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優等生と落ち零れ

●優等生と落ち零れは、実は仲がいい

 学校の教師がどのように授業をやったとしても、優等生と落ち零れが出て来る。授業に対する理解力は、生徒たちは平等なのではなく、必ず格差を産むのだ。逆に言えば理解力に格差ができる教師ほど、いい授業をやっているのであって、理解力の格差が少ない教師ほど、碌でもない授業をやっているのだ。

 優等生と落ち零れは全く正反対なのに、実は惹かれあうのだ。大体、学級の中で一番成績がいい生徒と、勉強に落ち零れて悪ガキのリーダー格になっている生徒は、非常に仲のいい友達になってしまうものだ。この現象は小学校高学年から出始めるし、中学校や高校になれば、それが当たり前のような姿として現れて来る。

 極端な者と極端な者は惹かれあうのだ。幕末で土佐勤皇党の武市半平太と坂本龍馬が親友だったのもそのいい例だ。武市半平太は儒学をきちんと修め、絵まで描けるほどの秀才だったのだが、一方の坂本竜馬は儒学をやらしても駄目で、芸術的才能など全くなく、完璧な落ち溺れだったのだ。ところがこの二人は非常に仲が良く、互いに腹を割って話し合える仲だったのだ。

 小学校でも高学年になれば、成績の良い生徒たちは解って来るし、落ち零れて来る生徒たちも解って来る。双方にリーダー格の人物が出て来るのだが、この両者の仲がいいと、学級は非常に安定したものになってくるのだ。大体、優等生は授業には熱心だが、学級活動には熱心ではないものだ。だが、落ち零れは授業には熱心ではないが、学級活動には熱心なものだ。この両者がいないと、学級は安定したものにはならないのだ。

 しかし教師ほど落ち零れを毛嫌いするものだ。落ち零れの生徒はどう考えても頭が悪いからだ。通常なら簡単に解けてしまう問題でも、平気でミスをしてくるのだ。そのため落ち零れが出て来ることを問題視し、その対策に躍起になってしまうのだ。実はその落ち零れこそが学級の平和に役立っているということを知らずに。

●学問の発展に貢献するのは優等生と落ち零れだけ

 実を言うと、学問の発展に貢献できるのは、優等生か落ち零れだけなのである。この両者が大学に進学して来ると、優等生は学問が現在抱えている問題を的確に把握できるために、その問題に一生懸命になって取り組み、新しい発見を引き起こしてしまうのだ。しかし落ち零れは学問のことがイマイチ良く解っていないので、自分の好きな研究に取り組んでしまい、それによって劇的な発見を成し遂げてしまうのだ。

 そのため大学が優等生ばかり集めてしまうと、優等生なりに学問を研究していくのだが、思わぬ発見ということがなかなかできないのだ。解り易い例を挙げるなら、東京大学であって、確かに学生たちは非常に頭がいいのだが、かといって世界を驚倒させる発見など一度たりともしたことがないのだ。優等生ばかりを集めてしまう大学は、それほど学問の発展に貢献しないものなのである。

 ルネッサンス以降、第一次世界大戦が起こるまで、西ヨーロッパで異常に学問が発展したのは、非常に知的レベルの高い大学を備えながら、その一方で民間で行われる研究に対してきちんと評価を下すことができたからなのである。この民間で行われていた研究こそ、落ち零れたちがやっていたのである。

 2つの世界大戦を通じて、覇権がイギリスからアメリカ合衆国に移ってしまったが、アメリカ合衆国では巨大な大学が多数存在していたので、学問の研究はそこで行われてしまい、民間で物好きが研究するということがなくなってしまったのだ。そのため学問に於いて劇的な発見がなされなくなってしまったのである。

 学問を発展させたいのなら、一方では優等生たちを作って大学に進学させ、もう一方では落ち零れたちに学問に興味を持って貰い、自分で研究をさせるようにすればいいのである。この点、教師が落ち零れの存在を問題視するのは間違っており、落ち零れたちには大学に進学しなくても、生きていけるように配慮すべきなのである。

