうが、では、日本が今後、ワールドカップで優勝するためには、一体何をすればいいのだろうか? もしも日本のサッカーチームがワールドカップで優勝したいのなら、慈善活動を行うべきなのである。ワールドカップのような試合で勝ち続けて行くためには、実力は勿論必要だが、「運」というのもそれ以上に必要なのだ。慈善活動こそ運勢を増大させるものなのである。
16強は殆どレベルは同じようなものである。では、どこのチームが勝つかといえば、それは運のいいチームが勝つのだ。スポーツをやったことがない人ほど、この「運」というものを馬鹿にしてくる。だからこそ勝てる筈の試合で勝てなくなってしまうのだ。運さえ良ければ、如何に弱いチームであっても、偶然が偶然を呼び、劇的な勝利を獲得することができてしまうのだ。
運命学でいうなら、優れたサッカーチームを作るために、人材や物資や資金を投入するのは、「陽徳」というものであって、慈善活動のようなものは、「陰徳」と呼ばれるものである。今までにも日本のサッカー選手たちは、子供たちと無料でサッカー教室を開いたりしていたのであるが、サッカーという枠を超えて、サッカーとは全く関係のない人たちにまで慈善を施すことで、自分たちの陰徳を積んでいくようにすべきなのである。
●南アフリカ共和国の貧困は我々の想像を絶している
南アフリカ共和国の貧困は、繁栄を謳歌している日本人にとっては想像を絶するものなのである。嘗て植民地に転落することで一切の富を奪われ、独立してからも長らく「人種隔離政策」を受けたために、南アフリカの黒人たちは貧困の中に叩き落とされてしまい、しかもそこから抜け出せなくなってしまったのだ。
俺はいつも個人の貧困は自分の責任なのであって、自分が努力によって克服して行くべきであるという主張をしているのであるが、場所が南アフリカ共和国に移ってしまうと、その主張を貫くことはできんくなってしまう。最早、個人の努力ではどうしようもできない貧困だからだ。
通常、この黒人たちの貧困を解消させるためには、白人たちから一切の財産を没収し、それを黒人たちに分配する方法でしか、貧困を解決することはできない。南アフリカ共和国の白人たちの所有権は如何なる正当性をも確保されていないので、その富を奪うことでしか貧困を解決することはできないのだ。
しかし、このような社会主義者たちでさえ躊躇してしまうような革命的な政策は、実際問題として、黒人革命が発生しない限り、実施することはできないことだろう。黒人が南アフリカ共和国の大統領になった所で、貧困問題は解決されないのだ。貧困問題に終止符を打つのは、黒人革命あるのみなのである。
南アフリカ共和国の貧困を政治的にどのように解決して行くのは、南アフリカ共和国の国民に任せるべきであるが、我々日本人ができることは、少しでいいから、地道に慈善を施して行くことなのである。日本人が施した慈善によって貧困から脱出できたのなら、貧困は徐々にではあるが減少して行くからだ。
●日本サッカー慈善活動財団を作れ
慈善活動をするためには、莫大な資金を必要とする。日本のサッカー選手たちが着たユニフォームをオークションにかけ、その売上金を基金とするのである。少なく見積もっても数億円になるから、これを種銭とすればいいのだ。更にサッカーファンたちに募金に応じて貰い、基金を数十億円程度にする。サッカーファンは試合になるといつも騒がしいことを仕出かすので、せめて募金に応じることで罪滅ぼしをしてほしいものだ。
それから日本サッカーチームの協賛企業に対して寄付金を募るのだ。巧く行けば、100億円程度になることだろう。その資金で以て財団法人を作り、日本サッカー慈善活動団体と銘打って活動するのである。基金を市場で運用して利益を出し、その利益を使って南アフリカ共和国の貧しい黒人たちに与えるのである。こうすれば基金を使いきって終わりではなく、永続的に慈善活動を行い続けることができるのである。
