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『ゲゲゲの女房』への感想文

●原作が良ければ、いいドラマを作れるもの

 いや~、NHKの朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は面白かった。俺としては、このドラマの原作の武良布枝著『ゲゲゲの女房』を読んで「これは面白い!」と思っていたので、それがドラマ化されるのは本当に楽しみだった。原作が良ければ、きちんとしたドラマを作ることができるもんだよ。脚本家が自分の頭で作り出したフィクションだと、嘘が目につくようになってしまって、楽しめないんだよね。それよりも原作があって、そこから話を膨らまして行ってくれた方が、同じ嘘でも楽しめるからね。

 今回のドラマで一番難しかったのは、シナリオ作りの難しさだったと思う。まず結婚生活に対して水木しげるさんと武良布枝さん双方が本を出しているんだけど、双方の印象は幾分違っているんだ。例えば、水木しげるさんは売れっ子に成り出してから、妻子のことは殆ど見向きもしていないからね。売れていた時期の仕事は本当に忙しかったんだと思う。

 それと貸本業界が消滅するといった現象をどのように説明していいのかって意外と難しいもんだと思う。とにかく貸本業という商売があったこと自体、知らない人々が多数存在するので、そこを説明しなければならないし、その貸本業界が漫画雑誌の躍進によって潰れれいったことを説明しなければならない。後、ドラマを見てもイマイチ解らなかったのが、貸本漫画家が通常の漫画家に転職するのがなぜ難しいのかということだと思う。俺が補足説明をしておくと、通常の漫画家たちは圧倒的に手塚治虫の影響を受けていて、ストーリー展開が非常に早いんだということだ。それに対して貸本漫画家たちは漫画が出て来る以前の劇画の影響を受けていて、ストーリーの展開が遅いのだということなのである。、

 今回のドラマで非常に良かったのは、監督が不要なシーンを省いてくれたのが物凄く良かった。説明を多く要するドラマなので、余りにも多くの説明を加えてしまうと、逆にドラマの展開が悪くなってしまうのだ。民放のドラマの監督たちは無駄なシーンを切らなさすぎなのである。そのシーンを取るためにお金をかけたことは解るが、それが不要なシーンなら敢えて切ることも必要なのである。

 『ゲゲゲの女房』は、監督が男性で、脚本家が女性なので、ドラマ作りとしてゴールデンコンビになっていたので、これでコケたら監督にも脚本家にも才能はないと思っていたが、想像以上に出来が良かった。ドラマの脚本家の場合、自分の意見が全て通るのではなく、会議で幾らでも修正され、シナリオを変えて行かないとならないので、物語を作る能力だけでなく、柔軟性というのも必要となってくるのだ。その点、この脚本家はよくできたと思う。

●松下奈緒の魅力

 主人公の武良布美枝役をやった松下奈緒は、俺にとっては完全にノーマークだった。嘗て俺が映画製作をしていた頃のノートを読み返しても、松下奈緒の名前は1つも出て来ない。それもその筈、俺が映画製作をやめるのと交代するかのように芸能界に入って来たので、俺は全然知らんかった訳だ。

 身長が175cmと高く、今までいい役には巡り会えなかったが、今回は役そのものが身長が高いという設定なので、逆に身長の高さを効果的に使えた訳だ。女優さんは身長が高くなると当たらなくなる傾向にある。身長が高いとスタイルが良くなりすぎてしまい、視聴者がドラマにのめり込めないないのである。女性に人気のあるファッションモデルたちをドラマに使うと殆どがコケてしまったが、これは女性の視聴者たちへの配慮がなさすぎたからなのである。藤原紀香は幾らドラマの主役を務めてもドラマを当てたことはないが、あれだけスタイルが良いと、それが目に突き過ぎてしまい、ドラマどころではなくなってしまうのである。その点、松下奈緒は長身であっても、オッパイは小さいし、余り美人でもないので、そのマイナス点が逆に女性たちの共感を呼べたと思う。