●落ち零れ重視の教育をやってしまうと、全ての生徒たちが不満だらけになる

 人間は生きて行くためには、「強きに従い、弱きを潰す」ことをやらねばならないのに、「強きを挫き、弱きを助ける」生き方を称賛してしまう危険性を持っている。その人の精神レベルが高くなれば、言行一致の生き方になるものだが、その人の精神レベルが低いと言行不一致の生き方になってしまうのだ。

 ドラマの『金八先生』なんかも、典型的な落ち零れ重視の教育なのであって、教師本人が落ち零れ救済に躍起になればなるほど、生徒たちは荒れて行くのである。ところが生徒たちは教師が自分たちに一生懸命になってやってくれたことにだけは感動してしまい、涙を流すのである。

 ヤンキー先生などもこのパターンと全く同じで、自分が嘗てヤンキーだったからこそ、今現在ヤンキーをやっている生徒たちの気持ちが解ると思ったら大間違いなのだ。大体、中学生や高校生の頃にヤンキーをやっていれば、大学になど進学してこないものなのであって、ヤンキーになりながら大学に進学してくること自体、ヤンキーとしても真面目にやっていなかったことなのである。そもそも中学生や高校生の時にグレてしまったら、学力なんて上がらないものなのである。

 学校教育を存続させていれば、いつでもこの手の落ち零れ救済を唱えて来る教師たちが出て来る。一見、真っ当な意見なのだが、実際にやってみると誰がどうやっても失敗してしまうのだ。なぜならその教師たちは自分が受けた教育に対して思い残したものがあり、その思い残しを晴らすために教育をやっているのだ。要は生徒たちのために教育をやっているのではなく、自分のために教育をやっているのだ。

 生徒たちの中にはどうしても学校に馴染めない生徒がいるものだ。学校で勉強することになんの価値も見出すことができないのだ。そういう生徒はとっと社会に出て行くべきであって、いつまでも学校に縛り付けるべきではないのである。落ち零れの問題は、その者たちが学校を離れ、社会に出て解決していくべきであって、現在の教育を幾ら弄っても絶対に解決されることはないのだ。

●「補習授業の大切さ」と「勉強以外での活躍の場を与えてあげることの大切さ」

 学校教員になる人は、大学で超優秀な学生ではなかった筈だ。超優秀な学生は、一流企業に就職するか、新たに会社を起業するか、大学院に進学するものである。そのため平凡な人物が教師になってしまい、優等生と落ち零れが実は仲が良く、双方とも大きくなれば大活躍することが解っていないのだ。

 小学校なら優等生も落ち零れも同じ学級にいるものだが、中学校に進学すれ多くの優等生たちは私立学校に進学してしまうし、残りの優等生たちも高校に進学する時、偏差値の高い高校に進学して行くことになるのであろう。しかし優等生だけを集めても、やっぱり落ち零れは出て来るし、そのくせ優等生と落ち零れは仲が良くなってしまうのだ。そうやって学級のバランスを取ろうとするのである。

 では、そういった落ち零れたちに何をやってあげればいいかといいうと、補習授業をやってあげればいいのである。一体、授業のどこが解らないかを探り当て、そこを乗り越えて貰うのである。教師にとって補習授業は面倒臭い作業なのである。しかし落ち零れ救済を唱えながら、そのくせ補修授業をやらないのだ。これでは教育の効果が出て来るわけがないのだ。

 その一方で、勉強以外のことで活躍させることだ。落ち零れたちはそもそも勉強が得意なのではないのであって、学級活動やスポーツや音楽といったもので活躍の場を与えてあげるしかないのだ。自分が得意とするものを教師から褒めて貰えば、それを切っ掛けに遣る気が出て来て、勉強熱心な生徒に早変わりすることもあるのだ。

 教育を行う場合、視点を下に設定しては絶対にいけないのだ。自分が授業を行えば、その授業をきちんと理解して来るのは上位2割なのであって、まずはその者たちが満足できるような授業を行い、勉強ができる生徒たちを増やして行くべきなのである。そうやって授業を展開して行くと、勉強熱心なムードが学級を覆って、落ち零れが出にくい学級になるものなのである。たとえ落ち零れが出て来ても、その落ち零れがそんなに問題視されることはないほど、落ち零れなりに活躍してくるのである。

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