「偉人伝の威力」と「夢の力」
●道徳教育を完全に忘れた教師たち
戦前の道徳の授業は「修身」といった。この修身の授業は教師たちの悩みの種だったのであり、どう教えていいか迷いに迷ったものだった。修身の授業は通常の授業のように試験の成績が良ければ成績表で高い評価を与えればいいというものではないからだ。試験の点数が高い生徒でも、道徳的に劣る生徒は幾らでもいるものなのだ。
よく、戦前の教育では「教育勅語による補完」がなされたと学者たちは言うものである。しかし教育勅語は学校の儀式の際に読まれただけであり、しかも文語体で非常に解りにくいものなのである。忘れてはならないのは、教育勅語自体は明治になって国民の道徳心が低下したことを明治天皇が危惧なされたからこそ発せられたのであって、当時の人々が腐敗していたからこそ、高尚な理想を唱えなければならなかったのである。
ところが日本が大東亜戦争に負けることで事態は一変する。GHQは日本が二度と復活してこないように、学校の授業から修身の授業を廃止してしまったのだ。これはマッカーサーが修身をなくすことで日本国民を道徳的に空白状態に陥れ、日本国民をキリスト教徒に改宗させ、日本をキリスト教化しようとする企みの下に行われたのだ。占領中、GHQは神道を弾圧する一方で、キリスト教系の宗教団体を優遇し、彼等の勢力を拡大させたのである。
更に事態が悪化したのは、学校の教師たちに社会主義が蔓延して行ったことであり、修身の授業を廃止を受け入れただけではなく、その後、長らく生徒たちの道徳を破壊することを延々と遣り続けたのである。社会主義が最も憎んだのは道徳であって、国民が道徳を持っている限り、社会主義革命を阻止されてしまうのである。逆に言えば、国民から道徳がなくなってしまえば、社会主義革命を実現することができるのである。
戦後の学校が長らく荒廃し続けたのは、まさに教師たちによって道徳の破壊が行われ続けたからであって、だからこそ学校ではイジメや殺人事件が発生するようになったし、少年犯罪も急増して行ったのだ。日教組の勢力が衰えるようになってから、やっと少年犯罪の発生率が減少していったのだ。
戦後から半世紀以上経ってから政府は道徳の授業を復活させたのだが、現場の教師たちは道徳の授業の遣り方など完璧に忘れてしまっているのであって、学校の教師たちの中には道徳の授業の時間に、道徳教育の代わりに人権教育を施している者もいる有様なのである。人権教育を施して、生徒たちの道徳が向上していくわけがないのだ。
道徳というのは、言わば「国民の共通認識」だと言っていい。道徳は言われれば当たり前のことなのに、当たり前だからこそ気付けないのである。道徳は決して宗教ではない。宗教には殉教者が出て来ても、道徳には殉教者は出て来ないものだ。日本国民の道徳が一体どのようなものなのか、倫理学者たちが研究して、研究成果を積み重ね、それを道徳教育の現場に還元して行かなければならないのである。日本の倫理学者たちのレベルの低さが、日本の学校の現場に如実に現れて来てしまうのである。
●近代国家が求める道徳は「最低限でも法を守れ」ということである
近代国家の道徳と、近代以前の道徳とでは、まるで異なる。近代以前の道徳では最高善を求めてより良く生きる方法を教えていたのに対して、近代以後の道徳は「最低限でも法を守れ」ということを要求しているのである。だからこそ最高善を求めた儒教は近代になって崩壊してしまったし、道徳的にはレベルが低い人物でも法を順守している限り、とやかく言われない世の中になったのである。
国民に法を順守させるためには、まず何よりも先に国内で「法の支配」を確立すべきであって、「人の支配」を退けなければならなかったのだ。その次に家族制度や私有財産制度を守り、市場取引による自由経済を確立させることによって、国民を豊かにして行かなければならなかったのだ。更には法律の形成過程に国民を参加させ、国民が納得するような法律を作り、その法律を誠実に守らせるようにしなければならないのだ。
明治維新後の日本史の流れはまさにこれに則したものであり、政府は多少の行き違いはあったとしても、大きくは外れることはなかったのだ。だからこそ 社会主義者たちは日本政府を徹底的に批判したのであり、法の支配を覆さないと社会主義革命が達成されないから、そのために教育の現場では道徳を否定して来るのである。
嘗て日教組の教師たちによって「校則無用論」が唱えられたが、これほど道徳に反し、野蛮な所業というものもないのである。生徒たちは校則を順守することで、法の支配の訓練を受けるのであり、その校則が時代に合わなくなったのなら改正していけばいいだけの話であって、校則そのものを廃止しては、生徒たちを無法状態に陥れるだけになってしまうのである。
近代国家が求める道徳は、その人が法を順守しているのなら、自由に生きてもいいということなのである。法を順守した上で、自分自身の徳を発揮していけばいいのである。法を順守することなく、己がソクラテスやプラトンやアリストテレスのような生き方をしても、それは近代国家の国民のやることではないのである。逆に言えば、近代以前と以後では道徳の内容が違っていることに最も敏感に気付いていたのは、実は社会主義者たちであったのである。
