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子供に優しい教科書を与えるのは有害である

●教科書検定制度が教科書をチープなものにさせる

 母親が子供を小学生にさせた時、一番驚くのが教科書の薄さなのではないだろうか? 「自分が子供の頃に教科書ってこんなに薄かったっけ?」と疑問に思っては、その疑問は間違っていてる。教科書は教科書検定を受けるのたびに教科書が薄くなって行ったのだ。これではなんのための教科書検定か解らないものだ。

 そもそも許可書検定制度は憲法違反である。憲法では政府による検閲を禁じているであるが、政府は堂々と教科書検定を維持し続けている。違憲立法審査権を持つ最高裁判所も平気でその憲法違反を認めてしまっている。政府が教科書検定を維持せざるを得なかったのは、大学に社会主義が蔓延したためであって、社会主義のイデオロギーで教科書を書かれては困ったからなのである。

 毎年、教科書検定で問題が起こるだが、これは政府と社会主義者たちのイデオロギー闘争をやっていると見れば、この馬鹿げた争いの本質が解るものだ。だからこの戦いを続ければ続けるほど、その戦いは悪化していき、教科書の質も量もどんどん下がって行くことになってしまうのだ。

 社会主義に洗脳されてしまう学者たちは頭のいい人たちかもしれないが、社会主義はそもそも愚民視を持っている。プロレタリアートは愚かなんであって、前衛たる自分たちがプロレタリアートを扇動して行かなければならないと思い込んでいるのだ。そのため社会主義革命が達成されると、人民は無知の真っ只中に置かれてしまうのだ。これは北朝鮮を見ると良く解ることだ。

 教科書検定制度は絶対に廃止すべきだ。政府がすべきことは、学校での教育内容を決めることであって、教科書の記述にいちいち手を出すことではないのだ。今の段階で教科書を自由化すれば、社会主義イデオロギーの濃い教科書が蔓延してしまうだろうが、その内にそういうイデオロギー色の強い教科書は人々から嫌われ、淘汰されていくものなのである。

●子供にとって難しい教科書が丁度いい

 社会主義の立場に立ってしまうと、子供は愚かなんであって、優しい教科書を与えておけばいいという考えを持ってしまうものだ。そのため教科書検定のたびに教科書を優しくして行ったのである。しかし子供にとっては優しい教科書だからこそ解らなくなるのである。事実、教科書が優しくなればなるほど、子供の学力は低下して行ってしまったのだ。

 人間というのは、少し難しいからこそ一生懸命に取り組もうとするのだ。教科書の場合、子供にとって難しい教科書だから、子供たちは必死になって考えようとするのである。だから子供たちにとっては難しい教科書の方がいいのであって、難しい教科書を与えておくと、いつの間にかに学力が向上して行くことになるのだ。

 出来のいい教科書というのは、古今東西、大方、決まっているものだ。本文の量が多く、文章の質が高い。そして脚注が多い。図や写真を大量に使っている。だから当然に頁数も多くなるのは当然のことなのである。そういう教科書に触れると子供たちはその教科書を大事に扱い、より多くのことを学んでいくことになるのだ。

 毎年、教科書検定で話題になるのだが、教科書を出版している出版社は、学年が終わる頃には、多くの家庭で教科書が廃品回収に出されてしまい、環境汚染の一翼を担っていることに心を痛めるべきなのである。子供たちにとって「教科書には価値がない」と思うからこそ、学年が終わる頃には教科書をゴミとして捨ててしまうのである。

 確かに教科書を無料で配布することは良いことなのかもしれない。しかし無料で配布してしまうからこそ、その制度を悪用して、粗悪品を配布して来る輩が出現して来るのであって、それゆえに子供たちは教科書になんの有難味も覚えなくなってしまうのだ。出版社であるなら、子供たちが有難いと思う教科書を必死になって作るべきなのである。

