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「親の心、子知らず」「子の心、親知らず」

●親になれば、自分の子供の頃の気持ちを奇麗さっぱりと忘れているもの

 女性が結婚して赤ちゃんを産んで育てて行くと、母親の気持ちというのは解って来るようになる。自分が母親になったことで、自分の母親は育児の時にこのようなことに戸惑いながら育てて来たんだなというのが痛いほど解るようになる。それは自分が母親になった大事な証なのだ。

 しかしその一方で子供の気持ちは奇麗サッパリと忘れてしまっている。「自分が赤ちゃんの時に一体何を考えていたのだろう?」「自分が幼稚園児の時に一体何を考えていたのだろう?」「自分が小学生の時に一体何を考えていたのだろう?」、こういったことは全て忘れてしまっている。自分が最早、自分の親には従属していない以上、自分が子供の頃の記憶は全て忘れ去って行くものなのである。

 自分が親になるということは、自分の親の気持ちが解るようになるということ、そしてそれは同時に自分の子供の頃の記憶が消去されていくということなのである。母親になったというのに、いつまでも子供の頃の記憶を持っていては、育児などできるわけがないのである。忘れるからこそ育児ができるのである。

 人間の成長には大きく分けて、3つの段階がある。子供の頃は「従属の時期」であって、次が「自立の時期」であって、最後が「独立の時期」である。子供は親に従属することで育って行くが、思春期を迎えれば親から離れて行くことで自立し行き、結婚することによって独立して行く。

 だから、中学生になれば小学生の頃のことは忘れて行くものだし、結婚したら独身時代のことなど忘れて行くものだ。4歳児に起こる「記憶の消去」のような完全な記憶の消去は起こらないが、それに準ずるような記憶の消去が起こるのである。人間の脳は無限の能力を持っているとは言われてはいるが、大量の記憶を持ち続けることはできないのだ。忘れることによって、新たな情報が入って来るように仕向けるのである。

●親子の矛盾は絶対に必要である

 母親が子供の頃の記憶を忘れている以上、「親子の矛盾」は絶対に発生して来る。なんせ母親が子供の気持ちを忘れている以上、我が子の心を充分に理解し尽くすことはできないのだ。育児をしていれば、母親に様々な葛藤があって当然だし、子供の方にも様々な葛藤があって当然なのである。

 母親の方はその「親子の矛盾」によって母親としての自分を成長させていくし、子供は母親に充分理解して貰えないからこそ、自分を理解してくれるよう努めるのだ。初めての育児だというのに、育児のことを全て解っているような女性は母親ではないのだ。新米ママなら育児のことを知らなくて当然だし、その知らないものを知って行くからこそ、「育児の喜び」があるのである。子供にしても母親に何一つ反抗して来ないような子供は子供ではないのだ。子供が母親に反抗して来ないのなら、その母親が子供を抑圧し過ぎたか、それとも子供が甘え過ぎているかなのである。

 この世には「親子の矛盾」を否定したがる人々はたくさんいて、「育児は育自」「子育ては母親育て」と言い出す輩は、この親子の矛盾を完璧にまで否定しているのだ。女性というのは、赤ちゃんを産んだ時点で、正確に言うなら妊娠した時点で、いきなり母親に成ってしまうものなのである。一気に母親の地位になるのであって、自分が努力して徐々に母親になっていくのではないのだ。

 赤ちゃんを産んだのに、女性が自分に拘っていれば、母親になれることなどないのである。赤ちゃんを産めば、育児で自分の生活の殆どが使われてしまうのだから、まともに育児をしていれば、自分に拘っている閑などないものなのである。母親として様々なことをやらねばならないし、時には慌てふためきながら育児をして行くのである。そういう育児をしていれば、母親として成長して行くのは当たり前なのである。わざわざ「育児は育自」「子育ては母親育てと言って来ること自体が異常なのである。

 母親として成長していない母親に限って、自分の子供に対して物解りがいいように振る舞うものだ。しかし物解りのいい母親は正当な母親ではないのだ。母親なら、子供が泣き叫ぼうが、必要とあらば実行して行くのが当たり前なのだ。我が子が母親の言うことを聞かねば、叱るのは当然だし、子供は叱られれば泣き出すのは当然なのだ。だが、それをしなければ、子供は子供として成長して行くことができなくなってしまうのだ。

●育児や子育てには宗教は絶対に必要である

 まともな宗教心をなくしてしまえば、誰でも平等だと思い込んでしまうものだ。母親と子供が平等になってしまったら、子供は肉体的な成長をすることはできても、精神的な成長をすることはできないのだ。母親と子供は不平等だからこそ、子供は母親に追いつこうと必死になって成長して行くのである。

 宗教心があるからこそ、自分を引き上げることができるのである。結婚式を挙げて、自立の時期に終止符を打ち、独立の時期に入るということを確認するからこそ、女性は独立して行くことができるのである。赤ちゃんが生まれれば、初参りに行って、我が子は自分たち夫婦が生んだのだけれども、これは神様から授けられたと確認するからこそ、子供を大事に育てて行くことができるのである。

 通過儀礼というのは、普通の人々が思う以上に大事なことなのである。儀式を挙げることで、過去を切り離し、退却を許さないようにさせるのだ。人間の人生というのは、後ろのドアを閉めれば、前のドアが開くようになっているのであって、儀式によって後ろのドアを閉めないからこそ、前のドアが開かなくなるのだ。自分が前進したければ、儀式を執り行い、後ろのドアを閉めるしかないのだ。