●人徳を涵養し、人徳を発揮させる
そもそも道徳とは一体なんなんだろうか? 道徳とは、「神の摂理に従って、まっすぐな心で人生を歩むということ」ということなのである。だから道徳のあるものは神を崇敬するし、まっすぐな心で生きているからこそ楽しく力強く何事かを成し遂げて来るのである。男は男らしく生き、女は女らしく生き、そして各々自分の夢を実現させていくべきなのである。
子供に人徳を涵養させるのなら、偉人伝を教えて行くべきなのである。偉人伝の中に出て来る偉人たちの生き様を見て、自分自身が大いに刺激を受けて、自分自身も自分の夢をしっかりと持つべきなのである。小学生が抱く夢なのだから、その夢が実現するかどうかは解らない。しかし夢を持つことこそが大事なことなのである。
自分が夢を持っていれば、それに向かって走り出すことになるから、寄り道をすることがなくなり、禁欲的になって全力を集中して行くことができるようになるのである。それこそが人徳が発揮されている状態なのであって、それを繰り返して行くこそ、自分が夢を実現居た時に人徳を大いに発揮できるようになるのである。
政治家なら国家の独立を守り、国民を豊かにさせ、経営者ならお客様を満足させた上で利益を拡大させなければならないのだ。政治家が国益を追求することなく汚職をしていたのなら徳がないのであって、経営者が業績不振に陥り倒産させてしまったら徳がないのである。人徳それ自体は計測することが不可能であるが、もしも人徳が発揮されているのなら、必ずその人徳が具現化され、利益が発生している筈なのである。だから自分自身が成長することによって、莫大な利益を生み出して行かなければならないのである。
その一方で、道徳の授業を行う教師たちは、偉人伝に出て来る人物たちは特殊な人物であるということも知っておくべきなのである。確かに偉人たちは素晴らしいが、そのような人物が出て来るということは、その当時の人々は下らない人物が多かったということであり、これは今現在も変わらないのだ。幾ら道徳を熱心に教えたとして、全ての生徒たちが高い道徳を持つことはないのだ。生徒たちの中にも下らない人物はいるものであって、その者に高い道徳的基準を当て嵌めてしまえば、その生徒は居場所を失ってしまうことになるのだ。
●夢を持っていれば、勉強は簡単になる!
道徳を考えていけば、複雑なことを様々に考えていかねければならないものだが、道徳の授業は至って簡単で、生徒たちに「あなたの夢は一体何?」と訊けばいいのである。生徒たちにその夢を紙に書き、自分の家に飾っておけばいいのである。生徒の夢が明確になっていれば、生徒は人徳を発揮していくようになるのだ。
生徒たちに道徳の授業を行わず、勉強ばかりさせるからこそ、生徒たちは勉強が苦痛になっていくのである。夢がなければ勉強を目的化してしまうから、勉強が苦痛になり解らなくなってしまうのである。夢を持ってしまえば、勉強は夢を実現するための手段になるのであって、そうなってくれれば勉強は簡単になってしまうものなのである。
生徒たちの学力を国際的に評価しあって、それを幾ら比べてみても無意味なものなのである。小学生の段階で幾ら高い成績を収めていても、その生徒に夢がなければ、その生徒は絶対に偉大なる人物になることはないのだ。その生徒が偉大なる人物になるためには、勉強ができなくても、大きな夢を持つことこそが大事なのである。
学校の教師たちの中には教育熱心になる余りに、生徒たちを学校に適応させることばかりに躍起になってしまい、生徒たちを徹底的に管理してしまう者たちがいるものだ。確かにそれによって教室ではなんの問題も起こらなくなるが、かといって生徒たちが学校に適応し過ぎた余りに、社会に出て大した能力を発揮することができなくなってしまうのである。人に教育を施す時は、その現場さえ乗り切ればいいということだけを考えるのではなく、その子の未来を見据えて教育を施して行かねかなければならないのだ。
母親は学校の教師たちは道徳の授業をまともにやっていないということを知っておくべきなのである。だから自宅で我が子に偉人伝を読ませたり、我が子に自分の夢を聞いておくべきなのである。子供の夢など大人から見れば笑ってしまうものだが、しかし夢があるからこそ子供なりに人徳を発揮して行くようになるのである。
勉強して、いい成績を取ることは確かに大事なことだ。しかしそれ以上に大事なことは夢を持たせることなのである。夢が明確になっていれば、遊び呆けている暇などなくなり、子供なりに夢に向かって走り出して来るのだ。母親にとって子供に「勉強しなさい!」というより、「お前の夢は一体何?」と訊くことの方が遥かに大事なのだ。
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