 安来時代の松下奈緒が余りにも不自然だったのは、監督から「役作りをしていると思われては駄目」と言われたからなのである。監督は余計なことを言うなって! 監督としては役作りをしているだけではまだまだといいたい所なのだが、松下奈緒本人が必死になって役作りをしているのに、そんなことを言われてしまえば、本人が混乱してしまい、それが初期の演技の不自然さに繋がったのである。女優が役作りをして、その役を使いこなして行くのは、女優に任しておけばいいのであって、問題があったら監督が指摘すればいいのだ。

 それとドラマの中で赤ちゃんから離れるシーンが矢鱈多過ぎるのが目についた。これは脚本家に責任がある。まず母親というものは、赤ちゃんを2階に置いてどこかに行くということは絶対にしない。赤ちゃんが起き出して動き出せば、階段から落ちてしまう危険性だって出て来るのだ。脚本家が育児を経験していないと、こういう所に脚本の精密さを欠くようなことが出て来るのである。

 今回のドラマはNHKが力を入れて作ったのに、『ゲゲゲの女房』のポスターが余りにもひどすぎるのだ。松下奈緒の顔が膨らんで写っているのだ。これは典型的な「水太り」の症状で、体内に余分な水分があるとああいうように太って写ってしまうのだ。こうならないように、朝に軽ジョギングするか、定期的にサウナに入って汗を流すべきなのである。それと極力、飲酒を控えるべきなのである。日本では女優が平気で飲酒をしてくるために、どうしても美しさが抜きん出て来ないのである。

●大当たりの向井理

 ドラマでは主人公が目立つのは当たり前のことだ。脇役が光ってこそ、いいドラマの証なのである。今回は水木しげる役の向井理がいい演技をしまくってくれた。水木しげるさん本人は典型的な奇人変人なので、その役作りをきちんとしてくれないと話にならないのだ。水木しげるさんの言動は水木しげるさんだからこそ許されるのであって、役作りをきちんとしていない者が言ってしまうと、「ふざけんなよ!」と視聴者が突っ込みを入れて来るようになってしまうのだ。

 大体、40歳近くになるまで独身というのが、そもそも異常なのである。あの時代ではお見合い結婚が主流なので、いい歳になれば結婚するものなのである。しかも水木しげるさんは結婚するまで女性と付き合った形跡がなさそうなので、その点も異常なのである。戦争で左腕を失ったというのが、本人の性格をより一層複雑なものに変えてしまったのである。女っ気が全くなく、貸本漫画家として仕事に追われ続け、いつの間にか歳を取っていたということなのである。その奇人変人ぶりを如何に表現するのかということが向井理に託された使命だったのである。

 水木しげるさんは食事の場合、皿以外はなんでも食うほどの大食漢なので、実はこのドラマで食事のシーンは意外と重要なのである。しかも右腕だけ飯を食わなければならないので、そのシーンの良し悪しがドラマの印象を大いに変えてしまうのだ。この点、向井理は プロ並みの料理が作れるという料理好きなので、その食べっぷりが非常にいいのである。最近の俳優さんはご飯の食べ方が非常に汚いので、美味しく食べるように見せるというのは、誰にも出来るように見えて、実は出来ないのである。

 ドラマの視聴率を上げたのは、実は新婚時代の貧乏生活のシーンが連発したことだったらしい。日本経済がデフレに突入して以来、デフレ不況が長期間に亘って続いているので、この時期に視聴者の生活と掛け離れた生活を見せられても、視聴者から総スカンを食うのが当然の結果なのである。だから今回、朝っぱらから貧乏生活を見せつけられれば、視聴者はこのドラマに引きつけられるし、逆に応援したくなってしまうのだ。

 大体、夫婦の生活で貧乏というのは別に恐ろしいものではないのである。生活が貧乏でも夫婦の考え方とか会話の仕方とかでなんとかやっていけるし、楽しめるものなのである。貧乏だからこそ夫婦が結束できるし、目的を持って働いていれば貧乏を克服することが出来てしまうのである。あの貧乏生活が充実していたからこそ、後に水木しげるさんが売れっ子漫画家になった時に、主人公が昔の貧乏生活を懐かしむシーンが重みを持って来るのである。

