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2010年6月

今後、日本がワールドカップで優勝するための秘策

●ワールドカップで優勝したければ、慈善活動をせ

 今回のワールドカップは優勝できなかったとはいえ、収穫の多い大会であった。なんせ日本のサッカーチームが初めて戦術を習得することができたからだ。戦術さえ習得できれば、自分たちが弱いチームであったとしても、試合に勝てることができるのだ。日本はこの大会でやっと国際水準に到達することができたのである。

 嘗てジーコが監督だった時代、ジーコ監督は日本の選手たちに自由にプレイするよう指導していたのだが、当時の日本の選手たちはこれが全然できなかった。自由なプレイとは、選手全員が戦術を習得した上で出来るものであって、戦術も習得せずに選手個人が自由に動いたら組織はバラバラになってしまうのだ。もしも将来、日本がワールドカップで優勝した時には、是非とも会場にジーコを呼び、優勝の感動をジーコに捧げるべきなのである。

 今回の日本のサッカーチームの善戦のために、日本国内ではサッカーが活気づくであろうが、では、日本が今後、ワールドカップで優勝するためには、一体何をすればいいのだろうか? もしも日本のサッカーチームがワールドカップで優勝したいのなら、慈善活動を行うべきなのである。ワールドカップのような試合で勝ち続けて行くためには、実力は勿論必要だが、「運」というのもそれ以上に必要なのだ。慈善活動こそ運勢を増大させるものなのである。

 16強は殆どレベルは同じようなものである。では、どこのチームが勝つかといえば、それは運のいいチームが勝つのだ。スポーツをやったことがない人ほど、この「運」というものを馬鹿にしてくる。だからこそ勝てる筈の試合で勝てなくなってしまうのだ。運さえ良ければ、如何に弱いチームであっても、偶然が偶然を呼び、劇的な勝利を獲得することができてしまうのだ。

 運命学でいうなら、優れたサッカーチームを作るために、人材や物資や資金を投入するのは、「陽徳」というものであって、慈善活動のようなものは、「陰徳」と呼ばれるものである。今までにも日本のサッカー選手たちは、子供たちと無料でサッカー教室を開いたりしていたのであるが、サッカーという枠を超えて、サッカーとは全く関係のない人たちにまで慈善を施すことで、自分たちの陰徳を積んでいくようにすべきなのである。

●南アフリカ共和国の貧困は我々の想像を絶している

 南アフリカ共和国の貧困は、繁栄を謳歌している日本人にとっては想像を絶するものなのである。嘗て植民地に転落することで一切の富を奪われ、独立してからも長らく「人種隔離政策」を受けたために、南アフリカの黒人たちは貧困の中に叩き落とされてしまい、しかもそこから抜け出せなくなってしまったのだ。

 俺はいつも個人の貧困は自分の責任なのであって、自分が努力によって克服して行くべきであるという主張をしているのであるが、場所が南アフリカ共和国に移ってしまうと、その主張を貫くことはできんくなってしまう。最早、個人の努力ではどうしようもできない貧困だからだ。

 通常、この黒人たちの貧困を解消させるためには、白人たちから一切の財産を没収し、それを黒人たちに分配する方法でしか、貧困を解決することはできない。南アフリカ共和国の白人たちの所有権は如何なる正当性をも確保されていないので、その富を奪うことでしか貧困を解決することはできないのだ。

 しかし、このような社会主義者たちでさえ躊躇してしまうような革命的な政策は、実際問題として、黒人革命が発生しない限り、実施することはできないことだろう。黒人が南アフリカ共和国の大統領になった所で、貧困問題は解決されないのだ。貧困問題に終止符を打つのは、黒人革命あるのみなのである。

 南アフリカ共和国の貧困を政治的にどのように解決して行くのは、南アフリカ共和国の国民に任せるべきであるが、我々日本人ができることは、少しでいいから、地道に慈善を施して行くことなのである。日本人が施した慈善によって貧困から脱出できたのなら、貧困は徐々にではあるが減少して行くからだ。

●日本サッカー慈善活動財団を作れ

 慈善活動をするためには、莫大な資金を必要とする。日本のサッカー選手たちが着たユニフォームをオークションにかけ、その売上金を基金とするのである。少なく見積もっても数億円になるから、これを種銭とすればいいのだ。更にサッカーファンたちに募金に応じて貰い、基金を数十億円程度にする。サッカーファンは試合になるといつも騒がしいことを仕出かすので、せめて募金に応じることで罪滅ぼしをしてほしいものだ。

 それから日本サッカーチームの協賛企業に対して寄付金を募るのだ。巧く行けば、100億円程度になることだろう。その資金で以て財団法人を作り、日本サッカー慈善活動団体と銘打って活動するのである。基金を市場で運用して利益を出し、その利益を使って南アフリカ共和国の貧しい黒人たちに与えるのである。こうすれば基金を使いきって終わりではなく、永続的に慈善活動を行い続けることができるのである。

 南アフリカ共和国全土に対して慈善を行うのではなく、日本のベースキャンプ地だった「ジョージ」に集中的に慈善金を投入して行くことだ。貧困問題を解決する場合、満遍なく慈善金を施すより、集中的に遣ってしまった方が効果的なのである。よく慈善団体が心意気だけは高くて、全土に対して慈善を施そうとするのだけど、結果的には失敗してしまうものだ。少ない資金でありながら、効果的に貧困から抜け出させてあげるためには、どこか特定の地域に対して集中に資金を投入するしかないのである。

 具体的には資金を治療費に使うべきだろう。国民健康保険に慣れてしまった日本人には解らないだろうが、家計を破壊してしまう最大の原因が治療費なのである。医者というのは貧乏人相手に高額な治療費を請求して来るので、そのために家計が破壊されてしまうのである。だから病気をしている子供たちに対して優先的にお金を与えて、その子供の両親が家計を破壊されないようにしてあげるべきなのである。 

 ジョージは日本が外国で開催されたワールドカップで初めて予選リーグを突破できたのだから、こういう幸運を大事にすることである。ジョージの人々の手助けがあればこそ決勝トーナメントに出場できたのであり、それゆえジョージの人々に何かしらの恩返しをすることは絶対に必要なのである。

●果たして、これができる人材が日本サッカー協会にいるのかが問題なのである

 今後、ワールドカップが開催されるたびに、日本がベースキャンプ地にした都市に対して、慈善活動を行って行くようにするのである。そうなれば日本のサッカーチームがベースキャンプ地にしてくれれば、慈善を施してくれると思って、その都市の人々は日本を応援してくれるようになるのだ。異国の地に於いて、外国人が日本の味方になってくれるのは、これほど有難いことはないのだ。

 問題は日本サッカー協会に、これをできる人材がいるかがということなのである。ワールドカップでで勝つためには、監督や選手は勿論大事であるが、それ以外の思わぬ人材も必要なのである。監督や選手たちには、なんで慈善活動をそんなに熱心にやらねばならないのかと思ってしまうが、慈善活動によって陰徳を積まない限り、日本はワールドカップで優勝するこよはできないのだ。

 嘗て日本サッカー協会は、Jリーグを発足させる時、全てのサッカーチームに企業名を出すことを禁止した。「西ヨーロッパではサッカーチームは飽くまでも都市に住む市民のためのサッカーチームであって、企業のためのサッカーチームではない」と言いきった人物が協会内いたのであう。もしもJリーグで企業名を出すことが認められてしまったのなら、日本のサッカーはプロ野球のようになってしまった筈であり、市民からの盛り上がりというものが全く存在しないプロリーグになっていた筈だ。

 今回、日本はデンマークを第一次リーグで破ることによって、決勝トーナメントに出場できたが、日本のサッカーチームはデンマークチームに及ばぬ所が多々あるのである。嘗て日韓大会でデンマーク選手たちは和歌山県に滞在し、そこで心臓病を患っている少年が手術費用が足りなくて、募金をしている姿を見たのだ。そこでデンマークの選手たちは自分たちのユニフォームをオークションにかけ、その売上金を全額寄付してきたのだ。それでその少年は心臓病の手術をすることができ、病気を完治させることができたのである。日本のサッカーチームはデンマークチームに対してピッチの上では勝つことができたが、ピッチの外では完敗しているものなのである。

 慈善活動は一時的に行ってはならない。慈善活動は地道に活動し続けるからこそ、問題は解決されて行くのである。そして地道な慈善活動は運を呼ぶである。こういうことは、サッカーを真面目にやっている選手には解りにくいものだし、熱狂的なサッカーファンでは尚のこと解らないものだ。しかし冷静になって、今回の南アフリカ大会で日本のサッカーチームが有名になったらかこそ、この時期に慈善活動に着手していくべきなのである。慈善活動というのは効果が出て来るのは遅いものだが、効果が出て来るようになると、その陰徳が強烈に作動し始め、日本のサッカー選手たちにワールドカップのトロフィーを与えてくれるようになるのである。

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夫婦仲はいい筈なののに、どうして夫婦喧嘩が起こるのか?

●人間は放置しておくと脳がネガティブモードになる

 夫婦仲はいい筈なのに、夫婦喧嘩をしてしまう。そういうことは如何なる夫婦でもあることだ。その原因として考えられるのは、そもそも夫婦の相性が悪いということだ。自分にとって相性の良くない相手と結婚してしまったために、年柄年中、夫婦喧嘩をしてしまうのだ。こういう夫婦は離婚すべきだし、もしも離婚したくないのであるなら、夫婦の距離を置くしかないのだ。

 これ以外の原因は、脳のメカニズムにある。人間の脳というのは、放置しておくとネガティブモードになり、相手の悪い部分しか見ようとしなくなってしまうものなのだ。特に女性の場合、結婚式を挙げることで最大量のドーパミンが文筆されてしまい、一気に極楽気分になれるのだが、その効果は3年程度しか持たないのだ。だから結婚して3年も断ってしまうと、恋愛感情が薄れてしまうのである。

 夫婦間の恋愛を維持するためにも、結婚してから3年以内に赤ちゃんを産むべきなのである。夫婦で恋愛だけをしているのではなく、妊娠や出産や育児をするからこそ、再び脳をポジティブモードにすることができ、それがまた3年の間続くことになるのだ。子供を最低でも3人作れというのは、3人も子供を作れば、結婚してからの10年間は、新婚生活と妊娠出産育児に追われることによって、脳は常にポジティブモードになり、結果として夫婦生活はポジティブモードとして固定されてしまい、常に楽しい家族になってしまうのである。

、孤独は脳をネガティブモードにさせるので、要注意なのである。結婚しても子供を作らないとか、子供を作っても1人しかいないと、妻は閑を持て余すようになるので、孤独になってしまう時間が多くなってしまうのだ。そのため孤独になればなるほど、脳はネガティブモードになって行き、結婚に喜びを感じることができなくなってしまうのだ。

 夫婦喧嘩が起こる場合、その夫婦喧嘩の引き金になって直接の原因よりも、妻の脳がネガティブモードになっていることの方が問題なのだ。家事や育児に追われていれば、脳はネガティブモードになっている閑などないのに、閑があるからこそ、良からぬことを考えてしまい、自分の脳をネガティブモードにさせてしまうのである。そこに夫が帰宅してくれば、格好の餌食が遣って来たことになるのだ。それで夫婦喧嘩が発生してしまうのである。

●自己規定と目標設定

 結婚して幸せになりたいのなら、夫が自分を幸せにすると考えるのではなく、自分が夫や子供たちを幸せにするという考えに変えてしまうことだ。プロポーズの際に夫はあなたを幸せにしますと言うものだが、それは結婚式の時点で契約を履行し終えたのであって、後は自分が夫を幸せにし、子供たちを幸せにして行かなければならないのだ。

 そのためには自分を自己規定してしまうことだ。自分が「妻」であると自己規定するなら、家事に精を出し、炊事や掃除や洗濯を正確にこなすようになる筈だ。自分が「妊婦」であると自己規定するなら、酒やタバコを飲まず、食事に気をつけるようになるし、運動に精を出すようになるものだ。自分が「母親」であると自己規定するなら、子供のことを最優先に考えて、子供のためなら努力を惜しまないものだ。

 自己規定できるということは、自分の現状を正しく認識できるということなんである。自分が妻であり、妊婦であり、母親であると自己規定できるなら、最善の選択肢を取り続けることができるものだ。自己規定せず、自分勝手に生きているからこそ、出鱈目な行動を取りまくってしまうのである。

 この自己規定は妻の方が夫よりも早く行うことになるのだ。女性は結婚式を挙げた時点で妻として自覚を持つことになるのに、男性は結婚しても長らく夫としての自覚を持たないものだ。女性は赤ちゃんを出産した時点で母親としての自覚を持つことになるが、夫は父親としての自覚を持つのは、3人目の子供が生まれた頃からである。そのため妻が自己規定をしっかりとしておかないと、夫はいつまで経っても自己規定をしてこようとしなくなるのだ。

 自己規定ができたのなら、夫婦としての共通目標を持つことだ。自分たち夫婦はどのような生活をしたいのか、夫婦で思い描き、それを紙に書き出していくのだ。絵が描けるのであるなら、それを絵にしてしまうことだ。それを夫婦の共通目標にしてしまうと、短期間で実現して行くことが可能になるのだ。結婚に於ける幸せというのは、その共通目標を実現して行く過程に幾らでも発生して来るものなのである。

●自分が手にする情報には気をつけろ

 自分たち夫婦の結婚を幸せなものにし、夫婦喧嘩を可能な限り抑えていくためには、自分が日頃から手にする情報には気をつけることだ。新聞やテレビでネガティブな情報を受け続けてしまえば、自分たち夫婦は仲がいい筈なのに、些細なことで夫婦喧嘩をしてしまうようになるからだ。

 新聞記者はその職業柄、婚期が送れる傾向にあるので、婚期が遅れてしまった新聞記者はその嫉妬から結婚を否定的に扱う記事を書いて来るものだ。そういう新聞記事を読めば、朝っぱらから気分を害することになってしまい、その八当たりが夫に行ってしまうのだ。結婚に対して否定的な記事を書いて来るような新聞は、即刻、定期購読を中止してしまうことだ。

 既婚女性が気をつけるべきは、テレビであって、夫婦が自宅にいるのにテレビをつけてしまうと、夫婦の会話量が激減してしまうものだ。そのため視たい番組があるならその番組をみるべきだが、それ以外ではテレビを消すようにすることだ。テレビを消してしまえば、自然と夫婦の会話量は多くなり、幾らでも楽しいことを作り出すことが可能になるのだ。

 ママ友は飽くまでも育児だけの繋がりがある女性たちなので、ママ友の中には碌でもない女性が潜んでいるものなのである。特に夫に対して限度を超えた悪口を言っているようなママ友とは付き合うのをやめた方がいい。そういう女性は夫に対してだけでなく、誰に対しても悪口を言っているものなのだ。勿論、あなたに対しても、知らぬ所で悪口を言っているものなのである。

 それと保母や教師の意見を鵜呑みにしないことだ。確かにその意見には一理あるかもしれないが、別に大したことではないのが殆どなのだ。保母や教師たちは真面目になりすぎているために、子供のどうでもいいような欠点を指摘して来るものなのだ。その欠点を矯正しようとすれば、我が子の長所すら消滅してしまうものなのである。真面目すぎる人は馬鹿な人間よりも危険なものなのである。

●母親が成長していないと、子供が悲惨な目に遭う

 結婚しているなら、絶対に性格の一致を求めるな。夫婦であったとしても性格は一致する訳がないのだ。夫婦だからこそ、違う性格を持っているのであって、その違う性格を使って、双方の欠点を補い、長所を伸ばして行けばいいのである。性格の一致を求める女性は、常に夫と喧嘩してしまうものだし、子供たちとだって喧嘩しまくってしまうものだ。

 夫婦喧嘩が発生した場合、その夫婦喧嘩自体が問題よりも、夫婦双方が夫として妻としてしていないことがあるからこそ、喧嘩してしまったのである。要は自分たち夫婦が成長していないからこそ、夫婦喧嘩をしてしまい、その異常事態を知ることになるのだ。結婚したのに成長しなければ、夫も妻も歪んでいくものなのである。その歪みが夫婦喧嘩として出て来たにすぎないのだ。

 母親が成長していないと、子供が悲惨な目に遭うものだ。健康な筈なのに病気に罹ってしまったり、交通事故に遭ったり、犯罪に巻き込まれてしまうものだ。そういう悲劇を起こすことで、その母親を恐慌状態に陥れてしまい、母親に改心を促すのである。もしもそれでも母親が改心しないのであるなら、子供の命を奪ってしまうことになるのだ。子供は母親の身代わりとなって、その代償を支払うことになるのだ。

 夫婦喧嘩をして幸せになる夫婦などいないものだ。その夫婦喧嘩をどう処理したとしても、長らく気まずい雰囲気は流れ続けるものだ。だから夫婦喧嘩は可能な限りしないことだ。自己規定をしっかりとして、夫婦共通の目標に向かって前進して行くべきなのである。自分たち夫婦に夢があるなら、夫婦喧嘩などいている暇はないのだ。

 結婚したら、生涯一緒で有り続けるんだなと思いつつも、人間のポジティブモードは3年間しか持たないと肝に銘じておくことだ。常に3年以内に出来ることを定めて、それを自実現して行くことだ。そして3年後に再び新たな目標を設定して、それを実現して行くことだ。そうすれば夫婦として幾らでも幸せを作り出すことが可能になるのだ。

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特別企画「岡田ジャパンはベスト4になれるのか?」

●サッカーの基本

 日本のサッカーチームが歴史的快挙を成し遂げてくれた。サッカーワールドカップ南アフリカ大会で遂に第一次リーグを突破できたのだ。自国開催の時には第一次リーグを突破できたのだが、海外で開催されるワールドカップでは今回が初めてなのだ。それだけ第一次リーグを突破するのは非常に難しかったのだのだ。

 それにしても、日本のサッカーチームはいつもこの第一次リーグでボロ負けに近い負け方をし続けて来た。それは監督や選手たちが「サッカーの基本」というものを全く理解していなかったからだ。サッカーの基本が解っていないからこそ、日本国内で一流の人材を集めても、海外に出ればボロ負けしてしまうのだ。

 そもそもサッカーは古代ローマ共和国の軍隊内で、敵の兵士の頭を切り落とし、それを蹴り合っていたスポーツに由来する。そのためサッカーは軍事的要素を大量に含んでいるのであって、軍隊を所持し、規律正しい軍隊が存在し、軍事学を研究されている国家であるならば、その国のサッカーは自然と強くなるのだ。

①守って攻める

 サッカーの基本の筆頭は「防御7割、攻撃3割」なのである。どこの軍隊でもこの「防御7割、攻撃3割」を維持するからこそ、戦争に勝てるのであって、このバランスを崩してしまうと、如何に強い軍隊でも簡単に負けてしまうのである。サッカーでも「防御7割、攻撃3割」を維持すれば、敵の攻撃に耐えに耐えていれば、敵の陣形が崩壊してしまい、そこを突いて反撃に転じると、点が入るようになっているのだ。

 今回、日本のサッカーチームはワールドカップ開催前の試合で負け続けたために、監督と選手一同が集まって話し合い、その結果、「自分たちは弱いチームなんだ」という結論に達したのである。弱いチームだからこそ、守りを大切にして、数少ない攻撃のチャンスを物にできるようになったのである。

②個人戦ではなく組織戦

 マスコミではサッカー選手の絶妙な個人技を称賛する傾向にあるのが、これは根本的に間違っている。サッカーは個人戦ではなく組織戦だから、組織戦ができるのであるならば、必ず勝てるようになっているのだ。スーパースターを出した時点で、そのサッカーチームは必ず負けるようになっている。それはそのサッカーチームが個人に頼るばかりで、組織戦を忘れてしまっているからだ。

③試合に耐えられる体力

 サッカーは90分+ロスタイムがあるので、最大で100分間続くハードな試合だ。これに延長戦が加わると更に30分増加するので、それに耐える体力がないとできないものなのである。サッカーの強い国は、「小麦」や「牛肉」を食べる国民であって、日本人のように「白米」や「豚肉」を食べていれば圧倒的に不利になってしまうのだ。

 日本のサッカー選手にありがちなのが、試合中にバテたり、集中力を切らしたりする減少なのだが、これは白米や豚肉を食べているからこそ、そうなってしまうのである。牛肉には良質な鉄分が含まれているので、なかなかバテないし、小麦にはグルテンが入っているために脳は集中力を切らさなくなるのだ。今回でも矢張り海外組の活躍が目立つが、日本のサッカー選手が海外に行くことによって、白米や豚肉の食生活から解放されたからこそ、強い体力を発揮することができるようになったのである。

●対パラグアイ戦

 日本の岡田武史監督は「ベスト4入り」を目標にしているが、サッカーの基本がしっかりと出来ていれば、この目標は実現可能なのである。後は対戦するチームとの力量の格差だけが問題であって、敵のチームの長所を封殺し、弱点を突いていけば、必ず勝てるものなのである。

 まずは対パラグアイ戦である。パラグアイは南米の小国でありながら、サッカーは恐ろしいほどまでに盛んで、そして強い。戦術は基本的に日本と同じで、守って攻めるタイプである。日本が敵の攻撃に耐え、陣形が崩れた時を見計らって、一気に攻め込めば、確実に点が入るものなのである。戦術が同じだと、攻めあぐねてしまい、どちらかが自分たちの戦術を変えてしまうので、最終的には忍耐力の勝負となるのだ。戦術を変えた方が確実に負けるものなのである。

 パラグアイの選手たちは、南米の選手らしくトリッキーなプレイを平気で使って来るのだ。このトリッキーなプレイは日本でもヨーロッパでも見られないために、日本の選手にとっては驚きだろうが、このトリッキーなプレイには絶対に騙されてはならない。トリッキーなプレイをすること自体が、戦術を忘れかけている証拠なのだ。

 気をつけるべきは、このトリッキーなプレイを出された時に、日本の選手が感情的になってしまうということだ。パラグアイの選手は審判の見えない所で反則技を出したりしてくるので、これをやられた選手の方は怒り心頭に達してしまうのだ。冷静になっていれば、勝てる相手なので、何をやられても平常心で戦い続けるべきなのである。

 日本はワールドカップでの経験値が少ないために、敵のチームに先制を許してしまうと、それを逆転するというのがなかなかできないものである。そのため前半で必ず1点を取るようにし、こちら側が先制してしまうことだ。先制してしまえば、2点、3点と取れるようになるのだ。

●対スペイン戦

 対パラグアイ戦に勝利した後には、スペインとポルトガルのどちらかと戦うことになる。スペインとポルトガルが戦えば、スペインが必ず勝つであろう。ポルトガルはロナウドというスーパースターを抱えているために、恐らく負けるだろうし、たとえ勝ったとしても、今回の日本の敵ではない。戦術がきちんとできているなら、個人戦に走るチームなど完膚なきまでにた叩きのめすことができるのである。

 スペインのプロサッカーリーグは世界最高レベルをマークをしているので、スペインのチームは必ず日本を舐めて来る筈だ。スペインのサッカー選手から見れば、平気でパスミスをやってしまう日本のサッカー選手など評価することができないのだ。しかしスペインの選手が馬鹿にしてくれればくれるほど、日本にとって勝機が出て来るのである。

 岡田監督はベスト4入りを目指すためには、絶対にスペインを倒さねばならないし、選手たちはあのスペインと戦えるだけでも光栄なのである。しかもテクニックの巧い選手に対して、余りにも下手糞なプレイをしてしまうと、相手の選手は何か裏があるのではないかと勘ぐってしまい、判断ミスを連発してしまうのである。

 スペインの猛攻は非常に恐ろしいものなので、その猛攻を耐え忍べば幾らでもチャンスはあるのだ。猛攻を加えても、点が入らないと、相手チームは戸惑ってしまい、陣形が滅茶苦茶になっていくからだ。そこを速攻で狙えば、確実に点が入るようになるのだ。日本のサッカーチームにとっては、スペインに攻め込んで貰うのは大歓迎であって、攻めれば攻めるほど、浮足立ってしまうものなのである。

 対スペイン戦はどのような結果になるにせよ、名勝負になると思う。岡田監督は対スペイン戦に全力を投入して来る以上、如何に日本のサッカーの国際ランキングが低かろうとも関係なくなってしまうのだ。日本が勝てば劇的な勝利になるだろうし、負けてもスペインの選手たちから「日本の選手たちは良くやった」と褒め称えられるようになるであろう。

●ベスト4に進出できる可能性は充分にある!

 今の日本のサッカーチームの戦力を冷静に考えれば、ベスト4が限界点だと思う。本田選手のように優勝を狙うことも確かに大事なことではあるが、日本のサッカーはワールドカップで優勝できるほどの戦力を持っていないものだ。ベスト4入りできれば、万々歳なのである。

 もしもベスト4入りしたら、「アルゼンチン」「メキシコ」、「ドイツ」「イングランド」のいずれかの勝者と戦うことになる。メキシコを除けば、どのチームと戦っても、勝つ見込みはないであろう。恐らく日本のサッカー選手たちは対スペイン戦で体力を消耗しきっているので、試合も後半になってしまうと、急にバテてくるようになることであろう。

 アルゼンチンはマラドーナが監督に就任することによって、明らかにワールドカップでの優勝を狙いに来ている。ドイツとイングランドは共に戦術がしっかりと出来ているので、日本のようにやっと戦術を身に付けた連中にとっては苦しい戦いを強いられてしまうのだ。せいぜいイングランドが出て来た場合、イングランドの選手たちは感情的な選手が多いので、少しは勝機を見出せる程度である。

 今までの日本のサッカーは余りにもひどすぎたのである。今回のワールドカップでやっと国際レベルに到達することができたのである。勝つためには考えを変えて行かなければならないのである。日本のサッカー選手たちは試合に負けると、「日本のサッカーができなかった」と言い訳をしてくるものだ。日本のサッカーでは勝てなかったからこそ、負けたのであり、そのような戦いの仕方に拘ることなどないのである。

 戦術というものは、「科学モデル」であって、それを適用すれば如何なるチームであっても、勝つことができるのである。それが戦術の恐ろしさなのである。サッカー選手にとって大事なのは、努力して勝つことである。次に大事なのは努力して負けることなのである。努力して負けるからこそ、自分たちの欠点に気づくことができるのである。ワールドカップで試合をするなら、努力を尽くして戦い、未来に繋がる勝負をして欲しい。試合に勝てばそれを影響を受けて、サッカーをやろうとする子供たちが出て来るわけだし、試合に負けてもそれに影響を受けて日本のサッカーチームを改革しようと勢力が出て来るものなのである。

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ウィークエンドエッセイ 『喫煙者は文明の敵』

●肺炎で死にかけました

 姉から引っ越しの手伝いを頼まれた日、俺はどうも体調がすぐれなかったので、その依頼を断ることにした。なんとなく体がだるく、引っ越しの手伝いどころではないのだ。しかも最近の引っ越しや屋は至れり尽くせりのサービスを展開しているので、わざわざ引っ越しの手伝いに行く必要性はないと思ったのだ。

 しかしその経緯を姉から聞いた父親は、俺を怒鳴りつけて、「こういう時は手伝いに行くもんだろうが!」と言って来たので、渋々引っ越しの手伝いに行くことになった。それなのにそう言った父親は引っ越しの手伝いに参加せず、母親を寄越しただけなので、俺の方としては不満タラタラになってしまった。

 姉はどこでどう見つけて来たのか知らないけれど、超マイナーな引越し屋に頼んだので、通常の引っ越し屋では考えられないくらいに屈強の男たちがいた。恐らく小さな引っ越し屋ゆえに、ピンハネされることがなかったので、バイト代が非常に高かったのだろう。そのため引っ越し屋はテキパキと家財道具を運び出して行った。

 だが、姉は自宅の掃除をしたことがない女なのである。そのために大量の埃が舞いあがり、その埃のために俺は咳き込んでしまった。今から思うとマスクをしておけば良かったと思うけれど、その時点ではそこまで知恵が回らなかった。まさかこんなに埃が舞い上がるとは思わなかったからだ。

 そこに追い討ちをかけたのが、姉の喫煙である。引っ越しのためにストレスを感じていたらしく、10分ごとにタバコを吸うので、その煙で俺は更に咳き込んでしまった。しかも姉は引っ越しの最中、10分に1度、喫煙のために休憩するのだから、手伝いに来た俺と母親に大量の作業が来るようになり、凄まじいまでに疲労してしまったのだ。

 そして姉の引っ越しの手伝いを終えて帰ると、咳が止まらず、体はだるく、熱が出たので、寝込んでしまった。俺は1日寝れば治るかなと思ったのだが、翌朝はもっと悲惨で、咳は止まらないし、寝汗は凄いし、結果的に風邪をこじらせてしまって、肺炎を発症してしまったのだ。本当にこの肺炎に死にかけたといっていいくらい悲惨だったのだ。俺はこの肺炎を治すために半月も寝込んでしまい、肺炎が治った時には体がげっそりと痩せてしまったのだ。