 「七五三」にしても、子供の成長にとって大切なものなのだ。乳幼児は死の危険性があるものであって、生きていることを当たり前と思ってしまうと、碌でもない人間に育って行ってしまうのだ。自分が成長できたのは、神様のお蔭ですと感謝の意を捧げるからこそ、益々成長して行くことができるのだ。

 人間は自分が思っている以上に利己主義的な生き物だから、どうしても自分自身に執着してしまう。しかし執着し続ければ、不幸が幾らでも発生して来るのだ。自分が幸せになりたいのなら、執着から離れることは必要なのである。宗教の力を使って「煩悩からの解脱」を果たして行くしかないのである。

●親子の矛盾が大きければ大きいほど、子供は大きく成長して行く

 通常、親子の矛盾が激しい家族ほど、優れた子供が育って来易いものだ。母親が家事や育児をテキパキとこなし、「偉大なる母親」として君臨しているのなら、如何なる子供でも母親に感謝するようになるからだ。自宅では母親はこうするのが当たり前だと思っていても、余所の家に行った時にその家の母親の程度の低さが解れば、自分の母親に何かしらの不満があっても、それは消え去ってしまい、母親を尊敬するようになるものだ。

 父親なら仕事を一生懸命になって働き、優れた成果を出しているのなら、如何なる子供でも父親に感謝するようになるものだ。自宅では父親のだらしない姿を見て不満に思っていても、余所の家の父親が大した働きをしていないというのが解れば、その不満は消え去って、父親を尊敬するようになるものだ。

 もしも娘に「将来何になりたい?」と訊いた時、娘が「お母さんみたいになりたい!」と言ってくれたのなら、それは母親として誇るべきことなのである。もしも息子に「将来何になりたい?」と訊いた時、息子が「お父さんみたいになりたい!」と言ってくれたら、それは父親として誇るべきことなのである。親がまともな育児をしているのなら、子供は親に対して絶大なる憧れを抱くものなのである。その絶大なる憧れが、子供たちにとって更なる成長を引き起こして来るのだ。

 親子の矛盾がどんなに激しくても、子供が自立し始めれば、より大きく悩み、そして大きく飛躍していくのである。逆に親子の矛盾がなければ、子供が自立しても、ふらふらとしてしまい、飛躍するどころか、トラブルを起こし続けることになるのである。親子の矛盾など、子供が自宅を出て行けば、解消されてしまうものなのである。だから子供が親から養育されている時は、絶対に親子の矛盾など解消しなくていいのである。

 子供も親から離れて自立して行けば、いずれ結婚して独立を果たして行くことであろう。そして自分が新たに赤ちゃんを産んだ時、自分が子供の頃のことは奇麗サッパリと忘れているのだ。そうやって人間の命を延々と繋げて来たのである。だから、文明がどんなに進歩したとしても、そのことは変わらないのだ。世の中には人間は弄ってはならないものはたくさんあるのである。親が子供の気持ちが解らなくて当たり前だし、親子の矛盾があって当たり前なのだ。それは先祖から受け継いだ命を子孫へと受け繋いで行っているということなのである。

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コメント

タマティーさま、こんにちは!今日も勉強になるお話しをありがとうございます。

今日の内容を読ませていただき、どうやら私は、まだまだ母親の従属から抜け出していないという事に気づきました…。
なぜなら私は、育児をするほど自分の母親に怒りが湧いてくるからです。子どもの頃の悲しみが湧き出てきてしまいます。
自分はまだまだ幼稚です。こんな私で、何よりも旦那さんと息子に申し訳ない。

でも、この苦しみの原因が、自分の幼稚さにあると気づけたのは、かなりの収穫です。

また少し、生きることが楽しみになったというか。
ありがとうございました。

投稿: ゆう | 2010年6月25日 (金) 15時01分

 ゆうさん、そういう「親子の矛盾」がエネルギーになるんです!
 この世に完璧な母親などいないし、増してや離婚して母子家庭なんだから、普通の母親たちよりもハンデをつけて見てあげないとね。
 ゆうさんが母子家庭で育ってきたからこそ、悲しかったわけだし、そういう女性だからこそゆうさんの旦那さんや子供たちに深い愛情を注げるわけです。
 
 大事なことは母親の地位に立ち続けることですよ。
 母親にならずに自分を成長して行こうとしても、母親失格になるだけですからね、
 母親になって家事や育児を地道にこなしていけば、自分の母親の欠点とかが解るようになります。
 それが自分が独立できたことだし、母親になったということですよ。
 
 今回の記事は臨月の妊婦に対しては、重すぎる内容でした。
 臨月にこれだけヘビーな記事を読んでいると、陣痛が来たら、恐らく安産になると思います。

  

投稿: タマティー | 2010年6月25日 (金) 17時10分

息子の夜中のトイレに付き合った後、空を覗いたら、久しぶりにお月様が見えました。ずっと見たかったので、嬉しかったです。

タマティーさまの記事のおかげで、私の育児に対する違和感の理由を見つけることができました。

私は、息子と自分を重ねすぎてしまい、子ども目線を尊重しすぎた育児を行ってきたようです。

一家の影の大黒柱として、なんともおかしな立ち位置でした。

ハンデを知ることは、大事なことですね。

ヘビーな内容だったかも知れませんが、答えを見つけた今は、心がスッキリ軽いです。脳の容量に空きができたのかな。
母親を極めていけば、私の母に対しても、もっと違う感情を抱けるはずですね。コツコツ地道に頑張ります!

夜中にメールなどして、お腹の赤ちゃんには申し訳なかったですが、より明日が楽しみになりました。


投稿: ゆう | 2010年6月26日 (土) 02時30分

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