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競争のメカニズム

●競争すると「勝ち組」「負け組」「無気力組」に分かれる

 授業をすれば当然に競争が発生する。試験をすれば当然に競争が発生する。学問には競争が付き物なのであって、競争を巧く利用して、学問に切磋琢磨して行かなければならないのだ。競争を巧く利用できる教師は生徒たちの学力を飛躍的に向上させてしまうし、競争を巧く利用できない教師は生徒たちの学力を最悪なまでに低下させてしまう。

 まず競争が行われた場合、人間は「勝ち組」「負け組」「無気力組」の3つに分かれてしまうことを知っておくべきだ。この分別に例外はないのであって、必ずこれらのどこかに入ってしまうのだ。だから人間が平等なんて絶対に有り得ないし、常に格差を産み続けるのだ。我々ができることは人間を公平に扱うことであって、人間を平等にすることではないのだ。

①「負け組」 ~出る杭は打たれる~

 競争をした場合、多少目立つことをしてはならない、競争は同じような力を持つ者の同士に於いて発生し、戦いが最も激しく行われるのであって、そのために勝ち残れる確率は低くなり、負ける確率が一気に上がってしまうのだ。所謂「出る杭は打たれる」なのであって、これをやってしまうと、ほぼ確実に負け組に入ってしまう。

 意外なことかもしれないが、負け組になってしまうような人は無能なのではなく、多少能力があったからこそ、競争に負けてしまったのだ。競争が最も激しい領域にのこのこと突き進んで行ってしまったから、袋叩きにされてしまったのだ。負け組に共通するのは、競争を恐れるということを知らないということなのだ。

②「勝ち組」 ~出過ぎた杭は打たれない~

 競争をするなら、目立つことなく勢力を拡大して行き、気付いた時には圧倒的な力を持っているようにしなければならない。圧倒的な力を所有すれば、競争が起こりにくくなるのであって、たとえ競争が発生しても、勝てる確率が一気に上がってしまうのだ。所謂「出過ぎた杭は打たれない」状態なのであって、これができるとほぼ確実に勝ち組に入ってしまうのだ。

 競争で勝ち残ることができる人ほど競争を恐れているものだ。自分の実力だけでは勝てることができず、運やタイミングといった不確定の要素が作動して来るので、勝敗がどのようになってしまうのか解らないのだ。勝ち組になるような人は謙虚だということなのである。学問であろうが、スポーツであろうが、ビジネスであろうが、一流の人物は常に謙虚であって、闘争本能を剥き出しにしてこないのだ。

③「無気力組」 ~出ない杭は腐る~

 では、残った人たちはどうなるのかといえば、無気力組に自動的に入ってしまう。競争のなんたるが解っていないので、自分の目の前に競争が展開されていても、自分の目には見えず、その内、無気力になってしまうのだ。所謂「出ない杭は腐る」ということになってしまうのであって、勝ち組にも負け組にも入ることができず、腐り果ててしまうのだ。

 人間は個人主義になりすぎてはいけないということだ。人間の地位とか収入とかは、他人との関係で決まってしまうので、自分の実力を鍛えることは勿論のこと、人間関係の構築の仕方をもきちんと習得しておかなければならないのだ。個人主義に走る人に限って、家族とか組織とかを軽視して来るから、そのために自分が競争でまけるどころか、腐敗し切ってしまうのだ。

 競争で勝ち残るのは、常にごく僅かなのである。だから人間は誰しも競争に対する不信感を持っているのだ。経済は競争があるから豊かになれるのに、「資本主義は怪しからん!」といってみたり、子供たちは受験戦争があるからこそ必死になって勉強するのに、「受験戦争は怪しからん!」と言い出して来るのだ。しかし競争をやめてしまえば、貧乏になるのは当たり前であって、誰も実力を向上させていくことができないのだ。大事なことは競争のメカニズムを知って、それを巧く利用していくことなのである。

●勉強やスポーツや音楽ができる生徒たちを特定する

 教師がどのように授業を変えて行っても、生徒たちの中で勝ち組になるのは、2割程度である。40人学級なら8人であり、20人学級なら4人なのである。だから授業をする時は漠然と授業をしないで、この学級の中で勉強ができる生徒たちを特定してしまうことだ。その生徒たちに解るような高度な授業を展開するようにすべきなのである。