●タバコは最強の発癌性物質

 俺はそれまで肺炎がこんなに恐ろしい病気だとは知らなかった。俺は若くて体力があったから良かったのであり、体力がなければ肺炎で死んでいた筈である。肺炎は日本人の死因でベスト5に必ず入る超恐ろしい病気なのであって、癌や白血病に匹敵するくらい恐ろしい病気なのである。

 しかし俺はあの肺炎には長らく疑問を抱き続けた。確かに体調がすぐれない時に引っ越しの手伝いに行ったのが悪かったのだが、俺は癌研究のために自分の体を使って様々な食品や薬草を試しに使っていたので、非常に健康になっていたのである。それなのに健康な俺が肺炎に罹って死にかけたのである。

 それが最近、或る医学書を読んでいたら、明確に解ったのである。俺は健康だっからこそ、肺炎に罹ったのである。肺炎で死ぬ場合、その人が既に他の病気で体力を衰退させ、免疫力が低いために肺炎に罹ってしまい死んでしまう場合と、その人が健康で体力が充実しているのに、環境が余りにも悪すぎると肺炎に罹ってしまい死んでしまうのだ。病弱だからこそ肺炎に罹る場合と、健康だからこそ肺炎に罹る場合の2つのパターンがあるのだ。俺はこの説明を聞いて、非常に納得してしまった。まさに俺は健康だからこそ肺炎に罹ってしまったのである。

 タバコは最強の発癌性物質である。タバコの煙を吸ってしまうと、体内のビタミンCを奪いつつ、体を酸化させていくので、当然に癌になっていくのである。喉頭癌などは喫煙が誘因なのであって、喫煙者だけが喉頭癌に罹り死ぬことになる。俺は引っ越しの際に、自分は喫煙しないのに、姉がタバコを吸っていたことで受動喫煙してしまい、そのために体が肺炎を起こすことで、タバコの害を外に追い出していたのである。

 そう説明されると、肺炎を患っていた時の行動に納得が行くのだ。俺はティッシュの箱を空にしてしまうくらいに、鼻水が出まくったし、咳き込むと痰が大量に出て来たので、あれは体内の毒素を体の外に追い出していたわけである。俺は健康だし、いつもは受動喫煙もしないので、あの引っ越しで体が異常に反応してしまったのである。

●喫煙は時間の無駄

 俺はあの引っ越しで人生最大の教訓を得た。それは「如何なることがあっても喫煙者と一緒に仕事をしない」ということである。俺は引っ越しの手伝いに来たのに、姉は喫煙の度に休憩するので、作業が全て俺に回って来てしまい、本末転倒になってしまったからだ。あれでは引っ越しの手伝いではなく、俺が引っ越しを仕切ったということになってしまったのだ。

 喫煙者に限って体力がないものである。肺がタバコの煙で汚染されているために、運動するために必要な酸素を供給することができなくなってしまうのである。仕事をしていれば、体力がある方が勝つのである。それなのに体力がないのだから、当然に仕事が巧く行かないのである。

 喫煙者に限って集中力が続かないものである。喫煙の度に休憩することになるのだから、集中力を使うことができなくなってしまうのだ。そのため集中力を使えば簡単に済む仕事でも、集中力を使わないために、延々と時間がかかってしまい、それで残業が発生するようになってしまうのだ。

 喫煙者に限ってネガティブになるものである。喫煙すれば体温を低下させるので、自分の心は常にネガティブになってしまうのだ。通常、仕事をする際、ポジティブに考えて作業を進めて行けば、次から次へと素晴らしい手を打って行けるものなのである。それなのにネガティブになってしまえば、悪い方へ悪い方へと引き摺られて行ってしまい、最悪の出来になってしまうのである。 

 俺はあの引っ越しで「喫煙は時間の無駄」というのことを明確に理解することになった。仕事をしている際は喫煙などせず、仕事をしてしまえば、仕事の時間を短縮できるものなのである。喫煙するからこそ時間がかかってまい、ダラダラと仕事をしてしまうようになり、仕事に凄まじい疲労感を感じてしまうようになるのだ。

●喫煙者を除去すると仕事が捗る

 俺は肺炎が治って以来、仕事をする際は喫煙者を除去することにした。喫煙者を除去してしまえば、仕事が捗ることになるからだ。喫煙者を外してしまえば、誰もが集中力を維持できるから、仕事が猛スピードで捗ることになるのだ。勤務時間中、集中して仕事を進めていけば、短時間で仕事が片付くものなのである。

 考えてみれば、俺の回りでも、仕事の出来る人は喫煙をしないし、仕事の出来ない奴に限って喫煙しているのだ。喫煙というのが如何に仕事にダメージを与えるのかが解るというものだ。喫煙者を除去してしまえば、自然と仕事のできる人々だけを集めることができるので、当然に仕事が捗ることになるのだ。

 結婚しているなら、夫婦ともども喫煙をしないことだ。禁煙してしまえば、家族の会話が充実することになるのだ。喫煙していると、常に下らない話で盛り上がってしまうので、その内、夫婦は会話しなくなってしまうようになるのだ。人間は下らない話で盛り上がることができるけど、それが毎回繰り返されれば。相手のことが嫌になってしまうのだ。

 しかも自分たち夫婦がタバコを吸わなければ、子供たちは受動喫煙することがないので、病気に罹る率が激減するのだ。勉強すればそれだけ脳は酸素を必要とするので、自宅がタバコの煙で汚染されていれば、高い知能を発揮することができないのだ。禁煙して自宅の空気が奇麗なら、当然に子供の知能が高くなって行くのだ。

 禁煙するなら病院の禁煙外来に行って禁煙してしまうことだ。医者が行う禁煙の治療は非常に高い確率で禁煙できることになるので、無理なく禁煙することができるのである。ニコチンは中毒症状を持っているので、自分で禁煙するということはなかなかできないものなのだ。仕事ができるようになるためにも、夫婦の仲を良くするためにも、子供たちを健康に育てるためにも、禁煙してしまうことだ。、

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「親の心、子知らず」「子の心、親知らず」

●親になれば、自分の子供の頃の気持ちを奇麗さっぱりと忘れているもの

 女性が結婚して赤ちゃんを産んで育てて行くと、母親の気持ちというのは解って来るようになる。自分が母親になったことで、自分の母親は育児の時にこのようなことに戸惑いながら育てて来たんだなというのが痛いほど解るようになる。それは自分が母親になった大事な証なのだ。

 しかしその一方で子供の気持ちは奇麗サッパリと忘れてしまっている。「自分が赤ちゃんの時に一体何を考えていたのだろう?」「自分が幼稚園児の時に一体何を考えていたのだろう?」「自分が小学生の時に一体何を考えていたのだろう?」、こういったことは全て忘れてしまっている。自分が最早、自分の親には従属していない以上、自分が子供の頃の記憶は全て忘れ去って行くものなのである。

 自分が親になるということは、自分の親の気持ちが解るようになるということ、そしてそれは同時に自分の子供の頃の記憶が消去されていくということなのである。母親になったというのに、いつまでも子供の頃の記憶を持っていては、育児などできるわけがないのである。忘れるからこそ育児ができるのである。

 人間の成長には大きく分けて、3つの段階がある。子供の頃は「従属の時期」であって、次が「自立の時期」であって、最後が「独立の時期」である。子供は親に従属することで育って行くが、思春期を迎えれば親から離れて行くことで自立し行き、結婚することによって独立して行く。

 だから、中学生になれば小学生の頃のことは忘れて行くものだし、結婚したら独身時代のことなど忘れて行くものだ。4歳児に起こる「記憶の消去」のような完全な記憶の消去は起こらないが、それに準ずるような記憶の消去が起こるのである。人間の脳は無限の能力を持っているとは言われてはいるが、大量の記憶を持ち続けることはできないのだ。忘れることによって、新たな情報が入って来るように仕向けるのである。

●親子の矛盾は絶対に必要である

 母親が子供の頃の記憶を忘れている以上、「親子の矛盾」は絶対に発生して来る。なんせ母親が子供の気持ちを忘れている以上、我が子の心を充分に理解し尽くすことはできないのだ。育児をしていれば、母親に様々な葛藤があって当然だし、子供の方にも様々な葛藤があって当然なのである。

 母親の方はその「親子の矛盾」によって母親としての自分を成長させていくし、子供は母親に充分理解して貰えないからこそ、自分を理解してくれるよう努めるのだ。初めての育児だというのに、育児のことを全て解っているような女性は母親ではないのだ。新米ママなら育児のことを知らなくて当然だし、その知らないものを知って行くからこそ、「育児の喜び」があるのである。子供にしても母親に何一つ反抗して来ないような子供は子供ではないのだ。子供が母親に反抗して来ないのなら、その母親が子供を抑圧し過ぎたか、それとも子供が甘え過ぎているかなのである。

 この世には「親子の矛盾」を否定したがる人々はたくさんいて、「育児は育自」「子育ては母親育て」と言い出す輩は、この親子の矛盾を完璧にまで否定しているのだ。女性というのは、赤ちゃんを産んだ時点で、正確に言うなら妊娠した時点で、いきなり母親に成ってしまうものなのである。一気に母親の地位になるのであって、自分が努力して徐々に母親になっていくのではないのだ。

 赤ちゃんを産んだのに、女性が自分に拘っていれば、母親になれることなどないのである。赤ちゃんを産めば、育児で自分の生活の殆どが使われてしまうのだから、まともに育児をしていれば、自分に拘っている閑などないものなのである。母親として様々なことをやらねばならないし、時には慌てふためきながら育児をして行くのである。そういう育児をしていれば、母親として成長して行くのは当たり前なのである。わざわざ「育児は育自」「子育ては母親育てと言って来ること自体が異常なのである。

 母親として成長していない母親に限って、自分の子供に対して物解りがいいように振る舞うものだ。しかし物解りのいい母親は正当な母親ではないのだ。母親なら、子供が泣き叫ぼうが、必要とあらば実行して行くのが当たり前なのだ。我が子が母親の言うことを聞かねば、叱るのは当然だし、子供は叱られれば泣き出すのは当然なのだ。だが、それをしなければ、子供は子供として成長して行くことができなくなってしまうのだ。

●育児や子育てには宗教は絶対に必要である

 まともな宗教心をなくしてしまえば、誰でも平等だと思い込んでしまうものだ。母親と子供が平等になってしまったら、子供は肉体的な成長をすることはできても、精神的な成長をすることはできないのだ。母親と子供は不平等だからこそ、子供は母親に追いつこうと必死になって成長して行くのである。

 宗教心があるからこそ、自分を引き上げることができるのである。結婚式を挙げて、自立の時期に終止符を打ち、独立の時期に入るということを確認するからこそ、女性は独立して行くことができるのである。赤ちゃんが生まれれば、初参りに行って、我が子は自分たち夫婦が生んだのだけれども、これは神様から授けられたと確認するからこそ、子供を大事に育てて行くことができるのである。

 通過儀礼というのは、普通の人々が思う以上に大事なことなのである。儀式を挙げることで、過去を切り離し、退却を許さないようにさせるのだ。人間の人生というのは、後ろのドアを閉めれば、前のドアが開くようになっているのであって、儀式によって後ろのドアを閉めないからこそ、前のドアが開かなくなるのだ。自分が前進したければ、儀式を執り行い、後ろのドアを閉めるしかないのだ。

 「七五三」にしても、子供の成長にとって大切なものなのだ。乳幼児は死の危険性があるものであって、生きていることを当たり前と思ってしまうと、碌でもない人間に育って行ってしまうのだ。自分が成長できたのは、神様のお蔭ですと感謝の意を捧げるからこそ、益々成長して行くことができるのだ。

 人間は自分が思っている以上に利己主義的な生き物だから、どうしても自分自身に執着してしまう。しかし執着し続ければ、不幸が幾らでも発生して来るのだ。自分が幸せになりたいのなら、執着から離れることは必要なのである。宗教の力を使って「煩悩からの解脱」を果たして行くしかないのである。

●親子の矛盾が大きければ大きいほど、子供は大きく成長して行く

 通常、親子の矛盾が激しい家族ほど、優れた子供が育って来易いものだ。母親が家事や育児をテキパキとこなし、「偉大なる母親」として君臨しているのなら、如何なる子供でも母親に感謝するようになるからだ。自宅では母親はこうするのが当たり前だと思っていても、余所の家に行った時にその家の母親の程度の低さが解れば、自分の母親に何かしらの不満があっても、それは消え去ってしまい、母親を尊敬するようになるものだ。

 父親なら仕事を一生懸命になって働き、優れた成果を出しているのなら、如何なる子供でも父親に感謝するようになるものだ。自宅では父親のだらしない姿を見て不満に思っていても、余所の家の父親が大した働きをしていないというのが解れば、その不満は消え去って、父親を尊敬するようになるものだ。

 もしも娘に「将来何になりたい?」と訊いた時、娘が「お母さんみたいになりたい!」と言ってくれたのなら、それは母親として誇るべきことなのである。もしも息子に「将来何になりたい?」と訊いた時、息子が「お父さんみたいになりたい!」と言ってくれたら、それは父親として誇るべきことなのである。親がまともな育児をしているのなら、子供は親に対して絶大なる憧れを抱くものなのである。その絶大なる憧れが、子供たちにとって更なる成長を引き起こして来るのだ。

 親子の矛盾がどんなに激しくても、子供が自立し始めれば、より大きく悩み、そして大きく飛躍していくのである。逆に親子の矛盾がなければ、子供が自立しても、ふらふらとしてしまい、飛躍するどころか、トラブルを起こし続けることになるのである。親子の矛盾など、子供が自宅を出て行けば、解消されてしまうものなのである。だから子供が親から養育されている時は、絶対に親子の矛盾など解消しなくていいのである。

 子供も親から離れて自立して行けば、いずれ結婚して独立を果たして行くことであろう。そして自分が新たに赤ちゃんを産んだ時、自分が子供の頃のことは奇麗サッパリと忘れているのだ。そうやって人間の命を延々と繋げて来たのである。だから、文明がどんなに進歩したとしても、そのことは変わらないのだ。世の中には人間は弄ってはならないものはたくさんあるのである。親が子供の気持ちが解らなくて当たり前だし、親子の矛盾があって当たり前なのだ。それは先祖から受け継いだ命を子孫へと受け繋いで行っているということなのである。

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我が子には経典を暗記させよ

●経典はそれが素晴らしいからこそ伝えられて来た

 両親に宗教心があって、子供たちが子供の頃から経典に親しめる環境にあるなら、その子供たちは無理をすることなく、その経典を覚えてしまうことだろう。自宅で両親が読経していれば、自然に頭の中に入ってしまい、暗誦できるようになるからだ。子供の脳が出来上がって行く時に読経が聞こえて来るという環境にいれば、比べ物にならないくらいに知能は高くなるのだ。

 経典というのは、通常の書物とは異なる。経典は宗教書であるがゆえに、神と人間との関係を規定する書物なのである。通常の書物は飽くまでも人間中心に書かれているのであって、それは勿論、知識を増すことができるが、神という視点がないために、高い観点から物事を見ることができないのだ。

 経典は決して読みにくいものではない。多くの人々が読んで来て内容が素晴らしいと認定して来たし、その文章も読み易く、格調が高いのだ。確かに作者が読者に媚び諂えば、解り易い文章を書くことはできるだろう。しかしそういう書物に限って内容がないものだ。経典のように一読しては理解し尽くせないからこそ、何度も読むのであって、そういう書物こそ内容が深いものなのである。

 経典に触れたことがない人に限って、次から次へと出版される書物に溺れてしまい、こんなに本が出回ってどうすればいいのかと言い出すものだ。しかし経典に親しんでいると、経典によって一気に高い精神レベルに到達できるので、価値の低い書物を退けることができるようになるのだ。そのため価値の高い書物だけを読むことができ、良質な知識を大量に獲得して行くことができるのである。

 週に1度でもいい、月に1度でもいい、自宅で両親が読経を行い、その後、夫婦で宗教について話し合っていれば、自然と「聖なる時空」を生み出すことができるものだ。「聖なる時空」を持つことができれば、日常生活にどっぷりと浸かることなく、生活を聖化していくことができ、神の聖慮に適う生き方ができるようになるのである。

●絶対に読んでおいた方がいい経典

 子供の内に絶対に読んでおいた方がいい経典は『大学』である。これは儒教の経典であり、朱子学以降、儒教の最高経典と看做された経典である。現在、日本には儒教徒というのはいないが、儒教に関係なく、この経典は読んでおいた方がいい。というのは江戸時代にこの『大学』が好んで読まれ、これを読んだ人々が明治維新を引き起こしていったからだ。要は「修己治人」ができた人々が日本を近代化させることに成功したのである。『大学』は非常に短い経典なので、子供でも難なく暗誦することができるものなのである。

 『大学』を暗誦できてしまえば、次は『論語』でも読ませるといい。日本の政治家や経営者は『論語』を好む者が多く、子供の時に親しんでおれば、自然と立身出世がし易くなるものだ。『論語』の凄さは、若い時に読めば納得いく文章に出会えるし、年を取ってから読んでみても、また味わい深い文章に出会えるのだ。

 経典ではないのだが、『祝詞』を暗誦してみるのもいい。祝詞に書かれた言葉は古代日本の言葉がそのまま使われているので、それを自分が声を出して読んでみると、古代日本語が明確に理解できるようになるのだ。『祝詞』さえきちんと読めると、『万葉集』や『古今和歌集』といった和歌を読んでも、その良さが手に取るように解るのだ。

 『古事記』は語り部の稗田阿礼の言葉を文章化したものなので、『古事記』を黙読するのではなく、音読してみることだ。古代日本の神話や歴史が沸々と湧き起こって来るのが解る筈だ。『古事記』を音読してみると、稗田阿礼は女性だというのが解る筈だ。歴史学者たちは男性だといっているが、絶対にそうではないのだ。なぜなら、『古事記』の視点は全て女性の視点で書かれているからだ。

 日本語は「大和言葉」と「漢語」を組み合わせたものなので、『祝詞』で大和言葉を、『大学』で漢語を学んでしまうと、日本語の理解度が加速度的に進んでいくことになるのだ。如何なる言語にも独特のリズムがあるのであって、そのリズムを掴めないと、いつまで経っても言語能力が上達しないものなのだ。だから、その言語の基盤となっているような経典を探し出し、それを音読して、暗誦できるようになると、その言語を自由自在に使いこなせることができるのだ。

●人工宗教の真贋が解る

 経典というのは音読すべきものであって、暗誦できるまで繰り返すものなのである。このことが解っていると、人工宗教の真贋が解るものだ。人工宗教というのは、神道のように教祖がおらず、先祖伝来の祭祀を行う宗教ではなく、或る日突然に教祖が出て来て、人工的に宗教を作っていった宗教のことである。

 まず仏教の場合、大乗仏教では『法華経』が最高経典とされた。多くの名僧高僧たちが思索と議論の末に辿り着いた結論なので、仏教徒なら受け入れるべきであろう。だから天台宗や日蓮宗や日蓮宗系の新興宗教団体は、信者たちに法華経を音読させまくり、暗誦させるようにしているのである。これは信者の宗教教育としては正しい遣り方なのである。

 ところが、浄土宗や浄土真宗になると、『浄土三部経』を暗誦させるまで読ませないのである。称名念仏させすればいいというのでは、信者への宗教教育は不十分なのである。それどころか浄土真宗の信者たちは教団が禁署扱いした『歎異抄』の方を愛読しているのである。これでは益々本来の教義から遠ざかってしまうのである。

 ユダヤ教では子供が12歳になるまでに、『モーセ五書』を暗誦できるようにさせている。それができると『タルムード』に進ませている。このためユダヤ教は生活規範の宗教になってしまうので、キリスト教のように得体の知れない神学論争を延々とやることがないのだ。そのため、学問やビジネスで成功する確率が非常に高くなってしまうのだ。

 キリスト教は『聖書』を経典としてしまったために、記憶すべき経典が多過ぎてしまったのだ。『旧約聖書』『続編』『新約聖書』を暗誦できるようになるのは、神学教育を16年もの間受けた聖職者たちであって、信者たちは読経することも、暗誦することもないのだ。信者たちが自発的に黙読するだけでは、経典としての機能を発揮できないのだ。そのためキリスト教徒たちは自分に都合のいい文章だけを引っ張り出して来て、キリスト教について述べるという芸当をやってのけるのだ。

 例えばイエスの言った言葉に「人はパンのみに生きるに非ず」というのがあるが、この文章を大抵のキリスト教徒たちは精神的生活と物質的生活の分離という意味で使うのだが、それは典型的な誤読なのである。イエスはモーセのエジプト脱出でユダヤ人が飢饉に陥り、天からマナという食べ物が降って来たことを踏まえて発言しているのである。イエスの言わんとすることは、物欲を離れて精神的に生きろと言っているのではなく、どんなに貧乏しても神様は食べ物を与えてくれると言っているに過ぎないのだ。イエスはこの発言後に救世主として目覚めるので、イエスの宣教というのはかなり現実的な意見ばかり言っているのである。『聖書』を暗誦できるまで読み込まないから、イエスの言っていることを根本的な所から間違えてしまうのである。

 『聖書』を暗誦させないキリスト教に対して、イスラム教では『コーラン』を音読させ暗誦させている。『コーラン』はアラビア語の文章としては最も美しい文章とされているので、これお暗誦できるようになってしまうと、イスラム教のことが全て解るようになっているのだ。だから、一度でもイスラム教国になってしまうと、イスラム教を手放すということがないのである。

●「記憶の核」が出来上がる

 経典を暗誦できるようになると、「記憶の核」ができあがり、幾らでも知識を吸収して行くことが可能になるのだ。世の中には物覚えの悪い子供がいるものだが、そういう子供は子供の時に経典を暗誦するという機会を与えられなかったからなのである。経典をすらすらとと暗誦できるようになると、学校の勉強など簡単になってしまうものなのである。

 記憶の核ができると、知識が増えて行くだけでなく、思わぬ一手を生み出せなくなるものである。脳が常に活発に活動しているので、自分が窮地になっても、解決策を見つけ出すことができるのである。宗教心のない人は逆境になるとすぐに諦めてしまうものだが、宗教心があると逆境になっても挫けることなく、突破口を見つけ出すことができるようになるのである。

 但し、経典の暗誦による記憶量が余りにも多過ぎると、その文明は停滞するという現象が起こってしまう。イスラム文明は中世に世界最高レベルの繁栄を実現したが、その後は振るわなくなってしまった。中国文明は科挙が整備されて、四書五経を暗記させるようになってから、下り坂になり、最後には欧米列強の餌食になってしまった。余りにも多くの経典を覚えさせてしまうと、逆にその人の脳が委縮してしまうのである。

 宗教というのは、人間の理屈が如何に胡散臭いものかを教えてくれるものだ。物事を論理的に考え、合理的に進めて行くことは確かに大切なことだ。しかしその理屈が余りにも目立ちすぎるようになると、逆に人々を不幸にしてしまうものだ。フランス革命にしても理屈を積み重ねてやってみたら、ひっくり返ってしまったし、ロシア革命にしても理屈を積み重ねてやってみたら、大失敗してしまったのだ。

 成功するために努力することが必要だ。しかしこの世では努力をしても敗れてしまうこともあるのである。我々がこの世で出来ることは全力を尽くして生きると同時に、それ以上のことは神様に任せるしかないのである。神様に対して絶対服従しておけば、神様は我々をどうにか生かさせてくれ、成功へと導いてくれるのである。その摩訶不思議な現象に出会うためには、経典を暗誦するしかないのである。

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子供の成長に於いて、なぜ宗教は大事なのか?

●我が子を健全に育てたいのなら宗教心を育てよ

 育児や子育てをするのに、家族内だけで行っていたら、誰がどうやっても巧く行くことはない。子供は平気で母親に反抗して来ることだろうし、母親は自分が真面目に育児をやっているのに、どうして自分が思ったこととは正反対の結果が出て来てしまうのだろうかと思って自信を喪失してしまうことだろう。

 人間の思考は抽象度を高くすればするほど、現実世界に於いて何が起ころうとも楽しく暮らすことができるので、自分だとか家族のことしか考えていないと、至る所でトラブルが発生して来て、苦しみだらけになってしまうのだ。母親自身が「現実が全てではない」と思うことも大事だし、子供にも「目に見えない世界」があることを教えることは非常に大切なことなのだ。

 人間の思考の抽象度を極限にまで高めたのが「神」という存在である。神こそが人類の全てを動かしているのであって、全ての人間は神の聖慮に従わなければならないのだ。神の存在があればこそ、母親は自分を正すことができるし、子供も自分を正して行くことができるのである。

 子供を神社などに連れて行くと、子供はきちんと手を合わして、お祈りを捧げるものだ。人間には本来「宗教心」が備わっているのであって、それを子供が反抗期を迎える前にきちんと育てておくことだ。少なくとも子供の頃に無宗教だとか、宗教否定の言動を吐いて来る子供というのはいないものなのだ。子供の頃に母親から宗教心を育んで貰わなかったからこそ、大きくなってから無宗教だの宗教否定だの異常な言動を取り始めるのである。

 神を畏れることは、何よりも大事なことなのだ。神を畏れるというのは、我儘を捨てて、神の聖慮に従うということなのである。神を畏れていれば、自然と両親のことも恐れるようになるので、親の言うことをきちんと聞くようになるのだ。宗教を無視して、母親が子供を叱ってばかりいるからこそ、子供は母親に対してなんの恐れを抱くこともなく、凄まじい反抗を仕掛けて来るのである。

●神の絶対性と人間の相対性

 神は絶対性を有するものである。ということは人間は相対性しか有さなくなるのだ。宗教心を持つということは、自分を絶対化することなく、自分を相対化することができるようになり、それによって無限の成長が可能になるということなのだ。神の存在を認めず、自分を絶対視して来るからこそ、成長がピタリと止まるのである。

 宗教心のない子供に限って、目つきが悪いし、姿勢が悪いし、言葉は汚いし、ネガティブモードで常に物事を否定的に見て来るものである。自分自身を絶対化してしまえば、成長はピタリと止まり、幾らでも邪悪なことを仕出かして来るのだ。自分がいつまでも同じ場所で立ち止まっているからこそ、幾らでも邪悪なことをしまくってしまうのである。

 宗教心というのは、自分を絶対化してしまう危険性を防ぐためには常に必要なのである。神を崇敬していれば、自分に如何なることがあっても、自分を絶対化することを拒むことができるのであって、だからこそ自分は成長して行くことができるのである。自分が成長していれば、何かしらの突破口は見つかるものなのである。

 明らかに悪そうな子供に宗教心がないのは当たり前だが、かといって一見善人そうに見えている子供でも宗教心をなくしてしまうことがある。例えば、自分が難病に罹り、「なんで俺だけがこんな病気に罹るんだ!?」と言って、自分が病気になっている事実を受け入れないような場合だ。如何なる病気になっても、「神様が自分に何かを気付かせるために病気に罹らせてくれたんだ」と思えば、治療法は幾らでも見つかるものなのである。それなのに自分を絶対化してしまうからこそ、まともな治療法が見つからないのである。

 人間の肉体的成長に関しては目に見えるけど、精神的成長は目には見えないから、それを無視しようとすれば出来てしまうものなのである、しかし精神的成長を果たして来ないからこそ、子供の人生に異常なことが幾らでも起こり始めて来るのである。肉体的成長は有限だが、精神的成長は無限なので、精神的成長をさせれば幾らでも素晴らしい人生を送れるものなのである。

●自分の殻に閉じ籠れば、成長は止まる

 なぜ子供が成長して行くかといえば、両親がいるからなのである。両親が常に子供に干渉して来るので、子供は自分を絶対化している暇がなく、幾らでも成長して行くことができるのである。ところが子供も大きくなってきて、自治領域が大きくなってくると、親に対抗しうるだけの力を持ち始めて来るので、親に反抗しても反抗を終えないことを平気でして来るのだ。

 自分の殻に閉じ籠れば成長は止まるのである。自分の意見を言ったり、自分の要求することを通すことは必要であるが、かといって自己中心に振る舞うことは絶対に許されないのだ。最初は母親が叱って行くが、その内、それだけでは言うことを聞かなくなる日がやってくるので、そうなれば父親の名を出し、父親に叱って貰うよう告げると、子供は大泣きしてくるものだ。そうやって子供が自己中心になることを粉砕して行くのである。

 母親が叱ったり、父親が叱ったりするようであるなら、親の目が行き届いている間だけなので、親の目が行き届かない場所でも、子供は自己中心にならないようにするためには、神を崇敬させることしかないのである。子供が神を崇敬していれば、親が見ていない場所でも正しく生きて行くことができるようになるのである。

 愚劣な大人は無宗教に取りつかれることになるから、親だからこそ無宗教を否定すべきなのである。例えば、無宗教の親たちは、学校では給食費を支払っているのだから、「頂きます」と子供に言わせるのはおかしいと言い出してくるものなのである。そんな愚劣な意見は無視してしまうことだ。文明の中でも四足で歩こうとする人間はいるものなのである。