南アフリカ共和国全土に対して慈善を行うのではなく、日本のベースキャンプ地だった「ジョージ」に集中的に慈善金を投入して行くことだ。貧困問題を解決する場合、満遍なく慈善金を施すより、集中的に遣ってしまった方が効果的なのである。よく慈善団体が心意気だけは高くて、全土に対して慈善を施そうとするのだけど、結果的には失敗してしまうものだ。少ない資金でありながら、効果的に貧困から抜け出させてあげるためには、どこか特定の地域に対して集中に資金を投入するしかないのである。
具体的には資金を治療費に使うべきだろう。国民健康保険に慣れてしまった日本人には解らないだろうが、家計を破壊してしまう最大の原因が治療費なのである。医者というのは貧乏人相手に高額な治療費を請求して来るので、そのために家計が破壊されてしまうのである。だから病気をしている子供たちに対して優先的にお金を与えて、その子供の両親が家計を破壊されないようにしてあげるべきなのである。
ジョージは日本が外国で開催されたワールドカップで初めて予選リーグを突破できたのだから、こういう幸運を大事にすることである。ジョージの人々の手助けがあればこそ決勝トーナメントに出場できたのであり、それゆえジョージの人々に何かしらの恩返しをすることは絶対に必要なのである。
●果たして、これができる人材が日本サッカー協会にいるのかが問題なのである
今後、ワールドカップが開催されるたびに、日本がベースキャンプ地にした都市に対して、慈善活動を行って行くようにするのである。そうなれば日本のサッカーチームがベースキャンプ地にしてくれれば、慈善を施してくれると思って、その都市の人々は日本を応援してくれるようになるのだ。異国の地に於いて、外国人が日本の味方になってくれるのは、これほど有難いことはないのだ。
問題は日本サッカー協会に、これをできる人材がいるかがということなのである。ワールドカップでで勝つためには、監督や選手は勿論大事であるが、それ以外の思わぬ人材も必要なのである。監督や選手たちには、なんで慈善活動をそんなに熱心にやらねばならないのかと思ってしまうが、慈善活動によって陰徳を積まない限り、日本はワールドカップで優勝するこよはできないのだ。
嘗て日本サッカー協会は、Jリーグを発足させる時、全てのサッカーチームに企業名を出すことを禁止した。「西ヨーロッパではサッカーチームは飽くまでも都市に住む市民のためのサッカーチームであって、企業のためのサッカーチームではない」と言いきった人物が協会内いたのであう。もしもJリーグで企業名を出すことが認められてしまったのなら、日本のサッカーはプロ野球のようになってしまった筈であり、市民からの盛り上がりというものが全く存在しないプロリーグになっていた筈だ。
今回、日本はデンマークを第一次リーグで破ることによって、決勝トーナメントに出場できたが、日本のサッカーチームはデンマークチームに及ばぬ所が多々あるのである。嘗て日韓大会でデンマーク選手たちは和歌山県に滞在し、そこで心臓病を患っている少年が手術費用が足りなくて、募金をしている姿を見たのだ。そこでデンマークの選手たちは自分たちのユニフォームをオークションにかけ、その売上金を全額寄付してきたのだ。それでその少年は心臓病の手術をすることができ、病気を完治させることができたのである。日本のサッカーチームはデンマークチームに対してピッチの上では勝つことができたが、ピッチの外では完敗しているものなのである。
慈善活動は一時的に行ってはならない。慈善活動は地道に活動し続けるからこそ、問題は解決されて行くのである。そして地道な慈善活動は運を呼ぶである。こういうことは、サッカーを真面目にやっている選手には解りにくいものだし、熱狂的なサッカーファンでは尚のこと解らないものだ。しかし冷静になって、今回の南アフリカ大会で日本のサッカーチームが有名になったらかこそ、この時期に慈善活動に着手していくべきなのである。慈善活動というのは効果が出て来るのは遅いものだが、効果が出て来るようになると、その陰徳が強烈に作動し始め、日本のサッカー選手たちにワールドカップのトロフィーを与えてくれるようになるのである。
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