●如何なる生徒も教科書を全て理解できるということはない

 如何なる人間も本を読んだ所で100%その内容を理解できるということはない。読書家のように本格的に訓練を積んでいる人でも最大で20%であり、子供であるなら数%しか理解できないのだ。読書に関しては「バカの壁」どころではないのだ。だから普通の本なら何度も読み返すとか、本にアンダーラインを引くとかしないと、読書の理解度を高めて行くことはできないのだ。

 教科書の場合、難しい教科書を与えてしまうと、落ち零れが出て来るから、優しい教科書を与えようと考えるのは、根本的に間違った考え方なのである。そんなことをすると余計に落ち零れが出て来てしまうのだ。如何なる生徒も教科書を全て理解できるわけではないのだから、難しい教科書を与えておいても別に構わないのだ。

 難しい教科書だからこそ、全体の理解した量が多くなるのである。当然に優しい教科書では理解した量そのものが少ないから、自分の学力が上がらなくなってしまい、それで落ち零れて行くのである。教科書の理解度を上げるためには、なんといっても教師による授業テクニックが必要なのである。生徒たちに教科書を音読させたり、ノートに書き写させたりするからこそ、教科書の理解度が高まって行くことになるのだ。

 生徒自身も教科書の理解度を高めたいのなら、何度も教科書を読むしかないのだ。何度も読み返すからこそ、教科書の理解度が高まって行くのである。教科書は通常の書物と違って、一読して終わりというものなのではなく、何度も読み返すようになっているのであって、それに耐えられるように作るべきなのである。教科書を優しくしてしまうと、これが出来なくなるので、だからこそ学力が低下してしまうのである。

 如何なる生徒も教科書を幾ら読んだ所で、100%理解できるということはない。解らないことに関しては次の学年で教わるべきであって、そうって上の学年が下の学年を補完していくのである。今いる学年で全て教えようとしてしまうからこそ、無理な教科書を作ってしまい、当然にそれは教科書として失格になってしまうのである。

●教科書で生徒たちの学力が決まってしまう

 どこの国を見ても、教科書のレベルで大体の学力が決まってしまう。生徒たちに難しい教科書を与えている国は当然に学力が高いし、生徒たちに優しい教科書を与えている国は当然に学力が低くなる。教科書は授業で使う最重要のアイテムだからこそ、粗悪品を使えば、当然にその報いが遣って来るのだ。

 嘗て日本が戦後復興を成し遂げていた頃は、教科書のレベルが高いものであった、だからこそ優秀な人材が育って行ったのである。ところがバブル景気を経験した頃から、日本の教科書は明らかに低下してしまい、そのために優秀な人材が育たなくなってしまったのだ。

 特にひどかったのが、政府が「ゆとり教育」を推進していた時期の教科書であって、その時に使用された教科書は最早、本の形態を維持できなくって、パンフレットのように薄っぺらい物になってしまったのだ。だからこそ学力が一気に低下して行ってしまったのである。政府がやった「ゆとり教育」は明らかに失敗だったのである。

 日本の教科書だからといって安心しないことだ。常に外国の教科書と比較してみるべきなのである。先進国の教科書という物は「それは教科書ではなく辞典ではないか?」と思うほどに分厚い物を使っているのだ。だからこそ大学に進んだ時に、大いに学力を伸ばすことができ、新たな発見をすることができてしまうのである。

 教科書の量が多く、質の高い物を使っているのなら、その国の国民は教育レベルが高くなる。もしも教科書が粗悪なら、参考書を購入して補完して行くしかないのだ。考えてみれば、本屋では参考書のコーナーが充実しており、レベルの高い物が綺羅星の如くに並んでいるものだ。

 「政府に政策あれば、国民に対策あり」というが、政府が粗悪な教科書を学校で使わせるからこそ、国民は自腹を切って参考書を買い、教科書ではなく参考書を使って勉強しているのである。教科書を執筆している学者たちや、教科書を出版している出版社たちは、この事実を冷静に受け止めてほしいものだ。

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