 無宗教の人間が人類に対して偉大な貢献を成し遂げたことは一度たりともない。折角、大卒や大学院卒の学歴を持ちながら、宗教を否定することに執念を燃やし、学問の発展に貢献することなど何もして来ないのだ。宗教心があればそんな無駄なことをせず、学問に精進することができたのに、宗教心がないばっかりに自分の人生を無駄にしてしまっているのである。

●無限のアイデアの泉

 神の支配を受け入れていれば、自分の将来に道が開けて来るのだ。宗教心がある子供は自分の夢をしっかりと持つことができ、その夢が叶い易くなるのだ。自分が全力を尽くして努力をすれば、神様は祝福してくれると思っているから、常に物事をポジティブに考え、成長していくことができるようになるのだ。

 もしも子供が悲惨な目に遭っても、その状況に動転してしまうこなく冷静沈着になれることができるのである。神という重しが頭の上に乗っかっていれば、悲惨な状況だからこそ冷静沈着になって、知恵と勇気を使ってこの悲惨な状況を突破しようとしてくるのである。物事というのは動顛してしまうからこそ、問題が悪化してしまうのである。

 宗教心と感情と理性が組み合わさると、無限のアイデアの泉が出来上がることになり、幾らでもアイデアが浮かんでくるようになるのだ。子供は奇想天外な発想をしてくるものだが、子供なのに在り来たりのアイデアしか生み出せないようであるなら、その子供の前途は多難であるのだ。奇抜なアイデアというものが、その子の人生に大きな変動を与えるものなのである。

 母親にしても宗教心があれば、幾らでもアイデアが浮かんでくるものなのである。自分がどんなに難問を抱えていても、その問題に取り組んでいれば、その問題を解決できるアイデアを生み出して行くことができるのである。自分が育児や子育てで難問を抱え過ぎてしまったら、技術的なこと云々ではなく、宗教心がないからこそ、そういう難問を抱えて身動きが取れなくなってしまうのである。

 人間には脳が与えられているのだから、宗教心がなく自分のことしか考えられない人間は家畜となんら変わらないのだ。家畜はまさに自分のことしか考えていないからだ。人間だけが自分の枠組みを超えて、神という最も高い抽象的なことを考えられる以上、その能力をきちんと使うようにすることだ。それをしないと、幾らでも文明状態から脱落して行ってしまうものなのである。

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お腹の中の赤ちゃんに身体障害を負わせないために ~父親編~

●セックスの回数

 妊娠に関しては女性の方が関心の払い続けるものであるが、男性は妊娠させれば知らん顔になるものである。それもその筈、健康な精子を提供しさえすれば、後は女性がどうにかやってくれるものなのであって、男性は健康な精子を提供することにこそ最大の使命なのであって、そこに全力をかけるべきなのである。意外なことかもしれないが、男性が原因で赤ちゃんを身体障害者にしてしまうのは、精子そのものにあるのである。

 精子が劣化してしまう最大の原因はセックスの回数が異常だからなのである。通常、女性は排卵日直前と月経直前に性欲が高まって来る。そのため、この2回に関しては男性は絶対にやるべきなのである。ところが男性の性欲はそれ以上ある訳だから、もう少し回数が増えることになる。普通、夫婦にセックスの回数を調べてみると、月に2回から4回というのが圧倒的に多くなる。大体そこらが正常なセックスの回数となるのだ。

 しかし、夫婦の中にはそれ以上やってしまう者もいるし、それを遥かに下回る回数のセックスをしてしまう者もいる。セックスの回数が多過ぎると、精嚢に充分な精子が備蓄されていない状況で射精せざるをえなくなり、そのために劣化した精子を出してしまうことになるのだ。逆にセックスの回数が少なすぎてしまうと、精嚢の中で精子が劣化してしまうことになるのだ。セックスというのは、遣り過ぎは禁物だし、遣らな過ぎも禁物なのである。

 夫婦仲というのは適度に仲が良いのが一番であって、仲が良すぎても駄目だし、仲が悪くtも駄目なのだ。身体障害者を持つ父親たちに共通することは、余りにも幼稚で精神的に自立していない男性か、余りにも仕事に熱中してしまい、妻そっちのけの生活をしている男性かの2つに1つなのである。夫は一家の主として外に出て稼ぎ出さねばならないと同時に、妻にもきちんと配慮をしなければならないのだ。両者ともそれができていないのだ。

 セックスの回数を健全にするためには、セックスの回数がどうのこうのではなく、きちんと仕事をすることなのである。朝早くから働き出し、出来る限り残業をしないようにすることだ。仕事で適度な疲れがあれば、自分の性欲を暴走させることもなく、かといって自分のし性欲を抑えずぎることもなくなるので、妻の性欲にきちんと対応できるようになるのである。

●愛撫とオルガズムの大切さ

 90%以上の夫婦は、結婚3年以内で妊娠している。「なぜ結婚3年以内に妊娠し易いのか?」といえば、結婚によって恋愛ホルモンが大量に分泌されて、結婚してから3年間は非常に妊娠し易い時期を迎えるのだ。この間を逃してしまうと、妊娠させるのことが非常に困難になってしまうのだ。結婚して3年間は絶対に避妊をしないことなのである。

 忘れてはならないのは、幾ら結婚したからといって、落ちつき過ぎてはならないということなのである。女性はセックスに於いて男性に犯されることに最大の快感を得るので、男性が体を鍛えて逞しくし、セックスの主導権を握り続けなければならないのだ。妻の力が余りにも強くて、夫が肉体的に貧弱だと、妻は自分が犯されるという感覚を持たなくなるので、セックスを幾らやっても高いレベルの快感を得られなくなってしまうのだ。そのためにストレスを抱え続けてしまい、そのストレスが胎児を身体障害者にさせてしまうのである。

 女性にとって愛撫というのは非常に重要で、男性が女性の体を丹念に愛撫をしてあげるからこそ、その男性の精子を受け入れ、妊娠しようと思うのである。健康な赤ちゃんを妊娠させたいと思うなら、愛撫には充分に時間をかけて、愛撫で何度でもオルガズムに行かせるようにすることだ。

 そして性交に及んだから、何度でもオルガズムに行かせるべきなのである。女性がオルガズムに達すると、子宮口が開き、精液を吸いこもうとするので、何度もオルガズムに達してあげると、非常に妊娠する確率が高まり、しかも精子の中で最も健康的な精子が目出度く卵子に辿りつけることになるのだ。

 性愛術というのは、あっちこっちと他の女に手を出すのではなく、1人の女性に限定して、その女性と何度も何度も遣り続けないと上達しないものなのである。結婚というのは性愛術を急激に上達させるには持って来いのものなので、夫は妻を相手にせっせと性愛術を磨いていくべきなのである。

●野菜を多くし、珈琲を控える

 健康な精子を作るためには、体を弱アルカリ性にする必要性がある。肉食が多いのに、野菜を食べないと、体が酸化してしまい、精子が不健康になり、そのために赤ちゃんが先天的に身体障害者になってしまうのである。肉食をやめる必要性はないが、肉食をする時は野菜をしっかりと食べ、また肉食ばかりするのではなく、たまには魚を食べるようにするべきなのである。

 肉食の多い国ほど、身体障害者の数が多いものだが、これは体が酸化しているために、精子が劣化しているからなのである。癌や白血病の多い国に住んでいるなら、多過ぎる肉食には気をつけるべきなのである。肉食をする時は、ステーキやハンバーガーのように野菜が圧倒的に少ない料理を食べるのではなく、焼肉やトンカツのように野菜を大量に食べる料理にすべきなのである。

 肉食をした後には絶対にデザートを食べないようにすることだ。肉食の後に白砂糖を食べてしまうと、腸は蠕動運動を止めてしまい、そこに肉がやってくるとアミン類という発癌性物質を放出してしまい、そのアミン類によって精子が傷ついてしまい、身体障害者を産む確率が非常に高くなってしまうのだ。

 通常、肉食をした日の翌朝は珈琲を飲みたくなる。それもその筈で珈琲には排便作用があるので、珈琲の力によって老廃物や毒素を早くに排出させるのである。しかし珈琲は遺伝子異常を引き起こす危険性を持っているのだ。本来の珈琲は非常に濃いものなので、それを飲めば1日1杯で充分なのだが、アメリカン珈琲のように薄い珈琲を飲んでいると、1日に何杯も飲んでしまうことになるので、体にとって非常に危険なことになってしまうのだ。

 珈琲を飲むなら、なるべく濃くして、せいぜい1日1杯にすることなのである。できれば、珈琲を飲まないようにすることだ。というのは妊婦にとって珈琲は有害食品になるので、妻の前で珈琲を飲むべきではないのだ。妊娠を目指していたり、妻が妊娠中なら、珈琲をやめて、紅茶にでも変えることだ。

●より多く働いて収入を多くする

 妊娠や出産や育児にはお金がかかるものだ。夫婦にお金がないことこそ、妻にとって最大のストレスなのである。だから夫たるもの、しっかりと働き、稼いで来るべきなのである。働かなければ夫としての地位を維持することはできないということに気付くべきなのである。妻を経済的に安心させるからこそ、妻は安心して妊娠や出産をすることができるのである。

 仕事をする時は、決して給料に文句を言わないことだ。常に自分は給料以上の働きをするように心掛けることだ。給料に不満を垂れているようであるなら、大した仕事はしていないのである。賃上げ闘争をするよりも、より多くのお客様たちが喜んで貰うような仕事をすべきなのである。

 仕事というのは、8割方は無駄なのである。だから常に仕事の再編成をすることだ。自分は重要な仕事に着手すべきであって、不要な仕事は削減して行くべきなのである。そうやって重要な仕事に集中するからこそ、仕事の生産量が上がって行くことになるのである。ただ漠然と働いてはならないのだ。効果的に働くべきなのである。

 こういう仕事の仕方をしていれば、収入が多くなって行くのは当たり前のことなのである。特に子宝ができると、自分の財産運が大いに刺激されることになるので、収入が増えて行くものなのである。この時期を決して見逃してはならないのだ。もしもこの時期になっても収入が増えないとするなら、自分の仕事の仕方に問題があるのである。

 不思議なことに、仕事の仕方が悪い男性に限って、身体障害者を負った赤ちゃんが産まれ易くなる。これは貧富を問わないようで、貧しすぎて文句タラタラ仕事をしている男性にも、裕福過ぎて真面目に働かない男性にも、身体障害者を持った赤ちゃんを産させることで、神様が改心を促しているのである。

 真面目に働き、仕事の仕方が巧い男性たちには身体障害者を持った赤ちゃんは生まれて来ないものだ。神様は人々を公平に扱っているものなのである。だから人が見ていないからといってだらけてしまうのではなく、誰が見ていなくても、真面目に働き続けるべきなのである。真面目に働く者には必ず神様は祝福してくれるものなのである。

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お腹の中の赤ちゃんに身体障害を負わせないために ~母親編~

●充分な塩分を確保すること

 『満開ブレインパラダイス』では、子供の脳を最高レベルまで高める方法を教えているのだが、それは子供が五体満足に生まれて来るというのが最低条件である。子供が身体障害を持って生まれて来たら、打つ手は限られて来るのだ。女性が結婚したのなら、赤ちゃんを五体満足で産むというのは、己に課せられた聖なる義務なのである。

 まず安全な形で妊娠したいのなら、充分な塩分を確保することである。妊娠したら体は「羊水」を作らざるを得ないために、大量の塩分を必要とするのだ。胎児は妊娠10週目までに人間の形を整えて来るので、この間に奇麗な羊水を確保できないと、遺伝子異常が生じてしまい、子宮は流産を決定してしまうのである。遺伝子異常を起こしている胎児を育てることは、その後に流産を引き起こす可能性があり、母体にとって非常に危険なことになるからだ。

 胎児にとっては塩分は常に必要で有り続ける。神経や筋肉を作って行く際に、塩分が常に必要となり続けるのである。当然に妊娠中に塩分が少なければ、胎児は神経や筋肉を作ることができなくなるのである。胎児は妊娠後期に体を急速に拡大するので、この間に塩分が足りないと、それまでは健康に育って来たのに、脳や心臓に障害を負ってしまうのである。

 しかも出産時には母親自体が大量の塩分を必要とすることになる。母親自体が出産時に汗をかくし、子宮口を広げて行くために塩分が使われるし、胎児を外に押し出して行くためにも塩分が使われるのだ。母親の体内に塩分が充分にあれば安産になるし、母親の体内に塩分が少なければ難産になってしまうものなのである。

 塩分といっても、母親が取るべき塩分は「天日塩」のことである。天日塩には塩化ナトリウムの他に様々なミネラルが含まれているために、妊娠を行うのに絶対必要なものなのである。特に羊水の成分はほぼ海水と同じなので、天日塩を摂取していれば、安全な羊水を作り出すことが可能になるのだ。但し、オーストラリア産の天日塩には要注意で、この天日塩に関してはミネラル分が殆どないので、摂取すべきではないのだ。

 妊娠がとってはならない塩分は「化学塩」や「岩塩」である。「化学塩」や「岩塩」は塩化ナトリウムが99%以上なので、妊婦にとって有害なのである。日本で化学塩が出回るようになって、不妊症の女性たちが激増したし、流産する確率も上がったし、身体障害者が生まれる確率も上がってしまったのである。

 もしも医者が妊婦に向かって減塩指導すれば、妊婦は流産してしまうことになるし、切迫流産で入院させられてしまうし、出産時は難産になって帝王切開をすることになる。赤ちゃんも健康な形で産まれる確率が低くなり、死産したり、身体障害を負ったりしてしまうのだ。普通、流産は妊娠10週目以内に起こるので、それ以降の流産は医者が人為的に引き起こしたものと見て構わないのだ。

●葉酸なくして細胞分裂はできない

 胎児は細胞分裂を延々と繰り返すのだから、「葉酸」が大量に必要になって来る。葉酸は通常で200mcg必要であるが、妊娠すると400mcg必要となる。もしも妊娠中に葉酸が不足してしまえば、胎児は遺伝子異常を引き起こし、身体障害を負ってしまうことになるのだ。葉酸は女性が歳を取って来ると、女性自身に必要となって来るので、不妊症が出始めて来るし、ダウン症などの身体障害が出易くなってしまうのである。

 肉食の多い生活を送ると、身体障害を産み易くなってしまう。肉を処理するために、葉酸を大量に使ってしまい、体内の葉酸が少なくなってしまうのだ。肉を食べる時には必ず野菜を摂取しなければならないというが、野菜を食べずに肉だけ食べれば、体は決定的に葉酸不足になってしまうのだ。

 女性がお酒を飲むと葉酸が大量に失われてしまう。妊娠中に飲酒が禁止されるのは、葉酸を確保するためなのである。女性が飲酒をしていると、体内の葉酸が失われて行くので、子宮癌になったり乳癌になったりするのである。女性であるなら、飲酒は控えるべきだし、もしも飲酒をするなら、オツマミを大量に食べて飲酒の害を少なくすることである。

 葉酸は水を飲むと失われてしまうので、水を飲むべきではないのだ。水は朝の排便を促すために飲むようにするべきであって、それ以外の時間帯はお茶などを飲むようにすべきなのである。妊娠中は大量の水分を必要とするので、食事中に味噌汁を多く取って喉が乾かないようにすべきなのである。

 葉酸は葉物系の野菜や人参、メロン、アンズ、カボチャ、アボガド、豆類に含まれているので、妊娠中はとにかくこれらのものを大量に取って行くことだ。特にアンズには葉酸が大量に含まれているので、アンズを食べていれば我が子を身体障害者にすることがなくなるのだ。

●妊娠中の食欲増加

 妊娠中に食べ物の好みが変わるものである。これは体が胎児にとって最善の物を与えたいからなのである。ツワリが起こると、妊婦の多くはツワリで白米の匂いが駄目になるものだ。白米には水分が多く塩分が少ないために、妊婦に適した食べ物ではないからだ。胎児の成長にとっては麦の方が適しているので、米よりも麦を食べたくなるのだ。妊娠中に麺類を多く食べてしまう妊婦がいるものだが、それはそれでいいのである。

 ツワリの時は柑橘類を食べたくなるのであるが、これは羊水を大量に作る必要性があるからである。ツワリがひどい時は、柑橘類を食べると同時に、天日塩をペロリと舐めれば、ツワリが納まって行くようになるものなのである。また、ツワリがひどくて食欲がない時は、無理して食べないことである。体が食事を拒否している以上、無理して食べる必要性はないのだ。

 妊娠後期には食欲が急増するものである。胎児が大きくなっていくので、尋常ならざる食欲が出て来るものなのである。この時に医者から指導を受けて、食欲を抑えてしまうと、胎児は充分に成長することができず、身体障害を発生させる危険性が高まってしまうのである。食欲があるならどんどん食べて行くべきなのである。

 食欲が増して来ると、大量に食べるゆえに、内臓が重くなり、その重みによって骨盤が開き、出産し易いようになるのである。特に臨月に入ったら、いつでも出産できるように多目に食べるようにしていくべきなのである。中でも陣痛が起こり始めたら、出産に臨む前にきちんと食事をして、それから出産に臨むべきなのである。そうすると出産中に体力が持続し、安産に持ち込むことができるようになるのである。

 食欲が増加すると、医者から妊娠中毒症の危険性をとやかく言われるのだが、妊娠中毒症を防ぐためにはとにかく家事やスポーツをしまくることだ。家事のような細かい作業は、妊婦の体に適しているので、せっせと家事に精を出すことだ。スポーツにしても、ウォーキングをしたり、水泳をしたりして、とにかく汗を流すようにすることだ。妊娠中毒症はナトリムとカリウムのバランスが崩れると発症してくるので、カリウムを摂取することだ。リンゴにはカリウムが大量に含まれているので、妊娠中はせっせと食べるようにすることだ。

●もしも我が子が身体障害者だったら

 我が子を五体満足で産みたいのなら、医者の意見を鵜呑みしないことだ。医者の言うことが正しいのなら、難産になることはないし、身体障害を負った赤ちゃんなど生まれて来ないことだろう。しかし事実は難産が起こりまくりだし、身体障害を負った赤ちゃんは続々と生まれて来ているのだ。医者が間違った指導をしているからこそ、こういう悲劇が起こってしまうのである。

 妊婦なら妊娠中は自分の体を信じろ! 

 自分の体が最も正しいことを言っているのだ。ツワリなら白米を食べたくなくなるが、それは白米は塩分が不足しているからなのである。麺類には塩分が大量に含まれているから、妊婦に麺類を与えればパクパクと食うものなのである。妊娠後期には食欲が増して来るものだが、それは胎児が大量に食べ物を欲しがっているのであって、だったらパクパクと食うべきなのである。

 もしも出産して我が子が身体障害者なら、まずは自分を責めるべきなのである。妊娠中に体が様々なサインを出していてくれたのに、それを一切無視してしまったらこそ、こういう事態になってしまったのである。妊娠中にどのような生活をしていたかの結果は、出産時に必ず現れて来るのである。そうやって自責の念は必要なことなのである。

 我が子を身体障害者にしてしまったら、とにかくその事実を受け入れることだ。身体障害を負った我が子を肯定することは、母性愛があればできることであって、母性愛がなければ否定し続けてしまうものなのである。我が子なのに、我が子の存在を否定していれば、苦しみは延々と続くものなのである。

 そして我が子を絶対に余所の子と比較しないことだ。比較してもどうにもならないからだ。身体障害を負った赤ちゃんは、特別な治療が必要だし、成長だって遅いものだ。しかし、生きていれば、必ず道は開けるのである。そのためには母親自身が覚悟を決めることだ。母親がどっしりと構えていれば、身体障害などで別に困ることなどなくなるものなのである。

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妊婦たちのミステリー

●赤ちゃんの名前を教えてくれる

 毎回、「妊娠」のカテゴリーでブログを公開しながら、最近は妊娠に関する記事がないために、妊婦の皆さんは「タマティーは妊婦たちのことを忘れているのではないか?」とお思いでしょうが、タマティー本人は奇麗サッパリ忘れていました。『満開ブレインパラダイス』は既に幼稚園児や小学生を持つ母親たちを対象にする内容になってしまったので、妊婦たちには関係ない記事が多くなってしまったのだ。

 そこでタマティーは「これではいかん!」と思って、特別に妊婦向けの記事を書くことにしました。今週の記事で子供の霊能力の話が出て来たけど、胎児だって霊能力を使うことができるのだ。というか胎児はまだ霊の世界に足を突っ込んでいるので、霊能力が如何なる人たちよりも豊富なのだ。この霊能力を使わない手はないのだ。妊娠生活を幸せなものにしたいのなら、胎児の霊力を使うべし。

 まずは赤ちゃんの名前を胎児本人に聞いていることだ。赤ちゃんというのはどうやら自分の名前を持っているらしく、その名前をつけてあげることが「最大の大吉」になるらしいのだ。親がどんなにいい名前をつけてもそれは次善の策であって、赤ちゃん本人が生まれる前から持つ名前に勝ることはないのだ。

 妊婦が就寝する前に、自分のお腹に向かって「赤ちゃんの名前を教えてくれるかな?」と問いかけてみるのだ。そうすると睡眠中に赤ちゃんが現れて来て、自分の名前を教えてくれる場合があるのだ。人間の睡眠時の記憶というのは、起床後、長くは持たないので、目覚めたら直ちに紙に教えられた名前を書くことだ。何回かチャレンジすれば、巧く行く可能性があると思う。

 自分たち夫婦が赤ちゃんの名前を決める時は、複数の名前を作り出しておくことだ。そうすると夫が夢の中で「これだッ!」という名前に出合うことができるかもしれないので、その名前を命名してしまえばいい。夫婦が絶対にやってはならないのは、男の子ならこの名前、女の子ならこの名前と決めてしまい、しかもその名前が奇抜すぎる名前の場合だ。こういう場合、赤ちゃんがその名前を拒絶するために、難病に罹ることで両親にその否を知らせるのだ。

●臨時収入を与えてくれる

 妊娠中はそれほどお金がかからないが、出産費用や育児費用もかかるものだ。そのため妊婦の中にはお金に関して不安になってしまう者たちもいるのだが、その考え方は根本的に間違っている。子宝は必ず富を呼び込むものなので、お金に対する不安を持たないことだ。赤ちゃんを産めば豊かになれると思うようにすることだ。

 もしも出産費用や育児費用が欲しいのなら、胎児の霊能力を巧く使ってしまうことだ。お腹の中の赤ちゃんに、「あなたのお父さんは働き者だから収入を増やしてあげてね。」と優しくと問いかけることだ。そうすると胎児は自分をきちんと育てて貰うために、自分の父親の収入を増やそうとするのである。妊娠中に臨時収入が入るようであるなら、胎児のお蔭だと思った方がいい。

 但し、妻が夫を立てることがポイントだ。夫を立てるからこそ、赤ちゃんは安心して生まれて来ることができるので、母親が夫を立てないと収入を増やしてくれないのだ。妊婦が若いとこれができず、そのために貧乏になってしまうのだ。女性は妊娠中や育児中に於いては、基本的に働くことができないので、母親が夫を立てない限り、夫の財運を刺激することはないのだ。

 臨時収入が入ったら、必ずお腹の中の赤ちゃんに感謝の言葉を述べることだ。そのお金は生活費に充ててはならず、出産費用や育児費用のために貯金しておくことだ。一度、感謝を述べてしまうと、胎児は嬉しくなって益々お金を呼び込むようになるのだ。だから感謝をしないと、それ以降はお金が入って来なくなってしまうのだ。

 出産後に夫の財運は高まるものなので、絶対にこの財運を見逃さないことだ。『ゲゲゲの女房』でも、水木しげるさんも長らく極貧生活を送っていたが、長女が生まれた後にブレイクしたのだ。赤ちゃんが自宅にいると、どうしても更にお金が要ることになるので、夫は働きまくることになるのだ。それが急激な収入増加につながるのである。

●お腹の中の赤ちゃんは「安産の仕方」をちゃんと教えてくれる

 お腹の中の赤ちゃんはこの世に安全な形で生まれ出て来るために安産を望んでいるものなのである。そのためお腹の中の赤ちゃんは母親に「安産の仕方」をちゃんと教えてくれるのだ。特に臨月に入ったら微妙な変化を見逃さないことだ。不思議としか言いようのない現象が自分の身の回りで起こって来るのだ。

①出産日時

 まずお腹の中の赤ちゃんには自分にとって最善の出産日時がある。それがいつなのかお腹の中の赤ちゃんに聞いてみることだ。睡眠中の夢の中でふと浮かんでくるということも有り得るのだ。それゆえ医者が定めた出産予定日に余り神経質にならないことだ。出産予定日は飽くまでも医者の都合であって、赤ちゃんの出産日時と一切関係ないのだ。

 初産なのに夫の都合で限られた日しかない場合、お腹の中の赤ちゃんに頼むと、その日に会わしてくれるということもあるのだ。これをやったのが『うちの3姉妹』の松本ぷりっつさんだ。松本ぷりっつさんがお腹の中の赤ちゃんに頼むと、夫の仕事がない日に生まれて来てくれたのだ。

②食欲が増す

 帝王切開を予定されている場合、胎児は母親に食欲を増させて、帝王切開を回避するようになるのだ。帝王切開は胎児にとって非常に嫌なものなので、お腹の中の赤ちゃんはそれを回避させようと躍起になるのだ。臨月前から食欲が増したのなら、どんどん食べてしまうことだ。

 大量の食事をしたために、内臓に圧力がかかり、それによって骨盤が大きく開くことになるので、帝王切開する必要性がなくなるのだ。但し、食事をする時は、早食いをしないことだ。必ず1口30回以上噛むようにすることだ。こうすれば妊娠中毒症などに陥らなくて済むようになるし、内臓への負担が軽減されるので、出産時に体力を有効に使えて、安産に導くことができるようになるのだ。

③ウンチをしたくなる

 出産の前兆は胎児が子宮口に移動することによって始まる。この移動が起きると、膀胱と大腸が圧迫されるために、尿意や便意が起こり、小便や大便を頻繁にするようになるのだ。お腹の中の赤ちゃんは母親の体内から余分な水分や老廃物や毒素を出させることで、身軽な形で出産に臨みたいのだ。出産前に排尿や排便をしっかりとしておくと安産になるので、小便や大便をしまくっておくことだ。

●妊娠中に墓参りに行くべし

 妊娠を余りにも医学的に捉えないことだ。妊娠中には医学では説明しきれないことがたくさん起こって来るものなのである。それはお腹の中の赤ちゃんが霊能力があるからこそなのであって、その霊能力を巧く使って行くことだ。大事なことは結果的に安産にすることであって、医者の言う通りに生活して難産になることではないのだ。

①墓参り

 妊娠中に墓参りに行っておいた方がいい。ご先祖に守って貰うことで、胎児の霊能力を巧く使えるようにするのだ。墓参りした時は絶対にロウソクに火をつけて墓前に捧げることだ。霊たちはロウソクの火を捧げて貰うと、それをやった人を霊的に守護するようになるので、妊娠中や出産中に不測の事態が起こらなくなるのだ。

②便所掃除

 自宅の中で安産に直結する場所は便所なので、妊娠中は便所掃除を毎日行うようにすることだ。実際、便所掃除をすると、出産時に使う筋肉を鍛えることができるので、安産になることができるのだ。しかも便所は財運と繋がっているので、便所掃除をすればするほど豊かになって行くのである。

③地元の神社には参拝しておくべし

 地元の神社には参拝しておいた方がいい。地元の神社は産土神といって、地元を守っている神様がいるのだ。その神様に感謝の意を捧げておくと、安産に仕向けてくれるようになるのだ。タマティーの家は安産の神社と一直線上にあるので、この近辺の人々に難産というのはまずない。これも不思議といえば不思議である。

 妊娠中や出産時に不思議な現象が起こったら、それは終生、話の種になるのだ。経産婦にとっては忘れらない出来事だからだ。そういう思い出こそが自分の人生を豊かにしてくれるのである。生まれて来た我が子にその不思議な出来事を話してあげれば、科学至上主義者にはならない筈だ。

 妊娠中に起こった不思議な現象を集めて、『妊婦たちのミステリー』と題して本として出版したら面白いと思う。多分、涙を流しながら読める本になると思う。タマティーはせっせと集めて、いつか出版する予定である。怪談を聞くよりは、妊婦が経験した不思議な話の方が、生命の大切さを学べると思う。

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恐怖のクエスチョンモンスター

●我が子が質問魔に変わる時

 「赤ちゃんは可愛い!」。それは赤ちゃんの表の顔にしかすぎない。赤ちゃんの裏の顔はヤクザ者を遥かに上回る悪党である。まず産みの母親に対して「夜泣き攻撃」で睡眠不足にさせ、動けるようになれば「後追い攻撃」をして母親の後をついて回り、二足歩行できるようになれば疲れてもいないのに「抱っこ攻撃」をして母親に抱きついて来るのだ。

 そして言葉を喋れるようになったら、「質問攻撃」をして母親を散々困らせるのだ。今までの攻撃は肉体的にダメージを与えるものであるが、質問攻撃は精神的にダメージを与えれ来るものなのだ。如何なるモンスターより遥かに恐ろしいのが、この「クエスチョンモンスター」なのである。