●脇役たちの面白さ

①大杉漣

 今回のドラマでは脇役たちの出来が非常に良かったのだが、その中でも最も良かったのが、主人公の父親役ををやった大杉漣である。俺が大杉漣に惚れ込んだくらいにいい演技をやってくれた。主人公の父親は、厳しい父親であるが、実は娘思いのいい父親なのである。それを短い出演時間で表現して行かなければならないのだ。大杉漣は脚本どおりにやったのではなく、かなりアドリブを利かして、巧い形で表現していったらしい。

 俺は大杉漣が出て来るシ-ンがあると、遂々笑ってしまったのだが、ドラマでは絶対に笑いは必要なのである。脚本家の中にはシリアスなシーンばかり連発する脚本家が多数いるし、俳優の中にもシリアスなシーンが得意という俳優が矢鱈に多いのである。ドラマを見ている方としては笑いのないドラマなど見ていられないのである。チャンネルを回す権限は視聴者が持っているのだから、詰まらないのであるならチャンネルを変えてしまうものなのである。だから大杉漣が笑いを取ってくれたのは、非常に有難かったのである。

②松阪慶子

 『ゲゲゲの女房』では松下奈緒と松阪慶子の遣り取りが実は重要なシーンなのである。田舎から出て来た主人公は新しい生活に不安がっており、それなのにそこで知り合った友達と仲良くなることで不安が取り除かれ、しかもその女性にはつらい過去があるので、その展開がドラマに奥行きを与えるのである。大衆食堂を辞めて、貸本家になり、しかも戦時中に我が子を病気で亡くし、夫は戦争の後遺症で働かないという、このドラマの中では最も難しい役なのである。それを松阪慶子はよくぞこなしてくれたと思う。松阪慶子だからこそ、この人物の登場でこのドラマに重みが出て来たと思う。

 しかし最近の松阪慶子は余りにも太り過ぎである。少し太るのは別に構わないのだが、画面からはみ出るような太り方をしているので、これだけはなんとかして欲しかった。年齢的に女性ホルモンの分泌量が低下して来るので、熟女は油断していると、一気に太ってしまうのだ。昔は物凄く美人な女優だっただけに、今のような太った姿を見るのは、結構きついな。

③南明奈

 俺としては、南明奈を登場させたことは、非常に新鮮な驚きだった。このドラマでは実はベテランの俳優たちが殆どを占めているので、南明奈のような素人は門外漢なのである。でも新人を使うことで、彼女の一生懸命さが逆にベテラン勢の中で光ったのである。俺はこの起用に「この監督の采配は巧いな~」と思わず感心してしまったくらいなのだ。

 実際の水木しげるさんは女性にはモテない性格なので、南明奈がやった少女漫画家というのは、完全にフィクションの産物なのだが、彼女が出て来たことでお見合い結婚した主人公にも競争意識が生まれ、夫婦の関係を強化して行くことになるのである。事実、南明奈が登場して来たシーンと、田舎に帰ったシーンを見比べてみると、余所余所しかった夫婦がいつの間にかに強固に結束できるようになったのである。ぼさーッと見ていると、見過ごしてしまうものだが、実は南明奈はこの役を結構巧くやってのけたのである。

●駄目な脇役

 主役と脇役たちが非常に出来のいい演技をしていたというのに、1人だけ下手糞な演技をしまくった人物がいる。それがイタチ役の杉浦太陽だ。これには悪い条件が全て重なってしまったみたいだ。このイタチという人物は、実は水木しげるさんの尋常小学校での友達をモトネタにして作った架空の人物である。金儲けを目指しているのに、なぜか金儲けに繋がらない。こういう人物は本当に世の中に実在するものだが、自分の利己心が激しいために、相手に儲けさせることをしないから、お金を儲けることができないのである。

 この手の人物を登場させた脚本家のアイデアは良いのだけれど、この人物をきちんと描きっていないのだ。多分、実生活でこの手の人物からひどい目に遭ったことがないのだろう。イタチのような人物と付き合っているだけで、こちらは大損害を受け続けてしまうので、とにかく遠ざけるしかないのである。通常、自分の成長と共に縁が切れるものなのである。具体的に言うなら。水木しげるさんが貧乏生活をしている時にだけ登場させて、後は登場させないようにした方が現実味を帯びたし、物語の流れも良くなった筈である。

