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学校システムはどうあるべきか?

●学校システムの良し悪し

 国民国家にとって学校システムをどのようにすべきかというのは永遠の課題である。如何なる国家がやったとしても、「これが最高だ!」という学校システムは作れないし、せいぜい自分たちが最善だと思う学校システムを作ることしかできないのだ。しかしその最善と思う学校システムでも確実に学校で問題が生じて来る。

 学校システムは大きく分けて世界には3種類がある。まずはヨーロッパ式の「ギムナジウム制」で、小学校は4年生までで、それ以降はギムナジウムに進み、そこでしっかりと教養をつけることになる。その後に大学に進学し、一般教養の学習は既に終わっているのに、行き成り専門的な学問を学ぶことになる。

 次にアメリカ式は「6334制」で、小学校が6年と長く、その後中学で3年で、高校で3年と学び、そして大学に進学する。アメリカ式は大学入学までに一般教養を学び終えていないので、大学で一般教養を学ぶことになり、そのため専門的な学問は大学院に行ってからになる。

 最後にロシア式は「小中高一貫」で、大学に入学するまで学校は首尾一貫して教えることになる。そのために学校の方としては充分過ぎるほどの教育を施すことができるようになり、ロシア人は意外と知的水準が高い。このシステムはロシアの伝統ではなく、ソ連時代に国民を共産主義者にするために作られたもので、ソ連が冷戦争中、常に攻勢に出続けることができたのは、この学校システムがあったからこそなのである。

 日本では戦前はヨーロッパ式を真似て作ったが、なぜか小学校は6年制で中学校がギムナジウムよりも短く、高等学校を大学予科として使い、そのために大学で専門的な学問をやったのである。旧制高校は今でいう高校なのではなく、今でいう大学1年から2年のことを指しているので、その卒業生たちが大学に進学して来るとなれば、当然に大学のレベルが高かったのである。

 戦後は占領中にアメリカ合衆国にアメリカ式の「6334制」に変えられたのだが、このシステムでは弊害があり過ぎることに多くの国民が気付いている。このシステムだと中学と高校が無駄になってしまい、教育レベルの低下を避けることはできないのだ。中高一貫の学校ができるようになったが、そうなると今度は大学で一般教養を教えている現状をどうにかしなければならなくなってしまうのだ。

●肝腎なポイントは指導者をどうやって育成するかということ

 学校システムを考える時、外国と成績を比較したり、勉強態度を比較したりすることは全くの無意味なのである。生徒たちはその国が取った学校システム通りに動くのであって、学校システムに問題がある場合、その問題はそのまま露呈されてしまい、学校システムを見直さない限り、それは絶対に修復されないからだ。

 例えば日本の学校システムだと中学や高校と分かれてしまうので、学校では大学進学ための授業を首尾一貫してやってくれることがないので、大学に進学したい生徒たちは学習塾や予備校に行って勉強することになる。そのため勉強時間が自然と長くなるのだから、生徒たちの成績は非常に高くなるのである。6334制の本家であるアメリカの生徒たちが国際比較で成績が高かったことなど一度もないが、日本は学習塾や予備校が存在するお蔭で高い成績を維持することができているのである。

 その反面、6334制の学校システムだと、大学は一般教養を学ぶ場所になってしまうので、大学生たちは途端に勉強しなくなるのである。日本の学生もアメリカの学生も遊び呆けていることは一緒だ。しかしアメリカの学生たちは大学院進学を目指し、そこで専門的な学問をするために、大学の講義を真面目に受けることになるのだが、日本は大学院が充実しておらず、しかも殆どの学生たちは大学を卒業することになるので、本当に大学の4年間を遊び呆けてしまう学生たちが出て来るのである。

 大学というのはその卒業生たちが社会の様々な分野に送り出されて行くことで、国家を発展させる原動力となる。そのため学校システムの良し悪しは結局、指導者をどうやって育成するかに尽きるのである。優秀な指導者を育成できたのなら、その学校システムは素晴らしいし、碌でもない指導者しか作れないのなら、その学校システムは駄目だということなのである。

 まず国家の中で最も重要な指導者は「政治家」であり「武官」であり「文官」である。国家というのは軍事力を握った者が権力を握る以上、軍事のことが解っていなければ、本物の政治家にも、本物の武官にも、本物の文官にもなれないのだ。優秀な政治家や武官や文官を育成するためには、大学に於いて学生に士官としての軍事教育を施しておくことなのである。

 近代国家は自由経済を採用するために企業の存在がとても重要になる。そのためには起業家を育成し、経営者を育て上げて行かなければならないのだ。起業家になるためには大学を卒業すると不利になるので、大学に在学中に起業させ、その会社が巧く行ったら、中退させてしまうべきなのである。経営者が経理を知っていることは確かに大事だが、会社の組織の作り方や動かし方を教えて行かないと、優秀な経営者を育て上げることはできないのだ。

 大学でこそ自然科学の研究が本格的に行われるのだが、大学で基礎研究と応用研究のバランスが取れていないと、自然科学上の発見を経済で活かすことができなくなってしまうのだ。そのためには自然科学者と技術者のバランスが必要なのであって、現在のように技術者を低く見るような風潮は絶対にやめなければならないのだ。