 母親にとって現実世界は当たり前のものだ。しかし子供にとっては現実世界は未知なる世界なのだ。だから自分が知らない物に出くわせば、母親に質問してくるのは当然のことなのだ。母親に質問することで、知識を増やして行くのである。母親に訊くことができなければわざわざ自分で調べなければならないので、非常に非効率的になってしまうのだ。

 忘れてはならないのは、子供がクエスチョンモンスターになる時期は、脳のシナプスが急増して行く時期にピタリと当たっているということなのである。そのため子供が質問攻撃をする時期に、母親が専業主婦をしているのなら、その子供は質問攻撃を充分にしまくることができ、大量に知識を獲得でき、脳のシナプスを大いに増やすことができるのだ。そのため専業主婦の子供に限って、非常に知能が高くなるのだ。

 母親が仕事をしている場合、自宅にいられる時間帯には、この子供の質問攻撃に付き合ってあげることだ。幾ら忙しいからといって、子供の質問攻撃を無視してしまうと、子供は新たな知識を得る機会を失ってしまい、脳のシナプスを増やして行くことができないのだ。子供は母親が忙しい時期を見計らって質問攻撃を仕掛けて来るので、それに対して咄嗟に対応して、逆にその機会を楽しんでしまうことだ。

●自分が知らないことは恥じることなく他人に聞く習慣

 学校教育には素晴らしい効果があっても、その反面、弊害も出ている。それは教師が一方的に喋るために、生徒が質問する機会を奪ってしまうのだ。授業中に生徒から質問されると、授業の進行速度が遅くなってしまうために、授業後に生徒から質問を受け付ければいいのに、殆どの教師はその作業をしないのだ。そのため学校教育を受けた人に限って、質問して来ることを罪悪視して来るのだ。

 はっきりと言っておくが、何かを教えられたのに質問して来ないというのは、何も理解していない証拠なのである。人間は言葉で何かを教えても、それを充分に理解することはできないし、その教えられたことが斬新であればあるほど、疑問が湧いて来るものなのである。だから質問することによって、その不明な点を解明して、自分の理解度を高めるのである。

 就学前の子供は学校教育を受けていないがゆえに、正しい理解の仕方を平気で行って来るのだ。自分が知らないことがあれば、母親に質問するからこそ、子供は新たな知識を得ることができ、理解度を高めることができるのである。母親に毎日、質問攻撃をしていれば、当然に毎日、脳に刺激が行き、知能を高くしていくことができるのである。

 子供の質問攻撃は母親をうんざりさせるものであるが、母親は子供から質問攻撃を受けるたびに、母親の脳も刺激されるのである。子供の質問に答えるというのは、自分が日常生活では使わない脳の分野を使っているので、必死になって子供の質問に答えていると、母親の知能も高まって行くのである。

 孫がいる祖父母がボケないのは、孫から質問を食らうために、脳が刺激され続けるからなのである。母親は子供の質問攻撃には冗談半分で付き合うものだが、祖父母は子供の質問攻撃を真面目に付き合うので、祖父母の脳はフル稼働しているのである。子供のいないお爺ちゃんやお婆ちゃんが呆気なくボケ老人になっていき易いのは、この質問攻撃を食らったことがないからなのである。

 もしも子供の質問攻撃がしんどいというのなら、カレーを食べるようにすることだ。カレー粉には脳の疲労を取り除く効果があるので、カレーを食べると子供の質問攻撃に耐えきれるようになるのだ。母親というのは子供がいるとカレーライスを作る回数が多くなるものだが、これは子供の質問攻撃のために脳が疲労しているからなのである。自分が無性にに食べたいと思う物は、矢張り作っておいた方がいいのである。、

●脳を鍛える逆質問

 子供の質問攻撃に答えると子供の脳を刺激することになるが、逆に母親が子供に質問すると子供は必死になって考えて脳を鍛えることができるのだ。幼稚園児以下の子供なら、母親が質問してみると、奇想天外な回答をいてくるので、それに対して思いっきり爆笑しよう。子供は世間の常識に囚われていないので、通常では有り得ない回答をして来るのだ。

 幼稚園児になれば、「今日は幼稚園で一体何があったの?」と訊けばいいし、小学生になれば、「今日は小学校で一体何があったの?」と訊けばいいのだ。そうすると幼稚園や小学校での出来事を話して来るから、そこで更に問題を見つけて、質問してみればいいのだ。そうすると子供の脳は大いに刺激され、幼稚園や小学校で起こった出来事をきちんと記憶することができるようになるのである。

 因みに「逆質問攻撃」は吉田松陰が松下村塾で行った教育法なのである。藩校では教師が一方的に喋る教育方法であったのだが、松下村塾は藩校ではなく、飽くまでも吉田松陰の私塾のために、正規の教育法を取ることができたのである。松下村塾では吉田松陰が塾生たちに質問をぶつけて、それに塾生が質問に答え、その回答に対して更に議論を展開して行くという方法を取ったのである。

 吉田松陰が松下村塾で塾生に教えた期間は本当に短いのである。それなのに明治維新を引き起こした人材を大量に生み出すことに成功したのである。我々はその後の長州藩が天下を取ったことを知っているために、長州藩は成功するべく成功して行ったと思ってしまいがちであるが、実際はそうなのではなく、松下村塾で吉田松陰が塾生に逆質問攻撃をすることで、塾生たちを鍛えて行ったからこそ、歴史の主人公になりうる人材を大量に生み出すことができたのである。

 学校では逆質問攻撃を受けることがないために、自宅で逆質問攻撃をしておくことは絶対に必要である。母親から逆質問攻撃を受けて、それに答えて行く内に、脳が延々と刺激され続け、高い知能を持つことができるようになるのだ。自分が質問に答えるというのは、それほど脳を使うものなのである。

●子供が自分で調べるまで親が支援し続けてあげるべき

 子供もいつまでも母親に対して質問攻撃をして来るのではないのだ。小学生の或る時期から質問攻撃はしなくなるものだ。知能が高くなっているために、母親に質問するより自分で調べるようになるものなのである。母親ができることは、子供が自分で調べることができるまで支援してあげることなのである。

 例えば子供なら誰でも通る疑問に「潮の満ち引き」がある。「どうして潮の満ち引きが起こるのか?」ということを自然科学を使って説明するなら、それは月の引力が引き起こすものなのである。しかも地球は完全な球体ではなく、楕円形の球体のために、南方に行けばいくほど、潮の干満が激しくなるのである。潮の干満を数式を使って説明すれば、子供は驚くものだし、更に南方に旅行に行った時、潮の干満を自分の目で見れば非常に驚くものなのである。

 最近話題の「地球温暖化」にしても、子供が調べてみれば、二酸化炭素が原因ではないということが解るものなのである。地球の温度が上昇するのは、「太陽が発する光は一定ではないこと」「地球の地軸が傾いていること」が原因なのである。太陽光の量は増大の一途を辿っており、その大量の光が地球に降り注ぐからこそ、地球の温度が上昇して行くのである。更に地球の地軸がずれているために、北半球が温まって行くと、当然に地球の温度が上がって行くのである。地球の温度というのは一定なのではなく、長い周期を以て変動し続けているのである。

 マスコミで散々二酸化炭素が原因だと報道されていても、自分で調べてみれば「それは違う」ということが解るものなのである。二酸化炭素の量が増大することで問題になるのは、実は地球の酸素量が減少していることなのである。酸素不足のために病気になる人々が続出しているのである。

 母親が子供の質問攻撃を嫌ってしまうと、子供は大きくなっても自分で調べることをしなくなるものなのである。子供の頃に自分が母親に質問をして、母親からその回答を聞くことで脳を刺激したことがないために、未知なることを知る喜びが起こって来ないのである。母親が子供の質問攻撃を楽しんでいれば、その楽しさは子供にも伝わって、大きくなったら自分で未知なる物を追い求めて行くようになるのだ。

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読書質量によって頭の良し悪しは決まる

●文字は6歳までに覚える

 脳のメカニズムを考えるのなら、文字は脳の臨界期までに教え込んでおくべきであろう。文字は如何なることがあっても6歳までに覚えさしてしまうことだ。脳のシナプスが最大限急増する時に文字を教え込んでしまえば、子供の脳は文字に対応するシナプスを持つことができるのであって、その後の人生を圧倒的優位に進めることができるのである。

 小学校に入学してから文字を教えるのもいいが、矢張り幼稚園児の時に文字を教えてしまった方がいいのだ。「あいうえお」ぐらいはしっかりと読めるようにし、書けるようにすれば、後は子供が勝手に文字を覚えて行くのだ。母親が丁寧に「この文字はこう読むんだよ」「この文字はこう書くんだよ」と教えて行くしかないのだ。

 忘れてならないのは、日本語は「平仮名」「片仮名」「漢字」という複雑な文字を使っている。それゆえ日本語で使われる文字をしっかりと読み書きできないと、日本語の文章なのにそれが正確に理解できないという悲惨な結果になってしまうのだ。知能の低い子供というのは、頭がどうのこうのではなく、文字をきちんと理解していないからこそ、高度な思考を展開することが不可能になっているだけなのだ。

 それゆえ自宅で文字を遊びながら教え込んでいくことだ。例えば「カルタ」をやったり、「漢字の書き取りゲーム」をやったりと、遊びながら文字を覚えられるようにしてしまうのだ。大人は記憶するのが難しくなっているのだが、子供の方はゲームで楽しめれば楽しめるほど驚異的に記憶して行ってしまうので、暇がある時はゲームをしてしまうことだ。

 早期の外国語教育が危険なのは、母国語すらまともに読み書きできない段階で外国語を学んだとしても、外国語を理解できることはないのだ。母国語をしっかりと読み書きできるからこそ、外国語を理解することができるのである。子供に外国語教育をする暇があるなら、その時間を使って日本語をしっかりと教えた方がいいのである。

●読書をする習慣は親が作るもの

 子供が読書をする習慣というのは、親が作るものなのである。親が子供に絵本や本を買い与えるからこそ、最初、子供は母親にその絵本や本を読んで貰い、その後、自分から自発的に絵本や本を読み始めるようになるのだ。親から絵本や本を買って貰えなかった子供たちは、読書をすることすらできないのだ。

 母親は子供を連れて本屋に行くなり、図書館に行くなりすることだ。子供の時から本に親しむ環境を作ってしまえば、後は子供は自動的に読書をし出すようになるのだ。図書館などでは紙芝居の朗読をやっていたりするので、そういう機会を見逃すことなく子供を参加させることだ。

 自宅でテレビが付けっ放しになれば、読書なんてしなくなるものだ。読書にとって最大の天敵はテレビなのである。だから自宅ではテレビを消して、必要な番組しか見ないようにすることだ。そして親自身が読書をして、子供たちに読書をしている姿を見せることだ。そすると、子供たちは親の姿を見習って読書をし出すようになるのである。

 父親はどんなに貧乏していても、自宅に書斎を持って、本棚を作っておくべきだ。父親こそがその家で最も本を読むことになるので、本棚を本で埋めるのは父親の大事な仕事なのだ。子供たちも大きくなると父親の本棚から本を借りて、こっそりと読書をするようになるのだ。それが子供の脳にとって強烈な刺激になるのである。

 母親が買う本というのは、実生活を良くするための本が多くなるので、そういう本を収納できる本棚を作っておくことだ。母親が家事や育児をする度に、本棚から本を取り出して、自分の知識を確認しているのなら、その姿を見た娘は母親の行動を見習って、自分の知識を本を見て確認するようになるのだ。これが知ったかぶりで物事を進めて行く馬鹿娘にするか、賢く物事を進めて行く利巧な娘にするかの分かれ道なるのだ。

●本を繰り返し読ませること

 子供の時に本を乱読させるのは、非常に危険である。大人の脳なら乱読してもその本を理解することができるが、子供の脳だとその本を理解できないのだ。同じ本を何度も何度も繰り返し読むからこそ、その本を理解でき記憶することができるのである。だから子供に多くの本を与えてはならないし、本を多く読ましてはならないのだ。

 子供の頃から読書家になってしまうと、その子は将来、大成することはないのだ。子供の頃は読書の仕方が大人とは随分違うものだからだ。例えば男の子だったら冒険物が好きで、その本を何度も何度も読んで、その読書の喜びを何度も味わうものだ。女の子だったら、魔法が出て来る話が好きで、その本を何度も何度も読んで、読書の喜びを味わうものだ。

 繰り返し読んでいればこそ、物語の流れがしっかりと解って来るし、どうすれば物語が面白くなるのかが解るというものなのだ。これが読書の醍醐味なのだ。それなのに読書の醍醐味を味わうことなく、次から次へと本を読んでしまえば、多読をしているようで、実は程度の低い読書をしているのである。

 児童向けの本でも繰り返し読める本は少ないものだ。殆どがクズ本なのである。作者が児童向けに優しく書いているからこそ、児童にとっては物足りないのである。児童向けの本で良書というのは、子供が読んでも面白いだけではなく、大人が読んでも面白いものだ。男の子なら『トムソーヤの冒険』が面白いし、女の子なら『赤毛のアン』などが面白いものだ。

 子供が本を大切に読むようにするためには、本屋に行って、本を充分に吟味した上で買い与えてしまうことだ。とにかく本を自分の所有物にするのが一番いい結果が出て来るのだ。自分の所有物であるなら、何度も何度もその本を読むことになるので、結果的に子供にとって良い読書ができるようになるのである。

●学校で勉強したことよりも読書の方が役に立つ

 多くの母親たちは学校に行けば我が子の頭は良くなってくれるだろうと思ってしまう。しかし小学校の授業というのは、公立の小学校であるなら程度の低いものなのである。しかも小学校の教師たちは驚くほど勉強をしない人たちなのであって、読書量が非常に少ないものなのだ。

 だからこそ子供に読書の習慣を身に付けさせて、読書をすることで頭を良くして行くべきなのである。読書を何度も何度も繰り返していれば、その内、頭の中に「知識の核」というものができあがり、その「知識の核」ができると様々な知識を吸収していくことができるようになるのだ。そうなれば他の子供たちが勉強でしんどい思いをしているのに、我が子だけがスラスラと勉強して行くことができるようになるのだ。

 子供の時には子供の時だから面白いと思える本があるものだ。その本は大人になってしまえば、懐かしいと思うだけで、子供の頃に感じたワクワク感など消え去ってしまうのである。幼稚園児や小学生の時にそのような本に出会えなければ、それは子供にとって不幸なのである。

 子供は最初の頃は幼稚な本を読んでいても、何度も繰り返して読んでいくと、その内、一気に高レベルの本に手を出して来るものだ。。『史記』や『日本外史』や『プルターク英雄伝』などを子供の頃に読めば、歴史の知識が爆発的に増え、「青雲の志」を持つようになり、いずれ大成して行くことができるようになるのである。子供の頃に読んだ歴史書や伝記は大人が考えている以上の劇的な効果を与えるものなのである。

 16歳までに本格的な読書をしなかった人は、将来、学者や作家になることを諦めた方がいい。頭脳労働に従事する人々は、小学生の頃に「読書の習慣」を身につけているし、遅くとも中学1年生の時までには「読書の習慣」を身につけている。脳のシナプスの減少は16歳で止まるので、それ以前に読書によって脳を刺激しておかないと、16歳以降からどんなに努力しても無駄になってしまうのである。

 生きていれば解ることだが、学校の勉強よりも読書の方が役に立つものなのである。書籍は知識を圧縮してあるので、その圧縮された知識を理解することができれば、それ以外の知識に関しても理解することができるようになるからだ。学校ではどうしても解り易く授業をしてしまうために、その機能を使うことができないのだ。もしも学校が人生に役に立つのなら、皆勤賞を取った生徒は超優秀な人間になっている筈だ。しかし皆勤賞を取るような生徒は、ただ健康なだけで、頭は平凡か、それ以下と相場が決まっているものだ。

 一体、我が子がどの書物に反応するか解らないからこそ、読書の習慣を身に付けさせておくことだ。我が子に読書の習慣があれば、自分の人生を劇的に変える本に出会えるものなのである。そのためには親自身が自宅で読書をする習慣を子供に見せつけておくことだ。親が読書をせずに、テレビを見っぱなしの人生を送っていたら、子供は読書をすることなどできないものなのだ。

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先祖の話をとことん聞かせよ

●ご先祖の話こそ子供に決定的な影響を与える

 子供にとって自分は一体どこから生まれて来たのかというのは、3歳までなら知っているのだ。胎内記憶があるために、自分はこの世に産まれる前に母親の胎内にいたことを知っているからだ。しかし4歳になって「記憶の消去」が起こると、一体自分がどこから生まれて来たのか忘れていまうことになるのだ。

 そのため家族の中だけで暮らしていると。両親と自分や兄弟姉妹という狭い人間関係のことしか考えられなくなってしまい、その内、親に反抗するようになれば、自分のことだけしか考えなくなってしまうのだ。当然に自分の殻に閉じ籠ってしまうために、肉体的な成長はできても、精神的な成長ができなくなってしまうのだ。

 子供は成長過程に於いて、自分が本当に両親の子であるか不安になるし、子供は自分の血統に関して不安になるものなのである。だから自分たち夫婦がどのように出会って結婚したのかを教えておくべきだし、夫のご先祖の話をとことん聞かしておくべきなのである。自分の命が生まれるためには両親がいて、両親が生まれるためにはご先祖がいるということが解れば、自分の命を歴史的に肯定することができるのだ。

 子供に我が家の先祖の話をするためには、まず祖父母の話をきちんとしておくべきなのである。大抵は祖父母が生きているから、祖父母の家に行って祖父母がどうやって生きて来たかを話して貰えばいいのだ。それ以上のご先祖の話は記憶を辿って教えておけばいいのだ。、

 長く存在している家系なら、その家系に色々な人物たちが出て来るものだ。その人物たちの成功や失敗を面白可笑しく教えて行くことだ。成功する人物もいれば失敗する人物もいる、真面目な夫婦もいれば、離婚してしまう夫婦もいる。その様々な人間模様を教えておけば、どうやって生きれば成功し幸福になって行くのかが解るようになるものなのである。

●家系にはリズムがある

 子供ができたのなら、是非とも家系図を書いておくことだ。家系にはリズムがあるので、この家系のリズムが解ると、自分がどのような行動を取ればいいか解るようになるのだ。例えば如何なる家系も3代続けて繁栄し続けることはない。初代というものは禁欲的に働いて、多くの子供たちと莫大な財産を残して死んでいくものだ。2代目というのは、初代の事業を守り、防御に徹して、事業を安定化させるものだ。3代目になると再び積極的な行動に出るというものだ。

 自分が何代目というのは、非常に重大なメッセージであるのだ。これは家系図を見れば一発で解るのだから、家系図を書かない限り、我が子は間違った行動を取ってしまうのだ。また家督相続権者以外は、当然に分家になるので、自然と初代の宿命を背負う訳である。だから自分たち家族の初代が一体何をやったかというのが解っていれば、最低でもその功績以上のことはできるようになるのだ。

 今まで政治やビジネスで活躍していた家系が、突然に芸術の方面に向かってしまう時、その家系の家運は底を尽きつつあるのだ。1つの家系が滅びようとする時、芸術の世界でパッと花を開いて、滅んでいくのだ。だから政治やビジネスで活躍している家系なのに、余りにも芸術に手を出すのは感心しない。子供に芸術を教えるよりも、スポーツでも習わして、質実剛健に育てて行くべきなのである。

 学問や芸術の世界で生計を立てている家族なら、学問や芸術に世襲はないということを知っておこう。有名な学者であればあるほど、その息子が学者になろうとしても、必ず父親と比較されてしまい、父親を超えることができなくなってしまうのだ。芸術でも同じだ。それゆえ我が子たちを学問や芸術以外の世界で活躍させるように仕向けるべきなのである。もしも学問や芸術の世界に入って来るのなら、父親がやっている分野ではやらせないようにすることだ。

 宗教家の家系なら、世襲する確率は非常に高くなる。そのため子供の頃から宗教行為に参加させたり、経典を暗記させることをしておくべきなのである。宗教家の家系で育つと、自然と世界レベルでの視野を持つことができるし、生活自体は質素なので、ビジネスの世界に足を踏み入れると、異常に高い確率で成功を収めて行くことができるのである。宗教自体は富を生産するものではないので、宗教家にならない子供たちにはビジネスの世界に送りこみ、彼等に成功させることで、自分たちの家系を万全なものにしておくことだ。

●ご先祖に恥じない生き方

 子供にご先祖の話をしておくと、子供は恥を知るようになるものだ。自分のご先祖には立派な人たちがたくさんいるのに、自分が何も功績を立てることがなかったり、自分だけが悪いことをしていれば、当然に先祖に対して申し訳ないと思うようになるものだ。自分のご先祖が誰だと言うことが解っているからこそ、ご先祖に恥じない生き方ができるようになるのだ。

 この手の生き方を「家系的貴族主義」といっていいだろう。自分たち家族は他の人々とは違うということが解っていれば、自然と自分の血統に誇りを持ち、高貴さを身に付け、深遠なる知恵を発揮し、勇猛果敢に成って行くものである。家系的貴族主義があればこど、自分は余所の子供たちとは違うという自己規定をすることができ、自分独自の道を歩んでいけるようになるのだ。

 だから墓参りは毎年行うべきなのである。墓参りに行く度に、ご先祖の話が出て来るのだから、ご先祖の話を聞かせると共に、家系的貴族主義を再確認することだ。墓参りを家族全員で行っている家族ほど、経済状況になんら変動を受けることなく、豊かな生活を送っているものなのである。

 もしも子供にご先祖の話をしないと、子供は恥を知ることがないから、平気で破廉恥な生き方をして来る。家系的貴族主義がなければ、自分は余所の子と同じだと思うようになってしまうから、その内、平等を唱え出して、余所の子がやっているから、自分もやっていいだろうという、済し崩し的な生き方しかできなくなってしまうのだ。

 こういう育ち方をすると、大人になってもまとも精神的自立ができなくなるから、凄まじいまでに利己的な生き方をするようになるのだ。そのため人間関係は常に揉めるし、結婚はしないし、結婚したとしても破綻してしまうのだ。この手の人々は個人主義を唱えるものだが、この個人主義は絶対に利己主義に陥って行くのであって、自分の人生の至る所で問題を起こし続けてしまうのである。家族制度を無視した個人主義は絶対に破綻するといっていいのだ。

●成功のイメージが湧き易くなる

 男の子なら将来、自分の仕事を見つけて、その仕事で成功しなければならない。子供の内なら遊ぶことは大事であるが、子供の内に自分の夢を持っておくことも大事なのである。子供の夢だからその夢が大人になって実現するかは解らないが、ここで重要なのは夢を見ることで「成功のイメージ」が湧き易くなるということなのだ。自分のご先祖に成功者が多々いるのだから、その人物たちのことが解っていれば、自分は成功できて当たり前と思うようになるのだ。

 女の子なら子供の頃は結婚願望が強いものだ。自分の母親の姿だけを見ていれば、もしも親への反抗が拗れた場合、幸せな結婚が想像できなくなるものだ。そうではなく自分のご先祖に様々な女性たちがいて、どうすれば幸せな結婚ができるかが解るようになれば、自分は結婚できて当たり前、結婚して幸せになって当たり前と思うようになるのだ。

 小学生になってしまうと、男女ともに学校生活の方が忙しくなってしまい、自分の将来のことを考えなくなってしまうものだ。特に女の子の方は大きくなるにつれて、結婚願望は納まって行くものだ。そのため今現在を楽しむことだけに追われて、自分の夢のために努力をしなくなるのだ。だから自分の夢が叶わなくなるのである。

 子供だから遊ぶことは必要であるが、遊び呆ける必要はないものだ。子供だから学校に行くことは必要であるが、学校にどっぷりつ浸かる必要もないものだ。自分のご先祖は誰であり、自分の夢がなんであるかが解っていれば、子供であってもその夢に向かって努力をし始めるものなのである。

 家系的貴族主義というのは、我が子たちを健全に成長させるだけでなく、我が子たちが夢を持てばそれを実現し易くさせるのである。夢を持っても成功することがないのは、自分のことしか考えていないからなのであって、家名に恥じない生き方をし、子々孫々のために自分の夢を成功させると思えば、確実に自分の夢を成功させることができるようになるのである。

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子供に霊能力がある場合の対応

●赤ちゃんは胎内記憶を持って生まれて来る

 我々は合理主義が正しいという価値基準の世界に住んでいる。理性的となって、合理的な行動を取るなら、利益を最大化できると思っているからこそ、至る所で合理性を追求しようとする。もしも合理主義に立脚できなければ、経済的に豊かになることはできないし、国家の安全も保障することはできないくなるのだ。

 しかし人間の能力は合理主義だけで納まるものではない。合理主義では説明できない能力をも多々持っているのだ。例えば胎内記憶である。科学的に考えれば、赤ちゃんは出生当時は白紙の状態で産まれ、なんの知識も持っていない筈である。だが赤ちゃんは見た目は無知であっても、それはただ体の問題で話せないだけであって、言葉を話せるようになれば、出生前の記憶を喋り出すのだ。それが「胎内記憶」だ。

 胎内記憶は3歳児だからこそ話せるもので、2歳では言語能力が低すぎてきちんと話すことができず、4歳では「記憶の消去」が起こるので胎内記憶そのものが消滅してしまうのだ。胎内記憶を持つ幼児に話を聞くと、胎児の最中に胎内で行っていたことを確かに記憶しているのである。当然に母親が経験したことも記憶しており、それを幼児が話すと母親はビックリしてしまうのだ。

 そして胎内記憶を辿って行くと、母親の体に宿る前の記憶を喋るようになり、母親の体の中に宿る前は、霊的な世界にいて、雲の上から母親を見ていたらしいのだ。母親の心身が妊娠可能になると、神様から羽を付けて貰い、地上に舞い降りて来るのだ。その時期を計測してみると、大体妊娠する前の「10日前」に母親の胎内に宿るというのだ。

 これは日本で古来から言い伝えられて来た「妊娠期間は10月10日である」ということとピタリと一致してくる。医学的な妊娠期間は10ヵ月なので、10日間は余分なのである。なぜ10ヵ月ではなく、10月10日となるかといえば、昔の人々は赤ちゃんが霊的な世界から舞い降りて来る時期をなんらかの形で知っていたのであろう。

●子供は母親だけに話すもの

 では幼児に霊的な世界の前にどこにいたかを尋ねて行くと、前世の話に辿り着いてしまう。人間の霊魂は突然に生まれて来るのではなく、明らかに輪廻転生しており、自分が生きている世界で全力を尽くすことで、自分の精神レベルをアップして行かなければならないのだ。

 前世記憶を調べて行くと、人間の霊魂は300年周期で輪廻転生を繰り返しており、その人が前世で多くのカルマを積んでしまうと、その時期は早まることになる。忘れてならないのは、人間は前世でカルマを積んでしまったからこそ輪廻転生して来るのであって、如何なる人間といえども、出生時点ではマイナスになっているのである。

 そのため幼児はどこかでカルマ落としをしてくるのである。それが自分が出生することで母親に命を育てる喜びを与えることと、自分の母親に対して前世記憶を話して来るということなのである。前世記憶を持つ子供たちを調べて行くと、子供は母親に対して前世のことを喋って来る。自分の前世のことを母親に知ってほしいことだからこそ、子供は母親に話して来るのである。

 母親にとってみれば、我が子から前世の話を聞くことで、現世に於いて自分さえよければいいという自己中心的な考え方を捨て、他人に奉仕し貢献することで、自分の功徳を突くんで行こうとするようになるものだ。「自分の人生は1度きり」と思うからこそ、自分の考えが間違った方に進んで行ってしまうのである。現世は飽くまでも修行の場であると解れば、自分さえ良ければいいという考えは捨てて、功徳を積むことで自分の精神レベルを上げて行くようになるものなのである。

 子供にとっては母親に前世記憶を話すことがカルマ落としとなる。前世記憶を母親に喋る子供に共通することが、重病に罹ったり、病気や事故で命を落とすことがないということなのである。前世のカルマを落としてしまったので、現世では自由に動けることになり、神様から自分に与えられた使命を果たそうとし始めるのである。

●成長過程で起こる「記憶の消去」

 胎内記憶や前世記憶は恐らく全ての赤ちゃんたちは持って生まれて来ている筈である。しかし母親の育て方で胎内記憶や前世記憶を喋らなくなってしまうようになってしまうのだ。我が子から胎内記憶や前世記憶を喋って欲しいと思うなら、きちんと子供に向き合って母性愛を注ぎ込んでいくべきなのである。

 子供はいつまでも胎内記憶や前世記憶を持ち続けている訳ではない。4歳になると脳で「記憶の消去」が行われるので、多くの子供たちが胎内記憶や前世記憶を失ってしまうことになるのだ。だから我が子から聞ける時に聞いておかないと、折角のチャンスを永遠に失ってしまうことになるのだ。