 大方の教師はこれをやらずに、落ち零れが出て来るからといって、平均的な水準にまで授業のレベルを落としてしまい、授業を進めてしまうものだ。これをやると勝ち組の生徒たちは遣る気を失って学校で勉強しなくなり、塾で勉強してしまうようになってしまうのだ。しかも平均的な水準は丁度無気力組が多数存在している所なので、教師が幾ら熱心にやっても、生徒たちは無気力になってしまうのだ。

 勝ち組に標準を合わせてしまうと、授業の内容が格段に良くなるので、負け組や無気力組もついて来るようになり、実力を上げて行くことができるようになるのだ。そのために本来なら負け組になる者が自分の欠点を克服できたり、本来なら無気力組になる者が積極的に行動し始めたりするのだ。要は勝ち組の生徒たちを巧く活用すれば、学級の雰囲気はガラリと変わるのだ。

 勉強だけに特定した場合、所詮、勝ち組になれるのは2割しかいないのであって、勉強だけでなく、スポーツや音楽に於いてもその分野の勝ち組になれる生徒たちを特定し、その者たちによって牽引していくようにさせるべきなのである。そうすれば勉強では不得意であっても、スポーツなら一番になれる子とか、音楽でなら一番になれる子が出て来て、それによって学級が活性化していくのだ。

 全ての生徒たちが全ての分野で高い能力を発揮してくることはないのだ。教師がどんな対策を講じても、特定の分野で高い能力を発揮してくるのは、生徒たちの2割だけなのであって、その生徒たちを巧く使って行くべきなのである。教師が「みんなは同じ行動を取らねばならない」と思っていると、その思いとは裏腹に誰も何もしようとしてこなくなってしまうのだ。

●攻撃3割 防御7割

 人間はどうして競争に負けてしまうかというと、攻撃と防御のエネルギー配分が間違っているからなのである。負け組になるような人物は、攻撃に重点を置き過ぎてしまい、防御が手薄になってしまっているのだ。だからそこを突かれてしまうと、呆気なく負けて行ってしまうのである。かといって防御力を重視し過ぎると、今度は攻撃力を落ちてしまい、成功させていくことができなくなるのだ。

 では攻撃と防御のエネルギー配分をどのようにすればいいのかというと、「攻撃3割」「防御7割」なのである。このエネルギー配分が行われると、常に勝ち続けることができるし、たとえ攻撃を受けても耐え忍ぶことができるようになるのだ。勝ち組に入れる者たちはこれができたからこそ勝ち組に入れたのであって、負け組に入ってしまった者たちはこれができなかったからこそ負け組に入ってしまったのだ。

 如何なる生徒も全ての科目に対して得意になることはできない。必ず得手不得手があるものなのである。だからまずは「得意分野への特化」を図るべきなのである。得意分野は自分の実力が発揮し易いのであって、簡単に順位を高めて行くことができるからだ。他の分野は「最低限の維持」を図ればいいのであって、得意分野がありさえすれば、自然と他の分野も向上して行くのだ。

 絶対にやってはならないのが、欠点があるからといって、その欠点を克服しようとする遣り方だ。これをやってしまうと、欠点を克服できなどころか、自分の長所まで破壊されてしまい、全てのことに対して意欲を失ってしまうのだ。教師が生徒たちの勉強ができないことに腹を立て、「どうして勉強ができないんだ!?」と叱り続けていると、誰もが勉強を苦手とするようになってしまい、更に成績が悪化してしまうのである。

 落ち零れたちを救済しようと教師は、その時点で教育の基本を忘れているのだ。落ち零れになるような生徒たちは攻撃と防御へのエネルギー配分が解っていないのである。そのような配分は競争を通じてしか学べないものなのだ。もしも勉強が駄目なら、他の分野で一生懸命になればいいのである。

●夢を実現することは、実は簡単なこと!