 それに加えて監督が判断を誤り、杉浦太陽を選んだのは完全にミスキャストなのである。杉浦太陽のようなイケメン俳優では、このイタチの役をこなせないからだ。イタチというのは完璧にトリックスターなのである。主人公たちを散々掻き回して混乱させるのだが、それによって主人公たちが成長して行くことになるのである。この役は「善人」ではなく「悪人」なのであって、「人の良さ」ではなく、「悪どさ」を持っていないければならないのである。もしも俺が監督だったら、ブラックマヨネーズの吉田敬を用いたと思う。そもそも吉田敬はお笑い芸人だし、悪どさも十二分に持っているからだ。

 どこの劇団にもこの手の人物は必ずいるものだ。劇団員なのに劇団に大した貢献もせず、それなのに劇団が宴会をする時はちゃっかり出て来て、飲み食いをしまくるのである。本当に役に立たないのだが、この人物を劇でトリックスターとして使うと、通常の役者では絶対にできないような演技をしまくるのである。ドラマの監督をするなら、様々な劇団に足しげく通って、こういう人物をマークしておくべきなのである。それがいざという時に役に立つのである。

 水木しげるさんとイタチの遣り取りは、実は大いに笑いを取れたシーンなのである。トリックスターに課せられた使命は、登場の度に視聴者を笑わせるということなのである。イタチの役は杉浦太陽本人の性格とはまるで違う性格だし、彼はドラマの基本が解っていないし、人生の経験のなさも暴露してしまった。駄目ね演技をしまくったからこそ逆に目立ってしまった。今後の活躍に期待するしかないな。

●ナレーションの素晴らしさ

 「おばば」の役をやった野際陽子は早々に死んでしまったけど、その野際陽子をナレーションで用いたのは本当に良かった。野際陽子の声は聞き易いので、物語の流れが良くなってしまったのだ。女優は顔や演技だけでなく、声でも光ってなくては駄目なのである。因みに平凡な監督だと、主人公の松下奈緒にナレーションをやらせた筈だ。しかし松下奈緒の地声は非常に低いので、もしもナレーションをやったら非常に聞き取りにくくなってしまって、物語のトーンが一気に下がってしまったことだろう。

 おばばが主人公に妖怪話の中で出て来た「おらんけどおる」という言葉は、このドラマの中で重要な言葉になる。まずはこの言葉で妖怪の存在が肯定されるし、それがためにその後の人生で妖怪漫画家との出会いが導き出されるのだ。それにこの言葉を繰り返すことで、死んだ筈のおばばがドラマの中で生きて来るのである。実を言えばおばばはこのドラマのもう一人の主人公なのである。そのために脚本家は主人公の視点とおばばの視点で脚本を書くことができ、無理をすることなく脚本を作ることができたのである。

 この「おらんけどおる」という言葉は、脚本家の想定を超えて、かなり視聴者に変化をもたらした筈である。「おらんけどおる」という言葉を繰り返すことは、「このドラマはフィクションだけど、フィクションであるがゆえにリアリティーがありますよ」と言っているようなものだからだ。だからこのドラマを熱心に見る視聴者が出て来たし、視聴率も急上昇してきたのだろう。

 死んだ筈のおばばを生かすことで、明確に見えて来るのは、≪おばばの慈愛≫だ。おばばが孫娘を思う気持ちが、主人公を守り続けるのである。だから、「のんのんばあ」に愛された水木しげるは、武良布枝と結びつくのである。主人公の育った家庭は父親が厳しく、水木しげるが育った家庭は母親が厳しいと、まるで正反対の家族だ。しかし双方とも≪おばばの慈愛≫が貫いているということでは、同じ家庭に育っているのである。

 その結果、≪おばばの慈愛≫を持たない少女漫画家の南明奈は弾き出されてしまうのである。共通項を何も持たないために、少女漫画家が激しく片思いをしても、水木しげるはこの少女漫画家を少女漫画家としか見ていないし、彼女が成功するように応援するだけなのである。この少女漫画家と肉体関係を持つことは論外であり、少しでも水木しげるが恋愛感情を持ってしまえば、このドラマを論理的に破綻してしまうのである。そうなればどんなに視聴率が高くても、普通のメロドラマ程度の価値しかなくなってしまうのである。この脚本家はよくぞ禁欲的になって禁じ手を犯さなかったと思う。