 しかし中には記憶の消去が起こっても、しぶとく胎内記憶や前世記憶を持っている子供たちもいる。人によって記憶の消去のかかり具合が異なるので、中には記憶の消去を免れる子供たちも出て来るのだ。こういう場合、子供が話す胎内記憶や前世記憶をちゃんと聞いてあげることだ。子供は母親に聞いて貰う必要性があるのだから話して来るのであり、母親は半信半疑で聞いているとそれ自体がカルマを積む行為になってしまうのだ。

 7歳になると、脳のシナプスが減少し始めるので、子供が胎内記憶や前世記憶を持っていたとしても、その記憶が徐々に薄れ始めるのだ。大体、13歳になる頃には殆どの子供たちが胎内記憶や前世記憶を失ってしまう。男女ともに性ホルモンが大量に分泌され始めるので、男の子は男らしく、女の子は女らしくするように全力を注ぐようになるのだ。

 通常、小学生になって胎内記憶や前世記憶のことを話していたら、奇人変人扱いされてしまうものだ。それゆえ母親は我が子が胎内記憶や前世記憶の話をして来るなら、きちんと聞いてあげると同時に、友達には言わないように釘を指しておくことだ。カルマ落としは母親に対してだけすればいいのである。

●霊能力を悪用してはならないことを教えよ

 思春期に入っても胎内記憶や前世記憶を持ち続けてしまう場合、その子は霊能力を発動させてしまう確率がかなり高くなる。当然その子は他人には見えないものが見えて来るのだから、その見えないものを口に出して来ることになるのだ。しかしそのような行為は合理主義が正しいと思っている世界では危険極まりないことなのである。

 我が子がもしも霊能力を持ったのなら、霊能力を悪用してはならないことを絶対に教え込むべきなのである。自分に霊能力があるからといって、霊の話をして無闇に人々を怖がらせたり、霊能力を使って他人に介入したのにしっかりと結果を出さなければ、逆に自分がカルマを負ってしまうことになるのだ。霊能力を悪用している者の人生が悲惨なものになってしまうのは、霊能力を悪用することは非常に多くのカルマを積んでしまうことになるからなのである。

 近代国家は合理性を追求するから、合理主義では解明できない霊能力に対しては常に人々の関心があるのだ。それゆえ定期的に霊能力のブームは遣って来ることになるのだ。テレビ局にしても視聴率が落ちて来ると、心霊現象を扱う番組を放送して、視聴率を無理矢理に上げようとする卑劣な方法を取って来るのだ。スピリチャルブームなどはその典型例であろう。

 霊能力を使いたいのなら、宗教の世界で使うようにし、世俗では決して披露しないようにすることだ。霊能力を肯定する宗教なら、その信者たちは霊能力を持つ人間もいるということが解っているから、世俗のように興味本位で扱われることがなくなるのだ。自分が所属する教団の中で、霊能力を使って人々を救う活動をすればいいのだ。

、我が子が霊能力を持っていると、霊能力を持っているがゆえに、勉強やスポーツを馬鹿にしてくるものだ。そのため他の子供たちよりも遥かに劣った知力と体力しか持てなくなってしまうのだ。だからこそ霊能力を重要視し過ぎた文明は衰退したし滅亡して行ったのだ。文明を発展させるためには、霊能力ではなく、知性や体力を優先させなければならないのである。

 霊能力を持っているということは、その者は神様から特別な使命を与えられているのであろう。しかし多くの霊能力者たちが霊能力を悪用し、罪深い人生を歩んでしまっているのも事実なのである。神様が望んでいるのは、霊能力は世俗では使ってはならないということなのである。宗教の世界で使うからこそ、その霊能力者は神の祝福を受けることになるのである。

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男の子にとって喧嘩は絶対に必要

●男の子は言語能力の成長が遅いもの

 乳幼児を育ててみると、最初の頃は可愛くても、成長してきて他の子供たちと交われば喧嘩をし出すものだ。喧嘩の原因の殆どは「オモチャの取り合い」だ。乳幼児は母親の下では自分の意見が基本的には通るから、他の乳幼児に対して同じようなことをやれば、それが喧嘩になってしまうのだ。

 だから乳幼児が喧嘩をするというのは、人間関係を学んでいく上で非常に大事なことなのだ。喧嘩をすることで、どのように人間関係を作り、それを維持して行けばいいを学んでいるのである。この時期、母親にとってはハラハラドキドキの連続になってしまう。我が子が喧嘩をすれば、謝るのは母親になってしまうからだ。しかし喧嘩しなければ我が子は人間関係を学べないからだ。

 そうやって喧嘩しまくりの時期をすぎると、女の子の場合、その後も喧嘩をするけど、暴力を伴う喧嘩はなくなり、喧嘩は「口喧嘩」になり、喧嘩に於いて母親が出る幕はなくなるものだ。女の子は言語能力が達者だから、わざわざ暴力を使わなくても、言葉を交わすことで問題を処理できrようになるのだ。

 だが男の子は違う、男の子は暴力を伴う喧嘩を延々とやりまくるものだ。男の子は女の子とは違い、言語能力の発達が遅いために、相も変わらず暴力を使い続けるのだ。母親も我が息子が喧嘩をする度に、謝らなくてはならないので、母親としては冷や冷やもんが延々と続いてしまうことになるのだ。

 とはいっても、もしも母親が息子に喧嘩を禁止してしまったら、どうなるか? 息子は人間関係を構築する機会を失ってしまうのだ。喧嘩というのは、家の外に出れば、自分の意見はそのまま通ることはないということを教えるのに、格好の授業なのである。喧嘩をしなければ、自分の意見は全て通ると思い込む、とんでもない子供に成長してしまうのである。

●喧嘩をすることで友達を作って行く

 母親にとって理解不能なのは、男の子が喧嘩をすることで友達を作って行くという行為である。通常、女性が暴力を伴う喧嘩をした場合、その相手とは絶交状態になる。しかし男の子は喧嘩で友達を作るという、女性には理解しがたい行動を取って来るのだ。勿論、この行為が大人になっても続くのではなく、大人になれば自分に暴力を振るった相手に対しては絶交するようになるのだ。喧嘩をして友達を作るというのは、男の子が若い時期にする不思議な行動パターンなのだ。

 自分の息子が小さい時はしょうもない喧嘩をして、それで仲良くなるという行動を取って来るのだが、これが幼稚園児や小学生になって、相手のことを凄まじいほどまでに憎んでいるのに、喧嘩を切っ掛けにとても親しい友人に変化してしまうのだ。まずこのようなことは女性である母親の身には絶対に起こらないことなので、母親にとっては理解不能なのだ。

 だから、娘には「みんなと仲良くしようね」と教えることが正しいことでも、息子には「喧嘩を売られたら、絶対にその喧嘩に勝て!」と教え込むべきなのである。次いでに「喧嘩に負けて帰って来るような子は我が家には入れません!」と退路を断ってしまうことだ。そうすれば息子は喧嘩をする時は全力で行い、喧嘩に勝てるようになるものなのである。

 もしも自分の息子が喧嘩に負けまくっているようであるなら、柔道や空手やレスリングを学ばして、喧嘩に勝てるようにしてあげることだ。喧嘩に負けることほど、男の子にとって悲惨なことはないのだ。母親としては我が息子が喧嘩に負けることがないように力をつけさせてあげる機会を設けてあげることは非常に大事なことなのである。

 子供の喧嘩といううのは、身長というものが恐ろしいほどまでに物を言うものだ。それゆえ息子にはカルシウムを多く取らせて、身長を伸ばしてあげることだ。味噌汁に煮干しを多めに入れて、その煮干しを食べさせたり、ヨーグルトを毎回夕食に出したりすることだ。それから縄跳びをさせて、体に刺激を与えることで、身長を伸ばし、骨を丈夫にさせておくことだ。

●やってはならない喧嘩

 男の子は喧嘩を大いにやるべきだが、喧嘩の中にはやってはならない喧嘩も存在する。母親は喧嘩自体を否定するのではなく、やってはならない喧嘩を否定することだ。もしもやってはならない喧嘩をしたのなら、父親に叱って貰うことだ。暴力を使って教え込まない限り、息子には理解できないからだ。

①弱い者イジメ

 まずやってはならない喧嘩の筆頭は「弱い者イジメ」である。喧嘩をやっていいのは、男の子同士であって、女の子には手を出してはならない。女の子は基本的に弱い生き物だからだ。しかし女の子から言葉の暴力を振るわれたら、絶対にその喧嘩を買って、相手を叩きのめさなければならない。男の子の方が喧嘩を控えているのに、言葉の暴力を振るって来るような女の子に容赦すべき理由はないからだ。

 それと身体的欠陥を理由にするイジメである。身体障害者をイジメた時は徹底的に叱っておくべきである。子供は平気で身体障害をバカにしてくるので、身体障害を理由に喧嘩を吹っ掛けてはならないのだ。それは身体障害者にとってどうにもならないことだからだ。できれば身体障害者と友人になり、子供に身体障害者とはどういう人たちなのか教えておくべきだろう。

 それと同じ国籍を持っているのに、出身国で差別するイジメである。外国出身でも日本国民に帰化したのに、その出身国をあげつらってイジメをしたら、絶対に叱っておくことだ。例えばその子が中国出身なのに、日本に帰化した場合、「や~い、中国人!}といえば、喧嘩になってしまうものなのである。そのような喧嘩は許してはならない。同じ国籍を持っている以上、不当な差別はしてはならないからだ。

②凶器を使う喧嘩

 喧嘩は素手でやれということだ。喧嘩の悪い奴に限って凶器を持ちだして来るので、喧嘩に負けっぱなしなら、或る程度まで喧嘩の仕方を教えておくことだ。もしも凶器を使って喧嘩をしたのなら、半殺しにするくらい、殴りつけておくことだ。そうしない限り、息子は理解できないのだ。

③相手に重傷を負わす喧嘩

 喧嘩は相手をダウンさせたり、逃亡させたりすればいいのであって、重傷を負わすべきではないのだ。子供といえども、力の入れ具合や、当った場所が悪ければ、重傷を負わすことになるので、喧嘩は正々堂々と行うことを教え込んでおくことだ。子供の喧嘩といえども、相手の子供に重傷を負わした場合、母親がその弁償をしなければならなくなるので、一体幾ら支払ったかその金額をとくと教えておくことだ。

●男の子の喧嘩については夫に聞け

 母親だけでは男の子をきちんと育てることはできない。特に男の子の喧嘩は、女性である母親には理解不能な行動だからだ。でも息子は喧嘩をしないとまともな男性に育ってくれなのだ。もしも喧嘩をせずに育ててしまった場合、碌な大人にはならないだろう。男は喧嘩をすることで、この世で生きて行く術を学んでいくものだからだ。

 息子が喧嘩し出すようになったら、素直に「母親である私には理解不能だ」と夫に知らせておくことだ。そうすれば夫は息子と二人きりで男同士の話し合いをし、喧嘩の勝ち方や、もしも喧嘩に負けた時どうすればいいのかを、父親から教えて貰うのである。父親はこういう時にこそ必要なのである。

 母親だからといって、我が子に喧嘩することなく、みんなと仲良くして欲しいと思っていると、息子はロクデナシに育ってしまうものなのである。男の子なら喧嘩をしなければならないのだ。喧嘩をいなければまともに育って行くことはないのだ。息子が喧嘩をすれば、母親の心は穏やかなものではない。しかしそうやって母親の考えを超えて、息子は育って行くのである。

 男性は大人になれば、妻子を守り養わなければならない立場に置かれるのである。それゆえ男性は強くなければ、妻子を守ろうとはしなくなるし、それどころか結婚すらしないことであろう。母親である自分は夫から守られている立場にあるからといって、息子も母親と同じ考えでいては困るものなのである。今は小さな子供であっても、いずれ妻子を守る立場に立たなくてはならないのである。

 息子が喧嘩に勝てば、それで万々歳ではなく、相手の親が怒鳴り込んで来るものだ。しかしその時は謝りながら、「うちの息子は良くやった!」と心の中では思っていればいいのだ。もしも息子が喧嘩に負けたら、「喧嘩には必ず勝てと言っただろうが!?」と怒鳴りつけてしまうことだ。そうすれば次の喧嘩には勝つことができるようになることであろう。

 母親としては非情な行為であっても、そうやって息子を育てて行くからこそ、息子は強くなっていくことができるのである。男の子にとって喧嘩は絶対に必要なものなのである。どうせ喧嘩をするんだから、喧嘩をすることを止めるのではなく、喧嘩を勝てるように仕向けてあげるのが、母親が我が子に与える本物の愛情というものなのだ。

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娘に読ませたい本『赤毛のアン』

●誰も原作を読んだことのない『赤毛のアン』?

 先日、ふとしたことから『赤毛のアン』の話になってしまった。その際、俺は「我が家では『赤毛のアン』を放映している時に、父親が自宅がいると野球中継に変えられてしまって、『赤毛のアン』のストーリーがイマイチ解らない」と言ったら、なんと女性たちは「私も話が良く解らない」と言って来たのである。

 それもその筈、『赤毛のアン』が放映された時は、俺の年代はまだまだ子供で、アンの年齢にすら達していなかったからだ。そのため、アニメで放映されて、それを見たとしても解らない訳だ。あのアニメは俺よりも上の年代の女の子たちが見て人気を博したのである。因みに、『赤毛のアン』の次に『トムソーヤの冒険』が放映されたので、俺はそのアニメに関しては話をしっかりと覚えている。

 そこで『赤毛のアン』の原作が一体どのようなものなのか気になったので、読書家の女性に話を聞いてみた。すると「孤児だったアンがマニラに引き取られて」まではいいのだが、その後の話がイマイチ解らなかった。明らかに物語の内容を忘れてしまったみたいだ。読んでいても覚えていないのだ。

 仕様がないので、俺は早速『赤毛のアン』を読むことにした。調べてみて驚いたのは、『赤毛のアン』はなんと全10巻もあるのだ。こんなに大量にあるとは思わなかった。『赤毛のアン』の第一巻は原作名を『グリーンゲイブルズのアン』と言う。グリーンゲイブルズとは「緑の妻切屋根」という意味で、その家がアンの引き取られたカスバート家のことなので、アンとカスバート家の人々の話であるのだ。『赤毛のアン』という翻訳名は奇麗な翻訳名ではあるけれど、この題名だと赤毛のアンだけの話に勘違いしてしまうのだ。

 『赤毛のアン』の粗筋は、孤児だったアンが、マニラ・カスバートに引き取られ、マニラに養育されていくお話である。マニラの冷たい性格と、アンのポジティブな性格がぶつかり合って、マニラは性格を温かにものに変えて行くし、アンも賢い女性に成長して行く。学校では優秀な成績を取ったために、進学クラスに入り、師範学校のクィーンズ学院へと進学して行く。クィーンズ学院でアンは優秀な成績をとってエヴァリー奨学金を貰い、大学に進学できるようになる。しかしアンはマニラの兄のマシュウの死を切っ掛けに大学進学を諦め、マニラを助けるためにグリーンゲイブルズに留まるというお話なのである。

●文学作品としての『赤毛のアン』

 『赤毛のアン』は少女が主人公だし、作者も少女向けに書いたために、児童文学と見てしまうのだが、児童文学と見るからこそ問題なのである。これは歴とした文学作品であって、文学好きの少女がハチャメチャを引き起こすからこそ、大人が読んでも面白いのである。翻訳の際、児童向けに平仮名を多く使ってしまうと、大著になってしまい、原作の良さが全く解らなくなるのだ。原書は253頁なので、子供であっても気軽に読める本になっているのだ。ところが、掛川恭子の日本語訳だと469頁になってしまい、子供が読むには重たい本になってしまうのだ。

 『赤毛のアン』は「お喋り小説」という新しいジャンルを作って、そこに入れてしまいたいほど、アンのお喋りが抜群に冴えているのである。アンのお喋りを削ってしまうと、この小説は半分以下の量で済むようになるのだ。小説の中で物語が進行して行くと同時に、アンの空想が同時に進んでいくからこそ、この小説は非常に面白いのだ。

 アンはただ単にお喋りをしている訳ではないのだ。シェイクスピアなどの文学作品を踏まえて喋っているのである。だから10代前半の小娘が喋るにしてはませており、でも10代前半の小娘が喋るからこそ愛嬌があって面白いのである。『赤毛のアン』は読者に文学の教養があれば、笑えて笑えて仕様がない小説なのである。

 原作ではアンは赤毛で痩せ形の女の子と紹介されているために、そのような姿を想像してしまうのだが、これだけ空想力があるためには、多少太っていなければならないのだ。痩せた女の子ではこれほどまでの空想力を持つことはできないものなのだ。それを展開できるだけの脂肪がなければ、アンの空想は出て来ないのだ。矢張りこれは原作者のモンゴメリが10代の頃の姿を基準に考えるべきで、そうするとアンは痩せ型の娘ではなく、少し肉付きのいい女の子になるのである。空想力豊かな女の子は肉付きがいいものなのである。

 困ったことに、『赤毛のアン』の翻訳者たちはただ単に児童文学として捉えてしまったために、この『赤毛のアン』の面白さが解っていないのだ。だから読者にこの本の面白さが伝わらないのである。アンがただ単に文学作品を引用してきたのなら、なんの面白味もない。しかしアンは文学作品を引用しつつ、それにアン自身の空想を付けて喋っているからこそ、有り得ないほどに面白いのである。

●モンゴメリの育った環境

 俺は『赤毛のアン』を読んでみて非常に面白かったので、この作者であるルーシー・モード・モンゴメリの育った環境を調べたくなった。モンゴメリは1874年11月30日にカナダのプリンスエドワード島に生まれている。モンゴメリが1歳9ヵ月の時に母親が結核で死亡している。その後、モンゴメリの父親はアンを妻の祖父母に預け、そこで育てられることになる。モンゴメリがアンを孤児にしたが、モンゴメリも孤児に近い生い立ちを持っていたのだ。

 祖父母は長老派教会の信者であるために、非常に厳格で、モンゴメリは祖父母が行う宗教的抑圧と自分の感情の間で、激しく揺れ動く少女時代を過ごすことになる。この祖母こそがマニラの原型で、時折祖母の家に訪れる父親がマシュウの原型なのである。アンとマニラの遣り取りが非常に巧く書けているのは、実際に祖母との遣り取りがあったのである。またマニラとマシュウが妹と兄なのに一緒に暮らしているという不思議な関係も、祖母と父親をモデルにしたからなのである。

 少女時代のモンゴメリはお転婆娘で、親戚の男の子たちと良く遊んだようである。一流の女流作家は子供の頃、みなお転婆娘だった。子供の頃に読書ばかりの文学少女だったというのは皆無なのである。矢張り子供の頃は外で充分に遊んでおかないと、体も脳もきちんと成長して来ないのだろう。

 祖父母が長老派教会の信者なので、子供の頃から聖書を読んでいたようである。モンゴメリが9歳以降、本を本格的に読み始めるようになった。長老派教会の家らしくバニヤンの『天路歴程』を読んでいる。それからスコットランドの代表的な作家であるウォルター・スコットの小説も読んでいるのだ。自宅には本が少なかったために、読んだ本を何度も何度も繰り返し読んだようである。これが後に作家になった時、大いに役立つことになった。

 それから祖母が読む婦人雑誌を良く読んでいたようで、雑誌の連載小説を熟読していたために、モンゴメリの小説は物語展開が非常に巧いのである。カナダの雑誌は第一次世界大戦後に急激に低俗化してしまうので、モンゴメリの後にカナダから出来のいい作家が出て来なくなってしまうのだ。モンゴメリは生まれた時期が非常に良かったのである。

●不当におとしめられた『赤毛のアン』

 『赤毛のアン』は発売当初から、カナダ本国だけでなく、アメリカでも、イギリスでも爆破ッ的なヒットをすることになった。日本でも翻訳されると爆発的にヒットすることになった。『赤毛のアン』の児童文学の中で少女が読む物に関しては最高峰に位置するものであり、文学作品としても価値が高い作品だからだ。いい物は必ず売れるものなのだ。

 しかし『赤毛のアン』が売れるのにはもう一つ訳がある。それは社会主義国や社会主義の影響の強い国で受けるという現象だ。『赤毛のアン』では、「自助努力」を賛美しており、モンゴメリはアンにこう言わしている。

 「私はやれることはやったんだし、≪努力の喜び≫とは何かが解り始めたの。努力して勝利を得ることはいいことよ。でも、その次に良いことは、努力して落ちることなのよ。」と。

 社会主義が強くなると必ず自助努力が罵倒され、社会が悪いのであって、社会を改造すればいいという考えになってしまうのだが、モンゴメリはそれに反対意見を唱えているのである。

 日本で『赤毛のアン』が受けたのは、国内で社会主義勢力が強かったからであり、学校では日教組がいたからなのである。当時、学校では平等教育が盛んに行われていたのであって、その時期に『赤毛のアン』を読んだ女の子たちはアンの言っていることや遣っていることに深い共感を覚え、喝采を送ったことだろうし、だから日本には根強いファンが居続けているのである。

 社会主義者は絶対に『赤毛のアン』を評価しないが、それに続くフェミニストたちも『赤毛のアン』を評価しない。なぜなら『赤毛のアン』でモンゴメリは、女性が自立するためにはどのように行うべきか、きちんと説明しているからだ。学校でしっかりと勉強し、職業につくことであり、、そして父親から離れて行くことであるとしっかり指摘しているからだ。『赤毛のアン』がマシュウの死でラストを迎えるのはそのためなのである。フェミニストたちが主張するように、女性が自立するためには、社会を改造することなど、『赤毛のアン』を読んでいれば、絶対に必要のないことなのだ。

 だからこそ、フェミニズムが強くなると、『赤毛のアン』は抹殺されてしまう。丁度、社会主義が強くなってくると、サミュエル・スマイルズの『自助論』が抹殺されたように、『赤毛のアン』も抹殺されてしまうのである。それゆえ学校の教師たちにフェミニストたちが増えて来ると、『赤毛のアン』は否定されてしまい、「『赤毛のアン』なんて知らない!」という女の子たちが出て来てしまうのである。

●なぜ女性たちは『赤毛のアン』を卒業してしまうのか?

 文学というのは、実はナマモノなのである。小説の中にはその年代でしか読めない作品というものもあるのだ。児童文学などは自分が児童の時だったからこそ、面白いと思えるのであって、自分が成長してしまえば、卒業して行くものなのである。『赤毛のアン』はアンが11歳から16歳の間の物語なのである。初恋を経験する前の女の子の物語なのである。だから初恋を経験する前に『赤毛のアン』を読めば物凄く共感できるが、初恋を経験してしまえば、『赤毛のアン』から卒業して行ってしまうのだ。それだけ初恋は女の子にインパクトが大きく、女の子を激変させてしまうのである。

 自分が初恋を経験してしまえば、アンとギルバートの関係はおかしなものに写ってしまう。ギルバートは明らかにアンに好意を寄せているし、アンもギルバートに対して憎しみから愛情へと変わりつつあるのだが、だからといってこれが初恋になる訳がないのだ。普通だったら、ギルバートとの関係は、アンの成長と共に終焉を迎え、アンは他の男性と恋に落ちる筈なのだが、その後の展開ではアンはギルバートと付き合い、結婚してしまうことになるのだ。これはモンゴメリ自身がちゃんとした恋愛をしていないからこそ、恋愛を空想の中でしか捉えることができなかったのだろう。

 もしも読者が大きくなったというのに『赤毛のアン』を卒業できなければ、その読者は友情も恋愛も不発だったということなのである。大人になってもアンフリークになって、わざわざプリンスエドワード島にまで行くようになったら、もうお仕舞である。自分がちゃんとした友情を育み、トキメクような恋愛をしたのなら、『赤毛のアン』から卒業して行くものなのである。それが児童文学の宿命なのである。

 それゆえ、自分が母親になった時、娘のために『赤毛のアン』を購入して、娘に読ませればいいのだ。その際に、自分も改めて読んでしまえばいい。そうすれば『赤毛のアン』の素晴らしさが解って来る筈だ。自分が大人になって『赤毛のアン』を読んでみると、子供の頃には解らなかったものまで見えて来るものなのだ。

 例えば、アンが住んでいる「エイヴォンリー」という村は、実はシェイクスピアの生まれ故郷「ストラッドフォード・アポン・エイヴォン」から取ったものだと解れば、『赤毛のアン』はシェイクスピアの土台の上で物語を展開させていることが解るようになるのである。それもその筈、モンゴメリは『赤毛のアン』を執筆する前に、シェイクスピア全集を購入し、暗唱できるほどにまで読み込んでいたのである。

 アン・シャーリーという名前にしても、「シャーリーって一体何?」と疑問を以て自分で調べてみればいいのだ。シャーリー(sharley)とは、シャーリング(sharring)から来た言葉で、シャーリングとは日本語で「飾りひだ」という意味である。アンは物語の中でマシュウからシャーリングの付いたスカートをプレゼントされるのだが、これがアンにとって子供から大人へと変えて行くことになるのだ。マシュウは地味な存在でありながらアンの成長に欠かせない人物なのである。だから『赤毛のアン』自体が、マシュウが孤児であるアンを駅に迎えに行く所から始まり、マシュウが死ぬ場面で終わるのである。

 そう考えてみると、『赤毛のアン』は非常に面白い作品なのである。子供であるなら、『赤毛のアン』だけを読んでいればいい。しかし母親なら『赤毛のアン』だけでなく、モンゴメリが書いた他の作品を読んでみるべきだし、シェイクスピアの作品にも手を伸ばしてみたりすればいい。そうすれば幾らでも面白くなるものなのである。

※『赤毛のアン』関連本の紹介

 『赤毛のアン』の翻訳のスタンダードとしては掛川恭子さんが翻訳した『赤毛のアン』(講談社)だ。まずはこの翻訳を読んでおくべきだろう。この翻訳を読めば、俺が悪い翻訳といっているのが解ると思う。『赤毛のアン』を児童向けに平仮名を多用してはならないし、翻訳者自体がこの作品の文学的価値が解っていないのだ。掛川恭子さんはプリンスエドワード島がモンゴメリを産んだと思っているのだが、モンゴメリはイギリス文学をきちんと継承したからこそ『赤毛のアン』を書けたのである。もしもプリンスエドワード島がモンゴメリを産んだのなら、その後も作家を大量に産みまくった筈だ。しかしプリンスエドワード島ではモンゴメリ以外、作家は出て来ないのである。

赤毛のアン (完訳クラシック赤毛のアン 1)

 『赤毛のアン』の文学的価値を解りながら翻訳したのは松本侑子さんだ。現時点では、翻訳としては松本侑子さんの『赤毛のアン』(新潮社:)が一番解り易いと思う。現代の日本人女性ならでは言い方をしているので、アンの言葉が違和感なく解るようになると思う。しかし松本侑子さんは学者ではなく、自宅に蔵書を大量に持っていないので、その点で注釈にヴォリュームが足りないのだ。これでは注釈はつけなかった方が良かった。矢張り文学作品を翻訳するためには、大学で教授をしている英文学者でないと難しいのである。

赤毛のアン (集英社文庫)

 注釈もついて、翻訳も正確なのが、山本史郎さんが翻訳した『完全版 赤毛のアン』(原書房)だ。娘に読ませるのではなく、母親が自分のために読むなら、こちらの本がお薦めである。本格的な解説や注釈がついているので、まずは本文を一読し、その後、解説や注釈を辿って行くと、『赤毛のアン』の文学的な面白さがきっと解るようになると思う。

完全版・赤毛のアン

 この三冊の内、どれか好きな1冊を選んで読んでみるのもいいし、この三冊を読み比べてみるのもいい。翻訳の難しさが手に取るように解る筈だ。もしも英語が出来るのなら、カナダから原書を取り寄せて、読んでみるのもいい。『赤毛のアン』を教材に英語の勉強をしてみれば、読み終えた時には相当の英語力が身についていることになると思う。

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男の子は甘えん坊

●男の子は怪獣状態

 女の子が疑似結婚をしてスクスクと育っている間、男の子は女の子が育つようには成長してこないのだ。男の子は怪獣状態なのである。男の子は女の子と違って、男性ホルモンが分泌されてしまうので、攻撃的な子供として育ってくるのだ。冒険を繰り返し、未知なる世界を探求しまくろうとするのは、男の子の典型的な特徴なのだ。

 男の子は女の子のようには上位自我がきちんと形成されない。女の子にとっては母親がいつも側にいるのだが、男の子にとって父親が仕事で外出しているので、上位自我があやふやなまま形成されていくのだ。女の子が「オママゴト」をして、きちんと家庭内の人間関係を展開しているのに、男の子にはそれができないのだ。

 男の子が熱狂するものに、テレビの「戦隊物」があるのだが、変身した主人公たちが仮面を被っているというのは、男の子にとっては上位自我がきちんと形成されていないからなのだ。女の子向けのアニメで魔女が変身したら、顔がはっきりと出ているのと大違いなのだ。

 女の子に余り「女の子らしくしないさい」と言わなくてもきちんと育つが、男の子には「お前は男なんだから」と常に言い聞かせて育てないと、きちんと育ってくれなくなるのは、男女では上位自我の形成のされ方が異なっているからなのである。母親は息子に男であることを意識させる育て方をしないと、息子はどうしようもない男性に育ってしまうのである。