 若い時に競争しておくことは、若者たちにとって非常に大切なことだ。競争することで学ぶことが多々あるからだ。自分の実力というのは確かに大事だ。しかし自分の地位というのは、他人との関係で決まるのであって、如何に競争を巧く立ち回って、自分が望むような地位を獲得していかなければならないのだ。

 競争をしていけば、いずれ気付くことだろう。自分の現在の環境は自分が作り出しているということに。自分の現実は自分で作り出しているのであって、自分を変えたいのなら、自分がどのようにしたいのか思い描き、それを実行していかなければならないのだ。勝ち組になるような生徒はそれができたからこそ勝ち続けているのであって、それ以外の生徒たちは自分の未来の姿を想像できていないのである。

 勉強で勝ち組になるような生徒は、将来、国立なら東京大学に行こうとか、私立なら早稲田大学に行きたいとか、自分の夢が明確になっているものなのである。スポーツで勝ち組になるような生徒は、日本一になるとか、ワールドカップで優勝するとか、自分の夢をありありと思い描くことができているのだ。

 小学生の段階で、知力も劣り体力も劣っているのに、そういうでかい口を平気で叩けてしまうのである。現実を直視することは大事であるが、法螺を吹くことも大事なのだ。勝ち組になれない生徒たちは法螺を吹けないのだ。自分が将来、どのような人物になりたいか解っていなからこそ、何もせずにうだうだとしてしまうのである。

 自分に夢がないのに、他人と競争してしまえば、出る杭は打たれるようになってしまうし、競争を毛嫌いしてしまえば、出ない杭は腐ることになってしまうのだ。自分に夢があれば、競争で勝とうが負けようが、別にどうってことはなくなり、勝てば前進していけるし、負ければ自分の欠点を克服して行くことができるようになるのだ。競争を巧く利用していくからこそ、益々競争に勝つことができてしまうのである。そういう生徒たちこそが、将来、社会に出て有能な人材になることができるのである。

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コメント

こんにちわ。

今日のブログ、何度も読み返してしまいそうです。
タマティさんのブログは内容が濃くてとても勉強になります。


わたしは海外に住んでいるので、どうしても語学の勉強を免れられません。大人になってからの勉強は大変ですが、軌道に乗り始めてくると面白いものです。

それでも育児もありながらいままでよりもペースを落としながらがんばっています。ときには「なんで全然うまくならないのか、」落ち込むこともあります。


モチベーションをあげつつ楽しく勉強していこうと思います。
タマティさんのアドバイスもぜひいただきたいです。
前向きにがんばれる気がします。

投稿: ケリア | 2010年8月11日 (水) 21時35分

 ケリアさん、海外で育児をしているわけですね。凄いですな~!

 日本人が外国語を学ぶ時、間違えるの当たり前だから、間違ったことをそんなに深刻に受け止めないことです。
 寧ろ間違って当たり前と思った方がいいです。
 アグネス・チャンさんなんか何十年と日本に住んでいるのに、未だに日本語をまともに話せないんだから。
 会話を鍛えたいのなら、とにかくテレビを見ることですね。テレビはどこの国でも平均的な人々が見ているので、テレビでヒヤリングを鍛えて行くしかないのですね。
 それと文章を読むなら、文法をきちんと習得しておくことですね。日本語だと文法がイマイチ明確でないんだけど、外国語となると文法が解ると、難しい文章でも簡単に解るようになりますからね。

 かといって外国語漬けになってしまうと、精神的にヤバくなってきますから、日本語で書かれた本を読むようにすることです。
 タマティーが大学生だった頃の英語の教授が言っていたんですけど、「外国語をしっかりと話すためには、日本語をしっかりと理解していなければならない」と言っていました。
 本当にその通りだと思います。
 外国で暮らしていると、日本語に飢えてしまうので、ケリアさんが好きな本を熟読して、精神のバランスを保った方がいいです。

 それと、というか、これが一番大事なんだけど、自分が外国語を流暢に話している姿を想像してしまうことですよ。
 そしてその想像を目標にして、期限を定めてしまうことです。
 脳のメカニズムから言うと、最短で3ヵ月なので、3ヵ月後には外国語を流暢に話せると目標を定めてしまうことです。
 実際にやってみると、本当に出来てしまうものだし、たとえ流暢に話すことができなくなても、日常生活に不自由のない程度までに上達すると思います。
 紙に目標と期限を書いて、それを壁に貼っておき、毎朝見るようにすれば、否が応でも外国語が上達していくと思います。
 

   

投稿: タマティー | 2010年8月12日 (木) 06時38分

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