●教育は宗教を伴わないと巧く行かない

 教育システムを考える場合、教育というものは宗教を伴わないと絶対に巧く行かないということを知っておくべきなのである。教育は「一般教育」と「宗教教育」に分けるべきであって、一般教育は通常の学校がやっていいのだが、宗教教育は宗教団体が行い、そうやって全く違う教育を受けさせる機会を与えてあげるべきなのである。

 はっきりと言っておくが、宗教の勉強というのは全く役に立たない。神と人間の関係を延々と考え続けることになるので、実際の生活では何にも役に立たないのだ。しかしそうやって宗教の勉強をしていると、現実世界が相対化されてしまい、この世に執着することがなくなり、一般教育のことがすらすらと頭の中に入って来ることになるのだ。

 アメリカ合衆国の学校は哲学者のデューイが民主主義教育を広めてから滅茶苦茶になってしまったが、それでもキリスト教系宗教団体が持っている日曜学校は充実しており、そのため学校の成績は悪くても、大学に進学すると非常に高い成績を持つ学生たちが続出して来るのである。

 これは戦後日本では無宗教の風潮が広まってしまったが、大学生たちは勉強することがなくなり、学者たちの科学上の発見をする確率がアメリカ合衆国の成果と比較すると惨憺たる結果になってしまった。これは学生も学者たちも宗教教育を受けていないために、現実世界を相対化させることができず、そのため自分を絶対化してしまうことになるので、現実世界を客観的に見るということができなくなってしまったのである。

 大学というのは多くの学部を持てば総合大学になれるのではないのだ。総合大学というのは神学部があってこそ、初めて総合大学として名乗ることができるのである。西ヨーロッパで学問が発達して来たのは、優秀な科学者たちが出て来たからなのではなく、大学が神学部を持っていたからなのである。当然に科学が発達してくれば、神学と対立する場面で出て来るが、かといって科学者たちが神学によって相対化されたことで、現実世界を客観視することができたことで、科学の発展が進んで行ったのである。

 大学生と言う多感な時期に、宗教家と接していることは、非常に有意義なことなのである。学生は人生について悩んだりするので、その質問を教授たちにしても無駄なのである。しかし宗教家ならその問題に答えを出すことは可能なのだ。だからこそ、宗教団体が経営している大学は全て高い倫理性を持ち、偏差値がどうのこうの関係なくなり、優秀な人材を輩出して行くことができるようになるのである。

●教育改革はなぜ失敗するのか?

 学校システムは必ず問題を発生させるから、その問題を必要以上に取り上げ、その問題の解決を躍起になって解決しても、それは小手先の解決にしかならなくなり、結局、その学校システムが持つ長所を破壊してしまうことになるのだ。例えば受験戦争が激しいからといって、「ゆとり教育」を実施したら、生徒たちの成績が急激に低下してしまったのはその典型的な例である。大学進学を目指して勉強している以上、ゆとり教育などできる訳がないのである。

 学校システムというのは、「国民教育」という観点から考え、国民に教育を施し、国民の最低の知的水準を確保するということを考えねばらないのである。その一方で国家を指導して行くために優秀な指導者を育成し、それらの者たちを抜擢し、全国各地に配置して行くことができるようにしなければならないのだ。この2つの要請を学校システムが応えない限り、優れた学校システムを作り出すことはできないのだ。

 学校に問題があるからといって、小中高の学校を弄っても、それに見合うだけの大学が存在しなければ、学校システムは機能して来ないのである。政治家が無能を曝け出し、官僚たちが汚職をしまくり、経済が低迷しているのなら、大学自体に問題があると視るべきなのである。

 政府は何度なく教育改革を実施してきたが、全ての教育改革が失敗している。なぜそんなにも教育改革が失敗してしまうのかというと、学歴社会の頂点にいる人々が教育改革を唱えるからなのである。自分たちが学歴社会の頂点にいるのに、教育問題の深刻さなど解りはしないものなのだ。

 教育改革に熱心な者たちは自分が学校で受けた悲惨な経験があるために、現実には存在することのない理想的な学校を頭の中で思い描いてしまうものだ。しかし人間は完璧な学校を誰も作ることができないのだ。どんな学校を作った所で、必ず問題点が発生して来るのだ。

 幾ら学校に問題があるからといって、外国の学校システムをお手本にするのは、逆に危険なのである。どの国も試行錯誤を経ながら、自分の国では最善と思えるものを作り上げて来たのであり、日本がその試行錯誤を行わず、良い結果だけを真似てみても、最終的には破滅してしまうものなのである。戦前はドイツの学校システムを真似たが崩壊してしまったし、戦後はアメリカの学校システムを真似て崩壊しつつあるのである。

 どの国民にも国民性があるから、自国の国民性に反するようなことをやっても、一時的には巧く行っても、結果的は駄目になってしまうものなのである。教育者たちに問われているのは、既存の学校システムの中で最善の努力をすると同時に、学校に問題があるのなら、外部の人たちの意見を取り入れ、試行錯誤しながら解決を図って行くしかないのである。その試行錯誤の積み重ねこそが、実は最も素晴らしい学校システムを築き上げて行くことになるのだ。

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