 男の子を育てる時は、母親が貧弱な上位自我の補完を行ってあげなければならないのだ。母親が善悪の判断をビシッと教え込むからこそ、息子はその善悪の判断基準を受け入れ、良いものは良い、悪いものは悪いとするようになるのである。母親が男の子に対してそれを行わないと、男の子は怪獣状態のまま大人に育って来ることになるのだ。

●母性愛を大量に必要とする男の子

 通常、男の子は母親に甘えまくるものだ。男の子は女の子以上に大量の母性愛を必要とする。ただ単に肉体的に成長しているのではなく、男性ホルモンによって体が大きく変化していくために、その成長や変化を母親に肯定して欲しいのだ。母親に肯定して貰えるからこそ、息子の方としては後退がなくなり、前進あるのみとなるのだ。

 男の子は3歳の時に有り得ないほど可愛くなる。この時期の可愛らしさは女の子の可愛らしさを遥かに超えて来るので、これを目の当たりにした母親はメロメロになってしまうものだ。通常、男の子を育てた母親と、女の子だけしか育てていない母親とでは、育児に対する喜びの度合いが全く異なるものだ。余りにも可愛過ぎる息子を見てしまえば、母親は息子に対して特別な感情を抱くようになるものなのだ。

 なんで男の子がそれほどまでに可愛くなるかといえば、それはホルモンの変化のために死亡率が高くなるからなのである。乳幼児の死亡率では男女が平等になることは絶対にない。どのような状態にさせても、男の子の死亡率の方が高くなる。それは男性ホルモンが分泌されることで、常に体に無理がかかっているから、そこを病原菌に突かれてしまうと、呆気なく病気に罹り、死んでしまう危険性が出て来るのだ。

 だから、女の子ならそろそろ母親から離れて行く時期でも、男の子は母親から離れて行こうとしないのだ。免疫力の問題で、女の子は死亡率が少ないために、平気で母親から離れて行くが、男の子は死亡率が高いために母親から離れて行ないのだ。それゆえ息子が母親に纏わりつくなら、纏わりつかせておけばいいのである。自分が安全だと思ったら、母親から離れて行くようになるのだ。

 母親と息子の結びつきは、母親と娘よりも強いものだ。これは成長過程に於いて常に母親を必要としたからなのである。そのため子供たちが大人になってから、母親に親孝行するのは決まって息子の方なのである。娘の方は母親と仲良く話しても、なかなか親孝行してこないのだ。寧ろ母親のお金を取ろうとしてくるのだ。これは成長過程の違いなのであって、母親が息子にたっぷりと母性愛を注がないと、まともに成長して来ないし、親孝行もしなくなってしまうのだ。

●男性は自分の力で上位自我を破壊する

 男の子は上位自我の形成が弱いために、物心が付く頃に父親から薫陶を受けることは非常に大切なことになる。息子が小学生になったら、父親は息子に勉強を教えるなり、スポーツに興じておかないと、息子の精神を鍛えることができなくなるのだ。さすがにこの時期は仕事ばかりしていないで、週に1度は息子への教育に精を出すべきなのである。

 男の子は小学生に時に、冒険ごっこを繰り返しているものだ。冒険ごっこを繰り返すことで、愛情や知恵や勇気を鍛えて、来るべき冒険旅行に備えているのである。男の子を学校だけに縛り付けてしまうと、男の子は自立すための知識や技術を身に付けられないのである。遊びを通じて学んでいくのである。

 そして思春期に入ると、男の子は自分の世界に閉じ籠って行くものだ。両親を急激に拒絶するようになる。これが自立の開始なのである。男の子は男性ホルモンが大量に分泌されてくるので、女の子よりも思春期の荒れ方が激しくなるものだ。できればこの時期は家から追い出して、寄宿舎生活を送らせてしまえばいいのである。そうすれば息子から反抗を受けることがなく、息子はその反抗エネルギーを自分の成長のために使えるのである。

 男の子は思春期の時に、冒険旅行に出かけて行くことになる。自分が家庭や学校から離れ、冒険の中で自分の愛情や知恵や勇気を実践して行くことになるのである。この冒険旅行の中で自分と向き合い、自分の心の中にある上位自我を破壊して行くのである。なぜなら上位自我は父親の幻影なのであって、それを破壊しない限り、精神的に自立していくことは不可能になるからだ。

 女の子は上位自我がしっかりと形成されているので、自分の力で破壊することはできない。しかし男の子は上位自我が貧弱だからこそ、自分で上位自我を破壊することができるのである。男の子が冒険旅行で上位自我を破壊してくれるからこそ、その男性が女性に恋愛した時、自分の付き合っている女性の上位自我を破壊することができ、女性を母親の支配から解放させてあげることができるのである。

●結婚はできて当たり前、国家のために行動する

 男性は精神的自立を完成させてしまえば、結婚して行くことになる。女性も精神的自立を完成させれば結婚して行くが、女性が結婚生活を中心と捉えるのに、男性は結婚できて当たり前なのである。男性は結婚をするだけでなく、仕事を通じて、自分の愛情や知恵や勇気を実践し、仕事を楽しみながら、人々に奉仕し貢献して行くのである。

 女性は仕事をしていなくても独立を維持できるが、男性は仕事をし続けないと独立を維持できないのだ。だからこそ男性が失業するとショックを受けてしまうし、給料が減額されるとショックを受けてしまうのだ。仕事をしなかったり、仕事の成果が弱いと、男性は自信を喪失してしまうのである。だから自殺者が出て来るのである。

 男性が独立しているのなら、郷土愛や愛国心を激しく持つものなのである。自分の家族を守るためには郷土の安全が保障されていないと困るので、自分たちが住んでいる郷土を安全なものにさせたいと常に願うものなのだ。郷土愛があるくらいだから、愛国心も当然にある。国家レベルで安全が保障されないと、自分の妻子の安全を守ることができないからだ。

 男性であっても、独立を果たしていないのなら、郷土愛を持たないし、愛国心を持つことはない。ゴミは平気でポイ捨てするし、自国の悪口を平気で言って来るものだ。そういう男性が結婚してしまうと、当然に妻子を守ろうとする気持ちは何1つ持っていないのだから、妻子を貧困にさせても平気で、妻子に暴力を振るうことも平気になってしまうのだ。

 家庭問題をとやかく上げて来る人々がいるものだが、幾ら家庭問題を弄っても全て解決されることはないのだ。その夫婦がきちんと独立していないと、家庭はどうにもならないのである。男性だったら、子供の頃に母親からたっぷりと愛され、その後、父親の薫陶を受け、冒険旅行に出かけて自立を果たさないと、どうやってもちゃんとした結婚を実現することはできないのだ。男の子を女の子と平等に育てても、まともな男性が育って来ることは絶対にないのだ。

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女の子の疑似結婚

●女の子に上位自我が入ると疑似結婚が起こる

 女性が女の子を産むと、女の子の性格は母親に良く似て来るものだ。どの母親も「この子は一体誰に似たんでしょう?」という疑問を持ってしまうものだ。しかし娘の性格は母親の性格そっくりになるものであって、母親は自分の娘が自分と似たようなことをし出すからこそ戸惑ってしまうのである。

 娘は女性として同性であるために、母親の人格が娘の上位自我としてスムーズに形成されるのである。上位自我は自分の自我の上でに君臨して、自分の自我を制御してくることになるのだ。そのため母親は娘に「いい子でいてね」と頼むと、上位自我は「いい子」でいるように命令して、いい子でいさせるのである。所謂、これが「良心」なのであって、良心が形成されるからこそ、女の子は母親が良いと思うことをし始めるようになるのだ。

 娘に上位自我が形成されると、娘の父親に対する態度が急激に変化して行く。それは今までの親子関係のようなものを展開するのではなく、突然に父親と慣れ慣れしくなり、「将来、パパと結婚する~ッ!」と言い出して来るのだ。これが娘の「疑似結婚」なのであって、父親はこれにきちんと付き合わねばならないのだ。

 通常、この時期、娘は子供のくせをして、子供であることを悪用して、父親の気を性的に惹こうとするのだ。自分の心の中に上位自我が形成されたために、その上位自我を父親から価値あるものとして承認して貰わねばならないのだ。そうしてくれないと、自分の上位自我を価値あるものとして肯定することができなくなってしまうのだ。

 自分の娘が父親と疑似結婚したがっているのに、父親が仕事ばかりして、自宅にいる時間が少ないと、娘は疑似結婚をする機会を失ってしまい、上位自我が異常な行動を取るようになり、子供のくせして早くから性に目覚めるという異常な行動を取って来るようになるのだ。父親は娘にとってこの時期は非常に大事な時期なので、仕事ばかりしないことだ。

●父親に愛されるということ

 娘の疑似結婚は、母親から大量の母性愛を貰わないとできないものなのだ。母親から母性愛を大量に貰うことによって、自分を絶対的に肯定できるようになり、それによって父親の方に疑似結婚を申し込むことができるようになるのだ。もしも母親が充分に娘を愛していないと、娘は父親に疑似結婚を申し込むということはしなくなるのだ。

 疑似結婚によって父親から父性愛を貰えるようになると、娘は自分を価値ある人間だと思えるようになるのだ。考え方にしても行動にしても全てポジティブな言動を取るようになるのだ。大人になればネガティブモードになる人々がいるものだが、子供の頃はポジティブモードになっているものなのである。

 娘としては成長とともに、自治領域を拡大して行くことになるので、常に母親が構ってくれるようにはならなくなってくるのだ。それは成長の証ではあるのだが、自治領域を広げ過ぎたことで、今度は一転して不安になってしまうのだ。そこで「自分は橋の下に捨てられたんだ」と孤児妄想に取りつかれてしまうようになるのだ。

 その際、父親は「そんなことあるわけないだろう!」といって、再び自分を愛してくれるようになるからこそ、孤児妄想は吹き飛んでしまい、以前よりも元気な娘に成長して行くのである。孤児妄想は健康に成長してきた証なので、この孤児妄想が起こらない方が危険なのである。恐らく母親が過保護に過干渉を繰り返してしまい、自治領域を非常に狭めたものにしてしまっているのだ。

 娘が疑似結婚を行い、孤児妄想を破壊して貰うと、自分の人生には幸福しか起こらないと思えるようになるのだ。勿論、自分の人生には不幸とかも訪れることはあるが、それは更なる幸福を得るための試練なのだと肯定的に受け止めて来るのである。当然、このような考え方を持たれては、幸運なことが起こりまくるようになるのである。

●思春期に突入すると、疑似結婚のことを奇麗サッパリと忘れてしまう

 ところが、娘は思春期に突入すると、疑似結婚のことなど奇麗さっぱりと忘れて、父親を嫌うようになるものだ。特に女の子の半分は父親を嫌うようになる。これは女性ホルモンが大量に分泌されることで、生殖機能が活動して来てしまい、父親の元を脱して他の男性を求めようとし始めるのだ。

 女性は自分の遺伝子とは掛け離れた遺伝子を無意識の内に求めてしまい、そのために自分と近い関係にある父親を嫌ってしまうようになるのだ。これは体臭の問題として現れ、自分と似たような遺伝子を持つ父親の体臭を特に嫌うようになってしまうのだ。女性にとっては父親から離れて行くことこそ、自立の始まりなのである。

 しかしもう半分の女の子たちは父親を嫌うことなく、自立を開始して来る。この女の子たちは自分たちの遺伝子を温存させる役割を持たされているのであって、外に出て他の遺伝子を探そうとするのではなく、なるべく近くにいる男性から遺伝子を探そうとしているのだ。その子に与えられた役目が違うのである。

 このためこの娘には父親が何かと目をかけるべきであって、進路や就職のことなどに適切なアドバイスを与える必要性があるのだ。父親を嫌う娘に対してそんなことをやれば怒り出すだろうが、父親を慕う娘に対してはアドバイスを与えることで、自立を促さなくてはならないのだ。

 もしも結婚適齢期になっても結婚相手がいないというのなら、結婚相手を探して来るのは父親の役目なのである。この手の娘は放置しておくと、いつまでも自宅に居座ってしまうために、早くに自宅を追い出さないと、きちんと独立できなくなってしまうのだ。娘の自立や独立には大きく分けて2つのパターンがあるので、絶対にその選択を誤らないことだ。

●女性の自立は父親が鍵を握っている

 思春期に父親を嫌う娘であっても、父親を慕う娘であっても、家庭中心から学校中心へと生活が変わって行くものだ。多くの場合、学校で友達を見つけ、友情を育んでいくものだ。親友は中学生や高校生の時にできるものなので、この時期に親友を作っておかないと、永遠に親友を作る機会を失ってしまうものなのである。

 親友と深い友情を結び終えると、次は恋愛に向かうものだ。不思議なことに親友との友情が深まった後に、突然に男性が現れて来て、恋愛をするようになるものだ。女性はその恋愛によって、男性から上位自我を破壊して貰わねばならないのだ。上位自我は自分の心の中にあっても、自分以外の者なのであって、不自然極まりないものなのである。

 男性に愛情と知恵と勇気が揃っていないと、自分の彼女の上位自我を破壊することはできないのだ。そのため男性を見る目がない女性は、恋愛に失敗し続けてしまい、次から次へと男を変えて行くことになるのだ。それによって恋愛に対してネガティブな記憶ばかり蓄積されてしまうので、上位自我を破壊できるような恋愛はできなくなり、不自然極まりない生き方をし続けてしまうようになるのだ。

 女性は恋愛をして、自分の上位自我を破壊して貰うと、自分から不自然極まりない考えや動きが消滅してしまうので、結婚しようとし出すのである。女性が男性の収入やルックスに目が眩まなければ、恋愛結婚の場合、結婚相手を間違えるということはないのである。自分の上位自我を破壊してくれない限り、結婚などしようとはしないからだ。

 結婚式でなんで花嫁は父親に感謝の言葉を言って、涙を流すのかといえば、それは自分が父親の元から離れることによって、「自立の完成」を実現できたし、今度は両親から独立して行くのである。それは悲しいことであって、それと同時に嬉しいことでもあるのだ。父親から独立を承認して貰わない限り、自分は独立できないものなのである。

 「女性の自立」が叫ばれるものだが、女性の自立は実は父親が鍵を握っているものなのである。女性は自分の父親からしっかりと愛されないと自立できないものなのである。経済的に自立するなら、働き出せばいいのだ。しかし精神的な自立は父親に愛されるからこそできるのであり、父親から離れるからこそできるのである。「女性の自立!」と叫び続けている女性たちに限って自立できていないのは、子供の頃に父親に愛されなかったからであり、父親から離れて行くということをしなかったからなのである。

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子供にとって家事手伝いは勉強以上に大事

●家事手伝いをすることは家族の一員として向い入れることである

 乳幼児は家事を手伝わないものだ。家事は母親がするものであって、乳幼児はそのサービスを消費する存在でしかない。乳幼児には家事を手伝う能力を持っていないので、家事など手伝わさなくていいのだ。しかし遅くとも6歳までには家事を手伝わせておかないと、我が子が大きくなっても乳幼児のままになってしまうのだ。

 子供に家事を手伝わせるというのは、「成長のための通過儀礼」なのだ。子供は家事手伝いをすることで、家族の一員になることができるのである。家族の一員となるためには、家事手伝いは絶対に必要なのである。子供に家事を手伝わさなければ、子供はいつまでも幼児扱いなのである。

 母親としては、子供に家事を手伝わせるより、自分で家事をやってしまった方が早く家事が片付くものだ。しかしそんなことをやっていると、子供はいつまで経っても家族の一員になれず、遊び呆けてしまうのだ。母親が家事に精をだしているのに、子供はテレビを見て遊んでいるという光景が繰り広げられれば、親子の地位は逆転してしまっているのである。子供が家事を手伝うに手古摺りながらもするからこそ、母親の地位は保たれ、子供は母親に服従するものなのである。

 家事を手伝うのに、男の子も女の子も関係ない。子供である以上、家事を手伝わなければならないのだ。子供たちは家事を手伝うことで、家事の仕方を学んでいくのであって、家族というのは、父親を頂点にし、母親が実権を握り、それによって機能していることを知るのだ。母親の権限というのは、子供たちが思っている以上に大きなものなのである。

 子供は母親が大好きなのだから、子供が反抗期を迎えて自立を開始して来る前に、子供の感情を巧く利用して、子供に家事を教え込んでいくことだ。子供は家事を遊びながらこなして行くようになる筈で、家事手伝いをきちんとできるようになると、母親への感謝の念が湧き起こって来て、精神的にも大いに成長することができるのである。

●家事という単純作業こそ、子供の脳にはいい影響を与える

 家事は単純作業の繰り返しである。しかし家事手伝いをすると、子供の脳に適度な刺激を与え続けることになり、高い知能を持つことができるのだ。脳の臨界期は5歳から6歳なので、絶対に6歳までに家事手伝いを開始させる必要性があるのだ。その時期までに家事手伝いを開始すれば、脳に於いて家事手伝いに対応する回路が作られるからだ。

 しかも脳のシナプスは16歳まで減少し続けるので、16歳まで家事手伝いをしっかりと行わせ続けると、家事手伝いによって常に脳に刺激が与えられることになるので、脳のシナプスの減少を抑え続けることになるのだ。実際問題として、小学生や中学生の時は家事を手伝ってくれるが、高校生になると家事を余り手伝わなくなるものだ。高校生になれば勉強やスポーツに集中してしまった方が脳にはいいのである。

 特に女の子には料理を手伝わした方がいい。料理は家事の中でも高度に脳を使う仕事なのであって、母親が様々な料理を教えて行けば、女の子はその料理の仕方を覚えて行くことで高い知能を持つことができるのだ。事実、料理の巧い女性に限ってお喋りが達者で話が面白いものだが、これは矢張り料理によって脳を鍛え続けたからであろう。

 男の子には力仕事に駆り出すことだ。父親に日曜大工をさせて、男の子に手伝わせるのだ。男同士で黙々と作業をするということが、男の子の成長にとってかかせないのだ。女同士であるならペチャクチャ話しながら作業を進めて行くものだが、男同士はそうではないのだ。黙々とする作業をしないと、男の子は男として成長できないのだ。

 子供が何もしないなら、お小遣いなどあげてはならない。家事手伝いをすることで、お小遣いを与えるようにすることだ。そうすれば文句を言わずに家事を手伝うようになるものだ。家事手伝いを無料で行わせることもできるが、その内、子供たちの方に不満が溜まってしまい、家事手伝いを放棄し始めるのだ。家事手伝いをすれば、子供にとっても利益になるということを、お小遣いを与えることで教え込んでいくことだ。

●家事を手伝わなければ、子供の心が歪んでいくもの

 家事の電化が進むと、家事に負担が激減してしまった。そのため母親だけが家事をやれば済むものになってしまい、子供たちは家事を手伝わなくなってしまった。そのため子供たちは生活していることを体感することができなくなってしまったのだ。生活を体感できなければ、幾らでも妄想の世界に耽ることができるものなのである。

 子供たちが家事を手伝わなければ、子供の心は歪んでいくものだ。家事を手伝うことで、家族の運営の仕方が解らないし、母親への感謝の念も持つことはないのだ。遅かれ早かれ、父親に凄まじい反抗をし出すようになり、次に母親に凄まじい反抗をし始めるようになるものだ。

 母親が異常なまでに教育熱心だと、子供たちに家事を手伝わせず、勉強さえすればいいとしてしまうものだ。しかしこの遣り方は子供の成績を一時的に高めることはできるが、子供の心を大いに歪ましてしまい、まともな子供として育って来なくなるのだ。偏差値は高くても、精神的に異常な人々は幾らでもいるものなのである。

 頭は良くても、精神的に異常な人々に共通することは、母親への感謝の念がないことで一致しているものだ。家事手伝いは母親への感謝の念を生み出すので、子供の時に家事手伝いをしておかないと、母親への感謝の念を持つことができないのだ。自分の頭の良さを、母親の存在を否定することに使うようになってしまうのだ。

 学校の成績が幾ら高くても、家庭では家事を手伝うべきなのである。家事という単純作業の繰り返しを経験させることで、自分の心を健全に成長させていくようにすべきなのである。田舎は家事手伝いをするものがたくさん残っているが、都市部では家事手伝いをするのが非常に少なくなっているので、母親は意図的に家事手伝いをさせないと、我が子の心の中に心の闇を作り出してしまうことになるのだ。

●家事を分担させれば、子供が行う作業は非常に少ないものになる

 家事を分担させれば、母親が行う家事が非常に少なくなるものだ。子供が家事手伝いをするといっても、家事を分担制にすれば、子供が受け持つ作業は非常に少ないものなのである。母親も子供たちも家事を少ししかやっていないのに、家事の生産量は非常に大きなものとなるのだ。子供たちはそうやって「協業と分業の威力」を知ることになるのである。自分が全てのことを行うより、他人と協力して作業を進めて行けば、自分が疲労することなく、大きな成果を得ることができるようになるのだ。

 家事を手伝うことで、協業と分業の凄さが解っていれば、学校に行っても様々な学級活動をきちんと行えることができるようになるであろう。集団で行動している以上、自分の意見だけを通し過ぎてはならないし、誰か特定の人に余りにも負担がかかりすぎるようにしてはならないのだ。自分の意見だけを通し過ぎてしまえば、逆に思ったような成果を得ることができないし、誰か特定の人に負担がかかりすぎてしまえば、そこから破綻していってしまうものなのである。

 家事手伝いは絶対に勉強の邪魔にならない。それどころか家事手伝いは勉強に役立つことになる。協業と分業が解っているなら、僅かな努力をしさえすれば、簡単に勉強の成果が出て来るようになるからだ。家事手伝いをすることによって無駄な力を削ぎ落すことができるようになり、自分の力を効果的に使うことができるようになったのだ。

 子供にとって家事手伝いは勉強以上に大事なのである。勉強はどうしても頭の中だけで展開して行くので、体を使って頭を鍛えるということをしないのだ。そのため家事手伝いをせず、勉強ばかりしていると、どうしてもストレスが溜まって行ってしまい、それがいつかどこかで爆発してしまうようになるのだ。

 体を動かすことではスポーツがあるが、スポーツは家事手伝いのように細かな動きを連続し続けることはないのだ。この細かな動きこそ、子供の脳にはいい刺激になるのである。学校で嫌なことがあっても、家事手伝いをしている内にストレスが吹き飛んでしまうものなのである。だから子供は健全に育って行くことができるようになるのである。我が子に対して真っ当に育ってほしいというのなら、問答無用で家事手伝いをさせることだ。それが母親のすべき大事な役目なのである。

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子供にとって絵本や昔話はなぜ大事なのか?

●絵本は「話の映像化」を引き起こす

 人間は言語を言語として捉えるのではなく、映像化して捉えている。子供にとってはこれが基本であり、言葉を聞くなり話す時には必ず頭の中に映像が浮かんでいるのだ。例えば、子供が「ママ」と言ったら、必ず子供の頭の中には母親の顔が浮かんでいる筈だ。しかも母親の映像は笑顔であるために、子供は「ママ」という時は必ず明るい口調で言って来るものだ。

 しかし、子供がそうだからといって、大人もそうだとは限らないのだ。大人の方は学校や大学の勉強のために、言語を映像化して捉えるよりも、言語を言語として捉えてしまう機能を発達させてしまったのだ。そのため頭の中で映像化せずに喋って来る女性の話は要領を得ず、「一体あなたは何が言いたいのですか?」と訊き返したくなるような話をしてくるのだ。

 母親が子供ときちんと会話をするために非常に重要なアイテムが「絵本」だ。絵本には文章と絵が描かれているために、母親の方としては話の映像化がし易くなるのだ。絵本は子供向けに作られていても、子供は文字の読めないから、絵本を読むのは母親の役目となるのだ。絵本をきちんと読み聞かせ、絵本の内容が自分でもきちんと解っている母親は、通常の生活でも話の映像化がし易くなるので、子供との会話が非常にスムーズになるようになるのだ。

 子供にとっても絵本は話の映像化をより強化してくれる有難いアイテムなのだ。子供は頭の中に映像が浮かんではいるが、それを言葉で表現する能力が低いために、母親と様々なトラブルを起こしてしまうものなのだ。そこで絵本を読めば読むほど、こういう映像の時はこういう表現をすればいいということが解り、会話能力が上達していくことになるのだ。

 それと絵本の中で繰り広げられる話は現実生活から掛け離れている空想の物語だ。そのため子供は絵本の話を聞かされると、頭の中で現実生活から抜け出すことができ、空想の世界の中で遊ぶことができるのである。この行為を知能を大いに高めることになるので、子供の頃に絵本に親しんだ子供は当然に高い知能を持つことができるようになるのだ。

●昔話は子供たちが理解し易い話

 昔話というのは、本来、祖父母が子供たちに昔の話を解り易く教え聞かせたものだ。そのため子供に理解し易いようにできているのだ。子供には子供が好む物語というものがあるのだ。例えば男の子なら「冒険旅行の物語」だし、女の子なら「お姫様の物語」である。それは子供の成長にとって必要な話だからこそ子供たちは積極的に聞くようになるのであって、必要でない話なら聞くわけがないのだ。

 昔話には必ず「隠された秘密」が存在している。その昔話を表面的に聞くならただ単に物語が巧く展開しているのだが、その昔話を突っ込んで調べてみると、「隠された秘密」が存在し、その「隠された秘密」があればこそ、子供たちは惹きつけられ、何度もその話を聞きたくなるのだ。

 例えば「桃太郎」では、表面的に見れば、桃太郎が鬼を退治して、宝物を持ち帰った話になっているが、実はこれは男の子にとって自立していくお話なのである。まず桃太郎はお婆さんから黍団子を持って出かけるが、男の子が自立するためには母親の愛情が必要だと言っていることを暗示しているのだ。桃太郎はその黍団子を使って、犬や猿や雉を仲間に加えるのだが、男の子が自立するために複数の友達が必要であるということを暗示しているのだ。そして鬼退治。鬼というのは、実は自分の心の中にある上位自我のことで、この上位自我を破壊しない限り、男の子は自立できないのだ。だから、男の子は桃太郎の話を聞くと興奮するのである。

 シンデレラの方は作られた時代が新しいために、もっと具体的だ。シンデレラというのは、「灰かぶり」という意味で、実は先妻の子供なのである。シンデレラは母親が死んでしまい、その後、父親は後妻を迎え、後妻は新たに子供を産んだために、シンデレラは除け者にされたのである。実際のシンデレラは残飯を貰うなり、乞食をすることで飢えを凌いだという凄まじい体験をしているのである。

 シンデレラの話は表面的には空想的なお話なのであるが、実はこの話は女の子にとって自立のお話なのである。まず女の子というのは年頃になれば母親に嫌われてしまうということだ。母親の元を離れない限り自立は始まらないのだ。そしてシンデレラは魔女から魔法を使わして貰うのだが、女性が自立していくためには魔法を使いなさいと言っているのだ。具体的には化粧や洋服や靴といったもので、自分を奇麗に飾り立てろと言っているのだ。そしてその魔法で王子様に近づくことはできるけど、午前0時になってしまうと、その魔法は効果がなくなってしまう。魔法を使って男性に近づくことはできても、男性の心まで掴むことはできませんよと言っているのだ。シンデレラの話は自立できた女性なら、非常に納得が行く物語なのだ。だから母親になったら、シンデレラの話を自分の娘に聞かせるのだ。

●現代の童話の問題点

 昔話に対して、童話作家が作った童話というのは、非常に問題点が多いものだ。子供向けに童話を作ると、碌でもない童話が出来上がるものなのである。昔話は表面的には幼稚な話かもしれないが、実はその話の背後には「隠された秘密」が存在しているので、非常に奥が深いのである。ところが現代の童話作家が作った童話はただ単に幼稚な話になっているだけなのである。

 その童話の出来がいいのか悪いのかを判定するためには、まず音読してみればいいのだ。いい童話は音読してみると、非常にスムーズに流れ、話し易いのだ。童話を読むのは、母親の役目なので、母親ですら喋るのに困るような童話は悪い童話に決まっているのである。

 次に物語の内容をきちんと確かめるべきだ。童話だからといってただ単に幼稚な話では困るものなのだ。子供の成長のために必要な話が隠されているからこそ、子供に聞かせる価値があるのであって、そうでなければ意味がないのだ。これは子供では判定できないので、しっかりと母親が判定すべきなのである。

 そして童話作家自体を確かめることだ。その童話作家が結婚して子供がいるのは当たり前であって、その子供が健全に育っているか確かめることだ。独身者が書く童話など絶対に避けるべきであって、既婚者であっても子供のいない作家の童話など読むべきではないのだ。

 現代の童話作家が書いている童話には優れた物が少ないために、将来的にはこの分野で大物の童話作家が出て来る可能性は非常に高いものなのだ。童話作家が穏当に子供たちの成長を願って、子供たちが喜ぶような童話を作れば、必ずや大ヒットするようになると思う。