 普通の男が南明奈のような少女漫画家から言い寄られれば、肉体関係を持つのが当たり前なのである。しかしドラマではそういうことが許されないのである。恋愛ドラマのように脚本家の勝手で自由に男女を結びつけていい訳ではないのである。民放の脚本家なら絶対に水木しげるに恋愛感情を持たせた筈だ。しかしそれをやってしまえば、ドラマは一気に駄作に転落して行くものなのである。ドラマに余りにもリアリティーを要求し過ぎることは、逆にドラマを破壊させてしまうことになるのだ。

●『ゲゲゲの女房』への疑惑

 『ゲゲゲの女房』を見ていて、俺は水木しげる=武良布枝夫妻に対して様々な疑惑を抱くようになってしまった。3つばかし上げてみよう。

①水木しげるさんは質流れをやったんじゃないか?

 まず水木しげるさんは「質流れをやっていない」と主張しているが、「実は質流れをやったんじゃないか?」ということである。質流れをしていないというのは、本人の自己申告なので、質屋に確かめを入れてないと解らないのだ。あの貧乏の状況で少しは質流れをしてしまったと考えるのが正常な判断だろう。実は武良布枝さんもこの点に関しては疑念を抱いているらしいと聞く。妻なら当然の反応だろう。

②新婚時代の貧乏の原因はミルクじゃないのか?

 水木しげるさんが結婚してから売れっ子漫画家になるまで4年ほどの期間があるのだが、この時期が本当に貧乏な時期だったのである。貸本業界が衰滅して行くという事態になっているのに、妻を養い、その上、赤ちゃんまで生まれてしまったのである。しかも追い討ちをかけたのが、武良布枝さんが通った産婦人科の医者はアメリカ帰りの医者であって、母乳育児を禁止し、ミルク育児を強制して来たのである。

 このミルク代こそ水木家の家計を圧迫したのではないか? この当時のミルク代そのものが高く、しかも赤ちゃんは毎日ミルクを飲むものだから、確実に家計を圧迫していくのである。俺が母乳育児を勧めるのも、母乳育児は赤ちゃんに優しいだけでなく、家計にも優しいからなのである。水木しげるさんはあの当時、妻からミルク代がないとせっつかれまくったらしく、貧乏を余計に貧乏にさせたというが解るものなのである。

③長女へのイジメはあんな軽いもんだったのか?

 ドラマの中では長女は「藍子ちゃん」として登場して来るのだが、彼女の小学校でのイジメがあんな程度のものである筈がないのだ。「藍子ちゃん」は長女の尚子ちゃんをモデルにして作ったのだが、この尚子ちゃんは笑ってしまうくらいに水木しげるさんにそっくりなのである。しかもアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』は『鉄腕アトム』の次に来た大ブームなので、その漫画家の娘が小学校に来ているのなら、必ずイジメに遭った筈だ。しかもそのイジメは相当にきつかった筈である。子供は無邪気に他人が傷つく言葉を言って来るので、多感な時期にイジメを受ければ、イジメられた本人はマジで傷つくのである。このことに関しては尚子ちゃん本人から話を聞かねばならないが、彼女がその後、小学校の教員になったことでも、自分の小学校生活に思い残していたということが解る。

 実を言うと、俺の通った私立高校では小説家の胡桃沢耕史の子供も通って行った。案の定、胡桃沢耕史の子供は不良グループからのイジメに遭い、「おいお前、小説を書いてみろ!」だって。書ける訳ないだろうが!? 小説を書く能力は、天性の才能がなければできないのだから、まともな小説を書くことはできないもんなんだよ。才能は絶対に世襲しないからね。事実、小説家の息子や娘で、自分も小説家になったというのは皆無だからね。

●女性の幸せって何?