●繰り返し読み聞かせることの大切さ

 絵本や昔話は1度読み聞かせればそれで終わりではない。子供たちは何度も同じ話をすることをせがみ、母親は何度も同じ話をしなければならないものだ。同じ話を何度も読み聞かせることで、子供の脳の中に記憶の回路ができあがり、子供はその物語を理解いするだけでなく、更に難しい話に耐えられるようになるのだ。

 母親としては同じ話を何度もするのは飽きるだろうが、これは子供の脳の成長にとって非常に大事なことなので飽きずにやることだ。子供が同じ話をするのをせがんでいるのに、母親が違う話をしてしまえば、子供の脳は鍛えられず、記憶力が非常に弱い子供になってしまうのだ。漠然と同じ話をするのではなく、その話を調べてみて、より深い話ができるようにすることだ。

 女の子は脳の構造上、記憶力がいいために、大きくなってくると、他の話に目移りしていくが、男の子は脳の構造上、記憶力が悪いために、大きくなっても、同じ話をせがんでくるのだ。これには母親はしぶとく付き合うことだ。男の子の脳を鍛えないと、何にも記憶しない子供になってしまうからだ。男の子には男の子の方が飽きるまで何度も何度も同じ話を繰り返すべきなのである。

 子供たちも自分で文字が読めるようになれば、自分で本を読み出すようになるので、母親が子供に本を読み聞かせる時期というのは、実は非常に短いものなのである。しかしこの時期は脳の成長の時期にピタリと合っているために、この時期に母親が読み聞かせることをしないと、子供の脳は充分に発達することができなくなってしまうのだ。母親が飽きずに何度も何度も話をするからこそ、子供の脳は発達することができるようになるのだ。

 子供の知能を高くしたいのなら、本屋に行って絵本や昔話や童話をじっくりと選んで購入することだ。質の高い本を多く購入していれば、それだけ子供の知能を高くすることができるのだ。それ以外にもママ友とかにいい本があるなら紹介して貰うことだ。他の母親が勧める本の全てがいいわけではないが、勧められた本の中にはいい本が入っているものなのである。

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子供は遊ぶことで自分の脳を鍛えている

●子供は遊びが仕事

 子供にとっては遊びが仕事だ。というか子供を放置しておけば、いつまでも遊んでいるものだ。子供は遊ぶことで脳が刺激され続け、脳のシナプスを増やして行くことになるのだ。特に6歳までの遊びは非常に重要で、如何に遊ばせる機会を多くしてあげるかで、その後の人生に於ける知能の高さが決まってしまうのだ。

 経済的に豊かになれば、母親は子供たちに構う時間も多くなり、子供たちを働かせることなく遊ばせることができるので、裕福な家族に生まれた子供は知能を高くし易くなる。しかし裕福な家族では豊かであるがゆえに忍耐力がなくなってしまい、そのため人生に於いて絶対に必要な忍耐力がないために、高い知能を持っていても、大事な所で踏ん張りが効かず、大した功績を上げることができなくなるのだ。

 経済的に貧乏な家族に生まれた子供は、恵まれた家庭環境ではないものの、貧しいがゆえに我儘を抑えることができるようになるので、凄まじい忍耐力がつくことになるので、自分の仕事に一生懸命になって取り組むことになるので、その仕事で成功し易くなるのだ。親の貧富が子供の知能に影響を与えるが、かといって決定的にさせる要因とはならないのだ。

 脳のシナプスは7歳以降、16歳まで減少し続けることになるので、この間に勉強することは勿論大事であるが、遊ばせることも大事なのだ。勉強と遊びを交互に行うからこそ、脳のシナプスの減少を最小限に食い止め、高い知能を持たせることが可能になるのだ。16歳までは勉強ばかりしていては逆に頭が悪くなるものであり、かといって勉強もせずに遊んでいたら馬鹿になるものなのである。

 父親も母親も最早遊びがメインとなっている時期はとっくに過ぎ去っているものだ。父親は仕事を中心に進めて行くことになるし、母親は家事や育児を中心に進めて行くことになる。たまに遊ぶことをするけれども、それがメインとなる訳がないのだ。そのため子供たちが遊んでいると、それを否定的に捉えてしまい、遊ぶことを禁じてしまうものだ。しかしそんなことをやっていたら、子供は脳を刺激する機会を失ってしまい、親の言うことは良く聞くけど、凡庸な子供に育ってしまうのである。

●脳を刺激する遊び

 子供がいるなら、子供の遊びに付き合ってみることだ。最初はオモチャを使った遊びで遊べばいいし、大きくなってくれば「演劇ごっこ」で遊べばいいのだ。空想のキャラを作り、空想の物語で遊ぶというのは、脳を大いに刺激することになるのだ。現実世界では「親は親」「子は子」であるけれど、その現実世界だけで生きていたら、大して知能を高めることができないのだ。子供であっても子供という枠組みを超えてしまうからこそ、子供は自由に発想することができるようになるのである。

 小学生になったら、「百人一首」や「将棋」や「囲碁」というのがお勧めだ。百人一首は和歌の中でも名作が収められているので、遊びながら和歌を覚えてしまうことができるのだ。将棋や囲碁を子供の時にやると脳を大いに刺激させることになるので、非常に高い知能を持つことができるようになるのである。日本で優秀な学者として活躍している人たちは、その殆どが子供の頃に将棋や囲碁を好んでやっていたのである。

 「人生ゲーム」「モノポリー」「億万長者ゲーム」といったボードゲームで遊ばせておくと、将来、お金持ちになって行くことだろう。子供の頃から遊びでもいいから、お金をたくさん持つことが如何に偉いかを、ゲームをしながら教え込んでいくことだ。特にモノポリーはどうすれば自由経済で億万長者になれるのかを遊びながら教えてくれることになる優れ物で、何度も何度もやってみるべきだ。

 父親が休日の時に、子供たちを外に連れ出して遊ぶというのは、子供の脳にとっては大いなる刺激となるのだ。自宅にいればどうしても刺激が減少していくことになるので、日曜日は寝て曜日などといって、自宅でゴロゴロしていると、父親にとっては骨休めになっていいかもしれないか、子供にとって大損害なのである。

 休日だからこそ家族全員でスポーツに興じるのもいいし、博物館や動物園や美術館にでも行ってみることだ。子供にとっては親とスポーツをするということは、体を使うだけでなく、頭も使うことになるのだ。博物館や動物園や美術館にしてもただそれを見るのではなく、親が如何に解説を巧くつけて、子供に面白可笑しく聞かせることで、子供の脳に絶大なる刺激を与えることになるのだ。

●16歳までは絶対に遊びを軽視するな

 親の中には子供に対して教育熱心になりすぎる余りに、子供に塾やお稽古事に通わせまくり、子供にとって遊ぶ時間がなくなってしまう事態を平気で引き起こして来る。子供の頃に遊ぶことな塾やお稽古事をやりまくった子供というのは、親の期待とは裏腹に、高い知能を持つことができないのだ。遊んでいないから脳の成長が思ったほど伸びず、凡庸になってしまうのだ。

 学校に行くだけで多くの時間を取られてしまうのだから、塾やお稽古事は絞り込むべきなのである。小学生での低学年なら学習塾は要らないものだ。せいぜい算盤塾で充分なのである。お稽古事に関しても子供が本当にやりたい習い事を1つか2つに絞り込み、それ以上はやらせないことだ。塾やお稽古事を絞り込んでしまえば、子供は忙しくても遊ぶ時間はたっぷりとあることになるのだ。

 16歳になるまでは絶対に遊びを軽視するな。遊ぶからこそ脳のシナプスの減少を最小限に食い止めることができるようになるのである。小学生や中学生の時に充分遊んでおかないと、高校生という非常に大事な時期に遊び呆けてしまうことになるのだ。高校生という時期は人間の人生に於いて非常に重要な時期なのであって、この時期にどのように生きたかでその後の人生が決まって行くものなのである。

 人間の脳は19歳まで大きくなって行くので、16歳から19歳の期間は、非常に特別な時期なのである。この時期に自分の夢を明確に持つと、非常に高い確率で実現して行くことができるようになるのだ。ところが高校生になるまでに充分に遊んでおかないと、この大事な時期に遊び呆けてしまい、その後の人生が成し崩しの人生になってしまうようになるのだ。

 子供の頃に日が暮れるまで友達と遊んでいた経験を持っている人なら、大きくなっても遊ぶことはするが、学業をそっちのけで遊んだりはしないものだ。遊ぶことは確かに楽しいが、それ以上に勉強することが楽しいと感じてしまうようになるのだ。そうなると今度は勉強に関する知的なゲームをし出すようになり、勉強を通じて遊ぶことができるようになるのだ。学術的な発明というのは、こういう遊びから生まれてくるものなのである。

●良く学び、良く遊べ

 生徒や学生たちに「良く学び、良く遊べ」と言われるものだが、学校や大学にいる以上、良く学ばないと、いい遊びはできないものなのだ。教師や教授のレベルが低いと、どうしても授業や講義のレベルも低くなるので、校内で暴力事件や麻薬事件や強姦事件といったものが出て来るようになるのだ。

 優れた教師や教授が面白い授業や講義をしてくれると、生徒や学生たちは気分が高揚して、下らない遊びなどしなくなるものなのだ。逆に授業や講義で得た知識をネタに、知的な会話で楽しむことができ、それが生徒や学生たちに素晴らしい影響をもたらすことになるのだ。

 学校や大学のレベルを判定するのは、偏差値だけではないのだ。その学校や大学が如何に部活動を充実させているかというのは貴重な判定材料となるのだ。部活動が充実していれば、当然に良く遊んでいることになるので、その学校や大学の授業や講義もレベルを高くすることができるようになるのである。

 教師や教授の中には堅物の人間が多いから、遊びを否定し、勉強さえすればいいと思っている人たちが多いいのだ。自分が仕事ばかりしているから、生徒や学生たちにも勉強だけを強いて来るのだ。趣味が1つもないような教師や教授は無能だと判断しても間違いはないであろう。そのような教師や教授の授業や講義というのは大抵が詰まらないものなのである。

 就職すれば遊びは減少して行くが、それでも忙しい合間を縫って、遊ぶべきなのである。自分が遊んでいないからこそ、自分の能力を高めることができず、仕事の出来も悪くなるのである。そういう人たちが仕事への熱意を失ってしまい、「ゆとり教育」だの、「総合学習」だの、要は教師が教えることしなくてもいい授業をやりはじめ、そして生徒の学力が激減していくことになってしまうのである。

 生徒たちが良く学んでいるからこそ、いい遊びができるようになるのである。子供にとって素晴らしい授業というものは、子供の脳にとって刺激にはなるけど、大いに負担になっているものなのである。だからこそ授業が終われば、遊ぶことで脳の負担を解消しているのである。そのような素晴らしい授業を教師が用意し実行するというのは、教師にとって大いなる負担となるのである。しかし成功すればいい仕事ができたということになるので、仕事が終われば自分も遊ぶことができるようになるのである。

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タマティーのお勧め本『あなたを幸せにする「男」の育て方』

●本物の夫婦になるまで時間がかかる

 結婚に関する本で良書というのは非常に少ない。恋愛結婚なら「運命の出会い」を果たした男女がそれを恋愛から夫婦愛へと切り替えて行かなければならない。ところが多くの男女は結婚しても恋愛に取りつかれてしまうから、恋愛を夫婦愛へと昇華させることに困難を極めてしまうのだ。

 そのため結婚に関する本は、未婚者によって書かれた「恋愛のゴールとして結婚式を挙げるまでの物語」か、結婚を失敗した人々が書いた「結婚を罵倒する話」の2つが二大潮流になっているのだ。前者は結婚していないから結婚のことが解らないが、後者は結婚したのに結婚のことが解らないのだ。

 そんな中で久々に結婚に関する本で良書を見つけた。臼井由妃著『あなたを幸せにする「男」の育て方』(PHP研究所)である。この本で良く読んで欲しいのが、プロローグに書かれた臼井由妃さんの結婚の話である。この話を読むと、恋愛を夫婦愛に変えて行くまで、非常に時間がかかるということが解る筈だ。結婚届を出せば、法的な夫婦になれるが、実際の結婚では本物の夫婦になるまで時間がかかるものなのである。

商品の詳細

 では、どうすれば本物の夫婦になることができるのだろうか? それは「正直になる」ことである。要は相手に嘘をつかないことだ。正直こそ結婚倫理の中で最も大事なものだと思う。多くの夫婦はこの結婚倫理を持たないからこそ、自分たち夫婦を本物の夫婦にすることができないのだと思う。

 特に女性が自分の父親との関係が悪かった場合、結婚しても夫に対して正直になるということをしないものだ。平気で隠し事をしてしまい、夫に対して肝腎なことを話さないのだ。それゆえ妻として家事や育児に取り組んでも、ただ機械的にやってしまい、心を込めて働くことをしないのだ。だから夫は妻の働きに感謝しないし、その内、自宅にいることが気持ち悪くなってしまい、外で遊び呆けるようになってしまうのだ。そうなれば結婚生活が破綻して行くのは必定なのである。

●男育ての基本的作戦

 物事が巧くいかない理由は全て自分自身にあるのである。「愛するよりも愛されたい」と思っているからこそ不幸になっていくのである。要は精神的な自立を果たしていないから、自己中心的にしか物事を考えることができないのである。結婚したのに自分中心で動いていたら、結婚が正常に機能しないのは当然のことなのである。

 結婚したのなら、「私が夫を幸せにする!」という態度に立つべきなのである。「自分が望む幸せを手に入れるためには、まずは夫を育てることから始めよう」という考えに変えるべきなのである。こうやって自己中心的な態度を捨て、夫本位の態度になってしまうと、結婚は正常に機能し始めるのである。

 だからこそ、男育てこそ妻の大事な仕事なのである。最初は深刻に考えず、ゲームと思った方がいい。大人の男女が行う知的なゲームだと思えば楽しめることができるからだ。そうやってげームを楽しんでいくと、これは妻にとって大事な仕事だと解り、不平不満など言えなくなってしまい、スキルを磨くように努力を惜しむことをしなくなるのだ。

 男育ての基本的作戦は、「情報収集」「冷静な分析」「目標設定」の3つからなる。

①情報収集

 情報収集とは、夫の長所や短所、好きなことや嫌いなことなど現状を把握することだ。意外なことかもしれないが、結婚が巧く行かない夫婦は、妻の方が一方的に喋っていて、夫の話を聞いていないということでは共通しているのだ。まずは夫の話を聞いて、夫の情報を集めない限り、如何なる対策も打つことはできないのだ。

②冷静な分析

 冷静な分析とは、夫婦の関係や夫が望むことを見極めることだ。夫の情報を収集しても、その情報を分析しないと価値がない。本物の夫婦になりきれていないのなら、「私達夫婦はまだ本物の夫婦になりきれていないんだな」と冷静に分析することは非常に大事なことなのだ。自分にとって苦しいことであっても、事実を受け入れてしまえば、対策を打って行くことができるようになるからだ。

③目標設定

 目標設定とは、夫婦が成功して行くために具体的な目標を設定し、それを実現して行こうとすることだ。例えば夫婦の会話の仕方に問題点があるなら、それを具体的に解決策を立て、改善していくことだ。夫の仕事の目標を立たせて、その目標を実現すべく、妻がバックアップするようにすることだ。

●夫婦の絆を深める

 妻が夫を育てるようになると、夫は成長して行くから、それに釣られて妻も成長していくようになるのだ。そうすれば恋愛から夫婦愛へと変わり、夫婦の絆も太く強いものへと変わって行くようになるのである。夫婦の絆を深めてしまえば、社会がどのように揺れ動いても、夫婦はビクともしなくなるのである。

①褒め言葉を言い、「ありがとう」を出し惜しみしない

 臼井由妃さんは、夫婦の絆を深めるために、褒め言葉を言いまくり、「ありがとう」を出し惜しみしないというようにした。夫婦なのに、妻から何も褒め言葉を言われなければ、夫としては妻のことを大切にする訳がないのだ。そのためそのような哀れな男性たちのために、キャバクラやホステスクラブが存在しているのだ。キャバクラ嬢でもホステスでも、一流になるような女性は、男性を褒めまくっているものなのである。但しこの褒め言葉を貰うためには有料であり、当然に家計は貧しくなって行くのだ。

 夫婦が共同で暮らしている以上、「ありがとう」を言わなければならない場面は幾らでもある。そういう時は「ありがとう」を言いまくるべきなのである。「ありがとう」と言われて、嫌な顔をする夫などいないものだ。夫が何か妻のためにやってあげているのに、「ありがとう」を言わないからこそ、夫婦の関係が悪化していくのである。

②アメとムチを使う

 夫婦の絆を深めるためには、信賞必罰は絶対に必要である。具体的に損得が発生しない限り、人間は動かないからだ。臼井由妃さんは「アメ4割 ムチ6割」という過酷な信賞必罰を取った。臼井由妃さんはの旦那は骨髄癌という病気を抱えていたためにこのような態度を取ってしまったのだろうが、そのために夫は病死してしまっている。

 通常の夫婦では「アメ8割 ムチ2割」が限界であろう。たくさんアメを与えておいて、たまにムチを使うからこそ、夫婦の仲は良くなって行くのであって、ムチを2割以上使ったら、どう考えても夫には凄まじいストレスになってしまうのだ。この本を読む時は、この点に関しては気をつけて欲しい。この箇所は完全に間違っているからだ。

③喧嘩をするなら本気の喧嘩をする

 夫婦が結婚していれば、夫婦喧嘩をする時もあるだろう。そういう時は本気で喧嘩をしてしまうことだ。夫婦喧嘩を切っ掛けに夫婦の仲が刷新されて、以前よりも仲良くなり、幸せになってしまうものなのである。但し絶対に夫婦喧嘩を後に引き摺らないことだ。その場で夫婦喧嘩を納めないと、逆に夫婦の仲が悪化してしまうのだ。

●「夫の出世は妻次第」「妻の幸せは夫次第」

 夫婦の基本は、夫を一家の主にして、妻が実権を握ってしまうことだ。これができれば後は自動的に幸せを幾らでも生み出して行くことができるものなのである。一家の主を立てずに、夫婦が平等で運営しようとしても結婚に於ける幸せを生み出せないし、妻が外に出て働き、夫が主夫として家庭のことを切り盛りしていてば、結婚に於ける幸せはやってこないことであろう。

 夫婦の基本を守っていれば、様々な夫婦の形があってもいいのだ。夫婦の中には亭主関白の夫婦もいれば、逆に嬶天下の夫婦もいる。如何にも男らしい夫がいてもいいし、逆に妻の方が男らしくても構わないのだ。しかし如何なる夫婦であっても、夫を一家の主として敬い、妻が家庭内の実権を握らなければ、夫婦双方が成長して行くことができないから、どうしてもまともな幸せを得ることができなくなってしまうのだ。

 細木数子の名文句「夫の出世は妻次第」「妻の幸せは夫次第」という言葉を絶対に忘れないことだ。結婚すればどの夫婦もこの名文句は正しいと思うようになる筈だ。要は妻が夫を育てない限り、夫は成長しないし、夫が成長してくれれば、妻も引き摺られて成長していくのである。夫の出世だとか、妻の幸せとかいうものは、夫婦が成長していれば、自然と得られるようになるものなのである。

 世の中には結婚生活を揉めに揉めている夫婦がいるものだし、離婚して結婚を罵倒している男女は幾らでもいるものだ。しかしそのような人々は結婚をしたのに何も成長しなかったということでは皆同じなのだ。自分が成長しなかったこそ幸福を得ることができず、不幸が雪崩の如くに襲いかかって来たということを知らないのだ。自分が成長していないに、幸せを得ようとしても、不幸しか掴めないものなのだ。

 臼井由妃さんは、結婚後3ヵ月で夫が骨髄癌と判明し、医者から余命半年と言われながら、10年もの間、夫を生き延びさせたのである。臼井由妃さんが言う「男育て」というのは、そういう非常な状況の中で辿りついた意見なので、読者も真剣になって受け止めた方がいい。自分の夫の悪口を散々言っている妻たちに、「あなたの夫は元気なんでしょ。骨髄癌で寝たきりになった訳ではないでしょ」と言えば、黙り込んでしまう筈だ。

 人間は自分が愛している者に対してこそ非常に激しく憎むという恐ろしい性向を持った動物なのである。この性向は人間が人間でいる限り、絶対に変わらないのだ。だから我々ができることは愛の素晴らしさに気付くと同時に、愛が持つ危険性に警戒し続けることなのである。「愛こそ全て」と思って愛に狂うよりも、地道に「男育て」を行い、夫婦双方が成長することで、無数の幸福を手に入れて行った方がいいのだ。それを解らしてくれるということでは、この本は全ての既婚女性たちにお勧めの逸品である。

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「男らしさ」「女らしさ」を作るもの

●男女の性差は子供の時に明確に出て来る

 赤ちゃんを産んで育ててみれば、人間は平等にできていないということがはっきりと解るようになるものだ。女の子は生まれたら早くに喋り出すし、男の子は喋り出すまで時間がかかるものだ。女の子は病気に余り罹らないが、男の子は病気に罹り易いものだ。女の子は幼稚園児になる頃には父親と対等に話ができるようになるが、男の子は幼稚園児になっても怪獣状態である。

①遺伝子

 なぜこれほどまでに男女が違うのかというと、女の子は「XX遺伝子」であるのに、男の子は「XY遺伝子」であるからだ。女の子は異質の遺伝子を持っていないために、成長が順調であるのに対して、男の子は異質の遺伝子を持っているために、体の成長も脳の成長も遅く、そのくせ或る時期に差し掛かると、急激に成長して行くという現象に見舞われてしまうのだ。

②性ホルモン

 それに女の子は女性ホルモンが分泌されているために、体は丸みを帯びているし、柔軟だが、男の子は男性ホルモンが分泌されているのいために、筋肉量が多く、そのくせ柔軟性に欠けている体をしている。男女ともそれぞれの性ホルモンが引き起こす現象をきちんと出しておけば、心身ともに健全に発達していくことになるのだ

③習慣

 男女では遺伝子や性ホルモンが異なるために、民族が持つ習慣も異なって来るのである。どの民族も女の子は女らしく育てるものだし、男の子は男らしく育てるものだ。大人たちが女の子や男の子に対して違った対応を取るからこそ、子供たちは自分の性別を受け入れ、それを楽しむことができるようになるのだ。

 その夫婦が平等イデオロギーに取りつかれてしまうと、子供の性別を無視して、女の子が女らしくすることや、男の子が男らしくすることを否定し続けてしまう。そのため子供たちは自分の性別を受け入れることができず、延々と苦しみ続けることになるのだ。フェミニストたちは習慣こそが男女の性差を作っていると主張し、昔から伝わって来た習慣を破壊して来るものだが、習慣というものは遺伝子や性ホルモンが作り出したものであり、それなのに習慣を破壊してしまうと、遺伝子や性ホルモンの表現を巧く現わすことができなくなるのだ。

●脳の臨界期は男女の性差を決定的にする

 3歳くらいまでなら男女の性差はそれほど激しくならないものだが、脳の臨界期には男女の性差が激しくなり始めるものだ。3歳くらいまでは女の子の方が成長が早かったのに、脳の臨界期では男の子は男性ホルモンの影響を受けて、脳の大きさや脳のシナプスも女の子を圧倒的に凌駕することになるからだ。

 それまでは男女ともに仲良くしていたのに、幼稚園児になる頃には男の子は急激に暴力的になってくるものだ。男性ホルモンは強くなろうとするので、自分の気に食わないことがあれば暴力を用いて排除しようとするし、暴力を伴う喧嘩は日常茶飯事となってくるのだ。男の子はそうやって強くなろうとしていくのである。

 それに対して女の子の方はお喋りが達者となって、女の子同士で友好的になって行くものだ。女の子は友達との間で問題があるなら、話し合うことで解決しようとするものであり、男の子のように暴力で解決しようとはしないのだ。女の子は同い歳の子供にだけでなく、大人に対してもきちんと会話ができるようになっているのだ。男の子なら大人に対してまとも会話などできないというのに。

 これらの現象は全て狩猟採集経済の頃に対応した人間の心身になっているのだ。男性は狩猟に出かけるために、暴力的にならざるを得ないし、女性は女性同士で採集に出かけたり、家事や育児をするので、会話を重視することで人間関係を構築して行こうとするようにできているのだ。

 それゆえ男の子に対しては「喧嘩をするならどんどんおやんなさい」と言うべきであり、下手に静止したりすべきではないのだ。止めていいのは明らかに危険な喧嘩をしたり、それがイジメになっている時だけなのである。女の子に対してはお喋りをするならどんどん喋らせればいいのであって、黙らせるべきではないのだ。男の子は暴力を振るうことで脳のシナプスを増やして行くわけだし、女の子は喋ることで脳のシナプスを増やして行くのである。

●自分の性別を受容するか拒絶するか

 男女の性別に関しては、3歳までは余りとやかく言わないことだ。普通の母親たちなら育児に忙しくて、性別を云々どころではないのだ。しかし3歳を過ぎた辺りから、徐々に自分の性別を意識させて、女の子なら女の子らしい格好をさせて女性であることを意識させたり、男の子なら男の子らしい格好をさせて、事あるごとに「あなたは男の子でしょ」と言い聞かせることが必要になって来るのだ。

 子供に性別を意識させるためには、健全な心身の成長があってこそなので、充分に運動させておくことである。日中、充分に体を動かしておけば、日没後にはヘトヘトになっているものであり、そういうことを繰り返しておけば、子供は母親から自分の性別を云々されても、きちんと受け入れるようになるのだ。

 子供が6歳になったら、家族の秩序を守らせるようにすることだ。6歳以降は幼児ではなく、家族の一員として迎い入れ、父親が一家の主であり、母親が家族の実権を握り、子供たちは生まれた順で序列を作り、その秩序を絶対に崩さないようにさせることだ。家族に秩序があるからこそ、子供は自分の性別を問答無用で受け入れるようになるので、健全に成長して行くことができるようになるのである。

 この世には自分の生まれ持った性別を否定して来る人々が必ず出て来るものだ。これには物理的原因と精神的原因との2つがある。まず物理的原因は、妊娠中に性ホルモンが入っている薬品を摂取してしまい、胎児の性別が狂わされたか、出産時に排卵誘発剤を使ってしまい、それによって赤ちゃんの性別が狂わされてしまったかなのである。この場合、子供の頃から「性同一性障害」を発症して来るのであって、この患者の中には大きくなってから性転換を図る者も出て来る。性同一障害とか性転換者の話が常に出て来るものだが、この手の人々は医者たちが行った薬害の犠牲者たちなのだ。

 精神的原因とは、親が子供に対して余りにも早い段階で性別を厳しく言い過ぎたか、逆に平等イデオロギーに取りつかれて、子供の性別を必死になって否定する行動を取り続けてしまったかなのである。子供なのに運動させず、心身を健全に発達させなければ、当然に不平不満を抱えてしまうことになるので、親から自分の性別を指摘されても、拒絶するようになってしまうのだ。それと家族の秩序が形成されていなければ、子供は常に不安になってしまうので、自分の性別を受け入れるどころではなくなってしまうのだ。、

●自分の性別を受容することは、その後の自立に於いて非常に重要な意味を持って来る

 男女の性差の議論が噛み合わない理由はまさにここにこそある。自分の性別を受け入れた者は、一応は健全な家庭で育って来た人だからだ。しかし自分の性別を受け入れることができない者は、異常な家庭環境の中で育って来たために、自分の性別を受け入れるだけ精神的な成長を果たしていないのだ。男女の性差を躍起になって否定する人は、必ずと言っていいほど自分の親を憎んでいるものなのである。自分の親を否定するために、男女の性差を否定しているにすぎないのだ。

 女性の場合、自分の性別を最終的に受け入れることは、自分の父親によってなされることになる。女の子が父親と仲が良く、父親の言うことを心から受け入れることができた場合、その女の子は大きくなってから、「ヴァギナ派の女性」となる。ヴァギナ派の女性とはセックスの際にヴァギナでオルガズムに達することができる女性である。

 それに対して女の子が父親と仲が悪く、父親の言うことを心から受け入れられない場合、その女の子は大きくなってから「クリトリス派の女性」となる。クリトリス派の女性とはセックスの際にクリトリスでオルガズムに達することができる女性である。誤解のないように言っておくが、男性の性愛術が巧ければ、クリトリス,派の女性といえどもヴァギナで行くことができるが、ただヴァギナ派の女性のようにいつもヴァギナで行けるわけではないのだ。そのためクリトリス派の女性はセックスに対して満足度が低く、常に男性に対して不満を抱いてしまうようになるのだ。

 男の子の場合、自分の性別を最終的に受け入れることは、自分の母親から充分に愛さた上で、自分の父親と父親以外の男性によってなされることになる。男の子は母親に対して非常に甘えん坊で、その後、父親からしっかりと薫陶を受けねばならず、その上で父親以外の男性から指導されないと、「自分は男である」ということをしっかりと受け入れることができないのだ。武士の世では元服した際に烏帽子親という者がいたものだが、自分の父親以外の男性が父親代わりになってくれるからこそ、男の子は「男」へと成長していくことができるようになるのである。

 男の子の成長は女の子の成長よりも手間暇がかかるものなのである。女の子は遺伝子上の問題が何もないために放置しておいても女性として成長してくるのだが、男の子は遺伝子上の問題があるために男の子として育てて行かない限り、男らしい男になることができなくなってしまうのである。男らしくない男性は、結婚しないし、結婚しても妻子を守ろうとしないのだ。国家を守ろうとする気概すら持てなくなってしまうのだ。

 男女平等の世の中になると、誰もが自立できなくなる。子供は親に従属している時に、自分の性別をしっかりと受け入れることは、自立が始まる思春期以降、非常に重要なことになってくるのだ。思春期になったというのに、自分の性別を受け入れることができなければ、自立どころの話ではなくなってしまうからだ。自分がどうやっても自立することが不可能になってしまうのだ。

 それゆえ脳の臨界期に於いて自分の子供たちに己の性別をきちんと受け入れさせることは非常に大事なことになるのだ。脳の臨界期に自分の性別を受け入れることができれば、男女ともに健全に成長して行くことができるし、思春期になれば親から自立して行くことが可能になるのである。

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我が子を余所の子と比較しない

●子供の成長は千差万別

 子供の成長というのは、本当に千差万別だ。両親の遺伝の関係で、運動神経が矢鱈にいい子供もいれば、運動神経が余りにも鈍い子供もいる。免疫力の問題で頻繁に病気になる子供もいれば、病気を殆どしない子供もいる。特に子供の変化が強烈に出て来るのは脳の部分であって、6歳までに脳のシナプスを大量に増やして行くために、想定外の行動を平気で取って来るし、16歳までは脳のシナプスが減少し続けて行くために、子供たちに様々な分野で格差が生じて来るのだ。

 母親としては我が子に対して最高の育児環境を準備してあげると同時に、我が子の成長を肯定し続けるということが求められるのである。我が子が健康でいようが病気になろうがそれを受け止めてあげなければならないし、頭が良かろうが悪かろうが受け入れてあげなければならないのだ。

 脳のシナプスの量と質に於いて如何なる子供も平等になることはないのだから、我が子を余所の子供と比較することは我が子を否定する行為なのである。愚かな母親に限って、「余所の子はこうなのに、うちの子はどうして駄目なんだろう?」という得体の知れない感情に囚われてしまうものだ。しかしそうやって比較しながら育てていけば、我が子は常に余所の子供たちよりも遅れを取って、母親としては苦しい育児を強い続けられるようになるのである。

 育児というのは競争ではないのだ。子供は子供なりのペースでしか成長していくことはできないのである。我が子を余所の子と比較することは、その母親が我が子を肯定していないということなのである。問題は我が子の成長の遅れよりも、母親の母性愛の不足の方にあるのだ。

 例えば、我が子が病院に長期入院を強いられる深刻な病気に罹ったとしよう。その際に「なんでうちの子だけが!」と思い続けていては、なんの対策も打つことはできないのだ。母親が我が子を余所の子と比較せず、我が子を肯定することができたのなら、病気という現実を受け入れることができ、幾らでも対策を打つことができるようになるのである。

●平等に取り扱われたら、子供はどうやっても不幸になる

 子供が平等になることは絶対にない。子供は小さくても身長や筋肉量に差が出て来るし、脳のシナプスの量や質に於いては強烈な差が出て来ることになるのだ。幼稚園のように子供たちを集めてしまえば、みんな同じように見えるが、良く観察してみれば誰一人として同じ子供はいないのだ。

 脳のシナプスは7歳から16歳までは減少の一途を辿るので、この間に脳のシナプスの減少を食い止めることをし続ければ、当然に高い知能を持った子供を育て上げることができるのだ。当然に脳のシナプスの減少を低く抑えた子供は大学に楽々と進学して来るし、脳のシナプスを大いに減少させてしまった子供は大学に進学してこないし、もしも大学に進学しようものなら地獄のような苦しみが待っているものなのである。

 人間の体自体は19歳まで成長していくことになるので、この時期に運動をしまくって体を鍛え続けるしかないのだ。運動をしまくった子供たちは当然に身長を高くすることができるし、筋肉量も増やして行くことができる。それなのにこの時期に運動をしない子供は当然に身長が低くなるし、筋肉量も少なくなるものだ。それゆえ目に見える形で肉体上の格差が生じてしまうものなのである。

 子供たちは心身ともに格差がありまくるのだから、子供たちを平等に扱ったら、子供たちはどうやっても不幸になるのだ。もしも学校の勉強で落ち零れがいるからといって、その落ち零れの学力に全ての生徒が足並みを揃えたら、誰も一生懸命になって勉強しなくなるものだ。もしも学校で運動会で順位を競うのではなく、みんなでお手手を繋いでゴールするようであるなら、誰も真剣に運動することはなくなる筈だ。学校にいる間は平等イデオロギーによって抑えつけられているから、なんの努力もしなくていいが、学校を卒業してみれば、自分にはなんの学力もついていないことが解るし、他の人々よりも遥かに劣った体力しか持っていないことに気付く筈だ。そうなればその人は惨めな人生を送るしかできなくなってしまうのである。

 子供たちは決して平等になることはないのだから、その格差をきちんと認めるべきなのである。子供たちの格差を認めれば、子供たちは幾らでも能力を伸ばして行くことができるのである。子供たちを平等にすることはできないが、子供たちを公平に扱うことはできるのだ。教師たちが子供たちを公平に扱ったくれるからこそ、男も女も、健常者も身体障害者も、己の能力を自由に大いに伸ばして行くことができるようになるのである。

●良言返し

 育児や子育ての現場では、母親は我が子の馬鹿丸出しの姿を見て、遂々我が子を否定しまいがちだ。理性的には我が子を肯定しなければならないことが解っているのだが、感情的には怒ってしまい、我が子を否定してしまうのだ。我が子を否定していれば、子供は委縮してしまうし、それをやった母親の方も悪い事をしたなと後悔し続けてしまうのだ。

 そこでそういうことが起こらないようにするために、「良言返し」を使うことだ。良言返しとは、自分が否定的な言葉を言った際に、それを打ち消すような良い言葉を言って、結果的に我が子を肯定できるようにするのだ。この「良言返し」を使うと、育児や子育てが物凄く楽しくなり、子供たちも大いに能力を伸ばしてくれるようになるのだ。

 例えば我が子に「馬鹿!」と言ってしまった時は、そのまま終えるのではなく、「馬鹿だけど運動神経はいいよね」と馬鹿と言ったことを打ち消すことを言って、違うことを褒めてしまうのだ。我が子がとろくて困っている時は、「とろいけど大らかに育っているよね」と別に褒めなくてもいい箇所を褒めてしまうのだ。

 「良言返し」を使うと、日常生活で母親が我が子を褒めてばかりいるようになるのだ。そうすると、子供の方は母親に気兼ねすることなく、自分に興味があることに手を出し始め、大いにその方面の能力を伸ばして行くことができるのだ。当然にそうやって育てていれば、育児や子育てで我が子を否定するような言動を吐くことが激減することになるのである。

 勿論、子供は善悪の判断力が低いのだから、平気で悪さをしてくるものだ。そういう時はきちんと叱ればいいのだ。但し、いつも子供を褒めて育てていれば、母親が子供を叱れば、子供に対して効果的な叱り方ができるのである。いつも子供に対して怒ってばかりいるからこそ、悪さをした際にいざ叱ったとしても、子供の方が改めなくなってしまうようになるのだ。

●我が子だからこそ、我が子を最後まで肯定することができるのは母親だけなのである

 育児や子育てに於いては、母親こそが最終責任を持つものなのである。我が子を否定して来る人々は家の外には幾らでもいるのである。世界中の人々から我が子を否定されようとしても、母親だけが我が子を肯定し続ける。それが本物の母性愛というものなのである。我が子だからこそ、我が子を最後まで肯定できるのは母親だけなのである。

 例えば我が子が難病奇病に罹り、医者が滅茶苦茶な治療を施して来たり、医者がお手上げになった時に、その医者の言うことを鵜呑みにするのではなく、敢えて否定すれば、他の病院の医者に診て貰うなり、その難病奇病を治せる民間療法を探し出せば、我が子を治す方法が見つかるというものなのである。

 トーマス・エジソンは小学1年生の頃、小学校の教師から馬鹿扱いされ、校長からは入学3カ月目で退学を勧められるようになった。そこでトーマス・エジソンの母親は我が子を小学校に行かせることを拒否し、自宅で勉強させるようにしたのだ。だからこそトーマス・エジソンは幾らでも自分の好きな勉強をすることができ、大きくなってからは発明王として活躍することができたのである。トーマス・エジソンと同級生だった人たちにトーマス・エジソンを上回るような能力を発揮した人は誰もいなかったのだ。

 現在のオリンピックのメダリストたちを見ても、学校の部活動をやってきたというのは非常に少なくなってしまった。子供の頃からスポーツクラブに通い、そこで基礎をみっちりと教えられ、その後に頭角を現わして来たというパターンが一般的になってしまった。学校の部活動では余りにも平等を重視する余りに、国際試合で勝てるだけの能力を身につけることができなくなってしまったのだ。

 人間の心身の成長を考えれば、19歳までは適切な教育環境を与えられれば、大いに成長して行くことができるものなのである。子供の成長にとって最大の滴となるのは、お金がないとか、物がないとか、学校の校舎が粗末すぎるとかではないのだ。「平等イデオロギー」なのである。親や教師たちが平等イデオロギーに取りつかれたら、子供たちは平等を押し付けられてしまい、自分の能力を大いに伸ばすことができなくなってしまうのだ。人間の心身の成長は19歳までに決まってしまうから、自分が成長すべき時期に成長できなければ、もう二度と成長することができなくなってしまうのだ。平等イデオロギーは確実に子供の未来を破壊してしまうのだ。

 母親であるなら、この世には人間を平等にしたがる人々がたくさんいるという事実を知っておくべきなのである。平等イデオロギーに取りつかれてしまえば、事実が全く見えなくなるものなのである。どの子供も千差万別なのだ。成長の速度だってテンデバラバラなのである。だからこそ母親である自分が我が子を肯定し続ける必要性があるのだ。子供というのは母親が肯定してくれるなら、後退したり停滞したりすることがなくなり、前進して行くことしかできなくなるのである。当然にそういう家庭環境で育った子供は大いに能力を伸ばすことができるようになるのである。

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二世代同居や三世代同居が子供の脳に与える影響

●人間は本来、大家族志向である

 現在では家族の多くが核家族になってしまっているが、核家族は規模が小さいために気軽に動けるという利点がある一方、その反面、少子化や夫婦間暴力や老人介護といった様々な問題を抱えまくっている。家族というのは規模が小さければ、本来持っている機能を十二分に発揮できないものなのである。

 人間はそもそも大家族志向である。大家族こそ人間生活の基本形態なのである。狩猟採集経済では家族が単独で生存するということはなく、多くの家族が纏まって集団で暮らしていたのである。大抵の女性は10代か20大前半にまで結婚したから、2世代同居、3世代同居は当たり前となるのである。

 大家族であればこそ、食料を調達している行動を展開することもできるし、家事や育児も楽にすることができるのである。人が大勢いれば協業と分業が働くから、自分一人が僅かな力を出しても、大きな成果を産むことができるようになるのだ。仕事や家事や育児で悲鳴を上げているのでは、核家族たちであって、家族の構成員が少なければ、どうしても夫や妻に負担がかかりすぎてしまい、重労働にならざるを得ないのである。

 もしも自分が大家族の元に嫁いできたのなら、大家族の中で生活することに不満を垂れないで、大いに大家族を楽しむべきなのである。家の中に姑や大姑がいれば、家事や育児に於いて圧倒的な有利になるものなのである。問題は自分が姑や大姑と仲良くできるか否かなのであって、仲良くなってしまえば、これほど有難いものもないのだ。

 子供にとっても大家族で暮らすことは、脳の成長にとって尋常ならざる影響を与えてくるものだ。まず大家族の中で育てば、大家族で使用される情報量が半端ないものになり、当然にその中で育てば、多くの語彙を覚えることができるのである。核家族で育てば、両親しかいないので、幾ら両親が頑張った所で、その使用される情報量は少ないものになってしまうのだ。大家族で育てば常時、子供に接触できる人材を確保することができるので、子供の脳は常に刺激されまくるのである。

●二世帯住居にしない

 大家族は大きく分けて、父系家族の大家族と、母系家族の大家族に分かれる。大家族は農業や魚業を営んでおり、嘗ては武士たちもこれに含まれた。父系家族は拡大再生産志向であって、子供を多く産み育て、その子供たちを分家させることで、自分たちの勢力を増やして行くことになるのだ。だから父系家族の大家族に嫁げば、男の子を産むを期待されるのであり、それも息子が1人や2人では駄目なのである。より多くの男の子を産んで行かねばならないのである。

 母系家族の大家族は旅館業や飲食店業や商業を営んでおり、女が前に出て、男が後ろに下がるということを行う。母系家族では婿取りが基本であって、その婿取りも勝手に恋愛をして貰うのではなく、自分たちの家業で婿の候補を育て、それに合格したら婿を取るということをしてくる。母系家族の大家族では嫁姑の問題が発生しない。そもそも親子だからだ。母系家族の大家族は現状維持志向であって、子供を多く産むことを望まない。それよりも子供を少なく産んで、きちんと育てるということをしてくるのである。

 大家族では父系家族と母系家族ではまるっきり違うので、自分に求められる役割をきちんと果たすようにすることだ。父系家族の大家族に嫁げば、嫁姑の問題はあるし、労働に出て行かねばならないし、子供を多く産まねばならない。将来、分家を行うので、子供を多く産まねば、どうやっても立場が悪くなってしまうものなのだ。母系家族の大家族に婿入りする男性は、仕事をやりまくらねばならないし、かといって妻を立てて、妻の機嫌を損ねないようにしなければならないのだ。

 もしも自分が大家族に嫁いだり婿入りして来たのに、二世帯住宅にしてしまっては、なんの効果も得られないものなのだ。確かに二世帯住宅にすれば、自分たち夫婦と、両親のプライバシーを維持できるが、そんな住宅に住んでしまえば、親子の断絶が起こって、自分たち夫婦が親から受け継がねばならないものを受け継げなくなってしまうのだ。

 大家族はみんなで一緒に暮らすからこそきちんと機能するのであって、仕事や家事や育児が非常に楽になるのである。育児で何か手伝ってほしいのに、二世帯住宅では気軽に頼めないものなのだ。二世帯住宅では嫁の権限が非常に大きくなってしまい、姑は嫁に怯えるようになり、いつまでも嫁と姑が仲良くなれなくなってしまうのである。

●核家族なら親戚回りをすべし

 もしも自分たち夫婦が核家族なら、子供を連れて親戚回りをすることだ。子供を祖父母の所に連れて行けば大喜びするものであって、その経験が脳に最大級の刺激をもたらすことになるのだ。自宅だけで生活していては、どんなに素晴らしい環境にしても限界があるのであって、たまに祖父母に家に行くからこそ、その変化を楽しむことができるようになるのである。

 育児をする母親たちの間でよく言われるのが、「親戚回りをすると不良にならない」と言われることだ。これは親戚回りをすることで、子供が自分の血統を確かめることができ、自分の存在を肯定できるし、自分の自信を持つことができるのである。青少年が不良に走るのは、貧困が原因ではないかと思われているが、実はそうではなく、核家族の中で育ってしまったために、両親への反抗心を最大限にしてしまい、それが外に向かって爆発しているだけなのである。

 夫の両親や妻の両親の家に行った時は、長居させて貰い、子供に違う環境を与えて、脳を刺激しまくることだ。最低でも2泊3日にすれば、子供の脳は大いに刺激を受けることになるので、脳のシナプスを増やしまくることができるようになるのである。但し、祖父母は昔のように体力があるわけではなく、子供に接することに疲労が見え始めたら、とっとと帰ることだ。

 大家族では当たり前なのに、核家族になる当たり前ではなくなるものが、「家系」である。大家族は意外と家系にうるさく、子供たちに「我が家の先祖は誰それで、誰が何をしたか」というのを延々と教えて行くものだ。しかし核家族だとそれをしないので、子供たちは自分の手本となるような人物を得ることができなくなるのだ。そのため核家族なら父親が意図的に先祖の話をすることで子供たちに自分の手本となるような人物を与えるしかないのである。

 家系には運勢のリズムがあるので、家系を教えられていれば、自然と自分がすべきことが解るようになるのだ。通常、初代には富を多く作るし、2代目はそれを維持し、3代目にその財産を土台に積極的に事業を展開するようになるものだ。そのため家系というものが解っていないと、自分がすべきことが解るず、出鱈目な行動を取ってしまうようになるのだ。

●子供たちは祖父母のことも大好き

 育児をしているのなら、祖父母を排斥するのではなく、祖父母を巧く使うことだ。子供たちは祖父母のことが大好きなので、祖父母を巧く使って子供たちを育てて行けばいいのだ。全てを母親がやってしまうからこそ、育児疲労が起こって来てしまうのである。祖父母は丁度暇なのだから、祖父母の所に子供たちを連れていれば、子供たちの面倒を見てくれるようになるのである。

 通常、子供の時に祖父母との接触が多かった子供は、性格が穏やかになって、人徳の高い人物になるものだ。祖父母は自分たち夫婦よりも人生経験が豊富なので、様々なことを知っているものだし、物事も感情的になって受け止めることが少ないものだ。そのためそういう祖父母と子供たちが接触していれば、その子供たちが感化されない訳がないのだ。

 特に子供が5歳や6歳といった脳の臨界期に祖父母に会わしておくことは絶対に必要であって、この時期に祖父母に会わせないと、子供たちは脳のシナプスを大いに増やして行くことができないのだ。実際、子供たちは祖父母に会うことに大いに興奮するのはこの時期なのであり、だからこそこの時期に祖父母に会わしてあげるべきなのである。

 現在では大家族は少数派に転じているものだし、核家族で暮らしている人たちから批判されてしまうものだ。しかし核家族が多い世の中だからこそ、敢えて大家族を守るべきであって、文明以前から続く人間の基本的な生存形態を残しておくべきなのである。実際に暮らしてみれば、大家族は非常に便利なのだがら、大家族の機能を思う存分使って行くことだ。

 重みのある人間や、奥ゆかしい人間は、祖父母に育てられるからこそ、その家系の重みを受け取ることができ、それが自分の変化として出て来るのである。学校の勉強ができて成績が良いだけでは駄目なのである。そんな人間は軽薄だし、なんの深い思索もできないものだ。自分の生存がしっかりと先祖から導き出されているということが解るからこそ、我が子に重みが出て来るし、奥ゆかしさも出て来るのだ。

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大卒の夫婦が共働きなら、家政婦を雇うべし

●家事の分担の問題は家政婦を雇えば全て解決できる

 時折、女性雑誌などで夫婦間の家事の分担の特集などが組まれるのだが、この特集は既婚女性にとっては非常に関心のある話題らしく、毎年、定期的に特集が組まれるものである。平等イデオロギーに取りつかれれば、家事の分担は夫婦が平等に分担するという発想になってしまうのだが、実際の夫婦たちは妻が家事の殆どを切り盛りし、夫は殆どしないというのが実情なのだ。

 通常、子供が1人や2人の時は、夫は家事や育児を手伝わないものだ。せいぜい妻から「手伝って!」と言われた場合だけするのであって、それ以外は積極的にしようとしないのだ。なぜなら夫は自分が手伝うことは必要ないと判断しているからだ。しかし子供が3人生まれてしまうと、夫は家事や育児を手伝うことは必要だと判断して、家事や育児を手伝って来るのだ。だから、子供が少ない状態で幾ら夫に家事や育児を手伝ってといっても無駄なことなのである。それよりも子供を多く産んで行くべきなのである。

 専業主婦なら妻が家事や育児を行ってしまうのは当たり前のことだ。しかし結婚しても仕事をしている既婚女性にとっては、家事や育児を自分が全てこなすということは事実上不可能なことなのだ。どうしても夫に頼らざるを得ないのだ。しかし夫の方も仕事が忙しいので、家事や育児を妻に代わって見られるほど暇ではないのだ。

 そういう時はお金を出して家政婦を雇えばいいのだ。働く母親たちにとって、家事の分担の問題というのは、家政婦を雇えば全て解決できてしまうのである。仕事で忙しい夫に家事や育児を無理矢理頼んでも夫婦喧嘩になるだけであって、それよりもお金を支払って家政婦を雇った方が効果的な解決策を得ることができるものなのである。特に妻が大学卒で高収入の仕事をしているのなら、産休と育児休暇を取った後は、すぐさま仕事に復帰しなければならないので、こういう時は家政婦に頼んで家事や育児のことをやって貰うしかないのである。

 女性雑誌の特集で、「夫婦の家事の分担で問題があるなら家政婦を雇おう」ということは絶対に言わないので、要注意なのである。それもその筈、女性雑誌の編集長や編集員たちはそれほど給料が高くないために、家政婦を雇うという発想が出て来ないのだ。夫婦の収入が少なくて家政婦を雇えないのなら、その場合は家事の分担の問題なのではなく、夫婦の収入が少ないということを問題にすべきなのである。

●夫が頭脳労働の場合、帰宅後に家事をやる余裕はない

 大卒の女性たちが絶対に覚えておいた方がいいのは、男性というのは仕事に全力投球してくるのであって、帰宅後には家事や育児などを行うエネルギーは残っていないということなのだ。女性であるなら、仕事には適度に働き、仕事で疲れても帰宅すれば家事や育児を行えるだけのエネルギーは残っているものだ。だから働く母親たちは仕事で働いても、帰宅後は家事や育児ができるのである。しかし女性である自分ができるからといって、男性である夫もそれができるとは限らないのだ。

 特に夫が頭脳労働の仕事に就いている場合、絶対に家事や育児を手伝わないし、帰宅しても仕事をするか、明日の仕事のための準備をしているものなのである。政治家や高級官僚、会社経営者、学者や作家などは、仕事で脳をフル稼働させてきたために、帰宅後に家事や育児を手伝うことはないのだ。それどころか職場ではこなせなかった仕事をしたり、仕事のために読書をしたりするのだ。、

 妻にしてみれば、「自宅にいるのなら、家事や育児を手伝ってよ!」と言いたくなるが、頭脳労働の疲労は違う知的刺激を与えることでしか解消できないのだ。肉体疲労なら、帰宅して多少休めば、体力が回復してきて、家事や育児を手伝う余裕も出て来るのだが、頭脳労働の疲労は休んだ所で回復できないのだ。昼間の仕事とは違う仕事をしてみたり、読書をすることで、仕事では使っていない脳の分野を刺激し、そうやって脳の疲労を取り除いているのだ。脳が疲労している者にとって、家事や育児の手伝いが駄目なのではなく、新聞やテレビを見ることすら駄目なのである。

 頭脳労働に従事する者が、帰宅後に家事や育児を手伝っていたのなら、脳の疲労が取れないので、仕事の成果が上がらなくなるし、脳疾患で重傷を負ったり死亡してしまうことになってしまうのだ。大体、政治家や高級官僚や会社経営者が、帰宅後に家事や育児をしていることなどまず有り得ないことなのだ。学者や作家にしても、日中、仕事で高度な思考を展開したのに、帰宅後に家事や育児などしていたら、知的活動などできるわけがないのだ。

 夫が頭脳労働を行ってお金を稼いで来ているというのに、もしも妻が夫に家事や育児の手伝いを頼むのなら、それは夫の仕事を妨害するだけでなく、夫を破滅させているようなものなのである。もしも自分だけで家事や育児ができないというのなら、脳を疲労させている夫に頼むのではなく、家政婦を雇うべきなのである。

 頭脳労働に従事している男性が結婚している場合、家政婦を雇っているか否かというのは、その者の能力を見極める上で、貴重な判断材料となるのだ。家政婦がいるなら、まずその男性は家事や育児を行うことがないから、仕事に専念できるようになるのだ。しかし家政婦がいなければ、妻に依頼されれば、家事や育児を手伝わざるを得ないから、いずれ仕事に支障が出始めて来るようになるものなのである。

●妻に高収入が期待できるなら、家政婦を雇った方が収入は激増する

 夫婦共働きで、妻に高収入が期待できるのなら、家政婦を雇った方が断然お得なのである。家事や育児というのは、やろうとすれば幾らでも時間が食われてしまうので、仕事どころではなくなってしまうのだ。自分が家事や育児を行うよりも、家政婦を雇って、家政婦に任した方が、家政婦に支払う出費が高くても、充分に採算が取れるようになるものなのである。

 この世の中というのは、お金を持った者が圧倒的に有利になるようにできているのである。夫婦共働きであっても、妻に高収入が期待できないのなら、家政婦など雇わず、自分で家事や育児をした方がいいのだ。もしも働きに出るなら、自分の母親や、夫の母親に家事や育児を頼むとかするしかないのだ。昔の庶民の母親たちはみんな働いていたが、自分の母親や夫の母親が家事や育児を手伝ってくれたからこそ、働きに出ることができたのである。その伝統を奇麗サッパリと忘れたからこそ、家事の分担で不要な苦悩を抱え込んでしまうのである。

 自分が仕事をしつつも、或る程度の家事や育児をこなせるのなら、定期的に家事の代行業者を頼んだり、子供を保育園に預けることで、家事や育児の負担を軽減すればいいのだ。家事の代行業者に仕事を頼むと、恐ろしいほどの金額を要求されるが、仕事の出来は想像以上で、家中をピカピカにしてくれるのだ。

 女性が大卒であるというのに、高収入を取れないというのは、学生時代に遊び呆けたり、就職してもまともに働かなかったからなのである。ビジネスの世界に於いて学歴差別は如何なる差別よりも強烈で、大卒の女性は高卒の女性よりも圧倒的に収入が高いものなのである。それなのに、自分は大卒であるけど、きちんとした実力をつけていなければ、当然に高収入など取れる訳がないので、家政婦など雇えなくなってしまうのだ。

 自分が高収入であるなら、家政婦を雇うという選択肢も出て来るし、夫とのトラブルを回避できる措置をも取ることができるのである。子供がいるのなら、勤務時間中までに全ての仕事を終えてしまい、残業をしないようにすれば、子供と遊べる時間も充分に確保できて、育児を楽しめることができるようになるものなのである。

 もしも家政婦を雇わなかったら、夫婦の関係は破綻してしまうことだろう。しかも妻には高収入があるので、平気で離婚してくるのだ。家政婦を雇わなかったばっかりに、自分の結婚生活を破壊してしまったのだ。頭が良く、仕事もできる女性であるかもしれないけれど、人生をよりよく生きる知恵を持っていない女性であることを暴露しているようなものなのだ。

●家の中に大人の女が2人以上いると、男に家事を手伝わせようとはしなくなる

 家政婦に派「住み込み」と「通い」の2種類があるが、住み込みの家政婦の方が圧倒的に忠誠度が高い。仕事をきちんとこなすし、無理な注文もきちんと受けてくれる。しかし料金も高くなる。通いの家政婦は、忠誠度が低く、決められた仕事しかしてこない。家政婦を雇う場合は、その家政婦をきちんと調査しておくべきであって、信用できない家政婦を雇ってしまうと、家の中からお金や貴重品が消えたという事件が発生して来るのだ、勿論、空き巣が入った訳ではなく、家政婦が盗んだのである。

 家政婦が自宅にいると、女性特有の現象が起こって、男性である夫に家事や育児を手伝わそうとしなくなる現象が起きて来るのだ。大人の女性が家の中に2人いれば、女性たちで家事や育児をやってしまった方が合理的なのである。それゆえ、夫は仕事に専念できるので、夫の収入も高くなっていくようになるのだ。

 子供にとってみれば、母親が育児疲労をしていないために、いつも明るく元気でいてくれるし、母親がいなければ家政婦が相手をしてくれるので、子供の脳にとってはいい刺激になるのだ。母親一人だけなら、当然に話す語彙も限られてくるが、母親と家政婦がいれば、使われる語彙が爆発的に増えて行くものなのである。

 古来より、有能な政治家を産んだ家は、殆ど全てといっていいくらい、母親だけが育児をする環境で育って来なかったというのことは、絶対に忘れない方がいい。乳幼児期に母親以外の女性が自宅にいたからこそ、脳を大いに発達させることができ、政治家として大成して行ったのである。民主主義の世の中に成ってしまうと、家政婦のいない家から政治家になる者たちが出て来てしまうので、当然に政治が巧く行かなくなってしまうのである。

 人間が高収入を獲得するということは、誰かが下支えをしているからこそ、後顧の憂いなく働けることができるのである。夫が高収入を得ているなら、妻が下支えしているものだ。もしも夫だけでなく、妻も高収入を得ているなら、家政婦を雇って下支えして貰うしかないのである。家政婦を雇わず、夫婦で家事や育児の分担で揉めているようなら、夫婦双方の収入が激減して行くのは当然のことなのである。妻であるなら、夫には仕事を最優先させてあげることだ。そして自分が働いて高収入を得たいのなら、家政婦を雇って家事や育児を行って貰えばいいのだ。それが知恵ある生き方というものだ。

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