 長らく連続テレビ小説が低迷していたのは、ドラマの目線を低くし過ぎただろうと思う。この時間帯は朝の仕事がひと段落した時間帯だから、目線を低く作ろうと安易に思っていると、いいドラマができなくなるのである。連続テレビ小説を見ているのは、基本的に主婦たちである。だから主婦たちが喜ぶようなドラマを一生懸命になって作ればいいのである。

 最近の民放のドラマは余りにも異常すぎて、見る気がしないものだ。シングル女性やシングルマザーを主人公にしたり、たまに結婚の話が出て来てもすぐに離婚してしまうので、こんなドラマを見続けていては、自分の結婚生活だって破壊されてしまう危険性が出て来る。シングル女性やシングルマザーがいたとしても構わない。しかしシングル女性やシングルマザーが女性の主流になってはならないのだ。主流になるべきは、絶対に結婚して育児をせっせと行っている主婦たちであるべきなのだ。

 フェミニズムを受け入れることは「企業の奴隷」になるようなものなのである。自分が結婚もせずに働いたとしても、それは私生活を大いに犠牲にし、企業の言いなりになった生き方をするということなのである。昔の奴隷ですら、結婚し、子供を産むことは許されたのに、フェミニストになってしまえば、結婚すらできなくなってしまうのである。

 時代がどんなに変わって行こうとも、女性は結婚してこそ、本領を発揮することができるのである。武良布枝さんの本を読んでも、女性の自立に苦しんだことは一つもない。健全な家庭に育てば、女性は自立できて当たり前なのである。自立したからこそ、親が決めた結婚とはいえ、その結婚を受け入れ、親から独立していったのである。ドラマの中で父親が結婚した娘の反抗に驚くシーンが出て来たが、あの姿こそ独立した証なのである。

 夫婦別姓を唱える女性が法務大臣になるような世の中だから、夫婦別姓にしてもいいのではないかと思う女性が大勢いることだろう。しかし結婚して苗字を変えるということは、親から独立していくために重要なことなのである。よく夫婦別姓を唱える女性たちは「結婚して苗字を変えてしまうと、自分が自分でなくなる」と言って来るものだが、それこそが独立なのである。親から独立するということは、今までの自分を捨てるということなのである。

 勘違いしてはならないのは、武良布枝さんは専業主婦ではないということなのである。結婚してから漫画のアシスタントをやったし、一時期はマネジメント業務もこなしたし、漫画のことに関しては常にアドバイザーとしての役割を果たして来たのである。しかも水木プロダクションでは午後の4時に布枝夫人主催のお茶会が開かれ、みんなが集まってお茶を飲んだり、お菓子を食べたりするのである。こういうことが水木しげる本人にどれだけ精神的な安定を与えたか計り知れないのだ。普通の漫画家なら、女性の漫画家なら40代で才能が枯渇し始めるものだし、男性の漫画家でも50代でネタ切れになるものなのである。水木しげるさんがあれだけ長く漫画家として生き続けられたということは、内助の功なくして絶対にできなかったのである。

 人間の人生を余りにも杓子定規で割り切っては駄目だ。物事を合理的に考えることは必要であっても、生きていれば自分の理屈が破綻することも有り得るのである。努力しなければ成功することはないけど、自分の努力は裏切ることも有り得るのである。結婚したのならば、夫婦が力を携えて、健全な考え方を持ち、地道に努力をし続けて行く。そして実力以外に「タイミング」や「運」というものも必要なのである。『ゲゲゲの女房』ではそのことがありとあらゆる場面で出て来ているのだ。だから面白いのである。

 夫の仕事を成功させることが、妻の本当の幸せに直結する。

 そういう幸せは女性が自分で仕事で成功するよりも、幸福度が比べ物にならないくらいに大きいのである。なぜなら自分のためだけにやっているのではなく、夫や子供たちのためにやっているからだ。人間には他人に愛を施してこそ、他人に奉仕し貢献してこそ、その生命を完全燃焼することができるのである。自分のためだけに生きているのなら、その女性がどんなに裕福な暮らしをしていたとしても、自分の能力を殆ど発揮していないのである。結婚すれば色々なことがあるものである。しかしそうやって色々なことがあるからこそ面白いのである。結婚しているのなら、その面白い事を徹底的に楽しむべきなのである。

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